徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    カテゴリ:日話秘話飛話 > 考察材料

    前回は”青木繁と福田蘭堂と石橋エータローの関係”、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、石井四郎軍医についてのあまり知られていないと思われる話
    ( https://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/28793420.html )でしたが、
    今回も続いて、”ある人たちに関して、私が「へー、そうだったのか」と思ったこと”のいくつかです。

    ケネディは上杉鷹山(うえすぎようざん)を尊敬していた!
    アメリカ合衆国の第35代大統領だったジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(JFK=1917~1963年)。
    kennedy2
    氏は来日した際に、米沢藩(現在の山形県南部)の藩主:上杉鷹山(1751~1822年)を尊敬していると発言したことは私も知っていたのですが・・

    ↓上杉鷹山
    uesugi-youzan

    有名な”大統領就任演説”の中で、これまたよく知られている発言部分が鷹山の施政方針を範としていたことは知りませんでした。

    そのケネディ演説の部分とは・・

    「アメリカ国民の皆さん、国があなたに何をするかを問うのではなく、あなたが国に何ができるかを自問してください。」

    「世界の市民の皆さん、アメリカがあなた方に何をするかではなく、私たちが一緒になって、共に人類の自由のために何ができるかを問うてください。」

    では上杉鷹山が行った数ある優れた施策※の中で、ケネディが範としたのは・・

    財政困窮状態の藩政を任された鷹山が見事に立ち直らせた施策の根本的方針を示したもの。
    それは次の”3助”・・

    ・自ら助ける、「自助」

    ・近隣社会が互いに助け合う、「互助」

    ・藩政府が手を施す、「扶助」

    これの自覚をもって武士も領民も実践した。

    鷹山は「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という古代中国の諺も唱えていた。

    ※上杉鷹山の施策は同じ米沢藩で鷹山より約200年前に家老だった直江兼続(なおえかねつぐ)の施策
    を受け継いだものもいくつかある。

    余禄1:ケネディ大統領暗殺は1963年11月22日(日本時間23日)で、この日は日米間で初の「宇宙中継(後年に「衛星中継」と称するようになった) 」の映像が流されたのだが、その内容は大統領狙撃事件のニュースとなってしまった。
    当時高校生だった私はこの勤労感謝の日の朝に起床するやいなや突然の事件報道に驚いたことをハッキリ覚えている。

    余禄2:アメリカの大統領は過去に4人(リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディ)暗殺されているが、リンカーンとケネディの暗殺時には二人とも副大統領はジョンソンだったので、リンカーンもケネディも後継者としてジョンソン大統領が誕生している。

    ◎マッカーサー元帥は乃木希典(まれすけ)将軍を尊敬していた

    ↓マッカーサー元帥 / 乃木希典将軍
    mac-nogi

    終戦後の日本を占領・統治する連合国軍最高司令官となったダグラス・マッカーサー(1880~1964年)元帥は、日本へ到着して間もない時期に、東京の旧乃木希典邸(今も港区赤坂に現存)に出向いて、庭に一本のアメリカハナミズキの木を植樹した。

    ↓アメリカハナミズキの木(後ろは旧乃木邸)とその説明板
    mac-hanamizuki2

    マッカーサー元帥のとったこの行動の理由は、日露戦争時にアメリカから派遣された”軍事オブザーバー(観察官)”※の一人だった父親であるアーサー・マッカーサー・ジュニアから、日露戦争の際の乃木将軍の武士道精神に基づく立派な行動を聞かされていて感銘をうけていたから。

    乃木のその行動とは・・

    日露戦争でロシア側の旅順要塞を陥落させた乃木将軍は 降伏した敵将ステッセルと1905(明治38)年1月5日に水師営という村(現在の大連市内)で会見したが、

    敗戦の将ステッセルに対する乃木大将の対応はことごとく仁愛と礼節に満ちた武士道精神的であり 例えば・・詰めかけた内外の報道陣、に ステッセルが屈辱感を味わうような映画や写真を撮らせなかったり、各国の軍事オブザーバーの立ち合いを禁止したので その乃木の振る舞いは全世界に配信されて 称賛された。 

    ↓水師営での写真:中列中央の二人が乃木将軍とステッセル将軍
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    ※日露戦争時の軍事オブザーバーは世界9カ国から総勢50人以上、その他各国からのマスコミ特派員も100名近くが参加していた。彼らによる戦況、戦術情報は分析・研究されて、後の第一次大戦に活かされた。

    ◎ヘレン・ケラーは塙保己一(はなわほきいち)を尊敬していた
    目が見えず、耳は聴こえず、言葉が発せられない(声そのものは出たので後に話せるようになった)、という三重苦のアメリカ人のヘレン・ケラー女史(1880~1968年)は、その全生涯を教育と福祉、そして世界平和に尽力したことで世界的に有名。

    helen-keller2

    ヘレン・ケラーが障害にめげずに希望をもって生き、努力した行動を支えたのは尊敬する”日本の江戸時代の盲目の学者:塙保己一“の存在だった。

    塙保己一(1746~1821年)は武州児玉郡(現在の埼玉県本庄市)に生まれ、7才で失明したが、手のひらに指で字を書いてもらって文字を覚え、周囲の人が語ったことは完璧に覚えるなど記憶力が優秀だった。
    ↓塙保己一
    hoki-hanawa

    向学心が強く、江戸に出て国学、漢学、神道、医学、和歌などを学習したうえで、34才で「群書類従」(様々な記録や文献、文学作品、手紙などを集めて整理したもので666冊)の作成にとりかかり74才で完成。続いて「続群書類従」(1885冊)の編纂にも着手したが、これは世に出ずに終わった。

    その他、国の歴史に関する資料も編纂して「史料」も作っているが、現在これを引き継いだカタチの東京大学から「大日本史料」として出版されている。

    このような塙保己一をヘレン・ケラー女史がどれほど尊敬していたかを紹介する”さいたま市のホームページ”から一部を引用させてもらいます。(【】内)

    【ヘレン・ケラー女史は、昭和12(1937)年に初来日した際、渋谷の温故学会※を訪れ、母親から『日本の塙保己一先生はあなたの人生の目標となる方ですよ。』と教えられたことに触れ、こう話しています。

    『今日、こうして温故学会を訪問して先生の像に触れることができましたのは、日本への訪問の中で最も意義深いものでした。

    使い古された質素な机と、優しそうに首をかしげた先生の像に触っていると、先生のお人柄が伝わってきて、心から尊敬の気持ちがいっそう強くなりました。

    先生のお名前は、水が流れるように、永遠に後世に伝えられていくに違いありません。』

    また、埼玉会館で開かれた講演会では、『私は特別の思いをもって、埼玉にやって参りました。それはつらく苦しい時でも、この埼玉ゆかりのハナワ・ホキイチ先生を目標に頑張ることができ、”今の私”があるからです』と話しています。

    ※「温故学会」は塙保己一の功績を讃え、広く世に知らしめるために渋沢栄一らによって設けられたもので、「群書類従」の版木(17,244枚)などを保管し、一般にも公開している。

    さて、このヘレン・ケラー女史には彼女に付き添った優秀な女性家庭教師「アン・サリヴァン」(俗称「サリヴァン先生」:1866~1936年)の存在を抜きには語れない。

    ケラーが7才の時、家庭教師になったサリヴァン先生はヘレンに、互いに指を触りながらで文字を伝える指文字で言葉を教え、学習させて遂には彼女を大学卒業まで導き、その後の社会的な活動にも寄り添って約50年間も支援した。

    ↓アン・サリヴァン
    sariban

    ◎電話発明者グラハム・ベルが関与したサリヴァン、ヘレンケラー
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    アレクサンダー・グラハム・ベル↑(1847~1922年)は実用的な電話を発明したものの、自分の妻や母が難聴者だったために、自分の発明が身内には役に立たないので、自身ではその成功をあまり喜べず、後に電話技術を応用した補聴器を作ったが大型すぎて実用化できなかった。

    ベルの家系は、祖父、父、兄弟が弁論術や発声に関した仕事についていたので、彼自身も聴覚や発声の研究を進める過程での電話器発明だった。

    ベルの活躍は幅広く他の分野の発明品もいくつかあるが、聴覚障がい者のための学校も設立した。

    ヘレン・ケラーの両親は、視覚・聴覚障がい者である娘の教育をまかせられる人物を探すために、手を尽くした結果、グラハム・ベルに会い、彼の尽力でパーキンス盲学校から、同校を優秀な成績で卒業したアン・サリヴァンが派遣されて、以後ヘレンの家庭教師となった。

    ↓左からヘレン・ケラー、アン・サリヴァン、グラハム・ベル
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    (↑写真はロバート・V・ブルース著「孤独の克服ーグラハム・ベルの生涯」より引用)

    ※グラハム・ベルの"音声に関係する機器の開発"などの功績から”音の強度を示す単位”を氏の名前をとって「デシベル」と決められた。

    3月3日が「耳の日」と決められたのは3・3=ミ・ミの語呂合わせだけでなく、グラハム・ベルの誕生日が1847年3月3日だから。

    ※グラハム・ベルの母親は難聴だったために大きな補聴器を使っていたそうで、ということはベートーベンが完全に聴力消失する前の段階で使用していたラッパのようなモノ↓だったか?
    beethoven
    画像はr/classical_circlejerk•より引用

    舞台劇や映画になった「奇跡の人」とは・・アン・サリヴァンのことであり、ヘレン・ケラーのことではないのだそうで、私は題名だけ知っていたものの観ていないので誤解していました。
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    人物に関する意外なことはまだありますので次回に・・
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    先日(2025年10月11日)の東京新聞に「Tシャツの日本史」という本(高畑鍬名=たかはたくわな 著)の内容を酒井順子氏(エッセイスト)が紹介していて、それによれば・・

    今はTシャツの裾をボトム(ズボン/スラックス)に「イン」しないと(入れないと)ダサイ・・ということになっている。

    (戦後) 白洲次郎、石原裕次郎、三島由紀夫たちがTシャツをカッコ良く着てみせたが、それは裾が「イン」状態だった。

    それが尾崎豊や吉田栄作らの1980年代まで続いたが・・

    1990年代になり「渋カジ」が流行し始めると裾を出す「アウト」化が進んだ。

    その結果、わずかな「イン」派は「オタク」の人間とされた。

    ところが現況は再び「イン」の時代となった。』・・のだそうで

    そうなると、腹の出た体形では”カッコよくない”ことになるから大変だ!

    これにちなんで言うなれば、”近年のスーツの袖丈は長すぎてカッコわるい”!

    別の言い方をすれば、”スーツの袖口から(大方は白い)ワイシャツ(関西では「カッターシャツ」)が見えていない”

    ◎スーツ袖口からワイシャツが1センチ出るのが理想!
    今から57年前の1968年に「セビロの哲学」という本が毎日新聞社から出版された。
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    その著者である星野醍醐郎氏は1924年生まれの服飾デザイナーで、1964、1965年の2年連続で米国の「キャズウェル・マッシー賞」という”メンズファッションデザイン賞”を東洋人として初めて受賞した人。

    氏はその著書の中で「スーツ袖口からワイシャツが約1センチ出るのが良い着こなしである」と述べた。

    それが良い着こなしである理由については、私もこの本を購入して読んだことがあるものの覚えていないのですが、私なりに思うところは・・

    ”スーツ袖の色(A)” と “袖口から出て見える手の色(B)”の境界に、”そのどちらにも属さない色の線または帯”を配することで(A)と(B)はいかなる色であっても互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる。

    また、スーツ袖口を汚れや摩耗から守る効果もある。

    ↓チャールズ国王と白洲次郎:袖口に注目!
    charles-sirasu

    テーラーの上木規至(のりゆき)氏はイタリア・ナポリで修行したが、氏の仕立てるスーツを披露する際にも袖口とワイシャツの見せ方には注意がはらわれている。↓
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    (↑上木氏とスーツ:NHK「美の壺」より)

    この"スーツ袖口とワイシャツの見せ方"は、流行というものではなく絶対的な美的感覚に支配されるもので不変、普遍であると言える。

    ◎「トリム効果」
    前述のような視覚的効果は「トリム効果」と言えるものだろう。

    「トリム(trim)」には、縁取り、装飾、刈込み、整えなどの意味がありますが、「トリム効果」とは”縁取り”として線または細い帯を ”複数の色が互いに接する場合の境界に採用することによって、各色は互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる”効果を生じること。

    ◎「ゼロ戦」機体の日の丸マークの「トリム効果」
    旧日本軍の戦闘機で俗称「ゼロ戦」の胴体と主翼に描かれた日の丸は初期には”赤い丸”であったが、昭和17年の夏頃になると”赤い丸の周囲に白縁”を追加するようになった。

    その理由は明白で、濃い緑色の機体に赤い丸を着けても、ちょっと離れて見ると赤い丸がはっきりとは見えないからで、仲間からの誤射も受けかねない。

    これは濃い緑色と赤色の明度が近いことによるもの。

    そこで赤丸の周囲に白い縁をつけて、赤丸は明確に視認できるようになった。これはやはりトリム効果である。
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    (↑上:phil howard2.blogspot.com/下:「ゼロ戦 遊就館」のHPより)

    しかし、戦争後期になると前線では逆に赤丸周囲の白縁をわざわざ黒く塗って消すようになった。これは性能を向上させた米軍機から見つかりやすく狙われやすくなったためであった。

    ↓赤丸の周囲の白枠を塗りつぶした黒色がすぐ一部はがれてしまったゼロ戦
    zerosen3

    ※ゼロ戦も最初期の機体は明るい灰色(通称:飴色)だったので、日の丸はただの赤丸だけで十分明確に見えた。

    ◎衣装における「トリム効果」
    冒頭の”スーツ袖口とそこからのぞくワイシャツ”の例の他に、衣装においては単なる線状・帯状の紐や布の他、レース、フリンジ、リボン↓なども袖口や襟元に使われ、これがトリム効果になる。
    trim-robbon
    (↑左:Hymyily/左:「jimmybottons.com.au」より)

    「トリム(シャツ)」という”ストレートにトリム効果を意図したもの”もある。
    trim-shirt
    (↑「temu.com」webカタログより)

    和服の場合には(浴衣は別にして)着物の襟元において着物と首元の境界に線状・帯状の布(現代では「半襟」と呼ぶ部分)が見えるように置かれ、トリム効果が発揮される。

    ↓半襟がトリム効果(白が多いが、右端のように最近の振袖には色柄の半襟も)
      
    (PCではクリックで拡大)
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    (↑左:日経ムック「FORTY LOVE」/中二つ:「家庭画報」/右:「一蔵」カタログより)

    ◎室内壁面での「トリム効果」
    室内装では「トリムボーダー」と呼ばれる、やはり線状・帯状のものが壁などに貼付される。

    ↓トリムボーダーの例:壁面がツートーンの場合の境界に使われる他、一色の壁面でも床上1メートルくらいの部分に設けられることも多い。
    trim-border
    (↑左:「kaoringo」さんのブログより/右:「トリムボーダー」カタログより)

    ◎ステンドグラスもトリム効果
    教会などのステンドグラスは色とりどりのガラスが寄せ集まっているが、それぞれは主に鉛でできた細枠で囲まれた状態になっていて、これがトリム効果となり、多彩な色が互いに干渉せずにまとまって見えるようになっている。
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    (↑「thearchitectsguide.com」より)
    stainedglass2
    (↑「mariyo.jp」より)

    ◎輪郭線使う絵や太線枠絵画もトリム効果
    例えば、ルオーの描く絵はトリム効果が顕著。
    ruoo
    (↑「www.shibayama-co-ltd.co.jp」より)

    「わたせせいぞう」氏のイラスト(https://seizo-watase.com/)も・・

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    冒頭の「セビロの哲学」という本は、私も所持していたものの読後に廃棄してしまったのですが、現在でも需要があるようでネット上のマーケットでは、中古品で8千円、2万8522円、3万円などで売られています。
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    この文章作成した10月13日は偶然にも江戸時代の医者:華岡青洲(はなおかせいしゅう)が世界初の全身麻酔手術に成功した日とのこと。
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    ↑画像はWikipediaより

    そして現在 小泉八雲とその妻をモデルにNHKテレビ放送中の連続テレビ小説(朝ドラ)の「ばけばけ」。
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    華岡青洲、小泉八雲どちらも、妻の貢献によるところ大なるもので・・

    それにちなんで今回は古今東西、夫婦の協力で大きなことを成し遂げた事例を少々とりあげます。

    ただし、そのほとんどが男性である夫の成果として語られるのですが、実際には、夫と共同(共働)した、あるいは夫を助けた妻があればこそ大きな事が成し遂げられたケースが多い。

    有名な”妻”たちとしては、まず冒頭の「花岡青洲の妻」や「山内一豊の妻」があり、”夫を助けると言うより共同”した「キュリー夫人」がいますが、よく知られているだけに、ここでは概略を後記してみます。

    上記3人ほどは有名ではないものの”やはり、夫を大きくした妻”たちには・・

    ◎「小泉せつ(小泉節子)」(1868~1937)
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    小泉八雲の妻であり、
    夫であるラフカディオ・ハーン(1850~1904:ギリシャ生まれのイギリス育ち。日本に帰化して小泉八雲)が来日して鳥取県の松江尋常中学に英語教師として滞在中の家に住み込み女中となってそのまま結婚。

    夫が日本語をあまり理解できないので、彼女なりの英和辞書のようなものも作るなどして、夫婦の間だけに通じる「ヘルンさん言葉」を編み出して、日本の怪談や伝説を口伝のカタチで伝えて夫の「Kuwaidan(怪談)」などのストーリーの素を作って執筆を助けた。

    ◎「松下むめの」(1896~1993)
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    ↑画像はWikipediaより

    松下幸之助の妻であり、結婚時、夫である幸之助は電力会社の電気工だったが、工事の改良案を思いついて提案しても会社に採用されずに落胆し、病弱だったこともあって退職して「おしるこ屋でも始めるか」と切り出したところ、むめのは激しく反対して勝手知ったる電気関係の仕事に打ち込むようにと叱咤激励。

    覚醒した幸之助は電気器具製造を始め、これが後の松下電器(現、パナソニック)の基となるのだが、当初は資金繰りが厳しかったが、むめの夫人は自分の着物や貴金属類を夫に知られないようにして売却し、おカネの工面をした。

    後に「日本民間3大発明」の一つと言われる「二股ソケット」※の生産販売で成功して増やした従業員の面倒をよくみたのもむめのだった。 ※他の二つは「地下足袋」と「亀の子たわし」

    もう一つ間接的に貢献したカタチになったのが、むめのの弟である井植歳男を入社させたことで、歳男は病弱だった幸之助の手となり足となって事業拡大に大きく貢献した。(詳細は省略しますが、井植歳男は戦後、会社を辞して三洋電機を創業した)

    ↓松下電気器具製作所創業時の松下幸之助(後列左)、松下むめの(後列右)、井植歳男(後列中)
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    ↑写真は「三洋電機30年の歩み」誌より

    ◎「ベルタ・ベンツ」
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    カール・ベンツの妻であり、夫が世界初のガソリンエンジン自動車を開発して1886年に特許まで取って販売開始したが2年経過しても低迷していた。 
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    しかし自動車の可能性を確信していた妻のベルタはそれを証明して話題を作るために一計を案じて、

    1889年8月のある日、ベルタは夫がまだ就寝中の早朝に、息子二人を起こして3人連れ立って“そっとその3輪自動車を動かして”なんと約100キロ先の実家を目指して走り出した。

    100キロというのは意味があり、当時馬車は一日に90キロ走ったからで、これに対抗するためでもあった。

    しかし道路地図もなく、田舎道の走行はスムーズにはいかないし、パワーが無いから上り坂では息子たちに押してもらって乗り越えた。

    そしてベルタの知見と機転が発揮されたのが・・途中のガソリン補給するにもガソリンスタンドなど当然無いから、どうしたかと言えば・・薬局で石油系の溶剤を購入して燃料にして走行を続けられたことや・・
    効きがあまいブレーキパッドには、途中で思いついて革を貼ってもらって改善したこと。

    こうして、100キロを12時間で走破して、その日の夕方には見事に実家に到着!

    これは“自動車による世界初の長距離移動”であり、しかも女性が成し遂げたということで翌日の新聞のトップ記事となった。
    benz3
    ↑画像は「ディスカバリーチャンネル」より

    ベルタのこの快挙によって、その後の自動車製造販売にハズミがついたのは言うまでもない。
    ただし1900年時点では電気自動車が1/3を占めていた。

    ドイツでは、昔にベルタが走破した経路としてマンハイムとプフォルツハイムの間の道路を2008年に「ベルタ・ベンツ メモリアル ルート」としてドイツ観光街道に設定されている。

    ◎「上山ゆき」
    1890(明治23)年に世界最初の蚊取り線香を発明した上山英一郎※の妻である。
    (※後の金鳥ブランドの大日本除虫菊株式会社の創業者)                                     

    当初の蚊取り線香は、その形が仏壇などで使われるお線香と同様なものだったため火もちが40分しかなかったので、長もちする方法を夫が考え悩んでいたところ

    「ゆき」夫人が、線香を渦巻型にすることを思いつて提案したので、

    英栄一郎はこの案に基づいて渦巻型蚊取り線香を1902(明治35)年に誕生させた。                    

    ただし初期の蚊取り線香の断面は丸型で、現在のような長方形ではなかった。

    一説には「ゆき夫人は庭でとぐろを巻いている蛇を見つけて、渦巻の形を思いついた」という話が流布されているが、その真偽のほどは分からない。

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    以下は有名な“妻”たちの概略です

    「花岡青洲の妻」 
    江戸時代の1804年に夫である花岡青洲が、60才の女性の乳がん手術を全身麻酔によって行い成功させたが、そこに至るまでは妻のみならず母や親類の”麻酔の実験台”になるという文字通り「献身」があり、その過程で妻は失明、母は死亡した。

    「山内一豊(やまのうちかずとよ)の妻」(1557~1617)
    本名「千代」または「まつ」で、後の「見性院=けんしょういん・・夫である山内一豊が欲しがっていた名馬の購入のために自分の懐からお金(持参金ともへそくりとも言われる)を出し、一豊が手に入れたその馬を見た信長は、その馬主にふさわしいようにと一豊への禄高を加増させた。
    その他、後に「笠緒文」と呼ばれる“機転をきかした妻の行い”(詳細割愛)が一豊の評価を上げて家康から土佐藩の初代藩主の身分を与えられた。

    「マリー・キュリー」(別称キュリー夫人:1867~1934)
     Pierre_and_Marie_Curie

    夫であるピエール・キュリーとの夫婦共同作業で放射線関連分野へ貢献して夫婦でノーベル物理学賞受賞したり、ラジウムやポロニウムの発見などをした。夫が交通事故で亡くなった後も夫人は放射性物質関連の研究開発を継続してノーベル化学賞も受賞している。

    夫婦共同作業の成果と言えば・・

    「坂口教子(のりこ)」
    「T細胞」の発見により今年2025年のノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文(しもん)氏の妻であり、長年、夫婦で二人三脚に近いカタチで研究・実験を行ってきた結果、夫の受賞を呼び込んだ。

    以上は目だった例ですが、世の中には目立たなくとも"良い伴侶"どうしで良い成果を得ていることが、当たり前のようにあるものです。

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    最近は生成AIの利用が色々な分野で多様に展開され始めていて、その中の一つに”あたかも実在の人あるいは故人がそこに居るように(モニター画面などに)登場して動いたり、会話をする”というカタチがある。
    その例をいくつかあげてみますが、その多くは現段階ではモニター画面を通しての事例です。

    例1) 関ジャニの村上信五↓の生身の本人ではなく、
    生成AIによる”彼の分身”のような”生成AI版の村上信五”

    ↓これは生身の村上信五
    murakami-s

    それがモニターに現れて、その彼を観る人と質疑応答などをする。

    あたかも本人が実際に(いわゆる口パクではなく)しゃべって応答しているように見えるが、それも事前に10時間(だったか?)かけて彼本人の顔、姿、声、経歴、信条、志向、好みなどありとあらゆる関連情報をAIに学習させた結果、実の本人になり代わっての応答が成立しているという様子が・・先日のテレビ番組の中で紹介された。

    例2) 三井住友フィナンシャルグループでは中島達社長の身代わり”生成AI社長”並存
    『社長の講演などの発言を生成AIが学習して社長の分身になった”生成AI社長”を活用する試みが昨2024年7月から行われている。

    ↓(左)本物の中島社長と同氏のAI社長 / (右)中島社長が分身のAI社長と質疑応答する様子
    p-nakajima

    中島社長が”生成AI社長”に向かって「もしAI社長が新社長になったとしたら、どんなスローガンを出したいですか?」という質問すると、

    生成AI社長は「スローガンは・・未来をつくる覚悟・・です。ちなみに覚悟を問われる時が一番 心が躍るんですよね」と答えたのに対して

    中島社長は「ありがとうございます。大変参考になりました。どこかで使わせていただきます」と答えていた。

    中島社長いわく「(“生成AI社長”導入の)目的はAIを気軽に使うきっかけにしたい。現在、社員はチャットで”生成AI社長”に質問することができるようにしている。今後は”AI上司”も開発する予定」』
    (『』内の内容と画像はNHKテレビより)

    例3) キリンホールディングスでは”役員になった生成AI”が活躍
    同社では”人の顔あるいは姿を使わない、いわば「答えは出すとも姿は見えず」というカタチの生成AIを「生成AI役員」として採用して社内の経営会議などに参加させる試みを今年2025年7月から始めた。

    ↓(左)パソコン内のAI役員が参加する会議の様子 / (右)南方社長
    p-minakata

    『南方健志社長いわく(AI役員は)「議論の場で、漏れが無いか指摘してくれるなど補助システムとなって、(人間の)社員たちは非常な”気づき”を得るという、一つのツール的存在かなと思う」』
    (『』内の内容と画像はNHKテレビより)

    そして生成AIを”あたかも故人の蘇生、あるいは故人との対話”に利用され始めた例が・・

    例4)『人物が写っているたった1枚の写真から、その人物がいろいろな動きをする動画を作る会社「写真復活スタジオ」(東京・市ヶ谷)

    同社が扱った例では、ある女性が結婚式の直前に父親が他界してしまったので、バージンロードを一緒に歩いてくれることが叶わなかったのだが、

    その父親の写真から、生成AIを使って生前の動く姿を再現して”父親との二人でバージンロードを歩く姿”を動画として見ることができた.。

    その中での父親は時々、彼女の方に目を遣る動作もし、彼女もまた父の方を向いて互いに微笑むという様子の動画が作られている。

    (勿論、この会社の“写真人物の動画化”は故人以外も対象)』

    ↓父親と娘の写真をそれぞれ1枚ずつ生成AIに取り込んだ 
    aisample1

    ↓(左)父親と娘が一緒になった動画 / (右) 父親と娘が見つめ合いほほえむように”作られた”動画
    marriage

    (『』内の内容と画像は「日本テレビ」番組より)

    例5) 実際の人ではなく、ホログラムで立体的に浮かび上がり、動きもする人物やキャラクターとの会話が生成AI利用でできるようにもなっている。(下の画像も含めてHNKテレビより)

    ↓ホログラムによるキャラクターと実際の人が会話する様子
    hologram

    例6) パソコン上に設定したある特定の故人が、まるで生きているようにチャットGPT形式?で会話をしてくれるアプリがある。

    実際に紹介された例では・・恋人に先立たれたある女性が、生き返ったような”AI恋人“と(顔や姿は現さないで文字でのやりとりだが)”今の辛さや悲しさを伝えながら会話する”様子が紹介されていた。

    彼女は懐かしさと、まるでリアルな話の内容から涙を流しながら対話をしていた。

    以上の例などから、生成AIの利用範囲が広い中で特に“故人の再現、再来”を主軸にした応用展開が考えられる。

    私は昔、あるメーカーに勤務していた中で、”故人の生前の声と(動く)姿が現れる仏壇”の商品化を社内提案したことがあって、社内の反応は「おもしろい」という声とともに「気持ちが悪い」という意見もあったが、結局は予測需要量とコストの関係から採用されなかったという経験をしたが・・

    今や生成AIなど利用で新しい機能を備えた需要度が高い仏壇あるいは祭壇とすることが可能となったので”まるで故人と実際の会話ができるような仏壇・祭壇”を登場させることができる。例えば・・

    仏壇の“おりん”を鳴らす、または”ロザリオ”(小さな十字架にチェーンが付いたモノで、西洋版の数珠のようなもの)を祭壇にかざせば、”生成AI故人”が小型モニターに現れて、対面する実際の人との挨拶や会話が始まる。

    そこでは出来事の報告、喜びや悲しみの共有、グチを聞いてくれる、悩み相談などなど、生成AIが学習した”生前の故人特有のあらゆる情報”を基に、その故人ならではの回答や会話が顔の表情や身振りを伴ってなされる。

    また、最近は超コンパクト仏壇や壁掛け型仏壇も登場しているので、生成AI利用仏壇・祭壇の物理的な形態の参考になろう。

    (TBSテレビ「Nスタ」より)
    new-butudan

    そして、既にスマホの中に仏壇を取り込むアプリなどはいくつか登場しているものの、生成AI故人と対話できるものはまだ無いようだが、

    いずれスマホ使用のポータブル版”AI故人が出てきて、会話もできる仏壇・祭壇”が出現するのでは?!
    ・・・・・・・・・・・・

    前回に続いて、音についてのあれこれです!

    ◎都会の騒音が少し静かになった
    国による”騒音規制法”が1968(昭和43)に発効したことや各自治体の”騒音防止条例”が制定されるなどして、昔に比べれば、今や日本全国の都会の騒音が減少していると思われるが、

    東京の渋谷を例にとってみると、昔は、今のスクランブル交差点あたりだったかに”当地点の現在の騒音レベル”を表す電光掲示板が設置されていて、私の記憶では90デシベル(dB)近い数字もあった。

    渋谷の騒音が時代とともに変化したことを表す数字を探してみたら、同じ場所、時期、時間帯での計測結果ではないと思われるものの、次のようなデータが見つかった。 

    1963(昭和38)年の(ある日の)渋谷の駅前(ハチ公口)の騒音表示は74~82(dB)を示していた。(中日映画社の映像商品サンプルの中で読める)

    ↓その渋谷の電光掲示板
    light-billboard

    1962(昭和37)年~1966(昭和41)年の5年間の渋谷の街の騒音平均は80dB。

    (↑↓ 運輸省:昭和43年度 交通白書より)

    1967(昭和42)年は78dB。
    ちなみに同じ期間5年平均は池袋と新宿とも83dB、1967(昭和42)年も池袋と新宿とも79dB。

    2009(平成21)年の渋谷ハチ公前73.2dB (「コンタック総合研究所」資料から引用)

    2024(令和6)年67dB 
    (「note.com」より引用)

    以上から、曖昧ながら渋谷の騒音は約60年間で15dBくらい下がったようだ。

    現在の渋谷ハチ公前あたりの風景
    hatikoumae

    ※“dB”の程度がどれほどのものかの参考に前回の例を再掲してみます。

    近くの落雷/ま近の飛行機エンジン・・120dB
    クラクション(直近)・・・・・・・・・110dB
    電車通過時のガード下・・・・・・・・100dB
    怒鳴り声/犬の鳴き声(直近)・・・・・・・90dB
    走行中の電車内/パチンコ店内・・・・・・80dB
    騒々しい事務所内・・・・・・・・・・・70dB
    普通の会話/デパート店内・・・・・・・・60dB
    図書館内/閑静な住宅地の昼・・・・・・・40dB
    深夜の郊外/小さなささやき声・・・・・・30dB
    木の葉の触れ合い/雪降り・・・・・・・・20dB

    ◎都会(の繁華街)が静かになった要因は・・
    都会に限らずあらゆる場の音は様々な”音の発生源”から出た音が集合、混合したものだが、都会はその発生源の数が多いことと個々の発生音が大きいものが多いので、騒音という”人が不快に感じる音”が生まれやすい。

    近年の騒音減少は”騒音規制法”や”騒音防止条例”によることが明白なものの、特に都会の騒音減少にはその他の要因もあり・・

    〇  自動車のエンジン音が減った
    エンジン音の少音化が進んだ上に、ハイブリッド車やEV(電気自動車)※が増えたのでエンジン音そのものが減った。

    ※ただし、EVであっても走行時にはあるレベルの音を出すことが義務付けられている

    〇  電車の走行音が減った
    その要因は、線路にロングレール採用が進み、しかもレールの継ぎ目を改良 / 線路切り替えポイントの枕木改善 /  車両材料を鉄材からステンレスやアルミに変えて軽量化 / 車両の振動や揺れの吸収装置の改良 /  動力源のモーターの形式変換、など。

    〇  道路の舗装方法の改善でタイヤ音(ロードノイズ)が減少 
    自動車のタイヤ走行音を低減できる”アスファルト道路の舗装方法”が開発され、その一つの”低騒音舗装”は、道路の表層部を小砂利(骨材)とアスファルトで固める際に、小砂利どうしの間に隙間が多くできるようにするもので、通常の道路より路面発生騒音が7dBほど下がる。さらにその上に、もっと細かい砂利をやはり隙間多く固める層を加えた“2層式地騒音舗装”では騒音が通常道路より10dBほども下がるもので、加えてこれらの舗装道路は表面の透水性が良いため、降雨時・降雨直後に水が溜まりにくく、タイヤによる水しぶき音も削減される効果もあり、採用が広がってきた。

    東京都建設局の説明図 (※低騒音舗装は「7デシベル程度抑制」とあるが他の資料では2~3デシベル抑制とする例が多い)
    road-noiseless

    〇  クラクション音が極端に減った
    クラクションを鳴らす行為は民度と関係あるようで、昔の日本もその音をよく聞いたものだが、近年は激減した。しかし現在でも発展途上国では多いので、某国ではクラクション音が多いとペナルティとして信号待ち時間を長くするシステムになっているそうだ。※

    それよりも、クラクション音が減った大きな要因は”クラクションが鳴らしにくくなった”こと。
    クラクションを鳴らすためにはハンドル(ステアリング・ホイール)と一緒のある部分を押すことは昔も今も変わらないが、

    昔の自動車ではちょっと押しただけで鳴り、しかも押せる部分が大きかったから楽に鳴らせた。※
    しかし近年の自動車ではクラクションを鳴らすためには強く押さなければならず、しかも押す部分(の面積)が小さいから、相当の意思と力が必要になっているから結果としてクラクション音が減っている。

    ↓昔のクルマにはハンドルの内側の半円状または円環状の部分(下図矢印)をちょっと押せばクラクションが鳴った
    old-steering

    ※ちょっと押せば鳴ったから、誤って体や腕が触れただけで鳴ることも多かったが、急ブレーキをかけると(まだシートベルトが無い時代だったので)体が前に倒れてクラクション用の部分を押すカタチになってブーと鳴ってしまうこともあった。

    ※クラクションの音とは限らないが、ある調査によれば世界各地の中で騒音公害件数が最も少ないのはスイスのチューリッヒ。最も多いのは中国の広州市。

    ドイツのある調査機関によると、騒音で難聴になる人の比率が最も低いのはオーストリアのウイーン。最も多いのはインドのデリー。

    〇  少子高齢化で街に子供・若者が減った
    子供・若者が減れば当然のように大声で話したり騒いだりする声が減り騒音減少の一因ともなる。特に渋谷は昔、若者の街と言われたが、現在は若者の絶対数減少に加えて、街にビジネスオフィスが増えた影響で大人が増えたので騒音減少が加速していると思われる。

    ◎音があったほうが良いこと・場もある
    言うまでもなく、視覚障がいのある人たちにとっては音が頼り。それなのに音が減って困る例としては、電気自動車やハイブリッド車の登場で従来のエンジン音が減った※ことや横断歩道での青信号時の”ピヨピヨ”や”カッコウ”音などが(場所によっては)夜間に停止してしまうことなどがある。
    blind-person

    ※視覚障がい者に限らず、全ての歩行者の安全のために走行自動車のある程度の音は必要であるから、国連基準や日本のガイドラインに基づいて自動車メーカー各社は「車両接近通報装置」というもので、車両前進時50dB以上、後退時47dB以上の音を出すようにしている。ただし各社の"音質"が異なるので、日本視覚障碍者団体連合からは音質統一の要望が出ている。

    ところで、「あったらイイ音」と私が思うのは・・

    〇  
    “エレベーターの中で流される快適で適度な音量の音楽”
    静かなエレベーター内に自分以外にも人が乗っている場合に「クー」とお腹が鳴ったら恥ずかしいことになるが、音楽が流れていれば”マスキング効果”でかき消される。 私は実際に音楽が流れるエレベーターに乗った際にこのことに気が付いた。

    そして、「あったほうが良い音」は特に視覚障がいの方に向けては勿論、その他にもいろいろあるだろうが、私が個人的に今、思いつく例で恐縮ですが・・

    〇  
    “パチンコ店内で流される音楽”
    とにかく音楽が流れないパチンコ店内では調子が出ない。私が昔、パチンコが盛んな名古屋市で実際に経験したのだが、あるパチンコ店では音楽(定番の「軍艦マーチ」、その他現在流行りの歌謡曲など)がいっさい流れないので調子が出なくて困った。その他、北陸のパチンコ店でも同様のことがあった。やはりパチンコ店には音楽が必要! 
    (現在の私はパチンコをしませんが・・)
    patinko
    ・・・・・・・・・・・・

    私も後期高齢者(75才以上)になり、ご近所にも同じような年齢の住人が多い。・・というわけで日々の暮らしの中でも超高齢社会的現象が身近にあれこれと起こっているので、ちょっとご紹介!
    ojiisan_obaasan
    まずは、今回のテーマを取り上げるきっかけとなった現象から・・

    ◎我が家では1ヵ月に1日だけ妻の声が大きくなる?
    現在、妻(70才代前半)は月の内の10日間は実家に行って泊まり込んで、一人暮らしのお母さん(90才代半ば)の介護をしている。(残りの20日間は施設でのショートステイをしてもらっている)

    この”老老介護”状態がもう数年続いているのですが、実家での介護を終えて我が家に帰ってきた際の妻の声が最近やけに大きくなっていることに気づいた。

    その理由はすぐにピンときた! それは実家で、耳の遠くなってきたお母さんの世話をしていると、大声で対応しなければならない状態※が続いていて、それが自宅に戻った時点でもまだ続いているからで、さすがにほぼ一日たてば元の声量に戻る。
    スクリーンショット ohgoe

    ※このお母さんにも補聴器(正確には集音器)を試したことがあったが、ハウリングやらなにやらで結局使わなくなっている。これは私の母の場合も同様で集音器は埃をかぶっていた。

    ◎高齢者通例の”高い音が聞こえづらくなる”事態がいよいよ我が身にも!
    “高齢者は2000ヘルツ(これにほぼ該当するのは、鳥の鳴き声、赤ちゃんの泣き声、女性の声、電気製品のピー音など)以上の高さの周波数の音が聞こえづらくなる”ということは認識していたものの我が身には今まで実感がなかったのですが、ついに最近・・

    テレビの音が聞き取りにくくなったのでテレビの音量レベルを1~2ポイント上げるようになってしまった。
    スクリーンショット 2025-06-27 215546

    「いよいよ我が身にも来たか!」と少々落ち込んでいるが、冷静になってテレビの音声、特に人の声の聞こえ方を意識してみたら、全てがこもって聞こえるようになっていて、やはりこれは高音域に対する聴力が落ちた結果と納得せざるを得ないことになってしまった。

    それに加えて、これもつい最近から電子レンジの動作指定(ワット数、時間など)する際の「ピッ、ピッ」という(まさに2000ヘルツあたりの)音が以前に比べて明らかに小さく聞こえるようになってしまって、これもまた高音域聴力減退の証にちがいない。 
    スクリーンショット 2025-06-27 220438

    ◎”オレ流”の”高音域聴力減衰度の確認法”
    そこで、日頃から我流の”高音域聴力確認方法”である”人差し指と中指の二本と親指で互いの指先の腹を擦り合わせるようにして「サラサラサラ」という音を発生させて、その音が耳からどのくらい離れた距離からはっきり聞こえるか測る”ということを試してみたら、従来は耳から30センチ離れても聞こえていたのに今は10センチぐらいまでに近づけないといけない状態になってしまっていることが判明した。
    スクリーンショット 2025-06-28 131855
    (画像は「anan web」より引用)

    ※この方法を試すには、指先が乾燥していることが必要。また当然のことながら指先の指紋が消えている場合には不向き。

    蛇足ながら、数か月前に妻がお母さん用に”最近テレビでもPRしているシニア向けにテレビの音がよく聞こえるようになる「○○○スピーカー」”というものを購入して使ってみたが、お母さんには効果が感じられないようだと妻は言う。

    これには個人差があるものと思われるが、この実例からすると”購入前に何らかの方法で試聴できるシステム”が必要と思う。

    ◎黒地に青のサインが見えない!
    東京のJR某駅の構内通路沿いのトイレを探した時のこと、女性用トイレを表すマークのサイン板はあるものの、男性用トイレのマークが見当たらないので、他の離れた場所も探したがやはり無い。

    ところが女性用トイレのほうに近づいて、ふとサイン板をよく見たら、同じ1枚のサイン板の女性マークとともに男性マークもあるではないか! 同じ場所に男女トイレがあったのだ。

    これはサインデザイン(に限らないが)における明視度の配慮を欠いた基本的欠陥であり、このサイン板の場合は黒地にピンクの女性マークなので明度差が大きくて明確に見える。これに対して黒地に濃いめの青の男性マークは明度差が少なくてマークが認識しづらくて、これだけでも失格。

    ↓ちょっと目を細めて見たり、遠くから離れて見ると少し実感できます!

    スクリーンショット 2025-06-28 115339

    ところがそれだけではなく高齢者に対してはさらに問題となる!

    それは多くの高齢者(といっても早い人は40才代から)は眼の水晶体が黄味を帯びるようになって、見るものすべてに黄色のフィルターがかかったようになって”青色は暗く見える”ようになるから、若い人が見た場合よりもさらに”青と黒の明度差が無くなって見える”ことになる。

    つまり高齢者の多い社会となっては、黒地に青のマークや文字、その逆もしかりだが、これはご法度だ!

    そして、水晶体の黄ばみによって起きるのが・・白が黄ばんで見えるので、黄色地に白マークや文字、またはその逆の場合、お互いが馴染み気味になり判読できにくくなる。しかし、さすがにこれは”やってみると、その不具合がすぐわかるので、そうすることはまず無い”とは思われるが、念のため。

    ◎我が町に高齢者が多くなった結果・・
    ここからは我が町の高齢者の多さとそれに伴う現象をご紹介しますが、前提として我が町の性格をあげてみます。

    この町は千葉県の中央部に位置し、都会ではなく、郊外とも言えず、里山に隣接する丘陵地に45年前に開かれた町。現在の世帯数約3350、人口約7070人、内65才以上の高齢者44.0%。

    昨2024年9月15日時点の日本の高齢者(65才以上)比率29.3%と比較しても我が町は高齢者が大変に多いと言える。

    しかもこの町が出来て一斉に居住し始めたのは、当時30~40才代の夫婦とその子供から成る世帯 (ファミリー) が多くを占めていたので、40数年経過した現在は(その間、子供が独立して)残った70~80才代の高齢者が多くを占める、言い換えれば”皆が揃って70~80才になった”町になって、その結果・・

    〇 高齢女性の”一人住まい”が増えた
    数十年の間には夫婦の内、どちらかといっても通例のように夫が他界する世帯も増えて、現に我が家の周囲半径30mくらいの範囲には、高齢の女性だけの、俗に言う”お一人さま”が6人(内、”お向かいさん”が3人)もいる。
    obaasan_cat
    ついでながら、これはたまたまなことに、同じ周囲にある世帯の中には、私と同じ年の生まれという奥様が3人もいる。しかしその内の一人は”お一人さま”でもう一人は重度の認知症で昨年から施設に入ってしまったが、これも超高齢社会の一端。

    〇高齢女性が一人暮らしになった途端に植栽を始末する傾向
    周囲の様子を見ていると、ご主人が亡くなった直後に、大きめの庭木を小さく切り詰めるか、または根こそぎ除去するか、切り倒す例が多く見られる。
    それは、それまで主に夫が行っていた植栽の手入れが、自分ではやりにくいためと、外からの目隠し目的でもあった植栽が、女性の一人暮らしには防犯上 逆に無いほうが安心なため。
    job_niwashi
    〇 犬を飼う世帯が顕著に増えた
    inu-sampo
    猫を飼う世帯は外から見えにくいので分からないが、飼い犬が増えたのは実感としてよくわかる。我が家の周囲の道には犬を散歩させる人が一日に何人も通るが、それがなぜ分かるかと言えば、

    散歩に際して愛犬家どうしで合流するようで、犬の鳴き声も時々するが、それよりも犬を連れる人の話し声のほうが圧倒的に多いからで、2~3人、時には6人で揃って立ち話または歩きながら話す、

    またはお互いに他家の犬に対して「あら○○ちゃん こんにちは」などと話しかける声が聞こえるから。もちろん一人で無言のまま犬の散歩をさせている人もよく見かける。

    そして犬を散歩させているのは圧倒的に女性が多い。

    犬や猫を飼う世帯(人)が増える理由は明白で、子供が独立して同居しなくなって、親だけが残って「空巣=からす=あきすではない=英語でempty nest」になって寂しくなるから。

    また、子供が家にいなくなって時間と家計に余裕ができるという人生のステージに入ったからでもある。

    〇 町会脱退世帯や入会拒否の新規居住世帯が増えた
    我が町に限らず今や日本全国で起きているのが”町会脱退・加入拒否問題”。これは日本が超高齢社会になっていることで増えているのは明らかで、町会脱退理由の多くは”高齢のため役員仕事が体力的にキツイ”というもの。

    また、新規にこの町に住み始めた世帯が町会加入拒否のケースもでてきている。

    町会脱退世帯と町会新規加入拒否世帯が増えると会費による町会運営のための収入が減って困る。

    町会収入に限ってみれば少し救いなのは、役員担当は拒否するが脱会はしないで会費は払うという世帯があることだが・・

    ※役員のなりて不足の問題はマンションなどの集合住宅でも起きているが、”町会費にあたるような管理費・修繕積立金”はおさめることが前提の居住なので、少なくとも”町会にあたる管理組合や自治会”の運営費減少問題は基本的には起きない。(実際は”管理費等の滞納者”が存在しているケースもあるが)

    特に高齢者が多く青年や壮年が少なくなった我が町でも、これらの問題は10年以上前から対策案を考えているが、有効な解決方法が見つかっていない。

    ただ、最近になって”役員には金銭報酬を出す”ことにしたら若干状況改善した。(この例は全国の一部の町会やマンション管理組合・自治会において既にみられる)

    全国の状況などをここで綴ると長くなるので省略しますが、一つの実例を紹介しますと・・

    2005(平成17)年に埼玉県の某町会が脱会希望者の申請を拒否したことに対して、その可否が裁判になり、最高裁にまでいった結果、「脱会は認めなければならない」となったもので、ただしこの町会では町会費とは別に(正確な呼称は忘れたが)管理費も徴収していて、これについては、「町会を脱会しても管理費は支払うこと」という判決が出ている。
    ・・・・・・・・・・・・

    5月に入って木々のやわらかい葉が出揃ってきたので、木の芽が出始める時期を指す「木の芽時」を過ぎてからひと月くらい経っているはいるが、私はこの「木の芽時」という言葉には、ある意味がつい連想されてしまう。

    ところで・・

    ◎「木の芽時」の正しい読み方は?
    「木の芽時」という言葉、恥ずかしながら後期高齢者の私は今までこれを「きのめどき」と読んでいたのだが、正しくは「このめどき」と知った。

    試しに広辞苑をひいてみたら・・「きのめ」も「このめ」もどちらも個別の項目が在る。しかし双方共に「木の芽」の文字が当てられているものの、関連語としては「きのめ」の項には「きのめどき」は無く、「このめ」のほうに「このめどき」がある。

    ◎「木の芽時」に現れる異常?
    もともと季節の変わり目には自律神経不調が元となって体調不良が出やすく、それが顕著なのは春先なのだが、この時期にはメンタル面でも異常が起きて・・

    昔から、”「木の芽時」には、精神に異常をきたす人が出ることが多い”と言われており、事実この現象は医学界でも認知されているとのこと。

    先ごろ、ある女優が自ら運転するクルマで事故を起こした際に奇異な行動をし、その後の病院では看護師に危害を加え、警察ではまともな応答ができないなどの症状が現れていたが・・

    後日の診断結果では”躁うつ病”と”甲状腺分泌過多”が原因の行動だったとされたが、これも「木の芽時」現象の範疇に入るのだろうか?

