徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    カテゴリ: 小ねた

    今年(2024)の秋は何故かあちこちで埴輪(一部で土偶)を展示する催しが行われています。
    私の手許に集まった"埴輪、土偶、土器の展示会チラシなど”
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    「特別展 はにわ」 が東京国立博物館で10/16~12/8

    「ハニワと土偶の近代」展が東京国立近代美術館で10/1~12/22

    「旅する はにわ展」が市原歴史博物館で10/12~12/15

    テレビや新聞でも”埴輪”特集が・・
    埴輪特集テレビ番組(NHK eテレ)
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    ↓テレビ番組「はにわ王決定戦」とキャラクター「はに丸」くん(NHK eテレ)
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    その他、展示の一部に埴輪が含まれるのは・・
    「地中からのメッセージ」展が千葉県立房総のむら で9/21~11/17 / 千葉県立中央博物館で12/21~2/9

    「布をまとう 古代人の衣」展が行田市郷土博物館で10/12~11/24

    そして千葉県芝山町では町立芝山古墳・はにわ博物館では埴輪を常設展示している他に、毎年11月の第2日曜日(今年は11月10日)に「芝山はにわ祭り」が開かれ、埴輪の武人など古代人に扮した人々による儀式の披露もされる。↓
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    土偶関連では「ドグウ集まれ!」展があつぎ郷土博物館(神奈川県)で10/12~12/8

    ・・このような中で、私は「旅する はにわ展」(市原歴史博物館)に行ってみたのですが、その動機と言えば私の手許に(冒頭で紹介した)各地で開催の埴輪関連展のチラシが集まった※ことと、岩手県在住の友人が東京国立博物館の「特別展 はにわ」 を見て来たと知らされたので、これは埴輪を見に行かねばならない!と思ったから。

    各地の郷土資料館や博物館、美術館、図書館、などでは互いに連携して期間限定の特別展示の開催案内チラシ類を配備し合うので、例えばある郷土資料館に行けば、そこで各地の多くの展示情報が得られます。

    まずは、私が埴輪と土偶の違いをはっきりとは知らないことに気付いたので・・

    ◎埴輪と土偶の違い
    どちらも日本の古代に造られた土の焼き物だが、土偶の方が年代は古い。
    土偶 : 縄文時代(1万年前~BC4世紀)に祈りや呪術のために作られたもので、人の形が多く、集落跡で見つかる。

    埴輪 : 古墳時代(AD3世紀~7世紀)に埋葬者の墳墓の周囲や上に置かれたもので人物の他、円筒形、動物、建物などの形がある。

    ◎なぜこの時期に埴輪と土偶の特別展が多いのか?
    最も大きな要因は、埴輪として初の国宝となった「挂甲の武人(けいこうのぶじん※”けい“は、てへんに圭)」が国宝指定50周年を迎えたのを記念して、国内外50ヵ所から集められた埴輪を展示する特別展が東京国立博物館で開催されていることでしょう。

    また、千葉県市原市では市内の大規模な「山倉1号墳」(前方後円墳)の発掘調査報告書刊行20周年の節目で、市内はもとより千葉県内各地の埴輪を集めての特別展開催。

    同じく千葉県芝山町では町内の「殿塚・姫塚古墳」出土の埴輪48点が今年8月に国の重要文化財に一括指定されたことで埴輪関連行事が盛り上がっている。

    また同じく千葉県教育振興財団文化財センターは今年11月に設立50周年を記念して旧石器、縄文、弥生期の出土品を特別展示。

    埼玉県行田市では市政施行75周年記念で”布をまとう古代人の衣”姿の一つとして埴輪も展示する企画展を開催。

    これらがたまたま同時期に開催されるカタチになって”埴輪ムーブ”が生まれたのでしょう。

    ◎「旅する はにわ展」(千葉県・市原歴史博物館)見学記
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    ○テーマの”旅する”の意味は・・
    実は千葉県市原市で発掘される埴輪の中には、現在の埼玉県鴻巣市にかつて存在した東日本最大級の埴輪工房である「生出塚(おいねづか)埴輪窯」で焼かれて作られ、直線距離にして約100キロを”旅するように”現在の市原市の「山倉1号墳」(前方後円墳)へ運ばれたものもあることが判明しているから。

    ↓生出塚埴輪窯製の埴輪:左端と右から2番目が山倉1号墳から出土
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    ↓生出塚埴輪窯跡に残されていた埴輪 / 山倉1号墳
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    なぜ遠く離れた二か所の埴輪が同じ場所で作られたことが分かるのかと言えば・・
    (1) 埴輪の見た目のデザインが同一
    (2) 埴輪の胎土(使用の土)が同一(蛍光X線分析で成分同じで鉄分多く、赤味が強い)
    (3) 埴輪の表面に残る「ハケメ(のようなもの)」が同一
    埴輪製作過程で埴輪の着衣などの部分の表面を整えるために板の木口(切り口)を使って撫でるのだが、その際に板の木目による沢山の筋「ハケメ(のようなもの)」が付く。その筋どうしの間隔は、その板の木目のそれそのままであり、その板を使って幾つも作った埴輪は皆同じ筋間隔のハケメがついた仕上がりになることから、千葉県で発掘された埴輪は埼玉県の生出塚埴輪窯でつくられたものと全く同じなので分かる。
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    ○埴輪は二大別される・・
    (A)「円筒埴輪」で文字通り円い筒形。
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    (B)「形象埴輪」で人、動物、建物などをかたどったもの。
    ↓イノシシ / シカ
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    ↓ムササビ
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    ↓水鳥 / 魚
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    ○埴輪につけられている穴の目的は・・
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    埴輪の原型は弥生時代の”墓に供える物を入れる壺を支える台”であるとされ、その台には魔物を寄せ付けないようにするために模様や線がつけられたが、それをさらに強調するために穴を開けた慣例が、その後の古墳時代になって”円筒埴輪の胴部分”や”人物埴輪の台部分”に受け継がれたもので、多くは線や模様無しの穴だけとなっている。
    その穴は考古学では「透孔(すかしこう)」と呼び、形は○、△、□、半円、卍などがある。

    ○3Dプリンターによるレプリカは今後有望!
    今回展示の埴輪1体を非接触でスキャンして3Dプリンターで作られたモノが展示されていたが、触りながら見たい部分も自由にみられることは埴輪を深く知るには大変効果的なので、これから(埴輪に限らず)同様のカタチが広がるでしょう。

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    ◎これも“旅する埴輪”とも言えるのが・・
    前述の東京国立博物館で開催の「特別展 はにわ」の“目玉的展示物”の「挂甲の武人」(挂甲とは鉄板を綴り合わせて作られた甲=よろい)。
    よく似た格好の武人の埴輪5体が全て群馬県から出土したものの、1体は東京国立博物館所蔵でこれが国宝になっているが、その他は群馬、千葉、奈良、そして米国のシアトルの博物館または美術館に所蔵されているものを今回すべて揃えられて東京国立博物館で展示されているので・・
    4体は遠くから”旅をしてきた”ようなもので、特にシアトルからは長旅だった!

    ↓揃った5体。左端が国宝。真ん中がシアトルから一時帰国
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    ○国宝の埴輪
    「挂甲の武人」は日本郵便の切手になっている!
    最初の発行は1972(昭和47)年に全体が茶色の図案で、
    次に1976(昭和51)年に全体が朱色で、
    3度目は1989(平成元年)に埴輪本体は茶色で紫色の背景。

    3度目発行(左)  /  2度目発行 ※茶色に見えるが本当は朱色
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    ブラジル生まれのピアニスト、作曲家、編曲家、バンドマスターであったセルジオ・メンデス氏が先日(2024年9月5日)、83才で米国ロスアンジェルスで亡くなった。
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    写真は「Yahooニュース」より引用

    ◎セルジオ・メンデスのマシュケナダ
    私が最初に氏の音楽を聴いたのは1966(昭和41)年のことだったか、丁度その頃に氏が率いるグループ「セルジオ・メンデスとブラジル66」が「マシュ・ケ・ナダ」(ジョルジュ・ベン作曲のボサノヴァ曲)をカバーして世界的にヒットしていたから。

    マシュ・ケ・ナダ =  https://www.youtube.com/watch?v=wiqDOPCX_pA

    もともと私は10代後半からラテン系音楽が好きで、ペレス・プラード、ザビア・クガート、パーシー・フェースなどのマンボ、ルンバ、サンバ。メキシコ系のマリアッチなど賑やかな演奏をよく聴いていた。(賑やかではなかったトリオ・ロス・パンチョスも聴いたが)

    ◎私の人生最初購入のミュージックテープ
    1960年代後半になると、静かに語り掛けるような調子のボサノヴァ曲の「デサフィナード」や「イパネマの娘※」などが日本でも聴けるようになって、これはこれで良い感じだったが・・

    イパネマの娘 =  https://www.youtube.com/watch?v=a8wcZUUXJFs

    そこに登場した「セルジオ・メンデスとブラジル66」の「マシュ・ケ・ナダ」はボサノヴァ曲をアップテンポで賑やかにアレンジして、これぞ私の好み!ということで、これを収めた”レコードではなくカセットテープ”を購入。

    それは私が人生で最初に購入した”ミュージックテープ”となった。

    ↓今でも保有している
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    そのテープに収められていたのは、「マシュ・ケ・ナダ」の他には「ビリンバウ」「おいしい水」「デイ・トリッパー」など全10曲で、当時私が所有していたビクター社(現、(株)JVCケンウッド)の ポータブル・カセットプレーヤー「カセッター※」でそれはそれは何回も聴き入った!

    ※「カセッター」は当時のビクター社によるカセットテープの録音・再生機の独自の呼称。その後”同社が開発して世界を席巻したVHSテープ”の録音・再生機も「ビデオ カセッター」と称していた。

    ※(蛇足ながら)ソニー社もテープレコーダーのことを独自に「テープコーダー」と称していた。

    ◎「ビリンバウ」という民族楽器
    先述のカセットテープに収められている1曲「ビリンバウ」はブラジルの民族楽器のことであり、下の写真のように、弓の形で弦は鉄線で、その弦には”木の実をくり抜いた共鳴椀”が付いていて、弦を細い棒で叩いて音を出すもので、その際の手には叩く棒と同時に”マラカスの中身と同じ種のような物”が入った筒状の小籠も持ちながら行うので、ビリンバウの演奏では弦の音に加えてマラカスのような音が加わったものになる。

    ↓ビリンバウ(一式:全長95センチ:中下の小籠がマラカスのような音出す:中央は500円硬貨)
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    ↓(ついでに)我が家に在る中南米、アフリカ、ユーゴスラビアの民族楽器
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    ↓小野リサ氏の監修で「LISA」の金色文字がうたれた木製サンバホイッスル(サンバカーニバルなどでピーピー鳴らす笛:右は裏側) (この品は某FM局の懸賞の当選品でレアモノ?)
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    ※「イパネマの娘」という曲は女性シンガーが歌う場合には曲名を「イパネマの少年」と変え、歌詞の中の「少女」も「少年」に変えることも多い。
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    日本発祥の「ペロブスカイト太陽電池」は、その優秀さから今や全世界で開発、改良が進められ、一部の国では商品化され始めた。

    この太陽電池の要であるのがペロブスカイトで、それを構成する成分の中でも重要な「ヨウ素」は世界的規模で千葉県において大量に産出するので今後は産業としても大いに期待される。

    現在の日本では「地産地消」という名のキャンペーンが各地にありますが、千葉県ではそれをモジって「千産千消」としているものを「千産千勝」とでも言えるような展開になりそう。

    ◎ペロブスカイトとは
    (A)メチルアミン(など) (B)鉛(など) (C)ヨウ素の3成分からなる結晶体で、これを太陽光発電用に使ったものがペロブスカイト太陽電池で日本の宮坂 力(みやさか つとむ)桐蔭横浜大学特任教授が発明した。
    このペロブスカイト太陽電池は多大な特長を有しているために、氏はノーベル賞候補と言われている。

    ◎ペロブスカイト太陽電池の特長
    1)フイルムなどに塗布または印刷して簡単に安価に製造できる

    2)薄くでき、軽くでき、曲げることができるため、形体や設置場所の自由度が高くなる
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    (↑真は東芝のHPより)

    ↓日よけ・目隠しにもなる発電シート試作品(写真は積水化学工業のHPより)
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    3)重要素材であるヨウ素が日本では豊富に産出される→詳細次項へ

    ◎ヨウ素とは
    英語表記:iodine 元素周期表における元素記号:I(アイ) 原子番号:53 個体で非金属

    ヨウ素は人体の必要素の一つであり、一般的には海水に含まれ、海中で育つ昆布やワカメなどの海藻類には濃縮されて多く含まれる。その他には硝石(鉱物)や(後述の)かん水に含まれる。

    ヨウ素含有製品:うがい薬(イソジン)、消毒薬(ヨードチンキ:但し昨2023年に製造中止。理由は乳幼児あるいは大人でも弱い皮膚から大量吸収された場合に甲状腺疾患を発症すること、近年は消毒薬として代替的製品のマキロンなどが登場しているから。なおイソジンも頻回使用すると甲状腺疾患の恐れありとされる)

    ◎ヨウ素の世界的な産地である千葉県
    世界のヨウ素の年間生産量約3万4000トンのほとんどをチリと日本が占めていて、チリが1位で2位の日本はその約3割に当たる1万トン生産。そして日本の生産量の約8割を千葉県が占めるので・・世界のヨウ素生産の約4分の1を千葉県が占めていることになる。

    しかも可採埋蔵量は約400万トンなので従来の生産ペースであれば500年続けられる。

    ◎実は千葉県のヨウ素は天然ガスと一緒に産出
    千葉県のおよそ7割?の面積の地下の地層の隙間には、水溶性の天然メタンガスとヨウ素が含まれた太古の海水が存在していて、その海水のことを「かん水」と言う。(ガス埋蔵地域は大部分を占める千葉県の他に神奈川、埼玉、茨城の各県と東京都の極一部が含まれ「南関東ガス田」と称される)
    ↓南関東ガス田(ベージュ部)(茶色部は主な採取地帯) (天然ガス鉱業会のHPより)
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    千葉のかん水に含まれるヨウ素は普通の海水の2000倍の高濃度。

    同じくかん水に含まれる天然ガス年間生産量は約4.4億㎥で、現在生産ペースで約800年もつとされ、県内の家庭や企業にはこの地産の天然ガスが地元の「大多喜ガス(株)」などから供給されている。

    地産地消の天然ガス料金は東京ガスよりも3~4割安で、しかも過去10年間値上げされていない。
    おもしろいことに、国内のヨウ素生産量は1位が千葉県、2位は新潟県。対して天然ガス生産量は1位が新潟県(77%を占める)、2位は千葉県

    ◎自然に湧き出る天然ガスのありがたさと怖さ?
    商業的には地下1000m~500mからかん水を汲み上げて生産される天然ガスだが、千葉県の太平洋側の九十九里地区から内陸にかけての範囲にある大多喜町、茂原市、大網白里市、山武市(さんむし)、横芝光町(よこしばひかりまち)などにまたがるゾーンでは地面や川底から湧き出ている場所が多くある。
    ↓川底からの天然ガスの泡が水面に出ている様子(千葉県睦沢町=むつざわ)
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    (写真は「読売新聞オンライン」より)

    千葉市にある土気町(とけまち)という地名は、その土地では何やら燃える気体(天然ガス)が出ていたことが由来と言われる。

    現在、前出のゾーンではガス会社とは契約せずに自宅敷地に掘ったガス井戸から天然ガスをとりだして使っている家庭が少なからずある。

    ↓自家用のガス井戸 (空気より軽いメタンガスを溜める筒が中央にある)
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    (画像はNHKテレビ「小さな旅」より)

    田んぼに鉄パイプを突き刺すだけで天然ガスが出るところもある。(下写真)
    ↓農作業の途中でお湯を沸かして一服(茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    ↓地中から直接の天然ガスは9000キロカロリーと高い(ガス会社は3600キロカロリーに抑えて供給) 
    (茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    気付かぬうちに天然ガスが室内に充満して引火で爆発!・・
    千葉県山武郡九十九里町に在った「九十九里いわし博物館」は2004(平成16)年に爆発事故が発生して損壊大きく1名死亡、1名火傷で重症を負った。
    原因は敷地内から自然湧出していた天然ガスが当時使用していなかったエアコンの配管を通って館内に充満していたことに気付かずに(本来の天然ガスは無色無臭。ガス会社供給時には加臭)燻煙殺虫剤に着火しようとして引火爆発したもの。
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    ※ペロブスカイト太陽電池の詳細は・・資源エネルギー庁のHP
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    ◎頭に糞を落とされたのはアラ80での初体験
    今年(2024)5月21日の午後、庭に出ていたら突然、私の頭に何かが落ちてきて「ピチャ」っと(音は感じなかったが)着いた。

    驚いて指で触ってみたら、白くてドロドロしたものですぐに鳥の糞だと分かったと同時に上の空を見上げたが、鳥の姿は見えず声もせず、あるのはただ青い空。ハテ何の鳥だったのか?

    何か白いものが頭に、しかし上空には青い空のみ
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    私は額から後頭部にかけて殆ど毛髪が無い(俗に言う)ハゲアタマなので、その糞はすぐ指で拭えてその後は水で簡単に洗って済んだが、これが普通に毛が有る人だったらこんなに簡単には処置できないだろうなと、不幸中の小さな幸い?を感じたのだった。

    後日に知ったが、この日は大安だったのでこれで少しウンが良くなるかとかすかな期待をしている。

    それにしても80才に近い私がこれまで生きてきて、わが身が糞害にあったのは初体験。しかも頭上に何も無い場所での糞との遭遇は確率としては非常に小さいはずで、逆にその確率が高いのは・・

    ◎駅のホーム、電線下、家屋の軒先など、糞害注意! 
    東京のJR秋葉原駅は総武線と山手線などがそれぞれ高架状態で交差するのでホームは構造的にも視覚的にも複雑駅の一つです(地下鉄どうしが地下で交差しても視覚上は複雑感は無い)が、それにともなってホーム上の鉄骨またはコンクリートの梁が多く存在することになり、そこに鳩が多数来て留まる結果、
    糞が大量にプラットホーム上に落とされる。
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    私は現役の会社員だったある時期にはこの秋葉原駅で乗降していたが、ホームの所どころに「頭上ご注意 ハトのおとしもの」という看板がかかげてあったから、梁の下を避けて歩いたもの。

    ハト飛来防止用に金網を張ったり、大きな針山のような専用品(下図参照)を梁の上に設置してハトがとまれないようにする方法があるが、秋葉原の駅のような場合にはそれが適用しにくいのだろうと思う。
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    電線の下にも鳥の糞が落とされることも多く
    、先日には我が家の前の電線の真下で鳥の糞が巾5センチ長さ60センチくらいの一直線の白い帯状になって道路上に落ちていたが、これは明らかに鳥が電線上に多数並んでとまって”連れしょん”ならぬ”連れ糞”した結果だとわかる。
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    夏の今の時期ならたぶんツバメのしわざだと思われるが、私が過去に見た”電線上に並んだツバメ”の数で最大は14羽。ちょっと横道に逸れますが、ムクドリは20羽以上が並んでとまっているのを見たことがあり、同様にカラスの30羽ちかくを電線上に見たときはその全体が黒い大きなかたまりのようでちょっと不気味だったことがある。

    ツバメが巣をつくった家には幸福が訪れると昔から言われるため、その巣を大切に見守る家その他の施設などの建物は多いが・・
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    それに伴って発生するのが”巣の下の場所が糞によって汚れること”で、そのために糞の落下地点に受け皿状のものを置いたり紙類を敷くなどの対処がされるので、ツバメの巣の存在を知らない人でもすぐに気が付くことになると同時に、この家や施設の人のあたたかい気持ちがうかがえるもの。

    ◎露天風呂に鳥の糞が落ちてきた!
    私が海に面した露天風呂の湯に浸かっていた時のこと、いい気分になっているところに突然ポチャンと音がしたので何かと思って見たら自分の身からわずか20センチ先に白いものが”まるで溶き卵をお湯に入れた瞬間のような状態”で15センチくらいの長さでモヤっとして一部浮いて一部沈んでいるではないか!
    白いものがポチャンと・・ 
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    一瞬何かと思ったがこれは鳥の糞だと気づいたのですぐに空を見上げたがこの時も鳥の姿はなかった。

    同時に「わっ 鳥の糞が落ちてきた!」と周囲の人にも聞こえるように声をあげたら、ちょうど手桶が近くにあった人がそれを使って糞をすくい取って排水口に捨て、丁度近くに居た従業員が飛んで来て糞が落ちた周囲のお湯を処理した。後で思うにカモメの仕業だったのであろう。海上に2羽ばかり飛んでいたのが見えていたから。

    日本の露天風呂には屋根がついていることが多いが、その目的は”雨や雪が降る中でも気分よく湯に浸かっていられる”ことの他に”苔や藻を発生しやすくする太陽光を遮るため”なのだが、”裸という無防備状態にある時に頭上からの(糞に限らず)落下物から身を守る”ことにもある・・ということになる。

    露天風呂の屋根有りと無しの双方に利点はあるが・・
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    (↑左:和歌の浦温泉・萬葉の湯/右:万座プリンスホテル)
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    7月初めの今日もツバメが数羽 電線にとまって「ピチピチピチ」、時には「ピチピチピチ ビー」と鳴いている様子が我が家からも観察できる。
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    そしてたまにはピューっと飛ぶ姿も見えるがさすがに”昔、国鉄(現JR)の特急の愛称になっただけあって?”速い! 確かにカラスやヒヨドリなどよりも・・

    ツバメは日本へ春に飛来して卵5~6個産み、子供を育ててから秋に南方のフィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム南部などに帰るそうで、その飛行距離は実に3000キロ以上。

    体重20グラムで500円硬貨3枚分の軽く小さい体でよくもまあ長旅するもの。 

    餌は蚊、ハエ、シロアリ、蝶、トンボなど空中を飛んでいる虫が主で、南方地域にはこれらの虫が多いものの餌を取り合う競合鳥類が多いため、特に子育てのために餌が多量に必要な時期には困るのだが、丁度その頃の日本には餌になる虫が多いので、長旅をしてでも来日するのだそうだ。

    民家の軒下などに作った巣からヒナの餌になる虫を求めて飛び立ち、虫をくわえて戻る行為は1時間当たり平均40回も繰り返されるといわれる。

    秋に離日して再び来日すると、通説では「ツバメは同じ巣に戻って来る」と言われるものの実際はその確率は15%という説があるが、同じ巣ではないものの元の巣の近隣に作巣する例は多いようだ。

    しかし一方で、離日する子ツバメに足環を着けての調査では山口県から離日したツバメが静岡県に戻ってきた例もあるとのこと。               

    さて今年(2024年)、千葉県中部にある我が家の周りでツバメの鳴き声が聞こえ始めたのが3月27日・・と、カレンダーにメモしたのだが、”渡り鳥の鳴き始めを感知してそれを記録しておく”ような行為は会社勤め現役時代には考えられないことだったかなと思う。

    というわけで、今年は私がツバメへの意識が強いところに、ツバメに関する新聞記事、テレビドラマ、映画(のようなもの)が現れた!

    ◎「天声人語」欄のツバメ
    5月16日の朝日新聞の天声人語欄に『古い言葉で「メ」は鳥の総称だったと国語学者の金田一春彦さんが書いていて、ツバメ、スズメ、カモメしかり。「燕」という漢字はツバメが翼を広げて飛ぶ様を写した象形文字』・・というようなことが紹介された。

    ◎「燕は戻ってこない」という名のドラマ話題
    桐野夏生(きりのなつお=直木賞はじめ多数の文学賞受賞の作家、日本ペンクラブ会長、紫綬褒章受章者)原作の連続テレビドラマ「燕は戻ってこない」(NHKで2024.7.2まで)は代理出産を扱った重い内容で、出演の稲垣吾郎の好演でも注目されているようですが、

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    桐野氏はあるインタビューでこの小説名の由来を尋ねられた際にも明解な回答をせずに読者の解釈に任せているので、私なりに思えば・・

    通常は子供を産めば授乳その他で子育てするところ、代理出産をした女性はそれができないので、燕が子育てのために餌をとっては巣に戻り、子に与える行為を繰り返す姿になぞらえれば、ツバメに例えた代理出産女性は育児現場(である巣)に戻らない・・ことになる。

    と、解釈していたところ、 (原作を私は知らないが) このドラマでは、代理出産を請け負った女性が帝王切開で双子(男女)を産んだのだが依頼人側に引き渡す前になんと、男の子だけを残して勝手に女の子のほうを抱えたまま姿を消したのだった。

    ◎オペラ「つばめ」の上演映像が各地で公開される
    プッチーニ作曲のオペラの中でも「つばめ」は最も優雅で洗練されていると言われるそうで、ストーリーは"銀行家ランバルドに囲われている高級娼婦マグダが一度は別れて別の男のもとにはしり結婚に至りそうになったが、自分が娼婦だったことを告白して結婚辞退して再びランバルドのもとへ戻る"というもの。マグダはツバメのように同じ所に戻ったのだ。

    このオペラがニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)で今年4月20日に撮影(使用カメラ10台)されたものが録画されて5月31日から日本各地で映像上映(松竹配給)されたもので、この「つばめ」はMETで上演される多数のオペラの映像を上映するシリーズ「METライブ ビューイング」の中の第8弾とのこと。

    ↓オペラ「つばめ」のワンシーン(「映画.COM」のHPより)
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    実はこの「つばめ」上映の情報は、日頃から文化・芸術に詳しい友人が実際に観て「映像ながら観劇で感激!」という内容のメールを送ってくれたので知った次第。
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    以下はツバメに関連する余談です

    ◎「若いツバメ」考
    「若いツバメ」とは、女性からみて年下の男の恋人のこと。

    その由来は、大正から昭和にかけて女性解放運動して有名な平塚らいてう(ひらつか らいちょう)が自分より若い画家である奥村博史と親しくなっていることが周囲に知られたために、奥村はある手紙を書き残して、彼女らいちょうのもとを去って田舎に帰ってしまった。

    その手紙は「池の中で水鳥たちが仲良く遊んでいた所に、一羽の若い燕が飛んできて大騒ぎになりました。この思いがけない結果に驚いた若い燕は飛び去ります」というような内容だったことから生まれた言葉。

    ところが、彼女は「燕なら春になると帰ってくるでしょう」という返事を出して、彼を呼び戻した後は二人で共同生活を始めたそうで、愛の巣を飛び出た彼は再び元の巣へ戻ったのでツバメ同様となった。

    ↓平塚らいてう(若年期 / 高年期)
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    らいてうは1886(明治19)年の生まれなので”若い燕”との生活に入ったのは1914(大正3=第1次世界大戦開始)年のことだから28才の時のことになる。私の想像では少なくとも30才代後半以降のことかと思っていたのでちょっと意外。ちなみに1971(昭和46=大阪万博開催翌年)年に85才で死去している。

    ◎「ツバメ低く飛べば雨近い」理由と飛行機の塗装?
    昔から「ツバメが低く飛んだら、もうすぐ雨が降る」と言われて、私も子供の頃に聞かされていたが、さてその理由を教えてもらっていなかった。恥ずかしながら高齢者とされる年齢になってから初めて知ったことは・・

    雨降り前には湿度が高くなる=空気中の水分が多くなる→空中を飛ぶ虫たちの羽や体に水分が着く→体が重くなって低くしか飛べない→その状態の虫たちを捕まえるためにツバメも低く飛ぶ・・という理由。

    それで思い出すのは、”飛行機の機体全体を覆う塗装の重さが飛行に影響を与えている”こと。

    ちょっとあいまいな数字で恐縮ですが、大型機1機の塗装に使われる塗料の重さは0.5トンにもなり、その影響で東京→ロンドン間の飛行で5万5000円分の余計な燃料を消費するという試算がある。

    高高度を高速で飛ぶような飛行機は、地上と高空との間の気圧変化による機体の膨張と収縮の繰り返しが起こす可能性のある機体胴体の金属疲労(これが進むと金属板が破断して最悪は機体が空中分解)の抑制や空中の塵や浮遊物の衝突によるキズ防止などの理由で機体の塗装は必須になっているから仕方ないようです。

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    今年5月、「とにかく可視化」という書名の本(新潮新書)が出版された。
    その新聞広告には、こうある・・「可視化するだけですべてうまく行く! 延々と続くムダなやり取り、長いだけの空疎な議論、決めても簡単に撤回、動き出しても停滞。多くの企業が抱えるモヤモヤを解決するシンプルかつ超実践的ノウハウ。」

    そこで”賢い人の可視こい?例”として思い出すのが・・

    ◎白洲次郎が描いた「ジープウェイ」図
    白洲次郎はご存知のようにGHQをして「従順ならざる只一人の日本人」と言わしめた人物。英国留学で鍛えた流暢なキングズイングリッシュで堂々と意見を述べた。

    sirasu-jirou

    1946(昭和21)年のこと、新しい日本国憲法の草案内容はGHQによる一方的かつ性急な面が強いために日本政府が松本国務大臣名で作成していた「松本案」の再考を願う内容の書簡を出すことになり、その時点で終戦連絡事務局参与であった白洲が作成してGHQのホイットニー民生局長へ送った。

    その際に”日本側の松本案とGHQ案は目的(OBJECT)は同じであり、ただしそこに到達する手順が違って、松本案は日本の国情によって、あたかも山道をジープに乗って行く(JEEP WAY)がごとくであり、GHQ案は(途中の事情などかまわずに)一挙に到達しようとするものである”としてその主張を”まさに可視化“した手書きの図を添えた。「百”文”は一見にしかず」か! これが後に「THE JEEP WAY LETTER」と呼ばれるようになった。

    ↓白洲が書簡(1946年2月15日付)に添えて描いた図(外務省外交史料館蔵より)jeep-way

    書簡を受けたホイットニー民生局長は、白洲による説明図によって明確にされた日本政府の態度を激しく非難してGHQ案推進方針をより固めることになってしまったが・・

    結果は残念だったが、後年に「THE JEEP WAY LETTER」が知られるようになって、現在ではその図をプリントしたTシャツが(白洲夫妻の旧邸で今は資料館になっている)「武相荘」(東京都町田市)※で販売されている。綿100%、価格6600円、サイズ4種類でネット販売あり。

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの背面
    tsyatu1

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの前面
    tsyatu2

    ◎南方熊楠の描いた「南方マンダラ」
    南方熊楠 (みなかた くまぐす:1867~1941年=明治元年の前年に生まれて太平洋戦争開始年に亡くなった)は、とくに植物学、微生物学、民俗学の分野で活躍(その他、粘菌の研究は有名)したが、世界の科学、宗教、哲学などにも造詣が深かった。それらの行為を支えていたのは抜群の記憶力や9か国語に精通した語学力だった。
    ↓南方熊楠
    kumagusu-face

    もう一つ” 熊楠の思索と行動にとって重要な役割をした”のが・・
    土宣法竜(とき ほうりゅう=1854~1922年)という真言宗の高僧であり、慶応義塾で西洋学問を修学してから宗教界に入り、非常に開けた視野と柔軟な思索の人。シカゴでの万国宗教大会に真言宗代表として出席したりロンドンやパリでも仏教関連の仕事をし、最終的に真言宗高野派管長となった。

    そのロンドン滞在時(1893=明治26年)に丁度現地で勉学中だった熊楠と出会った。13才年下で当時まだ20代の熊楠ではあったが既に「ネイチャー」誌に論文を発表して高評価を得ていたほどの知性にあふれていたので、二人は共鳴し合い、以後は1916(大正5)年頃までハイブラウな内容の書簡が大量にやりとりされた。

    ↓土宣法竜 師
    kumagusu

    西洋の科学や哲学においては物事の存在理由や現象の原因を追究するには、全体から細分へと分析対象を絞り込みながらその要素を抽出するという方法(従来一般に「還元主義」と呼ばれていたが最近は使われない傾向)がとられていたが、それでは真理をつかむには限界があると熊楠は気づいていたために、それに代わり得る方法を探り始めていた。

    そこで熊楠が着目したのが東洋の哲学、宗教であり、中でも曼荼羅(まんだら)に注目。それを知らされた土宣師は”曼荼羅を重用する真言宗の僧侶”でもあるので大いに熊楠を後押しした。

    ↓金剛界曼荼羅(左)  胎蔵界曼荼羅(右)
    2mandara

    曼荼羅は仏教の世界観を一般民衆でも理解できるようにと可視化したものだが、前述のように” 物事の存在理由や現象の原因”を可視化するのは難しいので、さすがの熊楠も10年を経てやっと一応のカタチを得たのが「南方マンダラ」と称されるもので、”一応”という訳は熊楠はこのマンダラ図を本当は立体を表すものにしたかったから”であり、しかも説明無しではこの図は理解できないから。

    ↓(いわゆる)「南方マンダラ」図 (河出文庫「南方マンダラ」より)
    minakata-mdra

    "知の巨人"である熊楠が長年考え抜いて導いた結果を可視化したこの「南方マンダラ」そのものと、その生成過程は難解で、浅学菲才の私のおぼろげなる解釈では"この世界の物や事は他との関係において生まれ、存在するものであって、その際の互いの関係の有様は多様(熊楠によれば図中のイ、ロ、ハなどそれぞれは異なる)であることを表している"のだろうと思いますが、詳しい説明内容に興味ある方は書籍「南方マンダラ」(中沢新一 責任編集・解題:河出文庫)に熊楠本人の説明(
    土宣法竜師宛の多数の書簡文中)と中沢氏の解説が掲載されているので参照下さい。 
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    「可視化」についての続編はまた後日に・・
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    以前に「食」に関する東西のちがいについて2編紹介したことがありますが、今回はその他色々なちがいをランダムに挙げてみました。 まずはよく知られている例から・・
    (以下文中『T』印は、文章や写真を「Trip Editor」サイトを参考または引用)

    ◎ハンバーガーのマクドナルドの略称(愛称)
    東=「マック」 /  西=「マクド」
    mac

    関西では、店で買い物してくれたお客に向けて「まいど(おおきに)」とよく言うことや仕事上で日頃つきあいがある人に会うと挨拶として「まいど」と言うことが多いことや、お尻のことを「おいど」と言うこと、"かまど"のことを「おくど(さん)」と言うことが多いなどで、マクドナルドが「マクド」となるのは自然の流れだろう。

    余談ですが、私が大阪勤務時代のこと、東京に住む父親が合いに来てくれた際、顔を合わせた瞬間に私は「まいど!」という言葉が出てしまって気まずい思いをしたことがありました。

    ◎関東などで「ワイシャツ」と言うが・・
    東=「ワイシャツ」 / 西=「カッターシャツ」

    ◎大学生の学年の呼び方
    東=「〇年生(ねんせい)」 / 西=「〇回生(かいせい)」

    ◎エスカレーターの立ち位置
    東=左側  /  西=右側

    ↓東のエスカレーター状況 『T』
    elevator-e

    ↓西のエスカレーター状況 『T』
    elevator-w

    ◎畳の大きさ 
    関東より関西のほうが大きい。当然部屋の大きさも同じ6畳間でも関西が見るからに広い。
    東=「江戸間」サイズ畳=1760 (5尺8寸) X 880ミリ
    西=「京間」サイズ畳=1910 (6尺3寸) X 955ミリ

    ◎「ばか」や「あほ」と呼ぶ地域の中間では?
    これは知る人も多いはずで36年続いているテレビ番組「探偵ナイトスクープ」(朝日放送テレビ制作)で紹介されたもので・・

    東 =「ばか」/ 
    西 =「あほ」/ 中部(愛知県など) =「たわけ」

    その他の例・・

    ◎子供の遊び” 警官と泥棒の捕まえっこ”の呼び名 『T』
    「警察」と「泥棒」のグループに分かれて、警察が泥棒を捕まえて牢屋に入れ、泥棒仲間が助け出すという設定の一種「鬼ごっこ」のような遊びの名前が・・
    東=「ドロケイ」 / 西=「ケイドロ」 / 東北の一部=「助け鬼」 / その他の地では(泥棒と巡査から)「どろじゅん」、「じゅんどろ」や(盗人と探偵から)「ぬすたん」、「ぬけたん」などある。

    ◎子供が何かを選ぶ時の「どれにしようかな 神様の言う通り」の後ろに続く言葉 『T』
    東西に限らず全国各地で多様にあり、東京の中でも「あのなのな」、「なのなのな」、「鉄砲撃ってバンバンバン 玉手箱 薬箱」などがある。

    ◎蚊に血を吸われることを・・ 『T』
    東=「刺される」 / 西=「噛まれる」 / その他地域で「食われる」とも言う。

    ◎銭湯での浴槽と洗い場の位置(下記の傾向が強い)  『T』
    東=浴室最奥の壁(よく富士山の絵が描かれている)に沿って浴槽。
    浴室入ってすぐに洗い場が在る

    西=浴槽が浴室の真ん中に在り、その両側に洗い場が在る。

    ↓関東の銭湯の例 
    1010-e

    ↓関西の銭湯の例
    1010-w

    ◎銭湯建物入り口の”のれん”  『T』
    東=のれん上端に、巾が数センチの布で作った輪っかを等間隔で並べて付けたものに、棒を通す形式で、結果として、のれん上端部には棒が所々に見える。
    西=のれんの上端全体を輪っか状に作り、その中に棒を通すのでのれん上端部の棒は見えない。

    ◎線香花火 『T』
    現在は国内の花火製造会社が減って中国製が多くなったために、日本の東西の違いが薄れてしまっているがまだ残っている特長は・・

    東=多彩な色の着いた紙を棒状に撚ったものの先端に着火して下に向けるも、火の球が落ちないようにして火花を楽しむもの。

    西=麦わらの硬い部分を持ち棒として先端に付いている火薬に着火したら斜め上に向けて火花を楽しむ。
    ↓関東型の線香花火
    senkohnb-e

    ↓関西型の線香花火
    sekohnb-w

    ◎同じ呼称で抑揚にちがい
    多くの単語の発音は概して東では抑揚が無いのにたいして西では抑揚がある。例えば・・

    東=「京橋」:(きょう)・(ば)・(し)の3音が同音程 
    西=「京橋」:(きょう)の音が最も音程が高く、(ば)→(し)と順に低くなる

    しかし東西で逆の場合もある。例えば・・

    東=「(人名の)「山脇」:(や)の次の(ま)の音程が最も高く、(わ)は(や)と同じ高さに下げ→さらに(き)は低くなる
    西=「(人名の)「山脇」:(や)・(ま)・(わ)・(き)の4音が同音程 

    ◎スコップとシャベルの呼び名の違いが東西で逆転?
    まず最初に、私が”土を掘る各種器具”の正しい呼び名を知らなかったのでご紹介しておきます。

    ショベル(シャベル) = 足を乗せる部分があって、足の力を利用して土などを掘る道具。

    スコップ = 足を乗せる部分が無く、手の力だけで土などを主にすくう道具

    移植ゴテ = 手だけで土などを掘ったりすくったりする小型の道具

    ↓スコップとショベル(シャベル) (NHKの「探検ファクトリー」より)
    suko-syobe

    ↓移植ゴテ 
    (NHKの「探検ファクトリー」より)
    isyokugote

    上記のような正しい呼び名があるにもかかわらず、現状は誤認識がある上に、関西と東北では呼び名が逆転しているという混乱状態にある。現状は・・

    北日本=スコップとショベル(シャベル)どちらもスコップと言い、移植ゴテをショベル(シャベル)と言う。

    関西 =移植ゴテをスコップと言い、スコップとショベル(シャベル)どちらもショベル(シャベル)と言う。

    touzai-suko-syo
    (NHKの「探検ファクトリー」より)

    東京など関東では” 関西と東北での呼び方の双方が混在してしまっていてメチャクチャな状態”。

    ◎落語の(元々の)スタイル 『T』
    東(江戸)= 舞台の上の座布団に座るだけの姿で落語を語る。

    西(上方)= 舞台の上の座布団に座る体の前に「見台」(膝隠し)と呼ばれる台を置き、その上に置かれた拍子木や扇子を適時台面を打ち鳴らしながら落語を語る。

    ↓関西落語のスタイル例
    rakugo-w

    『この東西の違いの原因は、江戸では、特に落語を聞きたい人間からお座敷などに呼ばれて、ただ落語を語れば良いだけであったのに対して、上方では神社などの屋外で演じていたために、通りすがりの人などの注意を引くために語りの間に小道具で音をたてて演出する必要があった』 (『』内は「横浜市文化振興財団」の談)

    ◎消防紋章 『T』
    東西で類似していて、いずれも全体を雪の結晶の印象にして、水管や水柱をアレンジしている点は共通しているが少々の違いを出している。

    東=真ん中の部分は太陽を表す。(消防署は地域の太陽のような存在でありたいとして)
    西=真ん中の丸い部分は大きい。

    syoubou-emb

    ◎学校などで履き替える靴類の呼び名
    漫画家の中村ゆきひろ氏が2014年8月27日から28日にかけてツイッター(現X)で各地での” 学校などで履き替える靴類の呼び名”を全国から回答(10数時間で集まる)してもらってマップにまとめたものを発表された。(下図)

    これによって、大まかに関東と関西で比較すれば・・
    関東=うわばき
    関西=うわぐつ

    ・・なのだが日本全国詳細に見れば、単純に東西や都道府県別には分けられないことがわかり、まず関西代表の大阪でさえ、北部はうわばき、南部はうわぐつと称している。

    東北と北海道函館近辺や福井県ではズックと言う。

    和歌山県と名古屋の一部地域ではバレーシューズと言う。

    ubki-map

    その他詳細は下記文章を参照ください。
    uwabaki-i

    ところが現在、後期高齢者である私がかつて東京で過ごした子供時代では”うわばき”とともに”ズック”という表現は普通に使われていた。ただし当時の“ズック”は”うわばき”でもあったが、屋外で使う運動靴も”ズック”と言っていた。これは団塊世代の人に聞いても同じ認識であることを私は確認しているが、それがいつの時代まで続いたのだろうか? 一説には今や”ズック”という言葉は若い世代は使わなくなっているようだが。

    かつて「ズックリン」という洗剤がその商品ラベルに「うわばき、運動靴が まっ白」になるとうたって「ジョンソン株式会社」から発売されて人気があったものの2020年に製造中止となったが、”うわばき”の表現はこの会社の本社が横浜であることから納得できる一方で商品名に”ズック”という言葉を使ったのは、”ズックという表現が東京や横浜など関東?で使われた名残”だったのだろうか。
    zukkurin
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    日本の東西比較については後日また追加します。
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    先日5月7日、シンガー・ソングライターの長渕剛が「肺気胸」を発症して4週間の療養が必要と医師から診断を受けたと発表された。同じ症状は、5月2日にも男子ゴルフプレーヤーの星野陸也が発症してやはり4週間の療養を発表。その他、陸上短距離ランナーの山縣亮太も数年前に発症しているが、「肺気胸」とは・・

    ↓長渕剛(写真は「TBS NEWS DIG」より)
    nagabutipng

    ◎「肺気胸」とは
    吸った空気によって肺の中の「肺のう胞」(はいのうほう)が風船のように膨らんでいる状態の際に何らかの力が加わって破裂して、漏れだした空気が、肺全体を覆っている胸膜との間に溜まり、その分、肺はしぼむ状態になることで、言い方を換えれば”胸の中に隙間ができる”状態。

    kikyou-zu
    (図は「FNNプライム オンライン」より引用に一部加工)

    自覚症状としては、急な胸痛、息切れ、呼吸しづらくなるなど。

    ◎「肺気胸」は2種類
    「自然気胸」 : 特に何もしないのに発症。一部には遺伝体質も影響。
    「突発性気胸」 : 過激な運動、急な動作、衝撃などで発症。

    ◎「肺気胸」になりやすい人は
    昔から言われているのは・・”10代後半から20代にかけての瘦せ型の人”、”女性より男性”
    その他(神奈川県立循環器呼吸器病センター・小倉高志所長によると)
    “60代以上の高齢者や喫煙者にも多い。怖い病気ではないが、再発する人も多い”

    なるほど、長渕は67才、星野は27才、山縣は26才のとき、そして後述しますが私も21才で、従弟も20才で発症していて、しかも皆 男です。

    ◎「肺気胸」治療法
    一般的には”肺のう胞が破れて出来た穴が自然に塞がるのを待つ”が、漏れた空気量が多くて胸膜と肺の間の隙間が大きい場合は「胸腔ドレナージ」と称する”胸表面からドレーン管(チューブ)を刺し入れて空気を抜く”方法がとられる。

    ◎私の「肺気胸」実体験記
    前述のように、私が21才の冬のある日、友人とキャッチボールをしようということになって、まず第1球目から思いっきり投げ始めて、その調子で10分ほどで終えたのですが、その時は体に何の異常もなかった。
    cyatchball

    しかしその帰りに、ある交差点の横断歩道を渡っている際に信号が赤に変わりそうになったので走ったその時、左側の胸の中で”ボック、ボック、ボック”という音がするので、これは何かおかしいと感じたものの、(その時の私の場合は)胸に痛みや息苦しさは全然なかった。

    帰宅後、家族からは「医者に診てもらったほうが良い」と言われ、翌日にかかりつけの医院に行き、診断の結果は「突発性気胸」。当医院では的確な判断と処置ができないので紹介状を書くから大きな病院に行くように言われて受診したのが・・

    中野病院(東京都中野区江古田。平成5年に他の病院と合体されて当地建物は撤去)で、ここは元々 結核治療がメインなのだが、とにかく私も診てもらった結果はやはり「気胸」(当時は「肺気胸」とは言っていなかった)だが、程度が軽いのでこのまま自然に肺のう胞の穴が塞がるのを待つことにされた。

    こうして、勿論過激な運動などせずに静かに過ごしているうちにいつのまにか(2~3か月後?)、飛び跳ねても胸の中で”ボック、ボック、”という音がしなくなったので、治ったのであろうと自己判断した。

    後から思えば、私の肺気胸発症は、冬で日頃 運動不足のところにウォーミングアップも無しに最初から思いっきり投球したのがいけなかったのではないだろうか。

    ◎調合された風邪薬を正しく飲まなかったので酷いめにあった!
    肺気胸発症時に私は風邪をひきかけていたので、咳が出て肺のう胞の穴が大きくなったりしてはまずいということで病院が調合した風邪薬(紙に包まれた粉薬)を処方された。

    私は後期高齢者になった今でこそ毎日10種類の薬を(命にかかわりそうなので)仕方なく飲んでいますが、本来は薬嫌いで当時は日頃 薬を飲むことがなかったために、病院特製の風邪薬をつい飲み忘れてしまった。

    しかし咳が出て肺気胸が悪化してはさすがにマズイと思い、飲み忘れに気づいたのが夜だったがその時点で風邪薬を飲んだ。それも二日続けて同じことをやってしまったが、これがイケナカッタ!

