徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    カテゴリ:日話秘話飛話 > 珍風景・珍事件

    人間を含めて動物が生きていく上で必ず発生し、しかも大切な”糞”。今回は軽い?お話ですが、お食事前の方は時間をずらしてお読みください !

    こんなお話をするきっかけとなったのが・・

    先日、知人から貰ったものの使わずに15年以上箪笥にしまっておいた”手提げバッグにもなるリュック”(以降文中ではリュック)を取り出して、使ってみようとしたら、なんとまるでウンコのような臭いを発するようになっているではないか!!

    (念のため・・私はクレーマーではなく、かつてメーカー勤務だった経験から、メーカーとユーザーへの参考になればと思う次第です)

    ↓これがそのリュック。デザイン自体はは良いが・・
    (左端は500円硬貨)
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    サムソナイト社製の限定生産品だったようで、同社の商品分類では”バックパック”類に属するが日本では「スタルク バッグ」とも呼ばれた。

    本体寸法は(大まかだが)縦35cm、横27cm、マチ(側面と底の部分)は縮めて6cm広げて16cm
    素材は化学繊維?の布で前面と背面には(たぶん)プラスチック板の心材が入っているようだ。

    ↓ファスナー開閉用の丸い板状のツマミを引いてマチを広げるとこのリュックの容量が変えられる。
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    ↓背面の肩掛け帯は本体に引き込み式で、手提げとして使用時に邪魔にならない。
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    よく見たらこのリュックは有名なデザイナーであるフィリップ・スタルクが手掛けたものと記されていたので、私が即座にそして妙に納得したことは・・氏がデザインした”アサヒビールの建物屋上のオブジェ「フラムドール(金の炎)」が俗に「金色のウンコ」とも呼ばれていることと何かつながっている!

    ↓取っ手の基部には「Samsonite by STARCK」の凹文字が。また本体内部に貼付のタグには 「YAP by STARCH」とも記されている。
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    それにしても何故このような臭いが発生したのだろうか? 経年化学変化かな?

    ◎「フラムドール」(
    俗称「金色のウンコ」)とは?
    東京都墨田区にあるアサヒビール本社ビル横に併存する建物「アサヒグループホール棟」(1階はレストラン)の屋上に設置されたオブジェが「フラムドール」(フランス語で金の炎)(長さ44m)なのですが、建物とあわせて全体では聖火台で燃える炎の姿になっている。
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    アサヒビールのHPによれば、この炎は「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表わしていて、アサヒビール100周年の記念事業の一環として、1989年10月に竣工いたしました。
    設計者は有名なデザイナーである、フランス人のフィリップ・スタルク氏です」とのことだが・・

    浅草の雷門前に立って右を見れば、ちょっと向こうにその金色の炎が目にはいるので今や”浅草名物”としている案内もあり、そのオブジェを見た途端「あっ 金色のウンコだ!」と言ってしまう子供が多い。(大人は、そう思っても口には出しませんが・・)

    ↓雷門の前から私が撮影したもの(右下は人力車)
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    ちなみに、その左側の建物は「アサヒグループ本社ビル」で、全体は「なみなみとビールが注がれたジョッキ」をイメージしていて、金色の鏡面ガラスをめぐらした下層部がビールで頭頂部の白いボコボコは「あふれる泡」を表しているとのこと。(下層階は同社のオフィス、ただし最上部の22階はビールや軽食の展望ラウンジ、”泡の部分”にはショップあり)

    ↓中央が本社ビル。左端は墨田区役所。東京スカイツリーも見える。
    (「ウィキ太郎」氏撮影)
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    ◎フィリップ・スタルク氏とは?
    フィリップ・スタルク(PHILIPPE・STARCK)はフランス人の建築家・デザイナー。欧米では建築家で工業デザインをする人も多い。
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    ↑写真は「ハンスグローエジャパン(株)」のHPから引用

    氏のデザインした例は・・・ホテルなどの各種建築は勿論、
    上の写真で氏とともに写っている水栓(蛇口)、椅子、ソファ、照明器具、キッチン設備、調理器具、スピーカー、オートバイ、大型ヨットなど多岐にわたる。

    ↓レモン絞り器(Google Arts & Cultureより) / チェア(CassinaのHPより)
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    ↓ローテーブル (CassinaのHPより) / バイク(下写真)のメーター部分
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    ↓アプリリアのMoto6.5 (RIDE HIのHPより)
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    最近の自販機の「おつり・返金用レバー」が気になる? !
    写真ご覧になると、すぐお分かりになると思いますが・・そうです! あの金色の○○○に似ています! 色といい、形といい・・私の知る限り東京都と千葉県ではあちこちで見かけます!
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    ある日のこと、私の知人の身に、見たことも聞いたこともない症状が現れて慌てる事態が起こった。その状況は後述しますが、思い起こせば私自身も昔に似たような経験をしていたもの。それは・・

    ◎「一過性全健忘症」 !
    何の前触れもなく突然、脳の中で記憶する機能が停止して、その状態が30分~24時間続き、また突然に正常に戻るのだが、その間の記憶は完全に無いという症状が「一過性全健忘症」。
    この症状の原因は現代医学でも解明されておらず、40才代~70才代に多く現れ、どちらかと言うと男性のほうが多いそうで、さらに不思議なことにこの症状は一生の内に二度と現れないのだそうだ。

    ◎突然発症、突然消滅の実際 !
    その日、私と知人Aさん(70才代・女性)とBさん(40才代・男性)の3人はクルマで千葉市に在るスーパー銭湯に行き・・

    浴後に揃ってそこの食事処で早めの昼食を始めようとした際に、Aさんが突然に「(脱衣)ロッカーに忘れ物をしたみたい」と言って確認しに行ったが、暫くして無表情で戻ってきたと思ったらまた「忘れ物がある」と、同じような事を言って同じ行動をして同じような顔つきで戻ってきた。それは午前10時半ころのことだった。
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    私とBさんはAさんが2回目の同じ行動をして席をはずしている間に「これはおかしい。急に認知症が出たか?」と言って動揺したが・・

    Aさんが再び戻ってきた時には料理が運ばれてきていたので、Aさんにも「とりあえず食べよう」とうながして、途中(内容は忘れたが)二言三言の会話しながら食事を終えたところで、Aさんの行動の安全を考えてそこでの入浴を切り上げて・・

    次に皆でやはり近くのスーパーマーケットで買い物をしたのだが、今度はその店内を巡りながらAさんは「何か無くなったような気がする」と言って持っているバッグの中に手を入れてしきりに何かを探る動作。これを20分くらいの間に3回繰り返した。

    最後に喫茶店でコーヒーを飲んでいる最中には、Bさんに向けて「○○さんは元気なの?」、「○○さんの次の勤め先は決まったの?」(※○○さんはBさんの奥様のことで、転職先を探していた)・・という問いを発するのでBさんはそれに答える・・という同じやりとりを、これも20分くらいの間に3~4回繰り返した。
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    Bさんはこのような場合の対応を心得ていて、Aさんが同じ問いを繰り返しても、決して「それはさっき言ったでしょ」とは言わずに普通に返答を繰り返した。

    さて、ここでそれぞれ帰宅することになったがAさんの現状では放っておけないので私がAさんの自宅までクルマで送ることになった。

    車中でもAさんはまた「○○さんはどうなったのかな?」という言葉がまた出たほかはあまりしゃべらなかったが、クルマがAさん宅に到着する10分前くらいになって、急に元気な話し方になってよくしゃべるようになった。実はAさんはこの異常状態になってからは話し方に覇気が無く、従来の大声気味も消えていたのだが、どうやら元に戻ったと感じた。その瞬間が訪れたのは午後3時半ころで、発症から約5時間経っていた。

    こうして私はAさんを送り届けたが、Aさんの言動はまったく普通に戻っているようで不思議に思いながらも安心した。

    後日、会ってみたら会話も体の動きも以前と全く変わらないので、あの異変があったことが信じられない思いだった。

    revival

    しかし、あの日の5時間分の記憶はまったくないそうで・・
    ・浴場にあった何種類かの浴槽とサウナのどれに浸かったが記憶に無い。
    ・二度もロッカーに行って捜し物をしたことの記憶は無い。
    ・食事で何を食べたか記憶に無い。(本人曰く「だからせっかく美味しいものを食べた意味がなかった!」)
    ・歩きながらバッグの中の捜し物をした記憶無し。
    ・喫茶店に入ったこと自体が記憶に無い。
    no-memo

    ・・ということだが、その間に私が見たAさんの動作は・・しゃべり方は(多少覇気がなかったが)まあ普通で、ろれつが回らないことも無く、食事動作も普通で、歩いてもふらつきなど無い状態だった。

    しかも前述のように、記憶機能に関しては今回の発症前の記憶は消えていなかったから、それまでの心配事だった”○○さんの近況”を問う言葉が出たりしていた。     

    しかし当然のようにAさんは翌日に病院でMRI検査もしての診断をしてもらった結果は・・「一過性全健忘症」と言われたとのこと。

    お医者さん曰く「この症状の原因は解明されておらず、海外で若干の研究結果が発表されているものの信用はされていない状況です。ただこの症状は一度はあっても二度とは現れないとされていて、現に私がこの症状を診た数人の中にも、二度受診に来た人はいませんよ」・・だったそうです。
    in-hospital

    後から私は思うに、最初は”ああ、認知症になったか?”と思えたこの症状ですが、明らかに認知症とは違うのであって・・
    (1)認知症はゆっくりと現れるのに対して「一過性全健忘症」は突然発症。
    (2)認知症は記憶力が決して元に戻らないのに対して「一過性全健忘症」は完全に元に戻る。

    ◎ひょっとして、これが誘因か?
    ちょっと"伏線回収"的になりますが、ネットで調べると"一過性全健忘症の根本原因は不明だが、この症状が起きやすい状態、言い換えれば誘因”と考えられる例がいくつかあげられていて・・精神的ストレス時、過度な飲酒時、特定の薬や違法薬物摂取時、性交時、排泄のための"いきみ"時、そして突然の高温湯や冷水に浸かった時などがあるとされる。

    この最後の項目の"高温湯と冷水"というのは、前述のようにスーパー銭湯に入ったAさんに当てはまるかも知れない。もしかして高温サウナの直後に冷水浴槽に入ったかもしれないが、なにしろご本人の記憶が全く無いのでこれ以上確認できないが、有り得ることと考えられます。

    とにかく「一過性全健忘症」という名称が存在するということは、この症状が珍しくはないということで、これが一人暮らし、そうでなくとも一人で部屋に居る時、クルマの運転中などに発症すれば危険を招く恐れがあるものなので、この「一過性全健忘症」というものがあることは皆さん認識しておく必要があるでしょう。

    ◎私が昔に経験した”一時的記憶消失”?
    今から約半世紀前のことで、もう時効だからお話しますが・・私は深夜の酒気帯び運転の最中に全く記憶が無い状態があって、あやうく昇天(悪いことしているから天国は無いか?)するところで覚醒したことがあり、これは前出の「一過性全健忘症」と似るものの、原因が明らかであるから違う話ですが、絶対にやってはいけないと自戒をこめて・・

    1976(昭和51)年のこと、ある夜に私は当時住んでいた兵庫県加西市から大阪府寝屋川市に在る(知人が経営する)スナックに向けて、(免罪符にはならないが)”若気の至り”で無謀にもクルマで行き、サントリーオールド(ウイスキー)の水割りを2杯(だったか?)飲んで、帰ろうとしたのが深夜2時ころ(だったか?)。
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    普段ならこれぐらいのアルコール量なら酔わないのだが、深夜の睡魔を想定していなかった状態で、再びクルマに乗って走り出したところまでは覚えているが・・

    ふと気が付いて(後から考えると、居眠り状態から目が覚めて?)バックミラーを見ると、直ぐ後ろを走っている大型トラックがさかんにライトを上向きと下向き交互に切り替えて私のクルマに注意を与えているではないか!

    事の重大さに気が動転しながらもクルマを路肩に一旦寄せてまず反省の念が頭の中を支配したが10分ほど気持ちを落ち着かせながら休み、再びクルマを走らせたが今度は頬をつねったり、叩いたりしながらなんとか帰り着いた。

    後から思い返すと、スナックからの帰りには最初は一般道を走り、次に中国自動車道へ入るのだが、いくつか在る入り口のどこから入ったのかからして記憶に無い。

    実は帰路の全走行距離は約70キロで、その内のおよそ60キロが中国自動車道の走行であり、”走行中にふと我に戻った”のは大阪の吹田インタチェンジから入ったとして約50キロも走っていた地点であり、時間にして約1時間だろうか、その間の記憶が全く無いという恐ろしいそして馬鹿な行動”酒気帯び居眠り運転”でありました。
    drunken-drive

    助かったのは信号のない自動車専用道路でしかも元々交通量が多くない中国自動車道の深夜なので他のクルマが極端に少なかったからでしょう。そして幸か不幸かパトカーがいなかった。
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    もしもの結果になっていれば私はここでこの報告もできないことになっていたものの幸い生きているので、あえて”愚行の見本”の一つとして述懐する次第です。
    crash
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    P.S. タクシーの運転手さんから教えてもらった話では「酔っ払い運転のクルマは、走行のフラつきよりも、走行スピードが一定しないほうが多い」ということなので、昔の私の愚行運転も走行スピード不安定で注意喚起されたのでしょう。
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    ◎頭に糞を落とされたのはアラ80での初体験
    今年(2024)5月21日の午後、庭に出ていたら突然、私の頭に何かが落ちてきて「ピチャ」っと(音は感じなかったが)着いた。

    驚いて指で触ってみたら、白くてドロドロしたものですぐに鳥の糞だと分かったと同時に上の空を見上げたが、鳥の姿は見えず声もせず、あるのはただ青い空。ハテ何の鳥だったのか?

    何か白いものが頭に、しかし上空には青い空のみ
    fun-atama

    私は額から後頭部にかけて殆ど毛髪が無い(俗に言う)ハゲアタマなので、その糞はすぐ指で拭えてその後は水で簡単に洗って済んだが、これが普通に毛が有る人だったらこんなに簡単には処置できないだろうなと、不幸中の小さな幸い?を感じたのだった。

    後日に知ったが、この日は大安だったのでこれで少しウンが良くなるかとかすかな期待をしている。

    それにしても80才に近い私がこれまで生きてきて、わが身が糞害にあったのは初体験。しかも頭上に何も無い場所での糞との遭遇は確率としては非常に小さいはずで、逆にその確率が高いのは・・

    ◎駅のホーム、電線下、家屋の軒先など、糞害注意! 
    東京のJR秋葉原駅は総武線と山手線などがそれぞれ高架状態で交差するのでホームは構造的にも視覚的にも複雑駅の一つです(地下鉄どうしが地下で交差しても視覚上は複雑感は無い)が、それにともなってホーム上の鉄骨またはコンクリートの梁が多く存在することになり、そこに鳩が多数来て留まる結果、
    糞が大量にプラットホーム上に落とされる。
    doves

    私は現役の会社員だったある時期にはこの秋葉原駅で乗降していたが、ホームの所どころに「頭上ご注意 ハトのおとしもの」という看板がかかげてあったから、梁の下を避けて歩いたもの。

    ハト飛来防止用に金網を張ったり、大きな針山のような専用品(下図参照)を梁の上に設置してハトがとまれないようにする方法があるが、秋葉原の駅のような場合にはそれが適用しにくいのだろうと思う。
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    電線の下にも鳥の糞が落とされることも多く
    、先日には我が家の前の電線の真下で鳥の糞が巾5センチ長さ60センチくらいの一直線の白い帯状になって道路上に落ちていたが、これは明らかに鳥が電線上に多数並んでとまって”連れしょん”ならぬ”連れ糞”した結果だとわかる。
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    夏の今の時期ならたぶんツバメのしわざだと思われるが、私が過去に見た”電線上に並んだツバメ”の数で最大は14羽。ちょっと横道に逸れますが、ムクドリは20羽以上が並んでとまっているのを見たことがあり、同様にカラスの30羽ちかくを電線上に見たときはその全体が黒い大きなかたまりのようでちょっと不気味だったことがある。

    ツバメが巣をつくった家には幸福が訪れると昔から言われるため、その巣を大切に見守る家その他の施設などの建物は多いが・・
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    それに伴って発生するのが”巣の下の場所が糞によって汚れること”で、そのために糞の落下地点に受け皿状のものを置いたり紙類を敷くなどの対処がされるので、ツバメの巣の存在を知らない人でもすぐに気が付くことになると同時に、この家や施設の人のあたたかい気持ちがうかがえるもの。

    ◎露天風呂に鳥の糞が落ちてきた!
    私が海に面した露天風呂の湯に浸かっていた時のこと、いい気分になっているところに突然ポチャンと音がしたので何かと思って見たら自分の身からわずか20センチ先に白いものが”まるで溶き卵をお湯に入れた瞬間のような状態”で15センチくらいの長さでモヤっとして一部浮いて一部沈んでいるではないか!
    白いものがポチャンと・・ 
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    一瞬何かと思ったがこれは鳥の糞だと気づいたのですぐに空を見上げたがこの時も鳥の姿はなかった。

    同時に「わっ 鳥の糞が落ちてきた!」と周囲の人にも聞こえるように声をあげたら、ちょうど手桶が近くにあった人がそれを使って糞をすくい取って排水口に捨て、丁度近くに居た従業員が飛んで来て糞が落ちた周囲のお湯を処理した。後で思うにカモメの仕業だったのであろう。海上に2羽ばかり飛んでいたのが見えていたから。

    日本の露天風呂には屋根がついていることが多いが、その目的は”雨や雪が降る中でも気分よく湯に浸かっていられる”ことの他に”苔や藻を発生しやすくする太陽光を遮るため”なのだが、”裸という無防備状態にある時に頭上からの(糞に限らず)落下物から身を守る”ことにもある・・ということになる。

    露天風呂の屋根有りと無しの双方に利点はあるが・・
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    (↑左:和歌の浦温泉・萬葉の湯/右:万座プリンスホテル)
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    先日、JR東日本が京葉線(蘇我~東京)の混雑緩和のためと称して、これまで走らせていた「快速」29本と朝の通勤ラッシュ時の「通勤快速」4本を廃止したダイヤに変更した結果、快速2本を残して、ほとんどが各駅停車になってしまうことになり、利用者や沿線自治体の猛反発と抗議の声がまだ続いている。
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    京葉線車両(「週刊東洋経済web版」より)

    確かに京葉線の朝の”上り”は電車が東京駅に近くなるほど相当に混むことが難点だった。しかし私の知る京葉線の乗客過密度は”昔に私が経験したレベル”に比べれば緩やかなもの。

    かつて東京都豊島区に住んでいた私は文京区にある高校に通うために西武池袋線の東長崎~池袋の間と山手線の池袋~巣鴨の間を利用していた時期、それは今から60年くらい前のことになるが、両線とも電車内過密状態は酷かったので、その状況をご紹介すると・・

    ◎肋骨(アバラ骨)折れそうになるほどの”人圧”の凄さ!
    高校通学のある日の朝、西武池袋線の東長崎駅から二駅先の終点・池袋行きの電車に乗ろうとしたが、いつもの超満員がこの日は特に超々満員状態なので乗車口の”人のかたまり”に向けて、私は1メートルくらい離れた所から勢いをつけて体当たりすると同時に背を反転して、乗車口の上枠にかけた手と床に踏み入れた脚で体を突っ張りながら尻で押し入ってなんとか乗り込めたが・・

