徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    カテゴリ:日話秘話飛話 > 考察材料

    今年(2024)の秋は何故かあちこちで埴輪(一部で土偶)を展示する催しが行われています。
    私の手許に集まった"埴輪、土偶、土器の展示会チラシなど”
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    「特別展 はにわ」 が東京国立博物館で10/16~12/8

    「ハニワと土偶の近代」展が東京国立近代美術館で10/1~12/22

    「旅する はにわ展」が市原歴史博物館で10/12~12/15

    テレビや新聞でも”埴輪”特集が・・
    埴輪特集テレビ番組(NHK eテレ)
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    ↓テレビ番組「はにわ王決定戦」とキャラクター「はに丸」くん(NHK eテレ)
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    その他、展示の一部に埴輪が含まれるのは・・
    「地中からのメッセージ」展が千葉県立房総のむら で9/21~11/17 / 千葉県立中央博物館で12/21~2/9

    「布をまとう 古代人の衣」展が行田市郷土博物館で10/12~11/24

    そして千葉県芝山町では町立芝山古墳・はにわ博物館では埴輪を常設展示している他に、毎年11月の第2日曜日(今年は11月10日)に「芝山はにわ祭り」が開かれ、埴輪の武人など古代人に扮した人々による儀式の披露もされる。↓
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    土偶関連では「ドグウ集まれ!」展があつぎ郷土博物館(神奈川県)で10/12~12/8

    ・・このような中で、私は「旅する はにわ展」(市原歴史博物館)に行ってみたのですが、その動機と言えば私の手許に(冒頭で紹介した)各地で開催の埴輪関連展のチラシが集まった※ことと、岩手県在住の友人が東京国立博物館の「特別展 はにわ」 を見て来たと知らされたので、これは埴輪を見に行かねばならない!と思ったから。

    各地の郷土資料館や博物館、美術館、図書館、などでは互いに連携して期間限定の特別展示の開催案内チラシ類を配備し合うので、例えばある郷土資料館に行けば、そこで各地の多くの展示情報が得られます。

    まずは、私が埴輪と土偶の違いをはっきりとは知らないことに気付いたので・・

    ◎埴輪と土偶の違い
    どちらも日本の古代に造られた土の焼き物だが、土偶の方が年代は古い。
    土偶 : 縄文時代(1万年前~BC4世紀)に祈りや呪術のために作られたもので、人の形が多く、集落跡で見つかる。

    埴輪 : 古墳時代(AD3世紀~7世紀)に埋葬者の墳墓の周囲や上に置かれたもので人物の他、円筒形、動物、建物などの形がある。

    ◎なぜこの時期に埴輪と土偶の特別展が多いのか?
    最も大きな要因は、埴輪として初の国宝となった「挂甲の武人(けいこうのぶじん※”けい“は、てへんに圭)」が国宝指定50周年を迎えたのを記念して、国内外50ヵ所から集められた埴輪を展示する特別展が東京国立博物館で開催されていることでしょう。

    また、千葉県市原市では市内の大規模な「山倉1号墳」(前方後円墳)の発掘調査報告書刊行20周年の節目で、市内はもとより千葉県内各地の埴輪を集めての特別展開催。

    同じく千葉県芝山町では町内の「殿塚・姫塚古墳」出土の埴輪48点が今年8月に国の重要文化財に一括指定されたことで埴輪関連行事が盛り上がっている。

    また同じく千葉県教育振興財団文化財センターは今年11月に設立50周年を記念して旧石器、縄文、弥生期の出土品を特別展示。

    埼玉県行田市では市政施行75周年記念で”布をまとう古代人の衣”姿の一つとして埴輪も展示する企画展を開催。

    これらがたまたま同時期に開催されるカタチになって”埴輪ムーブ”が生まれたのでしょう。

    ◎「旅する はにわ展」(千葉県・市原歴史博物館)見学記
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    ○テーマの”旅する”の意味は・・
    実は千葉県市原市で発掘される埴輪の中には、現在の埼玉県鴻巣市にかつて存在した東日本最大級の埴輪工房である「生出塚(おいねづか)埴輪窯」で焼かれて作られ、直線距離にして約100キロを”旅するように”現在の市原市の「山倉1号墳」(前方後円墳)へ運ばれたものもあることが判明しているから。

    ↓生出塚埴輪窯製の埴輪:左端と右から2番目が山倉1号墳から出土
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    ↓生出塚埴輪窯跡に残されていた埴輪 / 山倉1号墳
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    なぜ遠く離れた二か所の埴輪が同じ場所で作られたことが分かるのかと言えば・・
    (1) 埴輪の見た目のデザインが同一
    (2) 埴輪の胎土(使用の土)が同一(蛍光X線分析で成分同じで鉄分多く、赤味が強い)
    (3) 埴輪の表面に残る「ハケメ(のようなもの)」が同一
    埴輪製作過程で埴輪の着衣などの部分の表面を整えるために板の木口(切り口)を使って撫でるのだが、その際に板の木目による沢山の筋「ハケメ(のようなもの)」が付く。その筋どうしの間隔は、その板の木目のそれそのままであり、その板を使って幾つも作った埴輪は皆同じ筋間隔のハケメがついた仕上がりになることから、千葉県で発掘された埴輪は埼玉県の生出塚埴輪窯でつくられたものと全く同じなので分かる。
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    ○埴輪は二大別される・・
    (A)「円筒埴輪」で文字通り円い筒形。
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    (B)「形象埴輪」で人、動物、建物などをかたどったもの。
    ↓イノシシ / シカ
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    ↓ムササビ
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    ↓水鳥 / 魚
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    ○埴輪につけられている穴の目的は・・
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    埴輪の原型は弥生時代の”墓に供える物を入れる壺を支える台”であるとされ、その台には魔物を寄せ付けないようにするために模様や線がつけられたが、それをさらに強調するために穴を開けた慣例が、その後の古墳時代になって”円筒埴輪の胴部分”や”人物埴輪の台部分”に受け継がれたもので、多くは線や模様無しの穴だけとなっている。
    その穴は考古学では「透孔(すかしこう)」と呼び、形は○、△、□、半円、卍などがある。

    ○3Dプリンターによるレプリカは今後有望!
    今回展示の埴輪1体を非接触でスキャンして3Dプリンターで作られたモノが展示されていたが、触りながら見たい部分も自由にみられることは埴輪を深く知るには大変効果的なので、これから(埴輪に限らず)同様のカタチが広がるでしょう。

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    ◎これも“旅する埴輪”とも言えるのが・・
    前述の東京国立博物館で開催の「特別展 はにわ」の“目玉的展示物”の「挂甲の武人」(挂甲とは鉄板を綴り合わせて作られた甲=よろい)。
    よく似た格好の武人の埴輪5体が全て群馬県から出土したものの、1体は東京国立博物館所蔵でこれが国宝になっているが、その他は群馬、千葉、奈良、そして米国のシアトルの博物館または美術館に所蔵されているものを今回すべて揃えられて東京国立博物館で展示されているので・・
    4体は遠くから”旅をしてきた”ようなもので、特にシアトルからは長旅だった!

    ↓揃った5体。左端が国宝。真ん中がシアトルから一時帰国
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    ○国宝の埴輪
    「挂甲の武人」は日本郵便の切手になっている!
    最初の発行は1972(昭和47)年に全体が茶色の図案で、
    次に1976(昭和51)年に全体が朱色で、
    3度目は1989(平成元年)に埴輪本体は茶色で紫色の背景。

    3度目発行(左)  /  2度目発行 ※茶色に見えるが本当は朱色
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    人間を含めて動物が生きていく上で必ず発生し、しかも大切な”糞”。今回は軽い?お話ですが、お食事前の方は時間をずらしてお読みください !

    こんなお話をするきっかけとなったのが・・

    先日、知人から貰ったものの使わずに15年以上箪笥にしまっておいた”手提げバッグにもなるリュック”(以降文中ではリュック)を取り出して、使ってみようとしたら、なんとまるでウンコのような臭いを発するようになっているではないか!!

    (念のため・・私はクレーマーではなく、かつてメーカー勤務だった経験から、メーカーとユーザーへの参考になればと思う次第です)

    ↓これがそのリュック。デザイン自体はは良いが・・
    (左端は500円硬貨)
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    サムソナイト社製の限定生産品だったようで、同社の商品分類では”バックパック”類に属するが日本では「スタルク バッグ」とも呼ばれた。

    本体寸法は(大まかだが)縦35cm、横27cm、マチ(側面と底の部分)は縮めて6cm広げて16cm
    素材は化学繊維?の布で前面と背面には(たぶん)プラスチック板の心材が入っているようだ。

    ↓ファスナー開閉用の丸い板状のツマミを引いてマチを広げるとこのリュックの容量が変えられる。
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    ↓背面の肩掛け帯は本体に引き込み式で、手提げとして使用時に邪魔にならない。
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    よく見たらこのリュックは有名なデザイナーであるフィリップ・スタルクが手掛けたものと記されていたので、私が即座にそして妙に納得したことは・・氏がデザインした”アサヒビールの建物屋上のオブジェ「フラムドール(金の炎)」が俗に「金色のウンコ」とも呼ばれていることと何かつながっている!

    ↓取っ手の基部には「Samsonite by STARCK」の凹文字が。また本体内部に貼付のタグには 「YAP by STARCH」とも記されている。
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    それにしても何故このような臭いが発生したのだろうか? 経年化学変化かな?

    ◎「フラムドール」(
    俗称「金色のウンコ」)とは?
    東京都墨田区にあるアサヒビール本社ビル横に併存する建物「アサヒグループホール棟」(1階はレストラン)の屋上に設置されたオブジェが「フラムドール」(フランス語で金の炎)(長さ44m)なのですが、建物とあわせて全体では聖火台で燃える炎の姿になっている。
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    アサヒビールのHPによれば、この炎は「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表わしていて、アサヒビール100周年の記念事業の一環として、1989年10月に竣工いたしました。
    設計者は有名なデザイナーである、フランス人のフィリップ・スタルク氏です」とのことだが・・

    浅草の雷門前に立って右を見れば、ちょっと向こうにその金色の炎が目にはいるので今や”浅草名物”としている案内もあり、そのオブジェを見た途端「あっ 金色のウンコだ!」と言ってしまう子供が多い。(大人は、そう思っても口には出しませんが・・)

    ↓雷門の前から私が撮影したもの(右下は人力車)
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    ちなみに、その左側の建物は「アサヒグループ本社ビル」で、全体は「なみなみとビールが注がれたジョッキ」をイメージしていて、金色の鏡面ガラスをめぐらした下層部がビールで頭頂部の白いボコボコは「あふれる泡」を表しているとのこと。(下層階は同社のオフィス、ただし最上部の22階はビールや軽食の展望ラウンジ、”泡の部分”にはショップあり)

    ↓中央が本社ビル。左端は墨田区役所。東京スカイツリーも見える。
    (「ウィキ太郎」氏撮影)
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    ◎フィリップ・スタルク氏とは?
    フィリップ・スタルク(PHILIPPE・STARCK)はフランス人の建築家・デザイナー。欧米では建築家で工業デザインをする人も多い。
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    ↑写真は「ハンスグローエジャパン(株)」のHPから引用

    氏のデザインした例は・・・ホテルなどの各種建築は勿論、
    上の写真で氏とともに写っている水栓(蛇口)、椅子、ソファ、照明器具、キッチン設備、調理器具、スピーカー、オートバイ、大型ヨットなど多岐にわたる。

    ↓レモン絞り器(Google Arts & Cultureより) / チェア(CassinaのHPより)
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    ↓ローテーブル (CassinaのHPより) / バイク(下写真)のメーター部分
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    ↓アプリリアのMoto6.5 (RIDE HIのHPより)
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    最近の自販機の「おつり・返金用レバー」が気になる? !
    写真ご覧になると、すぐお分かりになると思いますが・・そうです! あの金色の○○○に似ています! 色といい、形といい・・私の知る限り東京都と千葉県ではあちこちで見かけます!
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    「チャー」という音が今日も我が家の前から聞こえる。だいたい1日に3~4回。
    それはアイドリングストップのクルマからの音。

    そこで思い出すのは私の昔の苦い経験・・それをご披露する前に・・

    ◎アイドリングストップとチャー音
    (クルマを運転しない人のために説明しますと)アイドリングとは、クルマが走行停止時でもエンジンは止めないで動かしている状態のことで、

    これに対して、クルマが走行停止するたびにエンジを(自動的に)停止するのがアイドリングストップ。

    実際には、アイドリングストップ機能を備えたクルマ※が交通信号や交差点で、また歩行者がいる横断歩道の手前で、あるいは渋滞で一旦停車する場合にこの機能が働き、一旦停止したエンジンはアクセルペダルを踏めば再び始動してクルマは走り出します。
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    ※ただし、アイドリングストップ機能はスイッチ切り替えによって、それを働かせないで一時走行停止時でもエンジンがストップしない選択もできるようになっています。

    アイドリングストップ機能の解除スイッチボタンの一例 (「乗りものニュース」より)
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    冒頭の「チャー」※という音は、アイドリングストップのクルマが一旦停止した次に再び走り出す際に出る音で、実はそれ、エンジンの音ではなくてスターター(エンジンを動かし始めるための装置)の音。

    ※「チャー」音は単純ではなく、言葉で表現するのが難しく、各社・各車違うようでもあるので”チャーのような音”としました。

    我が家は住宅地の中の4メートル道路どうしが交差している角地にあり、信号は無いのですが一時停止標識とともに道路上に停止線があるので、アイドリングストップのクルマが一旦停止した後に発進する際に「チャー」音を聞くことになるもので、
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    近年のクルマのエンジン音は静かなので(我が家の中に居ては)この音は聞こえずにスターター音だけが聞こえるわけです。

    ◎最近はアイドリングストップ機能廃止の流れ
    アイドリングストップは燃費向上やエンジン音の騒音防止に効果があるとされて、今から20年前頃からこの機能付きのクルマが多く生産されてきましたが、

    最近になってホンダ、トヨタ、ダイハツなどの自動車メーカーは、 ガソリン車のアイドリングストップ機能を廃止し始めて、例えばホンダではミニバンの「フリード」、小型ハッチバック車「フィット」、小型SUV車「ヴェゼル」などは従来は付いていたこの機能を廃止して、小型SUV「WR-V」は最初からこの機能を不採用。

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    フリード(左) / フィット(中) / ヴェゼル(右)

    トヨタでは小型ミニバン「シエンタ」、小型ハッチバック車「ヤリス」など。

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     ↑シエンタ(左) / ヤリス(右)

    ◎アイドリングストップ機能廃止の理由
    ・アイドリングストップのクルマは一時停止状態から動き出すまでにちょっと”もたつく”。それはアイドリングストップ機能無しのクルマと比べると、”スターター装置が動く時間の分”が余分にかかるから。
    この“もたつき”を嫌う人も少なくないし、安全上 瞬時に発進したい時などには困る。

    ・一旦停止から発進する際の音”チャー”と同時に起こる車体の振動が嫌われる。

    ・アイドリングストップ機能の有無による燃費向上の差が少なくなった。この機能導入開始の頃に比べるとクルマ自体の燃費が向上してきたため、今やこの機能の有無による燃費の差は1リッター当たり1km以下とも言われる。

    ・アイドリングストップのクルマのバッテリーは負荷が大きくかかるために、より高性能な専用品が使われ、しかも寿命が短め。

    したがってこのクルマの持ち主は高価なバッテリーを短期間で買い換える必要が出てくる。そうなるとアイドリングストップで燃費節約、石油資源節約となるものの、専用バッテリー製造にかかる資源やエネルギーコストが余分にかかって環境マイナス要因となってしまう。

    ◎58年前に私がアイドリングストップを実行した結果は?
    1966(昭和41)年のこと、私は東京都の練馬区(あたりだったか?)の道路をクルマで走行中に、ふと”ガソリン代※を節約するためには信号待ちをする間はエンジンを切ってみよう”と思いついて、信号待ち毎に (当時のことだから)手動でエンジンキーを回して切っては、青信号で発進することを繰り返したところ、

    5回目(だったか?)で、発進しようとキーをまわしたら「クウッ・クウッ・クウッ」という音がし始めてエンジンがかからないので、「これはまずい!」とあわててキーを何回かまわしてみたら何とかエンジンが動いた。

    同時にこれはバッテリーに負担がかかった結果と悟って、すぐにこの”アイドリングストップ”行為を中止したのでした。これは私の”苦い経験となりました。

    東京都内のことなので200メートルくらい走行してはエンジンを停止してはまた始動したりを繰り返したのがいけなかったわけで、

    クルマというものは発進時にスターターが働いてバッテリーの電気を喰うものの、その後の走行中のエンジンの回転を利用したダイナモ(発電機)で発電した電気をバッテリーに充電するシステムになっているので通常は問題ないのですが、

    200メートル走行ごとにバッテリーの負担を繰り返せば、その間の充電が追い付かなかったのです。まあ昔のことでバッテリーの性能も現在よりも若干劣っていたかもしれませんが・・

    この経験がある私は、近年にアイドリングストップのクルマが登場したのを知った際に「これはバッテリーに負担がかかるはずだから大丈夫なのかな?」という心配をしていたところでした。
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    当時はレギュラーガソリン1リッター38円前後でした。但しサラリーマンの初任給が現在の約1/10だった時代のこと
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    日本発祥の「ペロブスカイト太陽電池」は、その優秀さから今や全世界で開発、改良が進められ、一部の国では商品化され始めた。

    この太陽電池の要であるのがペロブスカイトで、それを構成する成分の中でも重要な「ヨウ素」は世界的規模で千葉県において大量に産出するので今後は産業としても大いに期待される。

    現在の日本では「地産地消」という名のキャンペーンが各地にありますが、千葉県ではそれをモジって「千産千消」としているものを「千産千勝」とでも言えるような展開になりそう。

    ◎ペロブスカイトとは
    (A)メチルアミン(など) (B)鉛(など) (C)ヨウ素の3成分からなる結晶体で、これを太陽光発電用に使ったものがペロブスカイト太陽電池で日本の宮坂 力(みやさか つとむ)桐蔭横浜大学特任教授が発明した。
    このペロブスカイト太陽電池は多大な特長を有しているために、氏はノーベル賞候補と言われている。

    ◎ペロブスカイト太陽電池の特長
    1)フイルムなどに塗布または印刷して簡単に安価に製造できる

    2)薄くでき、軽くでき、曲げることができるため、形体や設置場所の自由度が高くなる
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    (↑真は東芝のHPより)

    ↓日よけ・目隠しにもなる発電シート試作品(写真は積水化学工業のHPより)
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    3)重要素材であるヨウ素が日本では豊富に産出される→詳細次項へ

    ◎ヨウ素とは
    英語表記:iodine 元素周期表における元素記号:I(アイ) 原子番号:53 個体で非金属

    ヨウ素は人体の必要素の一つであり、一般的には海水に含まれ、海中で育つ昆布やワカメなどの海藻類には濃縮されて多く含まれる。その他には硝石(鉱物)や(後述の)かん水に含まれる。

    ヨウ素含有製品:うがい薬(イソジン)、消毒薬(ヨードチンキ:但し昨2023年に製造中止。理由は乳幼児あるいは大人でも弱い皮膚から大量吸収された場合に甲状腺疾患を発症すること、近年は消毒薬として代替的製品のマキロンなどが登場しているから。なおイソジンも頻回使用すると甲状腺疾患の恐れありとされる)

    ◎ヨウ素の世界的な産地である千葉県
    世界のヨウ素の年間生産量約3万4000トンのほとんどをチリと日本が占めていて、チリが1位で2位の日本はその約3割に当たる1万トン生産。そして日本の生産量の約8割を千葉県が占めるので・・世界のヨウ素生産の約4分の1を千葉県が占めていることになる。

    しかも可採埋蔵量は約400万トンなので従来の生産ペースであれば500年続けられる。

    ◎実は千葉県のヨウ素は天然ガスと一緒に産出
    千葉県のおよそ7割?の面積の地下の地層の隙間には、水溶性の天然メタンガスとヨウ素が含まれた太古の海水が存在していて、その海水のことを「かん水」と言う。(ガス埋蔵地域は大部分を占める千葉県の他に神奈川、埼玉、茨城の各県と東京都の極一部が含まれ「南関東ガス田」と称される)
    ↓南関東ガス田(ベージュ部)(茶色部は主な採取地帯) (天然ガス鉱業会のHPより)
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    千葉のかん水に含まれるヨウ素は普通の海水の2000倍の高濃度。

    同じくかん水に含まれる天然ガス年間生産量は約4.4億㎥で、現在生産ペースで約800年もつとされ、県内の家庭や企業にはこの地産の天然ガスが地元の「大多喜ガス(株)」などから供給されている。

    地産地消の天然ガス料金は東京ガスよりも3~4割安で、しかも過去10年間値上げされていない。
    おもしろいことに、国内のヨウ素生産量は1位が千葉県、2位は新潟県。対して天然ガス生産量は1位が新潟県(77%を占める)、2位は千葉県

    ◎自然に湧き出る天然ガスのありがたさと怖さ?
    商業的には地下1000m~500mからかん水を汲み上げて生産される天然ガスだが、千葉県の太平洋側の九十九里地区から内陸にかけての範囲にある大多喜町、茂原市、大網白里市、山武市(さんむし)、横芝光町(よこしばひかりまち)などにまたがるゾーンでは地面や川底から湧き出ている場所が多くある。
    ↓川底からの天然ガスの泡が水面に出ている様子(千葉県睦沢町=むつざわ)
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    (写真は「読売新聞オンライン」より)

    千葉市にある土気町(とけまち)という地名は、その土地では何やら燃える気体(天然ガス)が出ていたことが由来と言われる。

    現在、前出のゾーンではガス会社とは契約せずに自宅敷地に掘ったガス井戸から天然ガスをとりだして使っている家庭が少なからずある。

    ↓自家用のガス井戸 (空気より軽いメタンガスを溜める筒が中央にある)
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    (画像はNHKテレビ「小さな旅」より)

    田んぼに鉄パイプを突き刺すだけで天然ガスが出るところもある。(下写真)
    ↓農作業の途中でお湯を沸かして一服(茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    ↓地中から直接の天然ガスは9000キロカロリーと高い(ガス会社は3600キロカロリーに抑えて供給) 
    (茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    気付かぬうちに天然ガスが室内に充満して引火で爆発!・・
    千葉県山武郡九十九里町に在った「九十九里いわし博物館」は2004(平成16)年に爆発事故が発生して損壊大きく1名死亡、1名火傷で重症を負った。
    原因は敷地内から自然湧出していた天然ガスが当時使用していなかったエアコンの配管を通って館内に充満していたことに気付かずに(本来の天然ガスは無色無臭。ガス会社供給時には加臭)燻煙殺虫剤に着火しようとして引火爆発したもの。
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    ※ペロブスカイト太陽電池の詳細は・・資源エネルギー庁のHP
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    「bias=バイアス」は辞書によれば、「先入観、偏見」 「斜め、斜線」。

    私が知る”「バイアス」という言葉が登場する分野"は3種類あり・・

    (1)先入観や偏見ある行動分野
    (2)斜めに裁断または編む裁縫分野
    (3)電子機器などの電流・電圧の回路設計分野

    “文”量が多くなるので(2)と(3)については概略を後記することにして、今回は(1) の”先入観、偏見”について・・

    “先入観、偏見というバイアス”に着目した理由は・・先回に”神棚をもうけている家庭の存在はすべからく減少に向かうであろうと大多数の人が思う”先入観”がある中で、漁業従事者の多い地など一部の地域では神棚が必ずそなえられ、しかも廃れない(減少しない)”という事実があることをご紹介したことに関連するからです。
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    神棚の例 (総檜作り 165万円:「大越仏壇」社オンラインショップより)
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    仏壇の例 (名古屋型台付き 365万1340円:「こころあ堂」社オンラインショップより)

    以前にも記しましたが”漁業従事者が多いある地区での調査結果のデータがここにご紹介できない”のですが、”一般的な広い範囲を対象とした調査結果”はいくつか発表されていて・・

    ◎神棚と仏壇の保有率と推移
    公益財団法人 庭野平和財団が行った調査(※詳細後記)では1999年に1345人、20年後の2019年に1203人から回答を得た結果・・

    〇「神棚」保有率49%→35.6%へ減少。(20年間で13.4ポイント減少)
    〇「仏壇」保有率53.6%→44.9%へ減少。(20 年間で8.7ポイント減少)

    上記から「仏壇」の方が「神棚」よりも保有率が高く、また減少率も緩やか。

    〇「神棚」の保有率は都市規模によって著しく異なり、
    「郡・町村」がもっとも高く(48.3%)、
    「東京特別区(東京23区)」が20.8%と最低。
    「郡・町村」での「神棚」の保有率は高いものの、74.3%→48.3%へと26ポイント減少。

    〇「神棚」の年齢別の保有率を20年前と比較すると、全世代で低下している。

    ※当調査方法詳細
    《 調査の概要 》 < 2019 年調査> ・調査日 2019 年6月7日~ 16 日 ・対象者 住宅地図による満 20 歳以上の男女 4000 人(層化副次(三段)無作為抽出法) ・実施方法 個別面接聴取法(官製葉書による事前協力状送付) ・有効回答数 1203 人(30.1%) ・回答者内訳 男 46 %、女 54 %▽ 20 歳代 11 %、30 歳代 13 %、40 歳代 18 %、50 歳代 16 %、60 歳代 17 %、70 歳代 26 %▽ 21 大都市 28 %、その他の市 62 %、郡・町村 10 % ※本調査は庭野平和財団「日本人の宗教団体への関与・認知・評価に関する調査」による調査で、世論調査の実 施は社団法人中央調査社に依頼して行われた。 参考 < 1999 年調査> ・調査日 1999 年 11 月 11 日~ 14 日 ・対象者 住民基本台帳による満 20 歳以上の男女 2000 人(167 地点、層化二段無作為抽出法) ・実施方法 個別面接聴取法(官製葉書による事前協力状送付) ・有効回答数 1345 人(67.3%) ・回答者内訳 男 45 %、女 55 %▽ 20 歳代 11 %、30 歳代 17 %、40 歳代 19 %、50 歳代 21 %、60 歳代 33 %▽ 13 大都市 23 %、その他の市 54 %、郡・町村 23 % ※本調査は文部省科学研究費「日本人の宗教意識と行動」(代表者・阿部美哉國學院大学教授)によ る調査で世論調査の実施は社団法人・中央調査社に依頼して行われた。

    ◎自宅の仏壇と神棚保有率
    Sirabee(調査会社)が2023年に全国10〜60代男女1000名を対象に調査した結果・・

    〇仏壇と神棚両方ある・・16.4%
    〇仏壇だけある・・・・・・・・18.0%(仏壇保有率34.4%)
    〇神棚だけある・・・・・・・・ 8.7%(神棚保有率25.1%)
    上記から
    〇仏壇と神棚どちらかが有る・・43.1%
    仏壇と神棚どちらも無い・・・・56.9%

    〇独居(一人暮らし)世帯のほうが仏壇・神棚の保有率が高い
    仏壇・神棚のどちらも無いのは・・
    家族で住む世帯・・67.2%。 
    独居世帯・・・・・47.6%

    この結果を受けてSirabee社のコメントは・・「核家族や夫婦2人家庭などでは、神棚はもちろん仏壇を置くスペースも確保しづらいだろう。一方、高齢者の独居が増えており、以前から仏壇や神棚が備えられた家に住み続ける、といった現状になっているのかもしれない」としている。
    ※Sirabee社の当調査結果グラフなどは・・

    以上にご紹介した”神棚・仏壇保有率に関する調査結果”は”大勢として保有率は減少傾向だろうし、都会より居住面積が大きめの田舎での保有率のほうが若干は多いだろう”という先入観に沿ったものになっていますが、これが(冒頭記述のように)日本の全ての状況を表してはいない。

    このような調査は「バイアスがかかった調査」という言いかたをされます。

    ◎最近の調査対象者の性別バイアス?
    私は現在、ネットによるアンケートサイトを持つ6社に登録して多数の回答をする毎日ですが、各アンケートでは最初に必ず回答者の属性(性別、年齢、居住都道府県、就業形態、既婚・未婚・離死別、戸建てなど住居形態、場合により個人年収、世帯年収など)を問われますが・・

    ここ1年くらいの内に変化した項目がいくつかあり、従来は就業形態の選択肢の中の「無職」は、同じ無職でも「年金生活者」が別に登場し始めているなどある中で、性別回答選択肢は多様化してきて・・

    「男性/女性」///「男性/女性/その他・回答しない」///「男性/女性/その他/回答しない」/// 「男性/女性/無回答」///「男性/女性/分からない/答えられない・答えない」///「男性/女性/ノンバイナリー・第三の性別/回答したくない」///「(あなたの戸籍上の性別をお答えください)男性/女性」

    こうなると、選択肢として男性/女性の二項一択では、それにあてはまらない人からの回答が期待できずにバイアスがかかった調査になる。

    ◎その他のバイアス注意例(1)「シニアのパン食」
    seniors
    シニア層は和食志向が強いと思われがちだが、特に朝食はパン食が少なくない。
    bread

    (A)
    65才以上の男女148人:1997年 三洋電機による調査によれば・・

    シニアの朝食の主食は・・

    「常にパン:29%」、「パンが多い:6%」と”パン派と言える人が3割強”

    その他「パンとそれ以外が半々:12%」 「パン以外が多い:15%」なので・・
    「朝食にパンを食べることがあるシニアは62%存在する」ことになる。

    ※朝食に「パンは食べない:34%」と「パンとそれ以外半々」、「パン以外多い」、「パン多い」からすると・・
    朝食に”パン以外“を食べることがあるシニアは67%存在とやや多いことにはなる。

    なお、シニアの昼食にパン食は少なく、麺・パスタ類も多くこの傾向は中年層と変わらない。夕食は年齢にかかわらず”白いご飯”が多い。

    (B)
    50~70才男女229人:1997年5月~6月 三洋電機による(先記(A)とは別調査)では・・

    パン派のほうが多い結果が出ていて・・
    朝食にパンを食べることがある・・・・・・68.1%
    朝食に米飯・その他を食べることがある・・54.6%

    この傾向は女性でしかも高齢になるほど顕著で、
    朝食に食パン又はバターロールなどパンを食べるのは・・
    70才代の男性・・46.9% 
    70才代の女性・・75.8%

    ※別の”ある聴き取り調査”で”シニアが朝食でパンを食べる理由は「心情的にはお米のご飯食べたいが、それは胃にもたれるから”という声があった。ただしこの状態は”あまり体を動かさない生活をする人たちに起こるものであって、畑仕事などで体を使う人たちにはあてはまらない”

    ◎その他のバイアス注意例(2)「シニアの早寝・早起き」
    futon-bed
    昔から「年寄りは早寝、早起き」と言われてきたが、実際は若い世代とかわらない。
    senior-kirakira

    (ア)
    50~70才男女229人:1997年(前記(B)と同時調査)では・・

    以下のそれぞれ3時間に集中。ピークは就寝が23時台、起床は6時台

    〇就寝時刻・・22時台14.9% /
    23時台41.9% / 0時台23.6%
    〇目覚め時刻・・5時台27.5% / 6時台46.7% / 7時台14.9%
    〇寝床(ベット出る)時刻・・5時台15.3% / 6時台43.7% / 7時台26.2%

    (イ) 40,50,60,70才台 首都圏在住の男女1200人:1997年4月~5月 自記式留置法による調査((株)SRIコンサルティング社が担当、調査依頼社:三洋電機)によれば・・

    各年代すべて(やはり先記(ア)と同様)以下のそれぞれ3時間に集中。ピークは就寝が23時台、起床は6時台)(下記は小数点以下四捨五入)

    〇就寝時刻・・40才台:22時台11% /
    23時台37% / 0時台33%
           50才台:22時台14% / 23時台44% / 0時台22%
           6
    0才台:22時台25% / 23時台43% / 0時台10%
           7
    0才台:22時台28% / 23時台30% / 0時台12%

    〇起床時刻・・
    40才台:5時台 9% / 6時台44% / 7時台33%
           50才台:5時台13% / 6時台43% / 7時台28%
           6
    0才台:5時台16% / 6時台38% / 7時台29%
           7
    0才台:5時台11% / 6時台38% / 7時台36%

    ※参考:日本人の平均 就寝時刻:23時12分 /  
    起床時刻:6時32分  
    ・・・・・・・・・・・・・
    (2)斜めに裁断または編む裁縫での「バイアス」
    裁縫において布の織り目に対して斜め45度に裁断することを「バイアス裁断」や「バイアス裁ち」と言い、そうしてできたものを「バイアス布」や「バイアス生地」と言い、

    織り目に沿って縦または横に裁断した布に比べて”引っ張れば格段に延びる”特長を発揮するようになるもので、

    「バイアス布」を使って細い帯状に加工したものを「バイアステープ」とするものもある。

    編み物において斜めに編んでいく方法を「バイアス編み」と称し


    その特長は”斜めに編んでいくことで、(通常は服作りなどで胴体部と袖部を別に作って後に両者をつなぐ作業が必要だが)胴体部も袖部も一気に作り上げてしまう手法”で”一般の服のようにつなぎ目が分厚くなってゴロゴロする“ようなことがない。

    バイアス編みのセーター(RandYカンパニー社の通販ページより)
    bias-knit1

    胴体部分(みごろ)と袖のつなぎ目が無い(「空色テーブル編み物レッスン」ブロブより)
    bias-knit2

    (3)電子機器などの電流・電圧の回路設計分野での「バイアス」
    電子機器などの回路設計においてよく使われる言葉ですが、私にはチンプンカンプンなので、「ヤフー知恵袋というサイトでのある質問者への回答が「fried tumip」さんからなされている内容を転記させていただきます。(私はこれでも理解できませんが)

    『バイアス(bias:偏り)という言葉は電圧や電流など色々な場面で使われます。 電圧の場合には一般に中央が0Vの偏りの無い信号を、偏った信号にするために加える電圧のことを言います。

    例えば、+4V~-4Vの交流信号に、5Vのバイアス電圧を加えると、+9V~+1Vまでの直流信号になります。波形は維持したままで電圧の中央が5Vだけ偏った信号になります。

    直流で動作する電子回路で交流信号を処理する時には、バイアス電圧を加えて直流信号にしてから処理します。その後必要なら交流成分だけを取り出します。』
    ・・・・・・・・・・・・・
    ◎「ステレオタイプ」と「バイアス」のちがい?..........
    これについてはよく分からないのでネット上で調べたら、その解釈は多様でちょっと混乱気味。そこで私なりに大体のところをまとめると・・

    「ステレオタイプ」と「バイアス」のどちらも「先入観」や「偏見」を内包するものだが・・

    ステレオタイプとは、多くの人に浸透している固定観念や先入観、偏見などの意識のことを指す。言わばそれがアタマの中、心の中に在るもの。

    「バイアス」とは、固定観念や先入観、偏見に基づく意識が言動に反映された際に、それを「ステレオタイプに基づいた(言動)」と言わずに「バイアスがかかった(言動)」と表現される。

    ただし、意識せずとも結果的に「偏り」がある言動も「バイアスがかかった(言動)」と言われる。例えば、何かの調査の際にネットだけを利用してアンケートをとった場合などは、回答者の属性は”ネットにアクセスできる人たち”に限られるという偏りが発生。

    そしてよくあるケースが・・
    ”都会の中で都会生活者だけを対象に調査”することで、例えば農漁村を除外することになって、地方性に気付かないことで偏りが出ていることがその調査の性格と目的によっては問題になる。(先記の就寝時刻・起床時刻調査対象を首都圏在住者としたのもバイアス性ありと言えますが・・)

    時々あるケースが・・
    質問に対する回答欄で、質問者側が提示している回答選択肢の中に回答者が答えようとする項目が無いということがあること。具体的に言えば・・「回答をA、B、Cの中から選べとした場合に実は別にDにあたる選択肢もあるという欠陥質問が時々ある。

    これを回避するために、回答選択肢の最後に「その他」という項目を設けて、"その「その他」とは何なのかを記入する欄"をもうける場合が多いのだが・・

    ※「ジェンダーバイアス」は特別?
    最近頻出する「ジェンダーバイアス」という言葉は、どうやら"ジェンダーという男女に関する従来通念を心(アタマの中)に持つだけで、それを言動に出さずともバイアスと称する"ようで、そういう解釈、見解、説明がネット上を占めています。まーそもそも「ステレオタイプ」と「バイアス」は不可分的なものですから違和感はないようなものですが・・
    ・・・・・・・・・・・・

    日本の神道(しんとう※1)における神様と仏教における仏様。それを身近に拝めるのが、神道では祠(ほこら※2)や神棚、仏教では仏壇ですが今回は神棚にちょっと注目。

    ※1
    :神道を「しんとう」と読むと意味は”日本古来の土着信仰”。「しんどう」と読めば”神(そのもの)”又は”墓所の道”の意となる。
    2:一部には仏教に属するお地蔵さま(地蔵菩薩)を祀る祠もある。

    ↓神棚の例(左) / 仏壇の例(右)
    kamdna-butdan
    画像は左:楽天市場より/右:「メモリアルアートの大野屋」のHPより引用

    ◎漁業従事者の家には必ずと言っていいほど神棚がある
    原始より日本人は山、海、火、雷、滝、巨木、疫病など万物に(近年はトイレにも?)神が宿るので”やおよろず(八百万)の神”がおわすという観念があるが、中でも海、川、湖などで漁をする人達は神様に豊漁を願うと同時に、「板子(いたご)一枚 下は地獄」と言われるほど危険な船での無事を祈願することは必須となるので自宅には神棚が必ず設けられる。

    そして船(漁船に限らず船全般)の中にも神棚設置の例が多い。

    ”ある漁村を対象に調査したら神棚の保有率が100%”だったという資料を読んだことがあるが、

    そこでもう一つの特徴として挙げられていたのは”神棚の保有は老若に関係なく、しかも時代が変わっても行われる”ので年寄り世帯のみならず20才代の世帯でも神棚は在るという状況は変わることがないということ。 

    この事実は、日本全体の近年の神棚の保有率が減少傾向にある中で見落とされがち。
    (他の地域と同様にこの漁村でも神棚とともに仏壇も有る家もあると思われるが割合は不明)

    ◎漁村の神道ゆえの「奥津城」(おくつき=墓)
    前述のように漁村では”生きるための糧と命の守りのためという切実な願いは神様にすがる”ことになるから、自ずとこれは神道のカタチとなる。

    一般的には墓と呼ばれるものを神道では「奥津城」または「奥都城」(双方とも読みは「おくつき」)と称する。形式も一般的な(仏式の)墓とはやや異なり墓石にあたる石柱の頭頂部はやや四角錐のようにすることが多く、香炉が無く、線香無し、かわりにロウソク立てが有る。

    ・・・というわけで、漁村では奥津城という墓がたてられるようになる。

    「奥津城」と「奥都城」の使い分けには諸説あり・・
    A) 海、川、湖など水場に近い地域では「奥津城」。それ以外の地域では「奥都城」
    B) 神官や氏子だった人は「奥都城」。それ以外の一般人は「奥津城」
    C) 「奥津城」か「奥都城」かはこだわりなし

    なお、
    現在の奈良県明日香村では、仏教伝来以前の例えば古墳時代に造られた(今で言う)墓や陵墓のことを称して「奥津城」と称している。

    ◎五島列島に在る「奥津城」の例  
    私の亡父の出身地である長崎県の五島列島の中通島(なかどおりしま)の小串(こぐし)という地域は漁港があり、住民の多くは漁業従事者。海に向かって小高いが緩やかな傾斜地に大きな共同墓地があり、先祖はその墓地にある「奥津城」に眠っている。

    goto-map

    ↓小串港
    kogusi-haka_0001

    ↓小串の共同墓地
    kogusi-haka_0002

    ただしその石柱部には「祖先之奥津城」と刻んである。普通よく見る例の「○○家之墓」とは異なる。しかし基台部の石材には”蔦(つた)の紋”が彫ってあり、かろうじて我が家系の奥津城とわかる。

    日本全体では「○○家之奥津城」と刻んだもののほうが多い。

    ↓私の祖先の奥津城(左) / ○○家之奥津城の例(右)
    (「石の東栄」社のHPより)
    twin-okutuki

     漁村という特に神頼み必須の神道信仰の地であり、かつ言うまでもなく”水”関連の地だから「奥津城」という表記になるのはわかるが、なぜ”「○○家」ではなく「祖先」”なのかという疑問がわくが・・

    伝承によれば”事情により他の家系の死者も受け入れて合葬していたから”ともいわれるが、別の推論として”この奥津城を立てた時代にはこの辺境の漁村には苗字をもつ者が私の祖先も含めて殆どいなかったので○○家とはならなかったのではないか”とも考えられる。

    一般的な(仏式の)墓にも「先祖代々之墓」と刻まれたものを見かけることがあるが、これも同様な理由だろう。

    それでは「奥津城」という言葉と意味を誰が教えて使わせたのか? 当時の漁民自身とは考えられない。そこで登場するのが近くに居た知識人である僧侶や宮司・神官で、彼らは庶民に色々な苗字を(中には遊び心や奇異をてらった苗字もあったが)考えてあげることが日本全国で広く行われたことはよく知られている。

    その延長で建墓についても庶民から相談を受けた結果が現在の「○○家之墓」(仏式)対「○○家之奥津城」(神道式)の存在率の差。それは僧侶と宮司・神官の数の差の表れだろう。

    ちなみに、私の父は生前に「(故郷の五島の)小串に帰った際に会った坊さんから「奥津城」について否定的な説教をされてイヤな思いをした」と言っていた

    ・・ということを私は間接的に聞いたもので詳細不明なので想像するに、お坊さんは「死後の世界は仏教のほうが神道よりも良いから、故人のためにも宗旨替え?して墓も換えた方がよい」というようなことを言ったのではないか? それはお寺にとっても都合がよいのだろうから・・

    そう考えると、この小串という漁業の地であっても奥津城と称する墓が(よく確認できないが、周囲の墓を見渡したところ)稀な存在であろうことの理由は・・多くの家が本来の神道から宗旨替えさせられて仏式の墓にしてしまった・・のではないかと思える。
    ・・・・・・・・・・・・
    さて、先祖が奥津城に祀られている父だが、信仰心希薄で、自宅には神棚は無く、小さな仏壇らしきものはあったが父親(私からすれば祖父)の小さな写真が置いてあるだけで、線香をあげているのを私は見た記憶がない。

    しかし父がそうなったのには、中国大陸中心に7年間の過酷な戦場で”神も仏もあったものじゃない”という経験が作用していたように思える。

    私が小学校入学から就職までの期間に、学校に提出する家庭状況調査書類や就職用の履歴書には(現在では廃止されている)"信仰宗教記入欄"があったので、父に聞くと(信仰実体が無いものの)「浄土真宗にしておけ」と言われたものだった。

    それでも父は歳をとってからの一時期に、ある”願掛け”のために自宅から徒歩12,3分の長崎神社(昔、帝銀事件があった場所の隣に在る)へ1年ほど毎日お参りしていた。

    一方私の母方の祖父の自宅(東京)には神棚だけあって仏壇は無かった。それもそのはずで、祖父の出身は福岡県宗像市神湊(むなかたし・こうのみなと)であって、ここはユネスコの世界文化遺産にもなっている宗像大社(玄界灘に浮かぶ島に在る)に渡るための港ともされて「神湊」という地名が表しているように"神が近い"地であるから。
    ・・・・・・・・・・・・
    日本の大企業から個人商店などまで、職場内、ビル屋上あるいは工場敷地内など、そして剣道・柔道の道場、日本刀製作(刀鍛冶)現場、陶器焼成現場などでは神棚あるいは祠(ほこら=神をまつる小さなやしろ)が設けられることも多いが、仏壇は見られない。

    私が勤務していた会社の工場部門では敷地の一角に祠が建てられていて月に一度、幹部による参拝式が行われていましたが、会社全体では従業員が2万人以上いたので、勤務期間中に亡くなる人が年間で10人前後~数人になることで、会社の菩提寺と言えるようなあるお寺で年に一度「物故社員追悼法要」が行われていた。
    つまり、私が勤めた会社は、神にも仏にも頼っていた?