    ◎藤村操(ふじむらみさお)も「五月病」だったのか?
    さて五月に入って現れると言われる「五月病」。 医学上ではそのような病名はないのだそうだが、実際には日本の社会で4月に行われる入学、進級、入社、転勤などによって、新しい勉学や仕事の環境に馴染めない人やついていけない人、あるいは疑問を抱く人たちが、ストレスや苦悶をつのらせて一か月経った5月になると、精神不安定、うつ状態、無気力、疲労感、不眠などの症状が出ることが多い。

    1903(明治36)年、旧制一高の学生の藤村操(16才)が栃木県は日光の華厳の滝(高さ97m)から投身自殺した。

    ↓藤村操と華厳の滝
    fujimura-kegon

    彼は自殺直前に「巖頭之感」と題して、自分が死を決する理由を述べた文を、傍らのミズナラの木の幹に刻んで残した。

    「巖頭之感」の全文・・
    悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
    此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
    オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
    眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
    我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
    既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
    不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
    大なる樂觀に一致するを。

    華厳の滝に投身自殺した日は、まさに5月の22日。やはり彼も「五月病」だったのだろうか?

    余談だが、彼の投身自殺によって華厳の滝は自殺名所になって、彼の死後4年間で自殺をはかった者185名、内40人が死亡。

    のちの自殺名所となった伊豆大島の三原山火口では、『投身自殺第1号は1928(昭和3)年の男性26才。さらに1933(昭和8)年の1月から2月にかけて実践女学校(東京)の学生が二人自殺したことが発端となって・・

    この年昭和8年の自殺者の男性130人、女性13人、未遂は687人。翌昭和9年は死者187人、未遂671人。昭和10年は死者164人、未遂は574人となり、翌昭和11年※から下降線をたどりはじめた』 (『』内は「毎日グラフ別冊 サン写真新聞昭和27年版」より)

    ※昭和11年は「2.26事件」があった年

    ◎やはり自殺者も多い3,4,5月
    警察庁発表の年間月別自殺者数をみると、冬季は少ないものの、木の芽時から急増して五月病の時期にかけての3か月が年間でもピークとなっている。

    令和6年自殺者数 合計18647人 

    12月1371人 / 1月1688人 / 2月1559人
              
    3月1894人 / 4月1903人 / 5月1853人
              
    6月~11月は1700~1500人台

    ◎藤村操の妹と結婚した安倍能成(あべよししげ)
    藤村操の妹の藤村恭子は、旧制一高の藤村操の同窓生でもあった安倍能成(1883=明治16年~1966=昭和61年)と結婚した。安倍氏は知る人ぞ知る哲学者、教育家、政治家で東京帝国大学卒業後、旧制一高校長、学習院院長、文部大臣などを務めた。

    ↓安倍能成
    abeyosisige

    この”安倍能成氏の妻は(有名な) 藤村操の妹であった”ということを私はつい最近までは知らなかったが、世間でもあまり知られていないのももっともで、私の知人で中学、高校、大学まで学習院で学んだという人物に聞いてみても、「確かに丁度安倍先生が院長の時期だったので訓示などを直接聞いたことはあるが、先生の奥様の件は知らなかった」と言っている。

    余録
    ご存知のように、料理の世界においては「木の芽(きのめ)」と言えば「山椒の葉」のこと。
    我が家のプランターにも山椒が自然に生えて20年くらいになるが、丁度今頃は若葉がやわらかいのでチョイチョイ摘んでは利用している。
    ただし、山椒は雌雄があり、ウチのは雄なので実はならないのが残念!

    ↓我が家の山椒 (枝の棘には要注意)
    leaf-of-sansyo1
    ・・・・・・・・・・・・

    私は会社員時代に業務上で色々な形式の調査を行っていましたが、その中で”アンケートによる調査”は60回以上になり、多人数対象の調査には調査専門会社を利用することが多かった。

    調査会社は、(調査内容にもよるが)アンケート用紙の郵送調査することが多く、回収した回答を統計手法駆使して、結果報告書を当方に渡す。

    当時の調査会社からのデータ報告書 (厚み5~8センチ)
    tyousa-report

    この調査手順では調査依頼から結果入手までに一か月以上、中には2か月かかることが多かった。

    ところがちょうど西暦2000年ころに、”質問項目が少ないある調査”を当時既に登場していた”ネット調査会社”を通じて”自前の質問文”を発信したところ、なんと5分後には個別の回答者から回答が提示され出したではないか!

    これからは目的によってはネット調査の利用の時代と悟ったことで、以後数回はこれを利用した。ただし統計、分析は自前でする必要はありますが・・

    間もなく退職してからの私は、社会参加、認知症予防を目的※にネットによるアンケート調査の回答者になって20年近くなる。

    回答者登録しているネット調査会社は6社なので、毎日10件以上のアンケート依頼が届くが、すべてには対応できないから1日に数件を回答。

    ※回答に対して報酬もあるが微々たるもので、例えば回答所要時間が20分くらいかかるもので10円、同じく2分で1円というものもあり、これはどちらも時給換算すれば30円ですが、その他40分くらいかかるもので50~70円などがある。

    enquete

    前置きが長くなりましたが・・

    ネットによるアンケート調査に20年近く参加していて変化したことは、調査には必須の”調査対象者の属性”把握のための質問項目、即ち、性別、年齢、職業、居住地、住居形態などにおける”回答選択肢”の表現で、こんなところにも時代の反映が現れて・・

    ◎「性別」回答選択肢は「男性」、「女性」に加えて「その他」なども!

    以下、現在のアンケートにおける性別回答選択肢の例をあげてみます。依然として「男性」、「女性」の二者択一型もありますが、非常に少なくなっています。

    A) 「男性」 / 「女性」
    B) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」
    C) 「男性」 / 「女性」 / 「回答しない」
    D) 「男性」 / 「女性」 / 「答えたくない」
    E) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」 / 「答えたくない」
    F) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」・「答えたくない」
    G) 「男性」 / 「女性」 / 「自由記載 (  )」 / 「回答しない」
    H) 「男性」 /「女性」 / 「決められない・誰も好きにならない」 / 「その他」 / 「答えたくない」
    I ) 「ご自身の性別(自分で認識している性別):(  )」 / 「恋愛対象となる性別:(  )」
    J) 「男性」 / 「女性」 / 「ノンバイナリー※」 / 「回答しない」

    ※『ノンバイナリーとは、男性と女性という2つの性別の枠組みに収まらない、または当てはまらない性自認を指す言葉。自分の性別を男女どちらでもないと認識する、あるいは男性と女性の中間や、両方を包含するようなジェンダーアイデンティティを持つことを意味する』(『』内は最近流行の”AIによる文章”).
    transgender2

    このように多様な選択肢は、LGBTQなども発現という現代の多様”性”社会を反映しているが、さてこれに否定的な大統領がいる某国ではどうなっているのでしょうか?

    ◎「職業」の回答選択肢に「年金生活者」や「専業主婦・主夫」が登場!

    昔は職業回答選択肢として、「会社員」、「公務員」、「自営業」・・・など並ぶ最後の方に「無職」が設定されていたが・・

    現在は、同じ無職でも分離して「無職」の他に「年金生活者」または「定年退職」という選択肢が増えている。

    その結果、”ではここで言う無職とは何か”ということで、「無職・休職中・求職中」や「無職・リタイア(休職・産休・育休・介護休職を含む)」などが登場。

    これらの”職業の回答選択肢”の新登場の背景には、団塊の世代が定年退職・リタイアしていても、その多大な人口による生活指向や行動の影響が大きいことにあることは論を待たない。

    また、従来は「専業主婦」という例もあったが最近は「専業主婦・主夫」も出現しだした。

    これも近年の”家事における男女共同参加“傾向の増加を反映。
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    以上のように、アンケートの世界においても、社会の流れが観えると同時に、これらアンケート発信をネット調査会社に依頼している企業も”その流れ”の中でヒントを掴もうとしている姿勢がうかがえる。
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    またまたベンチについてです! (第4弾)

    ◎「グラングリーン大阪」のベンチ
    今、大阪は万博に向けて頑張っていますが、「グラングリーン大阪」と名付けられた”大阪駅北側地区の大規模再開発”も進められていて、一部が完成し、その中で出現した「うめきた公園」には新しい試みのベンチ類が設けられている。 それが・・

    〇 アート作品兼ベンチ
    彫刻家ケイト・トムソン氏の作で素材は大理石。(下左写真)
    g.g.osaka

    〇 円弧状に長く延びる歩道兼ベンチ (上右写真)
    “池を一部含む広場”の周囲を円弧状に沿わせた芝生ゾーンに緩い傾斜を付けて、そこに高位置、中位置、低位置に、歩道にもなるが”超長いベンチ”にもなるように配置した。(左側の高位置から右へ低くなり中位置、低位置となっている。 歩道の巾の半分は一段低くなっているのでベンチになる)
    (写真は建築家の「j . inokuma氏インスタグラムから引用)

    〇 結果的に”痛い目にあっている”ベンチ
    この「うめきた公園」“に限らず「グラングリーン大阪」全体の中で設置のベンチは(冒頭の” アート作品兼ベンチは別にして)以前にご紹介した”いわゆる「排除ベンチ」”は採用していない。

    しかし、伏兵現る ! それはスケートボーダーたちで、障害物が無いベンチをいいことに、ベンチの縁を滑って座面の角は削るし、引っ掻くは、汚すはで、公園管理者は今後重犯者には罰金を科すことも辞さない構え。
    ↓傷んだベンチ(産経新聞web版より)
    wounded-bench
    こうなると、悪質スケートボーダー対策を目的とした”排除ベンチ”も必要か?

    ちなみに、昨2024年5月末時点での日本のスケートボーダー人口は約3000人。対してボーダー専用の「スケートボードパーク」は全国に475ヵ所であり、まだ少ないことも影響していると言われる。
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    さてベンチにも色々あり・・

    ↓右:石材のベンチ(長崎 水辺の森公園のHPより)
    stone-bench

    ↓右:コンクリート製のベンチ(座面は木板)(日本興業(株)のHPより)
    conkri-bench2

    ↓(左):竹製縁台:軽く、脚部が折り畳め、可搬(永井製竹(株)のHPより)
    ↓(右):低山ハイキングコース途中の木製ベンチ(神奈川県・高根山)
    bmb-ntrl-bench

    その他、目的と形状、素材のちがいによって多様なベンチがありますが・・

    ◎ベンチそのものへの要望!
    ベンチのメーカーへお願い! それは・・雨後や誰かが何かで濡らした後に「今このベンチ(の、この分部)は濡れています」ということがはっきり分かるようにしてほしい !

    戸外で使われるベンチは雨などの水気を吸わず、溜めない、そしてすぐに乾くための材質や構造であるのが基本でしょうが、実際は完璧に行うのは無理なようなので・・

    ↓雨後のベンチの座面からなかなか消えない水気
    raindrop-bench

    私は、座る前に一応ベンチの座面の様子を見るのだが、”実は濡れている、湿っている、または水滴が残っている”と分からずに座ってしまい、服に水気が浸みた経験が何度もあるので・・

    例えば、座面の濡れている、湿っている部分は本来の色とは異なった色になっていて、乾いたら元の色に戻ったら良い!

    ◎ベンチ設置、増設の要望
    世界トップクラスの超高齢社会の日本では、ショッピングしたり散歩したりで歩き回る際にチョイと休みたい人が”昔より増えている”ことは間違いないのでベンチはもっと増えるべき!

    現在、既に一部の大型ショッピングモール屋内の通路や屋外、電器量販店の店内通路などでは随所にベンチを置いている例がありますが、まだまだベンチが欲しいと感じる場所(屋内/屋外)は多いもの。

    ↓家電量販店内フロアのベンチ(家電品の品選びは歩き回るので疲れる)(「ケーズデンキ」にて)
    ks-bench-double

    ◎立ち仕事にも補助椅子の時代だから・・!
    ベンチではないが、働く場においてもちょいと座るための椅子が出現している。

    これは、少子高齢社会で若年労働人口が減り、中高年ワーカーの存在が重みを増している表れで・・

    そのために、勤務中の足腰の負担を軽減する必要から生まれたもので・・例えば・・

    『スーパーアークス戸倉店(函館市)は昨2024年10月から店内のレジ打ちの人のための小型の椅子を配備したので、混みあう時間帯の合間には軽く腰をおろすことができるようになった。

    元々レジ打ち作業は体力的負担が大きいために敬遠されがちであるので、レジ担当の中高年の人から大いに歓迎されている。

    また、警備会社のRMフォース社(東京)も昨年から、椅子に座って行う「座哨警備」という方式を採用した。

    これは顧客(警備依頼者)の承諾を得て駐車場警備などに折り畳み椅子を持参して、クルマの出入りがない時は座って警備を行うもので、椅子の背には「座哨警備実施中」と表示して理解を得るようにしている。

    これの導入で体力消耗が減るので、実際のところ”週4日勤務だった人が5日 働けるようになった例もある”とのこと。』 (『』内および下の写真は「東京新聞」より)

    ↓(左)スーパーのレジ打ちの人用の椅子/(右)「座哨警備」中の様子
    sit-work

    このような世の中の動きからみても、ベンチの必要性も増していると言える !

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    余談
    ・「ベンチプレス」でバーベルを持ち上げるのに、体を仰向けに横たえるための台もベンチと言う。

    ・「ベンチがアホやから野球がでけへん」と発言してプロ野球選手をやめた江本孟紀氏(現、野球評論家)の件は有名ですが、この場合の「ベンチ」は監督やコーチを意味するもの。

    ・「ベンチマーク/ベンチマーキング」という言葉が近年 使われるようになっていますが、「ベンチマーク」は本来、測量における水準点を示すものだが、今や色々な分野での指標や規範などを意味するものとなっている。

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    AED(自動体外式除細動器)とは、心臓がけいれんして血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器。

    ↓AED機器一式の一例 本体寸法:約20X25X10センチ(日本光電工業(株)製品)
    aed-total
    2004年に、一般の人でもAEDが使えることになり、普及する中で、これを使って”救命される機会”の男女比は女性が少なくなりがちで、言い換えれば”男女被救命機会均等”ではない状態になっている!

    その誘因を表す一件が・・

    ◎AED使用が”わいせつ”で訴えられるというデマが発生!
    AEDを使って”心肺停止した女性”を救命した男性が、その女性の親から「強制わいせつ」(不同意わいせつ)で警察に被害届けが出されたという事例が発生したとして今年2025年1月にネット上で拡散して話題になったものの・・

    その後そのような事実は無いという警察からの発表があって、この件はデマであったことが判明。

    ただし、これがデマでなく事実だとしても、この男性の行為に違法性は無く無罪であると弁護士は断言している。

    しかし、”AEDの女性への使い方の現状が「強制わいせつ」感を生じさせる”可能性は、容易に察せられる。

    そうならば特に男性は女性へのAED使用を差し控える事態になってしまうから、結果として”男女心肺蘇生機会均等”ではないことになる。

    これに関連した実例としては・・あるマラソン大会で走っていた女性が突然倒れたが、駆け付けた男性係員は、措置対象が女性であることで救命行動を躊躇してしまい、

    かわりになる女性係員を呼んでいる間の時間を要したので、

    AEDによって一命をとりとめたものの脳機能が損傷したため身体マヒが残ってしまった。

    これは措置対象が男性だったら普通の状態に戻っていたはずだった。

    ◎AED使用が”わいせつ”感を生じさせる理由
    このように特に女性が「わいせつ感」を抱く状況は、AED使用を含む心肺蘇生措置”が実行される中のある部分で発生するが、そのおおまかな実行過程とは・・

    倒れた人を見たら ⇒ 119通報とAEDを持ってくるように周囲の人に依頼 ⇒ 胸骨圧迫(心臓マッサージ)と人工呼吸を交互に行う(人工呼吸は省略可)  ⇒ AEDを設定 ⇒ 電気ショック実施 ⇒ 再び胸骨圧迫と人工呼吸行う(救急車が到着するまで)

    この一連の「心肺蘇生法」のことを「CPR」とも言う。

    ※手順の詳細と注意点については・・
    https://www.aed.omron.co.jp/aed/procedure.html

    その心肺蘇生措置の過程の中で ”AEDを設定” が問題の部分で、

    AED本体からのコードにつながった”パッド”を倒れている人の右鎖骨下と左わき腹に張り付けて(下図参照)から電気ショックが行われるのだが・・

    AED-PAD
    (図は「日本光電工業(株)」のHPから)

    この図で分かるようにパッドを急いでしかも的確な位置に貼るには上半身の肌の大部分を露出させる。

    そこで”蘇生措置を受ける人が女性”の場合が問題になり、

    特に上図での男女が逆ではなおさらのこととなり、これが女性としては「わいせつ感」を生じることとなる。

    しかし、蘇生措置を受ける人も行う人も、躊躇している場合ではない理由は・・

    ◎心肺停止後10分で死亡するが、救急車はそれに間に合わない!
    人は心肺停止後・・
    10秒後:意識無くなる
    1分以内:蘇生措置すれば救命率95% 
    3分以内:蘇生措置すれば救命率75% / 脳障害発生ほぼ無し
    5分以内:蘇生措置しても救命率25% 
    8分経過:救命可能性は極めて少ない 
    (別の表現では・・心肺停止後1分ごとに救命率が7~10%ずつ下がる)

    しかるに、119番通報してから救急車到着までの平均時間は10分
    (別データでは8.6分や10.3分)

    しかも実際は救急隊員が患者への対応を始めるまでの時間を含めると平均13.6分かかる。

    このことから救急車到着を待つことなく躊躇せずに蘇生措置を実行しなければ死亡することになる。

    ◎女性へのAED使用時の配慮
    躊躇せずに実行と言ってもやはり女性への配慮ができれば、蘇生措置をされる人(以下便宜上「患者」と表記)も、する人(以下便宜上「措置者」と表記)もやりやすいということで、推奨されているのは・・

    〇 患者が女性の場合、措置者は女性に。

    〇 患者が女性の場合、その周囲を複数の人に立ってもらい、目隠しとする。

    〇 患者が女性の場合、衣服は必ずしも脱がさなくてもよく、
    二つのパッドを貼る位置にあたる衣服の部分だけをめくって、またブラジャーはずらすなどして行う。(ただしブラジャーにワイヤーがある場合はパッドから遠ざける)

    〇 患者が女性に限らないが、ネックレス(真珠など非金属モノでも留め金などは金属)など装飾は取り去るか、パッドから遠ざけて行う。

    これに加えて、私が提案するのは・・

    〇 患者が女性の場合、AED使用時のみに患者に不透明シートをかけて実行する。とっさの場にシートは無いだろうから、このシートはAED装置一式の中の一つとして含め、ケースに内蔵させておく。

    このシートの目的は、女性患者を外部の視線から守るのは勿論、シート表面には「救命用AED使用中」と目立つように大きな文字を配置して、措置者の行動が怪しまれないようにするため。

    〇 タオルも同様にケースに内蔵。これは運動中または夏季などで患者が汗をかいている場合にはタオルで体を拭かないとAEDの電気ショックが失敗するから。

    ところで、女性への蘇生措置でもう一つ課題があり、それは・・

    ◎女性への胸骨圧迫のリスク?
    蘇生措置の中の胸骨圧迫では、患者が成人の場合は胸が5センチほど沈むように、二本かさねた手のひらの根元で、体重をかけながら1分間に100回のペースで30回押す。

    このような方法なので、特に骨粗しょう症が多い女性はこの胸骨圧迫で骨折の可能性が大きい。

    ※患者が1~8才では体厚の1/3が沈む程度に押す / 1才未満には指2本で押す
    senior-sosei

    骨粗しょう症は女性のほうが男性よりも2~3割ほど多く、

    女性の60才代では5人に1人、70才代では3人に1人が該当するとされる。

    先日テレビのドキュメンタリー番組では、90才代の心肺停止女性が胸骨圧迫で蘇生に成功したものの・・

    担当医師がその女性の家族に対して「肋骨が多く折れたので、今後の処置を相談したい」と言ったところで映像が終わっていたが、厳しい実情を知った次第。

    このように、特に女性への胸骨圧迫処置には骨折のリスクを伴いがちなので、この措置が躊躇されるならば、ここでも”女性の被救命機会”を得るのにも不利となる。
    ・・・・・・・・・・・・
    そしてAEDの実際使用上の課題は・・

    ◎AEDの設置場所に関連した改善が進んでいるが・・
    現在、日本全国にAEDは約69万台設置されて普及が進んでいるが、

    実際の使用上の問題はいくつかあって、それに対する改善策もでてきていて・・

    〇AEDの多くは建物内に在るので、夜間や休館などでは建物入り口が施錠されていて入れずに、AEDが取り出せない

    ⇒最近、ある自治体では小中学校の体育館入り口付近や運動場などの”屋外にAEDを設置”開始して、

    学校関係者のみならず一般人も24時間、取り出して使用可能としたという例も出てきた。

    我が町の公民館内のAEDは建物が夜間は施錠されるので夜は使えない!
    aed

    〇 AEDが必要な事態になって、いざその場から最も近い設置場所を探そうにも、見つけるのが困難。

    ⇒最近は、緊急事態発生場所に近いAED設置場所がスマホに表示されるサイトができている。

    しかも日々増える設置場所の追加表示も、このサイト利用者からの情報提供(投稿)で随時アップされる仕組みにしてある。現在35万3千カ所が提示される。

    それが 
    ⇒ 「日本全国AEDマップ」 https://aedm.jp/

    その他、AED設置場所提示が投稿によらないで作成されているサイトもある。

    しかしこの方法も最適な設置場所を探し当てるには、ある程度の時間がかかるもので、

    一秒でも早い結果を得るためには今後 ⇒スマホの位置情報から自動的に”も寄りの設置場所”を提示するようになれば良いのだろう。

    ・・・・・・・・・・・・
    余録1)
    胸骨圧迫は1分間に100回のペースが目安ということだが、私がAED操作講習を受けた際には、

    童謡「うさぎとかめ」の「もし もし かめ よ かめ さん よ・・」の歌にのせた調子がよいと教えられた。

    余録2)
    心肺蘇生方法は時代とともに進歩
    して改変されるので注意が必要。

    その内容は「日本蘇生協議会(JRC)」によって5年毎に発表される新ガイドライン(現在は2020年発表版)によるもので、例えば・・

    〇 人工呼吸は必須ではなくなった。

    (2004年に一般人でもAED使う蘇生方法が解禁された2年後の2006年に私が受けた講習では、人工呼吸の実技指導もみっちり行われたが、

    近年では必ずしも必要ではないとされ、特にコロナ禍期以降は” 人工呼吸を行わない”とされている。

    〇 胸骨圧迫回数は以前の”15回連続で胸を押す”から”30回連続で胸を押す”に変更されている。

    〇 胸骨圧迫の強さは以前の”胸が3~5センチ沈む”から”胸が5センチ沈む” に変更。

    余録3) 
    AED普及台数:2022年=約67万6千台 ⇒ 2024年=約69万台 
    AED使用率=約4%

    余録4) 
    AEDによって救命された人数または有名人(日本国内)

    2005年:12人・・内2人は「愛・地球博」(会期185日/2200万人)の会場内で

    2009年の「東京マラソン」で・・
    松村邦洋(救命体制が良かった:AEDは1km毎に配置、専門スタッフ多数)
    matumura2
    2019年:703人

    2022年:618人(コロナ禍で減少)

    2004年~2022年:累計7656人
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    3月8日の「国際女性デー」は”女性の地位向上とジェンダー平等を推進するために”国連で1975年に制定されてから今年が50周年とのこと。(関係ないですがこのブログ発信が200回目にあたります)
    womens-day

    ところが日本では、教育を受ける機会、働く機会などにおいてまだまだ男性優位なことが多く、その点においては後進国状態。

    これについては、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法の施行、そして今国会には「女性管理職比率の公表義務化」(従業員101人以上の企業対象)の法改正案を提出予定など、状況改善に向けて進められている。

    しかし、このような方策の結果で”男女間の均等な機会”が生まれたとしても、人間の男女の生理的・肉体的相違だけは厳然として存在するので、これを解消してこそ本当の”機会均等”言い換えれば”男女が同じ土俵に上がれる”状態となる。

    実際の例としては適当とは言えないでしょうが・・つい最近のテレビのルポでは”ロシアでも女性が男性と同様に兵士になる者がいるが、彼女らは「経血が多くて軍服のズボンに浸み出すことがあり、それが乾いて布が硬くなって股が擦れて痛いのだが戦場ではそれに対処できるものではないので、どうしても動きにくくなる」という苦境を訴える姿”を伝えている。

    このような女性の状況を打開するために女性の心身の課題をテクノロジーで解決する商品やサービスの提供は大きなマーケットになると気付いたドイツの起業家のイダ・ティン氏(何だか「韋駄天」を連想するが、デンマーク出身の女性)が2016年に提唱したのが・・

    ◎「フェムテック」
    「フェムテック」はFemale(女性)とTechnology(テクノロジー)の合成語

    具体的には月経関連、妊娠関連、更年期障害関連、美容関連、働きやすさ・活動しやすさの支援サービスやグッズなど。

    日本におけるフェムテックという言葉の普及には、「健康博覧会」というイベントの場で使われ始めたことが大きく影響しているように思われる。
    signboard

    それはこの「健康博覧会」が老若男女を問わず広く健康や美容に関連する企業を集めて展示・訴求の場として毎年開催されて今年43回目となった伝統ある存在で、主催:インフォーマ・マーケッツジャパン/後援:日本貿易振興機構=JETRO。参加企業:国内外500社、来場者(3日間)4万人という規模。

    その「健康博覧会」において「フェムテック」の呼称が使われ始めてから7~8年にも及ぶからだ。
    こうして、最近では多くのマスコミにも出現するようになった。
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    ↑↓「健康博覧会」開催の様子
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    また「フェム○○」という言葉も増えて・・

    昨2024年10月には「フェム プラス 2024」という、女性のケアのための製品・サービスの展示会が開催されて、国内外141社、298商品が出品された。
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    fem-plus2

    出展商品の一例は、”出産直前時に必要とされる いきみ逃し(いきまないようにサポートする)”グッズ「まさポ」 (タニティ・さポートからネーミング)(株式会社Spica)
    masapo

    従来はテニスボールやゴルフボールを妊婦のお尻に当てて押していたが不衛生な上に形状も最適とは言えなかったので、藤田医科大学の看護チームと共同開発したもの。
    ↓使用状態:自身で/パートナーまたは看護師の手を借りて (Spica社のHPより)
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    ↑使用法詳細は・・ https://masapo.jp/

    その他、”生理前の「精神的疲労感」、「眠気」、「晴れない気持ち」を緩和する効果”がある”CP2305ガゼリ菌配合“の機能性表示食品「わたしプロローグ」(アサヒグループ食品株式会社・カルピス通販) この機能のサプリとしては日本初とのこと。
    watasi-prologue

    ◎話題の書「産む気もないのに生理かよ」にはフェムテックを!
    昨2024年12月に初版発売した本「産む気もないのに生理かよ」(飛鳥新社 1760円)の著者である月岡ツキ氏は既婚の31才で子供無し。
    umukimonai

    氏は著書の中で“自分の意志によって子供を産まない理由”を40条もあげ、その中には「そもそも他人の人生をかってにはじめていいのか?」・・というものもあるそうで、こういう考えの人も認める多様性社会とすれば、子供を産まないと決意した人向けの”フェムテックも考えられるのでは?

    さて、このように男女の生理的・肉体的相違の解消に向けて特に女性のためのフェムテックが盛んに現れてきたら、男性にも同様な方策が与えられる”機会均等”も必要ということで、最近出現が増えた言葉が・・

    ◎「オムテック」あるいは「メンテック」
    「フェムテック」に対しての「オムテック」という呼称は、フランス語で女性は「femme(ファム)」、男性は「homme(オム)」というところから出てきたものでしょう。(英語では女性=Female、男性= maleだから)

    そこで「オムテック」が使われ始めて一般化するかと思われたが、どうもそうはならないようで・・

    実は従来から(株)「オムテック」という名称の会社が多数(多様な業種において)存在することやアンファー株式会社から”妊活を女性だけのものにしないウエルネスブランド”の「オムテック」という商品が発売されているなど、「オムテック」が一般名称ではないことになっている一方で、

    一般社団法人「日本オムテック協会」が”男性の「かっこいい」を追求する”をスローガンにしている。

    このような呼称の混乱状況を避けるためか、使われ出したのが「メンテック」で、伝統ある「健康博覧会」でも「フェムテック&メンテック」という表現をしている。

    f-m-tech

    なんとも”「フェム⇔オム」というバランスがとれた呼称”が崩れる状態はすっきりしないが・・

    とにかく男性にも更年期障害、妊活、育児休業、父子手帳、などへの対処が必要となるが、この分野はまだ発展途上にある。

    以上、男女の生理的、肉体的相違解消のための方策である「フェムテック」と「メンテック」をとりあげて、家庭や社会の中での男女の行動の機会均等の実現に向かっている様子を述べましたが・・

    最近、男女の行動の機会均等に関して問題になっているある件については、次回に・・
    ・・・・・・・・・・・・

    前回、雪で作られたお釈迦様がベンチに横たわる例を紹介しましたつながりで、今回はベンチについて・・

    昔は下図のようなベンチ※が一般的だった。
    kouen-tejinasi
    ※↑ 
    座っているのは歌手フランク永井(故人)。氏自身が最も好きだった曲「公園の手品師」(作詞:宮川哲夫/作曲:吉田正)のレコードのジャケットに使われている写真で、発売された1958(昭和33)年頃のベンチだろう。

    ところで「ユニバーサルデザイン」、「インクルーシブデザイン」、「フォーオール(For All)」などと表現され”モノやコトは子供から高齢者まで、健常者も障がい者も、いかなる立場の人も、誰もが参加しやすく、使いやすいものであるべき”という考え方が提唱されて久しいが、

    ベンチは元来、ユニバーサル的だった。しかし近年“反ユニバーサルデザイン現象”が出現していて・・

    ◎横臥防止意図的ベンチ
    近頃、公園などのベンチに”座面の中間に仕切りを設けた形態”にしたものが多くなった。

    ↓仕切りのあるベンチ:横浜市・開港広場公園
    (「HAMAブロ」より)
    bench-yhm1

    最たる目的は、ホームレスの人が横になって寝るのを防止するため。

    この目的で、かまぼこ型で平らな座面が無いベンチも出現。

    ↓平面の無いベンチ:東京都新宿区
    (「FNNプライムオンライン」より)
    refuse-bench1

    そこでこれらのベンチは「排除ベンチ」や「意地悪ベンチ」と呼ばれるようになった。

    ◎批判続出 !
    昨2024年3月にある人がSNS上で(前記の)「平面の無いベンチ」の写真とともにその存在に疑問を呈したところ、大きな反響があり、ベンチを設置した行政の姿勢を批判する声が多く寄せられた。例えば・・

    《横になって寝させねえという意思ばかりが突出している「排除デザイン」ですね。行政の仕事ってこうやって排除することじゃなくて、そんなところで横になって寝なきゃなんない人をなくすこことなんじゃないでしょうか》

    《役人の考えるホームレス対策 ホームレスを見えない所へ追い払う 見えなくする事が対策なのか、違うだろ》

    《これじゃベンチそのものが必要ないだろう。一般のお年寄りや小さな子供も座れないだろうから》

    《結局誰にも快適じゃないものになってますなー。ソフトなディストピア(ユートピアの反対)》

    ( 上記《 》内は「Smart FLASH」の記事から引用 )

    ◎「排除ベンチ」による悲劇発生!
    2020年、東京・渋谷区のバス停のベンチに居たホームレスの高齢女性が頭を殴られて殺害された事件があったが、そのベンチが仕切りの在る排除ベンチだったためにその女性は横になれずに座ったままで寝ていたそうだ。

    ◎ついに「排除ベンチ」を排除した平塚市
    神奈川県平塚市では昨2024年に、それまで約20年間存在した”排除ベンチ”をやめて普通のベンチに戻した。

    この市を動かしたのは市会議員の江口友子氏で、もともと市議になる以前からホームレスの人への支援に取り組んでいて、排除ベンチの存在は”意地悪である”と感じていたので、”ベンチはあらゆる人が利用できてコミュニケーションが生まれる場であるはず”として排除ベンチの廃止を市に訴え続けた結果、実現した。

    ↓”排除ベンチ”ではなくなったベンチと江口氏 
    (撮影:岡田玄 氏)
    bench-hiratk

    横臥防止目的だけではなく、他人に迷惑かける行為の防止を意図したベンチもある。

    ◎長居防止ベンチ
    真ん中の仕切りに加えて、杭を立てて座りにくくするまでもしたベンチ。その目的は、夜間にベンチに座って (飲酒人間は特に)仲間どうしで話す大声が近隣住民から安眠妨害であるとの苦情が絶えないということで、寝るどころか長居ができないような座面にしたもの。
    ただしこのベンチの有様があまりにもみっともないので、別の方法を考慮中とのこと。

    ↓座りにくく長居できぬベンチ:東京都新宿区
    (「FNNプライムオンライン」より)
    refuse-bench2

    ◎必要な"排除ベンチ"もある
    仕切りを設けたベンチなので、ベンチで寝る人排除になると同時に、座れる人数を指定するベンチであり、” 2人掛けあるいは3人以上掛け向けのベンチに一人で座るものの他人が座るスペースが無い状態にするような迷惑な人”を作らないし、排除する目的もあるベンチ。

    ↓千葉県・市原市の某ショッピングセンターの屋外ベンチ
    haijyo-bench4


    電車内のベンチシートにおいても”けしからぬ行為防止”のために座る位置を限定(指定)するカタチが増えて、仕切りの金属パイプ支柱を一部に設置する他に仕切りをせずに、座面の窪みを指定人数分施すタイプがある。画像は「東洋経済オンライン」より)
    bench-seat

    同様目的で駅ホームなどのベンチにも、仕切り無しで窪みの在る座面を指定人数分施すタイプが多い。
    (画像は「カグロー」社HPより)
    station-h-bench

    ◎”座ることを拒否する椅子”という岡本太郎の作品があったが・・
    岡本太郎(絵画・造形作家:1911~1996)の作(信楽焼:1963年)
    refuse-chair

    (「銀座 おいだ美術」のHPより)

    氏はこの作品の意図を次のように述べた。

    「いわゆるモダン・ファ二チュアの、いかにも坐ってちょうだい、とシナをつくっている不潔さに腹が立つ。
    お尻のひな型であるような、身体がすーっとおさまって沈んでしまい、
    そのまま前途を放棄したくなるようなのは、お年寄りか病人用に限ったほうがいい。
    なにも一日じゅう座りこむわけではない。
    活動的な歩みのなかで、一時腰をおろすだけのもの。
    つまり人生の戦いの武器である。
    生活のなかに生命感のあふれる遊びがない。それが現代の空虚さだ。
    私は素朴な合理主義や機能主義をのり超えて、いちだんと激しい生活感、
    イマジネーションをうち出したかったのだ。
    そこで、椅子でありながら、精神的にも、肉体的にも、 人間と「対等づら」する、こいつらを作った。
    生活の中の創造的な笑いである。」
    (岡本太郎著『原色の呪文』より)

    この椅子はアート作品だから、これを見たり、座ってみたりした人の全てではなくとも一部の人が刺激を受けて共感あるいは反感などの感情が生まれれば、それで存在価値があるが・・

    公共の場のベンチはそうはいかず、機能的にも視覚的にも万人を受け入れるユニバーサルデザインでなければならない。
    ・・・・・・・・・・・・・

    世の中には一度は表記を変更したものの、また元に戻った例があり、そのいくつかをあげてみました。

    ◎キッチン ⇒ キチン ⇒ キッチン
    1990年代だったかにはマスコミにおいて「キッチン」を「キチン」と表記することが増えたが、その理由は"文字数を減らすため"だった。

    その背景と言えば、超高齢社会の日本では当然のように老眼者が多く、新聞や本などの印刷物の文字のサイズを昔に比べれば格段に大きくしてきた。

    ここで新聞の印刷文字がどのくらい大きくなったか(私の手許に保存している新聞を)ご覧ください。

    A)1968(昭和43)年12月28日・読売新聞(「アポロ8号、月から生還」のトップ記事)

    B)1990(平成2)年2月8日・読売新聞(「ソ連、一党独裁を放棄」のトップ記事)

    C)2024(令和6)年12月19日・朝日新聞(「ホンダ・日産 統合協議へ」のトップ記事)

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    ↓左から(A) (B) (C)   
    (クリックで画像拡大↑↓)
    old-newspaper2

    新聞の文字サイズの変化の詳細は後述

    文字を大きくして起きる問題は、紙面・誌面の限られたスペースの中での単語の文字数を減らす必要が発生すること。

    例えば「プーチン大統領」を「プーチン氏」とし、(その他の例が浮かばず恐縮ですが)

    ・・ということで「キッチン」を「キチン」と表記することが増えた。

    これには単に文字数削減するだけでなく、元々kitchenの発音は「キチン」であるという理由もあっただろう。

    ところがこの動きは進展せずに、近年は「キッチン」の表記ばかりで「キチン」は見られなくなり、つまり元に戻ったようです。

    さて理由は何でしょうか?・・NHKは一時期、「キチン」表記を採用していたようですが2002年6月27日から「キッチン」に戻したそうで、これも影響しているかもしれません。

    ◎エベレスト ⇒チョモランマ/サガルマータ ⇒エベレスト
    チベットとネパールの国境にまたがっている世界最高峰の山は従来から世界的にはエベレストと呼ばれてきたが、これはインド測量局長官だったジョージ・エベレストに由来しているとのこと。

    ところが近年の流れである”国名、地名、山名などは現地での呼称、本来の読み方を尊重する”ということに従って当初はチベット語で”世界の母神”を意味する呼称「チョモランマ」がマスコミに多く登場して主流になったが、

    これに対抗するようにネパールは1960年代から同国語で”世界の頂上”を意味する呼称「サガルマータ」を提唱し始めた。

    エベレストを指す中国語には「珠峰」などがあるものの中国国内でも“珠穆朗玛峰Zhūmùlǎngmǎ Fēng”(チョモランマ)と呼んでもいるので、最近は「チョモランマは中国名」という説明がネット上に多くなっているが、

    現在のチベットは中国の中の自治区という位置づけにされているので”チョモランマは中国語(チベット語)である”という説明も見られる。

    このような状況なので、NHKなどは「登山隊が中国側ルートで登る際にはチョモランマ、ネパール側からの場合はサガルマータと使い分けている」とのことだが・・

    一般的には、当たり障りのない「エベレスト」の表記が再び多くなってきた。

    ◎フランスの美術館展示物のチベット表記⇒消去⇒再表記
    最近、フランス国立の「ギメ東洋美術館」と「ケ・ブランリ美術館」の展示物表記から「チベット」の名称が消去された。

    『ギメ東洋美術館は「ネパール チベット」としていた展示室の名称を今年4月までに「ヒマラヤ世界」に変更。ケ・ブランリ美術館はチベットを指す中国語「西蔵」の発音にあたる「シーザン(XIZANG)」に修正していた。』

    これに対して先ず『チベットや中国を研究するフランス人専門家27人が仏紙ルモンドに批判文を公開した』

    その後『9月29日、在仏のチベット人やその支援者ら約100人がパリ中心の広場で、「チベットは存在する。歴史を尊重せよ」と唱えて抗議に集まった』

    抗議の背景には『(チベットの名称消去は)チベット自治区でチベット族の同化を進めていると指摘される中国政府の意向に沿う動きだとして反発と批判』がある。

    その後、『ギメ東洋美術館には中国側の圧力があったと公表され、ケ・ブランリ美術館は10月7日に「シーザン」の表記を削除し、中国と併記して「チベット」の地名を復活』した。 (以上『』内は朝日新聞より)

    ◎聖徳太子 ⇒厩戸王 ⇒聖徳太子(厩戸王)
    近年の教科書での表記で変更と混乱が生じているのが聖徳太子/厩戸王についてのこと。

    いつのころからか”聖徳太子は厩戸王(うまやどのおう)と言うのが正しい”というような説が広まり、

    2017年2月に文部科学省は”中学校の次期学習指導要領では、従来の「聖徳太子」を「厩戸王」に変更する”と発表したものの・・

    学校現場において混乱を招く恐れがあるとして、従来の表記に戻すことを3月に発表した。(なお、「鎖国」表記についても同様に復活させる)

    その結果、現在は・・小学校教科書では
    「聖徳太子」だけの表記。

    中学校教科書では
    「聖徳太子」(厩戸王) または「聖徳太子」(厩戸皇子)の表記が採用されている。

    ※ただし「厩戸王」よりも「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の表記の方が圧倒的に多い。 

    「聖徳太子」(厩戸王) の表記採用の教科書を出版する帝国書院のHPによれば・・(以下《》)

    《「聖徳」とは厩戸王の没後におくられた名であること、また「太子」は「皇太子」の意味ですが、厩戸王存命時に、「天皇」や「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いことも、現在の研究では分かっています。

    このような状況から、「聖徳太子」の存在自体を否定する説もでています。

    しかし、その記述内容を分析し、ほかの史料と合わせてみると、「聖徳太子」のモデルとなった「厩戸王」といわれる実在の人物がいたこと、

    その人物が、奈良県斑鳩の地に斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったこと、

    中国の『隋書』などからも倭国に中国の太子に対応するような有力な王子がいるとみていたことなどは確実と言えます。

    そのため、現在では、推古朝において、蘇我馬子とともに厩戸王が政治を行ったというのが有力となっており、弊社でもその考えのもと、「聖徳太子(厩戸王)」と表記しています。

    同様に、宮内庁侍従職が保有する「唐本御影」は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画で、これまで高額紙幣の肖像画や教科書でも「聖徳太子」として使用されていましたので、この画像が「聖徳太子」というイメージを人々に強く残しました。

    しかし、この絵と「聖徳太子」とを関連づける当時の史料がないこと、絵の画像の研究から、製作年代は早くとも8世紀(奈良時代)と考えられることなどから「伝聖徳太子像」として表記するようになりました。

    「聖徳太子」の研究は、聖徳太子自体が、信仰の対象であり、史料の記述も信仰と実際の事績が混在しているため、歴史的な「謎」につつまれた部分が多いのも事実です。

    しかし上記のような研究成果を反映し、高等学校の教科書だけでなく、一般の学術書にも「厩戸王」と記載する傾向となっています。

    参考文献:大山誠一 『〈聖徳太子〉の誕生』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館 1999年
         熊谷公男 『大王から天皇へ』(日本の歴史 第03巻)講談社 2001年
    ・・・・・・・・・・・・
    新聞の本文の文字大きさ(高さ)の変遷 (朝日新聞の例)
    意外に初期は文字大きく、終戦直後が最も小さかった。

