◎真理ちゃんの「水色の恋」の話は少々厄介なのです・・
この歌の原曲は『小さな私 』という曲名で その作詞は田上えり 作曲は田上みどり の姉妹だということは 天地真理ファンの間では よく知られているそうですが・・
実は その『 小さな私 』には さらに原曲があったのです( この“原曲の原曲”を 以降文中では「元祖曲」と表示します )
正確には「元祖曲」からの部分的引用があったと言うべきですが・・私はこのことを 1972(昭和47)年に購入したタンゴ曲集のLPレコードの中に見つけていました※このレコードの発売は1969(昭和44)年
その元祖曲(タンゴ曲)の名は・・「Gran Hotel Victoria (グラン オテル ビクトリア)」(スペイン語ではオテルです)
天地真理のシングルデビュー曲「水色の恋」のレコード発売は1971(昭和46)年ですから その翌年にこの元祖曲を聴いた私は『「水色の恋」は一部盗作だ ! 』 と思わず心の中で叫びました
↑ これが46年前のレコード (30センチLP2枚組の1枚目)でサイド1の3曲目が 「グラン・オテル・ビクトリア」
私が今でも所持しているそのタンゴ曲集レコードで聴ける・・「グラン オテル ビクトリア」 は 歯切れのよいタンゴの名演奏で人気があったファン・ダリエンソ楽団のもので・・現在 Youtubeで聴けます→https://www.youtube.com/watch?v=SWp3SeKlv38 ※問題部分のメロディーは 途中から出てきます
今回私はこの記事を書くにあたって この「元祖曲」の存在の認知状況をネット上で調べましたら・・
タンゴ演奏のプロモートや評論の専門家であり ラジオの西日本放送で昨2017年までタンゴ専門番組を62年間担当された岡田 寛 氏は2011年頃に西日本放送のホームページで・・「グラン オテル ビクトリア」について「ボクは前からこの曲の後半をどこかで聞いた覚えがあると番組ではいい続けてきたが、果たして「天地真理」1971年のデビュー曲「水色の恋」が正体だった」と・・気づかれたと述べられています(つまり私の発見から約40年経っていますね)
一方 一般の人の間では 昨2017(平成29)年から この「元祖曲」情報が複数出てきているようです
さらに話がややこしいのは・・「グラン オテル ビクトリア」はフェリシアーノ・ラタサ作曲 カルロス・ペッセ作詞で 1906年1月にアルゼンチンのコルドバ゙市に誕生した曲名にもなったホテルの開業式で初演されたタンゴで その後 無名だったこの曲は1935年にファン・ダリエンソ楽団による演奏で復活したという曲で 作者没後50年以上経ているので著作権は消滅しているのですが・・
『天地真理デビュー時のシングルレコードでは 作詞:田上えり 作曲:田上みどり 補作:森岡賢一郎・・とってなっていますが その後2006(平成18)年10月発売のプレミアム・ボックス(CD)では・・作詞:田上えり/Carlos Pesce 作曲:田上みどり/Feliciano Latasa・・となっています
つまり30年以上経ってから前述の外国の作詞者と作曲者が追加表記されています
さらに関連しますが この曲は日本音楽著作権協会(JASRAC)での登録上は 「 外国作品 」 扱いになっているそうです』
※『』内はブログ「真理さんと」 から引用一部割愛 https://ameblo.jp/usagi-windy2/entry-12242971652.html
この30年の間に どこかからの指摘があって 盗作とまでは言えないまでも 一部引用と判断され しかも やはり元祖は外国の曲であると判断されたからでしょう
そして現在この曲の隣接著作権はヤマハ音楽振興会と日本アメリカーナ音楽出版㈱の所有とのこと
このように「水色の恋」については 非常に複雑なことになっているのです
◎「上海帰りのリル」もタンゴ調のヒット曲でしたが・・
これもある曲からの一部引用で作られていました
「 船を見つめていた ハマのキャバレーにいた 風の噂は リル 上海帰りの リル リル 甘いせつない 思い出だけを 胸にたぐって 探して歩く リル リル どこにいるのか リル だれかリルを 知らないか」
上海帰りのリル)は1951年に発売された津村謙のタンゴ調メロディーの歌で 大ヒット(翌年には同名映画も公開)しましたが 1950年代の日本は丁度タンゴブームになっていたことも影響しているでしょう (https://www.youtube.com/watch?v=19n7uyalzmc で聴けます)
作詞:東條寿三郎/作曲:渡久地政信/編曲:林伊佐雄となっていますが・・
タイトルや歌詞の内容やイントロの一部は1933年の米国映画である『フットライトパレード(英語版)』の主題歌『 Shanghai Lil 』および同曲を唄川幸子 ディックミネ 江戸川蘭子 らがそれぞれの訳詞で競作した『上海リル』 から引用していて 出だしのメロディーにも模倣が見られるそうです
同曲自体が『上海リル』のアンサーソングであるのに 本家を凌ぐ大ヒットの余波で 同一の作詞家・作曲家・歌手によって 『リルを探してくれないか』(1952年) 『心のリルよなぜ遠い』(1953年)が製作されて これらもヒットしたそうです
1952年には映画俳優である三条美紀が『私がリルよ』和田隆夫作詞、東為二作曲)で歌手としてもデビュー 他にも三条町子の『私は銀座リル』 三鳩ひとみの『私がリルの妹よ』 久慈あさみ までも『霧の港のリル』 を出すなど関連の歌が連なりました
◎タンゴと言えば・・
昔からタンゴ好きの私は タンゴが主体の専門雑誌であった「中南米音楽」(現 「ラティーナ」 )をよく読み 1970年代はレコードの他にも8トラックカートリッジテープを何本も買って一日中エンドレスでタンゴを聞き流したりしていましたが その後はカセットテープとなり 現在はCD主体です
私の捨てがたいレコードの中でも最も大切なのは「タンゴの歴史」と題した3枚組LP(1969=昭和44年発売)で そのハードケースの内側には・・「愛蔵家番号 001207』というラベルが貼ってありました
その中には 最も有名なタンゴ曲「ラ・クンパルシータ」が1917年に世界最初に録音されたものも入っています
「藤沢嵐子」(ふじさわ らんこ)さん (1925年7月21日 -2013年8月22日)は日本人にして本場アルゼンチンでもタンゴ歌手として評価の高かった人で 1950年代の日本のタンゴブームの立役者の一人であり 「タンゴの女王」と呼ばれました
35年ほど前になりますが 私は東京都 千代田区 内幸町にあるプレスセンタービルに立ち寄った際に1階にある書店で 藤沢嵐子さんの著書の表紙を開けたところに ご本人直筆サインが入ったものが展示販売されているのを見つけたものの 仕事先に向かう途中だったので 後で購入しようとして・・ 帰りに店に寄ると既に売れてしまっていました
↑プレスセンタービル 1976年竣工
↑表紙開けたところに直筆サインがあった
東京都千代田区の神保町には・・タンゴファンには有名な喫茶店『ミロンガ・ヌォーバ』があります
元々は昭和28年(1953年)にタンゴ喫茶「ミロンガ」としてオープンしたもので ビールをメニューに加えた際に現在の呼称になったとのこと 名物は「ピザ・ミロンガ」
店内はやや仄暗く 哀愁をおびたアルゼンチンタンゴの調べがマッチしています ときにはタンゴのライブ・コンサートも行われているようです
実は私は短い店名だった頃の『ミロンガ』にしか行ってません
※写真は「神保町ポータルサイト」から引用
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※タンゴについては またいつか次の機会に!
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