徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    カテゴリ: 小ねた

    昨2025年末の12月17日、脚本家であり「横綱審議委員会委員」でもあった内館牧子氏が死去され、

    その11日後の12月28日の新聞には(この日)「公益財団法人 日本相撲協会」が財団設立100周年を迎えたと広告された。

    ↓内館牧子氏 / 日本相撲協会」財団設立100周年の新聞広告(部分)
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    そして1月11日から25日まで大相撲初場所が開催。

    ・・というわけで、今回は相撲関連を・・


    ◎小学2年時に国技館で観た相撲
    私が小学校2年生の時、それは相撲界では横綱が4人、第40代の東富士、41代の千代の山、42代の鏡里、43代の吉葉山の時代だった。

    また 当時の小学生でも、昔の有名な力士「雷電」「谷風」「明石志賀之助」たちの名を知っている子は少なからずいた。

    そう言えば、小学校の体育の時間に生徒同士で相撲をとらされたことを思い出した。

    これらの経験をしたというのも、今よりは相撲人気があった時代だったからかも知れない。

    その当時、私は東京・豊島区に住んでいたが、ある日、祖父母と私の弟の4人で相撲を観に出かけた。

    その地は当時の私の認識(メンタルマップ)には無かったが、後年にそれは東京都台東区蔵前に在った国技館だったと知った。

    国技館の中では、いわゆる「枡席(ますせき)」という、大人4人が正座または胡坐で座れる広さの席に着いた。(調べたら現在の相撲枡席の広さは1.3 X 1.3メートルで昔も同じだったか?)

    これも後年に知ったことが、”枡席に座れた理由”は、当時私の父親が勤めていた会社がその枡席の年間貸し切り契約で確保していたものを、その中の一日だけその席を利用できるように父親が会社に申請して許可されていたからなのであった。

    肝心な相撲観戦はと言えば、大人はともかく小学生低学年の私と弟は、あまり真剣には観ていなかった。ただ、千代の山は角ばった顔でしかもお腹が出ていないこと、対照的に鏡里は見事に丸く大きく綺麗に(“だらん”とではなく)突き出たお腹が印象に残っている。(以後私は鏡里以上に見事なお腹は見たことがない)

    ↓千代の山(左) と 鏡里(右)
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    観戦そのものより楽しみだったのは、途中で枡席に運び込まれる弁当やお菓子で、特にお菓子はあられやせんべい類が多く、それが相撲関連の図柄をあしらったデザインの紙箱や箱型缶に詰められていて、さらにそれらがまた大きな紙袋にまとめて入れられて届けられるので、その袋を開けるのはまるで”福袋”の感だった。

    ↓70年前のその箱缶はモノ入れとして今でもまだ私が使用中
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    (寸法19X13X4センチの箱缶の蓋面には「國技」の文字と「天下泰平と書かれた軍配」の絵)

    なお、この箱缶の横面には「浅草仲見世 評判堂 製」とあり、そうであればその中身は(私の記憶にはないが)同店が元祖である「げんこつあられ」だったはず。
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    ↑元祖「げんこつあられ」 ↓店主が手に持っているのが「げんこつあられ」
    (両画像とも「東京新聞」web版より)

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    (ただし、同店は職人不足とコロナ禍で2020年に閉店して135年の歴史に幕を閉じている)

    ◎現在の国技館は3代目
    小学生の私はもう1回 蔵前国技館で相撲観戦しているがこの時は父と一緒だった。実はこの蔵前国技館”は二代目であって、現在は三代目。その歴史は・・

    一代目: 「両国国技館」=存在地:東京・墨田区、1909(明治42)年開館~(相撲興行用途としては)1946(昭和21)年
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    その後はGHQに接収されて「メモリアルホール」とされ、返還後は「国際スタジアム」に売却、さらに日本大学に売却されて「日大講堂」として使われてたが、多くは歌手のライブやプロレス会場に使用された。

    二代目: 「蔵前国技館」=存在地:東京・台東(たいとう)区、仮設で1950(昭和25)年、正式開館は1954(昭和29)年~1984(昭和59)年閉館
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    三代目: 「両国国技館」=存在地:東京・墨田区、1985(昭和60)年~現在
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    ◎現在の国技館の住所は一瞬勘違いする?
    さて現在の国技館の詳しい住所は、東京都墨田区横網1丁目3番28号ですが・・

    町名の横網(よこあみ)を横綱(よこづな)と読み間違えた方も多いのでは?

    私も35年ほど前に、ある用事でこの国技館近くを訪ねた際に、付近にある住居表示のプレートに「横網O丁目O-O」と表記されているのを見て思わず、「横綱(よこづな)とはさすが国技館にちなんだ町名だな!」とその時は思っていたのですが、後日それは誤りであり横網(よこあみ)と知って、ちょっとがっかりしたものです。

    こうなると、「横網」という町名の由来を知りたくなって、ちょいと調べたら、"江戸時代初期のこの地には海苔を採るための網を干す場があったので、江戸中期には「南本所横網町」と呼ばれていたことからきた名前"という説があるとのこと。
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    相撲と私(2)に続く
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    明けましておめでとうございます 

    本年も皆様が元気におすごしなされますよう お祈りいたします 
                           

    さて今年は午年(うまどし)ということで・・

    「ぬれた仔馬のたてがみを 撫でりゃ両手に朝の露、呼べば答えてめんこいぞ オーラ 掛けて行こうよ丘の道 ハイド ハイドウ 丘の道」という歌詞で始まる童謡「めんこい子うま」は・・

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    元は映画「馬」(監督:山本嘉次郎、主演:高峰秀子)の主題歌として昭和15年に、作詞:サトウハチロー、作曲:仁木他喜雄で作られたのですが、どういうわけか使われず、代りに、作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男による曲が使われた。

    ↓映画「馬」の高峰秀子(当時16才)
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    しかし、この映画は山本監督が”岩手県のある 軍用の馬のせり市”の様子をヒントにして映画にすることを思いたち、それを実現するために ”陸軍省による映画製作指示”を受けたカタチにして作られたものなので、前出の二つの主題歌?は両方とも”陸軍省指定国民歌謡”として認定された。

    サトウハチロー作詞の歌は5番まであったが、戦後になって戦時色強い3番と5番は抜いて新たな歌詞が加えられて全4番になった。

    映画「馬」のモデルとなった馬は、岩手県九戸郡のある農家の農耕馬だったが軍用馬として買い取られて「勝山号」と名付けられ、戦場で負傷しながらも活躍したので戦地から送還されて明治神宮の御神馬となりました。

    この映画の監督は山本嘉次郎となっていますが、山本は当時、複数の映画や脚本を抱えていて多忙を極めていたので、この”馬”の実際の撮影や演出の(少なくとも)半分以上は、助監督の黒澤明が代行したので、この映画が黒澤のデビュー作とも言われています。

    そして、この映画の三年かけた撮影の間に、高峰秀子と黒澤明は恋人関係になったとされるが、高峰の義母(養母)らの反対工作で、解消されてしまったという話はよく聞くものの、後年に高峰は“そんな二人の関係は無かった”と否定していますが、これは聡明な高峰が関係各人への配慮をした言葉ともとれます。
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    ※映画「馬」はモノクロだが、最近カラー化して見やすくなったYouTube 動画でUPされています。(2時間8分)   →  馬  [カラー化 映画 ] https://www.youtube.com/watch?v=55NdsFm8BYI
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    ・・というわけで午年の今年もよろしくお願いいたします !
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    先日 雑誌「正論」10月号に掲載された「あの人、この店」で”白洲次郎と「ぽん多本家」”についての記事がネット上でも公開された。

    白洲次郎については私のブログでも紹介したことがありますが、英国で学び、何につけても一流好みであり、常に「プリンシプル(原理・原則)」を信条とした男。


    ↓白洲次郎と正子(「次郎と正子」牧山桂子著 新潮文庫より)
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    その雑誌記事によれば、白洲が好んだ食べ物の一つが・・

    ◎「ぽん多 本家」のカツレツ
    「ぽん多 本家」は東京都台東区上野にあり、創業は1905(明治38)年。この店の名物”カツレツ”とは一般で言う”とんかつ”のことで、創業当時からの呼び方。

    ↓「ぽん多 本家」のカツレツ
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    こだわりの作り方で旨く、これぞ一流と認めた白洲はたびたび来店して決まって”カツレツ”を食したとのこと。

    また妻の正子もこの店の常連だったが、「夫婦円満の秘訣はいつも一緒にいないこと」という白洲の持論によって夫婦同席することはなかったそうだ。(以上、雑誌「正論」記事より)

    ↓「ぽん多 本家」の店構え
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    ◎小泉純一郎も「ぽん多 本家」へ
    2005年(だったか?)のある晩8時ころに、仕事を終えた私はJR御徒町(おかちまち)駅に向かって歩いていたところ、ある場所に近ずくと、カメラを構えた10人くらいの報道陣が、誰かを待ち構えているようだったので、その一人に「何事なんですか?」と聞いてみたら、

    「この店の中で小泉首相が食事中なんで・・」ということなので、その店を見たら“ぽん多”の看板。・・なるほど首相も食べにくる店なんだ!とあらためて認識したものであった。

    それにしてもなぜ報道陣が集まっていたのか?外国要人も一緒だったのか?
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    ◎一度だけ「ぽん多 本家」で食べた私!
    今から30数年前のこと、私が勤務していたオフィスは「ぽん多 本家」から徒歩5分くらいの場所に在ったので、日頃から同店の評判は聞いていたし、店前を通ることも多かった。

    しかし店構えが”入りにくそう(これは現在も様子が変わらない)”だし”値段が高そう”という感じなので敬遠していたところ、ある日に大阪からの出張者が来たので、この機会に昼飯として一緒に同店に食べに行くことになった。

    木製の重いドアを開けて入り、椅子席に座って注文して食べたのが(ランチ仕様だったのか記憶が無いが)、”カツレツ”で確かに軟らかくてうまかったが価格は2200円だった。

    それは今なら3500円くらいになるのだろうか? さすがに「昼飯にしてみれば我々サラリーマンには高い!」と思ったもので、この店での食事経験はこれっきりとなった。

    ◎もともと東京上野は”とんかつ”の発祥地
    上野でも”とんかつ老舗御三家”といわれたのが、「ぽん多太本家」、「蓬莱屋」、「双葉」。
    ぽん多本家は前述。「蓬莱屋」は創業が大正初期で“ヒレカツ”発祥店。「双葉」も老舗で評判よかったが現在は閉店してしまった。

    私の記憶によれば、この御三家のどこが”とんかつ発祥店”なのかは昔から論争になっているようで、決定できないようだ。

    ※「ぽん多太本家」のHP→  https://g608200.gorp.jp/

    ◎白洲正子は「ぽん多太本家」から、吉田首相は「フロインドリーブ」から取り寄せた!
    『ぽん多太本家の“揚げ物系料理”を気に入っていた白洲正子は、亡くなる二週間ほど前に、同店へコロッケと魚のフライの注文をして、お付きの者が病室に運んだ』とのこと。(『』内は前述の「正論」誌記事より )

    この”取り寄せ”という行為で有名なのが・・

    吉田茂(1878=明治11~1967=昭和42) 元首相は神奈川県大磯の自宅に、神戸にあるベーカリー「フロインドリーブ(FREUNDLIEB)」から毎日(一説では”毎週”) 空輸(一説では”鉄道便”)して取り寄せていたこと。
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    取り寄せたパンは「ウィナー」と呼ばれる”ドイツコッペ”パンだったと言われる。
    ↓”ドイツコッペ”長さ約26センチ、現在価格648円
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    「フロインドリーブ」は第一次大戦で日本軍の捕虜だったドイツ人ハインリッヒ・フロインドリーブ氏が日本に残り、神戸でパンと焼き菓子の店を1924年に創業して昨年に100周年を迎えた。

    この店は1977~78年にかけてのNHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」のモデルにもなったが、放送当時の私は既に
    フロインドリーブを知っていたので気にはなっていたものの、なにしろその番組放送時刻というのは会社への出勤途中であったために観ることができなかった。

    同店は一時、店舗数を増やして10店舗以上にもなっていたが、現在は支店としての神戸市内のデパートの2店だけにしている。

    それには訳があって、機械化せずに手作りにこだわる結果、品質を保ちながらの量が限られるから。

    なお、現在の東京渋谷区・広尾(六本木の隣町)に「東京
    フロインドリーブ」という店があり、昔に私も一度パンを買ったことがあるが、どうやら同店は神戸のフロインドリーブの支店ではなく、のれん分けした店らしい。

    また、私が関西勤務時代には、ある人から「フロインドリーブ」のクッキー?の詰め合わせを戴いたことがあり、この店の評判を私も知っていただけに、心してまことにおいしく食べた記憶がある。
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    フロインドリーブについて→ https://local-prime.com/news/freundlieb/
     
      ◎吉田首相と白洲次郎
    このブログで思わずも白洲次郎と吉田首相に登場してもらいましたが、ご存知のように白洲は吉田首相の重要な補佐役だった。

    1951年9月8日、日本が連合国側と結んだ「サンフランシスコ平和条約」により独立国としての主権を回復したが、その際の吉田首相が読み上げた平和条約受諾演説文は大きな巻物だったので、海外のマスコミからは”トイレットペーパー”と言われたが、その演説文章を巻物にする提案をして、しかも書いたのは白洲次郎だった。

    ↓サンフランシスコ平和条約受諾演説で吉田が読んだ巻物
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    今回はテーマを急遽予定変更しました!

    ◎気づかぬうちに突然死招く大動脈瘤
    人体内では心臓の出口がある胸部分を通る大動脈の太さは30ミリ、腹部では20ミリくらいのところ、動脈硬化などで一部が太くなり、瘤(こぶ)のようになり「胸部大動脈瘤」や「腹部大動脈瘤」となり、50ミリを超すと、破裂して突然死を招く危険が発生する。

    ↓胸部大動脈瘤の例 (「Medical Note」のHPより引用)
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    ↓腹部大動脈瘤の例 
    (ツカザキ病院(姫路市)のHPより引用)
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    突然死の原因としては心筋梗塞や脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血などがあるものの、それらは何らかの前兆、自覚症状があるし、

    「もの言わぬ臓器」と言われる肝臓、腎臓、膵臓でさえ、その機能低下の初期は気づかいないものの悪化が進めばやはり兆候が表れて自覚症状が出るもの。

    その点、胸部や腹部の大動脈瘤は全く自覚症状が無いから危険度は抜きん出ている。

    (ただし非常に稀なケースで死亡だけは逃れられることがあるものの障害は残るそうです)

    ◎親友が胸部大動脈瘤の破裂で亡くなっている!
    私が特に親しくしていた友人が5年前に「胸部大動脈瘤」が破裂して亡くなってしまった。

    それは彼が仕事でスイスに滞在中のホテルでの突然死で74才でした。
    これも自覚症状が無かったゆえのことでしょう。


    ◎私の腹部大動脈瘤が危険領域に・・
    私の場合、昨年秋頃にかかりつけのクリニックで持病の腎臓の状態を見るためにCT検査をした際にたまたま腹部の大動脈が異常にふくれて太さ46ミリの状態が発見され、

    これは「腹部大動脈瘤」であると診断された次第で、まったく自覚症状はなかった。

    もう少し様子を見ようということになって1年経った先日にCT検査したところ49ミリ※になっていたので、

    これはもう大病院で手術(「ステントグラフト挿入法」または「人工血管置換」)してもらうのが良いということになり、今回の私はステントグラフト挿入手術になった。

    ↓腹部大動脈瘤にステントグラフト挿入した一例図 (東京都健康長寿センターのHPより)
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    ※大動脈瘤の手術に踏み切る基準は直径45ミリ以上とする医師もいます。

    先述のように、友人の突然死という
    身近な事実を知るだけに私も躊躇なく手術に踏み切られた。

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    『腹部や胸部に大動脈瘤が発見されてから1年経過の破裂率はおおよそ大きさが50ミリ以下のものでは約0.5~5%、50~60ミリでは3~15%、60ミリ以上では10~20%と言われている。

    従って60ミリ以上の腹部大動脈瘤を有する場合、5年以内に半分以上の人が破裂することになる。

    さらに、高血圧・喫煙等の様々な理由で破裂の危険は高まり、また大動脈瘤破裂の発生率は女性が、男性より4倍高いとも言われる。』 (『』内はツカザキ病院(姫路市)のHPより一部引用)

    以上、気になる方はCT検査してみてください!
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    (文中、敬称略します)
    ◎岡田嘉子(おかだよしこ:元人気女優)の声を日本向けモスクワ放送で聴いていたことになる私

    私は中学、高校生時代に、短波放送が聴けるトランジスタラジオや自作の短波専用受信機(真空管式:高1中2型)でアマチュア無線の傍受や「日本短波放送(現ラジオNIKKEI)」そして外国からの日本向け放送をよく聴いていた。

    外国語は苦手なので、おのずと日本向けの日本語放送、とりわけ近隣国からの明瞭に聴こえる局の電波を拾うことになるから「モスクワ放送(現「ロシアの声」)」と「北京放送」が多かった。

    これらは1日あたり数時間の放送で、放送開始時には必ずソ連や中国の国歌が流れ、その後に女性や男性の日本語によるナレーションが始まり、ニュースや民族音楽などが流されたが、露骨なプロパガンダのようなものは無かった。

    私が最近になって知ったのは1947年以降のモスクワ放送の日本語アナウンサーの女性は二人いて、その内の一人があの岡田嘉子だったということ。

    そうすると私が1960年代に聴いていたモスクワ放送の女性の声の半分は岡田嘉子だったようで、どうりでキレイな日本語だった。

    岡田嘉子(1902=明治35年~1992=平成4年)は戦前、舞台女優から映画へ進出して大女優の名声を得ていて一時は女優人気投票で1位だった。
    ↓岡田嘉子
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    しかし、スキャンダル事件を起こして所属していた日活を解雇され、自分で演劇一座を立ち上げて地方巡業し、その後1930(昭和5)年に「大衆キネマプロダクション」という映画会社を作り、千葉県我孫子市の手賀沼を見下ろす丘の上に撮影所を建設して、1年数カ月の間にトーキー映画を数本製作したが(事情詳細は省略しますが)廃業して、今度は松竹に入社した。しかしその頃には往年の華やかさにやや欠けるようになっていたところ、

    日中戦争が始まり、出演作品にも軍国主義の影響を受け始めたので、日本に嫌気がさしていたことに加えて、演劇レベルが高い評判もあったソ連で学ぼうという思いもあって1938(昭和13)年にプロレタリア演出家であり恋人の杉本良吉と共に樺太から国境線を超えてソ連に向かった。

    しかし二人はソ連当局にスパイ容疑で捕まり、引き離されて杉本は翌年に銃殺処刑され、岡田は1947年まで強制収容所にて労役その他(1939年のノモンハン事件の際の拡声器による日本軍への降伏勧告の音声は岡田の声だったのではないかと言われている)を強いられた。

    そして解放後の1947年からモスクワ放送の日本向けアナウンサーとなって少なくとも1970年代初期まで続けていた。・・この間の1960年代に私は“モスクワ放送の電波に乗った岡田嘉子の声”を聴いていたことになることを、今になって知ったという次第。

    ↓1970年頃、モスクワ放送スタジオで日本語原稿を読む岡田嘉子
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    (↑写真は「東京新聞」より)

    岡田は1972(昭和47)年に一時帰国し、日本の舞台や映画に出演したが、その最初の仕事が山田洋次監督の映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の中で、大きな旅館の女将としての出演だった。

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    この映画には宇野重吉も”ある高名な日本画家”に扮して出演しているが、宇野は共産党員でもあった人だから、ソ連という社会主義国に長年 生活してきた岡田嘉子が帰国した直後から何かと支援していたこと、そして日頃から共産党支持を公表している山田洋次監督、この二人と”岡田嘉子の起用”には深い関係があるように思われる。

    岡田嘉子(左)  と宇野重吉 (映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の1シーン
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    またこの映画には、”宇野重吉が創立者の一人であった「劇団民藝」”の団員あるいは元団員だった大滝秀次、佐野浅夫、(この映画シリーズ定番役の)下条正巳、三崎千恵子らが出演している。

    もう一つ繋がりを感じること、それは、(後述しますが、この映画の舞台となった)龍野市が生んだ有名人の一人である三木清(1897=明治30年~1945=昭和20年)の存在で、三木清は左派の哲学者で、一時は共産党へ資金援助もしたことあり、戦中に治安維持法違反で逮捕投獄されて獄死した。著書多数の中でも「人生論ノート」はロングセラー。

    ある評論家(名前を失念)はこの映画を評して、(私の記憶による表現が正確ではないかもしれないが)「観る者を馬鹿にするような内容」というようなことを新聞のコラム欄に発表されていたことがあり、”どの点がどう気に入らないのか”が私にはよくわからなかったので気になるところ。

    私はと言えば、この映画を最近テレビ放映版でたまたま観た際に岡田嘉子が出演していることを知って”ここで伝説の女優が見られた”ことに、ちょっとした感動をおぼえたのだった。

    しかし岡田は、自分の安住の地はソ連であるとして、日本滞在10数年たった1986年に離日し、その6年後の1992年(ソ連崩壊でロシアとなった翌年)にモスクワで死去した。

    ※映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」への私の思い入れ!
    この映画では、葛飾柴又以外の舞台となったのが兵庫県龍野市(現、たつの市)。

    私はその地を訪れたことがあり、今調べたらこの映画が公開されたのが1976(昭和51)年なので、その2年後の1978年のことだった。(私の当時の住まいからクルマで70分くらいの地だった)

    たつの市は姫路市の西隣に位置し、龍野城の城下町だったということで風情あり、「播磨の小京都」と言われている。
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    (↑上画像はたつの市HPより/下画像はyoutube「重伝建を巡る油屋ヒマンニャム」より引用)

    たつの市を訪れると記念碑や案内パンフレットで必ず目にする、この地出身の有名人には、前出の三木清の他に同姓の詩人「三木露風」(1889=明治22年~1964=昭和39年)がいて・・

    童謡「赤とんぼ」を作詞したことで知られる。(作曲は山田耕作)

    歌ってみれば・・「ゆうやーけ こやけえの あかとーんーぼー ~」・・そうです! 龍野市を舞台にした「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」という題名の由来がピンとくる! ちなみにこの地には国民宿舎「赤とんぼ荘」もあるが(コロナ禍以降)現在営業休止中。

    また、たつの市は全国的に有名なそうめん「揖保乃糸」の生産地でもあり薄口しょうゆの代表的メーカー「ヒガシマル醤油(株)」の本社工場はじめとするいくつかの醤油会社があり、私が訪れた時もその一帯は町中に醤油の香りが漂っていたし、「しょうゆ饅頭」を売る店もあった。

    ↓「揖保乃糸」
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     ↓ ヒガシマル醤油「うすくち龍野醤油資料館」(レンガ建物)
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    (↑画像はyoutube「重伝建を巡る油屋ヒマンニャム」より引用)

    ・・というわけで、「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の映画を観ながら、龍野の風物を大いに懐かしんだ次第。

    ◎正岡子規は”野球”の命名者ではなかった
    野球好きでも有名だった俳人:正岡子規が野球をして楽しんだのみならず、英語の野球用語を訳して「打者」「走者」「四球」「死球」などの現在に至るまで使われている言葉を作ったという話はよく知られている。

    ↓正岡子規:右はベースボール姿 (Wikipediaより)
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    そこで、ベースボールという言葉も子規が「野球」と訳した・・と流布されている話を私も信じていたところ・・

    つい最近の新聞やネット上で、この”野球命名説”は完全に間違いであることを知りました。

    日本の「野球」の命名者は中馬庚(ちゅうま かのえ)↓であるのだそうだ。
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    中馬は明治・大正時代の教育者で、学生野球育ての親とされる。旧制一高のベースボール部でプレーし、指導者としても活躍。1894(明治27)年に「ベースボール」を「野球」と訳して、これが日本初の呼称とされる。

    一方、正岡子規は、1890(明治23)年に発表したある文集では、自分の名前を、幼名時の「升(のぼる)」をもじって「野球」と書き、「のぼーる」と読み仮名を付けているので、後にこれが誤解を生んだとされる。

    ともかく野球の発展に貢献した中馬庚と正岡子規は二人とも野球殿堂入りしているとのこと。

    ◎辻本清美(国会議員)は世界一周船旅などのピースボート設立人の一人
    辻本清美(1960=昭和35年生まれ)は現在、立憲民主党の参議院議員だが過去の所属政党は社会民主党をはじめ多数。しかし政治家としての主な主張は一貫していて”天皇や皇族の存在を否定はしないが、これに関する憲法第1条から8条までを廃止するべき”というもの。過去には”秘書給与詐欺事件”で有罪となったこともある。
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    そんな辻本だが、「国際交流NPO法人ピースボート」の設立人の一人でもあることを私はつい最近まで知らなかった。
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    2012年6月17日の朝日新聞に掲載された”辻本へのインタビュー記事”によれば・・

    『早稲田大学生だった1983年に同志と「みんなが主役となって船を出そう」というコンセプトで「ピースボート」を立ち上げた。

    その動機となったのは、中学生の時に読んだ、小田実(おだまこと)著「何でも見てやろう」の精神を具体的な形にしてみようという思いだった。

    私の友人に、ご夫婦でピースボートのクルージングに2回も参加されている方がいますが、その旅の経験談をうかがうと、訪問先は定番の観光地だけではない所も多く、まさに「何でも見てやろう」方針が実践されている。

    ちなみにピースボートの今後の予定の一つは・・

    『横浜発着106日間 2028年12月14日~2029年3月29日』
    横浜 → アピア(サモア)→ パペーテ(タヒチ) → イースター島(チリ)→ バルパライソ(チリ)→ プンタアレナス(チリ)→ 南極遊覧 → ウシュアイア(アルゼンチン)→ プエルトマドリン(アルゼンチン)→ ブエノスアイレス(アルゼンチン)→ モンテビデオ(ウルグアイ)→ リオデジャネイロ(ブラジル)→ ウォルビスベイ(ナミビア)→ ケープタウン(南アフリカ)→ ポートエリザベス(南アフリカ) → ポートルイス(モーリシャス)→ ペナン島(マレーシア)→ シンガポール→ ダナン(ベトナム)→ 基隆(台湾)→ 横浜

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    有名な人の意外な話、また次回に続けます!
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    皆さまそれぞれに、意外に感じる事や話に出会ったことがあると思います。そこで”私が「へー、そうだったのか」と思ったこと”のいくつかをご紹介。勿論、中には”知る人ぞ知る”というものもあって「そんなことは知っているよ」と言われるものもあるとは思いますが、まず今回は”人物”に関して・・

    ◎青木繁の息子は福田蘭堂、孫は石橋エータロー
    青木繁(1882=明治15年~1911=明治44年)は
    画家で代表作「海の幸」↓で有名だが28才で夭折。
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    青木繁の息子が福田蘭童(1905=明治38年~1978=昭和51年)で、
    尺八奏者、作曲家、随筆家、釣りマニア、料理も得意。

    青木繁とその愛人である福田たねの間に生まれたが、戸籍上たねの弟とされたので福田姓。

    上の絵の右から4人目の白い顔は福田たねと言われる。

    福田蘭童が有名になったのは1953(昭和28)年から翌年にかけてNHKのラジオドラマ「新諸国物語」として放送された中の「笛吹童子(ふえふきどうじ)」や「紅孔雀(べにくじゃく)」のテーマ曲を作曲したこと。

    団塊世代以上の年齢層には懐かしい歌声で、私などは両曲とも(1番だけですが)今でも歌うことができる。

    また彼は釣りマニアでもあって関連の著作が「蘭童つり自伝」などいくつかあり、作家であり釣りマニアでもあった開高健の師匠的存在だったのこと。

    福田蘭童の息子が石橋エータロー(1927=昭和2年~1994=平成6年)で
    一世を風靡した音楽付きコミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のピアノ担当だった。

    蘭堂の若いころは、いわゆる”女ぐせが悪く”ために離婚、再婚したが、最初の妻との子が石橋エータローで、これも姓がつながっていない・・

    ↓福岡県久留米市にある青木繁の碑の前で記念撮影する福田蘭童(右)と石橋エータロー
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    というわけでエータローが父である蘭堂に会ったのは20代になってから。しかし会ってみれば音楽、釣り、料理など共通の嗜好があるので意気投合して、この親子は昭和42年、渋谷に酒と料理の店「三漁洞(さんぎょどう)」を開いた。

    店には釣りの同好の士もよく集まり、開高健も来店していた。

    そして蘭堂、エータロー亡き後も「三漁洞」を守っているのが・・

    エータローの妻である
    石橋光子さん↓ (写真は「東京新聞デジタル」より)
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    さすが、店内の壁には青木繫の絵(たぶん複製)も飾っている。

    ( 「三漁洞」ホームページ: http://sangyodo.com/)

    ◎グレタ・ガルボは整形美人だった
    1930年代頃のハリウッドには、何かと対峙する2人の大女優、ドイツ出身のマレーネ・ディートリッヒとスウェーデン出身のグレタ・ガルボがいた。

    グレタ・ガルボのスウェーデン映画出演ころの顔は丸ポチャで前歯が出気味で、眉もまばら、モジャモジャ頭という状態だったが、

    ハリウッドでは歯の矯正、メークアップ、ほっそり綺麗な眉、すっきりとかされた髪に3年かけて仕上げられた。
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    (↑写真は芳賀書店発行「グレタ・ガルボ マレーネ・ディートリッヒ」より)

    ※現代のスウェーデンでは別のグレタさんが気候変動対策や環境保護を唱えて活躍中。

    ◎イングリット・バーグマンの双子の娘の一人は女優で活躍中
    映画「カサブランカ」や「ガス燈」などに出演した女優のイングリット・バーグマン。
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    ↓自分が産んだ双子を連れるイングリット・バーグマン (この前に3人産んでいるから子供は計5人)
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    (↑写真は「マグナム」より)

    ↓イングリット・バーグマンが産んだ双子の一人:イザベラ・ロッセリーニ
    つまり上の写真の双子のどちらかが成人して映画俳優になっている。父親が名監督のロベルト・ロッセリーニ(ただし、彼女が5才時に両親は離婚)
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    ◎石井部隊長は731部隊員に彼の出身地の人を多く登用し重要ポストに就かせた
    小説家の森村誠一の著作「悪魔の飽食」によって広く知られることになった旧日本陸軍の731部隊:通称=関東軍防疫給水部の部隊長であった石井四郎軍医(最終階位:中将)は

    彼の出身地である千葉県千代田村加茂(現、芝山町)の住民を自分の部隊に多く登用し、しかも重要なポストに就かせたので、別名「加茂部隊」とも言われたほどだった。

    その理由は明らかで、この部隊が旧満州ハルビン郊外で行った”捕虜などの中国人やロシア人”を使ったコレラ菌やペスト菌感染の生体実験を行って細菌兵器の研究・開発や強制的な凍傷実験などを秘密にしなければならなかったからで、それには石井軍医の地縁、血縁である人が信用できたから。

    ↓石井軍医(前列右から5人目)と加茂集落の住民の集合写真
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    (↑写真は「東京新聞」より)

    終戦後、石井軍医が戦犯にならなかったのは、訴追免除の交換条件として731部隊の秘密資料を米国側に(ほんの一部はソ連側にも)引き渡したからだとされている。
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    まだ他に"人についてのお話"ありますが、長くなるので続きは次回に・・
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    先日(2025年10月11日)の東京新聞に「Tシャツの日本史」という本(高畑鍬名=たかはたくわな 著)の内容を酒井順子氏(エッセイスト)が紹介していて、それによれば・・

    今はTシャツの裾をボトム(ズボン/スラックス)に「イン」しないと(入れないと)ダサイ・・ということになっている。

    (戦後) 白洲次郎、石原裕次郎、三島由紀夫たちがTシャツをカッコ良く着てみせたが、それは裾が「イン」状態だった。

    それが尾崎豊や吉田栄作らの1980年代まで続いたが・・

    1990年代になり「渋カジ」が流行し始めると裾を出す「アウト」化が進んだ。

    その結果、わずかな「イン」派は「オタク」の人間とされた。

    ところが現況は再び「イン」の時代となった。』・・のだそうで

    そうなると、腹の出た体形では”カッコよくない”ことになるから大変だ!

    これにちなんで言うなれば、”近年のスーツの袖丈は長すぎてカッコわるい”!

    別の言い方をすれば、”スーツの袖口から(大方は白い)ワイシャツ(関西では「カッターシャツ」)が見えていない”

    ◎スーツ袖口からワイシャツが1センチ出るのが理想!
    今から57年前の1968年に「セビロの哲学」という本が毎日新聞社から出版された。
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    その著者である星野醍醐郎氏は1924年生まれの服飾デザイナーで、1964、1965年の2年連続で米国の「キャズウェル・マッシー賞」という”メンズファッションデザイン賞”を東洋人として初めて受賞した人。

    氏はその著書の中で「スーツ袖口からワイシャツが約1センチ出るのが良い着こなしである」と述べた。

    それが良い着こなしである理由については、私もこの本を購入して読んだことがあるものの覚えていないのですが、私なりに思うところは・・

    ”スーツ袖の色(A)” と “袖口から出て見える手の色(B)”の境界に、”そのどちらにも属さない色の線または帯”を配することで(A)と(B)はいかなる色であっても互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる。

    また、スーツ袖口を汚れや摩耗から守る効果もある。

    ↓チャールズ国王と白洲次郎:袖口に注目!
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    テーラーの上木規至(のりゆき)氏はイタリア・ナポリで修行したが、氏の仕立てるスーツを披露する際にも袖口とワイシャツの見せ方には注意がはらわれている。↓
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    (↑上木氏とスーツ:NHK「美の壺」より)

    この"スーツ袖口とワイシャツの見せ方"は、流行というものではなく絶対的な美的感覚に支配されるもので不変、普遍であると言える。

    ◎「トリム効果」
    前述のような視覚的効果は「トリム効果」と言えるものだろう。

    「トリム(trim)」には、縁取り、装飾、刈込み、整えなどの意味がありますが、「トリム効果」とは”縁取り”として線または細い帯を ”複数の色が互いに接する場合の境界に採用することによって、各色は互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる”効果を生じること。

    ◎「ゼロ戦」機体の日の丸マークの「トリム効果」
    旧日本軍の戦闘機で俗称「ゼロ戦」の胴体と主翼に描かれた日の丸は初期には”赤い丸”であったが、昭和17年の夏頃になると”赤い丸の周囲に白縁”を追加するようになった。

    その理由は明白で、濃い緑色の機体に赤い丸を着けても、ちょっと離れて見ると赤い丸がはっきりとは見えないからで、仲間からの誤射も受けかねない。

    これは濃い緑色と赤色の明度が近いことによるもの。

    そこで赤丸の周囲に白い縁をつけて、赤丸は明確に視認できるようになった。これはやはりトリム効果である。
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    (↑上:phil howard2.blogspot.com/下:「ゼロ戦 遊就館」のHPより)

    しかし、戦争後期になると前線では逆に赤丸周囲の白縁をわざわざ黒く塗って消すようになった。これは性能を向上させた米軍機から見つかりやすく狙われやすくなったためであった。

    ↓赤丸の周囲の白枠を塗りつぶした黒色がすぐ一部はがれてしまったゼロ戦
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    ※ゼロ戦も最初期の機体は明るい灰色(通称:飴色)だったので、日の丸はただの赤丸だけで十分明確に見えた。

    ◎衣装における「トリム効果」
    冒頭の”スーツ袖口とそこからのぞくワイシャツ”の例の他に、衣装においては単なる線状・帯状の紐や布の他、レース、フリンジ、リボン↓なども袖口や襟元に使われ、これがトリム効果になる。
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    (↑左:Hymyily/左:「jimmybottons.com.au」より)

    「トリム(シャツ)」という”ストレートにトリム効果を意図したもの”もある。
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    (↑「temu.com」webカタログより)

    和服の場合には(浴衣は別にして)着物の襟元において着物と首元の境界に線状・帯状の布(現代では「半襟」と呼ぶ部分)が見えるように置かれ、トリム効果が発揮される。

    ↓半襟がトリム効果(白が多いが、右端のように最近の振袖には色柄の半襟も)
      
    (PCではクリックで拡大)
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    (↑左:日経ムック「FORTY LOVE」/中二つ:「家庭画報」/右:「一蔵」カタログより)

    ◎室内壁面での「トリム効果」
    室内装では「トリムボーダー」と呼ばれる、やはり線状・帯状のものが壁などに貼付される。

    ↓トリムボーダーの例:壁面がツートーンの場合の境界に使われる他、一色の壁面でも床上1メートルくらいの部分に設けられることも多い。
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    (↑左:「kaoringo」さんのブログより/右:「トリムボーダー」カタログより)

    ◎ステンドグラスもトリム効果
    教会などのステンドグラスは色とりどりのガラスが寄せ集まっているが、それぞれは主に鉛でできた細枠で囲まれた状態になっていて、これがトリム効果となり、多彩な色が互いに干渉せずにまとまって見えるようになっている。
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    (↑「thearchitectsguide.com」より)
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    (↑「mariyo.jp」より)

    ◎輪郭線使う絵や太線枠絵画もトリム効果
    例えば、ルオーの描く絵はトリム効果が顕著。
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    (↑「www.shibayama-co-ltd.co.jp」より)

    「わたせせいぞう」氏のイラスト(https://seizo-watase.com/)も・・

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    冒頭の「セビロの哲学」という本は、私も所持していたものの読後に廃棄してしまったのですが、現在でも需要があるようでネット上のマーケットでは、中古品で8千円、2万8522円、3万円などで売られています。
    ・・・・・・・・・・・・

    今から半世紀以上前の1947年に、ある切手がモナコ(公国)から発行され、
    その図柄は、切手収集家としても有名だった米国大統領フランクリン・ルーズベルト氏が切手を見つめる姿。

    しかし、なんとルーズベルト氏の左手の指が6本あるように描かれているので、当時大きな話題になった・・という話が掲載された本を私が小学生だった1957(昭和32)年頃だったか?に読んでいたのですが、
      
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    その切手の現物↑が今、私の手元にあるものの、はてどうやって手に入れたか記憶に無く不思議。

    ちなみに、この切手を発行したモナコを含めてサンマリノ(共和国)、キューバ(共和国)、ニカラグア(共和国)などの小国やタンザニア(連合共和国)、ケニア(共和国)、などのアフリカの国は

    世界中の切手コレクターを意識したと思われる美しい図柄でしかもそれが活かせるように比較的大型の切手を多発していて、それが国の外貨収入源の一部となっている?