    まあ、多くの日本人が”赤ちゃんが生まれて1か月たてば神社に「お宮参り/初宮参り」して、亡くなればお寺のお世話になる”というような神仏へだたり無しの状態と同じか・・
    ・・・・・・・・・・・・

    今年5月、「とにかく可視化」という書名の本(新潮新書)が出版された。
    その新聞広告には、こうある・・「可視化するだけですべてうまく行く! 延々と続くムダなやり取り、長いだけの空疎な議論、決めても簡単に撤回、動き出しても停滞。多くの企業が抱えるモヤモヤを解決するシンプルかつ超実践的ノウハウ。」

    そこで”賢い人の可視こい?例”として思い出すのが・・

    ◎白洲次郎が描いた「ジープウェイ」図
    白洲次郎はご存知のようにGHQをして「従順ならざる只一人の日本人」と言わしめた人物。英国留学で鍛えた流暢なキングズイングリッシュで堂々と意見を述べた。

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    1946(昭和21)年のこと、新しい日本国憲法の草案内容はGHQによる一方的かつ性急な面が強いために日本政府が松本国務大臣名で作成していた「松本案」の再考を願う内容の書簡を出すことになり、その時点で終戦連絡事務局参与であった白洲が作成してGHQのホイットニー民生局長へ送った。

    その際に”日本側の松本案とGHQ案は目的(OBJECT)は同じであり、ただしそこに到達する手順が違って、松本案は日本の国情によって、あたかも山道をジープに乗って行く(JEEP WAY)がごとくであり、GHQ案は(途中の事情などかまわずに)一挙に到達しようとするものである”としてその主張を”まさに可視化“した手書きの図を添えた。「百”文”は一見にしかず」か! これが後に「THE JEEP WAY LETTER」と呼ばれるようになった。

    ↓白洲が書簡(1946年2月15日付)に添えて描いた図(外務省外交史料館蔵より)jeep-way

    書簡を受けたホイットニー民生局長は、白洲による説明図によって明確にされた日本政府の態度を激しく非難してGHQ案推進方針をより固めることになってしまったが・・

    結果は残念だったが、後年に「THE JEEP WAY LETTER」が知られるようになって、現在ではその図をプリントしたTシャツが(白洲夫妻の旧邸で今は資料館になっている)「武相荘」(東京都町田市)※で販売されている。綿100%、価格6600円、サイズ4種類でネット販売あり。

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの背面
    tsyatu1

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの前面
    tsyatu2

    ◎南方熊楠の描いた「南方マンダラ」
    南方熊楠 (みなかた くまぐす:1867~1941年=明治元年の前年に生まれて太平洋戦争開始年に亡くなった)は、とくに植物学、微生物学、民俗学の分野で活躍(その他、粘菌の研究は有名)したが、世界の科学、宗教、哲学などにも造詣が深かった。それらの行為を支えていたのは抜群の記憶力や9か国語に精通した語学力だった。
    ↓南方熊楠
    kumagusu-face

    もう一つ” 熊楠の思索と行動にとって重要な役割をした”のが・・
    土宣法竜(とき ほうりゅう=1854~1922年)という真言宗の高僧であり、慶応義塾で西洋学問を修学してから宗教界に入り、非常に開けた視野と柔軟な思索の人。シカゴでの万国宗教大会に真言宗代表として出席したりロンドンやパリでも仏教関連の仕事をし、最終的に真言宗高野派管長となった。

    そのロンドン滞在時(1893=明治26年)に丁度現地で勉学中だった熊楠と出会った。13才年下で当時まだ20代の熊楠ではあったが既に「ネイチャー」誌に論文を発表して高評価を得ていたほどの知性にあふれていたので、二人は共鳴し合い、以後は1916(大正5)年頃までハイブラウな内容の書簡が大量にやりとりされた。

    ↓土宣法竜 師
    kumagusu

    西洋の科学や哲学においては物事の存在理由や現象の原因を追究するには、全体から細分へと分析対象を絞り込みながらその要素を抽出するという方法(従来一般に「還元主義」と呼ばれていたが最近は使われない傾向)がとられていたが、それでは真理をつかむには限界があると熊楠は気づいていたために、それに代わり得る方法を探り始めていた。

    そこで熊楠が着目したのが東洋の哲学、宗教であり、中でも曼荼羅(まんだら)に注目。それを知らされた土宣師は”曼荼羅を重用する真言宗の僧侶”でもあるので大いに熊楠を後押しした。

    ↓金剛界曼荼羅(左)  胎蔵界曼荼羅(右)
    2mandara

    曼荼羅は仏教の世界観を一般民衆でも理解できるようにと可視化したものだが、前述のように” 物事の存在理由や現象の原因”を可視化するのは難しいので、さすがの熊楠も10年を経てやっと一応のカタチを得たのが「南方マンダラ」と称されるもので、”一応”という訳は熊楠はこのマンダラ図を本当は立体を表すものにしたかったから”であり、しかも説明無しではこの図は理解できないから。

    ↓(いわゆる)「南方マンダラ」図 (河出文庫「南方マンダラ」より)
    minakata-mdra

    "知の巨人"である熊楠が長年考え抜いて導いた結果を可視化したこの「南方マンダラ」そのものと、その生成過程は難解で、浅学菲才の私のおぼろげなる解釈では"この世界の物や事は他との関係において生まれ、存在するものであって、その際の互いの関係の有様は多様(熊楠によれば図中のイ、ロ、ハなどそれぞれは異なる)であることを表している"のだろうと思いますが、詳しい説明内容に興味ある方は書籍「南方マンダラ」(中沢新一 責任編集・解題:河出文庫)に熊楠本人の説明(
    土宣法竜師宛の多数の書簡文中)と中沢氏の解説が掲載されているので参照下さい。 
    ・・・・・・・・・・・・
    「可視化」についての続編はまた後日に・・
    ・・・・・・・・・・・・・

    先日5月7日、シンガー・ソングライターの長渕剛が「肺気胸」を発症して4週間の療養が必要と医師から診断を受けたと発表された。同じ症状は、5月2日にも男子ゴルフプレーヤーの星野陸也が発症してやはり4週間の療養を発表。その他、陸上短距離ランナーの山縣亮太も数年前に発症しているが、「肺気胸」とは・・

    ↓長渕剛(写真は「TBS NEWS DIG」より)
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    ◎「肺気胸」とは
    吸った空気によって肺の中の「肺のう胞」(はいのうほう)が風船のように膨らんでいる状態の際に何らかの力が加わって破裂して、漏れだした空気が、肺全体を覆っている胸膜との間に溜まり、その分、肺はしぼむ状態になることで、言い方を換えれば”胸の中に隙間ができる”状態。

    kikyou-zu
    (図は「FNNプライム オンライン」より引用に一部加工)

    自覚症状としては、急な胸痛、息切れ、呼吸しづらくなるなど。

    ◎「肺気胸」は2種類
    「自然気胸」 : 特に何もしないのに発症。一部には遺伝体質も影響。
    「突発性気胸」 : 過激な運動、急な動作、衝撃などで発症。

    ◎「肺気胸」になりやすい人は
    昔から言われているのは・・”10代後半から20代にかけての瘦せ型の人”、”女性より男性”
    その他(神奈川県立循環器呼吸器病センター・小倉高志所長によると)
    “60代以上の高齢者や喫煙者にも多い。怖い病気ではないが、再発する人も多い”

    なるほど、長渕は67才、星野は27才、山縣は26才のとき、そして後述しますが私も21才で、従弟も20才で発症していて、しかも皆 男です。

    ◎「肺気胸」治療法
    一般的には”肺のう胞が破れて出来た穴が自然に塞がるのを待つ”が、漏れた空気量が多くて胸膜と肺の間の隙間が大きい場合は「胸腔ドレナージ」と称する”胸表面からドレーン管(チューブ)を刺し入れて空気を抜く”方法がとられる。

    ◎私の「肺気胸」実体験記
    前述のように、私が21才の冬のある日、友人とキャッチボールをしようということになって、まず第1球目から思いっきり投げ始めて、その調子で10分ほどで終えたのですが、その時は体に何の異常もなかった。
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    しかしその帰りに、ある交差点の横断歩道を渡っている際に信号が赤に変わりそうになったので走ったその時、左側の胸の中で”ボック、ボック、ボック”という音がするので、これは何かおかしいと感じたものの、(その時の私の場合は)胸に痛みや息苦しさは全然なかった。

    帰宅後、家族からは「医者に診てもらったほうが良い」と言われ、翌日にかかりつけの医院に行き、診断の結果は「突発性気胸」。当医院では的確な判断と処置ができないので紹介状を書くから大きな病院に行くように言われて受診したのが・・

    中野病院(東京都中野区江古田。平成5年に他の病院と合体されて当地建物は撤去)で、ここは元々 結核治療がメインなのだが、とにかく私も診てもらった結果はやはり「気胸」(当時は「肺気胸」とは言っていなかった)だが、程度が軽いのでこのまま自然に肺のう胞の穴が塞がるのを待つことにされた。

    こうして、勿論過激な運動などせずに静かに過ごしているうちにいつのまにか(2~3か月後?)、飛び跳ねても胸の中で”ボック、ボック、”という音がしなくなったので、治ったのであろうと自己判断した。

    後から思えば、私の肺気胸発症は、冬で日頃 運動不足のところにウォーミングアップも無しに最初から思いっきり投球したのがいけなかったのではないだろうか。

    ◎調合された風邪薬を正しく飲まなかったので酷いめにあった!
    肺気胸発症時に私は風邪をひきかけていたので、咳が出て肺のう胞の穴が大きくなったりしてはまずいということで病院が調合した風邪薬(紙に包まれた粉薬)を処方された。

    私は後期高齢者になった今でこそ毎日10種類の薬を(命にかかわりそうなので)仕方なく飲んでいますが、本来は薬嫌いで当時は日頃 薬を飲むことがなかったために、病院特製の風邪薬をつい飲み忘れてしまった。

    しかし咳が出て肺気胸が悪化してはさすがにマズイと思い、飲み忘れに気づいたのが夜だったがその時点で風邪薬を飲んだ。それも二日続けて同じことをやってしまったが、これがイケナカッタ!

    二日目に薬を飲んだ10~20分後だったかに突然激しい胃痛が起こって、これがとんでもない痛さで、頭の中はただ”痛さだけがある世界“になって他のことは一切考えられない状態になってしまい、思わず掘りごたつ(当時6人家族だったこともありこたつはたたみ一畳分の大きさ)の床(通常、足を置く面)で暫く”のたうちまわっていた”。

    激痛が続く中で、一つだけ思ったのは「これは、腕をナイフで切るより痛い!」・・というほどだった。

    とりあえず常備の胃腸薬を飲み、ほとんど眠れぬままに翌日になり、かかりつけ医院で受診した結果は「急性胃カタル」。原因は” 食後服用”という”薬の服用指示”を守らなかったために”胃にダメージを与えた”結果とされた。

    ※私に与えられた風邪薬は特に強力な成分を調剤した粉薬だったが、普通の市販風邪薬でも胃を傷めるので食後服用は必須。(つまり、空腹時に服用は禁止!)

    医者の指示と処方された薬によって、胃痛はその後徐々に収まり、通常に近い状態にもどったが、完治したと言えるまでにはさらに5年を要した。・・と言うのは、好物のカレーライスを食べると胃痛と腹下しが起きるようになり、それが何とか起きなくなったのが5年ほど後だったから。

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    ウォーミングアップ大切 ! 風邪薬は絶対に食後すぐ服用すべし !
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    余談 : 肺気胸体験から10年ほど後に、スピードガンで投球速度を測れる機会があり、私は86キロだった。大谷翔平の投球速度165キロとはあまりにもかけはなれている! ところで私はうっかりしてウォーミングアップ無しで投げてしまい、「しまった」と思うとともにウォーミングアップしていたらもう少しスピードが出ていたはず・・とも思った次第。
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    ◎寛容の精神があれば騒音苦情は減る!
    以前に、騒音とそれに関する苦情の色々をご紹介した中で、除夜の鐘の音、盆踊り(祭)の音・声、”火の用心”巡回の声、子供たちの遊ぶ声などに対して一部の人から「うるさい」という苦情が出ている事例がありましたが・・
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    これらの音や声は人によっては、その人の体質、好み、体調などによって、不快に感じることがあることはわかる。

    しかし一部の人が不快に思うものの、ここにとりあげた事例というものは大多数の人たちが楽しみにし、願いや思いを込め、あるいは皆のためを思って行動することで生まれる音や声であり、年に一度の数時間あるいは数分のことであると言うことに思いをいたせば、ちょっと我慢すれば済むこととして、ここは一つ寛容の精神を発揮すれば苦情となることは抑えられるはず。

    確かに、昔には無かった種類の騒音苦情が出だしたことに対して識者たちからは「騒音に対して不寛容な人が増えている」という声は多い。

    「不寛容」とは・・(何故か私の古い広辞苑第二版には不記載なので)・・「寛容」をみると、「寛大で、よく人をゆるしいれること。咎めだてせぬこと」・・だから「不寛容」はその反対の意味・・別の辞書には「狭量」とあって分かりやすい。つまり「心が狭いこと」。

    「不寛容」は英語で「INTOLERANCE=イントレランス」。「寛容」は「TOLERANCE(トレランス)」。私が「イントレランス」という言葉を知ったのは、ある映画の題名からだった・・

    ◎映画「イントレランス」は映画史に残る傑作
    ちょっと話が飛んでしまいますが、「イントレランス(INTOLERANCE)」という映画があった。この作品は無声映画ながら世界の映画史上に重要な位置を占めると言われ、ストーリー・脚本のうまさ、壮大なスケール、撮影手法などが賞賛されている。米国で1916年(第一次世界大戦中で中立保っていた米国も翌1917年に参戦)に脚本と監督をD.W.グリフィスによって作られた。(日本公開は1919年=大正8年=終戦翌年のベルサイユ条約の年)

    この映画は、不寛容によって起きた悲惨・悲運な物語4編で構成され、それが上映時間3時間の中で各編が並行して進むカタチになっている。その4編とは・・

    ・「バビロン編」・・古代バビロンの滅亡
    ・「ユダヤ編」・・・キリストの処刑(磔刑)
    ・「中世編」・・・・・聖バーソロミューの虐殺(中世フランスの宗教戦争)
    ・「現代編」・・・・・ストライキで失業した青年と乙女の純愛

    ↓映画「イントレランス」の一場面
    (「YouTube 2001 macutio」より)
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    ※映画「イントレランス」に日本語字幕・BGMを付加した3時間弱のYouTube↓
    https://www.youtube.com/watch?v=IWlFLgZe6Gg

    ◎原節子がエッセイで不寛容な事例や終戦直後の日本人を嘆いていた!
    映画女優だった原節子(1920=大正9年~2015=平成27年)は小津安二郎監督作品に出演した際の役どころから”静かで控えめな”感じの人の印象が強いが、本人は”強い意志を持ち行動的な”役柄(黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」での大学教授の娘役などか?)を望んでいたと述懐し、(晩年は不明だが)たばこもよく吸っていたことは知られている。
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    石井妙子著「原節子の真実」(新潮文庫)表紙

    もともと学校教員になることを志望して高等女学校に進んだものの家庭の事情で中退して女優になっても、付き人は不要とし、自動車に乗らずに電車と徒歩で撮影所通いをして、電車内では庶民を観察しつつ読書することが多かったそうで、その資質と体験が書かせたであろう硬派的な内容のエッセイが氏の生前に発表されていたものの埋もれていたが死後に再発見された。それは・・

    「想苑」という季刊雑誌(発行=金文堂出版部=福岡県久留米市)の1946(昭和21)年の11月号に「手帳抄」という題名のエッセイで、文芸誌「新潮」の2017年1月号に再掲載された。
    その内容を、「宙 平」という方がネット上で紹介している部分を引用させていただくと・・

    「省線電車。ものすごい混雑。赤ん坊の泣き声と怒声罵声。ぼうとなるほどの人いきれ」そんな中で、突然生暖かい液体が膝から足首にかけて流れるのを感じた。押されて来た婦人の背の赤ん坊のーである。(当ブログ筆者注:省線とは戦前の鉄道省が管轄する国有鉄道線のことで、後の国鉄、現JR。私の祖父は戦後10年近くは「省線」という表現を使っていた)

    赤ん坊は激しく泣き出す。『やかましいぞッ!』 『泣かぬ子と替えてこいッ!』 『うるさいッ、降りろッ!』と、突然『黙れ!うるさければ貴様が降りろ。母親の身にもなってみよ。心で泣いてるぞ!』軍国調に云えば、その声は三軍を叱咤する烈々たる気迫に満ちてゐた。一瞬、車内はシーンと静まってしまった」。
     
    「二等車の中で。その列車が大阪に近づいてくると、一人の青年が座席のビロードの布をナイフで切り取って、自分の靴を磨き始めた。並んでかけてゐる若い女の人は、ただほほえんでゐるばかり」。

    「省線電車の中で。若い娘さんが座席にかけてゐた」その前に乳児を抱いて立っていた若い母親に「どうぞ、抱っこさせてください」と手を差し伸べた。すると隣りにかけていた紳士が『抱いてあげる親切があったら、席を譲り給え、君は若いンじゃないか』と怒鳴った。

    「娘さんは真っ赤になった。『では、お言葉に甘えまして。すみませんわねえ』若い母親はさも嬉しそうに乳児を娘さんに与えた。娘さんはホッとしたように若い母親を見上げてほほえんだ。紳士は『善』を知っていると云えよう。けれども『善』を行へないたぐいであろう」。
     
    「先ごろある会社で「ミス・ニッポン」を募集した。容貌容姿の美が条件の全部。勿論商業政策でしかない。本当は人間として申し分のない人を選ぶことは、金儲けにならないので一度も企画されたことがない。容貌容姿の美しさを主条件とするNO・1を選ぶといふことは、文化の水準を高めるいとなみとは云へない」。
     
    「敗戦前の日本人は、日本人自身をおめでたいほど高く評価していた。日本人は世界で最も優秀な民族であると考へ、自惚れていた。ところが敗戦は、その日本人をひどく自卑的にし、今ではあべこべに日本人は全くなってゐないという声が、はんらんしてゐる」「欠陥の多い日本そして日本人ではあるが、自卑してはいけないと思ふ、日本人はあくまで日本人である。めいめいがなんとかして一日も早くお互いに愉しく生きてゆけるように仕向けようではないかといふ心になって、手近な自分の周囲からその実現につとめなくてはいけないと思ふ。それが大きく結集してはじめて日本全体が住みよく明るい国として育って行くのだと思ふ。敗戦後わたしはいつもそんなことを考えずにゐられない険しい世相の中に生きながら、日本人の誰もが自分とこの祖国を正当に再認識してほしいと念ふのである。日本再建はそこからだとわたしは云ひたい」

    ◎現在もある”電車内赤ちゃん鳴き声”への不寛容実例!
    先日、新聞紙上だったかネット上だったかで、こんな記事が載っていた。
    「新幹線(?)の中のある座席の女性が抱いていた赤ちゃんが泣いては一時泣き止むという状態をくりかえしていたが、その後ろの座席の若い女性が、赤ちゃんが泣き始めるたびに前の座席の背を足で蹴っている姿が周囲の乗客によって目撃されていた」 

    また2017年のネット上に載った話は・・やはり新幹線、ただしグリーン車での出来事を見た人からの情報。
    「新幹線に乗っていると 赤ちゃんを連れた女性が乗ってきました。 赤ちゃんが泣き始めると 女性は急いでデッキへ行き 赤ちゃんを泣き止ませました。 その女性が車両に戻って来ると 近くの男性が せっかく高い金を出してグリーン車に乗っているのに うるさい と 怒った様に言いました。 そこから女性は ずっと立ちっぱなしで デッキにいました。 私が泣き声は気にしませんので 席へ戻るよう言っても 男性が怖いと言ってデッキにいました。 私も妊娠しており あんな事言われたらどうしよう… と 思いました。 男性が怒るのは当然ですか? また注意されたら ずっとデッキにいるべきですか?」

    ◎ドイツには”子供の活動に寛容な条例”がある
    『日本に限らず、かつて、子どもの声や音をめぐる訴訟が相次いだドイツは、法改正で「子どもの声は騒音ではない」と定めた。
    ドイツの法律に詳しい近畿大法学部の石上敬子准教授によると、ドイツでは2011年に連邦法が改正され、子どもの声が騒音規制の対象外になった。14歳未満の児童保育施設や遊戯施設で子どもや世話にあたる大人が発する音声を、「原則として有害な環境作用ではない」と定義。「子どもにやさしい社会」をめざす立法メッセージを示すことが、立法趣旨に掲げられた。

    日本では、東京都が2015年に騒音の規制対象から未就学児の声を外す条例改正をしているが、国レベルとして国会ては、”騒音とは何か“という定義が必要になるなど、法制化の課題は多いのでまだ法制化は検討していない・・という状態。』(『』内は一部「朝日新聞デジタル」より)

    ◎映画「もぐら横丁」の中の“ラジオ騒音”顛末!
    「もぐら横丁」は小説家の尾崎一雄夫婦とその周囲の人々の実生活を基にした映画で監督は清水宏、主演は佐野周二と島崎雪子で1953(昭和28)年公開。

    その中で、日頃近所から聞こえてくるラジオの音が大きすぎて仕事にならないと夫が嘆くので、妻は勇んでその家に出向いて大声で文句を言ったのだが、後日、中風で動けなくなった年寄りの唯一の楽しみがラジオだった(年寄りだから耳が遠いので音量を上げざるをえない)ことを知って、怒鳴って悪いことをしたと思い謝りに行こうとする夫婦であった・・これも寛容精神の現れを描いている。
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    ・・・・・・・・・・・・・
    今回の内容に関連して、人生訓?の一つを思い出します・・

    「子供𠮟るな 来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ」
    ・・・・・・・・・・・・・

    先日、JR東日本が京葉線(蘇我~東京)の混雑緩和のためと称して、これまで走らせていた「快速」29本と朝の通勤ラッシュ時の「通勤快速」4本を廃止したダイヤに変更した結果、快速2本を残して、ほとんどが各駅停車になってしまうことになり、利用者や沿線自治体の猛反発と抗議の声がまだ続いている。
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    京葉線車両(「週刊東洋経済web版」より)

    確かに京葉線の朝の”上り”は電車が東京駅に近くなるほど相当に混むことが難点だった。しかし私の知る京葉線の乗客過密度は”昔に私が経験したレベル”に比べれば緩やかなもの。

    かつて東京都豊島区に住んでいた私は文京区にある高校に通うために西武池袋線の東長崎~池袋の間と山手線の池袋~巣鴨の間を利用していた時期、それは今から60年くらい前のことになるが、両線とも電車内過密状態は酷かったので、その状況をご紹介すると・・

    ◎肋骨(アバラ骨)折れそうになるほどの”人圧”の凄さ!
    高校通学のある日の朝、西武池袋線の東長崎駅から二駅先の終点・池袋行きの電車に乗ろうとしたが、いつもの超満員がこの日は特に超々満員状態なので乗車口の”人のかたまり”に向けて、私は1メートルくらい離れた所から勢いをつけて体当たりすると同時に背を反転して、乗車口の上枠にかけた手と床に踏み入れた脚で体を突っ張りながら尻で押し入ってなんとか乗り込めたが・・

    閉まったドアの内側に胸がピタリと付いた体勢(まるで胸部レントゲン撮影時のよう)で、背中側からは強力な”人圧“に押されて全く動けないまま(次駅では反対側ドアが開くので)終点の池袋までの約6分間をその状態で我慢するハメになってしまった。

    ところが電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が驚異的と言うよりも脅威的に増大して、私の胸は硬いドアにさらに押し付けられて(胸囲的圧迫?)肋骨が折れてしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、とにかく池袋駅に到着して電車を降りて危機的状況から開放されたのだが・・


    “胸部の痛み”はその後数時間、その日の午前中いっぱいまでは続いた。
    電車内での胸部圧迫はたった2~3分間だったにもかかわらず、その後の痛みが数時間ということは、車内人圧がいかに凄かったかがお分かりでしょう。
     
    ◎肋骨折れそうになるほどの”人圧”発生原因解明!
    前述のように 電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が脅威的に増大した事態の原因が、なんとこの文章を綴る直前に判明した(ので私事ながらスッキリした気分になった)次第。・・それは・・

    私が池袋行き西武池袋線の「東長崎」駅で(進行方向の)右側ドアから乗り込んだものの人圧で胸部がドアに圧接⇒次駅の「椎名町」駅では左側ドアが開閉して私は胸部圧接のまま⇒次駅の終点「池袋」までの距離の2/3ほど進行した地点で左に90度以上に曲がるカーブが在り、そこで車内の”人のかたまり”は大きな遠心力によって右側に偏るために、右側端に居る私は”さらなる圧迫”を受けたのだった!下図参照ください!
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    私が勝手に「魔の90度カーブ」と呼ぶその場所は、中学生時代に社会科の先生から「あのカーブでは昔、人が振り落とされることがあった」と教えられてもいた。終戦直後の日本中の列車にはデッキや窓枠に車外からしがみついている人が多い写真をよく見るが、そんな時代の話なのだろうか?そんなわけで電車がここにさしかかると当然のように減速はしているのだが、それでも私は本当に痛い目にあったもの。

    その他にも我が人生で最も過密な電車に乗った時期(60年前頃)に経験したいくつかの事例を紹介します。

    ◎超過密はある面で楽?
    電車内では特に乗降口付近がぎゅうぎゅうな状態になり、乗客どうしの身体が密着するので、つり革など持たず、脚を踏ん張らなくても体が揺れたり倒れたりすることがないし、軽い鞄などは手で持たなくても”人と人の間で”宙に浮かせることができた。現在のような中途半端な混雑状態ではこうはならない。

    ◎電車の窓ガラスが人圧で割れることたびたび!!
    私が通学に利用した山手線の池袋~巣鴨の間でも電車内過密状態は酷く、”超満員の人の圧力で(ドア付近の)ガラスがパリンという音とともに割れる音が頻繁に聞こえた”・・ガラスが割れたのを見ることなど人のかたまりにさえぎられて到底できず音で知るしかなかったというわけです。(電車用のガラスの強度は今昔で若干の差があったかも知れないとしてもやはり人圧はすごかった)

    ◎私は口紅を付けられた!
    ある日のこと、ぎゅうぎゅう詰めで身動きはできない状態で、何か人の顔が私の学生服の後ろ肩に触れたようなので気になって後で見てみたら”みごとに口紅の跡が付いていた”ということがあった。黒地にピンクは目立つのに駅から学校までの徒歩15分の間に級友に気が付かれなかったようで助かった。

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    大昔と違ってその当時はすでに「おちない口紅」(実際は”おちにくい”)が普及していたのだが・・

    ◎目的駅で降りられぬ人も多かった
    電車の乗降口付近はどうしても人が過密になるので、車掌によるアナウンスの「入り口付近より中にお進みください」に従っていたら、自分が降りようとする駅に着いても人のかたまりに邪魔されて降車失敗する。当時「降りまーす、降りまーす」という声はしょっちゅう聞かれたが、望み通りに降りることができない人も多かった。このような状態を知った人たちが目的駅での降車失敗をさけるために、電車乗降口付近に留まるためますます過密になる悪循環は続いた。

    ◎「尻押し部隊」活躍
    満員電車に乗り込むのに苦労している人の体を車内に押し込む作業をする「尻押し部隊」(俗称で他にも呼び名あり)は1955(昭和30)年に旧国鉄(現JR)新宿駅で初登場。その後乗降客の多い駅に普及して、私も押された経験は何度かありますが、実際は”尻を押すわけにはいかない”ので背中を押すもので、その他に、閉まりかけたドアからはみ出たバッグや服も押し込む役目もある。これを行うのは駅員の他に学生アルバイトも多いらしい。

    ◎痴漢の冤罪さけるために両手を上げる人いるが・・
    痴漢の疑いをかけられることを避けるために、自分の両手の指先があごのあたりにくるように、よく医療モノの映画やドラマで執刀医が手術直前にする”手上げ?”と同じような格好をする人がたまにいるが、
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    この行為は超過密状態ではむしろできない。なぜなら自分の手さえ動かせないし、無理に動かそうとするとその動きが疑われることになる。むしろその行為による”曲げた肘”が他人に当たって痛みを与えてしまうから迷惑行為になってしまう・・というわけで、この”手上げ”行為が可能な状態というのは”手が自由に動かせる程度の混雑時”となる。

    ◎昔のような乗客超過密な電車が無くなった理由は?
    ・鉄道路線が増えた
    特に東京圏では地下鉄網が増大して、1960年代末時点では銀座線、丸ノ内線、荻窪線(後の丸ノ内線の一部)、日比谷線、都営地下鉄浅草線が存在していたが、その後に増えたのが東西線、千代田線、有楽町線、南北線、半蔵門線、副都心線、都営三田線、都営新宿線、都営大江戸線。
    地下鉄以外ではJR埼京線、JR京葉線、都営舎人ライナー などが増えた。

    一方で路面電車の都電は1972年に荒川線を除いて全て廃止されたが、乗員輸送力への影響は少なかった?。

    ・その他、通勤・通学客自体が減少した要因としては・・オフィスや工場の郊外や地方への移転、フレックスタイム制導入増加、リモートワーク増加、少子化による学生の通学者減少などがあげられている。
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    悲話 : これもおよそ60年前のこと、通学のために前出の西武池袋線「東長崎」駅で、ホームに到着した池袋行き電車の先頭車両に乗り込もうとしたら、とんでもなく乗客過密で、いつものように力任せにわが身を突進させても”人のかたまり(これも「団塊」と言えようか?)”に跳ね返されてどうしても乗車は無理とあきらめた瞬間、ふと見ると車内になんと高校のクラスメートしかも日頃ちょっと気になる女子がいて顔が合ってしまった、と言うより私が乗車失敗する様子を見ていたようで、恥ずかしいやら悲しいやらの思いを抱きながら一本後の電車になんとか乗れたのでありました。ちなみに彼女は7つ前の駅から乗車していたので比較的楽に乗車できていたのだった。

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    ※参考
    ↓写真は京葉線の始発駅「蘇我」で発車直前の各駅停車用の車内で、ダイヤ改正後間もない4月3日(平日)午前6時45分頃に私が撮影したもの。その後終着駅「東京」近くになっても(十分に通勤ラッシュ時間帯になっているが)混雑度は、かつての私の経験に比べれば「大したことはないレベル」。ただしそれがダイヤ改変の影響なのかは分かりませんが・・
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    ◎冬の我が家にゴキブリ出現
    ゴキブリは冬には見かけないものだが、今年2月の初め、一年の内で最も寒い時期なのに我が家の廊下を這っているゴキブリ発見!
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    (大日本除虫菊(株)のHPより)

    さすがにヨタヨタと歩いている感じだったので、難なく捕まえて処分しましたが、私が千葉県のこの地に住み始めてから43年の間、冬にゴキブリ出たのは初めてで、やはり特に今季は暖冬だからと妙に納得した次第。

    そう言えばこの冬(3月初旬までのところ)には庭の小さな池には薄い氷がたった2回しか張っていない。例年なら一冬に10回は凍っている。寒冷地で天然氷を作っている所や天然アイススケート場では今年うまく氷が出来ずに困っているニュースが流れた。

    思えば、今から70年くらい前のこと、私がかつて住んでいた東京の豊島区のある池でさえ”大人が乗っても割れなかったほどの厚い氷”が張っていたし、20センチくらいの氷柱(つらら)も度々出来ていたことからすれば気候温暖化が進んだと感じます。

    ◎”生きた化石”と言われるゴキブリ
    シーラカンスやイチョウばかりでなくゴキブリも”生きた化石”と言われるゆえんは、地球上に現れたのが3億年前と言われ、6600万年前に(現在のメキシコのユカタン半島あたりに)小惑星(あるいは巨大隕石とも言われる)が衝突した結果、舞い上がった塵や発生したガスなどが地球を覆ったために太陽光がさえぎられて寒冷化し恐竜たちが絶滅しても、ほんの一部の小動物とともにゴキブリは生き延びてきたから。
    現在、ゴキブリは世界中に4000種あり、日本には40種。その内でも私がよく見かけるのは、クロゴキブリとチャバネゴキブリで、冒頭に登場した冬の我が家に出たのは前者。
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    (大日本除虫菊(株)のHPより)

    ◎頑強かと言えばそうでもないゴキブリ
    我々の認識では、ゴキブリは暖かな季節に活動が活発になるし、事実20~32度Cが適温であるそうだが、それより高温になると致命的になり、35度でダウンして42度になると体内の蛋白質が固まって死んでしまう。そう言えば高温では蚊も活動しなくなるところは似ているか?
    またゴキブリは乾燥も苦手。ゆえに水分を求めるから水気の多いキッチンに出没することも多い。

    ◎ゴキブリは飛ぶ !
    普通は這いまわる姿しか見ないゴキブリですが、私が中学生の夏のこと、2階の部屋で窓を開けて勉強していたところ、突然黒っぽい何かが窓の外から飛び込んで来てノートだったかに止まったので、驚いて見てみたら大きいゴキブリだった。それをどう処理したかは記憶にないが、とにかくゴキブリというものは飛ぶものでもあると知った次第。

    ・・ということは・・(我が家とはちがう)立派な高気密の邸宅であっても、窓を開けていればゴキブリが飛んで侵入することもあるということで、私の経験では、ある大きなホテルの”窓が開閉できる客室”の床を這っていたのは”飛んできた”ゴキブリだったのではないかと思われることがありました。

    ◎ゴキブリを私の弟は昆虫標本にしていた !
    ゴキブリは脚が6本あり確かに昆虫なので、昆虫採集に夢中になっていた”私の弟“が小学5,6年だったかの夏休みにたまたま捕まえたゴキブリを他の蝶々やカナブンと一緒に昆虫標本にしていた。

    ◎ゴキブリは病原菌の運び屋と知られて触られなくなった!
    1960年代後半(だったか)になると、まず「ゴキブリは小児マヒ(現在で言うポリオ)の原因となるウイルスを持っている」という警告的な情報がマスコミから流れるようになって、それからはゴキブリはさわってはいけない存在になったので、前述のような” ゴキブリを手で触りながら昆虫標本にする”ことはできなくなった。

    元々、暗くじめじめしてしかも栄養豊富な下水道などを好んで多く棲むゴキブリは、ポリオだけでなく多くの病原菌・ウイルス(サルモネラ菌、赤痢菌、黄色ブドウ球菌、O157など)を身に着けて這いまわることが、その後に発表されるようになってますます触れなくなった。おまけにゴキブリの糞にも含まれるそうなので、これも注意が必要。

    ◎ゴキブリは耳の穴にも入り込む!
    暗く狭く暖かい耳の穴はゴキブリには絶好の棲みかとなるようで、ゴキブリが入り込む症例?が日本だけではなく世界中でゴキブリの生息地であれば発生しているそうです。

    その場合のゴキブリはまだ小さい子供が多いのでしょうが、小型種の大人もいることは間違いなく、何故ならば”耳穴”に卵を産み付けられた例もあるからです。

    実は耳穴に入り込む虫はゴキブリだけでなく、他にクモ、蚊、ハエ、ダニ、ムカデなどがあり、これらをまとめて医学用語では「外耳道有生異物」と言うそうです。当然のようにこれらは耳穴のみならず鼻穴、口中などにも入ることがある。

    ◎キッチンのゴキブリは液体洗剤で・・
    食器や食材があるキッチンでゴキブリを見つけた場合、薬剤をスプレーするわけにはいかないので、私はキッチン用液体洗剤をゴキブリめがけてピュっとかけると、一瞬で絶命?するのか動かなくなるので安全に処理できます。

    調べたらゴキブリは腹にある気門で呼吸していて、これが液体洗剤などで塞がれるとダウンすることがわかりました。

    ただし最近のキッチン用液体洗剤は濃縮タイプなのでゴキブリ退治用に使うのはもったいないので薄めた液を用意したいところ。

    ◎家電メーカーはゴキブリ対策に苦慮 !
    暖かくて水分がある状態になる電気製品は特にゴキブリ対策に悩まされる。
    食器乾燥機は温熱部位があり、しかも水滴受け容器があり、また食器が完全に乾くまでは水分も存在するという”ゴキブリにとっては快適な機器”となるので、ゴキブリの侵入や棲みつくのを防ぐ設計に苦労する。
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    そのため、某電機メーカーの製品設計者は”ゴキブリ100万匹を飼育して生態などを研究している”ことで有名な「アース製薬の赤穂研究所」に出向いて教えを乞うて”電気製品へのゴキブリ侵入防止対策”を練ったと言う。具体的には機器の放熱孔、通気孔などの形状や位置の適切な設計などに応用されている。

    その他、エアコンの本体の中にゴキブリ侵入の例も多く、その侵入経路には屋外にのびるドレンホースの先端からのことが多く、特にその先端が地面に着いている場合が多いとのこと。

    ◎ラテン音楽の「ラ・クカラーチャ」はゴキブリの歌 !
    「クカラーチャ」とはスペイン語で「ゴキブリ」のこと。(「ラ=la」はスペイン語で女性名詞単数の前に付く定冠詞で、英語では「the」に当たるもの)

    「ラ・クカラーチャ」は元歌がメキシコ民謡で作曲者は不明。同じ題名、メロディでも歌詞が異なるいくつもの歌が存在していて、その中の一つとして”ラテンアメリカ最初の民主革命と言われるメキシコ革命が1910年から約20年間続いた中で活躍した一人であるビリャが率いる軍隊の中で歌われたもの”があり、その歌の中の歌詞では自分たちをゴキブリに例えている。
    →「ラ・クカラーチャ」=https://www.youtube.com/watch?v=fCR-xDOwlZY

    この歌、日本では「車にゆられて」という曲名がつけられて歌詞は牧場の仕事の様子を表したような内容となり、「ラクカラーチャ」という言葉は単なる合いの手・掛声的に挿入されたカタチで1963年にNHK「みんなの歌」として流されてから以降、一部の学校でも歌われるようになっているそうです。

    ところで「クカラーチャ」は英語では「コックローチ」なので、その語感からして互いに関係した言葉ということがわかりますが、こういうケースでは双方ともが、ある一つのラテン語から出ている場合も多いものの、もしもラテン語由来ではないとすれば、私は英語の「コックローチ」が中南米に到ってからなまって「クカラーチャ」になったと考えていたところ、実態はその逆で、「クカラーチャ」が英語圏に到って「コックローチ」になったとのこと。

    ちなみに私事ながら、私が英語の「コックローチ」という単語を覚えたのは、1977(昭和52)年に大日本除虫菊株式会社から「金鳥コックローチS」というゴキブリ用殺虫剤スプレーが発売されたからでした。(現在は「金鳥コックローチ ゴキブリがいなくなるスプレー」という名の商品になっている)
    cockroach-s

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    前々回、前回と騒音について綴りましたが、実は私自身が”気づかぬうちに騒音源となっていた”ことがありました。それは・・
    ◎スピーカーからの音楽で隣から怒鳴り込まれた! 
    angry-for-audio

    私が勤務地の大阪でアパート※暮らしを始めた1970年代初め、その自宅で聴くレコードなどの音楽の音量には気をつけていたつもりだったのですが、ある日の夜7時頃のこと お隣のご主人が「うるさい」と言って怒鳴り込んできました。

    つまり、私は隣宅の人にとっては騒音となる音を出していたわけですが、なぜこんな事態になったのかを考えてみたら、複合要因があったのです。 それは・・

    (1) 隣宅との境が防音・遮音性が十分でない塗り壁1枚では”お隣は隣室と同じようなもの”という認識が私には無かった。

    (2)(上記と密接に関連しますが)私はそれ以前には戸建て住宅にしか住んだことがなかったので、集合住宅の”音の問題”を知らずに、戸建てで聴いていた音量基準では大きすぎた。

    (3)夏だったので(2階角部屋の)窓という窓を全て開放した上で扇風機を最大風量にしていたために、聴いている音楽が風音でかき消され気味だったので、従来よりも音量を少し大きくしてしまっていた。

    (4)隣宅のご主人の職業がタクシーの運転手なので、勤務時間の関係で睡眠時間帯が一般とはちがっていることがあって”私が出していた音が聞こえて眠れないことが多々ある”ということを後で奥さんから聞いた。
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    ※当時私が住んだアパートは関西独特の呼び名である「文化住宅」という種類の集合住宅で、1950年代から出現した木造モルタル(多くは2階建て)造りで各戸ごとに台所とトイレがついている形態だった。

    ◎いびきがうるさいから(無言で)座席背もたれを後ろから蹴られた!
    ibiki
    右写真はYahoo newsより引用)

    私が50才代なかばのある日に、出張で新幹線に乗って東京から大阪に向かう途中、いつものように眠っていたら突然座席背もたれの後ろからガーンと強く(たぶん)蹴られて目が覚めた。

    とっさに私は自分のイビキがうるさかったからと理解した。そう判断する材料となる事態が過去にも新幹線内であったからで、その際は新大阪から乗り、東京に列車が到着すると横に座っていた高齢男性に「イビキがうるさくてたまらなかったよ」と文句を言われたのだった。いずれも私のイビキは騒音レベルだったようです。

    その他にも通勤電車の中で眠っていて隣の人から私の脇を小突かれたり、腕にギューっと圧力を加えられることがあったのは、その当時は”何でそんなことをされるのか”に鈍感だったものですが、それは私のイビキがうるさかったからだったということに後年にやっと気が付いたのでした。

    ※その後、私は自分のイビキ解消または抑制する方法を体得して、騒音問題ほぼ解決したのですが、長くなるので詳細は後述します。

    ◎いかなる音も騒音になる可能性がある!
    条件の違いによってあるいは人によって、ある音が騒音になったりならなかったりするもので、それは大音量はもちろん、小さな音量でも起こります。

    (1)ある音や音楽を騒音と感じる人と感じない人がいる

    A)生理的に好・嫌が分かれる例
    ・前回にもとりあげた”風鈴の音”が好例。
    ・昔、私の弟がレコードで”グレゴリオ聖歌”を好んでよく聴いていたが、祖母は「ご詠歌みたいだからやめてちょうだい」と苦情を言っていた。
    グレゴリオ聖歌の例:https://www.youtube.com/watch?v=fKLxgRH95Ns

    B)“コーホート”(ある年代の社会を経験しているある世代集団)によって好・嫌が分かれる例
    ・近所の公園や通路で遊ぶ子供の声・・近年に生まれた世代と比べると3.5倍も仲間の人数が多かった団塊の世代(出生数比較:1949年=269万人/2023年=76万人) が育った時代は公園、広場や路地で遊ぶ子の数は今の時代より当然多かったし、比例して騒ぐ声も多かった。
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    (団塊世代直前の世代である私が通った小学校(東京・豊島区)さえも1学級に児童平均60人、それが6学級あり1学年で計360人だったが、他の地域ではもっと多い児童数の学校があった)

    そのように、子供仲間が騒ぐ声が聞こえるということが日常であった団塊の世代やそれに近い世代は、その後近年に至るまで”子供が近所で騒ぐ声”をうるさいと感じる人が少ないどころか私のように”むしろ、子供のさわぐ声が聞こえなくなったら寂しいくらいで、さらにこれは少子化問題深刻、日本消滅へ向かう”ことの表われであると感じるから、その意味でも”子供の声歓迎”と思う人も少なからずいるのでは?