    二日目に薬を飲んだ10~20分後だったかに突然激しい胃痛が起こって、これがとんでもない痛さで、頭の中はただ”痛さだけがある世界“になって他のことは一切考えられない状態になってしまい、思わず掘りごたつ(当時6人家族だったこともありこたつはたたみ一畳分の大きさ)の床(通常、足を置く面)で暫く”のたうちまわっていた”。

    激痛が続く中で、一つだけ思ったのは「これは、腕をナイフで切るより痛い!」・・というほどだった。

    とりあえず常備の胃腸薬を飲み、ほとんど眠れぬままに翌日になり、かかりつけ医院で受診した結果は「急性胃カタル」。原因は” 食後服用”という”薬の服用指示”を守らなかったために”胃にダメージを与えた”結果とされた。

    ※私に与えられた風邪薬は特に強力な成分を調剤した粉薬だったが、普通の市販風邪薬でも胃を傷めるので食後服用は必須。(つまり、空腹時に服用は禁止!)

    医者の指示と処方された薬によって、胃痛はその後徐々に収まり、通常に近い状態にもどったが、完治したと言えるまでにはさらに5年を要した。・・と言うのは、好物のカレーライスを食べると胃痛と腹下しが起きるようになり、それが何とか起きなくなったのが5年ほど後だったから。

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    ウォーミングアップ大切 ! 風邪薬は絶対に食後すぐ服用すべし !
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    余談 : 肺気胸体験から10年ほど後に、スピードガンで投球速度を測れる機会があり、私は86キロだった。大谷翔平の投球速度165キロとはあまりにもかけはなれている! ところで私はうっかりしてウォーミングアップ無しで投げてしまい、「しまった」と思うとともにウォーミングアップしていたらもう少しスピードが出ていたはず・・とも思った次第。
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    前々回、前回と騒音について綴りましたが、実は私自身が”気づかぬうちに騒音源となっていた”ことがありました。それは・・
    ◎スピーカーからの音楽で隣から怒鳴り込まれた! 
    angry-for-audio

    私が勤務地の大阪でアパート※暮らしを始めた1970年代初め、その自宅で聴くレコードなどの音楽の音量には気をつけていたつもりだったのですが、ある日の夜7時頃のこと お隣のご主人が「うるさい」と言って怒鳴り込んできました。

    つまり、私は隣宅の人にとっては騒音となる音を出していたわけですが、なぜこんな事態になったのかを考えてみたら、複合要因があったのです。 それは・・

    (1) 隣宅との境が防音・遮音性が十分でない塗り壁1枚では”お隣は隣室と同じようなもの”という認識が私には無かった。

    (2)(上記と密接に関連しますが)私はそれ以前には戸建て住宅にしか住んだことがなかったので、集合住宅の”音の問題”を知らずに、戸建てで聴いていた音量基準では大きすぎた。

    (3)夏だったので(2階角部屋の)窓という窓を全て開放した上で扇風機を最大風量にしていたために、聴いている音楽が風音でかき消され気味だったので、従来よりも音量を少し大きくしてしまっていた。

    (4)隣宅のご主人の職業がタクシーの運転手なので、勤務時間の関係で睡眠時間帯が一般とはちがっていることがあって”私が出していた音が聞こえて眠れないことが多々ある”ということを後で奥さんから聞いた。
    cannot-sleep

    ※当時私が住んだアパートは関西独特の呼び名である「文化住宅」という種類の集合住宅で、1950年代から出現した木造モルタル(多くは2階建て)造りで各戸ごとに台所とトイレがついている形態だった。

    ◎いびきがうるさいから(無言で)座席背もたれを後ろから蹴られた!
    ibiki
    右写真はYahoo newsより引用)

    私が50才代なかばのある日に、出張で新幹線に乗って東京から大阪に向かう途中、いつものように眠っていたら突然座席背もたれの後ろからガーンと強く(たぶん)蹴られて目が覚めた。

    とっさに私は自分のイビキがうるさかったからと理解した。そう判断する材料となる事態が過去にも新幹線内であったからで、その際は新大阪から乗り、東京に列車が到着すると横に座っていた高齢男性に「イビキがうるさくてたまらなかったよ」と文句を言われたのだった。いずれも私のイビキは騒音レベルだったようです。

    その他にも通勤電車の中で眠っていて隣の人から私の脇を小突かれたり、腕にギューっと圧力を加えられることがあったのは、その当時は”何でそんなことをされるのか”に鈍感だったものですが、それは私のイビキがうるさかったからだったということに後年にやっと気が付いたのでした。

    ※その後、私は自分のイビキ解消または抑制する方法を体得して、騒音問題ほぼ解決したのですが、長くなるので詳細は後述します。

    ◎いかなる音も騒音になる可能性がある!
    条件の違いによってあるいは人によって、ある音が騒音になったりならなかったりするもので、それは大音量はもちろん、小さな音量でも起こります。

    (1)ある音や音楽を騒音と感じる人と感じない人がいる

    A)生理的に好・嫌が分かれる例
    ・前回にもとりあげた”風鈴の音”が好例。
    ・昔、私の弟がレコードで”グレゴリオ聖歌”を好んでよく聴いていたが、祖母は「ご詠歌みたいだからやめてちょうだい」と苦情を言っていた。
    グレゴリオ聖歌の例:https://www.youtube.com/watch?v=fKLxgRH95Ns

    B)“コーホート”(ある年代の社会を経験しているある世代集団)によって好・嫌が分かれる例
    ・近所の公園や通路で遊ぶ子供の声・・近年に生まれた世代と比べると3.5倍も仲間の人数が多かった団塊の世代(出生数比較:1949年=269万人/2023年=76万人) が育った時代は公園、広場や路地で遊ぶ子の数は今の時代より当然多かったし、比例して騒ぐ声も多かった。
    playing-child
    (団塊世代直前の世代である私が通った小学校(東京・豊島区)さえも1学級に児童平均60人、それが6学級あり1学年で計360人だったが、他の地域ではもっと多い児童数の学校があった)

    そのように、子供仲間が騒ぐ声が聞こえるということが日常であった団塊の世代やそれに近い世代は、その後近年に至るまで”子供が近所で騒ぐ声”をうるさいと感じる人が少ないどころか私のように”むしろ、子供のさわぐ声が聞こえなくなったら寂しいくらいで、さらにこれは少子化問題深刻、日本消滅へ向かう”ことの表われであると感じるから、その意味でも”子供の声歓迎”と思う人も少なからずいるのでは?

    C)喧噪の環境で育ったか否か(田舎?)
    都会のような喧騒に包まれ、あるいは慣れ親しんで育った人たちにとってそれは騒音とは感じなくても、静かな環境で育った人には騒音と感じることが多いもの。

    逆に、都会育ちの人は、里山で田んぼの蛙の合唱がうるさいとか池のウシガエルのボオ・ボオ・ボオという合唱がうるさい。その他セミの声も・・ということでこれが騒音に感じる例がある。

    蛇足ながら、一般常識では騒音なのに私はそれをむしろ快音と感じていたのが・・東京の昔の新宿の街の喧騒の中でも、道ゆく人の頭上から有線放送の声がふりそそいでいっそう賑やかさを増していた”音の風景”でした。‥その有線放送から流れていた(映画館の上映案内の)ナレーションの出だし部分の
    「ブリット、ブリット、スティーブマックイーン主演の・・」がなぜか記憶に残っている。(「ブリット」:1968年公開の米国映画)
    jyuku-bllit

    この新宿の街の有線放送が今でもあることが先日のテレビで知ることができました。・・それは最近「鳥貴族」という名の有名な焼鳥居酒屋チェーン店の新宿店の類似店が”客引き人”を使って客をだまして誘導する悪行が発覚したことをうけて、有線放送で注意を呼び掛ける音声が流れていたから。

    (2)同じ人の中で、その時の精神的や肉体的状態によって騒音にも非騒音にもなる
    A)好きな音楽が場合によって逆に騒音(的)に聴こえる例
    小説家などが執筆作業する際に、静寂な環境の中でよりもそこそこざわついている喫茶店でのほうが効率が上がるという人も少なからずいますが、それと同様な目的で何か音楽を聴きながら作業する人の中には、自分好みのジャンルの音楽が聞こえてくると、そちらにも意識が行ってしまい邪魔になるから、それは一種の騒音になってしまうものなので逆に嫌いなジャンルの音楽が聞こえていたほうが意識に入らないから好ましいことになるそうだ。

    cafe

    B)病気の時、イライラしている時、受験勉強などで難問を解いている時などは、通常は普通に聞く音楽や話し声が騒音化するもの
    iraira
    ・・昔、隣家の高校生の息子さんが、普段は温和なのだが、ある時に2階の(たぶん勉強部屋の)窓から、道を歩きながら会話している小学生数人のグループに向かって「うるさい!」と珍しく怒鳴っていたことがありました。

    (3)時間帯によって(地域によって)騒音化する例
    ・横断用信号音の音
    onkyousingouki
    横断中に鳴るピヨピヨなどの音を出すタイプの信号は正式には音響信号機と言い、主に視覚障がい者に便利なように、メロディ(「通りゃんせ」や「夕焼け小焼け」など)または擬音(「ピヨ」や「カッコー」)の音で横断歩道が青信号状態を知らせるものだが・・

    その音が都会の喧騒の中で鳴るのは問題ないが、住宅地では昼間はほぼ問題ないものの夜間では音が周囲の音環境の中では相対的には大きく感じてしまうことになる。

    しかもこの音響信号機が採用され始めた当初は「メロディ式」でしかも誰でもが知っている曲なので、住宅地などで少しでも聞こえるとどうしてもメロディと歌詞をアタマの中で追ってしまうので、その近辺の住民にとっては”夜間の騒音化”してしまう事態が起きていたので苦情も少なからず出ていた。

    ・・ということで現在は新規設置するものはすべて「擬音式」になっていて「メロディ式」は全国で2%しか残っていない。

    騒音苦情が出たある地域では夜間には音響信号機を停止したところ、ある夜に視覚障がい者がクルマにはねられてしまったという弊害も起こっている。そこは夜間でも昼間より音量を下げた擬音タイプの音を出すべきでしょう。

    (4)タブー音も騒音のうち
    騒音イコール望まれない音であるという解釈からすれば、音の大小に関係なく”嫌われる音”は騒音。

    A)”夜の口笛”・・昔から夜に口笛を吹くと「蛇が出る」、「人さらいが来る」、「泥棒が入る」などと言われて、その行為はしてはいけないという言い伝えがあり、(その理由はここでは省略しますが)とにかくこれを信じる人たちにとっては”夜の口笛が騒音”になる。

    k-kutibue
    松竹DVDより

    B)”音のマナー違反”・・食事の際の”皿とカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーンなど)が当たる音”、”咀嚼音”、”ゲップ音”そして外国人にとっては”麺類をすする音(これを最近では「ヌーハラ」と言うそうです)” などは一種の騒音となる。
    nuuhara
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    私の場合の”イビキ解消法”・・まずこれは多くの人に共通することですが、普通に寝る場合は横向きに寝るのが原則。仰向けではイビキを書きやすくなると同時に睡眠中に唾液が気管に流れ込んで誤嚥性肺炎になる危険もある。

    そしてイビキ解消法は・・”眠る際は下あごを上あごより前に出す”こと言い換えれば下側の歯列が上側の歯列よりも前にせり出た状態にすること。
    これによって眠っている際の気道が塞がれないようになってイビキが発生しない(しにくい)ことになる。
    このあごの前後関係を維持するのは最初は努力が必要だが、日中でも意識的に”下あごを前に”をこころがければ、そのうちにほぼ無意識にもできるようになり、この状態は入眠後も保てるよう(ここは確信できませんが)です。

    この方法が顕著な効果を示すのが、乗り物(電車、新幹線、バスなど)に乗って眠る際やソファに座って居眠りする際で、もうイビキをかかなくなります。(この効果を出すためにもう一つ必要な事は太っていないことです)

    “下あご前出し”状態維持がどうしてもできない方は病院で”(睡眠時無呼吸防止用)マウスピース”を作ってもらうのがよいでしょう。(マウスピースそのものの製作代は3割負担で1万5千円程度)
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    騒音関連のお話 次回にも続けます
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    前回、最近の日本での騒音苦情の事例をあげてみましたが、冬ならではの例、その他の例を追加紹介します。
    ◎「雪かきの音がうるさい」・・という苦情
    yukikaki
    その音とは「ゴーリ、ゴーリ」というような音であり、雪かきをする際に金属またはプラスチックのスコップ(シャベル)やスノウダンプ(上イラスト右側)が地面(最近はたいていアスファルト舗装面)に擦れて必ず発生する音。

    勿論、降雪が多い地域では必要な作業なのですが、”深夜または早朝の雪かき音による安眠妨害”への苦情が非常に多い。

    具体的には、”深夜2時、3時”や”早朝5時”の雪かき作業を平均30分くらい続けるのでその音で眠っていられないという声が多発。

    中には、深夜にエンジン式の家庭用除雪機※を使う人もいて大迷惑だが、豪雪地域では自治体が大型除雪車を深夜でも稼働させることがあり、これは各家庭前の道路をサーっと通り過ぎるので苦情は出ないそうだ。 ※電動の静音タイプ除雪機は販売されているのだが・・

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    北海道の河西郡芽室町では公害防止条例で「夜間(22時~6時)にあっては付近の静穏を害する行為をしてはならない」と定めているため、これをもって違反者を出さないようにしている。

    ◎「『火の用心』の見回りの掛け声がうるさい」という苦情
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    昔から全国的に行われてきたカタチは、夜間に数人が一団となって「火の用心(ひのよーじん)」と大声を出し、拍子木をカッチ、カッチと打ち鳴らすことを繰り返しながら地域を歩き回る・・というもので主に空気が乾燥しかつ暖房などで火を使うことが多い冬の期間中に行われるもの。

    私がかつて暮らした東京都豊島区の町では、昭和20~40年代(その後は知りませんが)には「火の用心! マッチ一本火事のもと!」と言っていた。またその一団は大人一人が付いた子供数人で構成していた。
    しかし現在はこの”火の用心巡回”を行う地域が減っているそうで、その理由は・・子供が減った社会では寒い中での高齢者が行う訳にもいかないこと。巡回担当が持ち回り義務になっている地域ではその負担への不満充満。
    そして”火の用心巡回”の掛声がうるさいという苦情も多いこと。

    ・・というわけで長年の慣習を廃止する地域が多いものの、超高齢社会の最近では住宅火災で焼死するお年寄りのなんと多いことか。むしろ東京都の東部の住宅密集かつ道幅が狭く消防車到達困難地域では”火の用心巡回”を消滅させてはならないという意識が若年・壮年にも強い。

    この巡回にはもう一つ同時に、不審火・不審者防止という効果があることも見逃せない。

    次善の策として”声は出さずに拍子木だけ叩いてまわる” “消防団員のボランティアが実行” “(私の住む地域では冬季のみに)消防車が鐘(電子音)を「カン、カーン」と5秒ごとに鳴らしながら巡回”などで対応している。
    syoubousya

    その他、生活音の範疇に入るもので騒音苦情として多いのは・・

    ◎飼い犬の吠え声
    inuhoe
    犬の吠える単発の声(ワンと一声くらい)には我慢できても、連続して吠える、年がら年中吠える声は万人がうるさいと思うもので、それも屋外の犬小屋で飼っている犬の場合は酷くなり、これを飼い主が放置しておけば隣近所から苦情が出ること必至。

    私の近所では、犬の吠え声への苦情が原因で2軒の間が絶交していました。(その後、犬の家は転居) また、昔に私の祖父の家の犬小屋で飼っていたほとんど吠えない犬に「うるさい」と苦情を言ってきた隣家がありましたが、これは余程の犬嫌いだったのでしょう。

    以前のブログに書いたことがありますが、昔 私が警察無線を傍受出来ていた時期には「住所〇〇の〇〇という家の横を通るたびにこの家の犬が吠えてうるさい」という苦情の訴えがあるので現場に向かえという指令を警視庁からパトカーへ伝えていたことがありました。

    これまた昔の話ですが、日本ではかつて「スピッツ」(正式犬種名:日本スピッツ/下写真)という”フワフワ白毛で耳ピンと立ちちょっとかわいい顔”をした中型犬がもてはやされた時代があって、先述の祖父の家でも飼っていたことがありますが、この犬、キャンキャンとよく吠える性格と抜け毛が多めであるのが欠点で、それ故に全国で次第に飼われることが少なくなってしまいました。(ただし、最近は比較的おとなしくなるように品種改良しているとのこと)
    spittu
    (↑
    写真はウエブマガジン「いぬのきもち」より引用) 

    ◎風鈴の音
    fuurin

    風鈴はガラス製、陶磁器製、鋳鉄製などがありますが、いずれも風によってチリン・チリンという音がするものですが、決して大きな音ではないものの・・

    まず問題はこの”風鈴の音そのものが人によって好き嫌いが分かれることで、嫌いな人にとっては騒音となっていること。

    もう一つは、”風鈴が強風のもとでは強い音でしかも途切れることなく鳴り続ければうるさい”と誰でもが(通常の風鈴音が好きな人でさえも)騒音と感じること。・・実際の例では夏を過ぎても風鈴を”ひっこめる”ことをしないで台風や、木枯らしが吹いてもほったらかしの家が少なからずある。

    ◎騒音になり得る音環境の概念図
    ここで、前回と今回でとりあげてきた”騒音になり得る音環境”を整理して下図のようにしてみました。
    <直接音>対面して話される声、怒鳴る声 / 同じ部屋や電車やバスの中で騒ぐ声など
    <隣接音>隣室・隣家の人の声や足音、家電機器音、ペット声、風鈴音など。いわゆる生活音。
    <周囲音>隣接または極近隣の公園、駐車場、道路駐車、保育園・幼稚園・小学校などからの声や音。
    <公害音>万人が確定的に騒音と感じる音なので各種法や条例で規制あり。工場や工事現場の稼働音、自動車類総体の走行音、航空機音など。
    <公共音>多くの人への素早い情報伝達のために必要な”地域有線放送”、地域住民が楽しみにしている伝統の行事や祭りの音、年に一度の除夜の鐘、”火の用心”の巡回音など。
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    その他、騒音に関して私が体験したエピソードなどは次回に・・
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    (1)多くの寺が除夜の鐘に苦慮
    昨2023年の大晦日、『東京都のある寺では除夜の鐘をつくことをやめた。
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    この寺では昔から、毎月1日と15日の午前5時に鐘をついてきていたが、5月に「鐘の音がうるさい」という苦情がよせられたと警察から連絡があったので、以後は鐘を打つ回数を減らしていたが、11月になって鐘をついた数時間後に、墓地に備え付けの手桶30個がすべて燃やされてしまった。

    ・・というわけで、寺の鐘の音に不満をもつ人と対話して良案を求めたいが、それもできないままでは今後のエスカレートも心配なのでやむなく日常の鐘つきと除夜の鐘つきを中止にしたのだった。

    また別の寺では、苦情が出ることが予想されるご時世になったので、予防措置として自主的に”除夜の鐘はコンと打つ”だけにとどめるようにした。』 (『』内は毎日新聞ウエブ版2023.12.31より抜粋)

    私の住む千葉県の圓明院というお寺でも、除夜の鐘は騒音苦情対策かつ高齢者と子供が参加しやすい時間として午後4時からつき始めている。

    (2)盆踊りの太鼓の音や音頭の歌声に苦情も !
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    盆踊り(夏祭り、秋祭りなど)開催にあたって主催者側は開催前に管轄警察や近隣への断りを入れていても、最近は音がうるさいという苦情が出ているケースも増えているようで・・

    『太鼓の”打つ面“の反対側の面に分厚い布を張って音を弱めたり、音量を抑えた電子太鼓を使うところも出ている。』 (『』内 同前)

    私の住む地域では盆踊りそのものの開催を従来は2日間、午後3時から午後10時までだったものを、段階的に日時を短縮するようになって最終的に、開催は1日限り、しかも午後9時までになってしまった。

    (3)子供騒音苦情で公園廃止事例が発生
    昨2023年3月末に、長野市のある公園が廃止されたが、その理由を市は「隣接する住宅の一軒から『子供たちの声がうるさい』という苦情が出ているため」と説明した。

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    この報道がマスコミから流されたとたんに、この苦情主への批判が多数(賛同も若干)SNS上などに寄せられた。同時に氏名と身分を特定して公開され、いやがらせの電話あり、頼みもしない住宅メーカーのパンフレットが送付された。

    週刊誌の取材において苦情主が語ったことには・・「子供たちが公園で遊ぶこと自体に反対しているわけでもなく、ただあまりにもうるさく、雨戸を閉めても効果ないほどで、しかも禁止されている球技をしてボールの打球音やサッカーボールを蹴る音がこれもうるさい。

    さらに近所に在る児童センターがウイークデーの午後3時から5時くらいまで約50人の児童をひきつれて遊ばせる時間帯が特にうるさい。おまけにこれら児童の親が送迎するために付近にとめたクルマのエンジンをストップしないのでこれもうるさい。

    このような状況なのでこの苦情主は自ら、ボール遊びの子供たちには都度”公園の規則を守るよう”に言い聞かせており、児童センターにも対処改善を申し入れしたりしていたが一向にらちが明かなかった。」

    そもそもこの公園に隣接する住宅でこの苦情者宅以外は日中不在なので苦情が発生しなかったようで、結局は苦情者宅の奥さんが「18年間我慢してきていたが、主人が前年に定年退職して在宅でリモートワークを始めたところ、この日中のうるささをあらためて主人が強く実感するようになったため、市に訴えた」・・のだそうです。

    (4)電車内で騒ぐ自分の子供放任を主張の”「おやおや」な親”登場!
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    数年前にマスコミによって紹介された事例ですが・・電車内で騒ぐ子供に向かって、ある高齢男性が”うるさいことを注意“したら、その子の親がこう言い放った・・

    「子供は泣いたり騒いだりするのが仕事。うちでは周りに迷惑をかけるなという躾はしていない。
    あなたの価値観を子供に押し付けないでください」

    もうこの親の言動にあきれるやら、悲しいやら。 その親自ら「・・という躾はしていない」と言って、その言葉どおり躾ができていないし、これは価値観以前の問題であるということが分かっていないので思考回路が疑われる。

    ここでちょっと話は飛びますが・・やはり数年前に、児童が学校給食で食事前に「いただきます」と唱和することにたいして、ある親が「給食費を払っているのに『いただきます』という必要がないではないか」と学校にクレームをつけた事例があったが、その親も「いただきます」の本当の意味を考えることができないことを世間にさらけ出していた・・ことが思い出されます。

    ◎「騒音」とは何なのだろうか?
    「騒音」とは「望ましくない音」である。
    ・・という説明がみられるが、確かに”大音量で長時間継続する音”、例えば工場・事業場騒音、交通騒音、建設作業騒音などは万人が望まないものなので各種法令や条例で規制されているが・・

    では”大音量だが短時間継続、しかも年に1回かつ決まった日にしか出ない除夜の鐘や盆踊りの音は、大多数の人が望む行動にともなって発生する望ましい音であり、望まない人は少ないのに、これを騒音と呼ぶものだろうか?

    一方で大音量ではないものの、音によっては”望ましくないか否か”は”時と場所と人”によって異なるものがあり、それが生活騒音とされる部類に多く例えば、東京都環境局の5分類によると・・

    ・家庭用機器からの騒音:冷蔵庫、掃除機音など
    ・家庭用設備、住宅構造面からの騒音:ドア開閉音など
    ・音響機器からの音:ピアノ、カラオケ、ステレオ、テレビなど
    ・生活行動に伴う音:話し声、足音、食器の音など
    ・その他:ペットの鳴き声、風鈴、建物外から入る自動車の音(クラクション、エンジン音、タイヤ音)など

    ※これら5分類生活騒音についての実例やエピソードが(私が経験した事例だけでも)多くあるのですが、次回にご紹介します。

    さてこれらの生活騒音は程度の差はあるものの、音の発生源からは壁、床、天井、窓ガラスなどで一応遮断されているが若干漏れている、あるいは伝わってくるという、いわば(音源近いが)”間接騒音”。一方・・

    前述の例のように、電車内という狭い一種の閉鎖空間の中で、音を遮断するものもない状態で、寝ている人、本を読む人、体調がすぐれない人などがいるかもしれない前で子供が騒ぐ音は(間近からの)”直接騒音”であり、即禁止・制止すべきは明白。

    そしてもう一つの前述例の”公園での子供騒音”苦情の件は、苦情主、児童施設や学校、公園管理する自治体のそれぞれがもっと真剣に対処法を考えていたら、なにも公園を廃止しないで済んだのではないだろうか。(苦情主は「何で苦情を言うのか、ここに住んでいる者にしかわからない」というようなことを述べておられるそうだが) 対策案として・・

    ・まず児童施設や学校での騒音教育・指導の徹底。 

    ・児童施設が児童50人を連れて当該公園を利用する際には、この公園は広いので”苦情主宅から半径20?メートル以内には児童たちを行かせないように都度ロープを張る。 

    ・「不快音」は音量や音の波形に関係なく4000~7000ヘルツとされるが、子供の声は通常は1000~2000ヘルツのところ、遊びの最中によく発する「キャー」という声は4000ヘルツを超えていることはまちがいない。(子供のデータが見つからないが、大人の「キャー」という声でさえ2000~4000ヘルツとされるから)

    この子供たちの高音の声は反射しやすくかつ吸収されやすい性質があるので、これを利用して、苦情主宅近くに”音の反射板”設置や常緑樹の植栽を増やす。(見通しや風通しに配慮しながら)

    ・苦情主宅の窓を2重又は3重の防音ガラスにする

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    以上、騒音についてまだ語ることがあるのですが、文章量が多くなりすぎたので、次回に続けます。
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    「蔵出し」とは、金庫からお金を取り出すことや、倉庫に保管しているモノを取り出すことを言うのだそうですが、通例は特に酒類の場合に貯蔵されている蔵から出したばかりのモノを言いますね。

    ここで、酒以外にも「蔵出し」を使っている例をちょっと紹介!

    ◎トヨタ博物館「お蔵出し展」
    丁度今、2024年1月26日から6月30日まで 
    トヨタ博物館(愛知県長久手市)文化館2階 企画展示室で、
    秘蔵の国内外の名車400台の中からレアな13台を
    (トヨタいわく)「蔵出し」して展示する。(常設の140台とは別に)

    toyota-poster

    5つのテーマに分けて紹介
      (A)60年前に日本や欧州の道を庶民の足として走り回った大衆車
    (B)1960-1970年代の日米欧の伝説的なスポーツカー
    (C)1964年の東京オリンピックで選手の移動をサポートしたコミューターバス
      (D)日本車でありながら日本には導入されなかった海外市場専用車
    (E)二輪車

    (A) 1. DAF 600(1959年・オランダ)
      2. トラバント 601 ユニバーサル(1965年・東ドイツ)
      3. 三菱 コルト1000F(1968年・日本)

    (B)4. シボレー コルベット スティングレイ(1963年・アメリカ)
        5. 日産 スカイラインGT-R(1970年・日本)
        6. ロータス エランS4(1972年・イギリス)

    (C)7. トヨタ バンデランテ(2001年・ブラジル)
        8. トヨタ ハイラックス VIGO(2005年・タイ)
        9. トヨタ アイゴ(2006年・チェコ)

     (D) 10. トヨタ ライトバス(1963年・日本)

     (E) 11. 三菱 十字号 自転車(1947年・日本)
      12. 三菱 シルバーピジョン(1949年・日本)
      13. ホンダ スーパーカブCA100型(1962年・日本)

    DAF 600(1959年)
    daf600

    シボレー コルベット スティングレイ(1963年)
    stinglay

    トヨタ バンデランテ(2001年)
     toyota-banderante
     
    その他 ・オープンカー走行披露:トヨタ 2000GT ロードスター(1967年)
             レクサス LFA スパイダー(2012年)
          ・別途展示:MR2プロトタイプ(1983年)・・など
      
    詳細はトヨタ博物館公式Webサイトで

    ◎「蔵出しガソリン」 !
    国道16号線が千葉県市原市の姉崎海岸と称する町を通るエリアの道路より西側=海岸側は多くの大企業の工場や研究所(出光興産、三井化学、AGC、日本板硝子、ENEOS、UBEなど)があるが、中でも出光興産の精油所や研究所の敷地は広大。

    この出光興産側とは国道16号を挟んで反対側沿道には幾つかのガソリンスタンドがある中で、当然のように出光スタンドがあるのですが、そこの道路沿いに立っている旗には・・
    「蔵出しガソリン」と大書してあるので目立つと同時にちょっとしたユーモアを感じてしまう。

    このスタンドは目と鼻の先にある石油精製工場から確かに出来立てのガソリンを供給しているだろうから、このような表現が自然に出たのでもあろう。

    しかし石油業界には「蔵出し税」というものがあり、これは石油を精製してガソリンを製造した業者がその出荷時に課せられる税のことだそうで、この税の名も” 「蔵出しガソリン」という表現”に影響しているのでしょう。※軽油には「蔵出し税」ではなく地方税がかかる。

    ちなみに酒造業界にも同じ「蔵出し税」があるそうで、これも酒造業者が酒類を出荷する際にその業者に課せられる税。

    ↓出光興産 千葉事業所 (下航空写真の赤色矢印が「蔵出しガソリン」のスタンド)
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    ↓海側から見た出光興産石油精製工場 (写真:hitoshi Matsuzawa氏)
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    ◎蔵出しをされずに見つかった大量のヴィンテージカー!
    2007年のこと、米国ニューヨーク在住の老夫婦が定年を機にポルトガルのある農地を納屋付きで購入して驚いた。
    前所有者が入り口の鉄製扉を溶接して閉鎖していた大きな納屋を、開けてみたらなんとヴィンテージカーが180台。びっしりとしかし埃で白くなった状態で発見された。
    その価値は概算で2600万ドル(日本円146円換算で約38億円)。

    調べたら、クルマのディーラーをしていた前オーナーが趣味で集めていたが納屋が満杯になったところで封印して死去してしまったらしく、その後15年経過しての発見となった次第。

    クルマに限らないが、集めていたモノを何らかの理由でその一部または全部を身内や他人に譲る、売却する、あるいは博物館などに寄贈する例も多く、それは”蔵出し”というカタチになるのでしょうが、このポルトガルの納屋の場合は、大量のヴィンテージカーが蔵出しされずにいたということになる。

    ↓これが”お宝満杯の納屋”
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    ↓埃をかぶったヴィンテージカー
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    ↓この納屋内部の様子の動画(一部は年式・車種説明付き)YouTube
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    ◎李香蘭(リコウラン)登場!
    先日のNHKの連続テレビ小説(通称:朝ドラ)「ブギウギ」の中で、李香蘭が「夜来香(イエライシャン)」という曲を歌うシーンがあった。

    李香蘭(1920~2014)は旧姓名かつ芸名:山口淑子(よしこ)/米国ではシャーリーヤマグチ/本名:大鷹淑子。
    日本人だが中国で生まれ中国語も堪能だったために、満州映画協会(通称:満映)※専属の”中国人俳優”として、また歌手として戦前戦中の中華民国、満州国、日本で活躍し、戦後は香港や米国で活躍(米国での名はシャーリーヤマグチ)。その後日本のテレビ司会者や参議院議員(3期)をつとめた。

    ↓李香蘭 (コロムビアのHPより)
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    ※「満州映画協会」は国策会社と言われ、理事長は甘粕大尉。彼はその以前は国内で憲兵大尉時にアナキストの大杉栄や伊藤野枝らを虐殺して服役したこともある人物で満州国建国にもかかわったが終戦と同時に服毒自殺した。 映画「ラストエンペラー」では故・坂本龍一が甘粕に扮して出演した。

    さて「ブギウギ」の中で李香蘭に扮して登場したのはミュージカル俳優の昆夏美さん(失礼ながら私はこの方を知りませんでした)で、きれいな歌声で見事に (私ども高齢者はその元歌を知る者が多いのでそう判断できる) 歌い上げていました。

    ↓李香蘭に扮した昆夏美 ((C)NHK© MANTANWEBより)
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    このドラマの制作統括者によれば、もともと昆さんにはこのドラマのオーディションを受けてもらっていて、その際の魅力的な印象が強かったので、たった一話の一シーンだけでも登場願ったとのこと。

    戦前戦中の中国を舞台にした日本製の叙情歌では「支那の夜」と「蘇州夜曲」が双璧だと私は思っていますが、もう一つ同時期に日本でも流行った歌が「夜来香」で、これも私は今まで日本製と思っていたのですが、実は中国の民謡を基に中国の作曲家の黎錦光が作曲したものだそうです。

    朝ドラ「ブギウギ」では実在した笠置シズ子や服部良一は別名にしてありますが、なぜか李香蘭とこの黎錦光は実名で登場しました。

    ◎服部良一、西條八十、李香蘭、渡辺はま子らが交錯してからんだ!
    先述の「支那の夜」、「蘇州夜曲」、「夜来香」に加えて「夜来香幻想曲」という曲があって、これらの作詞家、作曲家、歌手が絡み合ってのちょっと複雑な関係とは・・(カバー版歌う近年の歌手は割愛)

    ・「支那の夜」=作曲:竹岡信幸 / 作詞:西條八十 / 歌手:渡辺はま子
    ・「蘇州夜曲」=作曲:服部良一 / 作詞:西條八十 / 歌手:李香蘭、後に渡辺はま子も
    ・「夜来香」  =作曲: 黎錦光  / 作詞:黎錦光  / 歌手:李香蘭、後に渡辺はま子も
    ・「夜来香幻想曲」=作曲: (黎錦光の原曲を基に) 服部良一

    さらに混乱させる要素として、これらの歌がからんだ映画の存在がある。

    ・映画「支那の夜」=主演:長谷川一夫 / 共演:李香蘭 / 1940(昭和15)年製作
    ・映画「蘇州夜曲”支那の夜”より」=主演:長谷川一夫 / 共演:李香蘭 / 1952(昭和27)年製作
    (1940年製作の「支那の夜」から30分カットして改題のうえ再上映したもの)

    そして「蘇州夜曲」という名の曲は映画「支那の夜」の中で劇中歌として李香蘭が歌うように作られたものなのでこの二つの映画双方ともで「蘇州夜曲」を李香蘭が歌うシーンがある。

    ↓映画「蘇州夜曲”支那の夜”より」のタイトル
    movie-title

    ↓同上映画の出演者名
    actress-name

    ↓同上映画の中の李香蘭(ITによる着色化したもので本来はモノクロ)
    rikouran-in-syk

    ↓同上映画で出演の長谷川一夫と李香蘭(本来モノクロ)
    rikouran-with-k
    上記画像4枚は「なつかしの映画をカラーで」サイトより

    ◎李香蘭はイサム・ノグチと結婚していた時期あり!
    イサム・ノグチ(1904~1988)は日系人で彫刻家、造園家、インテリアデザイナーその他の多才人。
    手掛けた彫刻や庭園などは日本と世界の各地に存在するが、インテリア用品でよく目にするのは、”提灯から発想して和紙と竹ひごで構成する「あかり/AKARIシリーズ」”と”シンプルな木製脚とガラス板で構成する(通称)「ノグチテーブル」”

    ↓「あかりシリーズ」の代表作(商品:現在価格1万6千円台など)
    akari

    ↓「ノグチテーブル」(商品:現在リプロダクト品=ジェネリック家具が多く価格は4万円台~27万円台など)
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    李香蘭とは1951年に結婚したが1956年に離婚。

    ↓結婚(式)直後?の二人
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    実は上の写真は、二人が結婚(式)を電撃的に行ったために報道各社がその様子撮影できなかったのでその後に撮影されたもので、実際は1951(昭和26)年12月15日午前9時に明治神宮拝殿前にて二人で拍手しただけで済ませてしまったのだった。”結婚(式)”と表記したのはこのためで、これは「形式はともかく魂で結ばれるのが本当の結婚」という二人の考え方があったから。

    そもそも明治神宮で挙式(虚式?)することになった経緯は・・結婚はマスコミなどがウルサイので、二人でアメリカからイタリアのシシリー島に行って挙式する予定だったが資格取得に3か月もかかるということであきらめ、かわりにインドで挙式と考えたが宗教上の問題で駄目となって結局日本でということになったのだそうです。

    こうして日本に到着したのが挙式1か月前の11月で、ただしイサム・ノグチ一人。理由は途中で李香蘭が急遽 香港の友人に会うことになり遅れて来るためだった。

    空港で二人を待ち構えていた人たちと報道陣は肩透かしをくらって、用意していた花束を半分はイサム・ノグチに、残り半分は”姉を迎えるべく来ていた李香蘭の妹:山口勢子さん”に渡された。その時の写真↓で中央はノグチで左が勢子さん。

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    (上写真2枚と結婚関連内容は「毎日グラフ別冊 サン写真新聞 昭和26年版より抜粋」)

    それにしても、さすが国際的に活躍の二人は考え方も行動もスケールが大きいですね。

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    李香蘭はノグチと離婚の2年後1958(昭和33)年に外交官の大鷹弘 氏と再婚し2001(平成13)年に死別しているので彼女の本名は大鷹淑子のまま亡くなった。
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    現在の日本では「支那(シナ)」の呼称は使わないのがよいとされている。古来から世界各国が中国を指して「シナ」に近いような呼称を使っていて、それが英語では「CHINA」になっているほどだが、ある時期から日本人の一部が"
    支那(シナ)"を蔑称的に使うようになった過去があるためである。

    私が子供の頃(昭和20年代)に「支那そば」と呼んでいたものが、その後「中華そば」になり現在では「ラーメン」が大勢を占めている。同様に「メンマ」を昔は「シナチク」と言っていた。
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    新春を迎えられたお祝いとともに 今年のご健勝をお祈り致します

    さて、今年は辰年ということで・・ 

    神温泉(りゅうじんおんせん:和歌山県田辺市)は「日本三美人の湯」の一つです。※
    弘法大師が難陀王のお告げによって温泉場のかたちを整えたという言い伝えがあり、
    また中里介山の「大菩薩峠」という超長編にして未完の小説の中で
    主人公”机之介が眼を癒した”温泉とされて有名になりました。

    あとの二つは、島根県「湯の川温泉」と群馬県「川中温泉」

    龍神温泉
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    実は私、龍神温泉に一度だけ1972(昭和47)年に行っております。
    当時の職場の先輩にさそわれて、この年に運航開始した「神紀フェリー」に神戸から乗り
    白浜で下船してから約30キロ先の山あいの川沿いにこの温泉は在りました。 

    神紀フェリー
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    「神紀フェリー」は神戸~白浜間を結んでいて、当時はその2地点の間を陸路で往来するには
    道路事情の悪さで時間がかかったので、フェリーの採算がとれると見込まれたのでしょう。

    (正月の話としては恐縮ですが) その後の神紀フェリーは経営不振となって
    1975年に廃止され、船は以後国内の他のフェリー会社、さらに海外へと転売され
    最後は事故で沈没したそうです。

    ついでに同様の例として私が思い出すのは、かつて存在した「セントラルフェリー」。
    これを運営した「セントラルフェリー(株)」は神戸と川崎を結ぶ海路の動脈を目指して、三洋電機創業者でもあった井植歳男氏が設立して開業準備していたが始業前に死去したため弟の井植祐郎氏が三洋電機の2代目社長になるとともに、この「セントラルラルフェリー」会社の社長にも就任している。