    例えば、キューバからは日本の浮世絵の切手6種組も発行されている。

    最近は私の終活の一環で、過去の切手コレクションの切り売りをしているのですが、時流は”中国切手ブーム”なのでこれはそこそこ買い手がつくものの、なかなか売れないものもある。

    その一つが、「世界の偉人・有名人」の外国切手を集めたもので、
    46名で65枚。これらの大部分は私が小・中・高生時代に集めた外国切手の中からピックアップしたもので、その後にはポツポツとごくわずか追加したものです。

    ゆえに古いものが多く、今では考えられない”ヒトラーの横顔”の切手もあります。

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    この外国切手の偉人・有名人の内訳 (46名)

    リンカーン /  ショパン /  シューベルト /  シューマン
    ワシントン / ドボルザーク / ヤナーチェック
    ガンジー / マルクス / スメタナ / ピエールキュリー
    ヘンデル / ボルテール / マルコポーロ
    ベーデンパウエル / アンリデュナン / フランクリン
    ゴヤ / シェークスピア / コペルニクス / レーニン
    ウイリアムパイパー / ツイオルコフスキー 
    マグサイサイ / フランクリンルーズベルト
    ネルソン提督 / スターリン / 孫文 / パットン将軍  
    クララツェトキン / エリザベス2世女王 / ヒトラー
    ジェファーソン / 蒋介石 / ウイリアムマッキンリー
    スカルノ / レーニエ3世 + グレースケリー
    ジョンアダムス / ジェームスモンロー / 毛沢東
    プーシキン / レンブラント / セオドアルーズベルト
    ピオ12世 + ピオ9世

    分部拡大(PC画面ではクリックでさらに拡大)↓ 有名人なので顔だけでわかる人が多い!
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    参考
    ・ベーデン・パウエル・・ボーイスカウトとガールガイドの創始者
    ・アンリ・デュナン・・赤十字社の創設始者
    ・ウイリアム・パイパー ・・航空機(パイパー機)開発者
    ・ツイオルコフスキー ・・ロシアの“ロケットの父”、SF作家
    ・マグサイサイ・・フィリピン大統領時の功績讃えられ「マグサイサイ賞」俗称”アジアのノーベル賞”が創設された。
    ・パットン将軍・・米国陸軍人で”大胆不敵”な戦術で多くの戦果を誇った。戦車隊率いて有名。
    ・クララツェトキン・・ドイツの”女性解放運動の母”と呼ばれた。
    ・ウイリアム・マッキンリー ・・米国第25代大統領。北米最高峰マッキンリーの名前となる。
    ・ピオ12世 + ピオ9世・・ローマ教皇
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    もう一人の切手が出てきました ↓・・ガガーリン・・人類最初の宇宙飛行士
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    先記の「世界の偉人、有名人切手 使用済等 65枚」はメルカリにて”赤字大出血サービス”の¥390円(税、 送料込み)・・で販売中。(9月26日現在)
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    最近は生成AIの利用が色々な分野で多様に展開され始めていて、その中の一つに”あたかも実在の人あるいは故人がそこに居るように(モニター画面などに)登場して動いたり、会話をする”というカタチがある。
    その例をいくつかあげてみますが、その多くは現段階ではモニター画面を通しての事例です。

    例1) 関ジャニの村上信五↓の生身の本人ではなく、
    生成AIによる”彼の分身”のような”生成AI版の村上信五”

    ↓これは生身の村上信五
    murakami-s

    それがモニターに現れて、その彼を観る人と質疑応答などをする。

    あたかも本人が実際に(いわゆる口パクではなく)しゃべって応答しているように見えるが、それも事前に10時間(だったか?)かけて彼本人の顔、姿、声、経歴、信条、志向、好みなどありとあらゆる関連情報をAIに学習させた結果、実の本人になり代わっての応答が成立しているという様子が・・先日のテレビ番組の中で紹介された。

    例2) 三井住友フィナンシャルグループでは中島達社長の身代わり”生成AI社長”並存
    『社長の講演などの発言を生成AIが学習して社長の分身になった”生成AI社長”を活用する試みが昨2024年7月から行われている。

    ↓(左)本物の中島社長と同氏のAI社長 / (右)中島社長が分身のAI社長と質疑応答する様子
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    中島社長が”生成AI社長”に向かって「もしAI社長が新社長になったとしたら、どんなスローガンを出したいですか?」という質問すると、

    生成AI社長は「スローガンは・・未来をつくる覚悟・・です。ちなみに覚悟を問われる時が一番 心が躍るんですよね」と答えたのに対して

    中島社長は「ありがとうございます。大変参考になりました。どこかで使わせていただきます」と答えていた。

    中島社長いわく「(“生成AI社長”導入の)目的はAIを気軽に使うきっかけにしたい。現在、社員はチャットで”生成AI社長”に質問することができるようにしている。今後は”AI上司”も開発する予定」』
    (『』内の内容と画像はNHKテレビより)

    例3) キリンホールディングスでは”役員になった生成AI”が活躍
    同社では”人の顔あるいは姿を使わない、いわば「答えは出すとも姿は見えず」というカタチの生成AIを「生成AI役員」として採用して社内の経営会議などに参加させる試みを今年2025年7月から始めた。

    ↓(左)パソコン内のAI役員が参加する会議の様子 / (右)南方社長
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    『南方健志社長いわく(AI役員は)「議論の場で、漏れが無いか指摘してくれるなど補助システムとなって、(人間の)社員たちは非常な”気づき”を得るという、一つのツール的存在かなと思う」』
    (『』内の内容と画像はNHKテレビより)

    そして生成AIを”あたかも故人の蘇生、あるいは故人との対話”に利用され始めた例が・・

    例4)『人物が写っているたった1枚の写真から、その人物がいろいろな動きをする動画を作る会社「写真復活スタジオ」(東京・市ヶ谷)

    同社が扱った例では、ある女性が結婚式の直前に父親が他界してしまったので、バージンロードを一緒に歩いてくれることが叶わなかったのだが、

    その父親の写真から、生成AIを使って生前の動く姿を再現して”父親との二人でバージンロードを歩く姿”を動画として見ることができた.。

    その中での父親は時々、彼女の方に目を遣る動作もし、彼女もまた父の方を向いて互いに微笑むという様子の動画が作られている。

    (勿論、この会社の“写真人物の動画化”は故人以外も対象)』

    ↓父親と娘の写真をそれぞれ1枚ずつ生成AIに取り込んだ 
    aisample1

    ↓(左)父親と娘が一緒になった動画 / (右) 父親と娘が見つめ合いほほえむように”作られた”動画
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    (『』内の内容と画像は「日本テレビ」番組より)

    例5) 実際の人ではなく、ホログラムで立体的に浮かび上がり、動きもする人物やキャラクターとの会話が生成AI利用でできるようにもなっている。(下の画像も含めてHNKテレビより)

    ↓ホログラムによるキャラクターと実際の人が会話する様子
    hologram

    例6) パソコン上に設定したある特定の故人が、まるで生きているようにチャットGPT形式?で会話をしてくれるアプリがある。

    実際に紹介された例では・・恋人に先立たれたある女性が、生き返ったような”AI恋人“と(顔や姿は現さないで文字でのやりとりだが)”今の辛さや悲しさを伝えながら会話する”様子が紹介されていた。

    彼女は懐かしさと、まるでリアルな話の内容から涙を流しながら対話をしていた。

    以上の例などから、生成AIの利用範囲が広い中で特に“故人の再現、再来”を主軸にした応用展開が考えられる。

    私は昔、あるメーカーに勤務していた中で、”故人の生前の声と(動く)姿が現れる仏壇”の商品化を社内提案したことがあって、社内の反応は「おもしろい」という声とともに「気持ちが悪い」という意見もあったが、結局は予測需要量とコストの関係から採用されなかったという経験をしたが・・

    今や生成AIなど利用で新しい機能を備えた需要度が高い仏壇あるいは祭壇とすることが可能となったので”まるで故人と実際の会話ができるような仏壇・祭壇”を登場させることができる。例えば・・

    仏壇の“おりん”を鳴らす、または”ロザリオ”(小さな十字架にチェーンが付いたモノで、西洋版の数珠のようなもの)を祭壇にかざせば、”生成AI故人”が小型モニターに現れて、対面する実際の人との挨拶や会話が始まる。

    そこでは出来事の報告、喜びや悲しみの共有、グチを聞いてくれる、悩み相談などなど、生成AIが学習した”生前の故人特有のあらゆる情報”を基に、その故人ならではの回答や会話が顔の表情や身振りを伴ってなされる。

    また、最近は超コンパクト仏壇や壁掛け型仏壇も登場しているので、生成AI利用仏壇・祭壇の物理的な形態の参考になろう。

    (TBSテレビ「Nスタ」より)
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    そして、既にスマホの中に仏壇を取り込むアプリなどはいくつか登場しているものの、生成AI故人と対話できるものはまだ無いようだが、

    いずれスマホ使用のポータブル版”AI故人が出てきて、会話もできる仏壇・祭壇”が出現するのでは?!
    ・・・・・・・・・・・・

    夏は屋外に出ると蚊に「刺される」(関西・四国では「かまれる」「くわれる」)からイヤ!・・というわけで、

    私は蚊取り線香を携帯用専用容器に入れて腰からぶら下げて外に出ることが多いのですが、

    線香代もバカにならないと思っていたところ、昨年にネット上で「オニヤンマは蚊の天敵だから蚊よけに効果がある」とうたった”オニヤンマそっくり商品”が一個(一匹)200~600円くらいの価格で沢山出回っていることに気が付いたものの、

    経済的理由で買えないので自作することにして材料を揃えようとしたが、どうしても”オニヤンマの眼”になる適材が見つからずに製作中断していたところ、この夏になって良い材料を見つけたので作ってみた!

    ↓これが手作りのオニヤンマ(羽長14センチ、2匹、衣服や帽子に付けるための安全ピン付き)
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    ◎「蚊よけオニヤンマ」作り
    まず、最も苦労した「オニヤンマの眼」の材料は・・”柄がブルー(又はグリーン、理想はブルーグリーン)で透明な歯ブラシ”のその柄の一部。

    ↓歯ブラシ(使い終わったモノ)の”ブルー透明”な柄の端を斜めカットしたものをヤスリで半球体に近づけた形にして”眼”を作る
    toothbrush

    その他、使用した材料は・・
    ・透明プラスチックフィルム(ブリスターパック用と同程度の厚み)
    ・割り箸
    ・紙粘土(胴体としっぽの先端のふくらみ用なので、糸など巻いても代用可だろう)
    ・安全ピン + (それを胴体固着するための)極細針金

    material

    胴体など着色には・・
    アクリル絵具(イエローとブラック)の上から透明ラッカー(ニスでは耐湿、耐水性に欠ける)

    ※塗る順番はまず胴体~しっぽ全体をイエローで塗り、後に黄色の縞を残すようにブラックを塗る。

    ※絵具については、上から厚く透明ラッカーを塗るのであれば普通の水彩絵具でもよいと思われる。

    羽根は・・羽根型に切った透明フィルムに極細の油性ペン(黒)で模様を描き、その面が裏になるようにして、胴体にはホッチキスと接着剤で固定する。

    完成した「手作り 蚊よけオニヤンマ」の効果は・・
    5,6回試したところ、蚊には刺されていない。
    ただし今夏は気温が異常高温なので、日中の蚊の出現そのものが少ないということがあるかもしれない。

    ◎「バードコール(もどき)」が偶然できた?!
    「バードコール」は小鳥の鳴き声に似た「ピッ・ピッ」あるいは「キュッ・キッュ」というような音を出す小さな道具で、林や森の中や山歩きなどの際に携行して鳴らすと、鳥が寄ってくる、あるいは鳥と会話のような反応が楽しめると言われている。

    形状は色々あるようだが多いのは下画像のような“木と金属を少しだけ(10~40度くらい)回転させながら擦り合わせて音をだす”タイプ。

    ↓木部は径17ミリ長さ25ミリ、革ひも付き
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    実は上の画像のバードコールは私が約半世紀前に購入して今でも所持しているモノだが・・

    つい先日、前述の”蚊よけオニヤンマ”を作った際にほんのちょっとだけ使用した接着剤のキャップをねじって締めようとしたら、なんとバードコールと同じ音が出るではないか! つまりタダで代用品が出現した。

    ↓赤いキャップを(使いきった)本体の”接着剤抽出口”のネジ部に締めきる寸前あたりで” 「キュッ・キッュ」という“本物のバードコールと変わらない音”を発する。
    bird-call-modoki

    なぜ小鳥の鳴き声のような音が出るようになったのかを観察、考察したら・・
    アルミのネジ部とキャップのネジ部どうしが擦れ合って”鳴いて”いることがわかった。最初はアルミネジ部に付着している乾いた接着剤が影響しているかと思ったが、それを除去してみても関係がないことを確認した。(キャップ内側のネジ部には接着剤付着無し)

    そして”小鳥の鳴き声のような音”を出すための重要な条件は“金属側と相手側(木質または今回の赤いプラスチック製キャップ)の穴の双方にテーパーがついていること(この場合、アルミ製の
    接着剤抽出口は根元から先端にかけて細くなっていること / プラスチック製キャップは開口部から奥にかけて細くなっている)”であることが分かった。 

    このことを確信したのは・・本物のバードコールを分解して、金属部の円柱状突起と木部の円柱状の穴の径をノギスを使って測ったら互いにテーパーがついていることが分かったから。

    ※今回の「バードコール(もどき)」が出現した理由は、上記以外にも微妙な条件がからんでいる可能性もあるので、念のため当該接着剤はコニシ(株)の「ボンドG17」170mlです。

    ◎バードコールの実際の効果は?
    実は私、バードコールを手にして半世紀、本気でその効果を試したことがなかったのですが、今回調べてみたらネット上で”効果を報告”している人がいて、それによれば・・

    バードコールを郊外の林で鳴らしてみて寄ってきたのは・・スズメ、カラス、人間。

    人間とは、たまたま近くにいたバードウォッチングをしていた人が「聞いたことがない鳥の声がするので」と言って寄ってきたとのこと。

    注目はカラスで、この”ネット報告者"は言及していませんが、"カラスが寄ってきた理由"は・・

    小鳥を捕食しようとしたためであると私は考える・・と言うのは(以前にブログでも述べましたが)私はカラスがスズメを襲う瞬間から食べるところまでを実際にまじかで目撃したことがあるから。

    まさにスズメが仲間と思って近づき、そのスズメを狙ってカラスが寄ってくるほどの効果があるということか!


    ・・・・・・・・・・・・

    前回に続いて、音についてのあれこれです!

    ◎都会の騒音が少し静かになった
    国による”騒音規制法”が1968(昭和43)に発効したことや各自治体の”騒音防止条例”が制定されるなどして、昔に比べれば、今や日本全国の都会の騒音が減少していると思われるが、

    東京の渋谷を例にとってみると、昔は、今のスクランブル交差点あたりだったかに”当地点の現在の騒音レベル”を表す電光掲示板が設置されていて、私の記憶では90デシベル(dB)近い数字もあった。

    渋谷の騒音が時代とともに変化したことを表す数字を探してみたら、同じ場所、時期、時間帯での計測結果ではないと思われるものの、次のようなデータが見つかった。 

    1963(昭和38)年の(ある日の)渋谷の駅前(ハチ公口)の騒音表示は74~82(dB)を示していた。(中日映画社の映像商品サンプルの中で読める)

    ↓その渋谷の電光掲示板
    light-billboard

    1962(昭和37)年~1966(昭和41)年の5年間の渋谷の街の騒音平均は80dB。

    (↑↓ 運輸省:昭和43年度 交通白書より)

    1967(昭和42)年は78dB。
    ちなみに同じ期間5年平均は池袋と新宿とも83dB、1967(昭和42)年も池袋と新宿とも79dB。

    2009(平成21)年の渋谷ハチ公前73.2dB (「コンタック総合研究所」資料から引用)

    2024(令和6)年67dB 
    (「note.com」より引用)

    以上から、曖昧ながら渋谷の騒音は約60年間で15dBくらい下がったようだ。

    現在の渋谷ハチ公前あたりの風景
    hatikoumae

    ※“dB”の程度がどれほどのものかの参考に前回の例を再掲してみます。

    近くの落雷/ま近の飛行機エンジン・・120dB
    クラクション(直近)・・・・・・・・・110dB
    電車通過時のガード下・・・・・・・・100dB
    怒鳴り声/犬の鳴き声(直近)・・・・・・・90dB
    走行中の電車内/パチンコ店内・・・・・・80dB
    騒々しい事務所内・・・・・・・・・・・70dB
    普通の会話/デパート店内・・・・・・・・60dB
    図書館内/閑静な住宅地の昼・・・・・・・40dB
    深夜の郊外/小さなささやき声・・・・・・30dB
    木の葉の触れ合い/雪降り・・・・・・・・20dB

    ◎都会(の繁華街)が静かになった要因は・・
    都会に限らずあらゆる場の音は様々な”音の発生源”から出た音が集合、混合したものだが、都会はその発生源の数が多いことと個々の発生音が大きいものが多いので、騒音という”人が不快に感じる音”が生まれやすい。

    近年の騒音減少は”騒音規制法”や”騒音防止条例”によることが明白なものの、特に都会の騒音減少にはその他の要因もあり・・

    〇  自動車のエンジン音が減った
    エンジン音の少音化が進んだ上に、ハイブリッド車やEV(電気自動車)※が増えたのでエンジン音そのものが減った。

    ※ただし、EVであっても走行時にはあるレベルの音を出すことが義務付けられている

    〇  電車の走行音が減った
    その要因は、線路にロングレール採用が進み、しかもレールの継ぎ目を改良 / 線路切り替えポイントの枕木改善 /  車両材料を鉄材からステンレスやアルミに変えて軽量化 / 車両の振動や揺れの吸収装置の改良 /  動力源のモーターの形式変換、など。

    〇  道路の舗装方法の改善でタイヤ音(ロードノイズ)が減少 
    自動車のタイヤ走行音を低減できる”アスファルト道路の舗装方法”が開発され、その一つの”低騒音舗装”は、道路の表層部を小砂利(骨材)とアスファルトで固める際に、小砂利どうしの間に隙間が多くできるようにするもので、通常の道路より路面発生騒音が7dBほど下がる。さらにその上に、もっと細かい砂利をやはり隙間多く固める層を加えた“2層式地騒音舗装”では騒音が通常道路より10dBほども下がるもので、加えてこれらの舗装道路は表面の透水性が良いため、降雨時・降雨直後に水が溜まりにくく、タイヤによる水しぶき音も削減される効果もあり、採用が広がってきた。

    東京都建設局の説明図 (※低騒音舗装は「7デシベル程度抑制」とあるが他の資料では2~3デシベル抑制とする例が多い)
    road-noiseless

    〇  クラクション音が極端に減った
    クラクションを鳴らす行為は民度と関係あるようで、昔の日本もその音をよく聞いたものだが、近年は激減した。しかし現在でも発展途上国では多いので、某国ではクラクション音が多いとペナルティとして信号待ち時間を長くするシステムになっているそうだ。※

    それよりも、クラクション音が減った大きな要因は”クラクションが鳴らしにくくなった”こと。
    クラクションを鳴らすためにはハンドル(ステアリング・ホイール)と一緒のある部分を押すことは昔も今も変わらないが、

    昔の自動車ではちょっと押しただけで鳴り、しかも押せる部分が大きかったから楽に鳴らせた。※
    しかし近年の自動車ではクラクションを鳴らすためには強く押さなければならず、しかも押す部分(の面積)が小さいから、相当の意思と力が必要になっているから結果としてクラクション音が減っている。

    ↓昔のクルマにはハンドルの内側の半円状または円環状の部分(下図矢印)をちょっと押せばクラクションが鳴った
    old-steering

    ※ちょっと押せば鳴ったから、誤って体や腕が触れただけで鳴ることも多かったが、急ブレーキをかけると(まだシートベルトが無い時代だったので)体が前に倒れてクラクション用の部分を押すカタチになってブーと鳴ってしまうこともあった。

    ※クラクションの音とは限らないが、ある調査によれば世界各地の中で騒音公害件数が最も少ないのはスイスのチューリッヒ。最も多いのは中国の広州市。

    ドイツのある調査機関によると、騒音で難聴になる人の比率が最も低いのはオーストリアのウイーン。最も多いのはインドのデリー。

    〇  少子高齢化で街に子供・若者が減った
    子供・若者が減れば当然のように大声で話したり騒いだりする声が減り騒音減少の一因ともなる。特に渋谷は昔、若者の街と言われたが、現在は若者の絶対数減少に加えて、街にビジネスオフィスが増えた影響で大人が増えたので騒音減少が加速していると思われる。

    ◎音があったほうが良いこと・場もある
    言うまでもなく、視覚障がいのある人たちにとっては音が頼り。それなのに音が減って困る例としては、電気自動車やハイブリッド車の登場で従来のエンジン音が減った※ことや横断歩道での青信号時の”ピヨピヨ”や”カッコウ”音などが(場所によっては)夜間に停止してしまうことなどがある。
    blind-person

    ※視覚障がい者に限らず、全ての歩行者の安全のために走行自動車のある程度の音は必要であるから、国連基準や日本のガイドラインに基づいて自動車メーカー各社は「車両接近通報装置」というもので、車両前進時50dB以上、後退時47dB以上の音を出すようにしている。ただし各社の"音質"が異なるので、日本視覚障碍者団体連合からは音質統一の要望が出ている。

    ところで、「あったらイイ音」と私が思うのは・・

    〇  
    “エレベーターの中で流される快適で適度な音量の音楽”
    静かなエレベーター内に自分以外にも人が乗っている場合に「クー」とお腹が鳴ったら恥ずかしいことになるが、音楽が流れていれば”マスキング効果”でかき消される。 私は実際に音楽が流れるエレベーターに乗った際にこのことに気が付いた。

    そして、「あったほうが良い音」は特に視覚障がいの方に向けては勿論、その他にもいろいろあるだろうが、私が個人的に今、思いつく例で恐縮ですが・・

    〇  
    “パチンコ店内で流される音楽”
    とにかく音楽が流れないパチンコ店内では調子が出ない。私が昔、パチンコが盛んな名古屋市で実際に経験したのだが、あるパチンコ店では音楽(定番の「軍艦マーチ」、その他現在流行りの歌謡曲など)がいっさい流れないので調子が出なくて困った。その他、北陸のパチンコ店でも同様のことがあった。やはりパチンコ店には音楽が必要! 
    (現在の私はパチンコをしませんが・・)
    patinko
    ・・・・・・・・・・・・

    私も後期高齢者(75才以上)になり、ご近所にも同じような年齢の住人が多い。・・というわけで日々の暮らしの中でも超高齢社会的現象が身近にあれこれと起こっているので、ちょっとご紹介!
    ojiisan_obaasan
    まずは、今回のテーマを取り上げるきっかけとなった現象から・・

    ◎我が家では1ヵ月に1日だけ妻の声が大きくなる?
    現在、妻(70才代前半)は月の内の10日間は実家に行って泊まり込んで、一人暮らしのお母さん(90才代半ば)の介護をしている。(残りの20日間は施設でのショートステイをしてもらっている)

    この”老老介護”状態がもう数年続いているのですが、実家での介護を終えて我が家に帰ってきた際の妻の声が最近やけに大きくなっていることに気づいた。

    その理由はすぐにピンときた! それは実家で、耳の遠くなってきたお母さんの世話をしていると、大声で対応しなければならない状態※が続いていて、それが自宅に戻った時点でもまだ続いているからで、さすがにほぼ一日たてば元の声量に戻る。
    スクリーンショット ohgoe

    ※このお母さんにも補聴器(正確には集音器)を試したことがあったが、ハウリングやらなにやらで結局使わなくなっている。これは私の母の場合も同様で集音器は埃をかぶっていた。

    ◎高齢者通例の”高い音が聞こえづらくなる”事態がいよいよ我が身にも!
    “高齢者は2000ヘルツ(これにほぼ該当するのは、鳥の鳴き声、赤ちゃんの泣き声、女性の声、電気製品のピー音など)以上の高さの周波数の音が聞こえづらくなる”ということは認識していたものの我が身には今まで実感がなかったのですが、ついに最近・・

    テレビの音が聞き取りにくくなったのでテレビの音量レベルを1~2ポイント上げるようになってしまった。
    スクリーンショット 2025-06-27 215546

    「いよいよ我が身にも来たか!」と少々落ち込んでいるが、冷静になってテレビの音声、特に人の声の聞こえ方を意識してみたら、全てがこもって聞こえるようになっていて、やはりこれは高音域に対する聴力が落ちた結果と納得せざるを得ないことになってしまった。

    それに加えて、これもつい最近から電子レンジの動作指定(ワット数、時間など)する際の「ピッ、ピッ」という(まさに2000ヘルツあたりの)音が以前に比べて明らかに小さく聞こえるようになってしまって、これもまた高音域聴力減退の証にちがいない。 
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    ◎”オレ流”の”高音域聴力減衰度の確認法”
    そこで、日頃から我流の”高音域聴力確認方法”である”人差し指と中指の二本と親指で互いの指先の腹を擦り合わせるようにして「サラサラサラ」という音を発生させて、その音が耳からどのくらい離れた距離からはっきり聞こえるか測る”ということを試してみたら、従来は耳から30センチ離れても聞こえていたのに今は10センチぐらいまでに近づけないといけない状態になってしまっていることが判明した。
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    (画像は「anan web」より引用)

    ※この方法を試すには、指先が乾燥していることが必要。また当然のことながら指先の指紋が消えている場合には不向き。

    蛇足ながら、数か月前に妻がお母さん用に”最近テレビでもPRしているシニア向けにテレビの音がよく聞こえるようになる「○○○スピーカー」”というものを購入して使ってみたが、お母さんには効果が感じられないようだと妻は言う。

    これには個人差があるものと思われるが、この実例からすると”購入前に何らかの方法で試聴できるシステム”が必要と思う。

    ◎黒地に青のサインが見えない!
    東京のJR某駅の構内通路沿いのトイレを探した時のこと、女性用トイレを表すマークのサイン板はあるものの、男性用トイレのマークが見当たらないので、他の離れた場所も探したがやはり無い。

    ところが女性用トイレのほうに近づいて、ふとサイン板をよく見たら、同じ1枚のサイン板の女性マークとともに男性マークもあるではないか! 同じ場所に男女トイレがあったのだ。

    これはサインデザイン(に限らないが)における明視度の配慮を欠いた基本的欠陥であり、このサイン板の場合は黒地にピンクの女性マークなので明度差が大きくて明確に見える。これに対して黒地に濃いめの青の男性マークは明度差が少なくてマークが認識しづらくて、これだけでも失格。

    ↓ちょっと目を細めて見たり、遠くから離れて見ると少し実感できます!

    スクリーンショット 2025-06-28 115339

    ところがそれだけではなく高齢者に対してはさらに問題となる!

    それは多くの高齢者(といっても早い人は40才代から)は眼の水晶体が黄味を帯びるようになって、見るものすべてに黄色のフィルターがかかったようになって”青色は暗く見える”ようになるから、若い人が見た場合よりもさらに”青と黒の明度差が無くなって見える”ことになる。

    つまり高齢者の多い社会となっては、黒地に青のマークや文字、その逆もしかりだが、これはご法度だ!

    そして、水晶体の黄ばみによって起きるのが・・白が黄ばんで見えるので、黄色地に白マークや文字、またはその逆の場合、お互いが馴染み気味になり判読できにくくなる。しかし、さすがにこれは”やってみると、その不具合がすぐわかるので、そうすることはまず無い”とは思われるが、念のため。

    ◎我が町に高齢者が多くなった結果・・
    ここからは我が町の高齢者の多さとそれに伴う現象をご紹介しますが、前提として我が町の性格をあげてみます。

    この町は千葉県の中央部に位置し、都会ではなく、郊外とも言えず、里山に隣接する丘陵地に45年前に開かれた町。現在の世帯数約3350、人口約7070人、内65才以上の高齢者44.0%。

    昨2024年9月15日時点の日本の高齢者(65才以上)比率29.3%と比較しても我が町は高齢者が大変に多いと言える。

    しかもこの町が出来て一斉に居住し始めたのは、当時30~40才代の夫婦とその子供から成る世帯 (ファミリー) が多くを占めていたので、40数年経過した現在は(その間、子供が独立して)残った70~80才代の高齢者が多くを占める、言い換えれば”皆が揃って70~80才になった”町になって、その結果・・

    〇 高齢女性の”一人住まい”が増えた
    数十年の間には夫婦の内、どちらかといっても通例のように夫が他界する世帯も増えて、現に我が家の周囲半径30mくらいの範囲には、高齢の女性だけの、俗に言う”お一人さま”が6人(内、”お向かいさん”が3人)もいる。
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    ついでながら、これはたまたまなことに、同じ周囲にある世帯の中には、私と同じ年の生まれという奥様が3人もいる。しかしその内の一人は”お一人さま”でもう一人は重度の認知症で昨年から施設に入ってしまったが、これも超高齢社会の一端。

    〇高齢女性が一人暮らしになった途端に植栽を始末する傾向
    周囲の様子を見ていると、ご主人が亡くなった直後に、大きめの庭木を小さく切り詰めるか、または根こそぎ除去するか、切り倒す例が多く見られる。
    それは、それまで主に夫が行っていた植栽の手入れが、自分ではやりにくいためと、外からの目隠し目的でもあった植栽が、女性の一人暮らしには防犯上 逆に無いほうが安心なため。
    job_niwashi
    〇 犬を飼う世帯が顕著に増えた
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    猫を飼う世帯は外から見えにくいので分からないが、飼い犬が増えたのは実感としてよくわかる。我が家の周囲の道には犬を散歩させる人が一日に何人も通るが、それがなぜ分かるかと言えば、

    散歩に際して愛犬家どうしで合流するようで、犬の鳴き声も時々するが、それよりも犬を連れる人の話し声のほうが圧倒的に多いからで、2~3人、時には6人で揃って立ち話または歩きながら話す、

    またはお互いに他家の犬に対して「あら○○ちゃん こんにちは」などと話しかける声が聞こえるから。もちろん一人で無言のまま犬の散歩をさせている人もよく見かける。

    そして犬を散歩させているのは圧倒的に女性が多い。

    犬や猫を飼う世帯(人)が増える理由は明白で、子供が独立して同居しなくなって、親だけが残って「空巣=からす=あきすではない=英語でempty nest」になって寂しくなるから。

    また、子供が家にいなくなって時間と家計に余裕ができるという人生のステージに入ったからでもある。

    〇 町会脱退世帯や入会拒否の新規居住世帯が増えた
    我が町に限らず今や日本全国で起きているのが”町会脱退・加入拒否問題”。これは日本が超高齢社会になっていることで増えているのは明らかで、町会脱退理由の多くは”高齢のため役員仕事が体力的にキツイ”というもの。

    また、新規にこの町に住み始めた世帯が町会加入拒否のケースもでてきている。

    町会脱退世帯と町会新規加入拒否世帯が増えると会費による町会運営のための収入が減って困る。

    町会収入に限ってみれば少し救いなのは、役員担当は拒否するが脱会はしないで会費は払うという世帯があることだが・・

    ※役員のなりて不足の問題はマンションなどの集合住宅でも起きているが、”町会費にあたるような管理費・修繕積立金”はおさめることが前提の居住なので、少なくとも”町会にあたる管理組合や自治会”の運営費減少問題は基本的には起きない。(実際は”管理費等の滞納者”が存在しているケースもあるが)

    特に高齢者が多く青年や壮年が少なくなった我が町でも、これらの問題は10年以上前から対策案を考えているが、有効な解決方法が見つかっていない。

    ただ、最近になって”役員には金銭報酬を出す”ことにしたら若干状況改善した。(この例は全国の一部の町会やマンション管理組合・自治会において既にみられる)

    全国の状況などをここで綴ると長くなるので省略しますが、一つの実例を紹介しますと・・

    2005(平成17)年に埼玉県の某町会が脱会希望者の申請を拒否したことに対して、その可否が裁判になり、最高裁にまでいった結果、「脱会は認めなければならない」となったもので、ただしこの町会では町会費とは別に(正確な呼称は忘れたが)管理費も徴収していて、これについては、「町会を脱会しても管理費は支払うこと」という判決が出ている。
    ・・・・・・・・・・・・

    日本の国鳥である雉の雄(左)と雌(右) (Wikipediaより)
    スクリーンショット 2025-06-20 111923

    先日、千葉県在住の友人からのメールとともに”ご自宅の庭に現れたという雉”の素晴らしい画像が送られてきました。それを拝見していたら、雉についてあれこれ頭に浮かんだことがあるので、それを今回綴ってみますが、まずはその雉の画像について・・

    ◎雉が家族で行進
    送付された画像には雉のつがい(夫婦)※とその子供たちがいっしょに地面を行進している姿で、実になんともほほえましい光景です。(画像がお見せできないので悪しからず)

    ※冒頭の画像のように雉の雄は尾が長く羽根の色が美しい。雌の尾は短く羽根は地味なので、それが1羽ずつ寄り添っていればつがいと明確に分かる。

    よく紹介される”カルガモ親子の行進”はすべて”母親と子供たち”であり、雉も同じく母親が子育てをするのが基本とされているので、父親も一緒になって行進するシーンは珍しいのではないか。

    ↓雉の母と子の画像は普通に見られるが・・ (日本の野鳥識別図鑑より引用)
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    ◎「雉を撃ちに行く」と「花を摘みに行く」
    「雉を撃ちに行く」という言葉は主に登山者の男性たちが野山で大小便する行為の隠語として使われるものだったそうですが、私は半世紀前に”野山ではなく街なかで”ある友人が使ったこの言葉を初めて聞いて、”良い表現だな”と思ったものでした。

    同様に女性の場合は「花を摘みに行く」という表現になるのだそうです。

    スクリーンショット 2025-06-19 200850

    ◎雉の肉を食べたことがあるものの・・
    私は昔、ある肉料理店で牛や豚のほかに変わった肉も含むコースを選んだところ、イノシシ、ウサギ、シカ、そして雉がだされた。
    jibie
    今ならば、それは「ジビエ」と言ったのでしょうが、そのような言葉がなかった時代だった。
    食べてみたら、牛と豚は別にして雉やその他の肉はやや堅めで、正直言って珍しさ感が先にたって味の記憶があまり無い・・ということは”不味くはなかった”ということでもあるが、今にして思えば”もっとじっくり味わえばよかった”。

    その店の名は「囲炉裏茶屋」。兵庫県加東市にある東条湖の湖畔に在ったが現在は閉店している。古民家を利用した建物で、文字通り囲炉裏の炭火で肉を焼いて食べるスタイルだった。

    ↓「囲炉裏茶屋」のマッチ(最近、机の引き出しの奥から48?年ぶりに出てきた)
    irorijyaya

    蛇足ながら、私は「雀の丸焼き」というものを食べたこともある。それは京都の伏見稲荷の門前?の店の名物として有名なので、一度は経験と思って挑戦したが、なにしろスズメの頭蓋骨丸出しの姿で、全体も骨っぽくて肉はあまり無いというものだった。これ以上言うと店の営業妨害になるので・・
    グロテスクなのでここでは画像紹介できないが、ご興味ある方はネット検索で見られます。

    ◎賤ケ岳(しずがたけ)で出会った雉
    「賤ケ岳」は滋賀県に在る標高わずか421mの低山で、「琵琶湖」とその北側に在る「余呉湖」(周囲6.4キロの小さな湖)の間に挟まれた位置に在る。

    sizugatake-map

    これも50数年前の初夏のある日、この賤ケ岳を私は一人で登っていた(と言っても登山というほどでもなく、観光案内書にはハイキングコースとなっている)が、その途中、道の両側が藪になっている所にさしかかったところで突然、目の前の藪の中から1羽の大きな鳥が飛び出してバサバサと音をたてながら道の地面すれすれに低く飛んで(脚も少し地面をけっていたかも) 右の藪から左の藪の中に消えた。

    それは一瞬のことだったが、目にした鳥は雉に間違いなかった。大型で尾は長く、うまくはない飛び方から判断できた。残念ながら羽色の記憶がないので雌雄の判断はできない。

    ↓低く飛ぶ雉 (「日本の野鳥識別図鑑」より)
    kiji-flying

    この時の私にとってはこの”雉との遭遇”は普通の驚きではなかった。と言うのも、その道は一応ハイキングコースとして整備されているようだが道幅は狭く、両脇は木立に囲まれ、一部は藪のような所をかきわけながら歩くというほど非常に細い、心細い道だった上に、途中で他の人の姿は一人として見かけず、静寂で、こうなると寂しく、不気味さも感じながら進んでいた中で起きたことであったからであった。

    後から自分でも面白いと思ったのは、驚いた割には声が全く出なかったが、それは周囲に誰も居なかったからで、もし他に人が居たら「わっ!」というような声で”一種の通知”の意味を含んだ声を発していたに違いないということ。

    そしてこの日は、湖畔に国民宿舎もある余呉湖の周囲6.4キロをレンタサイクルで一周した約50分間と賤ケ岳のハイキングコースを登って降りてくる約2時間の合わせて約3時間に人の姿を一人も見かけなかったということが、一応は観光地という場にしては特殊な経験だったのである。

    ↓賤ケ岳山頂からは琵琶湖も余呉湖 も見えるがこの画像は余呉湖。私が登った日は山頂にも誰一人としていなかった) 
    (画像は「賤ケ岳リフト」のHPより)
    sizugatake-summit

    蛇足ながら、賤ケ岳と言えば日本史を学習した人は「賤ケ岳の戦い」あるいは「賤ケ岳の七本槍」※という話を思い浮かべるのでしょうが当時の私はそれを知らなかったので、もし知っていて登ったのであれば感慨深かったに違いない。

    ※「賤ケ岳の戦いと七本槍」の説明:
    https://www.rekishijin.com/13011

    実は賤ケ岳に登ってみたのは”ついで”の行動であって、その日の目的は余呉湖探訪だった。その動機は、水上勉が1965(昭和40)年から1年間、読売新聞に連載(後に単行本化)した悲恋小説「湖の琴(うみのこと)」の中に余呉湖の名が出てきていたからなのであった。

    ↓映画化された「湖の琴」(主演:佐久間良子)
    eiga-uminokoto

    ◎桃太郎の鬼退治になぜ雉が?
    スクリーンショット 2025-06-20 112450
    雉が国鳥とは知らなかった私だが、ではなぜ桃太郎の鬼退治に雉が参加したのかが気になりだしてチョイとググッてみたら、諸説ある中で代表的な2説が紹介されていて・・

    一つは「陰陽五行説」で十二支を子(ねずみ)を頭(北)にして円環状に並べてみると丑寅の位置は東北つまり鬼門、それは丑(牛)のように角があり寅(虎)の皮のパンツをはいた鬼が棲む所、それに対して円環の上で反対側の南西にあたる所が裏鬼門とされ、そこには羊、申(猿)、酉(鳥)がいるが、羊は戦には向かないので除外し、かわりに戌(犬)を引き入れたカタチで編成したとされるが、それにしても鳥には強そうな鷲や鷹が採用されずになぜ雉なのだろうか?