    C)喧噪の環境で育ったか否か(田舎?)
    都会のような喧騒に包まれ、あるいは慣れ親しんで育った人たちにとってそれは騒音とは感じなくても、静かな環境で育った人には騒音と感じることが多いもの。

    逆に、都会育ちの人は、里山で田んぼの蛙の合唱がうるさいとか池のウシガエルのボオ・ボオ・ボオという合唱がうるさい。その他セミの声も・・ということでこれが騒音に感じる例がある。

    蛇足ながら、一般常識では騒音なのに私はそれをむしろ快音と感じていたのが・・東京の昔の新宿の街の喧騒の中でも、道ゆく人の頭上から有線放送の声がふりそそいでいっそう賑やかさを増していた”音の風景”でした。‥その有線放送から流れていた(映画館の上映案内の)ナレーションの出だし部分の
    「ブリット、ブリット、スティーブマックイーン主演の・・」がなぜか記憶に残っている。(「ブリット」:1968年公開の米国映画)
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    この新宿の街の有線放送が今でもあることが先日のテレビで知ることができました。・・それは最近「鳥貴族」という名の有名な焼鳥居酒屋チェーン店の新宿店の類似店が”客引き人”を使って客をだまして誘導する悪行が発覚したことをうけて、有線放送で注意を呼び掛ける音声が流れていたから。

    (2)同じ人の中で、その時の精神的や肉体的状態によって騒音にも非騒音にもなる
    A)好きな音楽が場合によって逆に騒音(的)に聴こえる例
    小説家などが執筆作業する際に、静寂な環境の中でよりもそこそこざわついている喫茶店でのほうが効率が上がるという人も少なからずいますが、それと同様な目的で何か音楽を聴きながら作業する人の中には、自分好みのジャンルの音楽が聞こえてくると、そちらにも意識が行ってしまい邪魔になるから、それは一種の騒音になってしまうものなので逆に嫌いなジャンルの音楽が聞こえていたほうが意識に入らないから好ましいことになるそうだ。

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    B)病気の時、イライラしている時、受験勉強などで難問を解いている時などは、通常は普通に聞く音楽や話し声が騒音化するもの
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    ・・昔、隣家の高校生の息子さんが、普段は温和なのだが、ある時に2階の(たぶん勉強部屋の)窓から、道を歩きながら会話している小学生数人のグループに向かって「うるさい!」と珍しく怒鳴っていたことがありました。

    (3)時間帯によって(地域によって)騒音化する例
    ・横断用信号音の音
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    横断中に鳴るピヨピヨなどの音を出すタイプの信号は正式には音響信号機と言い、主に視覚障がい者に便利なように、メロディ(「通りゃんせ」や「夕焼け小焼け」など)または擬音(「ピヨ」や「カッコー」)の音で横断歩道が青信号状態を知らせるものだが・・

    その音が都会の喧騒の中で鳴るのは問題ないが、住宅地では昼間はほぼ問題ないものの夜間では音が周囲の音環境の中では相対的には大きく感じてしまうことになる。

    しかもこの音響信号機が採用され始めた当初は「メロディ式」でしかも誰でもが知っている曲なので、住宅地などで少しでも聞こえるとどうしてもメロディと歌詞をアタマの中で追ってしまうので、その近辺の住民にとっては”夜間の騒音化”してしまう事態が起きていたので苦情も少なからず出ていた。

    ・・ということで現在は新規設置するものはすべて「擬音式」になっていて「メロディ式」は全国で2%しか残っていない。

    騒音苦情が出たある地域では夜間には音響信号機を停止したところ、ある夜に視覚障がい者がクルマにはねられてしまったという弊害も起こっている。そこは夜間でも昼間より音量を下げた擬音タイプの音を出すべきでしょう。

    (4)タブー音も騒音のうち
    騒音イコール望まれない音であるという解釈からすれば、音の大小に関係なく”嫌われる音”は騒音。

    A)”夜の口笛”・・昔から夜に口笛を吹くと「蛇が出る」、「人さらいが来る」、「泥棒が入る」などと言われて、その行為はしてはいけないという言い伝えがあり、(その理由はここでは省略しますが)とにかくこれを信じる人たちにとっては”夜の口笛が騒音”になる。

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    松竹DVDより

    B)”音のマナー違反”・・食事の際の”皿とカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーンなど)が当たる音”、”咀嚼音”、”ゲップ音”そして外国人にとっては”麺類をすする音(これを最近では「ヌーハラ」と言うそうです)” などは一種の騒音となる。
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    私の場合の”イビキ解消法”・・まずこれは多くの人に共通することですが、普通に寝る場合は横向きに寝るのが原則。仰向けではイビキを書きやすくなると同時に睡眠中に唾液が気管に流れ込んで誤嚥性肺炎になる危険もある。

    そしてイビキ解消法は・・”眠る際は下あごを上あごより前に出す”こと言い換えれば下側の歯列が上側の歯列よりも前にせり出た状態にすること。
    これによって眠っている際の気道が塞がれないようになってイビキが発生しない(しにくい)ことになる。
    このあごの前後関係を維持するのは最初は努力が必要だが、日中でも意識的に”下あごを前に”をこころがければ、そのうちにほぼ無意識にもできるようになり、この状態は入眠後も保てるよう(ここは確信できませんが)です。

    この方法が顕著な効果を示すのが、乗り物(電車、新幹線、バスなど)に乗って眠る際やソファに座って居眠りする際で、もうイビキをかかなくなります。(この効果を出すためにもう一つ必要な事は太っていないことです)

    “下あご前出し”状態維持がどうしてもできない方は病院で”(睡眠時無呼吸防止用)マウスピース”を作ってもらうのがよいでしょう。(マウスピースそのものの製作代は3割負担で1万5千円程度)
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    騒音関連のお話 次回にも続けます
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    前回、最近の日本での騒音苦情の事例をあげてみましたが、冬ならではの例、その他の例を追加紹介します。
    ◎「雪かきの音がうるさい」・・という苦情
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    その音とは「ゴーリ、ゴーリ」というような音であり、雪かきをする際に金属またはプラスチックのスコップ(シャベル)やスノウダンプ(上イラスト右側)が地面(最近はたいていアスファルト舗装面)に擦れて必ず発生する音。

    勿論、降雪が多い地域では必要な作業なのですが、”深夜または早朝の雪かき音による安眠妨害”への苦情が非常に多い。

    具体的には、”深夜2時、3時”や”早朝5時”の雪かき作業を平均30分くらい続けるのでその音で眠っていられないという声が多発。

    中には、深夜にエンジン式の家庭用除雪機※を使う人もいて大迷惑だが、豪雪地域では自治体が大型除雪車を深夜でも稼働させることがあり、これは各家庭前の道路をサーっと通り過ぎるので苦情は出ないそうだ。 ※電動の静音タイプ除雪機は販売されているのだが・・

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    北海道の河西郡芽室町では公害防止条例で「夜間(22時~6時)にあっては付近の静穏を害する行為をしてはならない」と定めているため、これをもって違反者を出さないようにしている。

    ◎「『火の用心』の見回りの掛け声がうるさい」という苦情
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    昔から全国的に行われてきたカタチは、夜間に数人が一団となって「火の用心(ひのよーじん)」と大声を出し、拍子木をカッチ、カッチと打ち鳴らすことを繰り返しながら地域を歩き回る・・というもので主に空気が乾燥しかつ暖房などで火を使うことが多い冬の期間中に行われるもの。

    私がかつて暮らした東京都豊島区の町では、昭和20~40年代(その後は知りませんが)には「火の用心! マッチ一本火事のもと!」と言っていた。またその一団は大人一人が付いた子供数人で構成していた。
    しかし現在はこの”火の用心巡回”を行う地域が減っているそうで、その理由は・・子供が減った社会では寒い中での高齢者が行う訳にもいかないこと。巡回担当が持ち回り義務になっている地域ではその負担への不満充満。
    そして”火の用心巡回”の掛声がうるさいという苦情も多いこと。

    ・・というわけで長年の慣習を廃止する地域が多いものの、超高齢社会の最近では住宅火災で焼死するお年寄りのなんと多いことか。むしろ東京都の東部の住宅密集かつ道幅が狭く消防車到達困難地域では”火の用心巡回”を消滅させてはならないという意識が若年・壮年にも強い。

    この巡回にはもう一つ同時に、不審火・不審者防止という効果があることも見逃せない。

    次善の策として”声は出さずに拍子木だけ叩いてまわる” “消防団員のボランティアが実行” “(私の住む地域では冬季のみに)消防車が鐘(電子音)を「カン、カーン」と5秒ごとに鳴らしながら巡回”などで対応している。
    syoubousya

    その他、生活音の範疇に入るもので騒音苦情として多いのは・・

    ◎飼い犬の吠え声
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    犬の吠える単発の声(ワンと一声くらい)には我慢できても、連続して吠える、年がら年中吠える声は万人がうるさいと思うもので、それも屋外の犬小屋で飼っている犬の場合は酷くなり、これを飼い主が放置しておけば隣近所から苦情が出ること必至。

    私の近所では、犬の吠え声への苦情が原因で2軒の間が絶交していました。(その後、犬の家は転居) また、昔に私の祖父の家の犬小屋で飼っていたほとんど吠えない犬に「うるさい」と苦情を言ってきた隣家がありましたが、これは余程の犬嫌いだったのでしょう。

    以前のブログに書いたことがありますが、昔 私が警察無線を傍受出来ていた時期には「住所〇〇の〇〇という家の横を通るたびにこの家の犬が吠えてうるさい」という苦情の訴えがあるので現場に向かえという指令を警視庁からパトカーへ伝えていたことがありました。

    これまた昔の話ですが、日本ではかつて「スピッツ」(正式犬種名:日本スピッツ/下写真)という”フワフワ白毛で耳ピンと立ちちょっとかわいい顔”をした中型犬がもてはやされた時代があって、先述の祖父の家でも飼っていたことがありますが、この犬、キャンキャンとよく吠える性格と抜け毛が多めであるのが欠点で、それ故に全国で次第に飼われることが少なくなってしまいました。(ただし、最近は比較的おとなしくなるように品種改良しているとのこと)
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    (↑
    写真はウエブマガジン「いぬのきもち」より引用) 

    ◎風鈴の音
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    風鈴はガラス製、陶磁器製、鋳鉄製などがありますが、いずれも風によってチリン・チリンという音がするものですが、決して大きな音ではないものの・・

    まず問題はこの”風鈴の音そのものが人によって好き嫌いが分かれることで、嫌いな人にとっては騒音となっていること。

    もう一つは、”風鈴が強風のもとでは強い音でしかも途切れることなく鳴り続ければうるさい”と誰でもが(通常の風鈴音が好きな人でさえも)騒音と感じること。・・実際の例では夏を過ぎても風鈴を”ひっこめる”ことをしないで台風や、木枯らしが吹いてもほったらかしの家が少なからずある。

    ◎騒音になり得る音環境の概念図
    ここで、前回と今回でとりあげてきた”騒音になり得る音環境”を整理して下図のようにしてみました。
    <直接音>対面して話される声、怒鳴る声 / 同じ部屋や電車やバスの中で騒ぐ声など
    <隣接音>隣室・隣家の人の声や足音、家電機器音、ペット声、風鈴音など。いわゆる生活音。
    <周囲音>隣接または極近隣の公園、駐車場、道路駐車、保育園・幼稚園・小学校などからの声や音。
    <公害音>万人が確定的に騒音と感じる音なので各種法や条例で規制あり。工場や工事現場の稼働音、自動車類総体の走行音、航空機音など。
    <公共音>多くの人への素早い情報伝達のために必要な”地域有線放送”、地域住民が楽しみにしている伝統の行事や祭りの音、年に一度の除夜の鐘、”火の用心”の巡回音など。
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    その他、騒音に関して私が体験したエピソードなどは次回に・・
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    (1)多くの寺が除夜の鐘に苦慮
    昨2023年の大晦日、『東京都のある寺では除夜の鐘をつくことをやめた。
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    この寺では昔から、毎月1日と15日の午前5時に鐘をついてきていたが、5月に「鐘の音がうるさい」という苦情がよせられたと警察から連絡があったので、以後は鐘を打つ回数を減らしていたが、11月になって鐘をついた数時間後に、墓地に備え付けの手桶30個がすべて燃やされてしまった。

    ・・というわけで、寺の鐘の音に不満をもつ人と対話して良案を求めたいが、それもできないままでは今後のエスカレートも心配なのでやむなく日常の鐘つきと除夜の鐘つきを中止にしたのだった。

    また別の寺では、苦情が出ることが予想されるご時世になったので、予防措置として自主的に”除夜の鐘はコンと打つ”だけにとどめるようにした。』 (『』内は毎日新聞ウエブ版2023.12.31より抜粋)

    私の住む千葉県の圓明院というお寺でも、除夜の鐘は騒音苦情対策かつ高齢者と子供が参加しやすい時間として午後4時からつき始めている。

    (2)盆踊りの太鼓の音や音頭の歌声に苦情も !
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    盆踊り(夏祭り、秋祭りなど)開催にあたって主催者側は開催前に管轄警察や近隣への断りを入れていても、最近は音がうるさいという苦情が出ているケースも増えているようで・・

    『太鼓の”打つ面“の反対側の面に分厚い布を張って音を弱めたり、音量を抑えた電子太鼓を使うところも出ている。』 (『』内 同前)

    私の住む地域では盆踊りそのものの開催を従来は2日間、午後3時から午後10時までだったものを、段階的に日時を短縮するようになって最終的に、開催は1日限り、しかも午後9時までになってしまった。

    (3)子供騒音苦情で公園廃止事例が発生
    昨2023年3月末に、長野市のある公園が廃止されたが、その理由を市は「隣接する住宅の一軒から『子供たちの声がうるさい』という苦情が出ているため」と説明した。

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    この報道がマスコミから流されたとたんに、この苦情主への批判が多数(賛同も若干)SNS上などに寄せられた。同時に氏名と身分を特定して公開され、いやがらせの電話あり、頼みもしない住宅メーカーのパンフレットが送付された。

    週刊誌の取材において苦情主が語ったことには・・「子供たちが公園で遊ぶこと自体に反対しているわけでもなく、ただあまりにもうるさく、雨戸を閉めても効果ないほどで、しかも禁止されている球技をしてボールの打球音やサッカーボールを蹴る音がこれもうるさい。

    さらに近所に在る児童センターがウイークデーの午後3時から5時くらいまで約50人の児童をひきつれて遊ばせる時間帯が特にうるさい。おまけにこれら児童の親が送迎するために付近にとめたクルマのエンジンをストップしないのでこれもうるさい。

    このような状況なのでこの苦情主は自ら、ボール遊びの子供たちには都度”公園の規則を守るよう”に言い聞かせており、児童センターにも対処改善を申し入れしたりしていたが一向にらちが明かなかった。」

    そもそもこの公園に隣接する住宅でこの苦情者宅以外は日中不在なので苦情が発生しなかったようで、結局は苦情者宅の奥さんが「18年間我慢してきていたが、主人が前年に定年退職して在宅でリモートワークを始めたところ、この日中のうるささをあらためて主人が強く実感するようになったため、市に訴えた」・・のだそうです。

    (4)電車内で騒ぐ自分の子供放任を主張の”「おやおや」な親”登場!
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    数年前にマスコミによって紹介された事例ですが・・電車内で騒ぐ子供に向かって、ある高齢男性が”うるさいことを注意“したら、その子の親がこう言い放った・・

    「子供は泣いたり騒いだりするのが仕事。うちでは周りに迷惑をかけるなという躾はしていない。
    あなたの価値観を子供に押し付けないでください」

    もうこの親の言動にあきれるやら、悲しいやら。 その親自ら「・・という躾はしていない」と言って、その言葉どおり躾ができていないし、これは価値観以前の問題であるということが分かっていないので思考回路が疑われる。

    ここでちょっと話は飛びますが・・やはり数年前に、児童が学校給食で食事前に「いただきます」と唱和することにたいして、ある親が「給食費を払っているのに『いただきます』という必要がないではないか」と学校にクレームをつけた事例があったが、その親も「いただきます」の本当の意味を考えることができないことを世間にさらけ出していた・・ことが思い出されます。

    ◎「騒音」とは何なのだろうか?
    「騒音」とは「望ましくない音」である。
    ・・という説明がみられるが、確かに”大音量で長時間継続する音”、例えば工場・事業場騒音、交通騒音、建設作業騒音などは万人が望まないものなので各種法令や条例で規制されているが・・

    では”大音量だが短時間継続、しかも年に1回かつ決まった日にしか出ない除夜の鐘や盆踊りの音は、大多数の人が望む行動にともなって発生する望ましい音であり、望まない人は少ないのに、これを騒音と呼ぶものだろうか?

    一方で大音量ではないものの、音によっては”望ましくないか否か”は”時と場所と人”によって異なるものがあり、それが生活騒音とされる部類に多く例えば、東京都環境局の5分類によると・・

    ・家庭用機器からの騒音:冷蔵庫、掃除機音など
    ・家庭用設備、住宅構造面からの騒音:ドア開閉音など
    ・音響機器からの音:ピアノ、カラオケ、ステレオ、テレビなど
    ・生活行動に伴う音:話し声、足音、食器の音など
    ・その他:ペットの鳴き声、風鈴、建物外から入る自動車の音(クラクション、エンジン音、タイヤ音)など

    ※これら5分類生活騒音についての実例やエピソードが(私が経験した事例だけでも)多くあるのですが、次回にご紹介します。

    さてこれらの生活騒音は程度の差はあるものの、音の発生源からは壁、床、天井、窓ガラスなどで一応遮断されているが若干漏れている、あるいは伝わってくるという、いわば(音源近いが)”間接騒音”。一方・・

    前述の例のように、電車内という狭い一種の閉鎖空間の中で、音を遮断するものもない状態で、寝ている人、本を読む人、体調がすぐれない人などがいるかもしれない前で子供が騒ぐ音は(間近からの)”直接騒音”であり、即禁止・制止すべきは明白。

    そしてもう一つの前述例の”公園での子供騒音”苦情の件は、苦情主、児童施設や学校、公園管理する自治体のそれぞれがもっと真剣に対処法を考えていたら、なにも公園を廃止しないで済んだのではないだろうか。(苦情主は「何で苦情を言うのか、ここに住んでいる者にしかわからない」というようなことを述べておられるそうだが) 対策案として・・

    ・まず児童施設や学校での騒音教育・指導の徹底。 

    ・児童施設が児童50人を連れて当該公園を利用する際には、この公園は広いので”苦情主宅から半径20?メートル以内には児童たちを行かせないように都度ロープを張る。 

    ・「不快音」は音量や音の波形に関係なく4000~7000ヘルツとされるが、子供の声は通常は1000~2000ヘルツのところ、遊びの最中によく発する「キャー」という声は4000ヘルツを超えていることはまちがいない。(子供のデータが見つからないが、大人の「キャー」という声でさえ2000~4000ヘルツとされるから)

    この子供たちの高音の声は反射しやすくかつ吸収されやすい性質があるので、これを利用して、苦情主宅近くに”音の反射板”設置や常緑樹の植栽を増やす。(見通しや風通しに配慮しながら)

    ・苦情主宅の窓を2重又は3重の防音ガラスにする

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    以上、騒音についてまだ語ることがあるのですが、文章量が多くなりすぎたので、次回に続けます。
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    ありゃまぁー!この文を書いてる最中に、山本由伸までもドジャースに入団決定のニュースが・・

    ◎ドジャースとドッジボール
    ところで私、「ドジャース=Dodgers」の「Dodge」とはいかなる意味か知らなかったので、今更ながらですが辞書をひいたらば・・(1)「(打撃などを)素早く避ける/ひらりとよける、身をかわす」、(2)「(質問、義務などを)言い抜ける、ごまかす、はぐらかす」。・・なので「ドジャース」は(1)の意味をふんでいるのでしょうが、それにしても”dodgeしていたら試合に勝てない”のに不思議な球団名にしたものですが、他の意味があるのでしょう。

    ここで辞書には「dodge ball」なる言葉がのっていて、その意味=「ドッジボール」とだけの表記。恥ずかしながらこの歳になってこの遊びの名前の由来を知りました。確かに私はドッジボールではボールを受け止めるより”ひらりとよける”ほうが圧倒的に多かったことを思い出しました。

    さて大谷翔平のドジャース入団発表会見では、いつものことながら彼の挨拶や答弁はていねいで心のこもった内容だった。

    そこには大谷の細かい”配慮”を感じさせるものが多く在った。それは言葉による表現ばかりではなく服装にも現れていて、ネクタイはドジャーズ色のブルー、そしてそのネクタイとワイシャツの襟の関係も文字通り”隙の無い”着こなし。

    加えて、彼が手首にはめていた腕時計。これに私は気がつかなかったのですが、それに注目した人が多かったようで、会見直後からX(旧ツイッター)上では多くの日本人の他に米国のスポーツビジネス経営者のジョー・ポンブリアーノ氏も反応したとのこと。
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    ◎大谷のその腕時計は価格60万5000円
    腕時計好きの人たちは大谷のその時計が日本のグランドセイコーであることは瞬時に把握したようで、大谷が日本の代表的な時計を身に着けていることに多くの人が好感を示している中で、さらにその型番名までも判定する人が現れたものの断定はできずに、ある人は「SBGR261」(価格57万2000円)だろうと言い、ジョー・ポンブリアーノ氏は「SBGM221」(価格60万5000円)であると指摘。

    ↓左:「SBGR261」  右二つ:「SBGM221」
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    そこで私は型番名判定に挑戦 ! ・・ということで、まずグランドセイコーには5大別した”〇〇コレクション”というものがある中でも「エレガント」コレクションの一つであることが分かり、そこからやはり前出の「SBGR261」 と「SBGM221」に絞られるものの、細かい部分が判らないのでその腕時計がなるべく大きく写っている映像を探した結果、朝日新聞の報道写真の中に、ルーペで拡大して見ると文字盤と針がなんとか読めるものがあった。その結果・・

    文字盤上には太めの針3本と、かすかに見える1本の細い針、計4本の針を確認できたので、これは「SBGM221」であることが判明した。

    実はこの機種は短針、長針、秒針にプラスして24時間表示針を備えているので合計4針あるもの。一方、「SBGR261」は普通の3針である。

    ↓大谷のグランドセイコーは3時08分ころを示していて、24時間表示針は15時近辺を示している
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    ◎グランドセイコーと大谷翔平は岩手県生まれ!
    セイコーグループの腕時計には、普及品、高級品、ラグジュアリー品などのクラスがあるが、高級品クラスを表す「Grand Seiko」(グランドセイコー)は現在では「SEIKO」ではなく独立したブランドになっています。
     
    このグランドセイコーブランドの腕時計を、部品製造から組立まで一貫生産しているのが岩手県岩手郡雫石(しずくいし)町に在る「盛岡セイコー工業(株)」。ここでは熟練技能士が”ロボットでは無理な超高度技”(例えばある部品の特殊研磨には10年の経験が必要)を注ぎ込んで製作するという”匠の工房”を構えている。

    ↓「グランドセイコースタジオ雫石」と称するこの工房(2020年完成、設計:隈研吾)の中で匠たちが作る
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    そして大谷翔平は1994年に岩手県の水沢市(現、奥州市)で生まれ、花巻東高校を卒業している・・ということで、同じ岩手県から”世界のトップを目指す”ものとしてグランドセイコーと大谷はリンクするゆえに、セイコーグループ(株)は大谷をイメージキャラクターとして採用契約していて、ただしグランドセイコー以外のハイレベルのセイコーブランド製品の宣伝広告にも大谷を登場させている。

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    ドジャース入団発表会場で大谷がつけていた腕時計はグランドセイコーブランドの中でメンズ用とされるものの中では最低価格に近い60万5000円。このブランドにはSBGD207という型番の2200万円の高額品もあるものの、大谷は”レザーバンドで上品な感じ”で高価格ではないウオッチを選んでいる。前述のようにグランドセイコーの中の5大別コレクションの中の”エレガンスコレクション”に属する型番を選んでいるから当然の印象となっている。

    この大谷の思惑は、高級品だが一般の人でも努力すれば手の届くようなモノがあり、しかも身に着けるのであれば成り金趣味でなく品のあるモノでさりげなく表現したいもの・・それは”努力すれば夢はかなうが、成功しても謙虚であれ”という考え方を示しているように感じる。

    こうして、あの場のために大谷が選んだ腕時計には、「親近感を感じる」、「あれが欲しくなった」、「上品さを感じた」などの声がX(旧ツイッター)に書き込まれていたが、(マイクロソフトニュースTHE DIGESTによれば)『米国の有力ファッション誌の「GQ」は「オオタニは7億ドルの契約にあたり、完璧な時計を選択した」、「最もエクセレントな時計をつけていた」と評している』

    ◎セイコーの腕時計のデザイン指針
    セイコーの時計には腕時計の他に置時計や掛け時計その他用途別時計(公共施設用、競技計時用など)がありますが、腕時計は(一品物の超豪華腕時計や遊び感覚腕時計などを除けば)形状やデザインに大きな制約や条件があるために独自性を打ち出すのが難しいことは部外者でもわかる。

    そんな中で特に高級腕時計向けを意識した”セイコースタイル”と称する独自のデザイン指針が1960年後半に生まれて1967年に発売開始したグランドセイコーから採用されてきたそうで、同社のホームページによれば・・

    『服部時計店のチーフデザイナーが銀座の和光本館に足しげく通い、世界の高級腕時計をつぶさに検分していて、ある重要なことに気づきます。「同じ腕時計でも、キラキラと輝くものもあれば、光がだれているものもある」。腕時計を構成している「面」の形状や張りによって、「輝き」に大きな違いが生じていることを見出したのでした。

    「腕時計の本質を究めながら、高級腕時計としての普遍的な価値を作り出すために必要なのは、燦然とした輝きである」そう確信したデザイナーは、外装工場の職人たちとともに、燦然と輝く腕時計を作るべく、研究に着手しました。どういう造形であれば、燦然と輝くのか、いかに美しくできるのか。試行錯誤を重ねた末に作り上げたのが、セイコースタイルでした。

    その結果具体的な方針として・・3つの大方針とそれに基づく9つの要素が生まれたそうで・・
    『大方針ひとつ目は、「平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は原則として採り入れない」こと。

    二つ目は、「ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって、極力平面部の面積を多くする」こと。

    三つ目は、「各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは、極力歪みをなくす」こと。 

    ↓9つのデザイン要素(その内の7つ)の説明図
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    ※3つの大方針と9つの要素の詳細は・・
     
    ◎セイコー時計の設計やデザインに導入した(と思われる)「標準数」
    「標準数」とは何かを説明するには長くなるので、大雑把に紹介すると・・高品質な工業製品を低コストで早く生産するために、部品から製品全体にいたるまで”単純化””共通化””標準化”が必要だが、これにさらに美しい形体化(例えば縦横寸法比率が1:約1.6のように「黄金比率」に近い形が出来上がる)もねらえる製品設計やデザインに採用できるように、ある法則(隣り合う数字がほぼ等比関係)に基づいて並べた数が「標準数」で、この数字は数列表のかたちでISO(国際標準化機構規格)とJIS(日本工業規格)で決められていてJISでは「標準数」という表題で「JIS Z 8601-1954」というナンバーがつけられている。AIなどが存在する現在もこの規格がまだ利用されているのか私は知りませんが・・

    セイコーが時計造りに標準数を採用していたのではないかと私が思う根拠は・・(今、気づいたのですが)ちょうどグランドセイコーが世に出た1967年だったかに、当時セイコーのデザイナーとしても有名だった清水千之助氏から「デザインにも”標準数”を利用できる」という教えをいただく機会があり、その際に「JIS Z 8601-1954」の規格表の印刷物まで頂戴したことがあり、氏は” セイコーの腕時計のデザインと標準数の関係を明言されなかった”ものの氏の下記のような”理系的経歴”からも推定できるからです。

    清水千之助(1929~1987)氏は千葉大学工学部工業意匠課卒、 (株)服部時計店工場精工舎勤務(1955~1967):その間にウルム造形大学(西独)留学、東京造形大学教授、拓殖大学工学部工業意匠学科教授、著書多数: 「工業デザインの実務」、「造形の科学」など、その他「デザイン学研究」誌に「ID(工業デザイン)活動としての標準品設計の意義」の寄稿もある。

    ↓清水千之助 著「造形の科学」
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    実は私、セイコーのデザイナーである知人がいたのですが残念ながら数年前に他界してしまい、生前に”セイコー製品と標準数の関連の有無”を確認しておけばよかったと後悔している次第です。
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    「標準数」についての少し詳しい説明はネット上で多数あるのですが、その一つは・・
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    先ごろ(2023年10月14日)、コメディアンであり俳優でもあった財津一郎氏(以下、敬称略)が89才で亡くなり、新聞の死去告知欄の中で「タケモトピアノのCMでも知られていた」というような説明があったことにちなんで・・

    タケモトピアノのCMの中の財津一郎
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    実際のCM → 
    takemoto-piano-cm

    このCMは2000年から今年(2023年)8月まで流されたということで、われわれの脳裏に焼き付いていますが、その理由として20年以上も変えずに”繰り返しの継続効果”だけではなく”セリフとリズムとメロディ”の心地よさもあって自然に覚えやすい面がありますが、それだけではなく・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(1) タケモトピアノのテレビCM
    最近「財津一郎が出演するタケモトピアノのテレビCMが流れ出すと赤ちゃんが泣き止む」 という情報を見聞きすることが多くなっていましたが、その最初の出どころはテレビ番組”探偵!ナイトスコープ”だったとのこと。

    また、育児雑誌(「たまごクラブ」か?)の調査では、”赤ちゃんの好きな音楽”第1位がタケモトピアノのCM曲だそうです。

    このCMの”赤ちゃん泣き止み”効果を生む要素は何なのか?
    財津一郎による「クルマ売ってちょおだーい」 「もっともっとタケモット」 「そのとーり」 などコミカルな旋律をつけた語りのような歌なのか? 
    「みんなまあるくタケモトピアノ」という女性バックコーラス部分か?
    それともメロディとリズムの音楽全体か?

    タケモトピアノ株式会社でもこの点を調べたようで、いくつか指摘されたことを紹介していて・・
    1)ある研究所によれば・・音がランダムで飽きない
                  本能的に振り向く音が多い
                  音楽の途中でリズムが」変わる

    2)音階が急に大きく上下するメロディーラインが興味をひくから。

    3)歌声が赤ちゃんが好む440ヘルツ周辺の音だから。
    ・・ではないかとのこと。

    440ヘルツと言えば、ピアノに限らないが現代の楽器類の音の基準であり、昔はラジオなどでよく耳にした時報の”ポッ・ポッ・ポッ・ポーン”の最初の3音がこれに当たり(後ろのポーンは880ヘルツ)、我々大人は聞きなれ親しんだ音だが、それが赤ちゃん時代からすでに心地よかったのだろうか・・

    この“タケモトピアノCM効果”の他にも・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(2) 口に含んだ水によるチュルチュル音
    口に水(液体)を含んだ状態あるいは唾液を溜めた状態で、口先をすぼめて少し開けると同時に空気を吸い込んで「チュルチュルチュル・・」と出る音を、泣いている赤ちゃんの耳元で聴かせると泣き止む・・といわれています。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(3) スポーツカーのエンジン音
    従来から”赤ちゃんを泣き止ませる音”として”クルマのエンジン音”があげられていますが、本田技研工業(株)では調査と科学的分析によって、ホンダの30車種の中でも”2代目MSX”のエンジン音がもっとも効果があることが分かったので、(株)タカラトミーアーツと共同で” 2代目MSXのエンジン音 (エンジンを断続的に空ぶかしするような音) に近い音が流れるぬいぐるみ”を商品化して、つい最近(2023年10月28日)に発売開始されました。

    商品名は「Honda SOUND SITTER(ホンダ サウンドシッター)」で8250円。
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    ↓右の黒い布地にくるまれているモノが”エンジン音発生部”で、左の本体に内蔵されている。
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    実際のこのぬいぐるみの音 → 
    https://www.youtube.com/watch?v=EuQ7zHYFsuw

    ※開発経緯の詳細は・・「インプレス社のCar Watchサイト」 参照ください。

    ◎赤ちゃん泣き止む音(4) ある調査による「ベスト10」
    「ベビーカレンダー」(医師・専門家監修の”妊娠・出産・育児の情報サイト”)の発表では・・

    1:レジ袋を手で揉む音・・クシャクシャという音をたてることは簡便な方法でしかも効果あることが多いようで、ネット上でも多く推奨されている。

    2:ドライヤーの音

    3:掃除機の音

    4:シャワーの音

    5:ラジオのノイズ音・・“サー”という音

    6:換気扇の音・・(当筆者注)これはたぶん”プロペラ羽根ではないタイプ”のものと思われる。

    7:電車の走行音

    8:空気清浄機の音

    9:”ガラガラ”

    10:”おしり拭きペーパー”の外袋を手で揉む音

    その他,マスコミなどで見られる方法には・・・”雨の音”、“ホワイトノイズ(”サー”という音)”、“小さな波の音”などがあげられていますが・・

    ◎赤ちゃん泣き止む音(5) 母親の胎内の音
    赤ちゃんが泣き止むための音として前述の(1)から(4)までで紹介した”音”はその多くが、”胎児として母親の胎内に居た際に聞こえていた音(胎内音)”に近いものであるとされています。

    胎内音には心音、血流音、会話音、音楽などがありますが、常時聞こえるのは心音、血流音であることから、現在、赤ちゃんが泣き止むための音としてストレートに”胎内音そのもの”がネット上のYouTubeでいくつか聴けます。→ tainaion

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    胎内音は”ザクン、ザクン、ザクン・・”というような音が断続的なものなので、前述のぬいぐるみ「ホンダ サウンドシッター」でも胎内音に似たエンジン音がやはり断続的に流れるように設計されていることが納得できます。
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    以上のように、赤ちゃんが泣き止むための音は色々ありますが、実際に電車内や公共施設などの場において赤ちゃんが泣き止まず困る場合、とっさに対応できる方法は・・”口中の水(又は唾液)チュルチュル音”や”(外出時に常時携行の)ポリ袋類の手もみによるクシャクシャ音”ではないでしょうか。
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    私は餃子が好きです。その餃子を特に頻繁に食べたのは、大阪に単身赴任をしていた時期なので、今から30余年前の2年間。

    仕事を終えて帰る途中の夕食には”チャーハンに餃子”か”ラーメンに餃子”の組み合わせを摂ることが多かったその訳は、単身赴任者の外食で不足がちな野菜が餃子によって補われ、同時に”ピラミッド建設労働者のスタミナ源になったと言われるニンニク”も摂れるから。そのために最も通った店が、後述する「大阪王将」でした。

    「餃子の王将」(本社:京都市)と「大阪王将」(創業は大阪・京橋、現在本社:東京・品川区)の二つのブランドが在りますが後者は前者からのれん分けで出来た会社のもの。

    ◎”大阪王将の餃子”が長年の王者”味の素のギョーザ”を抜いた!
    今年6月から8月にかけての”総菜系冷凍食品”の店頭販売数調査結果のランキングが発表されて、”大阪王将の「餃子」”((株)イートアンドフーズ)が1位となり、”味の素の「ギョーザ」”(味の素冷凍食品(株))が2位となった。(昨年の同調査結果では順位が逆)

    ↓”大阪王将の「餃子」”
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    ↓”
    味の素の「ギョーザ」”
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    ↓総菜系冷凍食品 購買数ランキング (「日経クロストレンド」より)
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    調査は「True Data(トゥルーデータ社 東京港区)」が、6000万人という日本最大規模の”消費者購買データ(顧客ID付POSデータ)”を駆使したもので、今回の対象冷凍食品にはパスタ、米飯類、麺類を含まない。

    注意を要するのは、この調査データは、POSシステム導入している食品スーパーマーケットでの一般購入者の動向であり、POS非導入店、業務用、ネット上、通信などでの販売の量は含まれていないだろうから、メーカーの製造・出荷・販売総数量ではないこと。 だとすると・・

    「味の素のギョーザ」の外袋には長年「ギョーザ売上 日本一」と表記されているが、さてこれが消えるのか、いやまだ残るのか?

    ◎「味の素のギョーザ」”フライパンへの焦げ付き苦情騒動”
    「味の素のギョーザ」も「大阪王将の餃子」も油も水も無しで作れることをうたっているものの、今年(2023)5月11日に、あるユーザーから「味の素のギョーザがフライパンへ焦げ付いて残ってしまう」という不満がツイッター(現X)で発信されて、同社はすぐさまこれは一大事ととらえて翌12日には異例の行動に出た。それは・・

    原因究明と対応策を探るために、ネット上でユーザーに対して、利用している”ギョーザが張り付くフライパン”を(同社着払いで)募集した。

    その結果、3日間で1000個を超えるフライパンが届けられた!

    届けられたフライパンが入ったダンボール箱の山
    mount-of-frypan

    同社は大量のフライパンで検証をすすめて、一か月後には、とりあえずその時点で分かった範囲の張り付き防止方法を公表したが、現在も追及は続けられていて「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言している。

    現在も続くチャレンジ https://www.ffa.ajinomoto.com/enjoy/frypan
    frypan-challenge

    ◎味の素ギョーザは昔のほうが美味いと思うのは私だけではない?
    2022年に3月8日に、(冷凍) ”味の素の「ギョーザ」”発売50周年を迎えたそうですが、私が最初にこのギョーザに出会ったのは今から25年くらい前だったと記憶していますが、食べてみたらヘタな店で出されるものよりおいしと思えるほどで感心したものでした。 ところが・・

    いつ頃からのことかはっきりしないのですが、少なくとも現在の”油と水無しで出来て羽根つき”に仕上がるバージョンになる少し前の時点で「味の素のギョーザは昔のほうが美味しかった」と感じるようになっていますが、

    これは私だけの感想かと思いきや、同じ思いをしている人が他にもいたので、そうとなればその原因を知りたいところ。

    前述のように「ギョーザの永久改良にとりくみます」と宣言するまでまなく、日頃から味の素冷凍食品社ではさらなる研究・試行が行われている様子がテレビでも紹介されたのを観たことがありますが、”味”に関しては温故知新、あるいは原点回帰などを意識されてもよいのでは・・

    ◎”記憶に残る美味しい餃子”は大阪・徳庵で食べた!
    冒頭で述べましたように、私が大阪に単身赴任している時期にJR片町線の徳庵駅の南に歩いて1分くらいの所にいわゆる”街の小さな中華屋さん”があって、そこで食べた餃子が美味しかった。

    それは初めて口にする”羽根つき”だったが、これが”やや小ぶりだが美味しい餃子本体”と絶妙にマッチしていて、さながら”羽根が名脇役”のようだった。

    私は現在の大阪王将の餃子(冷凍食品版)の羽根つきを食べていないので何とも言えませんが、味の素のギョーザの羽根は出来上がりが中途半端で、厚みと面積が少ないと思いますが、これは私の作り方に問題があるのでしょうか?

    大阪王将のHPに載っている羽根つき餃子(底側写真)
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    ◎飛話:王将の将棋駒の格好をした「もろこし」(菓子)
    山形県の天童市は将棋の駒作り日本一なので町中に何かと王将の文字が観られます。その一つが将棋の駒の形に凸文字で王将や金将などを表した和菓子の「もろこし」。もろこしは東北地方で多く作られていて、”小豆粉に砂糖をまぜて型に入れて硬く固めたモノ”・・これも私の好物 !

    王将の将棋駒型「もろこし」(縦3X横3X厚み1センチ:えんどう盛寿庵)
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    世の中、高機能な物は概して複雑な機構や高度な電子部品が使われているもので、これは故障の確率が高くなることもあり、いざ故障すれば修理も複雑になったりする一面があります。

    それをあらためて実感したことがあったので、それと関連する事例を含めて紹介してみます。

    ◎シンプルな体重計へ
    先日、我が家で約8年間使っていた「体脂肪計測機能付き体重計」が稼働しなくなってしまい、一瞬、電池切れかと思って新品に換えてもダメで、遂に廃棄処分することに決定しましたが、その前に一応、中身はどうなっているのかと分解してみたら、なにやら鉄材の細長い部材数点と電子部品を載せた基盤があり、不良原因はたぶんこの電子部品群の中にあると思えました。

    そこで、今度はシンプルな機構の体重計を購入しました。それはタニタ製で、アナログな数字盤は判読性が良いものです。明らかに電子部品は不使用であり、電池も必要なしで今後の故障の心配はしないで永く使えることでしょう。

    新たに購入したアナログ体重計
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    ◎M社の全自動トースターは?
    高機能だがすぐ故障して廃棄した物として、私がすぐ思い出すのは、M社が今から60年くらい前に発売した”全自動トースター”。

    当時一般に普及していたトースターといえば、天面に食パン1枚が縦に入る口が二つ並んで開いていて、そこにパンをチョコンと入れてからトースター側面のレバーを下げて完全にパンが本体内に収まると同時に加熱が始まり、焼きあがると”ポン”とレバーが上がりパンが頭を出すというもの。

    ところがM社の全自動トースターは一見普通のように見えて、唯一違う点は、側面にレバーが無いこと。そして”全自動”とうたう所以は、”食パンを投入口に入れると自動的にパンがスーっと下降を始め定位置におさまれば加熱が始まり、焼きあがるとまたスーっと飛び出してくるというもの。

    これは便利なようで、食パンの下降と上昇に各6秒くらいだったかを要して忙しい朝にはイライラしたもので、しかも使用開始1年足らずで稼働しなくなった。

    直感的に、このようなトースターはダメだと思い、廃棄前に分解してみたら、中の構造は複雑だったので、やはりシンプルな方が良いと感じたものだった。

    かくて我が家の後継トースターは普通タイプに戻った。
    その後M社は二度と全自動トースターを製造販売しなかった(と思う)。

    ◎カラシニコフ銃のシンプルさ!
    私は銃に詳しくはないので、なぜに銃の呼び名には「ブローニング」、「ガトリング」、「マキシム」、「南部」など考案者(設計者)の名前が付いているのか知りませんが、そんな私でも「カラシニコフ」の名前はよく”耳に、目に”します。

    ミハエル・カラシニコフ(1919~2013)は旧ソ連の農家に生まれた。
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    (Wikipediaより)

    成人して赤軍に入り第二次大戦中は戦車長としてナチスドイツ軍と戦うなどしながら銃器の研究を続けていて、戦後1947年に”全自動発射ができる自動小銃AK-47“を開発・設計した。その2年後からAK-47はソ連軍内に配備開始され、その後は他国にもライセンス与えて生産されたが、発展途上国などでは無許可でコピー品が生産されて、それらを合計すると現在世界には1億丁以上も存在すると言われている。

    AK-47 (Wikipediaより)
    AK-47
    AK-47が世界中に大量に採用されている理由は、製造が簡単、製造コストが安い、頑丈なこと。それはカラシニコフ氏が戦時中に身をもって知ったドイツの銃器の優秀さを頭におきながら、自国でも開発を試みようとしたが当時のソ連の製造能力では無理と悟って、

    逆に銃の構成部品の寸法精度が低くて大きさがバラバラでも一つの銃として成り立つように余裕をもったシンプルな設計とした結果、組立は勿論、分解・掃除も簡単。そして「乱暴な扱いにも壊れない」、「グリスがきれても、水や泥水に浸かっても、砂に埋もれても使える」と言われている。

    まさにAK-47は”シンプル製品の好例”。

    ◎トヨタのランドクルーザー
    トヨタの大型4輪駆動車「ランドクルーザー」は日本では「ランクル」の愛称で人気があるが、海外でも人気が高い。
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    人気というより必要性からランクルが選ばれる理由は、頑丈で壊れにくく、故障しても修理しやすいこと。

    それを文字通り”支えている”のが”ラダーフレーム”構造で、頑丈な鉄枠の上にエンジンやボディを載せた言わば単純な組み合わせであり、現在多くのクルマが採用している”モノコック”構造が鉄枠を無くしてボディ全体で強度を確保しながら軽量化した構造としているものとは異なるもの。

    こうして、特に中近東の国の砂漠地帯やオーストラリアの”アウトバック”と呼ばれるような広大な荒野を走行中の故障忌避ともしもの故障でもリカバリーしやすいことは、このクルマが選らばれてしかり。

    ◎シンプルなラーメンの良さ
    現在、巷には多種多様なラーメンが生まれていて、それらはスープ作りや具材に凝りまくっていて、それはそれでうまいのですが、私はシンプルなスープと具材のラーメンが大好物です。それは1~2種の素材を使った出汁による醬油ベースのスッキリした味のスープに定番のチャーシューとメンマと少量のネギが入っていればOkというもの。

    また一つシンプル系ラーメンの店が消えた(日本テレビ「Every」より)
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    私の中では、かつて東京の秋葉原駅の外側に張り付いたように在った、スタンド型椅子7席(だったか?)しか無い小さなラーメン専門店で入り口ドアなどなく全開放型の吹きさらしの中で、何度か食べたシンプルなラーメンの味が忘れられない。
    それはスープにほんのすこしだけ生姜の香りの効いた、実に”飽きのこない”ものだった。

    今、ふと思うに、私は約60年前の子供の頃ころから、長崎県の五島列島出身の父が郷里の親戚から時おり送られてくる「五島うどん」を(日頃は”男子、厨房に入らず”の父にしては唯一の例外で)大きな鍋にはった熱湯の中で茹でながら泳がせて”そのうどんを私たち子供が箸ですくい上げて、同じく五島産の干しアゴ(トビウオ)で出汁をとった醤油つゆ”の中に漬けて食べるという経験をしましたが、これも非常にシンプルな食べ方でした。

    ちなみに現在では、五島うどんのこのような食べ方を「地獄だき」と称するようになっていますが、熱湯の中で茹でながら泳がせていても一般のうどんのように”のびて、ふやける”ということが無くコシが続くのは、五島うどんには、やはり五島名産の椿の油が練り込まれているからだそうです。

    jigokudaki
    (株)おかだ製麺 のHPより

    ◎谷村新司の作曲はシンプルさを心掛けた
    朝日新聞の天声人語欄(2023.10.18)では”先日亡くなった谷村新司氏”について語られていて、名曲”昴”を生んだ谷村氏が音楽の道に入ったきっかけは一本の中古ギターで洋楽レコードを何度も聞きながら音を一つひとつ拾ってまねたことであり、その経験から、作曲する際の基本方針は“初心者が弾けること”を目指して「難しくするのは簡単だが、シンプルであれ。時代を突き抜けていくスタンダードというのは、そういうものなのだ」と言っていたそうで・・

    なるほど、”シンプルなことの大切さ”はモノ作り全般にもあてはまることがあるのではないでしょうか。
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    世の中には、「○○に始まり○○に終わる(戻る)」という格言(表現)があり、頻出するのは、「釣りはフナ(ヘラブナ)に始まりフナ(ヘラブナ)に終わる」でしょうが、昔のオーディオのマニアの間では「スピーカーは(口径)16センチに始まり16センチに戻る」と言った時代がありました。

    ”体重計をアナログ式→デジタル式→アナログ式に戻した” “トースターを普通タイプ→全自動タイプ→普通タイプに戻した”という事例は、この格言の意味合いとは違うものの、文字通りと言えないでしょうか。
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    余録 : 現在(2023年10月)の米国では諸物価上がり、円安も相まって”米国でのラーメン価格”が高騰しているそうで、ロサンゼルスのセルフサービスのフードコートで食べても”もやしだけが入ったラーメン”が17ドルなので日本円換算で2550円。これでは物足りないとして煮卵(1.5ドル)とチャーシュー(4ドル)を追加して(下の写真)これに税(2.31ドル)を加えれば総計24ドル61セント=約3692円となり、日本で食べる場合の4倍の価格になってしまう。これと同じものをレストランで食べようものならチップ(15~25%)をつけなければならず、4500円くらいになってしまう・・とのこと。(1ドル=150円換算) (ロサンゼルス在住の角谷剛氏による報告:TRiP EDiTORサイトより)
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    ◎科学博物館(略称:科博)に1日で1億円の寄付集まったが・・
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    国立科学博物館(東京・上野)は、同館へ国から支給されている運営費交付金が年々削減されている中、コロナ禍で来館者減となって入館料による収入も減り、さらなる光熱費や物価の高騰で収蔵用の標本や資料の収集と500万点以上ある標本類の保存のための資金繰りが苦しくなっていることを理由に先日(2023.8.7)、インターネットを通じて寄付を募るクラウドファンディング(CF)を始めたところ、驚くべきスピードで募金が寄せられて開始9時間20分後の午後5時20分には目標としていた1億円を達成した・・というニュースが流れて、私はそのスピードと集金額よりもむしろ”日本の人たちの文化度、民度の高さの現れ”として感動した。

    このクラウドファンディングは11月5日まで続行する予定だそうだが、何と今日(2023.09.09現在で7億4800万円超も集まっている!

    科学博物館内展示物一例、右は「フタバスズキリュウ」の骨格化石
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    ◎牧野博士の植物標本も収蔵する「小石川植物園」もCFが!
    牧野富太郎博士はその94年の生涯で1500種の植物に命名し、約40万点に及ぶ植物標本や観察記録(図)を残したが、その多くは”終の棲家”として約30年間住んだ東京都練馬区の自宅(現、練馬区立牧野記念庭園)に残されていたものの、(牧野博士は名誉都民第一号でもあり)その後東京都が譲り受けて現在「東京都立大学 牧野標本館」(東京都八王子市)に収蔵されているが・・

    当然のように、長年在籍した東京大学にも一部が残っていてそれらは博士が37年間もかかわった「小石川植物園」(←通称であり、正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」:東京都文京区)に収蔵されている。

    小石川植物園内の植物学教室で撮影された牧野富太郎博士(東京大学HPより)
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    5万坪弱の植物園に囲まれた本館(建物内は非公開)
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    本館内には研究室、実験室、図書館、80万点の植物標本の収蔵庫が在るが、1939(昭和14)年に完成した建物は雨漏り、外壁損傷が発生し、標本収蔵庫は満杯なうえに保管のための湿度温度調整用機器も老朽化などで早急な対策が必要だが「資金が無い」と園長の北川篤教授は訴えて・・

    丁度、小石川植物園発足150周年でもあり、募金を受け付けるキャンペーンを行っていて、うたい文句は・・「緑の命を、未来につなごう」・・として「Life in Green Project」と銘打っている。

    期間は2023年4月から2024年3月。目標金額3億円。・・ところが・・現在(2023年9月)のところ約1536万円しか集まっていないようだ。

    先日、私がたまたまテレビで観たのですが、”科学博物館1日で1億円集まる”のニュースに関連して、この小石川植物園の窮状も伝えたシーンでは・・同園の一研究員(なんと白い肌の欧米系外国人)が標本収蔵庫の中で”牧野博士が学名を与えたとしてよく知られる「キンモクセイ」の標本を博士自ら作製してサインも記入した現物”を見せてくれながら指さしたのはキンモクセイの葉の先端付近が”虫に喰われたか乾燥しすぎてパリパリになって折れたか?”で欠損している状態であり、こう言った「このように標本管理がうまく行っていないので困っています!」。

    ↓キンモクセイ:博士が命名した学名は・・Osmanthus fragrans Lour. Var. aurantiacus Makino
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    ここで、科学博物館と小石川植物園の両者はインターネットも使って募金しているのに結果の差は何が原因かを考えると・・両者とも募金に至った詳細説明では運営資金不足を訴えているものの、各々のキャッチフレーズの方向が異なり、前者は「国立科学博物館500万点のコレクションを次世代へ」とやや具体的な内容で語り、後者は「緑の命を、未来につなごう」、「Life in Green Project」という抽象的な表現.。

    もう一つ影響しているのが・・前者は今流に「クラウドファンディング(CF)」という言葉を使っているのに対し、後者は「寄付」という言葉を使っていること。

    後者は前述の”牧野博士作製の標本がダメージを受けた現物”を見せて窮状を訴え、「クラウドファンディング(CF)」という言葉を使ったほうが良いのではないだろうか!