    閉まったドアの内側に胸がピタリと付いた体勢(まるで胸部レントゲン撮影時のよう)で、背中側からは強力な”人圧“に押されて全く動けないまま(次駅では反対側ドアが開くので)終点の池袋までの約6分間をその状態で我慢するハメになってしまった。

    ところが電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が驚異的と言うよりも脅威的に増大して、私の胸は硬いドアにさらに押し付けられて(胸囲的圧迫?)肋骨が折れてしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、とにかく池袋駅に到着して電車を降りて危機的状況から開放されたのだが・・


    “胸部の痛み”はその後数時間、その日の午前中いっぱいまでは続いた。
    電車内での胸部圧迫はたった2~3分間だったにもかかわらず、その後の痛みが数時間ということは、車内人圧がいかに凄かったかがお分かりでしょう。
     
    ◎肋骨折れそうになるほどの”人圧”発生原因解明!
    前述のように 電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が脅威的に増大した事態の原因が、なんとこの文章を綴る直前に判明した(ので私事ながらスッキリした気分になった)次第。・・それは・・

    私が池袋行き西武池袋線の「東長崎」駅で(進行方向の)右側ドアから乗り込んだものの人圧で胸部がドアに圧接⇒次駅の「椎名町」駅では左側ドアが開閉して私は胸部圧接のまま⇒次駅の終点「池袋」までの距離の2/3ほど進行した地点で左に90度以上に曲がるカーブが在り、そこで車内の”人のかたまり”は大きな遠心力によって右側に偏るために、右側端に居る私は”さらなる圧迫”を受けたのだった!下図参照ください!
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    私が勝手に「魔の90度カーブ」と呼ぶその場所は、中学生時代に社会科の先生から「あのカーブでは昔、人が振り落とされることがあった」と教えられてもいた。終戦直後の日本中の列車にはデッキや窓枠に車外からしがみついている人が多い写真をよく見るが、そんな時代の話なのだろうか?そんなわけで電車がここにさしかかると当然のように減速はしているのだが、それでも私は本当に痛い目にあったもの。

    その他にも我が人生で最も過密な電車に乗った時期(60年前頃)に経験したいくつかの事例を紹介します。

    ◎超過密はある面で楽?
    電車内では特に乗降口付近がぎゅうぎゅうな状態になり、乗客どうしの身体が密着するので、つり革など持たず、脚を踏ん張らなくても体が揺れたり倒れたりすることがないし、軽い鞄などは手で持たなくても”人と人の間で”宙に浮かせることができた。現在のような中途半端な混雑状態ではこうはならない。

    ◎電車の窓ガラスが人圧で割れることたびたび!!
    私が通学に利用した山手線の池袋~巣鴨の間でも電車内過密状態は酷く、”超満員の人の圧力で(ドア付近の)ガラスがパリンという音とともに割れる音が頻繁に聞こえた”・・ガラスが割れたのを見ることなど人のかたまりにさえぎられて到底できず音で知るしかなかったというわけです。(電車用のガラスの強度は今昔で若干の差があったかも知れないとしてもやはり人圧はすごかった)

    ◎私は口紅を付けられた!
    ある日のこと、ぎゅうぎゅう詰めで身動きはできない状態で、何か人の顔が私の学生服の後ろ肩に触れたようなので気になって後で見てみたら”みごとに口紅の跡が付いていた”ということがあった。黒地にピンクは目立つのに駅から学校までの徒歩15分の間に級友に気が付かれなかったようで助かった。

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    大昔と違ってその当時はすでに「おちない口紅」(実際は”おちにくい”)が普及していたのだが・・

    ◎目的駅で降りられぬ人も多かった
    電車の乗降口付近はどうしても人が過密になるので、車掌によるアナウンスの「入り口付近より中にお進みください」に従っていたら、自分が降りようとする駅に着いても人のかたまりに邪魔されて降車失敗する。当時「降りまーす、降りまーす」という声はしょっちゅう聞かれたが、望み通りに降りることができない人も多かった。このような状態を知った人たちが目的駅での降車失敗をさけるために、電車乗降口付近に留まるためますます過密になる悪循環は続いた。

    ◎「尻押し部隊」活躍
    満員電車に乗り込むのに苦労している人の体を車内に押し込む作業をする「尻押し部隊」(俗称で他にも呼び名あり)は1955(昭和30)年に旧国鉄(現JR)新宿駅で初登場。その後乗降客の多い駅に普及して、私も押された経験は何度かありますが、実際は”尻を押すわけにはいかない”ので背中を押すもので、その他に、閉まりかけたドアからはみ出たバッグや服も押し込む役目もある。これを行うのは駅員の他に学生アルバイトも多いらしい。

    ◎痴漢の冤罪さけるために両手を上げる人いるが・・
    痴漢の疑いをかけられることを避けるために、自分の両手の指先があごのあたりにくるように、よく医療モノの映画やドラマで執刀医が手術直前にする”手上げ?”と同じような格好をする人がたまにいるが、
    gekai
    この行為は超過密状態ではむしろできない。なぜなら自分の手さえ動かせないし、無理に動かそうとするとその動きが疑われることになる。むしろその行為による”曲げた肘”が他人に当たって痛みを与えてしまうから迷惑行為になってしまう・・というわけで、この”手上げ”行為が可能な状態というのは”手が自由に動かせる程度の混雑時”となる。

    ◎昔のような乗客超過密な電車が無くなった理由は?
    ・鉄道路線が増えた
    特に東京圏では地下鉄網が増大して、1960年代末時点では銀座線、丸ノ内線、荻窪線(後の丸ノ内線の一部)、日比谷線、都営地下鉄浅草線が存在していたが、その後に増えたのが東西線、千代田線、有楽町線、南北線、半蔵門線、副都心線、都営三田線、都営新宿線、都営大江戸線。
    地下鉄以外ではJR埼京線、JR京葉線、都営舎人ライナー などが増えた。

    一方で路面電車の都電は1972年に荒川線を除いて全て廃止されたが、乗員輸送力への影響は少なかった?。

    ・その他、通勤・通学客自体が減少した要因としては・・オフィスや工場の郊外や地方への移転、フレックスタイム制導入増加、リモートワーク増加、少子化による学生の通学者減少などがあげられている。
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    悲話 : これもおよそ60年前のこと、通学のために前出の西武池袋線「東長崎」駅で、ホームに到着した池袋行き電車の先頭車両に乗り込もうとしたら、とんでもなく乗客過密で、いつものように力任せにわが身を突進させても”人のかたまり(これも「団塊」と言えようか?)”に跳ね返されてどうしても乗車は無理とあきらめた瞬間、ふと見ると車内になんと高校のクラスメートしかも日頃ちょっと気になる女子がいて顔が合ってしまった、と言うより私が乗車失敗する様子を見ていたようで、恥ずかしいやら悲しいやらの思いを抱きながら一本後の電車になんとか乗れたのでありました。ちなみに彼女は7つ前の駅から乗車していたので比較的楽に乗車できていたのだった。

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    ※参考
    ↓写真は京葉線の始発駅「蘇我」で発車直前の各駅停車用の車内で、ダイヤ改正後間もない4月3日(平日)午前6時45分頃に私が撮影したもの。その後終着駅「東京」近くになっても(十分に通勤ラッシュ時間帯になっているが)混雑度は、かつての私の経験に比べれば「大したことはないレベル」。ただしそれがダイヤ改変の影響なのかは分かりませんが・・
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    ◎カメムシDream Come True ?!
    先日(2023年11月某日)の午後、自宅のパソコンに向かっていていつのまにか15分くらい居眠りしてしまい、目覚めたのが1時半頃。

    その目覚めの直前に私は夢を見ていて・・その内容は”自宅居間のローテーブルの上を一匹の体長5ミリくらいの小さなカメムシが這っているのを見つけた。

    ↓よく見られるカメムシ 左:ツヤアオカメムシ 右:クサギカメムシ

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    (↑写真左:「兵庫医科大学 夏秋優 准教授撮影」/右:Wikipediaより)

    ご存知のように、カメムシは刺激を与えると、くさい臭いを出すので、近くに在る空き瓶でいざ捕まえようとしたら、そのカメムシがいつの間にか急に大きくなって体長15ミリくらいに変身しているのでびっくりした”・・というところで目が覚めた。

    「ちょっと不思議な夢だったな」と思いながらぼんやりしていて2分くらい経った時に突然、キッチンに居る妻の大声が・・「うわー ! カメムシー ! 」

    とっさに「えっ カメムシ? なんなんだ この”夢と現実のつながり”は!」と思いながらキッチンに向かうと、窓の網戸の外側に体長1センチくらいの灰色のカメムシが張り付いているではないか!

    それならば、捕まえて「子供の頃に体験した”カメムシの出すくさい臭い”を久しぶりに嗅いでみようか」と思った私は(これまたさっきの夢の中の行動と同じように)空き瓶を探すが見つからないものの透明プラスチック製の小型容器が在ったので、これを持って網戸の外側にまわってみたが、そのカメムシはいなくなっていた。

    どうやら妻が、ひょっとしてカメムシから臭いを放出されて、それが部屋に入ってきては困ると考えてガラス窓を勢いよく閉めたので、ガラッという音に反応してカメムシが逃げてしまったようで、残念という思いと同時に、この”夢の中と現実のカメムシ出現”はまさに「Dream Come True※」の文字どおりではないか!と心の中で叫んでしまった次第。 (※通常は少しちがう意味で使われますが)

    dreamskome
    (「U-NEXT」のCMより)

    ではなぜこの不思議現象が起こったのか?

    私は経験上、”ものごとは無から有は生じない”と理解している(但し宇宙の時空間の生まれについては理解不能?)ので、“カメムシが夢に出てきたこと”は腑に落ちる。その理由は・・

    一か月ほど前に、テレビで”今年も多くの都道府県でカメムシが大量発生している”というニュースを観ていたので、その情報が私の脳内に残っていたからと思われる。

    しかし、夢にカメムシが出るのは納得できても、その夢の2分後に現物が現れる理屈がわからない。

    ◎亡き母の予知能力
    今から25年ほど前、ある晩の10時頃に母から電話がかかってきた。日頃こんな時間に電話をかけてくることはないので何事かと思いながら電話口に出ると・・

    「あなたがクルマで事故を起こした夢を見て、どうしても気になったので電話したのだから気をつけるように」・・という内容だったので、ちょっと変な気分になったもののあまり気にせずに寝たのでしたが・・

    翌朝、通勤のために自分のクルマを運転中になんとバイクが車体横腹に接触する事態が起きてしまった。幸いにも双方たいしたダメージもなかった(私のクルマは少々のかすりキズのみでへこみは無し)ので、合意のもとでそのままその場を去ったが・・

    その直後に、昨晩の電話での母の予告?が当たっていることに思わず鳥肌がたった・・ということがあった。

    このケースでも、母は私が過去に小さな事故を起こしていることを知っていたから、それが夢に出ることは納得できるものの、電話で事故発生予知通告されてから9時間足らずして現実に起きるということの理屈がわからない。

    わかったことは・・古今東西で語られる「夢の中のお告げ」は確かにあるということ。

    ◎余録:カメムシについて
    1)「カメムシ」は数ある仲間の総称
    「カメムシ」という名の虫(昆虫)はおらず、日本国内に1000種以上にのぼる仲間の総称であるが、文献などでは総称する場合には「カメムシ類」と表記している。

    その仲間にはすべて「〇〇カメムシ」や「〇〇カメ」などの正式名が付いている。しかし日本各地にはその地方独自の呼び名があり、その総数は40を超すほどで、例えば「ヘッピリムシ」、「ヘクサムシ」、「クサンボ」などがある。

    2)カメムシは臭いの強さを、目的に応じて使い分ける
    敵などへの威嚇、仲間へ警戒呼びかけ、仲間を呼ぶ、求愛などに、それぞれ臭いの強度(分泌液噴射量)をちがえている。

    3) 「カメムシ類」の中には”くさくない臭い”を出す種類もある
    「キバラヘリカメムシ」や「オオツマキヘリカメムシ」などは”青りんご”のような臭い、「オオトビサシガメ」は”バニラ”のような臭いを出す。

    4)農林水産省発表の「カメムシ注意報」今年21府県に
    今年(令和5年)も「カメムシ類」大量発生ありとして21府県に注意報が出ていますが、実は昨年のほうが対象地域は広くて35都道府県に及んでいた。

    注意すべきカメムシ類は2種あって、”果物の汁を吸う「果樹カメムシ類」”と”稲穂の中の米の汁を吸って、黒っぽい点になる吸い跡を残す「斑点米(はんてんまい)カメムシ類」に分かれ、後者は関東以西に多い。

    カメムシ類はストローのような口で果物や米の汁を吸い取るので、米は黒い斑点ばかりでなく米粒がしぼんで平たくなることがある。

    斑点米カメムシ被害にあった米(農研機構のHPより)
    hantenmai

    東京や大阪の都会の住宅や街灯にも少なからず寄り付いていることもあり、外に干している洗濯物や布団にも付くことも多いとのこと。

    5)有益なカメムシもいる!
    高知県ではナス栽培時の害虫退治に"カメムシ類の中でも雑食性の「タバコカスミカメ」という種類のカメムシ"を使って害虫を捕食させていて、15年間で収穫量は2割増加、使用農薬は4割削減という好結果を生んでいる。

    ◎飛話:カメムシ と セイタカアワダチソウの類似点?
    1)カメムシは自分で出した臭いが充満すると自分が死ぬ!
    カメムシが出す強い臭いは(尻からではなく)腹の「臭腺」という部位から射出される化学的に有害な分泌液によるもので、かなり刺激性がある臭いだけではなく我々人間の皮膚に直接付くと炎症を起こすほどなので、カメムシ自身も分泌液が身に降りかかっても安全なように体表は”セメント層”というもので覆われている。

    このように強烈な性質をもつ分泌成分なので、カメムシを密閉容器に入れた状態でこれを分泌させ臭いを充満させると、まず失神し、さらに経過すると死んでしまう。

    2)セイタカアワダチソウは自分が出した毒液で自分が死ぬ!
    まず世間の一部ではセイタカアワダチソウとブタクサが混同と誤解をされているようなので・・

    あえて両者の共通点とするならば、小さな黄色い花を咲かすことぐらいで、全体の姿は全く違っていて、セイタカアワダチソウはクリスマスツリーのもみの木の樹形のようになり、ブタクサはまとまりのない形になる。 

    ↓セイタカアワダチソウ (写真は「もりのいと」のブログより引用)
    seitaka

    ↓ブタクサ 
    (写真は「エスエス製薬」のHPから引用)
    butakusa

    そして”花粉”について誤解されていて、正しくは・・
    “花粉アレルギーを起こすのはブタクサの花粉”。なぜならセイタカアワダチソウの花粉は重いので風による飛散がおこりにくいから。

    さて、“セイタカアワダチソウは自らの毒で自滅する”のだそうで、その経緯は・・
    ある土地で成長しだしたセイタカアワダチソウは、その土地における他の植物の成長を阻害する「アレロパシー」なる物質を根から分泌して、自分だけの勢力範囲を広げる。

    ところが繁殖したある時点で自ら分泌した「アレロパシー」が自らを攻撃して、言わば自家中毒状態になって枯れて自滅してしまう。結局、その土地における”セイタカアワダチソウ帝国”の繁栄は10年ほどだそうです。その跡地には他の植物(ススキなど)がまた生えてきます。

    私が
    セイタカアワダチソウを最初に見たのは50数年前の関西のある郊外においてでした。それまで見たことが無かった"一面が黄色の情景"に思わずカメラのシャッターをきった覚えがあります。しかしそれから半世紀たって、関西が、いや日本がセイタカアワダチソウの黄色で埋め尽くされていないのは納得です。

    「驕れる者は久しからず」・・ですかね。
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    条件が違うとは言え、カメムシとセイタカアワダチソウの”自分の分泌物で自分が死ぬ”という2例でした
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    先日(2023年9月10日)、リビアで複数のダムが決壊して洪水となり多数の死傷者が出たばかりなのに・・
    10月4日にはインド北東部に在る氷河湖をせき止めていた”氷河の氷と土砂から成る天然のダム”が大雨によって決壊して、これまた多数の犠牲者が出ているというニュースが伝えられた。・・ということにちなんで今回は”ダム関連のお話”です。

    ◎「ダム津波」による鉄砲水?!
    「ダム津波」とは、ダムによって出来たダム湖の水が何らかの理由で盛り上がって巨大な波を生んで津波のようになるもので、その結果、莫大な量の水がダムの堤を乗り越えてダム下流の町などを襲って災害を引き起こす。

    1963年10月9日22時39分、イタリア北部のヴァイオント渓谷に在る「ヴァイオントダム」のダム湖の左岸(下流に向かって左側)の「トック山」の山肌が巾1700メートルにわたって地滑りを起こして莫大な量の岩や土砂がなだれ込んだために起きたダム津波

    ダムの堤を乗り超えて(大音響とともに土石を含んだ)”鉄砲水”状態となって2キロ川下の「ロンガローネ村を襲った。これにより犠牲者は2000人以上におよび、
    殆どの建物が流されて消滅した。

    ↓災害後に放棄された状態の現在の貯水無し「ヴァイオントダム」(後方の白い山肌が地滑り部分)
    ※ダム完成時は高さ261メートルで欧州一だった。ちなみに戦艦大和の長さは263メートル
    (以下写真の計5枚は「ナショナルジオグラフィックチャンネル」より引用)
    italian-dam4

    ↓災害起こした直後のダムと地滑り跡
    after-of-dam

    ↓災害直後の村の様子
    italian-dam5

    italian-dam2

    この災害の根本的原因は”ダムの立地選定の誤り”にあるが、”ダム湖左岸の地滑りによる波の発生規模の予測の甘さ“が招いた面もあり、適正な予測に基づいて、ダム下流域の住民を避難させていれば少なくとも死傷者を出さずに済んだ。・・というわけでこれは人災と言われている。

    そもそもダム湖左岸のトック山の地肌は昔から頻繁にき裂が発生して小さな崩落が多くて、地元では「歩く山」と呼ばれていたものの、ダム建設のための地質調査はダムが直接接触するごく近辺に限っていた。

    しかしダム完成後に山肌のき裂に気付いて、いずれは大規模な地滑りが起きることが予想されたので、き裂巾変化を毎日監視した結果、湖水量の増減、すなわち湖水面の上昇・下降によって”滑り落ちに向かう速度が調節できることが判明したために、意図的に湖水面を上下させて滑り落ち速度をゆるやかになるようコントロールしていたところ・・

    ある日突然、き裂巾が大きくなり、近日中に大きな地滑りが起きることが決定的になったので、それならばと、土石が湖水に没入した際に起こるであろう大きな波を予測するため(まだコンピュータ解析などがなかったので)、ダムと周辺地形の300か400分の一?くらいの模型を作製して実験した結果、

    地滑りによって起きる波は高さ20メートルと推定されたので、水面はダムの堤から25メートル下の位置まで下げておけばよいということになった。

    こうして いよいよ地滑り発生日とおおよその時刻がわかったので、10月9日の18時頃から、このダムに関係する国営電力公社の作業員ら60人がダム堤の上に集まって地滑りとそれによる波の状態を観察(見物?)しようと集まっていた。

    ↓堤上で待ち構える人たち(再現映像)
    italian-dam6

    そして22時39分、45秒間の地滑りによって、(後日の推計によれば)”30階建てのビル90棟分にあたる3000万トンの水”が、予想の高さのなんと10倍の200メートル(70メートル説もある)まで立ち上がって巨大津波となり、かるく堤を超えてしまった。しかもその速度は時速140キロだったとされる。

    言うまでもなく堤上にいた者は波とともにことごとく消えて居なくなった

    以上のようにダム関係者は、”この地滑りによる大波はダムの堤を超えることはないという予測”に基づいて、川下の村には何の予告もしていなかったから、多数の犠牲者をだしてしまったのであった。

    ところで、ダムが原因の災害というものは大概は”ダム決壊”によるもので、1800年代末期からの記録に残る大規模な事故だけでも海外で20数件。中には1975年の中国・河南省で台風による大雨により大小62のダムが決壊して2万6000人の死者を出した災害もある。日本では規模は小さいものの10件ほど起きています。

    ただし”ダム決壊”には2種類あって、一つは”予期せぬ決壊”、もう一つは”戦時の攻撃による意図的決壊”。
    過去には第二次大戦時に英国軍がドイツのダムを、中東戦争時にはイスラエル軍が、朝鮮戦争時には米国軍がダムを攻撃している。現在はジュネーブ条約で禁止されているそうですが最近ではウクライナで
    ダム攻撃が発生しているのはどうゆうことなのか?