    もう一つは「儒教説」で孔子は”徳を成すには「智」「仁」「勇」が必要”と教えているところから、鬼退治には「智」の猿、恩を忘れぬ「仁」の犬、火事の際に自分の羽で覆って卵を守るとされる「勇」の雉が選ばれたというもの。

    ↓図は「日本桃太郎会連合会」のHPより引用
    onmyougogyousetu

    まあ、いずれの説もこじつけ感があるが・・
    ・・・・・・・・・・・・

    数か月前のこと、オーディオマニアかつクラシック音楽からジャズまで非常に詳しく"耳の肥えた"友人から「HIMARIという名前の日本人天才少女バイオリニストが現れたので注目!」という情報をもらったので、

    YouTubeでその演奏を聴いてみたら、その凄さは音楽がよくわからない私でも感じ取れるほど。

    HIMARIとは(Wikipediaによれば)・・2011年6月24日、東京都生まれの現在13才で本名:吉村妃鞠。10才までに国内外のコンクールで全て1位。米国カーティス音楽院に最年少10才で合格。

    現在日米を行き来しながら活躍中。今年(2025年)3月にはベルリンフィルのコンサートでアジア人最年少ソリストとしてデビュー。
    himari

    ◎「チゴイネルワイゼン」をHIMARIと作曲者自身の演奏で聴き比べ!
    HIMARIが8才の時、モスクワで開催されたシェルクンチク国際音楽コンクールの弦楽器部門・14才以下の部で、一次審査ではサラサーテ作曲「チゴイネルワイゼン」、二次審査ではパガニーニ作曲「カンタービレ」を演奏して1位獲得。

    その際の3人の審査員は彼女の演奏を絶賛して、「彼女の出現を神に感謝する」と言うほどだった。

    ↓その時のHIMARIによる「チゴイネルワイゼン」、「カンタービレ」演奏と評価

    「チゴイネルワイゼン」はバイオリンの名手であるサラサーテが彼の演奏技巧を詰め込んで作曲したもので、その彼自身が1904年60才の時に演奏した録音レコードが存在していて、昔にそれを聴いたことがある人によれば聴きづらい音だったそうだが、

    近年それを雑音除去などによってクリアな状態で聴けるようになっているとのことで、それを私もYouTubeで聴いてみたら、HIMARIが8才時に弾いた「チゴイネルワイゼン」と比べるとやはりサラサーテのほうが情感の込め方において優っていると感じたが・・

    ↓サラサーテ自身演奏の「チゴイネルワイゼン」

    ただし、HIMARIもこれから人生の喜怒哀楽などの経験を糧にして演奏に深みを増すのだろうから今後の表現力はさらに磨きがかかるにちがいない。

    しかしこれからの経験といっても音楽表現に関連しないことは”雑音的”なものとして邪魔なのだろう。

    後述部分に出てくる、バイオリンの名手の一人だった辻久子は音楽以外の一般的行為が"雑音的なこと"だったようで、それを排除していた結果、例えば電車の切符の買い方さえ知らなかったという話を聞いたことがある。

    ※ちなみに
    サラサーテ以外で、この私でも知っている"バイオリニスト自身の自作自演の古い例"はクライスラー(「愛の喜び」、「愛の悲しみ」など作曲)で、100年以上前の録音が残っている。

    ◎バイオリン演奏に秀でたHIMARI、諏訪根自子、辻久子、巌本真理

    諏訪根自子(すわ・ねじこ):1920(大正9)年~2012(平成24)年
    suwanejiko

    辻久子(つじ・ひさこ)   :1926(昭和1)年~2021(令和3)年
    tujihisako

    巌本真理(いわもと・まり):1926(昭和1)年~:1979(昭和54)年
    onoanna

    《4人全員の共通点 : 「天才少女」と呼ばれた!》
    前述のようにHIMARIは8才で、

    諏訪根自子は11才で、

    辻久子は12才(第7回日本音楽コンクール弦楽部門1位)で、

    巌本真理は13才(第6回日本音楽コンクール弦楽部門1位)で、
    それぞれ「天才少女」と称されるようになった。

    しかしこの中でもやはり
    HIMARIの早熟天才度が光っている。

    《HIMARI、諏訪根自子、辻久子の3人は名器ストラディヴァリウスを使っている》
    HIMARIは前澤友作氏(ZOZOTOWN創業者、実業家)から貸与されている。

    諏訪根自子は1943年にナチスドイツの宣伝相ゲッペルスから贈呈されている。

    諏訪根自子、ストラディヴァリウス、ゲッペルス
    gepperus-storadi

    辻久子は1973年に自宅を3500万円で売却して3000万円でこの名器を購入した。このことは当時マスコミでも話題となったから私も確かに記憶している。

    ※サラサーテも10才時にスペイン女王から贈与されている。

    《HIMARIと諏訪根自子はベルリンフィルと共演している》
    HIMARIは前述したが、諏訪根自子は1943年に共演してブラームスのバイオリン協奏曲を弾いた。

    《諏訪根自子と巌本真理は子供の頃にロシア人バイオリニストの小野アンナ※の指導を受けている》
    ※小野アンナはロシア文学者の小野俊一と結婚していた時期があり、その際の名前。なおオノ・ヨーコは俊一の姪)

    ※今回は割愛したバイオリニスト前橋汀子も小野アンナの指導受けたことがあり、ベルリンフィルとの共演も行ったことがある。

    (今回文中すべて敬称略)
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    余録(1) ストラディヴァリウスについて
    ↓イタリアのクレモナの「ストラディヴァリ」という名前の職人(1644?~1737)が製作した楽器を「ストラディヴァリウス」と称している。(実際には二人の息子と他の職人も製作に加わっている) 
    (下の画像6枚は全てNHK BSテレビより)
    duo1

    表面の素材はスプルースというマツ科トウヒ属の針葉樹で木目が美しいのだが、ストラディヴァリが製作した頃は「小氷期」という”太陽活動が弱まっている時期(約7年間)”だったので樹木の生長が遅かった結果、特に木目が密になっていて綺麗かつ強度も上がっていた。

    現代はそのような材質のスプルースが存在しないので、ストラディヴァリウスの再現は無理。

    ↓このストラディヴァリウスの写真(クリックで拡大)で、その木目が見える。
    gakki-bank6

    ↓一般に裏面、側面、ネックの素材はメイプル。これはストラディヴァリウスのそれ。
    gakki-bank8

    ↓ストラディヴァリウスのネック部分。ストラディヴァリウスはビオラ、チェロ、ギター、マンドリンもあり、合計1100ないし1300作られたとされ、現存は約600と言われる。右はストラディヴァリウスのチェロ
    duo2

    科学的分析ではストラディヴァリウスは誕生して約300年の間に徐々に木質の強度が増して現在がピークで以降は低下に向かうことになる予測があり、現在が最高の音質状態であると言われる。

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    余録(2) : 諏訪根自子、明日待子、山口淑子(李香蘭)、原節子の共通点!!
    この4人は全員が1920(大正9)年生まれであり、それぞれの分野で多大な人気を誇った!

    諏訪根自子は美貌のバイオリニストでもあった。(~2012年没)

    明日待子(あしたまつこ)は昭和の戦前戦中戦後に活躍した”元祖アイドル”。 (~2019年没)

    山口淑子は戦前戦中は「李香蘭」の名で映画俳優、歌手。1974年からは参議院議員。(~2014年没)

    原節子も戦前戦中戦後に映画俳優として活躍。(~2015年没)

    ↓左から明日待子、李香蘭、原節子
    asita-ri-hara

    そして4人ともが長命で、特に明日待子は99才で天寿を全うした。
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    かつての私の学童・学生時代に教えを受けた先生方の数が50人くらいにはなるだろう中でも特にユニークさで印象的な3人の先生がおられたのが中学校(東京都豊島区立)だった。
    group_kyoushi
    ◎奥様が「ミス渋谷」のN先生
    社会科のN先生は大柄で丸メガネをかけられていて、いわゆる美男子という部類の人ではないが、生徒に対して威圧的なところが全く無くて、親しみやすい感じだった。

    入学後に先生の授業を受け始めて間もなく、ある生徒が「N先生の奥さんってミス渋谷なんだってさ」と言いだして、その噂は瞬く間に生徒間に拡がったのだが・・

    その真偽を確かめるために先生に直接聞いてみるというようなことは当時の我々生徒にはできなかった。

    しかし日頃感じる人柄に加えて、授業の合間にちょっとした”渋谷がらみの話”が少なからずあったので、やはり“奥様がミス渋谷”というのもなんとなく「さもありなん」と思えたものだったが、その”先生の話”とは・・

    「私は、渋谷でプロレスラーのユセフ・トルコ(※1)が荷車を引いて歩いているのを見たことがあるぞ」

    「渋谷じゃソーライス(※2)っていう、白いご飯にソースをかけただけのものが5円(私の記憶があいまいで10円だったかも?)で食べられる店があるんだ」

    「私は株もちょっとやっていて、株主優待券っていうものを使って渋谷の映画館にはよく観に行くよ」

    ※1:ユセフ・トルコ(1931~2013)は、亡命トルコ人の両親のもと樺太生まれ。トルコ語と日本語が話せるちょっとひょうきんな面もあるプロレスラーでもありレフェリーでもあった。私はテレビのプロレス中継でレフェリーとしての氏を何度か観ていた。
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    ※2:ソーライスが最初に生まれたのは1930(昭和5)年の昭和恐慌のさ中、大阪の阪急百貨店梅田本店の食堂で、5銭のライスだけを注文してそれにテーブル備え付けのウスターソースをかけて食べる人が現れた。その後これが広まった。

    ◎「アーニーパイル」自慢のK先生
    理科のK先生はちょっと強面だが、いつも授業の最初の10分くらいは理科とはあまり関係ない話だった。

    したがって相当な数の”そのての話”を聞いているのだが、特に一つだけ強く記憶に残っているのが・・

    「日比谷にある東京宝塚劇場のビルは終戦直後から昭和27年までアーニーパイル劇場(※3)という名前になっていたんだが、あのビルについていたアーニーパイルというネオンは私が作ったんだ」

    ↓「アーニーパイル劇場」(毎日新聞社刊 毎日ムック 「戦後50年」より)
    ernie-pyle-theater

    それを聞いてまず思ったのは、このK先生は先生になる前に意外な仕事をしていた人なんだ!

    そして(勉強には関係ない)「アーニーパイル」という言葉がなぜ記憶に残ったかと言えば、その2年ほど前(1957=昭和32年)にテレビでアメリカ製の西部劇の連続ドラマの「アニーよ銃をとれ」が放送されていて、似た名前だったから。

    「アニーよ銃をとれ」のアニー(東京ニュース通信社刊「テレビドラマ全史1953~1994」より)
    anii2

    私は後年になって、「アニーよ銃をとれ」は実在した射撃の達人である女性アニー・オークレイ(1860~1926)をモデルにしたものだったことを知った。

    ※3:アーニーパイル(1900~1945)は太平洋戦争中の優秀な従軍記者で1944年にピューリッツア賞を受賞していたが1945年4月に沖縄で戦死した。氏の死後の沖縄・那覇には「アーニーパイル国際劇場」が建設され、東京・日比谷の東京宝塚劇場はGHQが接収して「アーニーパイル劇場」という名称がつけられていた。

    ◎「赤穂浪士討ち入り」の日の I 先生
    美術の I 先生はちょっと神経質そうな細面の人だった。ある日のこと、授業の時間になんと両手首を紐でしばったまま教室に現れて、「今日(12月14日)は赤穂浪士が討ち入りした日だから、この格好で授業をします」と理解に苦しむ理由をのべて、その状態でチョークを握り、黒板に文字を書き始められた。

    ↓歌川国貞「仮名手本忠臣蔵十一段目」(jb pressのHPより)
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    我々生徒はあっけにとられるばかりで、私はその日の授業内容を覚えていない。先生のそんな言動があって数か月後?だったかに・・

    突然 I先生が亡くなられた。しかし生徒たちには死因は知らされないままだったことに加えて、先生の以前のあの言動もあったことから生徒たちの間では「I 先生は自殺されたに違いない」という認識で一致したのだった。
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    このようなユニークな先生方がおられた中学校だったが、近年の統廃合によって廃校となり今や校舎の跡形もない。ただ想い出のみが残っている。
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    5月に入って木々のやわらかい葉が出揃ってきたので、木の芽が出始める時期を指す「木の芽時」を過ぎてからひと月くらい経っているはいるが、私はこの「木の芽時」という言葉には、ある意味がつい連想されてしまう。

    ところで・・

    ◎「木の芽時」の正しい読み方は?
    「木の芽時」という言葉、恥ずかしながら後期高齢者の私は今までこれを「きのめどき」と読んでいたのだが、正しくは「このめどき」と知った。

    試しに広辞苑をひいてみたら・・「きのめ」も「このめ」もどちらも個別の項目が在る。しかし双方共に「木の芽」の文字が当てられているものの、関連語としては「きのめ」の項には「きのめどき」は無く、「このめ」のほうに「このめどき」がある。

    ◎「木の芽時」に現れる異常?
    もともと季節の変わり目には自律神経不調が元となって体調不良が出やすく、それが顕著なのは春先なのだが、この時期にはメンタル面でも異常が起きて・・

    昔から、”「木の芽時」には、精神に異常をきたす人が出ることが多い”と言われており、事実この現象は医学界でも認知されているとのこと。

    先ごろ、ある女優が自ら運転するクルマで事故を起こした際に奇異な行動をし、その後の病院では看護師に危害を加え、警察ではまともな応答ができないなどの症状が現れていたが・・

    後日の診断結果では”躁うつ病”と”甲状腺分泌過多”が原因の行動だったとされたが、これも「木の芽時」現象の範疇に入るのだろうか?

    ◎藤村操(ふじむらみさお)も「五月病」だったのか?
    さて五月に入って現れると言われる「五月病」。 医学上ではそのような病名はないのだそうだが、実際には日本の社会で4月に行われる入学、進級、入社、転勤などによって、新しい勉学や仕事の環境に馴染めない人やついていけない人、あるいは疑問を抱く人たちが、ストレスや苦悶をつのらせて一か月経った5月になると、精神不安定、うつ状態、無気力、疲労感、不眠などの症状が出ることが多い。

    1903(明治36)年、旧制一高の学生の藤村操(16才)が栃木県は日光の華厳の滝(高さ97m)から投身自殺した。

    ↓藤村操と華厳の滝
    fujimura-kegon

    彼は自殺直前に「巖頭之感」と題して、自分が死を決する理由を述べた文を、傍らのミズナラの木の幹に刻んで残した。

    「巖頭之感」の全文・・
    悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
    此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
    オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
    眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
    我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
    既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
    不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
    大なる樂觀に一致するを。

    華厳の滝に投身自殺した日は、まさに5月の22日。やはり彼も「五月病」だったのだろうか?

    余談だが、彼の投身自殺によって華厳の滝は自殺名所になって、彼の死後4年間で自殺をはかった者185名、内40人が死亡。

    のちの自殺名所となった伊豆大島の三原山火口では、『投身自殺第1号は1928(昭和3)年の男性26才。さらに1933(昭和8)年の1月から2月にかけて実践女学校(東京)の学生が二人自殺したことが発端となって・・

    この年昭和8年の自殺者の男性130人、女性13人、未遂は687人。翌昭和9年は死者187人、未遂671人。昭和10年は死者164人、未遂は574人となり、翌昭和11年※から下降線をたどりはじめた』 (『』内は「毎日グラフ別冊 サン写真新聞昭和27年版」より)

    ※昭和11年は「2.26事件」があった年

    ◎やはり自殺者も多い3,4,5月
    警察庁発表の年間月別自殺者数をみると、冬季は少ないものの、木の芽時から急増して五月病の時期にかけての3か月が年間でもピークとなっている。

    令和6年自殺者数 合計18647人 

    12月1371人 / 1月1688人 / 2月1559人
              
    3月1894人 / 4月1903人 / 5月1853人
              
    6月~11月は1700~1500人台

    ◎藤村操の妹と結婚した安倍能成(あべよししげ)
    藤村操の妹の藤村恭子は、旧制一高の藤村操の同窓生でもあった安倍能成(1883=明治16年~1966=昭和61年)と結婚した。安倍氏は知る人ぞ知る哲学者、教育家、政治家で東京帝国大学卒業後、旧制一高校長、学習院院長、文部大臣などを務めた。

    ↓安倍能成
    abeyosisige

    この”安倍能成氏の妻は(有名な) 藤村操の妹であった”ということを私はつい最近までは知らなかったが、世間でもあまり知られていないのももっともで、私の知人で中学、高校、大学まで学習院で学んだという人物に聞いてみても、「確かに丁度安倍先生が院長の時期だったので訓示などを直接聞いたことはあるが、先生の奥様の件は知らなかった」と言っている。

    余録
    ご存知のように、料理の世界においては「木の芽(きのめ)」と言えば「山椒の葉」のこと。
    我が家のプランターにも山椒が自然に生えて20年くらいになるが、丁度今頃は若葉がやわらかいのでチョイチョイ摘んでは利用している。
    ただし、山椒は雌雄があり、ウチのは雄なので実はならないのが残念!

    ↓我が家の山椒 (枝の棘には要注意)
    leaf-of-sansyo1
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    私は会社員時代に業務上で色々な形式の調査を行っていましたが、その中で”アンケートによる調査”は60回以上になり、多人数対象の調査には調査専門会社を利用することが多かった。

    調査会社は、(調査内容にもよるが)アンケート用紙の郵送調査することが多く、回収した回答を統計手法駆使して、結果報告書を当方に渡す。

    当時の調査会社からのデータ報告書 (厚み5~8センチ)
    tyousa-report

    この調査手順では調査依頼から結果入手までに一か月以上、中には2か月かかることが多かった。

    ところがちょうど西暦2000年ころに、”質問項目が少ないある調査”を当時既に登場していた”ネット調査会社”を通じて”自前の質問文”を発信したところ、なんと5分後には個別の回答者から回答が提示され出したではないか!

    これからは目的によってはネット調査の利用の時代と悟ったことで、以後数回はこれを利用した。ただし統計、分析は自前でする必要はありますが・・

    間もなく退職してからの私は、社会参加、認知症予防を目的※にネットによるアンケート調査の回答者になって20年近くなる。

    回答者登録しているネット調査会社は6社なので、毎日10件以上のアンケート依頼が届くが、すべてには対応できないから1日に数件を回答。

    ※回答に対して報酬もあるが微々たるもので、例えば回答所要時間が20分くらいかかるもので10円、同じく2分で1円というものもあり、これはどちらも時給換算すれば30円ですが、その他40分くらいかかるもので50~70円などがある。

    enquete

    前置きが長くなりましたが・・

    ネットによるアンケート調査に20年近く参加していて変化したことは、調査には必須の”調査対象者の属性”把握のための質問項目、即ち、性別、年齢、職業、居住地、住居形態などにおける”回答選択肢”の表現で、こんなところにも時代の反映が現れて・・

    ◎「性別」回答選択肢は「男性」、「女性」に加えて「その他」なども!

    以下、現在のアンケートにおける性別回答選択肢の例をあげてみます。依然として「男性」、「女性」の二者択一型もありますが、非常に少なくなっています。

    A) 「男性」 / 「女性」
    B) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」
    C) 「男性」 / 「女性」 / 「回答しない」
    D) 「男性」 / 「女性」 / 「答えたくない」
    E) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」 / 「答えたくない」
    F) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」・「答えたくない」
    G) 「男性」 / 「女性」 / 「自由記載 (  )」 / 「回答しない」
    H) 「男性」 /「女性」 / 「決められない・誰も好きにならない」 / 「その他」 / 「答えたくない」
    I ) 「ご自身の性別(自分で認識している性別):(  )」 / 「恋愛対象となる性別:(  )」
    J) 「男性」 / 「女性」 / 「ノンバイナリー※」 / 「回答しない」

    ※『ノンバイナリーとは、男性と女性という2つの性別の枠組みに収まらない、または当てはまらない性自認を指す言葉。自分の性別を男女どちらでもないと認識する、あるいは男性と女性の中間や、両方を包含するようなジェンダーアイデンティティを持つことを意味する』(『』内は最近流行の”AIによる文章”).
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    このように多様な選択肢は、LGBTQなども発現という現代の多様”性”社会を反映しているが、さてこれに否定的な大統領がいる某国ではどうなっているのでしょうか?

    ◎「職業」の回答選択肢に「年金生活者」や「専業主婦・主夫」が登場!

    昔は職業回答選択肢として、「会社員」、「公務員」、「自営業」・・・など並ぶ最後の方に「無職」が設定されていたが・・

    現在は、同じ無職でも分離して「無職」の他に「年金生活者」または「定年退職」という選択肢が増えている。

    その結果、”ではここで言う無職とは何か”ということで、「無職・休職中・求職中」や「無職・リタイア(休職・産休・育休・介護休職を含む)」などが登場。

    これらの”職業の回答選択肢”の新登場の背景には、団塊の世代が定年退職・リタイアしていても、その多大な人口による生活指向や行動の影響が大きいことにあることは論を待たない。

    また、従来は「専業主婦」という例もあったが最近は「専業主婦・主夫」も出現しだした。

    これも近年の”家事における男女共同参加“傾向の増加を反映。
    ・・・・・・・・・・・・
    以上のように、アンケートの世界においても、社会の流れが観えると同時に、これらアンケート発信をネット調査会社に依頼している企業も”その流れ”の中でヒントを掴もうとしている姿勢がうかがえる。
    ・・・・・・・・・・・・

    今年2025年2月に米国のトランプ大統領が次のようなコメントを出した。

    「私は、2025年2月19日を硫黄島の戦い80周年とすることを宣言する。

    アメリカの自由は80年前、硫黄島の黒い砂浜に上陸し、旧日本軍を打ち破ったアメリカの若者たちによって守られた。すべての米国民が、偉大なる世代の無私の愛国者たちを偲ぶことを奨励します」

    さらに米国国防省は大統領の”DE I=多様性・公平性・包括性“を否定する意向に従って、

    同省のウェブサイトから、太平洋戦争における硫黄島での旧日本軍との戦いでの米国先住民の兵の功績の記述および、有名な「硫黄島の星条旗」の写真も含むページを一時削除したこと(※1)が物議をかもした。

    そして4月7日、天皇皇后両陛下は硫黄島をご訪問。

    この島での旧日本軍戦没者の慰霊碑、軍属として戦死した島民の慰霊碑、日米両軍の戦没者の慰霊碑をそれぞれ拝礼された。

    (左)雨中で献花・拝礼 / (右)軍属として戦死した島民82名の慰霊碑 (TBSテレビより)
    tennou-kougou

    そこで今回は硫黄島にちなみ、特に先記の「硫黄島の星条旗」の写真についての”ある誤解”が長年にわたって米国内でも日本でも流布されているものの

    ”事実はこうであった”という情報が少々集まったのでご紹介。

    本題に入る前に・・

    ◎「硫黄島」の現在の読み方は「いおうとう」!
    従来は「いおうとう」と「いおうじま」の二通りの読み方が通用していたが、

    2006年に国土地理院の地形図において「いおうとう」が採用されたことで、現在これが日本の東京都に属する硫黄島の正式な読み方とされる。(※2)

    しかるに米国は太平洋戦争中も現在も「Iwo Jima (イオウジマ)」と読(呼)んでいる!

    米国がイオウジマとする根拠は、旧日本軍自体が「いおうじま」と呼んでいたからとされる。

    ↓太平洋戦争中の硫黄島の戦い終了の数か月後に公開された短編ドキュメンタリー映画(※3)のタイトルで「IWO JIMA」の表記が!
    iwojima-title

    また2006年公開の映画「硫黄島からの手紙」(米国製作、監督:クリント・イーストウッド、出演:渡辺謙ら)のタイトルも「LETTERS FROM IWO JIMA」となっている。

    ↓先述のトランプ大統領のコメントのタイトルを表したホワイトハウスのウェブページにも「IWO JIMA」
    presidential-action

    そして、もう一つ・・

    ◎「硫黄島の戦い」の概略
    現在は東京都小笠原村に属する硫黄島は火山島で、東京から1250kmに在り、

    面積約30平方キロ(大戦時は約20平方キロだったがその後の火山活動で隆起し拡大)。

    島の南西端にあるのが標高127mの擂鉢山(すりばちやま)。この山以外は全域がほぼ平たん地。

    現在の硫黄島の擂鉢山 (TBSテレビより)
    iwotou

    太平洋戦争末期にこの島で日米軍が激戦をくりひろげた。

    (日本軍:約2万人に対して 

    米国軍は上陸部隊員約11万人。援護の艦船部隊員を含むと総勢25万人)

    戦闘開始(米海兵隊上陸) 1945年2月19日~戦闘終了3月27日

    (但し、米軍は上陸前の2月16日から島に向けて艦砲射撃を開始。 

    そして米軍は3月15日には硫黄島の完全占領を発表。

    日本の大本営も3月21日に硫黄島守備隊の玉砕を発表している。)

    ↓米軍の艦砲射撃弾が擂鉢山山頂に着弾した瞬間の火炎 (ディスカバリーチャンネルより)
    ioutou-attak1

    戦死者:日本 約19900人(諸説あり) (日本軍は玉砕とされたが、捕虜として1033人は生存)
         米国 6821人

    この戦いでの日本側の総指揮官が中将の栗林忠道(戦闘中に大将に昇格)。

    指揮下に戦車隊長の西竹一大佐(1932年ロサンゼルスオリンピック馬術の金メダリスト※4)がいたが・・

    両人とも巧みな戦術を指揮して奮闘するも戦死。(自決か否かは諸説あり)

    ◎いわゆる「硫黄島の星条旗」の写真は演出ではなかった!

    ↓これが有名な写真「硫黄島の星条旗」
    flag-pic2

    従来は米国内でも日本でも、”この写真は撮影のために演出したもの”という話が流布されていて、私もつい最近までそう信じていた。

    しかし、事実は”演出ではない”ということが、実は早い時期に判明していたにもかかわらず、広く誤信が続いていたということで、その経緯は・・

    米国海兵隊は上陸して早くも4日目には、日本軍が砲台を置いていた擂鉢山山頂を奪取した。

    そこで山頂に星条旗を立てることになり、先ず3人の海兵隊員と衛生兵1人の4人が旗を立てたものの、

    その旗が小さいので目立たないということで、

    さらに別の隊員たちが大きい星条旗を運びあげて6人がかりで立てようとしたところに、

    ちょうどAP通信のカメラマンのジョー・ローゼンタール氏が擂鉢山を登ってきて、この写真を撮った。

    ↓ジョー・ローゼンタール氏
    photographer

    続いてローゼンタール氏は山頂に集まった海兵隊員16人と海軍衛生兵2人の一団に(海兵隊発祥の呼び名で、日本で言う”万歳 !”のような仕草の)「ガンホー」のポーズをしてもらったところも撮影した。

    ↓ガンホーポーズの写真 (ディスカバリーチャンネルより)
    flag-with-men2

    そしてローゼンタール氏は「硫黄島の擂鉢山の頂に星条旗を立てる6人の兵士たちの写真」(後年に「硫黄島の星条旗」と呼ばれる写真)をすぐにAP社に送り、

    それが2月25日には米国の新聞に掲載され、続いて数々の雑誌の表紙などにも採用されて広まった。

    また「ガンホーポーズ」の写真も知られるようになってからの ある日、

    「TIME」誌のインタビューで、「あの写真はポーズをしてもらって撮影したのか?」という質問に対してローゼンタール氏は、「ガンホーポーズ」の写真のことについての問いと思ったので、「そうだ」と答えたのだが、

    TIME誌側は”「硫黄島の星条旗」の写真はポーズをとってもらって撮影したもの”として掲載したので、

    誤報であるその内容がまたたくまに米国内のみならず世界中に広がった。

    ところが実はローゼンタール氏が「硫黄島の星条旗」の写真撮影をした際には、

    すぐ近くでほぼ同じ角度から、別の従軍カメラマンのビル・ジェノウスト氏がカラー映画フィルムで一連の動きを撮影をしていたので、

    それを観れば”ポーズをしての行動ではない”ことは明らか
    なため、TIME誌は後日に訂正したが、

    既に誤報は広がってしまっていたことが現在にも続いている状態。

    (映画撮影したビル・ジェノウスト氏はその後この硫黄島で戦死)

    ↓ビル・ジェノウスト氏撮影の映画フィルムに映るシーンの一コマ。
    color-flag

    その後、この写真によってローゼンタール氏は1945年度のピューリッツアー賞(写真部門)を受賞した。

    ↓そして1954年には、氏の写真を基にした「海兵隊戦争記念碑」がワシントンDCに設けられた。
    statue
    (↑画像はディスカバリーチャンネルより)

    ・・・・・・・・・・・・
    ※1:米国の国防省事案?について・・
    硫黄島の戦いにおける海兵隊員で”米国先住民ピマ”のアイラ・ヘイズ氏を紹介していた国防省のウェブサイトページを一時削除した。

    ヘイズ氏が摺鉢山で星条旗を立てた海兵隊員6人の内の一人である上に、

    削除されたページにはこの写真とともに「軍だけでなく、あらゆる分野での先住民の貢献と犠牲を振り返る時だ」との記述があった。

    このほか、先住民ナバホの言葉を生かし、硫黄島などの戦地で重要な役割を果たした暗号通信士「ナバホ・コードトーカー」に関する記述も削除された。

    ※2:硫黄島の読み方が「いおうとう」とされた背景は・・
    もともとこの島の住民だった人々が「いおうとう」とよんでいたから・・と言われる。

    これは近年の世界的傾向である"地名(に限らずあらゆるもの)は現地での呼び名を採用"するという流れに沿ったのであろう。

    ※3:米国映画「TO THE SHORES OF IWO JIMA」
    製作:米国海軍および海兵隊 / 公開:1945年6月7日(硫黄島戦終了の70日後) / 上映時間47分

    ※4:西 竹一氏は・・
    陸軍軍人であるが男爵でもあったので愛称は「バロン西」。

    硫黄島の戦いにおいては「米国軍側は有名なバロン西が参戦していることを知っていたので、

    彼が死を選ばずに投降するように呼び掛けた」という話が流布されているが、これは事実ではないとされる。
    ・・・・・・・・・・・・・
    栗林忠道氏についてはエピソードが多く、文章量が多くなるので、今回は割愛しました。
    ・・・・・・・・・・・・・

    またまたベンチについてです! (第4弾)

    ◎「グラングリーン大阪」のベンチ
    今、大阪は万博に向けて頑張っていますが、「グラングリーン大阪」と名付けられた”大阪駅北側地区の大規模再開発”も進められていて、一部が完成し、その中で出現した「うめきた公園」には新しい試みのベンチ類が設けられている。 それが・・

    〇 アート作品兼ベンチ
    彫刻家ケイト・トムソン氏の作で素材は大理石。(下左写真)
    g.g.osaka

    〇 円弧状に長く延びる歩道兼ベンチ (上右写真)
    “池を一部含む広場”の周囲を円弧状に沿わせた芝生ゾーンに緩い傾斜を付けて、そこに高位置、中位置、低位置に、歩道にもなるが”超長いベンチ”にもなるように配置した。(左側の高位置から右へ低くなり中位置、低位置となっている。 歩道の巾の半分は一段低くなっているのでベンチになる)
    (写真は建築家の「j . inokuma氏インスタグラムから引用)

    〇 結果的に”痛い目にあっている”ベンチ
    この「うめきた公園」“に限らず「グラングリーン大阪」全体の中で設置のベンチは(冒頭の” アート作品兼ベンチは別にして)以前にご紹介した”いわゆる「排除ベンチ」”は採用していない。

    しかし、伏兵現る ! それはスケートボーダーたちで、障害物が無いベンチをいいことに、ベンチの縁を滑って座面の角は削るし、引っ掻くは、汚すはで、公園管理者は今後重犯者には罰金を科すことも辞さない構え。
    ↓傷んだベンチ(産経新聞web版より)
    wounded-bench
    こうなると、悪質スケートボーダー対策を目的とした”排除ベンチ”も必要か?

    ちなみに、昨2024年5月末時点での日本のスケートボーダー人口は約3000人。対してボーダー専用の「スケートボードパーク」は全国に475ヵ所であり、まだ少ないことも影響していると言われる。
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    さてベンチにも色々あり・・

    ↓右:石材のベンチ(長崎 水辺の森公園のHPより)
    stone-bench

    ↓右:コンクリート製のベンチ(座面は木板)(日本興業(株)のHPより)
    conkri-bench2

    ↓(左):竹製縁台:軽く、脚部が折り畳め、可搬(永井製竹(株)のHPより)
    ↓(右):低山ハイキングコース途中の木製ベンチ(神奈川県・高根山)
    bmb-ntrl-bench

    その他、目的と形状、素材のちがいによって多様なベンチがありますが・・

    ◎ベンチそのものへの要望!
    ベンチのメーカーへお願い! それは・・雨後や誰かが何かで濡らした後に「今このベンチ(の、この分部)は濡れています」ということがはっきり分かるようにしてほしい !

    戸外で使われるベンチは雨などの水気を吸わず、溜めない、そしてすぐに乾くための材質や構造であるのが基本でしょうが、実際は完璧に行うのは無理なようなので・・

    ↓雨後のベンチの座面からなかなか消えない水気
    raindrop-bench

    私は、座る前に一応ベンチの座面の様子を見るのだが、”実は濡れている、湿っている、または水滴が残っている”と分からずに座ってしまい、服に水気が浸みた経験が何度もあるので・・

    例えば、座面の濡れている、湿っている部分は本来の色とは異なった色になっていて、乾いたら元の色に戻ったら良い!

    ◎ベンチ設置、増設の要望
    世界トップクラスの超高齢社会の日本では、ショッピングしたり散歩したりで歩き回る際にチョイと休みたい人が”昔より増えている”ことは間違いないのでベンチはもっと増えるべき!

    現在、既に一部の大型ショッピングモール屋内の通路や屋外、電器量販店の店内通路などでは随所にベンチを置いている例がありますが、まだまだベンチが欲しいと感じる場所(屋内/屋外)は多いもの。

    ↓家電量販店内フロアのベンチ(家電品の品選びは歩き回るので疲れる)(「ケーズデンキ」にて)
    ks-bench-double

    ◎立ち仕事にも補助椅子の時代だから・・!
    ベンチではないが、働く場においてもちょいと座るための椅子が出現している。

    これは、少子高齢社会で若年労働人口が減り、中高年ワーカーの存在が重みを増している表れで・・

    そのために、勤務中の足腰の負担を軽減する必要から生まれたもので・・例えば・・

    『スーパーアークス戸倉店(函館市)は昨2024年10月から店内のレジ打ちの人のための小型の椅子を配備したので、混みあう時間帯の合間には軽く腰をおろすことができるようになった。

    元々レジ打ち作業は体力的負担が大きいために敬遠されがちであるので、レジ担当の中高年の人から大いに歓迎されている。

    また、警備会社のRMフォース社(東京)も昨年から、椅子に座って行う「座哨警備」という方式を採用した。

    これは顧客(警備依頼者)の承諾を得て駐車場警備などに折り畳み椅子を持参して、クルマの出入りがない時は座って警備を行うもので、椅子の背には「座哨警備実施中」と表示して理解を得るようにしている。

    これの導入で体力消耗が減るので、実際のところ”週4日勤務だった人が5日 働けるようになった例もある”とのこと。』 (『』内および下の写真は「東京新聞」より)

    ↓(左)スーパーのレジ打ちの人用の椅子/(右)「座哨警備」中の様子
    sit-work

    このような世の中の動きからみても、ベンチの必要性も増していると言える !

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    余談
    ・「ベンチプレス」でバーベルを持ち上げるのに、体を仰向けに横たえるための台もベンチと言う。

    ・「ベンチがアホやから野球がでけへん」と発言してプロ野球選手をやめた江本孟紀氏(現、野球評論家)の件は有名ですが、この場合の「ベンチ」は監督やコーチを意味するもの。

    ・「ベンチマーク/ベンチマーキング」という言葉が近年 使われるようになっていますが、「ベンチマーク」は本来、測量における水準点を示すものだが、今や色々な分野での指標や規範などを意味するものとなっている。

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    AED(自動体外式除細動器)とは、心臓がけいれんして血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器。

    ↓AED機器一式の一例 本体寸法:約20X25X10センチ(日本光電工業(株)製品)
    aed-total
    2004年に、一般の人でもAEDが使えることになり、普及する中で、これを使って”救命される機会”の男女比は女性が少なくなりがちで、言い換えれば”男女被救命機会均等”ではない状態になっている!