    ◎大賀ハス存続の危機にもクラウドファンディング !
    3000年も地中で眠っていたという貴重な大賀ハスなのですが、どうやらその存在が危うくなっているようで、千葉市役所前に在った大賀ハスも消滅し、安藤忠雄氏設計の本福寺・水御堂(みずみどう:兵庫県淡路島)の大賀ハスも非常に少なくなっている様子。

    大賀ハスと大賀一郎博士
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    安藤忠雄設計の本福寺・水御堂の屋根の池の大賀ハスが衰退・・
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    また”大賀ハスと外国ハスの交配種”が千葉市の「みなと公園」の池に2種類植わっているのですが、これも消滅が近い様相を呈していて、一つは「中日友誼蓮(ちゅうにちゆうぎれん)」で、このハスは大賀博士と坂本祐二(和歌山県御坊市在住のハス研究家。ハスに関する著書もある)氏が大賀ハスの種を二人それぞれ50粒ずつ計100粒を、日本と中国の友好と平和の象徴として中国に寄贈したところ、中国武漢植物園にてその大賀ハスの種と中国古代ハスを交配した種が作られ、これが日本に贈られたもの。

    ↓「みなと公園」(千葉市)の池に建つ「中日友誼蓮」と「舞妃蓮」の説明看板
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    もう一つは「舞妃蓮(まいひれん)」で、これは1966(昭和41)年に坂本祐二氏が大賀ハスと王子蓮(アメリカ黄蓮)を交配して作ったもので、花弁が舞うように閉じるさまが優雅な花。これを1968(昭和43)年に当時の皇太子殿下(現、上皇)ご夫妻がご覧になられたのを機に、美智子妃の美しさになぞらえて命名されたもの。

    この2種のハスは私が10数年前に観た際には池全体にわたって大量に生えていた(残念ながら花は観ていない)のですが今年(2023年)7月に観たら、「中日友誼蓮」は姿が無く、説明看板によると、一旦別の場所に移して元気回復させてから再びこの池に戻す予定とのこと。一方の「舞妃蓮」は極端に少なくなっていてかろうじて存在しているような状態です。

    ここの池ではハスの代わりにスイレン(睡蓮)がはびこっていて、この状況は安藤忠雄氏設計の水御堂の池も同じように見えますから、”スイレンは強し!”と感じます。

    「舞妃蓮」はスイレンに囲まれてわずかに存在。(2023年7月下旬/千葉市・みなと公園)
    大きく丸い葉がハス、小さく「パックマン」のような葉がスイレン
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    ハスの毎年開花にはボランティアとクラウドファンディング必要
    大賀ハスに限らずハスの花を継続的に毎年咲かせるために理想的には、3年に一度は土を入れ替え、土中で増えすぎて密集している蓮根を間引いて整理するなどの手入れの必要があるそうで、これをしないと花咲かずに葉ばかり出るようになり、やがては衰退するそうで、前述のような”各地のハスの衰退状況”はこの手入れが行き届いていない結果だろう。

    千葉市に在る「ハス品種見本園」は東京大学の旧、緑地植物実験所に在ったハスの管理を受け継いだもので、大賀ハスをはじめ世界各地のハス約120種をそれぞれの種類ごとに”一辺280センチの正方形で深さ60センチのコンクリート製の枡(ます)”などで栽培維持していますが、前述のように土(”田土”が最適)の入れ替え、蓮根の整理、肥料やりなどの作業を「大賀ハスのふるさとの会」のボランティアの人たちが行っている。

    枡で育成中の大賀ハスを見学する中国の「大連市普蘭店区古蓮研究所」の視察団:2016年10月 
    (大連市普蘭店の地はかつて大賀博士が中国古代ハスを発見した所)    
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    毎年持続してハスの花が咲くためのこのような作業には人の労力の必要のみならず、土や肥料代など経費が発生して、この「ハス品種見本園」では1枡当たり年間3万円かかるそうで、毎年開催の「ハス祭り」や「観蓮会」で”花托(かたく)※”や”ハスの絵葉書”などのハス関連グッズを販売したりして資金捻出していたが、コロナ禍の影響で収入激減してしまったので・・

    「ハス品種見本園」の維持管理継続のためのクラウドファンディングをすることになり、目標額:35万円として、2021年3月から約一か月かけて72人から46万8千円が集まって、その後の運営が継続されているとのこと。

    「花托」とは、ハスの場合は花の中央の黄色い円形部分で表面に10数個~30数個の小さな穴があるもので、花びらが散った後はその直径が大きくなり緑色に変化し穴も少し大きくなり、最終的には直径10センチぐらいなどになり茶色になる。穴が大きくなった花托は蜂の巣のような印象となり、それぞれの穴には種(実)が入っている状態になる。
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    (↑真ん中の写真は「舞坂の自然を守る会・ちゅうなあ通信」より引用)  
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    秘話:現在日本では大賀ハスの他にも古代ハスが発見されていて、一つは埼玉県行田市の「行田ハス」で、推定1400~3000年前のものと言われているが、その発見の契機がおもしろく、1971年にある公共施設の工事現場で開花したもので、ハスの種というものは堅い殻に包まれていてしかもその表面は撥水性があるため水を吸わない状態で何千年も休眠できるようだが、工事用の重機によって殻の一部が破れてそこから水が入ったために眠りを覚まされて発芽したと考えられている。
    (現在、園芸用にハスを種から育てる場合には必ず種の尻部を切り欠いてから水に漬ける手順がとられる。)
    もう一つは、群馬県館林の城沼のハスで、これも前述の行田ハスと同様、推定1400~3000年前のものと分析されているが、ここのハスは太古の昔から絶えることなくこの沼で生き続けていると考えられている。
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    飛話:近年は非正規就労者や介護職などの給与水準の低さが指摘されていますが、最近は学芸員(博物館や美術館で働く専門職)についても同様の指摘がでてきました。

    そこで思い出すのは・・私が小学校高学年時に上野の科学博物館に(父親に付き添われて)行き、アンモナイトの化石とデスモスチルス
    (日本やサハリンあたりに生息して1300万年前くらいに絶滅したとされる海獣)の骨の一部の化石(と思われるモノ)を、同館の地下に在った地学課で鑑定をしてもらって、前者は約2億年前のセラチテスという部類。後者はデスモスチルスではない他のもっと新しい時代のモノであるが種類は判定不能という結果でしたが・・

    鑑定して下さった地学課長の尾崎博さんは当時のテレビにもコメンテーターとして出演するほどの方だったのですが、私がお礼を言っての帰り際に尾崎課長から「君、地学で将来食っていくのは難しいよ」というショッキングな言葉を投げかけられたのでした!・・

    それは、今から70年ほど前の昔も博物館の学芸員は薄給だったという背景があったからでしょうが、最近の各所で行われているクラウドファンディングの結果で学芸員給与アップに反映されれば良いのですが・・。
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    ◎「大賀ハス」の種は千葉県で2千年以上眠っていたとされるが!?
    1951(昭和26)年に植物学者の大賀一郎(1883=明治16年~1965=昭和40年)博士が千葉県に在った「東京大学検見川厚生農場(現、東京大学検見川総合運動場)」の地にあった「落合遺跡」の発掘調査をした際に地下の草炭(樹木ではなくアシやヨシなどが水中堆積して炭化したもの)層の下の青土層の中(地表から約5.5m)から3粒のハスの種(ハスの場合は”実”とも言う)が発見された。

    ↓大賀一郎博士
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    博士はこの種は約2千年前のものと判断したが、これを現代に蘇らせて発芽育成をすべく自宅で試みたところ、種3粒の内の1粒だけが蓮根を形成しだしたので、それを根分けして三カ所(伊原茂氏宅、千葉公園、千葉農業試験場)にさらなる育成を1952(昭和27)年4月に委託したところ、3か月後の7月に伊原氏宅のハスが見事に開花した。 

    ↓大賀ハス
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    この太古のハス開花のニュースは日本のみならず世界中に伝わり、米国のTIME誌にも「世界最古の花、生命の復活」としてカラー写真とともに紹介された。こうして有名になった古代ハスはその後「大賀ハス」と称されるようになった。

    ◎大賀ハス 本当は3千年前かも?!
    実は、この古代ハスの種が在った層のすぐ上の草炭層から丸木舟も出土していたので、その小片を放射性炭素年代測定してもらうべく (この測定法を世界最初に開発した)米国のシカゴ大学へ送った結果、この丸木舟の素材は3075年(プラスマイナス180年)前のものと判明。

    ↓発掘時の土層図(大賀博士のメモを基にしたもの)
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    (深さ数値は博士のメモでは尺・寸記入だったものをメートル法に変換したもの)

    放射性炭素年代測定用のサンプル木片がこの丸木舟の舟体の厚みの内側のものか外側のものかによって年数値に差が出るが、杉材で厚みが5センチと仮定すれば、内側と外側で約30年の差がでるが当時どちら側の木片を使ったかわかりませんが・・

    ではこの丸木舟が埋まっていた層は”少なくとも(つまり新しくとも)いつごろから形成されたかを考えてみると・・年代測定値の誤差のマイナス値のほうを採用した上で、この舟に使われた木材は伐採直後のものであるだろうことを前提として、測定値が丸木舟の内側の木片測った結果(つまり古い方)だったとして、これを新しい方に振り、またこの舟が20年使われた後に廃棄されたか沈没したとして、その後”草土”となる植物の沈殿物に埋もれだしたとすると・・

    3075-180-30-20=2845(年)・・となって、この丸木舟は新しくとも約2850年前にこの地に在ったということになり・・年代測定誤差を反対にとれば(=古くは)・・3255(年前)となります。

    後に大賀ハスと呼ばれるようになったハスの種は丸木舟が存在した層よりさらに下の層に在ったので、丸木舟より古いとは思われるものの、例えば丸木舟と同じ時代に落ちていた種を当時の人が踏んで、より深い下の土の層まで押し込んだものかも知れず、年代は特定できませんが・・

    現在でも大賀ハスの説明文には「2千年以上前の古代ハスで弥生時代以前のもの」とされることが多いのですが、”弥生時代は約2300年前~約1900年前”とされるので「大賀ハスは約3千年前の縄文時代後期のもの」とするほうが妥当のような気がします。

    ◎博士は大賀ハス発見より以前に中国で古いハスを発見していた!
    大賀博士がまだ若い頃、中国・大連に在った南満州鉄道中央研究所(通称:満鉄調査部)の植物班主任として勤務時代の1927(昭和2)年に、大連郊外の「普蘭店」という地の泥炭層の中から、約300年前のものと推定されるハスの実を採取して発芽させることに成功。これをもとにした論文により東京帝国大学の博士号を取得している。この経験があったればこそ千葉県の東大関連敷地内の泥炭に似た地層でのハスの種の存在の可能性にかけて発掘作業に(68才にはなっていたが)意欲を燃やしたのでしょう。

    ◎大賀ハスは日本各地、世界各地へ。あの水御堂にも !
    大賀ハスは千葉県で発見されたこともあって、現在では千葉県内の多くの公園の池で観られ、千葉市は「市の花」に指定。「検見川大賀蓮」が千葉県指定天然記念物になり、千葉公園では毎年6月に「大賀ハスまつり」が開催されるほど。しかし今や日本全国各地でも観られ、なんと前回のブログでもふれました安藤忠雄氏設計の「本福寺・水御堂」の池にも大賀ハスが植えられています。

    屋根がハス池になっている本福寺・水御堂
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    そして今や大賀ハスは世界150ヵ所に根分けされて花を咲かせているそうです。

    ◎実は大賀ハスの種を最初に発見したのは女子中学生!
    大賀博士が千葉市の地で発掘作業をした際にボランティアとして小学生や中学生も参加していた中で、市立花園中学校の生徒・西野真理子さんが(後に大賀ハスと呼ばれる)ハスの種を一粒見つけたのが最初で、その後に周囲から二粒が追加して見つかり計3粒になった。大賀博士が残しているメモにも”第一発見者として西野さんの個人名”を明記している。

    大賀博士の発掘を手伝う小学生?
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    一本の大賀ハスの開花は4日間。見頃は千葉県では6月中旬~下旬。しかもハス全体の性格として午前中にしか開花は観られない・・というわけで千葉県に住む私なのに、残念ながらこの花をまだ観たことがありません。
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    現在、NHKが放映中の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の主人公のモデルとなったのが現在の高知県生まれの植物分類学者の牧野富太郎博士(1862~1957=昭和32年、94才没)。
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    1889(明治22)年に、植物として日本最初の学名「ヤマトグサ」を名付けて以来、日本各地の植物を調べて1500種以上に学名を付けた博士がシーボルトを批判した理由とは・・

    ◎日本固有種のアジサイを欧州に紹介したシーボルトだが・・
    アジサイと名が付く植物の原種はガクアジサイ。これは日本の固有種であり、日本原産。現在多く見られるアジサイ(ホンアジサイ)はガクアジサイを園芸品種化したもので、これが西欧に渡って品種改良(と言うべきなのか?)されて大正時代に日本に逆輸入されたのがセイヨウアジサイ。

    ガクアジサイ
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    幕末に来日したシーボルト(1796~1866)はドイツ人ながら長崎のオランダ商館付きの医者で、日本の医者や医学生に西洋医学を伝授した一方で日本の文化、生物、地理などを西欧に紹介した。(その一環として、当時は国禁だった”日本地図の国外持ち出し”を図ったことが発覚して1829年に国外追放になった「シーボルト事件」は有名)

    晩年のシーボルト
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    シーボルトは日本の植物としてアジサイを紹介するに当たって、学名となるように「Hydrangea otaksa (ヒドランゲア オタクサ) Siebold et Zuccarini」として発表した。 

    ところが、シーボルトより先に別の学者がアジサイに学名「Hydrangea macrophylla(ヒドランゲア マクロフィラ)」をつけていたことが判明したので「ヒドランゲア オタクサ」は学名登録されなかった。

    「オタクサ」という名は、シーボルトが”在日中の妻としていた”楠本滝のことを「オタキサン」と呼んでいたことから付けたというのはよく知られていますが・・

    楠本滝は元々は商家の娘だったが家が没落したためやむなく出島の遊女になっていたところをシーボルトに見染められたもの。

    さて、シーボルトがアジサイ※に「オタクサ」という名をつけた由来を知った牧野富太郎博士は・・
    「植物の名付けを”私して(私的に利用して)”、しかも女郎のお滝の名を用いるとは、大いに花の神聖をけがすものである」というような表現を用いて憤慨していたそうです。

    しかしながら、牧野博士も”苦労をしながら自分を支えてくれた妻「壽衛(すえ)」”に感謝を込めて、新種のササに「スエコザサ」と命名しているから”同じ穴のムジナ”に近いのではないだろうか?

    ※シーボルトが西欧に紹介したのはガクアジアイであったと牧野博士は確認している。

    ◎牧野博士の仕事に欠かせぬ存在だった”画工”たち
    牧野博士の仕事に欠かせなかった植物標本と植物画。
    "博士が植物に対していとおしむように接した"ことを表すかのように、作製した40万点の標本には植物が美しく見えるように、台紙への貼り方にも注意がはらわれていた”

    ↓「クロモジ(芳香がする高級つま楊枝に使われる)」の標本(左から、実、青葉、紅葉)
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    「東京都立大学牧野標本館」(八王子市)収蔵品写真より引用
      当館の全収蔵品50万点の内、牧野博士作製分は16万点

    牧野博士の偉業は、妻や友人など多くの人たちの助力、協力に支えられていたことはよく語られています
    が、特に植物画の作成には専門の”画工”の助けが必要だった。

    元々、牧野博士は自身で植物図を1700点以上を描いていましたが、それは非常に緻密で正確な図であり、そのために”ネズミの毛を使った独自考案の筆”を駆使して”1ミリ幅の間に7本の線”を描いていました。

    ↓牧野博士自筆の植物画 (「和楽web」より引用)
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    そんな調子なので当然、大量の植物画を描くには時間的に無理ということで、博士同様の絵が描ける職人である”画工”たちに分担依頼しましたが、博士はこの人たちの存在とその仕事に感謝していた。

    例えば、『1940(昭和15)年に出版された「牧野日本植物図鑑」(北隆館)の序文には、三人の画工である水島南平、山田壽雄(としお)、木本幸之助への謝辞が記されている』 (『』内は東京大学総合研究博物館 研究員 藏田愛子氏による)

    この三人の中でも博士が最も信頼していたと言われる画工が山田壽雄(としお)氏。氏は牧野博士からだけでなく他の有力者からの依頼も受けていた。そのため氏の描いた原画が多く残っている。

    ↓山田壽雄の植物画(「山田壽雄が描く園芸植物」展=2018年に練馬区立牧野記念庭園記念館で開催
    の案内パンフより)
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    ↑図内の左上から、園芸種名「鶉ノ羽」/左下「センリョウ」/右上「スカシユリの一品種」/右下「ハクモクレンの一品種」下図は「錦重 羽衣」・・これらの図は園芸家の石井勇義氏の依頼により山田壽雄が描いたもの
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    ◎初期の牧野を手助けした池野成一郎 / 添い尽くした妻の壽衛
    牧野博士が東京大学(後の東京帝国大学)に出入りし始めた頃、東京大学生だった池野成一郎は顕微鏡使用の植物観察や英語、ラテン語の読み書きを手助けしていた。また牧野が一度東京大学を締め出された後も復帰を後押しし成功させた。

    博士の妻の壽衛(すえ)は貧乏暮らしの中でも夫を支え続け、牧野博士の終の棲家となって最後の約30年を過ごした(現在の東京都練馬区東大泉の)庭付きの家も、彼女が「待合茶屋」を経営して産み出した資金で手に入れられたものだった。現在その旧居は「練馬区立 牧野記念庭園記念館」となっている。

    ↓妻 壽衛 
    (個人蔵の写真を朝日新聞が掲載したもの)
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    余録
    シーボルトと楠本滝の間に生まれ、日本で初の西洋式出産医学を学んだ医師となった楠本イネを主人公にして、民放(TBS系)の連続テレビドラマ「オランダおいね」がイネ役を丘みつ子、滝役を馬渕晴子で、1970年に半年間放映されましたが、丁度この期間は大阪での万博開催と重なっていました。
    当時、会社員だった私にとっては昼休みに当たる時間帯に放映されていたドラマでしたが、殆ど観られませんでした。
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    NHKの朝ドラ「らんまん」好評を反映している一つの例が、旅行会社の”四国巡り”ツアーにおいて、定番の桂浜・坂本龍馬像、金刀比羅宮、大歩危・小歩危、祖谷のかずら橋、道後温泉、四万十川などに加えて「牧野富太郎記念館」「県立牧野植物園」(高知市)が登場したことです。

    ↓最近の旅行会社の新聞広告
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    蛇足ながら他にも、四国巡り観光において近年追加されてきたのが「大塚国際美術館」(徳島県鳴門市)で、世界の名画1000点を特殊技術で陶板に焼き付けて原寸大に再現したものが観られるという人気スポットです。
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    今は梅雨 ! アジサイの花が我が家に少々、近所のお宅に沢山咲いています。

    ↓近所のお宅の垣根沿いのアジサイ
    (下の8枚の写真は全て1軒のお宅のもの)
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    ◎アジサイは食べると中毒の危険性があるのだが・・
    数年前の梅雨の合間のある日、ある店で食事をした際、最初に出された小鉢の横にアジサイの花が添えられていた。(↓下写真赤丸内)
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    それは一見、風情があるものの、私は”これは やめたほうがいい”と思った・・その理由は・・

    アジサイは、花、葉、茎などのどの部分を口にしても、中毒(嘔吐、悪寒、顔面紅潮)の危険性がある”からで、なぜ「危険性がある」という表現を使って”確定的表現”を避けたかと言うと、その有毒成分として青酸配糖体やアルカロイドというものが検出されることがあるものの、検出されないこともあり、それが種類や土地によるものかも特定できないのが現状だからです。

    しかし実際に中毒は発生していて・・厚生労働省の発表によれば・・
    2008年に大阪市の居酒屋で出汁巻き卵の下に敷かれていたアジサイの葉を食べた人が中毒発症。
    同年、茨城県つくば市の飲食店でもアジサイの葉を食べた8人が中毒発症。

    前述の”私の場合”は添えられていた花はアジサイですが、葉っぱはナンテンとイタヤカエデでしたから問題は無かったものの、アジサイの葉は大葉(青しそ)と同様のつもりで、また花は近年流行のエディブルフラワー(食用花)のつもりで食べてしまわれる危険性があります。

    ということで、”疑わしきは使うべきではない”アジサイです!

    ◎「甘茶」でも中毒が・・
    昔から4月8日のお釈迦様の誕生日には、お釈迦様の像に甘茶をかけ流すと功徳を得られるとされ、また「甘茶」を飲む習慣がありますが、この甘茶の原料は「アマチャ」(オオアマチャ、コアマチャ、アマギアマチャなどの種類がある)であり、ヤマアジサイの変種だそうで、一見するとガクアジサイ(冒頭写真8枚の内最後の2枚参照)と見分けがつかないが、ガクアジサイと比べると全体に小ぶりで、葉の厚みがやや薄く、艶が無いそうです。

    ↓アマチャの花 (ガクアジサイと同様に、花は中心の丸い粒状部分/右は咲終わりに近く花や茎が薄紅色になったもの)
    (写真は「庭木図鑑ウェブ版」より引用)
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    アマチャの生の葉の状態では甘味は無く、葉を乾燥させてから発酵させると甘味が発生するので、これを昔から”食品の甘味料”としたり、煎じて甘茶にして飲みます。

    しかし、実際に”甘茶でも中毒”が発生しています。

    厚生労働省の発表によれば・・
    2009年に岐阜県岐南市で甘茶飲んだ保育園児119人の内28人が嘔吐などの中毒発症。
    2010年に神奈川県南足柄市の小学校で甘茶飲んだ1年生の内の45人が嘔吐などの中毒発症。

    伝統がある甘茶にしては、原料のアマチャがやはりアジサイに近い種類のためなのか、どうやら注意が必要なようで、飲む場合は浅い煎じ方にして、特に子供にはごく薄い甘茶にするか避けるべきでしょう。

    実は私が”将来お世話になる予定?のお寺”は別名があって「あま茶寺」とも称していて甘茶が飲めるとされていますが、前述のような理由で”大人の私でも”遠慮することにした次第です。
    ・・・・・・・・・・・・
    なお、アジサイは処理の仕方によっては、
    解熱や咳止め薬(漢方薬)になり、中国原産の「常山アジサイ」は"抗マラリア薬"になっています。アジサイは"毒にも薬にもなる"という点では他の漢方薬の原料となる植物と同様ですね。
    ・・・・・・・・・・・・

    ◎欠陥ルールが起こした悲劇
    先日、テニスの4大大会「全仏オープン」の女子ダブルス3回戦で加藤未唯(日本)とアルディラ・スーチャディ(インドネシア)組が失格するという事件があった。 

    ↓加藤未唯 (事件後の混合ダブルスでの優勝時の写真なので笑顔だが・・)
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    原因は、試合中で相棒のスーチャディがリターンミスして転がっている球を加藤が拾って相手コートに向けて返した球がボールキッズ(ガール)の頭部に当たってしまい、ガールは約15分間泣いてしまった。すぐさま加藤は謝ったものの、主審は加藤に”警告”を与えた。

    しかし、これに対して対戦相手のマリエ・ブズコバ(チェコ)とサラ・ソリベストルモ(スペイン)組はこれを不服として執拗に抗議したので、裁定が変更されて失格となり、ランキングポイントと賞金没収に加えて罰金(7500USドル=約100万円)まで科す宣告がなされた。

    この処分に対して加藤組はグランドスラム評議会に対して”動画を見た上での精査”を要請し、プロテニス選手協会(PTPA)も”処分は不当である”という声明を出したりしたが、後日棄却されてしまったものの、世界中からも多くの疑問や批判が発せられた。

    どうもこの事件の原因の一つは大会ルールの曖昧さにあるようで・・
    審判が加藤組に失格を告げた際に加えた言葉は・・「ルールによっての失格であり、ボールを故意に当てたか否かは関係ない」

    さらに試合後5時間経過した頃に、加藤は大会のスーパーバイザーと審判二人にこう言われた・・「もし球が当たったのが男の子だったらきっと失格にはならなかっただろう」

    後日、全仏大会ディレクターのアメリ・モスレモ氏は「失格はルールによっての正しい判断である」と述べ、付け加えるように「ボールガールは泣いていたではないか」と訳の分からぬ発言をした(この一連の発言に対してモスレモ氏への辞任要求が出ている)が、ブズコバとソリベストルモ組もまたこの”泣かせたことも悪い”として審判に再判定するように主張した。(ちなみに球が当たったのはボールガールの頭部だが顔面ではない)

    一方で、ブズコバとソリベストルモ組が、”最初に加藤に向けて審判が下した判定に対して抗議した行為こそ”ルール違反ではないかという指摘も出てきた。

    関連して、ボールキッズ(ボーイ/ガール)不要論も出ている。

    以上のような“ルールの解釈”が出てくるようでは欠陥があると言わざるをえないので、当然のように世界中からは”これを機会にルールの見直しを行うことになるだろう”という声が上がっている。

    ◎批判集中したブズコバとソリベストルモの品性無き行為
    加藤未唯からの球が頭部に当たったボールガールが泣き出したのを見たブズコバとソリベストルモは”加藤への警告”程度では甘いとして審判に抗議した結果、”加藤は失格”との判定が下された瞬間、二人とも笑顔を見せた。そのシーンは一部のテレビでも流されて、私も観ましたが、その”笑い顔”は喜びを表すというよりも”してやったり”あるいは”しめしめ”というそれであった。

    加藤の打球は故意に当てたのではないことは誰の目にも明らかなのに、その二人は執拗に抗議して不戦勝にもちこむ狙い通りになり、前述のような笑い顔を見せたことも相まって、世界中から批判が集中したが、これに対してソリベストルモは「ボールガールに当てた球は(皆さんが)ビデオで見るより(実際は)2倍も強く、彼女は20分間も泣いていた。ルールとして審判が下した判断であり、我々は何も悪いことはしていない」と主張したから余計に”炎上”した。

    かつてのテニスの女王ナブラチロワもSNS上で猛批判して「これはルールの馬鹿げた解釈で、ブズコバとソリベストルモが相手の失格を主張することは恥ずべき行為だ」と述べている。

    このようにブズコバとソリベストルモは、”テニスの技”ではない他の手段を使って何が何でも勝とうとし、それが成功して心情的に”ほくそ笑む”ところをさらに顔に出した笑みで表してしまったものであり、これは品性の無い行為であります。そこで私のアタマに浮かぶのは・・

    ◎試合中に相手へ思いやり返球した清水善造
    『清水善造(1891=明治24年~1977=昭和52年/86才没)(下写真:Wikipediaより)
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    清水は1920(大正9)年のロンドン・ウインブルドンのセンターコートで開催のテニス試合で世界中の128人が戦う中で決勝に進んだ。

    第1と第2セットは僅差で負けて迎えたが第3セットで相手の選手が足を滑らせて転倒したのを見た清水は”弧を描くようなゆるい球”を返した。

    そこで相手は体勢を立て直して打ち返したところ、清水のラケットはその球を追えなかったが、そこで観客全員からのスタンディングオベーションが起こった。

    その後は接戦でデュースが続いたものの結局、清水は負けたが、彼がコートから引きあげる際には再び盛大なスタンディングオベーションが起こり、それは長~く続いたのだった。

    ※この試合の対戦相手の名はW・チルデンであり当時世界ランク1位。清水は翌年の別の試合でもチルデンとほぼ互角に戦うほどの実力があったのでランキングは4位だった。

    清水のその行為は、”試合と言えども、あくまで対等な状態で戦おうとする所作”としてスポーツマンシップの鑑とされ世界でも賞賛されたが、特に日本国内では1933(昭和8)年には国語の教科書に「スポーツマンの精神」として載り、その後も修身の教科書にも載るなど戦前に計5冊、戦後は1960(昭和35)年まで計4冊が採用した。』 (『』内は「芦屋市役所」のHPより一部引用)

    かくして、この清水の行為と今回のブズコバとソリベストルモの行為はあまりにも品性に差があって対照的なのであります!

    ここでお話ちょっと逸れ・・私は清水のこの行為を扱った教科書には出会わなかったのですが、習った国語の教科書だったかにスポーツ関係の美談として「西田、大江選手の友情のメダル」が載っていた。

    ↓西田修平(左) / 大江季雄(すえお:右)
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    教科書によれば「1936(昭和11)年のオリンピック・ベルリン大会の棒高跳競技の決勝で西田修平と大江季雄の日本人同士が同記録で2位となったがルール上、西田が2位、大江が3位となったものの西田が銀メダルを大江に譲り、自分は銅メダルを受け取り、帰国後に”健闘を称え合って”互いのメダルを半分に切ってつなげて、銀と銅が半分ずつのメダルを各々で持つことにしたのだった」・・という内容だった。
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    しかし、この話には複雑な経緯と誤解があることを後に西田氏が語っているので、興味ある方はこのホームページ参照ください→ https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/24.html    

    ◎勝ち負けの無い球技?:蹴鞠、羽根つき
    今回の全仏オープンでの事件とは対照的に”勝ち負けがない球技”があり、その一つは「蹴鞠(けまり)」で、約1450年前に中国から仏教と共に遊びとして伝来したもので、8人または6人が輪を作るように並んで、一つの鞠(鹿革製で中は空洞)を皆で蹴り上げて、鞠が地面に落ちないように長く蹴り続けることを楽しむものであり・・

    ↓蹴鞠の様子 (現代に継承された姿:京都・白峯神社のHPより引用)
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    そのためには自分が蹴った鞠を他の人が受け易く蹴り返し易いような”思いやりのある蹴り”をするもので、これには前述の清水善造のテニス試合における”ゆるい返球”を連想させられます。

    ↓蹴鞠用の装束と鞠(人物は後述の池田氏)
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    蹴鞠は鎌倉時代になると武家のあいだにも流行し、室町時代にも続き、江戸時代には一部庶民にも取り入れられるようになったが、幕末頃に消滅しかかったものの明治天皇が蹴鞠存続奨励のために援助したこともあって、現在では宮中や一部神社などで継承されている。

    その他、京丹波には、蹴鞠を研究し、普及に貢献されている池田游達(ゆうたつ)、蒼圭(そうけい)のご夫婦がおられ、ご主人は蹴鞠経験40年であり、鞠も伝統製法を研究して自作もされている。

    ↓池田夫妻による蹴鞠実演 (写真は「TRiP EDiTOR」より引用)
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    その他、”勝ち負けのない球技?”と言えるのが”羽根つき”であり、日本の正月に行われてきた伝統的な遊びで、ムクロジの種に鳥の羽根をつけたものを羽子板で二人相互に打つことを繰り返して続けるもので、これも蹴鞠の精神と同様に”(ラリーを)続けることを楽しむ”もの。
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    羽根つきの打ち合いの途中で羽根を打ち損じた人の顔に墨をチョイと塗る習慣がありますが、その理由は、羽根つきは本来、健康祈願、厄落としの意味があるので、打ち損じた人には”厄がついてしまう”ということで、それを払うためだそうで、私が子供の頃はこの墨塗り行為は”打ち損じたことに対する単なる罰”の意味だと思っていましたが、そうではなかったわけでした。
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    蹴鞠、羽根つきはいずれにしても球技?ではあるものの勝ち負けはないわけです。

    ◎勝ったのに負けたと公言した正田美智子(現 上皇后)さん
    現在の上皇と上皇后がまだ皇太子と正田美智子さんだった1957(昭和32)年8月にお二人は長野県軽井沢の会員制テニスコートで出会い、そこで行われたトーナメント戦で皇太子と早大生男子のペア対美智子さんとカナダ人13才ボビー・ドイルさんペアの試合があり、結果は2対1で美智子さんペアが勝利した。しかし美智子さんは後日、周囲の人やマスコミには、皇太子組が勝ったと伝えていたそうです

    これは”勝ちにこだわることとは反対の事例?”でしょう。

    ↓「テニスコートの恋」を生んだ「軽井沢会テニスコート」
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    ↓出会いの翌1958年のトーナメント会場にて
    (写真は週刊朝日より引用)
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    今回、テニスの勝敗に関わるテーマを選んだことにチョッと影響したのが、"我が伴侶の過去のテニス熱中時代の姿"が連想されたからで、初めてラケットを握った30才代中頃から10年足らずの期間、コーチの個人指導も受けるなどして、地域や県内の中・小規模の多くのテニス試合にも出場して、主に女子ダブルスで優勝または準優勝して家の中の飾り棚には約30個ほどの小型の優勝カップに数個の盾が溢れていた。(後年、何を思ったか、全て廃棄してしまいましたが)

    実はテニスの腕前は決してウマイとは言えないのに執念で?優勝したりするので、所属のテニスクラブのメンバーからは「勝つためのテニスをする〇〇さん」と呼ばれていました。

    しかしながら、勝つために品性を問われるようなことはしていなかったと言えるのでホッとしています。
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    世の中には、ものごとの分析や発想などのための要素を”見える化”する手法が多数開発され利用されています。いずれも人間の頭脳を駆使する必要がありますが、これからはITを使えばもっと効率があがるのか、あるいはこれらの手法に代わるカタチが出現するかも知れませんが・・
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    現在のところ存在する手法の中には「マンダラ」や「スゴロク」に似たカタチを使った手法が幾つか出ていて前回ご紹介したのは「マンダラチャート」ですが、今回は同じ”マンダラ”がアタマにつくものの違う呼称で当然手法内容も異なる「マンダラスゴロク」。そして同じ”スゴロク”がオシリにつくものの違う呼称の「デザインスゴロク」についてです。・・本題の前にまず”スゴロク”とは・・

    ◎スゴロク(双六)は・・
    インド発祥で中国、朝鮮半島経由で日本に伝来されたとされ、サイコロをふって、出た目によって升目に置いた駒を進めて終点の「上がり」を目指して競争する”盤上ゲーム”で原初は”複雑なルールに基づいて二人で競う”「盤双六」と呼ばれるものだったが、江戸時代に盛んになった”升目に当たる所に絵が描かれた「絵双六」になって多人数でも競える、楽しめるスタイル”にとって代わられて現在に至っている。

    ↓スゴロクの一例 (図はブログ「カルタ・カード・スゴロクで遊ぶ、学ぶ」より引用)
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    ※インドから欧州に伝播したものは「バックギャモン」という(名前だけしか私は知らない)ゲームになったとされる。

    ◎「マンダラスゴロク」とは・・
    この手法発案者の石井禎(いしいただし)氏(コンセプトデザイナー)によれば・・「発想、構想、創造のための”脳の道具”として、縦軸と横軸を基本に置き、これによってできる四つの象限をベースにして、全体を5X5=25のマスで一つのミクロコスモスのようなものを創る”技法”」が「マンダラスゴロク」。
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    前回ご紹介した「マンダラチャート」の場合、ど真ん中のマス目に”目的となる事柄”あるいは”最終的に求める事柄”の言葉 (大谷翔平のマンダラチャートの場合は”ドラ1、8球団”=8球団からドラフト1位指名獲得)などを決めて入れるだけで、残りのマスには”関連する事柄”として思いつく言葉を自由に入れる(当てはめる)ことで完了しますが・・

    「マンダラスゴロク」は、ど真ん中のマス目に”目的や求める事柄を入れる”のはマンダラチャートと同じなのですが、全体を構成するのは全25マスであり、各マスは並び方に意味や方向性をもつように配する点が異なるところ。

    これをやや具体的に説明するために、石井氏の数ある著作の中の一つである「脳の道具 マンダラスゴロク」(文芸社 2017年12月発行)の裏表紙(カバー)にある”カラー表示のマンダラスゴロク模式図”を利用させてもらいますと・・
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    ↓マンダラスゴロク模式図
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    ・模式図中で黄色の表記が縦軸と横軸 (数学ではY軸とX軸)

    ・縦軸の上側半分を”北軸”、下側半分を”南軸”、横軸の右半分を”東軸”、左半分を”西軸”と(石井氏は)便宜上名付けている。

    ・縦軸と横軸の交差によってできる四つの空間は、右上赤マス部分を第1象限、左上緑マス部分を第2象限、左下オレンジ色マス部分を第3象限、右下紫マス部分を第4象限と呼ぶ(これは数学における象限と同じ)

    ・北軸、南軸、東軸、西軸それぞれのアタマの黄色丸部分には各軸の意味を代表する事柄を配する(記入する)。なお南北軸、東西軸のアタマには”二項対峙”する事柄(高い/低い、早い/遅いなど)があたるとは限らないことも多い。

    ・各象限の4つのマスそれぞれの意味合いは自ずと決まってくる。第1象限を例にすれば、北軸に近い左赤マスの意味合いは、東軸の意味合いにも関係しながらしかし北軸の意味合い寄りになる・・ということになる。これはいわゆるマトリックス図法の場合の”行”と”列”の関係に通じるもの。

    マンダラスゴロクを実際に使った例は、石井氏の著作「脳の道具 マンダラスゴロク」に多数掲載されていますので、ご興味ある方は参照下さい。私が30年ほど前にマンダラスゴロクを応用して(基本形とは若干異なりますが)作成したものをご紹介してみます。↓ これは”感動をよぶ商品(モノあるいはコト)を生むために(当時)必要な方向性の抽出”を試みたものです。

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    ここでは縦軸、横軸の両端に二項対峙的な言葉を置いていますが、その理由は”感動”というものが”ウェーバー・フェフィナー(フェフィネル)の法則”によって、人間の心と体が”緊張と解放”の間、”能動と静動”の間を行ったり来たりすることによって生まれる、または持続するから。

    実際にはこの図の中の大きな矢印方向にあたる四つの”重視”策それぞれをまたさらにマンダラスゴロク化(または後述します「デザインスゴロク」化)して、より具体的な必要素を抽出していきます。

    ◎「デザインスゴロク」
    この手法は故・池辺陽(いけべきよし:建築家・東京大学生産技術研究所建築学教授)氏が考案して1965年頃には発表されていたようです。・・というわけで今般、私がご紹介した手法3種の中ではこの「デザインスゴロク」が最古であり、次に「マンダラスゴロク」その後「マンダラチャート」という発生順になります。

    デザインスゴロク手法では、10個のマス(四角または丸など)とその中に入るべき事柄(必要素)をあらわす言葉によって構成され、場合によっては全体を表すキーワードをベースに加えて(下図中のグレー部分)計11の事柄で表すもの。

    ↓「デザインンスゴロク」模式図 
    (「MONOist」のHPより引用)
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    池辺氏が実際に”建築デザイン・設計における考慮すべき点”を自らデザインンスゴロクで表現されていて、「目的」、「生活様式」、「組立方式」、「美的条件」、「コスト」、「環境」、「機能」、「材料」、「流通」の9つの言葉をマスに置き、真ん中のマスには(これら9つの要素を十分考慮するのが必須として)「標準」という言葉を置いて計10個のマスを満たしたカタチで発表。

    氏いわく、「このデザインンスゴロク上のどのマスから着手してもよいが、全てのマスを通過しなければ(センターの)”上がり”にはならない」・・どうやらこれが”スゴロク”と称する所以のようです。
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    なお、先回から続けてご紹介した手法の3種とも"先ずど真ん中に目標事項や究極的に求める事項あるいは大代表的事項など"を置いて(記入して)から周囲のマスの中に入るべき事項を抽出して置いていくことが多いのですが、逆順のこともあり、先に周囲のマスを埋めた事項群から導かれて、ど真ん中のマスに入る事項(言葉)が決まることもあります。
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    以上、「マンダラチャート」、「マンダラスゴロク」、「デザインスゴロク」の三つの手法を紹介しましたが、最も利用されているのは(歴史もあるせいか)「デザインスゴロク」で、最も”頭をしぼる”必用があるのは「マンダラスゴロク」でしょう。
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    先々回のブログで、大谷翔平が”目標に達するための方策と手段”を考えるためにマンダラチャートという図表を使っていたことに触れましたが・・

    大谷作成のマンダラチャート図
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    似たような手法は他にもあるので、いくつか紹介します。その中には私も仕事の中で実際に使ってきたものもあります。

    まず今回は「マンダラチャート」についてもう少し詳しく・・その前に、「マンダラ」について・・

    ◎「マンダラ」は「曼荼羅」(まんだら)
    ここでちょっとご注意 !「曼荼羅」の真ん中の文字は「茶」(英語のTEA)ではなく、草かんむりの下は「余」なので念のため。私も最初は間違えました。(他に「曼陀羅」という表現もあり)

    「曼荼羅」という言葉は”本質・真髄を有するもの”という意味だそうで、仏教の一派である密教も大きくみれば大乗仏教という”衆生を護り、救う性格”を持っているものの、その経典には難解な文言が多く、しかも何やら秘密っぽい加持祈祷を重視するなど理解しにくい面があるために、教義の本質・真髄を踏まえながら”密教における世界観”を少しでも分かりやすいように”見える化”をしたものが「曼荼羅図」。

    ◎「胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」と「金剛界(こんごうかい)曼荼羅」
    密教の源流は7~8世紀のインドで発生した「大日経」と「金剛頂経」という二つの宗派にあるとされ、双方とも本尊を大日如来とする共通点はあるものの、相違あり、それがその状態のまま中国に伝わっていたが、その中国へ日本から留学していた空海が帰国するにあたって空海の師匠が、この二つの宗派の難解な教義と世界観をそれぞれ見える化した曼荼羅図を(絵師に描かせて)作ったものを空海に持たせたのが「胎蔵界曼荼羅」図と「金剛界曼荼羅」図で、この二種セットで「両界曼荼羅」図と称する。(それぞれ「図」は省略された表現が多い)

    かくして密教は日本においては空海(弘法大師)が真言宗として広め、そのためには両界曼荼羅も利用した。現在では空海が持ち帰った曼荼羅図は無いが、その模倣やアレンジしたものが真言宗の発展と共に作られて多数存在する。

    ※ここで後述部分のご参考までに・・仏教の世界において人のような姿で現すのは、上位から「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」の4種のみ。

    「胎蔵界曼荼羅」は「大日経」に基づいたものであり、”真理を実践的側面や現象世界のものとして捉えている”のだそうで、”大日如来の悟りと慈悲と智慧の世界を表したもの”とも言われる。

    中心部には大日如来を囲んで4体の如来と4体の菩薩の計9体が座しており(下図右の9マス)、その周りに二重、三重に明王や天が取り巻いている。
    .
    ↓「胎蔵界曼荼羅」図の例 (右は中心部の9体の名)(図はWikipediaより)
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    「金剛界曼荼羅」
    は「金剛頂経」に基づいたものであり、”真理を論理的側面や精神世界のものとして捉え、
    大日如来の悟りを開くための方法を説いたもの・・と言われる。.