    この会社は、大型トラックなら130~150台を積載できる6000トン級の船を5隻も神戸~川崎間に就航させて1971(昭和46)年6月に運航開始したが、なんと当初より陸路輸送に押され気味で翌1972(昭和47)年11月には運航停止になり、その後に船はギリシャの船会社に売却された。

    セントラルラルフェリー 
    (ブログ「N.Eの玉手箱」より引用)
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    このフェリー会社の元々の設立者は明らかに”市場の読みを失敗”しているが、私の経験からみるとほんの少しだけ同情できる部分があり、それは・・

    私は1970(昭和45)年頃は大阪と東京間をクルマで年に2~3回往復していましたが、東名神高速道を夜中の2、3時頃に走行していると、自分のクルマの前後に1台も走行車が無いという区間がいくつもあった(今では考えられない)状態だったのですが、

    その5年後には前述と同じ道路の同じ夜間時間の同じ区間でさえも“大型トラックに前後左右を挟まれて走行”するような状態に、つまり特に深夜ではトラックが圧倒的に多いという状況にあっという間になってしまったからで、トラックによる陸路輸送時代の到来スピードが読めなかったのでしょう。

    蛇足ながら、龍神温泉から南西約28キロにある田辺港は、
    私の両親たちが戦後、台湾からの引き揚げ船で帰還して上陸した地でした。

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    それでは みなさま今年もお元気に !
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    ありゃまぁー!この文を書いてる最中に、山本由伸までもドジャースに入団決定のニュースが・・

    ◎ドジャースとドッジボール
    ところで私、「ドジャース=Dodgers」の「Dodge」とはいかなる意味か知らなかったので、今更ながらですが辞書をひいたらば・・(1)「(打撃などを)素早く避ける/ひらりとよける、身をかわす」、(2)「(質問、義務などを)言い抜ける、ごまかす、はぐらかす」。・・なので「ドジャース」は(1)の意味をふんでいるのでしょうが、それにしても”dodgeしていたら試合に勝てない”のに不思議な球団名にしたものですが、他の意味があるのでしょう。

    ここで辞書には「dodge ball」なる言葉がのっていて、その意味=「ドッジボール」とだけの表記。恥ずかしながらこの歳になってこの遊びの名前の由来を知りました。確かに私はドッジボールではボールを受け止めるより”ひらりとよける”ほうが圧倒的に多かったことを思い出しました。

    さて大谷翔平のドジャース入団発表会見では、いつものことながら彼の挨拶や答弁はていねいで心のこもった内容だった。

    そこには大谷の細かい”配慮”を感じさせるものが多く在った。それは言葉による表現ばかりではなく服装にも現れていて、ネクタイはドジャーズ色のブルー、そしてそのネクタイとワイシャツの襟の関係も文字通り”隙の無い”着こなし。

    加えて、彼が手首にはめていた腕時計。これに私は気がつかなかったのですが、それに注目した人が多かったようで、会見直後からX(旧ツイッター)上では多くの日本人の他に米国のスポーツビジネス経営者のジョー・ポンブリアーノ氏も反応したとのこと。
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    ◎大谷のその腕時計は価格60万5000円
    腕時計好きの人たちは大谷のその時計が日本のグランドセイコーであることは瞬時に把握したようで、大谷が日本の代表的な時計を身に着けていることに多くの人が好感を示している中で、さらにその型番名までも判定する人が現れたものの断定はできずに、ある人は「SBGR261」(価格57万2000円)だろうと言い、ジョー・ポンブリアーノ氏は「SBGM221」(価格60万5000円)であると指摘。

    ↓左:「SBGR261」  右二つ:「SBGM221」
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    そこで私は型番名判定に挑戦 ! ・・ということで、まずグランドセイコーには5大別した”〇〇コレクション”というものがある中でも「エレガント」コレクションの一つであることが分かり、そこからやはり前出の「SBGR261」 と「SBGM221」に絞られるものの、細かい部分が判らないのでその腕時計がなるべく大きく写っている映像を探した結果、朝日新聞の報道写真の中に、ルーペで拡大して見ると文字盤と針がなんとか読めるものがあった。その結果・・

    文字盤上には太めの針3本と、かすかに見える1本の細い針、計4本の針を確認できたので、これは「SBGM221」であることが判明した。

    実はこの機種は短針、長針、秒針にプラスして24時間表示針を備えているので合計4針あるもの。一方、「SBGR261」は普通の3針である。

    ↓大谷のグランドセイコーは3時08分ころを示していて、24時間表示針は15時近辺を示している
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    ◎グランドセイコーと大谷翔平は岩手県生まれ!
    セイコーグループの腕時計には、普及品、高級品、ラグジュアリー品などのクラスがあるが、高級品クラスを表す「Grand Seiko」(グランドセイコー)は現在では「SEIKO」ではなく独立したブランドになっています。
     
    このグランドセイコーブランドの腕時計を、部品製造から組立まで一貫生産しているのが岩手県岩手郡雫石(しずくいし)町に在る「盛岡セイコー工業(株)」。ここでは熟練技能士が”ロボットでは無理な超高度技”(例えばある部品の特殊研磨には10年の経験が必要)を注ぎ込んで製作するという”匠の工房”を構えている。

    ↓「グランドセイコースタジオ雫石」と称するこの工房(2020年完成、設計:隈研吾)の中で匠たちが作る
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    そして大谷翔平は1994年に岩手県の水沢市(現、奥州市)で生まれ、花巻東高校を卒業している・・ということで、同じ岩手県から”世界のトップを目指す”ものとしてグランドセイコーと大谷はリンクするゆえに、セイコーグループ(株)は大谷をイメージキャラクターとして採用契約していて、ただしグランドセイコー以外のハイレベルのセイコーブランド製品の宣伝広告にも大谷を登場させている。

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    ドジャース入団発表会場で大谷がつけていた腕時計はグランドセイコーブランドの中でメンズ用とされるものの中では最低価格に近い60万5000円。このブランドにはSBGD207という型番の2200万円の高額品もあるものの、大谷は”レザーバンドで上品な感じ”で高価格ではないウオッチを選んでいる。前述のようにグランドセイコーの中の5大別コレクションの中の”エレガンスコレクション”に属する型番を選んでいるから当然の印象となっている。

    この大谷の思惑は、高級品だが一般の人でも努力すれば手の届くようなモノがあり、しかも身に着けるのであれば成り金趣味でなく品のあるモノでさりげなく表現したいもの・・それは”努力すれば夢はかなうが、成功しても謙虚であれ”という考え方を示しているように感じる。

    こうして、あの場のために大谷が選んだ腕時計には、「親近感を感じる」、「あれが欲しくなった」、「上品さを感じた」などの声がX(旧ツイッター)に書き込まれていたが、(マイクロソフトニュースTHE DIGESTによれば)『米国の有力ファッション誌の「GQ」は「オオタニは7億ドルの契約にあたり、完璧な時計を選択した」、「最もエクセレントな時計をつけていた」と評している』

    ◎セイコーの腕時計のデザイン指針
    セイコーの時計には腕時計の他に置時計や掛け時計その他用途別時計(公共施設用、競技計時用など)がありますが、腕時計は(一品物の超豪華腕時計や遊び感覚腕時計などを除けば)形状やデザインに大きな制約や条件があるために独自性を打ち出すのが難しいことは部外者でもわかる。

    そんな中で特に高級腕時計向けを意識した”セイコースタイル”と称する独自のデザイン指針が1960年後半に生まれて1967年に発売開始したグランドセイコーから採用されてきたそうで、同社のホームページによれば・・

    『服部時計店のチーフデザイナーが銀座の和光本館に足しげく通い、世界の高級腕時計をつぶさに検分していて、ある重要なことに気づきます。「同じ腕時計でも、キラキラと輝くものもあれば、光がだれているものもある」。腕時計を構成している「面」の形状や張りによって、「輝き」に大きな違いが生じていることを見出したのでした。

    「腕時計の本質を究めながら、高級腕時計としての普遍的な価値を作り出すために必要なのは、燦然とした輝きである」そう確信したデザイナーは、外装工場の職人たちとともに、燦然と輝く腕時計を作るべく、研究に着手しました。どういう造形であれば、燦然と輝くのか、いかに美しくできるのか。試行錯誤を重ねた末に作り上げたのが、セイコースタイルでした。

    その結果具体的な方針として・・3つの大方針とそれに基づく9つの要素が生まれたそうで・・
    『大方針ひとつ目は、「平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は原則として採り入れない」こと。

    二つ目は、「ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって、極力平面部の面積を多くする」こと。

    三つ目は、「各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは、極力歪みをなくす」こと。 

    ↓9つのデザイン要素(その内の7つ)の説明図
    9designfactors

    ※3つの大方針と9つの要素の詳細は・・
     
    ◎セイコー時計の設計やデザインに導入した(と思われる)「標準数」
    「標準数」とは何かを説明するには長くなるので、大雑把に紹介すると・・高品質な工業製品を低コストで早く生産するために、部品から製品全体にいたるまで”単純化””共通化””標準化”が必要だが、これにさらに美しい形体化(例えば縦横寸法比率が1:約1.6のように「黄金比率」に近い形が出来上がる)もねらえる製品設計やデザインに採用できるように、ある法則(隣り合う数字がほぼ等比関係)に基づいて並べた数が「標準数」で、この数字は数列表のかたちでISO(国際標準化機構規格)とJIS(日本工業規格)で決められていてJISでは「標準数」という表題で「JIS Z 8601-1954」というナンバーがつけられている。AIなどが存在する現在もこの規格がまだ利用されているのか私は知りませんが・・

    セイコーが時計造りに標準数を採用していたのではないかと私が思う根拠は・・(今、気づいたのですが)ちょうどグランドセイコーが世に出た1967年だったかに、当時セイコーのデザイナーとしても有名だった清水千之助氏から「デザインにも”標準数”を利用できる」という教えをいただく機会があり、その際に「JIS Z 8601-1954」の規格表の印刷物まで頂戴したことがあり、氏は” セイコーの腕時計のデザインと標準数の関係を明言されなかった”ものの氏の下記のような”理系的経歴”からも推定できるからです。

    清水千之助(1929~1987)氏は千葉大学工学部工業意匠課卒、 (株)服部時計店工場精工舎勤務(1955~1967):その間にウルム造形大学(西独)留学、東京造形大学教授、拓殖大学工学部工業意匠学科教授、著書多数: 「工業デザインの実務」、「造形の科学」など、その他「デザイン学研究」誌に「ID(工業デザイン)活動としての標準品設計の意義」の寄稿もある。

    ↓清水千之助 著「造形の科学」
    zoukeinokagaku

    実は私、セイコーのデザイナーである知人がいたのですが残念ながら数年前に他界してしまい、生前に”セイコー製品と標準数の関連の有無”を確認しておけばよかったと後悔している次第です。
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    「標準数」についての少し詳しい説明はネット上で多数あるのですが、その一つは・・
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    先ごろ(2023年10月14日)、コメディアンであり俳優でもあった財津一郎氏(以下、敬称略)が89才で亡くなり、新聞の死去告知欄の中で「タケモトピアノのCMでも知られていた」というような説明があったことにちなんで・・

    タケモトピアノのCMの中の財津一郎
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    実際のCM → 
    takemoto-piano-cm

    このCMは2000年から今年(2023年)8月まで流されたということで、われわれの脳裏に焼き付いていますが、その理由として20年以上も変えずに”繰り返しの継続効果”だけではなく”セリフとリズムとメロディ”の心地よさもあって自然に覚えやすい面がありますが、それだけではなく・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(1) タケモトピアノのテレビCM
    最近「財津一郎が出演するタケモトピアノのテレビCMが流れ出すと赤ちゃんが泣き止む」 という情報を見聞きすることが多くなっていましたが、その最初の出どころはテレビ番組”探偵!ナイトスコープ”だったとのこと。

    また、育児雑誌(「たまごクラブ」か?)の調査では、”赤ちゃんの好きな音楽”第1位がタケモトピアノのCM曲だそうです。

    このCMの”赤ちゃん泣き止み”効果を生む要素は何なのか?
    財津一郎による「クルマ売ってちょおだーい」 「もっともっとタケモット」 「そのとーり」 などコミカルな旋律をつけた語りのような歌なのか? 
    「みんなまあるくタケモトピアノ」という女性バックコーラス部分か?
    それともメロディとリズムの音楽全体か?

    タケモトピアノ株式会社でもこの点を調べたようで、いくつか指摘されたことを紹介していて・・
    1)ある研究所によれば・・音がランダムで飽きない
                  本能的に振り向く音が多い
                  音楽の途中でリズムが」変わる

    2)音階が急に大きく上下するメロディーラインが興味をひくから。

    3)歌声が赤ちゃんが好む440ヘルツ周辺の音だから。
    ・・ではないかとのこと。

    440ヘルツと言えば、ピアノに限らないが現代の楽器類の音の基準であり、昔はラジオなどでよく耳にした時報の”ポッ・ポッ・ポッ・ポーン”の最初の3音がこれに当たり(後ろのポーンは880ヘルツ)、我々大人は聞きなれ親しんだ音だが、それが赤ちゃん時代からすでに心地よかったのだろうか・・

    この“タケモトピアノCM効果”の他にも・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(2) 口に含んだ水によるチュルチュル音
    口に水(液体)を含んだ状態あるいは唾液を溜めた状態で、口先をすぼめて少し開けると同時に空気を吸い込んで「チュルチュルチュル・・」と出る音を、泣いている赤ちゃんの耳元で聴かせると泣き止む・・といわれています。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(3) スポーツカーのエンジン音
    従来から”赤ちゃんを泣き止ませる音”として”クルマのエンジン音”があげられていますが、本田技研工業(株)では調査と科学的分析によって、ホンダの30車種の中でも”2代目MSX”のエンジン音がもっとも効果があることが分かったので、(株)タカラトミーアーツと共同で” 2代目MSXのエンジン音 (エンジンを断続的に空ぶかしするような音) に近い音が流れるぬいぐるみ”を商品化して、つい最近(2023年10月28日)に発売開始されました。

    商品名は「Honda SOUND SITTER(ホンダ サウンドシッター)」で8250円。
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    ↓右の黒い布地にくるまれているモノが”エンジン音発生部”で、左の本体に内蔵されている。
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    実際のこのぬいぐるみの音 → 
    https://www.youtube.com/watch?v=EuQ7zHYFsuw

    ※開発経緯の詳細は・・「インプレス社のCar Watchサイト」 参照ください。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(4) ある調査による「ベスト10」
    「ベビーカレンダー」(医師・専門家監修の”妊娠・出産・育児の情報サイト”)の発表では・・

    1:レジ袋を手で揉む音・・クシャクシャという音をたてることは簡便な方法でしかも効果あることが多いようで、ネット上でも多く推奨されている。

    2:ドライヤーの音

    3:掃除機の音

    4:シャワーの音

    5:ラジオのノイズ音・・“サー”という音

    6:換気扇の音・・(当筆者注)これはたぶん”プロペラ羽根ではないタイプ”のものと思われる。

    7:電車の走行音

    8:空気清浄機の音

    9:”ガラガラ”

    10:”おしり拭きペーパー”の外袋を手で揉む音

    その他,マスコミなどで見られる方法には・・・”雨の音”、“ホワイトノイズ(”サー”という音)”、“小さな波の音”などがあげられていますが・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(5) 母親の胎内の音
    赤ちゃんが泣き止むための音として前述の(1)から(4)までで紹介した”音”はその多くが、”胎児として母親の胎内に居た際に聞こえていた音(胎内音)”に近いものであるとされています。

    胎内音には心音、血流音、会話音、音楽などがありますが、常時聞こえるのは心音、血流音であることから、現在、赤ちゃんが泣き止むための音としてストレートに”胎内音そのもの”がネット上のYouTubeでいくつか聴けます。→ tainaion

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    胎内音は”ザクン、ザクン、ザクン・・”というような音が断続的なものなので、前述のぬいぐるみ「ホンダ サウンドシッター」でも胎内音に似たエンジン音がやはり断続的に流れるように設計されていることが納得できます。
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    以上のように、赤ちゃんが泣き止むための音は色々ありますが、実際に電車内や公共施設などの場において赤ちゃんが泣き止まず困る場合、とっさに対応できる方法は・・”口中の水(又は唾液)チュルチュル音”や”(外出時に常時携行の)ポリ袋類の手もみによるクシャクシャ音”ではないでしょうか。
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    私は餃子が好きです。その餃子を特に頻繁に食べたのは、大阪に単身赴任をしていた時期なので、今から30余年前の2年間。

    仕事を終えて帰る途中の夕食には”チャーハンに餃子”か”ラーメンに餃子”の組み合わせを摂ることが多かったその訳は、単身赴任者の外食で不足がちな野菜が餃子によって補われ、同時に”ピラミッド建設労働者のスタミナ源になったと言われるニンニク”も摂れるから。そのために最も通った店が、後述する「大阪王将」でした。

    「餃子の王将」(本社:京都市)と「大阪王将」(創業は大阪・京橋、現在本社:東京・品川区)の二つのブランドが在りますが後者は前者からのれん分けで出来た会社のもの。

    ◎”大阪王将の餃子”が長年の王者”味の素のギョーザ”を抜いた!
    今年6月から8月にかけての”総菜系冷凍食品”の店頭販売数調査結果のランキングが発表されて、”大阪王将の「餃子」”((株)イートアンドフーズ)が1位となり、”味の素の「ギョーザ」”(味の素冷凍食品(株))が2位となった。(昨年の同調査結果では順位が逆)

    ↓”大阪王将の「餃子」”
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    ↓”
    味の素の「ギョーザ」”
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    ↓総菜系冷凍食品 購買数ランキング (「日経クロストレンド」より)
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    調査は「True Data(トゥルーデータ社 東京港区)」が、6000万人という日本最大規模の”消費者購買データ(顧客ID付POSデータ)”を駆使したもので、今回の対象冷凍食品にはパスタ、米飯類、麺類を含まない。

    注意を要するのは、この調査データは、POSシステム導入している食品スーパーマーケットでの一般購入者の動向であり、POS非導入店、業務用、ネット上、通信などでの販売の量は含まれていないだろうから、メーカーの製造・出荷・販売総数量ではないこと。 だとすると・・

    「味の素のギョーザ」の外袋には長年「ギョーザ売上 日本一」と表記されているが、さてこれが消えるのか、いやまだ残るのか?

    ◎「味の素のギョーザ」”フライパンへの焦げ付き苦情騒動”
    「味の素のギョーザ」も「大阪王将の餃子」も油も水も無しで作れることをうたっているものの、今年(2023)5月11日に、あるユーザーから「味の素のギョーザがフライパンへ焦げ付いて残ってしまう」という不満がツイッター(現X)で発信されて、同社はすぐさまこれは一大事ととらえて翌12日には異例の行動に出た。それは・・

    原因究明と対応策を探るために、ネット上でユーザーに対して、利用している”ギョーザが張り付くフライパン”を(同社着払いで)募集した。

    その結果、3日間で1000個を超えるフライパンが届けられた!

    届けられたフライパンが入ったダンボール箱の山
    mount-of-frypan

    同社は大量のフライパンで検証をすすめて、一か月後には、とりあえずその時点で分かった範囲の張り付き防止方法を公表したが、現在も追及は続けられていて「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言している。

    現在も続くチャレンジ https://www.ffa.ajinomoto.com/enjoy/frypan
    frypan-challenge

    ◎味の素ギョーザは昔のほうが美味いと思うのは私だけではない?
    2022年に3月8日に、(冷凍) ”味の素の「ギョーザ」”発売50周年を迎えたそうですが、私が最初にこのギョーザに出会ったのは今から25年くらい前だったと記憶していますが、食べてみたらヘタな店で出されるものよりおいしと思えるほどで感心したものでした。 ところが・・

    いつ頃からのことかはっきりしないのですが、少なくとも現在の”油と水無しで出来て羽根つき”に仕上がるバージョンになる少し前の時点で「味の素のギョーザは昔のほうが美味しかった」と感じるようになっていますが、

    これは私だけの感想かと思いきや、同じ思いをしている人が他にもいたので、そうとなればその原因を知りたいところ。

    前述のように「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言するまでまなく、日頃から味の素冷凍食品社ではさらなる研究・試行が行われている様子がテレビでも紹介されたのを観たことがありますが、”味”に関しては温故知新、あるいは原点回帰などを意識されてもよいのでは・・

    ◎”記憶に残る美味しい餃子”は大阪・徳庵で食べた!
    冒頭で述べましたように、私が大阪に単身赴任している時期にJR片町線の徳庵駅の南に歩いて1分くらいの所にいわゆる”街の小さな中華屋さん”があって、そこで食べた餃子が美味しかった。

    それは初めて口にする”羽根つき”だったが、これが”やや小ぶりだが美味しい餃子本体”と絶妙にマッチしていて、さながら”羽根が名脇役”のようだった。

    私は現在の大阪王将の餃子(冷凍食品版)の羽根つきを食べていないので何とも言えませんが、味の素のギョーザの羽根は出来上がりが中途半端で、厚みと面積が少ないと思いますが、これは私の作り方に問題があるのでしょうか?

    大阪王将のHPに載っている羽根つき餃子(底側写真)
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    ◎飛話:王将の将棋駒の格好をした「もろこし」(菓子)
    山形県の天童市は将棋の駒作り日本一なので町中に何かと王将の文字が観られます。その一つが将棋の駒の形に凸文字で王将や金将などを表した和菓子の「もろこし」。もろこしは東北地方で多く作られていて、”小豆粉に砂糖をまぜて型に入れて硬く固めたモノ”・・これも私の好物 !

    王将の将棋駒型「もろこし」(縦3X横3X厚み1センチ:えんどう盛寿庵)
    morokosi1

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    世の中、高機能な物は概して複雑な機構や高度な電子部品が使われているもので、これは故障の確率が高くなることもあり、いざ故障すれば修理も複雑になったりする一面があります。

    それをあらためて実感したことがあったので、それと関連する事例を含めて紹介してみます。

    ◎シンプルな体重計へ
    先日、我が家で約8年間使っていた「体脂肪計測機能付き体重計」が稼働しなくなってしまい、一瞬、電池切れかと思って新品に換えてもダメで、遂に廃棄処分することに決定しましたが、その前に一応、中身はどうなっているのかと分解してみたら、なにやら鉄材の細長い部材数点と電子部品を載せた基盤があり、不良原因はたぶんこの電子部品群の中にあると思えました。

    そこで、今度はシンプルな機構の体重計を購入しました。それはタニタ製で、アナログな数字盤は判読性が良いものです。明らかに電子部品は不使用であり、電池も必要なしで今後の故障の心配はしないで永く使えることでしょう。

    新たに購入したアナログ体重計
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    ◎M社の全自動トースターは?
    高機能だがすぐ故障して廃棄した物として、私がすぐ思い出すのは、M社が今から60年くらい前に発売した”全自動トースター”。

    当時一般に普及していたトースターといえば、天面に食パン1枚が縦に入る口が二つ並んで開いていて、そこにパンをチョコンと入れてからトースター側面のレバーを下げて完全にパンが本体内に収まると同時に加熱が始まり、焼きあがると”ポン”とレバーが上がりパンが頭を出すというもの。

    ところがM社の全自動トースターは一見普通のように見えて、唯一違う点は、側面にレバーが無いこと。そして”全自動”とうたう所以は、”食パンを投入口に入れると自動的にパンがスーっと下降を始め定位置におさまれば加熱が始まり、焼きあがるとまたスーっと飛び出してくるというもの。

    これは便利なようで、食パンの下降と上昇に各6秒くらいだったかを要して忙しい朝にはイライラしたもので、しかも使用開始1年足らずで稼働しなくなった。

    直感的に、このようなトースターはダメだと思い、廃棄前に分解してみたら、中の構造は複雑だったので、やはりシンプルな方が良いと感じたものだった。

    かくて我が家の後継トースターは普通タイプに戻った。
    その後M社は二度と全自動トースターを製造販売しなかった(と思う)。

    ◎カラシニコフ銃のシンプルさ!
    私は銃に詳しくはないので、なぜに銃の呼び名には「ブローニング」、「ガトリング」、「マキシム」、「南部」など考案者(設計者)の名前が付いているのか知りませんが、そんな私でも「カラシニコフ」の名前はよく”耳に、目に”します。

    ミハエル・カラシニコフ(1919~2013)は旧ソ連の農家に生まれた。
    Michael_Kalashnikov-c
    (Wikipediaより)

    成人して赤軍に入り第二次大戦中は戦車長としてナチスドイツ軍と戦うなどしながら銃器の研究を続けていて、戦後1947年に”全自動発射ができる自動小銃AK-47“を開発・設計した。その2年後からAK-47はソ連軍内に配備開始され、その後は他国にもライセンス与えて生産されたが、発展途上国などでは無許可でコピー品が生産されて、それらを合計すると現在世界には1億丁以上も存在すると言われている。

    AK-47 (Wikipediaより)
    AK-47
    AK-47が世界中に大量に採用されている理由は、製造が簡単、製造コストが安い、頑丈なこと。それはカラシニコフ氏が戦時中に身をもって知ったドイツの銃器の優秀さを頭におきながら、自国でも開発を試みようとしたが当時のソ連の製造能力では無理と悟って、

    逆に銃の構成部品の寸法精度が低くて大きさがバラバラでも一つの銃として成り立つように余裕をもったシンプルな設計とした結果、組立は勿論、分解・掃除も簡単。そして「乱暴な扱いにも壊れない」、「グリスがきれても、水や泥水に浸かっても、砂に埋もれても使える」と言われている。

    まさにAK-47は”シンプル製品の好例”。

    ◎トヨタのランドクルーザー
    トヨタの大型4輪駆動車「ランドクルーザー」は日本では「ランクル」の愛称で人気があるが、海外でも人気が高い。
    landcruiser

    人気というより必要性からランクルが選ばれる理由は、頑丈で壊れにくく、故障しても修理しやすいこと。

    それを文字通り”支えている”のが”ラダーフレーム”構造で、頑丈な鉄枠の上にエンジンやボディを載せた言わば単純な組み合わせであり、現在多くのクルマが採用している”モノコック”構造が鉄枠を無くしてボディ全体で強度を確保しながら軽量化した構造としているものとは異なるもの。

    こうして、特に中近東の国の砂漠地帯やオーストラリアの”アウトバック”と呼ばれるような広大な荒野を走行中の故障忌避ともしもの故障でもリカバリーしやすいことは、このクルマが選らばれてしかり。

    ◎シンプルなラーメンの良さ
    現在、巷には多種多様なラーメンが生まれていて、それらはスープ作りや具材に凝りまくっていて、それはそれでうまいのですが、私はシンプルなスープと具材のラーメンが大好物です。それは1~2種の素材を使った出汁による醬油ベースのスッキリした味のスープに定番のチャーシューとメンマと少量のネギが入っていればOkというもの。

    また一つシンプル系ラーメンの店が消えた(日本テレビ「Every」より)
    raamen

    私の中では、かつて東京の秋葉原駅の外側に張り付いたように在った、スタンド型椅子7席(だったか?)しか無い小さなラーメン専門店で入り口ドアなどなく全開放型の吹きさらしの中で、何度か食べたシンプルなラーメンの味が忘れられない。
    それはスープにほんのすこしだけ生姜の香りの効いた、実に”飽きのこない”ものだった。

    今、ふと思うに、私は約60年前の子供の頃ころから、長崎県の五島列島出身の父が郷里の親戚から時おり送られてくる「五島うどん」を(日頃は”男子、厨房に入らず”の父にしては唯一の例外で)大きな鍋にはった熱湯の中で茹でながら泳がせて”そのうどんを私たち子供が箸ですくい上げて、同じく五島産の干しアゴ(トビウオ)で出汁をとった醤油つゆ”の中に漬けて食べるという経験をしましたが、これも非常にシンプルな食べ方でした。

    ちなみに現在では、五島うどんのこのような食べ方を「地獄だき」と称するようになっていますが、熱湯の中で茹でながら泳がせていても一般のうどんのように”のびて、ふやける”ということが無くコシが続くのは、五島うどんには、やはり五島名産の椿の油が練り込まれているからだそうです。

    jigokudaki
    (株)おかだ製麺 のHPより

    ◎谷村新司の作曲はシンプルさを心掛けた
    朝日新聞の天声人語欄(2023.10.18)では”先日亡くなった谷村新司氏”について語られていて、名曲”昴”を生んだ谷村氏が音楽の道に入ったきっかけは一本の中古ギターで洋楽レコードを何度も聞きながら音を一つひとつ拾ってまねたことであり、その経験から、作曲する際の基本方針は“初心者が弾けること”を目指して「難しくするのは簡単だが、シンプルであれ。時代を突き抜けていくスタンダードというのは、そういうものなのだ」と言っていたそうで・・

    なるほど、”シンプルなことの大切さ”はモノ作り全般にもあてはまることがあるのではないでしょうか。
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    世の中には、「○○に始まり○○に終わる(戻る)」という格言(表現)があり、頻出するのは、「釣りはフナ(ヘラブナ)に始まりフナ(ヘラブナ)に終わる」でしょうが、昔のオーディオのマニアの間では「スピーカーは(口径)16センチに始まり16センチに戻る」と言った時代がありました。

    ”体重計をアナログ式→デジタル式→アナログ式に戻した” “トースターを普通タイプ→全自動タイプ→普通タイプに戻した”という事例は、この格言の意味合いとは違うものの、文字通りと言えないでしょうか。
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    余録 : 現在(2023年10月)の米国では諸物価上がり、円安も相まって”米国でのラーメン価格”が高騰しているそうで、ロサンゼルスのセルフサービスのフードコートで食べても”もやしだけが入ったラーメン”が17ドルなので日本円換算で2550円。これでは物足りないとして煮卵(1.5ドル)とチャーシュー(4ドル)を追加して(下の写真)これに税(2.31ドル)を加えれば総計24ドル61セント=約3692円となり、日本で食べる場合の4倍の価格になってしまう。これと同じものをレストランで食べようものならチップ(15~25%)をつけなければならず、4500円くらいになってしまう・・とのこと。(1ドル=150円換算) (ロサンゼルス在住の角谷剛氏による報告:TRiP EDiTORサイトより)
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    先日(2023年9月10日)、リビアで複数のダムが決壊して洪水となり多数の死傷者が出たばかりなのに・・
    10月4日にはインド北東部に在る氷河湖をせき止めていた”氷河の氷と土砂から成る天然のダム”が大雨によって決壊して、これまた多数の犠牲者が出ているというニュースが伝えられた。・・ということにちなんで今回は”ダム関連のお話”です。

    ◎「ダム津波」による鉄砲水?!
    「ダム津波」とは、ダムによって出来たダム湖の水が何らかの理由で盛り上がって巨大な波を生んで津波のようになるもので、その結果、莫大な量の水がダムの堤を乗り越えてダム下流の町などを襲って災害を引き起こす。

    1963年10月9日22時39分、イタリア北部のヴァイオント渓谷に在る「ヴァイオントダム」のダム湖の左岸(下流に向かって左側)の「トック山」の山肌が巾1700メートルにわたって地滑りを起こして莫大な量の岩や土砂がなだれ込んだために起きたダム津波

    ダムの堤を乗り超えて(大音響とともに土石を含んだ)”鉄砲水”状態となって2キロ川下の「ロンガローネ村を襲った。これにより犠牲者は2000人以上におよび、
    殆どの建物が流されて消滅した。

    ↓災害後に放棄された状態の現在の貯水無し「ヴァイオントダム」(後方の白い山肌が地滑り部分)
    ※ダム完成時は高さ261メートルで欧州一だった。ちなみに戦艦大和の長さは263メートル
    (以下写真の計5枚は「ナショナルジオグラフィックチャンネル」より引用)
    italian-dam4

    ↓災害起こした直後のダムと地滑り跡
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    ↓災害直後の村の様子
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    italian-dam2

    この災害の根本的原因は”ダムの立地選定の誤り”にあるが、”ダム湖左岸の地滑りによる波の発生規模の予測の甘さ“が招いた面もあり、適正な予測に基づいて、ダム下流域の住民を避難させていれば少なくとも死傷者を出さずに済んだ。・・というわけでこれは人災と言われている。

    そもそもダム湖左岸のトック山の地肌は昔から頻繁にき裂が発生して小さな崩落が多くて、地元では「歩く山」と呼ばれていたものの、ダム建設のための地質調査はダムが直接接触するごく近辺に限っていた。

    しかしダム完成後に山肌のき裂に気付いて、いずれは大規模な地滑りが起きることが予想されたので、き裂巾変化を毎日監視した結果、湖水量の増減、すなわち湖水面の上昇・下降によって”滑り落ちに向かう速度が調節できることが判明したために、意図的に湖水面を上下させて滑り落ち速度をゆるやかになるようコントロールしていたところ・・

    ある日突然、き裂巾が大きくなり、近日中に大きな地滑りが起きることが決定的になったので、それならばと、土石が湖水に没入した際に起こるであろう大きな波を予測するため(まだコンピュータ解析などがなかったので)、ダムと周辺地形の300か400分の一?くらいの模型を作製して実験した結果、

    地滑りによって起きる波は高さ20メートルと推定されたので、水面はダムの堤から25メートル下の位置まで下げておけばよいということになった。

    こうして いよいよ地滑り発生日とおおよその時刻がわかったので、10月9日の18時頃から、このダムに関係する国営電力公社の作業員ら60人がダム堤の上に集まって地滑りとそれによる波の状態を観察(見物?)しようと集まっていた。

    ↓堤上で待ち構える人たち(再現映像)
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    そして22時39分、45秒間の地滑りによって、(後日の推計によれば)”30階建てのビル90棟分にあたる3000万トンの水”が、予想の高さのなんと10倍の200メートル(70メートル説もある)まで立ち上がって巨大津波となり、かるく堤を超えてしまった。しかもその速度は時速140キロだったとされる。

    言うまでもなく堤上にいた者は波とともにことごとく消えて居なくなった

    以上のようにダム関係者は、”この地滑りによる大波はダムの堤を超えることはないという予測”に基づいて、川下の村には何の予告もしていなかったから、多数の犠牲者をだしてしまったのであった。

    ところで、ダムが原因の災害というものは大概は”ダム決壊”によるもので、1800年代末期からの記録に残る大規模な事故だけでも海外で20数件。中には1975年の中国・河南省で台風による大雨により大小62のダムが決壊して2万6000人の死者を出した災害もある。日本では規模は小さいものの10件ほど起きています。

    ただし”ダム決壊”には2種類あって、一つは”予期せぬ決壊”、もう一つは”戦時の攻撃による意図的決壊”。
    過去には第二次大戦時に英国軍がドイツのダムを、中東戦争時にはイスラエル軍が、朝鮮戦争時には米国軍がダムを攻撃している。現在はジュネーブ条約で禁止されているそうですが最近ではウクライナで
    ダム攻撃が発生しているのはどうゆうことなのか?

    ◎ダムの急斜面を登り、歩くヤギ(山羊)たち
    ヤギの珍しい行動として“細い木に登るヤギ”が紹介されることは多いものですが、これはモロッコで見られるもので”アルガンという木”の実を食べるために登るのだそうです。

    ↓木に登る3匹のヤギ (以下の写真はすべて「アニマルプラネット」テレビより引用)
    goat-on-tree2

    しかし、もっと珍しくてしかも驚くのが”ダムの急壁面に登るヤギ゙”。

    所はこれも北イタリア、アルプス山脈の中の標高2200メートルの地点に在る「チンジーノ・ダム」。その高さ50メートルのダム斜面は垂直に近いような感じであり、その(内部はわかりませんが少なくとも)表面大部分は”ほぼ四角の岩石”が積まれた壁のような状態。

    ↓チンジーノ・ダム
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    驚くことに、このダム壁面にへばり付くようにして数匹から10匹くらいのヤギが下から上へ、上から下へ、左右へと移動している姿が見られる。

    ↓手前のヤギは頭を谷側に、お尻を天空に向けている
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    dam-goat3

    ボルダリングをする人間が持っている10本の手指を駆使して壁面移動するようなことがヤギにできるわけでもないのに何故に可能なのか?

    実はこのヤギは「アイベックス」という種類で、もともと山岳地帯の急峻な岩場を行動する動物で、短足で重心が低く、鋏のような形のひずめと、たくましい筋肉を持っている。
    aibex

    そして、いくら慣れていても危険であるこの行為の最大目的は・・ダム壁面の石材表面の塩を舐めて塩化ナトリウム他、ミネラルの補給にある。雨が降るたびに岩が含んでいる岩塩成分が表面に浸みだすのだそうだ。(上左写真は舌を出して舐めているところ)

    特にこの行為は、子を産み、子を育てる、あるいは子が育つために重要なので、このダム壁面には雌と子供しかいない。
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    生物にとっては塩分とミネラル摂取は重要なことで、ここでとりあげた”ダム壁面の塩をなめるヤギ”のほかにも変わった方法を使う例をあげると・・

    “他の生物の涙を吸って、塩分とミネラルを摂取する”生物がいる。それは・・
    カメ、ワニ、眠っている鳥などの目の涙を吸う・・チョウ、ガ、ハチ(蝶、蛾、蜂)など。

    ↓カメの目の涙をよってたかって吸う蝶たち(アマゾン地域)
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    ◎私とダムとヤギ
    私は以前のブログで”三船敏郎主演のダム映画「激流」”や”石原裕次郎が製作断念したダム映画「香港の水(仮題)」”その他”岩手県の田瀬ダム”などをとりあげたこともあり、今回も含めて何やらダムを題材とすることが多いのは・・

    ”私の父がかつてダム建設や隧道(トンネル)が得意な建設会社に勤務していた”のでダムの話を耳にすることが多かったこと、子供の頃にダム建設現場に連れていかれたこともあるなどが影響していると思います。

    また”ヤギ”についてもふれたのは、私がかつて住んでいた東京都豊島区椎名町(現、南長崎)では昭和20年代後半頃でもまだ麦畑や牧場が小規模ながら存在していて、我が家では祖父がニワトリやヤギを飼っていたので、子供の頃の私は卵と”ヤギの乳”で育ったようなもの。

    絞った乳は殺菌のため祖母が加熱処理したものを飲んでいた。・・といわけで私はヤギにも親近感があるためです。

    ↓このヤギの乳を飲んでいた(左の子供が私)
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    今回、ダムと動物を登場させましたが、この関係で言えば・・”ビーバーが作るダム”も欠かせぬ題材でしょうが、文量が多くなるので省略します。
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    ハス(蓮)の花、その開花時期は地域や種類によってズレがあり、6月下旬から8月中旬頃までとされます。今回はハスの季節にちなんで・・
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    (写真は教育出版社「植物図鑑」web版より)

    ◎安藤忠雄氏の設計「本福寺・水御堂(みずみどう)」のハス

    元ボクサーにして独学で建築家となって有名な安藤忠雄氏。
    「安藤忠雄展」パンフより(この展覧会は熱烈な安藤ファンの友人に誘われて私も観ました)
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    氏の作品は国内外で人気あり、国内では「水の教会」、「風の教会」、「光の教会」(以上=教会3部作)、「表参道ヒルズ」、米国の「フォートワース美術館」、最近では「こども本の森・中之島」、などが紹介されることが多いのですが・・

    建築関係者以外にはあまり知られていない?と思われる「本福寺・水御堂」は、兵庫県の淡路島の北端近く(淡路市浦1310)で大阪湾を見下ろす小高い丘の上に建つ鉄筋コンクリートのちょっと変わったお堂。

    平安時代後期に創建された本福寺(真言宗御室派別格本山)に新しくお堂を建てる計画が1980年代末に生まれ、設計依頼された安藤氏は、「従来の寺院建築の大屋根は権威主義の表れであるから、これを排するかわりに”ハスで満たされた水盤のような池”を屋根に見立てて、その下に御堂を置くデザインとした。これにはかつてインドで見たハス池の光景を頭に浮かべながら、お釈迦様の象徴と言われるハスに満たされた“大屋根がわりの池”を頂く御堂のほうがよほど仏教精神にかなっているのではないかと考えた」と述べている。

    こうして1991年に完成したのが・・「本福寺・水御堂(みずみどう)」
    ↓俯瞰写真(楕円形のハス池は長径40m X 短径30m。真ん中の階段を下りて地下のお堂に向かう)(写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓ハス(写真中央奥)とスイレンが浮かぶ池の中央の階段を下りる人
    (写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓ハス池の中央の階段)
    (写真は「花みどりフェア公式サイト」より)
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    ↓水御堂に向かうための最初の入り口を有する横に長い壁は俗界との境を表す(上の俯瞰写真で右上の直線状部分)
    (写真は「花みどりフェア公式サイト」より)
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    ↓赤色を基調としたお堂内部。本尊の薬師如来の背後から光が差し込んで光背のようになる
    (写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓この格子を通した光が本尊の光背がわりとなる
    (写真はタウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ↓安藤氏による水御堂設計前のイメージスケッチ
    (タウン誌「神戸っ子」web版より)
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    ◎「バスクリン」ならぬ「ハス・クリン」はいかが?!
    ・・・水御堂を盛り上げるために私が出した案・・・

    水御堂を建てた本福寺。実はこのお寺では、私が勤務していた会社の物故社員の慰霊法要が毎年行われていたのです。

    そこで会社も、水御堂完成にあわせて、話題作りをして盛り上げてさしあげようということになって、私の所属する部署にその方策を考えるよう上層部から指示があったので数人からなるチームが取り組んでいました。

    そこで先ず出たのは、「水御堂」という呼び名は印象力が弱いので、「蓮御堂」のほうが良いと思われるが今さら呼称変更はできないので「水御堂(蓮御堂)」という表現を推すことにしたそうで、その上で色々な案が出ていたようですが、途中で”チームメンバーではない私”へも「何か案はないか」という問いがあったので、私が提案したのは・・

    「ハスの葉からの聖なる水『ハス・クリン』」

    私が子供の頃には「朝露を集めて墨をすり、それで七夕の短冊に願い事を書くと成就する」という”言い伝え”がまだしっかり残っていた。(同時に「字も上達する」という教えもある)

    ただし(地方によってか?)”露を集める方法が二種類”あって、一つは”里芋の葉にのっている露を集める”、もう一つは”ハスの葉にのっている露を集める”。

    どちらの葉も大きく、その表面の撥水性(ロータス効果)によって露がコロコロと玉のようになり葉の中心のくぼんでいる部分に集まる
    lotus-effect
    (↑写真は「国立研究開発法人 物質・材料研究機構」のメールマガジンvol-104より引用)

    ・・という特徴が同じゆえにどちらでも良いのでしょうが、土の畑に在る里芋の葉からの露のほうが相対的には得やすく、池や沼に生えているハスの葉から露を採るのは苦労と危険を伴う。

    そして、”極楽浄土はハスの花が咲き満ちている”、”お釈迦様は誕生してすぐに7歩あるかれ、しかもその足跡にはハスの花が咲いた”という”教え”があることや”仏様はハスの花をあらわす「蓮華」の上ににおわす姿の像や絵画が多い”ことなどから・・

    得難くしかも聖なる”ハスの葉の露“は『ありがたい』ことになり、これを集めてつくられた水(聖水?)に「ハス・クリン」という名を付け、「このありがたい水で墨をすって願い事を書けば成就!」とうたって売り出せば、話題となり参拝者も増え(俗世的ですが)収益にも貢献することが期待できる・・という狙いです。

    さてこの私の提案は、面白いから検討すると言われたものの実現しませんでした。しかも「ハス・クリン」というネーミングは一瞬大受けしたものの有名な入浴剤の「バスクリン」との関係で直ちに却下されました。(私は丁度、本来業務に忙しかったことと、間もなく転勤したので、その後の詳しい経過や結果を把握していませんが、"水御堂のプロモーションビデオ"の製作・提供はしたようです。)

    最近になって知ったことですが、「蓮文化研究会」の会長:南 定雄氏によれば、「蓮は食用としてはレンコンは勿論、蓮の葉茶や実もおいしいが、その他にも”化粧品”や”香水”を化粧品メーカーとともに開発した」・・そうで、「その手があったか!」と思った次第です。
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    現在、NHKが放映中の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の主人公のモデルとなったのが現在の高知県生まれの植物分類学者の牧野富太郎博士(1862~1957=昭和32年、94才没)。
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    1889(明治22)年に、植物として日本最初の学名「ヤマトグサ」を名付けて以来、日本各地の植物を調べて1500種以上に学名を付けた博士がシーボルトを批判した理由とは・・

    ◎日本固有種のアジサイを欧州に紹介したシーボルトだが・・
    アジサイと名が付く植物の原種はガクアジサイ。これは日本の固有種であり、日本原産。現在多く見られるアジサイ(ホンアジサイ)はガクアジサイを園芸品種化したもので、これが西欧に渡って品種改良(と言うべきなのか?)されて大正時代に日本に逆輸入されたのがセイヨウアジサイ。

    ガクアジサイ
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    幕末に来日したシーボルト(1796~1866)はドイツ人ながら長崎のオランダ商館付きの医者で、日本の医者や医学生に西洋医学を伝授した一方で日本の文化、生物、地理などを西欧に紹介した。(その一環として、当時は国禁だった”日本地図の国外持ち出し”を図ったことが発覚して1829年に国外追放になった「シーボルト事件」は有名)

    晩年のシーボルト
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    シーボルトは日本の植物としてアジサイを紹介するに当たって、学名となるように「Hydrangea otaksa (ヒドランゲア オタクサ) Siebold et Zuccarini」として発表した。 

    ところが、シーボルトより先に別の学者がアジサイに学名「Hydrangea macrophylla(ヒドランゲア マクロフィラ)」をつけていたことが判明したので「ヒドランゲア オタクサ」は学名登録されなかった。

    「オタクサ」という名は、シーボルトが”在日中の妻としていた”楠本滝のことを「オタキサン」と呼んでいたことから付けたというのはよく知られていますが・・

    楠本滝は元々は商家の娘だったが家が没落したためやむなく出島の遊女になっていたところをシーボルトに見染められたもの。

    さて、シーボルトがアジサイ※に「オタクサ」という名をつけた由来を知った牧野富太郎博士は・・
    「植物の名付けを”私して(私的に利用して)”、しかも女郎のお滝の名を用いるとは、大いに花の神聖をけがすものである」というような表現を用いて憤慨していたそうです。

    しかしながら、牧野博士も”苦労をしながら自分を支えてくれた妻「壽衛(すえ)」”に感謝を込めて、新種のササに「スエコザサ」と命名しているから”同じ穴のムジナ”に近いのではないだろうか?