    (紙不足で1949=昭和24年の朝刊は2ページしかなくて、小さい文字を詰め込んだ)

    1888(明治21)年創刊時   : 文字高さ3.7ミリ
    1940(昭和15)年    : 同  2.2ミリ
    1949(昭和24)年    : 同  2.0ミリ
    2011(平成23)年~現在 : 同  3.6ミリ (巾3.9ミリ=扁平)
    ・・・・・・・・・・・・
    不思議?! 何故か半世紀前に「キチン」表記の宣伝(三洋電機)
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    ・・・・・・・・・・・・

    今年(2024)の秋は何故かあちこちで埴輪(一部で土偶)を展示する催しが行われています。
    私の手許に集まった"埴輪、土偶、土器の展示会チラシなど”
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    「特別展 はにわ」 が東京国立博物館で10/16~12/8

    「ハニワと土偶の近代」展が東京国立近代美術館で10/1~12/22

    「旅する はにわ展」が市原歴史博物館で10/12~12/15

    テレビや新聞でも”埴輪”特集が・・
    埴輪特集テレビ番組(NHK eテレ)
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    ↓テレビ番組「はにわ王決定戦」とキャラクター「はに丸」くん(NHK eテレ)
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    その他、展示の一部に埴輪が含まれるのは・・
    「地中からのメッセージ」展が千葉県立房総のむら で9/21~11/17 / 千葉県立中央博物館で12/21~2/9

    「布をまとう 古代人の衣」展が行田市郷土博物館で10/12~11/24

    そして千葉県芝山町では町立芝山古墳・はにわ博物館では埴輪を常設展示している他に、毎年11月の第2日曜日(今年は11月10日)に「芝山はにわ祭り」が開かれ、埴輪の武人など古代人に扮した人々による儀式の披露もされる。↓
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    土偶関連では「ドグウ集まれ!」展があつぎ郷土博物館(神奈川県)で10/12~12/8

    ・・このような中で、私は「旅する はにわ展」(市原歴史博物館)に行ってみたのですが、その動機と言えば私の手許に(冒頭で紹介した)各地で開催の埴輪関連展のチラシが集まった※ことと、岩手県在住の友人が東京国立博物館の「特別展 はにわ」 を見て来たと知らされたので、これは埴輪を見に行かねばならない!と思ったから。

    各地の郷土資料館や博物館、美術館、図書館、などでは互いに連携して期間限定の特別展示の開催案内チラシ類を配備し合うので、例えばある郷土資料館に行けば、そこで各地の多くの展示情報が得られます。

    まずは、私が埴輪と土偶の違いをはっきりとは知らないことに気付いたので・・

    ◎埴輪と土偶の違い
    どちらも日本の古代に造られた土の焼き物だが、土偶の方が年代は古い。
    土偶 : 縄文時代(1万年前~BC4世紀)に祈りや呪術のために作られたもので、人の形が多く、集落跡で見つかる。

    埴輪 : 古墳時代(AD3世紀~7世紀)に埋葬者の墳墓の周囲や上に置かれたもので人物の他、円筒形、動物、建物などの形がある。

    ◎なぜこの時期に埴輪と土偶の特別展が多いのか?
    最も大きな要因は、埴輪として初の国宝となった「挂甲の武人(けいこうのぶじん※”けい“は、てへんに圭)」が国宝指定50周年を迎えたのを記念して、国内外50ヵ所から集められた埴輪を展示する特別展が東京国立博物館で開催されていることでしょう。

    また、千葉県市原市では市内の大規模な「山倉1号墳」(前方後円墳)の発掘調査報告書刊行20周年の節目で、市内はもとより千葉県内各地の埴輪を集めての特別展開催。

    同じく千葉県芝山町では町内の「殿塚・姫塚古墳」出土の埴輪48点が今年8月に国の重要文化財に一括指定されたことで埴輪関連行事が盛り上がっている。

    また同じく千葉県教育振興財団文化財センターは今年11月に設立50周年を記念して旧石器、縄文、弥生期の出土品を特別展示。

    埼玉県行田市では市政施行75周年記念で”布をまとう古代人の衣”姿の一つとして埴輪も展示する企画展を開催。

    これらがたまたま同時期に開催されるカタチになって”埴輪ムーブ”が生まれたのでしょう。

    ◎「旅する はにわ展」(千葉県・市原歴史博物館)見学記
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    ○テーマの”旅する”の意味は・・
    実は千葉県市原市で発掘される埴輪の中には、現在の埼玉県鴻巣市にかつて存在した東日本最大級の埴輪工房である「生出塚(おいねづか)埴輪窯」で焼かれて作られ、直線距離にして約100キロを”旅するように”現在の市原市の「山倉1号墳」(前方後円墳)へ運ばれたものもあることが判明しているから。

    ↓生出塚埴輪窯製の埴輪:左端と右から2番目が山倉1号墳から出土
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    ↓生出塚埴輪窯跡に残されていた埴輪 / 山倉1号墳
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    なぜ遠く離れた二か所の埴輪が同じ場所で作られたことが分かるのかと言えば・・
    (1) 埴輪の見た目のデザインが同一
    (2) 埴輪の胎土(使用の土)が同一(蛍光X線分析で成分同じで鉄分多く、赤味が強い)
    (3) 埴輪の表面に残る「ハケメ(のようなもの)」が同一
    埴輪製作過程で埴輪の着衣などの部分の表面を整えるために板の木口(切り口)を使って撫でるのだが、その際に板の木目による沢山の筋「ハケメ(のようなもの)」が付く。その筋どうしの間隔は、その板の木目のそれそのままであり、その板を使って幾つも作った埴輪は皆同じ筋間隔のハケメがついた仕上がりになることから、千葉県で発掘された埴輪は埼玉県の生出塚埴輪窯でつくられたものと全く同じなので分かる。
    ハケメ
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    ○埴輪は二大別される・・
    (A)「円筒埴輪」で文字通り円い筒形。
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    (B)「形象埴輪」で人、動物、建物などをかたどったもの。
    ↓イノシシ / シカ
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    ↓ムササビ
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    ↓水鳥 / 魚
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    ○埴輪につけられている穴の目的は・・
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    埴輪の原型は弥生時代の”墓に供える物を入れる壺を支える台”であるとされ、その台には魔物を寄せ付けないようにするために模様や線がつけられたが、それをさらに強調するために穴を開けた慣例が、その後の古墳時代になって”円筒埴輪の胴部分”や”人物埴輪の台部分”に受け継がれたもので、多くは線や模様無しの穴だけとなっている。
    その穴は考古学では「透孔(すかしこう)」と呼び、形は○、△、□、半円、卍などがある。

    ○3Dプリンターによるレプリカは今後有望!
    今回展示の埴輪1体を非接触でスキャンして3Dプリンターで作られたモノが展示されていたが、触りながら見たい部分も自由にみられることは埴輪を深く知るには大変効果的なので、これから(埴輪に限らず)同様のカタチが広がるでしょう。

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    ・・・・・・・・・・・・・
    ◎これも“旅する埴輪”とも言えるのが・・
    前述の東京国立博物館で開催の「特別展 はにわ」の“目玉的展示物”の「挂甲の武人」(挂甲とは鉄板を綴り合わせて作られた甲=よろい)。
    よく似た格好の武人の埴輪5体が全て群馬県から出土したものの、1体は東京国立博物館所蔵でこれが国宝になっているが、その他は群馬、千葉、奈良、そして米国のシアトルの博物館または美術館に所蔵されているものを今回すべて揃えられて東京国立博物館で展示されているので・・
    4体は遠くから”旅をしてきた”ようなもので、特にシアトルからは長旅だった!

    ↓揃った5体。左端が国宝。真ん中がシアトルから一時帰国
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    ○国宝の埴輪
    「挂甲の武人」は日本郵便の切手になっている!
    最初の発行は1972(昭和47)年に全体が茶色の図案で、
    次に1976(昭和51)年に全体が朱色で、
    3度目は1989(平成元年)に埴輪本体は茶色で紫色の背景。

    3度目発行(左)  /  2度目発行 ※茶色に見えるが本当は朱色
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    ・・・・・・・・・・・・

    人間を含めて動物が生きていく上で必ず発生し、しかも大切な”糞”。今回は軽い?お話ですが、お食事前の方は時間をずらしてお読みください !

    こんなお話をするきっかけとなったのが・・

    先日、知人から貰ったものの使わずに15年以上箪笥にしまっておいた”手提げバッグにもなるリュック”(以降文中ではリュック)を取り出して、使ってみようとしたら、なんとまるでウンコのような臭いを発するようになっているではないか!!

    (念のため・・私はクレーマーではなく、かつてメーカー勤務だった経験から、メーカーとユーザーへの参考になればと思う次第です)

    ↓これがそのリュック。デザイン自体はは良いが・・
    (左端は500円硬貨)
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    サムソナイト社製の限定生産品だったようで、同社の商品分類では”バックパック”類に属するが日本では「スタルク バッグ」とも呼ばれた。

    本体寸法は(大まかだが)縦35cm、横27cm、マチ(側面と底の部分)は縮めて6cm広げて16cm
    素材は化学繊維?の布で前面と背面には(たぶん)プラスチック板の心材が入っているようだ。

    ↓ファスナー開閉用の丸い板状のツマミを引いてマチを広げるとこのリュックの容量が変えられる。
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    ↓背面の肩掛け帯は本体に引き込み式で、手提げとして使用時に邪魔にならない。
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    よく見たらこのリュックは有名なデザイナーであるフィリップ・スタルクが手掛けたものと記されていたので、私が即座にそして妙に納得したことは・・氏がデザインした”アサヒビールの建物屋上のオブジェ「フラムドール(金の炎)」が俗に「金色のウンコ」とも呼ばれていることと何かつながっている!

    ↓取っ手の基部には「Samsonite by STARCK」の凹文字が。また本体内部に貼付のタグには 「YAP by STARCH」とも記されている。
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    それにしても何故このような臭いが発生したのだろうか? 経年化学変化かな?

    ◎「フラムドール」(
    俗称「金色のウンコ」)とは?
    東京都墨田区にあるアサヒビール本社ビル横に併存する建物「アサヒグループホール棟」(1階はレストラン)の屋上に設置されたオブジェが「フラムドール」(フランス語で金の炎)(長さ44m)なのですが、建物とあわせて全体では聖火台で燃える炎の姿になっている。
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    アサヒビールのHPによれば、この炎は「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表わしていて、アサヒビール100周年の記念事業の一環として、1989年10月に竣工いたしました。
    設計者は有名なデザイナーである、フランス人のフィリップ・スタルク氏です」とのことだが・・

    浅草の雷門前に立って右を見れば、ちょっと向こうにその金色の炎が目にはいるので今や”浅草名物”としている案内もあり、そのオブジェを見た途端「あっ 金色のウンコだ!」と言ってしまう子供が多い。(大人は、そう思っても口には出しませんが・・)

    ↓雷門の前から私が撮影したもの(右下は人力車)
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    ちなみに、その左側の建物は「アサヒグループ本社ビル」で、全体は「なみなみとビールが注がれたジョッキ」をイメージしていて、金色の鏡面ガラスをめぐらした下層部がビールで頭頂部の白いボコボコは「あふれる泡」を表しているとのこと。(下層階は同社のオフィス、ただし最上部の22階はビールや軽食の展望ラウンジ、”泡の部分”にはショップあり)

    ↓中央が本社ビル。左端は墨田区役所。東京スカイツリーも見える。
    (「ウィキ太郎」氏撮影)
    asahibuild

    ◎フィリップ・スタルク氏とは?
    フィリップ・スタルク(PHILIPPE・STARCK)はフランス人の建築家・デザイナー。欧米では建築家で工業デザインをする人も多い。
    ps-honnin
    ↑写真は「ハンスグローエジャパン(株)」のHPから引用

    氏のデザインした例は・・・ホテルなどの各種建築は勿論、
    上の写真で氏とともに写っている水栓(蛇口)、椅子、ソファ、照明器具、キッチン設備、調理器具、スピーカー、オートバイ、大型ヨットなど多岐にわたる。

    ↓レモン絞り器(Google Arts & Cultureより) / チェア(CassinaのHPより)
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    ↓ローテーブル (CassinaのHPより) / バイク(下写真)のメーター部分
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    ↓アプリリアのMoto6.5 (RIDE HIのHPより)
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    ・・・・・・・・・・・・

    最近の自販機の「おつり・返金用レバー」が気になる? !
    写真ご覧になると、すぐお分かりになると思いますが・・そうです! あの金色の○○○に似ています! 色といい、形といい・・私の知る限り東京都と千葉県ではあちこちで見かけます!
    jihanki

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    「チャー」という音が今日も我が家の前から聞こえる。だいたい1日に3~4回。
    それはアイドリングストップのクルマからの音。

    そこで思い出すのは私の昔の苦い経験・・それをご披露する前に・・

    ◎アイドリングストップとチャー音
    (クルマを運転しない人のために説明しますと)アイドリングとは、クルマが走行停止時でもエンジンは止めないで動かしている状態のことで、

    これに対して、クルマが走行停止するたびにエンジを(自動的に)停止するのがアイドリングストップ。

    実際には、アイドリングストップ機能を備えたクルマ※が交通信号や交差点で、また歩行者がいる横断歩道の手前で、あるいは渋滞で一旦停車する場合にこの機能が働き、一旦停止したエンジンはアクセルペダルを踏めば再び始動してクルマは走り出します。
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    ※ただし、アイドリングストップ機能はスイッチ切り替えによって、それを働かせないで一時走行停止時でもエンジンがストップしない選択もできるようになっています。

    アイドリングストップ機能の解除スイッチボタンの一例 (「乗りものニュース」より)
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    冒頭の「チャー」※という音は、アイドリングストップのクルマが一旦停止した次に再び走り出す際に出る音で、実はそれ、エンジンの音ではなくてスターター(エンジンを動かし始めるための装置)の音。

    ※「チャー」音は単純ではなく、言葉で表現するのが難しく、各社・各車違うようでもあるので”チャーのような音”としました。

    我が家は住宅地の中の4メートル道路どうしが交差している角地にあり、信号は無いのですが一時停止標識とともに道路上に停止線があるので、アイドリングストップのクルマが一旦停止した後に発進する際に「チャー」音を聞くことになるもので、
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    近年のクルマのエンジン音は静かなので(我が家の中に居ては)この音は聞こえずにスターター音だけが聞こえるわけです。

    ◎最近はアイドリングストップ機能廃止の流れ
    アイドリングストップは燃費向上やエンジン音の騒音防止に効果があるとされて、今から20年前頃からこの機能付きのクルマが多く生産されてきましたが、

    最近になってホンダ、トヨタ、ダイハツなどの自動車メーカーは、 ガソリン車のアイドリングストップ機能を廃止し始めて、例えばホンダではミニバンの「フリード」、小型ハッチバック車「フィット」、小型SUV車「ヴェゼル」などは従来は付いていたこの機能を廃止して、小型SUV「WR-V」は最初からこの機能を不採用。

    honda-cars
    フリード(左) / フィット(中) / ヴェゼル(右)

    トヨタでは小型ミニバン「シエンタ」、小型ハッチバック車「ヤリス」など。

    toyota-cars
     ↑シエンタ(左) / ヤリス(右)

    ◎アイドリングストップ機能廃止の理由
    ・アイドリングストップのクルマは一時停止状態から動き出すまでにちょっと”もたつく”。それはアイドリングストップ機能無しのクルマと比べると、”スターター装置が動く時間の分”が余分にかかるから。
    この“もたつき”を嫌う人も少なくないし、安全上 瞬時に発進したい時などには困る。

    ・一旦停止から発進する際の音”チャー”と同時に起こる車体の振動が嫌われる。

    ・アイドリングストップ機能の有無による燃費向上の差が少なくなった。この機能導入開始の頃に比べるとクルマ自体の燃費が向上してきたため、今やこの機能の有無による燃費の差は1リッター当たり1km以下とも言われる。

    ・アイドリングストップのクルマのバッテリーは負荷が大きくかかるために、より高性能な専用品が使われ、しかも寿命が短め。

    したがってこのクルマの持ち主は高価なバッテリーを短期間で買い換える必要が出てくる。そうなるとアイドリングストップで燃費節約、石油資源節約となるものの、専用バッテリー製造にかかる資源やエネルギーコストが余分にかかって環境マイナス要因となってしまう。

    ◎58年前に私がアイドリングストップを実行した結果は?
    1966(昭和41)年のこと、私は東京都の練馬区(あたりだったか?)の道路をクルマで走行中に、ふと”ガソリン代※を節約するためには信号待ちをする間はエンジンを切ってみよう”と思いついて、信号待ち毎に (当時のことだから)手動でエンジンキーを回して切っては、青信号で発進することを繰り返したところ、

    5回目(だったか?)で、発進しようとキーをまわしたら「クウッ・クウッ・クウッ」という音がし始めてエンジンがかからないので、「これはまずい!」とあわててキーを何回かまわしてみたら何とかエンジンが動いた。

    同時にこれはバッテリーに負担がかかった結果と悟って、すぐにこの”アイドリングストップ”行為を中止したのでした。これは私の”苦い経験となりました。

    東京都内のことなので200メートルくらい走行してはエンジンを停止してはまた始動したりを繰り返したのがいけなかったわけで、

    クルマというものは発進時にスターターが働いてバッテリーの電気を喰うものの、その後の走行中のエンジンの回転を利用したダイナモ(発電機)で発電した電気をバッテリーに充電するシステムになっているので通常は問題ないのですが、

    200メートル走行ごとにバッテリーの負担を繰り返せば、その間の充電が追い付かなかったのです。まあ昔のことでバッテリーの性能も現在よりも若干劣っていたかもしれませんが・・

    この経験がある私は、近年にアイドリングストップのクルマが登場したのを知った際に「これはバッテリーに負担がかかるはずだから大丈夫なのかな?」という心配をしていたところでした。
    ・・・・・・・・・・・・
    当時はレギュラーガソリン1リッター38円前後でした。但しサラリーマンの初任給が現在の約1/10だった時代のこと
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    日本発祥の「ペロブスカイト太陽電池」は、その優秀さから今や全世界で開発、改良が進められ、一部の国では商品化され始めた。

    この太陽電池の要であるのがペロブスカイトで、それを構成する成分の中でも重要な「ヨウ素」は世界的規模で千葉県において大量に産出するので今後は産業としても大いに期待される。

    現在の日本では「地産地消」という名のキャンペーンが各地にありますが、千葉県ではそれをモジって「千産千消」としているものを「千産千勝」とでも言えるような展開になりそう。

    ◎ペロブスカイトとは
    (A)メチルアミン(など) (B)鉛(など) (C)ヨウ素の3成分からなる結晶体で、これを太陽光発電用に使ったものがペロブスカイト太陽電池で日本の宮坂 力(みやさか つとむ)桐蔭横浜大学特任教授が発明した。
    このペロブスカイト太陽電池は多大な特長を有しているために、氏はノーベル賞候補と言われている。

    ◎ペロブスカイト太陽電池の特長
    1)フイルムなどに塗布または印刷して簡単に安価に製造できる

    2)薄くでき、軽くでき、曲げることができるため、形体や設置場所の自由度が高くなる
    perobusu-to2
    (↑真は東芝のHPより)

    ↓日よけ・目隠しにもなる発電シート試作品(写真は積水化学工業のHPより)
    perobusu-se2

    3)重要素材であるヨウ素が日本では豊富に産出される→詳細次項へ

    ◎ヨウ素とは
    英語表記:iodine 元素周期表における元素記号:I(アイ) 原子番号:53 個体で非金属

    ヨウ素は人体の必要素の一つであり、一般的には海水に含まれ、海中で育つ昆布やワカメなどの海藻類には濃縮されて多く含まれる。その他には硝石(鉱物)や(後述の)かん水に含まれる。

    ヨウ素含有製品:うがい薬(イソジン)、消毒薬(ヨードチンキ:但し昨2023年に製造中止。理由は乳幼児あるいは大人でも弱い皮膚から大量吸収された場合に甲状腺疾患を発症すること、近年は消毒薬として代替的製品のマキロンなどが登場しているから。なおイソジンも頻回使用すると甲状腺疾患の恐れありとされる)

    ◎ヨウ素の世界的な産地である千葉県
    世界のヨウ素の年間生産量約3万4000トンのほとんどをチリと日本が占めていて、チリが1位で2位の日本はその約3割に当たる1万トン生産。そして日本の生産量の約8割を千葉県が占めるので・・世界のヨウ素生産の約4分の1を千葉県が占めていることになる。

    しかも可採埋蔵量は約400万トンなので従来の生産ペースであれば500年続けられる。

    ◎実は千葉県のヨウ素は天然ガスと一緒に産出
    千葉県のおよそ7割?の面積の地下の地層の隙間には、水溶性の天然メタンガスとヨウ素が含まれた太古の海水が存在していて、その海水のことを「かん水」と言う。(ガス埋蔵地域は大部分を占める千葉県の他に神奈川、埼玉、茨城の各県と東京都の極一部が含まれ「南関東ガス田」と称される)
    ↓南関東ガス田(ベージュ部)(茶色部は主な採取地帯) (天然ガス鉱業会のHPより)
    gas-map

    千葉のかん水に含まれるヨウ素は普通の海水の2000倍の高濃度。

    同じくかん水に含まれる天然ガス年間生産量は約4.4億㎥で、現在生産ペースで約800年もつとされ、県内の家庭や企業にはこの地産の天然ガスが地元の「大多喜ガス(株)」などから供給されている。

    地産地消の天然ガス料金は東京ガスよりも3~4割安で、しかも過去10年間値上げされていない。
    おもしろいことに、国内のヨウ素生産量は1位が千葉県、2位は新潟県。対して天然ガス生産量は1位が新潟県(77%を占める)、2位は千葉県

    ◎自然に湧き出る天然ガスのありがたさと怖さ?
    商業的には地下1000m~500mからかん水を汲み上げて生産される天然ガスだが、千葉県の太平洋側の九十九里地区から内陸にかけての範囲にある大多喜町、茂原市、大網白里市、山武市(さんむし)、横芝光町(よこしばひかりまち)などにまたがるゾーンでは地面や川底から湧き出ている場所が多くある。
    ↓川底からの天然ガスの泡が水面に出ている様子(千葉県睦沢町=むつざわ)
    gas-bubble
    (写真は「読売新聞オンライン」より)

    千葉市にある土気町(とけまち)という地名は、その土地では何やら燃える気体(天然ガス)が出ていたことが由来と言われる。

    現在、前出のゾーンではガス会社とは契約せずに自宅敷地に掘ったガス井戸から天然ガスをとりだして使っている家庭が少なからずある。

    ↓自家用のガス井戸 (空気より軽いメタンガスを溜める筒が中央にある)
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    (画像はNHKテレビ「小さな旅」より)

    田んぼに鉄パイプを突き刺すだけで天然ガスが出るところもある。(下写真)
    ↓農作業の途中でお湯を沸かして一服(茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
    natural-gas1

    ↓地中から直接の天然ガスは9000キロカロリーと高い(ガス会社は3600キロカロリーに抑えて供給) 
    (茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    気付かぬうちに天然ガスが室内に充満して引火で爆発!・・
    千葉県山武郡九十九里町に在った「九十九里いわし博物館」は2004(平成16)年に爆発事故が発生して損壊大きく1名死亡、1名火傷で重症を負った。
    原因は敷地内から自然湧出していた天然ガスが当時使用していなかったエアコンの配管を通って館内に充満していたことに気付かずに(本来の天然ガスは無色無臭。ガス会社供給時には加臭)燻煙殺虫剤に着火しようとして引火爆発したもの。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※ペロブスカイト太陽電池の詳細は・・資源エネルギー庁のHP
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    「bias=バイアス」は辞書によれば、「先入観、偏見」 「斜め、斜線」。

    私が知る”「バイアス」という言葉が登場する分野"は3種類あり・・

    (1)先入観や偏見ある行動分野
    (2)斜めに裁断または編む裁縫分野
    (3)電子機器などの電流・電圧の回路設計分野

    “文”量が多くなるので(2)と(3)については概略を後記することにして、今回は(1) の”先入観、偏見”について・・

    “先入観、偏見というバイアス”に着目した理由は・・先回に”神棚をもうけている家庭の存在はすべからく減少に向かうであろうと大多数の人が思う”先入観”がある中で、漁業従事者の多い地など一部の地域では神棚が必ずそなえられ、しかも廃れない(減少しない)”という事実があることをご紹介したことに関連するからです。
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    神棚の例 (総檜作り 165万円:「大越仏壇」社オンラインショップより)
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    仏壇の例 (名古屋型台付き 365万1340円:「こころあ堂」社オンラインショップより)

    以前にも記しましたが”漁業従事者が多いある地区での調査結果のデータがここにご紹介できない”のですが、”一般的な広い範囲を対象とした調査結果”はいくつか発表されていて・・

    ◎神棚と仏壇の保有率と推移
    公益財団法人 庭野平和財団が行った調査(※詳細後記)では1999年に1345人、20年後の2019年に1203人から回答を得た結果・・

    〇「神棚」保有率49%→35.6%へ減少。(20年間で13.4ポイント減少)
    〇「仏壇」保有率53.6%→44.9%へ減少。(20 年間で8.7ポイント減少)

    上記から「仏壇」の方が「神棚」よりも保有率が高く、また減少率も緩やか。

    〇「神棚」の保有率は都市規模によって著しく異なり、
    「郡・町村」がもっとも高く(48.3%)、
    「東京特別区(東京23区)」が20.8%と最低。
    「郡・町村」での「神棚」の保有率は高いものの、74.3%→48.3%へと26ポイント減少。

    〇「神棚」の年齢別の保有率を20年前と比較すると、全世代で低下している。

    ※当調査方法詳細
    《 調査の概要 》 < 2019 年調査> ・調査日 2019 年6月7日~ 16 日 ・対象者 住宅地図による満 20 歳以上の男女 4000 人(層化副次(三段)無作為抽出法) ・実施方法 個別面接聴取法(官製葉書による事前協力状送付) ・有効回答数 1203 人(30.1%) ・回答者内訳 男 46 %、女 54 %▽ 20 歳代 11 %、30 歳代 13 %、40 歳代 18 %、50 歳代 16 %、60 歳代 17 %、70 歳代 26 %▽ 21 大都市 28 %、その他の市 62 %、郡・町村 10 % ※本調査は庭野平和財団「日本人の宗教団体への関与・認知・評価に関する調査」による調査で、世論調査の実 施は社団法人中央調査社に依頼して行われた。 参考 < 1999 年調査> ・調査日 1999 年 11 月 11 日~ 14 日 ・対象者 住民基本台帳による満 20 歳以上の男女 2000 人(167 地点、層化二段無作為抽出法) ・実施方法 個別面接聴取法(官製葉書による事前協力状送付) ・有効回答数 1345 人(67.3%) ・回答者内訳 男 45 %、女 55 %▽ 20 歳代 11 %、30 歳代 17 %、40 歳代 19 %、50 歳代 21 %、60 歳代 33 %▽ 13 大都市 23 %、その他の市 54 %、郡・町村 23 % ※本調査は文部省科学研究費「日本人の宗教意識と行動」(代表者・阿部美哉國學院大学教授)によ る調査で世論調査の実施は社団法人・中央調査社に依頼して行われた。

    ◎自宅の仏壇と神棚保有率
    Sirabee(調査会社)が2023年に全国10〜60代男女1000名を対象に調査した結果・・

    〇仏壇と神棚両方ある・・16.4%
    〇仏壇だけある・・・・・・・・18.0%(仏壇保有率34.4%)
    〇神棚だけある・・・・・・・・ 8.7%(神棚保有率25.1%)
    上記から
    〇仏壇と神棚どちらかが有る・・43.1%
    仏壇と神棚どちらも無い・・・・56.9%

    〇独居(一人暮らし)世帯のほうが仏壇・神棚の保有率が高い
    仏壇・神棚のどちらも無いのは・・
    家族で住む世帯・・67.2%。 
    独居世帯・・・・・47.6%

    この結果を受けてSirabee社のコメントは・・「核家族や夫婦2人家庭などでは、神棚はもちろん仏壇を置くスペースも確保しづらいだろう。一方、高齢者の独居が増えており、以前から仏壇や神棚が備えられた家に住み続ける、といった現状になっているのかもしれない」としている。
    ※Sirabee社の当調査結果グラフなどは・・

    以上にご紹介した”神棚・仏壇保有率に関する調査結果”は”大勢として保有率は減少傾向だろうし、都会より居住面積が大きめの田舎での保有率のほうが若干は多いだろう”という先入観に沿ったものになっていますが、これが(冒頭記述のように)日本の全ての状況を表してはいない。

    このような調査は「バイアスがかかった調査」という言いかたをされます。

    ◎最近の調査対象者の性別バイアス?
    私は現在、ネットによるアンケートサイトを持つ6社に登録して多数の回答をする毎日ですが、各アンケートでは最初に必ず回答者の属性(性別、年齢、居住都道府県、就業形態、既婚・未婚・離死別、戸建てなど住居形態、場合により個人年収、世帯年収など)を問われますが・・

    ここ1年くらいの内に変化した項目がいくつかあり、従来は就業形態の選択肢の中の「無職」は、同じ無職でも「年金生活者」が別に登場し始めているなどある中で、性別回答選択肢は多様化してきて・・

    「男性/女性」///「男性/女性/その他・回答しない」///「男性/女性/その他/回答しない」/// 「男性/女性/無回答」///「男性/女性/分からない/答えられない・答えない」///「男性/女性/ノンバイナリー・第三の性別/回答したくない」///「(あなたの戸籍上の性別をお答えください)男性/女性」

    こうなると、選択肢として男性/女性の二項一択では、それにあてはまらない人からの回答が期待できずにバイアスがかかった調査になる。

    ◎その他のバイアス注意例(1)「シニアのパン食」
    seniors
    シニア層は和食志向が強いと思われがちだが、特に朝食はパン食が少なくない。
    bread

    (A)
    65才以上の男女148人:1997年 三洋電機による調査によれば・・

    シニアの朝食の主食は・・

    「常にパン:29%」、「パンが多い:6%」と”パン派と言える人が3割強”

    その他「パンとそれ以外が半々:12%」 「パン以外が多い:15%」なので・・
    「朝食にパンを食べることがあるシニアは62%存在する」ことになる。

    ※朝食に「パンは食べない:34%」と「パンとそれ以外半々」、「パン以外多い」、「パン多い」からすると・・
    朝食に”パン以外“を食べることがあるシニアは67%存在とやや多いことにはなる。

    なお、シニアの昼食にパン食は少なく、麺・パスタ類も多くこの傾向は中年層と変わらない。夕食は年齢にかかわらず”白いご飯”が多い。

    (B)
    50~70才男女229人:1997年5月~6月 三洋電機による(先記(A)とは別調査)では・・

    パン派のほうが多い結果が出ていて・・
    朝食にパンを食べることがある・・・・・・68.1%
    朝食に米飯・その他を食べることがある・・54.6%

    この傾向は女性でしかも高齢になるほど顕著で、
    朝食に食パン又はバターロールなどパンを食べるのは・・
    70才代の男性・・46.9% 
    70才代の女性・・75.8%

    ※別の”ある聴き取り調査”で”シニアが朝食でパンを食べる理由は「心情的にはお米のご飯食べたいが、それは胃にもたれるから”という声があった。ただしこの状態は”あまり体を動かさない生活をする人たちに起こるものであって、畑仕事などで体を使う人たちにはあてはまらない”

    ◎その他のバイアス注意例(2)「シニアの早寝・早起き」
    futon-bed
    昔から「年寄りは早寝、早起き」と言われてきたが、実際は若い世代とかわらない。
    senior-kirakira

    (ア)
    50~70才男女229人:1997年(前記(B)と同時調査)では・・

    以下のそれぞれ3時間に集中。ピークは就寝が23時台、起床は6時台

    〇就寝時刻・・22時台14.9% /
    23時台41.9% / 0時台23.6%
    〇目覚め時刻・・5時台27.5% / 6時台46.7% / 7時台14.9%
    〇寝床(ベット出る)時刻・・5時台15.3% / 6時台43.7% / 7時台26.2%

    (イ) 40,50,60,70才台 首都圏在住の男女1200人:1997年4月~5月 自記式留置法による調査((株)SRIコンサルティング社が担当、調査依頼社:三洋電機)によれば・・

    各年代すべて(やはり先記(ア)と同様)以下のそれぞれ3時間に集中。ピークは就寝が23時台、起床は6時台)(下記は小数点以下四捨五入)

    〇就寝時刻・・40才台:22時台11% /
    23時台37% / 0時台33%
           50才台:22時台14% / 23時台44% / 0時台22%
           6
    0才台:22時台25% / 23時台43% / 0時台10%
           7
    0才台:22時台28% / 23時台30% / 0時台12%

    〇起床時刻・・
    40才台:5時台 9% / 6時台44% / 7時台33%
           50才台:5時台13% / 6時台43% / 7時台28%
           6
    0才台:5時台16% / 6時台38% / 7時台29%
           7
    0才台:5時台11% / 6時台38% / 7時台36%

    ※参考:日本人の平均 就寝時刻:23時12分 /  
    起床時刻:6時32分  
    ・・・・・・・・・・・・・
    (2)斜めに裁断または編む裁縫での「バイアス」
    裁縫において布の織り目に対して斜め45度に裁断することを「バイアス裁断」や「バイアス裁ち」と言い、そうしてできたものを「バイアス布」や「バイアス生地」と言い、

    織り目に沿って縦または横に裁断した布に比べて”引っ張れば格段に延びる”特長を発揮するようになるもので、

    「バイアス布」を使って細い帯状に加工したものを「バイアステープ」とするものもある。

    編み物において斜めに編んでいく方法を「バイアス編み」と称し


    その特長は”斜めに編んでいくことで、(通常は服作りなどで胴体部と袖部を別に作って後に両者をつなぐ作業が必要だが)胴体部も袖部も一気に作り上げてしまう手法”で”一般の服のようにつなぎ目が分厚くなってゴロゴロする“ようなことがない。

    バイアス編みのセーター(RandYカンパニー社の通販ページより)
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    胴体部分(みごろ)と袖のつなぎ目が無い(「空色テーブル編み物レッスン」ブロブより)
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    (3)電子機器などの電流・電圧の回路設計分野での「バイアス」
    電子機器などの回路設計においてよく使われる言葉ですが、私にはチンプンカンプンなので、「ヤフー知恵袋というサイトでのある質問者への回答が「fried tumip」さんからなされている内容を転記させていただきます。(私はこれでも理解できませんが)

    『バイアス(bias:偏り)という言葉は電圧や電流など色々な場面で使われます。 電圧の場合には一般に中央が0Vの偏りの無い信号を、偏った信号にするために加える電圧のことを言います。

    例えば、+4V~-4Vの交流信号に、5Vのバイアス電圧を加えると、+9V~+1Vまでの直流信号になります。波形は維持したままで電圧の中央が5Vだけ偏った信号になります。

    直流で動作する電子回路で交流信号を処理する時には、バイアス電圧を加えて直流信号にしてから処理します。その後必要なら交流成分だけを取り出します。』
    ・・・・・・・・・・・・・
    ◎「ステレオタイプ」と「バイアス」のちがい?..........
    これについてはよく分からないのでネット上で調べたら、その解釈は多様でちょっと混乱気味。そこで私なりに大体のところをまとめると・・

    「ステレオタイプ」と「バイアス」のどちらも「先入観」や「偏見」を内包するものだが・・

    ステレオタイプとは、多くの人に浸透している固定観念や先入観、偏見などの意識のことを指す。言わばそれがアタマの中、心の中に在るもの。

    「バイアス」とは、固定観念や先入観、偏見に基づく意識が言動に反映された際に、それを「ステレオタイプに基づいた(言動)」と言わずに「バイアスがかかった(言動)」と表現される。

    ただし、意識せずとも結果的に「偏り」がある言動も「バイアスがかかった(言動)」と言われる。例えば、何かの調査の際にネットだけを利用してアンケートをとった場合などは、回答者の属性は”ネットにアクセスできる人たち”に限られるという偏りが発生。

    そしてよくあるケースが・・
    ”都会の中で都会生活者だけを対象に調査”することで、例えば農漁村を除外することになって、地方性に気付かないことで偏りが出ていることがその調査の性格と目的によっては問題になる。(先記の就寝時刻・起床時刻調査対象を首都圏在住者としたのもバイアス性ありと言えますが・・)

    時々あるケースが・・
    質問に対する回答欄で、質問者側が提示している回答選択肢の中に回答者が答えようとする項目が無いということがあること。具体的に言えば・・「回答をA、B、Cの中から選べとした場合に実は別にDにあたる選択肢もあるという欠陥質問が時々ある。

    これを回避するために、回答選択肢の最後に「その他」という項目を設けて、"その「その他」とは何なのかを記入する欄"をもうける場合が多いのだが・・

    ※「ジェンダーバイアス」は特別?
    最近頻出する「ジェンダーバイアス」という言葉は、どうやら"ジェンダーという男女に関する従来通念を心(アタマの中)に持つだけで、それを言動に出さずともバイアスと称する"ようで、そういう解釈、見解、説明がネット上を占めています。まーそもそも「ステレオタイプ」と「バイアス」は不可分的なものですから違和感はないようなものですが・・
    ・・・・・・・・・・・・

    日本の神道(しんとう※1)における神様と仏教における仏様。それを身近に拝めるのが、神道では祠(ほこら※2)や神棚、仏教では仏壇ですが今回は神棚にちょっと注目。

    ※1
    :神道を「しんとう」と読むと意味は”日本古来の土着信仰”。「しんどう」と読めば”神(そのもの)”又は”墓所の道”の意となる。
    2:一部には仏教に属するお地蔵さま(地蔵菩薩)を祀る祠もある。

    ↓神棚の例(左) / 仏壇の例(右)
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    画像は左:楽天市場より/右:「メモリアルアートの大野屋」のHPより引用

    ◎漁業従事者の家には必ずと言っていいほど神棚がある
    原始より日本人は山、海、火、雷、滝、巨木、疫病など万物に(近年はトイレにも?)神が宿るので”やおよろず(八百万)の神”がおわすという観念があるが、中でも海、川、湖などで漁をする人達は神様に豊漁を願うと同時に、「板子(いたご)一枚 下は地獄」と言われるほど危険な船での無事を祈願することは必須となるので自宅には神棚が必ず設けられる。

    そして船(漁船に限らず船全般)の中にも神棚設置の例が多い。

    ”ある漁村を対象に調査したら神棚の保有率が100%”だったという資料を読んだことがあるが、

    そこでもう一つの特徴として挙げられていたのは”神棚の保有は老若に関係なく、しかも時代が変わっても行われる”ので年寄り世帯のみならず20才代の世帯でも神棚は在るという状況は変わることがないということ。 

    この事実は、日本全体の近年の神棚の保有率が減少傾向にある中で見落とされがち。
    (他の地域と同様にこの漁村でも神棚とともに仏壇も有る家もあると思われるが割合は不明)

    ◎漁村の神道ゆえの「奥津城」(おくつき=墓)
    前述のように漁村では”生きるための糧と命の守りのためという切実な願いは神様にすがる”ことになるから、自ずとこれは神道のカタチとなる。

    一般的には墓と呼ばれるものを神道では「奥津城」または「奥都城」(双方とも読みは「おくつき」)と称する。形式も一般的な(仏式の)墓とはやや異なり墓石にあたる石柱の頭頂部はやや四角錐のようにすることが多く、香炉が無く、線香無し、かわりにロウソク立てが有る。

    ・・・というわけで、漁村では奥津城という墓がたてられるようになる。

    「奥津城」と「奥都城」の使い分けには諸説あり・・
    A) 海、川、湖など水場に近い地域では「奥津城」。それ以外の地域では「奥都城」
    B) 神官や氏子だった人は「奥都城」。それ以外の一般人は「奥津城」
    C) 「奥津城」か「奥都城」かはこだわりなし

    なお、
    現在の奈良県明日香村では、仏教伝来以前の例えば古墳時代に造られた(今で言う)墓や陵墓のことを称して「奥津城」と称している。

    ◎五島列島に在る「奥津城」の例  
    私の亡父の出身地である長崎県の五島列島の中通島(なかどおりしま)の小串(こぐし)という地域は漁港があり、住民の多くは漁業従事者。海に向かって小高いが緩やかな傾斜地に大きな共同墓地があり、先祖はその墓地にある「奥津城」に眠っている。

    goto-map

    ↓小串港
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    ↓小串の共同墓地
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    ただしその石柱部には「祖先之奥津城」と刻んである。普通よく見る例の「○○家之墓」とは異なる。しかし基台部の石材には”蔦(つた)の紋”が彫ってあり、かろうじて我が家系の奥津城とわかる。

    日本全体では「○○家之奥津城」と刻んだもののほうが多い。

    ↓私の祖先の奥津城(左) / ○○家之奥津城の例(右)
    (「石の東栄」社のHPより)
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     漁村という特に神頼み必須の神道信仰の地であり、かつ言うまでもなく”水”関連の地だから「奥津城」という表記になるのはわかるが、なぜ”「○○家」ではなく「祖先」”なのかという疑問がわくが・・

    伝承によれば”事情により他の家系の死者も受け入れて合葬していたから”ともいわれるが、別の推論として”この奥津城を立てた時代にはこの辺境の漁村には苗字をもつ者が私の祖先も含めて殆どいなかったので○○家とはならなかったのではないか”とも考えられる。

    一般的な(仏式の)墓にも「先祖代々之墓」と刻まれたものを見かけることがあるが、これも同様な理由だろう。

    それでは「奥津城」という言葉と意味を誰が教えて使わせたのか? 当時の漁民自身とは考えられない。そこで登場するのが近くに居た知識人である僧侶や宮司・神官で、彼らは庶民に色々な苗字を(中には遊び心や奇異をてらった苗字もあったが)考えてあげることが日本全国で広く行われたことはよく知られている。

    その延長で建墓についても庶民から相談を受けた結果が現在の「○○家之墓」(仏式)対「○○家之奥津城」(神道式)の存在率の差。それは僧侶と宮司・神官の数の差の表れだろう。

    ちなみに、私の父は生前に「(故郷の五島の)小串に帰った際に会った坊さんから「奥津城」について否定的な説教をされてイヤな思いをした」と言っていた

    ・・ということを私は間接的に聞いたもので詳細不明なので想像するに、お坊さんは「死後の世界は仏教のほうが神道よりも良いから、故人のためにも宗旨替え?して墓も換えた方がよい」というようなことを言ったのではないか? それはお寺にとっても都合がよいのだろうから・・

    そう考えると、この小串という漁業の地であっても奥津城と称する墓が(よく確認できないが、周囲の墓を見渡したところ)稀な存在であろうことの理由は・・多くの家が本来の神道から宗旨替えさせられて仏式の墓にしてしまった・・のではないかと思える。
    ・・・・・・・・・・・・
    さて、先祖が奥津城に祀られている父だが、信仰心希薄で、自宅には神棚は無く、小さな仏壇らしきものはあったが父親(私からすれば祖父)の小さな写真が置いてあるだけで、線香をあげているのを私は見た記憶がない。

    しかし父がそうなったのには、中国大陸中心に7年間の過酷な戦場で”神も仏もあったものじゃない”という経験が作用していたように思える。

    私が小学校入学から就職までの期間に、学校に提出する家庭状況調査書類や就職用の履歴書には(現在では廃止されている)"信仰宗教記入欄"があったので、父に聞くと(信仰実体が無いものの)「浄土真宗にしておけ」と言われたものだった。

    それでも父は歳をとってからの一時期に、ある”願掛け”のために自宅から徒歩12,3分の長崎神社(昔、帝銀事件があった場所の隣に在る)へ1年ほど毎日お参りしていた。

    一方私の母方の祖父の自宅(東京)には神棚だけあって仏壇は無かった。それもそのはずで、祖父の出身は福岡県宗像市神湊(むなかたし・こうのみなと)であって、ここはユネスコの世界文化遺産にもなっている宗像大社(玄界灘に浮かぶ島に在る)に渡るための港ともされて「神湊」という地名が表しているように"神が近い"地であるから。
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    日本の大企業から個人商店などまで、職場内、ビル屋上あるいは工場敷地内など、そして剣道・柔道の道場、日本刀製作(刀鍛冶)現場、陶器焼成現場などでは神棚あるいは祠(ほこら=神をまつる小さなやしろ)が設けられることも多いが、仏壇は見られない。

    私が勤務していた会社の工場部門では敷地の一角に祠が建てられていて月に一度、幹部による参拝式が行われていましたが、会社全体では従業員が2万人以上いたので、勤務期間中に亡くなる人が年間で10人前後~数人になることで、会社の菩提寺と言えるようなあるお寺で年に一度「物故社員追悼法要」が行われていた。
    つまり、私が勤めた会社は、神にも仏にも頼っていた?