    大きく見ると9個のマスが存在して、さらに各マスの中にも9個のマスが存在する。

    ↓「金剛界曼荼羅」図 (大きな9マスには各々名称がある) (図はWikipediaより)
    kongoukai

    ここまで述べますと・・大谷翔平のマンダラチャートを一度でもご覧になった方はピンとくるはず・・
    そうです!彼の作成したチャートは金剛界曼荼羅図の構成とよく似ているのです。

    ↓大谷翔平が高校1年時に作成したマンダラチャート
    (再掲)
    ohtani-mandara (2)

    ◎「マンダラチャート」とは
    ”人生とビジネスを豊かにするために、ブッダの知恵を元にした思考法と曼荼羅図を元にした(←開発者の言)”中心核を持つ3x3または9X9のフレーム(マス)を使うことによって”求めたい事や知りたい事などが視覚化(見える化)”されてよく分かるようになるという手法となり、事業計画、人生設計、新商品開発などに適用できるとして、このフレームを「マンダラチャート」と名付けてそれを利用する手法を松村寧雄氏((株)クローバ経営研究所 社長)が1979年に開発して提唱したもの。

    ↓「マンダラチャート」(9X9)基本図(マンダラチャート協会のHPより)
    chart99

    この「マンダラチャート」手法は難しい決まりは無く、使い方は大谷翔平の作成した「マンダラチャート」を見れば説明は不要なほど簡単。ただし上図の”中心部の8色の丸=外周部の8色の丸”の中身に当たる言葉を考え、探し、見つかりにくい場合はなんとか絞り出すこと、その後8X8=64のマス目を言葉で埋める場合も同様の作業が必要ですが、達成すれば”目的・目標とそれを実現するための方法・手段”あるいは”大きな事柄を構成する諸要素は何なのか”あるいは”大問題の要因や解決要素”などが明確に見えるようになる。

    「マンダラチャート」手法の普及を目指して「一般社団法人マンダラチャート協会」が立ち上げられて、「マンダラチャート」は商標登録されています。この協会は多様なプロモーションを展開して、チャートの使いこなし講習会なども行っている。

    マンダラチャート協会のホームページ・・・
    https://mandalachart.com/

    お気づきのように、マンダラチャートのマス目は、大きな四角の中に縦に8本の線、横に8本の線を引くだけで作れますから自分でも簡単に描けます。しかし、これをいつでもどこでも頻繁に使う人などに向けて・・

    (株)クローバ経営研究所からはマンダラチャート用のマス目があらかじめ印刷された「マンダラノート」という商品シリーズが販売されています。

    ↓「マンダラノート」の1例 (A5サイズ版 1センチ厚 6050円)
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    ↓「マンダラノート」の中身の例
    mandara-note1 (2)

    また「マンダラチャート」と同様の「9マス ノート」使用の手法用に「M9note」シリーズというものも(株)日本写真企画から販売されている。

    ↓「M9note」シリーズの例 (A5版 1400円/ A4版 2400円)
    m9note1
    ↓中身例
    m9note4 (2)
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    次回も曼荼羅(マンダラ)やスゴロクに関連した”思考手法”などについてです。

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    ◎「大谷マンダラチャート」とは
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    (株式会社コーセーのHPより)

    今の大谷翔平を形成した原点となったと話題の「大谷マンダラチャート」は彼が花巻東高校の1年生の時の2010年12月4日に、当時の究極目標である”プロ野球8球団からドラフト1位指名されること”と、それを”実現するための必要な8つの大項目”さらに”その大項目ごとに必要な8つの小項目(つまり小項目総数は8X8の64)”を網羅してチャート(図表)化して作製したもので、これにより目標とそのための手段や方法が(今で言う)「見える化」されている。↓.下図参照下さい。

    野球人としての必須項目は勿論として、注目されるのは”今の大谷の人物評”として高評価要素となる、”ゴミ拾い”、”道具を大切に使う”、”思いやり”、”礼儀”などを当時からあげてそれを28才の現在までも守って.いること。

    (図中左上の”体づくり”の「FSQ90kg」「RSQ(BSQ)130kg」はいずれもバーベルをスクワット状態で持ち上げるもので、FSQは顎の下位置まで90kg、RSQは肩に背負って130kgを持ち上げるという目標)
    ↓「大谷マンダラチャート」 (クリックで拡大)
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    ※「マンダラチャート」という方式そのものと関連事項については後日 紹介します。

    ◎大谷翔平の読書大切志向
    前述のように大谷が高校1年時に作製した「マンダラチャート」中の小項目の一つに”本を読む”があげられ、実行されていて、大谷いわく『一回読んだだけで得られるものは30~40%。何回も読むことでもっと違う捉え方ができる』

    前回のブログの最後尾に次回予告として”大谷翔平の愛読書”のとりあげを記して発信した翌朝に、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で大谷翔平の愛読書が紹介されてしまったようなので、今回はその一部内容も引用させてもらいます。(以下文中『』内が引用部分)

    ◎愛読書(1)中村天風著「運命を拓く」
    著者の中村天風(1876=明治9年~1968=昭和43年)は波乱万丈な人生経験があり、日清・日露の戦時には日本軍の諜報員をしたその後、当時は”死の病” だった結核にかかったものの当時の日本の医療では治らず、救いを求めて海外を巡り著名な医者や宗教家などに頼ったが結果は芳しくなく、最後にエジプトで出会ったヨガの達人に指示をされてヒマラヤの麓で修行して結核は治癒。その後、孫文とも友人となり、中華民国最高顧問の称号も得ている。後年、自分の経験と思索で得た”天風哲学”を世間に広く説法する.ことに専念し、各地で講演や本の執筆もした。

    その本の一つが「運命を拓く」(講談社文庫)である。↓
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    この本の内容を極言すれば「何事も消極的にならずに積極的に生きるべし」というものだが、もう少し理解するためにテレビ朝日の(京都大学出身ながら問題発言多発で有名な?)玉川徹氏が『中村天風財団の村里泰由理事を取材。著者が唱えた消極的でなく「積極的に生きる」とは、と問うたところ村里氏は・・
    「一升瓶にお酒が半分入っている。Aは“半分しかない”と思い、Bは“まだ半分残っている”と思う。Aは積極にはなり得ない。心の持ち方ひとつで、不平不満コースに行く人、幸せコースに行く人がいる。入ってくるマイナスをプラスに変えていこうという感情が、すべてのものをコントロールする。積極につながる一番の近道だという答えを出している」と語った。

    実はこの本を私は未読なので今年3月中旬に大型書店に行って探しても見つからず、店員に問うと「現在、在庫切れです」という答えだった。

    この状況を招いているのは”大谷翔平が渡米前に熟読していた本.”と紹介されると同時に、著者の中村天風に教えを乞うた人が多く、その中には著名な企業経営者の松下幸之助、稲森和夫らの他、東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、王貞治、広岡達朗たちの名があげられていることも影響しているだろう。

    ◎愛読書(2)アンドリュー・カーネギー著「富の福音」

    この本も大谷が日本ハム選手時代によく読んだそうで、米国の鉄鋼王と呼ばれる大富豪になったカーネギーの”富の社会への還元の仕方”などが(恐縮ながらこの本も未読なので)語られているようだが、大谷に参考になったのは”常にデータを基本に未来を想像して行動する”という内容の部分ではないかと言われる。
    この本におさめられているか否かは分からないですが、カーネギー氏の人生訓のような言葉は大量に在り、例えば・・
    「賢い人は徹底的に楽天家である」
    「成功の秘訣は、いかなる職業にあってもその第一人者たることを期することである」
    「笑い声の無いところに成功は無い」
    「財産よりももっと尊いものは明るい性格だ」
    ・・・これらは今の大谷が実践しているように思える。

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    余禄(1)「靴のセールスマンがアフリカに行った例え話」
    前述の「一升瓶にお酒が半分・・」の例え話にはピンときた方も多いのでは?・・
    これに似た”よく知られた例え話”があり、それは・・

    「靴メーカーA社とB社のセールスマンがアフリカに行ってみたら現地の人たちは裸足で誰も靴を履いていないことが分かったので二人ともすぐさま本社に次のように報告。 A社セールスマンは『ここでは靴を吐く習慣が無いから靴は売れません』 B社セールスマンは『ここでは誰も靴を履いていないので、至急ありったけの靴を送ってください。この人たち皆が靴を買ってくれたら大きな市場になります』。このように消極的思考・行動と積極的思考・行動では大きな差ができる」

    余禄(2)「稲盛和夫氏の別の顔」
    中村天風の教えを受けた稲盛和夫(1932~2022年)氏は京セラや第二電電を創業しJALを再建するなど産業界に大きく貢献して、その経営哲学や手法について教えを請われることが多かったので「稲盛塾」を作ったほどだった。

    実務においては”天風哲学”継承の結果であろう積極的姿勢が強力に発揮されていたようで、それを物語る.エピソードを、私の高校時代のクラスメートでかつて「日本ガイシ」(根幹技術が陶磁器という点で「京セラ」と競合関係の企業.)に勤務したS.T氏がこう語る・・

    「日本ガイシでは今から30年ほど前から電力、自動車産業以外への展開を狙い半導体製造装置分野で使われるセラミックスの研究をしていました。

    あのころ開発した半導体製造装置用セラミックス製品が今や世界一のシェアを獲得する事業にまで成長し、ガイシや自動車用セラミックス製品が消えた後の会社の利益を支える製品として期待されているようで感慨深いものがあります。 

    この半導体製造用セラミックスの分野でも京セラとは熾烈な競争を繰り広げました。京セラを創業し最近亡くなった稲盛さんは倒産したJALを立て直すなど、仏のような経営者と言われていますが敵に廻すと本当に手ごわい相手でした。そこまでやるかというブラックな営業、特許戦略手法も繰り出し、日本ガイシ社員はほとほと嫌になりました。

    しかし、嫌いであった稲盛さんも今思えば何も無いところから結果を出す実行力のある尊敬すべき偉大な経営者ですね。

    イーロンマスクのようなイノベーション力で日本を3等国から再浮上させるために、稲盛さんのような実行力のある人が何十人も輩出することを期待したいです。」
    ・・・・・・・・・・・

    宮沢賢治、石川啄木とともに岩手県生まれの3大有名人?の一人である大谷翔平は今や世界的存在。彼は1994(平成6)年7月5日生まれ 身長193cm 体重95.3kg
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    ◎誤解を招くおそれある大谷評も良く読めば・・
    あれは、大谷がメジャーリーグに行く直前頃だったから、今から5年前の2018年の初めのこと、東京・六本木のある寿司店のお客さんの一人(大谷の近くに居て彼をよく知る人物)が「大谷翔平は我(が)を通すので一筋縄では動かないオトコですよ」というようなことを言っていたと、私はこの店の寿司職人をしているという人から聞いた。

    「我(が)」とは(広辞苑によれば)「思う所を言いはって、人の言に従わぬこと」とある。

    私はそれ以後、大谷に対して若干のマイナスイメージを抱いていた。

    そして今年、WBCで侍ジャパンが頂点に立ち、大谷の活躍とともに彼の言動についてのコメントも多く紹介され、大半が賞賛する内容なのだが中には”言葉だけを聞くと、大谷のネガティブな面の紹介と誤解されるような例”がいくつかみられた。例えば・・

    栗山監督はWBCの決勝戦で大谷翔平を起用するにあたって次のように述べている・・「翔平はどっちかとうというと”天邪鬼(あまのじゃく)系”なので、私から『こうしようよ』とは言わずに、彼のほうから(登板準備OKですよと)言ってくるのをずっと待っていました」

    同じくWBCで不動の2番だった近藤健介(ソフトバンク外野手)は以前に所属した日本ハムファイターズで同僚だった大谷の1年先輩として、『WBC大会前から彼を評して「生意気ですね」と言い、大会後も印象は変わらず「生意気ですね。日本にいる時と変わっていないです」と笑顔で語った。もちろん大谷のことを知り、リスペクトするからこその表現だろう。(その証拠に)近藤は「大谷とは久々にチームメートとなったが、本当に想像の10倍すごかった」と印象を振り返った』(『』内はルポライターの竹村岳 氏による)

    ※ただし上記の「生意気」という言葉を使った表現部分は(さすがに誤解を招くと考えられたようで)ネット上ですぐに削除された。私は幸運?にも削除前の文章を記録していたので、ここでご紹介できる次第。

    あるNPB(日本野球機構)関係者は「大谷の日本ハム時代は唯我独尊タイプで、グラウンドでは他を寄せ付けないオーラを放っていました.」.と言う。

    なぜこのような大谷評がでるのか? それは彼が野球人としての高い目標を設定して、それを実現するための手段・方法の実行に邁進しているからこそ、「それを無理だと思わないことが一番大事だと思います。無理だと思ったら終わりです」という言葉に表われた彼の心構えに対してそれが誰であれ他人による指示や助言が彼の意にそぐわなければ妥協しないからでしょう。

    大谷を本当によく知る人たちの大谷評は、一見、一聴では誤解される恐れがあるものの、よく読むとそれは大谷を肯定し、能力を認め、リスペクトの成分を含んでいることがわかる。

    そうした背景には、大谷が既に(どこかの首相ではないが)異次元の領域に達しているからであろうことは、かつては彼を指導したり、先輩だった人たちの次のような言葉に表われている・・
    大谷の花巻東高校時代の野球部の監督の佐々木洋氏が「最近、彼にバッティング技術について質問したが難しい説明でもう私にはわからない内容だった」と述べ、

    前出の近藤健介選手もWBC開催中に『大谷と打撃理論について意見を交わしたというが「規格外すぎて参考にならない。よくわからないことを言っていました」と苦笑い』(『』内はルポライターの竹村岳 氏による)

    ◎大谷は生来の完全主義者!?
    こうした今の大谷翔平という人間をつくった要素は何かと言えば、根本は彼自身の頭脳と肉体にあるのだがその使い方が“彼が信条とする「楽しむ前に正しいことをする」”の実践を完璧に行うことに向けられている。彼にとっての「正しいこと」とは倫理的に正しいことばかりではなく、目標実現のための正しい手段、方法でもある。この”正しいこと”の追求イコール完璧さの追求になっている。ゆえに彼は野球につながることがないモノには”興味を示すという(彼にとっては)ムダなこと”をしないことにもなっている。
    大谷の完璧さを求める心は既に子供の頃から発現していて、大谷の母である加代子さんは語る・・「あの子が幼稚園か小学校に上がったばかりの頃、好きだったハリーポッターのキャラクターが描かれた表紙のノートがあったんですけど、なぜか買った当初からその絵の一部の印刷がはがれていたので、翔平はそれが気になってしょうがなくて自分でその分部に色を塗っているんですが、思い通りにいかないどころかさらにおかしくなってしまい、泣いて自分で怒ったことがあります」 また・・

    「翔平が気に入っていた絵本がある時、端っこが少し折れていたので『誰が折ったんだ!』と怒っていました」

    ◎完璧を求め徹底した行動の色々
    《筋力増強》 
    ・500ポンド(226.8kg)のバーベルを“涼しい顔で”腰のあたりまで持ち上げる姿を先日のテレビで観ましたが、専門家は優秀なボディービルダーでもこの重さを持ち上げられる者はめったにいないと評していた。

    ↓腕の筋肉がよくわかる写真 (「Getty images」より引用)
    os-arm

    ・日増しに筋肉が増大するので、寝具を提供する「西川(株)」は大谷の身体測定を年間に何回も行って最適状態になるように”大谷選手用の寝具”を常に修正している。
    身体測定の様子 (以下写真5枚はテレビ番組「ミヤネ屋」より)
    os-hip (2)

    ・打撃用の筋力が十分な域に達した現在、使用するバットの製作社(アシックス)に向けて大谷が発した言葉は、「飛距離は問題ないから、あとはもう少し(球との)コンタクト性を増やしたい」。
    その結果、大谷用バットは”一般用と比べて太い部分が多い”形となっている。

    《睡眠重視》
    「趣味は睡眠」「睡眠はリカバリーのため」と宣言するほどの大谷は睡眠の量とともに質も重要視するので・・
    ・睡眠時間は通常でも10時間以上が多く、シーズンオフは10時間睡眠をとった後のトレーニング後に昼寝2時間の計12時間で、1日の半分は寝ている。(大谷は小学生の頃から夜9時就寝、朝7時起床で10時間寝ていた)

    ・寝具も重要視して西川(株)で、体形測定、仰向けと横向きの寝方の両方対応のマットと枕の設計(大谷は頭に対して肩幅が大きいので難題。枕には標準の2倍の量の”詰め物”で大きくパンパンとのこと)
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    ・本拠地以外への移動時にも”専用枕”を持ち歩く。↓
    (大谷のインスタグラムからの孫引用..)
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    《食材重視》
    全ては体調をベストに、筋肉増強のために食事する。WBC開催中に大勢投手は大谷の様子を見ていて「おいしいものを食べるのではなく、自分のためになるものを食べていた」と証言している。
    それは管理栄養士に相談し、指導を受けているからで・・

    ・血液検査をした結果に基づいて、自分が食べなければいけないもの、食べていいものといけないものを決めている。・・その結果、嫌いだったトマトも食べるようになった。

    ・良質のたんぱく質摂取も重視する結果、肉類は”部位”を選び、『牛肉はフィレ、鶏肉はササミ、魚はサーモンか白身魚、ビタミンCは野菜からとる』(『』内はスポーツジャーナリスト古内義明氏談)
    トンカツは衣をはがして食べる。WBC開催中は毎食時にゆで卵3個を食べていた。(一時、意識的に”卵絶ち”したという情報もあるが・・)

    ・シビアな食材選択なので、自炊が多く、得意はパエリア。

    ・本拠地(ロスアンジェルス)でやむなく食べ物をデリバリーしてもらう際にも配達時刻を指定している。現地の和食店「鮨処 古都」のオーナーシェフ松木保雄氏は「大谷選手がピッチャーとして登板する場合は3時間前、登板しない場合は2時間前にもっていきました」と言う。
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    大谷の注文で多いのは「穴子丼」
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    《用具のこだわり》
    ・バットに関しては前述のように、グリップ部分から先すぐに太くなっていて球が当たる確率を高くしている。普通のバットはグリップ部分から先端に向けて徐々に太くなり”寸胴”部分は少なく、選手はバットの遠心力を利用して振るのだが、大谷は遠心力など利用しなくてもよいパワーがあるから、従来型バットは必要ないのだ。
    変更バット (以下写真4枚はテレビ番組「中山のイチバン」より)
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    ・スパイクシューズの金属スパイクを靴裏面から直接スッと飛び出させる形にした。従来品は靴裏面から突起部分(土台)をつくり、それに金属スパイクの根元が埋め込まれた形状になっているが、その突起部分があるために、大谷いわく「”立ち感”が悪い」のだそうで、この突起部分が無ければ足裏の力が地面に伝わりやすくなるという理由。

    スパイクの土台部分を無くした
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    ・グローブは機能的には不具合はないが、全体の形状は通常より大きくしている。理由は2塁走者から大谷のグローブの中の球の握り方(つまり球種)を盗み読まれないため。
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    ・手袋は、装着して手首を締めるための”マジックテープ”が付いたベロ部分の付け根が親指側にあるカタチにした。通常のようにベロ付け根が小指側にあると、バットを握った場合に小指側に隙間ができてしまって”大切な小指の力”が入らなくなるからという理由。
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    ※以上の用具改良は昨季までは日本の「アシックス」が担当していたが、今期からドイツの「ニューバランス」に変わったようだが用具はどうなるのだろうか?

    そしてメジャーリーグの中での行動において、意志や情報が間違いなく送受できるように優秀な通訳・水原一平氏を常に伴うのは、これも完璧さを求めるがゆえであることは言うまでもない。
    ・・・・・・・・・・・・
    大谷を形成する原点のようなものが彼の高校1年生の時に作製したある図表にあることと、これに関連した別の図表について、それに渡米前に読み込んだ本に関連したお話は次回にいたします
    ・・・・・・・・・・・・

    3月14日は”3.14”の「円周率の日」なのだそうで、意図したわけでもなくたまたま今回のテーマにつながりました。

    世の中に存在する情報の中には、有益であるはずが、意図せずに有害または無益なものになっているケースが少なからずあります。この種の間違い情報の例として、「円周率」関連と「トランジスタテレビ」関連を主にとりあげて綴り始めたら、「円周率」関連だけで文章量が大きくなってしまったので、「トランジスタテレビ」関連は次回にまわします。・・まあ、実害は殆ど無いだろうから、どうでもよいような事ですが、間違いは正しておくべきでしょう。

    古くはアルキメデスが求めようとした円周率も、現代はコンピュータを使って昨2022年には「岩尾エマはるか」氏が遂に100兆桁の計算に成功しました。
    arukimedesu
    (「マテマティカ」のサイトより引用) ※小数になおすと「3.1408…<円周率<3.1428…」

    コンピュータによる計算結果(数字)はそのまま電子的に記録され、その数字を何らかの媒体を使って”間違いはなくそのまま”表示できる現代ですが、昔は”手計算”だったり、計算結果を発表する際に”手作業による数字表記”なので、間違いが少なからず発生していて、その例が・・

    計算間違い
    円周率を語る際によく出る名前がウイリアム・シャンクスという英国のアマチュア数学者(1812※~1882年)で、趣味の一つとして円周率の計算をしていて1873年に707桁まで求めて発表した。

    ところが、計算途中にミスがあったために小数点下527桁までは正しいことが彼の死後に判明して
    528桁以下は徒労の産物となってしまった。 (※1812年はナポレオンがロシアの冬将軍に負けた年)

    ◎数字の表記間違い 
    (イ) 百科事典での間違い
    昔、「世界大百科事典」(平凡社)の円周率の項目の中で100桁の数字が掲載されていたが、その内の数字1字が間違っていた。(記憶薄れているが小数点下70~95桁の間の1字)

    それは私が中学生の時に学校の図書館の同書(発行年月日は記憶していない)の中で見つけた。当時私が円周率を115桁まで記憶していたために気が付いたもので、権威ある百科事典のことだから当然「私の方が記憶間違いか?」と疑ったものの、私の数字暗記の元ネタとなっていた「科学読売」(当時、「科学朝日」と双璧の雑誌)に掲載の”手書きの数字1035桁(だったか?)”で確認したが私は間違っていない。

    しかしその元ネタが間違っているかも知れないと思い、しばらく他の”円周率の表記例”を探していたところ、1987(昭和62)年3月12日、日本電気(NEC)が同社製のスーパーコンピュータで35時間かけて算出した1億3355万4千桁という当時世界最高記録の数字を新聞の紙面1ページをほぼ使って掲載したので、「これはコンピュータの計算結果をそのままプリントアウトしたものだろうから信用できる」と考えたので確認したところ私の記憶していた数字の方が合っていた。‥その後に平凡社の百科事典は訂正したのだろうか?私は確認していないが・・

    (ロ) インターネット閲覧ページ上での間違い
    現在、ネット上には多数の”円周率1000桁や500桁”の数字表が載っているので、全てを見られないのですが、少なくとも3件のページで互いに数字が相違する部分があります。

    私は現在、一応250桁まで覚えているので、その範囲でしか分かりませんが、3件とも小数点下150~250桁の間の2~3個の数字が”同じではない”のです。

    そこで困る(という人はあまりいないか?)のは、“どれが正しいのか?”または”どれも正しくないのか?”ということ。

    これらの内で「トラスト ミー(trust me)=私を信用してよ」と(昔、鳩山由紀夫首相がオバマ大統領に向けて放った言葉としても思い出される)宣言できるものがあればよいのですが・・

    そうなると、信頼できそうなのは”コンピュータで円周率計算した結果をストレートに表記したもの”であり、最近は個人で計算した結果をネット上で発表している例(http://www.suguru.jp/learn/pi.html )もありますが・・↓
    ensyuritu

    やはり、大手企業(パソコンメーカーなど)が“例えば円周率1万桁表示ページ”を常時公開する、あるいは現在JIS(日本工業規格)で”分野によっては円周率を「3.1416」として適用する指定や小数点以下31桁までの円周率を適用する指定などがあるようですが、これも一つ基本データとしてやはり例えば円周率1万桁表示をするというようなオーソライズされた正しい数値(と言っても円周率は無理数なので近似値ですが)を提示してくれると良いのでしょう。

    ・・と言ったものの、発信元が不明だが、パソコンが出した円周率の数字を限りないように流し続けるサイトがあるというので閲覧してみたら確かにありました。最初の250桁を見たら間違い数字が無いので、以降も間違いないとは思われますが、いったい何桁まで表示するのか不明です。

    円周率数字垂れ流しサイト

    ◎「ゆとり教育で円周率は3と教える」という情報の間違い
    2002年度から実施された”小学校の学習指導要領”の算数分野での指示を間違って解釈した人たちがいて、その人たちによって「小学校ではこれから円周率は3と教えることになった」という話が世間に広まり、私もつい最近までその誤報を信じていた一人。

    その誤報の原因は・・新しい学習指導要領では小数乗算の桁数制限の規定変更をしたために、手計算では” 円周率を3として”計算せざるをえないことになったことと、「目的に応じて3を用いて処理」という指示もあったために生じた誤解。これによって「ゆとり教育」批判の材料にもなった。

    しかしこの誤解には影響されずに実際の教育現場では” 円周率は3.14“として教えられているそうです。

    (余談1)暗記方法
    ※円周率の暗記では11万桁を誇る原口證(あきら)氏や1万5151桁に達した友寄英哲 氏がいて、友寄氏はソニーの社員時代からどんどん記録をのばして発表していたので有名だった。

    一時は両氏とも世界一だったこともあります。この二人は”数字をそのままは暗記しない方法”で記録をつくっていますが、その方法とは”自分で壮大な物語を作って、そこに登場するモノ・コトを語呂合わせして数字にしたものを記憶していくもので、そこには単に記憶力だけではなく物語の創造力が発揮される点が素晴らしい。

    元コメディアンで現在は俳優の伊東四郎氏も85才にして円周率1000桁を記憶しているそうで、やはり暗記法は語呂合わせ式。俳優として台詞覚えのための脳力維持の必要から努力しているとのこと。

    ”同じようにそのまま暗記でないカタチには”元素周期律表”の語呂合わせ式の「水兵リーベ僕らの船・・」(水兵離別バックの船・・)その他があります。

    しかし、”数字や言葉の羅列”をそのまま暗記するカタチもあり、私自身は”数字そのまま暗記”のカタチで円周率250桁を覚えていますが、これは”数字や単語を連続させてただひたすら暗唱することをくりかえしておぼえてしまう単純な方法”で、決して難しいことではありません。

    なぜならば”お坊さんではない一般人でも「般若心経」(はんにゃしんぎょう)の漢字262文字を暗唱する人は少なくないことや、昔の人は「歴代天皇」を神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、・・と124代の昭和天皇まで、漢字にして276文字を暗記させられていた人も多く、大正生まれだった私の母もその一人。

    (余談2)般若心経の暗唱を断念した私!
    「色即是空、空即是色」という有名な(しかし私にはよくわからない)言葉が含まれている般若心経を暗唱できるようになろうと思い立ったきっかけは、私が昔 兵庫県に住んでいた際に、同県に在る「西国三十三カ所」の一つの「法華山 一乗寺」に参った際に購入した扇子を思い出したからで、その扇子には「般若心経」の漢字がふりがな付きで記されているもので、これを使ってお経を覚えようと考えた。

    「般若心経」扇子
    sensu (2)

    ↓「般若心経」(部分拡大)
    sensu-up (2)

    ちょうど季節は夏だったので、通勤時に駅のホームで電車待ちをしながら、この扇子で"少しあおいでは手を止めて文字を記憶する"を繰り返すことを実行し始めたものの、なかなか覚えられず結局この試みは夏の終わりとともに潰えてしまった。時に私は60才近くになっていた。心の中で、脳力と気力の双方の低下のためと言い訳する自分が情けなかった!・・・というわけで、若い頃に覚えた円周率の数字も、もうこれ以上は増やせない私であります。
    ・・・・・・・・・・・・
    次回は「トランジスタテレビに関する間違い情報?! 」です。
    ・・・・・・・・・・・・

    前回にとりあげた”世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解とリベットの関係”に続いて今回は・・

    ◎タイタニック号
    近年、映画にもなったり(※1)して有名なこの英国の大型豪華客船 (※2)が1912年(※3)4月10日、初航海(※4)として英国のサウザンプトンから米国ニューヨークを目指して出航したが、4月14日の夜11時40分に北大西洋上で氷山に船体右側面下部を接触させて、そこから海水が流入し、2時間40分後の4月15日午前2時20分に沈没して1514人が犠牲(生存者は710人)になった。(※5)

    ↓初航海に向かうタイタニック号 (写真はWikipediaより)
    Titanic

    ↓海底に眠る姿 
    (写真はナショナルジオグラフィックチャンネル=以降NGCと表記 より)
    titanic11 (2)

    ※1:かつてナチスもネガティブプロパガンダ用にタイタニック映画を製作した。

    ※2:タイタニック号の全長は269mで後の日本の戦艦大和の263mより6m長い

    ※3:日本はこの1912年の7月29日までは明治45年、30日から大正元年

    ※4:「初航海」は従来の「処女航海」という今の時代にそぐわない呼称の代わりとした

    ※5:犠牲者、生存者の数は諸説あり数人の差がある

    この海難事故の最大原因は”船が氷山に接触したこと”ですが、”その氷山接触を招いた誘因”と”事故を大きくして犠牲者を増やしてしまった原因”が多く指摘されています。

    その後者に当たる原因の一つが”リベット”。それ以外の誘因や原因についての記述は長くなるので別の機会にします。

    ◎船体の鉄板接合用のリベットがもろかった!
    船体に使われた鋼板は約2千枚。その厚さ2.5cmの鋼鉄板どうしを太さ2.5cmのリベット約300万個で接合して造られた。

    ↓建造中のタイタニック:鋼板の貼り合わせが分かる (写真はヒストリーチャンネルより)
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    ↓海底のタイタニック:鋼板とリベットが見える
    (写真はNGCより)
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    使用されたリベットの多くは機械で打ち込まれた。
    ↓リベットを機械で打ち込む様子(写真はNGCより)
    titanic14 (2)

    しかし、船体前方の機械が使えない部位は人間による手作業でリベットが打たれた。後に氷山に接触した箇所はこの手作業部位が含まれるとされる。

    この手作業用のリベットは現場で赤熱されて穴に差し込まれ、それをハンマーで打ってかしめるものだが、そのためにこのリベットの素材には「錬鉄(れんてつ)」が使われて、これは鋼鉄などより炭素含有量が少なく比較的には軟らかいので強度を増すために「スラグ」を混入させていた。

    ↓タイタニック号のリベット打ちの手作業現場 (NGCの写真に拙者が説明追加)
    titanic-8

    ※鉄を炭素含有量の多い順に並べると・・鋳鉄>鋼鉄>軟鉄>錬鉄・・炭素量が多いほど硬くなるがもろくなる。

    「スラグ」は鉄など金属を製錬する際に出るカスであり、製鉄の場合では副原料として加える石灰石が” 主原料の鉄鉱石に含まれるシリカ(二酸化ケイ素=SiO2)やアルミナ(Al2O3)などの不純物”をとり込んだ状態の物質がカスでありスラグである。つまりスラグにはこれら不純物と石灰石の成分である酸化カルシウムが合体したもの。

    現代の製鉄でも発生するスラグは、セメント材料に混合、コンクリートの骨材(砂利や砕石)の一部として混合、道路のアスファルトに混入、地盤改良材などに使われている。

    錬鉄に混入するスラグは適量で効果を発揮するものの、多すぎると逆に錬鉄はもろくなるが、タイタニック号のリベットの錬鉄にはスラグが多すぎてもろかったことが近年になって科学的に確認された。

    実験として、厚み2.5cmの鋼鉄板2枚を太さ2.5cmの”スラグを混入した錬鉄製リベット”で接合したものに、”氷山に接触した際の衝撃の大きさである“少なくとも1平方インチあたり1万4千ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり約6.36トン)”を想定して力(ちから)”を加えた実験では、1平方インチあたり1万ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり4.54トン)以下の力でリベットの頭が裂断してしまった。

    ↓実験でリベット頭が裂断した瞬間 (写真はNGCより)
    titanic6 (2)

    しかも、電子顕微鏡で見るとタイタニックの実際のリベットの材質のほうが”実験で裂断したリベット”よりもスラグ含有量が多かったことも分かった。

    ↓リベットの素材を電子顕微鏡で見ると多数の黒いスラグが 
    (写真はNGCより)
    titanic8 (3)

    これによって、タイタニック号のリベットは氷山と接触した際に耐えられないもろさであったことが判明した。

    ◎当時の鉄材は低温劣化した!
    当時に使われていた鉄材は摂氏0度くらいの低温になるともろくなるものだった。これは難しい表現では・・”脆性(ぜいせい)破壊”しやすくなる・・となる。事故現場の氷山が浮かぶような海水温では船体の鋼板もリベットももろい状態だったことになる。先述のリベットの耐性実験は低温下で行ったらもっと悪い結果がでたのであろう。

    この”鉄材の低温での脆性破壊”現象が認識されるようになったのは、その後30年ほど経って起きた一連の「リバティ船事故」原因解析結果からだった。「リバティ船」とは第二次大戦時に米国が欧州を支援するための物資を運ぶ輸送船として大量生産された船の総称で約2710隻造られた。それらの造船における鋼板接合には従来のリベットによらずに溶接方法がとられたが、その溶接個所が原因とされる船体破壊事故が大小あわせて数百件も発生した。分析の結果、溶接技術不良もあったが、溶接棒の組成自体の低温での脆弱破壊性が発見され、鋼板どうしのつなぎ部分が弱かったことが判明したからであった。

    ただし、現在では
    ”低温での脆性破壊”が起きない鉄材が開発され、ついには"摂氏60度~マイナス60度の間で、むしろ低温になるほど、衝撃吸収エネルギーが上昇して強度が6倍に増加して破壊しにくくなる鉄材"を日本の独立行政法人 物質・材料研究機構が開発している。

    ◎船体損壊箇所と海水流入状況
    タイタニック号は深さ3千メートル※の海底に沈んだため、当時は実際の損傷個所を調べることなどできないため、「船底に90メートルの長さの穴があいた」などという見解も出たりした。
    ※水深の正確な数字は3650メートルともいわれるが、これは365(日)のちょうど10倍。

    ↓船体に開いた長い穴の想像図も登場 (NGCより)
    titanic15 (2)

    しかし、1985年に海底のタイタニック号が見つかって以降、幾多の有人、無人の調査装置での観察やソナー検査によれば、船体に大きな穴は存在せず、ただ船体前部の右舷側面に1.1~1.2平方メートルほどの小さな穴があり、それも鋼板が破れたのではなく、リベットの頭が裂断して接合していた鋼板どうしが離れて折れ曲がったためにできた穴とみられている。

    ↓海水流入開始時の様子 (図はWikipediaより)
    iceberg-titanic

    かくして2時間40分かけて流入した大量の海水によってタイタニック号は沈没した。

    ◎船とともに沈んだ楽隊が最後まで奏でた讃美歌
    私がタイタニック号を知ったのは今から約70年前、弟が学校の先生から聞いた話として「昔、タイタニックという大きな船が氷山にぶつかって(当時は接触という言葉は使われなかった)沈没する時に、船の楽隊の人たちは最後まで讃美歌を演奏しながら、船と一緒に沈んでいったんだって!」・・と教えてくれたからでした。今回その讃美歌の曲名がわかりました・・それは「主よ みもとに近づかん」
    なるほど、この曲ならば心を落ち着かせて覚悟はできたのでしょう。

    合掌
    ・・・・・・・・・・・・
    冒頭にも記しましたが、タイタニック号沈没に関しての今回の”リベット関連”以外の誘因や原因についてはまた別の機会に綴ります。
    ・・・・・・・・・・・・

    なぜ私が1月10日にこの文を綴り始めたかと申せば、世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解事故が69年前のこの日に発生したからです。一方、「タイタニック号」沈没という史上最大級(犠牲者数は最大ではないが)の海難事故もありますが、この二つの事故には「リベット」が大きく関係していたのです。

    ◎リベットとは・・
    金属板どうし(その他、例は少ないが皮革、布、紙など)を接合する場合に、それらを重ねた部分に貫通する穴をあけ、その穴に”金属製の短い円柱または円筒状の塊”を差し込み、それが抜けないように塊の頭と尻の部分をつぶしてひろげる(かしめる)・・という方法があるが、ここで言う”金属製の塊”が「リベット」で、これは日本語で言うところの(一種の)「鋲(びょう)」。

    ↓リベットで接合した鋼板の例((株)ワールドインテック社のHPより)
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    ◎コメット機とは
    コメット機は英国のデハビランド社が開発・製造した世界初のジェット旅客機で、時速800キロで高度1万2千メートルを飛行(そのため高空では機内の空気圧は外気より高い状態)。定員42人。機体表面はアルミ合金板使用。

    ↓「コメット」機:4基のエンジン外装形状は主翼と一体化して非常にスマートだったが製造時やメンテナンス時は問題無かったのだろうか?
    comet1 (2)

    就航開始から1年半経過した1954年初頭時点で17機存在。その内9機をBOAC(英国海外航空)社が保有。

    ◎コメット機事故とその原因のあらまし
    ※詳細説明は長くなるので、今回のブログ文章の後部に付録させます。

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機がローマの空港から離陸して26分後に地中海上で空中分解して35名が犠牲となった。さらに3か月後の4月8日にまたローマ発エジプト行きのBOACのコメット機が空中分解して21名が犠牲となった。(4月8日はお釈迦さまの誕生日。不謹慎だが、この日にコメット機は”おしゃか”になってしまった)
    comet3 (2)

    事故の遠因は・・高度1万メートル以上を飛行したこと。そのため高空では機内の空気圧と外気圧の差を大きく生じ、地上では差は消えるという状態がフライトの度に繰り返されるので、機体を覆うアルミ合金板は「金属疲労(金属の板や棒などを曲げたり元に戻したりすることを多数回くりかえすと折れたり切れたりする)」を起こしてひび割れし、切断してしまった。

    特に金属疲労が起きやすかった箇所があった。・・それは”四角っぽい”窓や扉のコーナー部分。海中から回収された機体破片を継ぎ合わせてみると、その分部から き裂が走っているのが多く見られた。これは「応力集中」による現象というのだそうです。
    ↓窓のコーナー(右上部分)からき裂が・・
    comet8 (2)
    ↓コメット機の窓は遠目には四角だった!
    comet2 (2)

    この"四角っぽいコーナーから き裂が発生する現象"を逆に応用しているのが、プラスチック製の(菓子などの入った)袋の両端の"ギザギザ"で、その"山と谷"の谷の部分から裂けやすいように意図されている。この場合、"谷"部分が、コメット機の窓のコーナー部と同じ状態と言える。↓
    gizagiza (2)


    ◎リベット打ち込み時の穴が悲劇の引き金!
    多くの金属片をつなぎ合わせてその切断跡を辿ってみると、すべてのき裂は、機体天面の”無線送受信用の二つの窓”の周囲にリベットを打ち込んだ際の穴の縁にできた小さな”ひび”から始まっていることが判明したのでした。

    ↓胴体天面の二つの窓
    comet10 (2)
    ↓その窓周囲に打ち込まれたリベット(再現図)
    comet9 (2)
    ↓右の窓のコーナー部のリベット穴が き裂出発点
    comet11 (2)

    「全ての道はローマに通じる」(All roads lead to Rome)という言葉があり(ちょっと意味がちがい)ますが、ここでは「全ての亀裂はリベット穴に通じる」ことになってしまいました!

    デハビランド社はコメット機の欠陥を解消して4年後に復活させたが、一度信頼性を失った同機は受け入れられず、その間に米国ボーイング社が新たなジェット旅客機を登場させたりしたので、デハビランド社は他の航空会社に吸収されてしまったのでした。
    ・・・・・・・・・・・・
    下の絵は私が小学校1年生のとき、ある本に「世界の飛行機」だったか?の絵が載っていたものを真似して描いたもので、中でもコメット機のカッコ良さが気に入っていましたが、左下に「いぎりす (時速)800きろ」と書いているのでコメットのつもりと判断できるもののエンジンを5基にして、いいかげんだった。
    titanic7 (2)

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    《コメット機空中分解事故と原因究明詳細》 (上記以外)

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機781便は、シンガポール発ロンドン行で、中継地ローマの空港を午前10時31分に離陸したが、その26分後の10時57分に突如消息を絶った。

    当初は原因不明で爆薬による破壊説などもあったが、地中海のエルバ島付近で操業中の漁民が事故を目撃していたことと、遺体の損傷具合が爆発物によるものでではなかったことで、単なる空中分解と判明。乗客29名、乗員6名、計35名が犠牲となった。


    そして漁民らは機体破片落下海域で遺体を引き揚げたりしていたので、捜索範囲が絞られた上に付近は水深120メートルほどなので残骸回収は楽かと思われたが、ブラックボックスもまだ無い当時の技術では難航したものの最終的に大部分が集まった。(時の首相チャーチルが海軍も動員させて機体徹底回収を指示した)

    ◎再び同じ事故が起きた!
    目立った設計ミスや製造ミスは確認されないが、事故の根源的原因がまだ特定されてない状況にもかかわらず、事故から10週間後に英国政府はコメット機の運航再開許可を出した。

    そこでBOACが運行再開して間もない4月8日、ローマからエジプトに向かうコメット機がまた地中海上で空中分解して乗客14名と乗員7名あわせて21名が犠牲になり、機体の破片は水深1千メートルの海底に沈んでしまった。つまり3か月の間に2機が同様の事故を起こしたので当然コメット機は運航即時停止。

    チャーチル首相は原因徹底追及を英国王立航空研究所に依頼。そこでさらに科学的分析とその検証が行われた。その例は・・

    (1) 客室胴体部分の縮尺1/10の模型を透明プラスチックで作り、内部に座席やダミー人形を配置して、胴体内部空気を加圧した状態で小さな穴を開けて急減圧したところ、座席は内部で吹っ飛び、ダミー人形は頭や体を天井や内壁に激しくぶつけた。これで一連の事故犠牲者の頭部陥没と肺臓の破裂や内部損傷の原因が実証された。

    ↓1/10の模型
    comet4 (2)
    ↓急減圧すると座席とダミー人形は天井や内壁に激突した 
    comet5 (2)

    (2) 実機のコックピット部と尾翼の付いた後部を除去した残りの”客室部胴体部分”を納める巨大水槽(巾7m/長さ34m/深さ5m)を作り、胴体と周囲の水の注排水を繰り返して、地上と1万メートルを超す間の気圧の差による”機体内の加圧と減圧による機体の膨張と収縮”を再現して、これを繰り返してみたところ、3千回行なったところで外装のアルミ合金板の一部にき裂を生じ始めた。

    ↓巨大水槽で実験
    comet6 (2)

    ↓水槽実験で外装のアルミ合金板3千回の屈伸による金属疲労で き裂発生した部分
    comet7 (2)

    (3)実機を使って客室内を加圧⇔減圧状態の実験をしたところ、窓や扉周辺のコーナー部には強烈な歪(応力集中)が発生していることが計測されたので、この部分からき裂が発生しやすいことの裏付けとなった。

    ※無線送受信用窓周囲の打ち込みリベットの穴が事故の引き金になった・・という説明は前記の通りです。

    (
    コメット機に関係の写真はナショナルジオグラフィックチャンネルより引用)
    ・・・・・・・・・・・・
    次回はタイタニック号沈没とリベットについて・・です。
    ・・・・・・・・・・・・

    前々回にカナ点字、前回に漢点字などを主にとりあげましたが、今回は・・

    ◎色々なモノ、所に点字が・・

    ・シート状媒体(紙、プラスチック、アルミなど)に・・
    (A)点字(凸点)のみ表記・・表と裏の両面に表記もある

    (A1)従来型の点字・・裏から突かれて出来る凸点

    (A2)特殊加工紙で浮き出させた点字・・熱を受けると発泡して立体になる素材をコーティングした特殊紙を利用して専用プリンターで出来る凸点。この場合、面的加熱して地図などの立体図も出せる。

    点字と立体(輪郭)地図を組み合わせた例 ((株)アメディアのHPより)
    3d-printed-map

    (B)墨字(印刷)と一緒に点字も併記

    (B1)墨字印刷面の裏から点字型を押し出して
    墨字も点字も両方が読める・・これも両面表記がある

     (B2) 墨字印刷面の上に透明プラスチックの
    凸型点字を付着させて墨字も点字も両方が読める

    ↓(B2)の例・・一見すると普通の紙の印刷パンフレットだが・・
    tenji-pamph2 (3)
    ↓上写真の部分拡大(あえて透明点字に影がつくように光を当てて凸点の存在が見えるようにした状態)
    tenji-pamph1 (2)
    (富士通(株)総合デザインセンター発行物)

    ・公共の場所、設備・・トイレ、エレベーター操作部、駅階段手摺などに
    エレベーターの点字例
    elevator-tenji1

    elevator-tenji2

    ・アルコール飲料(ビール、発泡酒など)缶の天面
    beer-can-tenji (2)

    ・その他、一部の家電製品の操作部に点字併記、などがある。

    ◎意外に多い点字関連ソフトや機器
    現在の日本で点字を読める人が約3万人と決して多くはないが、マイノリティも大切にするばかりでなく、点字の良さも生かそうとして、点字の作成と判読に関しての多様な機器が出現している。
    例えば、視覚障がい者が文章やメモを作成する場合に自分の声で入力する方法は楽であるが、その場合に”しゃべる内容が周囲に漏れてしまう”あるいは”しゃべる声が周囲には騒音・雑音になってしまう”ことがあるという欠点を生じるが、”無声で点字入力”すればそれを回避できる。そこで便利なのが・・

    ・小型点字メモ機「オービット」9万8千円(福祉用品なので非課税)
     上のボタンで入力して下の窓に20文字分の点字(8点式)が出る
    tenji-memoki

    その他、点字関連ソフトや機器は多い。
    ・点字変換ソフト・・ワード、一太郎などの文字をテキストデータ化して点字用に変換するソフト。
    ・自動点訳機・・上記のようなソフトを内蔵して、本やデータから点字を作る。
    ・点字プリンター(86万3千円)・・ハンマーソレノイドによるインパクト印字(電流が流れると棒が飛び出して、その先端が紙を突いて凸点を作る)
    点字プリンターの一例
    tenji-printer2

    ※点字関連ソフトや機器の詳しい情報や視覚障がい関連の最新情報無料メルマガ申し込みは・・
    (株)アメディア社のホームページ

    (有)エクストラのホームページ

    ◎糖尿病から失明する人も多い
    糖尿病が原因で起きる視力障害が「糖尿病網膜症」。

    ※下記データは日本眼科医会や厚生労働省などの間では数値に大きく差異があるので混乱しますが、糖尿病患者も糖尿病網膜症患者も多いということです。・・一応数字をあげると・・

    ・糖尿病患者数・・1000万人(他データで1620万人や2000万人)
    ・現在日本の「糖尿病網膜症」者数・・140万人(他データで300万人)

    日本の「中途失明」など後天的視覚障がいの発症原因トップスリー
    (厚生労働省 平成28年)
     1位:緑内障:28.6 %
     2位:網膜色素変性:14.0 %
     3位:糖尿病網膜症:12.8 %

    ◎中高年齢で「糖尿病網膜症」発症では点字は無理?!
    実は、前述の” 後天的視覚障がいの発症原因”は” 50,60才代に限れば糖尿病網膜症が1位”であり、それでは歳をとってから視覚障がい状態になって、いざ点字を習得しようとしても、指先の皮膚は硬くて感覚は鈍くなっていて、しかも新しく学習する能力も減退しているので、それは無理なことが多い。