    ◎ダムの急斜面を登り、歩くヤギ(山羊)たち
    ヤギの珍しい行動として“細い木に登るヤギ”が紹介されることは多いものですが、これはモロッコで見られるもので”アルガンという木”の実を食べるために登るのだそうです。

    ↓木に登る3匹のヤギ (以下の写真はすべて「アニマルプラネット」テレビより引用)
    goat-on-tree2

    しかし、もっと珍しくてしかも驚くのが”ダムの急壁面に登るヤギ゙”。

    所はこれも北イタリア、アルプス山脈の中の標高2200メートルの地点に在る「チンジーノ・ダム」。その高さ50メートルのダム斜面は垂直に近いような感じであり、その(内部はわかりませんが少なくとも)表面大部分は”ほぼ四角の岩石”が積まれた壁のような状態。

    ↓チンジーノ・ダム
    dam-goat1

    驚くことに、このダム壁面にへばり付くようにして数匹から10匹くらいのヤギが下から上へ、上から下へ、左右へと移動している姿が見られる。

    ↓手前のヤギは頭を谷側に、お尻を天空に向けている
    dam-goat2

    dam-goat3

    ボルダリングをする人間が持っている10本の手指を駆使して壁面移動するようなことがヤギにできるわけでもないのに何故に可能なのか?

    実はこのヤギは「アイベックス」という種類で、もともと山岳地帯の急峻な岩場を行動する動物で、短足で重心が低く、鋏のような形のひずめと、たくましい筋肉を持っている。
    aibex

    そして、いくら慣れていても危険であるこの行為の最大目的は・・ダム壁面の石材表面の塩を舐めて塩化ナトリウム他、ミネラルの補給にある。雨が降るたびに岩が含んでいる岩塩成分が表面に浸みだすのだそうだ。(上左写真は舌を出して舐めているところ)

    特にこの行為は、子を産み、子を育てる、あるいは子が育つために重要なので、このダム壁面には雌と子供しかいない。
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    生物にとっては塩分とミネラル摂取は重要なことで、ここでとりあげた”ダム壁面の塩をなめるヤギ”のほかにも変わった方法を使う例をあげると・・

    “他の生物の涙を吸って、塩分とミネラルを摂取する”生物がいる。それは・・
    カメ、ワニ、眠っている鳥などの目の涙を吸う・・チョウ、ガ、ハチ(蝶、蛾、蜂)など。

    ↓カメの目の涙をよってたかって吸う蝶たち(アマゾン地域)
    tear-steal

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    ◎私とダムとヤギ
    私は以前のブログで”三船敏郎主演のダム映画「激流」”や”石原裕次郎が製作断念したダム映画「香港の水(仮題)」”その他”岩手県の田瀬ダム”などをとりあげたこともあり、今回も含めて何やらダムを題材とすることが多いのは・・

    ”私の父がかつてダム建設や隧道(トンネル)が得意な建設会社に勤務していた”のでダムの話を耳にすることが多かったこと、子供の頃にダム建設現場に連れていかれたこともあるなどが影響していると思います。

    また”ヤギ”についてもふれたのは、私がかつて住んでいた東京都豊島区椎名町(現、南長崎)では昭和20年代後半頃でもまだ麦畑や牧場が小規模ながら存在していて、我が家では祖父がニワトリやヤギを飼っていたので、子供の頃の私は卵と”ヤギの乳”で育ったようなもの。

    絞った乳は殺菌のため祖母が加熱処理したものを飲んでいた。・・といわけで私はヤギにも親近感があるためです。

    ↓このヤギの乳を飲んでいた(左の子供が私)
    goat-yard

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    今回、ダムと動物を登場させましたが、この関係で言えば・・”ビーバーが作るダム”も欠かせぬ題材でしょうが、文量が多くなるので省略します。
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    1968(昭和43)年9月2日~11日までの10日間、東京→北海道巡行→(千葉県経由) →東京の4200kmを大学生仲間4人グループがクルマ旅。前回は札幌を出発したところまでのお話。今回はそれより少し西を回ってから帰路につきます。

    ↓道内を反時計回りに進んだ走行経路図(クリックで拡大)
    hkd-map

    ◎余市のニッカウイスキー工場
    札幌から西の小樽を(なぜか)素通りして、積丹(しゃこたん)半島の北側の付け根に当たる余市町(よいちちょう)に至り、ニッカウイスキーの工場(正式名:余市蒸留所)入り口まで来たが中には入らなかった。それには、奇跡的?にも我ら全員が”酒好きではなかった”ということも影響しています。しかし、門の外からでも見えた工場建物独特の”とんがり帽子”の姿は印象に残りました。

    ↓ニッカウイスキー余市蒸留所の正門前からの撮影だけ行った
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    今、調べてみると、ニッカウイスキー(株)※の創業者:竹鶴政孝(1894=明治27年生まれ)氏※はウイスキー作りを学んで英国からリタ夫人を伴っての帰国直後はこの余市工場内敷地に建てた住宅に住み、後に工場外に居をかまえたが、亡くなる1979(昭和54)年まで一貫して余市町内に住んだそうなので、我らが1968年にここを訪れた際にはまだお元気でこの工場内に居られたかも知れない。ただし、奥様のリタさんは1961(昭和36)年に他界されていた。

    ※ニッカウイスキー(株)は2001年にアサヒビール(株)(現、アサヒグループホールディングス)の完全子会社となった。
    ※竹鶴政孝をモデルにしたNHKの朝ドラ「マッサン」が2014年に放送された。

    ◎「ローソク岩」は何か感じる?
    余市町の中心から10キロほど西に(同じ余市町だが奇妙な町名の)「余市町豊浜町(よいちちょうとよはまちょう)」という所があり、そこの沖合約500mの海面からニョキっと垂直に立って高さ約45mになる細長い岩が「ローソク岩」。その姿だけでもその名に値するが、朝日が丁度その岩の先っぽに重なって、ローソクが灯ったように見えると、ピッタリの名となる・・とのことですが・・これが見られるのは夏至を挟んで前後各2回のある限られた時期のみだそうで・・
    rousoku001
    ↑画像は余市町のHPより

    我らがここを訪れたのは、時期、時刻とも完全にずれていて”火が灯っていないローソク”を見たのですが・・この岩の根元に在る岩の形と相まって、全体が”あるシンボル”のようにも見えます。

    後述しますが、現在のローソク岩が過去にはもっと大きく太い形であった時代にアイヌの人たちはこの岩のことを「カムイ・イカシ」(男神)と称していたとのことで”さもありなん”です。

    ↓我ら二人の視線の先に在るのは”ローソク”か、それとも・・
    rousoku-up

    この岩の組成は溶岩が水中で冷え固まったもので脆いのだそうで、太古にはそうとう大きかったものが時代とともに崩壊が進み、ついに1940(昭和15)年の積丹半島沖地震の津波によって半分に割れてほぼ今の形になったそうですが、その後も小さな崩壊・崩落があり、2016(平成28)年にも先端が欠けたそうなので、我らが半世紀前に撮った写真と現在のものを比べてみたのが次の画像で、明らかに現在は”短小”化して先が尖っています。

    ↓左:1968年に我らが撮影/右:最近(DomingoのHPより引用)
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    ↓ローソク岩を見た海岸で (ここも砂利道だった)
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    ◎再び通った八雲町は木彫りの熊の発祥地だった!
    いよいよ帰路に向かって内浦湾(噴火湾)沿いの往路と同じ道を南下して、途中で再び通過した八雲町は、(先記のように)立ち寄ったガソリンスタンドで粗悪ガソリンを入れられたという良からぬ印象があったのですが、後で知ったことは、この八雲町は食品以外の北海道土産としてポピュラーな”木彫りの熊”の発祥地であり製作地でもあるということです。ただし現在は旭川市も製作地だが八雲では熊だけの姿なのに対して旭川は熊が鮭をくわえている姿・・という違いがあるとのこと。

    ↓左:八雲の木彫り熊(八雲町木彫り熊資料館HPより)/右:旭川の木彫り熊(ヤフーショッピングのサイトより)
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    ◎駒ヶ岳が見える大沼国定公園で道内最後の休憩
    この地は”行き”に通過していたもののよくは見ていなかったこともあり、休憩がてら北海道で最後の風景として眺めた。本来は大沼という名の湖とその後ろにみえる雄大な裾野の駒ヶ岳(1133m)をセットで眺めるのが定番だが、時間の関係で我らは大沼に隣接する小沼という湖越しに駒ヶ岳を見ることになりました。
    ↓駒ヶ岳遠望
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    そしていよいよ南へ20キロほど先の函館港へ到着し、そこから往路と同じフェリーに乗船して大間へ夕刻に到着。夕食をとっった後すぐに、大間から一気に飛ばして(立ち寄り地の)千葉県の太平洋側の某所経由で東京までの約850キロを走行して(途中2回の食事をとって)午後5時頃に新宿へ到着しました。

    ◎大間~千葉~東京をぶっ飛ばし走行で得たテクニック?
    帰路の内、青森県から東京近くまでは長い国道4号線を使ったのですが、クルマが極端に少ない夜間走行の部分が長かったので、その間は(違反ですが時効?)時速50~60キロで飛ばしました。

    そこで起きたのが・・当時の幹線道路は舗装されているとはいえ、平たんな道路の途中に(コブ状態ではなく道幅全体が)こんもり盛り上がっている部分が在るという箇所が少なからずあって、スピードを出して走行中にこの部分に出会うと、車体はその道路の盛り上がり頂点では少し浮き上がるか又は空中に浮く(ラフロードのラリーでよく見られる)状態となり、盛り上がり部分が終わって平たん部分に着地すると車体はガックン、ガックンと揺れます。

    これでは夜間で眠っている他の同乗メンバーを起こしてしまうので、何とかならないかと2,3回試行錯誤の結果、体得した方法が・・

    道路の盛り上がり頂点で車体が浮き上がり気味または空中に浮く状態となった状態では車輪(動輪)が空回りするのでアクセルから足先を離しますが、次に車体が着地すると同時※にアクセルをグッと強く踏むと、車体がガックン、ガックンすることが無くスムーズに前椎する・・というもの。ただしこれを実行したクルマは後輪駆動車であり、他の前輪駆動車や四輪駆動車でも同様な効果があるのかは分かりません。

    ※ここで言う「同時」とは・・接地の瞬間には駆動輪のタイヤにエンジンのパワーが伝わっていなければならないので、アクセルとの間のタイムラグを考えて、接地のコンマ数秒前。

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    後年、社会人になってある時に上司を乗せて社用車を運転中に、道路の盛り上がり部分があったので、前述の方法で対処した途端に、その上司が私に向かって「○○君は運転がうまいなあ」と言われたことがあります。

    ◎泥汚れを「満身装衣」して新宿到着
    全4200キロ走行中に(窓ガラスとライト以外は)一度も洗車しなかったので、新宿駅前に到着した車体には泥の膜がこびりついていた。そこで車体横腹に指で文字を書いたのが下の写真。

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    ◎(参考)同時期に「カニ族」が北海道に大発生していた!
    1960年代後半から1970年後半にかけて、大学生など長期の夏休みが取れる者たちのあいだに、鉄道の周遊券を利用するなどで交通費を抑え、かつ安い宿泊施設、ユースホステルに泊る、あるいはテントで野宿しながら旅をすることが流行り、その実行者たちが背負ったリュックが当時は(現在の様な縦長ではなく)横長でしかも幅約80センチが主流(女性用は少し小型)だったので、列車内通路や乗車口ではリュックを背負った状態では横歩きしなければならず、これがカニの歩き方のようだということで付いた名が「カニ族」。これは今で言う「バックパッカー」。
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    ↓帯広駅前には無料宿泊テント「カニの家」が設置され、ここだけでもひと夏に約3000人の利用があった。(画像は「北海道ファンマガジン」のHPより引用) 
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    現在は帯広駅からクルマで20分の所にログハウス調の無料宿泊所あり、オール電化のキッチン付き。女性専用スペースあり。・・なので年間約1000人が利用。

    カニ族にとっては特に北海道が人気だった。その影響の一つが国鉄広尾線の”「愛国」駅から「幸福」駅行きの切符」の入手がブームになったこと。

    私の手許に在る切符(戴きもの)
    koufuku

    ただし、我らが9月に入ってから訪れた北海道ではもう肌寒いせいか、カニ族は見当たりませんでした。

    ◎只一つ見た花「エゾリンドウ」
    この北海道の旅で見かけたのは本当にこの「エゾリンドウ」だけ。ただし「エゾオヤマリンドウ」という種があり、こちらは高地に咲くという違いだけで、この2種の見分けはかなり難しいとのことで、花名は後者かも知れません。
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    ◎今にして思えば・・
    我らが北海道クルマ旅をした1968年は、カニ族も隆盛の一方で、ベトナム戦争の最中でもあり、派兵拒否米兵が北海道経由で亡命したり、また大学紛争(闘争)、学園紛争も過激化しているという時期だったことは複雑な気持ちになるものです。

    この旅の実行にあたっては事前の十分な下調べも無く、かつ”定番の観光地訪問は将来にその機会があるだろうとして”それ以外の地をなるべく訪ねようとしたため、殆ど手つかずの自然に多くふれられた一方で、北海道ならではの文化を見逃したことは否めませんが、このレポート型ブログ5編が何らかのお役に立てば幸いです。
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    以上、北海道クルマ旅シリーズは、この(5)を最終回といたします。
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    1968(昭和43)年9月2日~11日までの10日間、東京→北海道巡行→(千葉県経由) →東京の4200kmを大学生仲間4人グループがクルマ旅。前回は根室から知床半島を巡ったところまでのお話。今回はそれより西に向かって進みます。

    ↓道内を反時計回りに進んだ走行経路図(クリックで拡大)

    hkd-map

    ◎大雪山 早くも初冠雪、ストーブ活躍の地も・・
    9月に入ってまだ間もない8日(だったか?)に、北海道の最高峰にして大雪山(系)の主峰である旭岳(2291m)に初冠雪があったというニュースをカーラジオで聴きました。ちょうど今年2022年の10月5日に旭岳に初冠雪があったというニュースがあり、それによると昨年より1日早いが平年より10日遅いというから、平年の初冠雪は9月25日頃ということになり、やはり半世紀前に比べれば温暖化が進んでいる影響なのでしょうか?

    ↓(参考)雪を頂く大雪山系(美瑛からの遠望:Wikipediaより)
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    初冠雪のニュースを聴いた直後に通った北見市の町の店などでは、すでにストーブを焚いていたのでビックリしましたが、さすがに北海道のほぼ中央で内陸性気候の証だと感じたもの。しかし、いつ頃から焚き始めていたのでしょうか?それを聞き忘れてしまいました。

    ◎層雲峡は滝もさることながら柱状節理もみごと!
    北見市と旭川市の中間、大雪山の北側の麓にあたる地域に、高さ約200メートルの断崖絶壁が24キロにわたって続く層雲峡。その崖下に沿って流れる石狩川はまだ上流にあたるので川巾が細く、これにまた沿う道路を我らは走ったので、見上げる崖は迫力あり、途中にはいくつかの滝も見られた。その代表は「銀河・流星の滝」という一対を成して落差約100メートルの見事さで「日本の滝100選」の一つ。
    ↓「銀河・流星の滝」(層雲峡観光協会のHPより引用)
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    もう一つの見どころは、この層雲峡の崖全体の「柱状節理」。それが延々と続く様子が見られる所が日本では他にあるだろうか?福井県の東尋坊(自殺名所、ドラマロケ多数)も有名ですが、どうなんでしょうか?  「柱状節理」はマグマや溶岩が固まる際にほぼ法則的な形の亀裂が入り、その結果、断面がほぼ6角形(または5角形)の石柱を束ねたようなカタチとなるもの。
    その石柱1本分の太さは各地さまざまで、層雲峡は不明ですが、兵庫県の玄武洞のモノは直径約20センチなど。東尋坊では場所によって大きくちがい30~100センチ近いものまであるとのこと。

    ↓層雲峡の「柱状節理」の崖
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    今にして思えば、我らが層雲峡見物した時代は良かった。というのは上の写真でも見られるように、「柱状節理」の崖下には剥がれ落ちた”石柱部分”が砕けて転がっていて、崩落が多いことがわかります。従来から小さな崩落で、我らが通った道路にも岩石が転がることがあったそうですが、1987(昭和62)年に大規模崩落が発生して道路にも大量岩石が落下して走行中のトラックの運転手とサイクリング中の人の計3人が死亡、重軽傷が数人という事故が発生。その後も小規模崩落ありで、現在はこの道路を封鎖した代わりに、より崖から離れた位置に、安全のためのトンネルがほとんどを占めるという新道がつくられているとのことで、今は景色が見られる区間が狭まっているのです。

    層雲峡で見られるような”柱状節理のある所に滝がある”というケースは多いようで、私は日光「華厳の滝」、和歌山県「那智の滝」、宮崎県「高千穂峡の〇〇滝」、伊豆半島の「浄蓮の滝」を思い浮かべますが、調べたら伊豆には他にも「萬城の滝」、「初景滝」などがこれにあたるそうです。

    ◎ラジエーターホース亀裂で蒸気漏れてピンチ!
    我らが層雲峡を抜け、西にある旭川市に向けてしばらく走行していると、突然、ハンドル握っている彼が「あれっ!オーバーヒートかなっ!」と叫んだ。(エンジンの)水温警告表示が出たので気づいたそうだが、昇りでもない道を普通に走行しているのにおかしい?ということで、停車してボンネットを開けてみたら、なんとラジエーターホースの一部に亀裂が入って、そこから蒸気が噴出しているではないか! 

