今回は東京都豊島区に関係する「山口百恵」と「トキワ荘」関連のことをとりあげます(文中敬称略)
◎山口百恵出生地は東京都豊島区椎名町(現 南長崎)
山口百恵(現 三浦百恵)の誕生日は1959(昭和34)年1月17日だそうですが その出生地についての記述の間違いのなんと多いこと! 何しろ 多くの人が書き込み合って作り上げ かつ利用する存在の“山口百恵Wikipedia”さえも間違っています
出生地は「東京都渋谷区(恵比寿)」とされて語られることが最も多く 次に多いのは「東京都」 その他「神奈川県横須賀市」や「東京都豊島区大塚」としている例もあります
まあ「東京都」というのは間違いではないのですが その他の地は何を根拠に出現したのでしょうか 誕生後しばらくして横浜市に転居 再び転居した先が 小学校2年から中学校卒業(デビュー時)まで過ごした横須賀市だったことと 百恵自身が度々「わたしのふるさとは横須賀」と発言していたので “横須賀出生地説” が生まれたと考えられます 多分 百恵には豊島区での生活の記憶が定着していなかったところに横須賀の強い印象が勝っていたからでしょう
試しに“山口百恵出生地が東京都豊島区である”という指摘が ネット上やその他のメディアであげられているかを調べたら・・ありました
最古は 1980年に「週刊平凡12月4日号」に登場 続いて1983年に藤原新也(写真家・作家)が著書「東京漂流」の中で 次に2012年8月の「berkeleyさんのブログ:アーバンダイアリー」で そして今年2019年5月に「百恵ちゃん大好き親父サーファーボバチャンのブログ」で発信されていました
そこで私は それらの指摘の正しさを証明するために このブログで確証を提示し補完することにしました
◎母親が百恵出産時に住んでいた「富士見荘」は現存
実を申せば 私も“山口百恵出生地の真実”を知ったのは つい最近で「豊島区立郷土資料館」で豊島区史の本を閲覧して記事を見つけたのです それによると・・
『豊島区椎名町(現 南長崎)と言えば かつてマンガ家たちが住んだ「トキワ荘」が有名ですが そこから1キロも離れていない所にもう一つ・・
“山口百恵が生まれた時期に その母親が住んでいた「富士見荘」”があります そのアパートの真横には西武池袋線が通っています そのアパートのすぐ近くにあった「西武診療所」(現在は廃所)で百恵を“とりあげた”と その診療所の「坂本俊二・スミエ院長(まま)夫妻」が証言されています』・・と 院長夫妻を昭和56年に撮影した写真付きで記されています。
↑この写真は「百恵ちゃん大好き親父サーファーボバチャンのブログ」から引用させてもらいましたが、私は前出の書籍「豊島区史」の中でも全く同じ写真を見ています
↓夫妻の後ろに百恵が生まれた西武診療所の看板が見られます。(ご両人はその後に他界されています)
↑この写真は「百恵ちゃん大好き親父サーファーボバチャンのブログ」から引用させてもらいましたが、私は前出の書籍「豊島区史」の中でも全く同じ写真を見ています
↓現在の富士見荘の入り口の門柱 奥に玄関が見えます
この雰囲気のためか オーナーのお話では
「時々 テレビドラマの撮影に使われています」とのこと
「時々 テレビドラマの撮影に使われています」とのこと
↓現在の富士見荘の建物(右側面に玄関あり)2枚とも↑↓撮影2019年6月21日
◎「富士見荘」オーナーの貴重な証言が決定打
所在地の現住所は・・東京都豊島区南長崎6丁目22番14号
このブログ作成のため 私が写真撮影をしようと現地に向かったところ このアパートの門から数メートル手前の路地に 一人の高齢婦人が椅子に座って 膝の上の猫を撫でているので もしかしてと思い 声をかけたら なんと偶然にも・・その方が 富士見荘のオーナーだったのです
早速 山口百恵の件を確認したところ 確かに事実と明言されました また 百恵の生まれた診療所は ここから歩いても1分とかからない所に在ったとも聞きました
◎「富士見荘」は近いうちに取り壊されます
現オーナーの先代が戦後間もなくに新潟県からこの地に来られて 自宅兼アパートとして建てた富士見荘の建物は1980(昭和55)年に改築されて現在に至っています
現オーナーは今年82才と高齢なのでアパートの実際の運営は息子さんに任せているそうですが 建物の老朽化で 近いうちに取り壊すことを息子さんが考えているそうです
◎映画「潮騒」と「伊豆の踊子」両方に主演は二人のみ
正確には女優では山口百恵と吉永小百合だけで 男優の三浦友和も両方に百恵とコンビで出ています
三島由紀夫原作の「潮騒」は 古代ギリシャで書かれた「ダフニスとクロエ」という“エーゲ海に浮かぶレスボス島を舞台にした恋愛物語”から着想を得て 三重県鳥羽市の海に浮かぶ「歌島(かじま)=現 神島」という実在の島を舞台にした小説で 過去に映画化は5回 同じ文芸モノの「伊豆の踊子」の映画化6回に迫るものです (他に「青い山脈」も5回ありました)
1:1954(昭和29)年 青山京子 久保明
監督:谷口千吉
監督:谷口千吉
2:1964(昭和39)年 吉永小百合 浜田光夫
監督:森永健次郎
監督:森永健次郎
3:1971(昭和46)年 小野里みどり 朝比奈逸人
監督:森谷司郎
監督:森谷司郎
4:1975(昭和50)年 山口百恵 三浦友和
監督:西河克己
監督:西河克己
5:1985(昭和60)年 掘ちえみ 鶴見辰吾
監督:小谷承靖
監督:小谷承靖
↑東宝のポスターより
映画化された潮騒は・・
「第3作目の小野里みどり 朝比奈逸人版だけは見ていない」という人が多いようですが 私は逆に第3作目のみを映画館で観ています
◎「トキワ荘」風の交番が「富士見荘」近くに出現
今春 西武池袋線の「東長崎」駅南口前(東京都豊島区南長崎)に“かつてのトキワ荘”を模した造りの交番ができました
元々この駅前に普通の交番があったのですが少し移動したのを機会に“マンガの聖地”の街にふさわしいように変身したものです
実はこの交番と 先述の「富士見荘」との間は50メートルほどしか離れていません そして 山口百恵が生まれた「西武診療所」は「富士見荘」と この交番の中間にあたる地点に在ったのです
トキワ荘を模した交番(新築なのに昭和レトロ感)↑
富士見荘は この交番左横の道を先に少し進み 右折した所に在る
トキワ荘を模した交番の側面と背面 ↓
西武池袋線の東長崎駅南口↑
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なお かつてのトキワ荘をほぼ復元するカタチにして来春完成目標で建設中の「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム」は町内の「豊島区立花咲公園」の敷地内で 現在(2019=令和元年6月)は
完成時の大きさがわかるような形の骨組みが現れています
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