    ◎「すこやか食生活協会」の理事長の要望は・・
    正確には公益財団法人「すこやか食生活協会」と称する組織の以前の名称は「視覚障害者食生活改善協会」(所在地:東京都中央区日本橋本町)であり、視覚障がい者を対象とした食生活に関する各種情報提供や社会への提案などを行ってきたが平成12年に名称変更するとともに対象を視覚障がい者のみならず各種身体機能が減退したシニアにも広げた。

    今から20数年前でまだ「視覚障害者食生活改善協会」と称していた頃に、私はこの協会から何度か呼ばれて伺ったことがありますが、この法人の母体は厚生労働省と農林水産省であり、ここの理事長(推定60才以上)はそのどちらかの省の元高級官吏であったに違いないが、当時の理事長は”眼が不自由”であり、(失礼ながら私の推察では)糖尿病網膜症だったのではないかと思えた。

    ある時、この理事長から「我々視覚障がい者は、加熱調理をする時には”炎の出るガスコンロ”などが苦手だから電子レンジは大変重宝しているけれど、加熱時間設定などの操作の際に音声案内が是非欲しいものです」という要望が出された。

    それはごもっともな事で、点字判読ができない人向けだけではなく、”加熱時間”を例えば1分20秒など細かい設定をしたい場合、視覚障がい者にとっては音声告示が最も便利。これは電子レンジのメーカーにとっても都合が良く、なぜならば機器の表面には点字を並べるスペースが確保できないから。
    その後、”音声案内付き電子レンジ”は市場に出たのだろうか。

    ◎やはり”音声(聴覚)”による情報伝達は頼りになる
    前述の電子レンジの例のように、点字が読めない人に対してはもちろん、情報伝達をするには点字では対応できない場合なども、年齢に関係なく点字よりも音声情報が便利なことは間違いない・・ということで、身近な機器から街なかや交通関連施設・設備などに音声情報提供の例は多い。

    横断歩道の青信号時メロディ、駅構内の階段・エスカレーター存在位置案内メロディなどの他に・・

    ・「コード化点字ブロック」(W&Mシステムズ合同会社)
    既設の点字ブロックを活用して音声案内発信機能を付加したもので、アプリをインストールしたスマホのカメラをかざすと、現在地や周辺の情報などを多言語で音声案内。視覚障がい者のみならず外国人(インバウンド)観光客にも便利。
    tenji-invi-block

    ・「快速よむべえ」((株)アメディア)26万円、モニター無し22万8千円、読み上げのみ19万8千円
    カメラ部で本や印刷物を読み取り、音声で読み上げ、文字は拡大してモニター画面に表示する読書機。
    請求書、レシート、銀行通帳も読める。日本語、英語、中国語、ハングル対応。
    ↓この写真ではこの機器セットの中心となる筐体はモニター裏面に接置して隠れている。 
    yomubei

    その他の製品には・・
    ・パソコン画面の音声化ソフト・・電子メールまでも読みあげるタイプがある。
    ・音声読み上げ式各種測定機器・・キッチンスケール、体重計、血圧計など。
    ・音声ガイド地図
    ・視覚障がい者向けGPS歩行支援システム

    ◎視覚障害がい者への”点字、音声以外の伝達手段”
    ・切り欠き付き各種カード・・各種カードの種別が触るだけで区別できるようにカードの縁を切り欠いたもので・・テレホンカードは半円、交通系は三角、買い物系は四角の切り欠きを基本とすることがJISにも規定されている。
    ↓切り欠き3種(E&Cプロジェクト作成)
    card-cut

    ・触読式腕時計・・腕時計表面の透明蓋を跳ね上げて文字盤の凸文字を指で感知する
    シチズン、セイコー、(1万4千円・非課税)、GRUS(オープン価格) (写真はアメディア社のHPより)
    tenji-watch2

    ・振動コンパス(iphone対応)・・スマホが北を向くと振動する。
    (写真はアメディア社のHPより)
    vibra-compass

    ◎シャンプー容器とポンプノブ天面のギザギザは・・
    現在、シャンプー容器の横腹部またはポンプ容器のプッシュノブ天面にはギザギザが施されていて、
    視覚障がい者はもちろん、晴眼者も洗髪時には(たいてい)目をつぶるので”一時的視覚障がい者”になるために、手探りでシャンプーと(ギザギザが付いていない)リンス(コンディショナー)は区別できる。この”ギザギザ付け”は1991(平成3)年に花王が発案して採用開始したが、他社にも同様のギザギザを施して統一することを提案した結果、現在各社製品に採用されている。
    ↓花王のHPより
    kaoh-gizagiza
    ・・・・・・・・・・・・
    その他、国政選挙などでは点字による投票ができることになっていますが、これを含めたユニバーサルデザイン関連については、また後日にとりあげます。
    ・・・・・・・・・・・・

    文学の素養など無い私でさえ、最近の我が国における”言葉の使われ方”、”イントネーション”、”発音”などで気になることがある。しかしながら、”言葉は生き物”と言われ、例えば”独壇場”は元の読みは「どくせんじょう」だったのが今やすっかり「どくだんじょう」の独壇場!?。このように今は気になってもやがてそれが標準になるかも知れないのだが・・

    ◎「緊張感をもって」、「スピード感をもって」は ずるい!
    つい最近のこと、国会の参議院本会議中に居眠りした某大臣、野党から責められてのおかしな釈明内容だったが、最後に「今後はそのようなことが無いよう、緊張感をもって審議に臨みたい」と述べた。

    元々この大臣の行為は言うまでもなく責められるべきものだが、ここで私が問題にするのは・・
    「緊張感をもって」という部分である。この「〇〇感をもって」という表現は他にも(首相もよく使われる)「スピード感をもって」というものもある。

    prdt-kisida
    画像は「TBS NEWS DIG」より引用

    この「〇〇感をもって」という表現の” 〇〇感”というものは、その言葉を発した個人のあくまでも”主観的な感じ”なのであり、ゆえにその人が”緊張感をもって”あるいは” スピード感をもって”行動・対処する(した)様が、他人あるいは社会からみて一般的、客観的には”緊張して事にあたっているとは言えない”あるいは”迅速な行動とは言えない”として責められても、その弁解で「私(の中で)は緊張感(スピード感)をもって行動しました」と言って逃げることができるずるい表現だ。

    これだから「〇〇感をもって」という表現は”言うだけ”、”言っておく”だけの便利な道具にもなっているようだ。

    やはり、「緊張感をもって」と言わずに「気を引き締めて」あるいは「真剣に」など、そして「スピード感をもって」ではなく「スピーディーに」、「迅速に」、「早急に」と言うほうが(これらもまだ曖昧と言えば曖昧だが)ベターだろう。(大臣たちの発言、答弁の多くは官僚が作成した原稿の読み上げと言われるが、やはり最終的な責任は発言者にあるのは言うまでもないが・・)

    ◎”20”の読み方のイントネーションには従来とはちがったものが出てきている
    同じ”20”でも、その後に付く数詞によってそのイントネーションが異なり、「20才」、「20数人」ではそれぞれ異なる定番のイントネーションがある。(ただし東京圏の標準語以外については分かりませんが)・・では数詞をつけず単に”20”だけを発音するとどうか、我々シニア世代は前記の「20数人」の場合の”20”と同じイントネーション、つまり”に”の高さから少し下げて”じゅ”さらに少し下げて”う”という音程で発音してきた。(音程を折れ線グラフにすれば”右肩下がり”)

    ところが近年、若者(と言っても現在40才代前半の我が息子も入る)は”にじゅう”の”に”より”じゅう”を高くして、つぎの”う”を”あたまの”に”と同じ高さに戻すという音程で発音する。(音程を折れ線グラフにすれば”山型”)

    この”20”の新たな発音イントネーションに対してシニア世代は違和感(気持ち悪さ)をおぼえるが、なんとNHKの若手アナウンサーも使っている状況だから今後はこれが主流になるのか?

    最近のNHKのニュースの一部はAIによる自動音声を使っていて、確かに進歩して人間のナマの声とほぼ同じように聞こえ、イントネーションも自然になっているが、”20”に関してのイントネーションの使い分けは、さてどうなっているのか? 私はまだ確認できていないが・・。

    ここで思い返せば、我々の若い頃、それまでオーディオの”アンプ”のイントネーションは”ア”から下がり”ン”さらに下がって”プ” (音程を折れ線グラフにすれば”右肩下がり”)だったのが、1965(昭和40)年頃には”ア”から”プ”まで抑揚無し(音程を折れ線グラフにすれば”水平”)にして発音していたし、

    同時期、同様に”ギター”もそれまでのイントネーションが折れ線グラフにすれば”右肩下がり”だったものを折れ線グラフにすれば”水平”に発音し始めていたから文句は言えないか・・。

    ◎”ら”抜き言葉や形容詞誤用をテロップでは・・
    例えば、従来なら「見られる」と言っていたものを今や「見れる」と言って、いわゆる”ら”抜き言葉を使う(助動詞の誤用)人が非常に多い。しかしテレビ各局では、ある人が”ら”抜き言葉を使ってもテロップには”ら”を入れて画面に流している。

    他にも、多い例が「すごいきれい」、「すごい感動した」という表現。本来なら「すごく」という副詞を使うところが形容詞になっている。この場合もテレビ画面には副詞に換えたテロップが流れている。

    しかし”ら抜き言葉の使用”とこの“形容詞誤用”の双方とも意味は十分通じてしまうから、将来もこの流れは続いて定着するのだろう。テレビなどのテロップも変わるのだろうか?

    ◎鼻濁音を使ってやわらかな表現をする人たち
    鼻濁音とはどんなものなのか説明すると長くなるのですが、実例として分かりやすいのは、「が」という音が”言葉のアタマ(先頭)ではなく途中にきた場合”と”助詞として使われる場合”に、「が」を鼻に抜けるようにして「が」のように発音するもの。これによって話し言葉全体がやわらかい感じになる。

    鼻濁音について少し詳しくは私の過去のブログ(2018.8.18発信)の後半部分を参照ください

    かつて国民的歌手の美空ひばりは鼻濁音を顕著に使った。

    美空ひばり 切手(1997=平成9年発行:日本郵便HPより)
    misora-hibari

    しかし、現在は鼻濁音を聞くことが少なくなっている中で、私は最近のテレビ放送の中に鼻濁音を目立って使っている人を二人見つけていて、その一人が・・

    北條真紀子さん(1972=昭和47年生まれ):24時間テレビ通販番組「ショップチャンネル」のキャスト(商品紹介説明員)。同チャンネルには29人のキャストがいて、中には”言葉を畳みかけるようにガンガン連射する”人もいるが、北條さんは「北條節」とまで称される”極めて心地よい語り”をする人。これには鼻濁音を豊富に使っていることの影響も大きい。

    北條真紀子(「ショップチャンネル」HPより)
    houjyou-m

    この人、実は「ショップチャンネル」の社員ではなく、某派遣会社からの派遣員だが、2001年28才からこの仕事に従事して21年、その魅力の”語り方”にファンも多くて、休暇などで番組への登場がちょっとでも途切れると、ファンからこの番組主体のジュピターショップチャンネル社に問い合わせがあるくらいの人気。

    以前は昼間時間帯にも出ていたが、看板キャストだけに、”テレビ通販のゴールデンタイムである午前0時~2時”の担当が主になったようなので、私も最近は顔を見ることが殆どなくなっている。    

    そしてもう一人が・・

    ホラン千秋(1988=昭和63年生まれ。父はアイルランド人、母は日本人):タレントであり、現在TBS系の夕方の報道番組「Nスタ」のキャスターも担当しているが、この人の鼻濁音も顕著。

    ホラン千秋(TBS「Nスタ」テレビ画面より)
    tiaki-horan (2)

    国際結婚した母親が、我が子には鼻濁音を使うやわらかな良き日本語を意識的に教えたのであろうと、私は想像している。

    しかし、この鼻濁音というものも消滅に向かうのだろうか?
    ・・・・・・・・・・・・
    以上、最近の日本語で私が気になる”表現”をあげてみました。
    ・・・・・・・・・・・・

    前回はカナ文字点字関連についてでしたが今回は漢字も肝心ということで・・ (文中敬称略)

    ◎「漢点字」の有難さ
    日本語の点字は基本的にカナ文字を表すものなので、点字から得られる第一次的情報は表音文字の羅列であり、”漢字が使われている文章“を点字化したものからは、表意文字である漢字の良き味わいが伝わらないという一面がある。

    川上泰一(かわかみたいいち:1917=大正6年~1994=平成6年:東京物理大学(現 東京理科大学)卒)が大阪府立盲学校で教師をしていて、視覚障がいの生徒たちが”漢字というものの存在”を知らないことに驚くと同時にこの状況を打破してあげようと決意。

    そこで点字で漢字も表せないかと考え、従来の点字の形式である6点の上に”漢字であることを表す2点”を加えた「漢点字」を考案して1970(昭和45)年に公表した。


    kantenji

    ↑↓川上泰一 (図と写真は朝日新聞2009.11.30より引用)
    kawakami-t (2)

    その後、1987(昭和62)年に「漢点字協会」設立。コンピュータ利用による漢点字関連の自動化や” 漢点字化した漢字”の数を増やし、遂に「大字典」(講談社)の1万4924字の漢点字化を完成。現在は漢点字に関する日本工業規格(J I S)も設定されている。

    現在、点字が読める人たち3万人の内で漢点字が読める人は約1000人しかいないが、漢字が読めるようになって漢字のもつ豊かな表現力を知ったある視覚障がい者は「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と言う

    ◎”漢字否定し、カナ文字やローマ字推奨派もいるが・・
    明治時代末期に漢字廃止論が盛んになり、1920(大正9)年に大阪で「仮名文字協会」が発足。”漢字廃止。カナで左から横書き”を主張して機関誌「カナ ノ ヒカリ」発行。1923(大正12)年に「カナモジカイ」に改称してし、政府の国語審議会や国立国語研究所にも1960年代まで参加協力。現在も活動継続しているが、かつて財団法人だったが現在は任意団体となっている。

    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」
    (「古書の旭文堂書店」通販サイトより引用)
    kananohikari (2)

    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」ダイ イチ ゴウ(第1号)のカナによる文章一部
    kananohikari2

    カタカナを推奨するカナアモジカイとは別に”ひらがな”を推す人もいる。
    ↓さいとう きょうぞう 作成 「ひらがなぶんこ 坊ちゃん 夏目漱石」の部分(我が家の倉庫に保管中に雨漏りで少々かび付着でお見苦しい点 ご容赦ください) (クリックで拡大)
    hiraganabunko2

    カナモジカイと同様な趣旨で、日本語をローマ字で表現しようと主張する「日本ローマ字会」と「日本のローマ字社」も存在する。実はこの動きはカナ文字化主張派出現よりそうとう早く、1969(明治2)年に始まり、1885(明治18)年には前身である「羅馬字会」が創立されている。

    カナモジカイやローマ字会に限らず、”漢字の存在が日本の文化や教育の発展、情報伝達を妨げている”とする見解を述べる学者や”小説の世界でも漢字の使用頻度が少なくなってきているとみて、実際に泉鏡花(←語彙の豊富さにあの三島由紀夫も驚いていた)から現代作家にかけての多数の小説内の漢字数が確実に減っている”ことを調べ上げた学者もいて、”漢字は将来、消滅する”という学者の方々がおられる。

    しかしながら、これらの説、見解は”効率に視点を置いたもので、漢字を配置した文章から受けるイメージや情緒のような面は排除されている”ように感じられ、それはあたかも”文明偏重、文化軽視”につながるように思える。しかも”カナのみ使用の欠点”として”同音異義語問題”は 必ず挙げられる。

    加えて、カナモジカイが当初発表した設立趣意文には、”日本にとって重い荷物となっている漢字”は・・「シナ カラ ノ カリモノ! オタガイ ニ キ ガ ツケバ、カエシテ シマオウ デワ ナイカ」※・・としている部分があるが、これを徹底するには・・

    漢字で出来ている熟語はほとんどが(中国由来の)”音(おん)読み”であり、それをそのままカナにするのは矛盾があることになるから、その熟語を”やまとことば”になおしてからカナ文字化しなければならず、そうなると必ずや字数が増えて、作文するにも読文するにも非効率となる。

    「シナ」と言う言葉は本来、古代中国の秦が語源であり英語のチャイナの源でもあるものの、かつて日本は中国の蔑称としてシナ(支那)を使っていたので現在は使わないことが主流で、放送業界でも使用自粛語とされている。現代の中国(人)もこの言葉を拒否する。カナモジカイが当初に発した文言にも当時のシナ観のニュアンスが感じられる。(私が子供の頃には使われていた「支那そば」(現、ラーメン)や「シナチク」(現、メンマ)はほぼ使われなくなったが「南(東)シナ海」の呼称はどうなるのか?)

    どうもカナ文字推進論者の方たちは”漢字の持つ意味、字態(体)が脳裏にしみ込んでいる状態”がベースになっていて、カナ文字化したものに接しても無意識のうちに該当する漢字が浮かびあがるから不都合を感じないのではないかと思える。

    あらためて、前述のように”漢字の存在を知らなかった視覚障がい者が漢字を認知したら「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と表現する”ということには、漢字の存在意義を再認識しなければならないだろう。

    以上のように、文章を書くという場合において漢字は効率的にはカナなどに劣るが良い面もあり、カナは効率的には良いが問題もあるので、昔は困っていたが・・

    今やパソコンなどを使用して文章作成することによって問題はほぼ解消するので、漢字・かな・カナ混じり文は安泰であろう。 

    私が自然に実践しているので一つ言えることは、急いで手書きで文章作成したりメモしたりする際にはカナ書きすることが多いので、カナ主体文も時と場合によっては”アリ!”と言える。
    ・・・・・・・・・・・・
    点字に関してのお話、糖尿病との関連も含めて、次回の(3)に続けます。
    ・・・・・・・・・・・・・

    ◎「点字制定記念日」の11月1日
    11月1日は「点字制定記念日」。その由来は、日本の点字の父と言われる石川倉次(いしかわくらじ:1859=安政6年~1944=昭和19年)が、既にフランス人のルイ・ブライユによって完成していた”6個の点の組み合わせによる”アルファベット用点字を応用して作った日本語のカナ用(6点)点字の方式が正式採用された日が1890(明治23)年11月1日だったことから。

    ↓点字(カナ)例
    6ten-tenji

    引用した上図を含む点字自体の詳細説明は・・こちら

    ↓石川倉次 (写真は筑波大学附属視覚特別支援学校のHPより引用)
    ishikawakuraji

    石川はその後も東京盲唖学校などで教師をしながら点字に関する研究を続けて、視覚障がい者がいつでもどこでも表現できる「懐中点字器」や「石川式点字タイプライター」を開発するなど日本の点字発展に尽力した。
    tenjiwrighter (3)
    写真は(千葉)「県民だより」2017年12月5日号より引用

    ◎視覚障がい関連の基礎情報と用語

    〇日本の視覚障がい者数:約164万人(ロービジョン者:145万人/失明者:19万人)
      ・ロービジョン者・・よく見える方の目の矯正視力が0.1~0.5
      ・失明者・・・・・よく見える方の目の矯正視力が0.1未満

    ※上記の分類と推計は日本眼科医会によるものであり、厚労省による” 日本の視覚障がい者数:約31万人”と大きく相違しているが、両者の調査基準の違いとともに視覚障がい者の実数が掴みづらい結果と言われる。(障がいがあっても申告しない人や障害者手帳をもらわない人がいるなどのため)

    〇毎年の失明者発生数:約3000人

    〇中途失明(者):生まれつきではなく、ある時期までは目が見えていた(人)

    〇点字が読める人:約3万人 (日本国内)

    〇この分野でよく使われる、対峙語
    ・視覚障がい者(障害者/障碍者) ⇔ 晴眼者(目が見える人)
    ・点字 ⇔ 墨字(すみじ:印刷または手書きされた文字)

    〇「ライトハウス」:視覚障がい者の為の情報発信、悩み相談対処、職業訓練(はり、灸、マッサージ)、受け入れ施設斡旋、盲導犬斡旋など行う機関・施設。大阪に「日本ライトハウス」がある他、「京都ライトハウス」、「東京ライトハウス」など各県(全てかは当筆者未確認)にライトハウスが存在。本来「lighthouse」は灯台のことだが、灯台の光の様に視覚障がい者の人生航路を明るく導く意味が込められている。

    ◎石川倉次は浜松に生まれ、東京の染井霊園に眠る
    石川倉次は幕末に遠江国(とおとうみのくに)浜松藩(現、静岡県浜松市)の武士の子として生まれた。明治維新直後に父が仕える君主が国替えとなったので、それに伴って上総国の鶴舞藩(現、千葉県市原市)に転居。時に倉次10才で、以後学業優秀で教員になって千葉県内のいくつかの小学校に勤務していたが茂原小学校校長時に、東京の盲学校教員になって欲しいという強力な要請が当時の盲唖教育の実力者からあり、28才で上京して以降、視覚障がい者と聴覚障がい(発音障がい)者教育に専念しながら点字とその関連機器などを開発した。

    私が現在住んでいる千葉県では”点字の父 石川倉次”が10才から28才までを過ごしたことによって、何かと氏の名前が出てくるので、今回このブログのテーマに”点字”を選んでみたわけです。

    石川倉次は今、東京都豊島区にある「東京都立 染井霊園」に眠っています。東京のゆえか、いくつかある大きな霊園には多くの有名人の墓があり、この染井霊園には芥川龍之介、谷崎潤一郎、田沼意次、高村光雲、高村光太郎、高村智恵子、水原秋櫻子、岡倉天心、二葉亭四迷、遠山金四郎景元たちも眠っています。  (↓クリックで拡大)
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    ↑↓「染井霊園MAP」(東京都豊島区文化観光課 発行)(見易くするため筆者が二分)
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    お話が飛びますが・・現在日本の代表的な桜である「染井吉野※」はこの霊園の在るあたりで生まれたそうで、ここは昔、染井村と称して植木職人の町であり、そこで江戸時代後期にたまたま”花だけが先に咲いて葉が後から出る美しい桜”が一本だけ生まれたもので、(現代の科学的分析によって「染井吉野」の母親は「エドヒガン」、父親は「オオシマザクラの雑種」ということが判っている)それを染井の植木職人が、有名な奈良県の吉野の桜の名を借りて染井吉野と命名し、その一本を接ぎ木でどんどん増やし、この方法が後世にも受け継がれて日本中に増殖したので全国クローンだらけの桜模様となっている。 ※植物学者たちは、最初の一本を純粋に受け継ぐ「染井吉野」と純粋とは言えない「ソメイヨシノ」があるとして区別している。

    石川倉次が少年・青年期を過ごした、現在の千葉県市原市鶴舞には、現在「千葉県立市原特別支援学校つるまい風の丘分校」という視覚障がいなどの児童のための学校がおかれている。また鶴舞地区は桜の名所であり、氏は今、染井吉野という桜の発祥地に眠っている・・というわけで"桜"に縁があるようです。
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    点字に関してのお話、長くなるので次回に続けます。P.S. 下記ご参考までに・・
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    11月1日を「〇〇記念日」や「〇〇の日」としている例は、点字制定記念日の他にも沢山あって・・(ワンワンワンの) 犬の日 灯台記念日紅茶の日すしの日本格焼酎の日泡盛の日川の恵みの日野沢菜の日石勝線(せきしょうせん:北海道)開業の日東武鉄道創立記念日明治神宮創建の日山手線環状運転開始の日計量記念日古典の日教育の日生命保険の日カーペットの日サービス介助士の日ラジオ体操の日自衛隊記念日警備の日本の日ダーツの日名木伝承の日紅茶の日玄米茶の日ソーセージの日いい医療の日スーパーカーの日世界ヴィーガン デーなどで、各々その由来などを掲げると大変な量になるので割愛しますが・・詳細は・・
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    このブログ発信時点では、ウクライナの港からの農作物輸出が再開されるかどうか怪しい状況で、この先どうなるのか? 船舶による輸送が滞って倉庫には小麦だけでなくヒマワリの種と油までも大量に滞留しているので世界的な食糧危機を招いているが、一方、航空機による物資輸送にも支障がでているはず。

    私は、チェリノブイリ原発と、ただ1機しか存在しない世界最大の輸送機「アントノフAn225」がウクライナにあったとは知りませんでしたが、報道写真で”ロシア軍によって破壊されたアントノフ機の無残な姿“を見てショックを受けた。

    破壊されたアントノフAn225(朝日新聞デジタルより引用)
    broken225

    アントノフAn225には一回り小さいアントノフAn124が存在することは私も知っていたので、225破壊のニュースばかりの中、124は大丈夫だったのか心配したが、これも残念ながら225近くに駐機していたので一部損壊していることもその後に知って二重にショック! しかしウクライナにはAn124が7機もあり、無傷のものもあるそうで少し安心した。

    この2機種はその大きさゆえに”チャーターされて”緊急かつ大量または大型の物資”輸送に世界的に大活躍していたので、これから困る企業や地域、国が出てくるのではないかと気になるところ。 この2機種の概要とその活躍とは・・

    ◎世界最大輸送機「アントノフAn225(愛称:ムリヤ/ムリーヤ)」
    全長84m/全幅88.7m/最大積載量250t/最大離陸重量640t/エンジン6基
    Antonov225all
    An225(Wikipediaより)
    車輪の数がすごいAn225!(Automotive media ResponseのHPより)
    antonov20rin

    An225の活躍例
    ・2008年:サモア沖地震被災地への救援物資輸送
    ・2010年:ハイチ大地震復興支援物資等輸送(日本の防衛省がチャーター)
    ・2011年:東日本大震災救援物資150トンの日本向け輸送(フランス政府がチャーター)
    ・2020年:中国・天津からの医療品をカナダへ輸送

    ◎大型輸送機「アントノフAn124(愛称:ルスラン/ルスラーン)
    全長68.96m/全幅78.3m/最大積載量150t/最大離陸重量405t/エンジン4基 
    (エンジン1基は4トン、主翼の中のタンクには燃料のケロシン25万リットル、荷室床はチタン製、30トンクレーン内蔵)

    An124(以下写真4枚はディスカバリーチャンネルテレビより引用)
    antonof2 (2)

    An124の活躍例
    ・1999年:広島電鉄5000系車両輸送
    ・2003年:自衛隊イラク派遣関連物資輸送
    ・2010年:自衛隊海外派遣に伴う重機、ヘリコプター(チヌーク)輸送
    (防衛省は自衛隊海外派遣に伴うチャーターをその他多数回行っている。) 
    ・2011年:東日本大震災時の福島第一原発事故処理用の注水ポンプ車をドイツから輸送。
    ・2014年~:ボーイング787型機の一部製造担当の日本工場への機材や部品の輸送に頻繁に飛来。 (中部国際空港着)
    ・NASAや三菱電機の人工衛星の運搬に多用されている。
    ・(発生年不詳)世界最大の風力発電機メーカーであるヴェスタス社(本社:米国コロラド州デンバー)が直径67メートルの風車の発電機を受注したが、そのブレード(羽根)(1枚30数メートル)の”成型用の型”が中国の上海にあったものをデンバーに戻す必要が生じ、しかも納期の関係で短時間に実行するためにAn124をチャーター。その結果チャーター発注から72時間で到着(飛行距離約1万キロ)。もしこれが船便なら1ケ月半から2ケ月かかるもの。
    ブレード成型用の型の輸送に使われたAn124
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    上海から米国デンバーへの途中An124の機中から見えた富士山
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    デンバーに到着した”風力発電機ブレード成型用型”(長さ30数メートル)をAn124後部から引き出す作業(この機種では積載物の出し入れは機体頭部からもできる)
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    ◎An225、An124参考
    ・An225は旧ソ連において”ソ連版スペースシャトル「ブラン」”を運搬するためにAn124(1982年初飛行)をベースにして大型化し、ブランを背負うかたちになるようにアントノフ設計局が設計して作られ、1988年に一度だけ飛行したが、ほどなくソ連崩壊により、その役目は終わった。

    ブランを背負って飛ぶAn225(米国ではボーイング747がスペースシャトルを背負って飛行)
      (vasily koba wikimediaより引用)
    buran-0n-255

    ・ソ連崩壊後はAn225や124をウクライナの「O.K.アントノフ記念航空科学技術複合体」が所有と開発を行っていて、子会社の「アントノフ航空」がAn124と225を大型積載物輸送用にチャーター機とするビジネスを展開している。

    ・An124はソ連時代からの生産累計は56機で現存は52機。内26機はロシアが軍用機として使用中。残り26機が民間用で、7機がウクライナのアントノフ航空所有。12機をロシアのヴォルガ・ドニエプル航空が所有。このヴォルガ・ドニエプル航空のAn124は2010年の自衛隊海外派遣に伴う重機、ヘリコプター輸送時やボーイング社の787日本製造工場への部品等輸送などにチャーターされている。

    ロシアによって破壊されたAn255は修復不可能だが、実は別に同型のもう1機が70%まで製造途中だったのでこれを完成させるとウクライナ政府が発表している。

    ・超大型機のため対応空港が限られるが、日本では成田、仙台、中部(セントレア)などの空港、米軍横田基地にも飛来している。中部国際空港は途中給油目的の場合も多い。米軍もチャーターすることが多くて横田にも多い。

    ◎世界の大型輸送機比較表 (Wikipediaより)
    An124と225が登場するまでは米国のロッキード(現、ロッキード・マーティン)社のC5B(愛称:ギャラクシー)が世界最大輸送機だった。
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    ロシアによるウクライナ攻撃が早急に停止されて、アントノフ航空は勿論、今は利用が避けられているだろうロシアのヴォルガ・ドニエプル航空も加わって再び世界の重要な物資輸送のためにAn225と124が飛び回る日が待たれる。
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    近年、なにかと「持続可能性(サステナブル)」が重視される中で、かつて日常的によく使われていた素材が主に石油由来のものに置き換わってきたものの、持続可能性があるゆえに再び復活して採用されることが増えてきた。その例として”私的に注目するもの”を少しとりあげてみた。

    ◎「セロハン」再登場
    つい最近のこと、ある集会で出されたお菓子の中に”ひとくちチョコレート”あり、手にとってみたら透明な包み紙のなんとなく指先にしっとりと馴染むような懐かしい感覚は・・もしかしてセロハンか?と思ってよく見ると、透明な中に一部文字印刷で「個包装紙:セロハン」とある。「やはり」と思うと同時に、このセロハンの触感を知らない若い人たちは多いだろうとも思えた。
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    包み紙をのばすと「個包装紙:セロハン」と印刷あり
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    セロハンの製造工程は・・木材→パルプを粉砕してセルロース→水酸化ナトリウム、二硫化炭素を加えてビスコースになる→スリットを通して薄い膜→硫酸で中和→セルロースに戻る=透明なセロハン紙・・となる。

    ※セルロースは植物の細胞壁や植物繊維の主成分であり、全ての植物の1/3の量を占めることになり、これは地球上でもっとも多く存在する炭水化物。

    ※ビスコースをスリットではなく、細い穴から繊維状にとりだしたものが「レーヨン」(別称:ビスコースレーヨン)

    セロハンの特長と用途
    ・透明、光沢。
    ・非帯電性でゴミや埃が付かない、細菌通さないなど衛生的→食品包装材料
    ・飴などを包んで両端をねじったものが勝手にほどけない。
    ・紙なので古紙リサイクルできる。
    ・土やコンポスト処理では水と有機物に分解される。
    ・燃焼時の発熱量はプラスチックより少なく、有害ガス出ない。
    ・袋などにした場合、端から裂けやすく開封しやすい(場合によっては弱点にもなるが・・)

    セロハンの弱点
    ・吸水すると軟化してフニャフニャになる
    ・乾燥しすぎると脆く、破れやすい。
    ・熱で反る。

    ※弱点対策品として「防湿セロハン」があるが、これは普通のセロハンの表面にポリ塩化ビニリデンを塗布したもので、こうなると純植物性ではなくなる。

    このように、セロハンは、適正に管理された木材供給源からなら持続的に得られる原料で作られるモノであり、その他の地球にやさしい長所も活かし、弱点を考慮しながら再び採用すべきものだろう。

    ◎「カポック」は”エコ重視時代”に再注目で登場?!
    観葉植物として普及しているカポックですが、日本にはいつ頃から存在しているのだろうか?
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    私がカポックという植物を知ったのは1960年代前期(昭和30年代後半)に、「カポック・コーン」採用のスピーカーといううたい文句でフォスター電機(株)(当時のブランド名は「FOSTER」、現在は「FOSTEX」※)から「FE-201」などの品番の商品の広告が電気雑誌に頻繁に掲載されていたからで、ただし当時はカポックがどういう姿をしているかなど知らなかった。

    コーン部(振動板)にカポック採用のFOSTER FE-201 20センチ口径ダブルコーン フルレンジスピーカー
    foster-fe-201
    話は少しそれるが、フォスター電機という会社は技術力が優れ、ソニー、ヤマハ、ゼンハイザーなど多数の大メーカーのスピーカーを製造している(いわゆるOEM)し、全世界の自動車の車載スピーカーの10パーセントは同社製。それゆえに早くからスピーカーのコーンの材料の研究開発にも取り組んだのでカポックも60年近く前には採用していたわけで、現在は例のケナフも当然のように使用しているのだそうだ。

    ところで、以前に紹介したイタリアのソナス・ファーベル社の製造するスピーカーのコーンの一部には”ケナフが使われている”と紹介しましたが、同時にカポックも使われているとのこと。
    speaker (2)

    さて、カポックのいかなる部分を使っているのか・・それは大木になってできる”長さ20センチくらいの紡錘形の実の中の種のまわりに綿のように着く繊維”。・・ということは、木を伐採せずに実だけを使うのでサステナブル・・というところが素晴らしい!
    kapok1

    kapok2

    kapok3

    最近、カポックを積極的に活用する会社が注目されている。それが「KAPOK JAPAN(株)」(社長:深井喜翔)。
    同社の活動趣旨は・・「生産者、消費者、地球環境、全てに無理のない形を模索しながらサステナブルで機能的な素材を世界中に届ける」 (上の3枚のカポック写真は同社公式サイトから引用)
    https://kapok-japan.com/

    従来、カポックの繊維は短くて衣料用の糸に向いていなかった弱点を、旭化成との共同開発で解決して、シートやコートの製造をしていて、順次商品陣容を増やす計画。

    ◎復活して欲しいモノ(1)経木(きょうぎ)
    経木とは木材を薄く削った板で、元は経典を写すのに高価な紙の代わりに使われたのでこの名が付いた。厚みは1ミリ~0.05ミリくらいで、厚いものは駅弁などの折箱などに使われ、薄いものは昔は食料品店などで品物を包んで客に渡されたりした。材質は杉、檜、赤松などが使われた。

    経木(一例:赤松材15×51センチ 100枚3618円)(ヤフーショッピングサイトより引用)
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    厚手の経木使用の”わっぱ”(128×50ミリ 10個1990円税別)(モノタロウサイトより引用)
    kyougi-wappa
    経木が食品に使われたのには訳があり、殺菌力、抗菌性、吸水性、保湿性があるから。そして廃棄しても土に戻ったり、バイオマスにも使える。もちろん石油由来でもない・・ということで近年再登場の動きあり。

    私が個人的に切望するのは、”経木に包んだ納豆”であり、理由は”納豆と経木の香りが絶妙に合うから”で、現在のような無臭の発泡スチロール容器に入ったものはもちろん、昔のように”わらずと”に包まれて”わら”の匂いが勝ってしまっているのもダメ。発酵食品の権威である小泉武夫氏も”経木に包んだ納豆は味がワンランクアップする”と言われている。

    私が子供の頃は、毎朝に納豆売りの少年が「ナアットナットーナットー」という発声で路地をまわっていた。
    その納豆は一辺が10センチくらいの正三角形になるように折りたたんだ経木の中にくるまれていた。量としては100グラムぐらい? いや当時はまだ尺貫法時代だから30匁(112.5グラム)だったかも知れない。

    その香りからすると経木は杉ではなかったが、檜なのか赤松だったのかわからない。しかし納豆には赤松材が最適らしいが、赤松は松茸のモトだから悩ましいものと思ったら、計画伐採によって赤松の経木はけっこう多く使われているようだ。

    小泉氏自作の経木三角折り納豆を開いた様子
      (「丸ごと小泉武夫マガジン」より引用)
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    余談だが、今の納豆はおいしいものが少ない。それは原料の大豆をなぜか小粒にしてしまっていることが大きな原因で、納豆は大粒のほうが旨い。ということを周囲に広言していたら、いました同意の人が・・俳優の中尾彬が「納豆は大粒に限る!」と、食通の氏が言うから心強い。

    ◎復活して欲しいモノ(2)竹の皮
    以前のブログでも言及しましたが、竹林保全とエコ的有効利用のためにも竹の皮は大いに使うべき。その竹の皮の特長は防腐性、抗菌性、通気性あることなど。これも前出の経木と同様に昔は食品関連に多用されていたものの現在はプラスチック類に代替されてしまっているが、非石油由来素材としても再登場必要。
    竹の皮:長さ47~50センチ、巾12~14センチ(Amazonサイトより)
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    しかし、昔から変わらずに竹皮を使っている例がある。それは「のし梅」と称する和菓子。これは半透明の琥珀色した厚さ3ミリほどの羊羹のような食感の梅の香りする甘酸っぱい味の菓子で、これを2枚の竹皮で挟む格好となっている。私の知る限りでは茨城県と山形県で作られているようだ。実はこの和菓子、私の大好物。
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    竹皮寸法は長さ15センチ、巾4.5センチ
    nosiume2 (2)

    この半なまのような菓子は、防腐性や抗菌性をもつ竹皮が必須だったのでプラスチック素材は不採用になったと考えられる。ちなみにカマボコのかまぼこ板の役目の一つは、製造直後の余分な水分吸収(その結果、カビや細菌の繁殖抑止)と、その後のカマボコ本体の乾燥防止のために逆に水分補給するという水分調整なのでプラスチックは使えないという点では”のし梅”の竹皮採用のケースと似ている。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※「フォスター電機」の前称は・・「信濃音響」・・ついでに電気・電機各社の前称は・・
     「パイオニア」←「福音電機」・・創業者:松本望の父が有力なキリスト教宣教師
     「ソニー」←「東京通信工業」
     「シャープ」←「早川電機」・・創業者:早川徳次がシャープペンシルの発明者
     「富士通ゼネラル」の「ゼネラル」
    「八欧電機」
     「アイワ」(現在は十和田オーディオの子会社)←「愛興電機」
     「パナソニック」←「松下電器産業」
     「オムロン」←「立石電機」
    ・・・・・・・・・・・・・

    ◎きのうの友はきょうの敵
    現在、ポーランドはロシアと戦うウクライナ支援をしているので間接的にはロシアに敵対しているようなもの。しかしロシアがソ連(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)だった時代の1957年10月4日に人類初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げに成功して以降、矢継ぎ早に打ち上げられた草創期に、それを讃えるようにポーランドはソ連の人工衛星図柄の切手を発行していた。それを思うとなにやら「きのうの友はきょうの敵」のような感じですが・・
    polska

    ◎「ソ連の衛星国」という立場や「ワルシャワ条約機構」が影響?
    実は、同様に”ソ連の人工衛星を讃えた切手”を発行した国々が他にもあった。それが何か国にのぼったのか正確には知りませんが、少なくとも私が当時集めた切手から分かることは・・

    ポーランド以外では・・ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、北朝鮮

    ↓ハンガリー(切手での国名表記は”マジャール人の国”として「MAGYAR」)
      (上の切手はソ連の国旗まで表記)
    magyar1
    (下の3枚は人類初の有人宇宙飛行にソ連のボストーク1号に乗って成功したガガーリンとボストーク3,4,5,6号:1966年12月29日の発行切手)(画像3枚はヤフオクより引用)
    gagalin


    magyar-posta

    ↓チェコスロバキア(チェコとスロバキアに分離する前)
    cesko

    ↓東ドイツ(人類初衛星成功の1957年10月4日の日付も右下に明記)
    east-germany

    ↓北朝鮮(ロケットの横腹にはソ連を表すCCCP表記。上はソ連のガガーリン)
    kitacyosen

    これらの国の内、北朝鮮以外は「ソ連の衛星国」と言われ、かつ「ワルシャワ条約機構」の加盟国だったという共通の立場だったのです。(他に「コメコン」=経済相互援助会議という組織もあったが実際には機能しなかった)

    ◎「ソ連の衛星国」とは・・
    まず「衛星国」とは、”一応は独立国家でありながら、大国によって主権を制限されて従属的な国”。
    「ソ連の衛星国」はポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、モンゴル。

    ◎「ワルシャワ条約機構」とは・・
    ”平和と社会主義のための、友好・協力・相互援助に基づく軍事同盟”
    で、ポーランドの首都ワルシャワで調印された故の名称だが本部はモスクワにあった。ワルシャワ条約機構加盟国は、盟主であるソ連、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア。

    「ワルシャワ条約機構」成立に先立つ1949年4月4日に自由主義国間に「北大西洋条約機構」(NATO)が発足したことへの対抗は明らかだが、「ワルシャワ条約機構」の実際の機能は、同盟国=衛星国から抜け出そうとして事件や動乱が起きた国に対してこれをソ連を主体とした武力で鎮圧して離脱阻止するものだった。

    この機構は1955.5.14から1991.7.1まで存続した。(ソ連の正式な崩壊は1991.12.26)

    ということは・・この機構が発足して間もない2年後にソ連による人類初の人工衛星打ち上げが成功したことになり、これは社会主義体制の優秀さの表れであるとして喜び、機構加盟国にとってはまさに”同慶の至り”ゆえに、祝いの切手を発行したのか、それとも”親分”への忖度だったのか?。

    ◎かつてソ連の衛星国で現在はNATOとEU加盟の国
    1991年のソ連崩壊以降、ソ連に従属することから転向してNATOとEUに加盟した国は・・
    チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア。アルバニアはNATO加盟だがEUには未加入。

    ◎「トゥヴァ」(または「タンヌ・トゥヴァ」)という国をご存知?
    私が小学生の頃、収集した切手の中に”菱形”の珍しい1枚があって、それには「POSTA TOUVA」という表記があり、切手情報誌によれば「タンヌ・トーバ」(現在の一般表記と少し違うが)というモンゴルに接する国が発行したものと分かった。
    今回、調べ直したら、「トゥヴァ」はモンゴル北西部に接する国で1921年に「トゥヴァ人民共和国」(それを表記すると「タンヌ・トゥヴァ」)として独立。しかしこの国はソ連による傀儡国であり、世界ではソ連とモンゴルのみが国として承認したものだったので1944年にはソ連に併合された。その後1991年のソ連崩壊後に独立権を得たが、他の衛星国と呼ばれた国々と異なり、新しい「ロシア連邦」の一員となる路を選んで「トゥヴァ共和国」として存在している。
    touva

    上の菱形切手は「トゥヴァ人民共和国」時代に1926年から1936年の間に発行されたもの。

    ◎ソ連の人類初人工衛星の成功記念切手を私はもってないが・・
    他の初期の衛星切手とともに「ツィオルコフスキー」を讃える切手がある。ツィオルコフスキー(1857~1935)はロシア帝国時代からソ連に至る時期に存在した物理学者、数学者、SF作家であり、ロケットの基礎理論を産み、人工衛星登場を予測したりで「宇宙飛行の父」と呼ばれた人物。
    ↓ツィオルコフスキー、ロケット、人工衛星のソ連発行切手
    tiorkovsky
    cccp
    ・・・・・・・・・・・・
    余談ですが、私が外国の歴史的事件発生を年月日まで覚えているのは、ソ連が人類初の人工衛星打ち上げに成功した1957年10月4日の他はフランス革命が始まったとされる1789年7月14日と米国が英国からの独立を宣言した1776年7月4日ぐらいで、それくらいに私の中では人工衛星登場が衝撃的だったのです。
    ・・・・・・・・・・・・

    世の為、人の為になるモノが多い中で、その”良さ”を誰もが享受できることにはならないモノがあるということを、私の身の回りで実際におきた例の中からご紹介!
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    ◎「節水シャワーヘッド」が使えないマンションがある!
    “従来型に比べて節水が出来る”とうたって数社から出ているシャワーヘッドは、従来品よりも水の出口の穴が細かくしかし穴の数は多いという仕様で、結果として少ない水量でシャワー感がえられるが、そのためにはシャワーヘッドへの水圧が確保されないと“いわゆるシャワーのような水(湯)”の勢いの出方にならない。

    水圧は一般の戸建て住宅など地中水道管からの直結配管給水では問題ないが、マンションなど集合住宅内の各戸への給水方式は不足する場合が多く、屋上に在る高置き水槽(給水タンク)から各戸に配水する旧来の方式では(節水シャワーヘッド用の)水圧確保できる場合もあるが、近年普及している「直結給水方式」は受水槽使わずにポンプで加圧して各戸へ直接給水するもので、水圧確保に至らない状態が多く、その場合はシャワーの勢いの水(湯)が出なくなる。

    下図左の受水槽式の場合、地上又は地下に大きな受水槽を設けて屋上の高置水槽は極小さいものであり、昔は地上などの受水槽などが無いので屋上の高置水槽が大きい必要があった。(図は建築ライター/エディターの加藤純 氏のブログより)

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    また、エコキュートなど”電気温水器による温水を保温貯湯したタンクからの給水”も水圧が不足して節水シャワーヘッドが不適合の場合がある。これはつまり、戸建てでもオール電化マンションでも起こりうるということになる。

    マンションに住む息子の家庭ではシャワーをよく使うというので、私どもが節水シャワーヘッドをプレゼントしたら、水圧確保できていないらしく「使い物にならない!」と言うので、結局我が家が引き取り、戸建てだがエコキュートを使っているものの、シャワー時には混合栓使用で普通の水道水と混合して使っているので水圧確保されているためか、不具合無く機能を発揮している。

    これが現在の我が家の節水シャワーヘッド
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    ◎「タンクレストイレ」がマンションによっては使えない
    各社のタンクレストイレ(左から、Panasonic/LIXIL/TOTO)
    3tankless

    タンクレストイレとは、水洗トイレにおいて、従来は便器に流すための水の大きな貯水タンクが存在していたが、これを無くして直接水道水を便器に流すもので、従来便器では1回当たり平均13リットルの水使用が約4リットルで済み大幅に節水となる。しかしこれも先述の節水シャワーヘッドの例に同じく水道の水圧が必要で、やはり戸建て住宅(2階建て以下)における採用に支障はないが、マンションなどの集合住宅では使えないケースが発生することがある。

    当然タンクレストイレのメーカーはこの水圧問題を承知しているので、使用には指定水圧以上を必要条件として明示している。しかしこれではタンクレストイレの拡販・普及が伸び悩むので、タンクレスと称するものの便器の一部に小さなタンクと加圧ポンプを内蔵して、やや水圧不足の水道水直接流と同時併用して問題解決した商品も登場している。

    併用方式例(TOTO)
    hi-brid

    私の別の息子宅もマンションだが数年前、トイレ改装するにあたってタンクレストイレに換えようとしたが、リフォーム業者の水圧計測器で水道水の水圧不足という結果が出て不採用となってしまった。当時は前述のような”小タンク・加圧ポンプ内蔵型”は無かった。

    ◎「骨伝導式補聴器」でも高齢者には効果なし!
    ヒトが音を受け取る最終器官は内耳に在るカタツムリ型をした「蝸牛」という部分で、そこから聴覚神経を通じて脳で感知する。

    音が蝸牛に達する経路は3種あり・・

    (1)”耳の穴から入って鼓膜、3つの小さな骨を介して蝸牛に到達”(その場合の音=気導音) 

    (2)“頭蓋骨(および若干の皮膚)の振動が直接蝸牛に到達” (その場合の音=骨導音) 

    (3)前記(1)(2)の両方による到達。

    “難聴”には3種あり・・

    (A)「伝音性難聴」・・上記(1)の気導音の伝達途中で何らかの障害 (例えば鼓膜破れや中耳炎など) があるもの

    (B)「感音性難聴」・・蝸牛や聴覚神経の機能障害による難聴 

    (C)「混合性難聴」・・(A)(B)の両方による難聴。

    高齢者の「老人性難聴」の原因は前記(B)又は(C)の部類だが、蝸牛や聴覚神経の機能障害と言うよりも”機能減衰”によるもの。

    そう言えば、難聴になったという高齢者を診てみたら、耳の奥に大きな耳垢の固まりが詰まっていることが原因だったということで、これは前記の「伝音性難聴」にあたりそうだが、そんな笑えない話を聞いたことがある!