    ラジエーターホースとは、エンジンとラジエーターの間で冷却液を循環させるためのホースで、液がエンジンから出ていくためのホースと戻って来るためのホースの二つが存在する。この時は前者のホースなので発見しやすかったのではありました。

    ↓ラジエーターホース例:車種などによって太さ(2~5cm)、長さ(10cm~)、曲がり具合いが異なる。(指先より右部分がホース)
    rajieitahous
    もしこのまま冷却液の水分が蒸発して無くなってしまえばエンジンが焼き付いて大変な事になる。ということで、すぐにでもホースを交換したいが、周囲はまだ原野でどうしようもない。しかしあと10キロほど進めば旭川なので、そこまでソロソロ気味で走行してヒヤヒヤしながらもなんとか到着し、修理工場を見つけて事態は解決した。

    ◎札幌での体験(1)時計台、ポプラ並木、札幌ラーメン
    旭川から札幌に到着。先ずはお決まりの「時計台」(旧、札幌農学校演武場)へ。この建物自体は良い感じなのに、我らが訪れた半世紀前、既にその周囲にはビルが建ち並んでいて、噂通りムードをこわしていたので、写真も撮らなかった。つくづく、フランス・パリのエッフェル塔周囲の景観維持の意識の高さを感じ入る。

    日本三大「がっかり観光スポット」の筆頭にあげられるのが「札幌時計台」、2位は高知「はりまや橋」、3位は諸説あって、長崎「オランダ坂」、沖縄「守礼門」、「京都タワー」、「名古屋テレビ塔」など。不名誉なランクから逃れる方策はないのでしょうか?

    ↓(参考)現在の「時計台」(エムエムエス マンションマネジメント サービス(株)のHPより)
    tokeidai

    実は、仲間の一人のお兄様がちょうど北海道大学の医学部に在学中ということで、お会いすることになりましたが、その前に有名な「北大ポプラ並木」と(Boys, be ambitious!の)「クラーク博士胸像」を観た。ポプラ並木は当時、300メートル続くすべてを観られた。ここのポプラの木の正式名称は「セイヨウハコヤナギ」であるが、樹高20メートルで根も浅くて、柳の仲間にしては”風を受け流す”ことができずに過去に何度も台風で折れたり倒れたりで、その後は全面通行禁止だった時期があったものの、現在は80メートルだけは解放されているということで、我らが訪れた際は制限は無くイイ時代だった。

    ↓「北大ポプラ並木」(uu-hokkaido HPより引用)/「クラーク胸像」(Wikipediaより引用)
    popla-craaku

    そのお兄様にお会いして挨拶した後、有名な商店街「狸小路」を案内いただき、その中の中華ソバ屋さんで本場札幌の「味噌ラーメン」をおいしく食べて満足の夕食となったのでした。

    ↓(参考)現在の「狸小路」
    tanukikouji

    ◎札幌での体験(2)お菓子のテスト販売品もらう!
    時間が前後しますが、まだ明るい時分に札幌市内の繁華街を歩いていたら、明治製菓(現、明治)の旗を立てた横に居並ぶ二人の女性が、なにやら小箱入りのキャラメルのようなもの(だったか)を配りながら、言うことには「一口召し上がってみてお味はいかがでしょうか。これはまだ東京などでは発売していない商品なんです!」・・ということは、いわゆるテストマーケティングとして、東京などに近い文化傾向があると言われる札幌の地を選んで”味などの評価を得られるか否かの試し”が行われていたのでしょう。

    札幌での体験(3)東京と全く同じ新聞!?
    札幌に在るYH(ユースホステル)で宿泊をした翌朝に、ふと目にした新聞に驚きました! それは、掲載広告が全て東京のデパート、例えば銀座の松屋、その他の東京近辺のショップなどのものだったからで、そこで記事内容を読んでみるとやはり東京とその近隣県関係の内容なのです。その新聞名を忘れましたが、ある全国紙だったので、これは東京版紙面をそのまま電送(今でいうファクス?)されたものを札幌などで受けて印刷したものか、あるいは新聞現物が空輸されたものか、たぶん前者だったと思いますが、詳しいことをご存知の方は教えてください。
    それにしても、ご当地「北海道新聞」というものがあるにもかかわらず、このような新聞が存在するというのは、札幌は東京文化的志向が強いゆえの事象だったのでしょうか。

    そして次の目的地へ向けて出発して市内の大通り公園の「さっぽろテレビ塔」の横を通過したのが午前8時22分・・と細かいのは、たまたま我らメンバーの誰かが撮影していた8ミリフィルムの動画にテレビ塔の中間位置に在る大型の(日本初とされる)電光時計が映っていたからでした。

    ↓現在の「さっぽろテレビ塔」:中間位置に電光時計。(さっぽろテレビ塔(株)のHPより引用)
    terebitou
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    次回は「北海道 半世紀前のクルマ旅 道中苦楽と珍事!!(最終回)」です。
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    1968(昭和43)年9月2日~11日までの10日間、東京→北海道巡行→(千葉県経由) →東京の4200kmを4人グループのクルマ旅。前回は函館から北上して洞爺湖、支笏湖までのお話。(前回は・・http://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/16698682.html)今回はそれより東に向かって進むところからです。

    ↓道内を反時計回りに進んだ走行経路図(クリックで拡大)
    hkd-map
    ※前回、述べ忘れましたが・・この北海道クルマ旅にはカメラの他にカセットテープレコーダーと8ミリフィルムムービーカメラも携行していたので、それらによる記録も少し役立てています。(一方でメモや日記はつけていなかったのですが・・)
    8mm

    ◎むかわ町には恐竜が眠っていたとは知らずに・・
    支笏湖から南下して沿岸部を東に向かって計50キロほど走行したところに在る鵡川という町(現、むかわ町)は観光地でもなく、単に通過地点だったにもかかわらず我らは「むかわ」という名前を記憶しているのですが、その理由は後述するとして・・

    今や、「むかわ」と聞けば恐竜好きの方なら即反応するでしょう。それは、むかわ町で白亜紀後期である7200万年前の地層から恐竜の化石の一部断片が2013年に発見されて「むかわ竜」と呼ばれ注目され始め、その後、体長8m超となる体形の約8割の部位が発掘され、2019(令和元年)に新種恐竜と認定されて「カムイサウルス ジャポニクス」と命名されたから。

    ↓「カムイサウルス ジャポニクス」(むかわ竜)の化石(画像は朝日新聞2019年6月16日発行記事より引用)
    mukawaryuu
    我らが鵡川町を通過した時点ではこの恐竜が近くで眠っていたことなど知る由もなかったのですが、少しばかり化石や岩石・鉱物収集が趣味だった私にとっても「むかわ町」は今や大いに興味ある地なのです。

    さて、我らが「むかわ」の名を記憶することになった理由は・・走行中に道路工事による片側通行規制区間に行き当たったのでいったん停車して、係員からの通行OKの指示を待つのですが、長い時間待たされた。その間の様子の録音が残っていて、係員の中年女性に話かけてみたら、「時にゃ『いつまで待たせんだよ!バカヤロー』って怒鳴られんだよ・・」とのぼやきの声があり、これは当時、通行制限区間の両端に配置された係員同士の合図や連絡には、今のようなトランシーバ使用も無くて時間がかかっていたからでもありましょう。
    そんな状況の中、待っている間の車内の仲間同士の会話録音には「いったい、ここはどこなんだ?」という問いに「むかわダヨ」と答えるやりとりがしっかり残っているからです。

    「鵡川町」(むかわちょう)は、その後2006(平成18)年に穂別町(ほべつちょう)と合併して現在「むかわ町」となったもの。ついでながら、ここは本物の天然の柳葉魚(シシャモ)特産の町でもあることは最近知りました。

    ◎日勝峠(にっしょうとうげ)は、濃い霧で・・
    次には内陸に向かって進み、日高町から日高山脈の北側山麓を通って十勝平野に抜ける途中の日勝峠では見晴らし良いとされていたので雄大な十勝平野を展望できると期待していたが、その日は濃い霧のために願いかなわずに残念でした。天気が良ければ下の参考写真のような景色が望めるはずだった。

    ↓(参考)日勝峠展望台から望む広大な十勝平野 
    (kukiさん撮影写真を引用)
    nissyoutouge

    ↓濃霧で5メートル先さえ見えず、左端の私は思わず天を仰ぐ。
      停車中も、前からや後ろから来るクルマに注意をうながすためにヘッドライト(同時に自動的に後ろの赤いランプも)を点灯させている。
    foggy-weather (2)

    ◎然別湖(しかりべつこ)→オンネトー→阿寒湖
    次に向かった然別湖は海抜810mに在って北海道で最も高い場所にある湖。ここも我ら以外は人が見当たらず寂しかった。

    ↓然別湖畔にて
    sikaribetuko

    次は雌阿寒岳の麓に在る「オンネトー」で、その名はアイヌ語そのままで「年老いた沼」又は「大きな沼」という意味だそうだが”沼ではなく湖”で周囲2.5kmと小さいが美しい。オンネトー以外でも北海道の中の小さな湖には”シカリベツ→然別”のような漢字の当て字をしていない例がみられます。

    ↓オンネトー   (画像は「あしょろ観光協会」のサイトより引用)
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    次は阿寒湖。ここは特別天然記念物のマリモで有名だけに、土産物売店、飲食店、ホテル、遊覧船があり、観光客もちらほらいた。まともなマリモを見るためには、時間もかかるちょっと面倒な行動が必要なのであきらめたが、ある売店の水槽にマリモを見た。しかしそれは阿寒湖のものだったのだろうか? 日本の他地域でも小さいながらマリモはあると言うから、それだったのか?

    ↓阿寒湖 (「釧路・阿寒湖観光公式サイト」より引用)
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    ↓阿寒湖のマリモは直径2~20センチ超
    (「ちーず」さん提示写真を引用)
    marimo

    ◎硫黄山(いおうやま)の噴気はすさまじい!
    屈斜路湖(くっしゃろこ)と摩周湖の間に位置する硫黄山は標高512mと低いが活火山であり、中腹にある沢山の噴気孔からは硫黄分を含んだ蒸気が「ゴー」というすさまじい音とともに噴き出している。我らはその音も録音しているので、今聴いてもその凄さが伝わってくる。同時に、メンバーの一人が噴気孔に近づきすぎて「ゴホゴホッ」とむせる声や「この凄さは箱根の大涌谷・小涌谷の比ではまったくありません!」とレポーター口調の声も入っています。
    この山はアイヌ語では「アトサヌプリ」と言って「裸の山」という意味だそうで、硫黄分を含む大量の噴気によって周囲に草木が生えない様子を表すものでしょう。
    当然のように硫黄の産出も多かったので明治10年から昭和38年まで硫黄鉱山も操業していたのだそうです。

    ↓硫黄山の噴気地帯に近づく我ら
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    ↓噴気に包まれる中、手前の彼は肩からカセットレコーダを下げて左手にマイクをもって録音中
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    ◎摩周湖の夜に花火大会を観た
    霧が出ることが多いという摩周湖もなんとか眺められた後で、いったん硫黄山近くの川湯温泉のYH兼業の旅館へ行き、そこで夕食を済ませてから再び夜の摩周湖展望台へ着いたのが午後8時半ころ。昼間よりも人が多く集まってきて、打ち上げ花火も始まり、我らは夜店で買った焼きトウモロコシを食べながら見物したのでした。ところで北海道ではトウモロコシのことを「トウキビ」と言っています。

    ↓摩周湖
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    ◎「花咲ガニ」1キログラムがなんと150円なり!
    摩周湖から南下して根室半島へ。当初の予定では東端の納沙布岬までいくつもりだったが、時間の関係で断念して根室の少し南の花咲という町の漁港に行き、名物という「花咲ガニ」を食べることに。

    「花咲ガニ」は文字通り花咲近辺の漁場で獲れるもので、タラバガニと同じでザリガニの仲間だがタラバよりカニミソが多く旨いとされる。標準的な本体は縦横各約15センチ 。脚はハサミ(爪)の付いている腕も含めると計8本(タラバガニも同じ)で太く短い。(ズワイガニ、ケガニは脚・腕計10本)

    ↓花咲ガニ(生では暗い紫色だが茹でると赤色)
    (「オホーツクの風」社の通販サイトから引用)
    hanasakigani2

    そこでは花咲ガニが直径が60センチくらいの大釜で大量に茹でられ、そこから取り出されたものが販売用の台に並べられていた。
    価格は、やや小ぶりの3杯※で1キロなんと150円。我らはそれを6杯2キロ300円で購入。皆で分けてクルマの中で食べたが、それは新鮮でおいしかった。

    ちなみに現在の花咲ガニ価格はどうなっているのかをネット通販サイトで調べてみたら・・大きさや見映えによって幅があり、大きくて立派な1杯約1キログラムあるものは1万2千円の例もありますが、比較しやすい例を探してみたら有りました! 3杯1キロで3999円。これでも我らが昔食べたモノと単純比較すると約27倍というとんでもない状態。(但し、これらは「送料無料」とうたっているものの、その分を商品価格に潜り込ませているでしょうが・・)

    ※カニの数え方は、生きていれば「匹」だが死んだものは通常「杯」。しかし地方や店によっては「枚」や「尾」がつかわれる。ところが最近のネット通販では「匹」が多く使われています。

    ↓茹で上がったばかりの花咲ガニ(赤ん坊を背負ったままの女性の作業姿も印象的)
    IMG_0007 (2)

    ↓黙々としてムシャムシャと食べた
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    今回はここまで。次回は知床半島巡りなど「北海道 半世紀前のクルマ旅 道中苦楽と珍事 !(3)」です
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    約半世紀前のちょうど今頃、夏の終わりに大学生仲間4人で北海道をクルマ(←私の父から借用)で巡った際の珍しい体験、今では起きないようなクルマトラブルなどをご紹介してみます。

    この旅の計画の言い出しっぺは4人の内の一人の「トラック大好き人間」でした。彼は早くから大型免許を取得して、春・夏・冬の長い休みには、学友でもう一人の
    「トラック大好き人間」と共に日本列島の北から南までトラック輸送のアルバイトをしていたので、他のメンバー3人は彼の長距離運転のノウハウを頼りに安心して参加したという次第。

    hkd-head

    期間:1968(昭和43)年9月2日~11日までの10日間
       (9月15日まで夏休みだったので実行できた)

    行程:東京→北海道巡行(詳細別図)→(千葉県経由) →東京:4200km

    全費用:一人当たり2万円弱(ガソリン代、フェリー代、宿泊費、食費などすべて込み)

    使用車種:トヨペット・コロナ(1500cc)

    ↓東京→北海道内→東京の経路概略図
    map2

    ◎一人2万円以内で全費用が済んだワケ
    いくつかの経費節減策を講じたことと、勿論、半世紀前なので物価が安かったこともあります。

    1) ユースホステル(YH)を利用した
    全員が事前にユースホステル会員登録して”にわか会員”となって、北海道内の施設を低料金で利用した。当時は1泊2食付きで1100円前後(くらいだったか?)、素泊まり平均800円くらいだったので、素泊まりもたまに利用した。(非会員でも少し高い「ビジター料金」で利用はできます)

    ↓ 現在の北海道のYHの一例(美瑛)
    yh-in-biei

    ※「ユースホステル(略称YH)」:ドイツ発祥の”青少年少女に安全で安価な宿泊場所を提供する主旨に基づいた宿泊施設”であるが、現在では賛同する約80の国と地域でもYH施設が多数あり、会員は世界共通でこれらを利用できる。日本のYH数はピークだった1970年代前半の約600から今は約200。利用者数は約340万人から約38万人へと激減しているが、施設のリニューアルや細則の廃止などで状況改善がはかられているようです。(我々が利用した当時は基本的に洗面道具とパジャマ(寝間着)持参が条件だったが、今はどうでしょうか?)

    2) 携行食の活用
    保存のきくフランスパン(バゲット)と魚肉ソーセージを大量にクルマにつんで、移動中に飲食店や食料品店が見当たらない場合に備え、実際にこれを食べてしのいだことも多かったので、結果としても食費を低く抑えられた。
    french-bread

    3) ガソリンが安かった
    当時は1リッター38円前後。(ちなみにハイオクは53円前後) つまり単純計算で現在の四分の一。

    4) すべて一般道路を走った
    通行料が発生する道路は利用しなかった。東北自動車道はまだ無かったが、あったとしても利用しなかった。

    ※西側の高速道路:東京~名古屋はこの年1968年4月に開通。名古屋~京都~大阪~兵庫県・西宮は1955=昭和38年に開通済みだった。

    5) 航路が短い「大間~函館」フェリーを利用
    大間(青森県の下北半島の北端)と函館を結ぶフェリーは、青森と函館を結ぶいわゆる「青函フェリー」の航行距離の約三分の一以下なので当然料金は安く(参考:現在2022年時点での車長6m以下の小型車運搬料金のこの2航路での差は約8800円)、青森市より北の大間までの余分走行分のガソリン代を足しても格段に経済的。

    大間から函館へ向かうフェリー船上で
    3p-on-ferry

    フェリー内では前後を大型トラックに挟まれた位置に・・
    car-on-ferry

    ちなみに現在は、大間沖でとれる天然本まぐろは有名になっていますが、当時は“大間のマグロ”という言葉は聞いたことはなかったのは、それもそのはずで、2000(平成12)年のNHKの朝ドラで”大間のまぐろ漁師の娘が主人公”の「私の青空」が放映されてからやっと全国に知られるようになったので、それを契機に地元も知名度向上に注力して2007(平成19)年に「大間まぐろ」として商標登録したとのこと。

    ◎混浴ができるユースホステルも多かった
    当時は温泉ホテル・旅館がユースホステルを兼業していることも多く、旅行途中でそれに気づいた我々は以降ほとんどをこの”温泉付きユースホステル?”を利用した。

    しかも多くの温泉が実質的には”混浴”で、浴場の入り口は”男”、”女”と印した暖簾がかかっていても、中に入れば湯が張られている浴槽部は一つだけだったり、一応別々に浴槽部があっても男女を仕切る壁などが無い形式で、これは楽し?かった。

    (↓本文と関係ありません:層雲峡観光ホテルのHPより「水着着用混浴風呂」)
    konyoku

    現在、北海道には100軒弱のYHがあるようですが、今でもYHを兼業する温泉ホテルや旅館はあるのでしょうか? 今、チョイと調べてみたらYH専業の施設には「源泉かけ流し温泉付き」のところがあります。

    実は、
    ユースホステルを兼業する温泉ホテル・旅館を利用すると、もう一つ利点があって、(現在もあるかは知りませんが)当時の正式なYHでは管理人の方は「ペアレント」と呼ばれ、宿泊利用者は夕食後にペアレント主催のミーティングに参加して懇親をはかる・・という定番スタイルがあったのですが、それが無いので気楽だったこと。我々も道内1泊目だけは普通のYHだったのでこの定番スタイルに従がったが、それ以降は無しで済んだのです。

    ◎一日2回のパンクには困った!・・とにかく道路に釘が多かった
    当時の北海道では未舗装道路も多く、砂利または泥の道を走るのですが、そこには落ちている釘が多いとみえて、北海道内だけで約2千数百キロ走った中で計3回も釘でパンクした。

    その内の2回は同じ日に起こったので、1回目でスペアタイヤを使って、それで走行中にまた別のタイヤが辺鄙な所でパンクしたから、さあ大変! もうスペアは無いので仕方なくパンクしたまま整備工場が在りそうな近くの町まで何とか走り、2本分のパンク修理をしてもらった。

    現在のように舗装道路ばかりを10万キロ走行してもパンクゼロも珍しくもないことからすると隔世の感ありです。しかし、現在でも道路への落とし物が無いわけではなく、都会や郊外などの舗装道路を歩いていて気付くのは釘よりもネジの類(木ネジ、タッピングネジ、ボルトなど)が圧倒的に多い。私はこれらを見つけたら即座に拾って適宜処分をします。これも世の為、人の為 !(笑)

    実は往路で下北半島の大間の近くでもタイヤが釘をひろったらしく、フェリーで函館に上陸した途端、パンクに気が付いてスペアタイヤに交換したので、全行程でパンクは4回でした。

    函館港に着くなりパンクタイヤ交換
    h-taiyakoukan
    ↑写真でお分かりのようにパンクしたのは後輪で、これは「釘によるパンクで多いのは、"道に寝ている釘を前輪が起こして"釘の尖った先っぽが上を向いたタイミングで後輪が踏んでしまって起きるケース」ということの実例でしょう。

    ◎一回だけ粗悪ガソリンを入れられた
    函館から約80キロ北上した地に八雲町があるが、そこのガソリンスタンドで入れてもらったガソリンに何か混ぜ物が入っているか、あるいは水が混じっていたか、それが故意なのか、そうでなかったのかは分からなかったが、走り出してすぐにエンジンがノッキング(通常のギヤ位置ではエンジンがチカラ不足でコトコトというような苦しそうな音をだす)を起こしやすくなったので「あのスタンドのガソリンが悪い」と気づいたが、先を急ぐので我慢して走行した。そうして次にガソリン注油した後は案の定、ノッキングは解消したのでした。
    このクルマ旅では9回だったかのガソリン注油をした中で、ガソリン不具合はこの1回とはいえ、本来ならあってはならないこと。ところが今年2022年にもなってのつい最近に、某大手石油会社のガソリンに水が混入していて問題になっていましたが・・

    さて、ここからは北海道内の訪れた地順にレポートします。
    hkd-map
    先述のように、函館上陸と同時に第1回目のパンク修理、北上途中の八雲町で粗悪ガソリン給油、次に向かったのが・・

    ◎洞爺湖と支笏湖・・不気味な中で泳ぐ
    二つともカルデラ湖で、洞爺湖は高い場所から見下ろしただけでしたが、ここは2008年7月に「洞爺湖サミット」が開かれて当時の福田首相、ブッシュ大統領、メルケル首相らが、やはり見下ろしていました。

    支笏湖では水辺にまで行っただけでなく、皆で泳いだのですが、なにしろ周りに人影は全く無く、建物の類も湖面周囲全体を見渡しても見えない、当然静寂そのもの、おまけに天候は曇り。そうなるとなんだか薄気味悪かった。

    支笏湖で泳いだが・・
    sikotuko

    その後に道内の湖、大きな沼などを巡ってみても、支笏湖の場合と同様な感じを受けた。それは我々が本州の大きな湖などで湖畔に人家、別荘やホテルが点在、あるいは密集しているような光景、場所によっては遊覧船まで見ることに慣れてしまっている故の心情。自然保護の観点からも気になりますが、その後の北海道ではどうなっているのでしょうか?