    まあ、多くの日本人が”赤ちゃんが生まれて1か月たてば神社に「お宮参り/初宮参り」して、亡くなればお寺のお世話になる”というような神仏へだたり無しの状態と同じか・・
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    今年5月、「とにかく可視化」という書名の本(新潮新書)が出版された。
    その新聞広告には、こうある・・「可視化するだけですべてうまく行く! 延々と続くムダなやり取り、長いだけの空疎な議論、決めても簡単に撤回、動き出しても停滞。多くの企業が抱えるモヤモヤを解決するシンプルかつ超実践的ノウハウ。」

    そこで”賢い人の可視こい?例”として思い出すのが・・

    ◎白洲次郎が描いた「ジープウェイ」図
    白洲次郎はご存知のようにGHQをして「従順ならざる只一人の日本人」と言わしめた人物。英国留学で鍛えた流暢なキングズイングリッシュで堂々と意見を述べた。

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    1946(昭和21)年のこと、新しい日本国憲法の草案内容はGHQによる一方的かつ性急な面が強いために日本政府が松本国務大臣名で作成していた「松本案」の再考を願う内容の書簡を出すことになり、その時点で終戦連絡事務局参与であった白洲が作成してGHQのホイットニー民生局長へ送った。

    その際に”日本側の松本案とGHQ案は目的(OBJECT)は同じであり、ただしそこに到達する手順が違って、松本案は日本の国情によって、あたかも山道をジープに乗って行く(JEEP WAY)がごとくであり、GHQ案は(途中の事情などかまわずに)一挙に到達しようとするものである”としてその主張を”まさに可視化“した手書きの図を添えた。「百”文”は一見にしかず」か! これが後に「THE JEEP WAY LETTER」と呼ばれるようになった。

    ↓白洲が書簡(1946年2月15日付)に添えて描いた図(外務省外交史料館蔵より)jeep-way

    書簡を受けたホイットニー民生局長は、白洲による説明図によって明確にされた日本政府の態度を激しく非難してGHQ案推進方針をより固めることになってしまったが・・

    結果は残念だったが、後年に「THE JEEP WAY LETTER」が知られるようになって、現在ではその図をプリントしたTシャツが(白洲夫妻の旧邸で今は資料館になっている)「武相荘」(東京都町田市)※で販売されている。綿100%、価格6600円、サイズ4種類でネット販売あり。

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの背面
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    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの前面
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    ◎南方熊楠の描いた「南方マンダラ」
    南方熊楠 (みなかた くまぐす:1867~1941年=明治元年の前年に生まれて太平洋戦争開始年に亡くなった)は、とくに植物学、微生物学、民俗学の分野で活躍(その他、粘菌の研究は有名)したが、世界の科学、宗教、哲学などにも造詣が深かった。それらの行為を支えていたのは抜群の記憶力や9か国語に精通した語学力だった。
    ↓南方熊楠
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    もう一つ” 熊楠の思索と行動にとって重要な役割をした”のが・・
    土宣法竜(とき ほうりゅう=1854~1922年)という真言宗の高僧であり、慶応義塾で西洋学問を修学してから宗教界に入り、非常に開けた視野と柔軟な思索の人。シカゴでの万国宗教大会に真言宗代表として出席したりロンドンやパリでも仏教関連の仕事をし、最終的に真言宗高野派管長となった。

    そのロンドン滞在時(1893=明治26年)に丁度現地で勉学中だった熊楠と出会った。13才年下で当時まだ20代の熊楠ではあったが既に「ネイチャー」誌に論文を発表して高評価を得ていたほどの知性にあふれていたので、二人は共鳴し合い、以後は1916(大正5)年頃までハイブラウな内容の書簡が大量にやりとりされた。

    ↓土宣法竜 師
    kumagusu

    西洋の科学や哲学においては物事の存在理由や現象の原因を追究するには、全体から細分へと分析対象を絞り込みながらその要素を抽出するという方法(従来一般に「還元主義」と呼ばれていたが最近は使われない傾向)がとられていたが、それでは真理をつかむには限界があると熊楠は気づいていたために、それに代わり得る方法を探り始めていた。

    そこで熊楠が着目したのが東洋の哲学、宗教であり、中でも曼荼羅(まんだら)に注目。それを知らされた土宣師は”曼荼羅を重用する真言宗の僧侶”でもあるので大いに熊楠を後押しした。

    ↓金剛界曼荼羅(左)  胎蔵界曼荼羅(右)
    2mandara

    曼荼羅は仏教の世界観を一般民衆でも理解できるようにと可視化したものだが、前述のように” 物事の存在理由や現象の原因”を可視化するのは難しいので、さすがの熊楠も10年を経てやっと一応のカタチを得たのが「南方マンダラ」と称されるもので、”一応”という訳は熊楠はこのマンダラ図を本当は立体を表すものにしたかったから”であり、しかも説明無しではこの図は理解できないから。

    ↓(いわゆる)「南方マンダラ」図 (河出文庫「南方マンダラ」より)
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    "知の巨人"である熊楠が長年考え抜いて導いた結果を可視化したこの「南方マンダラ」そのものと、その生成過程は難解で、浅学菲才の私のおぼろげなる解釈では"この世界の物や事は他との関係において生まれ、存在するものであって、その際の互いの関係の有様は多様(熊楠によれば図中のイ、ロ、ハなどそれぞれは異なる)であることを表している"のだろうと思いますが、詳しい説明内容に興味ある方は書籍「南方マンダラ」(中沢新一 責任編集・解題:河出文庫)に熊楠本人の説明(
    土宣法竜師宛の多数の書簡文中)と中沢氏の解説が掲載されているので参照下さい。 
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    「可視化」についての続編はまた後日に・・
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    先日5月7日、シンガー・ソングライターの長渕剛が「肺気胸」を発症して4週間の療養が必要と医師から診断を受けたと発表された。同じ症状は、5月2日にも男子ゴルフプレーヤーの星野陸也が発症してやはり4週間の療養を発表。その他、陸上短距離ランナーの山縣亮太も数年前に発症しているが、「肺気胸」とは・・

    ↓長渕剛(写真は「TBS NEWS DIG」より)
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    ◎「肺気胸」とは
    吸った空気によって肺の中の「肺のう胞」(はいのうほう)が風船のように膨らんでいる状態の際に何らかの力が加わって破裂して、漏れだした空気が、肺全体を覆っている胸膜との間に溜まり、その分、肺はしぼむ状態になることで、言い方を換えれば”胸の中に隙間ができる”状態。

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    (図は「FNNプライム オンライン」より引用に一部加工)

    自覚症状としては、急な胸痛、息切れ、呼吸しづらくなるなど。

    ◎「肺気胸」は2種類
    「自然気胸」 : 特に何もしないのに発症。一部には遺伝体質も影響。
    「突発性気胸」 : 過激な運動、急な動作、衝撃などで発症。

    ◎「肺気胸」になりやすい人は
    昔から言われているのは・・”10代後半から20代にかけての瘦せ型の人”、”女性より男性”
    その他(神奈川県立循環器呼吸器病センター・小倉高志所長によると)
    “60代以上の高齢者や喫煙者にも多い。怖い病気ではないが、再発する人も多い”

    なるほど、長渕は67才、星野は27才、山縣は26才のとき、そして後述しますが私も21才で、従弟も20才で発症していて、しかも皆 男です。

    ◎「肺気胸」治療法
    一般的には”肺のう胞が破れて出来た穴が自然に塞がるのを待つ”が、漏れた空気量が多くて胸膜と肺の間の隙間が大きい場合は「胸腔ドレナージ」と称する”胸表面からドレーン管(チューブ)を刺し入れて空気を抜く”方法がとられる。

    ◎私の「肺気胸」実体験記
    前述のように、私が21才の冬のある日、友人とキャッチボールをしようということになって、まず第1球目から思いっきり投げ始めて、その調子で10分ほどで終えたのですが、その時は体に何の異常もなかった。
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    しかしその帰りに、ある交差点の横断歩道を渡っている際に信号が赤に変わりそうになったので走ったその時、左側の胸の中で”ボック、ボック、ボック”という音がするので、これは何かおかしいと感じたものの、(その時の私の場合は)胸に痛みや息苦しさは全然なかった。

    帰宅後、家族からは「医者に診てもらったほうが良い」と言われ、翌日にかかりつけの医院に行き、診断の結果は「突発性気胸」。当医院では的確な判断と処置ができないので紹介状を書くから大きな病院に行くように言われて受診したのが・・

    中野病院(東京都中野区江古田。平成5年に他の病院と合体されて当地建物は撤去)で、ここは元々 結核治療がメインなのだが、とにかく私も診てもらった結果はやはり「気胸」(当時は「肺気胸」とは言っていなかった)だが、程度が軽いのでこのまま自然に肺のう胞の穴が塞がるのを待つことにされた。

    こうして、勿論過激な運動などせずに静かに過ごしているうちにいつのまにか(2~3か月後?)、飛び跳ねても胸の中で”ボック、ボック、”という音がしなくなったので、治ったのであろうと自己判断した。

    後から思えば、私の肺気胸発症は、冬で日頃 運動不足のところにウォーミングアップも無しに最初から思いっきり投球したのがいけなかったのではないだろうか。

    ◎調合された風邪薬を正しく飲まなかったので酷いめにあった!
    肺気胸発症時に私は風邪をひきかけていたので、咳が出て肺のう胞の穴が大きくなったりしてはまずいということで病院が調合した風邪薬(紙に包まれた粉薬)を処方された。

    私は後期高齢者になった今でこそ毎日10種類の薬を(命にかかわりそうなので)仕方なく飲んでいますが、本来は薬嫌いで当時は日頃 薬を飲むことがなかったために、病院特製の風邪薬をつい飲み忘れてしまった。

    しかし咳が出て肺気胸が悪化してはさすがにマズイと思い、飲み忘れに気づいたのが夜だったがその時点で風邪薬を飲んだ。それも二日続けて同じことをやってしまったが、これがイケナカッタ!

    二日目に薬を飲んだ10~20分後だったかに突然激しい胃痛が起こって、これがとんでもない痛さで、頭の中はただ”痛さだけがある世界“になって他のことは一切考えられない状態になってしまい、思わず掘りごたつ(当時6人家族だったこともありこたつはたたみ一畳分の大きさ)の床(通常、足を置く面)で暫く”のたうちまわっていた”。

    激痛が続く中で、一つだけ思ったのは「これは、腕をナイフで切るより痛い!」・・というほどだった。

    とりあえず常備の胃腸薬を飲み、ほとんど眠れぬままに翌日になり、かかりつけ医院で受診した結果は「急性胃カタル」。原因は” 食後服用”という”薬の服用指示”を守らなかったために”胃にダメージを与えた”結果とされた。

    ※私に与えられた風邪薬は特に強力な成分を調剤した粉薬だったが、普通の市販風邪薬でも胃を傷めるので食後服用は必須。(つまり、空腹時に服用は禁止!)

    医者の指示と処方された薬によって、胃痛はその後徐々に収まり、通常に近い状態にもどったが、完治したと言えるまでにはさらに5年を要した。・・と言うのは、好物のカレーライスを食べると胃痛と腹下しが起きるようになり、それが何とか起きなくなったのが5年ほど後だったから。

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    ウォーミングアップ大切 ! 風邪薬は絶対に食後すぐ服用すべし !
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    余談 : 肺気胸体験から10年ほど後に、スピードガンで投球速度を測れる機会があり、私は86キロだった。大谷翔平の投球速度165キロとはあまりにもかけはなれている! ところで私はうっかりしてウォーミングアップ無しで投げてしまい、「しまった」と思うとともにウォーミングアップしていたらもう少しスピードが出ていたはず・・とも思った次第。
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    ◎寛容の精神があれば騒音苦情は減る!
    以前に、騒音とそれに関する苦情の色々をご紹介した中で、除夜の鐘の音、盆踊り(祭)の音・声、”火の用心”巡回の声、子供たちの遊ぶ声などに対して一部の人から「うるさい」という苦情が出ている事例がありましたが・・
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    これらの音や声は人によっては、その人の体質、好み、体調などによって、不快に感じることがあることはわかる。

    しかし一部の人が不快に思うものの、ここにとりあげた事例というものは大多数の人たちが楽しみにし、願いや思いを込め、あるいは皆のためを思って行動することで生まれる音や声であり、年に一度の数時間あるいは数分のことであると言うことに思いをいたせば、ちょっと我慢すれば済むこととして、ここは一つ寛容の精神を発揮すれば苦情となることは抑えられるはず。

    確かに、昔には無かった種類の騒音苦情が出だしたことに対して識者たちからは「騒音に対して不寛容な人が増えている」という声は多い。

    「不寛容」とは・・(何故か私の古い広辞苑第二版には不記載なので)・・「寛容」をみると、「寛大で、よく人をゆるしいれること。咎めだてせぬこと」・・だから「不寛容」はその反対の意味・・別の辞書には「狭量」とあって分かりやすい。つまり「心が狭いこと」。

    「不寛容」は英語で「INTOLERANCE=イントレランス」。「寛容」は「TOLERANCE(トレランス)」。私が「イントレランス」という言葉を知ったのは、ある映画の題名からだった・・

    ◎映画「イントレランス」は映画史に残る傑作
    ちょっと話が飛んでしまいますが、「イントレランス(INTOLERANCE)」という映画があった。この作品は無声映画ながら世界の映画史上に重要な位置を占めると言われ、ストーリー・脚本のうまさ、壮大なスケール、撮影手法などが賞賛されている。米国で1916年(第一次世界大戦中で中立保っていた米国も翌1917年に参戦)に脚本と監督をD.W.グリフィスによって作られた。(日本公開は1919年=大正8年=終戦翌年のベルサイユ条約の年)

    この映画は、不寛容によって起きた悲惨・悲運な物語4編で構成され、それが上映時間3時間の中で各編が並行して進むカタチになっている。その4編とは・・

    ・「バビロン編」・・古代バビロンの滅亡
    ・「ユダヤ編」・・・キリストの処刑(磔刑)
    ・「中世編」・・・・・聖バーソロミューの虐殺(中世フランスの宗教戦争)
    ・「現代編」・・・・・ストライキで失業した青年と乙女の純愛

    ↓映画「イントレランス」の一場面
    (「YouTube 2001 macutio」より)
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    ※映画「イントレランス」に日本語字幕・BGMを付加した3時間弱のYouTube↓
    https://www.youtube.com/watch?v=IWlFLgZe6Gg

    ◎原節子がエッセイで不寛容な事例や終戦直後の日本人を嘆いていた!
    映画女優だった原節子(1920=大正9年~2015=平成27年)は小津安二郎監督作品に出演した際の役どころから”静かで控えめな”感じの人の印象が強いが、本人は”強い意志を持ち行動的な”役柄(黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」での大学教授の娘役などか?)を望んでいたと述懐し、(晩年は不明だが)たばこもよく吸っていたことは知られている。
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    石井妙子著「原節子の真実」(新潮文庫)表紙

    もともと学校教員になることを志望して高等女学校に進んだものの家庭の事情で中退して女優になっても、付き人は不要とし、自動車に乗らずに電車と徒歩で撮影所通いをして、電車内では庶民を観察しつつ読書することが多かったそうで、その資質と体験が書かせたであろう硬派的な内容のエッセイが氏の生前に発表されていたものの埋もれていたが死後に再発見された。それは・・

    「想苑」という季刊雑誌(発行=金文堂出版部=福岡県久留米市)の1946(昭和21)年の11月号に「手帳抄」という題名のエッセイで、文芸誌「新潮」の2017年1月号に再掲載された。
    その内容を、「宙 平」という方がネット上で紹介している部分を引用させていただくと・・

    「省線電車。ものすごい混雑。赤ん坊の泣き声と怒声罵声。ぼうとなるほどの人いきれ」そんな中で、突然生暖かい液体が膝から足首にかけて流れるのを感じた。押されて来た婦人の背の赤ん坊のーである。(当ブログ筆者注:省線とは戦前の鉄道省が管轄する国有鉄道線のことで、後の国鉄、現JR。私の祖父は戦後10年近くは「省線」という表現を使っていた)

    赤ん坊は激しく泣き出す。『やかましいぞッ!』 『泣かぬ子と替えてこいッ!』 『うるさいッ、降りろッ!』と、突然『黙れ!うるさければ貴様が降りろ。母親の身にもなってみよ。心で泣いてるぞ!』軍国調に云えば、その声は三軍を叱咤する烈々たる気迫に満ちてゐた。一瞬、車内はシーンと静まってしまった」。
     
    「二等車の中で。その列車が大阪に近づいてくると、一人の青年が座席のビロードの布をナイフで切り取って、自分の靴を磨き始めた。並んでかけてゐる若い女の人は、ただほほえんでゐるばかり」。

    「省線電車の中で。若い娘さんが座席にかけてゐた」その前に乳児を抱いて立っていた若い母親に「どうぞ、抱っこさせてください」と手を差し伸べた。すると隣りにかけていた紳士が『抱いてあげる親切があったら、席を譲り給え、君は若いンじゃないか』と怒鳴った。

    「娘さんは真っ赤になった。『では、お言葉に甘えまして。すみませんわねえ』若い母親はさも嬉しそうに乳児を娘さんに与えた。娘さんはホッとしたように若い母親を見上げてほほえんだ。紳士は『善』を知っていると云えよう。けれども『善』を行へないたぐいであろう」。
     
    「先ごろある会社で「ミス・ニッポン」を募集した。容貌容姿の美が条件の全部。勿論商業政策でしかない。本当は人間として申し分のない人を選ぶことは、金儲けにならないので一度も企画されたことがない。容貌容姿の美しさを主条件とするNO・1を選ぶといふことは、文化の水準を高めるいとなみとは云へない」。
     
    「敗戦前の日本人は、日本人自身をおめでたいほど高く評価していた。日本人は世界で最も優秀な民族であると考へ、自惚れていた。ところが敗戦は、その日本人をひどく自卑的にし、今ではあべこべに日本人は全くなってゐないという声が、はんらんしてゐる」「欠陥の多い日本そして日本人ではあるが、自卑してはいけないと思ふ、日本人はあくまで日本人である。めいめいがなんとかして一日も早くお互いに愉しく生きてゆけるように仕向けようではないかといふ心になって、手近な自分の周囲からその実現につとめなくてはいけないと思ふ。それが大きく結集してはじめて日本全体が住みよく明るい国として育って行くのだと思ふ。敗戦後わたしはいつもそんなことを考えずにゐられない険しい世相の中に生きながら、日本人の誰もが自分とこの祖国を正当に再認識してほしいと念ふのである。日本再建はそこからだとわたしは云ひたい」

    ◎現在もある”電車内赤ちゃん鳴き声”への不寛容実例!
    先日、新聞紙上だったかネット上だったかで、こんな記事が載っていた。
    「新幹線(?)の中のある座席の女性が抱いていた赤ちゃんが泣いては一時泣き止むという状態をくりかえしていたが、その後ろの座席の若い女性が、赤ちゃんが泣き始めるたびに前の座席の背を足で蹴っている姿が周囲の乗客によって目撃されていた」 

    また2017年のネット上に載った話は・・やはり新幹線、ただしグリーン車での出来事を見た人からの情報。
    「新幹線に乗っていると 赤ちゃんを連れた女性が乗ってきました。 赤ちゃんが泣き始めると 女性は急いでデッキへ行き 赤ちゃんを泣き止ませました。 その女性が車両に戻って来ると 近くの男性が せっかく高い金を出してグリーン車に乗っているのに うるさい と 怒った様に言いました。 そこから女性は ずっと立ちっぱなしで デッキにいました。 私が泣き声は気にしませんので 席へ戻るよう言っても 男性が怖いと言ってデッキにいました。 私も妊娠しており あんな事言われたらどうしよう… と 思いました。 男性が怒るのは当然ですか? また注意されたら ずっとデッキにいるべきですか?」

    ◎ドイツには”子供の活動に寛容な条例”がある
    『日本に限らず、かつて、子どもの声や音をめぐる訴訟が相次いだドイツは、法改正で「子どもの声は騒音ではない」と定めた。
    ドイツの法律に詳しい近畿大法学部の石上敬子准教授によると、ドイツでは2011年に連邦法が改正され、子どもの声が騒音規制の対象外になった。14歳未満の児童保育施設や遊戯施設で子どもや世話にあたる大人が発する音声を、「原則として有害な環境作用ではない」と定義。「子どもにやさしい社会」をめざす立法メッセージを示すことが、立法趣旨に掲げられた。

    日本では、東京都が2015年に騒音の規制対象から未就学児の声を外す条例改正をしているが、国レベルとして国会ては、”騒音とは何か“という定義が必要になるなど、法制化の課題は多いのでまだ法制化は検討していない・・という状態。』(『』内は一部「朝日新聞デジタル」より)

    ◎映画「もぐら横丁」の中の“ラジオ騒音”顛末!
    「もぐら横丁」は小説家の尾崎一雄夫婦とその周囲の人々の実生活を基にした映画で監督は清水宏、主演は佐野周二と島崎雪子で1953(昭和28)年公開。

    その中で、日頃近所から聞こえてくるラジオの音が大きすぎて仕事にならないと夫が嘆くので、妻は勇んでその家に出向いて大声で文句を言ったのだが、後日、中風で動けなくなった年寄りの唯一の楽しみがラジオだった(年寄りだから耳が遠いので音量を上げざるをえない)ことを知って、怒鳴って悪いことをしたと思い謝りに行こうとする夫婦であった・・これも寛容精神の現れを描いている。
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    ・・・・・・・・・・・・・
    今回の内容に関連して、人生訓?の一つを思い出します・・

    「子供𠮟るな 来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ」
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    先日、JR東日本が京葉線(蘇我~東京)の混雑緩和のためと称して、これまで走らせていた「快速」29本と朝の通勤ラッシュ時の「通勤快速」4本を廃止したダイヤに変更した結果、快速2本を残して、ほとんどが各駅停車になってしまうことになり、利用者や沿線自治体の猛反発と抗議の声がまだ続いている。
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    京葉線車両(「週刊東洋経済web版」より)

    確かに京葉線の朝の”上り”は電車が東京駅に近くなるほど相当に混むことが難点だった。しかし私の知る京葉線の乗客過密度は”昔に私が経験したレベル”に比べれば緩やかなもの。

    かつて東京都豊島区に住んでいた私は文京区にある高校に通うために西武池袋線の東長崎~池袋の間と山手線の池袋~巣鴨の間を利用していた時期、それは今から60年くらい前のことになるが、両線とも電車内過密状態は酷かったので、その状況をご紹介すると・・

    ◎肋骨(アバラ骨)折れそうになるほどの”人圧”の凄さ!
    高校通学のある日の朝、西武池袋線の東長崎駅から二駅先の終点・池袋行きの電車に乗ろうとしたが、いつもの超満員がこの日は特に超々満員状態なので乗車口の”人のかたまり”に向けて、私は1メートルくらい離れた所から勢いをつけて体当たりすると同時に背を反転して、乗車口の上枠にかけた手と床に踏み入れた脚で体を突っ張りながら尻で押し入ってなんとか乗り込めたが・・

    閉まったドアの内側に胸がピタリと付いた体勢(まるで胸部レントゲン撮影時のよう)で、背中側からは強力な”人圧“に押されて全く動けないまま(次駅では反対側ドアが開くので)終点の池袋までの約6分間をその状態で我慢するハメになってしまった。

    ところが電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が驚異的と言うよりも脅威的に増大して、私の胸は硬いドアにさらに押し付けられて(胸囲的圧迫?)肋骨が折れてしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、とにかく池袋駅に到着して電車を降りて危機的状況から開放されたのだが・・


    “胸部の痛み”はその後数時間、その日の午前中いっぱいまでは続いた。
    電車内での胸部圧迫はたった2~3分間だったにもかかわらず、その後の痛みが数時間ということは、車内人圧がいかに凄かったかがお分かりでしょう。
     
    ◎肋骨折れそうになるほどの”人圧”発生原因解明!
    前述のように 電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が脅威的に増大した事態の原因が、なんとこの文章を綴る直前に判明した(ので私事ながらスッキリした気分になった)次第。・・それは・・

    私が池袋行き西武池袋線の「東長崎」駅で(進行方向の)右側ドアから乗り込んだものの人圧で胸部がドアに圧接⇒次駅の「椎名町」駅では左側ドアが開閉して私は胸部圧接のまま⇒次駅の終点「池袋」までの距離の2/3ほど進行した地点で左に90度以上に曲がるカーブが在り、そこで車内の”人のかたまり”は大きな遠心力によって右側に偏るために、右側端に居る私は”さらなる圧迫”を受けたのだった!下図参照ください!
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    私が勝手に「魔の90度カーブ」と呼ぶその場所は、中学生時代に社会科の先生から「あのカーブでは昔、人が振り落とされることがあった」と教えられてもいた。終戦直後の日本中の列車にはデッキや窓枠に車外からしがみついている人が多い写真をよく見るが、そんな時代の話なのだろうか?そんなわけで電車がここにさしかかると当然のように減速はしているのだが、それでも私は本当に痛い目にあったもの。

    その他にも我が人生で最も過密な電車に乗った時期(60年前頃)に経験したいくつかの事例を紹介します。

    ◎超過密はある面で楽?
    電車内では特に乗降口付近がぎゅうぎゅうな状態になり、乗客どうしの身体が密着するので、つり革など持たず、脚を踏ん張らなくても体が揺れたり倒れたりすることがないし、軽い鞄などは手で持たなくても”人と人の間で”宙に浮かせることができた。現在のような中途半端な混雑状態ではこうはならない。

    ◎電車の窓ガラスが人圧で割れることたびたび!!
    私が通学に利用した山手線の池袋~巣鴨の間でも電車内過密状態は酷く、”超満員の人の圧力で(ドア付近の)ガラスがパリンという音とともに割れる音が頻繁に聞こえた”・・ガラスが割れたのを見ることなど人のかたまりにさえぎられて到底できず音で知るしかなかったというわけです。(電車用のガラスの強度は今昔で若干の差があったかも知れないとしてもやはり人圧はすごかった)

    ◎私は口紅を付けられた!
    ある日のこと、ぎゅうぎゅう詰めで身動きはできない状態で、何か人の顔が私の学生服の後ろ肩に触れたようなので気になって後で見てみたら”みごとに口紅の跡が付いていた”ということがあった。黒地にピンクは目立つのに駅から学校までの徒歩15分の間に級友に気が付かれなかったようで助かった。

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    大昔と違ってその当時はすでに「おちない口紅」(実際は”おちにくい”)が普及していたのだが・・

    ◎目的駅で降りられぬ人も多かった
    電車の乗降口付近はどうしても人が過密になるので、車掌によるアナウンスの「入り口付近より中にお進みください」に従っていたら、自分が降りようとする駅に着いても人のかたまりに邪魔されて降車失敗する。当時「降りまーす、降りまーす」という声はしょっちゅう聞かれたが、望み通りに降りることができない人も多かった。このような状態を知った人たちが目的駅での降車失敗をさけるために、電車乗降口付近に留まるためますます過密になる悪循環は続いた。

    ◎「尻押し部隊」活躍
    満員電車に乗り込むのに苦労している人の体を車内に押し込む作業をする「尻押し部隊」(俗称で他にも呼び名あり)は1955(昭和30)年に旧国鉄(現JR)新宿駅で初登場。その後乗降客の多い駅に普及して、私も押された経験は何度かありますが、実際は”尻を押すわけにはいかない”ので背中を押すもので、その他に、閉まりかけたドアからはみ出たバッグや服も押し込む役目もある。これを行うのは駅員の他に学生アルバイトも多いらしい。

    ◎痴漢の冤罪さけるために両手を上げる人いるが・・
    痴漢の疑いをかけられることを避けるために、自分の両手の指先があごのあたりにくるように、よく医療モノの映画やドラマで執刀医が手術直前にする”手上げ?”と同じような格好をする人がたまにいるが、
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    この行為は超過密状態ではむしろできない。なぜなら自分の手さえ動かせないし、無理に動かそうとするとその動きが疑われることになる。むしろその行為による”曲げた肘”が他人に当たって痛みを与えてしまうから迷惑行為になってしまう・・というわけで、この”手上げ”行為が可能な状態というのは”手が自由に動かせる程度の混雑時”となる。

    ◎昔のような乗客超過密な電車が無くなった理由は?
    ・鉄道路線が増えた
    特に東京圏では地下鉄網が増大して、1960年代末時点では銀座線、丸ノ内線、荻窪線(後の丸ノ内線の一部)、日比谷線、都営地下鉄浅草線が存在していたが、その後に増えたのが東西線、千代田線、有楽町線、南北線、半蔵門線、副都心線、都営三田線、都営新宿線、都営大江戸線。
    地下鉄以外ではJR埼京線、JR京葉線、都営舎人ライナー などが増えた。

    一方で路面電車の都電は1972年に荒川線を除いて全て廃止されたが、乗員輸送力への影響は少なかった?。

    ・その他、通勤・通学客自体が減少した要因としては・・オフィスや工場の郊外や地方への移転、フレックスタイム制導入増加、リモートワーク増加、少子化による学生の通学者減少などがあげられている。
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    悲話 : これもおよそ60年前のこと、通学のために前出の西武池袋線「東長崎」駅で、ホームに到着した池袋行き電車の先頭車両に乗り込もうとしたら、とんでもなく乗客過密で、いつものように力任せにわが身を突進させても”人のかたまり(これも「団塊」と言えようか?)”に跳ね返されてどうしても乗車は無理とあきらめた瞬間、ふと見ると車内になんと高校のクラスメートしかも日頃ちょっと気になる女子がいて顔が合ってしまった、と言うより私が乗車失敗する様子を見ていたようで、恥ずかしいやら悲しいやらの思いを抱きながら一本後の電車になんとか乗れたのでありました。ちなみに彼女は7つ前の駅から乗車していたので比較的楽に乗車できていたのだった。

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    ※参考
    ↓写真は京葉線の始発駅「蘇我」で発車直前の各駅停車用の車内で、ダイヤ改正後間もない4月3日(平日)午前6時45分頃に私が撮影したもの。その後終着駅「東京」近くになっても(十分に通勤ラッシュ時間帯になっているが)混雑度は、かつての私の経験に比べれば「大したことはないレベル」。ただしそれがダイヤ改変の影響なのかは分かりませんが・・
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    ◎冬の我が家にゴキブリ出現
    ゴキブリは冬には見かけないものだが、今年2月の初め、一年の内で最も寒い時期なのに我が家の廊下を這っているゴキブリ発見!
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    (大日本除虫菊(株)のHPより)

    さすがにヨタヨタと歩いている感じだったので、難なく捕まえて処分しましたが、私が千葉県のこの地に住み始めてから43年の間、冬にゴキブリ出たのは初めてで、やはり特に今季は暖冬だからと妙に納得した次第。

    そう言えばこの冬(3月初旬までのところ)には庭の小さな池には薄い氷がたった2回しか張っていない。例年なら一冬に10回は凍っている。寒冷地で天然氷を作っている所や天然アイススケート場では今年うまく氷が出来ずに困っているニュースが流れた。

    思えば、今から70年くらい前のこと、私がかつて住んでいた東京の豊島区のある池でさえ”大人が乗っても割れなかったほどの厚い氷”が張っていたし、20センチくらいの氷柱(つらら)も度々出来ていたことからすれば気候温暖化が進んだと感じます。

    ◎”生きた化石”と言われるゴキブリ
    シーラカンスやイチョウばかりでなくゴキブリも”生きた化石”と言われるゆえんは、地球上に現れたのが3億年前と言われ、6600万年前に(現在のメキシコのユカタン半島あたりに)小惑星(あるいは巨大隕石とも言われる)が衝突した結果、舞い上がった塵や発生したガスなどが地球を覆ったために太陽光がさえぎられて寒冷化し恐竜たちが絶滅しても、ほんの一部の小動物とともにゴキブリは生き延びてきたから。
    現在、ゴキブリは世界中に4000種あり、日本には40種。その内でも私がよく見かけるのは、クロゴキブリとチャバネゴキブリで、冒頭に登場した冬の我が家に出たのは前者。
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    (大日本除虫菊(株)のHPより)

    ◎頑強かと言えばそうでもないゴキブリ
    我々の認識では、ゴキブリは暖かな季節に活動が活発になるし、事実20~32度Cが適温であるそうだが、それより高温になると致命的になり、35度でダウンして42度になると体内の蛋白質が固まって死んでしまう。そう言えば高温では蚊も活動しなくなるところは似ているか?
    またゴキブリは乾燥も苦手。ゆえに水分を求めるから水気の多いキッチンに出没することも多い。

    ◎ゴキブリは飛ぶ !
    普通は這いまわる姿しか見ないゴキブリですが、私が中学生の夏のこと、2階の部屋で窓を開けて勉強していたところ、突然黒っぽい何かが窓の外から飛び込んで来てノートだったかに止まったので、驚いて見てみたら大きいゴキブリだった。それをどう処理したかは記憶にないが、とにかくゴキブリというものは飛ぶものでもあると知った次第。

    ・・ということは・・(我が家とはちがう)立派な高気密の邸宅であっても、窓を開けていればゴキブリが飛んで侵入することもあるということで、私の経験では、ある大きなホテルの”窓が開閉できる客室”の床を這っていたのは”飛んできた”ゴキブリだったのではないかと思われることがありました。

    ◎ゴキブリを私の弟は昆虫標本にしていた !
    ゴキブリは脚が6本あり確かに昆虫なので、昆虫採集に夢中になっていた”私の弟“が小学5,6年だったかの夏休みにたまたま捕まえたゴキブリを他の蝶々やカナブンと一緒に昆虫標本にしていた。

    ◎ゴキブリは病原菌の運び屋と知られて触られなくなった!
    1960年代後半(だったか)になると、まず「ゴキブリは小児マヒ(現在で言うポリオ)の原因となるウイルスを持っている」という警告的な情報がマスコミから流れるようになって、それからはゴキブリはさわってはいけない存在になったので、前述のような” ゴキブリを手で触りながら昆虫標本にする”ことはできなくなった。

    元々、暗くじめじめしてしかも栄養豊富な下水道などを好んで多く棲むゴキブリは、ポリオだけでなく多くの病原菌・ウイルス(サルモネラ菌、赤痢菌、黄色ブドウ球菌、O157など)を身に着けて這いまわることが、その後に発表されるようになってますます触れなくなった。おまけにゴキブリの糞にも含まれるそうなので、これも注意が必要。

    ◎ゴキブリは耳の穴にも入り込む!
    暗く狭く暖かい耳の穴はゴキブリには絶好の棲みかとなるようで、ゴキブリが入り込む症例?が日本だけではなく世界中でゴキブリの生息地であれば発生しているそうです。

    その場合のゴキブリはまだ小さい子供が多いのでしょうが、小型種の大人もいることは間違いなく、何故ならば”耳穴”に卵を産み付けられた例もあるからです。

    実は耳穴に入り込む虫はゴキブリだけでなく、他にクモ、蚊、ハエ、ダニ、ムカデなどがあり、これらをまとめて医学用語では「外耳道有生異物」と言うそうです。当然のようにこれらは耳穴のみならず鼻穴、口中などにも入ることがある。

    ◎キッチンのゴキブリは液体洗剤で・・
    食器や食材があるキッチンでゴキブリを見つけた場合、薬剤をスプレーするわけにはいかないので、私はキッチン用液体洗剤をゴキブリめがけてピュっとかけると、一瞬で絶命?するのか動かなくなるので安全に処理できます。

    調べたらゴキブリは腹にある気門で呼吸していて、これが液体洗剤などで塞がれるとダウンすることがわかりました。

    ただし最近のキッチン用液体洗剤は濃縮タイプなのでゴキブリ退治用に使うのはもったいないので薄めた液を用意したいところ。

    ◎家電メーカーはゴキブリ対策に苦慮 !
    暖かくて水分がある状態になる電気製品は特にゴキブリ対策に悩まされる。
    食器乾燥機は温熱部位があり、しかも水滴受け容器があり、また食器が完全に乾くまでは水分も存在するという”ゴキブリにとっては快適な機器”となるので、ゴキブリの侵入や棲みつくのを防ぐ設計に苦労する。
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    そのため、某電機メーカーの製品設計者は”ゴキブリ100万匹を飼育して生態などを研究している”ことで有名な「アース製薬の赤穂研究所」に出向いて教えを乞うて”電気製品へのゴキブリ侵入防止対策”を練ったと言う。具体的には機器の放熱孔、通気孔などの形状や位置の適切な設計などに応用されている。

    その他、エアコンの本体の中にゴキブリ侵入の例も多く、その侵入経路には屋外にのびるドレンホースの先端からのことが多く、特にその先端が地面に着いている場合が多いとのこと。

    ◎ラテン音楽の「ラ・クカラーチャ」はゴキブリの歌 !
    「クカラーチャ」とはスペイン語で「ゴキブリ」のこと。(「ラ=la」はスペイン語で女性名詞単数の前に付く定冠詞で、英語では「the」に当たるもの)

    「ラ・クカラーチャ」は元歌がメキシコ民謡で作曲者は不明。同じ題名、メロディでも歌詞が異なるいくつもの歌が存在していて、その中の一つとして”ラテンアメリカ最初の民主革命と言われるメキシコ革命が1910年から約20年間続いた中で活躍した一人であるビリャが率いる軍隊の中で歌われたもの”があり、その歌の中の歌詞では自分たちをゴキブリに例えている。
    →「ラ・クカラーチャ」=https://www.youtube.com/watch?v=fCR-xDOwlZY

    この歌、日本では「車にゆられて」という曲名がつけられて歌詞は牧場の仕事の様子を表したような内容となり、「ラクカラーチャ」という言葉は単なる合いの手・掛声的に挿入されたカタチで1963年にNHK「みんなの歌」として流されてから以降、一部の学校でも歌われるようになっているそうです。

    ところで「クカラーチャ」は英語では「コックローチ」なので、その語感からして互いに関係した言葉ということがわかりますが、こういうケースでは双方ともが、ある一つのラテン語から出ている場合も多いものの、もしもラテン語由来ではないとすれば、私は英語の「コックローチ」が中南米に到ってからなまって「クカラーチャ」になったと考えていたところ、実態はその逆で、「クカラーチャ」が英語圏に到って「コックローチ」になったとのこと。

    ちなみに私事ながら、私が英語の「コックローチ」という単語を覚えたのは、1977(昭和52)年に大日本除虫菊株式会社から「金鳥コックローチS」というゴキブリ用殺虫剤スプレーが発売されたからでした。(現在は「金鳥コックローチ ゴキブリがいなくなるスプレー」という名の商品になっている)
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    前々回、前回と騒音について綴りましたが、実は私自身が”気づかぬうちに騒音源となっていた”ことがありました。それは・・
    ◎スピーカーからの音楽で隣から怒鳴り込まれた! 
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    私が勤務地の大阪でアパート※暮らしを始めた1970年代初め、その自宅で聴くレコードなどの音楽の音量には気をつけていたつもりだったのですが、ある日の夜7時頃のこと お隣のご主人が「うるさい」と言って怒鳴り込んできました。

    つまり、私は隣宅の人にとっては騒音となる音を出していたわけですが、なぜこんな事態になったのかを考えてみたら、複合要因があったのです。 それは・・

    (1) 隣宅との境が防音・遮音性が十分でない塗り壁1枚では”お隣は隣室と同じようなもの”という認識が私には無かった。

    (2)(上記と密接に関連しますが)私はそれ以前には戸建て住宅にしか住んだことがなかったので、集合住宅の”音の問題”を知らずに、戸建てで聴いていた音量基準では大きすぎた。

    (3)夏だったので(2階角部屋の)窓という窓を全て開放した上で扇風機を最大風量にしていたために、聴いている音楽が風音でかき消され気味だったので、従来よりも音量を少し大きくしてしまっていた。

    (4)隣宅のご主人の職業がタクシーの運転手なので、勤務時間の関係で睡眠時間帯が一般とはちがっていることがあって”私が出していた音が聞こえて眠れないことが多々ある”ということを後で奥さんから聞いた。
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    ※当時私が住んだアパートは関西独特の呼び名である「文化住宅」という種類の集合住宅で、1950年代から出現した木造モルタル(多くは2階建て)造りで各戸ごとに台所とトイレがついている形態だった。

    ◎いびきがうるさいから(無言で)座席背もたれを後ろから蹴られた!
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    右写真はYahoo newsより引用)

    私が50才代なかばのある日に、出張で新幹線に乗って東京から大阪に向かう途中、いつものように眠っていたら突然座席背もたれの後ろからガーンと強く(たぶん)蹴られて目が覚めた。

    とっさに私は自分のイビキがうるさかったからと理解した。そう判断する材料となる事態が過去にも新幹線内であったからで、その際は新大阪から乗り、東京に列車が到着すると横に座っていた高齢男性に「イビキがうるさくてたまらなかったよ」と文句を言われたのだった。いずれも私のイビキは騒音レベルだったようです。

    その他にも通勤電車の中で眠っていて隣の人から私の脇を小突かれたり、腕にギューっと圧力を加えられることがあったのは、その当時は”何でそんなことをされるのか”に鈍感だったものですが、それは私のイビキがうるさかったからだったということに後年にやっと気が付いたのでした。

    ※その後、私は自分のイビキ解消または抑制する方法を体得して、騒音問題ほぼ解決したのですが、長くなるので詳細は後述します。

    ◎いかなる音も騒音になる可能性がある!
    条件の違いによってあるいは人によって、ある音が騒音になったりならなかったりするもので、それは大音量はもちろん、小さな音量でも起こります。

    (1)ある音や音楽を騒音と感じる人と感じない人がいる

    A)生理的に好・嫌が分かれる例
    ・前回にもとりあげた”風鈴の音”が好例。
    ・昔、私の弟がレコードで”グレゴリオ聖歌”を好んでよく聴いていたが、祖母は「ご詠歌みたいだからやめてちょうだい」と苦情を言っていた。
    グレゴリオ聖歌の例:https://www.youtube.com/watch?v=fKLxgRH95Ns

    B)“コーホート”(ある年代の社会を経験しているある世代集団)によって好・嫌が分かれる例
    ・近所の公園や通路で遊ぶ子供の声・・近年に生まれた世代と比べると3.5倍も仲間の人数が多かった団塊の世代(出生数比較:1949年=269万人/2023年=76万人) が育った時代は公園、広場や路地で遊ぶ子の数は今の時代より当然多かったし、比例して騒ぐ声も多かった。
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    (団塊世代直前の世代である私が通った小学校(東京・豊島区)さえも1学級に児童平均60人、それが6学級あり1学年で計360人だったが、他の地域ではもっと多い児童数の学校があった)

    そのように、子供仲間が騒ぐ声が聞こえるということが日常であった団塊の世代やそれに近い世代は、その後近年に至るまで”子供が近所で騒ぐ声”をうるさいと感じる人が少ないどころか私のように”むしろ、子供のさわぐ声が聞こえなくなったら寂しいくらいで、さらにこれは少子化問題深刻、日本消滅へ向かう”ことの表われであると感じるから、その意味でも”子供の声歓迎”と思う人も少なからずいるのでは?