    ※シーボルトが西欧に紹介したのはガクアジアイであったと牧野博士は確認している。

    ◎牧野博士の仕事に欠かせぬ存在だった”画工”たち
    牧野博士の仕事に欠かせなかった植物標本と植物画。
    "博士が植物に対していとおしむように接した"ことを表すかのように、作製した40万点の標本には植物が美しく見えるように、台紙への貼り方にも注意がはらわれていた”

    ↓「クロモジ(芳香がする高級つま楊枝に使われる)」の標本(左から、実、青葉、紅葉)
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    「東京都立大学牧野標本館」(八王子市)収蔵品写真より引用
      当館の全収蔵品50万点の内、牧野博士作製分は16万点

    牧野博士の偉業は、妻や友人など多くの人たちの助力、協力に支えられていたことはよく語られています
    が、特に植物画の作成には専門の”画工”の助けが必要だった。

    元々、牧野博士は自身で植物図を1700点以上を描いていましたが、それは非常に緻密で正確な図であり、そのために”ネズミの毛を使った独自考案の筆”を駆使して”1ミリ幅の間に7本の線”を描いていました。

    ↓牧野博士自筆の植物画 (「和楽web」より引用)
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    そんな調子なので当然、大量の植物画を描くには時間的に無理ということで、博士同様の絵が描ける職人である”画工”たちに分担依頼しましたが、博士はこの人たちの存在とその仕事に感謝していた。

    例えば、『1940(昭和15)年に出版された「牧野日本植物図鑑」(北隆館)の序文には、三人の画工である水島南平、山田壽雄(としお)、木本幸之助への謝辞が記されている』 (『』内は東京大学総合研究博物館 研究員 藏田愛子氏による)

    この三人の中でも博士が最も信頼していたと言われる画工が山田壽雄(としお)氏。氏は牧野博士からだけでなく他の有力者からの依頼も受けていた。そのため氏の描いた原画が多く残っている。

    ↓山田壽雄の植物画(「山田壽雄が描く園芸植物」展=2018年に練馬区立牧野記念庭園記念館で開催
    の案内パンフより)
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    ↑図内の左上から、園芸種名「鶉ノ羽」/左下「センリョウ」/右上「スカシユリの一品種」/右下「ハクモクレンの一品種」下図は「錦重 羽衣」・・これらの図は園芸家の石井勇義氏の依頼により山田壽雄が描いたもの
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    ◎初期の牧野を手助けした池野成一郎 / 添い尽くした妻の壽衛
    牧野博士が東京大学(後の東京帝国大学)に出入りし始めた頃、東京大学生だった池野成一郎は顕微鏡使用の植物観察や英語、ラテン語の読み書きを手助けしていた。また牧野が一度東京大学を締め出された後も復帰を後押しし成功させた。

    博士の妻の壽衛(すえ)は貧乏暮らしの中でも夫を支え続け、牧野博士の終の棲家となって最後の約30年を過ごした(現在の東京都練馬区東大泉の)庭付きの家も、彼女が「待合茶屋」を経営して産み出した資金で手に入れられたものだった。現在その旧居は「練馬区立 牧野記念庭園記念館」となっている。

    ↓妻 壽衛 
    (個人蔵の写真を朝日新聞が掲載したもの)
    sue

    余録
    シーボルトと楠本滝の間に生まれ、日本で初の西洋式出産医学を学んだ医師となった楠本イネを主人公にして、民放(TBS系)の連続テレビドラマ「オランダおいね」がイネ役を丘みつ子、滝役を馬渕晴子で、1970年に半年間放映されましたが、丁度この期間は大阪での万博開催と重なっていました。
    当時、会社員だった私にとっては昼休みに当たる時間帯に放映されていたドラマでしたが、殆ど観られませんでした。
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    NHKの朝ドラ「らんまん」好評を反映している一つの例が、旅行会社の”四国巡り”ツアーにおいて、定番の桂浜・坂本龍馬像、金刀比羅宮、大歩危・小歩危、祖谷のかずら橋、道後温泉、四万十川などに加えて「牧野富太郎記念館」「県立牧野植物園」(高知市)が登場したことです。

    ↓最近の旅行会社の新聞広告
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    蛇足ながら他にも、四国巡り観光において近年追加されてきたのが「大塚国際美術館」(徳島県鳴門市)で、世界の名画1000点を特殊技術で陶板に焼き付けて原寸大に再現したものが観られるという人気スポットです。
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    今は梅雨 ! アジサイの花が我が家に少々、近所のお宅に沢山咲いています。

    ↓近所のお宅の垣根沿いのアジサイ
    (下の8枚の写真は全て1軒のお宅のもの)
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    ◎アジサイは食べると中毒の危険性があるのだが・・
    数年前の梅雨の合間のある日、ある店で食事をした際、最初に出された小鉢の横にアジサイの花が添えられていた。(↓下写真赤丸内)
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    それは一見、風情があるものの、私は”これは やめたほうがいい”と思った・・その理由は・・

    アジサイは、花、葉、茎などのどの部分を口にしても、中毒(嘔吐、悪寒、顔面紅潮)の危険性がある”からで、なぜ「危険性がある」という表現を使って”確定的表現”を避けたかと言うと、その有毒成分として青酸配糖体やアルカロイドというものが検出されることがあるものの、検出されないこともあり、それが種類や土地によるものかも特定できないのが現状だからです。

    しかし実際に中毒は発生していて・・厚生労働省の発表によれば・・
    2008年に大阪市の居酒屋で出汁巻き卵の下に敷かれていたアジサイの葉を食べた人が中毒発症。
    同年、茨城県つくば市の飲食店でもアジサイの葉を食べた8人が中毒発症。

    前述の”私の場合”は添えられていた花はアジサイですが、葉っぱはナンテンとイタヤカエデでしたから問題は無かったものの、アジサイの葉は大葉(青しそ)と同様のつもりで、また花は近年流行のエディブルフラワー(食用花)のつもりで食べてしまわれる危険性があります。

    ということで、”疑わしきは使うべきではない”アジサイです!

    ◎「甘茶」でも中毒が・・
    昔から4月8日のお釈迦様の誕生日には、お釈迦様の像に甘茶をかけ流すと功徳を得られるとされ、また「甘茶」を飲む習慣がありますが、この甘茶の原料は「アマチャ」(オオアマチャ、コアマチャ、アマギアマチャなどの種類がある)であり、ヤマアジサイの変種だそうで、一見するとガクアジサイ(冒頭写真8枚の内最後の2枚参照)と見分けがつかないが、ガクアジサイと比べると全体に小ぶりで、葉の厚みがやや薄く、艶が無いそうです。

    ↓アマチャの花 (ガクアジサイと同様に、花は中心の丸い粒状部分/右は咲終わりに近く花や茎が薄紅色になったもの)
    (写真は「庭木図鑑ウェブ版」より引用)
    amatya

    アマチャの生の葉の状態では甘味は無く、葉を乾燥させてから発酵させると甘味が発生するので、これを昔から”食品の甘味料”としたり、煎じて甘茶にして飲みます。

    しかし、実際に”甘茶でも中毒”が発生しています。

    厚生労働省の発表によれば・・
    2009年に岐阜県岐南市で甘茶飲んだ保育園児119人の内28人が嘔吐などの中毒発症。
    2010年に神奈川県南足柄市の小学校で甘茶飲んだ1年生の内の45人が嘔吐などの中毒発症。

    伝統がある甘茶にしては、原料のアマチャがやはりアジサイに近い種類のためなのか、どうやら注意が必要なようで、飲む場合は浅い煎じ方にして、特に子供にはごく薄い甘茶にするか避けるべきでしょう。

    実は私が”将来お世話になる予定?のお寺”は別名があって「あま茶寺」とも称していて甘茶が飲めるとされていますが、前述のような理由で”大人の私でも”遠慮することにした次第です。
    ・・・・・・・・・・・・
    なお、アジサイは処理の仕方によっては、
    解熱や咳止め薬(漢方薬)になり、中国原産の「常山アジサイ」は"抗マラリア薬"になっています。アジサイは"毒にも薬にもなる"という点では他の漢方薬の原料となる植物と同様ですね。
    ・・・・・・・・・・・・

    世の中には、ものごとの分析や発想などのための要素を”見える化”する手法が多数開発され利用されています。いずれも人間の頭脳を駆使する必要がありますが、これからはITを使えばもっと効率があがるのか、あるいはこれらの手法に代わるカタチが出現するかも知れませんが・・
    hassouhou-head
    現在のところ存在する手法の中には「マンダラ」や「スゴロク」に似たカタチを使った手法が幾つか出ていて前回ご紹介したのは「マンダラチャート」ですが、今回は同じ”マンダラ”がアタマにつくものの違う呼称で当然手法内容も異なる「マンダラスゴロク」。そして同じ”スゴロク”がオシリにつくものの違う呼称の「デザインスゴロク」についてです。・・本題の前にまず”スゴロク”とは・・

    ◎スゴロク(双六)は・・
    インド発祥で中国、朝鮮半島経由で日本に伝来されたとされ、サイコロをふって、出た目によって升目に置いた駒を進めて終点の「上がり」を目指して競争する”盤上ゲーム”で原初は”複雑なルールに基づいて二人で競う”「盤双六」と呼ばれるものだったが、江戸時代に盛んになった”升目に当たる所に絵が描かれた「絵双六」になって多人数でも競える、楽しめるスタイル”にとって代わられて現在に至っている。

    ↓スゴロクの一例 (図はブログ「カルタ・カード・スゴロクで遊ぶ、学ぶ」より引用)
    sugoroku
    ※インドから欧州に伝播したものは「バックギャモン」という(名前だけしか私は知らない)ゲームになったとされる。

    ◎「マンダラスゴロク」とは・・
    この手法発案者の石井禎(いしいただし)氏(コンセプトデザイナー)によれば・・「発想、構想、創造のための”脳の道具”として、縦軸と横軸を基本に置き、これによってできる四つの象限をベースにして、全体を5X5=25のマスで一つのミクロコスモスのようなものを創る”技法”」が「マンダラスゴロク」。
    m-sugoroku1

    前回ご紹介した「マンダラチャート」の場合、ど真ん中のマス目に”目的となる事柄”あるいは”最終的に求める事柄”の言葉 (大谷翔平のマンダラチャートの場合は”ドラ1、8球団”=8球団からドラフト1位指名獲得)などを決めて入れるだけで、残りのマスには”関連する事柄”として思いつく言葉を自由に入れる(当てはめる)ことで完了しますが・・

    「マンダラスゴロク」は、ど真ん中のマス目に”目的や求める事柄を入れる”のはマンダラチャートと同じなのですが、全体を構成するのは全25マスであり、各マスは並び方に意味や方向性をもつように配する点が異なるところ。

    これをやや具体的に説明するために、石井氏の数ある著作の中の一つである「脳の道具 マンダラスゴロク」(文芸社 2017年12月発行)の裏表紙(カバー)にある”カラー表示のマンダラスゴロク模式図”を利用させてもらいますと・・
    isiis-book (2)

    ↓マンダラスゴロク模式図
    m-sugoroku-clr

    ・模式図中で黄色の表記が縦軸と横軸 (数学ではY軸とX軸)

    ・縦軸の上側半分を”北軸”、下側半分を”南軸”、横軸の右半分を”東軸”、左半分を”西軸”と(石井氏は)便宜上名付けている。

    ・縦軸と横軸の交差によってできる四つの空間は、右上赤マス部分を第1象限、左上緑マス部分を第2象限、左下オレンジ色マス部分を第3象限、右下紫マス部分を第4象限と呼ぶ(これは数学における象限と同じ)

    ・北軸、南軸、東軸、西軸それぞれのアタマの黄色丸部分には各軸の意味を代表する事柄を配する(記入する)。なお南北軸、東西軸のアタマには”二項対峙”する事柄(高い/低い、早い/遅いなど)があたるとは限らないことも多い。

    ・各象限の4つのマスそれぞれの意味合いは自ずと決まってくる。第1象限を例にすれば、北軸に近い左赤マスの意味合いは、東軸の意味合いにも関係しながらしかし北軸の意味合い寄りになる・・ということになる。これはいわゆるマトリックス図法の場合の”行”と”列”の関係に通じるもの。

    マンダラスゴロクを実際に使った例は、石井氏の著作「脳の道具 マンダラスゴロク」に多数掲載されていますので、ご興味ある方は参照下さい。私が30年ほど前にマンダラスゴロクを応用して(基本形とは若干異なりますが)作成したものをご紹介してみます。↓ これは”感動をよぶ商品(モノあるいはコト)を生むために(当時)必要な方向性の抽出”を試みたものです。

    kandou-mandara

    ここでは縦軸、横軸の両端に二項対峙的な言葉を置いていますが、その理由は”感動”というものが”ウェーバー・フェフィナー(フェフィネル)の法則”によって、人間の心と体が”緊張と解放”の間、”能動と静動”の間を行ったり来たりすることによって生まれる、または持続するから。

    実際にはこの図の中の大きな矢印方向にあたる四つの”重視”策それぞれをまたさらにマンダラスゴロク化(または後述します「デザインスゴロク」化)して、より具体的な必要素を抽出していきます。

    ◎「デザインスゴロク」
    この手法は故・池辺陽(いけべきよし:建築家・東京大学生産技術研究所建築学教授)氏が考案して1965年頃には発表されていたようです。・・というわけで今般、私がご紹介した手法3種の中ではこの「デザインスゴロク」が最古であり、次に「マンダラスゴロク」その後「マンダラチャート」という発生順になります。

    デザインスゴロク手法では、10個のマス(四角または丸など)とその中に入るべき事柄(必要素)をあらわす言葉によって構成され、場合によっては全体を表すキーワードをベースに加えて(下図中のグレー部分)計11の事柄で表すもの。

    ↓「デザインンスゴロク」模式図 
    (「MONOist」のHPより引用)
    design-sugoroku2
    池辺氏が実際に”建築デザイン・設計における考慮すべき点”を自らデザインンスゴロクで表現されていて、「目的」、「生活様式」、「組立方式」、「美的条件」、「コスト」、「環境」、「機能」、「材料」、「流通」の9つの言葉をマスに置き、真ん中のマスには(これら9つの要素を十分考慮するのが必須として)「標準」という言葉を置いて計10個のマスを満たしたカタチで発表。

    氏いわく、「このデザインンスゴロク上のどのマスから着手してもよいが、全てのマスを通過しなければ(センターの)”上がり”にはならない」・・どうやらこれが”スゴロク”と称する所以のようです。
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    なお、先回から続けてご紹介した手法の3種とも"先ずど真ん中に目標事項や究極的に求める事項あるいは大代表的事項など"を置いて(記入して)から周囲のマスの中に入るべき事項を抽出して置いていくことが多いのですが、逆順のこともあり、先に周囲のマスを埋めた事項群から導かれて、ど真ん中のマスに入る事項(言葉)が決まることもあります。
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    以上、「マンダラチャート」、「マンダラスゴロク」、「デザインスゴロク」の三つの手法を紹介しましたが、最も利用されているのは(歴史もあるせいか)「デザインスゴロク」で、最も”頭をしぼる”必用があるのは「マンダラスゴロク」でしょう。
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    先々回のブログで、大谷翔平が”目標に達するための方策と手段”を考えるためにマンダラチャートという図表を使っていたことに触れましたが・・

    大谷作成のマンダラチャート図
    ohtani-mandara (2)

    似たような手法は他にもあるので、いくつか紹介します。その中には私も仕事の中で実際に使ってきたものもあります。

    まず今回は「マンダラチャート」についてもう少し詳しく・・その前に、「マンダラ」について・・

    ◎「マンダラ」は「曼荼羅」(まんだら)
    ここでちょっとご注意 !「曼荼羅」の真ん中の文字は「茶」(英語のTEA)ではなく、草かんむりの下は「余」なので念のため。私も最初は間違えました。(他に「曼陀羅」という表現もあり)

    「曼荼羅」という言葉は”本質・真髄を有するもの”という意味だそうで、仏教の一派である密教も大きくみれば大乗仏教という”衆生を護り、救う性格”を持っているものの、その経典には難解な文言が多く、しかも何やら秘密っぽい加持祈祷を重視するなど理解しにくい面があるために、教義の本質・真髄を踏まえながら”密教における世界観”を少しでも分かりやすいように”見える化”をしたものが「曼荼羅図」。

    ◎「胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」と「金剛界(こんごうかい)曼荼羅」
    密教の源流は7~8世紀のインドで発生した「大日経」と「金剛頂経」という二つの宗派にあるとされ、双方とも本尊を大日如来とする共通点はあるものの、相違あり、それがその状態のまま中国に伝わっていたが、その中国へ日本から留学していた空海が帰国するにあたって空海の師匠が、この二つの宗派の難解な教義と世界観をそれぞれ見える化した曼荼羅図を(絵師に描かせて)作ったものを空海に持たせたのが「胎蔵界曼荼羅」図と「金剛界曼荼羅」図で、この二種セットで「両界曼荼羅」図と称する。(それぞれ「図」は省略された表現が多い)

    かくして密教は日本においては空海(弘法大師)が真言宗として広め、そのためには両界曼荼羅も利用した。現在では空海が持ち帰った曼荼羅図は無いが、その模倣やアレンジしたものが真言宗の発展と共に作られて多数存在する。

    ※ここで後述部分のご参考までに・・仏教の世界において人のような姿で現すのは、上位から「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」の4種のみ。

    「胎蔵界曼荼羅」は「大日経」に基づいたものであり、”真理を実践的側面や現象世界のものとして捉えている”のだそうで、”大日如来の悟りと慈悲と智慧の世界を表したもの”とも言われる。

    中心部には大日如来を囲んで4体の如来と4体の菩薩の計9体が座しており(下図右の9マス)、その周りに二重、三重に明王や天が取り巻いている。
    .
    ↓「胎蔵界曼荼羅」図の例 (右は中心部の9体の名)(図はWikipediaより)
    taizoukai

    「金剛界曼荼羅」
    は「金剛頂経」に基づいたものであり、”真理を論理的側面や精神世界のものとして捉え、
    大日如来の悟りを開くための方法を説いたもの・・と言われる。.

    大きく見ると9個のマスが存在して、さらに各マスの中にも9個のマスが存在する。

    ↓「金剛界曼荼羅」図 (大きな9マスには各々名称がある) (図はWikipediaより)
    kongoukai

    ここまで述べますと・・大谷翔平のマンダラチャートを一度でもご覧になった方はピンとくるはず・・
    そうです!彼の作成したチャートは金剛界曼荼羅図の構成とよく似ているのです。

    ↓大谷翔平が高校1年時に作成したマンダラチャート
    (再掲)
    ohtani-mandara (2)

    ◎「マンダラチャート」とは
    ”人生とビジネスを豊かにするために、ブッダの知恵を元にした思考法と曼荼羅図を元にした(←開発者の言)”中心核を持つ3x3または9X9のフレーム(マス)を使うことによって”求めたい事や知りたい事などが視覚化(見える化)”されてよく分かるようになるという手法となり、事業計画、人生設計、新商品開発などに適用できるとして、このフレームを「マンダラチャート」と名付けてそれを利用する手法を松村寧雄氏((株)クローバ経営研究所 社長)が1979年に開発して提唱したもの。

    ↓「マンダラチャート」(9X9)基本図(マンダラチャート協会のHPより)
    chart99

    この「マンダラチャート」手法は難しい決まりは無く、使い方は大谷翔平の作成した「マンダラチャート」を見れば説明は不要なほど簡単。ただし上図の”中心部の8色の丸=外周部の8色の丸”の中身に当たる言葉を考え、探し、見つかりにくい場合はなんとか絞り出すこと、その後8X8=64のマス目を言葉で埋める場合も同様の作業が必要ですが、達成すれば”目的・目標とそれを実現するための方法・手段”あるいは”大きな事柄を構成する諸要素は何なのか”あるいは”大問題の要因や解決要素”などが明確に見えるようになる。

    「マンダラチャート」手法の普及を目指して「一般社団法人マンダラチャート協会」が立ち上げられて、「マンダラチャート」は商標登録されています。この協会は多様なプロモーションを展開して、チャートの使いこなし講習会なども行っている。

    マンダラチャート協会のホームページ・・・
    https://mandalachart.com/

    お気づきのように、マンダラチャートのマス目は、大きな四角の中に縦に8本の線、横に8本の線を引くだけで作れますから自分でも簡単に描けます。しかし、これをいつでもどこでも頻繁に使う人などに向けて・・

    (株)クローバ経営研究所からはマンダラチャート用のマス目があらかじめ印刷された「マンダラノート」という商品シリーズが販売されています。

    ↓「マンダラノート」の1例 (A5サイズ版 1センチ厚 6050円)
    mandara-note2
    ↓「マンダラノート」の中身の例
    mandara-note1 (2)

    また「マンダラチャート」と同様の「9マス ノート」使用の手法用に「M9note」シリーズというものも(株)日本写真企画から販売されている。

    ↓「M9note」シリーズの例 (A5版 1400円/ A4版 2400円)
    m9note1
    ↓中身例
    m9note4 (2)
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    次回も曼荼羅(マンダラ)やスゴロクに関連した”思考手法”などについてです。

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    5月5日は「子供の日」またの名は「端午の節句」・・というわけで、空に泳ぐ鯉のぼりを眺め、しょうぶ湯に浸かり、”柏餅”や”ちまき”などを食べる慣習がありますが・・

    tangonosekku

    ◎「柏餅」の「柏」は本当は「槲」
    いわゆる「柏餅」に使われている「カシワ」は「槲」の文字が正しいのですが「柏」が通用してしまっているもので、「柏」は本来「コノテガシワ」という別種を表す文字。

    一般的な柏餅に使われるカシワの葉↓
    kasiwanoha

    カシワの葉が使われる理由は・・カシワの葉は枯れても次の年に新芽が出揃うまでは落葉しないため、「家系が絶えない」「子孫繁栄」など縁起が良いとされたから。

    しかし”端午の節句に食べる(柏餅に当たる)お菓子”は地方によって、使われる葉や呼び名などが異なる。

    それを知ったきっかけは・・今から半世紀以上前のある年の端午の節句の日、私が柏餅を食べている時に、居合わせていた祖母(母方)が、「私が子供の頃は、端午の節句には『がめの葉』というもので包んだ餅を食べたものよ」と教えてくれたからで、祖母は現在の福岡県宗像市で生まれ育った人だから、私は、九州の福岡県では”ちがう習慣”なのだと理解し、後年調べてみたら・・

    ◎「サルトリイバラ」のことを福岡県北部では「がめ」と言う
    “がめの葉”の”がめ”とは「サルトリイバラ」のことで、別名サンキライ(山帰来)、ガンタチイバラ、カカラなどという、サルトリイバラ科のつる性多年生植物で”つる”にトゲがある 秋に赤く丸い小さな実がなる。分布は日本全国、中国、朝鮮半島。

    ↓サルトリイバラ(葉と茎とトゲ)/右写真は葉の裏  (「庭木図鑑 植木ペディア」より引用)
    sankirai-leaf
    「がめの葉」という所以は、葉の形と葉脈が亀の甲羅に似ているから。

    ↓サルトリイバラの葉でつつんだ(挟んだ)饅頭(写真は中村学園大学 栄養科学部HPより)
    gamenoha-moti

    ◎「サルトリイバラ」の葉使う餅(又は饅頭、団子)は近畿、四国、九州にある
    「サルトリイバラ」は「がめ」の他にも地方によって異称があり、そのためにその葉を使った餅または饅頭、団子の名前もちがっている。

    ・福岡県北部・・異称は「がめ」  →「がめの葉」を使った「がめの葉餅

    ・鹿児島県・・・異称は「かからん」→「かからん葉」を使った「かからん団子」

    ・長崎県・・・・異称は「かから」 →「かからの葉」を使った「かから団子」

    ・三重県・・・・異称は「いばら」 →「いばらの葉」を使った「いばら餅」

    ・徳島県・和歌山県・・異称は「いばら」 →「いばらの葉」を使った「ばら巻き」、「いばら饅頭」

    ・高知県・・異称があるか不明だが→「サルトリイバラの葉」を使った「しば餅」

    ・紀伊/四国/南九州・・「異称各種?のサルトリイバラの葉」を使って「五郎四郎餅」と称する地もある

    ・九州の一部地域・・「サルトリイバラの葉」を「だんごっぱ」と言う


    ↓鹿児島県・屋久島の「かからん団子」(日本テレビ系「遠くへ行きたい」2020年放送より)
    包んでいる「かからん葉」を開いた状態。中身の餅が黒っぽいのは、湯がいたヨモギをミキサーにかけたものに黒糖を加えて上新粉と白玉粉でこねて蒸したものだから。(食すのは端午の節句だけではない)
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    ↓かからん団子を(俳優の松尾諭が)手に持っているところと食べているところ
    kakaran-eating

    ◎なぜ西日本ではサルトリイバラの葉なのか?
    カシワもサルトリイバラも双方とも北海道から九州まで分布していることになっているが、カシワはどちらかと言えば寒冷地を好むため、西日本ではカシワの自生数が少ないことと、もともとサルトリイバラの地下茎は腫物、ニキビなどに効き、葉は風邪の解熱、膀胱炎など効くという効能もあってサルトリイバラの葉が使われるようになった。

    ※実は、このブログにちなんで、千葉県でもサルトリイバラが生えていないものか探し歩いたところ、見つけたので西日本でなくても存在していることが確認できましたが、それでもカシワの葉を使った柏餅しか在りません。

    ↓千葉県で見つけたサルトリイバラ(4mくらいの高さの場所にあるのでズーム写真がボケています)
    tiba-sankirai


    ◎柏餅の関西と関東のちがいは?
    関西・・餅の形が丸く、葉っぱをとれば大福餅のようなカタチ。材料は白玉粉がメイン。
    nisi-kasiwamoti
    (↑「七條甘春堂」のHPより)

    関東・・餅の形はやや平たく、言わばあんこを包んだクレープに近いカタチ。材料は上新粉がメイン。
    east-kasiwamoti
    (↑「湘南菓庵 三鈴」のHPより)

    ◎関西の端午の節句は「ちまき」が多い
    今回のブログの冒頭のイラストで皿の上に柏餅と並んだ「ちまき」。端午の節句にちまきを食べるのは関西が多いのですが、東北、北陸、中国地方も食べるそうで、岡山県ではちまきと柏餅の両方が存在しているとのこと。

    「ちまき」は古代中国の楚の詩人・政治家の「屈原」の命日にあたる5月5日に供養のために備えたのが始まりだそうで、それが日本に伝わって平安時代には普及したとされるが、当時の中国文化の受け皿は奈良・京都であったため関西文化として定着したものの、それが関東などへは'(いわゆる)"下(くだ)らなかった"ものであろう。

    ◎鹿児島県の「あくまき」
    端午の節句に特に鹿児島県で食べられる「あくまき」。”あく”は”灰汁”のことであり、文字通り(木材などを焼いて作った)灰を溶かした水に”もち米”を浸した後、孟宗竹の皮に包んで再び灰汁水で煮込んで作る。
    ↓「あくまき」(きな粉をまぶした状態)(画像は農林水産省のHPより)
    akumaki

    アルカリ性である灰汁はもち米を軟らかくする上に殺菌性があり、保存がきくので、元々は昔の戦の際に食べられていたこともあって、端午の節句に関係付けられるようになったとされる。

    「あくまき」は時に「ちまき」とも呼ばれるように、中国伝来のちまきが鹿児島に伝わってきて、この土地ならではのカタチに変化したもの・・という理由は・・なにしろ鹿児島県は竹林面積が日本一で日本の全竹林の1割以上を占めるほど竹豊富。ならば竹の葉よりも”巾が広くて強い竹皮”を使うべし‥と言うことになったのだろう。竹皮も殺菌力があるし!

    「あくまき」の良さが伝わり、宮崎県や熊本県の人吉、球磨地方でも食べられるとのこと。
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    ◎「大谷マンダラチャート」とは
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    (株式会社コーセーのHPより)

    今の大谷翔平を形成した原点となったと話題の「大谷マンダラチャート」は彼が花巻東高校の1年生の時の2010年12月4日に、当時の究極目標である”プロ野球8球団からドラフト1位指名されること”と、それを”実現するための必要な8つの大項目”さらに”その大項目ごとに必要な8つの小項目(つまり小項目総数は8X8の64)”を網羅してチャート(図表)化して作製したもので、これにより目標とそのための手段や方法が(今で言う)「見える化」されている。↓.下図参照下さい。

    野球人としての必須項目は勿論として、注目されるのは”今の大谷の人物評”として高評価要素となる、”ゴミ拾い”、”道具を大切に使う”、”思いやり”、”礼儀”などを当時からあげてそれを28才の現在までも守って.いること。

    (図中左上の”体づくり”の「FSQ90kg」「RSQ(BSQ)130kg」はいずれもバーベルをスクワット状態で持ち上げるもので、FSQは顎の下位置まで90kg、RSQは肩に背負って130kgを持ち上げるという目標)
    ↓「大谷マンダラチャート」 (クリックで拡大)
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    ※「マンダラチャート」という方式そのものと関連事項については後日 紹介します。

    ◎大谷翔平の読書大切志向
    前述のように大谷が高校1年時に作製した「マンダラチャート」中の小項目の一つに”本を読む”があげられ、実行されていて、大谷いわく『一回読んだだけで得られるものは30~40%。何回も読むことでもっと違う捉え方ができる』

    前回のブログの最後尾に次回予告として”大谷翔平の愛読書”のとりあげを記して発信した翌朝に、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で大谷翔平の愛読書が紹介されてしまったようなので、今回はその一部内容も引用させてもらいます。(以下文中『』内が引用部分)

    ◎愛読書(1)中村天風著「運命を拓く」
    著者の中村天風(1876=明治9年~1968=昭和43年)は波乱万丈な人生経験があり、日清・日露の戦時には日本軍の諜報員をしたその後、当時は”死の病” だった結核にかかったものの当時の日本の医療では治らず、救いを求めて海外を巡り著名な医者や宗教家などに頼ったが結果は芳しくなく、最後にエジプトで出会ったヨガの達人に指示をされてヒマラヤの麓で修行して結核は治癒。その後、孫文とも友人となり、中華民国最高顧問の称号も得ている。後年、自分の経験と思索で得た”天風哲学”を世間に広く説法する.ことに専念し、各地で講演や本の執筆もした。

    その本の一つが「運命を拓く」(講談社文庫)である。↓
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    この本の内容を極言すれば「何事も消極的にならずに積極的に生きるべし」というものだが、もう少し理解するためにテレビ朝日の(京都大学出身ながら問題発言多発で有名な?)玉川徹氏が『中村天風財団の村里泰由理事を取材。著者が唱えた消極的でなく「積極的に生きる」とは、と問うたところ村里氏は・・
    「一升瓶にお酒が半分入っている。Aは“半分しかない”と思い、Bは“まだ半分残っている”と思う。Aは積極にはなり得ない。心の持ち方ひとつで、不平不満コースに行く人、幸せコースに行く人がいる。入ってくるマイナスをプラスに変えていこうという感情が、すべてのものをコントロールする。積極につながる一番の近道だという答えを出している」と語った。

    実はこの本を私は未読なので今年3月中旬に大型書店に行って探しても見つからず、店員に問うと「現在、在庫切れです」という答えだった。

    この状況を招いているのは”大谷翔平が渡米前に熟読していた本.”と紹介されると同時に、著者の中村天風に教えを乞うた人が多く、その中には著名な企業経営者の松下幸之助、稲森和夫らの他、東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、王貞治、広岡達朗たちの名があげられていることも影響しているだろう。

    ◎愛読書(2)アンドリュー・カーネギー著「富の福音」

    この本も大谷が日本ハム選手時代によく読んだそうで、米国の鉄鋼王と呼ばれる大富豪になったカーネギーの”富の社会への還元の仕方”などが(恐縮ながらこの本も未読なので)語られているようだが、大谷に参考になったのは”常にデータを基本に未来を想像して行動する”という内容の部分ではないかと言われる。
    この本におさめられているか否かは分からないですが、カーネギー氏の人生訓のような言葉は大量に在り、例えば・・
    「賢い人は徹底的に楽天家である」
    「成功の秘訣は、いかなる職業にあってもその第一人者たることを期することである」
    「笑い声の無いところに成功は無い」
    「財産よりももっと尊いものは明るい性格だ」
    ・・・これらは今の大谷が実践しているように思える。

    ・・・・・・・・・・・・

    余禄(1)「靴のセールスマンがアフリカに行った例え話」
    前述の「一升瓶にお酒が半分・・」の例え話にはピンときた方も多いのでは?・・
    これに似た”よく知られた例え話”があり、それは・・

    「靴メーカーA社とB社のセールスマンがアフリカに行ってみたら現地の人たちは裸足で誰も靴を履いていないことが分かったので二人ともすぐさま本社に次のように報告。 A社セールスマンは『ここでは靴を吐く習慣が無いから靴は売れません』 B社セールスマンは『ここでは誰も靴を履いていないので、至急ありったけの靴を送ってください。この人たち皆が靴を買ってくれたら大きな市場になります』。このように消極的思考・行動と積極的思考・行動では大きな差ができる」

    余禄(2)「稲盛和夫氏の別の顔」
    中村天風の教えを受けた稲盛和夫(1932~2022年)氏は京セラや第二電電を創業しJALを再建するなど産業界に大きく貢献して、その経営哲学や手法について教えを請われることが多かったので「稲盛塾」を作ったほどだった。

    実務においては”天風哲学”継承の結果であろう積極的姿勢が強力に発揮されていたようで、それを物語る.エピソードを、私の高校時代のクラスメートでかつて「日本ガイシ」(根幹技術が陶磁器という点で「京セラ」と競合関係の企業.)に勤務したS.T氏がこう語る・・

    「日本ガイシでは今から30年ほど前から電力、自動車産業以外への展開を狙い半導体製造装置分野で使われるセラミックスの研究をしていました。

    あのころ開発した半導体製造装置用セラミックス製品が今や世界一のシェアを獲得する事業にまで成長し、ガイシや自動車用セラミックス製品が消えた後の会社の利益を支える製品として期待されているようで感慨深いものがあります。 

    この半導体製造用セラミックスの分野でも京セラとは熾烈な競争を繰り広げました。京セラを創業し最近亡くなった稲盛さんは倒産したJALを立て直すなど、仏のような経営者と言われていますが敵に廻すと本当に手ごわい相手でした。そこまでやるかというブラックな営業、特許戦略手法も繰り出し、日本ガイシ社員はほとほと嫌になりました。

    しかし、嫌いであった稲盛さんも今思えば何も無いところから結果を出す実行力のある尊敬すべき偉大な経営者ですね。

    イーロンマスクのようなイノベーション力で日本を3等国から再浮上させるために、稲盛さんのような実行力のある人が何十人も輩出することを期待したいです。」
    ・・・・・・・・・・・

    宮沢賢治、石川啄木とともに岩手県生まれの3大有名人?の一人である大谷翔平は今や世界的存在。彼は1994(平成6)年7月5日生まれ 身長193cm 体重95.3kg
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    ◎誤解を招くおそれある大谷評も良く読めば・・
    あれは、大谷がメジャーリーグに行く直前頃だったから、今から5年前の2018年の初めのこと、東京・六本木のある寿司店のお客さんの一人(大谷の近くに居て彼をよく知る人物)が「大谷翔平は我(が)を通すので一筋縄では動かないオトコですよ」というようなことを言っていたと、私はこの店の寿司職人をしているという人から聞いた。

    「我(が)」とは(広辞苑によれば)「思う所を言いはって、人の言に従わぬこと」とある。

    私はそれ以後、大谷に対して若干のマイナスイメージを抱いていた。

    そして今年、WBCで侍ジャパンが頂点に立ち、大谷の活躍とともに彼の言動についてのコメントも多く紹介され、大半が賞賛する内容なのだが中には”言葉だけを聞くと、大谷のネガティブな面の紹介と誤解されるような例”がいくつかみられた。例えば・・

    栗山監督はWBCの決勝戦で大谷翔平を起用するにあたって次のように述べている・・「翔平はどっちかとうというと”天邪鬼(あまのじゃく)系”なので、私から『こうしようよ』とは言わずに、彼のほうから(登板準備OKですよと)言ってくるのをずっと待っていました」

    同じくWBCで不動の2番だった近藤健介(ソフトバンク外野手)は以前に所属した日本ハムファイターズで同僚だった大谷の1年先輩として、『WBC大会前から彼を評して「生意気ですね」と言い、大会後も印象は変わらず「生意気ですね。日本にいる時と変わっていないです」と笑顔で語った。もちろん大谷のことを知り、リスペクトするからこその表現だろう。(その証拠に)近藤は「大谷とは久々にチームメートとなったが、本当に想像の10倍すごかった」と印象を振り返った』(『』内はルポライターの竹村岳 氏による)

    ※ただし上記の「生意気」という言葉を使った表現部分は(さすがに誤解を招くと考えられたようで)ネット上ですぐに削除された。私は幸運?にも削除前の文章を記録していたので、ここでご紹介できる次第。

    あるNPB(日本野球機構)関係者は「大谷の日本ハム時代は唯我独尊タイプで、グラウンドでは他を寄せ付けないオーラを放っていました.」.と言う。

    なぜこのような大谷評がでるのか? それは彼が野球人としての高い目標を設定して、それを実現するための手段・方法の実行に邁進しているからこそ、「それを無理だと思わないことが一番大事だと思います。無理だと思ったら終わりです」という言葉に表われた彼の心構えに対してそれが誰であれ他人による指示や助言が彼の意にそぐわなければ妥協しないからでしょう。

    大谷を本当によく知る人たちの大谷評は、一見、一聴では誤解される恐れがあるものの、よく読むとそれは大谷を肯定し、能力を認め、リスペクトの成分を含んでいることがわかる。

    そうした背景には、大谷が既に(どこかの首相ではないが)異次元の領域に達しているからであろうことは、かつては彼を指導したり、先輩だった人たちの次のような言葉に表われている・・
    大谷の花巻東高校時代の野球部の監督の佐々木洋氏が「最近、彼にバッティング技術について質問したが難しい説明でもう私にはわからない内容だった」と述べ、

    前出の近藤健介選手もWBC開催中に『大谷と打撃理論について意見を交わしたというが「規格外すぎて参考にならない。よくわからないことを言っていました」と苦笑い』(『』内はルポライターの竹村岳 氏による)

    ◎大谷は生来の完全主義者!?
    こうした今の大谷翔平という人間をつくった要素は何かと言えば、根本は彼自身の頭脳と肉体にあるのだがその使い方が“彼が信条とする「楽しむ前に正しいことをする」”の実践を完璧に行うことに向けられている。彼にとっての「正しいこと」とは倫理的に正しいことばかりではなく、目標実現のための正しい手段、方法でもある。この”正しいこと”の追求イコール完璧さの追求になっている。ゆえに彼は野球につながることがないモノには”興味を示すという(彼にとっては)ムダなこと”をしないことにもなっている。
    大谷の完璧さを求める心は既に子供の頃から発現していて、大谷の母である加代子さんは語る・・「あの子が幼稚園か小学校に上がったばかりの頃、好きだったハリーポッターのキャラクターが描かれた表紙のノートがあったんですけど、なぜか買った当初からその絵の一部の印刷がはがれていたので、翔平はそれが気になってしょうがなくて自分でその分部に色を塗っているんですが、思い通りにいかないどころかさらにおかしくなってしまい、泣いて自分で怒ったことがあります」 また・・

    「翔平が気に入っていた絵本がある時、端っこが少し折れていたので『誰が折ったんだ!』と怒っていました」

    ◎完璧を求め徹底した行動の色々
    《筋力増強》 
    ・500ポンド(226.8kg)のバーベルを“涼しい顔で”腰のあたりまで持ち上げる姿を先日のテレビで観ましたが、専門家は優秀なボディービルダーでもこの重さを持ち上げられる者はめったにいないと評していた。

    ↓腕の筋肉がよくわかる写真 (「Getty images」より引用)
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    ・日増しに筋肉が増大するので、寝具を提供する「西川(株)」は大谷の身体測定を年間に何回も行って最適状態になるように”大谷選手用の寝具”を常に修正している。
    身体測定の様子 (以下写真5枚はテレビ番組「ミヤネ屋」より)
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    ・打撃用の筋力が十分な域に達した現在、使用するバットの製作社(アシックス)に向けて大谷が発した言葉は、「飛距離は問題ないから、あとはもう少し(球との)コンタクト性を増やしたい」。
    その結果、大谷用バットは”一般用と比べて太い部分が多い”形となっている。

    《睡眠重視》
    「趣味は睡眠」「睡眠はリカバリーのため」と宣言するほどの大谷は睡眠の量とともに質も重要視するので・・
    ・睡眠時間は通常でも10時間以上が多く、シーズンオフは10時間睡眠をとった後のトレーニング後に昼寝2時間の計12時間で、1日の半分は寝ている。(大谷は小学生の頃から夜9時就寝、朝7時起床で10時間寝ていた)

    ・寝具も重要視して西川(株)で、体形測定、仰向けと横向きの寝方の両方対応のマットと枕の設計(大谷は頭に対して肩幅が大きいので難題。枕には標準の2倍の量の”詰め物”で大きくパンパンとのこと)
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    ・本拠地以外への移動時にも”専用枕”を持ち歩く。↓
    (大谷のインスタグラムからの孫引用..)
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    《食材重視》
    全ては体調をベストに、筋肉増強のために食事する。WBC開催中に大勢投手は大谷の様子を見ていて「おいしいものを食べるのではなく、自分のためになるものを食べていた」と証言している。
    それは管理栄養士に相談し、指導を受けているからで・・

    ・血液検査をした結果に基づいて、自分が食べなければいけないもの、食べていいものといけないものを決めている。・・その結果、嫌いだったトマトも食べるようになった。

    ・良質のたんぱく質摂取も重視する結果、肉類は”部位”を選び、『牛肉はフィレ、鶏肉はササミ、魚はサーモンか白身魚、ビタミンCは野菜からとる』(『』内はスポーツジャーナリスト古内義明氏談)
    トンカツは衣をはがして食べる。WBC開催中は毎食時にゆで卵3個を食べていた。(一時、意識的に”卵絶ち”したという情報もあるが・・)

    ・シビアな食材選択なので、自炊が多く、得意はパエリア。

    ・本拠地(ロスアンジェルス)でやむなく食べ物をデリバリーしてもらう際にも配達時刻を指定している。現地の和食店「鮨処 古都」のオーナーシェフ松木保雄氏は「大谷選手がピッチャーとして登板する場合は3時間前、登板しない場合は2時間前にもっていきました」と言う。
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    大谷の注文で多いのは「穴子丼」
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    《用具のこだわり》
    ・バットに関しては前述のように、グリップ部分から先すぐに太くなっていて球が当たる確率を高くしている。普通のバットはグリップ部分から先端に向けて徐々に太くなり”寸胴”部分は少なく、選手はバットの遠心力を利用して振るのだが、大谷は遠心力など利用しなくてもよいパワーがあるから、従来型バットは必要ないのだ。
    変更バット (以下写真4枚はテレビ番組「中山のイチバン」より)
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    ・スパイクシューズの金属スパイクを靴裏面から直接スッと飛び出させる形にした。従来品は靴裏面から突起部分(土台)をつくり、それに金属スパイクの根元が埋め込まれた形状になっているが、その突起部分があるために、大谷いわく「”立ち感”が悪い」のだそうで、この突起部分が無ければ足裏の力が地面に伝わりやすくなるという理由。

    スパイクの土台部分を無くした
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    ・グローブは機能的には不具合はないが、全体の形状は通常より大きくしている。理由は2塁走者から大谷のグローブの中の球の握り方(つまり球種)を盗み読まれないため。
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    ・手袋は、装着して手首を締めるための”マジックテープ”が付いたベロ部分の付け根が親指側にあるカタチにした。通常のようにベロ付け根が小指側にあると、バットを握った場合に小指側に隙間ができてしまって”大切な小指の力”が入らなくなるからという理由。
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    ※以上の用具改良は昨季までは日本の「アシックス」が担当していたが、今期からドイツの「ニューバランス」に変わったようだが用具はどうなるのだろうか?