    もう一つ、後で知ったのは支笏湖は日本最北の不凍湖で水の透明度はトップクラス(昔は日本一の時期あり、現在4位というデータがある)だが、最深部が263mもあって日本で二番目に深く(一番は田沢湖)。そのためか、溺れる人、自殺者も多く、沈んだ者が浮かび上がらないこともあるそうで、俗に「死骨湖」という表現も多く、これも気味悪い

    とは言うものの、天気が良いと湖水がいわゆる「支笏湖ブルー」となってキレイで明るい感じになるようで、そうなれば好印象の「神秘の湖」と言えるのでしょう。
    現在の「支笏湖ブルー」の風景(支笏湖運営協議会のHPより)
    sikotuko-blue
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    長くなるので、今回はここまでにします。次回「北海道へ半世紀前のクルマ旅 道中苦楽と珍事 !(2)」につづく!
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    先日、藤井聡太さんが将棋8大タイトルの一つ王将も獲得して、19才の最年少5冠となったが、将棋は全くダメな私でもオセロゲームなら単純だからできる。それもオセロが登場した直後からやり始めたゆえのちょっとしたエピソードがあるので、これをご紹介。
    othero-game (2)

    ◎きっかけと自作のコマ
    オセロゲームは中外製薬の営業担当だった長谷川五郎(本名:敏)氏(1932~2016)が考案したものを玩具メーカーのツクダが商品化して1973(昭和48)年に発売開始された。

    その直後にこれを知った”私の職場の先輩TKさん”が、私に向かって「おい、自分たちでオセロのコマを作ってゲームしてみようや」と言って、ラジオの部品のプッシュボタン(オフホワイト色のプラスチック製)を200個くらい手に入れてきた。

    (当時の職場はラジオやテープレコーダーの製造工程で発生した”余りモノの部品”は簡単に入手できる環境に在った)

    そのプッシュボタン(約15X16X10mm)の裏部分を二人で黒く塗って”丸くはないが、表は白、裏は黒としたオセロのコマ”の代替品を作った。

    プッシュボタンの裏部は黒く塗った

    IMG_20220215_0001 (2)
    板に8X8=64のマス目を描いた盤も用意して早速二人で、昼休みや終業後の小時間にオセロゲームを始めたら、これが案外面白い。

    数日プレーしているうちに、これは職場全員(男性しかいない)を巻き込んでリーグ(総当たり)戦をしようじゃないか・・ということになって、勝負好きな上司も含めて総勢15人参加するために、ゲームのセットを2つ追加して作り、計3盤を使って熱戦が始まった。

    このゲームは1試合平均所要時間は約30分だが、業務時間外に皆でプレーするので、全試合の結果が出揃うまでには約1か月かかったように記憶しているが、終盤になってわが身に異常が現れたのだ!

    ◎私の後頭部に円形脱毛が発生!
    先輩のTKさんが「〇〇くんは、もとから頭の後ろにハゲがあったか?」と私に問いかけたが、そんなはずはないと思って自分の指先で探ってみたら、なんと500円硬貨大の面積の髪の毛が全く無くなっていて完全にツルツルの皮膚が現れているではないか!

    後頭部の右寄りで、耳より少し上に出現
    IMG_20220215_0001 (5)

    それは強烈なショックだった。そもそも頭を怪我したこともなく毛が生えない傷跡など無いのに、なんということ! 

    それにしてもいつの間に毛が抜けたのだろうか、痛くも痒くも無いから全く気が付かなかった。

    職場近くの病院で診察してもらったら「円形脱毛症」と診断され、円形脱毛部の周囲に沿って7~8所に注射をうたれ、塗布用薬液を処方された。

    それは当時テレビで流れたCM「抜け始めてわかる、髪は長~い友達」※というキャッチコピーでよく知られた育毛剤「カロヤン」(第一製薬=現、第一三共ヘルスケア社製)だった。

    しかし市販品と同じものなのか気になったので調べたら、有効成分の「カルプロニウム塩化物」の含有量が病院処方品は市販品のちょうど2倍なので納得した。

    ※「髪」という字は、右上部分のカタカナの「ノ」3本を髪の毛と見立てて、これが抜けて無くなれば、残る部分は左上部の「長(い)」と下の「友(だち)」というモジリ。
    当時のコマーシャル→ https://www.youtube.com/watch?v=MgAN92U1kyk

    そうして病院処方カロヤンを塗布すること約1か月でハゲが目立たないほどの毛髪が生えてきたが、完全復元に要した期間はなぜか記憶に無い。

    さて私の円形脱毛症が発現した原因は何か? 答えは明らかにオセロゲーム。しかし他の人には発現していないのはなぜか?

    それは私の場合、職場ではオセロを先行してプレーしていた立場から、このリーグ戦では負けられないという意識が強くあった。

    とは言えまだまだ技術は未熟なので、”初心者のオセロにありがち”な・・

    ”中盤まで自分のコマが圧倒的に多くても最後に逆転される”ことや

    ”いやでも最後には相手のコマによって盤面すべてが占められてしまい完敗”そしてやはり

    ”将棋をしない私に比べて将棋が強い人はオセロにも強い傾向がある”‥

    というこれらの事態が自分にとっても例外ではないことが分かっていたので・・

    ゲームの最中は”いやな感じの負け方にならないかハラハラというよりむしろ恐怖感の連続”という強大なストレスがかかっていて、それが1か月ほど続いたことで起きたとしか考えられない。

    昔から強烈な感情が頭髪に急激な変化をもたらす例が示されていて・・例えば

    "もの凄い恐怖で一夜にして白髪になった" 

    "強い怒りで髪の毛が逆立ち「怒髪 天をつく」となる"・・

    私の脱毛もそれらに類するのではないだろうか。

    近年の学説では、
    円形脱毛発症はストレスだけでなく、過労、睡眠不足、出産、風邪などが引き金となって自己免疫反応が頭髪の一部に現れて脱毛するものとされていて、通常の免疫作用というのはTリンパ球が人体内に入ろうとする異物を攻撃するものだが、何を間違ったか体外からの異物が無いのに毛根を(異物と勘違いして?)攻撃して毛が抜けるのだそうだ。しかし"なぜ円形に毛髪が抜けるか"の理由がわからないが・・

    さらに不思議なのは、昔から胃腸が強くはない私ならストレスを感じるとすぐに胃が痛くなるのに、それが現れずに、かわりに円形脱毛症になったこと。

    その理由はと言えば、同じストレスでも当時の私にとっては”一種の恐怖心を伴ったちょっと異質なもの”だったからではないだろうか。(職場でオセロ大会をするくらいなので、業務上のストレスは無かった状態だった)

    さてそのリーグ戦での私の成績は・・中位にとどまるという結果に終わったのであった。

    私はこの経験から、以後はオセロゲームはリラックスしてプレーしている。そして円形脱毛は現れなくなった。

    今、気が付いたが、私の
    円形脱毛の大きさはちょうどオセロのコマの直径である24ミリと同じだったのではないかと思える。お~オセロ、オセロシヤ?!
    ・・・・・・・・・・・・
    蛇足ながら・・藤井聡太さんの5冠獲得翌日の会見での記者質問「富士山でいえば何合目まで登ったイメージ?」に対する即座の回答がすごい!・・「将棋は奥が深く、頂上は見えないのでその意味では森林限界の手前と思います」・・つまり”まだ樹木が在る場所だから頂上が見えない”という意味だろう。
    以前から彼の将棋以外の知識とボキャブラリーの豊富さには感心していたが、ここでまた再認識した。
    ・・・・・・・・・・・・・

    トンガ王国の海底火山が1月15日に噴火して、日本列島沿岸に2種類の余波が押し寄せた。一つは普通の小さな津波で、もう一つが"噴火による大きな空気の揺れ「空振」"が発生して海面にできた波で、これは”津波ではないが急激な潮位上昇"とされる波だった。
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    ↑気象衛星ひまわり8号撮影

    今回は、日本から8000キロ離れた地点で発生した空振そのものの影響は無かったが、我が家では空振を直接経験することがいくつかあるので、以下にご紹介すると・・ 
     
    ◎伊豆大島噴火による「空振」で我が家は・・
    1986(昭和61)年11月、伊豆大島の三原山が噴火して、島民約1万人が島外に約一か月間避難するという災害が発生した。

    1986年の三原山の噴火と溶岩流(東京都大島町発行の「防災の手引き」より)
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    さてその一か月の間に何回か”我が家の雨戸やガラス戸がビリビリと音を立てて細かい振動をする”ことがあった。その際は周囲に騒音などは全く無い状態なので最初は原因が分からなかったが、はたと気が付いたのは”これは大島の三原山の噴火による空気振動”が押し寄せているからに違いないということ。その証拠に噴火終息後にビリビリ音がすることはピタリと止んだ。

    その後に知ったのが「空振」という言葉。まさに三原山を”振源”とするそれだった。

    ちなみに大島・三原山から我が家までの距離は約103キロ。この距離でしかもこの噴火は小規模であったにもかかわらずこの空振ということからすると、もしも富士山が大噴火したら約105キロ※の距離に在る東京などに降り注ぐ降灰もさることながら、空振の程度もいかばかりであろうか?
    富士山頂~東京・日本橋間

    ◎ヘリコプターによる空振で我が家は・・
    1月12日の昼間に自衛隊のヘリコプター(下写真の「ヒューイ」という機種か?)6機が”アルファベット大文字「A」のようなカタチ”の編隊を組んで我が家のほぼ真上300メートルぐらい(?)を北東に向かって通過したが、その音が1機でも強力なのに6機だから、それは凄い! 家のガラス戸がガタガタ振動だ! これは単なる音だけではなく、別に強い空気の振動が加わった感じで、まさにこれも空振と言えるものだろう。
    へリコプターのブレード(回転羽根)による空気の波は真下に向かって届くから強力なのだろう。
    実はヘリによる
    空振は今回に限らず、時々ある。

    ↓このヘリが6機で編隊飛行(画像は「テレ東BIZ」より)
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    後日に知ったのは、その翌日13日に陸上自衛隊の年始恒例パラシュート部隊降下訓練が千葉県の習志野演習場において開催されるために、この部隊(第1ヘリコプター団)の本拠地である木更津駐屯地(千葉県)から移動飛行したものだったようだ。この演習は離島の防衛や奪還作戦訓練の一環であり、パラシュート降下の他に、ホバリングするヘリからのロープづたいで直接降下してほふく前進なども行われている。本来この演習の様子は一般公開されているものが、今年もコロナ禍で中止となってマスコミにのみ公開されたようだ。
    →訓練公開動画(テレ東BIZ) https://www.youtube.com/watch?v=s1hxzLuLhT8

    ちなみに木更津駐屯地は旧日本軍の基地だったものが終戦後は米国軍基地となっていたもので、その後に日本へ返還されたのだが一部は米国軍基地として残っているために、先年には一時、米軍のオスプレイが駐機したこともある。代わるように現在は日本の陸上自衛隊のオスプレイが暫定配備されている状態。
    ↓陸上自衛隊のオスプレイ(第1ヘリコプター団のウェブサイトより)
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    ◎「空振+り」=「空振り(からぶり)」?!
    被災したトンガ王国に対して、近隣のニュージーランドなどはすぐさま支援を開始し、続いて日本も飲料水などを現地に届けるなどの支援を開始しているが、本当に必要なモノやコトを早急に提供しないと”「空振」に「り」が付いて「空振り」”になってしまう。もしそんなことになれば、別の思惑があると思われる某国も支援を表明しているから注意が必要か? (今回、気象庁の津波予報はほぼ「空振り」気味になって、これは幸い?だったが・・)

    ◎我が地域は「空振」ならぬテレビの「画像振れ」があった?!
    我家が在る地域は成田空港と羽田空港から離発着する多くの飛行機の航路のほぼ真下にあたり、今から10数年以前までは、特に着陸に向かう飛行機は高度を下げ始めていた(当地と成田空港間の距離は44キロ)ので(小学生だった我が子たちによれば)飛行機胴体に描かれた「クジラの絵」がはっきり見えたほどだった。そのため騒音は空港付近ほどではないものの大きいのだが・・

    それで何が起こるかと言えば、飛行機が上空に近づくとテレビ画像がゆらゆらと揺れて乱れる「画像振れ」が10秒くらい続く状態になった。つまり当時の東京タワーからのストレートな電波に対して飛行機の機体に反射した電波が加わって干渉していたのだ。

    これには我慢できずに我が家は自家のアンテナによる受信をあきらめてケーブルテレビを導入するにいたった。ところが最近は飛行機の航路は変わらないものの(飛行管制の指示方針変更によってか)当地上空の飛行高度が以前より相当高くなっているので、昔のような「画像振れ」は無くなっているようだ。また、その後テレビは「地上デジタル」電波になった上に、それが東京スカイツリーからの発射に変更されたのだが、これも良い方向に影響しているのかは私にはわからない。無論、飛行機騒音も昔ほどではなくなった。
    ・・・・・・・・・・・・

    10月に入りましたが、私が住む土地ではまだセミの声が散発的に聞こえます。↓写真は今年、我が家の庭で”拾い集めた”セミの「なきがら」(亡骸)と「ぬけがら」(空蝉=うつせみ)。左は昨年のものを透明ケースに詰めておいたもの。写真には写ってないですが、一昨年のセミももう一つ同型の透明ケースに詰めて保存しています。
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    今年は5匹、昨年11匹、一昨年12匹のすべてがアブラゼミ。なんのために集めているのか?自分でもわからない・・「夏の記憶」というところかな。

    さて、つい先日のこと、セミの”ある行動”をうまく表現した言葉を知りました。それは・・・

    ◎「セミ爆弾」
    「セミ爆弾」とは”地面などに仰向けになって転がっているセミを、死んでいるものだと思って人間などがつまもうとした瞬間にいきなり羽をバタバタさせて飛び去る”という行動を言うのだそうで、これに遭遇すると確かにチョットびっくりします。まさに小さな爆弾が炸裂したと例えても違和感は無い! 私はしょっちゅう経験していて今年は3回ありました。冒頭写真のセミのように死んでいると思ったセミをを拾おうとして「セミ爆弾」の被害?にあってもいたわけです。

    セミのこの行動の経緯は・・寿命が近づき体力が無くなると、木などにつかまっておられずに地面に落ちて、(セミは背中の方が重いので)仰向けになってしまう。このままでは死を待つ状態となるものの、人間などがちょいと触れると、本能的に逃げる行動をするために最後の力を振り絞って飛び去る。その先には本当の死が待っている・・というものなので「セミ爆弾」のことを「セミ・ファイナル」とも称するそうです。

    では、地面に仰向けに転がっているセミが”本当に生きているのか、死んでいるのか”を見分ける方法は・・(「ウェザーニュース」社のサイトによれば)・・『大阪市立自然史博物館・主任学芸員の初宿成彦(しやけ・しげひこ)氏の説明では・・仰向けのセミの足が胸のあたりで閉じていれば死んだセミ。足が開いて万歳をした状態ならまだ生きているセミ・・とのこと』

    左の合掌状態が死態、右の万歳状態が未死状態
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      (写真右は「ウェザーニュース」サイトより引用)

    セミ爆弾の際には、元気な時に行う”オシッコを出しながら飛び去る“ということは(私の経験では)無いようです。

    ◎セミの「土中で7年潜伏・外で10日の命」というのは俗説
    『日本国内に生息するセミだけでも36種+1亜種いて、樹皮や枝に産卵されたものから孵化して、土中にもぐって、木の根の樹液を吸いながら過ごす期間は、セミの種類によって様々で、広島大学の税所康正(さいしょ・やすまさ)准教授による幼虫の土中飼育観察結果では・・

    “土中潜伏期間”は・・アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミは2~5年、ニイニイゼミは3~4年、ツクツクボウシが1~2年。

    しかしこれも樹液からの栄養量や気温や雨量によっても左右されるそうだが、いずれにせよ俗説より短い。

    地上に出てからの寿命は、鳥やカマキリに襲われなければ、3週間程度は多く、一か月以上も珍しくない。・・とのことで、これは俗説よりずっと長い』

    『岡山県立笠岡高校の3年生の植松蒼さんが工夫した方法(ここでは詳細割愛)によって実際に把握した結果は・・

    ”セミの寿命”は(最低でも)・・アブラゼミ32日、ツクツクボウシ26日、クマゼミ15日だった』
    (以上『』内は朝日新聞2019年8月26日記事より部分引用)

    ◎「素数(ソスウ)ゼミ」総数(ソウスウ)何百万いっきに出現 !
    米国には13年あるいは17年ごとにセミが大量発生する現象が起こることは、最近の日本でも紹介されることが増えた。
    ↓最近では2013年6月に米国ニュージャージー州など9つの州で数百万の素数ゼミが発生
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    (映像は「アニマルプラネット」「ナショナルジオグラフィックチャンネル」テレビから引用)

    13と17という数字は素数であり”1と自分自身の数字でしか割り算できない”から、このセミを「素数ゼミ」、あるいは(アタマがいいから?)「数学ゼミ」、その他「13年ゼミ」、「17年ゼミ」「周期ゼミ」なと呼ばれている。