    C)喧噪の環境で育ったか否か(田舎?)
    都会のような喧騒に包まれ、あるいは慣れ親しんで育った人たちにとってそれは騒音とは感じなくても、静かな環境で育った人には騒音と感じることが多いもの。

    逆に、都会育ちの人は、里山で田んぼの蛙の合唱がうるさいとか池のウシガエルのボオ・ボオ・ボオという合唱がうるさい。その他セミの声も・・ということでこれが騒音に感じる例がある。

    蛇足ながら、一般常識では騒音なのに私はそれをむしろ快音と感じていたのが・・東京の昔の新宿の街の喧騒の中でも、道ゆく人の頭上から有線放送の声がふりそそいでいっそう賑やかさを増していた”音の風景”でした。‥その有線放送から流れていた(映画館の上映案内の)ナレーションの出だし部分の
    「ブリット、ブリット、スティーブマックイーン主演の・・」がなぜか記憶に残っている。(「ブリット」:1968年公開の米国映画)
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    この新宿の街の有線放送が今でもあることが先日のテレビで知ることができました。・・それは最近「鳥貴族」という名の有名な焼鳥居酒屋チェーン店の新宿店の類似店が”客引き人”を使って客をだまして誘導する悪行が発覚したことをうけて、有線放送で注意を呼び掛ける音声が流れていたから。

    (2)同じ人の中で、その時の精神的や肉体的状態によって騒音にも非騒音にもなる
    A)好きな音楽が場合によって逆に騒音(的)に聴こえる例
    小説家などが執筆作業する際に、静寂な環境の中でよりもそこそこざわついている喫茶店でのほうが効率が上がるという人も少なからずいますが、それと同様な目的で何か音楽を聴きながら作業する人の中には、自分好みのジャンルの音楽が聞こえてくると、そちらにも意識が行ってしまい邪魔になるから、それは一種の騒音になってしまうものなので逆に嫌いなジャンルの音楽が聞こえていたほうが意識に入らないから好ましいことになるそうだ。

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    B)病気の時、イライラしている時、受験勉強などで難問を解いている時などは、通常は普通に聞く音楽や話し声が騒音化するもの
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    ・・昔、隣家の高校生の息子さんが、普段は温和なのだが、ある時に2階の(たぶん勉強部屋の)窓から、道を歩きながら会話している小学生数人のグループに向かって「うるさい!」と珍しく怒鳴っていたことがありました。

    (3)時間帯によって(地域によって)騒音化する例
    ・横断用信号音の音
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    横断中に鳴るピヨピヨなどの音を出すタイプの信号は正式には音響信号機と言い、主に視覚障がい者に便利なように、メロディ(「通りゃんせ」や「夕焼け小焼け」など)または擬音(「ピヨ」や「カッコー」)の音で横断歩道が青信号状態を知らせるものだが・・

    その音が都会の喧騒の中で鳴るのは問題ないが、住宅地では昼間はほぼ問題ないものの夜間では音が周囲の音環境の中では相対的には大きく感じてしまうことになる。

    しかもこの音響信号機が採用され始めた当初は「メロディ式」でしかも誰でもが知っている曲なので、住宅地などで少しでも聞こえるとどうしてもメロディと歌詞をアタマの中で追ってしまうので、その近辺の住民にとっては”夜間の騒音化”してしまう事態が起きていたので苦情も少なからず出ていた。

    ・・ということで現在は新規設置するものはすべて「擬音式」になっていて「メロディ式」は全国で2%しか残っていない。

    騒音苦情が出たある地域では夜間には音響信号機を停止したところ、ある夜に視覚障がい者がクルマにはねられてしまったという弊害も起こっている。そこは夜間でも昼間より音量を下げた擬音タイプの音を出すべきでしょう。

    (4)タブー音も騒音のうち
    騒音イコール望まれない音であるという解釈からすれば、音の大小に関係なく”嫌われる音”は騒音。

    A)”夜の口笛”・・昔から夜に口笛を吹くと「蛇が出る」、「人さらいが来る」、「泥棒が入る」などと言われて、その行為はしてはいけないという言い伝えがあり、(その理由はここでは省略しますが)とにかくこれを信じる人たちにとっては”夜の口笛が騒音”になる。

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    松竹DVDより

    B)”音のマナー違反”・・食事の際の”皿とカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーンなど)が当たる音”、”咀嚼音”、”ゲップ音”そして外国人にとっては”麺類をすする音(これを最近では「ヌーハラ」と言うそうです)” などは一種の騒音となる。
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    私の場合の”イビキ解消法”・・まずこれは多くの人に共通することですが、普通に寝る場合は横向きに寝るのが原則。仰向けではイビキを書きやすくなると同時に睡眠中に唾液が気管に流れ込んで誤嚥性肺炎になる危険もある。

    そしてイビキ解消法は・・”眠る際は下あごを上あごより前に出す”こと言い換えれば下側の歯列が上側の歯列よりも前にせり出た状態にすること。
    これによって眠っている際の気道が塞がれないようになってイビキが発生しない(しにくい)ことになる。
    このあごの前後関係を維持するのは最初は努力が必要だが、日中でも意識的に”下あごを前に”をこころがければ、そのうちにほぼ無意識にもできるようになり、この状態は入眠後も保てるよう(ここは確信できませんが)です。

    この方法が顕著な効果を示すのが、乗り物(電車、新幹線、バスなど)に乗って眠る際やソファに座って居眠りする際で、もうイビキをかかなくなります。(この効果を出すためにもう一つ必要な事は太っていないことです)

    “下あご前出し”状態維持がどうしてもできない方は病院で”(睡眠時無呼吸防止用)マウスピース”を作ってもらうのがよいでしょう。(マウスピースそのものの製作代は3割負担で1万5千円程度)
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    騒音関連のお話 次回にも続けます
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    前回、最近の日本での騒音苦情の事例をあげてみましたが、冬ならではの例、その他の例を追加紹介します。
    ◎「雪かきの音がうるさい」・・という苦情
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    その音とは「ゴーリ、ゴーリ」というような音であり、雪かきをする際に金属またはプラスチックのスコップ(シャベル)やスノウダンプ(上イラスト右側)が地面(最近はたいていアスファルト舗装面)に擦れて必ず発生する音。

    勿論、降雪が多い地域では必要な作業なのですが、”深夜または早朝の雪かき音による安眠妨害”への苦情が非常に多い。

    具体的には、”深夜2時、3時”や”早朝5時”の雪かき作業を平均30分くらい続けるのでその音で眠っていられないという声が多発。

    中には、深夜にエンジン式の家庭用除雪機※を使う人もいて大迷惑だが、豪雪地域では自治体が大型除雪車を深夜でも稼働させることがあり、これは各家庭前の道路をサーっと通り過ぎるので苦情は出ないそうだ。 ※電動の静音タイプ除雪機は販売されているのだが・・

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    北海道の河西郡芽室町では公害防止条例で「夜間(22時~6時)にあっては付近の静穏を害する行為をしてはならない」と定めているため、これをもって違反者を出さないようにしている。

    ◎「『火の用心』の見回りの掛け声がうるさい」という苦情
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    昔から全国的に行われてきたカタチは、夜間に数人が一団となって「火の用心(ひのよーじん)」と大声を出し、拍子木をカッチ、カッチと打ち鳴らすことを繰り返しながら地域を歩き回る・・というもので主に空気が乾燥しかつ暖房などで火を使うことが多い冬の期間中に行われるもの。

    私がかつて暮らした東京都豊島区の町では、昭和20~40年代(その後は知りませんが)には「火の用心! マッチ一本火事のもと!」と言っていた。またその一団は大人一人が付いた子供数人で構成していた。
    しかし現在はこの”火の用心巡回”を行う地域が減っているそうで、その理由は・・子供が減った社会では寒い中での高齢者が行う訳にもいかないこと。巡回担当が持ち回り義務になっている地域ではその負担への不満充満。
    そして”火の用心巡回”の掛声がうるさいという苦情も多いこと。

    ・・というわけで長年の慣習を廃止する地域が多いものの、超高齢社会の最近では住宅火災で焼死するお年寄りのなんと多いことか。むしろ東京都の東部の住宅密集かつ道幅が狭く消防車到達困難地域では”火の用心巡回”を消滅させてはならないという意識が若年・壮年にも強い。

    この巡回にはもう一つ同時に、不審火・不審者防止という効果があることも見逃せない。

    次善の策として”声は出さずに拍子木だけ叩いてまわる” “消防団員のボランティアが実行” “(私の住む地域では冬季のみに)消防車が鐘(電子音)を「カン、カーン」と5秒ごとに鳴らしながら巡回”などで対応している。
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    その他、生活音の範疇に入るもので騒音苦情として多いのは・・

    ◎飼い犬の吠え声
    inuhoe
    犬の吠える単発の声(ワンと一声くらい)には我慢できても、連続して吠える、年がら年中吠える声は万人がうるさいと思うもので、それも屋外の犬小屋で飼っている犬の場合は酷くなり、これを飼い主が放置しておけば隣近所から苦情が出ること必至。

    私の近所では、犬の吠え声への苦情が原因で2軒の間が絶交していました。(その後、犬の家は転居) また、昔に私の祖父の家の犬小屋で飼っていたほとんど吠えない犬に「うるさい」と苦情を言ってきた隣家がありましたが、これは余程の犬嫌いだったのでしょう。

    以前のブログに書いたことがありますが、昔 私が警察無線を傍受出来ていた時期には「住所〇〇の〇〇という家の横を通るたびにこの家の犬が吠えてうるさい」という苦情の訴えがあるので現場に向かえという指令を警視庁からパトカーへ伝えていたことがありました。

    これまた昔の話ですが、日本ではかつて「スピッツ」(正式犬種名:日本スピッツ/下写真)という”フワフワ白毛で耳ピンと立ちちょっとかわいい顔”をした中型犬がもてはやされた時代があって、先述の祖父の家でも飼っていたことがありますが、この犬、キャンキャンとよく吠える性格と抜け毛が多めであるのが欠点で、それ故に全国で次第に飼われることが少なくなってしまいました。(ただし、最近は比較的おとなしくなるように品種改良しているとのこと)
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    (↑
    写真はウエブマガジン「いぬのきもち」より引用) 

    ◎風鈴の音
    fuurin

    風鈴はガラス製、陶磁器製、鋳鉄製などがありますが、いずれも風によってチリン・チリンという音がするものですが、決して大きな音ではないものの・・

    まず問題はこの”風鈴の音そのものが人によって好き嫌いが分かれることで、嫌いな人にとっては騒音となっていること。

    もう一つは、”風鈴が強風のもとでは強い音でしかも途切れることなく鳴り続ければうるさい”と誰でもが(通常の風鈴音が好きな人でさえも)騒音と感じること。・・実際の例では夏を過ぎても風鈴を”ひっこめる”ことをしないで台風や、木枯らしが吹いてもほったらかしの家が少なからずある。

    ◎騒音になり得る音環境の概念図
    ここで、前回と今回でとりあげてきた”騒音になり得る音環境”を整理して下図のようにしてみました。
    <直接音>対面して話される声、怒鳴る声 / 同じ部屋や電車やバスの中で騒ぐ声など
    <隣接音>隣室・隣家の人の声や足音、家電機器音、ペット声、風鈴音など。いわゆる生活音。
    <周囲音>隣接または極近隣の公園、駐車場、道路駐車、保育園・幼稚園・小学校などからの声や音。
    <公害音>万人が確定的に騒音と感じる音なので各種法や条例で規制あり。工場や工事現場の稼働音、自動車類総体の走行音、航空機音など。
    <公共音>多くの人への素早い情報伝達のために必要な”地域有線放送”、地域住民が楽しみにしている伝統の行事や祭りの音、年に一度の除夜の鐘、”火の用心”の巡回音など。
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    ・・・・・・・・・・・・・
    その他、騒音に関して私が体験したエピソードなどは次回に・・
    ・・・・・・・・・・・・・

    (1)多くの寺が除夜の鐘に苦慮
    昨2023年の大晦日、『東京都のある寺では除夜の鐘をつくことをやめた。
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    この寺では昔から、毎月1日と15日の午前5時に鐘をついてきていたが、5月に「鐘の音がうるさい」という苦情がよせられたと警察から連絡があったので、以後は鐘を打つ回数を減らしていたが、11月になって鐘をついた数時間後に、墓地に備え付けの手桶30個がすべて燃やされてしまった。

    ・・というわけで、寺の鐘の音に不満をもつ人と対話して良案を求めたいが、それもできないままでは今後のエスカレートも心配なのでやむなく日常の鐘つきと除夜の鐘つきを中止にしたのだった。

    また別の寺では、苦情が出ることが予想されるご時世になったので、予防措置として自主的に”除夜の鐘はコンと打つ”だけにとどめるようにした。』 (『』内は毎日新聞ウエブ版2023.12.31より抜粋)

    私の住む千葉県の圓明院というお寺でも、除夜の鐘は騒音苦情対策かつ高齢者と子供が参加しやすい時間として午後4時からつき始めている。

    (2)盆踊りの太鼓の音や音頭の歌声に苦情も !
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    盆踊り(夏祭り、秋祭りなど)開催にあたって主催者側は開催前に管轄警察や近隣への断りを入れていても、最近は音がうるさいという苦情が出ているケースも増えているようで・・

    『太鼓の”打つ面“の反対側の面に分厚い布を張って音を弱めたり、音量を抑えた電子太鼓を使うところも出ている。』 (『』内 同前)

    私の住む地域では盆踊りそのものの開催を従来は2日間、午後3時から午後10時までだったものを、段階的に日時を短縮するようになって最終的に、開催は1日限り、しかも午後9時までになってしまった。

    (3)子供騒音苦情で公園廃止事例が発生
    昨2023年3月末に、長野市のある公園が廃止されたが、その理由を市は「隣接する住宅の一軒から『子供たちの声がうるさい』という苦情が出ているため」と説明した。

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    この報道がマスコミから流されたとたんに、この苦情主への批判が多数(賛同も若干)SNS上などに寄せられた。同時に氏名と身分を特定して公開され、いやがらせの電話あり、頼みもしない住宅メーカーのパンフレットが送付された。

    週刊誌の取材において苦情主が語ったことには・・「子供たちが公園で遊ぶこと自体に反対しているわけでもなく、ただあまりにもうるさく、雨戸を閉めても効果ないほどで、しかも禁止されている球技をしてボールの打球音やサッカーボールを蹴る音がこれもうるさい。

    さらに近所に在る児童センターがウイークデーの午後3時から5時くらいまで約50人の児童をひきつれて遊ばせる時間帯が特にうるさい。おまけにこれら児童の親が送迎するために付近にとめたクルマのエンジンをストップしないのでこれもうるさい。

    このような状況なのでこの苦情主は自ら、ボール遊びの子供たちには都度”公園の規則を守るよう”に言い聞かせており、児童センターにも対処改善を申し入れしたりしていたが一向にらちが明かなかった。」

    そもそもこの公園に隣接する住宅でこの苦情者宅以外は日中不在なので苦情が発生しなかったようで、結局は苦情者宅の奥さんが「18年間我慢してきていたが、主人が前年に定年退職して在宅でリモートワークを始めたところ、この日中のうるささをあらためて主人が強く実感するようになったため、市に訴えた」・・のだそうです。

    (4)電車内で騒ぐ自分の子供放任を主張の”「おやおや」な親”登場!
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    数年前にマスコミによって紹介された事例ですが・・電車内で騒ぐ子供に向かって、ある高齢男性が”うるさいことを注意“したら、その子の親がこう言い放った・・

    「子供は泣いたり騒いだりするのが仕事。うちでは周りに迷惑をかけるなという躾はしていない。
    あなたの価値観を子供に押し付けないでください」

    もうこの親の言動にあきれるやら、悲しいやら。 その親自ら「・・という躾はしていない」と言って、その言葉どおり躾ができていないし、これは価値観以前の問題であるということが分かっていないので思考回路が疑われる。

    ここでちょっと話は飛びますが・・やはり数年前に、児童が学校給食で食事前に「いただきます」と唱和することにたいして、ある親が「給食費を払っているのに『いただきます』という必要がないではないか」と学校にクレームをつけた事例があったが、その親も「いただきます」の本当の意味を考えることができないことを世間にさらけ出していた・・ことが思い出されます。

    ◎「騒音」とは何なのだろうか?
    「騒音」とは「望ましくない音」である。
    ・・という説明がみられるが、確かに”大音量で長時間継続する音”、例えば工場・事業場騒音、交通騒音、建設作業騒音などは万人が望まないものなので各種法令や条例で規制されているが・・

    では”大音量だが短時間継続、しかも年に1回かつ決まった日にしか出ない除夜の鐘や盆踊りの音は、大多数の人が望む行動にともなって発生する望ましい音であり、望まない人は少ないのに、これを騒音と呼ぶものだろうか?

    一方で大音量ではないものの、音によっては”望ましくないか否か”は”時と場所と人”によって異なるものがあり、それが生活騒音とされる部類に多く例えば、東京都環境局の5分類によると・・

    ・家庭用機器からの騒音:冷蔵庫、掃除機音など
    ・家庭用設備、住宅構造面からの騒音:ドア開閉音など
    ・音響機器からの音:ピアノ、カラオケ、ステレオ、テレビなど
    ・生活行動に伴う音:話し声、足音、食器の音など
    ・その他:ペットの鳴き声、風鈴、建物外から入る自動車の音(クラクション、エンジン音、タイヤ音)など

    ※これら5分類生活騒音についての実例やエピソードが(私が経験した事例だけでも)多くあるのですが、次回にご紹介します。

    さてこれらの生活騒音は程度の差はあるものの、音の発生源からは壁、床、天井、窓ガラスなどで一応遮断されているが若干漏れている、あるいは伝わってくるという、いわば(音源近いが)”間接騒音”。一方・・

    前述の例のように、電車内という狭い一種の閉鎖空間の中で、音を遮断するものもない状態で、寝ている人、本を読む人、体調がすぐれない人などがいるかもしれない前で子供が騒ぐ音は(間近からの)”直接騒音”であり、即禁止・制止すべきは明白。

    そしてもう一つの前述例の”公園での子供騒音”苦情の件は、苦情主、児童施設や学校、公園管理する自治体のそれぞれがもっと真剣に対処法を考えていたら、なにも公園を廃止しないで済んだのではないだろうか。(苦情主は「何で苦情を言うのか、ここに住んでいる者にしかわからない」というようなことを述べておられるそうだが) 対策案として・・

    ・まず児童施設や学校での騒音教育・指導の徹底。 

    ・児童施設が児童50人を連れて当該公園を利用する際には、この公園は広いので”苦情主宅から半径20?メートル以内には児童たちを行かせないように都度ロープを張る。 

    ・「不快音」は音量や音の波形に関係なく4000~7000ヘルツとされるが、子供の声は通常は1000~2000ヘルツのところ、遊びの最中によく発する「キャー」という声は4000ヘルツを超えていることはまちがいない。(子供のデータが見つからないが、大人の「キャー」という声でさえ2000~4000ヘルツとされるから)

    この子供たちの高音の声は反射しやすくかつ吸収されやすい性質があるので、これを利用して、苦情主宅近くに”音の反射板”設置や常緑樹の植栽を増やす。(見通しや風通しに配慮しながら)

    ・苦情主宅の窓を2重又は3重の防音ガラスにする

    ・・・・・・・・・・・・
    以上、騒音についてまだ語ることがあるのですが、文章量が多くなりすぎたので、次回に続けます。
    ・・・・・・・・・・・・

    ありゃまぁー!この文を書いてる最中に、山本由伸までもドジャースに入団決定のニュースが・・

    ◎ドジャースとドッジボール
    ところで私、「ドジャース=Dodgers」の「Dodge」とはいかなる意味か知らなかったので、今更ながらですが辞書をひいたらば・・(1)「(打撃などを)素早く避ける/ひらりとよける、身をかわす」、(2)「(質問、義務などを)言い抜ける、ごまかす、はぐらかす」。・・なので「ドジャース」は(1)の意味をふんでいるのでしょうが、それにしても”dodgeしていたら試合に勝てない”のに不思議な球団名にしたものですが、他の意味があるのでしょう。

    ここで辞書には「dodge ball」なる言葉がのっていて、その意味=「ドッジボール」とだけの表記。恥ずかしながらこの歳になってこの遊びの名前の由来を知りました。確かに私はドッジボールではボールを受け止めるより”ひらりとよける”ほうが圧倒的に多かったことを思い出しました。

    さて大谷翔平のドジャース入団発表会見では、いつものことながら彼の挨拶や答弁はていねいで心のこもった内容だった。

    そこには大谷の細かい”配慮”を感じさせるものが多く在った。それは言葉による表現ばかりではなく服装にも現れていて、ネクタイはドジャーズ色のブルー、そしてそのネクタイとワイシャツの襟の関係も文字通り”隙の無い”着こなし。

    加えて、彼が手首にはめていた腕時計。これに私は気がつかなかったのですが、それに注目した人が多かったようで、会見直後からX(旧ツイッター)上では多くの日本人の他に米国のスポーツビジネス経営者のジョー・ポンブリアーノ氏も反応したとのこと。
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    ◎大谷のその腕時計は価格60万5000円
    腕時計好きの人たちは大谷のその時計が日本のグランドセイコーであることは瞬時に把握したようで、大谷が日本の代表的な時計を身に着けていることに多くの人が好感を示している中で、さらにその型番名までも判定する人が現れたものの断定はできずに、ある人は「SBGR261」(価格57万2000円)だろうと言い、ジョー・ポンブリアーノ氏は「SBGM221」(価格60万5000円)であると指摘。

    ↓左:「SBGR261」  右二つ:「SBGM221」
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    そこで私は型番名判定に挑戦 ! ・・ということで、まずグランドセイコーには5大別した”〇〇コレクション”というものがある中でも「エレガント」コレクションの一つであることが分かり、そこからやはり前出の「SBGR261」 と「SBGM221」に絞られるものの、細かい部分が判らないのでその腕時計がなるべく大きく写っている映像を探した結果、朝日新聞の報道写真の中に、ルーペで拡大して見ると文字盤と針がなんとか読めるものがあった。その結果・・

    文字盤上には太めの針3本と、かすかに見える1本の細い針、計4本の針を確認できたので、これは「SBGM221」であることが判明した。

    実はこの機種は短針、長針、秒針にプラスして24時間表示針を備えているので合計4針あるもの。一方、「SBGR261」は普通の3針である。

    ↓大谷のグランドセイコーは3時08分ころを示していて、24時間表示針は15時近辺を示している
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    ◎グランドセイコーと大谷翔平は岩手県生まれ!
    セイコーグループの腕時計には、普及品、高級品、ラグジュアリー品などのクラスがあるが、高級品クラスを表す「Grand Seiko」(グランドセイコー)は現在では「SEIKO」ではなく独立したブランドになっています。
     
    このグランドセイコーブランドの腕時計を、部品製造から組立まで一貫生産しているのが岩手県岩手郡雫石(しずくいし)町に在る「盛岡セイコー工業(株)」。ここでは熟練技能士が”ロボットでは無理な超高度技”(例えばある部品の特殊研磨には10年の経験が必要)を注ぎ込んで製作するという”匠の工房”を構えている。

    ↓「グランドセイコースタジオ雫石」と称するこの工房(2020年完成、設計:隈研吾)の中で匠たちが作る
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    そして大谷翔平は1994年に岩手県の水沢市(現、奥州市)で生まれ、花巻東高校を卒業している・・ということで、同じ岩手県から”世界のトップを目指す”ものとしてグランドセイコーと大谷はリンクするゆえに、セイコーグループ(株)は大谷をイメージキャラクターとして採用契約していて、ただしグランドセイコー以外のハイレベルのセイコーブランド製品の宣伝広告にも大谷を登場させている。

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    ドジャース入団発表会場で大谷がつけていた腕時計はグランドセイコーブランドの中でメンズ用とされるものの中では最低価格に近い60万5000円。このブランドにはSBGD207という型番の2200万円の高額品もあるものの、大谷は”レザーバンドで上品な感じ”で高価格ではないウオッチを選んでいる。前述のようにグランドセイコーの中の5大別コレクションの中の”エレガンスコレクション”に属する型番を選んでいるから当然の印象となっている。

    この大谷の思惑は、高級品だが一般の人でも努力すれば手の届くようなモノがあり、しかも身に着けるのであれば成り金趣味でなく品のあるモノでさりげなく表現したいもの・・それは”努力すれば夢はかなうが、成功しても謙虚であれ”という考え方を示しているように感じる。

    こうして、あの場のために大谷が選んだ腕時計には、「親近感を感じる」、「あれが欲しくなった」、「上品さを感じた」などの声がX(旧ツイッター)に書き込まれていたが、(マイクロソフトニュースTHE DIGESTによれば)『米国の有力ファッション誌の「GQ」は「オオタニは7億ドルの契約にあたり、完璧な時計を選択した」、「最もエクセレントな時計をつけていた」と評している』

    ◎セイコーの腕時計のデザイン指針
    セイコーの時計には腕時計の他に置時計や掛け時計その他用途別時計(公共施設用、競技計時用など)がありますが、腕時計は(一品物の超豪華腕時計や遊び感覚腕時計などを除けば)形状やデザインに大きな制約や条件があるために独自性を打ち出すのが難しいことは部外者でもわかる。

    そんな中で特に高級腕時計向けを意識した”セイコースタイル”と称する独自のデザイン指針が1960年後半に生まれて1967年に発売開始したグランドセイコーから採用されてきたそうで、同社のホームページによれば・・

    『服部時計店のチーフデザイナーが銀座の和光本館に足しげく通い、世界の高級腕時計をつぶさに検分していて、ある重要なことに気づきます。「同じ腕時計でも、キラキラと輝くものもあれば、光がだれているものもある」。腕時計を構成している「面」の形状や張りによって、「輝き」に大きな違いが生じていることを見出したのでした。

    「腕時計の本質を究めながら、高級腕時計としての普遍的な価値を作り出すために必要なのは、燦然とした輝きである」そう確信したデザイナーは、外装工場の職人たちとともに、燦然と輝く腕時計を作るべく、研究に着手しました。どういう造形であれば、燦然と輝くのか、いかに美しくできるのか。試行錯誤を重ねた末に作り上げたのが、セイコースタイルでした。

    その結果具体的な方針として・・3つの大方針とそれに基づく9つの要素が生まれたそうで・・
    『大方針ひとつ目は、「平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は原則として採り入れない」こと。

    二つ目は、「ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって、極力平面部の面積を多くする」こと。

    三つ目は、「各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは、極力歪みをなくす」こと。 

    ↓9つのデザイン要素(その内の7つ)の説明図
    9designfactors

    ※3つの大方針と9つの要素の詳細は・・
     
    ◎セイコー時計の設計やデザインに導入した(と思われる)「標準数」
    「標準数」とは何かを説明するには長くなるので、大雑把に紹介すると・・高品質な工業製品を低コストで早く生産するために、部品から製品全体にいたるまで”単純化””共通化””標準化”が必要だが、これにさらに美しい形体化(例えば縦横寸法比率が1:約1.6のように「黄金比率」に近い形が出来上がる)もねらえる製品設計やデザインに採用できるように、ある法則(隣り合う数字がほぼ等比関係)に基づいて並べた数が「標準数」で、この数字は数列表のかたちでISO(国際標準化機構規格)とJIS(日本工業規格)で決められていてJISでは「標準数」という表題で「JIS Z 8601-1954」というナンバーがつけられている。AIなどが存在する現在もこの規格がまだ利用されているのか私は知りませんが・・

    セイコーが時計造りに標準数を採用していたのではないかと私が思う根拠は・・(今、気づいたのですが)ちょうどグランドセイコーが世に出た1967年だったかに、当時セイコーのデザイナーとしても有名だった清水千之助氏から「デザインにも”標準数”を利用できる」という教えをいただく機会があり、その際に「JIS Z 8601-1954」の規格表の印刷物まで頂戴したことがあり、氏は” セイコーの腕時計のデザインと標準数の関係を明言されなかった”ものの氏の下記のような”理系的経歴”からも推定できるからです。

    清水千之助(1929~1987)氏は千葉大学工学部工業意匠課卒、 (株)服部時計店工場精工舎勤務(1955~1967):その間にウルム造形大学(西独)留学、東京造形大学教授、拓殖大学工学部工業意匠学科教授、著書多数: 「工業デザインの実務」、「造形の科学」など、その他「デザイン学研究」誌に「ID(工業デザイン)活動としての標準品設計の意義」の寄稿もある。

    ↓清水千之助 著「造形の科学」
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    実は私、セイコーのデザイナーである知人がいたのですが残念ながら数年前に他界してしまい、生前に”セイコー製品と標準数の関連の有無”を確認しておけばよかったと後悔している次第です。
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    「標準数」についての少し詳しい説明はネット上で多数あるのですが、その一つは・・
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    先ごろ(2023年10月14日)、コメディアンであり俳優でもあった財津一郎氏(以下、敬称略)が89才で亡くなり、新聞の死去告知欄の中で「タケモトピアノのCMでも知られていた」というような説明があったことにちなんで・・

    タケモトピアノのCMの中の財津一郎
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    実際のCM → 
    takemoto-piano-cm

    このCMは2000年から今年(2023年)8月まで流されたということで、われわれの脳裏に焼き付いていますが、その理由として20年以上も変えずに”繰り返しの継続効果”だけではなく”セリフとリズムとメロディ”の心地よさもあって自然に覚えやすい面がありますが、それだけではなく・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(1) タケモトピアノのテレビCM
    最近「財津一郎が出演するタケモトピアノのテレビCMが流れ出すと赤ちゃんが泣き止む」 という情報を見聞きすることが多くなっていましたが、その最初の出どころはテレビ番組”探偵!ナイトスコープ”だったとのこと。

    また、育児雑誌(「たまごクラブ」か?)の調査では、”赤ちゃんの好きな音楽”第1位がタケモトピアノのCM曲だそうです。

    このCMの”赤ちゃん泣き止み”効果を生む要素は何なのか?
    財津一郎による「クルマ売ってちょおだーい」 「もっともっとタケモット」 「そのとーり」 などコミカルな旋律をつけた語りのような歌なのか? 
    「みんなまあるくタケモトピアノ」という女性バックコーラス部分か?
    それともメロディとリズムの音楽全体か?

    タケモトピアノ株式会社でもこの点を調べたようで、いくつか指摘されたことを紹介していて・・
    1)ある研究所によれば・・音がランダムで飽きない
                  本能的に振り向く音が多い
                  音楽の途中でリズムが」変わる

    2)音階が急に大きく上下するメロディーラインが興味をひくから。

    3)歌声が赤ちゃんが好む440ヘルツ周辺の音だから。
    ・・ではないかとのこと。

    440ヘルツと言えば、ピアノに限らないが現代の楽器類の音の基準であり、昔はラジオなどでよく耳にした時報の”ポッ・ポッ・ポッ・ポーン”の最初の3音がこれに当たり(後ろのポーンは880ヘルツ)、我々大人は聞きなれ親しんだ音だが、それが赤ちゃん時代からすでに心地よかったのだろうか・・

    この“タケモトピアノCM効果”の他にも・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(2) 口に含んだ水によるチュルチュル音
    口に水(液体)を含んだ状態あるいは唾液を溜めた状態で、口先をすぼめて少し開けると同時に空気を吸い込んで「チュルチュルチュル・・」と出る音を、泣いている赤ちゃんの耳元で聴かせると泣き止む・・といわれています。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(3) スポーツカーのエンジン音
    従来から”赤ちゃんを泣き止ませる音”として”クルマのエンジン音”があげられていますが、本田技研工業(株)では調査と科学的分析によって、ホンダの30車種の中でも”2代目MSX”のエンジン音がもっとも効果があることが分かったので、(株)タカラトミーアーツと共同で” 2代目MSXのエンジン音 (エンジンを断続的に空ぶかしするような音) に近い音が流れるぬいぐるみ”を商品化して、つい最近(2023年10月28日)に発売開始されました。

    商品名は「Honda SOUND SITTER(ホンダ サウンドシッター)」で8250円。
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    ↓右の黒い布地にくるまれているモノが”エンジン音発生部”で、左の本体に内蔵されている。
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    実際のこのぬいぐるみの音 → 
    https://www.youtube.com/watch?v=EuQ7zHYFsuw

    ※開発経緯の詳細は・・「インプレス社のCar Watchサイト」 参照ください。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(4) ある調査による「ベスト10」
    「ベビーカレンダー」(医師・専門家監修の”妊娠・出産・育児の情報サイト”)の発表では・・

    1:レジ袋を手で揉む音・・クシャクシャという音をたてることは簡便な方法でしかも効果あることが多いようで、ネット上でも多く推奨されている。

    2:ドライヤーの音

    3:掃除機の音

    4:シャワーの音

    5:ラジオのノイズ音・・“サー”という音

    6:換気扇の音・・(当筆者注)これはたぶん”プロペラ羽根ではないタイプ”のものと思われる。

    7:電車の走行音

    8:空気清浄機の音

    9:”ガラガラ”

    10:”おしり拭きペーパー”の外袋を手で揉む音

    その他,マスコミなどで見られる方法には・・・”雨の音”、“ホワイトノイズ(”サー”という音)”、“小さな波の音”などがあげられていますが・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(5) 母親の胎内の音
    赤ちゃんが泣き止むための音として前述の(1)から(4)までで紹介した”音”はその多くが、”胎児として母親の胎内に居た際に聞こえていた音(胎内音)”に近いものであるとされています。

    胎内音には心音、血流音、会話音、音楽などがありますが、常時聞こえるのは心音、血流音であることから、現在、赤ちゃんが泣き止むための音としてストレートに”胎内音そのもの”がネット上のYouTubeでいくつか聴けます。→ tainaion

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    胎内音は”ザクン、ザクン、ザクン・・”というような音が断続的なものなので、前述のぬいぐるみ「ホンダ サウンドシッター」でも胎内音に似たエンジン音がやはり断続的に流れるように設計されていることが納得できます。
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    以上のように、赤ちゃんが泣き止むための音は色々ありますが、実際に電車内や公共施設などの場において赤ちゃんが泣き止まず困る場合、とっさに対応できる方法は・・”口中の水(又は唾液)チュルチュル音”や”(外出時に常時携行の)ポリ袋類の手もみによるクシャクシャ音”ではないでしょうか。
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    私は餃子が好きです。その餃子を特に頻繁に食べたのは、大阪に単身赴任をしていた時期なので、今から30余年前の2年間。

    仕事を終えて帰る途中の夕食には”チャーハンに餃子”か”ラーメンに餃子”の組み合わせを摂ることが多かったその訳は、単身赴任者の外食で不足がちな野菜が餃子によって補われ、同時に”ピラミッド建設労働者のスタミナ源になったと言われるニンニク”も摂れるから。そのために最も通った店が、後述する「大阪王将」でした。

    「餃子の王将」(本社:京都市)と「大阪王将」(創業は大阪・京橋、現在本社:東京・品川区)の二つのブランドが在りますが後者は前者からのれん分けで出来た会社のもの。

    ◎”大阪王将の餃子”が長年の王者”味の素のギョーザ”を抜いた!
    今年6月から8月にかけての”総菜系冷凍食品”の店頭販売数調査結果のランキングが発表されて、”大阪王将の「餃子」”((株)イートアンドフーズ)が1位となり、”味の素の「ギョーザ」”(味の素冷凍食品(株))が2位となった。(昨年の同調査結果では順位が逆)

    ↓”大阪王将の「餃子」”
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    ↓”
    味の素の「ギョーザ」”
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    ↓総菜系冷凍食品 購買数ランキング (「日経クロストレンド」より)
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    調査は「True Data(トゥルーデータ社 東京港区)」が、6000万人という日本最大規模の”消費者購買データ(顧客ID付POSデータ)”を駆使したもので、今回の対象冷凍食品にはパスタ、米飯類、麺類を含まない。

    注意を要するのは、この調査データは、POSシステム導入している食品スーパーマーケットでの一般購入者の動向であり、POS非導入店、業務用、ネット上、通信などでの販売の量は含まれていないだろうから、メーカーの製造・出荷・販売総数量ではないこと。 だとすると・・

    「味の素のギョーザ」の外袋には長年「ギョーザ売上 日本一」と表記されているが、さてこれが消えるのか、いやまだ残るのか?

    ◎「味の素のギョーザ」”フライパンへの焦げ付き苦情騒動”
    「味の素のギョーザ」も「大阪王将の餃子」も油も水も無しで作れることをうたっているものの、今年(2023)5月11日に、あるユーザーから「味の素のギョーザがフライパンへ焦げ付いて残ってしまう」という不満がツイッター(現X)で発信されて、同社はすぐさまこれは一大事ととらえて翌12日には異例の行動に出た。それは・・

    原因究明と対応策を探るために、ネット上でユーザーに対して、利用している”ギョーザが張り付くフライパン”を(同社着払いで)募集した。

    その結果、3日間で1000個を超えるフライパンが届けられた!

    届けられたフライパンが入ったダンボール箱の山
    mount-of-frypan

    同社は大量のフライパンで検証をすすめて、一か月後には、とりあえずその時点で分かった範囲の張り付き防止方法を公表したが、現在も追及は続けられていて「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言している。

    現在も続くチャレンジ https://www.ffa.ajinomoto.com/enjoy/frypan
    frypan-challenge

    ◎味の素ギョーザは昔のほうが美味いと思うのは私だけではない?
    2022年に3月8日に、(冷凍) ”味の素の「ギョーザ」”発売50周年を迎えたそうですが、私が最初にこのギョーザに出会ったのは今から25年くらい前だったと記憶していますが、食べてみたらヘタな店で出されるものよりおいしと思えるほどで感心したものでした。 ところが・・

    いつ頃からのことかはっきりしないのですが、少なくとも現在の”油と水無しで出来て羽根つき”に仕上がるバージョンになる少し前の時点で「味の素のギョーザは昔のほうが美味しかった」と感じるようになっていますが、

    これは私だけの感想かと思いきや、同じ思いをしている人が他にもいたので、そうとなればその原因を知りたいところ。

    前述のように「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言するまでまなく、日頃から味の素冷凍食品社ではさらなる研究・試行が行われている様子がテレビでも紹介されたのを観たことがありますが、”味”に関しては温故知新、あるいは原点回帰などを意識されてもよいのでは・・

    ◎”記憶に残る美味しい餃子”は大阪・徳庵で食べた!
    冒頭で述べましたように、私が大阪に単身赴任している時期にJR片町線の徳庵駅の南に歩いて1分くらいの所にいわゆる”街の小さな中華屋さん”があって、そこで食べた餃子が美味しかった。

    それは初めて口にする”羽根つき”だったが、これが”やや小ぶりだが美味しい餃子本体”と絶妙にマッチしていて、さながら”羽根が名脇役”のようだった。

    私は現在の大阪王将の餃子(冷凍食品版)の羽根つきを食べていないので何とも言えませんが、味の素のギョーザの羽根は出来上がりが中途半端で、厚みと面積が少ないと思いますが、これは私の作り方に問題があるのでしょうか?

    大阪王将のHPに載っている羽根つき餃子(底側写真)
    hanetukigyoza

    ◎飛話:王将の将棋駒の格好をした「もろこし」(菓子)
    山形県の天童市は将棋の駒作り日本一なので町中に何かと王将の文字が観られます。その一つが将棋の駒の形に凸文字で王将や金将などを表した和菓子の「もろこし」。もろこしは東北地方で多く作られていて、”小豆粉に砂糖をまぜて型に入れて硬く固めたモノ”・・これも私の好物 !

    王将の将棋駒型「もろこし」(縦3X横3X厚み1センチ:えんどう盛寿庵)
    morokosi1

    ・・・・・・・・・・・・

    世の中、高機能な物は概して複雑な機構や高度な電子部品が使われているもので、これは故障の確率が高くなることもあり、いざ故障すれば修理も複雑になったりする一面があります。

    それをあらためて実感したことがあったので、それと関連する事例を含めて紹介してみます。

    ◎シンプルな体重計へ
    先日、我が家で約8年間使っていた「体脂肪計測機能付き体重計」が稼働しなくなってしまい、一瞬、電池切れかと思って新品に換えてもダメで、遂に廃棄処分することに決定しましたが、その前に一応、中身はどうなっているのかと分解してみたら、なにやら鉄材の細長い部材数点と電子部品を載せた基盤があり、不良原因はたぶんこの電子部品群の中にあると思えました。

    そこで、今度はシンプルな機構の体重計を購入しました。それはタニタ製で、アナログな数字盤は判読性が良いものです。明らかに電子部品は不使用であり、電池も必要なしで今後の故障の心配はしないで永く使えることでしょう。

    新たに購入したアナログ体重計
    taijyuukei

    ◎M社の全自動トースターは?
    高機能だがすぐ故障して廃棄した物として、私がすぐ思い出すのは、M社が今から60年くらい前に発売した”全自動トースター”。

    当時一般に普及していたトースターといえば、天面に食パン1枚が縦に入る口が二つ並んで開いていて、そこにパンをチョコンと入れてからトースター側面のレバーを下げて完全にパンが本体内に収まると同時に加熱が始まり、焼きあがると”ポン”とレバーが上がりパンが頭を出すというもの。

    ところがM社の全自動トースターは一見普通のように見えて、唯一違う点は、側面にレバーが無いこと。そして”全自動”とうたう所以は、”食パンを投入口に入れると自動的にパンがスーっと下降を始め定位置におさまれば加熱が始まり、焼きあがるとまたスーっと飛び出してくるというもの。

    これは便利なようで、食パンの下降と上昇に各6秒くらいだったかを要して忙しい朝にはイライラしたもので、しかも使用開始1年足らずで稼働しなくなった。

    直感的に、このようなトースターはダメだと思い、廃棄前に分解してみたら、中の構造は複雑だったので、やはりシンプルな方が良いと感じたものだった。

    かくて我が家の後継トースターは普通タイプに戻った。
    その後M社は二度と全自動トースターを製造販売しなかった(と思う)。

    ◎カラシニコフ銃のシンプルさ!
    私は銃に詳しくはないので、なぜに銃の呼び名には「ブローニング」、「ガトリング」、「マキシム」、「南部」など考案者(設計者)の名前が付いているのか知りませんが、そんな私でも「カラシニコフ」の名前はよく”耳に、目に”します。

    ミハエル・カラシニコフ(1919~2013)は旧ソ連の農家に生まれた。
    Michael_Kalashnikov-c
    (Wikipediaより)

    成人して赤軍に入り第二次大戦中は戦車長としてナチスドイツ軍と戦うなどしながら銃器の研究を続けていて、戦後1947年に”全自動発射ができる自動小銃AK-47“を開発・設計した。その2年後からAK-47はソ連軍内に配備開始され、その後は他国にもライセンス与えて生産されたが、発展途上国などでは無許可でコピー品が生産されて、それらを合計すると現在世界には1億丁以上も存在すると言われている。

    AK-47 (Wikipediaより)
    AK-47
    AK-47が世界中に大量に採用されている理由は、製造が簡単、製造コストが安い、頑丈なこと。それはカラシニコフ氏が戦時中に身をもって知ったドイツの銃器の優秀さを頭におきながら、自国でも開発を試みようとしたが当時のソ連の製造能力では無理と悟って、

    逆に銃の構成部品の寸法精度が低くて大きさがバラバラでも一つの銃として成り立つように余裕をもったシンプルな設計とした結果、組立は勿論、分解・掃除も簡単。そして「乱暴な扱いにも壊れない」、「グリスがきれても、水や泥水に浸かっても、砂に埋もれても使える」と言われている。

    まさにAK-47は”シンプル製品の好例”。

    ◎トヨタのランドクルーザー
    トヨタの大型4輪駆動車「ランドクルーザー」は日本では「ランクル」の愛称で人気があるが、海外でも人気が高い。
    landcruiser

    人気というより必要性からランクルが選ばれる理由は、頑丈で壊れにくく、故障しても修理しやすいこと。

    それを文字通り”支えている”のが”ラダーフレーム”構造で、頑丈な鉄枠の上にエンジンやボディを載せた言わば単純な組み合わせであり、現在多くのクルマが採用している”モノコック”構造が鉄枠を無くしてボディ全体で強度を確保しながら軽量化した構造としているものとは異なるもの。

    こうして、特に中近東の国の砂漠地帯やオーストラリアの”アウトバック”と呼ばれるような広大な荒野を走行中の故障忌避ともしもの故障でもリカバリーしやすいことは、このクルマが選らばれてしかり。

    ◎シンプルなラーメンの良さ
    現在、巷には多種多様なラーメンが生まれていて、それらはスープ作りや具材に凝りまくっていて、それはそれでうまいのですが、私はシンプルなスープと具材のラーメンが大好物です。それは1~2種の素材を使った出汁による醬油ベースのスッキリした味のスープに定番のチャーシューとメンマと少量のネギが入っていればOkというもの。

    また一つシンプル系ラーメンの店が消えた(日本テレビ「Every」より)
    raamen

    私の中では、かつて東京の秋葉原駅の外側に張り付いたように在った、スタンド型椅子7席(だったか?)しか無い小さなラーメン専門店で入り口ドアなどなく全開放型の吹きさらしの中で、何度か食べたシンプルなラーメンの味が忘れられない。
    それはスープにほんのすこしだけ生姜の香りの効いた、実に”飽きのこない”ものだった。

    今、ふと思うに、私は約60年前の子供の頃ころから、長崎県の五島列島出身の父が郷里の親戚から時おり送られてくる「五島うどん」を(日頃は”男子、厨房に入らず”の父にしては唯一の例外で)大きな鍋にはった熱湯の中で茹でながら泳がせて”そのうどんを私たち子供が箸ですくい上げて、同じく五島産の干しアゴ(トビウオ)で出汁をとった醤油つゆ”の中に漬けて食べるという経験をしましたが、これも非常にシンプルな食べ方でした。

    ちなみに現在では、五島うどんのこのような食べ方を「地獄だき」と称するようになっていますが、熱湯の中で茹でながら泳がせていても一般のうどんのように”のびて、ふやける”ということが無くコシが続くのは、五島うどんには、やはり五島名産の椿の油が練り込まれているからだそうです。

    jigokudaki
    (株)おかだ製麺 のHPより

    ◎谷村新司の作曲はシンプルさを心掛けた
    朝日新聞の天声人語欄(2023.10.18)では”先日亡くなった谷村新司氏”について語られていて、名曲”昴”を生んだ谷村氏が音楽の道に入ったきっかけは一本の中古ギターで洋楽レコードを何度も聞きながら音を一つひとつ拾ってまねたことであり、その経験から、作曲する際の基本方針は“初心者が弾けること”を目指して「難しくするのは簡単だが、シンプルであれ。時代を突き抜けていくスタンダードというのは、そういうものなのだ」と言っていたそうで・・

    なるほど、”シンプルなことの大切さ”はモノ作り全般にもあてはまることがあるのではないでしょうか。
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    世の中には、「○○に始まり○○に終わる(戻る)」という格言(表現)があり、頻出するのは、「釣りはフナ(ヘラブナ)に始まりフナ(ヘラブナ)に終わる」でしょうが、昔のオーディオのマニアの間では「スピーカーは(口径)16センチに始まり16センチに戻る」と言った時代がありました。

    ”体重計をアナログ式→デジタル式→アナログ式に戻した” “トースターを普通タイプ→全自動タイプ→普通タイプに戻した”という事例は、この格言の意味合いとは違うものの、文字通りと言えないでしょうか。
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    余録 : 現在(2023年10月)の米国では諸物価上がり、円安も相まって”米国でのラーメン価格”が高騰しているそうで、ロサンゼルスのセルフサービスのフードコートで食べても”もやしだけが入ったラーメン”が17ドルなので日本円換算で2550円。これでは物足りないとして煮卵(1.5ドル)とチャーシュー(4ドル)を追加して(下の写真)これに税(2.31ドル)を加えれば総計24ドル61セント=約3692円となり、日本で食べる場合の4倍の価格になってしまう。これと同じものをレストランで食べようものならチップ(15~25%)をつけなければならず、4500円くらいになってしまう・・とのこと。(1ドル=150円換算) (ロサンゼルス在住の角谷剛氏による報告:TRiP EDiTORサイトより)
    ramen-in-la
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    ◎科学博物館(略称:科博)に1日で1億円の寄付集まったが・・
    kahaku

    国立科学博物館(東京・上野)は、同館へ国から支給されている運営費交付金が年々削減されている中、コロナ禍で来館者減となって入館料による収入も減り、さらなる光熱費や物価の高騰で収蔵用の標本や資料の収集と500万点以上ある標本類の保存のための資金繰りが苦しくなっていることを理由に先日(2023.8.7)、インターネットを通じて寄付を募るクラウドファンディング(CF)を始めたところ、驚くべきスピードで募金が寄せられて開始9時間20分後の午後5時20分には目標としていた1億円を達成した・・というニュースが流れて、私はそのスピードと集金額よりもむしろ”日本の人たちの文化度、民度の高さの現れ”として感動した。

    このクラウドファンディングは11月5日まで続行する予定だそうだが、何と今日(2023.09.09現在で7億4800万円超も集まっている!