    その誘因を表す一件が・・

    ◎AED使用が”わいせつ”で訴えられるというデマが発生!
    AEDを使って”心肺停止した女性”を救命した男性が、その女性の親から「強制わいせつ」(不同意わいせつ)で警察に被害届けが出されたという事例が発生したとして今年2025年1月にネット上で拡散して話題になったものの・・

    その後そのような事実は無いという警察からの発表があって、この件はデマであったことが判明。

    ただし、これがデマでなく事実だとしても、この男性の行為に違法性は無く無罪であると弁護士は断言している。

    しかし、”AEDの女性への使い方の現状が「強制わいせつ」感を生じさせる”可能性は、容易に察せられる。

    そうならば特に男性は女性へのAED使用を差し控える事態になってしまうから、結果として”男女心肺蘇生機会均等”ではないことになる。

    これに関連した実例としては・・あるマラソン大会で走っていた女性が突然倒れたが、駆け付けた男性係員は、措置対象が女性であることで救命行動を躊躇してしまい、

    かわりになる女性係員を呼んでいる間の時間を要したので、

    AEDによって一命をとりとめたものの脳機能が損傷したため身体マヒが残ってしまった。

    これは措置対象が男性だったら普通の状態に戻っていたはずだった。

    ◎AED使用が”わいせつ”感を生じさせる理由
    このように特に女性が「わいせつ感」を抱く状況は、AED使用を含む心肺蘇生措置”が実行される中のある部分で発生するが、そのおおまかな実行過程とは・・

    倒れた人を見たら ⇒ 119通報とAEDを持ってくるように周囲の人に依頼 ⇒ 胸骨圧迫(心臓マッサージ)と人工呼吸を交互に行う(人工呼吸は省略可)  ⇒ AEDを設定 ⇒ 電気ショック実施 ⇒ 再び胸骨圧迫と人工呼吸行う(救急車が到着するまで)

    この一連の「心肺蘇生法」のことを「CPR」とも言う。

    ※手順の詳細と注意点については・・
    https://www.aed.omron.co.jp/aed/procedure.html

    その心肺蘇生措置の過程の中で ”AEDを設定” が問題の部分で、

    AED本体からのコードにつながった”パッド”を倒れている人の右鎖骨下と左わき腹に張り付けて(下図参照)から電気ショックが行われるのだが・・

    AED-PAD
    (図は「日本光電工業(株)」のHPから)

    この図で分かるようにパッドを急いでしかも的確な位置に貼るには上半身の肌の大部分を露出させる。

    そこで”蘇生措置を受ける人が女性”の場合が問題になり、

    特に上図での男女が逆ではなおさらのこととなり、これが女性としては「わいせつ感」を生じることとなる。

    しかし、蘇生措置を受ける人も行う人も、躊躇している場合ではない理由は・・

    ◎心肺停止後10分で死亡するが、救急車はそれに間に合わない!
    人は心肺停止後・・
    10秒後:意識無くなる
    1分以内:蘇生措置すれば救命率95% 
    3分以内:蘇生措置すれば救命率75% / 脳障害発生ほぼ無し
    5分以内:蘇生措置しても救命率25% 
    8分経過:救命可能性は極めて少ない 
    (別の表現では・・心肺停止後1分ごとに救命率が7~10%ずつ下がる)

    しかるに、119番通報してから救急車到着までの平均時間は10分
    (別データでは8.6分や10.3分)

    しかも実際は救急隊員が患者への対応を始めるまでの時間を含めると平均13.6分かかる。

    このことから救急車到着を待つことなく躊躇せずに蘇生措置を実行しなければ死亡することになる。

    ◎女性へのAED使用時の配慮
    躊躇せずに実行と言ってもやはり女性への配慮ができれば、蘇生措置をされる人(以下便宜上「患者」と表記)も、する人(以下便宜上「措置者」と表記)もやりやすいということで、推奨されているのは・・

    〇 患者が女性の場合、措置者は女性に。

    〇 患者が女性の場合、その周囲を複数の人に立ってもらい、目隠しとする。

    〇 患者が女性の場合、衣服は必ずしも脱がさなくてもよく、
    二つのパッドを貼る位置にあたる衣服の部分だけをめくって、またブラジャーはずらすなどして行う。(ただしブラジャーにワイヤーがある場合はパッドから遠ざける)

    〇 患者が女性に限らないが、ネックレス(真珠など非金属モノでも留め金などは金属)など装飾は取り去るか、パッドから遠ざけて行う。

    これに加えて、私が提案するのは・・

    〇 患者が女性の場合、AED使用時のみに患者に不透明シートをかけて実行する。とっさの場にシートは無いだろうから、このシートはAED装置一式の中の一つとして含め、ケースに内蔵させておく。

    このシートの目的は、女性患者を外部の視線から守るのは勿論、シート表面には「救命用AED使用中」と目立つように大きな文字を配置して、措置者の行動が怪しまれないようにするため。

    〇 タオルも同様にケースに内蔵。これは運動中または夏季などで患者が汗をかいている場合にはタオルで体を拭かないとAEDの電気ショックが失敗するから。

    ところで、女性への蘇生措置でもう一つ課題があり、それは・・

    ◎女性への胸骨圧迫のリスク?
    蘇生措置の中の胸骨圧迫では、患者が成人の場合は胸が5センチほど沈むように、二本かさねた手のひらの根元で、体重をかけながら1分間に100回のペースで30回押す。

    このような方法なので、特に骨粗しょう症が多い女性はこの胸骨圧迫で骨折の可能性が大きい。

    ※患者が1~8才では体厚の1/3が沈む程度に押す / 1才未満には指2本で押す
    senior-sosei

    骨粗しょう症は女性のほうが男性よりも2~3割ほど多く、

    女性の60才代では5人に1人、70才代では3人に1人が該当するとされる。

    先日テレビのドキュメンタリー番組では、90才代の心肺停止女性が胸骨圧迫で蘇生に成功したものの・・

    担当医師がその女性の家族に対して「肋骨が多く折れたので、今後の処置を相談したい」と言ったところで映像が終わっていたが、厳しい実情を知った次第。

    このように、特に女性への胸骨圧迫処置には骨折のリスクを伴いがちなので、この措置が躊躇されるならば、ここでも”女性の被救命機会”を得るのにも不利となる。
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    そしてAEDの実際使用上の課題は・・

    ◎AEDの設置場所に関連した改善が進んでいるが・・
    現在、日本全国にAEDは約69万台設置されて普及が進んでいるが、

    実際の使用上の問題はいくつかあって、それに対する改善策もでてきていて・・

    〇AEDの多くは建物内に在るので、夜間や休館などでは建物入り口が施錠されていて入れずに、AEDが取り出せない

    ⇒最近、ある自治体では小中学校の体育館入り口付近や運動場などの”屋外にAEDを設置”開始して、

    学校関係者のみならず一般人も24時間、取り出して使用可能としたという例も出てきた。

    我が町の公民館内のAEDは建物が夜間は施錠されるので夜は使えない!
    aed

    〇 AEDが必要な事態になって、いざその場から最も近い設置場所を探そうにも、見つけるのが困難。

    ⇒最近は、緊急事態発生場所に近いAED設置場所がスマホに表示されるサイトができている。

    しかも日々増える設置場所の追加表示も、このサイト利用者からの情報提供(投稿)で随時アップされる仕組みにしてある。現在35万3千カ所が提示される。

    それが 
    ⇒ 「日本全国AEDマップ」 https://aedm.jp/

    その他、AED設置場所提示が投稿によらないで作成されているサイトもある。

    しかしこの方法も最適な設置場所を探し当てるには、ある程度の時間がかかるもので、

    一秒でも早い結果を得るためには今後 ⇒スマホの位置情報から自動的に”も寄りの設置場所”を提示するようになれば良いのだろう。

    ・・・・・・・・・・・・
    余録1)
    胸骨圧迫は1分間に100回のペースが目安ということだが、私がAED操作講習を受けた際には、

    童謡「うさぎとかめ」の「もし もし かめ よ かめ さん よ・・」の歌にのせた調子がよいと教えられた。

    余録2)
    心肺蘇生方法は時代とともに進歩
    して改変されるので注意が必要。

    その内容は「日本蘇生協議会(JRC)」によって5年毎に発表される新ガイドライン(現在は2020年発表版)によるもので、例えば・・

    〇 人工呼吸は必須ではなくなった。

    (2004年に一般人でもAED使う蘇生方法が解禁された2年後の2006年に私が受けた講習では、人工呼吸の実技指導もみっちり行われたが、

    近年では必ずしも必要ではないとされ、特にコロナ禍期以降は” 人工呼吸を行わない”とされている。

    〇 胸骨圧迫回数は以前の”15回連続で胸を押す”から”30回連続で胸を押す”に変更されている。

    〇 胸骨圧迫の強さは以前の”胸が3~5センチ沈む”から”胸が5センチ沈む” に変更。

    余録3) 
    AED普及台数:2022年=約67万6千台 ⇒ 2024年=約69万台 
    AED使用率=約4%

    余録4) 
    AEDによって救命された人数または有名人(日本国内)

    2005年:12人・・内2人は「愛・地球博」(会期185日/2200万人)の会場内で

    2009年の「東京マラソン」で・・
    松村邦洋(救命体制が良かった:AEDは1km毎に配置、専門スタッフ多数)
    matumura2
    2019年:703人

    2022年:618人(コロナ禍で減少)

    2004年~2022年:累計7656人
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    3月8日の「国際女性デー」は”女性の地位向上とジェンダー平等を推進するために”国連で1975年に制定されてから今年が50周年とのこと。(関係ないですがこのブログ発信が200回目にあたります)
    womens-day

    ところが日本では、教育を受ける機会、働く機会などにおいてまだまだ男性優位なことが多く、その点においては後進国状態。

    これについては、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法の施行、そして今国会には「女性管理職比率の公表義務化」(従業員101人以上の企業対象)の法改正案を提出予定など、状況改善に向けて進められている。

    しかし、このような方策の結果で”男女間の均等な機会”が生まれたとしても、人間の男女の生理的・肉体的相違だけは厳然として存在するので、これを解消してこそ本当の”機会均等”言い換えれば”男女が同じ土俵に上がれる”状態となる。

    実際の例としては適当とは言えないでしょうが・・つい最近のテレビのルポでは”ロシアでも女性が男性と同様に兵士になる者がいるが、彼女らは「経血が多くて軍服のズボンに浸み出すことがあり、それが乾いて布が硬くなって股が擦れて痛いのだが戦場ではそれに対処できるものではないので、どうしても動きにくくなる」という苦境を訴える姿”を伝えている。

    このような女性の状況を打開するために女性の心身の課題をテクノロジーで解決する商品やサービスの提供は大きなマーケットになると気付いたドイツの起業家のイダ・ティン氏(何だか「韋駄天」を連想するが、デンマーク出身の女性)が2016年に提唱したのが・・

    ◎「フェムテック」
    「フェムテック」はFemale(女性)とTechnology(テクノロジー)の合成語

    具体的には月経関連、妊娠関連、更年期障害関連、美容関連、働きやすさ・活動しやすさの支援サービスやグッズなど。

    日本におけるフェムテックという言葉の普及には、「健康博覧会」というイベントの場で使われ始めたことが大きく影響しているように思われる。
    signboard

    それはこの「健康博覧会」が老若男女を問わず広く健康や美容に関連する企業を集めて展示・訴求の場として毎年開催されて今年43回目となった伝統ある存在で、主催:インフォーマ・マーケッツジャパン/後援:日本貿易振興機構=JETRO。参加企業:国内外500社、来場者(3日間)4万人という規模。

    その「健康博覧会」において「フェムテック」の呼称が使われ始めてから7~8年にも及ぶからだ。
    こうして、最近では多くのマスコミにも出現するようになった。
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    ↑↓「健康博覧会」開催の様子
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    また「フェム○○」という言葉も増えて・・

    昨2024年10月には「フェム プラス 2024」という、女性のケアのための製品・サービスの展示会が開催されて、国内外141社、298商品が出品された。
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    fem-plus2

    出展商品の一例は、”出産直前時に必要とされる いきみ逃し(いきまないようにサポートする)”グッズ「まさポ」 (タニティ・さポートからネーミング)(株式会社Spica)
    masapo

    従来はテニスボールやゴルフボールを妊婦のお尻に当てて押していたが不衛生な上に形状も最適とは言えなかったので、藤田医科大学の看護チームと共同開発したもの。
    ↓使用状態:自身で/パートナーまたは看護師の手を借りて (Spica社のHPより)
    masapo-htu
    ↑使用法詳細は・・ https://masapo.jp/

    その他、”生理前の「精神的疲労感」、「眠気」、「晴れない気持ち」を緩和する効果”がある”CP2305ガゼリ菌配合“の機能性表示食品「わたしプロローグ」(アサヒグループ食品株式会社・カルピス通販) この機能のサプリとしては日本初とのこと。
    watasi-prologue

    ◎話題の書「産む気もないのに生理かよ」にはフェムテックを!
    昨2024年12月に初版発売した本「産む気もないのに生理かよ」(飛鳥新社 1760円)の著者である月岡ツキ氏は既婚の31才で子供無し。
    umukimonai

    氏は著書の中で“自分の意志によって子供を産まない理由”を40条もあげ、その中には「そもそも他人の人生をかってにはじめていいのか?」・・というものもあるそうで、こういう考えの人も認める多様性社会とすれば、子供を産まないと決意した人向けの”フェムテックも考えられるのでは?

    さて、このように男女の生理的・肉体的相違の解消に向けて特に女性のためのフェムテックが盛んに現れてきたら、男性にも同様な方策が与えられる”機会均等”も必要ということで、最近出現が増えた言葉が・・

    ◎「オムテック」あるいは「メンテック」
    「フェムテック」に対しての「オムテック」という呼称は、フランス語で女性は「femme(ファム)」、男性は「homme(オム)」というところから出てきたものでしょう。(英語では女性=Female、男性= maleだから)

    そこで「オムテック」が使われ始めて一般化するかと思われたが、どうもそうはならないようで・・

    実は従来から(株)「オムテック」という名称の会社が多数(多様な業種において)存在することやアンファー株式会社から”妊活を女性だけのものにしないウエルネスブランド”の「オムテック」という商品が発売されているなど、「オムテック」が一般名称ではないことになっている一方で、

    一般社団法人「日本オムテック協会」が”男性の「かっこいい」を追求する”をスローガンにしている。

    このような呼称の混乱状況を避けるためか、使われ出したのが「メンテック」で、伝統ある「健康博覧会」でも「フェムテック&メンテック」という表現をしている。

    f-m-tech

    なんとも”「フェム⇔オム」というバランスがとれた呼称”が崩れる状態はすっきりしないが・・

    とにかく男性にも更年期障害、妊活、育児休業、父子手帳、などへの対処が必要となるが、この分野はまだ発展途上にある。

    以上、男女の生理的、肉体的相違解消のための方策である「フェムテック」と「メンテック」をとりあげて、家庭や社会の中での男女の行動の機会均等の実現に向かっている様子を述べましたが・・

    最近、男女の行動の機会均等に関して問題になっているある件については、次回に・・
    ・・・・・・・・・・・・

    先日テレビで紹介されたある楽器。それは音楽関係の方なら珍しくもないのでしょうが私としては実に数十年ぶりに聞く名前だった。・・それが・・

    ◎「ツィンバロン」!
    現在NHKテレビで放送中の「大河ドラマ『べらぼう』のタイトル画面が現れると同時に流れるオープニングテーマ曲の初めの10秒間くらいによく聞こえるのが「ツィンバロン」という楽器の音です。」・・と、同じNHKの別番組「ひるまえ ほっと」の中で紹介された。

    →タイトルと同時にツィンバロンの音から始まる曲:
    https://www.youtube.com/watch?v=CQkMDSWltOI

    tuinbaron3

    「ツィンバロンはハンガリーの民族楽器で135本の弦を2本のバチで叩いて音楽を奏でる”打弦楽器”。ということは音を出す基本のカタチはピアノと同じで、ただピアノは鍵盤を介して弦を叩くところが違う。

    ツィンバロンの形状とバチ(先端は綿がきつく巻いてある)と演奏の様子がわかるのが下の画像↓(NHKテレビ「ひるまえ ほっと」より)
    tuinbaron1

    ◎「ハーリ・ヤーノシュ」という曲で知ったツィンバロン
    今から60年ほど前、1965年頃だったかに私が購入した(オープンリール・テープレコダー用)ミュージックテープが「ハーリ・ヤーノシュ」(イストバン・ケルテス指揮、ロンドンシンフォニックオーケストラ)だった。

    そのテープは残っているが私にはテープレコーダーがもう無いので聴くことができない!
    kodaly

    この曲はハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターン(1882~1967)作の組曲で、曲中に祖国の民族楽器であるツィンバロンを登場させていて、しかもその打音を大きく響かせるパートがあるので、その特有な(ちょっとだけ日本の琴に似た)音は私の耳に焼き付いた?のだった。

    先にご紹介した「べらぼう」冒頭に流れるツィンバロンの音は控えめなので聴き取りにくかった方には、この「ハーリ・ヤーノシュ」(Juraj Valčuha指揮、フランクフルト放送交響楽団)をどうぞ・・曲中、ツィンバロン演奏の音がよく聞こえる部分が何カ所かありますが、中でも開始20分25秒から30秒間くらいがよく分かります。→ https://www.youtube.com/watch?v=ym2QvHQNyPU

    ↓フランクフルト放送交響楽団演奏中のツィンバロン奏者
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    ↓その奏者がバチで叩いているツィンバロン
    twinbaron-orche2

    ※You Tubeで他のオーケストラの演奏もいくつかみられ、中にはツィンバロンの代わりにマリンバ(木琴)を使っている例があり、私も聴いてみたがやはりその音ではこのハーリ・ヤーノシュには馴染まないと感じざるを得なかった。

    《余録1》「べらぼう」でのツィンバロン奏者:斎藤浩 氏
    このドラマのテーマ曲でのツィンバロン奏者の斎藤浩 氏は、大阪音楽大学作曲学科卒業後、ハンガリーのリスト音楽院で学び主席で卒業し、その後にアジア人で初の「ツィンバロン・ソリストディプロマ」の資格を授与されている。

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    (↑NHKテレビ「ひるまえ ほっと」より)

    テーマ曲の作曲者であるジョン・グラム氏は「このドラマはグローバルな視点からも見られるべきだと考えて、東洋的でも西洋的でもない曲作りにハンガリーのツィンバロンを採用した」と述べている。

    蛇足ながら、35年ほど前のこと、私の職場に大阪音楽大学卒の女性社員(つまり斎藤浩氏の先輩)がいて、何かの会話の中で彼女の口から” ツィンバロン”という言葉が出てきたので、

    私の中では久しく忘れていた楽器の名が懐かしいと思うと同時に、さすが音大卒!しかしそれは音楽関係者の中では常識なんだろうなとも思ったことであった。

    《余録2》「コダーイ・ゾルターン」か「ゾルタ(ー)ン・コダーイ」なのか?
    組曲「ハーリ・ヤーノシュ」の作曲者の名前は、昔は「ゾルタン・コダーイ」と表記されていて、私もそう覚えていたところが、現在では「コダーイ・ゾルターン」となっているので、なぜかと思って調べたら・・

    「コダーイ」は姓であり、「ゾルターン」は名であり、ハンガリー語圏では日本語と同じ”姓・名”の順の表記となり、インド・ヨーロッパ語圏の表記では”名・姓”となる。

    つまり昔は英語圏式の読みだったが、近年では”表記は現地での読み方・呼び方を採用する”という流れになり、これに沿って変わったものだろう。

    ちなみに、我々日本人を含むアジア系やアフリカ系人種のお尻などに出現する青い色の「蒙古斑」がハンガリー人にも少なからず出現することもよく知られている。

    《余録3》「ハーリ・ヤーノシュ」は聴いて楽しい
    「ハーリ・ヤーノシュ」という組曲は気軽に楽しめるもので、主人公である夢想家でホラ吹きの老兵ハーリ・ヤーノシュが居酒屋で語る話の内容を器楽で表現したもので・・

    まず一発クシャミをしてから始まる話は、ウイーンの音楽時計からは小さな兵隊が出てきたり、恋人のこと、はては敗北したナポレオンがハーリに助けを求めた・・などというもの。

    《余録4》音楽とナポレオンと言えば・・
    ハーリ・ヤーノシュの曲中にナポレオンをあつかった部分があったとは知らなかったのですが、音楽とナポレオンの関係と言えば、有名なのが、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」とチャイコフスキーの序曲「1812年」。

    ベートーベンは当初ナポレオン・ボナパルトを賞賛していて、彼を讃えた交響曲の作曲にとりかかって、その曲名にボナパルトの名を冠していたが、やがて皇帝を名乗り独裁者となったことに激怒して、曲名を単なる「英雄」にしたという。

    チャイコフスキーは楽譜出版社と友人から小曲を依頼されたが、気乗りしないまま1880年に作曲したのが序曲「1812年」(演奏時間17分弱)。この1812年はナポレオンがロシアに遠征して冬将軍にもあって敗退した年。曲の最後には大砲の音を入れることが楽譜上で指定されているが、ライブ演奏では無理なもののレコードやCDなどでは実際の大砲の音をミキシングして入れているものがある。
    ・・・・・・・・・・・・

    前回に続き、ベンチについてですが、まずはちょっとした私の体験から・・

    ◎選挙違反でベンチにて過ごす人?
    今からもう半世紀前、私が大阪勤務時代のある休日の午前中のこと、

    友人との待ち合わせのため公園でぶらぶらしていたら、

    ベンチに一人じっと座っていた人が突然私に向かって

    「あんたも逃げとんでっか? 私も選挙違反に関わっとんで家におるとマズイっちゅうわけでここにおるんですワ」

    ・・と私を同類にしたいような言葉をかけてきたので、”世の中、こんな人もいるのだ!”と知ったのでしたが、

    そんなことで逃げきれたのか、その後どうなったのだろうか? それは丁度 市議選直後の出来事だった。


    さて、ベンチも色々ある中で、ちょっと気になるベンチは・・

    ◎エコマテリアルベンチ

    ○廃木材の粉と回収汚泥を有効利用したベンチ
    木材の廃材を粉末化したものとプラスチックを混合して作られた(いわゆる)「ウッドプラスチック」の板を座面に使い、下水汚泥などを処理して小石のようにしたもの(スラグ)を混ぜたコンクリートで作った支柱台のエコマテリアルベンチ。(下図はその一例:「モリマーキンキ(株)」製)
    pla-wood-bench1

    ○交通系カードを回収してベンチに利用!
    かつてプラスチック製の交通カード類が大量に使われた時期に、それを回収したものを溶融して細巾の板状にして座面や背もたれに使ったベンチがある。(下画像)

    ↓京王電鉄駅ホーム設置のリサイクルベンチ(東京)
    DSCN0538

    ↓「使用済みカードをリサイクルした」という説明プレートが。
    DSCN0540

    現在では交通カードやキップは極端に減少しているでしょうが、プラスチック製のカードはまだまだ多様な分野で使われているので、それらをまとめて集めればエコ素材として成立するのでは?

    ちなみにテレフォンカードもまだ需要があるから、我が家に近い”買取店”では50度数カードを390円で買い取っている。

    ↓これも役に立つか?私の手許に在る使用済みテレフォンカードと交通系カード。計約210枚・370グラム (ほとんどが拾い集めたもの)
    cards

    ◎自ら光るベンチ
    夜の歩道や庭、遊園地、ビアガーデン、あるいは暗い室内で自ら光るベンチ(またはチェア)が出現し販売もされている。

    本体素材※は半透明で内部のLEDによって全体がぼんやりと光る。
    ※使用素材はポリカーボネート、ポリエチレン、コーリアン(ナイロン開発で有名なデュポン社のアクリル系の人工大理石で世界中で長年多用されている)など。

    多くが防水仕様で可搬型で移動でき、連結できるタイプもある。

    光る色は白が多いが、多様な色に光るものもあり、中にはスマホで色の切り替え操作ができるタイプもある。

    ↓基本形が菱形の組み合わせ/光は16色選択可能/材質:ポリエチレン(「VEROMAN HOME」社)
    veroman1
    veroman2

    ↓本体にはアクリル系樹脂「コーリアン」使用/高さ44センチ(エービーシー商会の商品「ルコリエ」)
    lucorie1

    ↓昼間の見え方と座った状態
    lucorie2

    ↓レギュラー型および組み合わせ可能型の「ライトベンチ」 (泉陽興業(株))
    senyokogyo1

    ↓組み合わせて”逆S字型”に設置した例
    senyokogyo2

    ・・・・・・・・・・・・・

    これらの素材や製品から、さらなる使い途が見つかるでしょう
    ・・・・・・・・・・・・・

    前回、雪で作られたお釈迦様がベンチに横たわる例を紹介しましたつながりで、今回はベンチについて・・

    昔は下図のようなベンチ※が一般的だった。
    kouen-tejinasi
    ※↑ 
    座っているのは歌手フランク永井(故人)。氏自身が最も好きだった曲「公園の手品師」(作詞:宮川哲夫/作曲:吉田正)のレコードのジャケットに使われている写真で、発売された1958(昭和33)年頃のベンチだろう。

    ところで「ユニバーサルデザイン」、「インクルーシブデザイン」、「フォーオール(For All)」などと表現され”モノやコトは子供から高齢者まで、健常者も障がい者も、いかなる立場の人も、誰もが参加しやすく、使いやすいものであるべき”という考え方が提唱されて久しいが、

    ベンチは元来、ユニバーサル的だった。しかし近年“反ユニバーサルデザイン現象”が出現していて・・

    ◎横臥防止意図的ベンチ
    近頃、公園などのベンチに”座面の中間に仕切りを設けた形態”にしたものが多くなった。

    ↓仕切りのあるベンチ:横浜市・開港広場公園
    (「HAMAブロ」より)
    bench-yhm1

    最たる目的は、ホームレスの人が横になって寝るのを防止するため。

    この目的で、かまぼこ型で平らな座面が無いベンチも出現。

    ↓平面の無いベンチ:東京都新宿区
    (「FNNプライムオンライン」より)
    refuse-bench1

    そこでこれらのベンチは「排除ベンチ」や「意地悪ベンチ」と呼ばれるようになった。

    ◎批判続出 !
    昨2024年3月にある人がSNS上で(前記の)「平面の無いベンチ」の写真とともにその存在に疑問を呈したところ、大きな反響があり、ベンチを設置した行政の姿勢を批判する声が多く寄せられた。例えば・・

    《横になって寝させねえという意思ばかりが突出している「排除デザイン」ですね。行政の仕事ってこうやって排除することじゃなくて、そんなところで横になって寝なきゃなんない人をなくすこことなんじゃないでしょうか》

    《役人の考えるホームレス対策 ホームレスを見えない所へ追い払う 見えなくする事が対策なのか、違うだろ》

    《これじゃベンチそのものが必要ないだろう。一般のお年寄りや小さな子供も座れないだろうから》

    《結局誰にも快適じゃないものになってますなー。ソフトなディストピア(ユートピアの反対)》

    ( 上記《 》内は「Smart FLASH」の記事から引用 )

    ◎「排除ベンチ」による悲劇発生!
    2020年、東京・渋谷区のバス停のベンチに居たホームレスの高齢女性が頭を殴られて殺害された事件があったが、そのベンチが仕切りの在る排除ベンチだったためにその女性は横になれずに座ったままで寝ていたそうだ。

    ◎ついに「排除ベンチ」を排除した平塚市
    神奈川県平塚市では昨2024年に、それまで約20年間存在した”排除ベンチ”をやめて普通のベンチに戻した。

    この市を動かしたのは市会議員の江口友子氏で、もともと市議になる以前からホームレスの人への支援に取り組んでいて、排除ベンチの存在は”意地悪である”と感じていたので、”ベンチはあらゆる人が利用できてコミュニケーションが生まれる場であるはず”として排除ベンチの廃止を市に訴え続けた結果、実現した。

    ↓”排除ベンチ”ではなくなったベンチと江口氏 
    (撮影:岡田玄 氏)
    bench-hiratk

    横臥防止目的だけではなく、他人に迷惑かける行為の防止を意図したベンチもある。

    ◎長居防止ベンチ
    真ん中の仕切りに加えて、杭を立てて座りにくくするまでもしたベンチ。その目的は、夜間にベンチに座って (飲酒人間は特に)仲間どうしで話す大声が近隣住民から安眠妨害であるとの苦情が絶えないということで、寝るどころか長居ができないような座面にしたもの。
    ただしこのベンチの有様があまりにもみっともないので、別の方法を考慮中とのこと。

    ↓座りにくく長居できぬベンチ:東京都新宿区
    (「FNNプライムオンライン」より)
    refuse-bench2

    ◎必要な"排除ベンチ"もある
    仕切りを設けたベンチなので、ベンチで寝る人排除になると同時に、座れる人数を指定するベンチであり、” 2人掛けあるいは3人以上掛け向けのベンチに一人で座るものの他人が座るスペースが無い状態にするような迷惑な人”を作らないし、排除する目的もあるベンチ。

    ↓千葉県・市原市の某ショッピングセンターの屋外ベンチ
    haijyo-bench4


    電車内のベンチシートにおいても”けしからぬ行為防止”のために座る位置を限定(指定)するカタチが増えて、仕切りの金属パイプ支柱を一部に設置する他に仕切りをせずに、座面の窪みを指定人数分施すタイプがある。画像は「東洋経済オンライン」より)
    bench-seat

    同様目的で駅ホームなどのベンチにも、仕切り無しで窪みの在る座面を指定人数分施すタイプが多い。
    (画像は「カグロー」社HPより)
    station-h-bench

    ◎”座ることを拒否する椅子”という岡本太郎の作品があったが・・
    岡本太郎(絵画・造形作家:1911~1996)の作(信楽焼:1963年)
    refuse-chair

    (「銀座 おいだ美術」のHPより)

    氏はこの作品の意図を次のように述べた。

    「いわゆるモダン・ファ二チュアの、いかにも坐ってちょうだい、とシナをつくっている不潔さに腹が立つ。
    お尻のひな型であるような、身体がすーっとおさまって沈んでしまい、
    そのまま前途を放棄したくなるようなのは、お年寄りか病人用に限ったほうがいい。
    なにも一日じゅう座りこむわけではない。
    活動的な歩みのなかで、一時腰をおろすだけのもの。
    つまり人生の戦いの武器である。
    生活のなかに生命感のあふれる遊びがない。それが現代の空虚さだ。
    私は素朴な合理主義や機能主義をのり超えて、いちだんと激しい生活感、
    イマジネーションをうち出したかったのだ。
    そこで、椅子でありながら、精神的にも、肉体的にも、 人間と「対等づら」する、こいつらを作った。
    生活の中の創造的な笑いである。」
    (岡本太郎著『原色の呪文』より)

    この椅子はアート作品だから、これを見たり、座ってみたりした人の全てではなくとも一部の人が刺激を受けて共感あるいは反感などの感情が生まれれば、それで存在価値があるが・・

    公共の場のベンチはそうはいかず、機能的にも視覚的にも万人を受け入れるユニバーサルデザインでなければならない。
    ・・・・・・・・・・・・・

    今年は正月早々 テレビでゲームアプリ「メメントモリ」のCMが頻繁に流れた。
    memenntomori

    “メメントモリ”という言葉はラテン語であり、日本語にすれば「死を忘れるな」となり、意訳すれば「自分はいつか必ず死ぬということを忘れるな」ということだそうですが・・

    そう言えば、「人は生まれた瞬間から死に向かっている(近づいている)」という言葉もある。

    そこで「こいつぁ 春から縁起でもないCMだわい!」と感じたものの、「いや、“メメントモリ”を意識すれば”今”を大切に精一杯に生き、”今日できることは明日に延ばさず“・・などの気構えが生まれて今年を充実した年にできる!」から、まんざらでもない!とも言える。

    人それぞれ寿命あり、長命、短命ある中で、私が日頃 気にしているのが”49才で亡くなった人たち”。

    そのきっかけは、今から40年ほど前に私の叔母が がんによって49才で亡くなったので、現代の平均寿命からすれば何と短い命であったことかと思うと同時に・・

    まことに非科学的ですが”49”は”4=死”と”9=苦”が重なって縁起の悪い数字だと思えるようになったから。そして次のような”しく”の付く言葉もある・・

    「四苦(しく)」・・これは仏教由来で”人生の四種の苦痛、即ち生、老、病、死”のこと(広辞苑より)。

    「四苦八苦(しくはっく)」・・同じく仏教由来で前出の”四苦に加えて愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四つの苦を加えたもので、転じてあらゆる苦しみ、非常な苦しみ“を表す(広辞苑より)。

    その他、「しくじる」(失敗する)、「しくしく」(しおれて泣く、絶えず鈍く痛むさま)もある。

    これら”しく”が付く言葉は好ましくない状態を表すもの。

    また、日本の終戦後の連合国軍占領下の1952(昭和27)年、日本航空の「もく星号」が羽田空港から福岡空港に向かっていたが伊豆大島の三原山火口付近に激突して乗客33名、乗員4名の計37名全員が死亡したのが、なんと4月9日。(まだ米軍による管制でパイロットも日本人ではなかった)

    「もく星号」激突現場:この写真の下部には3人の死体が明瞭に写っているがカットしました。
     (「サン写真新聞」4月12日号より)
    mokuseigou2

    ・・というわけで、古今東西の有名人で49才(数え年も含む)で亡くなった人たちを挙げてみます!
    けっこうオオモノが多いのに驚きます。

    始皇帝:紀元前259年2月18日~紀元前210年9月10日
    (古代中国で初めて皇帝という呼称を使った秦の6代目の王。生前に不老不死の薬草入手を徐福という人物に命じたので徐福は日本へ渡って探したという伝説は有名。そして当時は不老不死の薬とされた水銀を多飲して、逆に死期を早めてしまった。)

    聖徳太子(厩戸王/厩戸皇子):574年2月7日~622年4月8日

    上杉謙信:1530年2月18日~1578年4月19日

    織田信長:1534年6月23日~1582年6月21日

    真田幸村(真田信繁):(生年、没年とも異説あり)1567年または1570年2月2日または3月8日~1615年5月7日または6月3日

    チャールズ1世:1600年1月23日~1649年1月30日
    (スチュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランドの王だったが清教徒革命により処刑された年も1649と”49”が付く)

    島津斉彬:1809年4月28日~1858年8月24日
    (江戸時代末期の薩摩藩主で洋学進取の名君)

    西郷隆盛:1828年6月23日~1877年9月24日
    (上記の島津斉彬に重用されてもいた)

    大久保利通:1830年9月26日~1878年5月14日

    夏目漱石:1867年2月9日~1916年12月9日

    横光利一:1898年12月28日~1947年12月30日
    (「小説の神様」とも言われた一人)

    堀辰雄:1904年12月28日~1953年5月28日
    (小説家。代表作「風立ちぬ」)

    山下清:1922年3月10日~1971年7月12日
    (ちぎり紙による貼り絵で有名な画家)

    比嘉和子:1924年8月5日~1974年3月?日
    (南洋のアナタハン島事件の中心人物)

    ジャンボ鶴田:1951年12月28日~2000年5月13日
    (プロレスラー)

    河島英伍:1952年4月23日~2001年4月16日
    (シンガーソングライター)

    飯田馬之助:1961年4月30日~2010年11月26日
    (アニメ監督、漫画家)

    松本竜助:1956年4月6日~2006年4月1日
    (漫才の元「紳助・竜介」の一人)

    清水由貴子:1959年9月7日~2009年4月20日
    (歌手・俳優・タレント。父親の墓前で自死)

    ※厳密に満49才で亡くなった人のリストは・・
    https://straw-wara.net/today02/age/age_049.html#google_vignette

    ※厳密に満48才(数えで49才)で亡くなった人のリストは・・
    ・・・・・・・・・・・・

    あっ! と気が付きました "しく"の良い意味の使い方・・

    あらためまして 今年もよろ
    止苦お願いします

    しかしこれは意味的には良いが"字感"はやはり良くないか!
    ・・・・・・・・・・・・


    新春のお慶びを申し上げます!!