    なぜ” 13年あるいは17年”なのか? 究極の目的は”種の持続”であり、そのためには一度に大量に出現する戦略が生まれた。そうすれば、鳥などの捕食者(他の動物を捕まえては食べる動物)に少々食べられても大多数が生き残ることができる。そして仲間が大量にいれば、交尾する相手が互いに見つけやすくなり、結果は大量のカップルができ、大量の卵が生産され、大量の生命につながる。

    更にこの戦略を強固なものにするための、これまた戦略が” 13年あるいは17年ごとに地中から這い出す”こと。

    このように”ある生物において出現多数と少数(またはゼロ)の年が一定間隔で発生”する「個体群周期」は捕食者(群)側にも顕著でないにしてもあるので・・例えば周期が2または3年の捕食者がいるとしても、この素数セミの13または17年の周期とは重なる機会は非常に少なくなり、食われる機会も極少となる。

    では、セミの幼虫は土中でどうやって年数を数えているのか?・・

    それは”木の根の樹液を吸って育つ幼虫”が”木というものが毎年の春に樹液の糖分を増す”性質を利用して”春を迎えた回数”を数えているから・・とされる。

    ◎セミの羽をヒントに抗菌加工
    生物の持つ優れた特性を人間が真似して利用することを「バイオ・ミミクリー」あるいは単に「ミミクリー(辞書によれば「ものまね」「擬態」)」と称し、例えば「猫の舌」、「フクロウの羽」、「サメの表皮」 など多数が参考にされていますが、近年これに加わったのが「セミの羽」であり、まだ実用化して製品に応用まではされていないものの、その効果は・・

    ”セミの羽の表面を模せば抗菌作用が出る”というもので、それも抗菌よりも殺菌に近い威力発揮。

    セミの羽(特にクマゼミの透明な羽)の表面には”健康サンダルのような無数の細かい突起”があり、そこに緑膿菌という細菌を置くと死滅するという現象をオーストラリアのある研究チームが発見していたものを基に、日本の関西大学の伊藤建教授チームが、人工的に超微細の突起(髪の毛の1000分の1ほどの大きさというナノレベル) を作り、大腸菌を含む液を垂らした結果、最高10万分の1までに菌数を激減させることに成功している。

    最近、薬剤による抗菌加工製品があふれる中で、それに耐性をもった菌も増えるという現状を打開できる可能性があると期待されている。 (『』内は2019.5.4朝日新聞記事より部分引用)

    ・・というわけで、この場合はミミクリーをモジって「セミクリー」といえるかも・・

    ◎セミの脱皮直後姿をチョットだけ私が庭で観察した!
    ↓土中から幼虫が出てきた跡の穴が数個。写真右上には砂利をどけて”何が何でも出る”という生命力を感じさせる穴も・・。(各穴の径は約1.5センチ)
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    ↓この時点で発見して観察開始(午前8:35)
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    ↓真っ白だった羽がいったんやや透明に(9:55)
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    ↓羽も本体もだいぶ茶色になってきた。目は黒から茶色へ(11:11)
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    約2時間半の間の変化でしたが、残念ながら、ここで観察ストップしてしまいました。

    ◎ヒグラシ(ゼミ)の鳴き声は心地よい!
    セミの中でも、私が最も好きな声はヒグラシの「カナカナ・・」ですが残念ながら我が家の周囲では聞かれません。その声は私に限らず多くの人が”何か物悲しさ”を感じるもので、ジージーうるさいアブラゼミとは比較にならない。
    なぜヒグラシの声はそう感じるのか・・それはヒグラシが鳴くのは、夏でも朝と夕方の涼しい時、そして特に日暮れの夕焼けの一種のちょっとしたもの寂しさと連動するからでしょう。

    ところで俳句の世界では「蝉(せみ)」は”夏の季語”。しかし「ひぐらし」と「つくつくぼうし」は”秋の季語”だそうで、さらにややこしいのは・・他のセミでも秋口まで(遅くまで)鳴くセミは「秋の蝉」と称して”秋の季語”なのだそうです。

    ヒグラシが”秋の季語”とされる理由は、多分にそのもの悲しい鳴き声由来と思われますが、実際にはヒグラシは他の種類のセミより早く6月から鳴き始めるから夏のトップバッターなのに・・。

    ※各種セミの鳴き声→https://www.youtube.com/watch?v=f00V1h2wABM

    ◎セミを食べるには注意が必要
    地球上での将来の食料危機に対処するために「昆虫食」が注目されていて、セミもその一つですが、元々は中国や東南アジアでは昔から食べられているモノ。しかしながら、ちょっと注意が必要。

    注意1:セミの生身には寄生虫が居ることがあり、食するには"茹でてから油で揚げる"または"素揚げする"などが必要。

    注意2:現在の日本では"セミの食用ために大量採集すること"を禁止している自治体が増えている。例えば埼玉県川口市、東京都杉並区など。(子供が昆虫採集する程度はOK)
    杉並区の公園の掲示板には・・「区内の公園で、食用その他の目的でセミ等を大量捕獲するのは、おやめください」・・という表記がある。その背景には、最近の日本国内でもセミを沢山捕まえて食べる在日の
    東南アジア系の人たちが増えている実情があり、テレビでも"「食べるため」と称してセミ採集している二人(ベトナム人だったか?)の様子"を紹介していた。(最後は撮影スタッフが「この公園ではそれは禁止」と伝えて、ふたりはセミを逃がしていました・・ちょっとヤラセのニオイもしましたが?)

    ・・・・・・・・・・・・
    蛇足ですが・・私は中学生のときに、英単語の「cemetery」(セマテリー)=「墓地」のことを・・「墓場にセミ採りに行く」・・というように覚えました(笑)
    ・・・・・・・・・・・・

    「鬼滅の刃」ファンの皆さん御免! 表題の「真菰」とは、鬼滅のストーリーの中に出てくる少女の「真菰」ではなく、植物の「真菰」のコトなのです。「なんだ!ダマシか!」と言わずに、まあ お読みください!

    今回は納豆関連の第3弾になるもので、実はその題名として決めていたのは・・
    「納豆作りはマコモ、ススキ、出刃包丁、ヨーグルトメーカーで?!」だったのですが
    「鬼滅の刃」に「真菰」の名が出ていることを知ったので急遽題名変更したわけで、悪しからず。

    前編でも述べましたように、納豆作りの基本は大豆と納豆菌に適温と適湿度があればよいもの。その納豆菌が自然に存在している材料として昔から圧倒的に使われてきたのが“稲藁(ワラ)”で、現在でも“藁づと”に包んだ格好で、ごく一部のメーカーで作られています。しかし今は人工的に培養された納豆菌を使って、“藁(わら)づと”を使わずに製造されることがほとんどです。
    ↓〈
    藁づと〉に入ったまま売られている納豆
    warauto

    ところで「納豆菌」は日本だけで使われる呼称で、本来は“枯草(こそう)菌”と呼ばれるもので、稲ワラ以外の特に“イネ科” の植物の“真菰(マコモ)”※や“ススキ”などにも存在するので、最近、これらを使っての納豆作りの試みが出現しています。

    ※真菰(マコモ)とは・・イネ科の多年草で日本では全国の沼、湖、河川の水辺に生え、成長すれば2mくらいの高さになる。太い新芽はマコモダケと称して食べられる。『古来、マコモは神聖なモノとされ、出雲大社のしめ縄、日本酒の酒樽のこも被り、お盆の際のお供えをのせる盆ござ、などはマコモでできている。』(『』内は「株式会社マコモ」のHPより引用)

    マコモ(画像はwikipediaより)
    Water_bamboo
    葦(アシ/ヨシ)も水辺の植物だがマコモとは葉の長さと葉の付き方が違う
      (画像はwikipediaより)
    plant-asi

    ◎真菰(マコモ)で納豆を作る
    A)マコモの葉の乾燥チップと大豆を混ぜて作る
    「大和ファーム」(山梨県北杜市)は、一般家庭でも作ることができるように「レシピ付きマコモ納豆セット」を販売している。その内容は、乾燥マコモの葉のチップ10グラム+大豆100グラム+レシピ。

    この会社は、健康を考えて、商品の材料は全て“無農薬、化学肥料不使用、日本在来(=遺伝子組み換えでない)種の使用”をモットーにしているので、農薬の付いた稲ワラを使わずに自家栽培のマコモとそれに自然付着している納豆菌を使い、大豆も「借金なし大豆」という埼玉県の秩父地方で大正時代から作られている在来種を使っている。出来上がりは“立派な糸をひく納豆”

    「レシピ付きマコモ納豆セット」2700円(税込)
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    B)マコモの葉の粉末に納豆菌を追加して大豆と混ぜて作る
    「素輪花(そわか)」(三重県四日市市)は、同県菰野(こもの)町産のマコモの葉の粉末に納豆菌を追加して、やはり同町産の大豆「ふくゆたか」と混ぜて発酵させた「まこも納豆」を販売。
    「まこも納豆」40グラム3パック 198円(税別)
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    「まこも納豆」中身(やや緑のマコモ粉末が見える)
    makomo-nattou

    ◎ススキで納豆をつくる
    一般の人が納豆の自作を試みようとすると、稲ワラよりも比較的に入手しやすいススキが選ばれる。そのためにネット上では“ススキを使った納豆作り” の紹介が沢山見られます。以下にその一例を引用します(ブログ「オトコ中村の楽しい毎日」より)

    ①枯れススキならそのまま、青い葉のススキなら刈った後に枯らしたものを用意。
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    ②ススキを10分くらい煮沸(雑菌は死んでも納豆菌の胞子は100度では死なない)
    ③ポリエチレン製などの適当な容器に適当な長さに切ったススキを底に敷き詰め、その上に煮た大豆を敷き詰め、またその上にススキを敷き詰める。
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    ④大きな発泡スチロール製ボックスに50度くらいのお湯をはり、その中に先の容器を浮かべる。
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    発酵には酸素も必要なのでススキと大豆が入った容器の蓋は少しあけておき、外側の大きなボックスの蓋は保温維持のために閉めておく。(発酵のためには中身を40~45度くらいに維持する)
    ⑤約1日半で納豆らしくなるが、アンモニア臭を消すためにも冷蔵庫に入れてさらに2日間置いて完成。
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    ススキの爽やかな香りも加わっておいしい。
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    ◎出刃包丁を突き刺して作る納豆?!
    食物史研究家の永山久夫氏の著書「なっとうの神秘」には氏が日本中を踏査して得られた“各地の納豆の伝統的な作り方”が50例くらい紹介されているが、中には科学的根拠はないものの、より上手においしく出来上がることを願う思いが込められている方法もあります。例えば・・

    ①「出刃なっとう」
    山形県の出羽三山のふもとで作られていた納豆で、煮大豆を熱いうちにワラづとに詰めたものを10本くらい束ねてワラくずで包み、それを更にムシロで包み、その両端を縛りあげたら納屋などの天井に吊り下げる。その際に胴体の真ん中に出刃包丁を突き立てておく。その理由を村のお婆さんが語るには・・「納豆作りのコツは、ワラづとに汗をかかせることだ。出刃包丁を突きつけてみろ、人間だってびっくりして汗さかくだろ、納豆だっておっかねーからジワジワッと汗かくだ。そこで丈夫な糸を引くいい納豆ができるわげだ。」
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    ②「姫なっとう」
    福島県で今も残る作り方で、ワラづとに詰め込む煮大豆の真ん中に、ワラを簡単に結んで作った“お姫様”を入れておくもの。古老が語るには・・「ワラのお姫様を煮豆の“むこ殿”に抱かせるわげだ。温けえワラ床で一晩寝れば、ただの煮豆は粘っこい糸をひくようになって、お姫様の初床で納豆も上出来だっぺよ。」・・しかしこの方法は実は理にかなっていて、通常は煮豆をワラづとで外から包むのだが、それに加えて煮豆の中にもワラを入れて発酵をより効率化しているわけだ。呼び名は違うが同様の納豆製法は岩手、山形、茨城、千葉など各県にもある。
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    ※上記①、②は画像とも永山久夫氏著「なっとうの神秘」より抜粋引用ですが、「姫なっとう」の“姫”とは、男女の「姫始め」の場合の“姫”のニュアンスですね。


    ◎枯葉発酵熱で納豆発酵用の保温
    煮大豆発酵用の保温も“自然の力”利用する方法で、テレビ番組「所さんの目がテン」(日本テレビ系列:2020年5月31日放送)で紹介したもの。その手順は・・

    ①大型の発泡スチロールボックスに枯葉を敷き詰め、その上に米ぬか(窒素が豊富)をまく。
    これによって発酵促進されて温度が上がる。
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    ②その上にビニールシートなどを敷いて、その上に煮大豆が入ったワラづとを並べ、蓋をして保温。
    これでボックス内40度以上が得られて、結果は立派な糸をひく美味しい納豆ができた。
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    ↑画像は「所さんの目がテン」より引用

    ◎ヨーグルトメーカー使えば簡単に納豆出来る!
    ここまで述べてきましたらお分かりのように、最も面倒なのが発酵時の温度維持管理。自作派の方は、電気コタツや電気足温器などを使ったりして苦心しています。理想的には発酵開始時と発酵終盤時には温度を変える必要があるそうですが、そこまでしなくとも家庭で簡単に納豆が作れるのが“納豆用の発酵温度が設定できるヨーグルトメーカー”を使う方法。ヨーグルトメーカーのパイオニアである「タニカ電器」(岐阜県多治見市)の「ヨーグルティアS」を使えばヨーグルトだけではなく納豆も簡単にできるということで、同社お勧めの方法が公開されています。(1分間の動画説明付き)
    作り方動画→自家製・納豆の作り方|すばる屋 (subaruya.com)

    ヨーグルティアS(同社HPより)
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    ここでは少量の納豆そのものを納豆菌の供給用に使っていますが、代わりにススキの葉を使ってみるのも面白いのではないでしょうか。
    ・・・・・・・・・・・・

    飛話:「真菰(マコモ)」という言葉を聞くと、私は真っ先に頭に浮かぶのが石原裕次郎と浅丘ルリ子が主演した映画「夕陽の丘」(1964年公開、監督:松尾昭典)の同名の主題歌(5番ある内の3番)の歌詞で「真菰の葦は風にゆれ 落ち葉くるくる水に舞う ・・」というのですが、今考えると真菰と葦が同一視されているようで変です。
    「夕陽の丘」主題歌→https://www.youtube.com/watch?v=CYSKRnBLOO0

    ・・・・・・・・・・・・・

    ◎突然ブレーキが効かなくなった !
    数年前のこと 車検終えて一週間も経たないある日 走行開始から15キロくらいの地点の交差点の赤信号で停止しようとして踏んだブレーキが効かずにクルマがスーっと動いたまま 前に停車中のクルマに追突寸前に事態は迫ったところで ハッと気づいた! 

    “サイドブレーキ(ハンドブレーキ)を引いてみよう”・・即座に実行したら クルマは止まった!

    車検整備した工場に再点検・修理をしてもらったが 原因はブレーキオイルパイプからの液漏れ

    フットブレーキ系統とサイドブレーキ(ハンドブレーキ)系統が別になっているので 難を逃れたわけだが

    しかし私が現在運転しているクルマはサイドブレーキ(ハンドブレーキ)が無く 替わりに足踏み式サイドブレーキであり これは微妙なブレーキ操作は無理で 前述のような事態に陥った際には困りそうだ

    クルマに限らず あらゆる物事において それが故障や失敗が起こった際には “何か別の解決策”が講じられるようになっている必要がある いわゆるalternative(オールタナティヴ)でなければならない!

    ◎ホイールバランス狂い時速115キロ以上で振動発生
    昔 “スカイライン”と言ってもまだ日産に吸収される前のプリンス自動車製のおんぼろ中古車に乗っていた時のこと 高速道路走行時に決まって時速115キロから車体に振動と騒音が発生していた 

    当時はその原因が”ホイールバランスの狂い”が原因だとは気づかずにいた 時には大阪~東京間の高速道路ではほとんど振動・騒音状態で往復走行していた
     
    なぜ”ホイールバランスの狂い”による振動が危険なのかと言えば・・振動の連続によってホイールまわりの部品が摩耗したり クルマ全体のいずれかの部品取り付けネジなどのゆるみが生じるから

    実際に私は 過去に大阪→東京間の高速バスに乗車した際にニコンの一眼レフカメラをバッグに入れてバスの座席頭上の棚に置いていて到着後カメラはレンズマウント部品のネジが大きくゆるんでいた 

    つまりバスの”気にもならないような振動”でさえもネジをゆるめてしまうのだ

    この”ホイールバランスの狂い”は現在のあらゆるクルマにも生じ得ること 原因は”縁石に乗り上げたり擦ったりしてホイールが変形や損傷””ホイールに汚れの塊が付いている”など なので要注意!

    ◎水たまりでもクルマエンジンストップ
    これは友人が運転していて私が助手席に乗っていた時のことだが ある水たまりに勢いよく突っ込んだ瞬間にエンジンストップ! ボンネットを開けてみるとエンジンルームに水がかかっていて あちこち水を拭き取ってはエンジン始動を試みて それを繰り返した結果 ディストリビュータの水濡れが主原因だと判明して解決した 

    “水たまり”でさえ こんなことがおこるのだから水害時は勿論 ちょっとした道路冠水時でもクルマを勢いよく運転することは避けないといけない

    いかなる種類のクルマであっても直接的・間接的に電気が無いと動かないのだから 要注意!
     
    ◎TAXIとスタートダッシュ競争してパトカーに捕まりそうに!
    大阪市内でのある夜のこと 交差点の赤信号でクルマ停止 片側2車線で右横にはタクシーが停止 この2台ともが前にはクルマ無し状態 つまりクルマの停止線が”スタートライン”なので青信号でなぜか(私は若気の至りか)2台ともスタートダッシュ! 「よし それならば」と 次の交差点の赤信号でストップ 青信号で再び両車ダッシュするが 決着はつかない 

    そして3回目の赤信号で停止した直後に 私は日頃頻繁にバックミラーを見る習慣をつけていたので”タクシーの2台後ろにパトカーの回転灯”を見つけた! このままでは明らかにマズイと思い 青信号になって今度は普通の発進をしたが タクシーは今までの調子でダッシュ 途端にパトカーのサイレンが鳴り タクシーは"御用"となった

    捕まった理由はたぶん”信号と信号の間の区間に時速40キロ以上で走ったから”だろう・・これもある意味で”パトカーに捕まる危険な?運転!"
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ◎蛙がクルマの床下にポコンポコンとぶつかる?!
    私の住んでいる所に近い田んぼでは 毎年ゴールデンウイーク前後に田植えが始まります そのために4月に入ると田に水がひかれ それを待っていたかのようにカエルの合唱が始まり 今年も聞こえてきました
    tambo
    田植え前に水をはった田んぼ(2020.4.23撮影)
    そこでヨミガエル記憶が・・昔 5月頃だったかのある日 播州平野または播磨平野と呼ばれる一帯に属する兵庫県のやや中央部で田んぼに挟まれた道路(幅5メートルくらい)をクルマで走行中に ふと気が付くと前方に“人間の拳の半分くらいの石がその先200メートルくらいにわたってびっしりとばらまかれているような光景”が現れ まるで“砂利を積んだトラックが横転してこぼしたような”感じです 

    しかし近づいてみると それは“無数のカエル”と気が付きました(今調べてみたらアオガエルよりは大きいシュレーゲルアオガエルかモリアオガエルのようです)
    frog-on-the-road
    石をばらまいたように蛙の大群が・・
    さて走り抜けるには カエルにはかわいそうだが そのまま行くしかないので 進みだしたところ 驚いた蛙が飛び跳ねて 走るクルマの床下にぶつかって“ポコン・ポコン”と音をたて その数20回くらいでした 

    私にとっては1回きりの珍しい経験でしたが 後から考えると“あの時に蛙たちに向かってクラクションを鳴らしライトを点灯してから進行すれば 犠牲は少なかったのではないか” と悔やまれます・・合掌

    ◎交通事故死少ない犬だがクルマと衝突は結構ある!
    事故死が猫より格段に少ない犬(私が目撃した例では猫100に対して犬は1の割合)ですが 私の経験から言えば“犬の場合は死なないけれどもクルマにぶつかる数は少なくない”というのが実感です 

    というわけで実体験を少々・・私が運転中のクルマの前方約30メートルを 中型犬が道路の左端から右端に向かって走りだしましたが道路中央まで行ったところでクルマ(私から見れば対向車)が向かって来たのを見て その犬はそこで止まらずにあわてて もと来た方向へ引き返して走り出したから私のクルマの正面にぶつかりましたが不幸中の幸いで車輪と車輪の間から逃げて行きました 
    dog-accident
    当方の損害はナンバープレートの折れ曲がり!