    科学博物館内展示物一例、右は「フタバスズキリュウ」の骨格化石
    kahaku2

    ◎牧野博士の植物標本も収蔵する「小石川植物園」もCFが!
    牧野富太郎博士はその94年の生涯で1500種の植物に命名し、約40万点に及ぶ植物標本や観察記録(図)を残したが、その多くは”終の棲家”として約30年間住んだ東京都練馬区の自宅(現、練馬区立牧野記念庭園)に残されていたものの、(牧野博士は名誉都民第一号でもあり)その後東京都が譲り受けて現在「東京都立大学 牧野標本館」(東京都八王子市)に収蔵されているが・・

    当然のように、長年在籍した東京大学にも一部が残っていてそれらは博士が37年間もかかわった「小石川植物園」(←通称であり、正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」:東京都文京区)に収蔵されている。

    小石川植物園内の植物学教室で撮影された牧野富太郎博士(東京大学HPより)
    dr-makino

    5万坪弱の植物園に囲まれた本館(建物内は非公開)
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    本館内には研究室、実験室、図書館、80万点の植物標本の収蔵庫が在るが、1939(昭和14)年に完成した建物は雨漏り、外壁損傷が発生し、標本収蔵庫は満杯なうえに保管のための湿度温度調整用機器も老朽化などで早急な対策が必要だが「資金が無い」と園長の北川篤教授は訴えて・・

    丁度、小石川植物園発足150周年でもあり、募金を受け付けるキャンペーンを行っていて、うたい文句は・・「緑の命を、未来につなごう」・・として「Life in Green Project」と銘打っている。

    期間は2023年4月から2024年3月。目標金額3億円。・・ところが・・現在(2023年9月)のところ約1536万円しか集まっていないようだ。

    先日、私がたまたまテレビで観たのですが、”科学博物館1日で1億円集まる”のニュースに関連して、この小石川植物園の窮状も伝えたシーンでは・・同園の一研究員(なんと白い肌の欧米系外国人)が標本収蔵庫の中で”牧野博士が学名を与えたとしてよく知られる「キンモクセイ」の標本を博士自ら作製してサインも記入した現物”を見せてくれながら指さしたのはキンモクセイの葉の先端付近が”虫に喰われたか乾燥しすぎてパリパリになって折れたか?”で欠損している状態であり、こう言った「このように標本管理がうまく行っていないので困っています!」。

    ↓キンモクセイ:博士が命名した学名は・・Osmanthus fragrans Lour. Var. aurantiacus Makino
    kinmokusei2

    ここで、科学博物館と小石川植物園の両者はインターネットも使って募金しているのに結果の差は何が原因かを考えると・・両者とも募金に至った詳細説明では運営資金不足を訴えているものの、各々のキャッチフレーズの方向が異なり、前者は「国立科学博物館500万点のコレクションを次世代へ」とやや具体的な内容で語り、後者は「緑の命を、未来につなごう」、「Life in Green Project」という抽象的な表現.。

    もう一つ影響しているのが・・前者は今流に「クラウドファンディング(CF)」という言葉を使っているのに対し、後者は「寄付」という言葉を使っていること。

    後者は前述の”牧野博士作製の標本がダメージを受けた現物”を見せて窮状を訴え、「クラウドファンディング(CF)」という言葉を使ったほうが良いのではないだろうか!

    ◎大賀ハス存続の危機にもクラウドファンディング !
    3000年も地中で眠っていたという貴重な大賀ハスなのですが、どうやらその存在が危うくなっているようで、千葉市役所前に在った大賀ハスも消滅し、安藤忠雄氏設計の本福寺・水御堂(みずみどう:兵庫県淡路島)の大賀ハスも非常に少なくなっている様子。

    大賀ハスと大賀一郎博士
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    安藤忠雄設計の本福寺・水御堂の屋根の池の大賀ハスが衰退・・
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    また”大賀ハスと外国ハスの交配種”が千葉市の「みなと公園」の池に2種類植わっているのですが、これも消滅が近い様相を呈していて、一つは「中日友誼蓮(ちゅうにちゆうぎれん)」で、このハスは大賀博士と坂本祐二(和歌山県御坊市在住のハス研究家。ハスに関する著書もある)氏が大賀ハスの種を二人それぞれ50粒ずつ計100粒を、日本と中国の友好と平和の象徴として中国に寄贈したところ、中国武漢植物園にてその大賀ハスの種と中国古代ハスを交配した種が作られ、これが日本に贈られたもの。

    ↓「みなと公園」(千葉市)の池に建つ「中日友誼蓮」と「舞妃蓮」の説明看板
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    もう一つは「舞妃蓮(まいひれん)」で、これは1966(昭和41)年に坂本祐二氏が大賀ハスと王子蓮(アメリカ黄蓮)を交配して作ったもので、花弁が舞うように閉じるさまが優雅な花。これを1968(昭和43)年に当時の皇太子殿下(現、上皇)ご夫妻がご覧になられたのを機に、美智子妃の美しさになぞらえて命名されたもの。

    この2種のハスは私が10数年前に観た際には池全体にわたって大量に生えていた(残念ながら花は観ていない)のですが今年(2023年)7月に観たら、「中日友誼蓮」は姿が無く、説明看板によると、一旦別の場所に移して元気回復させてから再びこの池に戻す予定とのこと。一方の「舞妃蓮」は極端に少なくなっていてかろうじて存在しているような状態です。

    ここの池ではハスの代わりにスイレン(睡蓮)がはびこっていて、この状況は安藤忠雄氏設計の水御堂の池も同じように見えますから、”スイレンは強し!”と感じます。

    「舞妃蓮」はスイレンに囲まれてわずかに存在。(2023年7月下旬/千葉市・みなと公園)
    大きく丸い葉がハス、小さく「パックマン」のような葉がスイレン
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    ハスの毎年開花にはボランティアとクラウドファンディング必要
    大賀ハスに限らずハスの花を継続的に毎年咲かせるために理想的には、3年に一度は土を入れ替え、土中で増えすぎて密集している蓮根を間引いて整理するなどの手入れの必要があるそうで、これをしないと花咲かずに葉ばかり出るようになり、やがては衰退するそうで、前述のような”各地のハスの衰退状況”はこの手入れが行き届いていない結果だろう。

    千葉市に在る「ハス品種見本園」は東京大学の旧、緑地植物実験所に在ったハスの管理を受け継いだもので、大賀ハスをはじめ世界各地のハス約120種をそれぞれの種類ごとに”一辺280センチの正方形で深さ60センチのコンクリート製の枡(ます)”などで栽培維持していますが、前述のように土(”田土”が最適)の入れ替え、蓮根の整理、肥料やりなどの作業を「大賀ハスのふるさとの会」のボランティアの人たちが行っている。

    枡で育成中の大賀ハスを見学する中国の「大連市普蘭店区古蓮研究所」の視察団:2016年10月 
    (大連市普蘭店の地はかつて大賀博士が中国古代ハスを発見した所)    
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    毎年持続してハスの花が咲くためのこのような作業には人の労力の必要のみならず、土や肥料代など経費が発生して、この「ハス品種見本園」では1枡当たり年間3万円かかるそうで、毎年開催の「ハス祭り」や「観蓮会」で”花托(かたく)※”や”ハスの絵葉書”などのハス関連グッズを販売したりして資金捻出していたが、コロナ禍の影響で収入激減してしまったので・・

    「ハス品種見本園」の維持管理継続のためのクラウドファンディングをすることになり、目標額:35万円として、2021年3月から約一か月かけて72人から46万8千円が集まって、その後の運営が継続されているとのこと。

    「花托」とは、ハスの場合は花の中央の黄色い円形部分で表面に10数個~30数個の小さな穴があるもので、花びらが散った後はその直径が大きくなり緑色に変化し穴も少し大きくなり、最終的には直径10センチぐらいなどになり茶色になる。穴が大きくなった花托は蜂の巣のような印象となり、それぞれの穴には種(実)が入っている状態になる。
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    (↑真ん中の写真は「舞坂の自然を守る会・ちゅうなあ通信」より引用)  
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    秘話:現在日本では大賀ハスの他にも古代ハスが発見されていて、一つは埼玉県行田市の「行田ハス」で、推定1400~3000年前のものと言われているが、その発見の契機がおもしろく、1971年にある公共施設の工事現場で開花したもので、ハスの種というものは堅い殻に包まれていてしかもその表面は撥水性があるため水を吸わない状態で何千年も休眠できるようだが、工事用の重機によって殻の一部が破れてそこから水が入ったために眠りを覚まされて発芽したと考えられている。
    (現在、園芸用にハスを種から育てる場合には必ず種の尻部を切り欠いてから水に漬ける手順がとられる。)
    もう一つは、群馬県館林の城沼のハスで、これも前述の行田ハスと同様、推定1400~3000年前のものと分析されているが、ここのハスは太古の昔から絶えることなくこの沼で生き続けていると考えられている。
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    飛話:近年は非正規就労者や介護職などの給与水準の低さが指摘されていますが、最近は学芸員(博物館や美術館で働く専門職)についても同様の指摘がでてきました。

    そこで思い出すのは・・私が小学校高学年時に上野の科学博物館に(父親に付き添われて)行き、アンモナイトの化石とデスモスチルス
    (日本やサハリンあたりに生息して1300万年前くらいに絶滅したとされる海獣)の骨の一部の化石(と思われるモノ)を、同館の地下に在った地学課で鑑定をしてもらって、前者は約2億年前のセラチテスという部類。後者はデスモスチルスではない他のもっと新しい時代のモノであるが種類は判定不能という結果でしたが・・

    鑑定して下さった地学課長の尾崎博さんは当時のテレビにもコメンテーターとして出演するほどの方だったのですが、私がお礼を言っての帰り際に尾崎課長から「君、地学で将来食っていくのは難しいよ」というショッキングな言葉を投げかけられたのでした!・・

    それは、今から70年ほど前の昔も博物館の学芸員は薄給だったという背景があったからでしょうが、最近の各所で行われているクラウドファンディングの結果で学芸員給与アップに反映されれば良いのですが・・。
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    ◎「大賀ハス」の種は千葉県で2千年以上眠っていたとされるが!?
    1951(昭和26)年に植物学者の大賀一郎(1883=明治16年~1965=昭和40年)博士が千葉県に在った「東京大学検見川厚生農場(現、東京大学検見川総合運動場)」の地にあった「落合遺跡」の発掘調査をした際に地下の草炭(樹木ではなくアシやヨシなどが水中堆積して炭化したもの)層の下の青土層の中(地表から約5.5m)から3粒のハスの種(ハスの場合は”実”とも言う)が発見された。

    ↓大賀一郎博士
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    博士はこの種は約2千年前のものと判断したが、これを現代に蘇らせて発芽育成をすべく自宅で試みたところ、種3粒の内の1粒だけが蓮根を形成しだしたので、それを根分けして三カ所(伊原茂氏宅、千葉公園、千葉農業試験場)にさらなる育成を1952(昭和27)年4月に委託したところ、3か月後の7月に伊原氏宅のハスが見事に開花した。 

    ↓大賀ハス
    oogahasu (2)

    この太古のハス開花のニュースは日本のみならず世界中に伝わり、米国のTIME誌にも「世界最古の花、生命の復活」としてカラー写真とともに紹介された。こうして有名になった古代ハスはその後「大賀ハス」と称されるようになった。

    ◎大賀ハス 本当は3千年前かも?!
    実は、この古代ハスの種が在った層のすぐ上の草炭層から丸木舟も出土していたので、その小片を放射性炭素年代測定してもらうべく (この測定法を世界最初に開発した)米国のシカゴ大学へ送った結果、この丸木舟の素材は3075年(プラスマイナス180年)前のものと判明。

    ↓発掘時の土層図(大賀博士のメモを基にしたもの)
    tisou
    (深さ数値は博士のメモでは尺・寸記入だったものをメートル法に変換したもの)

    放射性炭素年代測定用のサンプル木片がこの丸木舟の舟体の厚みの内側のものか外側のものかによって年数値に差が出るが、杉材で厚みが5センチと仮定すれば、内側と外側で約30年の差がでるが当時どちら側の木片を使ったかわかりませんが・・

    ではこの丸木舟が埋まっていた層は”少なくとも(つまり新しくとも)いつごろから形成されたかを考えてみると・・年代測定値の誤差のマイナス値のほうを採用した上で、この舟に使われた木材は伐採直後のものであるだろうことを前提として、測定値が丸木舟の内側の木片測った結果(つまり古い方)だったとして、これを新しい方に振り、またこの舟が20年使われた後に廃棄されたか沈没したとして、その後”草土”となる植物の沈殿物に埋もれだしたとすると・・

    3075-180-30-20=2845(年)・・となって、この丸木舟は新しくとも約2850年前にこの地に在ったということになり・・年代測定誤差を反対にとれば(=古くは)・・3255(年前)となります。

    後に大賀ハスと呼ばれるようになったハスの種は丸木舟が存在した層よりさらに下の層に在ったので、丸木舟より古いとは思われるものの、例えば丸木舟と同じ時代に落ちていた種を当時の人が踏んで、より深い下の土の層まで押し込んだものかも知れず、年代は特定できませんが・・

    現在でも大賀ハスの説明文には「2千年以上前の古代ハスで弥生時代以前のもの」とされることが多いのですが、”弥生時代は約2300年前~約1900年前”とされるので「大賀ハスは約3千年前の縄文時代後期のもの」とするほうが妥当のような気がします。

    ◎博士は大賀ハス発見より以前に中国で古いハスを発見していた!
    大賀博士がまだ若い頃、中国・大連に在った南満州鉄道中央研究所(通称:満鉄調査部)の植物班主任として勤務時代の1927(昭和2)年に、大連郊外の「普蘭店」という地の泥炭層の中から、約300年前のものと推定されるハスの実を採取して発芽させることに成功。これをもとにした論文により東京帝国大学の博士号を取得している。この経験があったればこそ千葉県の東大関連敷地内の泥炭に似た地層でのハスの種の存在の可能性にかけて発掘作業に(68才にはなっていたが)意欲を燃やしたのでしょう。

    ◎大賀ハスは日本各地、世界各地へ。あの水御堂にも !
    大賀ハスは千葉県で発見されたこともあって、現在では千葉県内の多くの公園の池で観られ、千葉市は「市の花」に指定。「検見川大賀蓮」が千葉県指定天然記念物になり、千葉公園では毎年6月に「大賀ハスまつり」が開催されるほど。しかし今や日本全国各地でも観られ、なんと前回のブログでもふれました安藤忠雄氏設計の「本福寺・水御堂」の池にも大賀ハスが植えられています。

    屋根がハス池になっている本福寺・水御堂
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    そして今や大賀ハスは世界150ヵ所に根分けされて花を咲かせているそうです。

    ◎実は大賀ハスの種を最初に発見したのは女子中学生!
    大賀博士が千葉市の地で発掘作業をした際にボランティアとして小学生や中学生も参加していた中で、市立花園中学校の生徒・西野真理子さんが(後に大賀ハスと呼ばれる)ハスの種を一粒見つけたのが最初で、その後に周囲から二粒が追加して見つかり計3粒になった。大賀博士が残しているメモにも”第一発見者として西野さんの個人名”を明記している。

    大賀博士の発掘を手伝う小学生?
    syougakusei

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    一本の大賀ハスの開花は4日間。見頃は千葉県では6月中旬~下旬。しかもハス全体の性格として午前中にしか開花は観られない・・というわけで千葉県に住む私なのに、残念ながらこの花をまだ観たことがありません。
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    現在、NHKが放映中の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の主人公のモデルとなったのが現在の高知県生まれの植物分類学者の牧野富太郎博士(1862~1957=昭和32年、94才没)。
    dr-makino

    1889(明治22)年に、植物として日本最初の学名「ヤマトグサ」を名付けて以来、日本各地の植物を調べて1500種以上に学名を付けた博士がシーボルトを批判した理由とは・・

    ◎日本固有種のアジサイを欧州に紹介したシーボルトだが・・
    アジサイと名が付く植物の原種はガクアジサイ。これは日本の固有種であり、日本原産。現在多く見られるアジサイ(ホンアジサイ)はガクアジサイを園芸品種化したもので、これが西欧に渡って品種改良(と言うべきなのか?)されて大正時代に日本に逆輸入されたのがセイヨウアジサイ。

    ガクアジサイ
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    幕末に来日したシーボルト(1796~1866)はドイツ人ながら長崎のオランダ商館付きの医者で、日本の医者や医学生に西洋医学を伝授した一方で日本の文化、生物、地理などを西欧に紹介した。(その一環として、当時は国禁だった”日本地図の国外持ち出し”を図ったことが発覚して1829年に国外追放になった「シーボルト事件」は有名)

    晩年のシーボルト
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    シーボルトは日本の植物としてアジサイを紹介するに当たって、学名となるように「Hydrangea otaksa (ヒドランゲア オタクサ) Siebold et Zuccarini」として発表した。 

    ところが、シーボルトより先に別の学者がアジサイに学名「Hydrangea macrophylla(ヒドランゲア マクロフィラ)」をつけていたことが判明したので「ヒドランゲア オタクサ」は学名登録されなかった。

    「オタクサ」という名は、シーボルトが”在日中の妻としていた”楠本滝のことを「オタキサン」と呼んでいたことから付けたというのはよく知られていますが・・

    楠本滝は元々は商家の娘だったが家が没落したためやむなく出島の遊女になっていたところをシーボルトに見染められたもの。

    さて、シーボルトがアジサイ※に「オタクサ」という名をつけた由来を知った牧野富太郎博士は・・
    「植物の名付けを”私して(私的に利用して)”、しかも女郎のお滝の名を用いるとは、大いに花の神聖をけがすものである」というような表現を用いて憤慨していたそうです。

    しかしながら、牧野博士も”苦労をしながら自分を支えてくれた妻「壽衛(すえ)」”に感謝を込めて、新種のササに「スエコザサ」と命名しているから”同じ穴のムジナ”に近いのではないだろうか?

    ※シーボルトが西欧に紹介したのはガクアジアイであったと牧野博士は確認している。

    ◎牧野博士の仕事に欠かせぬ存在だった”画工”たち
    牧野博士の仕事に欠かせなかった植物標本と植物画。
    "博士が植物に対していとおしむように接した"ことを表すかのように、作製した40万点の標本には植物が美しく見えるように、台紙への貼り方にも注意がはらわれていた”

    ↓「クロモジ(芳香がする高級つま楊枝に使われる)」の標本(左から、実、青葉、紅葉)
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    「東京都立大学牧野標本館」(八王子市)収蔵品写真より引用
      当館の全収蔵品50万点の内、牧野博士作製分は16万点

    牧野博士の偉業は、妻や友人など多くの人たちの助力、協力に支えられていたことはよく語られています
    が、特に植物画の作成には専門の”画工”の助けが必要だった。

    元々、牧野博士は自身で植物図を1700点以上を描いていましたが、それは非常に緻密で正確な図であり、そのために”ネズミの毛を使った独自考案の筆”を駆使して”1ミリ幅の間に7本の線”を描いていました。

    ↓牧野博士自筆の植物画 (「和楽web」より引用)
    makino-draw

    そんな調子なので当然、大量の植物画を描くには時間的に無理ということで、博士同様の絵が描ける職人である”画工”たちに分担依頼しましたが、博士はこの人たちの存在とその仕事に感謝していた。

    例えば、『1940(昭和15)年に出版された「牧野日本植物図鑑」(北隆館)の序文には、三人の画工である水島南平、山田壽雄(としお)、木本幸之助への謝辞が記されている』 (『』内は東京大学総合研究博物館 研究員 藏田愛子氏による)

    この三人の中でも博士が最も信頼していたと言われる画工が山田壽雄(としお)氏。氏は牧野博士からだけでなく他の有力者からの依頼も受けていた。そのため氏の描いた原画が多く残っている。

    ↓山田壽雄の植物画(「山田壽雄が描く園芸植物」展=2018年に練馬区立牧野記念庭園記念館で開催
    の案内パンフより)
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    ↑図内の左上から、園芸種名「鶉ノ羽」/左下「センリョウ」/右上「スカシユリの一品種」/右下「ハクモクレンの一品種」下図は「錦重 羽衣」・・これらの図は園芸家の石井勇義氏の依頼により山田壽雄が描いたもの
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    ◎初期の牧野を手助けした池野成一郎 / 添い尽くした妻の壽衛
    牧野博士が東京大学(後の東京帝国大学)に出入りし始めた頃、東京大学生だった池野成一郎は顕微鏡使用の植物観察や英語、ラテン語の読み書きを手助けしていた。また牧野が一度東京大学を締め出された後も復帰を後押しし成功させた。

    博士の妻の壽衛(すえ)は貧乏暮らしの中でも夫を支え続け、牧野博士の終の棲家となって最後の約30年を過ごした(現在の東京都練馬区東大泉の)庭付きの家も、彼女が「待合茶屋」を経営して産み出した資金で手に入れられたものだった。現在その旧居は「練馬区立 牧野記念庭園記念館」となっている。

    ↓妻 壽衛 
    (個人蔵の写真を朝日新聞が掲載したもの)
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    余録
    シーボルトと楠本滝の間に生まれ、日本で初の西洋式出産医学を学んだ医師となった楠本イネを主人公にして、民放(TBS系)の連続テレビドラマ「オランダおいね」がイネ役を丘みつ子、滝役を馬渕晴子で、1970年に半年間放映されましたが、丁度この期間は大阪での万博開催と重なっていました。
    当時、会社員だった私にとっては昼休みに当たる時間帯に放映されていたドラマでしたが、殆ど観られませんでした。
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    NHKの朝ドラ「らんまん」好評を反映している一つの例が、旅行会社の”四国巡り”ツアーにおいて、定番の桂浜・坂本龍馬像、金刀比羅宮、大歩危・小歩危、祖谷のかずら橋、道後温泉、四万十川などに加えて「牧野富太郎記念館」「県立牧野植物園」(高知市)が登場したことです。

    ↓最近の旅行会社の新聞広告
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    蛇足ながら他にも、四国巡り観光において近年追加されてきたのが「大塚国際美術館」(徳島県鳴門市)で、世界の名画1000点を特殊技術で陶板に焼き付けて原寸大に再現したものが観られるという人気スポットです。
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    今は梅雨 ! アジサイの花が我が家に少々、近所のお宅に沢山咲いています。

    ↓近所のお宅の垣根沿いのアジサイ
    (下の8枚の写真は全て1軒のお宅のもの)
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    ◎アジサイは食べると中毒の危険性があるのだが・・
    数年前の梅雨の合間のある日、ある店で食事をした際、最初に出された小鉢の横にアジサイの花が添えられていた。(↓下写真赤丸内)
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    それは一見、風情があるものの、私は”これは やめたほうがいい”と思った・・その理由は・・

    アジサイは、花、葉、茎などのどの部分を口にしても、中毒(嘔吐、悪寒、顔面紅潮)の危険性がある”からで、なぜ「危険性がある」という表現を使って”確定的表現”を避けたかと言うと、その有毒成分として青酸配糖体やアルカロイドというものが検出されることがあるものの、検出されないこともあり、それが種類や土地によるものかも特定できないのが現状だからです。

    しかし実際に中毒は発生していて・・厚生労働省の発表によれば・・
    2008年に大阪市の居酒屋で出汁巻き卵の下に敷かれていたアジサイの葉を食べた人が中毒発症。
    同年、茨城県つくば市の飲食店でもアジサイの葉を食べた8人が中毒発症。

    前述の”私の場合”は添えられていた花はアジサイですが、葉っぱはナンテンとイタヤカエデでしたから問題は無かったものの、アジサイの葉は大葉(青しそ)と同様のつもりで、また花は近年流行のエディブルフラワー(食用花)のつもりで食べてしまわれる危険性があります。

    ということで、”疑わしきは使うべきではない”アジサイです!

    ◎「甘茶」でも中毒が・・
    昔から4月8日のお釈迦様の誕生日には、お釈迦様の像に甘茶をかけ流すと功徳を得られるとされ、また「甘茶」を飲む習慣がありますが、この甘茶の原料は「アマチャ」(オオアマチャ、コアマチャ、アマギアマチャなどの種類がある)であり、ヤマアジサイの変種だそうで、一見するとガクアジサイ(冒頭写真8枚の内最後の2枚参照)と見分けがつかないが、ガクアジサイと比べると全体に小ぶりで、葉の厚みがやや薄く、艶が無いそうです。

    ↓アマチャの花 (ガクアジサイと同様に、花は中心の丸い粒状部分/右は咲終わりに近く花や茎が薄紅色になったもの)
    (写真は「庭木図鑑ウェブ版」より引用)
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    アマチャの生の葉の状態では甘味は無く、葉を乾燥させてから発酵させると甘味が発生するので、これを昔から”食品の甘味料”としたり、煎じて甘茶にして飲みます。

    しかし、実際に”甘茶でも中毒”が発生しています。

    厚生労働省の発表によれば・・
    2009年に岐阜県岐南市で甘茶飲んだ保育園児119人の内28人が嘔吐などの中毒発症。
    2010年に神奈川県南足柄市の小学校で甘茶飲んだ1年生の内の45人が嘔吐などの中毒発症。

    伝統がある甘茶にしては、原料のアマチャがやはりアジサイに近い種類のためなのか、どうやら注意が必要なようで、飲む場合は浅い煎じ方にして、特に子供にはごく薄い甘茶にするか避けるべきでしょう。

    実は私が”将来お世話になる予定?のお寺”は別名があって「あま茶寺」とも称していて甘茶が飲めるとされていますが、前述のような理由で”大人の私でも”遠慮することにした次第です。
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    なお、アジサイは処理の仕方によっては、
    解熱や咳止め薬(漢方薬)になり、中国原産の「常山アジサイ」は"抗マラリア薬"になっています。アジサイは"毒にも薬にもなる"という点では他の漢方薬の原料となる植物と同様ですね。
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    ◎欠陥ルールが起こした悲劇
    先日、テニスの4大大会「全仏オープン」の女子ダブルス3回戦で加藤未唯(日本)とアルディラ・スーチャディ(インドネシア)組が失格するという事件があった。 

    ↓加藤未唯 (事件後の混合ダブルスでの優勝時の写真なので笑顔だが・・)
    katou

    原因は、試合中で相棒のスーチャディがリターンミスして転がっている球を加藤が拾って相手コートに向けて返した球がボールキッズ(ガール)の頭部に当たってしまい、ガールは約15分間泣いてしまった。すぐさま加藤は謝ったものの、主審は加藤に”警告”を与えた。

    しかし、これに対して対戦相手のマリエ・ブズコバ(チェコ)とサラ・ソリベストルモ(スペイン)組はこれを不服として執拗に抗議したので、裁定が変更されて失格となり、ランキングポイントと賞金没収に加えて罰金(7500USドル=約100万円)まで科す宣告がなされた。

    この処分に対して加藤組はグランドスラム評議会に対して”動画を見た上での精査”を要請し、プロテニス選手協会(PTPA)も”処分は不当である”という声明を出したりしたが、後日棄却されてしまったものの、世界中からも多くの疑問や批判が発せられた。

    どうもこの事件の原因の一つは大会ルールの曖昧さにあるようで・・
    審判が加藤組に失格を告げた際に加えた言葉は・・「ルールによっての失格であり、ボールを故意に当てたか否かは関係ない」

    さらに試合後5時間経過した頃に、加藤は大会のスーパーバイザーと審判二人にこう言われた・・「もし球が当たったのが男の子だったらきっと失格にはならなかっただろう」

    後日、全仏大会ディレクターのアメリ・モスレモ氏は「失格はルールによっての正しい判断である」と述べ、付け加えるように「ボールガールは泣いていたではないか」と訳の分からぬ発言をした(この一連の発言に対してモスレモ氏への辞任要求が出ている)が、ブズコバとソリベストルモ組もまたこの”泣かせたことも悪い”として審判に再判定するように主張した。(ちなみに球が当たったのはボールガールの頭部だが顔面ではない)

    一方で、ブズコバとソリベストルモ組が、”最初に加藤に向けて審判が下した判定に対して抗議した行為こそ”ルール違反ではないかという指摘も出てきた。

    関連して、ボールキッズ(ボーイ/ガール)不要論も出ている。

    以上のような“ルールの解釈”が出てくるようでは欠陥があると言わざるをえないので、当然のように世界中からは”これを機会にルールの見直しを行うことになるだろう”という声が上がっている。

    ◎批判集中したブズコバとソリベストルモの品性無き行為
    加藤未唯からの球が頭部に当たったボールガールが泣き出したのを見たブズコバとソリベストルモは”加藤への警告”程度では甘いとして審判に抗議した結果、”加藤は失格”との判定が下された瞬間、二人とも笑顔を見せた。そのシーンは一部のテレビでも流されて、私も観ましたが、その”笑い顔”は喜びを表すというよりも”してやったり”あるいは”しめしめ”というそれであった。

    加藤の打球は故意に当てたのではないことは誰の目にも明らかなのに、その二人は執拗に抗議して不戦勝にもちこむ狙い通りになり、前述のような笑い顔を見せたことも相まって、世界中から批判が集中したが、これに対してソリベストルモは「ボールガールに当てた球は(皆さんが)ビデオで見るより(実際は)2倍も強く、彼女は20分間も泣いていた。ルールとして審判が下した判断であり、我々は何も悪いことはしていない」と主張したから余計に”炎上”した。

    かつてのテニスの女王ナブラチロワもSNS上で猛批判して「これはルールの馬鹿げた解釈で、ブズコバとソリベストルモが相手の失格を主張することは恥ずべき行為だ」と述べている。

    このようにブズコバとソリベストルモは、”テニスの技”ではない他の手段を使って何が何でも勝とうとし、それが成功して心情的に”ほくそ笑む”ところをさらに顔に出した笑みで表してしまったものであり、これは品性の無い行為であります。そこで私のアタマに浮かぶのは・・

    ◎試合中に相手へ思いやり返球した清水善造
    『清水善造(1891=明治24年~1977=昭和52年/86才没)(下写真:Wikipediaより)
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    清水は1920(大正9)年のロンドン・ウインブルドンのセンターコートで開催のテニス試合で世界中の128人が戦う中で決勝に進んだ。

    第1と第2セットは僅差で負けて迎えたが第3セットで相手の選手が足を滑らせて転倒したのを見た清水は”弧を描くようなゆるい球”を返した。

    そこで相手は体勢を立て直して打ち返したところ、清水のラケットはその球を追えなかったが、そこで観客全員からのスタンディングオベーションが起こった。

    その後は接戦でデュースが続いたものの結局、清水は負けたが、彼がコートから引きあげる際には再び盛大なスタンディングオベーションが起こり、それは長~く続いたのだった。

    ※この試合の対戦相手の名はW・チルデンであり当時世界ランク1位。清水は翌年の別の試合でもチルデンとほぼ互角に戦うほどの実力があったのでランキングは4位だった。

    清水のその行為は、”試合と言えども、あくまで対等な状態で戦おうとする所作”としてスポーツマンシップの鑑とされ世界でも賞賛されたが、特に日本国内では1933(昭和8)年には国語の教科書に「スポーツマンの精神」として載り、その後も修身の教科書にも載るなど戦前に計5冊、戦後は1960(昭和35)年まで計4冊が採用した。』 (『』内は「芦屋市役所」のHPより一部引用)

    かくして、この清水の行為と今回のブズコバとソリベストルモの行為はあまりにも品性に差があって対照的なのであります!

    ここでお話ちょっと逸れ・・私は清水のこの行為を扱った教科書には出会わなかったのですが、習った国語の教科書だったかにスポーツ関係の美談として「西田、大江選手の友情のメダル」が載っていた。

    ↓西田修平(左) / 大江季雄(すえお:右)
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    教科書によれば「1936(昭和11)年のオリンピック・ベルリン大会の棒高跳競技の決勝で西田修平と大江季雄の日本人同士が同記録で2位となったがルール上、西田が2位、大江が3位となったものの西田が銀メダルを大江に譲り、自分は銅メダルを受け取り、帰国後に”健闘を称え合って”互いのメダルを半分に切ってつなげて、銀と銅が半分ずつのメダルを各々で持つことにしたのだった」・・という内容だった。
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    しかし、この話には複雑な経緯と誤解があることを後に西田氏が語っているので、興味ある方はこのホームページ参照ください→ https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/24.html    

    ◎勝ち負けの無い球技?:蹴鞠、羽根つき
    今回の全仏オープンでの事件とは対照的に”勝ち負けがない球技”があり、その一つは「蹴鞠(けまり)」で、約1450年前に中国から仏教と共に遊びとして伝来したもので、8人または6人が輪を作るように並んで、一つの鞠(鹿革製で中は空洞)を皆で蹴り上げて、鞠が地面に落ちないように長く蹴り続けることを楽しむものであり・・

    ↓蹴鞠の様子 (現代に継承された姿:京都・白峯神社のHPより引用)
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    そのためには自分が蹴った鞠を他の人が受け易く蹴り返し易いような”思いやりのある蹴り”をするもので、これには前述の清水善造のテニス試合における”ゆるい返球”を連想させられます。

    ↓蹴鞠用の装束と鞠(人物は後述の池田氏)
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    蹴鞠は鎌倉時代になると武家のあいだにも流行し、室町時代にも続き、江戸時代には一部庶民にも取り入れられるようになったが、幕末頃に消滅しかかったものの明治天皇が蹴鞠存続奨励のために援助したこともあって、現在では宮中や一部神社などで継承されている。

    その他、京丹波には、蹴鞠を研究し、普及に貢献されている池田游達(ゆうたつ)、蒼圭(そうけい)のご夫婦がおられ、ご主人は蹴鞠経験40年であり、鞠も伝統製法を研究して自作もされている。

    ↓池田夫妻による蹴鞠実演 (写真は「TRiP EDiTOR」より引用)
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    その他、”勝ち負けのない球技?”と言えるのが”羽根つき”であり、日本の正月に行われてきた伝統的な遊びで、ムクロジの種に鳥の羽根をつけたものを羽子板で二人相互に打つことを繰り返して続けるもので、これも蹴鞠の精神と同様に”(ラリーを)続けることを楽しむ”もの。
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    羽根つきの打ち合いの途中で羽根を打ち損じた人の顔に墨をチョイと塗る習慣がありますが、その理由は、羽根つきは本来、健康祈願、厄落としの意味があるので、打ち損じた人には”厄がついてしまう”ということで、それを払うためだそうで、私が子供の頃はこの墨塗り行為は”打ち損じたことに対する単なる罰”の意味だと思っていましたが、そうではなかったわけでした。
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    蹴鞠、羽根つきはいずれにしても球技?ではあるものの勝ち負けはないわけです。

    ◎勝ったのに負けたと公言した正田美智子(現 上皇后)さん
    現在の上皇と上皇后がまだ皇太子と正田美智子さんだった1957(昭和32)年8月にお二人は長野県軽井沢の会員制テニスコートで出会い、そこで行われたトーナメント戦で皇太子と早大生男子のペア対美智子さんとカナダ人13才ボビー・ドイルさんペアの試合があり、結果は2対1で美智子さんペアが勝利した。しかし美智子さんは後日、周囲の人やマスコミには、皇太子組が勝ったと伝えていたそうです

    これは”勝ちにこだわることとは反対の事例?”でしょう。

    ↓「テニスコートの恋」を生んだ「軽井沢会テニスコート」
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    ↓出会いの翌1958年のトーナメント会場にて
    (写真は週刊朝日より引用)
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    今回、テニスの勝敗に関わるテーマを選んだことにチョッと影響したのが、"我が伴侶の過去のテニス熱中時代の姿"が連想されたからで、初めてラケットを握った30才代中頃から10年足らずの期間、コーチの個人指導も受けるなどして、地域や県内の中・小規模の多くのテニス試合にも出場して、主に女子ダブルスで優勝または準優勝して家の中の飾り棚には約30個ほどの小型の優勝カップに数個の盾が溢れていた。(後年、何を思ったか、全て廃棄してしまいましたが)

    実はテニスの腕前は決してウマイとは言えないのに執念で?優勝したりするので、所属のテニスクラブのメンバーからは「勝つためのテニスをする〇〇さん」と呼ばれていました。

    しかしながら、勝つために品性を問われるようなことはしていなかったと言えるのでホッとしています。
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    世の中には、ものごとの分析や発想などのための要素を”見える化”する手法が多数開発され利用されています。いずれも人間の頭脳を駆使する必要がありますが、これからはITを使えばもっと効率があがるのか、あるいはこれらの手法に代わるカタチが出現するかも知れませんが・・
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    現在のところ存在する手法の中には「マンダラ」や「スゴロク」に似たカタチを使った手法が幾つか出ていて前回ご紹介したのは「マンダラチャート」ですが、今回は同じ”マンダラ”がアタマにつくものの違う呼称で当然手法内容も異なる「マンダラスゴロク」。そして同じ”スゴロク”がオシリにつくものの違う呼称の「デザインスゴロク」についてです。・・本題の前にまず”スゴロク”とは・・

    ◎スゴロク(双六)は・・
    インド発祥で中国、朝鮮半島経由で日本に伝来されたとされ、サイコロをふって、出た目によって升目に置いた駒を進めて終点の「上がり」を目指して競争する”盤上ゲーム”で原初は”複雑なルールに基づいて二人で競う”「盤双六」と呼ばれるものだったが、江戸時代に盛んになった”升目に当たる所に絵が描かれた「絵双六」になって多人数でも競える、楽しめるスタイル”にとって代わられて現在に至っている。

    ↓スゴロクの一例 (図はブログ「カルタ・カード・スゴロクで遊ぶ、学ぶ」より引用)
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    ※インドから欧州に伝播したものは「バックギャモン」という(名前だけしか私は知らない)ゲームになったとされる。

    ◎「マンダラスゴロク」とは・・
    この手法発案者の石井禎(いしいただし)氏(コンセプトデザイナー)によれば・・「発想、構想、創造のための”脳の道具”として、縦軸と横軸を基本に置き、これによってできる四つの象限をベースにして、全体を5X5=25のマスで一つのミクロコスモスのようなものを創る”技法”」が「マンダラスゴロク」。
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    前回ご紹介した「マンダラチャート」の場合、ど真ん中のマス目に”目的となる事柄”あるいは”最終的に求める事柄”の言葉 (大谷翔平のマンダラチャートの場合は”ドラ1、8球団”=8球団からドラフト1位指名獲得)などを決めて入れるだけで、残りのマスには”関連する事柄”として思いつく言葉を自由に入れる(当てはめる)ことで完了しますが・・

    「マンダラスゴロク」は、ど真ん中のマス目に”目的や求める事柄を入れる”のはマンダラチャートと同じなのですが、全体を構成するのは全25マスであり、各マスは並び方に意味や方向性をもつように配する点が異なるところ。

    これをやや具体的に説明するために、石井氏の数ある著作の中の一つである「脳の道具 マンダラスゴロク」(文芸社 2017年12月発行)の裏表紙(カバー)にある”カラー表示のマンダラスゴロク模式図”を利用させてもらいますと・・
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    ↓マンダラスゴロク模式図
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    ・模式図中で黄色の表記が縦軸と横軸 (数学ではY軸とX軸)

    ・縦軸の上側半分を”北軸”、下側半分を”南軸”、横軸の右半分を”東軸”、左半分を”西軸”と(石井氏は)便宜上名付けている。

    ・縦軸と横軸の交差によってできる四つの空間は、右上赤マス部分を第1象限、左上緑マス部分を第2象限、左下オレンジ色マス部分を第3象限、右下紫マス部分を第4象限と呼ぶ(これは数学における象限と同じ)

    ・北軸、南軸、東軸、西軸それぞれのアタマの黄色丸部分には各軸の意味を代表する事柄を配する(記入する)。なお南北軸、東西軸のアタマには”二項対峙”する事柄(高い/低い、早い/遅いなど)があたるとは限らないことも多い。

    ・各象限の4つのマスそれぞれの意味合いは自ずと決まってくる。第1象限を例にすれば、北軸に近い左赤マスの意味合いは、東軸の意味合いにも関係しながらしかし北軸の意味合い寄りになる・・ということになる。これはいわゆるマトリックス図法の場合の”行”と”列”の関係に通じるもの。

    マンダラスゴロクを実際に使った例は、石井氏の著作「脳の道具 マンダラスゴロク」に多数掲載されていますので、ご興味ある方は参照下さい。私が30年ほど前にマンダラスゴロクを応用して(基本形とは若干異なりますが)作成したものをご紹介してみます。↓ これは”感動をよぶ商品(モノあるいはコト)を生むために(当時)必要な方向性の抽出”を試みたものです。

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    ここでは縦軸、横軸の両端に二項対峙的な言葉を置いていますが、その理由は”感動”というものが”ウェーバー・フェフィナー(フェフィネル)の法則”によって、人間の心と体が”緊張と解放”の間、”能動と静動”の間を行ったり来たりすることによって生まれる、または持続するから。

    実際にはこの図の中の大きな矢印方向にあたる四つの”重視”策それぞれをまたさらにマンダラスゴロク化(または後述します「デザインスゴロク」化)して、より具体的な必要素を抽出していきます。

    ◎「デザインスゴロク」
    この手法は故・池辺陽(いけべきよし:建築家・東京大学生産技術研究所建築学教授)氏が考案して1965年頃には発表されていたようです。・・というわけで今般、私がご紹介した手法3種の中ではこの「デザインスゴロク」が最古であり、次に「マンダラスゴロク」その後「マンダラチャート」という発生順になります。

    デザインスゴロク手法では、10個のマス(四角または丸など)とその中に入るべき事柄(必要素)をあらわす言葉によって構成され、場合によっては全体を表すキーワードをベースに加えて(下図中のグレー部分)計11の事柄で表すもの。

    ↓「デザインンスゴロク」模式図 
    (「MONOist」のHPより引用)
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    池辺氏が実際に”建築デザイン・設計における考慮すべき点”を自らデザインンスゴロクで表現されていて、「目的」、「生活様式」、「組立方式」、「美的条件」、「コスト」、「環境」、「機能」、「材料」、「流通」の9つの言葉をマスに置き、真ん中のマスには(これら9つの要素を十分考慮するのが必須として)「標準」という言葉を置いて計10個のマスを満たしたカタチで発表。

    氏いわく、「このデザインンスゴロク上のどのマスから着手してもよいが、全てのマスを通過しなければ(センターの)”上がり”にはならない」・・どうやらこれが”スゴロク”と称する所以のようです。
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    なお、先回から続けてご紹介した手法の3種とも"先ずど真ん中に目標事項や究極的に求める事項あるいは大代表的事項など"を置いて(記入して)から周囲のマスの中に入るべき事項を抽出して置いていくことが多いのですが、逆順のこともあり、先に周囲のマスを埋めた事項群から導かれて、ど真ん中のマスに入る事項(言葉)が決まることもあります。
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    以上、「マンダラチャート」、「マンダラスゴロク」、「デザインスゴロク」の三つの手法を紹介しましたが、最も利用されているのは(歴史もあるせいか)「デザインスゴロク」で、最も”頭をしぼる”必用があるのは「マンダラスゴロク」でしょう。
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    先々回のブログで、大谷翔平が”目標に達するための方策と手段”を考えるためにマンダラチャートという図表を使っていたことに触れましたが・・

    大谷作成のマンダラチャート図
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    似たような手法は他にもあるので、いくつか紹介します。その中には私も仕事の中で実際に使ってきたものもあります。

    まず今回は「マンダラチャート」についてもう少し詳しく・・その前に、「マンダラ」について・・

    ◎「マンダラ」は「曼荼羅」(まんだら)
    ここでちょっとご注意 !「曼荼羅」の真ん中の文字は「茶」(英語のTEA)ではなく、草かんむりの下は「余」なので念のため。私も最初は間違えました。(他に「曼陀羅」という表現もあり)

    「曼荼羅」という言葉は”本質・真髄を有するもの”という意味だそうで、仏教の一派である密教も大きくみれば大乗仏教という”衆生を護り、救う性格”を持っているものの、その経典には難解な文言が多く、しかも何やら秘密っぽい加持祈祷を重視するなど理解しにくい面があるために、教義の本質・真髄を踏まえながら”密教における世界観”を少しでも分かりやすいように”見える化”をしたものが「曼荼羅図」。

    ◎「胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」と「金剛界(こんごうかい)曼荼羅」
    密教の源流は7~8世紀のインドで発生した「大日経」と「金剛頂経」という二つの宗派にあるとされ、双方とも本尊を大日如来とする共通点はあるものの、相違あり、それがその状態のまま中国に伝わっていたが、その中国へ日本から留学していた空海が帰国するにあたって空海の師匠が、この二つの宗派の難解な教義と世界観をそれぞれ見える化した曼荼羅図を(絵師に描かせて)作ったものを空海に持たせたのが「胎蔵界曼荼羅」図と「金剛界曼荼羅」図で、この二種セットで「両界曼荼羅」図と称する。(それぞれ「図」は省略された表現が多い)

    かくして密教は日本においては空海(弘法大師)が真言宗として広め、そのためには両界曼荼羅も利用した。現在では空海が持ち帰った曼荼羅図は無いが、その模倣やアレンジしたものが真言宗の発展と共に作られて多数存在する。

    ※ここで後述部分のご参考までに・・仏教の世界において人のような姿で現すのは、上位から「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」の4種のみ。

    「胎蔵界曼荼羅」は「大日経」に基づいたものであり、”真理を実践的側面や現象世界のものとして捉えている”のだそうで、”大日如来の悟りと慈悲と智慧の世界を表したもの”とも言われる。

    中心部には大日如来を囲んで4体の如来と4体の菩薩の計9体が座しており(下図右の9マス)、その周りに二重、三重に明王や天が取り巻いている。
    .
    ↓「胎蔵界曼荼羅」図の例 (右は中心部の9体の名)(図はWikipediaより)
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    「金剛界曼荼羅」
    は「金剛頂経」に基づいたものであり、”真理を論理的側面や精神世界のものとして捉え、
    大日如来の悟りを開くための方法を説いたもの・・と言われる。.