    そしてメジャーリーグの中での行動において、意志や情報が間違いなく送受できるように優秀な通訳・水原一平氏を常に伴うのは、これも完璧さを求めるがゆえであることは言うまでもない。
    ・・・・・・・・・・・・
    大谷を形成する原点のようなものが彼の高校1年生の時に作製したある図表にあることと、これに関連した別の図表について、それに渡米前に読み込んだ本に関連したお話は次回にいたします
    ・・・・・・・・・・・・


    ※前回の”円周率に関するちょっとした間違い情報”に続いて今回はトランジスタテレビに関してです。

    今や、わざわざ「トランジスタを使用したテレビ」なんてメーカーは言いませんが、世の中にテレビが登場してしばらくは、その中身に真空管が使われていたところに、今から60余年前、その真空管に代わってトランジスタというものが使われだしました。その結果、テレビは一気に小型・軽量・省電力で熱もあまり出ないものになりました。

    そのトランジスタ化したテレビの登場にかかわるちょっとした誤報を、ご紹介します。

    ◎某「デザイン評論家」氏の間違い
    氏は30冊以上の著作物がありますが、昭和60年代末頃に出版されたある本の中で、近代デザインの流れを紹介している分部があり、事例の一つとして「最初のトランジスタテレビ」をとりあげて、その写真も添えているのですが、これが間違っているのです!

    何が間違っているのか・・それは掲載写真がソニーの「マイクロテレビTV5-303」型のものだったからで、このテレビはソニーのトランジスタテレビとしては2番目のもので発売は1962(昭和37)年。
    ソニーのトランジスタテレビ第2弾TV5-303
    tv5-303

    最初の機種はそれより2年前の1960(昭和35)年に登場した「TV8-301」だったのです。
    寸法:縦18、巾20、奥行21.5センチ/重量6キログラム   
    ソニー初のトランジスタテレビTV8-301 
    tv8-301
    ・・というわけで、著名な評論家の著作本ゆえに、これを信じた人が多いでしょうが、その後何らかの方法で訂正されたのでしょうか?

    ※↓当時使われていた”ソニーのトランジスタの形状”
    sound-tenji-b (5)
    右から2番目の最小のもので黒い本体部の直径5.5ミリ、高さ8.6ミリ

    さて、ここで初期のトランジスタテレビについては誤解をまねく状況があったので、結果として誤報が生まれたことなどを紹介しましょう。

    ◎世界初のトランジスタテレビは「モトローラ」社が発売
    発売は1958年。「モトローラ」社は米国の電気メーカーで現在はレノボ傘下になってスマホを製造していますが、昔はテレビやトランシーバ、そして世界初の携帯電話を作り出した企業。ついでながら、昨年まで私のパソコンへつないでいたルーターもモトローラ製でした。残念ながらその世界初のトランジスタテレビの姿や詳細が私には見つかりません。

    ◎世界で2番目のトランジスタテレビは「フィルコ」社が発売
    発売は1959年。「フィルコ」社は自動車のFORDの子会社としての電気メーカーだったが、現在は英国のブリタニア社に買収されてスマホなどを生産している。この会社のトランジスタテレビ「H2010」は当時の日本でも注目されて、電気・電子関係の雑誌にはその詳細仕様とともに回路図まで紹介されていた。(回路図に興味ある方は、当編の後部に掲載しましたのでご覧ください)

    画面方式はブラウン管を本体内で縦に配置して、天を向いている2インチ画面をミラー(マジックミラー使用という説明もある)反射させると同時に拡大させて前面から見えるようにしたもの。

    寸法:縦42、巾21、奥行15センチ/重量:7キログラム/全面レザー張り

    ↓ PHILCO H2010 ①左はミラーの様子がわかるもの、②真ん中はレザー張りがわかる、③右は実際の画像が見える状態
    philco-tv
    引用元:①「ラジオ少年の博物館」のブログ、②ヤフオク出品物、③「真空管テレビ工房」のHP)

    ◎「直視型」トランジスタテレビではソニーが世界初
    「直視型」とは、ブラウン管の画面が直接見られる、いわば一般的なものを言い、先述のフィルコ社のトランジスタテレビのようにミラーを使った反射映像を見るタイプに対する形式。

    それゆえに、(ネット上で散見されるような)ソニーのTV8-301型を単に「世界初のトランジスタテレビ」とする言は正確ではないことになる。ソニー自身も「直視型として世界最初」と表現している。

    ◎発売時に世界最小・最軽量だったソニーTV5-303型
    ソニーのTV5-303型の寸法は、縦11、巾19.4、奥行き18.6センチ/重量3.7キログラム。
    発売の1962年時点では世界最小・最軽量を誇った。

    ひょっとすると前出の評論家氏は”「世界最小」を「せかいさいしょ」と聞き間違えていた”のかもしれません。

    ◎初期のトランジスタテレビは真空管も使われていた
    「トランジスタテレビ」と称していたが、初期には日米のメーカーは例外なく真空管も混ぜて使っていて、今風に言えば「ハイブリッド」だった。ブラウン管も真空管の一種であるがこれは別として、当時はテレビ内部の”高圧電流の整流”用には2本または3本の真空管を使わざるをえなかった。(この稿の最後部に掲載の回路図参照ください) 後年、大電力用半導体の開発や回路設計の改良などで真空管は使われなくなりました。

    ・・というわけで、「オールトランジスタテレビ」という表現も昔はあったが、今なら誇大広告とされかねないので使われないでしょう。

    SONY CORPORATION OF AMERICAも、広告文の中で「ALL-TRANSISTORIZED」(全てトランジスタ化した)と表現してしまっていた。(下図の左側英文)
    sony-usa-cm
    (図は「廣田恵介」氏のツイッターより引用)


    余禄(1)「石」の呼称は「トランジスタ」か「トランジスター」か?
    トランジスタは日本では「石(いし/せき)」とも呼ばれ、例えばトランジスタを6個使ったラジオは「6石(せき)トランジスタラジオ」と称した。ソニーのTV5-303型テレビは25石を使っていた。

    トランジスタは日本に登場した当初からは「トランジスター」と語尾を延ばした表記がされていたが、その後(私は時期を把握できていないが)、「外来語をカタカナにした場合に3音以上になり、しかも語尾が延びる単語は、語尾の長音符号は省略する」という決まりができて、1960年台前半頃まではまだ「トランジスタ」と「トランジスター」の表記が併存していたものの、さらにその後は「トランジスタ」呼称のみとなった。
    しかし、2008年にJISの改定によって長音符合を付けた表記も認められたそうです。

    余禄(2)フィルコ社のユニークな真空管式テレビ
    フィルコ社はブラウン管部を独立させたユニークなデザインの機種をいくつか発売し、下の写真の他に四本脚を備えたものもあった。これらのテレビは当時の日本でも盛んに紹介されていた。
    PHILCOのユニークテレビ(「究極映像研究所」のブログより引用)
    philco-tube-tv

    余禄(3)ソニーTV5-303発売直後の電気雑誌グラビア記事
    (雑誌「電波技術」1962年6月号)
    sound-tenji-b (2)

    よく見るとテレビ画面のはめ込み合成と思われる写真には”プロ野球のジャイアンツの大スター背番号3の長嶋茂雄”選手の姿。(顔を見なくても私の年代ならこの姿だけで判断できる) 発売当時イコール長嶋選手活躍時代だったことがわかる。
    5-303nagasima

    そして下部の帯状広告には”テレビキット”の広告があり、これも当時はまだ”テレビはメーカー製品を買うよりも自分で製作する方が安い”時代だったこともわかる。
    tv-kit

    余禄(4)Appleのスマホは160億石?
    現在のアップルのスマホ「iPhone14Pro」にはトランジスタが約160億個使われているそうで、かつてのソニーのテレビ5-303は25個だったから、実に6億4千万倍にもなる!

    ・・・・・・・・・・・・
    以下は各社の初期のトランジスタテレビの回路図の紹介なので、ご興味無い方はスルーして下さい

    余禄(5)各社初期のトランジスタテレビ回路図
    昔はテレビ、ラジオ、アンプなどのメーカーは自社製品の回路図を公開していたので、電気関係雑誌社は出版月刊誌の中で回路図をよく掲載していたし、「○○回路集」の本も出版していた。

    《フィルコ「H2010」回路図》(クリックで拡大)
    回路図の中で”右下で縦に二つ並んでいる丸型の記号”が真空管。(つまり真空管は2本)
    (「ラジオ少年の博物館」のブログより引用)
    philco-circuit

    (以下、3件とも「実用トランジスター回路集」(誠分堂新光社「無線と実験」昭和38年6月号臨時増刊より)

    《ソニー「TV5-303」回路図》 (クリックで拡大)
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    上図右下部拡大図:真空管3本の記号(左の丸中に矢印あるのがトランジスタ)
    5-303tube3

    《ナショナル「T9-21R」回路図》(クリックで拡大)(真空管は3本)
    national

    《サンヨー「8-P3」回路図》(クリックで拡大)(真空管は2本)
    sanyo

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    3月14日は”3.14”の「円周率の日」なのだそうで、意図したわけでもなくたまたま今回のテーマにつながりました。

    世の中に存在する情報の中には、有益であるはずが、意図せずに有害または無益なものになっているケースが少なからずあります。この種の間違い情報の例として、「円周率」関連と「トランジスタテレビ」関連を主にとりあげて綴り始めたら、「円周率」関連だけで文章量が大きくなってしまったので、「トランジスタテレビ」関連は次回にまわします。・・まあ、実害は殆ど無いだろうから、どうでもよいような事ですが、間違いは正しておくべきでしょう。

    古くはアルキメデスが求めようとした円周率も、現代はコンピュータを使って昨2022年には「岩尾エマはるか」氏が遂に100兆桁の計算に成功しました。
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    (「マテマティカ」のサイトより引用) ※小数になおすと「3.1408…<円周率<3.1428…」

    コンピュータによる計算結果(数字)はそのまま電子的に記録され、その数字を何らかの媒体を使って”間違いはなくそのまま”表示できる現代ですが、昔は”手計算”だったり、計算結果を発表する際に”手作業による数字表記”なので、間違いが少なからず発生していて、その例が・・

    計算間違い
    円周率を語る際によく出る名前がウイリアム・シャンクスという英国のアマチュア数学者(1812※~1882年)で、趣味の一つとして円周率の計算をしていて1873年に707桁まで求めて発表した。

    ところが、計算途中にミスがあったために小数点下527桁までは正しいことが彼の死後に判明して
    528桁以下は徒労の産物となってしまった。 (※1812年はナポレオンがロシアの冬将軍に負けた年)

    ◎数字の表記間違い 
    (イ) 百科事典での間違い
    昔、「世界大百科事典」(平凡社)の円周率の項目の中で100桁の数字が掲載されていたが、その内の数字1字が間違っていた。(記憶薄れているが小数点下70~95桁の間の1字)

    それは私が中学生の時に学校の図書館の同書(発行年月日は記憶していない)の中で見つけた。当時私が円周率を115桁まで記憶していたために気が付いたもので、権威ある百科事典のことだから当然「私の方が記憶間違いか?」と疑ったものの、私の数字暗記の元ネタとなっていた「科学読売」(当時、「科学朝日」と双璧の雑誌)に掲載の”手書きの数字1035桁(だったか?)”で確認したが私は間違っていない。

    しかしその元ネタが間違っているかも知れないと思い、しばらく他の”円周率の表記例”を探していたところ、1987(昭和62)年3月12日、日本電気(NEC)が同社製のスーパーコンピュータで35時間かけて算出した1億3355万4千桁という当時世界最高記録の数字を新聞の紙面1ページをほぼ使って掲載したので、「これはコンピュータの計算結果をそのままプリントアウトしたものだろうから信用できる」と考えたので確認したところ私の記憶していた数字の方が合っていた。‥その後に平凡社の百科事典は訂正したのだろうか?私は確認していないが・・

    (ロ) インターネット閲覧ページ上での間違い
    現在、ネット上には多数の”円周率1000桁や500桁”の数字表が載っているので、全てを見られないのですが、少なくとも3件のページで互いに数字が相違する部分があります。

    私は現在、一応250桁まで覚えているので、その範囲でしか分かりませんが、3件とも小数点下150~250桁の間の2~3個の数字が”同じではない”のです。

    そこで困る(という人はあまりいないか?)のは、“どれが正しいのか?”または”どれも正しくないのか?”ということ。

    これらの内で「トラスト ミー(trust me)=私を信用してよ」と(昔、鳩山由紀夫首相がオバマ大統領に向けて放った言葉としても思い出される)宣言できるものがあればよいのですが・・

    そうなると、信頼できそうなのは”コンピュータで円周率計算した結果をストレートに表記したもの”であり、最近は個人で計算した結果をネット上で発表している例(http://www.suguru.jp/learn/pi.html )もありますが・・↓
    ensyuritu

    やはり、大手企業(パソコンメーカーなど)が“例えば円周率1万桁表示ページ”を常時公開する、あるいは現在JIS(日本工業規格)で”分野によっては円周率を「3.1416」として適用する指定や小数点以下31桁までの円周率を適用する指定などがあるようですが、これも一つ基本データとしてやはり例えば円周率1万桁表示をするというようなオーソライズされた正しい数値(と言っても円周率は無理数なので近似値ですが)を提示してくれると良いのでしょう。

    ・・と言ったものの、発信元が不明だが、パソコンが出した円周率の数字を限りないように流し続けるサイトがあるというので閲覧してみたら確かにありました。最初の250桁を見たら間違い数字が無いので、以降も間違いないとは思われますが、いったい何桁まで表示するのか不明です。

    円周率数字垂れ流しサイト

    ◎「ゆとり教育で円周率は3と教える」という情報の間違い
    2002年度から実施された”小学校の学習指導要領”の算数分野での指示を間違って解釈した人たちがいて、その人たちによって「小学校ではこれから円周率は3と教えることになった」という話が世間に広まり、私もつい最近までその誤報を信じていた一人。

    その誤報の原因は・・新しい学習指導要領では小数乗算の桁数制限の規定変更をしたために、手計算では” 円周率を3として”計算せざるをえないことになったことと、「目的に応じて3を用いて処理」という指示もあったために生じた誤解。これによって「ゆとり教育」批判の材料にもなった。

    しかしこの誤解には影響されずに実際の教育現場では” 円周率は3.14“として教えられているそうです。

    (余談1)暗記方法
    ※円周率の暗記では11万桁を誇る原口證(あきら)氏や1万5151桁に達した友寄英哲 氏がいて、友寄氏はソニーの社員時代からどんどん記録をのばして発表していたので有名だった。

    一時は両氏とも世界一だったこともあります。この二人は”数字をそのままは暗記しない方法”で記録をつくっていますが、その方法とは”自分で壮大な物語を作って、そこに登場するモノ・コトを語呂合わせして数字にしたものを記憶していくもので、そこには単に記憶力だけではなく物語の創造力が発揮される点が素晴らしい。

    元コメディアンで現在は俳優の伊東四郎氏も85才にして円周率1000桁を記憶しているそうで、やはり暗記法は語呂合わせ式。俳優として台詞覚えのための脳力維持の必要から努力しているとのこと。

    ”同じようにそのまま暗記でないカタチには”元素周期律表”の語呂合わせ式の「水兵リーベ僕らの船・・」(水兵離別バックの船・・)その他があります。

    しかし、”数字や言葉の羅列”をそのまま暗記するカタチもあり、私自身は”数字そのまま暗記”のカタチで円周率250桁を覚えていますが、これは”数字や単語を連続させてただひたすら暗唱することをくりかえしておぼえてしまう単純な方法”で、決して難しいことではありません。

    なぜならば”お坊さんではない一般人でも「般若心経」(はんにゃしんぎょう)の漢字262文字を暗唱する人は少なくないことや、昔の人は「歴代天皇」を神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、・・と124代の昭和天皇まで、漢字にして276文字を暗記させられていた人も多く、大正生まれだった私の母もその一人。

    (余談2)般若心経の暗唱を断念した私!
    「色即是空、空即是色」という有名な(しかし私にはよくわからない)言葉が含まれている般若心経を暗唱できるようになろうと思い立ったきっかけは、私が昔 兵庫県に住んでいた際に、同県に在る「西国三十三カ所」の一つの「法華山 一乗寺」に参った際に購入した扇子を思い出したからで、その扇子には「般若心経」の漢字がふりがな付きで記されているもので、これを使ってお経を覚えようと考えた。

    「般若心経」扇子
    sensu (2)

    ↓「般若心経」(部分拡大)
    sensu-up (2)

    ちょうど季節は夏だったので、通勤時に駅のホームで電車待ちをしながら、この扇子で"少しあおいでは手を止めて文字を記憶する"を繰り返すことを実行し始めたものの、なかなか覚えられず結局この試みは夏の終わりとともに潰えてしまった。時に私は60才近くになっていた。心の中で、脳力と気力の双方の低下のためと言い訳する自分が情けなかった!・・・というわけで、若い頃に覚えた円周率の数字も、もうこれ以上は増やせない私であります。
    ・・・・・・・・・・・・
    次回は「トランジスタテレビに関する間違い情報?! 」です。
    ・・・・・・・・・・・・

    前回にとりあげた”世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解とリベットの関係”に続いて今回は・・

    ◎タイタニック号
    近年、映画にもなったり(※1)して有名なこの英国の大型豪華客船 (※2)が1912年(※3)4月10日、初航海(※4)として英国のサウザンプトンから米国ニューヨークを目指して出航したが、4月14日の夜11時40分に北大西洋上で氷山に船体右側面下部を接触させて、そこから海水が流入し、2時間40分後の4月15日午前2時20分に沈没して1514人が犠牲(生存者は710人)になった。(※5)

    ↓初航海に向かうタイタニック号 (写真はWikipediaより)
    Titanic

    ↓海底に眠る姿 
    (写真はナショナルジオグラフィックチャンネル=以降NGCと表記 より)
    titanic11 (2)

    ※1:かつてナチスもネガティブプロパガンダ用にタイタニック映画を製作した。

    ※2:タイタニック号の全長は269mで後の日本の戦艦大和の263mより6m長い

    ※3:日本はこの1912年の7月29日までは明治45年、30日から大正元年

    ※4:「初航海」は従来の「処女航海」という今の時代にそぐわない呼称の代わりとした

    ※5:犠牲者、生存者の数は諸説あり数人の差がある

    この海難事故の最大原因は”船が氷山に接触したこと”ですが、”その氷山接触を招いた誘因”と”事故を大きくして犠牲者を増やしてしまった原因”が多く指摘されています。

    その後者に当たる原因の一つが”リベット”。それ以外の誘因や原因についての記述は長くなるので別の機会にします。

    ◎船体の鉄板接合用のリベットがもろかった!
    船体に使われた鋼板は約2千枚。その厚さ2.5cmの鋼鉄板どうしを太さ2.5cmのリベット約300万個で接合して造られた。

    ↓建造中のタイタニック:鋼板の貼り合わせが分かる (写真はヒストリーチャンネルより)
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    ↓海底のタイタニック:鋼板とリベットが見える
    (写真はNGCより)
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    使用されたリベットの多くは機械で打ち込まれた。
    ↓リベットを機械で打ち込む様子(写真はNGCより)
    titanic14 (2)

    しかし、船体前方の機械が使えない部位は人間による手作業でリベットが打たれた。後に氷山に接触した箇所はこの手作業部位が含まれるとされる。

    この手作業用のリベットは現場で赤熱されて穴に差し込まれ、それをハンマーで打ってかしめるものだが、そのためにこのリベットの素材には「錬鉄(れんてつ)」が使われて、これは鋼鉄などより炭素含有量が少なく比較的には軟らかいので強度を増すために「スラグ」を混入させていた。

    ↓タイタニック号のリベット打ちの手作業現場 (NGCの写真に拙者が説明追加)
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    ※鉄を炭素含有量の多い順に並べると・・鋳鉄>鋼鉄>軟鉄>錬鉄・・炭素量が多いほど硬くなるがもろくなる。

    「スラグ」は鉄など金属を製錬する際に出るカスであり、製鉄の場合では副原料として加える石灰石が” 主原料の鉄鉱石に含まれるシリカ(二酸化ケイ素=SiO2)やアルミナ(Al2O3)などの不純物”をとり込んだ状態の物質がカスでありスラグである。つまりスラグにはこれら不純物と石灰石の成分である酸化カルシウムが合体したもの。

    現代の製鉄でも発生するスラグは、セメント材料に混合、コンクリートの骨材(砂利や砕石)の一部として混合、道路のアスファルトに混入、地盤改良材などに使われている。

    錬鉄に混入するスラグは適量で効果を発揮するものの、多すぎると逆に錬鉄はもろくなるが、タイタニック号のリベットの錬鉄にはスラグが多すぎてもろかったことが近年になって科学的に確認された。

    実験として、厚み2.5cmの鋼鉄板2枚を太さ2.5cmの”スラグを混入した錬鉄製リベット”で接合したものに、”氷山に接触した際の衝撃の大きさである“少なくとも1平方インチあたり1万4千ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり約6.36トン)”を想定して力(ちから)”を加えた実験では、1平方インチあたり1万ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり4.54トン)以下の力でリベットの頭が裂断してしまった。

    ↓実験でリベット頭が裂断した瞬間 (写真はNGCより)
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    しかも、電子顕微鏡で見るとタイタニックの実際のリベットの材質のほうが”実験で裂断したリベット”よりもスラグ含有量が多かったことも分かった。

    ↓リベットの素材を電子顕微鏡で見ると多数の黒いスラグが 
    (写真はNGCより)
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    これによって、タイタニック号のリベットは氷山と接触した際に耐えられないもろさであったことが判明した。

    ◎当時の鉄材は低温劣化した!
    当時に使われていた鉄材は摂氏0度くらいの低温になるともろくなるものだった。これは難しい表現では・・”脆性(ぜいせい)破壊”しやすくなる・・となる。事故現場の氷山が浮かぶような海水温では船体の鋼板もリベットももろい状態だったことになる。先述のリベットの耐性実験は低温下で行ったらもっと悪い結果がでたのであろう。

    この”鉄材の低温での脆性破壊”現象が認識されるようになったのは、その後30年ほど経って起きた一連の「リバティ船事故」原因解析結果からだった。「リバティ船」とは第二次大戦時に米国が欧州を支援するための物資を運ぶ輸送船として大量生産された船の総称で約2710隻造られた。それらの造船における鋼板接合には従来のリベットによらずに溶接方法がとられたが、その溶接個所が原因とされる船体破壊事故が大小あわせて数百件も発生した。分析の結果、溶接技術不良もあったが、溶接棒の組成自体の低温での脆弱破壊性が発見され、鋼板どうしのつなぎ部分が弱かったことが判明したからであった。

    ただし、現在では
    ”低温での脆性破壊”が起きない鉄材が開発され、ついには"摂氏60度~マイナス60度の間で、むしろ低温になるほど、衝撃吸収エネルギーが上昇して強度が6倍に増加して破壊しにくくなる鉄材"を日本の独立行政法人 物質・材料研究機構が開発している。

    ◎船体損壊箇所と海水流入状況
    タイタニック号は深さ3千メートル※の海底に沈んだため、当時は実際の損傷個所を調べることなどできないため、「船底に90メートルの長さの穴があいた」などという見解も出たりした。
    ※水深の正確な数字は3650メートルともいわれるが、これは365(日)のちょうど10倍。

    ↓船体に開いた長い穴の想像図も登場 (NGCより)
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    しかし、1985年に海底のタイタニック号が見つかって以降、幾多の有人、無人の調査装置での観察やソナー検査によれば、船体に大きな穴は存在せず、ただ船体前部の右舷側面に1.1~1.2平方メートルほどの小さな穴があり、それも鋼板が破れたのではなく、リベットの頭が裂断して接合していた鋼板どうしが離れて折れ曲がったためにできた穴とみられている。

    ↓海水流入開始時の様子 (図はWikipediaより)
    iceberg-titanic

    かくして2時間40分かけて流入した大量の海水によってタイタニック号は沈没した。

    ◎船とともに沈んだ楽隊が最後まで奏でた讃美歌
    私がタイタニック号を知ったのは今から約70年前、弟が学校の先生から聞いた話として「昔、タイタニックという大きな船が氷山にぶつかって(当時は接触という言葉は使われなかった)沈没する時に、船の楽隊の人たちは最後まで讃美歌を演奏しながら、船と一緒に沈んでいったんだって!」・・と教えてくれたからでした。今回その讃美歌の曲名がわかりました・・それは「主よ みもとに近づかん」
    なるほど、この曲ならば心を落ち着かせて覚悟はできたのでしょう。

    合掌
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    冒頭にも記しましたが、タイタニック号沈没に関しての今回の”リベット関連”以外の誘因や原因についてはまた別の機会に綴ります。
    ・・・・・・・・・・・・

    なぜ私が1月10日にこの文を綴り始めたかと申せば、世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解事故が69年前のこの日に発生したからです。一方、「タイタニック号」沈没という史上最大級(犠牲者数は最大ではないが)の海難事故もありますが、この二つの事故には「リベット」が大きく関係していたのです。

    ◎リベットとは・・
    金属板どうし(その他、例は少ないが皮革、布、紙など)を接合する場合に、それらを重ねた部分に貫通する穴をあけ、その穴に”金属製の短い円柱または円筒状の塊”を差し込み、それが抜けないように塊の頭と尻の部分をつぶしてひろげる(かしめる)・・という方法があるが、ここで言う”金属製の塊”が「リベット」で、これは日本語で言うところの(一種の)「鋲(びょう)」。

    ↓リベットで接合した鋼板の例((株)ワールドインテック社のHPより)
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    ◎コメット機とは
    コメット機は英国のデハビランド社が開発・製造した世界初のジェット旅客機で、時速800キロで高度1万2千メートルを飛行(そのため高空では機内の空気圧は外気より高い状態)。定員42人。機体表面はアルミ合金板使用。

    ↓「コメット」機:4基のエンジン外装形状は主翼と一体化して非常にスマートだったが製造時やメンテナンス時は問題無かったのだろうか?
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    就航開始から1年半経過した1954年初頭時点で17機存在。その内9機をBOAC(英国海外航空)社が保有。

    ◎コメット機事故とその原因のあらまし
    ※詳細説明は長くなるので、今回のブログ文章の後部に付録させます。

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機がローマの空港から離陸して26分後に地中海上で空中分解して35名が犠牲となった。さらに3か月後の4月8日にまたローマ発エジプト行きのBOACのコメット機が空中分解して21名が犠牲となった。(4月8日はお釈迦さまの誕生日。不謹慎だが、この日にコメット機は”おしゃか”になってしまった)
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    事故の遠因は・・高度1万メートル以上を飛行したこと。そのため高空では機内の空気圧と外気圧の差を大きく生じ、地上では差は消えるという状態がフライトの度に繰り返されるので、機体を覆うアルミ合金板は「金属疲労(金属の板や棒などを曲げたり元に戻したりすることを多数回くりかえすと折れたり切れたりする)」を起こしてひび割れし、切断してしまった。

    特に金属疲労が起きやすかった箇所があった。・・それは”四角っぽい”窓や扉のコーナー部分。海中から回収された機体破片を継ぎ合わせてみると、その分部から き裂が走っているのが多く見られた。これは「応力集中」による現象というのだそうです。
    ↓窓のコーナー(右上部分)からき裂が・・
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    ↓コメット機の窓は遠目には四角だった!
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    この"四角っぽいコーナーから き裂が発生する現象"を逆に応用しているのが、プラスチック製の(菓子などの入った)袋の両端の"ギザギザ"で、その"山と谷"の谷の部分から裂けやすいように意図されている。この場合、"谷"部分が、コメット機の窓のコーナー部と同じ状態と言える。↓
    gizagiza (2)


    ◎リベット打ち込み時の穴が悲劇の引き金!
    多くの金属片をつなぎ合わせてその切断跡を辿ってみると、すべてのき裂は、機体天面の”無線送受信用の二つの窓”の周囲にリベットを打ち込んだ際の穴の縁にできた小さな”ひび”から始まっていることが判明したのでした。

    ↓胴体天面の二つの窓
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    ↓その窓周囲に打ち込まれたリベット(再現図)
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    ↓右の窓のコーナー部のリベット穴が き裂出発点
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    「全ての道はローマに通じる」(All roads lead to Rome)という言葉があり(ちょっと意味がちがい)ますが、ここでは「全ての亀裂はリベット穴に通じる」ことになってしまいました!

    デハビランド社はコメット機の欠陥を解消して4年後に復活させたが、一度信頼性を失った同機は受け入れられず、その間に米国ボーイング社が新たなジェット旅客機を登場させたりしたので、デハビランド社は他の航空会社に吸収されてしまったのでした。
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    下の絵は私が小学校1年生のとき、ある本に「世界の飛行機」だったか?の絵が載っていたものを真似して描いたもので、中でもコメット機のカッコ良さが気に入っていましたが、左下に「いぎりす (時速)800きろ」と書いているのでコメットのつもりと判断できるもののエンジンを5基にして、いいかげんだった。
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    《コメット機空中分解事故と原因究明詳細》 (上記以外)

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機781便は、シンガポール発ロンドン行で、中継地ローマの空港を午前10時31分に離陸したが、その26分後の10時57分に突如消息を絶った。

    当初は原因不明で爆薬による破壊説などもあったが、地中海のエルバ島付近で操業中の漁民が事故を目撃していたことと、遺体の損傷具合が爆発物によるものでではなかったことで、単なる空中分解と判明。乗客29名、乗員6名、計35名が犠牲となった。


    そして漁民らは機体破片落下海域で遺体を引き揚げたりしていたので、捜索範囲が絞られた上に付近は水深120メートルほどなので残骸回収は楽かと思われたが、ブラックボックスもまだ無い当時の技術では難航したものの最終的に大部分が集まった。(時の首相チャーチルが海軍も動員させて機体徹底回収を指示した)

    ◎再び同じ事故が起きた!
    目立った設計ミスや製造ミスは確認されないが、事故の根源的原因がまだ特定されてない状況にもかかわらず、事故から10週間後に英国政府はコメット機の運航再開許可を出した。

    そこでBOACが運行再開して間もない4月8日、ローマからエジプトに向かうコメット機がまた地中海上で空中分解して乗客14名と乗員7名あわせて21名が犠牲になり、機体の破片は水深1千メートルの海底に沈んでしまった。つまり3か月の間に2機が同様の事故を起こしたので当然コメット機は運航即時停止。

    チャーチル首相は原因徹底追及を英国王立航空研究所に依頼。そこでさらに科学的分析とその検証が行われた。その例は・・

    (1) 客室胴体部分の縮尺1/10の模型を透明プラスチックで作り、内部に座席やダミー人形を配置して、胴体内部空気を加圧した状態で小さな穴を開けて急減圧したところ、座席は内部で吹っ飛び、ダミー人形は頭や体を天井や内壁に激しくぶつけた。これで一連の事故犠牲者の頭部陥没と肺臓の破裂や内部損傷の原因が実証された。

    ↓1/10の模型
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    ↓急減圧すると座席とダミー人形は天井や内壁に激突した 
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    (2) 実機のコックピット部と尾翼の付いた後部を除去した残りの”客室部胴体部分”を納める巨大水槽(巾7m/長さ34m/深さ5m)を作り、胴体と周囲の水の注排水を繰り返して、地上と1万メートルを超す間の気圧の差による”機体内の加圧と減圧による機体の膨張と収縮”を再現して、これを繰り返してみたところ、3千回行なったところで外装のアルミ合金板の一部にき裂を生じ始めた。

    ↓巨大水槽で実験
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    ↓水槽実験で外装のアルミ合金板3千回の屈伸による金属疲労で き裂発生した部分
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    (3)実機を使って客室内を加圧⇔減圧状態の実験をしたところ、窓や扉周辺のコーナー部には強烈な歪(応力集中)が発生していることが計測されたので、この部分からき裂が発生しやすいことの裏付けとなった。

    ※無線送受信用窓周囲の打ち込みリベットの穴が事故の引き金になった・・という説明は前記の通りです。

    (
    コメット機に関係の写真はナショナルジオグラフィックチャンネルより引用)
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    次回はタイタニック号沈没とリベットについて・・です。
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    明けましておめでとうございます
    今年も皆様のご健勝を心よりお祈りいたします
          
    ◎月のうさぎもびっくりの今年
    うさぎの姿が見える月に向け、日本の航空宇宙企業のispace社が主導する「HAKUTO」(白兎)という名の民間チームが送り込む機材で初の月面探査を この春に行うそうです。
             ↓ HAKUTOのマーク
    hakuto3

    一方、昨年に民間人で初めて国際宇宙ステーションに滞在した前澤友作氏(衣料品通販サイトZOZO創業などの実業家)は今年8人の仲間と世界初の民間人による月周回旅行をする予定とのこと。

    このように2023年は”多くの民間人や機材が来訪する”というので月のうさぎもさぞや目を見張る年になるでしょう。

    ◎ツタンカーメンが見た月は・・
    原始地球が誕生してまもないという45億1千万年前(他説あり)に、火星と同じくらいの大きさの天体「テイア」が衝突して(思わず「いテイア」と言ったかどうか?)飛び散った破片が集結して月が出来たという説が(諸説ある中で)有力だそうで、誕生直後の月と地球の距離は現在の38万4400キロの約1/16(諸説あり)しかなかったそうで、それから年々離れて行って現在に至っていますが、現在でも月は年間3.8センチ地球から遠のいていることが判っています。

    これらの数値は、半世紀前に”米国のアポロ15号の宇宙飛行士が月面に設置した反射鏡”を利用して地球から発射したレーザー光線の往復時間から割り出すものだそうで、現在までその計測は継続されているので・・「アポロ計画はまだ続いている!」とも言われています。

    ところで、月が45億年余りの間に1年間に遠のく距離がずうっと3.8センチであったのではなく、それよりも小さかったたり大きかったりした期間があったことが分かっているのだそうで、恐竜時代は分かりませんが、エジプトのツタンカーメン王の紀元前1330年(今から3350年前)で計算すると・・現在よりもわずか127メートルだけ近かったことになります。

    地球の周囲を巡る月の軌道は楕円なので先述の38万4400キロというのは中間値であり、地球への近地点と遠地点の差は4万2千キロもあるのに、その見かけの大きさの変化は (スーパームーンと言われればやや大きいと感じますが)普段は感じられないので、127メートルでは影響無しに等しくて、ツタンカーメンが見た月は現在の我々が見る大きさと変わらなかったと言えるでしょう。

    ◎インドの神話では月に見られるのは”うさぎの煙”?
    『昔々のインドにうさぎと猿と狐が一緒に暮らしていました。3匹は菩薩の道に向かって修行していました。その様子に帝釈天が感心し、本当に仏を心に持っているのかを試そうと思い、老人に姿を変えて3匹のもとを訪れて「貧しくて身寄りもない自分を養ってほしい」とお願いしてみたら、猿は木の実や果物を、狐は魚をとってきましたが、うさぎは山の中を懸命に探しても食べ物を見つけられませんでした。

    ある日、うさぎは猿と狐に「食べ物を探してくるので火を起こしておいてほしい」 と頼み、火が燃え盛った頃にうさぎは”自分自身を食べてもらおうとして”火の中に飛び込んで死んでしまいました。すると老人は帝釈天の姿に戻り、うさぎの慈悲深い行いを全ての生き物に見せるために、その姿を月の中に映し出しました。月面で雲のように見えるのは、うさぎが焼け死んだ際の煙なのです。

    これはブッダの物語を集めた「ジャータカ神話」に収められている話で、これが日本にも伝わって「今昔物語」や民話になったそうです。』 (『』内は「広報とだコミだより」より)

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    ここで話題は飛びますが・・前述の「ジャータカ」、インドの2大叙事詩と言われる「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」、「マハラジャ」などここにカタカナで表記した単語は全て”ア”という母音を含んでいるのはなぜでしょうか? インドあたりの言語の特長なのでしょうか? まあ、「ゴータマシッダールタ」、「カーマスートラ」、「アーユルベーダ」、「マハトマ」、「ガンジー」、「タゴール」、「カースト」、「シタール」、「ラビシャンカール」などという単語もありますから全てのインド系言語にはあてはまらないことは分かりますが・・どなたかご教示ください。
    ・・・・・・・・・・・・
    今年もよろしくお願い申し上げます

    前々回にカナ点字、前回に漢点字などを主にとりあげましたが、今回は・・

    ◎色々なモノ、所に点字が・・

    ・シート状媒体(紙、プラスチック、アルミなど)に・・
    (A)点字(凸点)のみ表記・・表と裏の両面に表記もある

    (A1)従来型の点字・・裏から突かれて出来る凸点

    (A2)特殊加工紙で浮き出させた点字・・熱を受けると発泡して立体になる素材をコーティングした特殊紙を利用して専用プリンターで出来る凸点。この場合、面的加熱して地図などの立体図も出せる。

    点字と立体(輪郭)地図を組み合わせた例 ((株)アメディアのHPより)
    3d-printed-map

    (B)墨字(印刷)と一緒に点字も併記

    (B1)墨字印刷面の裏から点字型を押し出して
    墨字も点字も両方が読める・・これも両面表記がある

     (B2) 墨字印刷面の上に透明プラスチックの
    凸型点字を付着させて墨字も点字も両方が読める

    ↓(B2)の例・・一見すると普通の紙の印刷パンフレットだが・・
    tenji-pamph2 (3)
    ↓上写真の部分拡大(あえて透明点字に影がつくように光を当てて凸点の存在が見えるようにした状態)
    tenji-pamph1 (2)
    (富士通(株)総合デザインセンター発行物)

    ・公共の場所、設備・・トイレ、エレベーター操作部、駅階段手摺などに
    エレベーターの点字例
    elevator-tenji1

    elevator-tenji2

    ・アルコール飲料(ビール、発泡酒など)缶の天面
    beer-can-tenji (2)

    ・その他、一部の家電製品の操作部に点字併記、などがある。

    ◎意外に多い点字関連ソフトや機器
    現在の日本で点字を読める人が約3万人と決して多くはないが、マイノリティも大切にするばかりでなく、点字の良さも生かそうとして、点字の作成と判読に関しての多様な機器が出現している。
    例えば、視覚障がい者が文章やメモを作成する場合に自分の声で入力する方法は楽であるが、その場合に”しゃべる内容が周囲に漏れてしまう”あるいは”しゃべる声が周囲には騒音・雑音になってしまう”ことがあるという欠点を生じるが、”無声で点字入力”すればそれを回避できる。そこで便利なのが・・

    ・小型点字メモ機「オービット」9万8千円(福祉用品なので非課税)
     上のボタンで入力して下の窓に20文字分の点字(8点式)が出る
    tenji-memoki

    その他、点字関連ソフトや機器は多い。
    ・点字変換ソフト・・ワード、一太郎などの文字をテキストデータ化して点字用に変換するソフト。
    ・自動点訳機・・上記のようなソフトを内蔵して、本やデータから点字を作る。
    ・点字プリンター(86万3千円)・・ハンマーソレノイドによるインパクト印字(電流が流れると棒が飛び出して、その先端が紙を突いて凸点を作る)
    点字プリンターの一例
    tenji-printer2

