



「TALIESIN(タリアセン)1」74,520円(税込み)





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内田秀男
初期の鉱石ラジオ
























富士山の各登山口には「御師(おし)」と呼ばれる人が居て 講から派遣されてきた人たちに 信仰を説き 宿を提供し 登山の道案内もするなどしました また各地に出向いて布教兼富士登拝勧誘もしました 江戸時代の最盛期には富士吉田口には御師の家が百軒近く在ったそうです

1871(明治4)年に御師という職業を政府が認めなくなったりして 富士講も衰退していきますが 現在でも御師と富士講は残っています
講の数は激減したものの その所在は日本全国にあって北は北海道から南は長崎県まで約70か所あります やはり最多は東京で20数か所 僅差で千葉県の約20か所ですが実は千葉県の特に東京湾に近い地域から見える富士山は東京(都内)から見える大きさとあまり変わらず 視界をさえぎる高層ビルも東京ほどには多くなく しかも東京湾越しに見えることになるので障害物が無いという好条件なのです
面白いのは 富士講の存在が 静岡県でゼロ 山梨県でわずか一つという現状で これは以前にもふれましたが 富士山が常に身近に存在して見える静岡や山梨よりも たまに小さくちょっとだけ見える東京のほうが
有難みを感じやすく 感激度合いが強くなるというウェーバーフェフィナーの法則的な現象の影響でしょう
江戸最古の富士塚は1779(安永8)年に高田藤四郎によって造られたもので 「高田の水稲荷境内の富士塚」と言われています その後 各地に富士塚が作られました。その多くは富士山から持ち帰った溶岩も使われ 中には小山に三合目 五合目など標識を設けた塚もあります
また本来は富士塚頂上からは本物の富士山が見えるように作られたものの 現在はビルなどに囲まれて直視不可能となっています しかも通常は”登山禁止”の富士塚も多く 本家の富士山の山開きと同日の7月1日と他のもう1日の 年間2回だけ解禁とする所が多いようです

















「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」
◎「大阪に坂が無いから文化が育たない」(私の上司の言)
前回に”「文化」と「文明」の解釈”を綴ってみました
そこで”昔 私の上司(生まれも育ちも大阪)が発した言葉”・・「大阪に文化が育ちにくいのは 坂が無いからや」・・の意味について考えてみます






そのために朝廷の収入は無くなり 宮殿が荒れる中で 天皇も衣を新調されずに耐えられました
三年がたち、天皇が同じ高台から眺められると 今度は、人々の家々から煮炊きの煙が盛んに立つ様子が見えたので 天皇がこのように言われた・・「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
そして、「私は豊かになった。喜ばしいことだ なぜなら 国とは民が根本である。 その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、引き続き、さらに三年間、税をとることをせずに、六年が経過してから課税を復帰させた








◎ブランコ上/揺り椅子上/会話中/歩行中も
「三上」 「三中」 「三多」 の他にも 私の経験上 思考のためになる良い状況・良い場としてあげることができるのは・・
「ブランコ上」 = ブランコに座ってゆっくりと体を前後に揺すっていると考え事がよくできます・・映画やテレビドラマなどでも そのような設定のシーンがよく見られます 黒澤明監督映画の「生きる」での 志村喬演じる役所勤めをしてきた男がブランコに揺られながら それまでの人生と最後にやり遂げた仕事の意味を吟味しながら ゴンドラの唄を口ずさむシーンが眼に浮かびます
映画「生きる」から
「揺り椅子上」=揺り椅子(ロッキングチェア)は座って自分で揺らせば これもブランコと同様な状況なので考え事がよくできます この経験ができる機会は多くはないと思いますがお勧めです (赤ん坊の揺り籠のように自分以外の人に揺らしてもらうと気持ち良すぎて眠くなりますが・・) 
「歩行中」 = これも経験上 納得できる方も多いと思います ドラマなどでは 人が部屋の中を歩き回りながら考えるシーンは多く また考えを整理しながら言葉を選んで口述して それを秘書に筆記(現代ならパソコン入力)させるシーンも多かったものです 海外ドラマの「刑事コロンボ」の主人公は・・尋問などを終えての帰り際に数歩ばかり歩いたところでいつも もう一つ問いただしたい事を思い出すという設定のシーンが定番でした
◎「アルキメデスの原理」につながるヒント発見は まさに「入浴中」
アルキメデス(紀元前287年頃~同212年)は古代ギリシャの数学者・物理学者・発明家・天文学者でした ご存知のように「アルキメデスの原理」とは ” 流体(水など)中の物体は その物体がおしのけた流体(水など)の重さ(重力)と同じ大きさの浮力を受ける”というものですが そのヒントになる発見をしたのが入浴中だったと言われ・・そのいきさつは・・
このアイデアがひらめいたアルキメデスは思わず「Eureka」(ユーレカ※=「私は見つけた」「私は分かった!」の意)と叫んで裸のまま街に飛び出したそうです
現在このエピソードが「アルキメデスの原理」発見時の状況として語られる事が多いのですが 原理を導き出したのはその後のことであり つまり間違った話が流布されているわけです
※Eurekaの表現としては「ユーレカ」以外に「ユレカ」「ユーリカ」「ユリカ」「ユウレカ」「ユリイカ」などが使われていますが 最近はNHKテレビ番組のタイトルにおいて「(又吉直樹の)ヘウレーカ」
という表現も使われています
そして 坪田譲治は豊島区・西池袋(ここも旧高田)に住みながら「赤い鳥」に「河童の話」という童話を寄稿しています 坪田は小川未明と浜田広介らとともに「戦後童話界の三大御所」の一人となりました なお坪田を鈴木三重吉に紹介したのは・・池袋モンパルナスの童画画家の深澤省三でした
同じ1912(明治45)年に「成蹊実務学校」が開校 後年に中学校 小学校なども開校 後に成蹊大学(現在地:東京・吉祥寺)にまで発展 (安倍晋三首相も同大学の卒業生)









章太郎が宮城県の実家の親からははマンガ家になることを反対される中で 由恵は賛成して 上京した章太郎の面倒をみるために 由恵は持病の喘息の治療にかこつけて自分も上京してトキワ荘で一緒の生活をした
トキワ荘で生まれ 幼少期をここで過ごした NHKに入局して制作部門に勤務する中で 自分の生まれ育ったトキワ荘が老朽化で解体されるという情報を掴むや NHK特集『わが青春のトキワ荘』という番組制作スタッフとなった その放送は1981(昭和56)年にあったが2001(平成13)年の1月5日にも再放送されています 放送内容の中には トキワ荘解体前に元住人による”同荘会”を行った様子が含まれていて 手塚 石ノ森 藤子 赤塚などの中に紅一点の水野英子も参加していました





ここでは 最長3年間、月額家賃4万円のうち二分の一の2万円を「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」から補助(光熱費は自己負担)されるほか 慣れない町での生活への助言やアルバイト先の紹介など活動をサポートします

















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