    お若い方には今年も元気にご活躍されますことを、
    お歳をめした方にはご健康長寿を、お祈りいたします。

    今年は巳年ということで・・

    senkou-snake5

    世界最初の蚊取り線香「キンチョウコウ」が
    1890(明治23)年に
    上山英一郎(金鳥ブランドの大日本除虫菊株式会社の創業者)よって発明されましたが

    当初は、その形が仏壇などで使われるお線香と同様なものだったため
    火もちが40分しかなかったので、長もちする方法を考えていたところ

    上山氏の夫人「ゆき」さんが、
    線香を渦巻型にすることを思いついたので

    この案に基づいて渦巻型蚊取り線香が
    1902(明治35)年に誕生しました。

    ただし初期は、現在の蚊取り線香の断面が長方形なのと違って丸型でした。

    巷では、「ゆき夫人は庭でとぐろを巻いている蛇を見つけて、
    渦巻の形を思いついた」
    という話が流布されていますが、
    その真偽のほどは分かりません。
    ・・・・・・・・・・・・
    ところで、毎年のお年玉付き年賀はがきの景品切手。
    私の手許にある最も古いのは
    1971(昭和46)年向け。
    (下の画像の右上の7円切手)。
    最新は2024(令和6)年向け。

    kitte-snake66

    毎年当選とはいかなかったので、全部で28年分がありますが・・

    その中で巳年用の切手は一つしかなくて、
    それは1989年(昭和64=昭和最後の年=平成元年)向けで
    上の画像の中の左上、折り鶴の右横の蛇型の土鈴の図柄。

    ↓拡大したもの

    kitte-snake3

    今年もよろしくお願いいたします!!
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    世の中には一度は表記を変更したものの、また元に戻った例があり、そのいくつかをあげてみました。

    ◎キッチン ⇒ キチン ⇒ キッチン
    1990年代だったかにはマスコミにおいて「キッチン」を「キチン」と表記することが増えたが、その理由は"文字数を減らすため"だった。

    その背景と言えば、超高齢社会の日本では当然のように老眼者が多く、新聞や本などの印刷物の文字のサイズを昔に比べれば格段に大きくしてきた。

    ここで新聞の印刷文字がどのくらい大きくなったか(私の手許に保存している新聞を)ご覧ください。

    A)1968(昭和43)年12月28日・読売新聞(「アポロ8号、月から生還」のトップ記事)

    B)1990(平成2)年2月8日・読売新聞(「ソ連、一党独裁を放棄」のトップ記事)

    C)2024(令和6)年12月19日・朝日新聞(「ホンダ・日産 統合協議へ」のトップ記事)

    old-newspaper3

    ↓左から(A) (B) (C)   
    (クリックで画像拡大↑↓)
    old-newspaper2

    新聞の文字サイズの変化の詳細は後述

    文字を大きくして起きる問題は、紙面・誌面の限られたスペースの中での単語の文字数を減らす必要が発生すること。

    例えば「プーチン大統領」を「プーチン氏」とし、(その他の例が浮かばず恐縮ですが)

    ・・ということで「キッチン」を「キチン」と表記することが増えた。

    これには単に文字数削減するだけでなく、元々kitchenの発音は「キチン」であるという理由もあっただろう。

    ところがこの動きは進展せずに、近年は「キッチン」の表記ばかりで「キチン」は見られなくなり、つまり元に戻ったようです。

    さて理由は何でしょうか?・・NHKは一時期、「キチン」表記を採用していたようですが2002年6月27日から「キッチン」に戻したそうで、これも影響しているかもしれません。

    ◎エベレスト ⇒チョモランマ/サガルマータ ⇒エベレスト
    チベットとネパールの国境にまたがっている世界最高峰の山は従来から世界的にはエベレストと呼ばれてきたが、これはインド測量局長官だったジョージ・エベレストに由来しているとのこと。

    ところが近年の流れである”国名、地名、山名などは現地での呼称、本来の読み方を尊重する”ということに従って当初はチベット語で”世界の母神”を意味する呼称「チョモランマ」がマスコミに多く登場して主流になったが、

    これに対抗するようにネパールは1960年代から同国語で”世界の頂上”を意味する呼称「サガルマータ」を提唱し始めた。

    エベレストを指す中国語には「珠峰」などがあるものの中国国内でも“珠穆朗玛峰Zhūmùlǎngmǎ Fēng”(チョモランマ)と呼んでもいるので、最近は「チョモランマは中国名」という説明がネット上に多くなっているが、

    現在のチベットは中国の中の自治区という位置づけにされているので”チョモランマは中国語(チベット語)である”という説明も見られる。

    このような状況なので、NHKなどは「登山隊が中国側ルートで登る際にはチョモランマ、ネパール側からの場合はサガルマータと使い分けている」とのことだが・・

    一般的には、当たり障りのない「エベレスト」の表記が再び多くなってきた。

    ◎フランスの美術館展示物のチベット表記⇒消去⇒再表記
    最近、フランス国立の「ギメ東洋美術館」と「ケ・ブランリ美術館」の展示物表記から「チベット」の名称が消去された。

    『ギメ東洋美術館は「ネパール チベット」としていた展示室の名称を今年4月までに「ヒマラヤ世界」に変更。ケ・ブランリ美術館はチベットを指す中国語「西蔵」の発音にあたる「シーザン(XIZANG)」に修正していた。』

    これに対して先ず『チベットや中国を研究するフランス人専門家27人が仏紙ルモンドに批判文を公開した』

    その後『9月29日、在仏のチベット人やその支援者ら約100人がパリ中心の広場で、「チベットは存在する。歴史を尊重せよ」と唱えて抗議に集まった』

    抗議の背景には『(チベットの名称消去は)チベット自治区でチベット族の同化を進めていると指摘される中国政府の意向に沿う動きだとして反発と批判』がある。

    その後、『ギメ東洋美術館には中国側の圧力があったと公表され、ケ・ブランリ美術館は10月7日に「シーザン」の表記を削除し、中国と併記して「チベット」の地名を復活』した。 (以上『』内は朝日新聞より)

    ◎聖徳太子 ⇒厩戸王 ⇒聖徳太子(厩戸王)
    近年の教科書での表記で変更と混乱が生じているのが聖徳太子/厩戸王についてのこと。

    いつのころからか”聖徳太子は厩戸王(うまやどのおう)と言うのが正しい”というような説が広まり、

    2017年2月に文部科学省は”中学校の次期学習指導要領では、従来の「聖徳太子」を「厩戸王」に変更する”と発表したものの・・

    学校現場において混乱を招く恐れがあるとして、従来の表記に戻すことを3月に発表した。(なお、「鎖国」表記についても同様に復活させる)

    その結果、現在は・・小学校教科書では
    「聖徳太子」だけの表記。

    中学校教科書では
    「聖徳太子」(厩戸王) または「聖徳太子」(厩戸皇子)の表記が採用されている。

    ※ただし「厩戸王」よりも「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の表記の方が圧倒的に多い。 

    「聖徳太子」(厩戸王) の表記採用の教科書を出版する帝国書院のHPによれば・・(以下《》)

    《「聖徳」とは厩戸王の没後におくられた名であること、また「太子」は「皇太子」の意味ですが、厩戸王存命時に、「天皇」や「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いことも、現在の研究では分かっています。

    このような状況から、「聖徳太子」の存在自体を否定する説もでています。

    しかし、その記述内容を分析し、ほかの史料と合わせてみると、「聖徳太子」のモデルとなった「厩戸王」といわれる実在の人物がいたこと、

    その人物が、奈良県斑鳩の地に斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったこと、

    中国の『隋書』などからも倭国に中国の太子に対応するような有力な王子がいるとみていたことなどは確実と言えます。

    そのため、現在では、推古朝において、蘇我馬子とともに厩戸王が政治を行ったというのが有力となっており、弊社でもその考えのもと、「聖徳太子(厩戸王)」と表記しています。

    同様に、宮内庁侍従職が保有する「唐本御影」は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画で、これまで高額紙幣の肖像画や教科書でも「聖徳太子」として使用されていましたので、この画像が「聖徳太子」というイメージを人々に強く残しました。

    しかし、この絵と「聖徳太子」とを関連づける当時の史料がないこと、絵の画像の研究から、製作年代は早くとも8世紀(奈良時代)と考えられることなどから「伝聖徳太子像」として表記するようになりました。

    「聖徳太子」の研究は、聖徳太子自体が、信仰の対象であり、史料の記述も信仰と実際の事績が混在しているため、歴史的な「謎」につつまれた部分が多いのも事実です。

    しかし上記のような研究成果を反映し、高等学校の教科書だけでなく、一般の学術書にも「厩戸王」と記載する傾向となっています。

    参考文献:大山誠一 『〈聖徳太子〉の誕生』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館 1999年
         熊谷公男 『大王から天皇へ』(日本の歴史 第03巻)講談社 2001年
    ・・・・・・・・・・・・
    新聞の本文の文字大きさ(高さ)の変遷 (朝日新聞の例)
    意外に初期は文字大きく、終戦直後が最も小さかった。

    (紙不足で1949=昭和24年の朝刊は2ページしかなくて、小さい文字を詰め込んだ)

    1888(明治21)年創刊時   : 文字高さ3.7ミリ
    1940(昭和15)年    : 同  2.2ミリ
    1949(昭和24)年    : 同  2.0ミリ
    2011(平成23)年~現在 : 同  3.6ミリ (巾3.9ミリ=扁平)
    ・・・・・・・・・・・・
    不思議?! 何故か半世紀前に「キチン」表記の宣伝(三洋電機)
    sanyo-kitchen
    ・・・・・・・・・・・・

    ちょっと日にちが過ぎたが、11月28日は「太平洋の日」だそうで、

    1520年のこの日にマゼラン率いる船団は南米大陸南端の(後年命名された)マゼラン海峡を通過して太平洋に出たのが由来。

    最近よく教科書やマスコミなどでの“表記”が変わった例があげられていて、例えば「隠れキリシタン」が「潜伏キリシタン」に、「建武の中興」は「建武の新政」に、鎌倉時代開始は「1192年」から「1185年」になったりしていますが、その中でも”人名ではその人本来の呼び名、地名では現地での呼称を採用”した結果の変更も多く、「マゼラン」の表記変更もその一つ・・というわけで・・

    ◎人名呼び方変更

    「マゼラン」 ⇒ 「マガリャンイス」
    mazeran

    「マゼラン」は英語表記した場合の読みで、ポルトガル人の彼は「マガリャンイス」が本来呼称。

    マガリャンイスは世界一周を目標に航海始めたのが1519年。途中では船員の食料不足やビタミンC不足による壊血病発生(コロンブスの航海中でも発生していた)などで船団を離脱する船もでるなどの危機もあったが乗り越えた・・

    そこで新しく彼の名前を覚え直すには・・”曲がらん意志”の”マガリャンイス”と覚えたらいかがか?

    残念ながら彼は1521年に現在のフィリピンのセブ島まで到達した時点で原住民に殺されてしまったが、部下が航海を続けて1522年に成し遂げた。

    現在、ブラジル(ポルトガル語の国)のサッカー界には「マガリャンイス」という有力選手がいる!

    「フランシスコ・ザビエル」 ⇒ 「フランシスコ・シャビエル」
    syabieru

    「ザビエル」も英語読みで、スペイン人の彼の綴りはXavierまたはJavierなのでスペイン語ではハビエルなのだが、ややこしいことに彼の出身地は同じスペインの中でもバスク・ポルトガル語圏にあったので読みはシャビエル(シャヴィエル)。

    現在、ブラジル(ポルトガル語の国)出身のJ1サッカー選手に「シャビエル」がいる!

    「アレキサンダー(大王)」 ⇒ 「アレクサンドル(大王)」
    紀元前4世紀にヨーロッパからアジアにまたがる領土を広げたマケドニアの王の名を、昔の日本の教科書などは「アレキサンダー」とドイツ語由来の表記をしていたが、現在は彼の出身地であるギリシャでの呼称「アレクサンドル」となっている。


    「ネール」 ⇒ 「ネルー」
    neheru

    インドの初代首相。戦後、日本へ贈呈してくれた象の名前は氏の娘さんと同じ「インディラ」だった。

    ただし、インド国内では現政府がネルーの名前自体を教科書から消させている。(理由はここでは省略)

    「カルビン」 ⇒ 「カルヴァン」
    宗教改革の創始者であるルターは別格として、その他の改革指導者としてはツヴィングリとカルビンらがあげられる。カルビンはスイスで活躍したがフランス人であり綴りはCalvinで読みはカルヴァンとなる。

    ◎国・土地・山の呼称変更
    象牙海岸」⇒「コートジボワール」
    昔はアフリカの西部に在る港から奴隷連れ出しと象牙持ち出しが
    ヨーロッパ列強国によって行われていて、その後フランス領西アフリカになっていたが、1960年に独立後はフランス語の「コートジボワール」(意味は象牙の海岸)を名乗ってはいたものの世界各国では何故かその国名を意訳していて、日本では(カタカナではなく)「象牙海岸」と称していたが同国が各国に対して意訳国名をやめるように要請したため、2003年に日本では正式に「コートジボワール」採用を決定したもの。

    「イギリス領ギアナ」
    「ガイアナ協同共和国」
    「オランダ領ギアナ」「スリナム」
    「フランス領ギアナ」フランス領ギアナ」(変更なし)
    南米大陸北端部でカリブ海に面してベネズエラの東隣に寄り合うように存在する三つの国は、元々現地語で「豊かな水の地」を意味する「ギアナ」地方にあり、ヨーロッパの三国の植民地だったが英領は1996年に「ガイアナ協同共和国」になり、蘭領は1975年に「スリナム」となった。

    通例では国名や地名が改称する場合に、英語読み名から現地語読みに変わるものだが「ガイアナ」の場合は逆に現地語から英語読みになった珍しい例ではないか。

    ベネズエラからこの三国にかけて存在する「ギアナ高地」に「ギアナ」の呼称は残っている。

    「ビルマ」 ⇒ 「ミャンマー」
    「ビルマ」はオランダ語由来。元々ビルマ語では「ミャンマー」表記があったものを1989年に正式採用。

    若い人は「ビルマの竪琴」という小説と映画の題名にピンとこない?

    「キエフ」 ⇒ 「キーウ」
    「チェルノブイリ」 ⇒ 「チョルノービリ」
    「オデッサ」 ⇒ 「オデーサ」
    「ドニエプル」 ⇒ 「ドニプロ」
    この4例はいずれもウクライナの地名をロシア語からウクライナ語に変換したもので、このカタカナでの表記を採用すると日本の外務省が2022年に決定し発表した。

    ムソルグスキー作曲の10曲からなる組曲「展覧会の絵」の最後に登場する曲が「キエフの大門」と従来言われて慣れ親しんだ部分をキーウでは違和感ありとする人が多い。

    1986年にチェルノブイリ原子力発電所で大量の放射能漏れ事故が起きたがこの場所は現在のウクライナの北部にあるゆえにウクライナ語の呼称に変更。

    「セイロン」 ⇒ 「スリランカ」
    セイロンの名は紀元前のこの島に存在した王族が呼んだ島名が訛って最終的に英国人が称したものだが、1972年に現地語で「光り輝く島」を意味するスリランカに正式変更。

    「セレベス」 ⇒ 「スラウェシ」
    インドネシア共和国を構成する島の一つで”ヒトデ”の形をしているので地図見てもすぐわかる。

    セレベスはオランダ領だったこともありオランダ語による呼称であったが戦後の独立にともなってスラウェシと呼ぶようになったが実情は世界的にみても呼称変更が認識されていなかったようで・・

    私の小学生時代の昭和30年代中頃でも日本製の世界地図や書籍にはセレベスの表記だった。

    そしてこの島の原産である「セレベス」芋には名前が残っている。

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    「ボルネオ」 ⇒ 「カリマンタン」
    スラウェシの西隣りにある”腹の出たタヌキがしゃがんで右を向いているような形”の島。

    「エアーズロック」 ⇒ 「ウルル」
    uluru

    オーストラリアにある巨大な一枚岩の山で高さは348m。 「エアーズロック」は英国の探検家が名付けたものとされ、「ウルル」は先住民のアボリジニの呼び名であることから、最近は後者の表記が主流。

    「マッキンリー」 ⇒ 「デナリ」
    北米大陸最高の6190mの山で「マッキンリー」は米国大統領の名前が由来。「デナリ」は元々先住民による異なった呼び名がいくつかあるので、それをアレンジした表記として採用し、2015年に正式決定された。

    世界的に有名な日本人探検家の植村直巳氏が遭難した山でもある。

    「グルジア」 ⇒ 「ジョージア」
    元々のグルジア民主共和国がソ連邦に併合されていたがソ連崩壊後に再度独立して、さらにロシアと国交断絶してロシア語由来の読み方の「グルジア」をやめて、従来から欧米と日本の一部で呼ばれていた「ジョージア」を採用するよう各国に要請が出されて日本では2015年に変更した。

    ◎人名の訂正

    「リーガン」 ⇒ 「レーガン」
    regan

    このアメリカ合衆国の元大統領は、それ以前の映画俳優時代から大統領予備選挙時点までは「リーガン」と名乗っていたが、大統領候補指名を受けると「自分のルーツのアイルランド流の読み方に変える」と宣言して以後「レーガン」とした。

    「みなかみつとむ」 ⇒ 「みずかみつとむ」
    t.mizukami

    水上勉氏は戦後に小説家として名前を成してからしばらく1987年頃までは出版業界や一般人からは「みなかみつとむ」と呼ばれていたが、戸籍上の読みは 「みずかみつとむ」であることを公表したので、以降はこの読み方が定着した。

    「リザ・ミネリ」 ⇒ 「ライザ・ミネリ」
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    アメリカの女優・歌手である彼女がまだ日本ではあまり知られていない時期には、日本の一部マスコミでは「リザ・ミネリ」と読んで紹介していた。

    彼女の母親は映画「オズの魔法使い」でドロシー役で主演したジュディー・ガーランド、父親は映画監督のヴィンセント・ミネリ。

    お話ちょっとそれますが・・
    「オズの魔法使い」でドロシーが履いていた(通称)「ルビーの靴」は数足が作られていて、その内の一足が、つい先日12月6日に、あるオークションで2800万ドル(日本円で約42億円)で落札されたとのこと。

    ◎民族名の呼称変更

    「インディアン」 ⇒ 「ネイティブアメリカン」

    「エスキモー」 ⇒ 「イヌイット」
    ・・・・・・・・・・・・
    次回は、エベレストなど”一度は呼び名・名前が変わったものの再び戻った(ような)例”をあげてみます。
    ・・・・・・・・・・・・

    今年(2024)の秋は何故かあちこちで埴輪(一部で土偶)を展示する催しが行われています。
    私の手許に集まった"埴輪、土偶、土器の展示会チラシなど”
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    「特別展 はにわ」 が東京国立博物館で10/16~12/8

    「ハニワと土偶の近代」展が東京国立近代美術館で10/1~12/22

    「旅する はにわ展」が市原歴史博物館で10/12~12/15

    テレビや新聞でも”埴輪”特集が・・
    埴輪特集テレビ番組(NHK eテレ)
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    ↓テレビ番組「はにわ王決定戦」とキャラクター「はに丸」くん(NHK eテレ)
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    その他、展示の一部に埴輪が含まれるのは・・
    「地中からのメッセージ」展が千葉県立房総のむら で9/21~11/17 / 千葉県立中央博物館で12/21~2/9

    「布をまとう 古代人の衣」展が行田市郷土博物館で10/12~11/24

    そして千葉県芝山町では町立芝山古墳・はにわ博物館では埴輪を常設展示している他に、毎年11月の第2日曜日(今年は11月10日)に「芝山はにわ祭り」が開かれ、埴輪の武人など古代人に扮した人々による儀式の披露もされる。↓
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    土偶関連では「ドグウ集まれ!」展があつぎ郷土博物館(神奈川県)で10/12~12/8

    ・・このような中で、私は「旅する はにわ展」(市原歴史博物館)に行ってみたのですが、その動機と言えば私の手許に(冒頭で紹介した)各地で開催の埴輪関連展のチラシが集まった※ことと、岩手県在住の友人が東京国立博物館の「特別展 はにわ」 を見て来たと知らされたので、これは埴輪を見に行かねばならない!と思ったから。

    各地の郷土資料館や博物館、美術館、図書館、などでは互いに連携して期間限定の特別展示の開催案内チラシ類を配備し合うので、例えばある郷土資料館に行けば、そこで各地の多くの展示情報が得られます。

    まずは、私が埴輪と土偶の違いをはっきりとは知らないことに気付いたので・・

    ◎埴輪と土偶の違い
    どちらも日本の古代に造られた土の焼き物だが、土偶の方が年代は古い。
    土偶 : 縄文時代(1万年前~BC4世紀)に祈りや呪術のために作られたもので、人の形が多く、集落跡で見つかる。

    埴輪 : 古墳時代(AD3世紀~7世紀)に埋葬者の墳墓の周囲や上に置かれたもので人物の他、円筒形、動物、建物などの形がある。

    ◎なぜこの時期に埴輪と土偶の特別展が多いのか?
    最も大きな要因は、埴輪として初の国宝となった「挂甲の武人(けいこうのぶじん※”けい“は、てへんに圭)」が国宝指定50周年を迎えたのを記念して、国内外50ヵ所から集められた埴輪を展示する特別展が東京国立博物館で開催されていることでしょう。

    また、千葉県市原市では市内の大規模な「山倉1号墳」(前方後円墳)の発掘調査報告書刊行20周年の節目で、市内はもとより千葉県内各地の埴輪を集めての特別展開催。

    同じく千葉県芝山町では町内の「殿塚・姫塚古墳」出土の埴輪48点が今年8月に国の重要文化財に一括指定されたことで埴輪関連行事が盛り上がっている。

    また同じく千葉県教育振興財団文化財センターは今年11月に設立50周年を記念して旧石器、縄文、弥生期の出土品を特別展示。

    埼玉県行田市では市政施行75周年記念で”布をまとう古代人の衣”姿の一つとして埴輪も展示する企画展を開催。

    これらがたまたま同時期に開催されるカタチになって”埴輪ムーブ”が生まれたのでしょう。

    ◎「旅する はにわ展」(千葉県・市原歴史博物館)見学記
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    ○テーマの”旅する”の意味は・・
    実は千葉県市原市で発掘される埴輪の中には、現在の埼玉県鴻巣市にかつて存在した東日本最大級の埴輪工房である「生出塚(おいねづか)埴輪窯」で焼かれて作られ、直線距離にして約100キロを”旅するように”現在の市原市の「山倉1号墳」(前方後円墳)へ運ばれたものもあることが判明しているから。

    ↓生出塚埴輪窯製の埴輪:左端と右から2番目が山倉1号墳から出土
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    ↓生出塚埴輪窯跡に残されていた埴輪 / 山倉1号墳
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    なぜ遠く離れた二か所の埴輪が同じ場所で作られたことが分かるのかと言えば・・
    (1) 埴輪の見た目のデザインが同一
    (2) 埴輪の胎土(使用の土)が同一(蛍光X線分析で成分同じで鉄分多く、赤味が強い)
    (3) 埴輪の表面に残る「ハケメ(のようなもの)」が同一
    埴輪製作過程で埴輪の着衣などの部分の表面を整えるために板の木口(切り口)を使って撫でるのだが、その際に板の木目による沢山の筋「ハケメ(のようなもの)」が付く。その筋どうしの間隔は、その板の木目のそれそのままであり、その板を使って幾つも作った埴輪は皆同じ筋間隔のハケメがついた仕上がりになることから、千葉県で発掘された埴輪は埼玉県の生出塚埴輪窯でつくられたものと全く同じなので分かる。
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    ○埴輪は二大別される・・
    (A)「円筒埴輪」で文字通り円い筒形。
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    (B)「形象埴輪」で人、動物、建物などをかたどったもの。
    ↓イノシシ / シカ
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    ↓ムササビ
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    ↓水鳥 / 魚
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    ○埴輪につけられている穴の目的は・・
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    埴輪の原型は弥生時代の”墓に供える物を入れる壺を支える台”であるとされ、その台には魔物を寄せ付けないようにするために模様や線がつけられたが、それをさらに強調するために穴を開けた慣例が、その後の古墳時代になって”円筒埴輪の胴部分”や”人物埴輪の台部分”に受け継がれたもので、多くは線や模様無しの穴だけとなっている。
    その穴は考古学では「透孔(すかしこう)」と呼び、形は○、△、□、半円、卍などがある。

    ○3Dプリンターによるレプリカは今後有望!
    今回展示の埴輪1体を非接触でスキャンして3Dプリンターで作られたモノが展示されていたが、触りながら見たい部分も自由にみられることは埴輪を深く知るには大変効果的なので、これから(埴輪に限らず)同様のカタチが広がるでしょう。

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    ◎これも“旅する埴輪”とも言えるのが・・
    前述の東京国立博物館で開催の「特別展 はにわ」の“目玉的展示物”の「挂甲の武人」(挂甲とは鉄板を綴り合わせて作られた甲=よろい)。
    よく似た格好の武人の埴輪5体が全て群馬県から出土したものの、1体は東京国立博物館所蔵でこれが国宝になっているが、その他は群馬、千葉、奈良、そして米国のシアトルの博物館または美術館に所蔵されているものを今回すべて揃えられて東京国立博物館で展示されているので・・
    4体は遠くから”旅をしてきた”ようなもので、特にシアトルからは長旅だった!

    ↓揃った5体。左端が国宝。真ん中がシアトルから一時帰国
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    ○国宝の埴輪
    「挂甲の武人」は日本郵便の切手になっている!
    最初の発行は1972(昭和47)年に全体が茶色の図案で、
    次に1976(昭和51)年に全体が朱色で、
    3度目は1989(平成元年)に埴輪本体は茶色で紫色の背景。

    3度目発行(左)  /  2度目発行 ※茶色に見えるが本当は朱色
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    ブラジル生まれのピアニスト、作曲家、編曲家、バンドマスターであったセルジオ・メンデス氏が先日(2024年9月5日)、83才で米国ロスアンジェルスで亡くなった。
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    写真は「Yahooニュース」より引用

    ◎セルジオ・メンデスのマシュケナダ
    私が最初に氏の音楽を聴いたのは1966(昭和41)年のことだったか、丁度その頃に氏が率いるグループ「セルジオ・メンデスとブラジル66」が「マシュ・ケ・ナダ」(ジョルジュ・ベン作曲のボサノヴァ曲)をカバーして世界的にヒットしていたから。

    マシュ・ケ・ナダ =  https://www.youtube.com/watch?v=wiqDOPCX_pA

    もともと私は10代後半からラテン系音楽が好きで、ペレス・プラード、ザビア・クガート、パーシー・フェースなどのマンボ、ルンバ、サンバ。メキシコ系のマリアッチなど賑やかな演奏をよく聴いていた。(賑やかではなかったトリオ・ロス・パンチョスも聴いたが)

    ◎私の人生最初購入のミュージックテープ
    1960年代後半になると、静かに語り掛けるような調子のボサノヴァ曲の「デサフィナード」や「イパネマの娘※」などが日本でも聴けるようになって、これはこれで良い感じだったが・・

    イパネマの娘 =  https://www.youtube.com/watch?v=a8wcZUUXJFs

    そこに登場した「セルジオ・メンデスとブラジル66」の「マシュ・ケ・ナダ」はボサノヴァ曲をアップテンポで賑やかにアレンジして、これぞ私の好み!ということで、これを収めた”レコードではなくカセットテープ”を購入。

    それは私が人生で最初に購入した”ミュージックテープ”となった。

    ↓今でも保有している
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    そのテープに収められていたのは、「マシュ・ケ・ナダ」の他には「ビリンバウ」「おいしい水」「デイ・トリッパー」など全10曲で、当時私が所有していたビクター社(現、(株)JVCケンウッド)の ポータブル・カセットプレーヤー「カセッター※」でそれはそれは何回も聴き入った!

    ※「カセッター」は当時のビクター社によるカセットテープの録音・再生機の独自の呼称。その後”同社が開発して世界を席巻したVHSテープ”の録音・再生機も「ビデオ カセッター」と称していた。

    ※(蛇足ながら)ソニー社もテープレコーダーのことを独自に「テープコーダー」と称していた。

    ◎「ビリンバウ」という民族楽器
    先述のカセットテープに収められている1曲「ビリンバウ」はブラジルの民族楽器のことであり、下の写真のように、弓の形で弦は鉄線で、その弦には”木の実をくり抜いた共鳴椀”が付いていて、弦を細い棒で叩いて音を出すもので、その際の手には叩く棒と同時に”マラカスの中身と同じ種のような物”が入った筒状の小籠も持ちながら行うので、ビリンバウの演奏では弦の音に加えてマラカスのような音が加わったものになる。

    ↓ビリンバウ(一式:全長95センチ:中下の小籠がマラカスのような音出す:中央は500円硬貨)
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    ↓(ついでに)我が家に在る中南米、アフリカ、ユーゴスラビアの民族楽器
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    ↓小野リサ氏の監修で「LISA」の金色文字がうたれた木製サンバホイッスル(サンバカーニバルなどでピーピー鳴らす笛:右は裏側) (この品は某FM局の懸賞の当選品でレアモノ?)
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    ※「イパネマの娘」という曲は女性シンガーが歌う場合には曲名を「イパネマの少年」と変え、歌詞の中の「少女」も「少年」に変えることも多い。
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    日本発祥の「ペロブスカイト太陽電池」は、その優秀さから今や全世界で開発、改良が進められ、一部の国では商品化され始めた。

    この太陽電池の要であるのがペロブスカイトで、それを構成する成分の中でも重要な「ヨウ素」は世界的規模で千葉県において大量に産出するので今後は産業としても大いに期待される。

    現在の日本では「地産地消」という名のキャンペーンが各地にありますが、千葉県ではそれをモジって「千産千消」としているものを「千産千勝」とでも言えるような展開になりそう。

    ◎ペロブスカイトとは
    (A)メチルアミン(など) (B)鉛(など) (C)ヨウ素の3成分からなる結晶体で、これを太陽光発電用に使ったものがペロブスカイト太陽電池で日本の宮坂 力(みやさか つとむ)桐蔭横浜大学特任教授が発明した。
    このペロブスカイト太陽電池は多大な特長を有しているために、氏はノーベル賞候補と言われている。

    ◎ペロブスカイト太陽電池の特長
    1)フイルムなどに塗布または印刷して簡単に安価に製造できる

    2)薄くでき、軽くでき、曲げることができるため、形体や設置場所の自由度が高くなる
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    (↑真は東芝のHPより)

    ↓日よけ・目隠しにもなる発電シート試作品(写真は積水化学工業のHPより)
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    3)重要素材であるヨウ素が日本では豊富に産出される→詳細次項へ

    ◎ヨウ素とは
    英語表記:iodine 元素周期表における元素記号:I(アイ) 原子番号:53 個体で非金属

    ヨウ素は人体の必要素の一つであり、一般的には海水に含まれ、海中で育つ昆布やワカメなどの海藻類には濃縮されて多く含まれる。その他には硝石(鉱物)や(後述の)かん水に含まれる。

    ヨウ素含有製品:うがい薬(イソジン)、消毒薬(ヨードチンキ:但し昨2023年に製造中止。理由は乳幼児あるいは大人でも弱い皮膚から大量吸収された場合に甲状腺疾患を発症すること、近年は消毒薬として代替的製品のマキロンなどが登場しているから。なおイソジンも頻回使用すると甲状腺疾患の恐れありとされる)

    ◎ヨウ素の世界的な産地である千葉県
    世界のヨウ素の年間生産量約3万4000トンのほとんどをチリと日本が占めていて、チリが1位で2位の日本はその約3割に当たる1万トン生産。そして日本の生産量の約8割を千葉県が占めるので・・世界のヨウ素生産の約4分の1を千葉県が占めていることになる。

    しかも可採埋蔵量は約400万トンなので従来の生産ペースであれば500年続けられる。

    ◎実は千葉県のヨウ素は天然ガスと一緒に産出
    千葉県のおよそ7割?の面積の地下の地層の隙間には、水溶性の天然メタンガスとヨウ素が含まれた太古の海水が存在していて、その海水のことを「かん水」と言う。(ガス埋蔵地域は大部分を占める千葉県の他に神奈川、埼玉、茨城の各県と東京都の極一部が含まれ「南関東ガス田」と称される)
    ↓南関東ガス田(ベージュ部)(茶色部は主な採取地帯) (天然ガス鉱業会のHPより)
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    千葉のかん水に含まれるヨウ素は普通の海水の2000倍の高濃度。

    同じくかん水に含まれる天然ガス年間生産量は約4.4億㎥で、現在生産ペースで約800年もつとされ、県内の家庭や企業にはこの地産の天然ガスが地元の「大多喜ガス(株)」などから供給されている。

    地産地消の天然ガス料金は東京ガスよりも3~4割安で、しかも過去10年間値上げされていない。
    おもしろいことに、国内のヨウ素生産量は1位が千葉県、2位は新潟県。対して天然ガス生産量は1位が新潟県(77%を占める)、2位は千葉県

    ◎自然に湧き出る天然ガスのありがたさと怖さ?
    商業的には地下1000m~500mからかん水を汲み上げて生産される天然ガスだが、千葉県の太平洋側の九十九里地区から内陸にかけての範囲にある大多喜町、茂原市、大網白里市、山武市(さんむし)、横芝光町(よこしばひかりまち)などにまたがるゾーンでは地面や川底から湧き出ている場所が多くある。
    ↓川底からの天然ガスの泡が水面に出ている様子(千葉県睦沢町=むつざわ)
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    (写真は「読売新聞オンライン」より)

    千葉市にある土気町(とけまち)という地名は、その土地では何やら燃える気体(天然ガス)が出ていたことが由来と言われる。

    現在、前出のゾーンではガス会社とは契約せずに自宅敷地に掘ったガス井戸から天然ガスをとりだして使っている家庭が少なからずある。

    ↓自家用のガス井戸 (空気より軽いメタンガスを溜める筒が中央にある)
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    (画像はNHKテレビ「小さな旅」より)

    田んぼに鉄パイプを突き刺すだけで天然ガスが出るところもある。(下写真)
    ↓農作業の途中でお湯を沸かして一服(茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    ↓地中から直接の天然ガスは9000キロカロリーと高い(ガス会社は3600キロカロリーに抑えて供給) 
    (茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    気付かぬうちに天然ガスが室内に充満して引火で爆発!・・
    千葉県山武郡九十九里町に在った「九十九里いわし博物館」は2004(平成16)年に爆発事故が発生して損壊大きく1名死亡、1名火傷で重症を負った。
    原因は敷地内から自然湧出していた天然ガスが当時使用していなかったエアコンの配管を通って館内に充満していたことに気付かずに(本来の天然ガスは無色無臭。ガス会社供給時には加臭)燻煙殺虫剤に着火しようとして引火爆発したもの。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※ペロブスカイト太陽電池の詳細は・・資源エネルギー庁のHP
    ・・・・・・・・・・・・・

    ◎頭に糞を落とされたのはアラ80での初体験
    今年(2024)5月21日の午後、庭に出ていたら突然、私の頭に何かが落ちてきて「ピチャ」っと(音は感じなかったが)着いた。

    驚いて指で触ってみたら、白くてドロドロしたものですぐに鳥の糞だと分かったと同時に上の空を見上げたが、鳥の姿は見えず声もせず、あるのはただ青い空。ハテ何の鳥だったのか?

    何か白いものが頭に、しかし上空には青い空のみ
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    私は額から後頭部にかけて殆ど毛髪が無い(俗に言う)ハゲアタマなので、その糞はすぐ指で拭えてその後は水で簡単に洗って済んだが、これが普通に毛が有る人だったらこんなに簡単には処置できないだろうなと、不幸中の小さな幸い?を感じたのだった。

    後日に知ったが、この日は大安だったのでこれで少しウンが良くなるかとかすかな期待をしている。

    それにしても80才に近い私がこれまで生きてきて、わが身が糞害にあったのは初体験。しかも頭上に何も無い場所での糞との遭遇は確率としては非常に小さいはずで、逆にその確率が高いのは・・

    ◎駅のホーム、電線下、家屋の軒先など、糞害注意! 
    東京のJR秋葉原駅は総武線と山手線などがそれぞれ高架状態で交差するのでホームは構造的にも視覚的にも複雑駅の一つです(地下鉄どうしが地下で交差しても視覚上は複雑感は無い)が、それにともなってホーム上の鉄骨またはコンクリートの梁が多く存在することになり、そこに鳩が多数来て留まる結果、
    糞が大量にプラットホーム上に落とされる。
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    私は現役の会社員だったある時期にはこの秋葉原駅で乗降していたが、ホームの所どころに「頭上ご注意 ハトのおとしもの」という看板がかかげてあったから、梁の下を避けて歩いたもの。

    ハト飛来防止用に金網を張ったり、大きな針山のような専用品(下図参照)を梁の上に設置してハトがとまれないようにする方法があるが、秋葉原の駅のような場合にはそれが適用しにくいのだろうと思う。
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    電線の下にも鳥の糞が落とされることも多く
    、先日には我が家の前の電線の真下で鳥の糞が巾5センチ長さ60センチくらいの一直線の白い帯状になって道路上に落ちていたが、これは明らかに鳥が電線上に多数並んでとまって”連れしょん”ならぬ”連れ糞”した結果だとわかる。
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    夏の今の時期ならたぶんツバメのしわざだと思われるが、私が過去に見た”電線上に並んだツバメ”の数で最大は14羽。ちょっと横道に逸れますが、ムクドリは20羽以上が並んでとまっているのを見たことがあり、同様にカラスの30羽ちかくを電線上に見たときはその全体が黒い大きなかたまりのようでちょっと不気味だったことがある。

    ツバメが巣をつくった家には幸福が訪れると昔から言われるため、その巣を大切に見守る家その他の施設などの建物は多いが・・
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    それに伴って発生するのが”巣の下の場所が糞によって汚れること”で、そのために糞の落下地点に受け皿状のものを置いたり紙類を敷くなどの対処がされるので、ツバメの巣の存在を知らない人でもすぐに気が付くことになると同時に、この家や施設の人のあたたかい気持ちがうかがえるもの。

    ◎露天風呂に鳥の糞が落ちてきた!
    私が海に面した露天風呂の湯に浸かっていた時のこと、いい気分になっているところに突然ポチャンと音がしたので何かと思って見たら自分の身からわずか20センチ先に白いものが”まるで溶き卵をお湯に入れた瞬間のような状態”で15センチくらいの長さでモヤっとして一部浮いて一部沈んでいるではないか!
    白いものがポチャンと・・ 
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    一瞬何かと思ったがこれは鳥の糞だと気づいたのですぐに空を見上げたがこの時も鳥の姿はなかった。

    同時に「わっ 鳥の糞が落ちてきた!」と周囲の人にも聞こえるように声をあげたら、ちょうど手桶が近くにあった人がそれを使って糞をすくい取って排水口に捨て、丁度近くに居た従業員が飛んで来て糞が落ちた周囲のお湯を処理した。後で思うにカモメの仕業だったのであろう。海上に2羽ばかり飛んでいたのが見えていたから。

    日本の露天風呂には屋根がついていることが多いが、その目的は”雨や雪が降る中でも気分よく湯に浸かっていられる”ことの他に”苔や藻を発生しやすくする太陽光を遮るため”なのだが、”裸という無防備状態にある時に頭上からの(糞に限らず)落下物から身を守る”ことにもある・・ということになる。

    露天風呂の屋根有りと無しの双方に利点はあるが・・
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    (↑左:和歌の浦温泉・萬葉の湯/右:万座プリンスホテル)
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    7月初めの今日もツバメが数羽 電線にとまって「ピチピチピチ」、時には「ピチピチピチ ビー」と鳴いている様子が我が家からも観察できる。
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    そしてたまにはピューっと飛ぶ姿も見えるがさすがに”昔、国鉄(現JR)の特急の愛称になっただけあって?”速い! 確かにカラスやヒヨドリなどよりも・・

    ツバメは日本へ春に飛来して卵5~6個産み、子供を育ててから秋に南方のフィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム南部などに帰るそうで、その飛行距離は実に3000キロ以上。

    体重20グラムで500円硬貨3枚分の軽く小さい体でよくもまあ長旅するもの。 

    餌は蚊、ハエ、シロアリ、蝶、トンボなど空中を飛んでいる虫が主で、南方地域にはこれらの虫が多いものの餌を取り合う競合鳥類が多いため、特に子育てのために餌が多量に必要な時期には困るのだが、丁度その頃の日本には餌になる虫が多いので、長旅をしてでも来日するのだそうだ。

    民家の軒下などに作った巣からヒナの餌になる虫を求めて飛び立ち、虫をくわえて戻る行為は1時間当たり平均40回も繰り返されるといわれる。

    秋に離日して再び来日すると、通説では「ツバメは同じ巣に戻って来る」と言われるものの実際はその確率は15%という説があるが、同じ巣ではないものの元の巣の近隣に作巣する例は多いようだ。

    しかし一方で、離日する子ツバメに足環を着けての調査では山口県から離日したツバメが静岡県に戻ってきた例もあるとのこと。               

    さて今年(2024年)、千葉県中部にある我が家の周りでツバメの鳴き声が聞こえ始めたのが3月27日・・と、カレンダーにメモしたのだが、”渡り鳥の鳴き始めを感知してそれを記録しておく”ような行為は会社勤め現役時代には考えられないことだったかなと思う。

    というわけで、今年は私がツバメへの意識が強いところに、ツバメに関する新聞記事、テレビドラマ、映画(のようなもの)が現れた!