    ※点字関連ソフトや機器の詳しい情報や視覚障がい関連の最新情報無料メルマガ申し込みは・・
    (株)アメディア社のホームページ

    (有)エクストラのホームページ

    ◎糖尿病から失明する人も多い
    糖尿病が原因で起きる視力障害が「糖尿病網膜症」。

    ※下記データは日本眼科医会や厚生労働省などの間では数値に大きく差異があるので混乱しますが、糖尿病患者も糖尿病網膜症患者も多いということです。・・一応数字をあげると・・

    ・糖尿病患者数・・1000万人(他データで1620万人や2000万人)
    ・現在日本の「糖尿病網膜症」者数・・140万人(他データで300万人)

    日本の「中途失明」など後天的視覚障がいの発症原因トップスリー
    (厚生労働省 平成28年)
     1位:緑内障:28.6 %
     2位:網膜色素変性:14.0 %
     3位:糖尿病網膜症:12.8 %

    ◎中高年齢で「糖尿病網膜症」発症では点字は無理?!
    実は、前述の” 後天的視覚障がいの発症原因”は” 50,60才代に限れば糖尿病網膜症が1位”であり、それでは歳をとってから視覚障がい状態になって、いざ点字を習得しようとしても、指先の皮膚は硬くて感覚は鈍くなっていて、しかも新しく学習する能力も減退しているので、それは無理なことが多い。

    ◎「すこやか食生活協会」の理事長の要望は・・
    正確には公益財団法人「すこやか食生活協会」と称する組織の以前の名称は「視覚障害者食生活改善協会」(所在地:東京都中央区日本橋本町)であり、視覚障がい者を対象とした食生活に関する各種情報提供や社会への提案などを行ってきたが平成12年に名称変更するとともに対象を視覚障がい者のみならず各種身体機能が減退したシニアにも広げた。

    今から20数年前でまだ「視覚障害者食生活改善協会」と称していた頃に、私はこの協会から何度か呼ばれて伺ったことがありますが、この法人の母体は厚生労働省と農林水産省であり、ここの理事長(推定60才以上)はそのどちらかの省の元高級官吏であったに違いないが、当時の理事長は”眼が不自由”であり、(失礼ながら私の推察では)糖尿病網膜症だったのではないかと思えた。

    ある時、この理事長から「我々視覚障がい者は、加熱調理をする時には”炎の出るガスコンロ”などが苦手だから電子レンジは大変重宝しているけれど、加熱時間設定などの操作の際に音声案内が是非欲しいものです」という要望が出された。

    それはごもっともな事で、点字判読ができない人向けだけではなく、”加熱時間”を例えば1分20秒など細かい設定をしたい場合、視覚障がい者にとっては音声告示が最も便利。これは電子レンジのメーカーにとっても都合が良く、なぜならば機器の表面には点字を並べるスペースが確保できないから。
    その後、”音声案内付き電子レンジ”は市場に出たのだろうか。

    ◎やはり”音声(聴覚)”による情報伝達は頼りになる
    前述の電子レンジの例のように、点字が読めない人に対してはもちろん、情報伝達をするには点字では対応できない場合なども、年齢に関係なく点字よりも音声情報が便利なことは間違いない・・ということで、身近な機器から街なかや交通関連施設・設備などに音声情報提供の例は多い。

    横断歩道の青信号時メロディ、駅構内の階段・エスカレーター存在位置案内メロディなどの他に・・

    ・「コード化点字ブロック」(W&Mシステムズ合同会社)
    既設の点字ブロックを活用して音声案内発信機能を付加したもので、アプリをインストールしたスマホのカメラをかざすと、現在地や周辺の情報などを多言語で音声案内。視覚障がい者のみならず外国人(インバウンド)観光客にも便利。
    tenji-invi-block

    ・「快速よむべえ」((株)アメディア)26万円、モニター無し22万8千円、読み上げのみ19万8千円
    カメラ部で本や印刷物を読み取り、音声で読み上げ、文字は拡大してモニター画面に表示する読書機。
    請求書、レシート、銀行通帳も読める。日本語、英語、中国語、ハングル対応。
    ↓この写真ではこの機器セットの中心となる筐体はモニター裏面に接置して隠れている。 
    yomubei

    その他の製品には・・
    ・パソコン画面の音声化ソフト・・電子メールまでも読みあげるタイプがある。
    ・音声読み上げ式各種測定機器・・キッチンスケール、体重計、血圧計など。
    ・音声ガイド地図
    ・視覚障がい者向けGPS歩行支援システム

    ◎視覚障害がい者への”点字、音声以外の伝達手段”
    ・切り欠き付き各種カード・・各種カードの種別が触るだけで区別できるようにカードの縁を切り欠いたもので・・テレホンカードは半円、交通系は三角、買い物系は四角の切り欠きを基本とすることがJISにも規定されている。
    ↓切り欠き3種(E&Cプロジェクト作成)
    card-cut

    ・触読式腕時計・・腕時計表面の透明蓋を跳ね上げて文字盤の凸文字を指で感知する
    シチズン、セイコー、(1万4千円・非課税)、GRUS(オープン価格) (写真はアメディア社のHPより)
    tenji-watch2

    ・振動コンパス(iphone対応)・・スマホが北を向くと振動する。
    (写真はアメディア社のHPより)
    vibra-compass

    ◎シャンプー容器とポンプノブ天面のギザギザは・・
    現在、シャンプー容器の横腹部またはポンプ容器のプッシュノブ天面にはギザギザが施されていて、
    視覚障がい者はもちろん、晴眼者も洗髪時には(たいてい)目をつぶるので”一時的視覚障がい者”になるために、手探りでシャンプーと(ギザギザが付いていない)リンス(コンディショナー)は区別できる。この”ギザギザ付け”は1991(平成3)年に花王が発案して採用開始したが、他社にも同様のギザギザを施して統一することを提案した結果、現在各社製品に採用されている。
    ↓花王のHPより
    kaoh-gizagiza
    ・・・・・・・・・・・・
    その他、国政選挙などでは点字による投票ができることになっていますが、これを含めたユニバーサルデザイン関連については、また後日にとりあげます。
    ・・・・・・・・・・・・

    文学の素養など無い私でさえ、最近の我が国における”言葉の使われ方”、”イントネーション”、”発音”などで気になることがある。しかしながら、”言葉は生き物”と言われ、例えば”独壇場”は元の読みは「どくせんじょう」だったのが今やすっかり「どくだんじょう」の独壇場!?。このように今は気になってもやがてそれが標準になるかも知れないのだが・・

    ◎「緊張感をもって」、「スピード感をもって」は ずるい!
    つい最近のこと、国会の参議院本会議中に居眠りした某大臣、野党から責められてのおかしな釈明内容だったが、最後に「今後はそのようなことが無いよう、緊張感をもって審議に臨みたい」と述べた。

    元々この大臣の行為は言うまでもなく責められるべきものだが、ここで私が問題にするのは・・
    「緊張感をもって」という部分である。この「〇〇感をもって」という表現は他にも(首相もよく使われる)「スピード感をもって」というものもある。

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    画像は「TBS NEWS DIG」より引用

    この「〇〇感をもって」という表現の” 〇〇感”というものは、その言葉を発した個人のあくまでも”主観的な感じ”なのであり、ゆえにその人が”緊張感をもって”あるいは” スピード感をもって”行動・対処する(した)様が、他人あるいは社会からみて一般的、客観的には”緊張して事にあたっているとは言えない”あるいは”迅速な行動とは言えない”として責められても、その弁解で「私(の中で)は緊張感(スピード感)をもって行動しました」と言って逃げることができるずるい表現だ。

    これだから「〇〇感をもって」という表現は”言うだけ”、”言っておく”だけの便利な道具にもなっているようだ。

    やはり、「緊張感をもって」と言わずに「気を引き締めて」あるいは「真剣に」など、そして「スピード感をもって」ではなく「スピーディーに」、「迅速に」、「早急に」と言うほうが(これらもまだ曖昧と言えば曖昧だが)ベターだろう。(大臣たちの発言、答弁の多くは官僚が作成した原稿の読み上げと言われるが、やはり最終的な責任は発言者にあるのは言うまでもないが・・)

    ◎”20”の読み方のイントネーションには従来とはちがったものが出てきている
    同じ”20”でも、その後に付く数詞によってそのイントネーションが異なり、「20才」、「20数人」ではそれぞれ異なる定番のイントネーションがある。(ただし東京圏の標準語以外については分かりませんが)・・では数詞をつけず単に”20”だけを発音するとどうか、我々シニア世代は前記の「20数人」の場合の”20”と同じイントネーション、つまり”に”の高さから少し下げて”じゅ”さらに少し下げて”う”という音程で発音してきた。(音程を折れ線グラフにすれば”右肩下がり”)

    ところが近年、若者(と言っても現在40才代前半の我が息子も入る)は”にじゅう”の”に”より”じゅう”を高くして、つぎの”う”を”あたまの”に”と同じ高さに戻すという音程で発音する。(音程を折れ線グラフにすれば”山型”)

    この”20”の新たな発音イントネーションに対してシニア世代は違和感(気持ち悪さ)をおぼえるが、なんとNHKの若手アナウンサーも使っている状況だから今後はこれが主流になるのか?

    最近のNHKのニュースの一部はAIによる自動音声を使っていて、確かに進歩して人間のナマの声とほぼ同じように聞こえ、イントネーションも自然になっているが、”20”に関してのイントネーションの使い分けは、さてどうなっているのか? 私はまだ確認できていないが・・。

    ここで思い返せば、我々の若い頃、それまでオーディオの”アンプ”のイントネーションは”ア”から下がり”ン”さらに下がって”プ” (音程を折れ線グラフにすれば”右肩下がり”)だったのが、1965(昭和40)年頃には”ア”から”プ”まで抑揚無し(音程を折れ線グラフにすれば”水平”)にして発音していたし、

    同時期、同様に”ギター”もそれまでのイントネーションが折れ線グラフにすれば”右肩下がり”だったものを折れ線グラフにすれば”水平”に発音し始めていたから文句は言えないか・・。

    ◎”ら”抜き言葉や形容詞誤用をテロップでは・・
    例えば、従来なら「見られる」と言っていたものを今や「見れる」と言って、いわゆる”ら”抜き言葉を使う(助動詞の誤用)人が非常に多い。しかしテレビ各局では、ある人が”ら”抜き言葉を使ってもテロップには”ら”を入れて画面に流している。

    他にも、多い例が「すごいきれい」、「すごい感動した」という表現。本来なら「すごく」という副詞を使うところが形容詞になっている。この場合もテレビ画面には副詞に換えたテロップが流れている。

    しかし”ら抜き言葉の使用”とこの“形容詞誤用”の双方とも意味は十分通じてしまうから、将来もこの流れは続いて定着するのだろう。テレビなどのテロップも変わるのだろうか?

    ◎鼻濁音を使ってやわらかな表現をする人たち
    鼻濁音とはどんなものなのか説明すると長くなるのですが、実例として分かりやすいのは、「が」という音が”言葉のアタマ(先頭)ではなく途中にきた場合”と”助詞として使われる場合”に、「が」を鼻に抜けるようにして「が」のように発音するもの。これによって話し言葉全体がやわらかい感じになる。

    鼻濁音について少し詳しくは私の過去のブログ(2018.8.18発信)の後半部分を参照ください

    かつて国民的歌手の美空ひばりは鼻濁音を顕著に使った。

    美空ひばり 切手(1997=平成9年発行:日本郵便HPより)
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    しかし、現在は鼻濁音を聞くことが少なくなっている中で、私は最近のテレビ放送の中に鼻濁音を目立って使っている人を二人見つけていて、その一人が・・

    北條真紀子さん(1972=昭和47年生まれ):24時間テレビ通販番組「ショップチャンネル」のキャスト(商品紹介説明員)。同チャンネルには29人のキャストがいて、中には”言葉を畳みかけるようにガンガン連射する”人もいるが、北條さんは「北條節」とまで称される”極めて心地よい語り”をする人。これには鼻濁音を豊富に使っていることの影響も大きい。

    北條真紀子(「ショップチャンネル」HPより)
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    この人、実は「ショップチャンネル」の社員ではなく、某派遣会社からの派遣員だが、2001年28才からこの仕事に従事して21年、その魅力の”語り方”にファンも多くて、休暇などで番組への登場がちょっとでも途切れると、ファンからこの番組主体のジュピターショップチャンネル社に問い合わせがあるくらいの人気。

    以前は昼間時間帯にも出ていたが、看板キャストだけに、”テレビ通販のゴールデンタイムである午前0時~2時”の担当が主になったようなので、私も最近は顔を見ることが殆どなくなっている。    

    そしてもう一人が・・

    ホラン千秋(1988=昭和63年生まれ。父はアイルランド人、母は日本人):タレントであり、現在TBS系の夕方の報道番組「Nスタ」のキャスターも担当しているが、この人の鼻濁音も顕著。

    ホラン千秋(TBS「Nスタ」テレビ画面より)
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    国際結婚した母親が、我が子には鼻濁音を使うやわらかな良き日本語を意識的に教えたのであろうと、私は想像している。

    しかし、この鼻濁音というものも消滅に向かうのだろうか?
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    以上、最近の日本語で私が気になる”表現”をあげてみました。
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    前回はカナ文字点字関連についてでしたが今回は漢字も肝心ということで・・ (文中敬称略)

    ◎「漢点字」の有難さ
    日本語の点字は基本的にカナ文字を表すものなので、点字から得られる第一次的情報は表音文字の羅列であり、”漢字が使われている文章“を点字化したものからは、表意文字である漢字の良き味わいが伝わらないという一面がある。

    川上泰一(かわかみたいいち:1917=大正6年~1994=平成6年:東京物理大学(現 東京理科大学)卒)が大阪府立盲学校で教師をしていて、視覚障がいの生徒たちが”漢字というものの存在”を知らないことに驚くと同時にこの状況を打破してあげようと決意。

    そこで点字で漢字も表せないかと考え、従来の点字の形式である6点の上に”漢字であることを表す2点”を加えた「漢点字」を考案して1970(昭和45)年に公表した。


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    ↑↓川上泰一 (図と写真は朝日新聞2009.11.30より引用)
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    その後、1987(昭和62)年に「漢点字協会」設立。コンピュータ利用による漢点字関連の自動化や” 漢点字化した漢字”の数を増やし、遂に「大字典」(講談社)の1万4924字の漢点字化を完成。現在は漢点字に関する日本工業規格(J I S)も設定されている。

    現在、点字が読める人たち3万人の内で漢点字が読める人は約1000人しかいないが、漢字が読めるようになって漢字のもつ豊かな表現力を知ったある視覚障がい者は「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と言う

    ◎”漢字否定し、カナ文字やローマ字推奨派もいるが・・
    明治時代末期に漢字廃止論が盛んになり、1920(大正9)年に大阪で「仮名文字協会」が発足。”漢字廃止。カナで左から横書き”を主張して機関誌「カナ ノ ヒカリ」発行。1923(大正12)年に「カナモジカイ」に改称してし、政府の国語審議会や国立国語研究所にも1960年代まで参加協力。現在も活動継続しているが、かつて財団法人だったが現在は任意団体となっている。

    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」
    (「古書の旭文堂書店」通販サイトより引用)
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    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」ダイ イチ ゴウ(第1号)のカナによる文章一部
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    カタカナを推奨するカナアモジカイとは別に”ひらがな”を推す人もいる。
    ↓さいとう きょうぞう 作成 「ひらがなぶんこ 坊ちゃん 夏目漱石」の部分(我が家の倉庫に保管中に雨漏りで少々かび付着でお見苦しい点 ご容赦ください) (クリックで拡大)
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    カナモジカイと同様な趣旨で、日本語をローマ字で表現しようと主張する「日本ローマ字会」と「日本のローマ字社」も存在する。実はこの動きはカナ文字化主張派出現よりそうとう早く、1969(明治2)年に始まり、1885(明治18)年には前身である「羅馬字会」が創立されている。

    カナモジカイやローマ字会に限らず、”漢字の存在が日本の文化や教育の発展、情報伝達を妨げている”とする見解を述べる学者や”小説の世界でも漢字の使用頻度が少なくなってきているとみて、実際に泉鏡花(←語彙の豊富さにあの三島由紀夫も驚いていた)から現代作家にかけての多数の小説内の漢字数が確実に減っている”ことを調べ上げた学者もいて、”漢字は将来、消滅する”という学者の方々がおられる。

    しかしながら、これらの説、見解は”効率に視点を置いたもので、漢字を配置した文章から受けるイメージや情緒のような面は排除されている”ように感じられ、それはあたかも”文明偏重、文化軽視”につながるように思える。しかも”カナのみ使用の欠点”として”同音異義語問題”は 必ず挙げられる。

    加えて、カナモジカイが当初発表した設立趣意文には、”日本にとって重い荷物となっている漢字”は・・「シナ カラ ノ カリモノ! オタガイ ニ キ ガ ツケバ、カエシテ シマオウ デワ ナイカ」※・・としている部分があるが、これを徹底するには・・

    漢字で出来ている熟語はほとんどが(中国由来の)”音(おん)読み”であり、それをそのままカナにするのは矛盾があることになるから、その熟語を”やまとことば”になおしてからカナ文字化しなければならず、そうなると必ずや字数が増えて、作文するにも読文するにも非効率となる。

    「シナ」と言う言葉は本来、古代中国の秦が語源であり英語のチャイナの源でもあるものの、かつて日本は中国の蔑称としてシナ(支那)を使っていたので現在は使わないことが主流で、放送業界でも使用自粛語とされている。現代の中国(人)もこの言葉を拒否する。カナモジカイが当初に発した文言にも当時のシナ観のニュアンスが感じられる。(私が子供の頃には使われていた「支那そば」(現、ラーメン)や「シナチク」(現、メンマ)はほぼ使われなくなったが「南(東)シナ海」の呼称はどうなるのか?)

    どうもカナ文字推進論者の方たちは”漢字の持つ意味、字態(体)が脳裏にしみ込んでいる状態”がベースになっていて、カナ文字化したものに接しても無意識のうちに該当する漢字が浮かびあがるから不都合を感じないのではないかと思える。

    あらためて、前述のように”漢字の存在を知らなかった視覚障がい者が漢字を認知したら「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と表現する”ということには、漢字の存在意義を再認識しなければならないだろう。

    以上のように、文章を書くという場合において漢字は効率的にはカナなどに劣るが良い面もあり、カナは効率的には良いが問題もあるので、昔は困っていたが・・

    今やパソコンなどを使用して文章作成することによって問題はほぼ解消するので、漢字・かな・カナ混じり文は安泰であろう。 

    私が自然に実践しているので一つ言えることは、急いで手書きで文章作成したりメモしたりする際にはカナ書きすることが多いので、カナ主体文も時と場合によっては”アリ!”と言える。
    ・・・・・・・・・・・・
    点字に関してのお話、糖尿病との関連も含めて、次回の(3)に続けます。
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    ◎「点字制定記念日」の11月1日
    11月1日は「点字制定記念日」。その由来は、日本の点字の父と言われる石川倉次(いしかわくらじ:1859=安政6年~1944=昭和19年)が、既にフランス人のルイ・ブライユによって完成していた”6個の点の組み合わせによる”アルファベット用点字を応用して作った日本語のカナ用(6点)点字の方式が正式採用された日が1890(明治23)年11月1日だったことから。

    ↓点字(カナ)例
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    引用した上図を含む点字自体の詳細説明は・・こちら

    ↓石川倉次 (写真は筑波大学附属視覚特別支援学校のHPより引用)
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    石川はその後も東京盲唖学校などで教師をしながら点字に関する研究を続けて、視覚障がい者がいつでもどこでも表現できる「懐中点字器」や「石川式点字タイプライター」を開発するなど日本の点字発展に尽力した。
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    写真は(千葉)「県民だより」2017年12月5日号より引用

    ◎視覚障がい関連の基礎情報と用語

    〇日本の視覚障がい者数:約164万人(ロービジョン者:145万人/失明者:19万人)
      ・ロービジョン者・・よく見える方の目の矯正視力が0.1~0.5
      ・失明者・・・・・よく見える方の目の矯正視力が0.1未満

    ※上記の分類と推計は日本眼科医会によるものであり、厚労省による” 日本の視覚障がい者数:約31万人”と大きく相違しているが、両者の調査基準の違いとともに視覚障がい者の実数が掴みづらい結果と言われる。(障がいがあっても申告しない人や障害者手帳をもらわない人がいるなどのため)

    〇毎年の失明者発生数:約3000人

    〇中途失明(者):生まれつきではなく、ある時期までは目が見えていた(人)

    〇点字が読める人:約3万人 (日本国内)

    〇この分野でよく使われる、対峙語
    ・視覚障がい者(障害者/障碍者) ⇔ 晴眼者(目が見える人)
    ・点字 ⇔ 墨字(すみじ:印刷または手書きされた文字)

    〇「ライトハウス」:視覚障がい者の為の情報発信、悩み相談対処、職業訓練(はり、灸、マッサージ)、受け入れ施設斡旋、盲導犬斡旋など行う機関・施設。大阪に「日本ライトハウス」がある他、「京都ライトハウス」、「東京ライトハウス」など各県(全てかは当筆者未確認)にライトハウスが存在。本来「lighthouse」は灯台のことだが、灯台の光の様に視覚障がい者の人生航路を明るく導く意味が込められている。

    ◎石川倉次は浜松に生まれ、東京の染井霊園に眠る
    石川倉次は幕末に遠江国(とおとうみのくに)浜松藩(現、静岡県浜松市)の武士の子として生まれた。明治維新直後に父が仕える君主が国替えとなったので、それに伴って上総国の鶴舞藩(現、千葉県市原市)に転居。時に倉次10才で、以後学業優秀で教員になって千葉県内のいくつかの小学校に勤務していたが茂原小学校校長時に、東京の盲学校教員になって欲しいという強力な要請が当時の盲唖教育の実力者からあり、28才で上京して以降、視覚障がい者と聴覚障がい(発音障がい)者教育に専念しながら点字とその関連機器などを開発した。

    私が現在住んでいる千葉県では”点字の父 石川倉次”が10才から28才までを過ごしたことによって、何かと氏の名前が出てくるので、今回このブログのテーマに”点字”を選んでみたわけです。

    石川倉次は今、東京都豊島区にある「東京都立 染井霊園」に眠っています。東京のゆえか、いくつかある大きな霊園には多くの有名人の墓があり、この染井霊園には芥川龍之介、谷崎潤一郎、田沼意次、高村光雲、高村光太郎、高村智恵子、水原秋櫻子、岡倉天心、二葉亭四迷、遠山金四郎景元たちも眠っています。  (↓クリックで拡大)
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    ↑↓「染井霊園MAP」(東京都豊島区文化観光課 発行)(見易くするため筆者が二分)
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    お話が飛びますが・・現在日本の代表的な桜である「染井吉野※」はこの霊園の在るあたりで生まれたそうで、ここは昔、染井村と称して植木職人の町であり、そこで江戸時代後期にたまたま”花だけが先に咲いて葉が後から出る美しい桜”が一本だけ生まれたもので、(現代の科学的分析によって「染井吉野」の母親は「エドヒガン」、父親は「オオシマザクラの雑種」ということが判っている)それを染井の植木職人が、有名な奈良県の吉野の桜の名を借りて染井吉野と命名し、その一本を接ぎ木でどんどん増やし、この方法が後世にも受け継がれて日本中に増殖したので全国クローンだらけの桜模様となっている。 ※植物学者たちは、最初の一本を純粋に受け継ぐ「染井吉野」と純粋とは言えない「ソメイヨシノ」があるとして区別している。

    石川倉次が少年・青年期を過ごした、現在の千葉県市原市鶴舞には、現在「千葉県立市原特別支援学校つるまい風の丘分校」という視覚障がいなどの児童のための学校がおかれている。また鶴舞地区は桜の名所であり、氏は今、染井吉野という桜の発祥地に眠っている・・というわけで"桜"に縁があるようです。
    ・・・・・・・・・・・・
    点字に関してのお話、長くなるので次回に続けます。P.S. 下記ご参考までに・・
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    11月1日を「〇〇記念日」や「〇〇の日」としている例は、点字制定記念日の他にも沢山あって・・(ワンワンワンの) 犬の日 灯台記念日紅茶の日すしの日本格焼酎の日泡盛の日川の恵みの日野沢菜の日石勝線(せきしょうせん:北海道)開業の日東武鉄道創立記念日明治神宮創建の日山手線環状運転開始の日計量記念日古典の日教育の日生命保険の日カーペットの日サービス介助士の日ラジオ体操の日自衛隊記念日警備の日本の日ダーツの日名木伝承の日紅茶の日玄米茶の日ソーセージの日いい医療の日スーパーカーの日世界ヴィーガン デーなどで、各々その由来などを掲げると大変な量になるので割愛しますが・・詳細は・・
    ・・・・・・・・・・・・・

    明日待子をモデルにしたNHKドラマ「アイドル」が8月11日に放映された直後に、私が2018年8月18日に発信したブログ・・http://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/4443890.html・・を閲覧された方が多数いらっしゃったので、少し関連情報を追加してみます。

    ※再放送はNHKのBSプレミアムで8月29日(月)21時~22時30分

    ※佐々木千里(ささきせんり)とはムーランルージュの設立者であり、NHKのドラマの中では椎名桔平が扮していた人物。

    ※ドラマの中でも使われた「ムーランルージュ」という呼称はていねいな表現では「ムーランルージュ新宿座」とも呼びますが、正式名称は「新宿座」。しかしここでは以下、当時の通称である「ムーラン」を使います。

    ◎ムーランの在った場所はどこか?
    現在の住所で言えば東京都新宿区新宿3丁目(昔は淀橋区角筈=つのはず・・と称した所)。現JR山手線新宿駅南口(甲州街道側)を出て北へ徒歩約3~4分くらいか。現在は「ドンキホーテ」のお店があるビルあたり。下地図の赤印位置。(左側の桃色の帯部分は新宿駅ホーム)(クリックで拡大)
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    ↓ムーラン跡地に建つビル(ディスカウントショップ「ドンキホーテ」などが入っている)
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    ◎佐々木千里は隣の豊島区で区議会議員にもなったのか?
    答は・・NO! 新宿区に在ったムーランの設立者である佐々木千里とは別に、すぐ隣の豊島区に区議会議員などをして活躍した同姓同名でしかもほぼ年齢が同じと思える人がいたのです。私を含めた70才以上の人で昭和30年代に豊島区の住民だったか、あるいは東京都に住んでいた人の一部は「佐々木千里」という名前を聞けば、昔は選挙運動で連呼される名前をさんざん聞いていたからこちらの議員さんのことしか思い浮かばない。ですから昔に豊島区在住者だった私もムーランの佐々木千里を知った時点で「ムーランをやめてから議員にもなったのか?と思わずつぶやいたのですが、私と同じ思いをした人がネット上でとりあげたら一時、騒ぎになり、当初は「それって絶対に同一人物だ!」という声もあったものの最終的には「どうやら、別人のようです」ということで終息。・・というわけでご両人について今回少し調べてみました。(実際は10才ちがいでした)

    《ムーランの佐々木千里》
    静岡県生まれ。1891(明治24)年~1961(昭和36)年 69才没。
    浅草オペラでチェロ奏者だったが後に浅草の他の演劇場の支配人となる。新宿に移り1931(昭和6)年の大晦日に「新宿座(ムーランルージュ新宿座)」を設立。劇団も作り、多くの人材を育てた。その内の一人が明日待子。↓(写真は「ライブドアニュース」より引用)
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    佐々木千里は当時人気のエログロナンセンスの風潮とは異なる路線をとったが、前年の昭和5年に、純潔性をうたって宝塚歌劇(レビュー)が関西で始まったことも意識にあったものと私は思う。

    当時の出し物の構成は”世相を反映した芝居3本とダンス(ラインダンス含む)”など。
    人気女優らのラインダンス(明日待子さん所持の写真を朝日新聞がムーラン関連記事(2011年2月16日発行)用に借用したもの)
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    ムーランの周囲には大正から昭和にかけて10数軒の映画館があって、その内の1軒を改装して誕生したのがムーランなので、一時期は映画上映も行った。
    『戦時中も興行は中止することなく続いたが、空襲警報が出ると観客と一緒に地下の防空壕に潜った。しかし45(昭和20)年春の空襲でムーランは表側だけを残して焼け落ちた』(『』内は朝日新聞2014.10.10記事より抜粋)
    氏は劇場経営は松竹などに任せていたが、丁度還暦の頃1961(昭和26)年に閉館した。

    閉館間近の時期にムーランの劇団員をまとめていたのは、当時座長夫人でその後映画「男はつらいよ」シリーズでおばちゃん役をつとめた三崎千恵子だった。三崎は後年「ムーランは私の人生!」と言っていた。

    《議員であり実業家だった佐々木千里》
    長野県生まれ。1901(明治34)年~1975(昭和50)年以降没で不詳。
    27才で上京以降、商社、造船会社、製塩会社、漁業会社など創業。昭和28年には「東京丸物百貨店」※を開業。
    更に学校法人設立。東京商工会議所豊島支部設立同時に支部長就任。そして昭和22年から豊島区議会議員。昭和26年から44年までは都議会議員。その間に自民党幹事長にも就任。
    1975(昭和50)年に勲四等旭日しょう(糸へんに賞)受章。
    ・・というわけで、この方は東京都板橋区の松月院にブロンズ胸像があるほどの人でした。

    ※丸物百貨店は東京・池袋東口の西武百貨店の北側に隣り合わせて存在したが後に西武側に売却されて「パルコ」になった。これはその後各地に出来たパルコの第1号。

    まあ、それにしても「佐々木千里」という名前は世の中には少なそうで実は結構多いもので、今回とりあげた二人の他にネット上だけでも多数存在していたのは意外でした。

    ◎暗い世相ゆえに明るく咲いたムーランか?
    ムーラン開業の1931(昭和6)年とその前後の社会は総体的には暗い時代であり、その中で生まれ、存在し続けたのは、民衆の心に少しでも明るい光を提供しようとしたからであろう。

    1927(昭和2)年には経済恐慌が始まり、銀行の休業が相次ぎ、都会では失業者が多数。土管の中や無料宿泊施設に寝泊まりする人は多く、東北・北海道では昭和6年と10年の冷害で農作物収穫量は平年の3分の1以下で困窮して、ナラの実やワラビの根を粉にしたものまで食べ、それでもしのげずに娘を売りに出す農家が続出した。

    ↓土管に寝泊まりする人たち(昭和5年)(以下写真5枚は毎日新聞社刊の「昭和全史」より引用)
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    ↓東京市の無料宿泊所は満杯(昭和6年)
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    ↓大根かじって空腹まぎらわせるか?
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    その上、軍靴の足音高くなり、丁度昭和6年9月18日、日本の関東軍は中国・奉天郊外柳条湖の南満州鉄道の線路を自作自演で爆破したものを、蒋介石率いる国民党軍の仕業ということにして戦闘開始で満州事変勃発。以降15年間におよぶ戦争に突入していくことになる。
    翌7年には満州国建国。8年には国際連盟脱退。

    ↓チチハル(中国北東部の町)に出撃直前の関東軍第2師団歩兵(昭和6年)
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    一方で世の中には「エログロナンセンス」がもてはやされ、「モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)」が都会を闊歩し、上流階級は女性でもゴルフに興じるという現象も現れたが、これは今ほどは情報伝達が機能しなかったから農村の窮状がピンとこないこともあったかも知れないが、暗い先行きの不安をまぎらわす一時のあだ花だったようにも思われます。

    ↓モガたち(昭和6年)
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    そして戦争激化で学徒出陣体制にまでなり、出征前にせめての見納めにと多くの大学生がムーランを訪れた。その彼らの内で生還できた人はどれくらいいたのでしょうか。

    ◎明日待子さんの亡くなる2年前のお顔
    2017年に97才でテレビ番組「爆報THEフライデー」(TBS系)の取材に応じた際のお顔です。小ジワが無いのには驚きます。
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    2014年の朝日新聞の取材時には、「上京して間もない頃、ムーランの屋根裏部屋の壁に『この部屋は屋根裏の天国だ』と落書きしました」、「本当に楽しかったんですよ」と語っている。

    結婚後の札幌では日本舞踊のお師匠さんをされていましたが、亡くなったのは2019年7月14日・・そう、この日は「パリ祭」(フランス革命記念日)であり、ムーランルージュの本家が在るパリに因んだ日とは・・明日待子さん、さすがに粋でしたね。

    ↓谷中安規 作「ムーランルージュ」(昭和8年)
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    ・・・・・・・・・・・・

    先日、千葉県で”アニサキス”による腹痛をおこした人が出たというローカルニュースを見たことで思い出したのは・・

    ◎アニサキスをスーパーで発見!
    昨年、私が地元の食品スーパーで買い物中、魚介類売り場で冷蔵ショーケースをのぞいていたら、発泡スチロールのトレイに入れられて透明ラップにくるまれた”魚の切り身”などが並ぶ中に、赤味がかった生鮭だったか?の表面をゆっくり移動している細く白い生き物(約4センチ?)を見つけた。すぐにこれはアニサキスに違いないと判断して、このまま売られてはマズイことになると思ったので、”周囲の買い物客には気づかれないよう騒がずに”近くの店員を探して確認させたら、あわててバックヤードの”魚をさばく係”を呼び出したので担当者らしき人が飛んで来てすぐにそれを持って引っ込んだ。

    後から思うに、あれは赤味の色の魚だったから白いアニサキスが容易に見つけられたのであり、これが白身だったらそうは行かなかったかも知れない。

    ↓生鮭切り身にいるアニサキス(大きさが分かりやすい「ねもぱい」さんのツイッター動画より引用)
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    ↑透明体のように見えるが、普通は白色不透明

    ◎アニサキスとは?・・
    アニサキスは”線虫(センチュウ)(線形動物とも言う)”の一種で、太さ0.5~1ミリ、長さ2~3センチの白いヒモのようなカタチの生き物。

    ただし一般にアニサキスと称して我々が見る姿は” アニサキスの幼虫”であり、成虫はクジラやイルカなどの体内にいる。(しかし私は成虫の姿を知らないが・・)

    アニサキスは魚の内蔵に多くいて、そこから魚の身の部分や表面の皮にまで進出することがあるもの。

    アニサキスは多くの種類の魚に存在することがあるが、ポピュラーな魚では・・
    サバが特に多く、次に多いのはサンマ、スルメイカ。(以上3種は、私の知人である東京・六本木の寿司店の職人さんからの情報) その他ではアジ、サケ、カツオ、イワシ、ヒラメ、イカなど。

    アニサキスは酢や塩では死なないが、煮るか又は冷凍(マイナス20度以下で24時間以上)した魚では死んでしまう。このことから、回転寿司ではネタの殆どが冷凍魚介類なのでほぼ安心。

    また養殖魚では”冷凍した餌”、または”魚肉を加熱圧縮したペレット”を餌として育ったものはリスクは少ない。ただし養殖魚でも生魚を餌にしている場合があるので注意が必要。

    ◎アニサキスによって現れる症状
    アニサキスが寄生した魚を食べた場合、だいたい8時間以内に胃痛、腹痛、嘔吐、まれにじんましんを発症する。これを「アニサキス食中毒」、「アニサキス中毒」、「アニサキス症」などと呼んでいる。

    治療には通常は鉗子(かんし)付き内視鏡でアニサキスを視ながらつまみ出して除去する。

    ◎図解:アニサキスの一生とアニサキス食中毒
    クリックで拡大↓
    anikisas-cycle
    東京都世田谷区のHPより引用

    ◎アニサキス食中毒の誤解
    アニサキスが胃壁や腸壁に噛みつくから痛むと思いがちだが、アニサキスが胃などの粘膜に頭を突っ込むことはあっても、歯が無いので不可能。ではなぜ痛むのか・・

    それはアニサキスの分泌物によって胃壁や腸壁がアレルギー反応を起こす結果と言われる。

    アニサキスによる症状は二大別され・・
    一つは「緩和型」症状で、その人にとって最初のアニサキス侵入では胃や腸に軽い違和感があるか、または自覚症状が無いもの。 

    もう一つは「劇症型」症状で、これは”一度アニサキス侵入経験”がある人が再び侵入されると今度は激痛を生じるもので、それゆえにこれはアレルギー反応とされる。 これは何やら”スズメバチに二度目に刺されると重篤な状況になり、時には死にいたることもあるほど危険”というケースに似ている? ・・ということでアニサキス食中毒を発症した人は、それ以前に一度アニサキス侵入を経験していることになる。

    ◎「アニサキス」の名を広めた森繁久彌の中毒事件
    1987(昭和62)年に、俳優の故・森繁久彌が名古屋公演中に夜食として”鯖の押し寿司(ばってら)”を食べた数時間後に腹部激痛を発症したので開腹手術(当時は内視鏡手術が無かった?)をされたところ、原因とみられる寄生虫が発見され、それが「アニサキス」という名であることがマスコミを通して広く知れ渡ることとなった。これは私もよく覚えているほど有名な話。

    ここで他の実例を少々・・
    先日(2022年7月下旬)のこと、千葉県船橋市の寿司店(東京築地に本店があり、その支店)で購入した”寿司盛り合わせ”を自宅で食べた男性が5時間後に腹痛とじんましんの症状が出て、検査の結果、胃の中にアニサキスを発見、除去して回復したが、保健所は「アニサキス中毒」と断定して、同店での冷凍食材を除く生食用魚介類の提供を一日間停止処分とした。

    また今年6月には元AKBの一員でタレントの板野友美が、寿司を食べた翌朝に胃のあたりが激痛なので病院へ行き、十二指腸潰瘍という診断で処方された薬を飲んでもいっこうに治らないので、胃カメラ検査してもらったところアニサキス一匹が見つかり、除去して治ったが、「出産の時より痛かった」そうだ。

    その他、芸能人では南海キャンディーズの山里亮太や渡辺直美らも経験者。

    現在の日本では毎年400人弱のアニサキス食中毒者が出ているが、前述例からすると特に寿司には要注意!

