その11日後の12月28日の新聞には(この日)「公益財団法人 日本相撲協会」が財団設立100周年を迎えたと広告された。
↓内館牧子氏 / 日本相撲協会」財団設立100周年の新聞広告(部分)

そして1月11日から25日まで大相撲初場所が開催。
・・というわけで、今回は相撲関連を・・
また 当時の小学生でも、昔の有名な力士「雷電」「谷風」「明石志賀之助」たちの名を知っている子は少なからずいた。
そう言えば、小学校の体育の時間に生徒同士で相撲をとらされたことを思い出した。
これらの経験をしたというのも、今よりは相撲人気があった時代だったからかも知れない。
その当時、私は東京・豊島区に住んでいたが、ある日、祖父母と私の弟の4人で相撲を観に出かけた。
その地は当時の私の認識(メンタルマップ)には無かったが、後年にそれは東京都台東区蔵前に在った国技館だったと知った。
国技館の中では、いわゆる「枡席(ますせき)」という、大人4人が正座または胡坐で座れる広さの席に着いた。(調べたら現在の相撲枡席の広さは1.3 X 1.3メートルで昔も同じだったか?)
これも後年に知ったことが、”枡席に座れた理由”は、当時私の父親が勤めていた会社がその枡席の年間貸し切り契約で確保していたものを、その中の一日だけその席を利用できるように父親が会社に申請して許可されていたからなのであった。
肝心な相撲観戦はと言えば、大人はともかく小学生低学年の私と弟は、あまり真剣には観ていなかった。ただ、千代の山は角ばった顔でしかもお腹が出ていないこと、対照的に鏡里は見事に丸く大きく綺麗に(“だらん”とではなく)突き出たお腹が印象に残っている。(以後私は鏡里以上に見事なお腹は見たことがない)
なお、この箱缶の横面には「浅草仲見世 評判堂 製」とあり、そうであればその中身は(私の記憶にはないが)同店が元祖である「げんこつあられ」だったはず。
◎現在の国技館は3代目
三代目: 「両国国技館」=存在地:東京・墨田区、1985(昭和60)年~現在
町名の横網(よこあみ)を横綱(よこづな)と読み間違えた方も多いのでは?
私も35年ほど前に、ある用事でこの国技館近くを訪ねた際に、付近にある住居表示のプレートに「横網O丁目O-O」と表記されているのを見て思わず、「横綱(よこづな)とはさすが国技館にちなんだ町名だな!」とその時は思っていたのですが、後日それは誤りであり横網(よこあみ)と知って、ちょっとがっかりしたものです。
こうなると、「横網」という町名の由来を知りたくなって、ちょいと調べたら、"江戸時代初期のこの地には海苔を採るための網を干す場があったので、江戸中期には「南本所横網町」と呼ばれていたことからきた名前"という説があるとのこと。





































































































































































































































































































































































































