    ◎「天声人語」欄のツバメ
    5月16日の朝日新聞の天声人語欄に『古い言葉で「メ」は鳥の総称だったと国語学者の金田一春彦さんが書いていて、ツバメ、スズメ、カモメしかり。「燕」という漢字はツバメが翼を広げて飛ぶ様を写した象形文字』・・というようなことが紹介された。

    ◎「燕は戻ってこない」という名のドラマ話題
    桐野夏生(きりのなつお=直木賞はじめ多数の文学賞受賞の作家、日本ペンクラブ会長、紫綬褒章受章者)原作の連続テレビドラマ「燕は戻ってこない」(NHKで2024.7.2まで)は代理出産を扱った重い内容で、出演の稲垣吾郎の好演でも注目されているようですが、

    swallow1
    swallow3
    swallow2

    桐野氏はあるインタビューでこの小説名の由来を尋ねられた際にも明解な回答をせずに読者の解釈に任せているので、私なりに思えば・・

    通常は子供を産めば授乳その他で子育てするところ、代理出産をした女性はそれができないので、燕が子育てのために餌をとっては巣に戻り、子に与える行為を繰り返す姿になぞらえれば、ツバメに例えた代理出産女性は育児現場(である巣)に戻らない・・ことになる。

    と、解釈していたところ、 (原作を私は知らないが) このドラマでは、代理出産を請け負った女性が帝王切開で双子(男女)を産んだのだが依頼人側に引き渡す前になんと、男の子だけを残して勝手に女の子のほうを抱えたまま姿を消したのだった。

    ◎オペラ「つばめ」の上演映像が各地で公開される
    プッチーニ作曲のオペラの中でも「つばめ」は最も優雅で洗練されていると言われるそうで、ストーリーは"銀行家ランバルドに囲われている高級娼婦マグダが一度は別れて別の男のもとにはしり結婚に至りそうになったが、自分が娼婦だったことを告白して結婚辞退して再びランバルドのもとへ戻る"というもの。マグダはツバメのように同じ所に戻ったのだ。

    このオペラがニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)で今年4月20日に撮影(使用カメラ10台)されたものが録画されて5月31日から日本各地で映像上映(松竹配給)されたもので、この「つばめ」はMETで上演される多数のオペラの映像を上映するシリーズ「METライブ ビューイング」の中の第8弾とのこと。

    ↓オペラ「つばめ」のワンシーン(「映画.COM」のHPより)
    met-live-tubame

    実はこの「つばめ」上映の情報は、日頃から文化・芸術に詳しい友人が実際に観て「映像ながら観劇で感激!」という内容のメールを送ってくれたので知った次第。
    ・・・・・・・・・・・・・
    以下はツバメに関連する余談です

    ◎「若いツバメ」考
    「若いツバメ」とは、女性からみて年下の男の恋人のこと。

    その由来は、大正から昭和にかけて女性解放運動して有名な平塚らいてう(ひらつか らいちょう)が自分より若い画家である奥村博史と親しくなっていることが周囲に知られたために、奥村はある手紙を書き残して、彼女らいちょうのもとを去って田舎に帰ってしまった。

    その手紙は「池の中で水鳥たちが仲良く遊んでいた所に、一羽の若い燕が飛んできて大騒ぎになりました。この思いがけない結果に驚いた若い燕は飛び去ります」というような内容だったことから生まれた言葉。

    ところが、彼女は「燕なら春になると帰ってくるでしょう」という返事を出して、彼を呼び戻した後は二人で共同生活を始めたそうで、愛の巣を飛び出た彼は再び元の巣へ戻ったのでツバメ同様となった。

    ↓平塚らいてう(若年期 / 高年期)
    raiteu

    らいてうは1886(明治19)年の生まれなので”若い燕”との生活に入ったのは1914(大正3=第1次世界大戦開始)年のことだから28才の時のことになる。私の想像では少なくとも30才代後半以降のことかと思っていたのでちょっと意外。ちなみに1971(昭和46=大阪万博開催翌年)年に85才で死去している。

    ◎「ツバメ低く飛べば雨近い」理由と飛行機の塗装?
    昔から「ツバメが低く飛んだら、もうすぐ雨が降る」と言われて、私も子供の頃に聞かされていたが、さてその理由を教えてもらっていなかった。恥ずかしながら高齢者とされる年齢になってから初めて知ったことは・・

    雨降り前には湿度が高くなる=空気中の水分が多くなる→空中を飛ぶ虫たちの羽や体に水分が着く→体が重くなって低くしか飛べない→その状態の虫たちを捕まえるためにツバメも低く飛ぶ・・という理由。

    それで思い出すのは、”飛行機の機体全体を覆う塗装の重さが飛行に影響を与えている”こと。

    ちょっとあいまいな数字で恐縮ですが、大型機1機の塗装に使われる塗料の重さは0.5トンにもなり、その影響で東京→ロンドン間の飛行で5万5000円分の余計な燃料を消費するという試算がある。

    高高度を高速で飛ぶような飛行機は、地上と高空との間の気圧変化による機体の膨張と収縮の繰り返しが起こす可能性のある機体胴体の金属疲労(これが進むと金属板が破断して最悪は機体が空中分解)の抑制や空中の塵や浮遊物の衝突によるキズ防止などの理由で機体の塗装は必須になっているから仕方ないようです。

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    今年5月、「とにかく可視化」という書名の本(新潮新書)が出版された。
    その新聞広告には、こうある・・「可視化するだけですべてうまく行く! 延々と続くムダなやり取り、長いだけの空疎な議論、決めても簡単に撤回、動き出しても停滞。多くの企業が抱えるモヤモヤを解決するシンプルかつ超実践的ノウハウ。」

    そこで”賢い人の可視こい?例”として思い出すのが・・

    ◎白洲次郎が描いた「ジープウェイ」図
    白洲次郎はご存知のようにGHQをして「従順ならざる只一人の日本人」と言わしめた人物。英国留学で鍛えた流暢なキングズイングリッシュで堂々と意見を述べた。

    sirasu-jirou

    1946(昭和21)年のこと、新しい日本国憲法の草案内容はGHQによる一方的かつ性急な面が強いために日本政府が松本国務大臣名で作成していた「松本案」の再考を願う内容の書簡を出すことになり、その時点で終戦連絡事務局参与であった白洲が作成してGHQのホイットニー民生局長へ送った。

    その際に”日本側の松本案とGHQ案は目的(OBJECT)は同じであり、ただしそこに到達する手順が違って、松本案は日本の国情によって、あたかも山道をジープに乗って行く(JEEP WAY)がごとくであり、GHQ案は(途中の事情などかまわずに)一挙に到達しようとするものである”としてその主張を”まさに可視化“した手書きの図を添えた。「百”文”は一見にしかず」か! これが後に「THE JEEP WAY LETTER」と呼ばれるようになった。

    ↓白洲が書簡(1946年2月15日付)に添えて描いた図(外務省外交史料館蔵より)jeep-way

    書簡を受けたホイットニー民生局長は、白洲による説明図によって明確にされた日本政府の態度を激しく非難してGHQ案推進方針をより固めることになってしまったが・・

    結果は残念だったが、後年に「THE JEEP WAY LETTER」が知られるようになって、現在ではその図をプリントしたTシャツが(白洲夫妻の旧邸で今は資料館になっている)「武相荘」(東京都町田市)※で販売されている。綿100%、価格6600円、サイズ4種類でネット販売あり。

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの背面
    tsyatu1

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの前面
    tsyatu2

    ◎南方熊楠の描いた「南方マンダラ」
    南方熊楠 (みなかた くまぐす:1867~1941年=明治元年の前年に生まれて太平洋戦争開始年に亡くなった)は、とくに植物学、微生物学、民俗学の分野で活躍(その他、粘菌の研究は有名)したが、世界の科学、宗教、哲学などにも造詣が深かった。それらの行為を支えていたのは抜群の記憶力や9か国語に精通した語学力だった。
    ↓南方熊楠
    kumagusu-face

    もう一つ” 熊楠の思索と行動にとって重要な役割をした”のが・・
    土宣法竜(とき ほうりゅう=1854~1922年)という真言宗の高僧であり、慶応義塾で西洋学問を修学してから宗教界に入り、非常に開けた視野と柔軟な思索の人。シカゴでの万国宗教大会に真言宗代表として出席したりロンドンやパリでも仏教関連の仕事をし、最終的に真言宗高野派管長となった。

    そのロンドン滞在時(1893=明治26年)に丁度現地で勉学中だった熊楠と出会った。13才年下で当時まだ20代の熊楠ではあったが既に「ネイチャー」誌に論文を発表して高評価を得ていたほどの知性にあふれていたので、二人は共鳴し合い、以後は1916(大正5)年頃までハイブラウな内容の書簡が大量にやりとりされた。

    ↓土宣法竜 師
    kumagusu

    西洋の科学や哲学においては物事の存在理由や現象の原因を追究するには、全体から細分へと分析対象を絞り込みながらその要素を抽出するという方法(従来一般に「還元主義」と呼ばれていたが最近は使われない傾向)がとられていたが、それでは真理をつかむには限界があると熊楠は気づいていたために、それに代わり得る方法を探り始めていた。

    そこで熊楠が着目したのが東洋の哲学、宗教であり、中でも曼荼羅(まんだら)に注目。それを知らされた土宣師は”曼荼羅を重用する真言宗の僧侶”でもあるので大いに熊楠を後押しした。

    ↓金剛界曼荼羅(左)  胎蔵界曼荼羅(右)
    2mandara

    曼荼羅は仏教の世界観を一般民衆でも理解できるようにと可視化したものだが、前述のように” 物事の存在理由や現象の原因”を可視化するのは難しいので、さすがの熊楠も10年を経てやっと一応のカタチを得たのが「南方マンダラ」と称されるもので、”一応”という訳は熊楠はこのマンダラ図を本当は立体を表すものにしたかったから”であり、しかも説明無しではこの図は理解できないから。

    ↓(いわゆる)「南方マンダラ」図 (河出文庫「南方マンダラ」より)
    minakata-mdra

    "知の巨人"である熊楠が長年考え抜いて導いた結果を可視化したこの「南方マンダラ」そのものと、その生成過程は難解で、浅学菲才の私のおぼろげなる解釈では"この世界の物や事は他との関係において生まれ、存在するものであって、その際の互いの関係の有様は多様(熊楠によれば図中のイ、ロ、ハなどそれぞれは異なる)であることを表している"のだろうと思いますが、詳しい説明内容に興味ある方は書籍「南方マンダラ」(中沢新一 責任編集・解題:河出文庫)に熊楠本人の説明(
    土宣法竜師宛の多数の書簡文中)と中沢氏の解説が掲載されているので参照下さい。 
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    「可視化」についての続編はまた後日に・・
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    以前に「食」に関する東西のちがいについて2編紹介したことがありますが、今回はその他色々なちがいをランダムに挙げてみました。 まずはよく知られている例から・・
    (以下文中『T』印は、文章や写真を「Trip Editor」サイトを参考または引用)

    ◎ハンバーガーのマクドナルドの略称(愛称)
    東=「マック」 /  西=「マクド」
    mac

    関西では、店で買い物してくれたお客に向けて「まいど(おおきに)」とよく言うことや仕事上で日頃つきあいがある人に会うと挨拶として「まいど」と言うことが多いことや、お尻のことを「おいど」と言うこと、"かまど"のことを「おくど(さん)」と言うことが多いなどで、マクドナルドが「マクド」となるのは自然の流れだろう。

    余談ですが、私が大阪勤務時代のこと、東京に住む父親が合いに来てくれた際、顔を合わせた瞬間に私は「まいど!」という言葉が出てしまって気まずい思いをしたことがありました。

    ◎関東などで「ワイシャツ」と言うが・・
    東=「ワイシャツ」 / 西=「カッターシャツ」

    ◎大学生の学年の呼び方
    東=「〇年生(ねんせい)」 / 西=「〇回生(かいせい)」

    ◎エスカレーターの立ち位置
    東=左側  /  西=右側

    ↓東のエスカレーター状況 『T』
    elevator-e

    ↓西のエスカレーター状況 『T』
    elevator-w

    ◎畳の大きさ 
    関東より関西のほうが大きい。当然部屋の大きさも同じ6畳間でも関西が見るからに広い。
    東=「江戸間」サイズ畳=1760 (5尺8寸) X 880ミリ
    西=「京間」サイズ畳=1910 (6尺3寸) X 955ミリ

    ◎「ばか」や「あほ」と呼ぶ地域の中間では?
    これは知る人も多いはずで36年続いているテレビ番組「探偵ナイトスクープ」(朝日放送テレビ制作)で紹介されたもので・・

    東 =「ばか」/ 
    西 =「あほ」/ 中部(愛知県など) =「たわけ」

    その他の例・・

    ◎子供の遊び” 警官と泥棒の捕まえっこ”の呼び名 『T』
    「警察」と「泥棒」のグループに分かれて、警察が泥棒を捕まえて牢屋に入れ、泥棒仲間が助け出すという設定の一種「鬼ごっこ」のような遊びの名前が・・
    東=「ドロケイ」 / 西=「ケイドロ」 / 東北の一部=「助け鬼」 / その他の地では(泥棒と巡査から)「どろじゅん」、「じゅんどろ」や(盗人と探偵から)「ぬすたん」、「ぬけたん」などある。

    ◎子供が何かを選ぶ時の「どれにしようかな 神様の言う通り」の後ろに続く言葉 『T』
    東西に限らず全国各地で多様にあり、東京の中でも「あのなのな」、「なのなのな」、「鉄砲撃ってバンバンバン 玉手箱 薬箱」などがある。

    ◎蚊に血を吸われることを・・ 『T』
    東=「刺される」 / 西=「噛まれる」 / その他地域で「食われる」とも言う。

    ◎銭湯での浴槽と洗い場の位置(下記の傾向が強い)  『T』
    東=浴室最奥の壁(よく富士山の絵が描かれている)に沿って浴槽。
    浴室入ってすぐに洗い場が在る

    西=浴槽が浴室の真ん中に在り、その両側に洗い場が在る。

    ↓関東の銭湯の例 
    1010-e

    ↓関西の銭湯の例
    1010-w

    ◎銭湯建物入り口の”のれん”  『T』
    東=のれん上端に、巾が数センチの布で作った輪っかを等間隔で並べて付けたものに、棒を通す形式で、結果として、のれん上端部には棒が所々に見える。
    西=のれんの上端全体を輪っか状に作り、その中に棒を通すのでのれん上端部の棒は見えない。

    ◎線香花火 『T』
    現在は国内の花火製造会社が減って中国製が多くなったために、日本の東西の違いが薄れてしまっているがまだ残っている特長は・・

    東=多彩な色の着いた紙を棒状に撚ったものの先端に着火して下に向けるも、火の球が落ちないようにして火花を楽しむもの。

    西=麦わらの硬い部分を持ち棒として先端に付いている火薬に着火したら斜め上に向けて火花を楽しむ。
    ↓関東型の線香花火
    senkohnb-e

    ↓関西型の線香花火
    sekohnb-w

    ◎同じ呼称で抑揚にちがい
    多くの単語の発音は概して東では抑揚が無いのにたいして西では抑揚がある。例えば・・

    東=「京橋」:(きょう)・(ば)・(し)の3音が同音程 
    西=「京橋」:(きょう)の音が最も音程が高く、(ば)→(し)と順に低くなる

    しかし東西で逆の場合もある。例えば・・

    東=「(人名の)「山脇」:(や)の次の(ま)の音程が最も高く、(わ)は(や)と同じ高さに下げ→さらに(き)は低くなる
    西=「(人名の)「山脇」:(や)・(ま)・(わ)・(き)の4音が同音程 

    ◎スコップとシャベルの呼び名の違いが東西で逆転?
    まず最初に、私が”土を掘る各種器具”の正しい呼び名を知らなかったのでご紹介しておきます。

    ショベル(シャベル) = 足を乗せる部分があって、足の力を利用して土などを掘る道具。

    スコップ = 足を乗せる部分が無く、手の力だけで土などを主にすくう道具

    移植ゴテ = 手だけで土などを掘ったりすくったりする小型の道具

    ↓スコップとショベル(シャベル) (NHKの「探検ファクトリー」より)
    suko-syobe

    ↓移植ゴテ 
    (NHKの「探検ファクトリー」より)
    isyokugote

    上記のような正しい呼び名があるにもかかわらず、現状は誤認識がある上に、関西と東北では呼び名が逆転しているという混乱状態にある。現状は・・

    北日本=スコップとショベル(シャベル)どちらもスコップと言い、移植ゴテをショベル(シャベル)と言う。

    関西 =移植ゴテをスコップと言い、スコップとショベル(シャベル)どちらもショベル(シャベル)と言う。

    touzai-suko-syo
    (NHKの「探検ファクトリー」より)

    東京など関東では” 関西と東北での呼び方の双方が混在してしまっていてメチャクチャな状態”。

    ◎落語の(元々の)スタイル 『T』
    東(江戸)= 舞台の上の座布団に座るだけの姿で落語を語る。

    西(上方)= 舞台の上の座布団に座る体の前に「見台」(膝隠し)と呼ばれる台を置き、その上に置かれた拍子木や扇子を適時台面を打ち鳴らしながら落語を語る。

    ↓関西落語のスタイル例
    rakugo-w

    『この東西の違いの原因は、江戸では、特に落語を聞きたい人間からお座敷などに呼ばれて、ただ落語を語れば良いだけであったのに対して、上方では神社などの屋外で演じていたために、通りすがりの人などの注意を引くために語りの間に小道具で音をたてて演出する必要があった』 (『』内は「横浜市文化振興財団」の談)

    ◎消防紋章 『T』
    東西で類似していて、いずれも全体を雪の結晶の印象にして、水管や水柱をアレンジしている点は共通しているが少々の違いを出している。

    東=真ん中の部分は太陽を表す。(消防署は地域の太陽のような存在でありたいとして)
    西=真ん中の丸い部分は大きい。

    syoubou-emb

    ◎学校などで履き替える靴類の呼び名
    漫画家の中村ゆきひろ氏が2014年8月27日から28日にかけてツイッター(現X)で各地での” 学校などで履き替える靴類の呼び名”を全国から回答(10数時間で集まる)してもらってマップにまとめたものを発表された。(下図)

    これによって、大まかに関東と関西で比較すれば・・
    関東=うわばき
    関西=うわぐつ

    ・・なのだが日本全国詳細に見れば、単純に東西や都道府県別には分けられないことがわかり、まず関西代表の大阪でさえ、北部はうわばき、南部はうわぐつと称している。

    東北と北海道函館近辺や福井県ではズックと言う。

    和歌山県と名古屋の一部地域ではバレーシューズと言う。

    ubki-map

    その他詳細は下記文章を参照ください。
    uwabaki-i

    ところが現在、後期高齢者である私がかつて東京で過ごした子供時代では”うわばき”とともに”ズック”という表現は普通に使われていた。ただし当時の“ズック”は”うわばき”でもあったが、屋外で使う運動靴も”ズック”と言っていた。これは団塊世代の人に聞いても同じ認識であることを私は確認しているが、それがいつの時代まで続いたのだろうか? 一説には今や”ズック”という言葉は若い世代は使わなくなっているようだが。

    かつて「ズックリン」という洗剤がその商品ラベルに「うわばき、運動靴が まっ白」になるとうたって「ジョンソン株式会社」から発売されて人気があったものの2020年に製造中止となったが、”うわばき”の表現はこの会社の本社が横浜であることから納得できる一方で商品名に”ズック”という言葉を使ったのは、”ズックという表現が東京や横浜など関東?で使われた名残”だったのだろうか。
    zukkurin
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    日本の東西比較については後日また追加します。
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    先日5月7日、シンガー・ソングライターの長渕剛が「肺気胸」を発症して4週間の療養が必要と医師から診断を受けたと発表された。同じ症状は、5月2日にも男子ゴルフプレーヤーの星野陸也が発症してやはり4週間の療養を発表。その他、陸上短距離ランナーの山縣亮太も数年前に発症しているが、「肺気胸」とは・・

    ↓長渕剛(写真は「TBS NEWS DIG」より)
    nagabutipng

    ◎「肺気胸」とは
    吸った空気によって肺の中の「肺のう胞」(はいのうほう)が風船のように膨らんでいる状態の際に何らかの力が加わって破裂して、漏れだした空気が、肺全体を覆っている胸膜との間に溜まり、その分、肺はしぼむ状態になることで、言い方を換えれば”胸の中に隙間ができる”状態。

    kikyou-zu
    (図は「FNNプライム オンライン」より引用に一部加工)

    自覚症状としては、急な胸痛、息切れ、呼吸しづらくなるなど。

    ◎「肺気胸」は2種類
    「自然気胸」 : 特に何もしないのに発症。一部には遺伝体質も影響。
    「突発性気胸」 : 過激な運動、急な動作、衝撃などで発症。

    ◎「肺気胸」になりやすい人は
    昔から言われているのは・・”10代後半から20代にかけての瘦せ型の人”、”女性より男性”
    その他(神奈川県立循環器呼吸器病センター・小倉高志所長によると)
    “60代以上の高齢者や喫煙者にも多い。怖い病気ではないが、再発する人も多い”

    なるほど、長渕は67才、星野は27才、山縣は26才のとき、そして後述しますが私も21才で、従弟も20才で発症していて、しかも皆 男です。

    ◎「肺気胸」治療法
    一般的には”肺のう胞が破れて出来た穴が自然に塞がるのを待つ”が、漏れた空気量が多くて胸膜と肺の間の隙間が大きい場合は「胸腔ドレナージ」と称する”胸表面からドレーン管(チューブ)を刺し入れて空気を抜く”方法がとられる。

    ◎私の「肺気胸」実体験記
    前述のように、私が21才の冬のある日、友人とキャッチボールをしようということになって、まず第1球目から思いっきり投げ始めて、その調子で10分ほどで終えたのですが、その時は体に何の異常もなかった。
    cyatchball

    しかしその帰りに、ある交差点の横断歩道を渡っている際に信号が赤に変わりそうになったので走ったその時、左側の胸の中で”ボック、ボック、ボック”という音がするので、これは何かおかしいと感じたものの、(その時の私の場合は)胸に痛みや息苦しさは全然なかった。

    帰宅後、家族からは「医者に診てもらったほうが良い」と言われ、翌日にかかりつけの医院に行き、診断の結果は「突発性気胸」。当医院では的確な判断と処置ができないので紹介状を書くから大きな病院に行くように言われて受診したのが・・

    中野病院(東京都中野区江古田。平成5年に他の病院と合体されて当地建物は撤去)で、ここは元々 結核治療がメインなのだが、とにかく私も診てもらった結果はやはり「気胸」(当時は「肺気胸」とは言っていなかった)だが、程度が軽いのでこのまま自然に肺のう胞の穴が塞がるのを待つことにされた。

    こうして、勿論過激な運動などせずに静かに過ごしているうちにいつのまにか(2~3か月後?)、飛び跳ねても胸の中で”ボック、ボック、”という音がしなくなったので、治ったのであろうと自己判断した。

    後から思えば、私の肺気胸発症は、冬で日頃 運動不足のところにウォーミングアップも無しに最初から思いっきり投球したのがいけなかったのではないだろうか。

    ◎調合された風邪薬を正しく飲まなかったので酷いめにあった!
    肺気胸発症時に私は風邪をひきかけていたので、咳が出て肺のう胞の穴が大きくなったりしてはまずいということで病院が調合した風邪薬(紙に包まれた粉薬)を処方された。

    私は後期高齢者になった今でこそ毎日10種類の薬を(命にかかわりそうなので)仕方なく飲んでいますが、本来は薬嫌いで当時は日頃 薬を飲むことがなかったために、病院特製の風邪薬をつい飲み忘れてしまった。

    しかし咳が出て肺気胸が悪化してはさすがにマズイと思い、飲み忘れに気づいたのが夜だったがその時点で風邪薬を飲んだ。それも二日続けて同じことをやってしまったが、これがイケナカッタ!

    二日目に薬を飲んだ10~20分後だったかに突然激しい胃痛が起こって、これがとんでもない痛さで、頭の中はただ”痛さだけがある世界“になって他のことは一切考えられない状態になってしまい、思わず掘りごたつ(当時6人家族だったこともありこたつはたたみ一畳分の大きさ)の床(通常、足を置く面)で暫く”のたうちまわっていた”。

    激痛が続く中で、一つだけ思ったのは「これは、腕をナイフで切るより痛い!」・・というほどだった。

    とりあえず常備の胃腸薬を飲み、ほとんど眠れぬままに翌日になり、かかりつけ医院で受診した結果は「急性胃カタル」。原因は” 食後服用”という”薬の服用指示”を守らなかったために”胃にダメージを与えた”結果とされた。

    ※私に与えられた風邪薬は特に強力な成分を調剤した粉薬だったが、普通の市販風邪薬でも胃を傷めるので食後服用は必須。(つまり、空腹時に服用は禁止!)

    医者の指示と処方された薬によって、胃痛はその後徐々に収まり、通常に近い状態にもどったが、完治したと言えるまでにはさらに5年を要した。・・と言うのは、好物のカレーライスを食べると胃痛と腹下しが起きるようになり、それが何とか起きなくなったのが5年ほど後だったから。

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    ウォーミングアップ大切 ! 風邪薬は絶対に食後すぐ服用すべし !
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    余談 : 肺気胸体験から10年ほど後に、スピードガンで投球速度を測れる機会があり、私は86キロだった。大谷翔平の投球速度165キロとはあまりにもかけはなれている! ところで私はうっかりしてウォーミングアップ無しで投げてしまい、「しまった」と思うとともにウォーミングアップしていたらもう少しスピードが出ていたはず・・とも思った次第。
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    前々回、前回と騒音について綴りましたが、実は私自身が”気づかぬうちに騒音源となっていた”ことがありました。それは・・
    ◎スピーカーからの音楽で隣から怒鳴り込まれた! 
    angry-for-audio

    私が勤務地の大阪でアパート※暮らしを始めた1970年代初め、その自宅で聴くレコードなどの音楽の音量には気をつけていたつもりだったのですが、ある日の夜7時頃のこと お隣のご主人が「うるさい」と言って怒鳴り込んできました。

    つまり、私は隣宅の人にとっては騒音となる音を出していたわけですが、なぜこんな事態になったのかを考えてみたら、複合要因があったのです。 それは・・

    (1) 隣宅との境が防音・遮音性が十分でない塗り壁1枚では”お隣は隣室と同じようなもの”という認識が私には無かった。

    (2)(上記と密接に関連しますが)私はそれ以前には戸建て住宅にしか住んだことがなかったので、集合住宅の”音の問題”を知らずに、戸建てで聴いていた音量基準では大きすぎた。

    (3)夏だったので(2階角部屋の)窓という窓を全て開放した上で扇風機を最大風量にしていたために、聴いている音楽が風音でかき消され気味だったので、従来よりも音量を少し大きくしてしまっていた。

    (4)隣宅のご主人の職業がタクシーの運転手なので、勤務時間の関係で睡眠時間帯が一般とはちがっていることがあって”私が出していた音が聞こえて眠れないことが多々ある”ということを後で奥さんから聞いた。
    cannot-sleep

    ※当時私が住んだアパートは関西独特の呼び名である「文化住宅」という種類の集合住宅で、1950年代から出現した木造モルタル(多くは2階建て)造りで各戸ごとに台所とトイレがついている形態だった。

    ◎いびきがうるさいから(無言で)座席背もたれを後ろから蹴られた!
    ibiki
    右写真はYahoo newsより引用)

    私が50才代なかばのある日に、出張で新幹線に乗って東京から大阪に向かう途中、いつものように眠っていたら突然座席背もたれの後ろからガーンと強く(たぶん)蹴られて目が覚めた。

    とっさに私は自分のイビキがうるさかったからと理解した。そう判断する材料となる事態が過去にも新幹線内であったからで、その際は新大阪から乗り、東京に列車が到着すると横に座っていた高齢男性に「イビキがうるさくてたまらなかったよ」と文句を言われたのだった。いずれも私のイビキは騒音レベルだったようです。

    その他にも通勤電車の中で眠っていて隣の人から私の脇を小突かれたり、腕にギューっと圧力を加えられることがあったのは、その当時は”何でそんなことをされるのか”に鈍感だったものですが、それは私のイビキがうるさかったからだったということに後年にやっと気が付いたのでした。

    ※その後、私は自分のイビキ解消または抑制する方法を体得して、騒音問題ほぼ解決したのですが、長くなるので詳細は後述します。

    ◎いかなる音も騒音になる可能性がある!
    条件の違いによってあるいは人によって、ある音が騒音になったりならなかったりするもので、それは大音量はもちろん、小さな音量でも起こります。

    (1)ある音や音楽を騒音と感じる人と感じない人がいる

    A)生理的に好・嫌が分かれる例
    ・前回にもとりあげた”風鈴の音”が好例。
    ・昔、私の弟がレコードで”グレゴリオ聖歌”を好んでよく聴いていたが、祖母は「ご詠歌みたいだからやめてちょうだい」と苦情を言っていた。
    グレゴリオ聖歌の例:https://www.youtube.com/watch?v=fKLxgRH95Ns

    B)“コーホート”(ある年代の社会を経験しているある世代集団)によって好・嫌が分かれる例
    ・近所の公園や通路で遊ぶ子供の声・・近年に生まれた世代と比べると3.5倍も仲間の人数が多かった団塊の世代(出生数比較:1949年=269万人/2023年=76万人) が育った時代は公園、広場や路地で遊ぶ子の数は今の時代より当然多かったし、比例して騒ぐ声も多かった。
    playing-child
    (団塊世代直前の世代である私が通った小学校(東京・豊島区)さえも1学級に児童平均60人、それが6学級あり1学年で計360人だったが、他の地域ではもっと多い児童数の学校があった)

    そのように、子供仲間が騒ぐ声が聞こえるということが日常であった団塊の世代やそれに近い世代は、その後近年に至るまで”子供が近所で騒ぐ声”をうるさいと感じる人が少ないどころか私のように”むしろ、子供のさわぐ声が聞こえなくなったら寂しいくらいで、さらにこれは少子化問題深刻、日本消滅へ向かう”ことの表われであると感じるから、その意味でも”子供の声歓迎”と思う人も少なからずいるのでは?

    C)喧噪の環境で育ったか否か(田舎?)
    都会のような喧騒に包まれ、あるいは慣れ親しんで育った人たちにとってそれは騒音とは感じなくても、静かな環境で育った人には騒音と感じることが多いもの。

    逆に、都会育ちの人は、里山で田んぼの蛙の合唱がうるさいとか池のウシガエルのボオ・ボオ・ボオという合唱がうるさい。その他セミの声も・・ということでこれが騒音に感じる例がある。

    蛇足ながら、一般常識では騒音なのに私はそれをむしろ快音と感じていたのが・・東京の昔の新宿の街の喧騒の中でも、道ゆく人の頭上から有線放送の声がふりそそいでいっそう賑やかさを増していた”音の風景”でした。‥その有線放送から流れていた(映画館の上映案内の)ナレーションの出だし部分の
    「ブリット、ブリット、スティーブマックイーン主演の・・」がなぜか記憶に残っている。(「ブリット」:1968年公開の米国映画)
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    この新宿の街の有線放送が今でもあることが先日のテレビで知ることができました。・・それは最近「鳥貴族」という名の有名な焼鳥居酒屋チェーン店の新宿店の類似店が”客引き人”を使って客をだまして誘導する悪行が発覚したことをうけて、有線放送で注意を呼び掛ける音声が流れていたから。

    (2)同じ人の中で、その時の精神的や肉体的状態によって騒音にも非騒音にもなる
    A)好きな音楽が場合によって逆に騒音(的)に聴こえる例
    小説家などが執筆作業する際に、静寂な環境の中でよりもそこそこざわついている喫茶店でのほうが効率が上がるという人も少なからずいますが、それと同様な目的で何か音楽を聴きながら作業する人の中には、自分好みのジャンルの音楽が聞こえてくると、そちらにも意識が行ってしまい邪魔になるから、それは一種の騒音になってしまうものなので逆に嫌いなジャンルの音楽が聞こえていたほうが意識に入らないから好ましいことになるそうだ。

    cafe

    B)病気の時、イライラしている時、受験勉強などで難問を解いている時などは、通常は普通に聞く音楽や話し声が騒音化するもの
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    ・・昔、隣家の高校生の息子さんが、普段は温和なのだが、ある時に2階の(たぶん勉強部屋の)窓から、道を歩きながら会話している小学生数人のグループに向かって「うるさい!」と珍しく怒鳴っていたことがありました。

    (3)時間帯によって(地域によって)騒音化する例
    ・横断用信号音の音
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    横断中に鳴るピヨピヨなどの音を出すタイプの信号は正式には音響信号機と言い、主に視覚障がい者に便利なように、メロディ(「通りゃんせ」や「夕焼け小焼け」など)または擬音(「ピヨ」や「カッコー」)の音で横断歩道が青信号状態を知らせるものだが・・

    その音が都会の喧騒の中で鳴るのは問題ないが、住宅地では昼間はほぼ問題ないものの夜間では音が周囲の音環境の中では相対的には大きく感じてしまうことになる。

    しかもこの音響信号機が採用され始めた当初は「メロディ式」でしかも誰でもが知っている曲なので、住宅地などで少しでも聞こえるとどうしてもメロディと歌詞をアタマの中で追ってしまうので、その近辺の住民にとっては”夜間の騒音化”してしまう事態が起きていたので苦情も少なからず出ていた。

    ・・ということで現在は新規設置するものはすべて「擬音式」になっていて「メロディ式」は全国で2%しか残っていない。

    騒音苦情が出たある地域では夜間には音響信号機を停止したところ、ある夜に視覚障がい者がクルマにはねられてしまったという弊害も起こっている。そこは夜間でも昼間より音量を下げた擬音タイプの音を出すべきでしょう。

    (4)タブー音も騒音のうち
    騒音イコール望まれない音であるという解釈からすれば、音の大小に関係なく”嫌われる音”は騒音。

    A)”夜の口笛”・・昔から夜に口笛を吹くと「蛇が出る」、「人さらいが来る」、「泥棒が入る」などと言われて、その行為はしてはいけないという言い伝えがあり、(その理由はここでは省略しますが)とにかくこれを信じる人たちにとっては”夜の口笛が騒音”になる。

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    松竹DVDより

    B)”音のマナー違反”・・食事の際の”皿とカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーンなど)が当たる音”、”咀嚼音”、”ゲップ音”そして外国人にとっては”麺類をすする音(これを最近では「ヌーハラ」と言うそうです)” などは一種の騒音となる。
    nuuhara
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    私の場合の”イビキ解消法”・・まずこれは多くの人に共通することですが、普通に寝る場合は横向きに寝るのが原則。仰向けではイビキを書きやすくなると同時に睡眠中に唾液が気管に流れ込んで誤嚥性肺炎になる危険もある。

    そしてイビキ解消法は・・”眠る際は下あごを上あごより前に出す”こと言い換えれば下側の歯列が上側の歯列よりも前にせり出た状態にすること。
    これによって眠っている際の気道が塞がれないようになってイビキが発生しない(しにくい)ことになる。
    このあごの前後関係を維持するのは最初は努力が必要だが、日中でも意識的に”下あごを前に”をこころがければ、そのうちにほぼ無意識にもできるようになり、この状態は入眠後も保てるよう(ここは確信できませんが)です。

    この方法が顕著な効果を示すのが、乗り物(電車、新幹線、バスなど)に乗って眠る際やソファに座って居眠りする際で、もうイビキをかかなくなります。(この効果を出すためにもう一つ必要な事は太っていないことです)

    “下あご前出し”状態維持がどうしてもできない方は病院で”(睡眠時無呼吸防止用)マウスピース”を作ってもらうのがよいでしょう。(マウスピースそのものの製作代は3割負担で1万5千円程度)
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    騒音関連のお話 次回にも続けます
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    前回、最近の日本での騒音苦情の事例をあげてみましたが、冬ならではの例、その他の例を追加紹介します。
    ◎「雪かきの音がうるさい」・・という苦情
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    その音とは「ゴーリ、ゴーリ」というような音であり、雪かきをする際に金属またはプラスチックのスコップ(シャベル)やスノウダンプ(上イラスト右側)が地面(最近はたいていアスファルト舗装面)に擦れて必ず発生する音。

    勿論、降雪が多い地域では必要な作業なのですが、”深夜または早朝の雪かき音による安眠妨害”への苦情が非常に多い。

    具体的には、”深夜2時、3時”や”早朝5時”の雪かき作業を平均30分くらい続けるのでその音で眠っていられないという声が多発。

    中には、深夜にエンジン式の家庭用除雪機※を使う人もいて大迷惑だが、豪雪地域では自治体が大型除雪車を深夜でも稼働させることがあり、これは各家庭前の道路をサーっと通り過ぎるので苦情は出ないそうだ。 ※電動の静音タイプ除雪機は販売されているのだが・・

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    北海道の河西郡芽室町では公害防止条例で「夜間(22時~6時)にあっては付近の静穏を害する行為をしてはならない」と定めているため、これをもって違反者を出さないようにしている。

    ◎「『火の用心』の見回りの掛け声がうるさい」という苦情
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    昔から全国的に行われてきたカタチは、夜間に数人が一団となって「火の用心(ひのよーじん)」と大声を出し、拍子木をカッチ、カッチと打ち鳴らすことを繰り返しながら地域を歩き回る・・というもので主に空気が乾燥しかつ暖房などで火を使うことが多い冬の期間中に行われるもの。

    私がかつて暮らした東京都豊島区の町では、昭和20~40年代(その後は知りませんが)には「火の用心! マッチ一本火事のもと!」と言っていた。またその一団は大人一人が付いた子供数人で構成していた。
    しかし現在はこの”火の用心巡回”を行う地域が減っているそうで、その理由は・・子供が減った社会では寒い中での高齢者が行う訳にもいかないこと。巡回担当が持ち回り義務になっている地域ではその負担への不満充満。
    そして”火の用心巡回”の掛声がうるさいという苦情も多いこと。

    ・・というわけで長年の慣習を廃止する地域が多いものの、超高齢社会の最近では住宅火災で焼死するお年寄りのなんと多いことか。むしろ東京都の東部の住宅密集かつ道幅が狭く消防車到達困難地域では”火の用心巡回”を消滅させてはならないという意識が若年・壮年にも強い。

    この巡回にはもう一つ同時に、不審火・不審者防止という効果があることも見逃せない。

    次善の策として”声は出さずに拍子木だけ叩いてまわる” “消防団員のボランティアが実行” “(私の住む地域では冬季のみに)消防車が鐘(電子音)を「カン、カーン」と5秒ごとに鳴らしながら巡回”などで対応している。
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    その他、生活音の範疇に入るもので騒音苦情として多いのは・・

    ◎飼い犬の吠え声
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    犬の吠える単発の声(ワンと一声くらい)には我慢できても、連続して吠える、年がら年中吠える声は万人がうるさいと思うもので、それも屋外の犬小屋で飼っている犬の場合は酷くなり、これを飼い主が放置しておけば隣近所から苦情が出ること必至。

    私の近所では、犬の吠え声への苦情が原因で2軒の間が絶交していました。(その後、犬の家は転居) また、昔に私の祖父の家の犬小屋で飼っていたほとんど吠えない犬に「うるさい」と苦情を言ってきた隣家がありましたが、これは余程の犬嫌いだったのでしょう。

    以前のブログに書いたことがありますが、昔 私が警察無線を傍受出来ていた時期には「住所〇〇の〇〇という家の横を通るたびにこの家の犬が吠えてうるさい」という苦情の訴えがあるので現場に向かえという指令を警視庁からパトカーへ伝えていたことがありました。

    これまた昔の話ですが、日本ではかつて「スピッツ」(正式犬種名:日本スピッツ/下写真)という”フワフワ白毛で耳ピンと立ちちょっとかわいい顔”をした中型犬がもてはやされた時代があって、先述の祖父の家でも飼っていたことがありますが、この犬、キャンキャンとよく吠える性格と抜け毛が多めであるのが欠点で、それ故に全国で次第に飼われることが少なくなってしまいました。(ただし、最近は比較的おとなしくなるように品種改良しているとのこと)
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    (↑
    写真はウエブマガジン「いぬのきもち」より引用) 

    ◎風鈴の音
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    風鈴はガラス製、陶磁器製、鋳鉄製などがありますが、いずれも風によってチリン・チリンという音がするものですが、決して大きな音ではないものの・・