    またある時は クルマどうしがやっとスレ違える細い道路を進行中に左横の建物と建物の間から急に大きい犬が飛び出してきたので 急ブレーキを踏んでも間に合わずにクルマの左前部に衝突しました ボコンという音がしましたが犬はキャンと泣いて逃げて行きました 


    当方のクルマのボディ左前部の鉄板(フロントフェンダー)は曲がって外側に膨らんでしまいました 

    前出の”道路中央で急な後戻りをした犬”とまったく同じ行動をした猫も見たことがありますし 道路への飛び出しの危険は子供や高齢者にもあるので 以後私は“急な飛び出しがある可能性がある道路”の走行時はスピードを控えめにした上で 特にブレーキに即反応するよう身構えています 

    ただし全く予想もつかない“飛び出し”もありました それは東名高速道路で神奈川県内を走行中に突然 道路右端から左へ向けて大型犬が横切って走ったのです この時は衝突を免れましたが 冷や汗をかいたものです 
    ・・・・・・・・・・・・・・

    今回は冬に体験したこと2題です
    ◎突然の道路一部凍結でクルマ180度スピン!
    ある年の正月の寒い朝 私は山間部を走行中 ある場所にさしかかったところクルマが突然スーっと滑ったので慌てて急ブレーキを踏んだ結果 見事にクルマが180度向きを変えてから停車しました 

    路面をよく見ると脇の崖から流れ落ちた湧き水が幅約5メートルにわたって路面上で凍っていました
    frozen-road
    クルマに詳しい方なら この事態はABS(アンチロック ブレーキ システム)機能が装備されたクルマなら回避できただろうと思われるようでしょう そうなのです 当時の私が運転していたクルマにはその装置が付いていなかったのです 

    しかしながら 最初から凍結した道路の走行を意識しながら運転するのではなく 普通の状態の道路を走行中に急に一部だけが凍結した部分に遭遇する場合は やはり慌てると思います しかもその時の道路は山道のカーブの途中だったので 対向車が向かってくることも見えにくかったのですが 幸いにも対向車が来なかったので大事には至りませんでした 

    というわけで 冬季の山間部の湧き水などによる一部だけ道路凍結には注意

    ◎夜間降雪時走行のヘッドライトで前見えず!
    夜間しかも雪がちらつく中 名神高速道路を関西から東に向かって走行中 岐阜県あたりにさしかかって雪が激しくなってきたのですが それまで何とか前が見えていたものが “降る雪が まるで映画館の白いスクリーンのようになって 視界を遮るようになってしまいました” 

    このまま走行するのは危険でしたが その“白スクリーン発生”原因は“クルマのヘッドライトが雪にまともに反射している”ことにあると気が付いたので ライトの光を弱めるために いわゆる“スモールライト”にしてみました 

    そうしたらなんと “白スクリーン状態が消滅”して前が何とか見えるようになった
    ので 以後の降雪中はそのまま走行できたのでした 

    勿論 激しい降雪では走行続行は無理でしょうし 高速道路はすぐに封鎖されますが
     場合によっては この“スモールライト点灯走行”が役に立つでしょう ただし 信号がある一般道路では この走行方法は危険でしょう

    ◎蛇足ですが・・
    大阪万博開催年であり まだトヨタの「新型コロナ」も走っていた1970(昭和45)年 つまり今から丁度50年前に東名神高速道路を夜中の3時ころに走行していた時のことです

    ふと気が付くと自分が運転しているクルマの前と後ろに1台も走っていないということがありました
    夜中ですから前後真っ暗という状態でした 

    現在 夜中の3時頃といえば大型トラックに取り囲まれながら走る状態で まさに隔世の感です
      ・・・・・・・・・・・・・ 

    コロナ禍で自宅がテレワークオフィスとなっている家庭では すでに色々な問題が出ているようです(反対に良い面も報告されていますが ここでは省略) 
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    コロナによるテレワーク自宅現場の一例(NHKテレビから)

    例えば「休校の子どもたちがいるのでうるさくて集中できない」

    「妻が同業他社勤務なのでセキュリティ保持が難しい」

    「ストレスが溜まってDVになった(対配偶者 対子供)」

    果ては「コロナ離婚」など・・ 

    その上“猫を飼っているウチ”ゆえの問題も発生しています

    ◎おウチの猫による困った例 
    TV報道によると・・猫が「パソコンのキーボードにおしっこをした」

    「キーを踏みデータがメチャクチャになった」

    「パソコン作業中に猫が かまってもらいたいのか 手を出してきて邪魔をする」など

    これを機会にネットをみたら すでに”テレワークと猫の問題”が沢山でていたので驚きました

    丁度 私の”新聞スクラップ”整理をしていたら 2013年4月21日の
    朝日新聞の記事が出てきました タイトルは「ペットと家電 思わぬ事故」これによると犬も猫も大事を起こしているのですが 注目すべきは”猫のおしっこによる家電の火災発生”が多いことです 中でも”家庭用ファックス”が多く その他”プリンター”にも起こっています メーカーでは「少々の油や水には大丈夫なように作ってありますが 猫の尿の中の塩分が悪影響を及ぼします」という記事内容です 

    ファックスや”プリンターは紙の出入り口など開口部があるので完璧な防水は無理でしょうから ユーザー側の注意が必要になるわけです
      
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    私が過去に仕事上で“家庭生活実態訪問調査”を30年間に50~60回ほど行った中には 

    愛猫家のお宅ゆえの苦労と対処が見られました 例えば・・

    猫が「ファクス付き電話器の上に乗ってダイヤルキーなどを押しまくる しかもその上でうずくまって“長押し状態のキーも出る”始末」・・この原因は ファクス付き電話器が普通の電話器より大きくて 乗っかり易く しかも待機電力で若干暖かいので猫にとっては好都合というわけです
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    そこでこのご家庭ではファクス付き電話器全体を覆う“透明アクリル樹脂板で作った箱”をかぶせて対処していました 

    また別のお宅では 洗濯機の操作パネルの上に猫が乗って 洗濯機が勝手に動きだした事件が起きたことがあり 買い替え時には「現在多くの機種がプッシュ操作パネルがほぼ水平で天をむいていますが なるべく操作パネルが立ち上がって(起き上がって)いて 猫が乗れないような機種を苦労して探した」そうです 

    ◎猫の数は犬より多い!
    現在の日本国内での“飼い猫”の数は964万9千匹 

    “飼い犬”は890万3千匹なので犬より猫が多い ただし“猫飼い世帯数”は553万9千“ ”犬飼い世帯数“は715万4千なので 犬を飼っている世帯のほうが多い
    (平成30年 ペットフード協会調べ)

    ちなみに猫と犬を合わせると1855万2千匹 これは日本の15才未満の子どもの総人口1541万4千人よりも多い数  つまり日本では子供の数より犬猫の数のほうが多いわけです

    ◎我が家の“野良猫による被害”状況!
    現在 我が家の周囲には野良猫が推定4匹いて 敷地に無断侵入して闊歩し ひなたぼっこをしたりしていますが それだけでは済まないのが・・

    1)糞尿・・毎月1回以上 糞はたいてい庭の芝生に しかし玄関ドア開けて一歩踏み出したら踏んでしまうところだったような場所のこともあった 尿は倉庫のドアにふりかける 

    2)家宅侵入して生ゴミあさり・・ある夏の日 我が家の網戸を自分でズリ開けて屋内に侵入して台所の生ゴミをあさっていた 

    3)クルマのエンジンルームの中に潜んでいたこと数回・・これは猫がよくやる行為らしく最近では「エンジン始動する前にボンネットをコンコンと叩いて もしも猫が居たら追い出すことを習慣にしている」という人もあるくらい 

    4)出産・・ある日 庭の物陰に5~6匹を産んでいた 

    5)猫が猫の葬式をしていた・・母親と子猫4匹だったか?で 死んだ子猫を丸く囲んで弔いをしていた(庭の板材の上で) 

    6)庭の瓶の中で飼っていた金魚を食べてしまった 
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    ・・という“糞害に憤慨”するだけではおさまらない困った状況ですが それに加えて・・

    私が現在地に住んで約40年 郊外でも里山近くという環境でクルマを運転していて 交通事故にあった100匹以上の動物の姿を見ていますが そのほとんどは猫です(他は若干のイタチ?とヘビ)・・

    というわけで 野良猫を是非つくらないようにしてほしいものです 

    私はクルマの運転歴55年になりますが その間には 危険な目にあったことも多々ありました そこで その原因と対策をご紹介して 皆様にも同じことが起きないように 少しでも参考になれば幸いです!
    ◎高速道路走行時にタイヤが破裂(バースト)!
    東京・豊島区から兵庫県某所をめざして 最初は一般道を走り用賀から東名高速道路に入り 2時間くらいして静岡県内を走行中 何の前触れもなく突然“左前輪タイヤ”が破裂 と言っても破裂音はありません 
    この時は2車線の右の走行車線を時速100キロ近くで走っていたのですが 当然のように車体は左へ向かって引っ張られます 
    私はブレーキを踏みつつ必死でハンドルを右に戻そうとしましたが それでも左車線にまで車体をもっていかれました つまり1車線分ずれたわけで ようやく減速して路肩に停止しました 
    もしも(腕力の弱い)女性が運転していたら または左車線走行時だったら側壁にぶつかっていたでしょう ただし(私はメカに詳しくはないのですが)現在のようにパワーステアリングだったら このような事態は避けられるのでしょうか?
    幸いにも左車線に後続車がま近にせまっていなかったので追突されなかったのですが 後から考えるとこれにもゾッとします
    破裂したタイヤは横っ腹がズタズタに裂けていました・・後日に冷静になって思い出したら 原因が判明しました・・それは・・その前日にクルマを ある家の塀際すれすれに停車する際にタイヤをこすったのですが その塀の根元は地面から高さ15センチほどまでがコンクリートで表面が“通常と違ってガリガリ(普通の出来上がり表面をあとから『はつる』・・一種の削るような・・処理)状態”でした つまりこの時にタイヤの横腹にキズをつけてしまったのです 
    しかもこのキズを付けた部分はタイヤでも危ない部位だったのです
    実はタイヤで最も厚みが薄い部分がこの横腹で「サイドウォール部(下図参照)」と呼ばれますが 加えて“走行時には最も『たわむ』部分”でもあります その結果少々のキズでも走行を続けると たわみで傷口が広がることになり最後は裂断・破裂となるわけです
    taiyadanmen (2)
    図はグッドイヤー社のHPから引用
    コンクリート製の通常の縁石でも 古くなると表面のセメント部分が洗い流されて中の砂利がブツブツと出っ張っているものも多いので これもタイヤには危ない
    でしょう・・したがって・・
    ⇒タイヤは側面を擦ってはいけない!

    ◎バッテリーは前兆無く突然死する!
    現在 クルマにはガソリン車 ディーゼル車 ハイブリッド車 電気自動車(EV)などがありますが ハイブリッド車 電気自動車に使われる“モーター駆動用”を除くと 他は(ハイブリッド車の“補機バッテリー”も含めて)すべてに従来型の鉛バッテリーが使用されています
    pb-battery
    自動車用バッテリー例(蓄電池バンクのHPより)
    この鉛バッテリーも昔に比べたら性能は良くなっているのでしょうが とにかく結果としては困った性格になっています
    それは・・“これといった前兆もなく突然に使えなくなるのです”・・実際に私が体験したのは・・
    ある日 エンジン始動も軽快にして10分ほど走行してからガソリンスタンドに立ち寄り 給油を終えていざ出発しようとしたら セルモーターがウンともスンともいわずエンジンがかからないのです 
    スタンドの従業員さんに調べてもらったら「バッテリー寿命で 充電してもムリすね」と言われ しかたなくその場で新品バッテリーに取り換えてもらいました 
    これは“不幸中の幸い”で もしもこのような事態が 人里離れた山の中で起きたら非常に面倒なことになるわけです
    その後に イエローハットやオートバックスなど自動車用品店の店内には「バッテリーは突然に寿命が尽きます」というようなことを書いた印刷ポスターが貼ってあり またバッテリーのメーカー最大手のGSユアサ社のホームページにも同様の文言が掲示されていることも見つけました・・ということはバッテリーの作り手も売り手も確信しているわけで バッテリーを扱う店や整備工場などでは“バッテリーチェッカー”という計器で“バッテリーの死期”が予知できるそうですが それほど大掛かりでなく低コストで“突然の寿命の一歩手前の告知・警告”をクルマ側に表す方法を是非開発してほしいものです
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    バッテリーチェッカー使用例(オートバックスのHPより)
    自動車用品店のポスターには“突然死”の理由として「バッテリーの性能をぎりぎりまで保つようになったから」というようなことも書かれていますが それだったらひと昔前のバッテリーのように 寿命が近づいたら セルモーターが弱った音を出し始めることや夜間点灯のヘッドライトの明かるさがアクセルの踏み具合で変化し始める・・というような“徐々に弱る”前兆があったほうがまだましだったとも言えます・・というわけで 現状では仕方なく・・
    ⇒バッテリーは(前兆無くても)2~3年※で新品交換すべし!(※鉛バッテリーの場合の平均年数であり 寿命は使用状況によって異なり 極端には1年 長くて5年にもなる)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    2月28日に安倍首相が突然“全国小中高校および特別支援学校へ一斉休校するよう要請”しましたが その翌日に私たち夫婦が朝9時開店の地元スーパーに9時15分頃に行ったところ 店内は既に異常な混雑ぶり レジには早くも長蛇の列という光景 この日は土曜日しかも給料日直後でもあるので通常でもやや混むのですが それでは説明のつかない状況! その原因は二つありました 一つは一目瞭然で・・
    ◎理由1:トイレットペーパー無くなる噂
    昔のオイルショックの際と同様の噂が広まり それを信じた人たちが殺到したため スーパー店内はカートにトイレットペーパーとティッシュを載せた人が(開店直後は)半数以上はいました
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    ↑ペーパー類の購入制限があったので一人当たりの量は少ないが・・
    ◎理由2:休校の子供 テレワークの自分たちのための食材確保
    首相要請による突然の休校で子供の在宅日が増えたことが大きいのですが その他 一時的な在宅勤務の発生 街に出ての外食の控え などで急に想定外の“在宅者”が増えるので その自宅内食事のための食材を臨時調達する必要が出たためで このような家庭が多ければ早く食材確保しなければ品薄か価格上昇が予測されるのでスーパーにも殺到したのです 

    スーパーの店内で実際に聞こえたのは「これから学校が休みになってしまう子供の昼のために弁当を作ることになるので材料を買い溜めするために来たのよ」という(たぶん)共働き家庭の奥さんの話でした
    後で知ったのですが 今回は”臨時緊急措置で学校などが学童保育する”ところもあるそうですが その場合でも弁当は必要になるそうです 

    その後 テレビでは レトルト食品 冷凍食品 保存食など“親は手間かからず子供でも簡単に食べられる食品”を求める人も多いことをレポートしています

    ◎“ミングル”という言葉登場
    ウイルス感染拡大防止のための注意事項が沢山出されていますが 「“ミングル”を避けよう」という表現が出てきました “ミングル(mingle)” とは“集まる”“参加する”“混ざる”などの意味で 具体的には 密閉空間になりやすいライヴハウス カラオケルーム (冬の)屋形船 スポーツジム スキーのゲストハウス 講演会などは避けましょう・・という意味です

    ここでお話は飛びますが・・
    ◎「新型コロナ」という言葉は56年前にもよく耳にした!?
    連日「新型コロナウイルス」という言葉とともに「新型コロナ」も頻繁に使われるようになりましたが 後者が使われるワケは 前者より短かく発声できるだけでなく 文字数が少なくなるので特に文字を減らすことに注力しているメディアには好都合なのでしょう 

    ここで昔 青年だった我々には この「新型コロナ」という言葉は 1964(昭和39)年にトヨタ自動車から登場したクルマに頻繁に使われていたことが頭に浮かぶのです この「新型コロナ」実はコロナとしては3代目だったのですがこの代になって“それまで販売台数で日産のブルーバードに負けていた”状況を逆転したのでさらに印象深いのです
    toyopet-corona
    ↑56年前の「新型コロナ」(写真はwikipediaより引用)
    ◎ “韓国トヨタ自動車”は新型コロナ対策に寄付
    蛇足ながら・・トヨタとコロナつながりを意識したかどうかはわかりませんが“韓国トヨタ自動車”は新型コロナ感染拡大予防のためにと“児童福祉に取り組む韓国の団体”の「緑の傘子ども財団」に1億ウォン(約900万円)を寄付したそうです
    ・・・・・・・・・・
    我が家では 呼称さらに短縮して・・「マスクしないと”コロ”にやられるよ!」などと使われています

    ◎不思議!缶開けずに中身がなぜ消えた

    先日 実家の整理の際に リュックタイプの非常袋の中から “プルトップを引き開けていないのに中身が消えているキリンレモン缶”(250ml)が3個出てきました これには驚きました なんでこうなるのか?