    大きく見ると9個のマスが存在して、さらに各マスの中にも9個のマスが存在する。

    ↓「金剛界曼荼羅」図 (大きな9マスには各々名称がある) (図はWikipediaより)
    kongoukai

    ここまで述べますと・・大谷翔平のマンダラチャートを一度でもご覧になった方はピンとくるはず・・
    そうです!彼の作成したチャートは金剛界曼荼羅図の構成とよく似ているのです。

    ↓大谷翔平が高校1年時に作成したマンダラチャート
    (再掲)
    ohtani-mandara (2)

    ◎「マンダラチャート」とは
    ”人生とビジネスを豊かにするために、ブッダの知恵を元にした思考法と曼荼羅図を元にした(←開発者の言)”中心核を持つ3x3または9X9のフレーム(マス)を使うことによって”求めたい事や知りたい事などが視覚化(見える化)”されてよく分かるようになるという手法となり、事業計画、人生設計、新商品開発などに適用できるとして、このフレームを「マンダラチャート」と名付けてそれを利用する手法を松村寧雄氏((株)クローバ経営研究所 社長)が1979年に開発して提唱したもの。

    ↓「マンダラチャート」(9X9)基本図(マンダラチャート協会のHPより)
    chart99

    この「マンダラチャート」手法は難しい決まりは無く、使い方は大谷翔平の作成した「マンダラチャート」を見れば説明は不要なほど簡単。ただし上図の”中心部の8色の丸=外周部の8色の丸”の中身に当たる言葉を考え、探し、見つかりにくい場合はなんとか絞り出すこと、その後8X8=64のマス目を言葉で埋める場合も同様の作業が必要ですが、達成すれば”目的・目標とそれを実現するための方法・手段”あるいは”大きな事柄を構成する諸要素は何なのか”あるいは”大問題の要因や解決要素”などが明確に見えるようになる。

    「マンダラチャート」手法の普及を目指して「一般社団法人マンダラチャート協会」が立ち上げられて、「マンダラチャート」は商標登録されています。この協会は多様なプロモーションを展開して、チャートの使いこなし講習会なども行っている。

    マンダラチャート協会のホームページ・・・
    https://mandalachart.com/

    お気づきのように、マンダラチャートのマス目は、大きな四角の中に縦に8本の線、横に8本の線を引くだけで作れますから自分でも簡単に描けます。しかし、これをいつでもどこでも頻繁に使う人などに向けて・・

    (株)クローバ経営研究所からはマンダラチャート用のマス目があらかじめ印刷された「マンダラノート」という商品シリーズが販売されています。

    ↓「マンダラノート」の1例 (A5サイズ版 1センチ厚 6050円)
    mandara-note2
    ↓「マンダラノート」の中身の例
    mandara-note1 (2)

    また「マンダラチャート」と同様の「9マス ノート」使用の手法用に「M9note」シリーズというものも(株)日本写真企画から販売されている。

    ↓「M9note」シリーズの例 (A5版 1400円/ A4版 2400円)
    m9note1
    ↓中身例
    m9note4 (2)
    ・・・・・・・・・・・・
    次回も曼荼羅(マンダラ)やスゴロクに関連した”思考手法”などについてです。

    ・・・・・・・・・・・・

    ◎「大谷マンダラチャート」とは
    os-kose
    (株式会社コーセーのHPより)

    今の大谷翔平を形成した原点となったと話題の「大谷マンダラチャート」は彼が花巻東高校の1年生の時の2010年12月4日に、当時の究極目標である”プロ野球8球団からドラフト1位指名されること”と、それを”実現するための必要な8つの大項目”さらに”その大項目ごとに必要な8つの小項目(つまり小項目総数は8X8の64)”を網羅してチャート(図表)化して作製したもので、これにより目標とそのための手段や方法が(今で言う)「見える化」されている。↓.下図参照下さい。

    野球人としての必須項目は勿論として、注目されるのは”今の大谷の人物評”として高評価要素となる、”ゴミ拾い”、”道具を大切に使う”、”思いやり”、”礼儀”などを当時からあげてそれを28才の現在までも守って.いること。

    (図中左上の”体づくり”の「FSQ90kg」「RSQ(BSQ)130kg」はいずれもバーベルをスクワット状態で持ち上げるもので、FSQは顎の下位置まで90kg、RSQは肩に背負って130kgを持ち上げるという目標)
    ↓「大谷マンダラチャート」 (クリックで拡大)
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    ※「マンダラチャート」という方式そのものと関連事項については後日 紹介します。

    ◎大谷翔平の読書大切志向
    前述のように大谷が高校1年時に作製した「マンダラチャート」中の小項目の一つに”本を読む”があげられ、実行されていて、大谷いわく『一回読んだだけで得られるものは30~40%。何回も読むことでもっと違う捉え方ができる』

    前回のブログの最後尾に次回予告として”大谷翔平の愛読書”のとりあげを記して発信した翌朝に、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で大谷翔平の愛読書が紹介されてしまったようなので、今回はその一部内容も引用させてもらいます。(以下文中『』内が引用部分)

    ◎愛読書(1)中村天風著「運命を拓く」
    著者の中村天風(1876=明治9年~1968=昭和43年)は波乱万丈な人生経験があり、日清・日露の戦時には日本軍の諜報員をしたその後、当時は”死の病” だった結核にかかったものの当時の日本の医療では治らず、救いを求めて海外を巡り著名な医者や宗教家などに頼ったが結果は芳しくなく、最後にエジプトで出会ったヨガの達人に指示をされてヒマラヤの麓で修行して結核は治癒。その後、孫文とも友人となり、中華民国最高顧問の称号も得ている。後年、自分の経験と思索で得た”天風哲学”を世間に広く説法する.ことに専念し、各地で講演や本の執筆もした。

    その本の一つが「運命を拓く」(講談社文庫)である。↓
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    この本の内容を極言すれば「何事も消極的にならずに積極的に生きるべし」というものだが、もう少し理解するためにテレビ朝日の(京都大学出身ながら問題発言多発で有名な?)玉川徹氏が『中村天風財団の村里泰由理事を取材。著者が唱えた消極的でなく「積極的に生きる」とは、と問うたところ村里氏は・・
    「一升瓶にお酒が半分入っている。Aは“半分しかない”と思い、Bは“まだ半分残っている”と思う。Aは積極にはなり得ない。心の持ち方ひとつで、不平不満コースに行く人、幸せコースに行く人がいる。入ってくるマイナスをプラスに変えていこうという感情が、すべてのものをコントロールする。積極につながる一番の近道だという答えを出している」と語った。

    実はこの本を私は未読なので今年3月中旬に大型書店に行って探しても見つからず、店員に問うと「現在、在庫切れです」という答えだった。

    この状況を招いているのは”大谷翔平が渡米前に熟読していた本.”と紹介されると同時に、著者の中村天風に教えを乞うた人が多く、その中には著名な企業経営者の松下幸之助、稲森和夫らの他、東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、王貞治、広岡達朗たちの名があげられていることも影響しているだろう。

    ◎愛読書(2)アンドリュー・カーネギー著「富の福音」

    この本も大谷が日本ハム選手時代によく読んだそうで、米国の鉄鋼王と呼ばれる大富豪になったカーネギーの”富の社会への還元の仕方”などが(恐縮ながらこの本も未読なので)語られているようだが、大谷に参考になったのは”常にデータを基本に未来を想像して行動する”という内容の部分ではないかと言われる。
    この本におさめられているか否かは分からないですが、カーネギー氏の人生訓のような言葉は大量に在り、例えば・・
    「賢い人は徹底的に楽天家である」
    「成功の秘訣は、いかなる職業にあってもその第一人者たることを期することである」
    「笑い声の無いところに成功は無い」
    「財産よりももっと尊いものは明るい性格だ」
    ・・・これらは今の大谷が実践しているように思える。

    ・・・・・・・・・・・・

    余禄(1)「靴のセールスマンがアフリカに行った例え話」
    前述の「一升瓶にお酒が半分・・」の例え話にはピンときた方も多いのでは?・・
    これに似た”よく知られた例え話”があり、それは・・

    「靴メーカーA社とB社のセールスマンがアフリカに行ってみたら現地の人たちは裸足で誰も靴を履いていないことが分かったので二人ともすぐさま本社に次のように報告。 A社セールスマンは『ここでは靴を吐く習慣が無いから靴は売れません』 B社セールスマンは『ここでは誰も靴を履いていないので、至急ありったけの靴を送ってください。この人たち皆が靴を買ってくれたら大きな市場になります』。このように消極的思考・行動と積極的思考・行動では大きな差ができる」

    余禄(2)「稲盛和夫氏の別の顔」
    中村天風の教えを受けた稲盛和夫(1932~2022年)氏は京セラや第二電電を創業しJALを再建するなど産業界に大きく貢献して、その経営哲学や手法について教えを請われることが多かったので「稲盛塾」を作ったほどだった。

    実務においては”天風哲学”継承の結果であろう積極的姿勢が強力に発揮されていたようで、それを物語る.エピソードを、私の高校時代のクラスメートでかつて「日本ガイシ」(根幹技術が陶磁器という点で「京セラ」と競合関係の企業.)に勤務したS.T氏がこう語る・・

    「日本ガイシでは今から30年ほど前から電力、自動車産業以外への展開を狙い半導体製造装置分野で使われるセラミックスの研究をしていました。

    あのころ開発した半導体製造装置用セラミックス製品が今や世界一のシェアを獲得する事業にまで成長し、ガイシや自動車用セラミックス製品が消えた後の会社の利益を支える製品として期待されているようで感慨深いものがあります。 

    この半導体製造用セラミックスの分野でも京セラとは熾烈な競争を繰り広げました。京セラを創業し最近亡くなった稲盛さんは倒産したJALを立て直すなど、仏のような経営者と言われていますが敵に廻すと本当に手ごわい相手でした。そこまでやるかというブラックな営業、特許戦略手法も繰り出し、日本ガイシ社員はほとほと嫌になりました。

    しかし、嫌いであった稲盛さんも今思えば何も無いところから結果を出す実行力のある尊敬すべき偉大な経営者ですね。

    イーロンマスクのようなイノベーション力で日本を3等国から再浮上させるために、稲盛さんのような実行力のある人が何十人も輩出することを期待したいです。」
    ・・・・・・・・・・・

    宮沢賢治、石川啄木とともに岩手県生まれの3大有名人?の一人である大谷翔平は今や世界的存在。彼は1994(平成6)年7月5日生まれ 身長193cm 体重95.3kg
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    ◎誤解を招くおそれある大谷評も良く読めば・・
    あれは、大谷がメジャーリーグに行く直前頃だったから、今から5年前の2018年の初めのこと、東京・六本木のある寿司店のお客さんの一人(大谷の近くに居て彼をよく知る人物)が「大谷翔平は我(が)を通すので一筋縄では動かないオトコですよ」というようなことを言っていたと、私はこの店の寿司職人をしているという人から聞いた。

    「我(が)」とは(広辞苑によれば)「思う所を言いはって、人の言に従わぬこと」とある。

    私はそれ以後、大谷に対して若干のマイナスイメージを抱いていた。

    そして今年、WBCで侍ジャパンが頂点に立ち、大谷の活躍とともに彼の言動についてのコメントも多く紹介され、大半が賞賛する内容なのだが中には”言葉だけを聞くと、大谷のネガティブな面の紹介と誤解されるような例”がいくつかみられた。例えば・・

    栗山監督はWBCの決勝戦で大谷翔平を起用するにあたって次のように述べている・・「翔平はどっちかとうというと”天邪鬼(あまのじゃく)系”なので、私から『こうしようよ』とは言わずに、彼のほうから(登板準備OKですよと)言ってくるのをずっと待っていました」

    同じくWBCで不動の2番だった近藤健介(ソフトバンク外野手)は以前に所属した日本ハムファイターズで同僚だった大谷の1年先輩として、『WBC大会前から彼を評して「生意気ですね」と言い、大会後も印象は変わらず「生意気ですね。日本にいる時と変わっていないです」と笑顔で語った。もちろん大谷のことを知り、リスペクトするからこその表現だろう。(その証拠に)近藤は「大谷とは久々にチームメートとなったが、本当に想像の10倍すごかった」と印象を振り返った』(『』内はルポライターの竹村岳 氏による)

    ※ただし上記の「生意気」という言葉を使った表現部分は(さすがに誤解を招くと考えられたようで)ネット上ですぐに削除された。私は幸運?にも削除前の文章を記録していたので、ここでご紹介できる次第。

    あるNPB(日本野球機構)関係者は「大谷の日本ハム時代は唯我独尊タイプで、グラウンドでは他を寄せ付けないオーラを放っていました.」.と言う。

    なぜこのような大谷評がでるのか? それは彼が野球人としての高い目標を設定して、それを実現するための手段・方法の実行に邁進しているからこそ、「それを無理だと思わないことが一番大事だと思います。無理だと思ったら終わりです」という言葉に表われた彼の心構えに対してそれが誰であれ他人による指示や助言が彼の意にそぐわなければ妥協しないからでしょう。

    大谷を本当によく知る人たちの大谷評は、一見、一聴では誤解される恐れがあるものの、よく読むとそれは大谷を肯定し、能力を認め、リスペクトの成分を含んでいることがわかる。

    そうした背景には、大谷が既に(どこかの首相ではないが)異次元の領域に達しているからであろうことは、かつては彼を指導したり、先輩だった人たちの次のような言葉に表われている・・
    大谷の花巻東高校時代の野球部の監督の佐々木洋氏が「最近、彼にバッティング技術について質問したが難しい説明でもう私にはわからない内容だった」と述べ、

    前出の近藤健介選手もWBC開催中に『大谷と打撃理論について意見を交わしたというが「規格外すぎて参考にならない。よくわからないことを言っていました」と苦笑い』(『』内はルポライターの竹村岳 氏による)

    ◎大谷は生来の完全主義者!?
    こうした今の大谷翔平という人間をつくった要素は何かと言えば、根本は彼自身の頭脳と肉体にあるのだがその使い方が“彼が信条とする「楽しむ前に正しいことをする」”の実践を完璧に行うことに向けられている。彼にとっての「正しいこと」とは倫理的に正しいことばかりではなく、目標実現のための正しい手段、方法でもある。この”正しいこと”の追求イコール完璧さの追求になっている。ゆえに彼は野球につながることがないモノには”興味を示すという(彼にとっては)ムダなこと”をしないことにもなっている。
    大谷の完璧さを求める心は既に子供の頃から発現していて、大谷の母である加代子さんは語る・・「あの子が幼稚園か小学校に上がったばかりの頃、好きだったハリーポッターのキャラクターが描かれた表紙のノートがあったんですけど、なぜか買った当初からその絵の一部の印刷がはがれていたので、翔平はそれが気になってしょうがなくて自分でその分部に色を塗っているんですが、思い通りにいかないどころかさらにおかしくなってしまい、泣いて自分で怒ったことがあります」 また・・

    「翔平が気に入っていた絵本がある時、端っこが少し折れていたので『誰が折ったんだ!』と怒っていました」

    ◎完璧を求め徹底した行動の色々
    《筋力増強》 
    ・500ポンド(226.8kg)のバーベルを“涼しい顔で”腰のあたりまで持ち上げる姿を先日のテレビで観ましたが、専門家は優秀なボディービルダーでもこの重さを持ち上げられる者はめったにいないと評していた。

    ↓腕の筋肉がよくわかる写真 (「Getty images」より引用)
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    ・日増しに筋肉が増大するので、寝具を提供する「西川(株)」は大谷の身体測定を年間に何回も行って最適状態になるように”大谷選手用の寝具”を常に修正している。
    身体測定の様子 (以下写真5枚はテレビ番組「ミヤネ屋」より)
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    ・打撃用の筋力が十分な域に達した現在、使用するバットの製作社(アシックス)に向けて大谷が発した言葉は、「飛距離は問題ないから、あとはもう少し(球との)コンタクト性を増やしたい」。
    その結果、大谷用バットは”一般用と比べて太い部分が多い”形となっている。

    《睡眠重視》
    「趣味は睡眠」「睡眠はリカバリーのため」と宣言するほどの大谷は睡眠の量とともに質も重要視するので・・
    ・睡眠時間は通常でも10時間以上が多く、シーズンオフは10時間睡眠をとった後のトレーニング後に昼寝2時間の計12時間で、1日の半分は寝ている。(大谷は小学生の頃から夜9時就寝、朝7時起床で10時間寝ていた)

    ・寝具も重要視して西川(株)で、体形測定、仰向けと横向きの寝方の両方対応のマットと枕の設計(大谷は頭に対して肩幅が大きいので難題。枕には標準の2倍の量の”詰め物”で大きくパンパンとのこと)
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    ・本拠地以外への移動時にも”専用枕”を持ち歩く。↓
    (大谷のインスタグラムからの孫引用..)
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    《食材重視》
    全ては体調をベストに、筋肉増強のために食事する。WBC開催中に大勢投手は大谷の様子を見ていて「おいしいものを食べるのではなく、自分のためになるものを食べていた」と証言している。
    それは管理栄養士に相談し、指導を受けているからで・・

    ・血液検査をした結果に基づいて、自分が食べなければいけないもの、食べていいものといけないものを決めている。・・その結果、嫌いだったトマトも食べるようになった。

    ・良質のたんぱく質摂取も重視する結果、肉類は”部位”を選び、『牛肉はフィレ、鶏肉はササミ、魚はサーモンか白身魚、ビタミンCは野菜からとる』(『』内はスポーツジャーナリスト古内義明氏談)
    トンカツは衣をはがして食べる。WBC開催中は毎食時にゆで卵3個を食べていた。(一時、意識的に”卵絶ち”したという情報もあるが・・)

    ・シビアな食材選択なので、自炊が多く、得意はパエリア。

    ・本拠地(ロスアンジェルス)でやむなく食べ物をデリバリーしてもらう際にも配達時刻を指定している。現地の和食店「鮨処 古都」のオーナーシェフ松木保雄氏は「大谷選手がピッチャーとして登板する場合は3時間前、登板しない場合は2時間前にもっていきました」と言う。
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    大谷の注文で多いのは「穴子丼」
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    《用具のこだわり》
    ・バットに関しては前述のように、グリップ部分から先すぐに太くなっていて球が当たる確率を高くしている。普通のバットはグリップ部分から先端に向けて徐々に太くなり”寸胴”部分は少なく、選手はバットの遠心力を利用して振るのだが、大谷は遠心力など利用しなくてもよいパワーがあるから、従来型バットは必要ないのだ。
    変更バット (以下写真4枚はテレビ番組「中山のイチバン」より)
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    ・スパイクシューズの金属スパイクを靴裏面から直接スッと飛び出させる形にした。従来品は靴裏面から突起部分(土台)をつくり、それに金属スパイクの根元が埋め込まれた形状になっているが、その突起部分があるために、大谷いわく「”立ち感”が悪い」のだそうで、この突起部分が無ければ足裏の力が地面に伝わりやすくなるという理由。

    スパイクの土台部分を無くした
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    ・グローブは機能的には不具合はないが、全体の形状は通常より大きくしている。理由は2塁走者から大谷のグローブの中の球の握り方(つまり球種)を盗み読まれないため。
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    ・手袋は、装着して手首を締めるための”マジックテープ”が付いたベロ部分の付け根が親指側にあるカタチにした。通常のようにベロ付け根が小指側にあると、バットを握った場合に小指側に隙間ができてしまって”大切な小指の力”が入らなくなるからという理由。
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    ※以上の用具改良は昨季までは日本の「アシックス」が担当していたが、今期からドイツの「ニューバランス」に変わったようだが用具はどうなるのだろうか?

    そしてメジャーリーグの中での行動において、意志や情報が間違いなく送受できるように優秀な通訳・水原一平氏を常に伴うのは、これも完璧さを求めるがゆえであることは言うまでもない。
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    大谷を形成する原点のようなものが彼の高校1年生の時に作製したある図表にあることと、これに関連した別の図表について、それに渡米前に読み込んだ本に関連したお話は次回にいたします
    ・・・・・・・・・・・・

    3月14日は”3.14”の「円周率の日」なのだそうで、意図したわけでもなくたまたま今回のテーマにつながりました。

    世の中に存在する情報の中には、有益であるはずが、意図せずに有害または無益なものになっているケースが少なからずあります。この種の間違い情報の例として、「円周率」関連と「トランジスタテレビ」関連を主にとりあげて綴り始めたら、「円周率」関連だけで文章量が大きくなってしまったので、「トランジスタテレビ」関連は次回にまわします。・・まあ、実害は殆ど無いだろうから、どうでもよいような事ですが、間違いは正しておくべきでしょう。

    古くはアルキメデスが求めようとした円周率も、現代はコンピュータを使って昨2022年には「岩尾エマはるか」氏が遂に100兆桁の計算に成功しました。
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    (「マテマティカ」のサイトより引用) ※小数になおすと「3.1408…<円周率<3.1428…」

    コンピュータによる計算結果(数字)はそのまま電子的に記録され、その数字を何らかの媒体を使って”間違いはなくそのまま”表示できる現代ですが、昔は”手計算”だったり、計算結果を発表する際に”手作業による数字表記”なので、間違いが少なからず発生していて、その例が・・

    計算間違い
    円周率を語る際によく出る名前がウイリアム・シャンクスという英国のアマチュア数学者(1812※~1882年)で、趣味の一つとして円周率の計算をしていて1873年に707桁まで求めて発表した。

    ところが、計算途中にミスがあったために小数点下527桁までは正しいことが彼の死後に判明して
    528桁以下は徒労の産物となってしまった。 (※1812年はナポレオンがロシアの冬将軍に負けた年)

    ◎数字の表記間違い 
    (イ) 百科事典での間違い
    昔、「世界大百科事典」(平凡社)の円周率の項目の中で100桁の数字が掲載されていたが、その内の数字1字が間違っていた。(記憶薄れているが小数点下70~95桁の間の1字)

    それは私が中学生の時に学校の図書館の同書(発行年月日は記憶していない)の中で見つけた。当時私が円周率を115桁まで記憶していたために気が付いたもので、権威ある百科事典のことだから当然「私の方が記憶間違いか?」と疑ったものの、私の数字暗記の元ネタとなっていた「科学読売」(当時、「科学朝日」と双璧の雑誌)に掲載の”手書きの数字1035桁(だったか?)”で確認したが私は間違っていない。

    しかしその元ネタが間違っているかも知れないと思い、しばらく他の”円周率の表記例”を探していたところ、1987(昭和62)年3月12日、日本電気(NEC)が同社製のスーパーコンピュータで35時間かけて算出した1億3355万4千桁という当時世界最高記録の数字を新聞の紙面1ページをほぼ使って掲載したので、「これはコンピュータの計算結果をそのままプリントアウトしたものだろうから信用できる」と考えたので確認したところ私の記憶していた数字の方が合っていた。‥その後に平凡社の百科事典は訂正したのだろうか?私は確認していないが・・

    (ロ) インターネット閲覧ページ上での間違い
    現在、ネット上には多数の”円周率1000桁や500桁”の数字表が載っているので、全てを見られないのですが、少なくとも3件のページで互いに数字が相違する部分があります。

    私は現在、一応250桁まで覚えているので、その範囲でしか分かりませんが、3件とも小数点下150~250桁の間の2~3個の数字が”同じではない”のです。

    そこで困る(という人はあまりいないか?)のは、“どれが正しいのか?”または”どれも正しくないのか?”ということ。

    これらの内で「トラスト ミー(trust me)=私を信用してよ」と(昔、鳩山由紀夫首相がオバマ大統領に向けて放った言葉としても思い出される)宣言できるものがあればよいのですが・・

    そうなると、信頼できそうなのは”コンピュータで円周率計算した結果をストレートに表記したもの”であり、最近は個人で計算した結果をネット上で発表している例(http://www.suguru.jp/learn/pi.html )もありますが・・↓
    ensyuritu

    やはり、大手企業(パソコンメーカーなど)が“例えば円周率1万桁表示ページ”を常時公開する、あるいは現在JIS(日本工業規格)で”分野によっては円周率を「3.1416」として適用する指定や小数点以下31桁までの円周率を適用する指定などがあるようですが、これも一つ基本データとしてやはり例えば円周率1万桁表示をするというようなオーソライズされた正しい数値(と言っても円周率は無理数なので近似値ですが)を提示してくれると良いのでしょう。

    ・・と言ったものの、発信元が不明だが、パソコンが出した円周率の数字を限りないように流し続けるサイトがあるというので閲覧してみたら確かにありました。最初の250桁を見たら間違い数字が無いので、以降も間違いないとは思われますが、いったい何桁まで表示するのか不明です。

    円周率数字垂れ流しサイト

    ◎「ゆとり教育で円周率は3と教える」という情報の間違い
    2002年度から実施された”小学校の学習指導要領”の算数分野での指示を間違って解釈した人たちがいて、その人たちによって「小学校ではこれから円周率は3と教えることになった」という話が世間に広まり、私もつい最近までその誤報を信じていた一人。

    その誤報の原因は・・新しい学習指導要領では小数乗算の桁数制限の規定変更をしたために、手計算では” 円周率を3として”計算せざるをえないことになったことと、「目的に応じて3を用いて処理」という指示もあったために生じた誤解。これによって「ゆとり教育」批判の材料にもなった。

    しかしこの誤解には影響されずに実際の教育現場では” 円周率は3.14“として教えられているそうです。

    (余談1)暗記方法
    ※円周率の暗記では11万桁を誇る原口證(あきら)氏や1万5151桁に達した友寄英哲 氏がいて、友寄氏はソニーの社員時代からどんどん記録をのばして発表していたので有名だった。

    一時は両氏とも世界一だったこともあります。この二人は”数字をそのままは暗記しない方法”で記録をつくっていますが、その方法とは”自分で壮大な物語を作って、そこに登場するモノ・コトを語呂合わせして数字にしたものを記憶していくもので、そこには単に記憶力だけではなく物語の創造力が発揮される点が素晴らしい。

    元コメディアンで現在は俳優の伊東四郎氏も85才にして円周率1000桁を記憶しているそうで、やはり暗記法は語呂合わせ式。俳優として台詞覚えのための脳力維持の必要から努力しているとのこと。

    ”同じようにそのまま暗記でないカタチには”元素周期律表”の語呂合わせ式の「水兵リーベ僕らの船・・」(水兵離別バックの船・・)その他があります。

    しかし、”数字や言葉の羅列”をそのまま暗記するカタチもあり、私自身は”数字そのまま暗記”のカタチで円周率250桁を覚えていますが、これは”数字や単語を連続させてただひたすら暗唱することをくりかえしておぼえてしまう単純な方法”で、決して難しいことではありません。

    なぜならば”お坊さんではない一般人でも「般若心経」(はんにゃしんぎょう)の漢字262文字を暗唱する人は少なくないことや、昔の人は「歴代天皇」を神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、・・と124代の昭和天皇まで、漢字にして276文字を暗記させられていた人も多く、大正生まれだった私の母もその一人。

    (余談2)般若心経の暗唱を断念した私!
    「色即是空、空即是色」という有名な(しかし私にはよくわからない)言葉が含まれている般若心経を暗唱できるようになろうと思い立ったきっかけは、私が昔 兵庫県に住んでいた際に、同県に在る「西国三十三カ所」の一つの「法華山 一乗寺」に参った際に購入した扇子を思い出したからで、その扇子には「般若心経」の漢字がふりがな付きで記されているもので、これを使ってお経を覚えようと考えた。

    「般若心経」扇子
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    ↓「般若心経」(部分拡大)
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    ちょうど季節は夏だったので、通勤時に駅のホームで電車待ちをしながら、この扇子で"少しあおいでは手を止めて文字を記憶する"を繰り返すことを実行し始めたものの、なかなか覚えられず結局この試みは夏の終わりとともに潰えてしまった。時に私は60才近くになっていた。心の中で、脳力と気力の双方の低下のためと言い訳する自分が情けなかった!・・・というわけで、若い頃に覚えた円周率の数字も、もうこれ以上は増やせない私であります。
    ・・・・・・・・・・・・
    次回は「トランジスタテレビに関する間違い情報?! 」です。
    ・・・・・・・・・・・・

    前回にとりあげた”世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解とリベットの関係”に続いて今回は・・

    ◎タイタニック号
    近年、映画にもなったり(※1)して有名なこの英国の大型豪華客船 (※2)が1912年(※3)4月10日、初航海(※4)として英国のサウザンプトンから米国ニューヨークを目指して出航したが、4月14日の夜11時40分に北大西洋上で氷山に船体右側面下部を接触させて、そこから海水が流入し、2時間40分後の4月15日午前2時20分に沈没して1514人が犠牲(生存者は710人)になった。(※5)

    ↓初航海に向かうタイタニック号 (写真はWikipediaより)
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    ↓海底に眠る姿 
    (写真はナショナルジオグラフィックチャンネル=以降NGCと表記 より)
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    ※1:かつてナチスもネガティブプロパガンダ用にタイタニック映画を製作した。

    ※2:タイタニック号の全長は269mで後の日本の戦艦大和の263mより6m長い

    ※3:日本はこの1912年の7月29日までは明治45年、30日から大正元年

    ※4:「初航海」は従来の「処女航海」という今の時代にそぐわない呼称の代わりとした

    ※5:犠牲者、生存者の数は諸説あり数人の差がある

    この海難事故の最大原因は”船が氷山に接触したこと”ですが、”その氷山接触を招いた誘因”と”事故を大きくして犠牲者を増やしてしまった原因”が多く指摘されています。

    その後者に当たる原因の一つが”リベット”。それ以外の誘因や原因についての記述は長くなるので別の機会にします。

    ◎船体の鉄板接合用のリベットがもろかった!
    船体に使われた鋼板は約2千枚。その厚さ2.5cmの鋼鉄板どうしを太さ2.5cmのリベット約300万個で接合して造られた。

    ↓建造中のタイタニック:鋼板の貼り合わせが分かる (写真はヒストリーチャンネルより)
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    ↓海底のタイタニック:鋼板とリベットが見える
    (写真はNGCより)
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    使用されたリベットの多くは機械で打ち込まれた。
    ↓リベットを機械で打ち込む様子(写真はNGCより)
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    しかし、船体前方の機械が使えない部位は人間による手作業でリベットが打たれた。後に氷山に接触した箇所はこの手作業部位が含まれるとされる。

    この手作業用のリベットは現場で赤熱されて穴に差し込まれ、それをハンマーで打ってかしめるものだが、そのためにこのリベットの素材には「錬鉄(れんてつ)」が使われて、これは鋼鉄などより炭素含有量が少なく比較的には軟らかいので強度を増すために「スラグ」を混入させていた。

    ↓タイタニック号のリベット打ちの手作業現場 (NGCの写真に拙者が説明追加)
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    ※鉄を炭素含有量の多い順に並べると・・鋳鉄>鋼鉄>軟鉄>錬鉄・・炭素量が多いほど硬くなるがもろくなる。

    「スラグ」は鉄など金属を製錬する際に出るカスであり、製鉄の場合では副原料として加える石灰石が” 主原料の鉄鉱石に含まれるシリカ(二酸化ケイ素=SiO2)やアルミナ(Al2O3)などの不純物”をとり込んだ状態の物質がカスでありスラグである。つまりスラグにはこれら不純物と石灰石の成分である酸化カルシウムが合体したもの。

    現代の製鉄でも発生するスラグは、セメント材料に混合、コンクリートの骨材(砂利や砕石)の一部として混合、道路のアスファルトに混入、地盤改良材などに使われている。

    錬鉄に混入するスラグは適量で効果を発揮するものの、多すぎると逆に錬鉄はもろくなるが、タイタニック号のリベットの錬鉄にはスラグが多すぎてもろかったことが近年になって科学的に確認された。

    実験として、厚み2.5cmの鋼鉄板2枚を太さ2.5cmの”スラグを混入した錬鉄製リベット”で接合したものに、”氷山に接触した際の衝撃の大きさである“少なくとも1平方インチあたり1万4千ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり約6.36トン)”を想定して力(ちから)”を加えた実験では、1平方インチあたり1万ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり4.54トン)以下の力でリベットの頭が裂断してしまった。

    ↓実験でリベット頭が裂断した瞬間 (写真はNGCより)
    titanic6 (2)

    しかも、電子顕微鏡で見るとタイタニックの実際のリベットの材質のほうが”実験で裂断したリベット”よりもスラグ含有量が多かったことも分かった。

    ↓リベットの素材を電子顕微鏡で見ると多数の黒いスラグが 
    (写真はNGCより)
    titanic8 (3)

    これによって、タイタニック号のリベットは氷山と接触した際に耐えられないもろさであったことが判明した。

    ◎当時の鉄材は低温劣化した!
    当時に使われていた鉄材は摂氏0度くらいの低温になるともろくなるものだった。これは難しい表現では・・”脆性(ぜいせい)破壊”しやすくなる・・となる。事故現場の氷山が浮かぶような海水温では船体の鋼板もリベットももろい状態だったことになる。先述のリベットの耐性実験は低温下で行ったらもっと悪い結果がでたのであろう。

    この”鉄材の低温での脆性破壊”現象が認識されるようになったのは、その後30年ほど経って起きた一連の「リバティ船事故」原因解析結果からだった。「リバティ船」とは第二次大戦時に米国が欧州を支援するための物資を運ぶ輸送船として大量生産された船の総称で約2710隻造られた。それらの造船における鋼板接合には従来のリベットによらずに溶接方法がとられたが、その溶接個所が原因とされる船体破壊事故が大小あわせて数百件も発生した。分析の結果、溶接技術不良もあったが、溶接棒の組成自体の低温での脆弱破壊性が発見され、鋼板どうしのつなぎ部分が弱かったことが判明したからであった。

    ただし、現在では
    ”低温での脆性破壊”が起きない鉄材が開発され、ついには"摂氏60度~マイナス60度の間で、むしろ低温になるほど、衝撃吸収エネルギーが上昇して強度が6倍に増加して破壊しにくくなる鉄材"を日本の独立行政法人 物質・材料研究機構が開発している。

    ◎船体損壊箇所と海水流入状況
    タイタニック号は深さ3千メートル※の海底に沈んだため、当時は実際の損傷個所を調べることなどできないため、「船底に90メートルの長さの穴があいた」などという見解も出たりした。
    ※水深の正確な数字は3650メートルともいわれるが、これは365(日)のちょうど10倍。

    ↓船体に開いた長い穴の想像図も登場 (NGCより)
    titanic15 (2)

    しかし、1985年に海底のタイタニック号が見つかって以降、幾多の有人、無人の調査装置での観察やソナー検査によれば、船体に大きな穴は存在せず、ただ船体前部の右舷側面に1.1~1.2平方メートルほどの小さな穴があり、それも鋼板が破れたのではなく、リベットの頭が裂断して接合していた鋼板どうしが離れて折れ曲がったためにできた穴とみられている。

    ↓海水流入開始時の様子 (図はWikipediaより)
    iceberg-titanic

    かくして2時間40分かけて流入した大量の海水によってタイタニック号は沈没した。

    ◎船とともに沈んだ楽隊が最後まで奏でた讃美歌
    私がタイタニック号を知ったのは今から約70年前、弟が学校の先生から聞いた話として「昔、タイタニックという大きな船が氷山にぶつかって(当時は接触という言葉は使われなかった)沈没する時に、船の楽隊の人たちは最後まで讃美歌を演奏しながら、船と一緒に沈んでいったんだって!」・・と教えてくれたからでした。今回その讃美歌の曲名がわかりました・・それは「主よ みもとに近づかん」
    なるほど、この曲ならば心を落ち着かせて覚悟はできたのでしょう。

    合掌
    ・・・・・・・・・・・・
    冒頭にも記しましたが、タイタニック号沈没に関しての今回の”リベット関連”以外の誘因や原因についてはまた別の機会に綴ります。
    ・・・・・・・・・・・・

    なぜ私が1月10日にこの文を綴り始めたかと申せば、世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解事故が69年前のこの日に発生したからです。一方、「タイタニック号」沈没という史上最大級(犠牲者数は最大ではないが)の海難事故もありますが、この二つの事故には「リベット」が大きく関係していたのです。

    ◎リベットとは・・
    金属板どうし(その他、例は少ないが皮革、布、紙など)を接合する場合に、それらを重ねた部分に貫通する穴をあけ、その穴に”金属製の短い円柱または円筒状の塊”を差し込み、それが抜けないように塊の頭と尻の部分をつぶしてひろげる(かしめる)・・という方法があるが、ここで言う”金属製の塊”が「リベット」で、これは日本語で言うところの(一種の)「鋲(びょう)」。

    ↓リベットで接合した鋼板の例((株)ワールドインテック社のHPより)
    rivet2

    ◎コメット機とは
    コメット機は英国のデハビランド社が開発・製造した世界初のジェット旅客機で、時速800キロで高度1万2千メートルを飛行(そのため高空では機内の空気圧は外気より高い状態)。定員42人。機体表面はアルミ合金板使用。

    ↓「コメット」機:4基のエンジン外装形状は主翼と一体化して非常にスマートだったが製造時やメンテナンス時は問題無かったのだろうか?
    comet1 (2)

    就航開始から1年半経過した1954年初頭時点で17機存在。その内9機をBOAC(英国海外航空)社が保有。

    ◎コメット機事故とその原因のあらまし
    ※詳細説明は長くなるので、今回のブログ文章の後部に付録させます。

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機がローマの空港から離陸して26分後に地中海上で空中分解して35名が犠牲となった。さらに3か月後の4月8日にまたローマ発エジプト行きのBOACのコメット機が空中分解して21名が犠牲となった。(4月8日はお釈迦さまの誕生日。不謹慎だが、この日にコメット機は”おしゃか”になってしまった)
    comet3 (2)

    事故の遠因は・・高度1万メートル以上を飛行したこと。そのため高空では機内の空気圧と外気圧の差を大きく生じ、地上では差は消えるという状態がフライトの度に繰り返されるので、機体を覆うアルミ合金板は「金属疲労(金属の板や棒などを曲げたり元に戻したりすることを多数回くりかえすと折れたり切れたりする)」を起こしてひび割れし、切断してしまった。

    特に金属疲労が起きやすかった箇所があった。・・それは”四角っぽい”窓や扉のコーナー部分。海中から回収された機体破片を継ぎ合わせてみると、その分部から き裂が走っているのが多く見られた。これは「応力集中」による現象というのだそうです。
    ↓窓のコーナー(右上部分)からき裂が・・
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    ↓コメット機の窓は遠目には四角だった!
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    この"四角っぽいコーナーから き裂が発生する現象"を逆に応用しているのが、プラスチック製の(菓子などの入った)袋の両端の"ギザギザ"で、その"山と谷"の谷の部分から裂けやすいように意図されている。この場合、"谷"部分が、コメット機の窓のコーナー部と同じ状態と言える。↓
    gizagiza (2)


    ◎リベット打ち込み時の穴が悲劇の引き金!
    多くの金属片をつなぎ合わせてその切断跡を辿ってみると、すべてのき裂は、機体天面の”無線送受信用の二つの窓”の周囲にリベットを打ち込んだ際の穴の縁にできた小さな”ひび”から始まっていることが判明したのでした。

    ↓胴体天面の二つの窓
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    ↓その窓周囲に打ち込まれたリベット(再現図)
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    ↓右の窓のコーナー部のリベット穴が き裂出発点
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    「全ての道はローマに通じる」(All roads lead to Rome)という言葉があり(ちょっと意味がちがい)ますが、ここでは「全ての亀裂はリベット穴に通じる」ことになってしまいました!