    まず問題はこの”風鈴の音そのものが人によって好き嫌いが分かれることで、嫌いな人にとっては騒音となっていること。

    もう一つは、”風鈴が強風のもとでは強い音でしかも途切れることなく鳴り続ければうるさい”と誰でもが(通常の風鈴音が好きな人でさえも)騒音と感じること。・・実際の例では夏を過ぎても風鈴を”ひっこめる”ことをしないで台風や、木枯らしが吹いてもほったらかしの家が少なからずある。

    ◎騒音になり得る音環境の概念図
    ここで、前回と今回でとりあげてきた”騒音になり得る音環境”を整理して下図のようにしてみました。
    <直接音>対面して話される声、怒鳴る声 / 同じ部屋や電車やバスの中で騒ぐ声など
    <隣接音>隣室・隣家の人の声や足音、家電機器音、ペット声、風鈴音など。いわゆる生活音。
    <周囲音>隣接または極近隣の公園、駐車場、道路駐車、保育園・幼稚園・小学校などからの声や音。
    <公害音>万人が確定的に騒音と感じる音なので各種法や条例で規制あり。工場や工事現場の稼働音、自動車類総体の走行音、航空機音など。
    <公共音>多くの人への素早い情報伝達のために必要な”地域有線放送”、地域住民が楽しみにしている伝統の行事や祭りの音、年に一度の除夜の鐘、”火の用心”の巡回音など。
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    その他、騒音に関して私が体験したエピソードなどは次回に・・
    ・・・・・・・・・・・・・

    (1)多くの寺が除夜の鐘に苦慮
    昨2023年の大晦日、『東京都のある寺では除夜の鐘をつくことをやめた。
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    この寺では昔から、毎月1日と15日の午前5時に鐘をついてきていたが、5月に「鐘の音がうるさい」という苦情がよせられたと警察から連絡があったので、以後は鐘を打つ回数を減らしていたが、11月になって鐘をついた数時間後に、墓地に備え付けの手桶30個がすべて燃やされてしまった。

    ・・というわけで、寺の鐘の音に不満をもつ人と対話して良案を求めたいが、それもできないままでは今後のエスカレートも心配なのでやむなく日常の鐘つきと除夜の鐘つきを中止にしたのだった。

    また別の寺では、苦情が出ることが予想されるご時世になったので、予防措置として自主的に”除夜の鐘はコンと打つ”だけにとどめるようにした。』 (『』内は毎日新聞ウエブ版2023.12.31より抜粋)

    私の住む千葉県の圓明院というお寺でも、除夜の鐘は騒音苦情対策かつ高齢者と子供が参加しやすい時間として午後4時からつき始めている。

    (2)盆踊りの太鼓の音や音頭の歌声に苦情も !
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    盆踊り(夏祭り、秋祭りなど)開催にあたって主催者側は開催前に管轄警察や近隣への断りを入れていても、最近は音がうるさいという苦情が出ているケースも増えているようで・・

    『太鼓の”打つ面“の反対側の面に分厚い布を張って音を弱めたり、音量を抑えた電子太鼓を使うところも出ている。』 (『』内 同前)

    私の住む地域では盆踊りそのものの開催を従来は2日間、午後3時から午後10時までだったものを、段階的に日時を短縮するようになって最終的に、開催は1日限り、しかも午後9時までになってしまった。

    (3)子供騒音苦情で公園廃止事例が発生
    昨2023年3月末に、長野市のある公園が廃止されたが、その理由を市は「隣接する住宅の一軒から『子供たちの声がうるさい』という苦情が出ているため」と説明した。

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    この報道がマスコミから流されたとたんに、この苦情主への批判が多数(賛同も若干)SNS上などに寄せられた。同時に氏名と身分を特定して公開され、いやがらせの電話あり、頼みもしない住宅メーカーのパンフレットが送付された。

    週刊誌の取材において苦情主が語ったことには・・「子供たちが公園で遊ぶこと自体に反対しているわけでもなく、ただあまりにもうるさく、雨戸を閉めても効果ないほどで、しかも禁止されている球技をしてボールの打球音やサッカーボールを蹴る音がこれもうるさい。

    さらに近所に在る児童センターがウイークデーの午後3時から5時くらいまで約50人の児童をひきつれて遊ばせる時間帯が特にうるさい。おまけにこれら児童の親が送迎するために付近にとめたクルマのエンジンをストップしないのでこれもうるさい。

    このような状況なのでこの苦情主は自ら、ボール遊びの子供たちには都度”公園の規則を守るよう”に言い聞かせており、児童センターにも対処改善を申し入れしたりしていたが一向にらちが明かなかった。」

    そもそもこの公園に隣接する住宅でこの苦情者宅以外は日中不在なので苦情が発生しなかったようで、結局は苦情者宅の奥さんが「18年間我慢してきていたが、主人が前年に定年退職して在宅でリモートワークを始めたところ、この日中のうるささをあらためて主人が強く実感するようになったため、市に訴えた」・・のだそうです。

    (4)電車内で騒ぐ自分の子供放任を主張の”「おやおや」な親”登場!
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    数年前にマスコミによって紹介された事例ですが・・電車内で騒ぐ子供に向かって、ある高齢男性が”うるさいことを注意“したら、その子の親がこう言い放った・・

    「子供は泣いたり騒いだりするのが仕事。うちでは周りに迷惑をかけるなという躾はしていない。
    あなたの価値観を子供に押し付けないでください」

    もうこの親の言動にあきれるやら、悲しいやら。 その親自ら「・・という躾はしていない」と言って、その言葉どおり躾ができていないし、これは価値観以前の問題であるということが分かっていないので思考回路が疑われる。

    ここでちょっと話は飛びますが・・やはり数年前に、児童が学校給食で食事前に「いただきます」と唱和することにたいして、ある親が「給食費を払っているのに『いただきます』という必要がないではないか」と学校にクレームをつけた事例があったが、その親も「いただきます」の本当の意味を考えることができないことを世間にさらけ出していた・・ことが思い出されます。

    ◎「騒音」とは何なのだろうか?
    「騒音」とは「望ましくない音」である。
    ・・という説明がみられるが、確かに”大音量で長時間継続する音”、例えば工場・事業場騒音、交通騒音、建設作業騒音などは万人が望まないものなので各種法令や条例で規制されているが・・

    では”大音量だが短時間継続、しかも年に1回かつ決まった日にしか出ない除夜の鐘や盆踊りの音は、大多数の人が望む行動にともなって発生する望ましい音であり、望まない人は少ないのに、これを騒音と呼ぶものだろうか?

    一方で大音量ではないものの、音によっては”望ましくないか否か”は”時と場所と人”によって異なるものがあり、それが生活騒音とされる部類に多く例えば、東京都環境局の5分類によると・・

    ・家庭用機器からの騒音:冷蔵庫、掃除機音など
    ・家庭用設備、住宅構造面からの騒音:ドア開閉音など
    ・音響機器からの音:ピアノ、カラオケ、ステレオ、テレビなど
    ・生活行動に伴う音:話し声、足音、食器の音など
    ・その他:ペットの鳴き声、風鈴、建物外から入る自動車の音(クラクション、エンジン音、タイヤ音)など

    ※これら5分類生活騒音についての実例やエピソードが(私が経験した事例だけでも)多くあるのですが、次回にご紹介します。

    さてこれらの生活騒音は程度の差はあるものの、音の発生源からは壁、床、天井、窓ガラスなどで一応遮断されているが若干漏れている、あるいは伝わってくるという、いわば(音源近いが)”間接騒音”。一方・・

    前述の例のように、電車内という狭い一種の閉鎖空間の中で、音を遮断するものもない状態で、寝ている人、本を読む人、体調がすぐれない人などがいるかもしれない前で子供が騒ぐ音は(間近からの)”直接騒音”であり、即禁止・制止すべきは明白。

    そしてもう一つの前述例の”公園での子供騒音”苦情の件は、苦情主、児童施設や学校、公園管理する自治体のそれぞれがもっと真剣に対処法を考えていたら、なにも公園を廃止しないで済んだのではないだろうか。(苦情主は「何で苦情を言うのか、ここに住んでいる者にしかわからない」というようなことを述べておられるそうだが) 対策案として・・

    ・まず児童施設や学校での騒音教育・指導の徹底。 

    ・児童施設が児童50人を連れて当該公園を利用する際には、この公園は広いので”苦情主宅から半径20?メートル以内には児童たちを行かせないように都度ロープを張る。 

    ・「不快音」は音量や音の波形に関係なく4000~7000ヘルツとされるが、子供の声は通常は1000~2000ヘルツのところ、遊びの最中によく発する「キャー」という声は4000ヘルツを超えていることはまちがいない。(子供のデータが見つからないが、大人の「キャー」という声でさえ2000~4000ヘルツとされるから)

    この子供たちの高音の声は反射しやすくかつ吸収されやすい性質があるので、これを利用して、苦情主宅近くに”音の反射板”設置や常緑樹の植栽を増やす。(見通しや風通しに配慮しながら)

    ・苦情主宅の窓を2重又は3重の防音ガラスにする

    ・・・・・・・・・・・・
    以上、騒音についてまだ語ることがあるのですが、文章量が多くなりすぎたので、次回に続けます。
    ・・・・・・・・・・・・

    「蔵出し」とは、金庫からお金を取り出すことや、倉庫に保管しているモノを取り出すことを言うのだそうですが、通例は特に酒類の場合に貯蔵されている蔵から出したばかりのモノを言いますね。

    ここで、酒以外にも「蔵出し」を使っている例をちょっと紹介!

    ◎トヨタ博物館「お蔵出し展」
    丁度今、2024年1月26日から6月30日まで 
    トヨタ博物館(愛知県長久手市)文化館2階 企画展示室で、
    秘蔵の国内外の名車400台の中からレアな13台を
    (トヨタいわく)「蔵出し」して展示する。(常設の140台とは別に)

    toyota-poster

    5つのテーマに分けて紹介
      (A)60年前に日本や欧州の道を庶民の足として走り回った大衆車
    (B)1960-1970年代の日米欧の伝説的なスポーツカー
    (C)1964年の東京オリンピックで選手の移動をサポートしたコミューターバス
      (D)日本車でありながら日本には導入されなかった海外市場専用車
    (E)二輪車

    (A) 1. DAF 600(1959年・オランダ)
      2. トラバント 601 ユニバーサル(1965年・東ドイツ)
      3. 三菱 コルト1000F(1968年・日本)

    (B)4. シボレー コルベット スティングレイ(1963年・アメリカ)
        5. 日産 スカイラインGT-R(1970年・日本)
        6. ロータス エランS4(1972年・イギリス)

    (C)7. トヨタ バンデランテ(2001年・ブラジル)
        8. トヨタ ハイラックス VIGO(2005年・タイ)
        9. トヨタ アイゴ(2006年・チェコ)

     (D) 10. トヨタ ライトバス(1963年・日本)

     (E) 11. 三菱 十字号 自転車(1947年・日本)
      12. 三菱 シルバーピジョン(1949年・日本)
      13. ホンダ スーパーカブCA100型(1962年・日本)

    DAF 600(1959年)
    daf600

    シボレー コルベット スティングレイ(1963年)
    stinglay

    トヨタ バンデランテ(2001年)
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    その他 ・オープンカー走行披露:トヨタ 2000GT ロードスター(1967年)
             レクサス LFA スパイダー(2012年)
          ・別途展示:MR2プロトタイプ(1983年)・・など
      
    詳細はトヨタ博物館公式Webサイトで

    ◎「蔵出しガソリン」 !
    国道16号線が千葉県市原市の姉崎海岸と称する町を通るエリアの道路より西側=海岸側は多くの大企業の工場や研究所(出光興産、三井化学、AGC、日本板硝子、ENEOS、UBEなど)があるが、中でも出光興産の精油所や研究所の敷地は広大。

    この出光興産側とは国道16号を挟んで反対側沿道には幾つかのガソリンスタンドがある中で、当然のように出光スタンドがあるのですが、そこの道路沿いに立っている旗には・・
    「蔵出しガソリン」と大書してあるので目立つと同時にちょっとしたユーモアを感じてしまう。

    このスタンドは目と鼻の先にある石油精製工場から確かに出来立てのガソリンを供給しているだろうから、このような表現が自然に出たのでもあろう。

    しかし石油業界には「蔵出し税」というものがあり、これは石油を精製してガソリンを製造した業者がその出荷時に課せられる税のことだそうで、この税の名も” 「蔵出しガソリン」という表現”に影響しているのでしょう。※軽油には「蔵出し税」ではなく地方税がかかる。

    ちなみに酒造業界にも同じ「蔵出し税」があるそうで、これも酒造業者が酒類を出荷する際にその業者に課せられる税。

    ↓出光興産 千葉事業所 (下航空写真の赤色矢印が「蔵出しガソリン」のスタンド)
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    ↓海側から見た出光興産石油精製工場 (写真:hitoshi Matsuzawa氏)
    idemitu-view

    ◎蔵出しをされずに見つかった大量のヴィンテージカー!
    2007年のこと、米国ニューヨーク在住の老夫婦が定年を機にポルトガルのある農地を納屋付きで購入して驚いた。
    前所有者が入り口の鉄製扉を溶接して閉鎖していた大きな納屋を、開けてみたらなんとヴィンテージカーが180台。びっしりとしかし埃で白くなった状態で発見された。
    その価値は概算で2600万ドル(日本円146円換算で約38億円)。

    調べたら、クルマのディーラーをしていた前オーナーが趣味で集めていたが納屋が満杯になったところで封印して死去してしまったらしく、その後15年経過しての発見となった次第。

    クルマに限らないが、集めていたモノを何らかの理由でその一部または全部を身内や他人に譲る、売却する、あるいは博物館などに寄贈する例も多く、それは”蔵出し”というカタチになるのでしょうが、このポルトガルの納屋の場合は、大量のヴィンテージカーが蔵出しされずにいたということになる。

    ↓これが”お宝満杯の納屋”
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    ↓埃をかぶったヴィンテージカー
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    vintage

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    ↓この納屋内部の様子の動画(一部は年式・車種説明付き)YouTube
    ・・・・・・・・・・・・

    ◎李香蘭(リコウラン)登場!
    先日のNHKの連続テレビ小説(通称:朝ドラ)「ブギウギ」の中で、李香蘭が「夜来香(イエライシャン)」という曲を歌うシーンがあった。

    李香蘭(1920~2014)は旧姓名かつ芸名:山口淑子(よしこ)/米国ではシャーリーヤマグチ/本名:大鷹淑子。
    日本人だが中国で生まれ中国語も堪能だったために、満州映画協会(通称:満映)※専属の”中国人俳優”として、また歌手として戦前戦中の中華民国、満州国、日本で活躍し、戦後は香港や米国で活躍(米国での名はシャーリーヤマグチ)。その後日本のテレビ司会者や参議院議員(3期)をつとめた。

    ↓李香蘭 (コロムビアのHPより)
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    ※「満州映画協会」は国策会社と言われ、理事長は甘粕大尉。彼はその以前は国内で憲兵大尉時にアナキストの大杉栄や伊藤野枝らを虐殺して服役したこともある人物で満州国建国にもかかわったが終戦と同時に服毒自殺した。 映画「ラストエンペラー」では故・坂本龍一が甘粕に扮して出演した。

    さて「ブギウギ」の中で李香蘭に扮して登場したのはミュージカル俳優の昆夏美さん(失礼ながら私はこの方を知りませんでした)で、きれいな歌声で見事に (私ども高齢者はその元歌を知る者が多いのでそう判断できる) 歌い上げていました。

    ↓李香蘭に扮した昆夏美 ((C)NHK© MANTANWEBより)
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    このドラマの制作統括者によれば、もともと昆さんにはこのドラマのオーディションを受けてもらっていて、その際の魅力的な印象が強かったので、たった一話の一シーンだけでも登場願ったとのこと。

    戦前戦中の中国を舞台にした日本製の叙情歌では「支那の夜」と「蘇州夜曲」が双璧だと私は思っていますが、もう一つ同時期に日本でも流行った歌が「夜来香」で、これも私は今まで日本製と思っていたのですが、実は中国の民謡を基に中国の作曲家の黎錦光が作曲したものだそうです。

    朝ドラ「ブギウギ」では実在した笠置シズ子や服部良一は別名にしてありますが、なぜか李香蘭とこの黎錦光は実名で登場しました。

    ◎服部良一、西條八十、李香蘭、渡辺はま子らが交錯してからんだ!
    先述の「支那の夜」、「蘇州夜曲」、「夜来香」に加えて「夜来香幻想曲」という曲があって、これらの作詞家、作曲家、歌手が絡み合ってのちょっと複雑な関係とは・・(カバー版歌う近年の歌手は割愛)

    ・「支那の夜」=作曲:竹岡信幸 / 作詞:西條八十 / 歌手:渡辺はま子
    ・「蘇州夜曲」=作曲:服部良一 / 作詞:西條八十 / 歌手:李香蘭、後に渡辺はま子も
    ・「夜来香」  =作曲: 黎錦光  / 作詞:黎錦光  / 歌手:李香蘭、後に渡辺はま子も
    ・「夜来香幻想曲」=作曲: (黎錦光の原曲を基に) 服部良一

    さらに混乱させる要素として、これらの歌がからんだ映画の存在がある。

    ・映画「支那の夜」=主演:長谷川一夫 / 共演:李香蘭 / 1940(昭和15)年製作
    ・映画「蘇州夜曲”支那の夜”より」=主演:長谷川一夫 / 共演:李香蘭 / 1952(昭和27)年製作
    (1940年製作の「支那の夜」から30分カットして改題のうえ再上映したもの)

    そして「蘇州夜曲」という名の曲は映画「支那の夜」の中で劇中歌として李香蘭が歌うように作られたものなのでこの二つの映画双方ともで「蘇州夜曲」を李香蘭が歌うシーンがある。

    ↓映画「蘇州夜曲”支那の夜”より」のタイトル
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    ↓同上映画の出演者名
    actress-name

    ↓同上映画の中の李香蘭(ITによる着色化したもので本来はモノクロ)
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    ↓同上映画で出演の長谷川一夫と李香蘭(本来モノクロ)
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    上記画像4枚は「なつかしの映画をカラーで」サイトより

    ◎李香蘭はイサム・ノグチと結婚していた時期あり!
    イサム・ノグチ(1904~1988)は日系人で彫刻家、造園家、インテリアデザイナーその他の多才人。
    手掛けた彫刻や庭園などは日本と世界の各地に存在するが、インテリア用品でよく目にするのは、”提灯から発想して和紙と竹ひごで構成する「あかり/AKARIシリーズ」”と”シンプルな木製脚とガラス板で構成する(通称)「ノグチテーブル」”

    ↓「あかりシリーズ」の代表作(商品:現在価格1万6千円台など)
    akari

    ↓「ノグチテーブル」(商品:現在リプロダクト品=ジェネリック家具が多く価格は4万円台~27万円台など)
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    李香蘭とは1951年に結婚したが1956年に離婚。

    ↓結婚(式)直後?の二人
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    実は上の写真は、二人が結婚(式)を電撃的に行ったために報道各社がその様子撮影できなかったのでその後に撮影されたもので、実際は1951(昭和26)年12月15日午前9時に明治神宮拝殿前にて二人で拍手しただけで済ませてしまったのだった。”結婚(式)”と表記したのはこのためで、これは「形式はともかく魂で結ばれるのが本当の結婚」という二人の考え方があったから。

    そもそも明治神宮で挙式(虚式?)することになった経緯は・・結婚はマスコミなどがウルサイので、二人でアメリカからイタリアのシシリー島に行って挙式する予定だったが資格取得に3か月もかかるということであきらめ、かわりにインドで挙式と考えたが宗教上の問題で駄目となって結局日本でということになったのだそうです。

    こうして日本に到着したのが挙式1か月前の11月で、ただしイサム・ノグチ一人。理由は途中で李香蘭が急遽 香港の友人に会うことになり遅れて来るためだった。

    空港で二人を待ち構えていた人たちと報道陣は肩透かしをくらって、用意していた花束を半分はイサム・ノグチに、残り半分は”姉を迎えるべく来ていた李香蘭の妹:山口勢子さん”に渡された。その時の写真↓で中央はノグチで左が勢子さん。

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    (上写真2枚と結婚関連内容は「毎日グラフ別冊 サン写真新聞 昭和26年版より抜粋」)

    それにしても、さすが国際的に活躍の二人は考え方も行動もスケールが大きいですね。

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    李香蘭はノグチと離婚の2年後1958(昭和33)年に外交官の大鷹弘 氏と再婚し2001(平成13)年に死別しているので彼女の本名は大鷹淑子のまま亡くなった。
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    現在の日本では「支那(シナ)」の呼称は使わないのがよいとされている。古来から世界各国が中国を指して「シナ」に近いような呼称を使っていて、それが英語では「CHINA」になっているほどだが、ある時期から日本人の一部が"
    支那(シナ)"を蔑称的に使うようになった過去があるためである。

    私が子供の頃(昭和20年代)に「支那そば」と呼んでいたものが、その後「中華そば」になり現在では「ラーメン」が大勢を占めている。同様に「メンマ」を昔は「シナチク」と言っていた。
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    新春を迎えられたお祝いとともに 今年のご健勝をお祈り致します

    さて、今年は辰年ということで・・ 

    神温泉(りゅうじんおんせん:和歌山県田辺市)は「日本三美人の湯」の一つです。※
    弘法大師が難陀王のお告げによって温泉場のかたちを整えたという言い伝えがあり、
    また中里介山の「大菩薩峠」という超長編にして未完の小説の中で
    主人公”机之介が眼を癒した”温泉とされて有名になりました。

    あとの二つは、島根県「湯の川温泉」と群馬県「川中温泉」

    龍神温泉
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    実は私、龍神温泉に一度だけ1972(昭和47)年に行っております。
    当時の職場の先輩にさそわれて、この年に運航開始した「神紀フェリー」に神戸から乗り
    白浜で下船してから約30キロ先の山あいの川沿いにこの温泉は在りました。 

    神紀フェリー
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    「神紀フェリー」は神戸~白浜間を結んでいて、当時はその2地点の間を陸路で往来するには
    道路事情の悪さで時間がかかったので、フェリーの採算がとれると見込まれたのでしょう。

    (正月の話としては恐縮ですが) その後の神紀フェリーは経営不振となって
    1975年に廃止され、船は以後国内の他のフェリー会社、さらに海外へと転売され
    最後は事故で沈没したそうです。

    ついでに同様の例として私が思い出すのは、かつて存在した「セントラルフェリー」。
    これを運営した「セントラルフェリー(株)」は神戸と川崎を結ぶ海路の動脈を目指して、三洋電機創業者でもあった井植歳男氏が設立して開業準備していたが始業前に死去したため弟の井植祐郎氏が三洋電機の2代目社長になるとともに、この「セントラルラルフェリー」会社の社長にも就任している。

    この会社は、大型トラックなら130~150台を積載できる6000トン級の船を5隻も神戸~川崎間に就航させて1971(昭和46)年6月に運航開始したが、なんと当初より陸路輸送に押され気味で翌1972(昭和47)年11月には運航停止になり、その後に船はギリシャの船会社に売却された。

    セントラルラルフェリー 
    (ブログ「N.Eの玉手箱」より引用)
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    このフェリー会社の元々の設立者は明らかに”市場の読みを失敗”しているが、私の経験からみるとほんの少しだけ同情できる部分があり、それは・・

    私は1970(昭和45)年頃は大阪と東京間をクルマで年に2~3回往復していましたが、東名神高速道を夜中の2、3時頃に走行していると、自分のクルマの前後に1台も走行車が無いという区間がいくつもあった(今では考えられない)状態だったのですが、

    その5年後には前述と同じ道路の同じ夜間時間の同じ区間でさえも“大型トラックに前後左右を挟まれて走行”するような状態に、つまり特に深夜ではトラックが圧倒的に多いという状況にあっという間になってしまったからで、トラックによる陸路輸送時代の到来スピードが読めなかったのでしょう。

    蛇足ながら、龍神温泉から南西約28キロにある田辺港は、
    私の両親たちが戦後、台湾からの引き揚げ船で帰還して上陸した地でした。

    ・・・・・・・・・・・・
    それでは みなさま今年もお元気に !
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    ありゃまぁー!この文を書いてる最中に、山本由伸までもドジャースに入団決定のニュースが・・

    ◎ドジャースとドッジボール
    ところで私、「ドジャース=Dodgers」の「Dodge」とはいかなる意味か知らなかったので、今更ながらですが辞書をひいたらば・・(1)「(打撃などを)素早く避ける/ひらりとよける、身をかわす」、(2)「(質問、義務などを)言い抜ける、ごまかす、はぐらかす」。・・なので「ドジャース」は(1)の意味をふんでいるのでしょうが、それにしても”dodgeしていたら試合に勝てない”のに不思議な球団名にしたものですが、他の意味があるのでしょう。

    ここで辞書には「dodge ball」なる言葉がのっていて、その意味=「ドッジボール」とだけの表記。恥ずかしながらこの歳になってこの遊びの名前の由来を知りました。確かに私はドッジボールではボールを受け止めるより”ひらりとよける”ほうが圧倒的に多かったことを思い出しました。

    さて大谷翔平のドジャース入団発表会見では、いつものことながら彼の挨拶や答弁はていねいで心のこもった内容だった。

    そこには大谷の細かい”配慮”を感じさせるものが多く在った。それは言葉による表現ばかりではなく服装にも現れていて、ネクタイはドジャーズ色のブルー、そしてそのネクタイとワイシャツの襟の関係も文字通り”隙の無い”着こなし。

    加えて、彼が手首にはめていた腕時計。これに私は気がつかなかったのですが、それに注目した人が多かったようで、会見直後からX(旧ツイッター)上では多くの日本人の他に米国のスポーツビジネス経営者のジョー・ポンブリアーノ氏も反応したとのこと。
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    ◎大谷のその腕時計は価格60万5000円
    腕時計好きの人たちは大谷のその時計が日本のグランドセイコーであることは瞬時に把握したようで、大谷が日本の代表的な時計を身に着けていることに多くの人が好感を示している中で、さらにその型番名までも判定する人が現れたものの断定はできずに、ある人は「SBGR261」(価格57万2000円)だろうと言い、ジョー・ポンブリアーノ氏は「SBGM221」(価格60万5000円)であると指摘。

    ↓左:「SBGR261」  右二つ:「SBGM221」
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    そこで私は型番名判定に挑戦 ! ・・ということで、まずグランドセイコーには5大別した”〇〇コレクション”というものがある中でも「エレガント」コレクションの一つであることが分かり、そこからやはり前出の「SBGR261」 と「SBGM221」に絞られるものの、細かい部分が判らないのでその腕時計がなるべく大きく写っている映像を探した結果、朝日新聞の報道写真の中に、ルーペで拡大して見ると文字盤と針がなんとか読めるものがあった。その結果・・

    文字盤上には太めの針3本と、かすかに見える1本の細い針、計4本の針を確認できたので、これは「SBGM221」であることが判明した。

    実はこの機種は短針、長針、秒針にプラスして24時間表示針を備えているので合計4針あるもの。一方、「SBGR261」は普通の3針である。

    ↓大谷のグランドセイコーは3時08分ころを示していて、24時間表示針は15時近辺を示している
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    ◎グランドセイコーと大谷翔平は岩手県生まれ!
    セイコーグループの腕時計には、普及品、高級品、ラグジュアリー品などのクラスがあるが、高級品クラスを表す「Grand Seiko」(グランドセイコー)は現在では「SEIKO」ではなく独立したブランドになっています。
     
    このグランドセイコーブランドの腕時計を、部品製造から組立まで一貫生産しているのが岩手県岩手郡雫石(しずくいし)町に在る「盛岡セイコー工業(株)」。ここでは熟練技能士が”ロボットでは無理な超高度技”(例えばある部品の特殊研磨には10年の経験が必要)を注ぎ込んで製作するという”匠の工房”を構えている。

    ↓「グランドセイコースタジオ雫石」と称するこの工房(2020年完成、設計:隈研吾)の中で匠たちが作る
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    そして大谷翔平は1994年に岩手県の水沢市(現、奥州市)で生まれ、花巻東高校を卒業している・・ということで、同じ岩手県から”世界のトップを目指す”ものとしてグランドセイコーと大谷はリンクするゆえに、セイコーグループ(株)は大谷をイメージキャラクターとして採用契約していて、ただしグランドセイコー以外のハイレベルのセイコーブランド製品の宣伝広告にも大谷を登場させている。

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    ドジャース入団発表会場で大谷がつけていた腕時計はグランドセイコーブランドの中でメンズ用とされるものの中では最低価格に近い60万5000円。このブランドにはSBGD207という型番の2200万円の高額品もあるものの、大谷は”レザーバンドで上品な感じ”で高価格ではないウオッチを選んでいる。前述のようにグランドセイコーの中の5大別コレクションの中の”エレガンスコレクション”に属する型番を選んでいるから当然の印象となっている。

    この大谷の思惑は、高級品だが一般の人でも努力すれば手の届くようなモノがあり、しかも身に着けるのであれば成り金趣味でなく品のあるモノでさりげなく表現したいもの・・それは”努力すれば夢はかなうが、成功しても謙虚であれ”という考え方を示しているように感じる。

    こうして、あの場のために大谷が選んだ腕時計には、「親近感を感じる」、「あれが欲しくなった」、「上品さを感じた」などの声がX(旧ツイッター)に書き込まれていたが、(マイクロソフトニュースTHE DIGESTによれば)『米国の有力ファッション誌の「GQ」は「オオタニは7億ドルの契約にあたり、完璧な時計を選択した」、「最もエクセレントな時計をつけていた」と評している』

    ◎セイコーの腕時計のデザイン指針
    セイコーの時計には腕時計の他に置時計や掛け時計その他用途別時計(公共施設用、競技計時用など)がありますが、腕時計は(一品物の超豪華腕時計や遊び感覚腕時計などを除けば)形状やデザインに大きな制約や条件があるために独自性を打ち出すのが難しいことは部外者でもわかる。

    そんな中で特に高級腕時計向けを意識した”セイコースタイル”と称する独自のデザイン指針が1960年後半に生まれて1967年に発売開始したグランドセイコーから採用されてきたそうで、同社のホームページによれば・・

    『服部時計店のチーフデザイナーが銀座の和光本館に足しげく通い、世界の高級腕時計をつぶさに検分していて、ある重要なことに気づきます。「同じ腕時計でも、キラキラと輝くものもあれば、光がだれているものもある」。腕時計を構成している「面」の形状や張りによって、「輝き」に大きな違いが生じていることを見出したのでした。

    「腕時計の本質を究めながら、高級腕時計としての普遍的な価値を作り出すために必要なのは、燦然とした輝きである」そう確信したデザイナーは、外装工場の職人たちとともに、燦然と輝く腕時計を作るべく、研究に着手しました。どういう造形であれば、燦然と輝くのか、いかに美しくできるのか。試行錯誤を重ねた末に作り上げたのが、セイコースタイルでした。

    その結果具体的な方針として・・3つの大方針とそれに基づく9つの要素が生まれたそうで・・
    『大方針ひとつ目は、「平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は原則として採り入れない」こと。

    二つ目は、「ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって、極力平面部の面積を多くする」こと。

    三つ目は、「各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは、極力歪みをなくす」こと。 

    ↓9つのデザイン要素(その内の7つ)の説明図
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    ※3つの大方針と9つの要素の詳細は・・
     
    ◎セイコー時計の設計やデザインに導入した(と思われる)「標準数」
    「標準数」とは何かを説明するには長くなるので、大雑把に紹介すると・・高品質な工業製品を低コストで早く生産するために、部品から製品全体にいたるまで”単純化””共通化””標準化”が必要だが、これにさらに美しい形体化(例えば縦横寸法比率が1:約1.6のように「黄金比率」に近い形が出来上がる)もねらえる製品設計やデザインに採用できるように、ある法則(隣り合う数字がほぼ等比関係)に基づいて並べた数が「標準数」で、この数字は数列表のかたちでISO(国際標準化機構規格)とJIS(日本工業規格)で決められていてJISでは「標準数」という表題で「JIS Z 8601-1954」というナンバーがつけられている。AIなどが存在する現在もこの規格がまだ利用されているのか私は知りませんが・・

    セイコーが時計造りに標準数を採用していたのではないかと私が思う根拠は・・(今、気づいたのですが)ちょうどグランドセイコーが世に出た1967年だったかに、当時セイコーのデザイナーとしても有名だった清水千之助氏から「デザインにも”標準数”を利用できる」という教えをいただく機会があり、その際に「JIS Z 8601-1954」の規格表の印刷物まで頂戴したことがあり、氏は” セイコーの腕時計のデザインと標準数の関係を明言されなかった”ものの氏の下記のような”理系的経歴”からも推定できるからです。

    清水千之助(1929~1987)氏は千葉大学工学部工業意匠課卒、 (株)服部時計店工場精工舎勤務(1955~1967):その間にウルム造形大学(西独)留学、東京造形大学教授、拓殖大学工学部工業意匠学科教授、著書多数: 「工業デザインの実務」、「造形の科学」など、その他「デザイン学研究」誌に「ID(工業デザイン)活動としての標準品設計の意義」の寄稿もある。

    ↓清水千之助 著「造形の科学」
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    実は私、セイコーのデザイナーである知人がいたのですが残念ながら数年前に他界してしまい、生前に”セイコー製品と標準数の関連の有無”を確認しておけばよかったと後悔している次第です。
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    「標準数」についての少し詳しい説明はネット上で多数あるのですが、その一つは・・
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    先ごろ(2023年10月14日)、コメディアンであり俳優でもあった財津一郎氏(以下、敬称略)が89才で亡くなり、新聞の死去告知欄の中で「タケモトピアノのCMでも知られていた」というような説明があったことにちなんで・・

    タケモトピアノのCMの中の財津一郎
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    実際のCM → 
    takemoto-piano-cm

    このCMは2000年から今年(2023年)8月まで流されたということで、われわれの脳裏に焼き付いていますが、その理由として20年以上も変えずに”繰り返しの継続効果”だけではなく”セリフとリズムとメロディ”の心地よさもあって自然に覚えやすい面がありますが、それだけではなく・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(1) タケモトピアノのテレビCM
    最近「財津一郎が出演するタケモトピアノのテレビCMが流れ出すと赤ちゃんが泣き止む」 という情報を見聞きすることが多くなっていましたが、その最初の出どころはテレビ番組”探偵!ナイトスコープ”だったとのこと。

    また、育児雑誌(「たまごクラブ」か?)の調査では、”赤ちゃんの好きな音楽”第1位がタケモトピアノのCM曲だそうです。

    このCMの”赤ちゃん泣き止み”効果を生む要素は何なのか?
    財津一郎による「クルマ売ってちょおだーい」 「もっともっとタケモット」 「そのとーり」 などコミカルな旋律をつけた語りのような歌なのか? 
    「みんなまあるくタケモトピアノ」という女性バックコーラス部分か?
    それともメロディとリズムの音楽全体か?

    タケモトピアノ株式会社でもこの点を調べたようで、いくつか指摘されたことを紹介していて・・
    1)ある研究所によれば・・音がランダムで飽きない
                  本能的に振り向く音が多い
                  音楽の途中でリズムが」変わる

    2)音階が急に大きく上下するメロディーラインが興味をひくから。

    3)歌声が赤ちゃんが好む440ヘルツ周辺の音だから。
    ・・ではないかとのこと。

    440ヘルツと言えば、ピアノに限らないが現代の楽器類の音の基準であり、昔はラジオなどでよく耳にした時報の”ポッ・ポッ・ポッ・ポーン”の最初の3音がこれに当たり(後ろのポーンは880ヘルツ)、我々大人は聞きなれ親しんだ音だが、それが赤ちゃん時代からすでに心地よかったのだろうか・・

    この“タケモトピアノCM効果”の他にも・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(2) 口に含んだ水によるチュルチュル音
    口に水(液体)を含んだ状態あるいは唾液を溜めた状態で、口先をすぼめて少し開けると同時に空気を吸い込んで「チュルチュルチュル・・」と出る音を、泣いている赤ちゃんの耳元で聴かせると泣き止む・・といわれています。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(3) スポーツカーのエンジン音
    従来から”赤ちゃんを泣き止ませる音”として”クルマのエンジン音”があげられていますが、本田技研工業(株)では調査と科学的分析によって、ホンダの30車種の中でも”2代目MSX”のエンジン音がもっとも効果があることが分かったので、(株)タカラトミーアーツと共同で” 2代目MSXのエンジン音 (エンジンを断続的に空ぶかしするような音) に近い音が流れるぬいぐるみ”を商品化して、つい最近(2023年10月28日)に発売開始されました。

    商品名は「Honda SOUND SITTER(ホンダ サウンドシッター)」で8250円。
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    ↓右の黒い布地にくるまれているモノが”エンジン音発生部”で、左の本体に内蔵されている。
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    実際のこのぬいぐるみの音 → 
    https://www.youtube.com/watch?v=EuQ7zHYFsuw

    ※開発経緯の詳細は・・「インプレス社のCar Watchサイト」 参照ください。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(4) ある調査による「ベスト10」
    「ベビーカレンダー」(医師・専門家監修の”妊娠・出産・育児の情報サイト”)の発表では・・

    1:レジ袋を手で揉む音・・クシャクシャという音をたてることは簡便な方法でしかも効果あることが多いようで、ネット上でも多く推奨されている。

    2:ドライヤーの音

    3:掃除機の音

    4:シャワーの音

    5:ラジオのノイズ音・・“サー”という音

    6:換気扇の音・・(当筆者注)これはたぶん”プロペラ羽根ではないタイプ”のものと思われる。

    7:電車の走行音

    8:空気清浄機の音

    9:”ガラガラ”

    10:”おしり拭きペーパー”の外袋を手で揉む音

    その他,マスコミなどで見られる方法には・・・”雨の音”、“ホワイトノイズ(”サー”という音)”、“小さな波の音”などがあげられていますが・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(5) 母親の胎内の音
    赤ちゃんが泣き止むための音として前述の(1)から(4)までで紹介した”音”はその多くが、”胎児として母親の胎内に居た際に聞こえていた音(胎内音)”に近いものであるとされています。

    胎内音には心音、血流音、会話音、音楽などがありますが、常時聞こえるのは心音、血流音であることから、現在、赤ちゃんが泣き止むための音としてストレートに”胎内音そのもの”がネット上のYouTubeでいくつか聴けます。→ tainaion

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    胎内音は”ザクン、ザクン、ザクン・・”というような音が断続的なものなので、前述のぬいぐるみ「ホンダ サウンドシッター」でも胎内音に似たエンジン音がやはり断続的に流れるように設計されていることが納得できます。
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    以上のように、赤ちゃんが泣き止むための音は色々ありますが、実際に電車内や公共施設などの場において赤ちゃんが泣き止まず困る場合、とっさに対応できる方法は・・”口中の水(又は唾液)チュルチュル音”や”(外出時に常時携行の)ポリ袋類の手もみによるクシャクシャ音”ではないでしょうか。
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    私は餃子が好きです。その餃子を特に頻繁に食べたのは、大阪に単身赴任をしていた時期なので、今から30余年前の2年間。

    仕事を終えて帰る途中の夕食には”チャーハンに餃子”か”ラーメンに餃子”の組み合わせを摂ることが多かったその訳は、単身赴任者の外食で不足がちな野菜が餃子によって補われ、同時に”ピラミッド建設労働者のスタミナ源になったと言われるニンニク”も摂れるから。そのために最も通った店が、後述する「大阪王将」でした。

    「餃子の王将」(本社:京都市)と「大阪王将」(創業は大阪・京橋、現在本社:東京・品川区)の二つのブランドが在りますが後者は前者からのれん分けで出来た会社のもの。

    ◎”大阪王将の餃子”が長年の王者”味の素のギョーザ”を抜いた!
    今年6月から8月にかけての”総菜系冷凍食品”の店頭販売数調査結果のランキングが発表されて、”大阪王将の「餃子」”((株)イートアンドフーズ)が1位となり、”味の素の「ギョーザ」”(味の素冷凍食品(株))が2位となった。(昨年の同調査結果では順位が逆)

    ↓”大阪王将の「餃子」”
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    ↓”
    味の素の「ギョーザ」”
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    ↓総菜系冷凍食品 購買数ランキング (「日経クロストレンド」より)
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    調査は「True Data(トゥルーデータ社 東京港区)」が、6000万人という日本最大規模の”消費者購買データ(顧客ID付POSデータ)”を駆使したもので、今回の対象冷凍食品にはパスタ、米飯類、麺類を含まない。

    注意を要するのは、この調査データは、POSシステム導入している食品スーパーマーケットでの一般購入者の動向であり、POS非導入店、業務用、ネット上、通信などでの販売の量は含まれていないだろうから、メーカーの製造・出荷・販売総数量ではないこと。 だとすると・・

    「味の素のギョーザ」の外袋には長年「ギョーザ売上 日本一」と表記されているが、さてこれが消えるのか、いやまだ残るのか?