    缶の底部に製造年月日とされる“5819”の数字があるが解読不能なので キリンビバレッジ社に問い合わせた結果「この缶は1973~1985年まで製造したものであるというところまでしか教えられない」という回答なので 少なくとも35年以上前のモノということが判明しました

    ということは・・恥ずかしながら・・実家の者が 今で言う“ローリングストック=常時新旧入れ替え”をしていなかったのです

    缶にへこみや傷は見当たりません また目視できる穴もありません しかしルーペ(25倍)で見ると 穴らしきものは見えないものの どこかに微細な穴か亀裂があるのでしょうか そこからキリンレモンの液体と炭酸ガスが滲出して その成分が乾燥して茶色くなったような部分がかすかに見て取れます

    以下3枚の写真が このミステリー缶です
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    この缶は いわゆるオールアルミニウムの2ピース缶で本体と上蓋部が接合されていますが 3缶ともその接合部から漏れた形跡はありません・・

    内容物の原材料名を見ると酸味料が入っています ということはアルミが中身の酸性物で侵されて微細な穴か亀裂ができたと考えざるを得ません とすれば・・こうなる以前の段階で中身の飲料にアルミが溶出しているのではないでしょうか だとするとこれは キリンレモンだけではなく内容物が酸性のモノは全て当てはまりそうです

    アルミの素地のままであれば 昔に多かった“日の丸弁当”では ”アルミの蓋が梅干しの酸で穴が開いた”という話が聞かれました 一方でアルカリ性の強いものにもアルミは溶け出すので これを知らずに アルミ缶に強力洗剤を入れていて穴が開いた事件が過去にありました アルミの表面にアルマイト処理をして耐酸性 耐アルカリ性になりますが これも絶対ではありません

    今回見つかった“未開封なのに空のアルミ缶”の生地の処理は不明ですが 現在は缶のプレス成型後に缶の内側に保護被膜ができるような物質をスプレーして処理しているのが主流のようです さらには缶内面をより安全なPET樹脂膜で覆う処理も出てきています

    ◎やはりアルミによる脳への影響は否定できないようだ

    25年ほど前から新聞などで“アルミが人体に入ると脳に影響を与えてアルツハイマー型認知症になる”という情報が出てきました その影響で “既に米国ではアルミ製の鍋など調理器具を売っていない都市がある”とも

    紹介されました しかしその後WHO(世界保健機構)や日本の厚生労働省 そして軽金属協会なども“アルツハイマーへのアルミ影響説否定”の見解を出したものの いずれもアルミがシロと断定はできていません

    その後 アルミの単独作用でなく他の要素との複合結果説も出たり その他“アルミが神経系統へ悪影響及ぼす”説も出てきました これらの件に関する数々の実験や調査が行われた結果に基づき 研究者たちの中では否定派と肯定派が存在する状態になっています したがってアルミがクロとも断言できません

    そこで“疑わしきは ひとまず排除”すべきでしょう(これは日本の司法界での“疑わしきは罰せず”の反対の対応と言えるのでしょう) ※詳しくは・・「船瀬俊介氏のコラム」の・・min-voice.com/aluminum-cans-juice-4863.html や 「臨床栄養士のひとり言」・・ https://nutmed.exblog.jp/4547976/などを参照下さい

    確かに我々は日常の食事を通して食材が元来含有している微量のアルミを取り込んでいるほか 水道水にも河川水浄化の過程で使われるアルミからの溶出分も摂取 また胃腸薬の多くに含まれているアルミ化合物を摂っている そしてアルミの鍋やフライパン アルミフォイルなどに 酢を含んだモノ 塩気の多いモノなどを長時間入れているとアルミが溶け出しているそうです 微量のアルミ摂取は体外排出によって問題なさそうですが“塵もつもれば・・”で摂取頻度高ければ要注意でしょう

    同様に鍋やフライパンに対して金属製のお玉杓子やフライがえしなどで傷つけるのも要注意 ついでに・・中性洗剤でないアルカリ洗剤に鍋などを浸け置きしてもアルミは溶出します

    ◎海洋プラスチック発生防止のための金属缶だが

    現在 海洋プラスチック マイクロプラスチックは環境問題を起こしているので 飲料容器ではPETボトルから缶への移行が始まり 今年2020年はそれが加速すると言われます

    従来の缶は一度開缶すると蓋ができずに飲みかけを一時保存したり 持ち歩くことなどが出来ないタイプが多かったが スクリューキャップタイプの登場でその欠点が解消されたことも普及に拍車をかけるでしょう しかし先述のようにアルミの疑わしき部分にはメーカーもユーザーも注意が必要です

    例えば・・スクリューキャップを頻繁に回して開け閉めする結果 缶の凸ネジ部とキャップの凹ネジ部の摩擦摩耗によるアルミ微粉の発生の可能性は無いのでしょうか?・・

    その心配を回避したボトルは登場していますが キャップがPP(ポリプロピレン)製なので いわばアルミ・プラのハイブリッドと言えるのでしょうが プラスチックが一部使われているので 甲乙つけがたい状態です

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          Buerkle社製ボトル(本体PP:アルミ/キャップ:PP)


       ・・・・・・・・・・

    ◎こんな光景 見たことない 風パワー

    まずこの写真をご覧ください

    台風15号来襲から3か月経過した千葉県市原市のかつての立派な杉の林だったであろう場所の横をクルマで通りかけて見えたその光景に思わず停車して撮影したものです 
    太さ直径25センチほどの杉の木が100本ほど 
    幹が地上から15メートルくらいに達したあたりで皆折れているのです

    台風被害でよくあるケースは大木が根元から倒されるものですが それは”お相撲さんが木をグイと押し倒す”ようなもので この杉林の場合は”空手家がパンッと蹴りをいれた”つまり瞬発的な衝撃で木が折れたようで このような異様な状態は見たことがありません

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    ◎“ツングースカ大爆発”連想

    私は思わず昔ロシアで起こった事件“ツングースカ大爆発”の光景を写した写真が頭に浮かびました

    それはロシアのシベリアのツングースカ川上流の地域で 1908年(日露戦争終結3年後)の6月30日7時2分に巨大な火の玉が上空で爆発して広大な森の木々をなぎ倒し火災も起きた事件で 100年以上その原因がつかめなかったが2013年に“隕石によるもの”と解明されたものです

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    爆発現場(karapaia.comより引用)

    この市原市の杉林とツングースカの森跡の写真には共通点が見られます

    それは・・どちらも細い木は なぎ倒されたり折れたりしないで被害が少ないように見えます これは細い木のほうが相対的に柔軟性があるからでしょう 

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    爆発現場(http://zapzapjp.comより引用)

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    ツングースカ川の位置(赤丸)(wikipediaより)

    ◎15号による風害は甚大

    今年・令和元年9月から10月にかけて東日本は台風15号と19号による大きな被害がでました

    被害地域の広さと水害の多さから19号のほうが より注目されていますが 15号による風害は とんでもない事態を招きました

    実は19号の方が大型であったにもかかわらず15号の風害が大きかった理由は15号はコンパクトな範囲に風のパワーが集中したからで 具体的には 千葉県南部沿岸部から同じ千葉県の東京湾沿岸地域にかけてを「アッ」という間(午前2時~3時の間)に風力を注ぎ込んだのです

     

    結果被害は・・マスコミ報道の通り高圧電線鉄塔が折れ送電停止” “コンクリート電柱が折れたり倒れたり”電線に大木が倒れ掛かったりで 大規模停電で一般家庭や商業施設・店舗は勿論停電だが 水道給水所のポンプ停止で水道停止 同様に携帯電話も停止 固定電話も殆どがAC電源使用タイプなので不通(昔の黒電話はOK) ゴルフ練習場のネット支柱の倒壊””屋根瓦と屋根裏がはがされて雨が室内に降り注いだり 漏れたりしたもので 停電と水道停止の両方が10日以上続いた地域も多かった

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    ◎体験談と提案

    千葉県市原市に住む私の知人の体験談によれば・・

    ・木造モルタル2階建ての自宅建物は午前3時頃は風で地震の震度2くらいに揺れた 当然眠られない

    ・3時15分頃 遂に停電 同時刻頃に2階の2部屋で雨漏り始まり 洗面器で水滴を受けた 原因は後述のように瓦が飛ばされたため

    ・朝になり庭に出てみたら 自宅屋根の瓦が 10枚くらいはがされて落ちて割れていた 一部破片は隣家の敷地にまで 飛んでいた

    ・落ちて割れた瓦(切妻屋根の縁に使われるタイプ)をつなぎ合わせて1枚にして重さを測ってみたら4キロありしかもその瓦の2カ所は2寸釘で木部にとめてあったもので これをはがして飛ばすパワーの凄さに驚く

    台風通過後に地区中の屋根を見ると 瓦が飛ばされた家の99%くらいが  伝統的な日本瓦の形をした瓦を葺いていて それ以外の平べったい瓦は飛ばされていないことは 今後の建築上考慮に値すると思える

    ・隣のお宅のカーポートは屋根部とともに太いアルミ支柱の上半分から折れて そのお隣にまで飛ばされそのお宅の2階ベランダをグチャグチャにしてしまった その他近隣では飛んだ瓦で他人様のクルマを傷つけたケースが多く発生

    ・15号通過翌日の日中の室温“は33.5度もあり以後1週間は同様の温度でエアコンと扇風機無しで パンツ一丁で肩首に濡れタオルを掛けて団扇であおぎ続けた 熱中症の恐怖あった

    ・幸いに水道停止はなかったのだが この家はオール電化住宅なので風呂のお湯はできず かといって水シャワーは冷たすぎた また通常の炊事もできず 卓上カセットコンロを使ったが補充用ボンベの買い足しに苦労した(なかなか店に無い)

    非常用の手回し発電機能付きラジオが役立ったが ケイタイ充電機能が付いていないので買い替えたい

    ・今回 近隣のお宅の庭の“太陽光発電・充電タイプのガーデンライト”が一晩中あかあかと灯っていたのを見て これは十分にろうそく替わりになるどころか安全であるから メーカーは非常時にはろうそく代替になるタイプを出せば大ヒットするはず・・ということでした

       ・・・・・・・・・・・・・・



    高齢者の志向・行動・ウォンツ・ニーズ()

    ◎不思議!落ち葉が歌う/水道蛇口がしゃべる/電灯がタダで灯る

    かつて沖縄県の一部地域では濡れた落ち葉から音楽が聞こえる水道の蛇口をひねると声が聞こえるという珍しい現象が起こっていました また不思議ではないもののアンテナ線を張って電球をつなぐと点灯するということもできました

    これらの現象は 当時沖縄に存在した米国の放送局のアンテナから発する強力な電波によって起きたものでした 

    その放送局というのはVOAVoice of America=アメリカの声)という 米国がおもに自由主義ではない国に向けた内容の国営放送で これを全世界に向けるために米国外にも多数の中継局が必要で その一つが沖縄にあったのです (この中継局は沖縄返還と同時に国外(フィリピン?)に移転しました) 

    現在のVOAは短波 中波 FMやインターネットなどで情報発信されていますが 昔は短波と中波の放送のみでした

    当時のVOAの電波強度が私には不明ですが 中波放送のほうが短波より格段に電波強度を必要としたので 中波の発信電波が作用したのでしょう

    参考に その後のVOAフィリッピン中継局の電波は1000キロワット 日本では 東京のNHK第一放送の電波は300キロワット 同じく民放局は100キロワットなので いかにVOA電波が強力だったかがわかります

     

    ◎ジャミングという妨害電波

    以前にどなたかのブログで「VOAの放送をジャミングする某国の放送」という内容の報告がありましたが ここで使われている「ジャミング」とは 妨害電波そのもの またはその電波を発する行為を示すものです

    実はこのジャミングという方法は第二次世界大戦中に使われ始め 戦後は共産圏の国などで 自国にとって不利益・不都合な情報を流す他国からの放送を妨害する目的で使われて現在も続いています 

    具体的には「バーというような連続雑音」や「語り」「音楽劇」などを強烈な電波で流して 他国からの放送内容を全く聞かせないようにしています

    VOAの強力電波を上回る電波を某国は出しているのでしょうか?

    私が放送のジャミング音を聞いたのは今から50年ほど前からで 短波放送で一般によく聴かれる3メガヘルツから12メガヘルツくらいの間にも多数 現在でも存在しています

     

    ◎「ジャミング」は一部シニアには懐かしい言葉

    1970年代前半から(その後10年間くらいか?)日本ではBCLブーム起きました BCLとはBroadcasting Listening/Listenersのことで 直訳すれば「放送聴取/放送聴取者」ですが 実態は短波放送を聞いて楽しむことでした・・このブームに乗ったのが当時の中学生から高校生でしたが BCLではイヤでもジャミング音を耳にしたもので 現在この人たちは60才代に入り 上は65才を過ぎています・・というわけで「ジャミング」という言葉を懐かしく感じるシニアも多いのです

    bcl-radio (2)
    ↑このようなラジオで短波放送に夢中になったBCLブーム
    ◎古くからあるが再び出てきた言葉「ジャミング」 !

    doroon (2)

    近年流行のドローンですが 遂に災害時に人を乗せて救出するモノ(これはもうドローンと言えないのか)”空飛ぶ自動車”(どちらも現時点では試作品)まで出現するなど 社会に貢献する一方で 

    犯罪や戦闘にまで使われるようになっています そこで悪用防止のために出現したのが ドローンをコントロールする指令電波を妨害してドローンを操縦不能とする装置で これに使われる妨害電波そのもの または その電波で妨害する行為を「ジャミング」と言います※ 

    最近のニュースで「ドローン犯罪に備えて 今年多かった祝賀パレードにジャミング電波が使われ また 来年の東京オリンピック・パラリンピックでも使われる」という情報が流れました 

    調べたらそのための装置はジャミングガンというそうです 

    drone-jammer (2)

    ↑ジャミングガンの例 右はドローンジャマーと称していますが

      Jamとは電波を邪魔(ジャマ=妨害)するという意味ですから

    なにやら日本語と英語が重なる?

     

    また 携帯電話やWiFiGPSなどへのジャミング用小型機器は市販されています

    ※ジャミングは単に妨害を意味するが 特に電波で妨害する場合に使われることが多い


    ◎「ツイート」が「ツイーター」に結び付くシニア !

    今や老若男女 一国の大統領から一市民までツイッターでツイートする時代ですが 

    「ツイッター」と「ツイート」という言葉を聞くと “今のシニア”たちは「ツイーター」を思い出します この「ツイーター」とはオーディオ装置の中で 理想的な再生音を得るために 低音/中音/高音の3領域(3ウェイ)または中低音/高音の2領域(2ウェイ)それぞれに適した専用のスピーカーが受け持つ方式がありますが そこで高音専用のスピーカーが「ツイーター」とよばれます

    jbl-tweeter (2)
    ↑3ウェイの例:左上の最小スピーカーがツイーター(JBL社製品)

    この「ツイーター」が出現し始めた頃によく説明されたのが・・

    「ツイーター」とはtweet「ツイート・・小鳥がさえずる(動詞)または小鳥のさえずり声(名詞)からきている呼称」・・というもの というわけで シニアの人たちが今「ツイート(する)」と聞けば それは「ツイーター」に結び付くものです

     

    ところで「ツイッター」はtwitter「小鳥がさえずる(動詞)または小鳥のさえずり声(名詞)」・・と tweetと全く同じ意味・・但しtweet違う点は (落ち着きなく)早口でしゃべる(動詞)または(そわそわ おどおど など)落ち着きのない状態(名詞)」という意味もあります

    ところがツイッターで何かを述べることは「ツイート」すると言いますから twittertweetの両方が使われている状態となっています

     

    ならば ツイートするのはツイッターではなくツイーターと称するのがスッキリすると思われますが そう呼ばなかった理由はやはり・・ツイッターには「早口でしゃべる」という意味もあるからでしょう

    逆に ツイットすると言わないのは twitツイットという動詞はあるものの その意味は「責める」「なぶる」なので使えず ツイートと言うのでしょう  

     

    余談ですが 今「ツイーター」をネット検索すると一寸驚きます それは・・

    ツイーター情報はクルマ用の製品 つまりカーオーディオ用のツイーターばかりで 従来の住宅室内でのオーディオ装置のツイーターに関しての情報を探すのに非常に苦労する・・というような状態だからです

    というわけで 今「ツイーター」市場はシニアより若い世代のクルマ所有者に支えられているように感じます

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    ↑カーオーディオ用ツイーターの例(リファレンス社製品)

     

     ・・・・・・・・・・・・・・

    先日のNHKテレビで植物学者「牧野富太郎」博士と奥様の話が放送されたようですが 私は見逃してしまいました ・・というわけで今回は植物のちょっとしたしたことを・・

    ◎ピラカンサ
    我が家の垣根の一部には「ピラカンサ」を植えていますが 毎年冬には直径6ミリくらいの真っ赤な実をびっしりつけます 
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     昨年12月のピラカンサ
    この実は青いうちは毒があるそうで それを知っている鳥は これが熟すのを待ってやってきます ウチは「ヒヨドリ」と「ムクドリ」が毎年やってきては「ビービー」「ヒヨヒヨ」などと 決してきれいではない鳴き声をあげながら約1か月半から2か月かけて食い尽くしますが 実を食い散らかすわ
    紺色や茶色の糞はするわで こっちとしては掃除が毎日必要になりますイメージ 10
            これからピラカンサを狙おうと集合した?ムクドリ約40羽
     
    たちは 実を毎年12月初頭から食べ始めますが 面白いことに食べ尽くしきる時期が年によって違い 早い年は元日にキレイに実が無くなったことがありますが 今年は1月21日に無くなりました
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    2019年1月21日のピラカンサ
     
    鳥の種類を多くは知らない私なので 最初はヒヨドリもムクドリも知らず ネットで調べてやっと特徴を覚えた次第です ヒヨドリはムクドリよりやや大きく 頭には後ろ向きにボサボサの毛があり ムクドリはくちばしと脚が黄色いのが特徴
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    ヒヨドリ(wikipediaより引用) 
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    ムクドリ(wikipediaより引用)
     
    ピラカンサは非常に生命力が強くて 鳥が食べこぼした実がアスファルト道路面などのちょっとしたヒビに落ちても簡単にヒョイヒョイ生えてきて成長も早いものです 
    昨年に東京の東武デパートで盆栽展をやっていたのをたまたま観たのですが 定番の松や楓などの他にピラカンサの盆栽も多く展示されていました
     
    ◎オハツキイチョウ
    季節はずれのイチョウ・銀杏についてですが・・
    イチョウは「生きた化石」と呼ばれるほど大昔 2億年前には地球上に広く分布していたので アジア 欧州 北米から化石が出ているそうです イチョウの葉には認知症改善成分が含まれるということで欧州では早くから薬となってきましたが 日本でも最近になってやっとサプリメントとして市販されるようになってきました
     
    さて普通 銀杏の実は葉の付け根に数個付いてできますが
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    ごく稀に 実が葉っぱの先の方にくっついてできるイチョウの木があります それは「オハツキイチョウ」と呼ばれています その数は当然少なく 日本中でわずか20本と言われています 茨城県 山梨県 奈良県 新潟県などで見つかっていますが 私が実際に見て実も拾ったのは 今から40年も前に
    兵庫県加西市殿原という場所の「オハツキイチョウ」でした だいたい実全体の数の1割くらいがお葉付きでした 当時その写真を撮らなかったのが残念ですが 現物は今も持っています それが下の画像です 実がひからびてしまっていますが 葉に実が付いているのはお分かりでしょう
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     「オハツキイチョウ」というカタチは“胞子を葉の上に付けるシダ類と同様に 種子を葉の上に付ける状態であり これは いわゆる「先祖帰り」を表す貴重な例である“ と言われています
     
    ◎アケビの実の甘さに勝るもの無し!?
    里山に近い我が家は 雑木林に生えていたアケビ(調べたらミツバアケビ)を自宅庭に植えて30年あまり 毎年秋には実がいくつもなるものの 実は今まであまり食べなかったのですが昨年は大量にできたので あらためて食べてみたところ なんとその甘さは・・私が今まで生きてきた中でこれより甘い果物は食べたことがない!・・というほどの甘さ それも純粋に甘さだけで酸味など他の味は全くないことに気が付きました 
    イメージ 8 
    アケビがなっている様子
     イメージ 9 
    食べごろの我が家のアケビ
    ご存知の方も多いでしょうが 残念なことに通常は実の中の無数の種の周りについているわずかな部分だけを味わうのですが山形県では実の外側の肉厚部分も食べるとテレビで報じていました 
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