    難聴に対して使われる補聴器には、一般に普及しているタイプの他に、「骨伝導式補聴器」があり、前記のように頭蓋骨を通じて骨導音を得るものだが、この補聴器が効果を発揮するのは(前記の) 「伝音性難聴」に対してのみなのであり、「老人性難聴」用として特に向いているわけではない。

    私の母も晩年には難聴が進んだので、私の自作のサテライトスピーカー(有線/2スピーカー)でテレビの音を耳の近くで聴いてもらえるようにしたりもした。

    自作サテライトスピーカー(下は100円硬貨)
    satelite-spkr (2)

    一方で耳栓型の補聴器も3種使ってもらったが、物理的に「うっとうしい」と言って拒否されるので、”耳がうっとうしくない” 骨伝導式補聴器を検討したものの、「老人性難聴」に特に向いているものではなく、しかも耳穴以外の頭部でうっとうしさが発生するということが分かったので結局は採用を断念した。

    眼鏡型「骨伝導式補聴器」(リオン(株)社製)
    rionetto-megane (3)

    近年、奈良県立医科大学が開発した「軟骨伝導型補聴器」がリヨン(株)から発売されている。これは拡大した音声の振動部分が耳の上部の軟骨の根元に当たるように置いて使用すれば、従来の骨伝導補聴器よりも音が伝わりやすくなっている。

    軟骨伝導型補聴器(リヨン(株)):右は装着状態
    nankotu-set

    ※「補聴器」と「集音器」がある!
    超高齢社会になって難聴者が多いので増えているのが「集音器」と称する機器。これもひろった音声を大きく聴けるものだが、その音質などの特性はメーカー側が設定した一方的なモノがほとんどの電気製品と言うべきもので誰でも簡単に買えるが、一方の補聴器は薬事法による管理医療器の認定を受けたものであり、指定医療機関を受診して、個人の難聴度とその原因などに合わせて機器特製が調整されたうえで購入できるものであり、この補聴器は医療機器承認番号が取得されたものとなる。当然補聴器は高額となる。例えば前出の軟骨伝導型補聴器(リヨン(株))は片耳当たり30万円。一方の集音器は5千円台からある。

    骨伝導式集音器(Bonein社製)
    kotudendou (2)

    ※通話用骨伝導器は軍隊などでは重要
    軍事用の通話はマイク付き骨伝導受話器で行い、あいている耳では各種警報や銃撃音などを確実に聞き取る方法が米国軍などでは多いそうだ。

    ※難聴のベートーベンもエジソンも骨伝導を利用していた!
    難聴になったベートーベンは指揮棒(タクト)を口にくわえて、その先端をピアノに押し付けて伝わってくる音が歯から頭骨に響くのを確かめながら作曲を続けたという話がある。

    少年期からすでに難聴だったエジソンはなぜか自分自身のためはおろか、補聴器の発明の依頼があっても実行しなかったが、自身は”音を発するモノ”に歯で噛んだ金属板の端を当てて伝わってくる音を頼りに実験をしたりしていたし、彼が愛用したピアノは歯を通しての音を聴くための歯型が残っていたそうだ。つまり二人とも骨伝導を利用していた。

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    5月半ばの今、ハコネウツギの紅白の花が咲いている。この赤と白の色を見て連想するのは、”かつてロシア革命時期には赤系と白系の人たち?がいた”・・ということ。
    ハコネウツギの花(正確には赤ではなく濃いピンクだが・・)
    utugi2 (2)

    ◎ロシアから亡命した「白系ロシア人」
    「白系ロシア人」とは、1917年に労働者や農民によってロシア革命が起きて帝政が終わり、レーニンが主導する社会主義体制にしたものの、対抗する反革命勢力も生まれて、これを掃討するためにトロツキーによって編成された「赤軍」と反体制派の「白軍」が3年間戦った末に「赤軍」が勝利したが、革命直後から白軍敗戦直後にかけて、それまで帝政側にいた貴族や富豪、一部市民らは他国に亡命した。

    その亡命した人たちが「白系ロシア人」と呼ばれ、その総数は約200万人と言われる。

    ちなみに、現在のロシアには居られないとして”ロシアから脱出したロシア人”は今年1~3月の間に388万人に達している。

    ※革命後のロシアがソ連(ソビエト社会主義共和国連峰)として建国宣言したのは1922年12月30日であり、国際的に国家承認されたのは1924年2月1日なので、革命直後から国家承認されるまでの約7年の間に亡命した人たちは"ソ連人"ではないので、白系の"ロシア人"と呼べることになる。

    ◎日本に亡命した白系ロシア人
    白系ロシア人の多くは西側ヨーロッパに向かったが、日本にも若干数の人たちが来て定住した。1936年(昭和11=2.26事件起きた年)の内務省調査では、日本在留外国人数は4万865人。その内の白系ロシア人の数は1294人で横浜や神戸に住んでいる人が多かった。

    白系ロシア人の中でも日本で活躍して名を残した人たちは・・

    〇 スタルヒン(1916~1957)
    sutaruhin
    日本のプロ野球の草創期において投手として巨人軍などで活躍し、生涯通算303勝・176敗。父はロシア帝国の将校だったので革命後は白軍に加わったが結局は亡命してシベリア経由で妻とスタルヒンを連れて北海道・旭川にたどり着いて、そこでスタルヒンは育ち、学生野球の投手として有名になるまでになっていたものを、当時始まった日米親善野球での日本側の弱体を打開するために引っ張り出されて(同目的で引っ張りだされたのが沢村栄治)、以後彼は有名になった。しかし40才で事故死するまでも日本国籍を得られず無国籍だった。彼の最初の妻も白系ロシア人だった。

    〇 モロゾフ(フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ:1880~1971)
    morozoff-mk
    ロシア革命後に亡命してきて神戸で、ある人から出資を受けて「神戸モロゾフ製菓」を創業。しかしその後に出資者と対立して裁判の結果、退社を余儀なくされた上に「モロゾフ」の商標も使用できなくなり、以後の経営は出資者側が行って現在の菓子メーカー「モロゾフ(株)」に至っている。モロゾフ氏側はその後に息子が「バレンタイン製菓店」開業し、戦後「(有)コスモポリタン製菓」と改称。しかし、こちらの会社は2006年に廃業した。

    モロゾフ氏は創業翌年の1932年には”バレンタインデーにはチョコレート”を推奨して、これが日本最初と言われているが、「メリーチョコレートカムパニー」も同様に最初とされていて、決着不明。

    〇 ゴンチャロフ(マカロフ・ゴンチャロフ:生没年不詳)
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    ロマノフ王朝の宮廷菓子職人だったため、革命後に日本へ亡命。1923(大正12)年に神戸にてチョコレート工房を創業。日本最初のウイスキーボンボンを製造販売した。しかし1934(昭和9)年に退社してその後は不詳だが会社は存続して現在の「ゴンチャロフ製菓(株)」に至っている。

    本人ではなく父親か母親が白系ロシア人の人たち
    〇 大鵬(1940=昭和15年~2013=平成25年)
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    父はロシアのウクライナ・ハリコフのコサック騎兵将校だったが、コサック兵が革命新政府に対して最も抵抗したため、赤軍からの強力な攻撃を受けるのは必至ゆえに
    当時の樺太の日本領に亡命。日本人女性と結婚。生まれたのが後の相撲横綱の大鵬。

    〇 ヘレン・ヒギンス(生没不詳)
    herenhigins
    母が白系ロシア人で父は日本人。1953(昭和28)年に当時の表現として”日本最初の混血モデル”と称されてデビュー。翌1954(昭和29)年~1958(昭和33)年にかけて映画俳優として活躍。その他、テレビ出演もした。

    〇 入江美樹(1944~)(写真は雑誌「マドモアゼル」の表紙:撮影は中村正也)

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    父が白系ロシア人で母は日本人。モデル、女優、ファッションデザイナー。前出のヘレンヒギンスに次いで”日本で2番目の混血モデル”と言われる。夫は指揮者の小澤征爾で息子は小澤征悦

    白系ロシア人だが、ご本人ではなく夫が活躍した・・
    〇 クラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワ(生没年不詳)
    満州のハルビン在任中の杉原千畝(多数のユダヤ人の命のビザを発給) から、白系ロシア人ながら見初められて結婚し1919(大正8)年~1935(昭和10)年まで妻だった。彼女が当時の日本の関東軍からソ連のスパイであるとの噂を流されたので、杉原は彼女とその一族のために苦渋の決断をして離婚した。(その後杉原の二人目の妻となるのが幸子=ゆきこ) 
    ↓杉原千畝
    Sugihara_b
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    私が「白系ロシア人」という言葉を最初に聞いたのは小学4年か5年生の頃だったが、それは母からであって「ヘレンヒギンスは白系ロシア人の血が流れているそうよ」というものだったかで、それ以後私は”ヘレンヒギンス本人が白系ロシア人”であると思い違えていた。その上、彼女がモデルだったことから白系ロシア人とは"同じロシア人の中でも特に色が白い人たちのこと"だと勝手に思い込んでいたというお粗末な思考だったのだが、最近になってやっと間違いとわかったというお恥ずかしい次第。

    蛇足ながら・・テレビやラジオで今のような芸能ニュース、エンタメ情報など殆ど無い時代に、私の母はその分野の情報に詳しかったが、私は後年にその理由が分かった。それは美容院でパーマネントをかける際に、店側が用意した週刊誌をミッチリ読んでいたからだったのでした。

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    20年くらい前のこと、仕事上でお付き合いがあった方が離任されるというご挨拶をされた際に「これまでの感謝をこめて自分で作ったモノですが、お受け取りください」と言われて戴いたのが下の写真の竹製「茶さじ」。現在は表皮(下写真の2枚目)が黄味おびた薄茶色に変化しましたが、当時はまだ新鮮な緑色でした。

    ↓戴いた自作竹製茶さじ(横は100円硬貨)
    tyasaji-tutu (2)

    ↓同品の裏側
    tyasaji2 (2)

    その方は東京在住なのですが、千葉県の太平洋沿いのある土地を購入していて、そこに生えている孟宗竹の間伐材を利用して、茶さじを10個くらい作った・・とのこと。

    それは1個作るのにも時間がけっこうかかることがわかるモノで、その方の気持ちが浸みこんでいると感じ入りました。そして竹の茶さじという”ナチュラルでしかもちょっと風雅なにおいのするモノ”をチョイスされたこの方のクオリティ・オブ・ライフがうかがわれるような気がします。

    私は日本茶をよく飲むので、以後20年、毎日この茶さじを使い続けているほどにまことに実用的であり、これを手にするとこれを下さった方のことが想い浮かぶことも多い・・というわけで、これは大きさや金額的価値などとは無関係で、本当に有難い貴重な戴きモノなのです。

    ◎エコを意識した竹の利用技術、製品は以前からあった
    さて、前回までの竹に関するお話で、日本の竹林の状況と竹の特性を見てきますと、これは何とかもっと竹の活用を(初回にとりあげた”日本産のメンマ作り”の他にも)進めるべきだということを考えるようになります。

    ところで、私の手許には今から15年くらい前に入手した”エコ関連のパンフレットやサンプル類”が残っていますが、その中には”竹素材活用”商品も多数あります・・ということはSDGsという題目などが登場するかなり前からも”竹の利用がエコになる”という考えを基にした研究、商品開発・製造する企業、大学研究室、団体が既に多数出現していたことがわかります。

    ↓私の手許に在る、15年前頃の”竹応用製品のパンフレット類”
    catalogues (2)

    ↓(同時期の)竹フローリング材のカットサンプル
      (150ミリ巾、竹薄板+針葉樹積層板)((株)カリヤ)
    bamb-floor-spl (2)

    ↓(同時期の)竹繊維のサンプル
      (毛髪同等の太さだが、引っ張っても伸びず、毛髪よりも切れにくい)
    bamb-fiber (2)

    ↓有名な「ジグザグチェア」(トーマス・リートフェルト作)の竹製ジェネリック(リプロダクト)商品
    IMG_20220502_0001 (2)

    ◎竹の活用は、ありっタケの知恵で!
    昔から たけのこを食べ、最近は国産メンマも作って食べ、伝統的用具(ざる、かご、くまで、そして焼鳥には必須の串、など)、工芸品などに利用する他に、新しくエコを意識した用途開発をドンドン行うべき、そして最近の研究では”竹抽出エキスにはヒトインフルエンザウイルスの不活性化作用もある”ことが判明したからにはもっと"竹利用の促進!"・・既に以下のような利用事例があるが・・

    〇縦に細かく割った部材を集成材にして・・
    ・竹フローリング材(現在、多数のメーカーが参入)
    ・竹製家具(チェア、テーブル、食器棚など)
    ・内装材(巾木、かまち材、まわり縁など)

    〇縦に大きく割って”雨どいやお菓子の八つ橋のような断面”の状態のモノを特殊な圧力処理をして平たい板にして単板または集成材にする

    〇竹から繊維を取り出して・・
    • 繊維 (竹ファイバー) そのものの商品
    • 竹繊維混入コーン紙のスピーカー(針葉樹繊維より強く、軽いので音域が広がる)
    • 竹繊維主体で木綿・ポリエステルなど少量混紡の布・毛布・靴下(抗菌、防臭、吸湿・放湿、静電気抑止) 
    • 竹繊維混入の和紙
    • 竹綿(わたのようにからませて緩衝材などに)

    〇粉体化・チップ化・ペレット化して・・
    ・各種ボード用、農業用、消臭用材、燃料用に
     ※竹の燃焼カロリーは木材より高く、石炭の7割、重油の5割にも匹敵。

    〇竹炭にして・・
    ・消臭用に
    ・竹炭粉末にして食品添加
    ・竹炭粉末中の残留カリウム利用して肥料の一部に

    〇竹酢(ちくさく)液(一般的には竹炭製造時の乾留と呼ばれる方法で得られる副産物)は・・
    ・園芸での害虫・病害菌の忌避、消臭、農作物用土壌改良、減農薬、入浴剤、蚊などの虫よけ、虫さされのかゆみ消し、食中毒菌滅菌、花粉症治療、健康飲料、ペットの毛のリンス用・・など
    ただし、竹酢液を人体に取り込むまたは直接触れる使い方をする場合には、同じ竹酢でも乾留式の竹酢液よりも「過熱水蒸気処理(←私にはよく分かりません)による竹酢液」のほうが安全とされる。

    ↓竹利用サイクル参考図 (クリックで拡大)

    bamboocycle
    (株)テオリのHP http://www.teori.co.jp/shop/jichiku/index.htm より引用

    ◎竹製床材
    竹の集成材(積層材)にした板として利用。竹を材料とするものの中では量的に最も利用されているようで、最近は新築マンションの全戸の床は全てバンブーフローリング採用という例もある

    <竹の床材の利点>
    1. )竹は硬くて耐久性があり、弾力もあるので、一般家庭のみならず店舗(靴の細いヒールや椅子の脚で踏まれることに対応)、脚への衝撃が和らぐために体育館、福祉施設などにも利用される。
    2. )竹は熱伝導率が高いので、夏は冷たく感じ、冬に床暖房の表面に使えば効率が良い。(実際に床暖房用使用実例は多い)
    ↓床材利用例 (「ボード(株)」=東京新宿区のHPより)
    bamboo-flo2 (2)

    <竹の集成材には2種類ある>

    A) 横型(横目型)・・円筒形の竹を割って外側部分を表面に並べる
    B) 縦型(縦目型)・・円筒形の竹を割って断面部分を表面に並べる

    ↓竹床用集成材の構造図(断面図) (「ボード(株)」=東京新宿区のHPより)
    bamboo-tateyoko
    ※どちらの集成材も各メーカーは「竹の無垢材」と称している

    ↓横型集成材の断面(レンガ積みのような線が見える)
    bamboo-yoko (2)

    ↓縦型集成材の断面(縦線のみが見える)
    bamboo-tate (2)
    上図2枚は「前田木材(株)」=大阪府枚方市のHPより)
    15X90.9X1820mm 10枚セット価格16280円(税込)

    ◎竹製椅子類
    ↓竹集成材を木材とはちがった接合方法で製作した椅子
      59400円(税込)  (「(株)テオリ」=岡山県倉敷市の製品)
    teori-chair6

    ↓竹集成材で製作したスツール
       35900円(税込) (「(株)テオリ」=岡山県倉敷市の製品)
    teori1

    ↓竹細巾単板で製作したスツール
     15950円(税込) (「gudee社」=台湾の製品)
    take-sturu (2)

    ↓竹細巾単板で製作したチェア
     108900円(税込) (「PERFORMAX社」=タイの製品)
    performax2
    ↓竹集成材で製作した”まわり縁”用材
       (「以奈良場木材(株)」=千葉県成田市の製品)
    bamb-mawaributi2

    ↓竹炭粉末、たけのこ入り「竹炭カレー」
        (千葉県の「房の駅」(道の駅の類似業態店)で販売)
    takesumikarei (2)

    ◎竹製床材の問題点
    ・カビが発生することがある
    竹には抗菌、抗酸化、消臭作用があると盛んに言われるものの、矛盾するように実際の竹材使用においては”カビ”が発生する事例も多いようだ。
    その理由としては・・竹材の持つ性質の内、(A)吸湿・放湿性が高い、(B)イネ科である竹には糖分が多い・・という二つがあることで、竹材からの放湿がうまくいかない場合に、残留水分と糖分が栄養となってカビが発生するとされる。
    使用条件が厳しい竹床材は表面をウレタン塗装またはオイル系塗装しているが、これら表面塗膜が何らかの原因で削除されると、その部分にカビ発生することがある。

    ・竹に限らないが、集成材には石油由来の接着剤が大量に使われる
    現在、集成材を作るために使われる接着剤は4種類あるが、その内で”シックハウス症候群の原因の一つのホルムアルデヒドを放散しない”のは「水性高分子・イソシアネート系接着剤」のみであり、これだけでもその使用量は年間2万トン(2017年)にもなる。いずれにせよこれら接着剤の元は石油なので、その使用量削減あるいは接着剤不使用の方法は無いものだろうか?

    それを言い出せば、竹床材表面処理にウレタン塗装やUV塗装が採用されることが多いが、これら塗料も石油由来。しかし、竹特有の"ささくれ"しやすさ防止のためには
    ウレタンやUVの塗装が必須とは思われるものの、エコな代替処理はないものだろうか?

    竹材では、前述のように・・縦に大きく割って”雨どいやお菓子の八つ橋のような断面”の状態のモノを特殊な圧力処理をして平たい板の単板にする。孟宗竹ならば板厚10ミリは確保容易。

    あるいは、何が何でも竹の集成材を使うのではなく、前出の台湾やタイなどで行われている”竹の単板だけでモノを作る方法”も必要。

    ・竹製品用の竹材は竹林豊富な土地、または自社所有の広大竹林から調達すべき
    現在、日本の竹製品メーカーの一部は、竹材を中国から輸入している。前出のメーカーの「テオリ」社はエコ意識が高い会社だが当初はコスト重視で中国材を利用していたものの、その後自社竹林を持つようになった。同社の在る岡山県は元々竹林面積5435haで全国第10位で竹の多い環境だった。(第1位の鹿児島=17927ha/第8位の千葉=5915ha)※2012年時点データ

    しかし前出の(株)カリヤ社は竹床材の製造を止めてしまった。その理由は竹材を中国産に頼らないで調達しようとして無理があった。なにしろ同社が存在する岩手県は竹林面積248haで全国第41位となる竹の少なさで、竹の多い九州から調達するにも輸送コストが高すぎた。私が同社に確認したところ、「当初から竹材の調達には困っていた」という言葉が返ってきた。

    竹材を中国からにしろ国内の遠隔地からにしろ輸送するということはコストの問題だけではなく、輸送にかかわる船やトラックがカーボンを排出することになるので、その意味でも竹に限らないが地産地消が望ましい。
    ・・・・・・・・・・・・・
    “おまけ”情報
    ◎「地震が来たら竹藪に逃げろ」の教えは△
    竹の地下茎は土中で広く張り巡るようになるので、昔から「地震が来たら竹藪に逃げろ」と言われている。しかし、たけのこ掘りの様子を見ると分かるように、地下茎からニョキっと生えているたけのこの根元は地面から30センチくらい?の浅い位置にあり、”竹の地下茎は浅くしか張らない”ので傾斜地では竹林ごと地滑りを起こす可能性も高く、実際に起きた例もあるそうで、竹林絶対安全とは言えないとのこと。

    ・・・・・・・・・・・・
    ※訂正:前回の”竹関連の記述”の中で”最近はケナフという素材は全く使われなくなった”と述べましたが、現在でも使用例があることが分かりましたので“ケナフは現在、ごく一部で使われている”・・とします。(前回ブログ文章も一部訂正済み)

    その使用実例は・・
    イタリアのソナス・ファーベル社の製造販売するスピーカーのコーン紙の一部材料としてケナフも使われている。
    ↓ケナフ混入のコーン紙が使われているスピーカー
     (左一対:50万円 / 右一対:90万円)
    speaker (2)

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    本題に入る前に・・この文章を綴っている最中に「ピンポーン」とチャイムが鳴るので玄関を出てみたら、はす向かい宅の奥さんが大きなたけのこを二つ「これ食べますか?」と言って下さったので有難く頂戴しました。聞けば「知り合いの人の土地の草むしりを手伝ったら、生えていた自家のたけのこのとれたてを沢山くれたので・・」ということでした。これも千葉県の竹の多さを表すような出来事と感じた次第。
    いただいたたけのこ(長さ約30センチ)
    morai-takenoko (2)

    さて、前回から続き、”竹”についてですが、以下、混同を避けるために・・

    ※竹と笹の違い
    竹=成長した幹には皮が付かない / 笹=成長しても幹に皮がついたまま
    英語で竹=BAMBOO / 笹=SASA。
              ↓笹(白っぽい皮が付いている)
    bamboo-sasa (2)

    ◎日本全体の竹林総面積は・・約17万ヘクタール
    竹林総面積17万haは例えるなら岩手県と東京都の面積を併せたくらい。しかし国土に対する森林面積比率が66.4%(世界平均は30%)という森林国である日本の森林の中で竹林の占める割合はわずか0.6%にすぎないとは言え、その実際の広さはバカにならない。
    nihontizu (2)

    ◎「竹林の七県」!(昔の中国の「竹林の七賢」モジり)

    竹林面積が最も多いのは鹿児島=約1万8千ha、つまり鹿児島だけで日本の竹林の1割以上を占め、以下、大分=約1万4千ha、福岡=約1万4千haというふうに竹は熱帯から温帯にかけて生育する植物ゆえに九州と山口、島根までは多く、順位付けすると・・

    1位:鹿児島/2位大分/3位福岡/4位山口/5位島根/6位熊本/7位宮崎・・となり、これを私は「
    竹林の七県」と呼びたい。3世紀頃の中国には「竹林の七賢(人)=ちくりんのしちけん(じん)」と称される7人の知識人がいて、彼らは竹林で酒を呑み、琴の音を聴きながら高尚な談義にふけっていた・・という逸話を中学か高校かで教えられたことを思い出してのこと。

    この
    「竹林の七県」より東や北(四国も含めて)は竹林面積が格段に少ない。(ただし、何故か九州でも佐賀と長崎は少なく、最南県なのに沖縄の竹林は極端に少ない。

    そして北の青森と北海道に至っては竹林面積なんとゼロ。しかし笹は耐寒性あるので両県・道でもしっかり繁茂する。

    ◎千葉県の竹林面積は東京ドーム1490個分
    実感としてどうも千葉県では竹林が多いなと感じるので調べたら、千葉県の竹林総面積=約7千ヘクタールは全国8位であり、東日本の中では断トツの1位となる。その大きさは東京ドーム1490個分であり、浜名湖の約6500haより500ha大きく、東京の世田谷区と千代田区を併せた面積約6971haに近い。
    最左のピンクが世田谷区、ど真ん中の青が千代田区
    tokyo23ku (2)

    ◎放置竹林の拡大! 特に千葉県!
    林野庁の調査によれば、1986(昭和61)年~2012(平成24)年の26年間で日本全体の竹林面積は1万4千ha増えて、この期間に約1割増加している。

    しかし千葉県が県内の大きな竹林7カ所の面積の推移を調べたら、この30年間で平均6.7倍に拡大しているという驚くべき結果がでた。 一方、京都府南部の山城(やましろ)地区では1953年から1978年までの25年間で竹林面積が6.4倍になり、その後1985(昭和60)年までの7年間で1.25倍に落ち着いたがそれでも全国平均を上回る増加率だった。

    山城地区の1978(昭和53)年まではたけのこ増産目的での竹林増加だったが、それ以降は放置による増加とされる。これらの状況が竹林面積で千葉県8位、京都9位というような東側府県の中では特異な多さにつながっているようだ。
    いずれにせよ近年の竹林拡大は、手入れされない放置竹林の増加によるものがほとんど。

    ◎竹林放置の原因
    日本には国有竹林というものが皆無に近く、竹林はほぼ全てが私有地に在るので、所有者の高齢化と後継者不足で竹林管理※ができずに放置されて荒れ放題となっているケースが多い。

    ※竹林管理の例:傘さして竹林の中を歩ければOK
    良質なたけのこ採取のための竹林では、”竹と竹の間を人が傘をさして通れる間隔”が必要とされるので、そうなるように間伐をしなければならないという竹林管理がある。

    しかし竹林放置の元はと言えば、竹の需要が減った影響も大きく、昔は一般住宅の内外の土壁の芯には竹を細く割いたものを縦横の格子状に組んだ竹小舞(たけこまい)というものが使われ、戦時中はコンクリート建物内部の鉄筋の替わりに、なんと竹が使われた例もあるなど竹が大量に必要だった。
    竹小舞に一部土を塗った状態(「HOME’S」のHPより引用)
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    また日常的に使用される竹製の道具などが沢山あったのがプラスチック製に置き換わり(例えば、ザルの類や竹製の団扇が・・)、竹垣に代わるプラスチック垣が増え、野菜市場や八百屋さんには野菜運搬用の”荒く編んだ(網目はピンポン球が通るくらいの大きさ)竹かご“が大量に使われていたが、今はダンボール箱やプラスチックの通函などになった。そして麻雀パイも竹と象牙でできていたものがオールプラスチック(略してオーラス?)になってしまった(笑)。

    さらに竹皮も、昔はおにぎりを包んだり、肉屋さんで買った肉を包んで渡されたりするなど、食品包装用に使われることも多かったが今は非常に少なくなった。

    加えて(これも前回述のように)近年は中国産の安いたけのこ(水煮状態で輸入が多い)におされて、たけのこ栽培を放棄する農家が増えたこともある。

    ところで、エジソンが実用的電球を発明するにあたっては、長時間寿命のフィラメントになる素材を見つけるために約6千種類を試した結果、日本の京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の竹林の竹を炭化させた線材が最適として採用した話は有名だが、そのための京都の竹の需要はいつごろまであったのだろうか?
    エジソン電球のレプリカ(写真は朝日新聞デジタルより)
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    ◎SDGsのためになる”竹の活用”
    前回にも述べましたように、竹林を放置すれば他の森林に侵入したり、道路を破壊したりするなどの害が発生しますが、竹自体の特性には優れた面が多く、その育成管理を適切に行って、かつ加工・利用を増やせば、今で言うSDGsのためにもなる。

    《竹の特長》
    ・成長速度が速い
    竹は毎年、地下茎から生まれて、成長期には1日に1メートルも伸び、3か月で20メートルにもなり、3~5年で立派に成木して、他の木材(平均約50年)に比べ圧倒的に早く利用できるようになる。これによって竹は他の木材よりも資源として持続可能性が高い。(ただし竹は種類にもよるが50年、60年あるいは120年くらいに一度、イネ科である竹だけに稲の穂のような花を咲かせて枯れる)

    ・カーボンニュートラルへの貢献効率が高い
    成長が早いということはCO2の吸収多く、酸素排出多いということであり、大気環境にプラスになる効果度が高いことになる。

    ・幹本体にも皮にも抗菌・防虫性がある。これに関連するが”竹は無農薬栽培”となる。(ただし、伐採直後に高湿度の状態で放置するとカビが発生することがある。)

    ・強度としなやかさ(弾力性)を併せ持ち、他の木材に比べて伸縮性、たわみが少なく、反りや割れも出にくく、変形しない。

    ・”竹炭”にすると木炭より微細な空間を多く持つので吸臭・吸湿効果が高い。

    ・ミネラル(カリウムなど)含む。これは他の木材には無いもの。

    ◎竹は「ケナフ」の二の舞にはならない !
    1990年頃から2000年くらいにかけてか? (私は正確には把握できていないが)、この時期に”ケナフ”ブームがあった。

    ケナフというのはアフリカ原産のアオイ科ハイビスカス属の1年草の植物で、成長が早く、100日~125日(3~4か月)で3.5メートル、太さ最大5センチになるほどで、このスピードは竹には負けるものの、竹よりも密集して生やすことができるのでCO2吸収・酸素排出効果に関しては竹以上も期待できるとされ、またある面では木材の代替素材になるとして、エコを意識した企業はケナフ採用の製品・部品開発に注力した。
    ケナフ栽培林(写真はWikipediaより)
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    一時はトヨタ紡織(株)がレクサスのドア内装部品用に”ケナフ繊維入りの発泡プラスチック材”を製造したり、自治体、団体、学校などでは啓蒙策としてケナフを栽培してみせたり、種を配布したりと過熱状態であった。(私も種をもらったことがあるものの、それを蒔く前に紛失してしまった)

    ところが、ケナフを実際に利用するには問題が多いことが判明してきて、一気にケナフ熱は冷めて今やケナフの”ケ”の字もない。(←後日訂正:現在、イタリアのソナス・ファーベル社の製造販売するスピーカーのコーン紙の一部材料としてケナフが使われているわずかな例はある)

    ケナフの問題点(欠点)に対して竹は・・
    ・まず、ケナフは草の仲間だから木材と同じ用途には使えない。対して竹は使用目的によっては木材より優れる面があり、また集成材にすれば木材と同様な使用が可能。

    ・1年草のケナフは毎年種を撒いてから急成長するための栄養を土中から大量に吸収してしまうので、その土地での連作が不可能となること。対して竹も同じように成長が速いが、親の竹から地下茎を通じて栄養を供給されて成長するので連作障害というものは無い。

    ・ケナフの実際に使える部分は茎の外側部分だけであり、全体の2割。残り8割は(後述理由により)使われずに処分、と言うことは最終的に焼却ということになり、それはせっかく吸収・固定したCO2の大部分を放出することになり、カーボンニュートラルには貢献せず、エコ的に意味が無い。対して竹は利用できない部分は無いと言えるので環境上でも価値がある。

    ・外皮から繊維を取り出したとしても基本的には木でなく草なので、木材パルプより耐久性で劣る。対して竹の繊維は針葉樹パルプより軽い上に強靭である。
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    ※ケナフの例に限らず、エコ的な効果は、そのモノの材料の採取・再生産性、製造、運搬、使用、処置、循環、廃棄、健康安全性、他者・他物への悪影響度などすべての面での環境負荷をトータルに考えなければならない、この考え方に基づいた評価方法を「ライフサイクルアセスメント(LCA)」と言うそうですが大切なことですね。
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    竹に関しては”新しい加工法、利用法”を中心にまた次回に続けます。
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    忘れもしない今年2022年2月22日、2が6つも並んだその日の朝のテレビで、「岡山県では早くも”たけのこ”が収穫され始めた」というニュース映像が流れた。

    たけのこ(孟宗竹の子)・・オスとメスがあるそうだ(テレビ朝日番組「相葉マナブ」より)
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    私の住む千葉県では毎年4月に入ってから中旬くらいまでが”たけのこ”の時期なので、岡山県の収穫開始時期の早さには驚いた。・・というわけで、私の家から徒歩10分くらいに在る竹の放置林(放ったらかしの竹藪)でも”たけのこ”みたいなものが出るのだろうか?と思い、ちょっと覗いてみましたが・・

    地面も見えないくらいの密集度の竹で”たけのこ”なんて見えるはずもない。しかも、見たら孟宗竹(モウソウチク)ではなく真竹(マダケ)なので普通我々が口にする太い”たけのこ”はできないことがわかりました。

    我が家の近くの放置竹林:人はおろか猫でも踏み込めないほどの密集度。枯れて横倒しのものもある。(道路に面したところを撮影したので明るい感じですが奥は気味が悪いほど暗い)
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    ◎日本三大有用竹でも放置竹林が増えている !
    日本に600種類以上もあると言われる竹類の中でも、竹製の道具や工芸品、または”たけのこ”が食用として使える三大有用竹と呼ばれる種類があり、この三種だけで日本の竹の90%を占め、その内訳は・・

    孟宗竹(モウソウチク)・・20%(幹径20~25cm/高さ25m)
    真竹(マダケ)・・・・・・60%(幹径5~15cm/高さ18~20m)
    淡竹(ハチク)・・・・・・10%(幹径8~10cm/高さ20m)

    この数字からみても我が家近所の竹林が真竹というのもうなずける。なぜ多いのかと言えば真竹が最も使い道が多いから。しかし竹製品需要が減り、孟宗竹の子供である”たけのこ”も安い中国産に代わられ、竹林所有者の高齢化などで竹林管理せず・できずとなって放置竹林が増えている。

    竹林を放置すると、繁殖力旺盛な竹が他の有用林を侵食したり、アスファルト道路を突き破って路面を損傷する、道路わきの竹林にまとまった雪が降ると雪を乗せた竹が曲がって道路の通行に支障をきたすなどの害を生じる。そこで・・

    ◎国産メンマ作りに利用して少しでも放置竹林を減らそう
    ラーメンの具材として多く使われるメンマは本来、台湾の麻竹(マチク)という(日本では育たない)種類の竹を断片化したものを煮た後、一か月ほど発酵させてから乾燥したものが日本に輸入されて、それを国内で戻して味付けしてメンマとなる。ただし最近は台湾での麻竹栽培地確保が難しくなり、台湾の生産業者が中国の一部地域で栽培して現地生産したメンマが増えている。

    近年、日本の放置竹林増加問題解決に少しでも役立てば・・と考える人たちが各地で現れて、麻竹の代わりに孟宗竹を使って(本来のモノに出来る限り近づけた?)国産メンマを作る試みが各地で起き、まだ大量生産とはいかないまでも作られて商品化されている。

    原材料は”孟宗竹が地上1メートルほどに伸びたモノ”を断片化して発酵させたもの。

    福岡県糸島市での販売品((株)タケマン社製)
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    千葉県産の竹で作ったメンマ。 (道の駅と同類の)「房の駅」(市原市)で販売。その他、「道の駅たけゆらの里おおたき」(大多喜町)などで販売。キャッチフレーズは「食べる竹林整備」
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    ※千葉県産メンマなら、「地産地消」ならぬ(千葉県が提唱する)「千産千消」ともなる!

    ◎私が国内産メンマ推しの理由
    勿論、放置竹林減少手段であるけれども・・
    輸入メンマについて大手輸入企業では中国の生産現地での工程管理を厳しくしているそうだが、はたして完全なものかどうかわからないという危惧もあるからで、ましてや小規模生産者、小規模輸入業者の扱い品はなおさらで、その根拠は・・

    1)昔、テレビで、台湾におけるメンマ作りの様子を紹介した中で現場シーンが流れたが、衛生環境に大いに疑問がある状態だったのを視て以後「大丈夫か?」と思いながらメンマを食べるようになった。

    2)私が以前に関東地方のある”無農薬・有機肥料栽培”をうたっている野菜農場の畑を見学した際に、野菜の根元に何やら白い粒が撒かれているので、「これは何ですか?」と聞いたところ「実は先日に大雨が降って有機肥料分が減ってしまったので、やむなく化学肥料を撒きました」と答えたので、日本人と言えども完全な正直農業経営者ばかりではないものだと認識した経験があるからで、日本にしてもこれだから、他国の生産現場で指導・管理されていても常時正しく作業されているか危惧されること。

    そしてもう一つの理由は、私がメンマ大好き人間だから。しかし残念ながら私は慢性腎臓病なので塩分濃度高いラーメンは勿論スープは飲まなくても(家族から)禁止されているので、もう3年も食べていない。海外に10日もいれば日本食恋しとなるが、私の場合、それは寿司ではなくラーメンであるというほど好きなのに、この状況は辛い!・・というわけで当然メンマも食べていないが、ラーメンを食べる際には私にとって最も重要なのはチャーシューでもなくメンマであり、その量だ。これは店によってちがうので、メンマが2枚しかないとがっかりし、5枚以上あることもあり、これには上機嫌になる。

    ◎昔は「メンマ」のことを「シナチク」と言っていたが・・
    私が子供の頃、周囲では「メンマ」とは言わず「シナチク」としか言わなかった記憶がある。しかしこの言葉は今は殆ど使われなくなったようで、(天才バガボンのパパではないが)「これでいいのだ!」。 なぜなら竹材の世界では「支那竹(シナチク)」という文字通り中国原産の竹が存在するから。
    「支那竹」 幹径約1cm 特徴は幹の表面に渦巻模様の斑が現れていること。
       (写真は「北の竹工房」のHPより引用)
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    ◎「尺八はもどしてメンマとして使えるか?」と嵐山孝三郎氏
    雑誌編集者、作家、エッセイストの嵐山孝三郎氏は昔、「尺八の竹はもどしてメンマとして使えるか?」と、ある雑誌上で問いかけていた(ように私は記憶する)が、その結果がどうなったのか私は知らない。もしそれが可能ならば非常食になり得る・・これは、日本の戦国時代に兵たちが、“ずいき”(芋茎=サトイモの茎)を乾燥させて縄のように編んで腰に巻いたり、実際に荷などをくくる縄として使ったりするものを、非常時にはそれを刻んで煮て食べる、またはその縄の素材として味噌汁で煮た”ずいき”を乾燥させたものを使えば”ずいきが具になった味噌汁”が味わえた。・・という実例と同様な効果になるが・・
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    ※竹のお話は次回につづけます
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    東西比較、今回は麺類に絞りました。"うどん"と"そば"は店や家庭で食べる場合も即席(インスタント)麺(カップ入り、袋入りなど)においても、関東と関西では自然条件と歴史文化条件がからんで、基礎的な相違があります。それらの原因は・・

    関東の自然水は「硬水」→この水を使うと「濃い口醤油」ができてしまう→麺類などのつゆは濃い茶色

    関西の自然水は「軟水」→この水を使うと「薄口醤油」ができてしまう→麺類などのつゆは薄い茶色

    但し、醤油の色の濃度は含有塩分とは反比例・・だから関西のつゆは色は薄いが塩味は薄くない

    塩分濃度:濃い口醤油=16% / 白醤油=17% / 薄口醤油=18%

    そして大阪は江戸時代に「天下の台所」と言われる中で、日本中の昆布の集散地であった影響で、食においても昆布が重用される→つゆには”昆布出汁”が多く使われる。その他”昆布じめの素材”、”昆布うどん”の存在などに表れている。

    ◎「うどん」と「そば」比較:東京/大阪/京都
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    ※天かす(揚げ玉)ではなく油あげののった「たぬき(そば)」は兵庫県、奈良県、和歌山県にも有る。


    上の表では混乱してわかり難いが・・店によって下の3点があればの場合・・

    東京人が大阪で・・
    「きつねそば」を食べたいなら・・
    「たぬき(そば)」を注文すればよい。

    「たぬきうどん」を食べたいなら・・
    「ハイカラうどん」を注文すればよい。

    「たぬきそば」を食べたいなら・・
    「ハイカラそば」を注文すればよい。

    ※(後日追加文です→) 京都では「きつね(うどん)」には別呼称「信太(しのだ)」がある。
    「信太(しのだ)」の由来は・・平安時代の有名な陰陽師の安倍清明を産んだ母親は狐が化けた女であり、清明が成長したある日、「恋しくば 尋ね来てみよ 信太の森の うらみ葛の葉」と言い残して故郷の大阪・和泉の信太の森に帰ってしまった・・という実話とは到底思えない言い伝えだが京都には残っているからである。(京都の文化に詳しい英学=はなぶさ・がく さんのお話から抜粋)

    ◎麺類における東西分岐線(「どん兵衛」の例)
    日本の中で東西を分ける方法・事例はあまたある中で、麺類の食べられ方でみればどうなるか・・カップ麺の「どん兵衛」の開発担当者が各地の麺類を調査した結果、大まかには関ケ原を境に傾向が分かれることを発見したそうで、その結果「どん兵衛」の販売エリアを2分して表したのが下図。(日清食品のHPより)
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    ◎即席カップ麺の仕向け地別比較
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    ↓北海道向けの容器ふたには北海道の地形図が・・
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         ( ↑北方四島も描いて北海道民の心情までを考慮したマーケティング!)
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    ◎ラーメンの2大分類・・汁が茶色か白か
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    “男に生まれたら、あるいは女に生まれたからには、こうあらねばならない”というような”作り上げられた男性観・男性像・女性観・女性像”をジェンダーと言うが、それを反映して現れる例の一つが”男性の職業、女性の職業とされるものが存在する”ことで、それは”ジェンダーの境界を無くす「ジェンダーレス」の見地からすれば、男女の就労における「ジェンダーギャップ」が生まれているということになる。

    そうした中で最近、欧米の自動車各社の生産現場のシーンをテレビで観たら、なんと女性も多いこと、しかも高級車やスーパーカーでも普通に担当している。

    同時に日本の自動車メーカーの現場シーンも観たが、(全メーカーを見たわけではないが)女性は皆無。私は過去にトヨタの工場現場を見学したことがあるが、その時も女性の姿は全く見なかった。つまりジェンダーギャップが欧米においては少なく、日本はギャップ最大で最悪。・・というわけで、論より証拠!!百聞は一見に如かず!で、以下にそのシーンをご覧いただく前に・・ 

    ◎総じて欧米自動車製造現場での女性の存在以外に気付く点
    服装は”制服着用”と”服装自由”の二通りあるが、制服であっても日本のように生地が厚いようなものではなく、しかも伸縮性があって体にぴったりフィットしたようなものを着用。

    ●当然のようにアフリカ系女性もいる

    日本と決定的に違うのは”帽子の着用率が男女ともゼロ”。(極稀に男性で見かけるが)・・私の経験から言えば、1)工場では頭に何か落ちてくるとか自分で頭を何かの角にぶつけることがあること。2)特に女性の長い頭髪は何かの隙間に引っかかったり、機械に巻き込まれることがあること。3)人間は毎日、数十本の頭髪が抜けていることから、それが製品に付着したり、混入したりする可能性は排除できない。・・などの理由から帽子は着用が必須と言える。ただし工場という屋内使用の帽子には一般的な面積の”ツバ”は作業の邪魔になるものであり、”帽子の着脱のために摘まめるだけの小さなツバ”が適切。

    ●男女共働の現場なので”自動車工場内職場結婚“が発生。これは当然、今の日本では考えられない。

    それでは欧米各社工場シーンをご覧ください ※(N)はNATIONAL GEOGRAPHIC CHANNEL、 (D)はDiscovery channelのテレビ放映画像から引用したもの