    ◎”がん”発見に役立つのも”線虫”
    アニサキスと同じ線虫の仲間でも”がん”の有無の判断に役立つという”いい仕事をする”線虫がいる。

    それが体長約1ミリの「C エレガンス」と名付けられた線虫で、”何らかのがんを持っている人の尿の臭いには寄ってくる、逆に健常者の尿からは逃げる”という行動をする。

    それは犬を上回る約1200の嗅覚受容体を有するゆえの特性である。犬の嗅覚は人間の3千~1万倍とされるので、それを上回るこの線虫の嗅覚たるや、恐ろしいほど。ゆえにいわゆる”がんのステージ”1は勿論、ステージ0も感知できる。

    ↓これが体長約1ミリの線虫「C エレガンス」
    c-elegansce
    この特殊な線虫の特性を2013年に発見して研究改良を重ね、その成果をがんの超早期発見に役立てようと (株)HIROTSUバイオサイエンスを起業したのが、社長の広津崇亮 氏。現在この会社は国内・国外で22の特許を取得し、”がんの一次スクリーニング検査”用と位置付けた商品として「N-NOSE検査キット」(税込13800円~)を出している。使い方など詳細はこの会社のホームページご覧あれ。

    但し、今のところ、このキットで分かるのは”何らかのがんにかかっているか否か”であり、その的中率は86.3%.。がんが感知されても、そのがんの種類は特定できないが、現在”線虫が反応するのは”胃がん、肺がん、前立腺がんなど15種類あることが分かっている。偶然にもちょうど今(2022年8月)、「N-NOSE検査キット」のテレビCMが流れている。

    ※広津社長の九州大学学生時代の線虫研究から始まり、その後起業しての活躍とその志については・・
    https://rikeinavi.com/guide/careerguide_topint_21s/

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    余談 : 私は「アニサキス」を「アニキサス」と言い間違えたり、書き間違えたりすることが多いので、自分の中では・・「兄貴 刺す(あにき さす)」のはダメ。「(兄をたてて)「兄 先っす(あに さきす)」・・とするのが間違い防止策。(笑)
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    このブログ発信時点では、ウクライナの港からの農作物輸出が再開されるかどうか怪しい状況で、この先どうなるのか? 船舶による輸送が滞って倉庫には小麦だけでなくヒマワリの種と油までも大量に滞留しているので世界的な食糧危機を招いているが、一方、航空機による物資輸送にも支障がでているはず。

    私は、チェリノブイリ原発と、ただ1機しか存在しない世界最大の輸送機「アントノフAn225」がウクライナにあったとは知りませんでしたが、報道写真で”ロシア軍によって破壊されたアントノフ機の無残な姿“を見てショックを受けた。

    破壊されたアントノフAn225(朝日新聞デジタルより引用)
    broken225

    アントノフAn225には一回り小さいアントノフAn124が存在することは私も知っていたので、225破壊のニュースばかりの中、124は大丈夫だったのか心配したが、これも残念ながら225近くに駐機していたので一部損壊していることもその後に知って二重にショック! しかしウクライナにはAn124が7機もあり、無傷のものもあるそうで少し安心した。

    この2機種はその大きさゆえに”チャーターされて”緊急かつ大量または大型の物資”輸送に世界的に大活躍していたので、これから困る企業や地域、国が出てくるのではないかと気になるところ。 この2機種の概要とその活躍とは・・

    ◎世界最大輸送機「アントノフAn225(愛称:ムリヤ/ムリーヤ)」
    全長84m/全幅88.7m/最大積載量250t/最大離陸重量640t/エンジン6基
    Antonov225all
    An225(Wikipediaより)
    車輪の数がすごいAn225!(Automotive media ResponseのHPより)
    antonov20rin

    An225の活躍例
    ・2008年:サモア沖地震被災地への救援物資輸送
    ・2010年:ハイチ大地震復興支援物資等輸送(日本の防衛省がチャーター)
    ・2011年:東日本大震災救援物資150トンの日本向け輸送(フランス政府がチャーター)
    ・2020年:中国・天津からの医療品をカナダへ輸送

    ◎大型輸送機「アントノフAn124(愛称:ルスラン/ルスラーン)
    全長68.96m/全幅78.3m/最大積載量150t/最大離陸重量405t/エンジン4基 
    (エンジン1基は4トン、主翼の中のタンクには燃料のケロシン25万リットル、荷室床はチタン製、30トンクレーン内蔵)

    An124(以下写真4枚はディスカバリーチャンネルテレビより引用)
    antonof2 (2)

    An124の活躍例
    ・1999年:広島電鉄5000系車両輸送
    ・2003年:自衛隊イラク派遣関連物資輸送
    ・2010年:自衛隊海外派遣に伴う重機、ヘリコプター(チヌーク)輸送
    (防衛省は自衛隊海外派遣に伴うチャーターをその他多数回行っている。) 
    ・2011年:東日本大震災時の福島第一原発事故処理用の注水ポンプ車をドイツから輸送。
    ・2014年~:ボーイング787型機の一部製造担当の日本工場への機材や部品の輸送に頻繁に飛来。 (中部国際空港着)
    ・NASAや三菱電機の人工衛星の運搬に多用されている。
    ・(発生年不詳)世界最大の風力発電機メーカーであるヴェスタス社(本社:米国コロラド州デンバー)が直径67メートルの風車の発電機を受注したが、そのブレード(羽根)(1枚30数メートル)の”成型用の型”が中国の上海にあったものをデンバーに戻す必要が生じ、しかも納期の関係で短時間に実行するためにAn124をチャーター。その結果チャーター発注から72時間で到着(飛行距離約1万キロ)。もしこれが船便なら1ケ月半から2ケ月かかるもの。
    ブレード成型用の型の輸送に使われたAn124
    antonof1 (2)

    上海から米国デンバーへの途中An124の機中から見えた富士山
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    デンバーに到着した”風力発電機ブレード成型用型”(長さ30数メートル)をAn124後部から引き出す作業(この機種では積載物の出し入れは機体頭部からもできる)
    antonof-windgnrtor (2)

    ◎An225、An124参考
    ・An225は旧ソ連において”ソ連版スペースシャトル「ブラン」”を運搬するためにAn124(1982年初飛行)をベースにして大型化し、ブランを背負うかたちになるようにアントノフ設計局が設計して作られ、1988年に一度だけ飛行したが、ほどなくソ連崩壊により、その役目は終わった。

    ブランを背負って飛ぶAn225(米国ではボーイング747がスペースシャトルを背負って飛行)
      (vasily koba wikimediaより引用)
    buran-0n-255

    ・ソ連崩壊後はAn225や124をウクライナの「O.K.アントノフ記念航空科学技術複合体」が所有と開発を行っていて、子会社の「アントノフ航空」がAn124と225を大型積載物輸送用にチャーター機とするビジネスを展開している。

    ・An124はソ連時代からの生産累計は56機で現存は52機。内26機はロシアが軍用機として使用中。残り26機が民間用で、7機がウクライナのアントノフ航空所有。12機をロシアのヴォルガ・ドニエプル航空が所有。このヴォルガ・ドニエプル航空のAn124は2010年の自衛隊海外派遣に伴う重機、ヘリコプター輸送時やボーイング社の787日本製造工場への部品等輸送などにチャーターされている。

    ロシアによって破壊されたAn255は修復不可能だが、実は別に同型のもう1機が70%まで製造途中だったのでこれを完成させるとウクライナ政府が発表している。

    ・超大型機のため対応空港が限られるが、日本では成田、仙台、中部(セントレア)などの空港、米軍横田基地にも飛来している。中部国際空港は途中給油目的の場合も多い。米軍もチャーターすることが多くて横田にも多い。

    ◎世界の大型輸送機比較表 (Wikipediaより)
    An124と225が登場するまでは米国のロッキード(現、ロッキード・マーティン)社のC5B(愛称:ギャラクシー)が世界最大輸送機だった。
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    ロシアによるウクライナ攻撃が早急に停止されて、アントノフ航空は勿論、今は利用が避けられているだろうロシアのヴォルガ・ドニエプル航空も加わって再び世界の重要な物資輸送のためにAn225と124が飛び回る日が待たれる。
    ・・・・・・・・・・・・

    近年、なにかと「持続可能性(サステナブル)」が重視される中で、かつて日常的によく使われていた素材が主に石油由来のものに置き換わってきたものの、持続可能性があるゆえに再び復活して採用されることが増えてきた。その例として”私的に注目するもの”を少しとりあげてみた。

    ◎「セロハン」再登場
    つい最近のこと、ある集会で出されたお菓子の中に”ひとくちチョコレート”あり、手にとってみたら透明な包み紙のなんとなく指先にしっとりと馴染むような懐かしい感覚は・・もしかしてセロハンか?と思ってよく見ると、透明な中に一部文字印刷で「個包装紙:セロハン」とある。「やはり」と思うと同時に、このセロハンの触感を知らない若い人たちは多いだろうとも思えた。
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    包み紙をのばすと「個包装紙:セロハン」と印刷あり
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    セロハンの製造工程は・・木材→パルプを粉砕してセルロース→水酸化ナトリウム、二硫化炭素を加えてビスコースになる→スリットを通して薄い膜→硫酸で中和→セルロースに戻る=透明なセロハン紙・・となる。

    ※セルロースは植物の細胞壁や植物繊維の主成分であり、全ての植物の1/3の量を占めることになり、これは地球上でもっとも多く存在する炭水化物。

    ※ビスコースをスリットではなく、細い穴から繊維状にとりだしたものが「レーヨン」(別称:ビスコースレーヨン)

    セロハンの特長と用途
    ・透明、光沢。
    ・非帯電性でゴミや埃が付かない、細菌通さないなど衛生的→食品包装材料
    ・飴などを包んで両端をねじったものが勝手にほどけない。
    ・紙なので古紙リサイクルできる。
    ・土やコンポスト処理では水と有機物に分解される。
    ・燃焼時の発熱量はプラスチックより少なく、有害ガス出ない。
    ・袋などにした場合、端から裂けやすく開封しやすい(場合によっては弱点にもなるが・・)

    セロハンの弱点
    ・吸水すると軟化してフニャフニャになる
    ・乾燥しすぎると脆く、破れやすい。
    ・熱で反る。

    ※弱点対策品として「防湿セロハン」があるが、これは普通のセロハンの表面にポリ塩化ビニリデンを塗布したもので、こうなると純植物性ではなくなる。

    このように、セロハンは、適正に管理された木材供給源からなら持続的に得られる原料で作られるモノであり、その他の地球にやさしい長所も活かし、弱点を考慮しながら再び採用すべきものだろう。

    ◎「カポック」は”エコ重視時代”に再注目で登場?!
    観葉植物として普及しているカポックですが、日本にはいつ頃から存在しているのだろうか?
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    私がカポックという植物を知ったのは1960年代前期(昭和30年代後半)に、「カポック・コーン」採用のスピーカーといううたい文句でフォスター電機(株)(当時のブランド名は「FOSTER」、現在は「FOSTEX」※)から「FE-201」などの品番の商品の広告が電気雑誌に頻繁に掲載されていたからで、ただし当時はカポックがどういう姿をしているかなど知らなかった。

    コーン部(振動板)にカポック採用のFOSTER FE-201 20センチ口径ダブルコーン フルレンジスピーカー
    foster-fe-201
    話は少しそれるが、フォスター電機という会社は技術力が優れ、ソニー、ヤマハ、ゼンハイザーなど多数の大メーカーのスピーカーを製造している(いわゆるOEM)し、全世界の自動車の車載スピーカーの10パーセントは同社製。それゆえに早くからスピーカーのコーンの材料の研究開発にも取り組んだのでカポックも60年近く前には採用していたわけで、現在は例のケナフも当然のように使用しているのだそうだ。

    ところで、以前に紹介したイタリアのソナス・ファーベル社の製造するスピーカーのコーンの一部には”ケナフが使われている”と紹介しましたが、同時にカポックも使われているとのこと。
    speaker (2)

    さて、カポックのいかなる部分を使っているのか・・それは大木になってできる”長さ20センチくらいの紡錘形の実の中の種のまわりに綿のように着く繊維”。・・ということは、木を伐採せずに実だけを使うのでサステナブル・・というところが素晴らしい!
    kapok1

    kapok2

    kapok3

    最近、カポックを積極的に活用する会社が注目されている。それが「KAPOK JAPAN(株)」(社長:深井喜翔)。
    同社の活動趣旨は・・「生産者、消費者、地球環境、全てに無理のない形を模索しながらサステナブルで機能的な素材を世界中に届ける」 (上の3枚のカポック写真は同社公式サイトから引用)
    https://kapok-japan.com/

    従来、カポックの繊維は短くて衣料用の糸に向いていなかった弱点を、旭化成との共同開発で解決して、シートやコートの製造をしていて、順次商品陣容を増やす計画。

    ◎復活して欲しいモノ(1)経木(きょうぎ)
    経木とは木材を薄く削った板で、元は経典を写すのに高価な紙の代わりに使われたのでこの名が付いた。厚みは1ミリ~0.05ミリくらいで、厚いものは駅弁などの折箱などに使われ、薄いものは昔は食料品店などで品物を包んで客に渡されたりした。材質は杉、檜、赤松などが使われた。

    経木(一例:赤松材15×51センチ 100枚3618円)(ヤフーショッピングサイトより引用)
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    厚手の経木使用の”わっぱ”(128×50ミリ 10個1990円税別)(モノタロウサイトより引用)
    kyougi-wappa
    経木が食品に使われたのには訳があり、殺菌力、抗菌性、吸水性、保湿性があるから。そして廃棄しても土に戻ったり、バイオマスにも使える。もちろん石油由来でもない・・ということで近年再登場の動きあり。

    私が個人的に切望するのは、”経木に包んだ納豆”であり、理由は”納豆と経木の香りが絶妙に合うから”で、現在のような無臭の発泡スチロール容器に入ったものはもちろん、昔のように”わらずと”に包まれて”わら”の匂いが勝ってしまっているのもダメ。発酵食品の権威である小泉武夫氏も”経木に包んだ納豆は味がワンランクアップする”と言われている。

    私が子供の頃は、毎朝に納豆売りの少年が「ナアットナットーナットー」という発声で路地をまわっていた。
    その納豆は一辺が10センチくらいの正三角形になるように折りたたんだ経木の中にくるまれていた。量としては100グラムぐらい? いや当時はまだ尺貫法時代だから30匁(112.5グラム)だったかも知れない。

    その香りからすると経木は杉ではなかったが、檜なのか赤松だったのかわからない。しかし納豆には赤松材が最適らしいが、赤松は松茸のモトだから悩ましいものと思ったら、計画伐採によって赤松の経木はけっこう多く使われているようだ。

    小泉氏自作の経木三角折り納豆を開いた様子
      (「丸ごと小泉武夫マガジン」より引用)
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    余談だが、今の納豆はおいしいものが少ない。それは原料の大豆をなぜか小粒にしてしまっていることが大きな原因で、納豆は大粒のほうが旨い。ということを周囲に広言していたら、いました同意の人が・・俳優の中尾彬が「納豆は大粒に限る!」と、食通の氏が言うから心強い。

    ◎復活して欲しいモノ(2)竹の皮
    以前のブログでも言及しましたが、竹林保全とエコ的有効利用のためにも竹の皮は大いに使うべき。その竹の皮の特長は防腐性、抗菌性、通気性あることなど。これも前出の経木と同様に昔は食品関連に多用されていたものの現在はプラスチック類に代替されてしまっているが、非石油由来素材としても再登場必要。
    竹の皮:長さ47~50センチ、巾12~14センチ(Amazonサイトより)
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    しかし、昔から変わらずに竹皮を使っている例がある。それは「のし梅」と称する和菓子。これは半透明の琥珀色した厚さ3ミリほどの羊羹のような食感の梅の香りする甘酸っぱい味の菓子で、これを2枚の竹皮で挟む格好となっている。私の知る限りでは茨城県と山形県で作られているようだ。実はこの和菓子、私の大好物。
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    竹皮寸法は長さ15センチ、巾4.5センチ
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    この半なまのような菓子は、防腐性や抗菌性をもつ竹皮が必須だったのでプラスチック素材は不採用になったと考えられる。ちなみにカマボコのかまぼこ板の役目の一つは、製造直後の余分な水分吸収(その結果、カビや細菌の繁殖抑止)と、その後のカマボコ本体の乾燥防止のために逆に水分補給するという水分調整なのでプラスチックは使えないという点では”のし梅”の竹皮採用のケースと似ている。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※「フォスター電機」の前称は・・「信濃音響」・・ついでに電気・電機各社の前称は・・
     「パイオニア」←「福音電機」・・創業者:松本望の父が有力なキリスト教宣教師
     「ソニー」←「東京通信工業」
     「シャープ」←「早川電機」・・創業者:早川徳次がシャープペンシルの発明者
     「富士通ゼネラル」の「ゼネラル」
    「八欧電機」
     「アイワ」(現在は十和田オーディオの子会社)←「愛興電機」
     「パナソニック」←「松下電器産業」
     「オムロン」←「立石電機」
    ・・・・・・・・・・・・・

    世の為、人の為になるモノが多い中で、その”良さ”を誰もが享受できることにはならないモノがあるということを、私の身の回りで実際におきた例の中からご紹介!
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    ◎「節水シャワーヘッド」が使えないマンションがある!
    “従来型に比べて節水が出来る”とうたって数社から出ているシャワーヘッドは、従来品よりも水の出口の穴が細かくしかし穴の数は多いという仕様で、結果として少ない水量でシャワー感がえられるが、そのためにはシャワーヘッドへの水圧が確保されないと“いわゆるシャワーのような水(湯)”の勢いの出方にならない。

    水圧は一般の戸建て住宅など地中水道管からの直結配管給水では問題ないが、マンションなど集合住宅内の各戸への給水方式は不足する場合が多く、屋上に在る高置き水槽(給水タンク)から各戸に配水する旧来の方式では(節水シャワーヘッド用の)水圧確保できる場合もあるが、近年普及している「直結給水方式」は受水槽使わずにポンプで加圧して各戸へ直接給水するもので、水圧確保に至らない状態が多く、その場合はシャワーの勢いの水(湯)が出なくなる。

    下図左の受水槽式の場合、地上又は地下に大きな受水槽を設けて屋上の高置水槽は極小さいものであり、昔は地上などの受水槽などが無いので屋上の高置水槽が大きい必要があった。(図は建築ライター/エディターの加藤純 氏のブログより)

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    また、エコキュートなど”電気温水器による温水を保温貯湯したタンクからの給水”も水圧が不足して節水シャワーヘッドが不適合の場合がある。これはつまり、戸建てでもオール電化マンションでも起こりうるということになる。

    マンションに住む息子の家庭ではシャワーをよく使うというので、私どもが節水シャワーヘッドをプレゼントしたら、水圧確保できていないらしく「使い物にならない!」と言うので、結局我が家が引き取り、戸建てだがエコキュートを使っているものの、シャワー時には混合栓使用で普通の水道水と混合して使っているので水圧確保されているためか、不具合無く機能を発揮している。

    これが現在の我が家の節水シャワーヘッド
    shower-head (2)

    ◎「タンクレストイレ」がマンションによっては使えない
    各社のタンクレストイレ(左から、Panasonic/LIXIL/TOTO)
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    タンクレストイレとは、水洗トイレにおいて、従来は便器に流すための水の大きな貯水タンクが存在していたが、これを無くして直接水道水を便器に流すもので、従来便器では1回当たり平均13リットルの水使用が約4リットルで済み大幅に節水となる。しかしこれも先述の節水シャワーヘッドの例に同じく水道の水圧が必要で、やはり戸建て住宅(2階建て以下)における採用に支障はないが、マンションなどの集合住宅では使えないケースが発生することがある。

    当然タンクレストイレのメーカーはこの水圧問題を承知しているので、使用には指定水圧以上を必要条件として明示している。しかしこれではタンクレストイレの拡販・普及が伸び悩むので、タンクレスと称するものの便器の一部に小さなタンクと加圧ポンプを内蔵して、やや水圧不足の水道水直接流と同時併用して問題解決した商品も登場している。

    併用方式例(TOTO)
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    私の別の息子宅もマンションだが数年前、トイレ改装するにあたってタンクレストイレに換えようとしたが、リフォーム業者の水圧計測器で水道水の水圧不足という結果が出て不採用となってしまった。当時は前述のような”小タンク・加圧ポンプ内蔵型”は無かった。

    ◎「骨伝導式補聴器」でも高齢者には効果なし!
    ヒトが音を受け取る最終器官は内耳に在るカタツムリ型をした「蝸牛」という部分で、そこから聴覚神経を通じて脳で感知する。

    音が蝸牛に達する経路は3種あり・・

    (1)”耳の穴から入って鼓膜、3つの小さな骨を介して蝸牛に到達”(その場合の音=気導音) 

    (2)“頭蓋骨(および若干の皮膚)の振動が直接蝸牛に到達” (その場合の音=骨導音) 

    (3)前記(1)(2)の両方による到達。

    “難聴”には3種あり・・

    (A)「伝音性難聴」・・上記(1)の気導音の伝達途中で何らかの障害 (例えば鼓膜破れや中耳炎など) があるもの

    (B)「感音性難聴」・・蝸牛や聴覚神経の機能障害による難聴 

    (C)「混合性難聴」・・(A)(B)の両方による難聴。

    高齢者の「老人性難聴」の原因は前記(B)又は(C)の部類だが、蝸牛や聴覚神経の機能障害と言うよりも”機能減衰”によるもの。

    そう言えば、難聴になったという高齢者を診てみたら、耳の奥に大きな耳垢の固まりが詰まっていることが原因だったということで、これは前記の「伝音性難聴」にあたりそうだが、そんな笑えない話を聞いたことがある!

    難聴に対して使われる補聴器には、一般に普及しているタイプの他に、「骨伝導式補聴器」があり、前記のように頭蓋骨を通じて骨導音を得るものだが、この補聴器が効果を発揮するのは(前記の) 「伝音性難聴」に対してのみなのであり、「老人性難聴」用として特に向いているわけではない。

    私の母も晩年には難聴が進んだので、私の自作のサテライトスピーカー(有線/2スピーカー)でテレビの音を耳の近くで聴いてもらえるようにしたりもした。

    自作サテライトスピーカー(下は100円硬貨)
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    一方で耳栓型の補聴器も3種使ってもらったが、物理的に「うっとうしい」と言って拒否されるので、”耳がうっとうしくない” 骨伝導式補聴器を検討したものの、「老人性難聴」に特に向いているものではなく、しかも耳穴以外の頭部でうっとうしさが発生するということが分かったので結局は採用を断念した。

    眼鏡型「骨伝導式補聴器」(リオン(株)社製)
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    近年、奈良県立医科大学が開発した「軟骨伝導型補聴器」がリヨン(株)から発売されている。これは拡大した音声の振動部分が耳の上部の軟骨の根元に当たるように置いて使用すれば、従来の骨伝導補聴器よりも音が伝わりやすくなっている。

    軟骨伝導型補聴器(リヨン(株)):右は装着状態
    nankotu-set

    ※「補聴器」と「集音器」がある!
    超高齢社会になって難聴者が多いので増えているのが「集音器」と称する機器。これもひろった音声を大きく聴けるものだが、その音質などの特性はメーカー側が設定した一方的なモノがほとんどの電気製品と言うべきもので誰でも簡単に買えるが、一方の補聴器は薬事法による管理医療器の認定を受けたものであり、指定医療機関を受診して、個人の難聴度とその原因などに合わせて機器特製が調整されたうえで購入できるものであり、この補聴器は医療機器承認番号が取得されたものとなる。当然補聴器は高額となる。例えば前出の軟骨伝導型補聴器(リヨン(株))は片耳当たり30万円。一方の集音器は5千円台からある。

    骨伝導式集音器(Bonein社製)
    kotudendou (2)

    ※通話用骨伝導器は軍隊などでは重要
    軍事用の通話はマイク付き骨伝導受話器で行い、あいている耳では各種警報や銃撃音などを確実に聞き取る方法が米国軍などでは多いそうだ。

    ※難聴のベートーベンもエジソンも骨伝導を利用していた!
    難聴になったベートーベンは指揮棒(タクト)を口にくわえて、その先端をピアノに押し付けて伝わってくる音が歯から頭骨に響くのを確かめながら作曲を続けたという話がある。

    少年期からすでに難聴だったエジソンはなぜか自分自身のためはおろか、補聴器の発明の依頼があっても実行しなかったが、自身は”音を発するモノ”に歯で噛んだ金属板の端を当てて伝わってくる音を頼りに実験をしたりしていたし、彼が愛用したピアノは歯を通しての音を聴くための歯型が残っていたそうだ。つまり二人とも骨伝導を利用していた。

    ・・・・・・・・・・・・

    20年くらい前のこと、仕事上でお付き合いがあった方が離任されるというご挨拶をされた際に「これまでの感謝をこめて自分で作ったモノですが、お受け取りください」と言われて戴いたのが下の写真の竹製「茶さじ」。現在は表皮(下写真の2枚目)が黄味おびた薄茶色に変化しましたが、当時はまだ新鮮な緑色でした。

    ↓戴いた自作竹製茶さじ(横は100円硬貨)
    tyasaji-tutu (2)

    ↓同品の裏側
    tyasaji2 (2)

    その方は東京在住なのですが、千葉県の太平洋沿いのある土地を購入していて、そこに生えている孟宗竹の間伐材を利用して、茶さじを10個くらい作った・・とのこと。

    それは1個作るのにも時間がけっこうかかることがわかるモノで、その方の気持ちが浸みこんでいると感じ入りました。そして竹の茶さじという”ナチュラルでしかもちょっと風雅なにおいのするモノ”をチョイスされたこの方のクオリティ・オブ・ライフがうかがわれるような気がします。

    私は日本茶をよく飲むので、以後20年、毎日この茶さじを使い続けているほどにまことに実用的であり、これを手にするとこれを下さった方のことが想い浮かぶことも多い・・というわけで、これは大きさや金額的価値などとは無関係で、本当に有難い貴重な戴きモノなのです。

    ◎エコを意識した竹の利用技術、製品は以前からあった
    さて、前回までの竹に関するお話で、日本の竹林の状況と竹の特性を見てきますと、これは何とかもっと竹の活用を(初回にとりあげた”日本産のメンマ作り”の他にも)進めるべきだということを考えるようになります。

    ところで、私の手許には今から15年くらい前に入手した”エコ関連のパンフレットやサンプル類”が残っていますが、その中には”竹素材活用”商品も多数あります・・ということはSDGsという題目などが登場するかなり前からも”竹の利用がエコになる”という考えを基にした研究、商品開発・製造する企業、大学研究室、団体が既に多数出現していたことがわかります。

    ↓私の手許に在る、15年前頃の”竹応用製品のパンフレット類”
    catalogues (2)

    ↓(同時期の)竹フローリング材のカットサンプル
      (150ミリ巾、竹薄板+針葉樹積層板)((株)カリヤ)
    bamb-floor-spl (2)

    ↓(同時期の)竹繊維のサンプル
      (毛髪同等の太さだが、引っ張っても伸びず、毛髪よりも切れにくい)
    bamb-fiber (2)

    ↓有名な「ジグザグチェア」(トーマス・リートフェルト作)の竹製ジェネリック(リプロダクト)商品
    IMG_20220502_0001 (2)

    ◎竹の活用は、ありっタケの知恵で!
    昔から たけのこを食べ、最近は国産メンマも作って食べ、伝統的用具(ざる、かご、くまで、そして焼鳥には必須の串、など)、工芸品などに利用する他に、新しくエコを意識した用途開発をドンドン行うべき、そして最近の研究では”竹抽出エキスにはヒトインフルエンザウイルスの不活性化作用もある”ことが判明したからにはもっと"竹利用の促進!"・・既に以下のような利用事例があるが・・

    〇縦に細かく割った部材を集成材にして・・
    ・竹フローリング材(現在、多数のメーカーが参入)
    ・竹製家具(チェア、テーブル、食器棚など)
    ・内装材(巾木、かまち材、まわり縁など)

    〇縦に大きく割って”雨どいやお菓子の八つ橋のような断面”の状態のモノを特殊な圧力処理をして平たい板にして単板または集成材にする

    〇竹から繊維を取り出して・・
    • 繊維 (竹ファイバー) そのものの商品
    • 竹繊維混入コーン紙のスピーカー(針葉樹繊維より強く、軽いので音域が広がる)
    • 竹繊維主体で木綿・ポリエステルなど少量混紡の布・毛布・靴下(抗菌、防臭、吸湿・放湿、静電気抑止) 
    • 竹繊維混入の和紙
    • 竹綿(わたのようにからませて緩衝材などに)

    〇粉体化・チップ化・ペレット化して・・
    ・各種ボード用、農業用、消臭用材、燃料用に
     ※竹の燃焼カロリーは木材より高く、石炭の7割、重油の5割にも匹敵。

    〇竹炭にして・・
    ・消臭用に
    ・竹炭粉末にして食品添加
    ・竹炭粉末中の残留カリウム利用して肥料の一部に

    〇竹酢(ちくさく)液(一般的には竹炭製造時の乾留と呼ばれる方法で得られる副産物)は・・
    ・園芸での害虫・病害菌の忌避、消臭、農作物用土壌改良、減農薬、入浴剤、蚊などの虫よけ、虫さされのかゆみ消し、食中毒菌滅菌、花粉症治療、健康飲料、ペットの毛のリンス用・・など
    ただし、竹酢液を人体に取り込むまたは直接触れる使い方をする場合には、同じ竹酢でも乾留式の竹酢液よりも「過熱水蒸気処理(←私にはよく分かりません)による竹酢液」のほうが安全とされる。

    ↓竹利用サイクル参考図 (クリックで拡大)

    bamboocycle
    (株)テオリのHP http://www.teori.co.jp/shop/jichiku/index.htm より引用

    ◎竹製床材
    竹の集成材(積層材)にした板として利用。竹を材料とするものの中では量的に最も利用されているようで、最近は新築マンションの全戸の床は全てバンブーフローリング採用という例もある

    <竹の床材の利点>
    1. )竹は硬くて耐久性があり、弾力もあるので、一般家庭のみならず店舗(靴の細いヒールや椅子の脚で踏まれることに対応)、脚への衝撃が和らぐために体育館、福祉施設などにも利用される。
    2. )竹は熱伝導率が高いので、夏は冷たく感じ、冬に床暖房の表面に使えば効率が良い。(実際に床暖房用使用実例は多い)
    ↓床材利用例 (「ボード(株)」=東京新宿区のHPより)
    bamboo-flo2 (2)

    <竹の集成材には2種類ある>

    A) 横型(横目型)・・円筒形の竹を割って外側部分を表面に並べる
    B) 縦型(縦目型)・・円筒形の竹を割って断面部分を表面に並べる

    ↓竹床用集成材の構造図(断面図) (「ボード(株)」=東京新宿区のHPより)
    bamboo-tateyoko
    ※どちらの集成材も各メーカーは「竹の無垢材」と称している

    ↓横型集成材の断面(レンガ積みのような線が見える)
    bamboo-yoko (2)

    ↓縦型集成材の断面(縦線のみが見える)
    bamboo-tate (2)
    上図2枚は「前田木材(株)」=大阪府枚方市のHPより)
    15X90.9X1820mm 10枚セット価格16280円(税込)

    ◎竹製椅子類
    ↓竹集成材を木材とはちがった接合方法で製作した椅子
      59400円(税込)  (「(株)テオリ」=岡山県倉敷市の製品)
    teori-chair6

    ↓竹集成材で製作したスツール
       35900円(税込) (「(株)テオリ」=岡山県倉敷市の製品)
    teori1

    ↓竹細巾単板で製作したスツール
     15950円(税込) (「gudee社」=台湾の製品)
    take-sturu (2)

    ↓竹細巾単板で製作したチェア
     108900円(税込) (「PERFORMAX社」=タイの製品)
    performax2
    ↓竹集成材で製作した”まわり縁”用材
       (「以奈良場木材(株)」=千葉県成田市の製品)
    bamb-mawaributi2

    ↓竹炭粉末、たけのこ入り「竹炭カレー」
        (千葉県の「房の駅」(道の駅の類似業態店)で販売)
    takesumikarei (2)

    ◎竹製床材の問題点
    ・カビが発生することがある
    竹には抗菌、抗酸化、消臭作用があると盛んに言われるものの、矛盾するように実際の竹材使用においては”カビ”が発生する事例も多いようだ。
    その理由としては・・竹材の持つ性質の内、(A)吸湿・放湿性が高い、(B)イネ科である竹には糖分が多い・・という二つがあることで、竹材からの放湿がうまくいかない場合に、残留水分と糖分が栄養となってカビが発生するとされる。
    使用条件が厳しい竹床材は表面をウレタン塗装またはオイル系塗装しているが、これら表面塗膜が何らかの原因で削除されると、その部分にカビ発生することがある。

    ・竹に限らないが、集成材には石油由来の接着剤が大量に使われる
    現在、集成材を作るために使われる接着剤は4種類あるが、その内で”シックハウス症候群の原因の一つのホルムアルデヒドを放散しない”のは「水性高分子・イソシアネート系接着剤」のみであり、これだけでもその使用量は年間2万トン(2017年)にもなる。いずれにせよこれら接着剤の元は石油なので、その使用量削減あるいは接着剤不使用の方法は無いものだろうか?

    それを言い出せば、竹床材表面処理にウレタン塗装やUV塗装が採用されることが多いが、これら塗料も石油由来。しかし、竹特有の"ささくれ"しやすさ防止のためには
    ウレタンやUVの塗装が必須とは思われるものの、エコな代替処理はないものだろうか?

    竹材では、前述のように・・縦に大きく割って”雨どいやお菓子の八つ橋のような断面”の状態のモノを特殊な圧力処理をして平たい板の単板にする。孟宗竹ならば板厚10ミリは確保容易。

    あるいは、何が何でも竹の集成材を使うのではなく、前出の台湾やタイなどで行われている”竹の単板だけでモノを作る方法”も必要。

    ・竹製品用の竹材は竹林豊富な土地、または自社所有の広大竹林から調達すべき
    現在、日本の竹製品メーカーの一部は、竹材を中国から輸入している。前出のメーカーの「テオリ」社はエコ意識が高い会社だが当初はコスト重視で中国材を利用していたものの、その後自社竹林を持つようになった。同社の在る岡山県は元々竹林面積5435haで全国第10位で竹の多い環境だった。(第1位の鹿児島=17927ha/第8位の千葉=5915ha)※2012年時点データ

    しかし前出の(株)カリヤ社は竹床材の製造を止めてしまった。その理由は竹材を中国産に頼らないで調達しようとして無理があった。なにしろ同社が存在する岩手県は竹林面積248haで全国第41位となる竹の少なさで、竹の多い九州から調達するにも輸送コストが高すぎた。私が同社に確認したところ、「当初から竹材の調達には困っていた」という言葉が返ってきた。

    竹材を中国からにしろ国内の遠隔地からにしろ輸送するということはコストの問題だけではなく、輸送にかかわる船やトラックがカーボンを排出することになるので、その意味でも竹に限らないが地産地消が望ましい。
    ・・・・・・・・・・・・・
    “おまけ”情報
    ◎「地震が来たら竹藪に逃げろ」の教えは△
    竹の地下茎は土中で広く張り巡るようになるので、昔から「地震が来たら竹藪に逃げろ」と言われている。しかし、たけのこ掘りの様子を見ると分かるように、地下茎からニョキっと生えているたけのこの根元は地面から30センチくらい?の浅い位置にあり、”竹の地下茎は浅くしか張らない”ので傾斜地では竹林ごと地滑りを起こす可能性も高く、実際に起きた例もあるそうで、竹林絶対安全とは言えないとのこと。

    ・・・・・・・・・・・・
    ※訂正:前回の”竹関連の記述”の中で”最近はケナフという素材は全く使われなくなった”と述べましたが、現在でも使用例があることが分かりましたので“ケナフは現在、ごく一部で使われている”・・とします。(前回ブログ文章も一部訂正済み)

    その使用実例は・・
    イタリアのソナス・ファーベル社の製造販売するスピーカーのコーン紙の一部材料としてケナフも使われている。
    ↓ケナフ混入のコーン紙が使われているスピーカー
     (左一対:50万円 / 右一対:90万円)
    speaker (2)

    ・・・・・・・・・・・・

    本題に入る前に・・この文章を綴っている最中に「ピンポーン」とチャイムが鳴るので玄関を出てみたら、はす向かい宅の奥さんが大きなたけのこを二つ「これ食べますか?」と言って下さったので有難く頂戴しました。聞けば「知り合いの人の土地の草むしりを手伝ったら、生えていた自家のたけのこのとれたてを沢山くれたので・・」ということでした。これも千葉県の竹の多さを表すような出来事と感じた次第。
    いただいたたけのこ(長さ約30センチ)
    morai-takenoko (2)

    さて、前回から続き、”竹”についてですが、以下、混同を避けるために・・

    ※竹と笹の違い
    竹=成長した幹には皮が付かない / 笹=成長しても幹に皮がついたまま
    英語で竹=BAMBOO / 笹=SASA。
              ↓笹(白っぽい皮が付いている)
    bamboo-sasa (2)

    ◎日本全体の竹林総面積は・・約17万ヘクタール
    竹林総面積17万haは例えるなら岩手県と東京都の面積を併せたくらい。しかし国土に対する森林面積比率が66.4%(世界平均は30%)という森林国である日本の森林の中で竹林の占める割合はわずか0.6%にすぎないとは言え、その実際の広さはバカにならない。
    nihontizu (2)

    ◎「竹林の七県」!(昔の中国の「竹林の七賢」モジり)

    竹林面積が最も多いのは鹿児島=約1万8千ha、つまり鹿児島だけで日本の竹林の1割以上を占め、以下、大分=約1万4千ha、福岡=約1万4千haというふうに竹は熱帯から温帯にかけて生育する植物ゆえに九州と山口、島根までは多く、順位付けすると・・

    1位:鹿児島/2位大分/3位福岡/4位山口/5位島根/6位熊本/7位宮崎・・となり、これを私は「
    竹林の七県」と呼びたい。3世紀頃の中国には「竹林の七賢(人)=ちくりんのしちけん(じん)」と称される7人の知識人がいて、彼らは竹林で酒を呑み、琴の音を聴きながら高尚な談義にふけっていた・・という逸話を中学か高校かで教えられたことを思い出してのこと。

    この
    「竹林の七県」より東や北(四国も含めて)は竹林面積が格段に少ない。(ただし、何故か九州でも佐賀と長崎は少なく、最南県なのに沖縄の竹林は極端に少ない。

    そして北の青森と北海道に至っては竹林面積なんとゼロ。しかし笹は耐寒性あるので両県・道でもしっかり繁茂する。

    ◎千葉県の竹林面積は東京ドーム1490個分
    実感としてどうも千葉県では竹林が多いなと感じるので調べたら、千葉県の竹林総面積=約7千ヘクタールは全国8位であり、東日本の中では断トツの1位となる。その大きさは東京ドーム1490個分であり、浜名湖の約6500haより500ha大きく、東京の世田谷区と千代田区を併せた面積約6971haに近い。
    最左のピンクが世田谷区、ど真ん中の青が千代田区
    tokyo23ku (2)

    ◎放置竹林の拡大! 特に千葉県!
    林野庁の調査によれば、1986(昭和61)年~2012(平成24)年の26年間で日本全体の竹林面積は1万4千ha増えて、この期間に約1割増加している。

    しかし千葉県が県内の大きな竹林7カ所の面積の推移を調べたら、この30年間で平均6.7倍に拡大しているという驚くべき結果がでた。 一方、京都府南部の山城(やましろ)地区では1953年から1978年までの25年間で竹林面積が6.4倍になり、その後1985(昭和60)年までの7年間で1.25倍に落ち着いたがそれでも全国平均を上回る増加率だった。

    山城地区の1978(昭和53)年まではたけのこ増産目的での竹林増加だったが、それ以降は放置による増加とされる。これらの状況が竹林面積で千葉県8位、京都9位というような東側府県の中では特異な多さにつながっているようだ。
    いずれにせよ近年の竹林拡大は、手入れされない放置竹林の増加によるものがほとんど。

    ◎竹林放置の原因
    日本には国有竹林というものが皆無に近く、竹林はほぼ全てが私有地に在るので、所有者の高齢化と後継者不足で竹林管理※ができずに放置されて荒れ放題となっているケースが多い。

    ※竹林管理の例:傘さして竹林の中を歩ければOK
    良質なたけのこ採取のための竹林では、”竹と竹の間を人が傘をさして通れる間隔”が必要とされるので、そうなるように間伐をしなければならないという竹林管理がある。

    しかし竹林放置の元はと言えば、竹の需要が減った影響も大きく、昔は一般住宅の内外の土壁の芯には竹を細く割いたものを縦横の格子状に組んだ竹小舞(たけこまい)というものが使われ、戦時中はコンクリート建物内部の鉄筋の替わりに、なんと竹が使われた例もあるなど竹が大量に必要だった。
    竹小舞に一部土を塗った状態(「HOME’S」のHPより引用)
    takekomai
    また日常的に使用される竹製の道具などが沢山あったのがプラスチック製に置き換わり(例えば、ザルの類や竹製の団扇が・・)、竹垣に代わるプラスチック垣が増え、野菜市場や八百屋さんには野菜運搬用の”荒く編んだ(網目はピンポン球が通るくらいの大きさ)竹かご“が大量に使われていたが、今はダンボール箱やプラスチックの通函などになった。そして麻雀パイも竹と象牙でできていたものがオールプラスチック(略してオーラス?)になってしまった(笑)。

    さらに竹皮も、昔はおにぎりを包んだり、肉屋さんで買った肉を包んで渡されたりするなど、食品包装用に使われることも多かったが今は非常に少なくなった。

    加えて(これも前回述のように)近年は中国産の安いたけのこ(水煮状態で輸入が多い)におされて、たけのこ栽培を放棄する農家が増えたこともある。

    ところで、エジソンが実用的電球を発明するにあたっては、長時間寿命のフィラメントになる素材を見つけるために約6千種類を試した結果、日本の京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の竹林の竹を炭化させた線材が最適として採用した話は有名だが、そのための京都の竹の需要はいつごろまであったのだろうか?
    エジソン電球のレプリカ(写真は朝日新聞デジタルより)
    edison-light (2)

    ◎SDGsのためになる”竹の活用”
    前回にも述べましたように、竹林を放置すれば他の森林に侵入したり、道路を破壊したりするなどの害が発生しますが、竹自体の特性には優れた面が多く、その育成管理を適切に行って、かつ加工・利用を増やせば、今で言うSDGsのためにもなる。

    《竹の特長》
    ・成長速度が速い
    竹は毎年、地下茎から生まれて、成長期には1日に1メートルも伸び、3か月で20メートルにもなり、3~5年で立派に成木して、他の木材(平均約50年)に比べ圧倒的に早く利用できるようになる。これによって竹は他の木材よりも資源として持続可能性が高い。(ただし竹は種類にもよるが50年、60年あるいは120年くらいに一度、イネ科である竹だけに稲の穂のような花を咲かせて枯れる)

    ・カーボンニュートラルへの貢献効率が高い
    成長が早いということはCO2の吸収多く、酸素排出多いということであり、大気環境にプラスになる効果度が高いことになる。

    ・幹本体にも皮にも抗菌・防虫性がある。これに関連するが”竹は無農薬栽培”となる。(ただし、伐採直後に高湿度の状態で放置するとカビが発生することがある。)

    ・強度としなやかさ(弾力性)を併せ持ち、他の木材に比べて伸縮性、たわみが少なく、反りや割れも出にくく、変形しない。

    ・”竹炭”にすると木炭より微細な空間を多く持つので吸臭・吸湿効果が高い。

    ・ミネラル(カリウムなど)含む。これは他の木材には無いもの。

    ◎竹は「ケナフ」の二の舞にはならない !
    1990年頃から2000年くらいにかけてか? (私は正確には把握できていないが)、この時期に”ケナフ”ブームがあった。

    ケナフというのはアフリカ原産のアオイ科ハイビスカス属の1年草の植物で、成長が早く、100日~125日(3~4か月)で3.5メートル、太さ最大5センチになるほどで、このスピードは竹には負けるものの、竹よりも密集して生やすことができるのでCO2吸収・酸素排出効果に関しては竹以上も期待できるとされ、またある面では木材の代替素材になるとして、エコを意識した企業はケナフ採用の製品・部品開発に注力した。
    ケナフ栽培林(写真はWikipediaより)
    kenaf2 (2)
    一時はトヨタ紡織(株)がレクサスのドア内装部品用に”ケナフ繊維入りの発泡プラスチック材”を製造したり、自治体、団体、学校などでは啓蒙策としてケナフを栽培してみせたり、種を配布したりと過熱状態であった。(私も種をもらったことがあるものの、それを蒔く前に紛失してしまった)

    ところが、ケナフを実際に利用するには問題が多いことが判明してきて、一気にケナフ熱は冷めて今やケナフの”ケ”の字もない。(←後日訂正:現在、イタリアのソナス・ファーベル社の製造販売するスピーカーのコーン紙の一部材料としてケナフが使われているわずかな例はある)

    ケナフの問題点(欠点)に対して竹は・・
    ・まず、ケナフは草の仲間だから木材と同じ用途には使えない。対して竹は使用目的によっては木材より優れる面があり、また集成材にすれば木材と同様な使用が可能。

    ・1年草のケナフは毎年種を撒いてから急成長するための栄養を土中から大量に吸収してしまうので、その土地での連作が不可能となること。対して竹も同じように成長が速いが、親の竹から地下茎を通じて栄養を供給されて成長するので連作障害というものは無い。

    ・ケナフの実際に使える部分は茎の外側部分だけであり、全体の2割。残り8割は(後述理由により)使われずに処分、と言うことは最終的に焼却ということになり、それはせっかく吸収・固定したCO2の大部分を放出することになり、カーボンニュートラルには貢献せず、エコ的に意味が無い。対して竹は利用できない部分は無いと言えるので環境上でも価値がある。

    ・外皮から繊維を取り出したとしても基本的には木でなく草なので、木材パルプより耐久性で劣る。対して竹の繊維は針葉樹パルプより軽い上に強靭である。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※ケナフの例に限らず、エコ的な効果は、そのモノの材料の採取・再生産性、製造、運搬、使用、処置、循環、廃棄、健康安全性、他者・他物への悪影響度などすべての面での環境負荷をトータルに考えなければならない、この考え方に基づいた評価方法を「ライフサイクルアセスメント(LCA)」と言うそうですが大切なことですね。
    ・・・・・・・・・・・・
    竹に関しては”新しい加工法、利用法”を中心にまた次回に続けます。
    ・・・・・・・・・・・・

    忘れもしない今年2022年2月22日、2が6つも並んだその日の朝のテレビで、「岡山県では早くも”たけのこ”が収穫され始めた」というニュース映像が流れた。

    たけのこ(孟宗竹の子)・・オスとメスがあるそうだ(テレビ朝日番組「相葉マナブ」より)
    takenoko (2)
    私の住む千葉県では毎年4月に入ってから中旬くらいまでが”たけのこ”の時期なので、岡山県の収穫開始時期の早さには驚いた。・・というわけで、私の家から徒歩10分くらいに在る竹の放置林(放ったらかしの竹藪)でも”たけのこ”みたいなものが出るのだろうか?と思い、ちょっと覗いてみましたが・・

    地面も見えないくらいの密集度の竹で”たけのこ”なんて見えるはずもない。しかも、見たら孟宗竹(モウソウチク)ではなく真竹(マダケ)なので普通我々が口にする太い”たけのこ”はできないことがわかりました。

    我が家の近くの放置竹林:人はおろか猫でも踏み込めないほどの密集度。枯れて横倒しのものもある。(道路に面したところを撮影したので明るい感じですが奥は気味が悪いほど暗い)
    bamboo5

    bamb006

    ◎日本三大有用竹でも放置竹林が増えている !
    日本に600種類以上もあると言われる竹類の中でも、竹製の道具や工芸品、または”たけのこ”が食用として使える三大有用竹と呼ばれる種類があり、この三種だけで日本の竹の90%を占め、その内訳は・・

    孟宗竹(モウソウチク)・・20%(幹径20~25cm/高さ25m)
    真竹(マダケ)・・・・・・60%(幹径5~15cm/高さ18~20m)
    淡竹(ハチク)・・・・・・10%(幹径8~10cm/高さ20m)

    この数字からみても我が家近所の竹林が真竹というのもうなずける。なぜ多いのかと言えば真竹が最も使い道が多いから。しかし竹製品需要が減り、孟宗竹の子供である”たけのこ”も安い中国産に代わられ、竹林所有者の高齢化などで竹林管理せず・できずとなって放置竹林が増えている。

    竹林を放置すると、繁殖力旺盛な竹が他の有用林を侵食したり、アスファルト道路を突き破って路面を損傷する、道路わきの竹林にまとまった雪が降ると雪を乗せた竹が曲がって道路の通行に支障をきたすなどの害を生じる。そこで・・

    ◎国産メンマ作りに利用して少しでも放置竹林を減らそう
    ラーメンの具材として多く使われるメンマは本来、台湾の麻竹(マチク)という(日本では育たない)種類の竹を断片化したものを煮た後、一か月ほど発酵させてから乾燥したものが日本に輸入されて、それを国内で戻して味付けしてメンマとなる。ただし最近は台湾での麻竹栽培地確保が難しくなり、台湾の生産業者が中国の一部地域で栽培して現地生産したメンマが増えている。

    近年、日本の放置竹林増加問題解決に少しでも役立てば・・と考える人たちが各地で現れて、麻竹の代わりに孟宗竹を使って(本来のモノに出来る限り近づけた?)国産メンマを作る試みが各地で起き、まだ大量生産とはいかないまでも作られて商品化されている。

    原材料は”孟宗竹が地上1メートルほどに伸びたモノ”を断片化して発酵させたもの。

    福岡県糸島市での販売品((株)タケマン社製)
    糸島めんま赤黒セット (2)
       
    千葉県産の竹で作ったメンマ。 (道の駅と同類の)「房の駅」(市原市)で販売。その他、「道の駅たけゆらの里おおたき」(大多喜町)などで販売。キャッチフレーズは「食べる竹林整備」
    menmma3 (2)

    ※千葉県産メンマなら、「地産地消」ならぬ(千葉県が提唱する)「千産千消」ともなる!