    ◎「味の素のギョーザ」”フライパンへの焦げ付き苦情騒動”
    「味の素のギョーザ」も「大阪王将の餃子」も油も水も無しで作れることをうたっているものの、今年(2023)5月11日に、あるユーザーから「味の素のギョーザがフライパンへ焦げ付いて残ってしまう」という不満がツイッター(現X)で発信されて、同社はすぐさまこれは一大事ととらえて翌12日には異例の行動に出た。それは・・

    原因究明と対応策を探るために、ネット上でユーザーに対して、利用している”ギョーザが張り付くフライパン”を(同社着払いで)募集した。

    その結果、3日間で1000個を超えるフライパンが届けられた!

    届けられたフライパンが入ったダンボール箱の山
    mount-of-frypan

    同社は大量のフライパンで検証をすすめて、一か月後には、とりあえずその時点で分かった範囲の張り付き防止方法を公表したが、現在も追及は続けられていて「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言している。

    現在も続くチャレンジ https://www.ffa.ajinomoto.com/enjoy/frypan
    frypan-challenge

    ◎味の素ギョーザは昔のほうが美味いと思うのは私だけではない?
    2022年に3月8日に、(冷凍) ”味の素の「ギョーザ」”発売50周年を迎えたそうですが、私が最初にこのギョーザに出会ったのは今から25年くらい前だったと記憶していますが、食べてみたらヘタな店で出されるものよりおいしと思えるほどで感心したものでした。 ところが・・

    いつ頃からのことかはっきりしないのですが、少なくとも現在の”油と水無しで出来て羽根つき”に仕上がるバージョンになる少し前の時点で「味の素のギョーザは昔のほうが美味しかった」と感じるようになっていますが、

    これは私だけの感想かと思いきや、同じ思いをしている人が他にもいたので、そうとなればその原因を知りたいところ。

    前述のように「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言するまでまなく、日頃から味の素冷凍食品社ではさらなる研究・試行が行われている様子がテレビでも紹介されたのを観たことがありますが、”味”に関しては温故知新、あるいは原点回帰などを意識されてもよいのでは・・

    ◎”記憶に残る美味しい餃子”は大阪・徳庵で食べた!
    冒頭で述べましたように、私が大阪に単身赴任している時期にJR片町線の徳庵駅の南に歩いて1分くらいの所にいわゆる”街の小さな中華屋さん”があって、そこで食べた餃子が美味しかった。

    それは初めて口にする”羽根つき”だったが、これが”やや小ぶりだが美味しい餃子本体”と絶妙にマッチしていて、さながら”羽根が名脇役”のようだった。

    私は現在の大阪王将の餃子(冷凍食品版)の羽根つきを食べていないので何とも言えませんが、味の素のギョーザの羽根は出来上がりが中途半端で、厚みと面積が少ないと思いますが、これは私の作り方に問題があるのでしょうか?

    大阪王将のHPに載っている羽根つき餃子(底側写真)
    hanetukigyoza

    ◎飛話:王将の将棋駒の格好をした「もろこし」(菓子)
    山形県の天童市は将棋の駒作り日本一なので町中に何かと王将の文字が観られます。その一つが将棋の駒の形に凸文字で王将や金将などを表した和菓子の「もろこし」。もろこしは東北地方で多く作られていて、”小豆粉に砂糖をまぜて型に入れて硬く固めたモノ”・・これも私の好物 !

    王将の将棋駒型「もろこし」(縦3X横3X厚み1センチ:えんどう盛寿庵)
    morokosi1

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    世の中、高機能な物は概して複雑な機構や高度な電子部品が使われているもので、これは故障の確率が高くなることもあり、いざ故障すれば修理も複雑になったりする一面があります。

    それをあらためて実感したことがあったので、それと関連する事例を含めて紹介してみます。

    ◎シンプルな体重計へ
    先日、我が家で約8年間使っていた「体脂肪計測機能付き体重計」が稼働しなくなってしまい、一瞬、電池切れかと思って新品に換えてもダメで、遂に廃棄処分することに決定しましたが、その前に一応、中身はどうなっているのかと分解してみたら、なにやら鉄材の細長い部材数点と電子部品を載せた基盤があり、不良原因はたぶんこの電子部品群の中にあると思えました。

    そこで、今度はシンプルな機構の体重計を購入しました。それはタニタ製で、アナログな数字盤は判読性が良いものです。明らかに電子部品は不使用であり、電池も必要なしで今後の故障の心配はしないで永く使えることでしょう。

    新たに購入したアナログ体重計
    taijyuukei

    ◎M社の全自動トースターは?
    高機能だがすぐ故障して廃棄した物として、私がすぐ思い出すのは、M社が今から60年くらい前に発売した”全自動トースター”。

    当時一般に普及していたトースターといえば、天面に食パン1枚が縦に入る口が二つ並んで開いていて、そこにパンをチョコンと入れてからトースター側面のレバーを下げて完全にパンが本体内に収まると同時に加熱が始まり、焼きあがると”ポン”とレバーが上がりパンが頭を出すというもの。

    ところがM社の全自動トースターは一見普通のように見えて、唯一違う点は、側面にレバーが無いこと。そして”全自動”とうたう所以は、”食パンを投入口に入れると自動的にパンがスーっと下降を始め定位置におさまれば加熱が始まり、焼きあがるとまたスーっと飛び出してくるというもの。

    これは便利なようで、食パンの下降と上昇に各6秒くらいだったかを要して忙しい朝にはイライラしたもので、しかも使用開始1年足らずで稼働しなくなった。

    直感的に、このようなトースターはダメだと思い、廃棄前に分解してみたら、中の構造は複雑だったので、やはりシンプルな方が良いと感じたものだった。

    かくて我が家の後継トースターは普通タイプに戻った。
    その後M社は二度と全自動トースターを製造販売しなかった(と思う)。

    ◎カラシニコフ銃のシンプルさ!
    私は銃に詳しくはないので、なぜに銃の呼び名には「ブローニング」、「ガトリング」、「マキシム」、「南部」など考案者(設計者)の名前が付いているのか知りませんが、そんな私でも「カラシニコフ」の名前はよく”耳に、目に”します。

    ミハエル・カラシニコフ(1919~2013)は旧ソ連の農家に生まれた。
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    (Wikipediaより)

    成人して赤軍に入り第二次大戦中は戦車長としてナチスドイツ軍と戦うなどしながら銃器の研究を続けていて、戦後1947年に”全自動発射ができる自動小銃AK-47“を開発・設計した。その2年後からAK-47はソ連軍内に配備開始され、その後は他国にもライセンス与えて生産されたが、発展途上国などでは無許可でコピー品が生産されて、それらを合計すると現在世界には1億丁以上も存在すると言われている。

    AK-47 (Wikipediaより)
    AK-47
    AK-47が世界中に大量に採用されている理由は、製造が簡単、製造コストが安い、頑丈なこと。それはカラシニコフ氏が戦時中に身をもって知ったドイツの銃器の優秀さを頭におきながら、自国でも開発を試みようとしたが当時のソ連の製造能力では無理と悟って、

    逆に銃の構成部品の寸法精度が低くて大きさがバラバラでも一つの銃として成り立つように余裕をもったシンプルな設計とした結果、組立は勿論、分解・掃除も簡単。そして「乱暴な扱いにも壊れない」、「グリスがきれても、水や泥水に浸かっても、砂に埋もれても使える」と言われている。

    まさにAK-47は”シンプル製品の好例”。

    ◎トヨタのランドクルーザー
    トヨタの大型4輪駆動車「ランドクルーザー」は日本では「ランクル」の愛称で人気があるが、海外でも人気が高い。
    landcruiser

    人気というより必要性からランクルが選ばれる理由は、頑丈で壊れにくく、故障しても修理しやすいこと。

    それを文字通り”支えている”のが”ラダーフレーム”構造で、頑丈な鉄枠の上にエンジンやボディを載せた言わば単純な組み合わせであり、現在多くのクルマが採用している”モノコック”構造が鉄枠を無くしてボディ全体で強度を確保しながら軽量化した構造としているものとは異なるもの。

    こうして、特に中近東の国の砂漠地帯やオーストラリアの”アウトバック”と呼ばれるような広大な荒野を走行中の故障忌避ともしもの故障でもリカバリーしやすいことは、このクルマが選らばれてしかり。

    ◎シンプルなラーメンの良さ
    現在、巷には多種多様なラーメンが生まれていて、それらはスープ作りや具材に凝りまくっていて、それはそれでうまいのですが、私はシンプルなスープと具材のラーメンが大好物です。それは1~2種の素材を使った出汁による醬油ベースのスッキリした味のスープに定番のチャーシューとメンマと少量のネギが入っていればOkというもの。

    また一つシンプル系ラーメンの店が消えた(日本テレビ「Every」より)
    raamen

    私の中では、かつて東京の秋葉原駅の外側に張り付いたように在った、スタンド型椅子7席(だったか?)しか無い小さなラーメン専門店で入り口ドアなどなく全開放型の吹きさらしの中で、何度か食べたシンプルなラーメンの味が忘れられない。
    それはスープにほんのすこしだけ生姜の香りの効いた、実に”飽きのこない”ものだった。

    今、ふと思うに、私は約60年前の子供の頃ころから、長崎県の五島列島出身の父が郷里の親戚から時おり送られてくる「五島うどん」を(日頃は”男子、厨房に入らず”の父にしては唯一の例外で)大きな鍋にはった熱湯の中で茹でながら泳がせて”そのうどんを私たち子供が箸ですくい上げて、同じく五島産の干しアゴ(トビウオ)で出汁をとった醤油つゆ”の中に漬けて食べるという経験をしましたが、これも非常にシンプルな食べ方でした。

    ちなみに現在では、五島うどんのこのような食べ方を「地獄だき」と称するようになっていますが、熱湯の中で茹でながら泳がせていても一般のうどんのように”のびて、ふやける”ということが無くコシが続くのは、五島うどんには、やはり五島名産の椿の油が練り込まれているからだそうです。

    jigokudaki
    (株)おかだ製麺 のHPより

    ◎谷村新司の作曲はシンプルさを心掛けた
    朝日新聞の天声人語欄(2023.10.18)では”先日亡くなった谷村新司氏”について語られていて、名曲”昴”を生んだ谷村氏が音楽の道に入ったきっかけは一本の中古ギターで洋楽レコードを何度も聞きながら音を一つひとつ拾ってまねたことであり、その経験から、作曲する際の基本方針は“初心者が弾けること”を目指して「難しくするのは簡単だが、シンプルであれ。時代を突き抜けていくスタンダードというのは、そういうものなのだ」と言っていたそうで・・

    なるほど、”シンプルなことの大切さ”はモノ作り全般にもあてはまることがあるのではないでしょうか。
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    世の中には、「○○に始まり○○に終わる(戻る)」という格言(表現)があり、頻出するのは、「釣りはフナ(ヘラブナ)に始まりフナ(ヘラブナ)に終わる」でしょうが、昔のオーディオのマニアの間では「スピーカーは(口径)16センチに始まり16センチに戻る」と言った時代がありました。

    ”体重計をアナログ式→デジタル式→アナログ式に戻した” “トースターを普通タイプ→全自動タイプ→普通タイプに戻した”という事例は、この格言の意味合いとは違うものの、文字通りと言えないでしょうか。
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    余録 : 現在(2023年10月)の米国では諸物価上がり、円安も相まって”米国でのラーメン価格”が高騰しているそうで、ロサンゼルスのセルフサービスのフードコートで食べても”もやしだけが入ったラーメン”が17ドルなので日本円換算で2550円。これでは物足りないとして煮卵(1.5ドル)とチャーシュー(4ドル)を追加して(下の写真)これに税(2.31ドル)を加えれば総計24ドル61セント=約3692円となり、日本で食べる場合の4倍の価格になってしまう。これと同じものをレストランで食べようものならチップ(15~25%)をつけなければならず、4500円くらいになってしまう・・とのこと。(1ドル=150円換算) (ロサンゼルス在住の角谷剛氏による報告:TRiP EDiTORサイトより)
    ramen-in-la
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    先日(2023年9月10日)、リビアで複数のダムが決壊して洪水となり多数の死傷者が出たばかりなのに・・
    10月4日にはインド北東部に在る氷河湖をせき止めていた”氷河の氷と土砂から成る天然のダム”が大雨によって決壊して、これまた多数の犠牲者が出ているというニュースが伝えられた。・・ということにちなんで今回は”ダム関連のお話”です。

    ◎「ダム津波」による鉄砲水?!
    「ダム津波」とは、ダムによって出来たダム湖の水が何らかの理由で盛り上がって巨大な波を生んで津波のようになるもので、その結果、莫大な量の水がダムの堤を乗り越えてダム下流の町などを襲って災害を引き起こす。

    1963年10月9日22時39分、イタリア北部のヴァイオント渓谷に在る「ヴァイオントダム」のダム湖の左岸(下流に向かって左側)の「トック山」の山肌が巾1700メートルにわたって地滑りを起こして莫大な量の岩や土砂がなだれ込んだために起きたダム津波

    ダムの堤を乗り超えて(大音響とともに土石を含んだ)”鉄砲水”状態となって2キロ川下の「ロンガローネ村を襲った。これにより犠牲者は2000人以上におよび、
    殆どの建物が流されて消滅した。

    ↓災害後に放棄された状態の現在の貯水無し「ヴァイオントダム」(後方の白い山肌が地滑り部分)
    ※ダム完成時は高さ261メートルで欧州一だった。ちなみに戦艦大和の長さは263メートル
    (以下写真の計5枚は「ナショナルジオグラフィックチャンネル」より引用)
    italian-dam4

    ↓災害起こした直後のダムと地滑り跡
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    ↓災害直後の村の様子
    italian-dam5

    italian-dam2

    この災害の根本的原因は”ダムの立地選定の誤り”にあるが、”ダム湖左岸の地滑りによる波の発生規模の予測の甘さ“が招いた面もあり、適正な予測に基づいて、ダム下流域の住民を避難させていれば少なくとも死傷者を出さずに済んだ。・・というわけでこれは人災と言われている。

    そもそもダム湖左岸のトック山の地肌は昔から頻繁にき裂が発生して小さな崩落が多くて、地元では「歩く山」と呼ばれていたものの、ダム建設のための地質調査はダムが直接接触するごく近辺に限っていた。

    しかしダム完成後に山肌のき裂に気付いて、いずれは大規模な地滑りが起きることが予想されたので、き裂巾変化を毎日監視した結果、湖水量の増減、すなわち湖水面の上昇・下降によって”滑り落ちに向かう速度が調節できることが判明したために、意図的に湖水面を上下させて滑り落ち速度をゆるやかになるようコントロールしていたところ・・

    ある日突然、き裂巾が大きくなり、近日中に大きな地滑りが起きることが決定的になったので、それならばと、土石が湖水に没入した際に起こるであろう大きな波を予測するため(まだコンピュータ解析などがなかったので)、ダムと周辺地形の300か400分の一?くらいの模型を作製して実験した結果、

    地滑りによって起きる波は高さ20メートルと推定されたので、水面はダムの堤から25メートル下の位置まで下げておけばよいということになった。

    こうして いよいよ地滑り発生日とおおよその時刻がわかったので、10月9日の18時頃から、このダムに関係する国営電力公社の作業員ら60人がダム堤の上に集まって地滑りとそれによる波の状態を観察(見物?)しようと集まっていた。

    ↓堤上で待ち構える人たち(再現映像)
    italian-dam6

    そして22時39分、45秒間の地滑りによって、(後日の推計によれば)”30階建てのビル90棟分にあたる3000万トンの水”が、予想の高さのなんと10倍の200メートル(70メートル説もある)まで立ち上がって巨大津波となり、かるく堤を超えてしまった。しかもその速度は時速140キロだったとされる。

    言うまでもなく堤上にいた者は波とともにことごとく消えて居なくなった

    以上のようにダム関係者は、”この地滑りによる大波はダムの堤を超えることはないという予測”に基づいて、川下の村には何の予告もしていなかったから、多数の犠牲者をだしてしまったのであった。

    ところで、ダムが原因の災害というものは大概は”ダム決壊”によるもので、1800年代末期からの記録に残る大規模な事故だけでも海外で20数件。中には1975年の中国・河南省で台風による大雨により大小62のダムが決壊して2万6000人の死者を出した災害もある。日本では規模は小さいものの10件ほど起きています。

    ただし”ダム決壊”には2種類あって、一つは”予期せぬ決壊”、もう一つは”戦時の攻撃による意図的決壊”。
    過去には第二次大戦時に英国軍がドイツのダムを、中東戦争時にはイスラエル軍が、朝鮮戦争時には米国軍がダムを攻撃している。現在はジュネーブ条約で禁止されているそうですが最近ではウクライナで
    ダム攻撃が発生しているのはどうゆうことなのか?

    ◎ダムの急斜面を登り、歩くヤギ(山羊)たち
    ヤギの珍しい行動として“細い木に登るヤギ”が紹介されることは多いものですが、これはモロッコで見られるもので”アルガンという木”の実を食べるために登るのだそうです。

    ↓木に登る3匹のヤギ (以下の写真はすべて「アニマルプラネット」テレビより引用)
    goat-on-tree2

    しかし、もっと珍しくてしかも驚くのが”ダムの急壁面に登るヤギ゙”。

    所はこれも北イタリア、アルプス山脈の中の標高2200メートルの地点に在る「チンジーノ・ダム」。その高さ50メートルのダム斜面は垂直に近いような感じであり、その(内部はわかりませんが少なくとも)表面大部分は”ほぼ四角の岩石”が積まれた壁のような状態。

    ↓チンジーノ・ダム
    dam-goat1

    驚くことに、このダム壁面にへばり付くようにして数匹から10匹くらいのヤギが下から上へ、上から下へ、左右へと移動している姿が見られる。

    ↓手前のヤギは頭を谷側に、お尻を天空に向けている
    dam-goat2

    dam-goat3

    ボルダリングをする人間が持っている10本の手指を駆使して壁面移動するようなことがヤギにできるわけでもないのに何故に可能なのか?

    実はこのヤギは「アイベックス」という種類で、もともと山岳地帯の急峻な岩場を行動する動物で、短足で重心が低く、鋏のような形のひずめと、たくましい筋肉を持っている。
    aibex

    そして、いくら慣れていても危険であるこの行為の最大目的は・・ダム壁面の石材表面の塩を舐めて塩化ナトリウム他、ミネラルの補給にある。雨が降るたびに岩が含んでいる岩塩成分が表面に浸みだすのだそうだ。(上左写真は舌を出して舐めているところ)

    特にこの行為は、子を産み、子を育てる、あるいは子が育つために重要なので、このダム壁面には雌と子供しかいない。
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    生物にとっては塩分とミネラル摂取は重要なことで、ここでとりあげた”ダム壁面の塩をなめるヤギ”のほかにも変わった方法を使う例をあげると・・

    “他の生物の涙を吸って、塩分とミネラルを摂取する”生物がいる。それは・・
    カメ、ワニ、眠っている鳥などの目の涙を吸う・・チョウ、ガ、ハチ(蝶、蛾、蜂)など。

    ↓カメの目の涙をよってたかって吸う蝶たち(アマゾン地域)
    tear-steal

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    ◎私とダムとヤギ
    私は以前のブログで”三船敏郎主演のダム映画「激流」”や”石原裕次郎が製作断念したダム映画「香港の水(仮題)」”その他”岩手県の田瀬ダム”などをとりあげたこともあり、今回も含めて何やらダムを題材とすることが多いのは・・

    ”私の父がかつてダム建設や隧道(トンネル)が得意な建設会社に勤務していた”のでダムの話を耳にすることが多かったこと、子供の頃にダム建設現場に連れていかれたこともあるなどが影響していると思います。

    また”ヤギ”についてもふれたのは、私がかつて住んでいた東京都豊島区椎名町(現、南長崎)では昭和20年代後半頃でもまだ麦畑や牧場が小規模ながら存在していて、我が家では祖父がニワトリやヤギを飼っていたので、子供の頃の私は卵と”ヤギの乳”で育ったようなもの。

    絞った乳は殺菌のため祖母が加熱処理したものを飲んでいた。・・といわけで私はヤギにも親近感があるためです。

    ↓このヤギの乳を飲んでいた(左の子供が私)
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    今回、ダムと動物を登場させましたが、この関係で言えば・・”ビーバーが作るダム”も欠かせぬ題材でしょうが、文量が多くなるので省略します。
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    ハス(蓮)の花、その開花時期は地域や種類によってズレがあり、6月下旬から8月中旬頃までとされます。今回はハスの季節にちなんで・・
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    (写真は教育出版社「植物図鑑」web版より)

    ◎安藤忠雄氏の設計「本福寺・水御堂(みずみどう)」のハス

    元ボクサーにして独学で建築家となって有名な安藤忠雄氏。
    「安藤忠雄展」パンフより(この展覧会は熱烈な安藤ファンの友人に誘われて私も観ました)
    andoueadao

    氏の作品は国内外で人気あり、国内では「水の教会」、「風の教会」、「光の教会」(以上=教会3部作)、「表参道ヒルズ」、米国の「フォートワース美術館」、最近では「こども本の森・中之島」、などが紹介されることが多いのですが・・

    建築関係者以外にはあまり知られていない?と思われる「本福寺・水御堂」は、兵庫県の淡路島の北端近く(淡路市浦1310)で大阪湾を見下ろす小高い丘の上に建つ鉄筋コンクリートのちょっと変わったお堂。

    平安時代後期に創建された本福寺(真言宗御室派別格本山)に新しくお堂を建てる計画が1980年代末に生まれ、設計依頼された安藤氏は、「従来の寺院建築の大屋根は権威主義の表れであるから、これを排するかわりに”ハスで満たされた水盤のような池”を屋根に見立てて、その下に御堂を置くデザインとした。これにはかつてインドで見たハス池の光景を頭に浮かべながら、お釈迦様の象徴と言われるハスに満たされた“大屋根がわりの池”を頂く御堂のほうがよほど仏教精神にかなっているのではないかと考えた」と述べている。

    こうして1991年に完成したのが・・「本福寺・水御堂(みずみどう)」
    ↓俯瞰写真(楕円形のハス池は長径40m X 短径30m。真ん中の階段を下りて地下のお堂に向かう)(写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓ハス(写真中央奥)とスイレンが浮かぶ池の中央の階段を下りる人
    (写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓ハス池の中央の階段)
    (写真は「花みどりフェア公式サイト」より)
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    ↓水御堂に向かうための最初の入り口を有する横に長い壁は俗界との境を表す(上の俯瞰写真で右上の直線状部分)
    (写真は「花みどりフェア公式サイト」より)
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    ↓赤色を基調としたお堂内部。本尊の薬師如来の背後から光が差し込んで光背のようになる
    (写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓この格子を通した光が本尊の光背がわりとなる
    (写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓安藤氏による水御堂設計前のイメージスケッチ
    (タウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ◎「バスクリン」ならぬ「ハス・クリン」はいかが?!
    ・・・水御堂を盛り上げるために私が出した案・・・

    水御堂を建てた本福寺。実はこのお寺では、私が勤務していた会社の物故社員の慰霊法要が毎年行われていたのです。

    そこで会社も、水御堂完成にあわせて、話題作りをして盛り上げてさしあげようということになって、私の所属する部署にその方策を考えるよう上層部から指示があったので数人からなるチームが取り組んでいました。

    そこで先ず出たのは、「水御堂」という呼び名は印象力が弱いので、「蓮御堂」のほうが良いと思われるが今さら呼称変更はできないので「水御堂(蓮御堂)」という表現を推すことにしたそうで、その上で色々な案が出ていたようですが、途中で”チームメンバーではない私”へも「何か案はないか」という問いがあったので、私が提案したのは・・

    「ハスの葉からの聖なる水『ハス・クリン』」

    私が子供の頃には「朝露を集めて墨をすり、それで七夕の短冊に願い事を書くと成就する」という”言い伝え”がまだしっかり残っていた。(同時に「字も上達する」という教えもある)

    ただし(地方によってか?)”露を集める方法が二種類”あって、一つは”里芋の葉にのっている露を集める”、もう一つは”ハスの葉にのっている露を集める”。

    どちらの葉も大きく、その表面の撥水性(ロータス効果)によって露がコロコロと玉のようになり葉の中心のくぼんでいる部分に集まる
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    (↑写真は「国立研究開発法人 物質・材料研究機構」のメールマガジンvol-104より引用)

    ・・という特徴が同じゆえにどちらでも良いのでしょうが、土の畑に在る里芋の葉からの露のほうが相対的には得やすく、池や沼に生えているハスの葉から露を採るのは苦労と危険を伴う。

    そして、”極楽浄土はハスの花が咲き満ちている”、”お釈迦様は誕生してすぐに7歩あるかれ、しかもその足跡にはハスの花が咲いた”という”教え”があることや”仏様はハスの花をあらわす「蓮華」の上ににおわす姿の像や絵画が多い”ことなどから・・

    得難くしかも聖なる”ハスの葉の露“は『ありがたい』ことになり、これを集めてつくられた水(聖水?)に「ハス・クリン」という名を付け、「このありがたい水で墨をすって願い事を書けば成就!」とうたって売り出せば、話題となり参拝者も増え(俗世的ですが)収益にも貢献することが期待できる・・という狙いです。

    さてこの私の提案は、面白いから検討すると言われたものの実現しませんでした。しかも「ハス・クリン」というネーミングは一瞬大受けしたものの有名な入浴剤の「バスクリン」との関係で直ちに却下されました。(私は丁度、本来業務に忙しかったことと、間もなく転勤したので、その後の詳しい経過や結果を把握していませんが、"水御堂のプロモーションビデオ"の製作・提供はしたようです。)

    最近になって知ったことですが、「蓮文化研究会」の会長:南 定雄氏によれば、「蓮は食用としてはレンコンは勿論、蓮の葉茶や実もおいしいが、その他にも”化粧品”や”香水”を化粧品メーカーとともに開発した」・・そうで、「その手があったか!」と思った次第です。
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    現在、NHKが放映中の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の主人公のモデルとなったのが現在の高知県生まれの植物分類学者の牧野富太郎博士(1862~1957=昭和32年、94才没)。
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    1889(明治22)年に、植物として日本最初の学名「ヤマトグサ」を名付けて以来、日本各地の植物を調べて1500種以上に学名を付けた博士がシーボルトを批判した理由とは・・

    ◎日本固有種のアジサイを欧州に紹介したシーボルトだが・・
    アジサイと名が付く植物の原種はガクアジサイ。これは日本の固有種であり、日本原産。現在多く見られるアジサイ(ホンアジサイ)はガクアジサイを園芸品種化したもので、これが西欧に渡って品種改良(と言うべきなのか?)されて大正時代に日本に逆輸入されたのがセイヨウアジサイ。

    ガクアジサイ
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    幕末に来日したシーボルト(1796~1866)はドイツ人ながら長崎のオランダ商館付きの医者で、日本の医者や医学生に西洋医学を伝授した一方で日本の文化、生物、地理などを西欧に紹介した。(その一環として、当時は国禁だった”日本地図の国外持ち出し”を図ったことが発覚して1829年に国外追放になった「シーボルト事件」は有名)

    晩年のシーボルト
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    シーボルトは日本の植物としてアジサイを紹介するに当たって、学名となるように「Hydrangea otaksa (ヒドランゲア オタクサ) Siebold et Zuccarini」として発表した。 

    ところが、シーボルトより先に別の学者がアジサイに学名「Hydrangea macrophylla(ヒドランゲア マクロフィラ)」をつけていたことが判明したので「ヒドランゲア オタクサ」は学名登録されなかった。

    「オタクサ」という名は、シーボルトが”在日中の妻としていた”楠本滝のことを「オタキサン」と呼んでいたことから付けたというのはよく知られていますが・・

    楠本滝は元々は商家の娘だったが家が没落したためやむなく出島の遊女になっていたところをシーボルトに見染められたもの。

    さて、シーボルトがアジサイ※に「オタクサ」という名をつけた由来を知った牧野富太郎博士は・・
    「植物の名付けを”私して(私的に利用して)”、しかも女郎のお滝の名を用いるとは、大いに花の神聖をけがすものである」というような表現を用いて憤慨していたそうです。

    しかしながら、牧野博士も”苦労をしながら自分を支えてくれた妻「壽衛(すえ)」”に感謝を込めて、新種のササに「スエコザサ」と命名しているから”同じ穴のムジナ”に近いのではないだろうか?

    ※シーボルトが西欧に紹介したのはガクアジアイであったと牧野博士は確認している。

    ◎牧野博士の仕事に欠かせぬ存在だった”画工”たち
    牧野博士の仕事に欠かせなかった植物標本と植物画。
    "博士が植物に対していとおしむように接した"ことを表すかのように、作製した40万点の標本には植物が美しく見えるように、台紙への貼り方にも注意がはらわれていた”

    ↓「クロモジ(芳香がする高級つま楊枝に使われる)」の標本(左から、実、青葉、紅葉)
    kuromoji
    「東京都立大学牧野標本館」(八王子市)収蔵品写真より引用
      当館の全収蔵品50万点の内、牧野博士作製分は16万点

    牧野博士の偉業は、妻や友人など多くの人たちの助力、協力に支えられていたことはよく語られています
    が、特に植物画の作成には専門の”画工”の助けが必要だった。

    元々、牧野博士は自身で植物図を1700点以上を描いていましたが、それは非常に緻密で正確な図であり、そのために”ネズミの毛を使った独自考案の筆”を駆使して”1ミリ幅の間に7本の線”を描いていました。

    ↓牧野博士自筆の植物画 (「和楽web」より引用)
    makino-draw

    そんな調子なので当然、大量の植物画を描くには時間的に無理ということで、博士同様の絵が描ける職人である”画工”たちに分担依頼しましたが、博士はこの人たちの存在とその仕事に感謝していた。

    例えば、『1940(昭和15)年に出版された「牧野日本植物図鑑」(北隆館)の序文には、三人の画工である水島南平、山田壽雄(としお)、木本幸之助への謝辞が記されている』 (『』内は東京大学総合研究博物館 研究員 藏田愛子氏による)

    この三人の中でも博士が最も信頼していたと言われる画工が山田壽雄(としお)氏。氏は牧野博士からだけでなく他の有力者からの依頼も受けていた。そのため氏の描いた原画が多く残っている。

    ↓山田壽雄の植物画(「山田壽雄が描く園芸植物」展=2018年に練馬区立牧野記念庭園記念館で開催
    の案内パンフより)
    botanical-artisuto (2)

    ↑図内の左上から、園芸種名「鶉ノ羽」/左下「センリョウ」/右上「スカシユリの一品種」/右下「ハクモクレンの一品種」下図は「錦重 羽衣」・・これらの図は園芸家の石井勇義氏の依頼により山田壽雄が描いたもの
    botanical-artisut2 (3)

    ◎初期の牧野を手助けした池野成一郎 / 添い尽くした妻の壽衛
    牧野博士が東京大学(後の東京帝国大学)に出入りし始めた頃、東京大学生だった池野成一郎は顕微鏡使用の植物観察や英語、ラテン語の読み書きを手助けしていた。また牧野が一度東京大学を締め出された後も復帰を後押しし成功させた。

    博士の妻の壽衛(すえ)は貧乏暮らしの中でも夫を支え続け、牧野博士の終の棲家となって最後の約30年を過ごした(現在の東京都練馬区東大泉の)庭付きの家も、彼女が「待合茶屋」を経営して産み出した資金で手に入れられたものだった。現在その旧居は「練馬区立 牧野記念庭園記念館」となっている。

    ↓妻 壽衛 
    (個人蔵の写真を朝日新聞が掲載したもの)
    sue

    余録
    シーボルトと楠本滝の間に生まれ、日本で初の西洋式出産医学を学んだ医師となった楠本イネを主人公にして、民放(TBS系)の連続テレビドラマ「オランダおいね」がイネ役を丘みつ子、滝役を馬渕晴子で、1970年に半年間放映されましたが、丁度この期間は大阪での万博開催と重なっていました。
    当時、会社員だった私にとっては昼休みに当たる時間帯に放映されていたドラマでしたが、殆ど観られませんでした。
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    NHKの朝ドラ「らんまん」好評を反映している一つの例が、旅行会社の”四国巡り”ツアーにおいて、定番の桂浜・坂本龍馬像、金刀比羅宮、大歩危・小歩危、祖谷のかずら橋、道後温泉、四万十川などに加えて「牧野富太郎記念館」「県立牧野植物園」(高知市)が登場したことです。

    ↓最近の旅行会社の新聞広告
    makino-garden (2)

    蛇足ながら他にも、四国巡り観光において近年追加されてきたのが「大塚国際美術館」(徳島県鳴門市)で、世界の名画1000点を特殊技術で陶板に焼き付けて原寸大に再現したものが観られるという人気スポットです。
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    今は梅雨 ! アジサイの花が我が家に少々、近所のお宅に沢山咲いています。

    ↓近所のお宅の垣根沿いのアジサイ
    (下の8枚の写真は全て1軒のお宅のもの)
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    ◎アジサイは食べると中毒の危険性があるのだが・・
    数年前の梅雨の合間のある日、ある店で食事をした際、最初に出された小鉢の横にアジサイの花が添えられていた。(↓下写真赤丸内)
    tenzen-ajisai

    それは一見、風情があるものの、私は”これは やめたほうがいい”と思った・・その理由は・・

    アジサイは、花、葉、茎などのどの部分を口にしても、中毒(嘔吐、悪寒、顔面紅潮)の危険性がある”からで、なぜ「危険性がある」という表現を使って”確定的表現”を避けたかと言うと、その有毒成分として青酸配糖体やアルカロイドというものが検出されることがあるものの、検出されないこともあり、それが種類や土地によるものかも特定できないのが現状だからです。

    しかし実際に中毒は発生していて・・厚生労働省の発表によれば・・
    2008年に大阪市の居酒屋で出汁巻き卵の下に敷かれていたアジサイの葉を食べた人が中毒発症。
    同年、茨城県つくば市の飲食店でもアジサイの葉を食べた8人が中毒発症。

    前述の”私の場合”は添えられていた花はアジサイですが、葉っぱはナンテンとイタヤカエデでしたから問題は無かったものの、アジサイの葉は大葉(青しそ)と同様のつもりで、また花は近年流行のエディブルフラワー(食用花)のつもりで食べてしまわれる危険性があります。

    ということで、”疑わしきは使うべきではない”アジサイです!

    ◎「甘茶」でも中毒が・・
    昔から4月8日のお釈迦様の誕生日には、お釈迦様の像に甘茶をかけ流すと功徳を得られるとされ、また「甘茶」を飲む習慣がありますが、この甘茶の原料は「アマチャ」(オオアマチャ、コアマチャ、アマギアマチャなどの種類がある)であり、ヤマアジサイの変種だそうで、一見するとガクアジサイ(冒頭写真8枚の内最後の2枚参照)と見分けがつかないが、ガクアジサイと比べると全体に小ぶりで、葉の厚みがやや薄く、艶が無いそうです。

    ↓アマチャの花 (ガクアジサイと同様に、花は中心の丸い粒状部分/右は咲終わりに近く花や茎が薄紅色になったもの)
    (写真は「庭木図鑑ウェブ版」より引用)
    amatya

    アマチャの生の葉の状態では甘味は無く、葉を乾燥させてから発酵させると甘味が発生するので、これを昔から”食品の甘味料”としたり、煎じて甘茶にして飲みます。

    しかし、実際に”甘茶でも中毒”が発生しています。

    厚生労働省の発表によれば・・
    2009年に岐阜県岐南市で甘茶飲んだ保育園児119人の内28人が嘔吐などの中毒発症。
    2010年に神奈川県南足柄市の小学校で甘茶飲んだ1年生の内の45人が嘔吐などの中毒発症。

    伝統がある甘茶にしては、原料のアマチャがやはりアジサイに近い種類のためなのか、どうやら注意が必要なようで、飲む場合は浅い煎じ方にして、特に子供にはごく薄い甘茶にするか避けるべきでしょう。

    実は私が”将来お世話になる予定?のお寺”は別名があって「あま茶寺」とも称していて甘茶が飲めるとされていますが、前述のような理由で”大人の私でも”遠慮することにした次第です。
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    なお、アジサイは処理の仕方によっては、
    解熱や咳止め薬(漢方薬)になり、中国原産の「常山アジサイ」は"抗マラリア薬"になっています。アジサイは"毒にも薬にもなる"という点では他の漢方薬の原料となる植物と同様ですね。
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