    ◎「フェラーリ・ポルトフィーノ」の生産現場(イタリア) (N)
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    ↓フェラーリと言えば”レッド”で制服も赤。
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    イタリア国産に誇りをもって制服の袖には国旗が!
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    ◎「フェラーリ・カリフォルニア」の生産現場(イタリア) (D)
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    ◎「ランボルギーニ・アヴェンタドール」の生産現場(イタリア) (N)
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    ◎「ポルシェ・918スパイダー」の生産現場(ドイツ) (D)
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    ◎「ポルシェ911」の生産現場(ドイツ) (N)
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    ◎「ロールスロイス・ドーン」の生産現場(英国)(D)
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    ◎「ジャガーXF」の生産現場(英国) (D)
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    ◎「BMW・X3」(ドイツ車だが)米国内生産現場(N)
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    ◎「GMシボレー・コルベットZR1」の生産現場(米国)(N)
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    ◎「フォード・マスタング」の生産現場(米国)(N)
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    ↓この二人はマスタング工場内(職場)結婚
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    ◎ポラリス社オートバイ「ヴィクトリー」生産現場(米国)
    (現在は生産終了)(D)
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    日本は先進国の中でもジェンダーギャップが多いと、国内外から”耳にタコができる”ほど指摘される。
    ここで注意しなければならないのは、ジェンダーギャップの話題にはとかく”女性が少ない職業・職種”に偏るが”男性が少ない職業・職種”もあるということだ。

    先ごろNHKテレビで”日本における職業におけるジェンダーギャップ”のデータを”平成27年・国勢調査・職業小分類男女別(全国)”から取り出して紹介していたが、それによると・・※割合の%の分母・分子が何であるか私は未確認だが参考までに・・

    ◎男性の就業率1割以下と少ない職種(数字は%)
    ●助産師:0  ●歯科衛生士:0.2  ●保健師:2  ●保育士:3  ●家政夫・家事手伝い:3.1  ●栄養士:4.3  ●美容サービス従事者(美容師除く):5.3  ●幼稚園教員:6.2  ●看護師(准看護師含む):6.7  ●その他保健医療サービス職業従事者:6.8  ●看護助手:8  ●訪問介護従事者:9.7
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    男性の保育士

    ◎女性の就業率1割以下と少ない職種(数字は%)
    ※該当は63職種(男性は12職種)あり、ここでは一部のみ記載

    ●鉄道線路工事従事者:0 ●航空機操縦士:0.2 ●船長・航海士・機関長・機関士(漁労船):0.3 ●大工:1 ●左官:2.1 ●消防員:2.3 ●自動車運転従事者:3 ●自衛官:6.7 ●職業スポーツ従事者:8.4 ●警察官・海上保安官:9.4 ●郵便・電報外務員:10
    ・・・・・・・・・・・・・

    男性の助産師ゼロというのは自然。私の母は95才で亡くなったが、晩年に利用した”入浴サービス付きデイサービス”で、ある日、入浴介助に男性介護士が担当しようとしたが、ガンとして拒否した。高齢者世界でよく言われる「いくつになっても男と女」という"身体的・生理的な要素に基づく意識"は変えられないものであり(少数のそうでない人達もいるが)、ジェンダーと混同できないものである。

    欧米の映画やテレビドラマなどの中での食事シーンでよく見られるのは、”父親、夫など『大人の男』が大きな肉を切り分ける”行動で、これは過去の狩猟民族時代に”男が狩りで獲ってきた動物の肉を分配した”名残であろうし、仕事とは言えないが”役目”として、ここにはジェンダー問題はまだ入り込めない領域なのだろう。
    ・・・・・・・・・・・・

    (文中 敬称略)
    今や「ジェンダー」は"人口に膾炙"されていますが、少なくとも34年も前に「ジェンダー」という言葉を発信していた人物、それが黒柳俊恭(くろやなぎ としやす)

    実は私は彼とは小学校で同じクラスだったので、断言できることは・・彼はすでに小学生時代には”将来、ジェンダー学者になる"素地をしっかりと体現していました。

    そして彼の言動は私の意識に影響を与えてくれていたのです。以下に紹介するエピソードなどは昔ならば公表がはばかれるところですが、今なら堂々と語られてよいものと思います。

    ◎黒柳は”通念的には女子が使う言葉”を使っていた!
    生徒同士の会話の中では・・「わたし、そう思うわ」 「わたし、そんなのいやだわ」・・など。

    ◎黒柳は女の子と「ゴム段飛び(ゴムとび)」をしていた!
    「ゴム段飛び」は普通、女の子の遊びで、私ら男の子はしなかったのだが、黒柳君だけは女の子に混じってやっていた。(ゴム段飛びとは→ https://45mix.net/gomutobi_itidan/ )

    ◎そんな彼に対して”いじめ”や“からかい”を誰もできなかった!
    彼は学業成績優秀。背が高く、クラスで1位か2位くらい。容貌は、鼻筋通ってまことに整った顔。
    それは今にして思えば、デビューした頃の丸山明宏(現在の美輪明宏)にちょっと似ていた。そして卑屈なところなど全く無い、というわけで、クラスメートからの”いじめ”どころか“からかい”も寄せ付けない気品と気概があった

    若い頃の丸山明宏(1971年に改名して現在は美輪明宏)
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    ただし、丸山明宏が”宝塚歌劇の男役のような容姿”で1957(昭和32)年に「メケメケ」を歌って世の脚光を浴びて、「シスターボーイ」(今は死語か?)と呼ばれるようになったので、我々の仲間内では黒柳君のことも、そう呼んでいたことがあった。

    ◎その後、道を究める努力と結果
    私は彼の小学校卒業後の足跡を知らなかったのですが、6年前にひょんなことから彼の近年の業績を知るようになったのです。そして数年前に、ある用事で彼の自宅に電話した際に、本人不在だったが代わりにお母上が語られたことには、「息子はジェンダー関連の研究で、アメリカやイギリスにも行っておりましたよ」ということでした。その際のお母上の”口ぶり”は”息子さんをここまでにした誇りをもっておられる”ことが感じられました。確かに60年以上も前の時代に、息子さんの意志を尊重して見守ったお母上も素晴らしい。

    彼は、その結果、日本において各種関連学会に属しながら論文発表や書籍執筆、翻訳、ジェンダー関連のクリニック、アドバイザーなども行い、帝京平成大学 健康メディカル学部臨床心理学科の助教授でもある。

    ◎黒柳俊恭の著作と論文
    ●「彷徨えるジェンダー(さまよえるじぇんだー)- 性別不快症候群のエスノグラフィー -」※(単行本)・・1987年2月発行/現代書館
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    ●「イヴ・内なる女性を求めて」
    (アン・ボリン著/黒柳訳 単行本)・・1990年6月発行/現代書館

    ●「同性愛のカルチャー研究」(ギルバート・ハート著/黒柳・塩野美奈 共同訳)・・2002年2月発行/現代書館
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    ●「思春期前後の性同一性障害の治療を中心に」(「日本思春期学会誌」掲載論文)・・2002年6月

    ●「『性転換手術を受けない性同一性障害者』の心のケアに関する一考察」(「日本性科学会誌」掲載論文)・・2002年10月
      
    ※「彷徨えるジェンダー」の内容は「少々難解だが、時代に先がけている」としながら紹介している人のブログ参照下さい。→「梢おばさまのトランス日記」=
    http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52308724.html

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    かくして、私は幸いにも小学生の時から、今で言うジェンダー意識の種を得ていたこと、加えて私の高校時代にはクラスの女性で”私が解けない数学の問題をスラスラ解いて、大学の医学部を出て立派な医者になった人”もいたなどの経験から、私の中では”世の中、(ある面では)男も女も無いものだ”というスタンスになっているのです。
    ・・・・・・・・・・・・

    先ごろ、新聞やテレビなどに「政府が備蓄石油を市場に放出・・」という文言が現れた途端に私は「放出」という文字に反応してしまったのだが、その理由は・・
    ついでに、「日暮里」、「ばっけ」?などについても・・

    ◎「放出」は大阪では「はなてん」とも読む
    難読地名・駅名の例の常連?である「放出」だが、大阪の人なら誰でも「はなてん」と読める。
    なぜなら「放出」は大阪市城東区と鶴見区にまたがる地名※であり、JR西日本の片町線(愛称「学研都市線」)の駅の名でもあるから。(※放出西1~3丁目が城東区、放出東1~3丁目が鶴見区)

    そして私が「放出」に反応してしまったワケは・・自分には過去に大阪勤務にともなう在阪期間が合計約10年あり、しかも内9年間はJR片町線を使って通勤していて、放出は途中の通過駅だったから。
    JR片町線・放出駅(写真はWikipediaより)
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    「はなてん」の名前の由来には神話説、地勢的解釈説があるが、定かではないようだ。

    ◎地名「日暮里」(にっぽり)アイヌ語由来説
    「日暮里」(東京都荒川区)も難読の部類に入れられることが多いが、この「ニッポリ」はアイヌ語に由来するということは定説になっているものの、基になるアイヌ語が何かという点で諸説ある。

    最多例は「ヌプリ」由来説。これは多くの一般人の他に永六輔氏もとなえていたとか? たしかにヌプリはニッポリに繋がるようにも聞こえる。しかしアイヌ語に詳しい知里真志保博士によれば、「ヌプリ」は”そびえ立つ山”を表すのに、この地に高い山など無いのでこれは間違い。

    その他、”木の丘”を表す「ニンポリ」説もあるが、私がもっとも魅かれる説は、今から30年以上前だったかに朝日新聞の「天声人語」欄に載った記事にあったもので、ただし基になったアイヌ語が表記されていたのか否かの記憶が無いのだが、とにかく意味の説明があって・・

    ”本州側に残るアイヌ語由来の地名として、日暮里の「ニッポリ」は「崩れやすい崖」そしてここに近い不忍池(しのばずのいけ)の「シノバズ」は「入り江の奥の沼地(湿地だったか?)」という意味である”・・という内容だったが、私はこれに納得できる状況があると思える。・・それは(下の図をご覧いただきながらだとわかりやすいが)・・
    「上野台地」「本郷台地」などと低地の様子(右上に現在の日暮里駅の位置表示あり)
    uenodaiti (2)
    (図はブログ「日々の理科・田中」の「山手線の地形考」より引用)

    太古の昔から今でも、東京の西の方から東に向かって武蔵野台地が広がり、その東端で枝分かれして何本かの半島のようになった細い台地があり、それらにも呼称があって、その北寄りの一つが「上野台地」である。

    台地があれば低地(上の図の黄緑色部分)にかけては当然のように崖ができるが、台地沿いに崖が長く続く場所を「崖線」と言う。日暮里はこの上野台地の北側の崖線沿いに位置するので、この崖線には「日暮里崖線」という呼称が与えられている。

    まさに日暮里イコール崖であるのだ。それはJR山手線の巣鴨駅あたりから
    田端(たばた)駅、日暮里駅を通って上野駅までの進行方向右側の車窓からはほぼ崖を見上げる状態であることで実感できる。
    左側の「日暮里崖線」に沿って走るJR山手線
    nipporigaisen
    (写真は「ganbaru.mcury」.jp」より引用)

    また上野台地と本郷台地(←神田明神などが在る)双方の東端近くに挟まれた場所に在るのが不忍池。縄文時代など今より海水面が高かった時代には、現在は低地と言っている所も海だったので不忍池は昔の入り江にあたる所に在る。

    というわけで日暮里も不忍池も「天声人語」欄の説明が腑に落ちる。ただし、たまにこの欄も後日訂正があるので注意が必要だが・・

    次は「崖」つながりで・・

    ◎崖の呼び方様々
    現在の標準語としては「崖(がけ)」だが、各地には「崖」の古い呼称が残っていて・・「はけ」、「ばけ」、「ばっけ」、「ほき」、「ほけ」、「ぼけ」・・などあるが、これらの基はやはりアイヌ語で「崖」を表す「バッキ」であるという説がある。

    ここで挙げた"崖の古称"が残る実際の例としては・・

    ●「大歩危・小歩危」(おおぼけ・こぼけ)・・徳島県で吉野川が削った両岸が険しい崖になった場所で、”「ほき」に「歩危」の字をあてて読んだもの”という説の他に”大股でも小股でも歩くには危険だから”という説もあるそうだが、後者は後付け理由の感じがする。
    「大歩危・小歩危」
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    写真は「阿波ナビ」のHPより

    ●「ようばけ」・・埼玉県の秩父にある高さ100mの崖で、平地では夕陽が落ちても高い崖はまだ陽が残って当たり輝くので”陽(よう)があたる崖(はけ)”として呼んだとされる。

    この崖は古代には海であったことを表す貝、カニ、クジラなどの化石が出るなど貴重な場所で、現在は国の天然記念物および日本の地質100選の一つになっているほどなので、あの宮沢賢治も1916(大正5)年に盛岡高等農林学校の地質見学旅行でこの崖を訪れている。
    「ようばけ」
    youbake
    写真は「ジオパーク秩父」のHPより

    ●東京の「はけ」「ばっけ」・・東京の国分寺近辺を通る「国分寺崖線」は「はけ」と呼ばれ、新宿区の落合地区では流れる神田川と妙正寺川沿いの「目白崖線」を「ばっけ」と呼んでいる。

    さて「ばっけ」と言えば「崖」だけではなく・・
    ◎「ばっけ」は「蕗(ふき)のとう」のことでもある!
    実は、今年の春に岩手県に住む友人から「『ばっけ』(ふきのとう)を見つけた」という便りがあって初めて”「ふきのとう」は「ばっけ」とも言う”ことを知った次第 !

    それで一瞬、” 「ふきのとう」は崖のようなところに多く出現するから「ばっけ」というのかしらん”とも思ったが、野原で見かけたこともあるし、昔は隣のお宅の庭にも生えていたので「崖」は関係ないな・・というわけで調べてみたら・・

    「ふきのとう」上は花開いた状態、下は若芽状態で普通はこちらを食用にする
    bakke (2)
    bakka-wakame2 (2)
    上写真2枚は「あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト」より引用

    「ばっけ」の語源はどうやらこれもまたアイヌ語であるというのが定説らしいのだが、ではアイヌ語の何という言葉が基であるかというのにはこれも諸説あり、

    その一つは・・アイヌ語の「パッカイ」が「子供を背負う」という意味であり、これは”ふきのとうが出始めた状態をよく見るとメインの大きな芽茎の根本に寄り添うように小さな子供のような芽が一緒に出ていて、それが親芽が子供芽を背負っているように見える”からというもの。

    その他の説には、アイヌ語の「パケ」が「頭」を意味するからというもので、これは”残雪や土の中から、ふきのとうが丸い頭をのぞかせるように出てくる”からということか?

    「ばっけ」という呼称は主に東北地方の青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の各県で共通して使われることが多い。(特に「ばっけ味噌」という食材の呼称は共通)

    しかし、各県、各地方で「ばっけ」以外の呼び方もあり、秋田県では「ばんけ」、「ばっきゃ」、「ばっけあ」、「ばんけあ」。山形県では「ばんけ」がある。その他にも(県名が特定できないが、先述のアイヌ語の「パッカイ」に近い)「ばっかい」、「ばっけい」もある。また東北ではないが長野県には「ふきぼこ」、「ふきったま」とも言う地域があるそうだ。

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    今回は、はからずも"現在の日本語の中にはアイヌ語の影響が少なからず存在する"という例が並びました。
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    P.S.1:清流で有名な四万十川の「シマント」も
    アイヌ語由来と従来は言われてきたが、最近は否定されている。
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    P.S.2:今回の文章中には特に「ば」と「ぱ」という文字が多いが、それぞれの"「は」の肩部に在る「〻」と「〇」=濁点と半濁点”が小さくて、相当に大きい文字にしないと判別しにくいことをあらためて痛感したので、フォントを是非改善して欲しいと思う!
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    ◎「光害」を意識し始めたきっかけ
    私が”光による害“というものを強く意識させられたのは、1988(昭和63)年に、ある業界の視察団の一員としてオーストラリアの東岸のゴールドコースト沿いの新興リゾートタウンである「サンクチュアリー・コーヴ」(コーヴ=COVE=入り江)という街を訪ねた際に、この街のはずれに住んでいるという人が・・

    「最近は街の繁盛で、夜間に街の中心部からの明かりが、住宅地の夜の暗さを邪魔するようになって困っている」というようなことを言ったのを聞いて、“夜の暗さにも価値がある”ことを気づかされたゆえに”夜間の人工の光が害を及ぼす側面がある”ことを”強感”したから。

    ↓「サンクチュアリー・コーヴ」昼間の光景(「Tripadvisor」のHPより)
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    ご存知のように、「サンクチュアリー」と言うと”鳥獣保護区”と訳されて、特に”小鳥のために餌や水を与える場”として「バード・サンクチュアリー」として語られることが多いのですが、他にも”神聖な場所” “安全な避難場所” “逃げ隠れできる場所” などの意味があり、ある英和辞書にはこれらを総括したような意味として”安らぎの場所”としているのは”言い得て名訳”。

    まさに「サンクチュアリー・コーヴ」という名のこの街は”人も動物も安らげる”ことを目指したのでしょうが、夜の(文字通り)”不自然”な光がこれを妨げているのだった。

    当時、私は「光害」という言葉が既にあったのかどうかを知らなかったのですが、その10年後の1998年には日本の環境庁(当時)が「光害対策ガイドライン」を策定しています。

    ◎実際の光害風景と宇宙から見た地上の夜間光景
    実は里山に近い環境に在る私の自宅近所にもナイタープレイができるゴルフ場が出現して、そこのコース照明が夜空の一部までも明るく照らす状態で、それはやはり不快です。(ここの夜のスカイはフカイ!)

    千葉県・千葉市緑区の”夜間に紫色に光る空”が「気味が悪い」として昨年2020年11月に、あるツイッターに写真付きで投稿されて話題になりました。↓ その現象の発生源は”プチトマト栽培用ハウスのLED照明光”だった。
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    「きみちゃん ステッカー屋さん @Kimichan398」より引用

    ↓宇宙から夜の地球を観ると、光害をもたらすであろう光の集中地域がよくわかる。
    g-earth-night (2)

    別の写真には
    日本海の朝鮮半島寄りの海上が非常に明るくなっている場面があり、これはイカ釣り漁船などの集魚灯”の光と思われる。

    ↑余談ですが、北緯38度線を境にして北朝鮮には光が殆ど無い。この写真には無いが、台湾は中国大陸に対した西側沿岸一帯のみが明るい。また世界の紛争地帯(シリアなど)も暗い。 (写真はGoogle Earth 夜の地球より)

    ↓(余禄)飛行機から観た東京湾を囲む夜景。手前が千葉県、向こうが東京や横浜。湾上中央にアクアラインの海上部分が細く伸びている
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    (この写真は、航空会社の国際線のあるパイロットが、普段に操縦桿を握っている際には意識しなかった東京とその近辺の夜景を、非番時に乗客としてあらためて観るとそのすばらしさ(?)は「おそらく世界一」と感動して機内から撮影してNHKに投稿したもの)

    ◎「光害」がもたらす結果
    生態系に悪影響
    ●生殖不全
    私が実際に出会った現象は“明るい夜が蛍を絶やしてしまった”こと。
    私の家の近所の田んぼで昔は夏に多くの蛍の光が見られた。しかしある年に、田んぼに隣接してガソリンスタンドができて、夜間もかなり深夜まで“こうこう”と照明をつけて、広い範囲の田んぼまでが明るくなってしまった。するとその翌年から蛍は全く見られなくなってしまった。
    その理由は、“蛍はオスがお尻を光らせてメスにアピールして交尾をして命をつないでいく”という行為が、“夜間でも明るいという環境ではお尻の光が役にたたず”成り立たなくなってしまった”からでしょう。

    ●虫や小動物を捕食する動物がその地を去ってしまう
    人工の光に虫が集まりすぎて、その虫が本来存在する場所に不在となって、その虫を捕食していた動物の行動に支障が出る。また暗い夜間に行動する小動物も生息地を変えてしまうので、その小動物を捕食する動物も同調してその土地を離れることになる。

    ●渡り鳥が迷子になる
    星や月の明かりを頼りにする方向感覚が、都会のビルやサーチライトの光で狂わされて渡り鳥が迷子になる。(光害問題啓発の団体「国際ダークスカイ協会=IDA」の東京支部代表の越智信彰氏による)

    天体観測に支障
    星や天の川が見えにくくなる・・私の住む町でも40年近く前には天の川がかすかだが見えましたが、その後に街灯が増え、おまけに近所に先述の“夜にもプレイできるゴルフコース”ができて、その夜間照明の明かりが夜空をそめるに至っては全く見えずで「光害」の悪い手本。

    ●日本一の星空は長野県阿智村(あちむら)
    阿智村は「星が最も輝いて見える場所:第1位」として環境省が平成18年に選定。標高1400mの高原にロープウェイで上がり、しかも観天時には設備などの照明を消して万全の状態で星が見られる。同村はこの星空を村おこしに利用して国内客のみならずインバウンドも狙っている。その効果は人口6000人の村に年間50万人(2018年)が来訪する。こうなると、ここの星空の素晴らしさは人の口から口へと”光害ならぬ口外”でさらに広く伝わることでしょう!
    阿智村の星空(写真は「photoAC」から引用)
    atimura (2)

    ●その他の日本各地の”星空推薦地”
    北海道・美瑛町/ 新潟県・妙高高原/ 長野県・南牧村/ 東京都・伊豆大島三原山/ 神奈川県・丹沢湖/ 静岡県・南伊豆町/ 山梨県・富士河口湖町/ 富山県・立山町/ 岐阜県白川郷/ 三重県と奈良県にまたがる大台ケ原/ 奈良県・吉野郡/ 兵庫県・砥峰(とのみね)高原/ 岡山県・美星(びせい)町/ 愛媛県・石鎚山(いしづちさん)/ 大分県・久住高原/ 沖縄県・波照間島(はてるまじま)

    ●日本より星が観られるオーストラリア
    海に囲まれた狭い日本では湿度もあって空気透明度に限界があるが、海外には広大な国土の人の手が入らない地で湿度も低くければ星の見え方はすごいようだ。例えばオーストラリアは広い国土に少ない人口なので、ちょっと郊外に行けば満天の星がみられるが、中でも「ウルル(エアーズロック)」の夜空で、ここは同国の中央部で人け無し、空気は乾燥の絶好条件。この地でなくともオーストラリアに行って星空観察する日本人は多いとのこと。
    「ウルル」(エアーズロック)高さは348mの砂岩の一枚岩山(写真は旅行案内の「トラベルドンキー」のサイトより引用)
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    ◎光害対策は日本でも世界でも
    光害対策が必要として「光害防止条例」が日本でもいくつかの自治体でつくられ、環境省も国レベルの条例制定を勘案中。世界各国でもすでに制定例は多い。

    また民間でもNPO法人「国際ダークスカイ協会(IDA)」(本部=米国アリゾナ州ツーソン)が1988年に設立され、多様な分野の専門家によって、観測研究、技術研究、啓発活動、などを行い、独自基準の国際的認定制度「ダークスカイプレイス・プログラム」(星空保護区認定制度)を設けている。

    ◎SDGs時代の光害対策行動の一例:美星町とパナソニック社
    岡山県井原市美星町(同町は1989年に日本最初の「光害防止条例」を制定)の協力があってパナソニック社が開発した「光害対策型防犯灯」と「同 道路灯」が2020年にIDCから日本メーカー初の「星空に優しい照明」の認定を受けた。

    この照明灯は、星空を見えにくくすることになる上方への光漏れが無いこと、青色光の少ない白熱灯色(色温度3000ケルビン以下)であることなどの基準をクリアしたものという。

    ◎光害防止の要は"上方(空)への光漏れが無いこと"
    IDCの指標にもあるようだが、空に向かって漏れる光は光害になるのは勿論、無駄でもあるわけで、地上、海上での各種照明が宇宙まで届くというのはとんでもない話。先述の千葉のトマト栽培の照明が空を照らすほどであれば、その漏れた光エネルギーをトマトに集中させれば"すべて良し"となるはず。

    ◎月光の存在と効果は?
    月の明かりについての話は長くなるので別の機会にまわしますが・・あえてちょっとだけここで触れる理由は・・前述の”街路灯のIDC認定基準の中にある"青色光の少ない白熱灯色であること”という部分に私は疑問があるからで、なぜなら、本来夜間の光と言えば月の青白い色であり、それが自然。さらに白熱灯色の光よりも青色光のほうが波長が短いので”遠くまで届かない”、つまり光害になりにくいはずだから。

    ◎良寛さんは月明かりをありがたく利用した?!
    ※月の話と、まだ栗が出回っている時期にちなんで・・
    江戸時代末期の越後の国の曹洞宗の僧で、生涯清貧を通し、粗末な庵に住みながら近所の子どもたちともよく遊んだとされるが、和歌や書に秀でていたので、同人も訪ね来ることがあっただろう。
    そこで詠まれた有名な歌が・・

    「月よみの光を待ちて帰りませ 山路(やまじ)は栗の毬(いが)の多きに」 (月よみ=月)

    一人寂しい庵への来訪者と話は尽きず、夜になってもまだ居て欲しいので、月の光と栗の毬にかけて・・「山道は栗の毬が多い時期ですから、月が出て明るくなるまで待ってお帰りなさい」

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    (↑写真は「JAグループ」のHPより引用)
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    今年も近所の公園の地面には沢山のドングリが落ちています。
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    ・・というわけで、拾い始めて1分も経たぬ間に”ドングリがドンブリ”山盛りになるほどに・・
    さながら、「♬ ドングリ ゴロゴロ ドンブリこ !」(笑)
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    ↑ドングリのなる木も多種ある中で、これは「マテバシイ」という種類です。

    さて、ドングリを使って何か作る・・といえば、昔はヤジロベイが代表的?でしたが・・

    ◎材料費ゼロのリース 作りました!
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    材料
    ・アケビとフジの”ツル” 
    ・ドングリ
    ・松ボックリ
    ・椿の実のはじけた殻(写真左のモノ:詳細後述)
    riisu-zairyou (2)
    材料のツルは近所の雑木林から、ドングリは近所の公園から、松ボックリは公園と自宅庭の松から、椿の実のはじけた殻は自宅で、それぞれ採集したので材料費はゼロ !

    使用道具
    ・グルーガン(接着剤となるスティックは黒色もあるが、ここでは半透明のほうを使った)
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    ◎椿の実のはじけた殻
    これは「椿の実殻」と略称するようですが、これでもまだ長ったらしいので「椿実殻(ちんじつかく→発音しやすいように→ちんじっかく)」と呼んだらいがいかがでしょうか?・・というわけで、以下文中この呼称を使います。
    椿は早春に花が咲き終わった後、夏に緑の実が出来始め、秋口には茶色くなった実の厚い皮部分が裂けて、中から茶色の種が現れ、やがて種が地に落ちて殻になって残ったものが椿実殻。

    ↓割れた実にまだ種(これを絞って椿油)が残っている状態
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    ↓種がおちて椿実殻になった状態(ほとんどが三つに裂けるが、たまに四裂以上もある)
    tsubaki2 (2)

    ◎ちっとも珍しくない” 椿実殻を使ったリース”
    実は私、椿実殻を使ったリースを10年前にも作っていて、椿実殻を使う発想は他に無いユニークなことと思い込んでいたのですが、今日になってネット検索したら、まあっ!あるわあるわ、椿実殻利用リースのオンパレード!。中にはブローチにしている人もいる。世間は広い!

    ↓椿実殻を利用したリース色々の一例

    ↓椿実殻ブローチ
     (「あめつちかぜ」さんのブログより引用 
    椿の実(はじけた殻)でブローチ作り - ame-tsuchi-kaze (jimdofree.com)
    tubakiburouti

    ◎ドングリ食を体験しに来た俳優の刈谷俊介!
    今から30年くらい前のこと、千葉県のJR内房線の五井という駅の近くの公園で「縄文時代の生活を知ろう(テーマ名は記憶あいまい)」というようなイベントが開催されて、私はたまたま通りすがりで覗いてみました。

    再現した道具展示、土器を実際に粘土で作る体験コーナーなどある中で、当時の食材の一つとして”ドングリを食べてみよう”というコーナーがあり、そこでは・・

    大きな平たい石の上で、先ずドングリの皮を手に持った石で割り、出てきた中身を集めて、それを石ですりつぶして粉にして、これに山芋や卵を混ぜてこねて、それを薄く伸ばして、これを乗せた石を下からの火で熱すれば、いわゆる「縄文クッキー」ができるという作業が披露されていて、できあがったモノは試食できるようになっていた。それで私もちょいと摘まもうとしたその時・・ふと気が付くとなんと私の横に・・

    俳優の刈谷俊介(渡哲也主演、石原プロモーション製作のテレビドラマ「西部警察」などにも出演。敬称略)が立っていて、縄文クッキーを口にしてなにやらうなずいているではないか!
    なんでこんな田舎のような郊外?に出向いて来ているのか?
    kariyasyunsukepng (2)
    刈谷俊介のブログ表紙から引用

    後に知ったのですが、当時すでに氏は考古学にのめりこんでいたのです。
    その後、テレビ番組の中で考古学について語る氏を見たこともあります。
    現在の氏のブログを観ると、自己紹介欄には”俳優、考古学者(日本考古学協会会員)”と明記しています。

    ◎「二年成」のドングリは2年かけて大人?!
    ドングリの中でも、マテバシイなどは毎年5月ごろに(俗に「花」と言っている)雄花が"試験管の掃除用ブラシ"が沢山集まったように出てきて、雌花はその近くに小さく"若芽のような姿で"目立たないように出る。受粉して秋になれば実となるが、まだ小さいからこの秋に地面に落ちる成熟したドングリではない! 
    実は、マテバシイのドングリは「二年成」と言われて、”大人”になるのにあしかけ2年(正確には1年半)かかり、それが地面に落ちる!というライフサイクルなので・・今年拾えるドングリは去年の初夏に生まれたもの・・だそうです。
    今年の実と去年生まれの実が混在(横浜市児童遊園地のHPより引用)
    donguri-2nensei

    ただし、コナラやクヌギのドングリは"雄花が咲いたその秋には成熟する"そうです。

    ◎ドングリと椎の実は異なるのだそうだが・・
    大きな違いは、ドングリは「茶色」でかつ「頭にベレー帽のような帽子」別の言い方では「お尻に袴またはパンツ」を着けている。

    椎の実は形がマテバシイのドングリに似ているものの「ほとんど黒に近い茶色」でかつ帽子(袴)ではなく「襟を立てたような衣」をつけている。

    ・・ということですが、それなら”「シイ」という名前がついたマテバシイの実がドングリとされる”のは、これ如何に?

    ここで、椎の実の話からの”飛話”
    私がかつて住んでいた町の現在名は豊島区南長崎ですが以前は椎名町と称していて、通った小学校の名も椎名町小学校でこの名称は現在も存続。つまり、「椎」に縁がある上になんと・・

    その椎名町小学校が今から60数年前に「しいのみ」という名の生徒作文集を発行しています。
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    この現物が私の手許にまだありますが、中身は当時の全学年の生徒の作文や(防火週間などの)標語の中から優秀なものに絞られ、たいていは一人一点採用されて掲載されるところ、特別に3点採用されている生徒がいます。それがかつて私がブログでも紹介したことがある”与謝野晶子の妹の孫である江森栄里子”で、さすがにその文章は抜きん出てすばらしく、当時4年生にして”才能あり”で感心します。

    江森(尾崎)栄里子紹介編→ http://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/4443904.html
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    ※ドングリの中でも「マテバシイ」や「スダジイ」はそのまま生でも食べられ、勿論、炒ったり、煮たりしても食べられるが、その他の多くの種類にはタンニンが多くて、煮るなどしてアク抜きしないと食べにくいそうです。

    そう言えば、我が町では数カ所ある公園の植栽のみならず街路樹もマテバシイなので、もしこの時期に大災害があったら避難指定場所とされている公園などでは、ドングリが緊急食糧に補填できそうですがいかがでしょうか?
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    東京オリンピック・パラリンピック2020は、日本が高度文化の国であるかのように見える”メッキ”が様々なカタチではがれた。

    例えば・・国立競技場は建設コスト無配慮のデザインを一度採用してしまい、なんとかやり直してもなお観客席間隔の狭隘さが指摘受け。

    エンブレムデザインの盗作疑いで海外からクレーム出てやり直し。

    東京開催招致時に「開催時期は気候快適」としたが、実情は酷暑でテニスの有力選手ジョコビッチらは「詐欺だ」と言わんばかりに強烈な苦情申し立て。

    開会式・閉会式のパフォーマンスは主力演出者や出演者の倫理的問題による直前辞退なども発生して、結果は独りよがりで説明不足かつ視覚的効果低い内容となって特に日本人以外には理解しにくい印象を残した。

    そしてオリ・パラ終了前後に出てきた問題は・・

    ◎金メダルや銅メダルのメッキはがれ?・・実は・・
    メダル獲得した中国やタイの選手たちの一部から、「手にした金メダルや銅メダルのメッキがはがれた」という指摘が出てきた。

    しかし当該メダルを調べたら、“はがれたのは、メッキ部分ではなくその上にコーティングされた保護膜”・・とのこと。

    一部はがれた金メダル(トランポリンで優勝した中国の朱雪螢選手の公式ウェイボーより引用)
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    (ならば河村・名古屋市長が噛んだメダル表面はどうなったのだろうか?)

    しかし、それならそれでコーティング膜を強固で耐摩耗性の優れたものにして、少々擦ったくらいでははがれない処理にすべきであった。

    これでは”高度な技術を誇る国”というにしてはまさに”メッキがはがれた”ようなもの。

    自動車のボディはいかなる色やメタリックの塗装であっても、最も上の層はクリヤ(透明)コーティング塗装処理されて、雨風、紫外線、温度差そして強い摩擦にも耐えているのだから簡単な筈。

    ちなみに、前回の東京五輪、札幌五輪、長野五輪、そして今回の全てのメダルは造幣局が作製している。

    ◎我家にある「札幌五輪記念杯」のメッキははがれている !
    札幌五輪は1972(昭和47)年に開催され、公式認定された”金メッキの記念杯”(直径7.5センチ)が販売された。

    その品物が実家を整理した際に出てきたのが2年前、その時点でこの杯は47年の時間経過していたことになるのだが、柔らかな布にくるまれて桐箱の中に納まっていたものの一部メッキがはがれていた。

    ↓上部に”はがれ”がある。これは、前記の金メダルの例とちがい、はがれた跡には”金色ではない濃い灰色”(たぶん、下地のニッケルメッキの色)が現れている。また、周縁部分には”はがれた上に地金の腐食による白っぽい点”が多数みられる。
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    ↓裏面(底)には”24K GP”(24Kは純金、GPとは金メッキのこと)という凸文字がある
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    ↓桐箱には「三井金属謹製」というシールが貼付
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    ◎金メッキの厚みは様々
    金メッキは、電気部品用、装飾用など用途によって厚みが選択使用される。
    それは0.2ミクロン(1/5000ミリ)から40ミクロン(0.04ミリ)くらいまで様々なようですが・・

    薄いとピンホール(極小孔)が生じやすく、そこから空気中の水分やガスが入り込んで下地の金属を腐食させやすいので、金メッキ表面に何らかのコーティング膜を付加することが多い。

    また1グラムの金は薄くのばせば数平方メートルにもなるくらい軟らかいので、表面の保護膜付加は必要。

    まさに我が家の金メッキ杯は、”ピンホールを有するくらいに薄いメッキにコーティング膜無し”の状態が招いた結果を現わしていると言えましょう。

    これに対して今回の五輪メダルではコーティング膜処理はしたものの、その膜そのものが薄く弱かったというわけです。

    それで思い出したのですが、金箔作りの地としても有名な石川県の金沢の工房で作った金箔は”向こうがぼんやりながら透けて見える”ほどの薄さを誇示しています。ひょっとするとこの状態とはピンホールが無数にあるのか、それとも分子レベルの隙間がある状態なのでしょうか? (どなたか、教えてくだされ!)

    ※宝飾品などの普通の薄さの金メッキは「GP」(Gold Plated)と表示されますが、腕時計など何かと摩擦が多いモノには厚さを増やした5ミクロン以上が使われ、これには「RGP」(Rolled Gold Plate)という表示がつけられます。

    (ゲーム世界のRPG=ロール・プレイング・ゲームと間違いやすいか?)

    ※現在、金価格は一時のピークほどではないにしても、依然として高止まりしているのですが、いくら金でも”メッキ品は金製品としての価値は皆無(金メッキ品が大量数まとまった場合は考慮されますが)と言えるものになったしまうから、札幌五輪の記念杯は、その意味では価値無いようなもので、例えば現在のヤフーオークションでは800円から千数百円で取引きされています。

    もしこれがメッキではなく杯の全て(
    いわゆるムク)が18Kの金で出来ていたら数十万円します。
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    10月に入りましたが、私が住む土地ではまだセミの声が散発的に聞こえます。↓写真は今年、我が家の庭で”拾い集めた”セミの「なきがら」(亡骸)と「ぬけがら」(空蝉=うつせみ)。左は昨年のものを透明ケースに詰めておいたもの。写真には写ってないですが、一昨年のセミももう一つ同型の透明ケースに詰めて保存しています。
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    今年は5匹、昨年11匹、一昨年12匹のすべてがアブラゼミ。なんのために集めているのか?自分でもわからない・・「夏の記憶」というところかな。

    さて、つい先日のこと、セミの”ある行動”をうまく表現した言葉を知りました。それは・・・

    ◎「セミ爆弾」
    「セミ爆弾」とは”地面などに仰向けになって転がっているセミを、死んでいるものだと思って人間などがつまもうとした瞬間にいきなり羽をバタバタさせて飛び去る”という行動を言うのだそうで、これに遭遇すると確かにチョットびっくりします。まさに小さな爆弾が炸裂したと例えても違和感は無い! 私はしょっちゅう経験していて今年は3回ありました。冒頭写真のセミのように死んでいると思ったセミをを拾おうとして「セミ爆弾」の被害?にあってもいたわけです。

    セミのこの行動の経緯は・・寿命が近づき体力が無くなると、木などにつかまっておられずに地面に落ちて、(セミは背中の方が重いので)仰向けになってしまう。このままでは死を待つ状態となるものの、人間などがちょいと触れると、本能的に逃げる行動をするために最後の力を振り絞って飛び去る。その先には本当の死が待っている・・というものなので「セミ爆弾」のことを「セミ・ファイナル」とも称するそうです。

    では、地面に仰向けに転がっているセミが”本当に生きているのか、死んでいるのか”を見分ける方法は・・(「ウェザーニュース」社のサイトによれば)・・『大阪市立自然史博物館・主任学芸員の初宿成彦(しやけ・しげひこ)氏の説明では・・仰向けのセミの足が胸のあたりで閉じていれば死んだセミ。足が開いて万歳をした状態ならまだ生きているセミ・・とのこと』

    左の合掌状態が死態、右の万歳状態が未死状態
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      (写真右は「ウェザーニュース」サイトより引用)

    セミ爆弾の際には、元気な時に行う”オシッコを出しながら飛び去る“ということは(私の経験では)無いようです。

    ◎セミの「土中で7年潜伏・外で10日の命」というのは俗説
    『日本国内に生息するセミだけでも36種+1亜種いて、樹皮や枝に産卵されたものから孵化して、土中にもぐって、木の根の樹液を吸いながら過ごす期間は、セミの種類によって様々で、広島大学の税所康正(さいしょ・やすまさ)准教授による幼虫の土中飼育観察結果では・・

    “土中潜伏期間”は・・アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミは2~5年、ニイニイゼミは3~4年、ツクツクボウシが1~2年。

    しかしこれも樹液からの栄養量や気温や雨量によっても左右されるそうだが、いずれにせよ俗説より短い。

    地上に出てからの寿命は、鳥やカマキリに襲われなければ、3週間程度は多く、一か月以上も珍しくない。・・とのことで、これは俗説よりずっと長い』

    『岡山県立笠岡高校の3年生の植松蒼さんが工夫した方法(ここでは詳細割愛)によって実際に把握した結果は・・

    ”セミの寿命”は(最低でも)・・アブラゼミ32日、ツクツクボウシ26日、クマゼミ15日だった』
    (以上『』内は朝日新聞2019年8月26日記事より部分引用)

    ◎「素数(ソスウ)ゼミ」総数(ソウスウ)何百万いっきに出現 !
    米国には13年あるいは17年ごとにセミが大量発生する現象が起こることは、最近の日本でも紹介されることが増えた。
    ↓最近では2013年6月に米国ニュージャージー州など9つの州で数百万の素数ゼミが発生
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    (映像は「アニマルプラネット」「ナショナルジオグラフィックチャンネル」テレビから引用)

    13と17という数字は素数であり”1と自分自身の数字でしか割り算できない”から、このセミを「素数ゼミ」、あるいは(アタマがいいから?)「数学ゼミ」、その他「13年ゼミ」、「17年ゼミ」「周期ゼミ」なと呼ばれている。

    なぜ” 13年あるいは17年”なのか? 究極の目的は”種の持続”であり、そのためには一度に大量に出現する戦略が生まれた。そうすれば、鳥などの捕食者(他の動物を捕まえては食べる動物)に少々食べられても大多数が生き残ることができる。そして仲間が大量にいれば、交尾する相手が互いに見つけやすくなり、結果は大量のカップルができ、大量の卵が生産され、大量の生命につながる。

    更にこの戦略を強固なものにするための、これまた戦略が” 13年あるいは17年ごとに地中から這い出す”こと。

    このように”ある生物において出現多数と少数(またはゼロ)の年が一定間隔で発生”する「個体群周期」は捕食者(群)側にも顕著でないにしてもあるので・・例えば周期が2または3年の捕食者がいるとしても、この素数セミの13または17年の周期とは重なる機会は非常に少なくなり、食われる機会も極少となる。

    では、セミの幼虫は土中でどうやって年数を数えているのか?・・

    それは”木の根の樹液を吸って育つ幼虫”が”木というものが毎年の春に樹液の糖分を増す”性質を利用して”春を迎えた回数”を数えているから・・とされる。

    ◎セミの羽をヒントに抗菌加工
    生物の持つ優れた特性を人間が真似して利用することを「バイオ・ミミクリー」あるいは単に「ミミクリー(辞書によれば「ものまね」「擬態」)」と称し、例えば「猫の舌」、「フクロウの羽」、「サメの表皮」 など多数が参考にされていますが、近年これに加わったのが「セミの羽」であり、まだ実用化して製品に応用まではされていないものの、その効果は・・

    ”セミの羽の表面を模せば抗菌作用が出る”というもので、それも抗菌よりも殺菌に近い威力発揮。

    セミの羽(特にクマゼミの透明な羽)の表面には”健康サンダルのような無数の細かい突起”があり、そこに緑膿菌という細菌を置くと死滅するという現象をオーストラリアのある研究チームが発見していたものを基に、日本の関西大学の伊藤建教授チームが、人工的に超微細の突起(髪の毛の1000分の1ほどの大きさというナノレベル) を作り、大腸菌を含む液を垂らした結果、最高10万分の1までに菌数を激減させることに成功している。

    最近、薬剤による抗菌加工製品があふれる中で、それに耐性をもった菌も増えるという現状を打開できる可能性があると期待されている。 (『』内は2019.5.4朝日新聞記事より部分引用)

    ・・というわけで、この場合はミミクリーをモジって「セミクリー」といえるかも・・

    ◎セミの脱皮直後姿をチョットだけ私が庭で観察した!
    ↓土中から幼虫が出てきた跡の穴が数個。写真右上には砂利をどけて”何が何でも出る”という生命力を感じさせる穴も・・。(各穴の径は約1.5センチ)
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    ↓この時点で発見して観察開始(午前8:35)
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    ↓真っ白だった羽がいったんやや透明に(9:55)
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    ↓羽も本体もだいぶ茶色になってきた。目は黒から茶色へ(11:11)
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    約2時間半の間の変化でしたが、残念ながら、ここで観察ストップしてしまいました。

    ◎ヒグラシ(ゼミ)の鳴き声は心地よい!
    セミの中でも、私が最も好きな声はヒグラシの「カナカナ・・」ですが残念ながら我が家の周囲では聞かれません。その声は私に限らず多くの人が”何か物悲しさ”を感じるもので、ジージーうるさいアブラゼミとは比較にならない。
    なぜヒグラシの声はそう感じるのか・・それはヒグラシが鳴くのは、夏でも朝と夕方の涼しい時、そして特に日暮れの夕焼けの一種のちょっとしたもの寂しさと連動するからでしょう。

    ところで俳句の世界では「蝉(せみ)」は”夏の季語”。しかし「ひぐらし」と「つくつくぼうし」は”秋の季語”だそうで、さらにややこしいのは・・他のセミでも秋口まで(遅くまで)鳴くセミは「秋の蝉」と称して”秋の季語”なのだそうです。

    ヒグラシが”秋の季語”とされる理由は、多分にそのもの悲しい鳴き声由来と思われますが、実際にはヒグラシは他の種類のセミより早く6月から鳴き始めるから夏のトップバッターなのに・・。

    ※各種セミの鳴き声→https://www.youtube.com/watch?v=f00V1h2wABM

    ◎セミを食べるには注意が必要
    地球上での将来の食料危機に対処するために「昆虫食」が注目されていて、セミもその一つですが、元々は中国や東南アジアでは昔から食べられているモノ。しかしながら、ちょっと注意が必要。

    注意1:セミの生身には寄生虫が居ることがあり、食するには"茹でてから油で揚げる"または"素揚げする"などが必要。

    注意2:現在の日本では"セミの食用ために大量採集すること"を禁止している自治体が増えている。例えば埼玉県川口市、東京都杉並区など。(子供が昆虫採集する程度はOK)
    杉並区の公園の掲示板には・・「区内の公園で、食用その他の目的でセミ等を大量捕獲するのは、おやめください」・・という表記がある。その背景には、最近の日本国内でもセミを沢山捕まえて食べる在日の
    東南アジア系の人たちが増えている実情があり、テレビでも"「食べるため」と称してセミ採集している二人(ベトナム人だったか?)の様子"を紹介していた。(最後は撮影スタッフが「この公園ではそれは禁止」と伝えて、ふたりはセミを逃がしていました・・ちょっとヤラセのニオイもしましたが?)

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    蛇足ですが・・私は中学生のときに、英単語の「cemetery」(セマテリー)=「墓地」のことを・・「墓場にセミ採りに行く」・・というように覚えました(笑)
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