    ◎私が国内産メンマ推しの理由
    勿論、放置竹林減少手段であるけれども・・
    輸入メンマについて大手輸入企業では中国の生産現地での工程管理を厳しくしているそうだが、はたして完全なものかどうかわからないという危惧もあるからで、ましてや小規模生産者、小規模輸入業者の扱い品はなおさらで、その根拠は・・

    1)昔、テレビで、台湾におけるメンマ作りの様子を紹介した中で現場シーンが流れたが、衛生環境に大いに疑問がある状態だったのを視て以後「大丈夫か?」と思いながらメンマを食べるようになった。

    2)私が以前に関東地方のある”無農薬・有機肥料栽培”をうたっている野菜農場の畑を見学した際に、野菜の根元に何やら白い粒が撒かれているので、「これは何ですか?」と聞いたところ「実は先日に大雨が降って有機肥料分が減ってしまったので、やむなく化学肥料を撒きました」と答えたので、日本人と言えども完全な正直農業経営者ばかりではないものだと認識した経験があるからで、日本にしてもこれだから、他国の生産現場で指導・管理されていても常時正しく作業されているか危惧されること。

    そしてもう一つの理由は、私がメンマ大好き人間だから。しかし残念ながら私は慢性腎臓病なので塩分濃度高いラーメンは勿論スープは飲まなくても(家族から)禁止されているので、もう3年も食べていない。海外に10日もいれば日本食恋しとなるが、私の場合、それは寿司ではなくラーメンであるというほど好きなのに、この状況は辛い!・・というわけで当然メンマも食べていないが、ラーメンを食べる際には私にとって最も重要なのはチャーシューでもなくメンマであり、その量だ。これは店によってちがうので、メンマが2枚しかないとがっかりし、5枚以上あることもあり、これには上機嫌になる。

    ◎昔は「メンマ」のことを「シナチク」と言っていたが・・
    私が子供の頃、周囲では「メンマ」とは言わず「シナチク」としか言わなかった記憶がある。しかしこの言葉は今は殆ど使われなくなったようで、(天才バガボンのパパではないが)「これでいいのだ!」。 なぜなら竹材の世界では「支那竹(シナチク)」という文字通り中国原産の竹が存在するから。
    「支那竹」 幹径約1cm 特徴は幹の表面に渦巻模様の斑が現れていること。
       (写真は「北の竹工房」のHPより引用)
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    ◎「尺八はもどしてメンマとして使えるか?」と嵐山孝三郎氏
    雑誌編集者、作家、エッセイストの嵐山孝三郎氏は昔、「尺八の竹はもどしてメンマとして使えるか?」と、ある雑誌上で問いかけていた(ように私は記憶する)が、その結果がどうなったのか私は知らない。もしそれが可能ならば非常食になり得る・・これは、日本の戦国時代に兵たちが、“ずいき”(芋茎=サトイモの茎)を乾燥させて縄のように編んで腰に巻いたり、実際に荷などをくくる縄として使ったりするものを、非常時にはそれを刻んで煮て食べる、またはその縄の素材として味噌汁で煮た”ずいき”を乾燥させたものを使えば”ずいきが具になった味噌汁”が味わえた。・・という実例と同様な効果になるが・・
    ・・・・・・・・・・・・・
    ※竹のお話は次回につづけます
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    3月3日の”ひな祭り”で、子供たちが食べる「ひなあられ」 は東西で形と味が異なるそうで、現在の勢力比は、東型7割、西型3割とのこと。

    ↓「ひなあられ」:上が関西風、下が関東風(「とよす株式会社」HPより)
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    ということでちなみに今回は「食」に関しての東西の違いをあげてみます。
    (「食」以外のジャンルについては、別の回にて とりあげます)

    ◎東西の「食」関連のちがい
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    ・「ひなあられ」は、東西の中間の岐阜・愛知県では”マヨネーズ味あられ”も食べられている。

    ・「正月のお雑煮」については、皇室は過去1000年以上京都に在住していたという歴史の影響で、現在でも”丸餅・白味噌仕立て”を踏襲。

    ・「角砂糖」の大きさについては、従来からの説では”関西のコーヒーが濃いから、それに合わせて砂糖の量が多い”というもの。
    但し、コーヒーの消費量日本一は京都府であるものの大阪府のそれは少なく、なんと東の東京都とほぼ同じというのが現状。消費量とコーヒー濃度の関係を知りたいところ。

    ・「納豆」の消費量の東高西低傾向も近年は差が縮んでいると言われる背景には、例えば大阪でも新興団地・住宅地には関東地方からの移住者や勤務者も多く住んでいるので、この人たちからの需要があることに加えて、納豆メーカーが”納豆特有のニオイを抑えた商品”を開発して販売していることも影響。

    納豆消費が少ない西日本だが、九州の一部(大分県、熊本県)は例外的に消費が多い。

    その理由は(私が2020年9月3日に発信したブログ「納豆は戦争とともに」の中で述べましたように)平安末期の東北地方で起こった「前九年・後三年の役」の結果、安倍貞任の弟である宗任が九州に流されて、そこで故郷の東北の納豆の製法を広めたことに起因する。

    このような例外は少なからずあり、牛肉消費は西高東低の中に在って、山形県(米沢牛が有名)だけは消費が
    関西並みであり東北地方の中では突出している。

    ◎大阪・関西に有り、東京・関東に無い(又は殆ど無い)食関連
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    ※昆布うどん:とろろ昆布をトッピングしたもので、大阪にはあって、東京には殆ど無い

    ↓「コロ」はクジラの黒皮が付いている(乾燥から戻した状態)

    (「関太郎のくじら専門店」の通販頁より)
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    ↓「さえずり」 
    (「関太郎のくじら専門店」の通販頁より)
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    ↓「くじらすじ」 
     (「下関なると」社の通販頁より)
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    ・「おでんの具」での”すじはすじでも”「牛すじ」は東西双方にある。
     大阪・関西はこのように動物系の具が多いために、おでんの汁が濁るところは、澄んでいる東京・関東と違うところ。
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    トンガ王国の海底火山が1月15日に噴火して、日本列島沿岸に2種類の余波が押し寄せた。一つは普通の小さな津波で、もう一つが"噴火による大きな空気の揺れ「空振」"が発生して海面にできた波で、これは”津波ではないが急激な潮位上昇"とされる波だった。
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    ↑気象衛星ひまわり8号撮影

    今回は、日本から8000キロ離れた地点で発生した空振そのものの影響は無かったが、我が家では空振を直接経験することがいくつかあるので、以下にご紹介すると・・ 
     
    ◎伊豆大島噴火による「空振」で我が家は・・
    1986(昭和61)年11月、伊豆大島の三原山が噴火して、島民約1万人が島外に約一か月間避難するという災害が発生した。

    1986年の三原山の噴火と溶岩流(東京都大島町発行の「防災の手引き」より)
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    さてその一か月の間に何回か”我が家の雨戸やガラス戸がビリビリと音を立てて細かい振動をする”ことがあった。その際は周囲に騒音などは全く無い状態なので最初は原因が分からなかったが、はたと気が付いたのは”これは大島の三原山の噴火による空気振動”が押し寄せているからに違いないということ。その証拠に噴火終息後にビリビリ音がすることはピタリと止んだ。

    その後に知ったのが「空振」という言葉。まさに三原山を”振源”とするそれだった。

    ちなみに大島・三原山から我が家までの距離は約103キロ。この距離でしかもこの噴火は小規模であったにもかかわらずこの空振ということからすると、もしも富士山が大噴火したら約105キロ※の距離に在る東京などに降り注ぐ降灰もさることながら、空振の程度もいかばかりであろうか?
    富士山頂~東京・日本橋間

    ◎ヘリコプターによる空振で我が家は・・
    1月12日の昼間に自衛隊のヘリコプター(下写真の「ヒューイ」という機種か?)6機が”アルファベット大文字「A」のようなカタチ”の編隊を組んで我が家のほぼ真上300メートルぐらい(?)を北東に向かって通過したが、その音が1機でも強力なのに6機だから、それは凄い! 家のガラス戸がガタガタ振動だ! これは単なる音だけではなく、別に強い空気の振動が加わった感じで、まさにこれも空振と言えるものだろう。
    へリコプターのブレード(回転羽根)による空気の波は真下に向かって届くから強力なのだろう。
    実はヘリによる
    空振は今回に限らず、時々ある。

    ↓このヘリが6機で編隊飛行(画像は「テレ東BIZ」より)
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    後日に知ったのは、その翌日13日に陸上自衛隊の年始恒例パラシュート部隊降下訓練が千葉県の習志野演習場において開催されるために、この部隊(第1ヘリコプター団)の本拠地である木更津駐屯地(千葉県)から移動飛行したものだったようだ。この演習は離島の防衛や奪還作戦訓練の一環であり、パラシュート降下の他に、ホバリングするヘリからのロープづたいで直接降下してほふく前進なども行われている。本来この演習の様子は一般公開されているものが、今年もコロナ禍で中止となってマスコミにのみ公開されたようだ。
    →訓練公開動画(テレ東BIZ) https://www.youtube.com/watch?v=s1hxzLuLhT8

    ちなみに木更津駐屯地は旧日本軍の基地だったものが終戦後は米国軍基地となっていたもので、その後に日本へ返還されたのだが一部は米国軍基地として残っているために、先年には一時、米軍のオスプレイが駐機したこともある。代わるように現在は日本の陸上自衛隊のオスプレイが暫定配備されている状態。
    ↓陸上自衛隊のオスプレイ(第1ヘリコプター団のウェブサイトより)
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    ◎「空振+り」=「空振り(からぶり)」?!
    被災したトンガ王国に対して、近隣のニュージーランドなどはすぐさま支援を開始し、続いて日本も飲料水などを現地に届けるなどの支援を開始しているが、本当に必要なモノやコトを早急に提供しないと”「空振」に「り」が付いて「空振り」”になってしまう。もしそんなことになれば、別の思惑があると思われる某国も支援を表明しているから注意が必要か? (今回、気象庁の津波予報はほぼ「空振り」気味になって、これは幸い?だったが・・)

    ◎我が地域は「空振」ならぬテレビの「画像振れ」があった?!
    我家が在る地域は成田空港と羽田空港から離発着する多くの飛行機の航路のほぼ真下にあたり、今から10数年以前までは、特に着陸に向かう飛行機は高度を下げ始めていた(当地と成田空港間の距離は44キロ)ので(小学生だった我が子たちによれば)飛行機胴体に描かれた「クジラの絵」がはっきり見えたほどだった。そのため騒音は空港付近ほどではないものの大きいのだが・・

    それで何が起こるかと言えば、飛行機が上空に近づくとテレビ画像がゆらゆらと揺れて乱れる「画像振れ」が10秒くらい続く状態になった。つまり当時の東京タワーからのストレートな電波に対して飛行機の機体に反射した電波が加わって干渉していたのだ。

    これには我慢できずに我が家は自家のアンテナによる受信をあきらめてケーブルテレビを導入するにいたった。ところが最近は飛行機の航路は変わらないものの(飛行管制の指示方針変更によってか)当地上空の飛行高度が以前より相当高くなっているので、昔のような「画像振れ」は無くなっているようだ。また、その後テレビは「地上デジタル」電波になった上に、それが東京スカイツリーからの発射に変更されたのだが、これも良い方向に影響しているのかは私にはわからない。無論、飛行機騒音も昔ほどではなくなった。
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    “男に生まれたら、あるいは女に生まれたからには、こうあらねばならない”というような”作り上げられた男性観・男性像・女性観・女性像”をジェンダーと言うが、それを反映して現れる例の一つが”男性の職業、女性の職業とされるものが存在する”ことで、それは”ジェンダーの境界を無くす「ジェンダーレス」の見地からすれば、男女の就労における「ジェンダーギャップ」が生まれているということになる。

    そうした中で最近、欧米の自動車各社の生産現場のシーンをテレビで観たら、なんと女性も多いこと、しかも高級車やスーパーカーでも普通に担当している。

    同時に日本の自動車メーカーの現場シーンも観たが、(全メーカーを見たわけではないが)女性は皆無。私は過去にトヨタの工場現場を見学したことがあるが、その時も女性の姿は全く見なかった。つまりジェンダーギャップが欧米においては少なく、日本はギャップ最大で最悪。・・というわけで、論より証拠!!百聞は一見に如かず!で、以下にそのシーンをご覧いただく前に・・ 

    ◎総じて欧米自動車製造現場での女性の存在以外に気付く点
    服装は”制服着用”と”服装自由”の二通りあるが、制服であっても日本のように生地が厚いようなものではなく、しかも伸縮性があって体にぴったりフィットしたようなものを着用。

    ●当然のようにアフリカ系女性もいる

    日本と決定的に違うのは”帽子の着用率が男女ともゼロ”。(極稀に男性で見かけるが)・・私の経験から言えば、1)工場では頭に何か落ちてくるとか自分で頭を何かの角にぶつけることがあること。2)特に女性の長い頭髪は何かの隙間に引っかかったり、機械に巻き込まれることがあること。3)人間は毎日、数十本の頭髪が抜けていることから、それが製品に付着したり、混入したりする可能性は排除できない。・・などの理由から帽子は着用が必須と言える。ただし工場という屋内使用の帽子には一般的な面積の”ツバ”は作業の邪魔になるものであり、”帽子の着脱のために摘まめるだけの小さなツバ”が適切。

    ●男女共働の現場なので”自動車工場内職場結婚“が発生。これは当然、今の日本では考えられない。

    それでは欧米各社工場シーンをご覧ください ※(N)はNATIONAL GEOGRAPHIC CHANNEL、 (D)はDiscovery channelのテレビ放映画像から引用したもの

    ◎「フェラーリ・ポルトフィーノ」の生産現場(イタリア) (N)
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    ↓フェラーリと言えば”レッド”で制服も赤。
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    イタリア国産に誇りをもって制服の袖には国旗が!
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    ◎「フェラーリ・カリフォルニア」の生産現場(イタリア) (D)
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    ◎「ランボルギーニ・アヴェンタドール」の生産現場(イタリア) (N)
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    ◎「ポルシェ・918スパイダー」の生産現場(ドイツ) (D)
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    ◎「ポルシェ911」の生産現場(ドイツ) (N)
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    ◎「ロールスロイス・ドーン」の生産現場(英国)(D)
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    ◎「ジャガーXF」の生産現場(英国) (D)
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    ◎「BMW・X3」(ドイツ車だが)米国内生産現場(N)
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    ◎「GMシボレー・コルベットZR1」の生産現場(米国)(N)
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    ◎「フォード・マスタング」の生産現場(米国)(N)
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    ↓この二人はマスタング工場内(職場)結婚
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    ◎ポラリス社オートバイ「ヴィクトリー」生産現場(米国)
    (現在は生産終了)(D)
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    日本は先進国の中でもジェンダーギャップが多いと、国内外から”耳にタコができる”ほど指摘される。
    ここで注意しなければならないのは、ジェンダーギャップの話題にはとかく”女性が少ない職業・職種”に偏るが”男性が少ない職業・職種”もあるということだ。

    先ごろNHKテレビで”日本における職業におけるジェンダーギャップ”のデータを”平成27年・国勢調査・職業小分類男女別(全国)”から取り出して紹介していたが、それによると・・※割合の%の分母・分子が何であるか私は未確認だが参考までに・・

    ◎男性の就業率1割以下と少ない職種(数字は%)
    ●助産師:0  ●歯科衛生士:0.2  ●保健師:2  ●保育士:3  ●家政夫・家事手伝い:3.1  ●栄養士:4.3  ●美容サービス従事者(美容師除く):5.3  ●幼稚園教員:6.2  ●看護師(准看護師含む):6.7  ●その他保健医療サービス職業従事者:6.8  ●看護助手:8  ●訪問介護従事者:9.7
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    男性の保育士

    ◎女性の就業率1割以下と少ない職種(数字は%)
    ※該当は63職種(男性は12職種)あり、ここでは一部のみ記載

    ●鉄道線路工事従事者:0 ●航空機操縦士:0.2 ●船長・航海士・機関長・機関士(漁労船):0.3 ●大工:1 ●左官:2.1 ●消防員:2.3 ●自動車運転従事者:3 ●自衛官:6.7 ●職業スポーツ従事者:8.4 ●警察官・海上保安官:9.4 ●郵便・電報外務員:10
    ・・・・・・・・・・・・・

    男性の助産師ゼロというのは自然。私の母は95才で亡くなったが、晩年に利用した”入浴サービス付きデイサービス”で、ある日、入浴介助に男性介護士が担当しようとしたが、ガンとして拒否した。高齢者世界でよく言われる「いくつになっても男と女」という"身体的・生理的な要素に基づく意識"は変えられないものであり(少数のそうでない人達もいるが)、ジェンダーと混同できないものである。

    欧米の映画やテレビドラマなどの中での食事シーンでよく見られるのは、”父親、夫など『大人の男』が大きな肉を切り分ける”行動で、これは過去の狩猟民族時代に”男が狩りで獲ってきた動物の肉を分配した”名残であろうし、仕事とは言えないが”役目”として、ここにはジェンダー問題はまだ入り込めない領域なのだろう。
    ・・・・・・・・・・・・

    2022年、あけましておめでとうございます
    本年も皆様のご健康長寿をお祈りいたします
    今年は寅年 ! ・・ということで・・
    toradosi

    ◎「虎杖」と書いて「イタドリ」
    日本全国の日当たりのよい道端や土手で実によく見かける植物「イタドリ」は漢字では「虎杖」。
    私が住んでいる住宅地に隣接する里山でも、あちこちでその群生が見られます。

    イタドリ(晩春~初夏の頃の姿)(写真は「山と渓谷社」刊「山の幸」より)
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    ◎「虎杖」(イタドリ)の由来は?
    春の若い茎に現れる赤紫のまだら模様が虎の縞模様に見えることと、約2メートルまでに伸びる茎は中が空洞で節もあり杖になるような強さがあることから付いた名と言われる。

    また、まれに「痛取」と書く表現もあり、これは怪我などの傷口にイタドリの葉をもんで当てると痛みが和らぐとされていることに由来したもの。

    イタドリは多年生草木で春に新芽が出て夏にかけて成長して、秋に白い小さな花が沢山咲き、後に羽のような部分を備えた種が風に乗って飛び、着地点で繁殖を開始するが、一方で、冬には地上部が枯れても春には越冬していた地下茎から芽が出るというサイクルでも繁殖する。

    ◎喉が渇いたら「イタドリ」の茎から水分補給
    昔から、ハイキングなどで野山を歩いている途中で、あるいは遭難したりして、水分補給が必要な際には、イタドリの茎を折った切り口から水分を吸ってその場をしのぐ方法が知られています。

    ただしやや酸っぱい味で、それはシュウ酸を含むからであり、ゆえに多量に飲むことは避けるべきであるとされています。
    つまり、これを常用して大量に飲んでいたら、体内で結石が出来やすくなるというわけです。
    (これは銀杏=ギンナンを一度に大量に食べると中毒を起こすので注意が必要なケースと似ている)

    ◎「イタドリ」は食用にも生薬にもなる
    春の若芽の30~40センチくらいに伸びたものを折り採り、皮をむいて生のままでも食べられるが、あえ物、佃煮、油いため、煮付け、漬物などにして食べる。これらの調理の仕方の多くは、ゆでたり、水にさらしたり、一度塩漬けにしたものを水につけて塩抜きしたりしたイタドリを使うので、水溶性であるシュウ酸はかなり抜け出ているそうです。
    地下茎は「虎杖根」(こじょうこん)という生薬になり、緩下(かんげ=便秘解消)、利尿、咳止め、生理不順解消などの効能がある。

    春のイタドリの若い茎を食用にするために折り採ったもの
     (写真はトラストバンク社の「ふるさとチョイス」ページより)
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    ◎「虎杖」は俳句の季語になり、清少納言はその字面に違和感を唱えた
    俳句では「虎杖」は春、「虎杖の花」は夏の季語
    「虎杖」という表記は古くからあったようで、平安時代の清少納言は枕草子の中で『「いたどり」を「虎の杖」と書くけれど、「虎は杖など要らないような顔つきをしているのに」(表現がおかしいことよ)』というようなことを述べている。(『』内は「鹿児島県薬剤師会」のHPを参考にした)

    ◎欧州では厄介者になってしまったイタドリ?!
    なぜヨーロッパで?と言うと、江戸時代末期に来日していたシーボルトが日本のイタドリを鑑賞用にとヨーロッパに持ち込んだが、とにかくイタドリの生命力と繁殖力は強力なうえに、生育環境が日本よりヨーロッパのほうが適しているようで、背丈が日本ではせいぜい2メートルなのにヨーロッパでは3メートルにもなるなどして、あらゆる場所において繁殖してしまい、今では都会のアスファルトの道路、レンガやコンクリートの建造物に被害を与えるまでになるに至って、遂に英国では駆除することになり、SDGs時代の方法として”イタドリだけを食べ、他の植物には害を与えない「イタドリマダラキジラミ」という日本産の虫”を利用することを決定したとのこと。

    日本国内では帰化植物として、「セイタカアワダチソウ」や「セイヨウタンポポ」などがはびこっていますが、「イタドリ」はその逆のカタチになった格好。同様に日本から渡った「クズ(葛)」も北米では勢力が強すぎて、厄介者になっているそうで、「セイタカアワダチソウ」が北米原産なので「クズ」が同じ北米で反撃か?(冗談言っている場合じゃないですが)

    ◎「イタドリ」の別名は「すかんぽ」
    「すかんぽ」という名の由来は”茎の中が空洞なので、”すっからかんでからっぽ”だからとか”(空洞の茎は)折ると「ポン」と音がして、それを吸えばすっぱい”ことからきているという説などがあります。

    ◎童謡「酸模(すかんぽ)の咲くころ」
    「すかんぽ」と聞けば、私はすぐにアタマに浮かぶのが・・
    「土手の酸模(すかんぽ) ジャワ更紗(さらさ)・・」という歌詞。
    このまことに短いフレーズしか覚えてないので調べたら、これは北原白秋作詞・山田耕筰作曲の童謡「酸模の咲くころ」の歌い出し部分でした。

    ↓実際の歌 (「イタドリ=すかんぽ」の春や秋の姿の映像も流れます) 
    https://www.youtube.com/watch?v=YNXnYjLQy8k歌った

    ↓あの美空ひばりが歌ったものがコレ・・ちょっと聴くと本当に彼女が歌っているのかわからないのですが、童謡であることを意識してひばり節をひかえたのか、しかしわずかに(よく指摘される)"鼻濁音の「が」の発音"で、本人とわかる気がします
    https://www.youtube.com/watch?v=WoZo7_ou8Qw

    ◎「すかんぽ」と呼ぶ別の植物「スイバ」あり、混同注意。
    実は「スイバ」は「イタドリ」と同じタデ科の多年草で、あぜ道などに多く生えて背丈は低く1メートル止まり。6月頃に小さな赤い花を穂のように付ける。食用になるが、これもシュウ酸を含むので食べるとやや酸っぱいので”酸(す)い葉”と、これは名の由来は明白。「すかんぽ」の呼び名も”酸っぱさ”から出たとされる。
    「スイバ」(写真は「山と渓谷社」刊「山の幸」より)
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    ・・・・・・・・・・・・
    では、皆さま今年もよろしくお願いいたします。
    ・・・・・・・・・・・・・

    先ごろ、新聞やテレビなどに「政府が備蓄石油を市場に放出・・」という文言が現れた途端に私は「放出」という文字に反応してしまったのだが、その理由は・・
    ついでに、「日暮里」、「ばっけ」?などについても・・

    ◎「放出」は大阪では「はなてん」とも読む
    難読地名・駅名の例の常連?である「放出」だが、大阪の人なら誰でも「はなてん」と読める。
    なぜなら「放出」は大阪市城東区と鶴見区にまたがる地名※であり、JR西日本の片町線(愛称「学研都市線」)の駅の名でもあるから。(※放出西1~3丁目が城東区、放出東1~3丁目が鶴見区)

    そして私が「放出」に反応してしまったワケは・・自分には過去に大阪勤務にともなう在阪期間が合計約10年あり、しかも内9年間はJR片町線を使って通勤していて、放出は途中の通過駅だったから。
    JR片町線・放出駅(写真はWikipediaより)
    Hanaten-South
    「はなてん」の名前の由来には神話説、地勢的解釈説があるが、定かではないようだ。

    ◎地名「日暮里」(にっぽり)アイヌ語由来説
    「日暮里」(東京都荒川区)も難読の部類に入れられることが多いが、この「ニッポリ」はアイヌ語に由来するということは定説になっているものの、基になるアイヌ語が何かという点で諸説ある。

    最多例は「ヌプリ」由来説。これは多くの一般人の他に永六輔氏もとなえていたとか? たしかにヌプリはニッポリに繋がるようにも聞こえる。しかしアイヌ語に詳しい知里真志保博士によれば、「ヌプリ」は”そびえ立つ山”を表すのに、この地に高い山など無いのでこれは間違い。

    その他、”木の丘”を表す「ニンポリ」説もあるが、私がもっとも魅かれる説は、今から30年以上前だったかに朝日新聞の「天声人語」欄に載った記事にあったもので、ただし基になったアイヌ語が表記されていたのか否かの記憶が無いのだが、とにかく意味の説明があって・・

    ”本州側に残るアイヌ語由来の地名として、日暮里の「ニッポリ」は「崩れやすい崖」そしてここに近い不忍池(しのばずのいけ)の「シノバズ」は「入り江の奥の沼地(湿地だったか?)」という意味である”・・という内容だったが、私はこれに納得できる状況があると思える。・・それは(下の図をご覧いただきながらだとわかりやすいが)・・
    「上野台地」「本郷台地」などと低地の様子(右上に現在の日暮里駅の位置表示あり)
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    (図はブログ「日々の理科・田中」の「山手線の地形考」より引用)

    太古の昔から今でも、東京の西の方から東に向かって武蔵野台地が広がり、その東端で枝分かれして何本かの半島のようになった細い台地があり、それらにも呼称があって、その北寄りの一つが「上野台地」である。

    台地があれば低地(上の図の黄緑色部分)にかけては当然のように崖ができるが、台地沿いに崖が長く続く場所を「崖線」と言う。日暮里はこの上野台地の北側の崖線沿いに位置するので、この崖線には「日暮里崖線」という呼称が与えられている。

    まさに日暮里イコール崖であるのだ。それはJR山手線の巣鴨駅あたりから
    田端(たばた)駅、日暮里駅を通って上野駅までの進行方向右側の車窓からはほぼ崖を見上げる状態であることで実感できる。
    左側の「日暮里崖線」に沿って走るJR山手線
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    (写真は「ganbaru.mcury」.jp」より引用)

    また上野台地と本郷台地(←神田明神などが在る)双方の東端近くに挟まれた場所に在るのが不忍池。縄文時代など今より海水面が高かった時代には、現在は低地と言っている所も海だったので不忍池は昔の入り江にあたる所に在る。

    というわけで日暮里も不忍池も「天声人語」欄の説明が腑に落ちる。ただし、たまにこの欄も後日訂正があるので注意が必要だが・・

    次は「崖」つながりで・・

    ◎崖の呼び方様々
    現在の標準語としては「崖(がけ)」だが、各地には「崖」の古い呼称が残っていて・・「はけ」、「ばけ」、「ばっけ」、「ほき」、「ほけ」、「ぼけ」・・などあるが、これらの基はやはりアイヌ語で「崖」を表す「バッキ」であるという説がある。

    ここで挙げた"崖の古称"が残る実際の例としては・・

    ●「大歩危・小歩危」(おおぼけ・こぼけ)・・徳島県で吉野川が削った両岸が険しい崖になった場所で、”「ほき」に「歩危」の字をあてて読んだもの”という説の他に”大股でも小股でも歩くには危険だから”という説もあるそうだが、後者は後付け理由の感じがする。
    「大歩危・小歩危」
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    写真は「阿波ナビ」のHPより

    ●「ようばけ」・・埼玉県の秩父にある高さ100mの崖で、平地では夕陽が落ちても高い崖はまだ陽が残って当たり輝くので”陽(よう)があたる崖(はけ)”として呼んだとされる。

    この崖は古代には海であったことを表す貝、カニ、クジラなどの化石が出るなど貴重な場所で、現在は国の天然記念物および日本の地質100選の一つになっているほどなので、あの宮沢賢治も1916(大正5)年に盛岡高等農林学校の地質見学旅行でこの崖を訪れている。
    「ようばけ」
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    写真は「ジオパーク秩父」のHPより

    ●東京の「はけ」「ばっけ」・・東京の国分寺近辺を通る「国分寺崖線」は「はけ」と呼ばれ、新宿区の落合地区では流れる神田川と妙正寺川沿いの「目白崖線」を「ばっけ」と呼んでいる。

    さて「ばっけ」と言えば「崖」だけではなく・・
    ◎「ばっけ」は「蕗(ふき)のとう」のことでもある!
    実は、今年の春に岩手県に住む友人から「『ばっけ』(ふきのとう)を見つけた」という便りがあって初めて”「ふきのとう」は「ばっけ」とも言う”ことを知った次第 !

    それで一瞬、” 「ふきのとう」は崖のようなところに多く出現するから「ばっけ」というのかしらん”とも思ったが、野原で見かけたこともあるし、昔は隣のお宅の庭にも生えていたので「崖」は関係ないな・・というわけで調べてみたら・・

    「ふきのとう」上は花開いた状態、下は若芽状態で普通はこちらを食用にする
    bakke (2)
    bakka-wakame2 (2)
    上写真2枚は「あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト」より引用

    「ばっけ」の語源はどうやらこれもまたアイヌ語であるというのが定説らしいのだが、ではアイヌ語の何という言葉が基であるかというのにはこれも諸説あり、

    その一つは・・アイヌ語の「パッカイ」が「子供を背負う」という意味であり、これは”ふきのとうが出始めた状態をよく見るとメインの大きな芽茎の根本に寄り添うように小さな子供のような芽が一緒に出ていて、それが親芽が子供芽を背負っているように見える”からというもの。

    その他の説には、アイヌ語の「パケ」が「頭」を意味するからというもので、これは”残雪や土の中から、ふきのとうが丸い頭をのぞかせるように出てくる”からということか?

    「ばっけ」という呼称は主に東北地方の青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の各県で共通して使われることが多い。(特に「ばっけ味噌」という食材の呼称は共通)

    しかし、各県、各地方で「ばっけ」以外の呼び方もあり、秋田県では「ばんけ」、「ばっきゃ」、「ばっけあ」、「ばんけあ」。山形県では「ばんけ」がある。その他にも(県名が特定できないが、先述のアイヌ語の「パッカイ」に近い)「ばっかい」、「ばっけい」もある。また東北ではないが長野県には「ふきぼこ」、「ふきったま」とも言う地域があるそうだ。

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    今回は、はからずも"現在の日本語の中にはアイヌ語の影響が少なからず存在する"という例が並びました。
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    P.S.1:清流で有名な四万十川の「シマント」も
    アイヌ語由来と従来は言われてきたが、最近は否定されている。
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    P.S.2:今回の文章中には特に「ば」と「ぱ」という文字が多いが、それぞれの"「は」の肩部に在る「〻」と「〇」=濁点と半濁点”が小さくて、相当に大きい文字にしないと判別しにくいことをあらためて痛感したので、フォントを是非改善して欲しいと思う!
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    ◎「光害」を意識し始めたきっかけ
    私が”光による害“というものを強く意識させられたのは、1988(昭和63)年に、ある業界の視察団の一員としてオーストラリアの東岸のゴールドコースト沿いの新興リゾートタウンである「サンクチュアリー・コーヴ」(コーヴ=COVE=入り江)という街を訪ねた際に、この街のはずれに住んでいるという人が・・

    「最近は街の繁盛で、夜間に街の中心部からの明かりが、住宅地の夜の暗さを邪魔するようになって困っている」というようなことを言ったのを聞いて、“夜の暗さにも価値がある”ことを気づかされたゆえに”夜間の人工の光が害を及ぼす側面がある”ことを”強感”したから。

    ↓「サンクチュアリー・コーヴ」昼間の光景(「Tripadvisor」のHPより)
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    ご存知のように、「サンクチュアリー」と言うと”鳥獣保護区”と訳されて、特に”小鳥のために餌や水を与える場”として「バード・サンクチュアリー」として語られることが多いのですが、他にも”神聖な場所” “安全な避難場所” “逃げ隠れできる場所” などの意味があり、ある英和辞書にはこれらを総括したような意味として”安らぎの場所”としているのは”言い得て名訳”。

    まさに「サンクチュアリー・コーヴ」という名のこの街は”人も動物も安らげる”ことを目指したのでしょうが、夜の(文字通り)”不自然”な光がこれを妨げているのだった。

    当時、私は「光害」という言葉が既にあったのかどうかを知らなかったのですが、その10年後の1998年には日本の環境庁(当時)が「光害対策ガイドライン」を策定しています。

    ◎実際の光害風景と宇宙から見た地上の夜間光景
    実は里山に近い環境に在る私の自宅近所にもナイタープレイができるゴルフ場が出現して、そこのコース照明が夜空の一部までも明るく照らす状態で、それはやはり不快です。(ここの夜のスカイはフカイ!)

    千葉県・千葉市緑区の”夜間に紫色に光る空”が「気味が悪い」として昨年2020年11月に、あるツイッターに写真付きで投稿されて話題になりました。↓ その現象の発生源は”プチトマト栽培用ハウスのLED照明光”だった。
    kougai-tomato
    「きみちゃん ステッカー屋さん @Kimichan398」より引用

    ↓宇宙から夜の地球を観ると、光害をもたらすであろう光の集中地域がよくわかる。
    g-earth-night (2)

    別の写真には
    日本海の朝鮮半島寄りの海上が非常に明るくなっている場面があり、これはイカ釣り漁船などの集魚灯”の光と思われる。

    ↑余談ですが、北緯38度線を境にして北朝鮮には光が殆ど無い。この写真には無いが、台湾は中国大陸に対した西側沿岸一帯のみが明るい。また世界の紛争地帯(シリアなど)も暗い。 (写真はGoogle Earth 夜の地球より)

    ↓(余禄)飛行機から観た東京湾を囲む夜景。手前が千葉県、向こうが東京や横浜。湾上中央にアクアラインの海上部分が細く伸びている
    nightscape-t-bay (2)
    (この写真は、航空会社の国際線のあるパイロットが、普段に操縦桿を握っている際には意識しなかった東京とその近辺の夜景を、非番時に乗客としてあらためて観るとそのすばらしさ(?)は「おそらく世界一」と感動して機内から撮影してNHKに投稿したもの)

    ◎「光害」がもたらす結果
    生態系に悪影響
    ●生殖不全
    私が実際に出会った現象は“明るい夜が蛍を絶やしてしまった”こと。
    私の家の近所の田んぼで昔は夏に多くの蛍の光が見られた。しかしある年に、田んぼに隣接してガソリンスタンドができて、夜間もかなり深夜まで“こうこう”と照明をつけて、広い範囲の田んぼまでが明るくなってしまった。するとその翌年から蛍は全く見られなくなってしまった。
    その理由は、“蛍はオスがお尻を光らせてメスにアピールして交尾をして命をつないでいく”という行為が、“夜間でも明るいという環境ではお尻の光が役にたたず”成り立たなくなってしまった”からでしょう。

    ●虫や小動物を捕食する動物がその地を去ってしまう
    人工の光に虫が集まりすぎて、その虫が本来存在する場所に不在となって、その虫を捕食していた動物の行動に支障が出る。また暗い夜間に行動する小動物も生息地を変えてしまうので、その小動物を捕食する動物も同調してその土地を離れることになる。

    ●渡り鳥が迷子になる
    星や月の明かりを頼りにする方向感覚が、都会のビルやサーチライトの光で狂わされて渡り鳥が迷子になる。(光害問題啓発の団体「国際ダークスカイ協会=IDA」の東京支部代表の越智信彰氏による)

    天体観測に支障
    星や天の川が見えにくくなる・・私の住む町でも40年近く前には天の川がかすかだが見えましたが、その後に街灯が増え、おまけに近所に先述の“夜にもプレイできるゴルフコース”ができて、その夜間照明の明かりが夜空をそめるに至っては全く見えずで「光害」の悪い手本。

    ●日本一の星空は長野県阿智村(あちむら)
    阿智村は「星が最も輝いて見える場所:第1位」として環境省が平成18年に選定。標高1400mの高原にロープウェイで上がり、しかも観天時には設備などの照明を消して万全の状態で星が見られる。同村はこの星空を村おこしに利用して国内客のみならずインバウンドも狙っている。その効果は人口6000人の村に年間50万人(2018年)が来訪する。こうなると、ここの星空の素晴らしさは人の口から口へと”光害ならぬ口外”でさらに広く伝わることでしょう!
    阿智村の星空(写真は「photoAC」から引用)
    atimura (2)

    ●その他の日本各地の”星空推薦地”
    北海道・美瑛町/ 新潟県・妙高高原/ 長野県・南牧村/ 東京都・伊豆大島三原山/ 神奈川県・丹沢湖/ 静岡県・南伊豆町/ 山梨県・富士河口湖町/ 富山県・立山町/ 岐阜県白川郷/ 三重県と奈良県にまたがる大台ケ原/ 奈良県・吉野郡/ 兵庫県・砥峰(とのみね)高原/ 岡山県・美星(びせい)町/ 愛媛県・石鎚山(いしづちさん)/ 大分県・久住高原/ 沖縄県・波照間島(はてるまじま)

    ●日本より星が観られるオーストラリア
    海に囲まれた狭い日本では湿度もあって空気透明度に限界があるが、海外には広大な国土の人の手が入らない地で湿度も低くければ星の見え方はすごいようだ。例えばオーストラリアは広い国土に少ない人口なので、ちょっと郊外に行けば満天の星がみられるが、中でも「ウルル(エアーズロック)」の夜空で、ここは同国の中央部で人け無し、空気は乾燥の絶好条件。この地でなくともオーストラリアに行って星空観察する日本人は多いとのこと。
    「ウルル」(エアーズロック)高さは348mの砂岩の一枚岩山(写真は旅行案内の「トラベルドンキー」のサイトより引用)
    ayers_rock (2)

    ◎光害対策は日本でも世界でも
    光害対策が必要として「光害防止条例」が日本でもいくつかの自治体でつくられ、環境省も国レベルの条例制定を勘案中。世界各国でもすでに制定例は多い。

    また民間でもNPO法人「国際ダークスカイ協会(IDA)」(本部=米国アリゾナ州ツーソン)が1988年に設立され、多様な分野の専門家によって、観測研究、技術研究、啓発活動、などを行い、独自基準の国際的認定制度「ダークスカイプレイス・プログラム」(星空保護区認定制度)を設けている。

    ◎SDGs時代の光害対策行動の一例:美星町とパナソニック社
    岡山県井原市美星町(同町は1989年に日本最初の「光害防止条例」を制定)の協力があってパナソニック社が開発した「光害対策型防犯灯」と「同 道路灯」が2020年にIDCから日本メーカー初の「星空に優しい照明」の認定を受けた。

    この照明灯は、星空を見えにくくすることになる上方への光漏れが無いこと、青色光の少ない白熱灯色(色温度3000ケルビン以下)であることなどの基準をクリアしたものという。

    ◎光害防止の要は"上方(空)への光漏れが無いこと"
    IDCの指標にもあるようだが、空に向かって漏れる光は光害になるのは勿論、無駄でもあるわけで、地上、海上での各種照明が宇宙まで届くというのはとんでもない話。先述の千葉のトマト栽培の照明が空を照らすほどであれば、その漏れた光エネルギーをトマトに集中させれば"すべて良し"となるはず。

    ◎月光の存在と効果は?
    月の明かりについての話は長くなるので別の機会にまわしますが・・あえてちょっとだけここで触れる理由は・・前述の”街路灯のIDC認定基準の中にある"青色光の少ない白熱灯色であること”という部分に私は疑問があるからで、なぜなら、本来夜間の光と言えば月の青白い色であり、それが自然。さらに白熱灯色の光よりも青色光のほうが波長が短いので”遠くまで届かない”、つまり光害になりにくいはずだから。

    ◎良寛さんは月明かりをありがたく利用した?!
    ※月の話と、まだ栗が出回っている時期にちなんで・・
    江戸時代末期の越後の国の曹洞宗の僧で、生涯清貧を通し、粗末な庵に住みながら近所の子どもたちともよく遊んだとされるが、和歌や書に秀でていたので、同人も訪ね来ることがあっただろう。
    そこで詠まれた有名な歌が・・

    「月よみの光を待ちて帰りませ 山路(やまじ)は栗の毬(いが)の多きに」 (月よみ=月)

    一人寂しい庵への来訪者と話は尽きず、夜になってもまだ居て欲しいので、月の光と栗の毬にかけて・・「山道は栗の毬が多い時期ですから、月が出て明るくなるまで待ってお帰りなさい」

    kuri
    (↑写真は「JAグループ」のHPより引用)
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