    デハビランド社はコメット機の欠陥を解消して4年後に復活させたが、一度信頼性を失った同機は受け入れられず、その間に米国ボーイング社が新たなジェット旅客機を登場させたりしたので、デハビランド社は他の航空会社に吸収されてしまったのでした。
    ・・・・・・・・・・・・
    下の絵は私が小学校1年生のとき、ある本に「世界の飛行機」だったか?の絵が載っていたものを真似して描いたもので、中でもコメット機のカッコ良さが気に入っていましたが、左下に「いぎりす (時速)800きろ」と書いているのでコメットのつもりと判断できるもののエンジンを5基にして、いいかげんだった。
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    ・・・・・・・・・・・・・
    《コメット機空中分解事故と原因究明詳細》 (上記以外)

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機781便は、シンガポール発ロンドン行で、中継地ローマの空港を午前10時31分に離陸したが、その26分後の10時57分に突如消息を絶った。

    当初は原因不明で爆薬による破壊説などもあったが、地中海のエルバ島付近で操業中の漁民が事故を目撃していたことと、遺体の損傷具合が爆発物によるものでではなかったことで、単なる空中分解と判明。乗客29名、乗員6名、計35名が犠牲となった。


    そして漁民らは機体破片落下海域で遺体を引き揚げたりしていたので、捜索範囲が絞られた上に付近は水深120メートルほどなので残骸回収は楽かと思われたが、ブラックボックスもまだ無い当時の技術では難航したものの最終的に大部分が集まった。(時の首相チャーチルが海軍も動員させて機体徹底回収を指示した)

    ◎再び同じ事故が起きた!
    目立った設計ミスや製造ミスは確認されないが、事故の根源的原因がまだ特定されてない状況にもかかわらず、事故から10週間後に英国政府はコメット機の運航再開許可を出した。

    そこでBOACが運行再開して間もない4月8日、ローマからエジプトに向かうコメット機がまた地中海上で空中分解して乗客14名と乗員7名あわせて21名が犠牲になり、機体の破片は水深1千メートルの海底に沈んでしまった。つまり3か月の間に2機が同様の事故を起こしたので当然コメット機は運航即時停止。

    チャーチル首相は原因徹底追及を英国王立航空研究所に依頼。そこでさらに科学的分析とその検証が行われた。その例は・・

    (1) 客室胴体部分の縮尺1/10の模型を透明プラスチックで作り、内部に座席やダミー人形を配置して、胴体内部空気を加圧した状態で小さな穴を開けて急減圧したところ、座席は内部で吹っ飛び、ダミー人形は頭や体を天井や内壁に激しくぶつけた。これで一連の事故犠牲者の頭部陥没と肺臓の破裂や内部損傷の原因が実証された。

    ↓1/10の模型
    comet4 (2)
    ↓急減圧すると座席とダミー人形は天井や内壁に激突した 
    comet5 (2)

    (2) 実機のコックピット部と尾翼の付いた後部を除去した残りの”客室部胴体部分”を納める巨大水槽(巾7m/長さ34m/深さ5m)を作り、胴体と周囲の水の注排水を繰り返して、地上と1万メートルを超す間の気圧の差による”機体内の加圧と減圧による機体の膨張と収縮”を再現して、これを繰り返してみたところ、3千回行なったところで外装のアルミ合金板の一部にき裂を生じ始めた。

    ↓巨大水槽で実験
    comet6 (2)

    ↓水槽実験で外装のアルミ合金板3千回の屈伸による金属疲労で き裂発生した部分
    comet7 (2)

    (3)実機を使って客室内を加圧⇔減圧状態の実験をしたところ、窓や扉周辺のコーナー部には強烈な歪(応力集中)が発生していることが計測されたので、この部分からき裂が発生しやすいことの裏付けとなった。

    ※無線送受信用窓周囲の打ち込みリベットの穴が事故の引き金になった・・という説明は前記の通りです。

    (
    コメット機に関係の写真はナショナルジオグラフィックチャンネルより引用)
    ・・・・・・・・・・・・
    次回はタイタニック号沈没とリベットについて・・です。
    ・・・・・・・・・・・・

    前々回にカナ点字、前回に漢点字などを主にとりあげましたが、今回は・・

    ◎色々なモノ、所に点字が・・

    ・シート状媒体(紙、プラスチック、アルミなど)に・・
    (A)点字(凸点)のみ表記・・表と裏の両面に表記もある

    (A1)従来型の点字・・裏から突かれて出来る凸点

    (A2)特殊加工紙で浮き出させた点字・・熱を受けると発泡して立体になる素材をコーティングした特殊紙を利用して専用プリンターで出来る凸点。この場合、面的加熱して地図などの立体図も出せる。

    点字と立体(輪郭)地図を組み合わせた例 ((株)アメディアのHPより)
    3d-printed-map

    (B)墨字(印刷)と一緒に点字も併記

    (B1)墨字印刷面の裏から点字型を押し出して
    墨字も点字も両方が読める・・これも両面表記がある

     (B2) 墨字印刷面の上に透明プラスチックの
    凸型点字を付着させて墨字も点字も両方が読める

    ↓(B2)の例・・一見すると普通の紙の印刷パンフレットだが・・
    tenji-pamph2 (3)
    ↓上写真の部分拡大(あえて透明点字に影がつくように光を当てて凸点の存在が見えるようにした状態)
    tenji-pamph1 (2)
    (富士通(株)総合デザインセンター発行物)

    ・公共の場所、設備・・トイレ、エレベーター操作部、駅階段手摺などに
    エレベーターの点字例
    elevator-tenji1

    elevator-tenji2

    ・アルコール飲料(ビール、発泡酒など)缶の天面
    beer-can-tenji (2)

    ・その他、一部の家電製品の操作部に点字併記、などがある。

    ◎意外に多い点字関連ソフトや機器
    現在の日本で点字を読める人が約3万人と決して多くはないが、マイノリティも大切にするばかりでなく、点字の良さも生かそうとして、点字の作成と判読に関しての多様な機器が出現している。
    例えば、視覚障がい者が文章やメモを作成する場合に自分の声で入力する方法は楽であるが、その場合に”しゃべる内容が周囲に漏れてしまう”あるいは”しゃべる声が周囲には騒音・雑音になってしまう”ことがあるという欠点を生じるが、”無声で点字入力”すればそれを回避できる。そこで便利なのが・・

    ・小型点字メモ機「オービット」9万8千円(福祉用品なので非課税)
     上のボタンで入力して下の窓に20文字分の点字(8点式)が出る
    tenji-memoki

    その他、点字関連ソフトや機器は多い。
    ・点字変換ソフト・・ワード、一太郎などの文字をテキストデータ化して点字用に変換するソフト。
    ・自動点訳機・・上記のようなソフトを内蔵して、本やデータから点字を作る。
    ・点字プリンター(86万3千円)・・ハンマーソレノイドによるインパクト印字(電流が流れると棒が飛び出して、その先端が紙を突いて凸点を作る)
    点字プリンターの一例
    tenji-printer2

    ※点字関連ソフトや機器の詳しい情報や視覚障がい関連の最新情報無料メルマガ申し込みは・・
    (株)アメディア社のホームページ

    (有)エクストラのホームページ

    ◎糖尿病から失明する人も多い
    糖尿病が原因で起きる視力障害が「糖尿病網膜症」。

    ※下記データは日本眼科医会や厚生労働省などの間では数値に大きく差異があるので混乱しますが、糖尿病患者も糖尿病網膜症患者も多いということです。・・一応数字をあげると・・

    ・糖尿病患者数・・1000万人(他データで1620万人や2000万人)
    ・現在日本の「糖尿病網膜症」者数・・140万人(他データで300万人)

    日本の「中途失明」など後天的視覚障がいの発症原因トップスリー
    (厚生労働省 平成28年)
     1位:緑内障:28.6 %
     2位:網膜色素変性:14.0 %
     3位:糖尿病網膜症:12.8 %

    ◎中高年齢で「糖尿病網膜症」発症では点字は無理?!
    実は、前述の” 後天的視覚障がいの発症原因”は” 50,60才代に限れば糖尿病網膜症が1位”であり、それでは歳をとってから視覚障がい状態になって、いざ点字を習得しようとしても、指先の皮膚は硬くて感覚は鈍くなっていて、しかも新しく学習する能力も減退しているので、それは無理なことが多い。

    ◎「すこやか食生活協会」の理事長の要望は・・
    正確には公益財団法人「すこやか食生活協会」と称する組織の以前の名称は「視覚障害者食生活改善協会」(所在地:東京都中央区日本橋本町)であり、視覚障がい者を対象とした食生活に関する各種情報提供や社会への提案などを行ってきたが平成12年に名称変更するとともに対象を視覚障がい者のみならず各種身体機能が減退したシニアにも広げた。

    今から20数年前でまだ「視覚障害者食生活改善協会」と称していた頃に、私はこの協会から何度か呼ばれて伺ったことがありますが、この法人の母体は厚生労働省と農林水産省であり、ここの理事長(推定60才以上)はそのどちらかの省の元高級官吏であったに違いないが、当時の理事長は”眼が不自由”であり、(失礼ながら私の推察では)糖尿病網膜症だったのではないかと思えた。

    ある時、この理事長から「我々視覚障がい者は、加熱調理をする時には”炎の出るガスコンロ”などが苦手だから電子レンジは大変重宝しているけれど、加熱時間設定などの操作の際に音声案内が是非欲しいものです」という要望が出された。

    それはごもっともな事で、点字判読ができない人向けだけではなく、”加熱時間”を例えば1分20秒など細かい設定をしたい場合、視覚障がい者にとっては音声告示が最も便利。これは電子レンジのメーカーにとっても都合が良く、なぜならば機器の表面には点字を並べるスペースが確保できないから。
    その後、”音声案内付き電子レンジ”は市場に出たのだろうか。

    ◎やはり”音声(聴覚)”による情報伝達は頼りになる
    前述の電子レンジの例のように、点字が読めない人に対してはもちろん、情報伝達をするには点字では対応できない場合なども、年齢に関係なく点字よりも音声情報が便利なことは間違いない・・ということで、身近な機器から街なかや交通関連施設・設備などに音声情報提供の例は多い。

    横断歩道の青信号時メロディ、駅構内の階段・エスカレーター存在位置案内メロディなどの他に・・

    ・「コード化点字ブロック」(W&Mシステムズ合同会社)
    既設の点字ブロックを活用して音声案内発信機能を付加したもので、アプリをインストールしたスマホのカメラをかざすと、現在地や周辺の情報などを多言語で音声案内。視覚障がい者のみならず外国人(インバウンド)観光客にも便利。
    tenji-invi-block

    ・「快速よむべえ」((株)アメディア)26万円、モニター無し22万8千円、読み上げのみ19万8千円
    カメラ部で本や印刷物を読み取り、音声で読み上げ、文字は拡大してモニター画面に表示する読書機。
    請求書、レシート、銀行通帳も読める。日本語、英語、中国語、ハングル対応。
    ↓この写真ではこの機器セットの中心となる筐体はモニター裏面に接置して隠れている。 
    yomubei

    その他の製品には・・
    ・パソコン画面の音声化ソフト・・電子メールまでも読みあげるタイプがある。
    ・音声読み上げ式各種測定機器・・キッチンスケール、体重計、血圧計など。
    ・音声ガイド地図
    ・視覚障がい者向けGPS歩行支援システム

    ◎視覚障害がい者への”点字、音声以外の伝達手段”
    ・切り欠き付き各種カード・・各種カードの種別が触るだけで区別できるようにカードの縁を切り欠いたもので・・テレホンカードは半円、交通系は三角、買い物系は四角の切り欠きを基本とすることがJISにも規定されている。
    ↓切り欠き3種(E&Cプロジェクト作成)
    card-cut

    ・触読式腕時計・・腕時計表面の透明蓋を跳ね上げて文字盤の凸文字を指で感知する
    シチズン、セイコー、(1万4千円・非課税)、GRUS(オープン価格) (写真はアメディア社のHPより)
    tenji-watch2

    ・振動コンパス(iphone対応)・・スマホが北を向くと振動する。
    (写真はアメディア社のHPより)
    vibra-compass

    ◎シャンプー容器とポンプノブ天面のギザギザは・・
    現在、シャンプー容器の横腹部またはポンプ容器のプッシュノブ天面にはギザギザが施されていて、
    視覚障がい者はもちろん、晴眼者も洗髪時には(たいてい)目をつぶるので”一時的視覚障がい者”になるために、手探りでシャンプーと(ギザギザが付いていない)リンス(コンディショナー)は区別できる。この”ギザギザ付け”は1991(平成3)年に花王が発案して採用開始したが、他社にも同様のギザギザを施して統一することを提案した結果、現在各社製品に採用されている。
    ↓花王のHPより
    kaoh-gizagiza
    ・・・・・・・・・・・・
    その他、国政選挙などでは点字による投票ができることになっていますが、これを含めたユニバーサルデザイン関連については、また後日にとりあげます。
    ・・・・・・・・・・・・

    文学の素養など無い私でさえ、最近の我が国における”言葉の使われ方”、”イントネーション”、”発音”などで気になることがある。しかしながら、”言葉は生き物”と言われ、例えば”独壇場”は元の読みは「どくせんじょう」だったのが今やすっかり「どくだんじょう」の独壇場!?。このように今は気になってもやがてそれが標準になるかも知れないのだが・・

    ◎「緊張感をもって」、「スピード感をもって」は ずるい!
    つい最近のこと、国会の参議院本会議中に居眠りした某大臣、野党から責められてのおかしな釈明内容だったが、最後に「今後はそのようなことが無いよう、緊張感をもって審議に臨みたい」と述べた。

    元々この大臣の行為は言うまでもなく責められるべきものだが、ここで私が問題にするのは・・
    「緊張感をもって」という部分である。この「〇〇感をもって」という表現は他にも(首相もよく使われる)「スピード感をもって」というものもある。

    prdt-kisida
    画像は「TBS NEWS DIG」より引用

    この「〇〇感をもって」という表現の” 〇〇感”というものは、その言葉を発した個人のあくまでも”主観的な感じ”なのであり、ゆえにその人が”緊張感をもって”あるいは” スピード感をもって”行動・対処する(した)様が、他人あるいは社会からみて一般的、客観的には”緊張して事にあたっているとは言えない”あるいは”迅速な行動とは言えない”として責められても、その弁解で「私(の中で)は緊張感(スピード感)をもって行動しました」と言って逃げることができるずるい表現だ。

    これだから「〇〇感をもって」という表現は”言うだけ”、”言っておく”だけの便利な道具にもなっているようだ。

    やはり、「緊張感をもって」と言わずに「気を引き締めて」あるいは「真剣に」など、そして「スピード感をもって」ではなく「スピーディーに」、「迅速に」、「早急に」と言うほうが(これらもまだ曖昧と言えば曖昧だが)ベターだろう。(大臣たちの発言、答弁の多くは官僚が作成した原稿の読み上げと言われるが、やはり最終的な責任は発言者にあるのは言うまでもないが・・)

    ◎”20”の読み方のイントネーションには従来とはちがったものが出てきている
    同じ”20”でも、その後に付く数詞によってそのイントネーションが異なり、「20才」、「20数人」ではそれぞれ異なる定番のイントネーションがある。(ただし東京圏の標準語以外については分かりませんが)・・では数詞をつけず単に”20”だけを発音するとどうか、我々シニア世代は前記の「20数人」の場合の”20”と同じイントネーション、つまり”に”の高さから少し下げて”じゅ”さらに少し下げて”う”という音程で発音してきた。(音程を折れ線グラフにすれば”右肩下がり”)

    ところが近年、若者(と言っても現在40才代前半の我が息子も入る)は”にじゅう”の”に”より”じゅう”を高くして、つぎの”う”を”あたまの”に”と同じ高さに戻すという音程で発音する。(音程を折れ線グラフにすれば”山型”)

    この”20”の新たな発音イントネーションに対してシニア世代は違和感(気持ち悪さ)をおぼえるが、なんとNHKの若手アナウンサーも使っている状況だから今後はこれが主流になるのか?

    最近のNHKのニュースの一部はAIによる自動音声を使っていて、確かに進歩して人間のナマの声とほぼ同じように聞こえ、イントネーションも自然になっているが、”20”に関してのイントネーションの使い分けは、さてどうなっているのか? 私はまだ確認できていないが・・。

    ここで思い返せば、我々の若い頃、それまでオーディオの”アンプ”のイントネーションは”ア”から下がり”ン”さらに下がって”プ” (音程を折れ線グラフにすれば”右肩下がり”)だったのが、1965(昭和40)年頃には”ア”から”プ”まで抑揚無し(音程を折れ線グラフにすれば”水平”)にして発音していたし、

    同時期、同様に”ギター”もそれまでのイントネーションが折れ線グラフにすれば”右肩下がり”だったものを折れ線グラフにすれば”水平”に発音し始めていたから文句は言えないか・・。

    ◎”ら”抜き言葉や形容詞誤用をテロップでは・・
    例えば、従来なら「見られる」と言っていたものを今や「見れる」と言って、いわゆる”ら”抜き言葉を使う(助動詞の誤用)人が非常に多い。しかしテレビ各局では、ある人が”ら”抜き言葉を使ってもテロップには”ら”を入れて画面に流している。

    他にも、多い例が「すごいきれい」、「すごい感動した」という表現。本来なら「すごく」という副詞を使うところが形容詞になっている。この場合もテレビ画面には副詞に換えたテロップが流れている。

    しかし”ら抜き言葉の使用”とこの“形容詞誤用”の双方とも意味は十分通じてしまうから、将来もこの流れは続いて定着するのだろう。テレビなどのテロップも変わるのだろうか?

    ◎鼻濁音を使ってやわらかな表現をする人たち
    鼻濁音とはどんなものなのか説明すると長くなるのですが、実例として分かりやすいのは、「が」という音が”言葉のアタマ(先頭)ではなく途中にきた場合”と”助詞として使われる場合”に、「が」を鼻に抜けるようにして「が」のように発音するもの。これによって話し言葉全体がやわらかい感じになる。

    鼻濁音について少し詳しくは私の過去のブログ(2018.8.18発信)の後半部分を参照ください

    かつて国民的歌手の美空ひばりは鼻濁音を顕著に使った。

    美空ひばり 切手(1997=平成9年発行:日本郵便HPより)
    misora-hibari

    しかし、現在は鼻濁音を聞くことが少なくなっている中で、私は最近のテレビ放送の中に鼻濁音を目立って使っている人を二人見つけていて、その一人が・・

    北條真紀子さん(1972=昭和47年生まれ):24時間テレビ通販番組「ショップチャンネル」のキャスト(商品紹介説明員)。同チャンネルには29人のキャストがいて、中には”言葉を畳みかけるようにガンガン連射する”人もいるが、北條さんは「北條節」とまで称される”極めて心地よい語り”をする人。これには鼻濁音を豊富に使っていることの影響も大きい。

    北條真紀子(「ショップチャンネル」HPより)
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    この人、実は「ショップチャンネル」の社員ではなく、某派遣会社からの派遣員だが、2001年28才からこの仕事に従事して21年、その魅力の”語り方”にファンも多くて、休暇などで番組への登場がちょっとでも途切れると、ファンからこの番組主体のジュピターショップチャンネル社に問い合わせがあるくらいの人気。

    以前は昼間時間帯にも出ていたが、看板キャストだけに、”テレビ通販のゴールデンタイムである午前0時~2時”の担当が主になったようなので、私も最近は顔を見ることが殆どなくなっている。    

    そしてもう一人が・・

    ホラン千秋(1988=昭和63年生まれ。父はアイルランド人、母は日本人):タレントであり、現在TBS系の夕方の報道番組「Nスタ」のキャスターも担当しているが、この人の鼻濁音も顕著。

    ホラン千秋(TBS「Nスタ」テレビ画面より)
    tiaki-horan (2)

    国際結婚した母親が、我が子には鼻濁音を使うやわらかな良き日本語を意識的に教えたのであろうと、私は想像している。

    しかし、この鼻濁音というものも消滅に向かうのだろうか?
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    以上、最近の日本語で私が気になる”表現”をあげてみました。
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    前回はカナ文字点字関連についてでしたが今回は漢字も肝心ということで・・ (文中敬称略)

    ◎「漢点字」の有難さ
    日本語の点字は基本的にカナ文字を表すものなので、点字から得られる第一次的情報は表音文字の羅列であり、”漢字が使われている文章“を点字化したものからは、表意文字である漢字の良き味わいが伝わらないという一面がある。

    川上泰一(かわかみたいいち:1917=大正6年~1994=平成6年:東京物理大学(現 東京理科大学)卒)が大阪府立盲学校で教師をしていて、視覚障がいの生徒たちが”漢字というものの存在”を知らないことに驚くと同時にこの状況を打破してあげようと決意。

    そこで点字で漢字も表せないかと考え、従来の点字の形式である6点の上に”漢字であることを表す2点”を加えた「漢点字」を考案して1970(昭和45)年に公表した。


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    ↑↓川上泰一 (図と写真は朝日新聞2009.11.30より引用)
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    その後、1987(昭和62)年に「漢点字協会」設立。コンピュータ利用による漢点字関連の自動化や” 漢点字化した漢字”の数を増やし、遂に「大字典」(講談社)の1万4924字の漢点字化を完成。現在は漢点字に関する日本工業規格(J I S)も設定されている。

    現在、点字が読める人たち3万人の内で漢点字が読める人は約1000人しかいないが、漢字が読めるようになって漢字のもつ豊かな表現力を知ったある視覚障がい者は「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と言う

    ◎”漢字否定し、カナ文字やローマ字推奨派もいるが・・
    明治時代末期に漢字廃止論が盛んになり、1920(大正9)年に大阪で「仮名文字協会」が発足。”漢字廃止。カナで左から横書き”を主張して機関誌「カナ ノ ヒカリ」発行。1923(大正12)年に「カナモジカイ」に改称してし、政府の国語審議会や国立国語研究所にも1960年代まで参加協力。現在も活動継続しているが、かつて財団法人だったが現在は任意団体となっている。

    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」
    (「古書の旭文堂書店」通販サイトより引用)
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    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」ダイ イチ ゴウ(第1号)のカナによる文章一部
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    カタカナを推奨するカナアモジカイとは別に”ひらがな”を推す人もいる。
    ↓さいとう きょうぞう 作成 「ひらがなぶんこ 坊ちゃん 夏目漱石」の部分(我が家の倉庫に保管中に雨漏りで少々かび付着でお見苦しい点 ご容赦ください) (クリックで拡大)
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    カナモジカイと同様な趣旨で、日本語をローマ字で表現しようと主張する「日本ローマ字会」と「日本のローマ字社」も存在する。実はこの動きはカナ文字化主張派出現よりそうとう早く、1969(明治2)年に始まり、1885(明治18)年には前身である「羅馬字会」が創立されている。

    カナモジカイやローマ字会に限らず、”漢字の存在が日本の文化や教育の発展、情報伝達を妨げている”とする見解を述べる学者や”小説の世界でも漢字の使用頻度が少なくなってきているとみて、実際に泉鏡花(←語彙の豊富さにあの三島由紀夫も驚いていた)から現代作家にかけての多数の小説内の漢字数が確実に減っている”ことを調べ上げた学者もいて、”漢字は将来、消滅する”という学者の方々がおられる。

    しかしながら、これらの説、見解は”効率に視点を置いたもので、漢字を配置した文章から受けるイメージや情緒のような面は排除されている”ように感じられ、それはあたかも”文明偏重、文化軽視”につながるように思える。しかも”カナのみ使用の欠点”として”同音異義語問題”は 必ず挙げられる。

    加えて、カナモジカイが当初発表した設立趣意文には、”日本にとって重い荷物となっている漢字”は・・「シナ カラ ノ カリモノ! オタガイ ニ キ ガ ツケバ、カエシテ シマオウ デワ ナイカ」※・・としている部分があるが、これを徹底するには・・

    漢字で出来ている熟語はほとんどが(中国由来の)”音(おん)読み”であり、それをそのままカナにするのは矛盾があることになるから、その熟語を”やまとことば”になおしてからカナ文字化しなければならず、そうなると必ずや字数が増えて、作文するにも読文するにも非効率となる。

    「シナ」と言う言葉は本来、古代中国の秦が語源であり英語のチャイナの源でもあるものの、かつて日本は中国の蔑称としてシナ(支那)を使っていたので現在は使わないことが主流で、放送業界でも使用自粛語とされている。現代の中国(人)もこの言葉を拒否する。カナモジカイが当初に発した文言にも当時のシナ観のニュアンスが感じられる。(私が子供の頃には使われていた「支那そば」(現、ラーメン)や「シナチク」(現、メンマ)はほぼ使われなくなったが「南(東)シナ海」の呼称はどうなるのか?)

    どうもカナ文字推進論者の方たちは”漢字の持つ意味、字態(体)が脳裏にしみ込んでいる状態”がベースになっていて、カナ文字化したものに接しても無意識のうちに該当する漢字が浮かびあがるから不都合を感じないのではないかと思える。

    あらためて、前述のように”漢字の存在を知らなかった視覚障がい者が漢字を認知したら「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と表現する”ということには、漢字の存在意義を再認識しなければならないだろう。

    以上のように、文章を書くという場合において漢字は効率的にはカナなどに劣るが良い面もあり、カナは効率的には良いが問題もあるので、昔は困っていたが・・

    今やパソコンなどを使用して文章作成することによって問題はほぼ解消するので、漢字・かな・カナ混じり文は安泰であろう。 

    私が自然に実践しているので一つ言えることは、急いで手書きで文章作成したりメモしたりする際にはカナ書きすることが多いので、カナ主体文も時と場合によっては”アリ!”と言える。
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    点字に関してのお話、糖尿病との関連も含めて、次回の(3)に続けます。
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    ◎「点字制定記念日」の11月1日
    11月1日は「点字制定記念日」。その由来は、日本の点字の父と言われる石川倉次(いしかわくらじ:1859=安政6年~1944=昭和19年)が、既にフランス人のルイ・ブライユによって完成していた”6個の点の組み合わせによる”アルファベット用点字を応用して作った日本語のカナ用(6点)点字の方式が正式採用された日が1890(明治23)年11月1日だったことから。

    ↓点字(カナ)例
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    引用した上図を含む点字自体の詳細説明は・・こちら

    ↓石川倉次 (写真は筑波大学附属視覚特別支援学校のHPより引用)
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    石川はその後も東京盲唖学校などで教師をしながら点字に関する研究を続けて、視覚障がい者がいつでもどこでも表現できる「懐中点字器」や「石川式点字タイプライター」を開発するなど日本の点字発展に尽力した。
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    写真は(千葉)「県民だより」2017年12月5日号より引用

    ◎視覚障がい関連の基礎情報と用語

    〇日本の視覚障がい者数:約164万人(ロービジョン者:145万人/失明者:19万人)
      ・ロービジョン者・・よく見える方の目の矯正視力が0.1~0.5
      ・失明者・・・・・よく見える方の目の矯正視力が0.1未満

    ※上記の分類と推計は日本眼科医会によるものであり、厚労省による” 日本の視覚障がい者数:約31万人”と大きく相違しているが、両者の調査基準の違いとともに視覚障がい者の実数が掴みづらい結果と言われる。(障がいがあっても申告しない人や障害者手帳をもらわない人がいるなどのため)

    〇毎年の失明者発生数:約3000人

    〇中途失明(者):生まれつきではなく、ある時期までは目が見えていた(人)

    〇点字が読める人:約3万人 (日本国内)

    〇この分野でよく使われる、対峙語
    ・視覚障がい者(障害者/障碍者) ⇔ 晴眼者(目が見える人)
    ・点字 ⇔ 墨字(すみじ:印刷または手書きされた文字)

    〇「ライトハウス」:視覚障がい者の為の情報発信、悩み相談対処、職業訓練(はり、灸、マッサージ)、受け入れ施設斡旋、盲導犬斡旋など行う機関・施設。大阪に「日本ライトハウス」がある他、「京都ライトハウス」、「東京ライトハウス」など各県(全てかは当筆者未確認)にライトハウスが存在。本来「lighthouse」は灯台のことだが、灯台の光の様に視覚障がい者の人生航路を明るく導く意味が込められている。

    ◎石川倉次は浜松に生まれ、東京の染井霊園に眠る
    石川倉次は幕末に遠江国(とおとうみのくに)浜松藩(現、静岡県浜松市)の武士の子として生まれた。明治維新直後に父が仕える君主が国替えとなったので、それに伴って上総国の鶴舞藩(現、千葉県市原市)に転居。時に倉次10才で、以後学業優秀で教員になって千葉県内のいくつかの小学校に勤務していたが茂原小学校校長時に、東京の盲学校教員になって欲しいという強力な要請が当時の盲唖教育の実力者からあり、28才で上京して以降、視覚障がい者と聴覚障がい(発音障がい)者教育に専念しながら点字とその関連機器などを開発した。

    私が現在住んでいる千葉県では”点字の父 石川倉次”が10才から28才までを過ごしたことによって、何かと氏の名前が出てくるので、今回このブログのテーマに”点字”を選んでみたわけです。

    石川倉次は今、東京都豊島区にある「東京都立 染井霊園」に眠っています。東京のゆえか、いくつかある大きな霊園には多くの有名人の墓があり、この染井霊園には芥川龍之介、谷崎潤一郎、田沼意次、高村光雲、高村光太郎、高村智恵子、水原秋櫻子、岡倉天心、二葉亭四迷、遠山金四郎景元たちも眠っています。  (↓クリックで拡大)
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    ↑↓「染井霊園MAP」(東京都豊島区文化観光課 発行)(見易くするため筆者が二分)
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    お話が飛びますが・・現在日本の代表的な桜である「染井吉野※」はこの霊園の在るあたりで生まれたそうで、ここは昔、染井村と称して植木職人の町であり、そこで江戸時代後期にたまたま”花だけが先に咲いて葉が後から出る美しい桜”が一本だけ生まれたもので、(現代の科学的分析によって「染井吉野」の母親は「エドヒガン」、父親は「オオシマザクラの雑種」ということが判っている)それを染井の植木職人が、有名な奈良県の吉野の桜の名を借りて染井吉野と命名し、その一本を接ぎ木でどんどん増やし、この方法が後世にも受け継がれて日本中に増殖したので全国クローンだらけの桜模様となっている。 ※植物学者たちは、最初の一本を純粋に受け継ぐ「染井吉野」と純粋とは言えない「ソメイヨシノ」があるとして区別している。

    石川倉次が少年・青年期を過ごした、現在の千葉県市原市鶴舞には、現在「千葉県立市原特別支援学校つるまい風の丘分校」という視覚障がいなどの児童のための学校がおかれている。また鶴舞地区は桜の名所であり、氏は今、染井吉野という桜の発祥地に眠っている・・というわけで"桜"に縁があるようです。
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    点字に関してのお話、長くなるので次回に続けます。P.S. 下記ご参考までに・・
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    11月1日を「〇〇記念日」や「〇〇の日」としている例は、点字制定記念日の他にも沢山あって・・(ワンワンワンの) 犬の日 灯台記念日紅茶の日すしの日本格焼酎の日泡盛の日川の恵みの日野沢菜の日石勝線(せきしょうせん:北海道)開業の日東武鉄道創立記念日明治神宮創建の日山手線環状運転開始の日計量記念日古典の日教育の日生命保険の日カーペットの日サービス介助士の日ラジオ体操の日自衛隊記念日警備の日本の日ダーツの日名木伝承の日紅茶の日玄米茶の日ソーセージの日いい医療の日スーパーカーの日世界ヴィーガン デーなどで、各々その由来などを掲げると大変な量になるので割愛しますが・・詳細は・・
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    このブログ発信時点では、ウクライナの港からの農作物輸出が再開されるかどうか怪しい状況で、この先どうなるのか? 船舶による輸送が滞って倉庫には小麦だけでなくヒマワリの種と油までも大量に滞留しているので世界的な食糧危機を招いているが、一方、航空機による物資輸送にも支障がでているはず。

    私は、チェリノブイリ原発と、ただ1機しか存在しない世界最大の輸送機「アントノフAn225」がウクライナにあったとは知りませんでしたが、報道写真で”ロシア軍によって破壊されたアントノフ機の無残な姿“を見てショックを受けた。

    破壊されたアントノフAn225(朝日新聞デジタルより引用)
    broken225

    アントノフAn225には一回り小さいアントノフAn124が存在することは私も知っていたので、225破壊のニュースばかりの中、124は大丈夫だったのか心配したが、これも残念ながら225近くに駐機していたので一部損壊していることもその後に知って二重にショック! しかしウクライナにはAn124が7機もあり、無傷のものもあるそうで少し安心した。

    この2機種はその大きさゆえに”チャーターされて”緊急かつ大量または大型の物資”輸送に世界的に大活躍していたので、これから困る企業や地域、国が出てくるのではないかと気になるところ。 この2機種の概要とその活躍とは・・

    ◎世界最大輸送機「アントノフAn225(愛称:ムリヤ/ムリーヤ)」
    全長84m/全幅88.7m/最大積載量250t/最大離陸重量640t/エンジン6基
    Antonov225all
    An225(Wikipediaより)
    車輪の数がすごいAn225!(Automotive media ResponseのHPより)
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    An225の活躍例
    ・2008年:サモア沖地震被災地への救援物資輸送
    ・2010年:ハイチ大地震復興支援物資等輸送(日本の防衛省がチャーター)
    ・2011年:東日本大震災救援物資150トンの日本向け輸送(フランス政府がチャーター)
    ・2020年:中国・天津からの医療品をカナダへ輸送

    ◎大型輸送機「アントノフAn124(愛称:ルスラン/ルスラーン)
    全長68.96m/全幅78.3m/最大積載量150t/最大離陸重量405t/エンジン4基 
    (エンジン1基は4トン、主翼の中のタンクには燃料のケロシン25万リットル、荷室床はチタン製、30トンクレーン内蔵)

    An124(以下写真4枚はディスカバリーチャンネルテレビより引用)
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    An124の活躍例
    ・1999年:広島電鉄5000系車両輸送
    ・2003年:自衛隊イラク派遣関連物資輸送
    ・2010年:自衛隊海外派遣に伴う重機、ヘリコプター(チヌーク)輸送
    (防衛省は自衛隊海外派遣に伴うチャーターをその他多数回行っている。) 
    ・2011年:東日本大震災時の福島第一原発事故処理用の注水ポンプ車をドイツから輸送。
    ・2014年~:ボーイング787型機の一部製造担当の日本工場への機材や部品の輸送に頻繁に飛来。 (中部国際空港着)
    ・NASAや三菱電機の人工衛星の運搬に多用されている。
    ・(発生年不詳)世界最大の風力発電機メーカーであるヴェスタス社(本社:米国コロラド州デンバー)が直径67メートルの風車の発電機を受注したが、そのブレード(羽根)(1枚30数メートル)の”成型用の型”が中国の上海にあったものをデンバーに戻す必要が生じ、しかも納期の関係で短時間に実行するためにAn124をチャーター。その結果チャーター発注から72時間で到着(飛行距離約1万キロ)。もしこれが船便なら1ケ月半から2ケ月かかるもの。
    ブレード成型用の型の輸送に使われたAn124
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    上海から米国デンバーへの途中An124の機中から見えた富士山
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    デンバーに到着した”風力発電機ブレード成型用型”(長さ30数メートル)をAn124後部から引き出す作業(この機種では積載物の出し入れは機体頭部からもできる)
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    ◎An225、An124参考
    ・An225は旧ソ連において”ソ連版スペースシャトル「ブラン」”を運搬するためにAn124(1982年初飛行)をベースにして大型化し、ブランを背負うかたちになるようにアントノフ設計局が設計して作られ、1988年に一度だけ飛行したが、ほどなくソ連崩壊により、その役目は終わった。

    ブランを背負って飛ぶAn225(米国ではボーイング747がスペースシャトルを背負って飛行)
      (vasily koba wikimediaより引用)
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    ・ソ連崩壊後はAn225や124をウクライナの「O.K.アントノフ記念航空科学技術複合体」が所有と開発を行っていて、子会社の「アントノフ航空」がAn124と225を大型積載物輸送用にチャーター機とするビジネスを展開している。

    ・An124はソ連時代からの生産累計は56機で現存は52機。内26機はロシアが軍用機として使用中。残り26機が民間用で、7機がウクライナのアントノフ航空所有。12機をロシアのヴォルガ・ドニエプル航空が所有。このヴォルガ・ドニエプル航空のAn124は2010年の自衛隊海外派遣に伴う重機、ヘリコプター輸送時やボーイング社の787日本製造工場への部品等輸送などにチャーターされている。

    ロシアによって破壊されたAn255は修復不可能だが、実は別に同型のもう1機が70%まで製造途中だったのでこれを完成させるとウクライナ政府が発表している。

    ・超大型機のため対応空港が限られるが、日本では成田、仙台、中部(セントレア)などの空港、米軍横田基地にも飛来している。中部国際空港は途中給油目的の場合も多い。米軍もチャーターすることが多くて横田にも多い。

    ◎世界の大型輸送機比較表 (Wikipediaより)
    An124と225が登場するまでは米国のロッキード(現、ロッキード・マーティン)社のC5B(愛称:ギャラクシー)が世界最大輸送機だった。
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    ロシアによるウクライナ攻撃が早急に停止されて、アントノフ航空は勿論、今は利用が避けられているだろうロシアのヴォルガ・ドニエプル航空も加わって再び世界の重要な物資輸送のためにAn225と124が飛び回る日が待たれる。
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    近年、なにかと「持続可能性(サステナブル)」が重視される中で、かつて日常的によく使われていた素材が主に石油由来のものに置き換わってきたものの、持続可能性があるゆえに再び復活して採用されることが増えてきた。その例として”私的に注目するもの”を少しとりあげてみた。

    ◎「セロハン」再登場
    つい最近のこと、ある集会で出されたお菓子の中に”ひとくちチョコレート”あり、手にとってみたら透明な包み紙のなんとなく指先にしっとりと馴染むような懐かしい感覚は・・もしかしてセロハンか?と思ってよく見ると、透明な中に一部文字印刷で「個包装紙:セロハン」とある。「やはり」と思うと同時に、このセロハンの触感を知らない若い人たちは多いだろうとも思えた。
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    包み紙をのばすと「個包装紙:セロハン」と印刷あり
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    セロハンの製造工程は・・木材→パルプを粉砕してセルロース→水酸化ナトリウム、二硫化炭素を加えてビスコースになる→スリットを通して薄い膜→硫酸で中和→セルロースに戻る=透明なセロハン紙・・となる。

    ※セルロースは植物の細胞壁や植物繊維の主成分であり、全ての植物の1/3の量を占めることになり、これは地球上でもっとも多く存在する炭水化物。

    ※ビスコースをスリットではなく、細い穴から繊維状にとりだしたものが「レーヨン」(別称:ビスコースレーヨン)

    セロハンの特長と用途
    ・透明、光沢。
    ・非帯電性でゴミや埃が付かない、細菌通さないなど衛生的→食品包装材料
    ・飴などを包んで両端をねじったものが勝手にほどけない。
    ・紙なので古紙リサイクルできる。
    ・土やコンポスト処理では水と有機物に分解される。
    ・燃焼時の発熱量はプラスチックより少なく、有害ガス出ない。
    ・袋などにした場合、端から裂けやすく開封しやすい(場合によっては弱点にもなるが・・)

    セロハンの弱点
    ・吸水すると軟化してフニャフニャになる
    ・乾燥しすぎると脆く、破れやすい。
    ・熱で反る。

    ※弱点対策品として「防湿セロハン」があるが、これは普通のセロハンの表面にポリ塩化ビニリデンを塗布したもので、こうなると純植物性ではなくなる。

    このように、セロハンは、適正に管理された木材供給源からなら持続的に得られる原料で作られるモノであり、その他の地球にやさしい長所も活かし、弱点を考慮しながら再び採用すべきものだろう。

    ◎「カポック」は”エコ重視時代”に再注目で登場?!
    観葉植物として普及しているカポックですが、日本にはいつ頃から存在しているのだろうか?
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    私がカポックという植物を知ったのは1960年代前期(昭和30年代後半)に、「カポック・コーン」採用のスピーカーといううたい文句でフォスター電機(株)(当時のブランド名は「FOSTER」、現在は「FOSTEX」※)から「FE-201」などの品番の商品の広告が電気雑誌に頻繁に掲載されていたからで、ただし当時はカポックがどういう姿をしているかなど知らなかった。

    コーン部(振動板)にカポック採用のFOSTER FE-201 20センチ口径ダブルコーン フルレンジスピーカー
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    話は少しそれるが、フォスター電機という会社は技術力が優れ、ソニー、ヤマハ、ゼンハイザーなど多数の大メーカーのスピーカーを製造している(いわゆるOEM)し、全世界の自動車の車載スピーカーの10パーセントは同社製。それゆえに早くからスピーカーのコーンの材料の研究開発にも取り組んだのでカポックも60年近く前には採用していたわけで、現在は例のケナフも当然のように使用しているのだそうだ。

    ところで、以前に紹介したイタリアのソナス・ファーベル社の製造するスピーカーのコーンの一部には”ケナフが使われている”と紹介しましたが、同時にカポックも使われているとのこと。
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    さて、カポックのいかなる部分を使っているのか・・それは大木になってできる”長さ20センチくらいの紡錘形の実の中の種のまわりに綿のように着く繊維”。・・ということは、木を伐採せずに実だけを使うのでサステナブル・・というところが素晴らしい!
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    kapok2

    kapok3

    最近、カポックを積極的に活用する会社が注目されている。それが「KAPOK JAPAN(株)」(社長:深井喜翔)。
    同社の活動趣旨は・・「生産者、消費者、地球環境、全てに無理のない形を模索しながらサステナブルで機能的な素材を世界中に届ける」 (上の3枚のカポック写真は同社公式サイトから引用)
    https://kapok-japan.com/

    従来、カポックの繊維は短くて衣料用の糸に向いていなかった弱点を、旭化成との共同開発で解決して、シートやコートの製造をしていて、順次商品陣容を増やす計画。

    ◎復活して欲しいモノ(1)経木(きょうぎ)
    経木とは木材を薄く削った板で、元は経典を写すのに高価な紙の代わりに使われたのでこの名が付いた。厚みは1ミリ~0.05ミリくらいで、厚いものは駅弁などの折箱などに使われ、薄いものは昔は食料品店などで品物を包んで客に渡されたりした。材質は杉、檜、赤松などが使われた。

    経木(一例:赤松材15×51センチ 100枚3618円)(ヤフーショッピングサイトより引用)
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    厚手の経木使用の”わっぱ”(128×50ミリ 10個1990円税別)(モノタロウサイトより引用)
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    経木が食品に使われたのには訳があり、殺菌力、抗菌性、吸水性、保湿性があるから。そして廃棄しても土に戻ったり、バイオマスにも使える。もちろん石油由来でもない・・ということで近年再登場の動きあり。

    私が個人的に切望するのは、”経木に包んだ納豆”であり、理由は”納豆と経木の香りが絶妙に合うから”で、現在のような無臭の発泡スチロール容器に入ったものはもちろん、昔のように”わらずと”に包まれて”わら”の匂いが勝ってしまっているのもダメ。発酵食品の権威である小泉武夫氏も”経木に包んだ納豆は味がワンランクアップする”と言われている。

    私が子供の頃は、毎朝に納豆売りの少年が「ナアットナットーナットー」という発声で路地をまわっていた。
    その納豆は一辺が10センチくらいの正三角形になるように折りたたんだ経木の中にくるまれていた。量としては100グラムぐらい? いや当時はまだ尺貫法時代だから30匁(112.5グラム)だったかも知れない。

    その香りからすると経木は杉ではなかったが、檜なのか赤松だったのかわからない。しかし納豆には赤松材が最適らしいが、赤松は松茸のモトだから悩ましいものと思ったら、計画伐採によって赤松の経木はけっこう多く使われているようだ。

    小泉氏自作の経木三角折り納豆を開いた様子
      (「丸ごと小泉武夫マガジン」より引用)
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    余談だが、今の納豆はおいしいものが少ない。それは原料の大豆をなぜか小粒にしてしまっていることが大きな原因で、納豆は大粒のほうが旨い。ということを周囲に広言していたら、いました同意の人が・・俳優の中尾彬が「納豆は大粒に限る!」と、食通の氏が言うから心強い。

    ◎復活して欲しいモノ(2)竹の皮
    以前のブログでも言及しましたが、竹林保全とエコ的有効利用のためにも竹の皮は大いに使うべき。その竹の皮の特長は防腐性、抗菌性、通気性あることなど。これも前出の経木と同様に昔は食品関連に多用されていたものの現在はプラスチック類に代替されてしまっているが、非石油由来素材としても再登場必要。
    竹の皮:長さ47~50センチ、巾12~14センチ(Amazonサイトより)
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    しかし、昔から変わらずに竹皮を使っている例がある。それは「のし梅」と称する和菓子。これは半透明の琥珀色した厚さ3ミリほどの羊羹のような食感の梅の香りする甘酸っぱい味の菓子で、これを2枚の竹皮で挟む格好となっている。私の知る限りでは茨城県と山形県で作られているようだ。実はこの和菓子、私の大好物。
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    竹皮寸法は長さ15センチ、巾4.5センチ
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    この半なまのような菓子は、防腐性や抗菌性をもつ竹皮が必須だったのでプラスチック素材は不採用になったと考えられる。ちなみにカマボコのかまぼこ板の役目の一つは、製造直後の余分な水分吸収(その結果、カビや細菌の繁殖抑止)と、その後のカマボコ本体の乾燥防止のために逆に水分補給するという水分調整なのでプラスチックは使えないという点では”のし梅”の竹皮採用のケースと似ている。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※「フォスター電機」の前称は・・「信濃音響」・・ついでに電気・電機各社の前称は・・
     「パイオニア」←「福音電機」・・創業者:松本望の父が有力なキリスト教宣教師
     「ソニー」←「東京通信工業」
     「シャープ」←「早川電機」・・創業者:早川徳次がシャープペンシルの発明者
     「富士通ゼネラル」の「ゼネラル」
    「八欧電機」
     「アイワ」(現在は十和田オーディオの子会社)←「愛興電機」
     「パナソニック」←「松下電器産業」
     「オムロン」←「立石電機」
    ・・・・・・・・・・・・・

    ◎きのうの友はきょうの敵
    現在、ポーランドはロシアと戦うウクライナ支援をしているので間接的にはロシアに敵対しているようなもの。しかしロシアがソ連(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)だった時代の1957年10月4日に人類初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げに成功して以降、矢継ぎ早に打ち上げられた草創期に、それを讃えるようにポーランドはソ連の人工衛星図柄の切手を発行していた。それを思うとなにやら「きのうの友はきょうの敵」のような感じですが・・
    polska

    ◎「ソ連の衛星国」という立場や「ワルシャワ条約機構」が影響?
    実は、同様に”ソ連の人工衛星を讃えた切手”を発行した国々が他にもあった。それが何か国にのぼったのか正確には知りませんが、少なくとも私が当時集めた切手から分かることは・・

    ポーランド以外では・・ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、北朝鮮

    ↓ハンガリー(切手での国名表記は”マジャール人の国”として「MAGYAR」)
      (上の切手はソ連の国旗まで表記)
    magyar1
    (下の3枚は人類初の有人宇宙飛行にソ連のボストーク1号に乗って成功したガガーリンとボストーク3,4,5,6号:1966年12月29日の発行切手)(画像3枚はヤフオクより引用)
    gagalin


    magyar-posta

    ↓チェコスロバキア(チェコとスロバキアに分離する前)
    cesko

    ↓東ドイツ(人類初衛星成功の1957年10月4日の日付も右下に明記)
    east-germany

    ↓北朝鮮(ロケットの横腹にはソ連を表すCCCP表記。上はソ連のガガーリン)
    kitacyosen

    これらの国の内、北朝鮮以外は「ソ連の衛星国」と言われ、かつ「ワルシャワ条約機構」の加盟国だったという共通の立場だったのです。(他に「コメコン」=経済相互援助会議という組織もあったが実際には機能しなかった)

    ◎「ソ連の衛星国」とは・・
    まず「衛星国」とは、”一応は独立国家でありながら、大国によって主権を制限されて従属的な国”。
    「ソ連の衛星国」はポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、モンゴル。

    ◎「ワルシャワ条約機構」とは・・
    ”平和と社会主義のための、友好・協力・相互援助に基づく軍事同盟”
    で、ポーランドの首都ワルシャワで調印された故の名称だが本部はモスクワにあった。ワルシャワ条約機構加盟国は、盟主であるソ連、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア。

    「ワルシャワ条約機構」成立に先立つ1949年4月4日に自由主義国間に「北大西洋条約機構」(NATO)が発足したことへの対抗は明らかだが、「ワルシャワ条約機構」の実際の機能は、同盟国=衛星国から抜け出そうとして事件や動乱が起きた国に対してこれをソ連を主体とした武力で鎮圧して離脱阻止するものだった。

    この機構は1955.5.14から1991.7.1まで存続した。(ソ連の正式な崩壊は1991.12.26)

    ということは・・この機構が発足して間もない2年後にソ連による人類初の人工衛星打ち上げが成功したことになり、これは社会主義体制の優秀さの表れであるとして喜び、機構加盟国にとってはまさに”同慶の至り”ゆえに、祝いの切手を発行したのか、それとも”親分”への忖度だったのか?。

    ◎かつてソ連の衛星国で現在はNATOとEU加盟の国
    1991年のソ連崩壊以降、ソ連に従属することから転向してNATOとEUに加盟した国は・・
    チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア。アルバニアはNATO加盟だがEUには未加入。

    ◎「トゥヴァ」(または「タンヌ・トゥヴァ」)という国をご存知?
    私が小学生の頃、収集した切手の中に”菱形”の珍しい1枚があって、それには「POSTA TOUVA」という表記があり、切手情報誌によれば「タンヌ・トーバ」(現在の一般表記と少し違うが)というモンゴルに接する国が発行したものと分かった。
    今回、調べ直したら、「トゥヴァ」はモンゴル北西部に接する国で1921年に「トゥヴァ人民共和国」(それを表記すると「タンヌ・トゥヴァ」)として独立。しかしこの国はソ連による傀儡国であり、世界ではソ連とモンゴルのみが国として承認したものだったので1944年にはソ連に併合された。その後1991年のソ連崩壊後に独立権を得たが、他の衛星国と呼ばれた国々と異なり、新しい「ロシア連邦」の一員となる路を選んで「トゥヴァ共和国」として存在している。
    touva

    上の菱形切手は「トゥヴァ人民共和国」時代に1926年から1936年の間に発行されたもの。

    ◎ソ連の人類初人工衛星の成功記念切手を私はもってないが・・
    他の初期の衛星切手とともに「ツィオルコフスキー」を讃える切手がある。ツィオルコフスキー(1857~1935)はロシア帝国時代からソ連に至る時期に存在した物理学者、数学者、SF作家であり、ロケットの基礎理論を産み、人工衛星登場を予測したりで「宇宙飛行の父」と呼ばれた人物。
    ↓ツィオルコフスキー、ロケット、人工衛星のソ連発行切手
    tiorkovsky
    cccp
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    余談ですが、私が外国の歴史的事件発生を年月日まで覚えているのは、ソ連が人類初の人工衛星打ち上げに成功した1957年10月4日の他はフランス革命が始まったとされる1789年7月14日と米国が英国からの独立を宣言した1776年7月4日ぐらいで、それくらいに私の中では人工衛星登場が衝撃的だったのです。
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