19年前の(米国では)本日である2001年9月11日、米国内での同時多発テロによりニューヨーク・マンハッタンのワールドトレードセンター(WTC)は崩壊したが、私の手許にこのビル完成前の屋上の写真が数枚あるので、一部を紹介しながら・・

◎WTCビル南棟の完成前の屋上
このツインビルの完成は、北棟(テレビ電波送信アンテナがあった建物)は1972年で、南棟は1973年。ゼネコンと呼ばれる会社に勤務していた私の父は1972年(当時54才)、まだ南棟の屋上が出来上がったばかりで、これから屋上展望デッキを追加して設置する前の状態の現場を“日本のゼネコンということで特別扱い”の総勢14名の視察団の一員として見学した。

縁周りに柵らしい柵も無く、高所恐怖症の父は恐々だっただろうが、突風が吹けば人間も、無造作に置いてある道具や資材も吹っ飛ぶことへの配慮が無いのは理解に苦しむ。
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前列右から3人目が父
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西側から見たWTCを視察団員が撮影(右が完成前の南棟)
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↓その後、完成したWTCの屋上(アンテナの無い左が南棟)
(ディスカバリーチャンネルテレビより)
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◎設計者はミノル・ヤマサキ
WTCビル崩壊時のニュースなどで、(米国内ではどうだったか知らないが)なぜか日本では、このビルの設計者が日系人のミノル・ヤマサキであることに言及したマスコミは少なかったように私は記憶しているが、その理由は、“あのようにもろく崩れ去るようなビルを設計した日系人”という意識が働いたからではないだろうか。

しかし、彼の名誉のために申せば、彼の仕事は主に(勿論基本的構造強度を踏まえてはいるが)デザインであり、強度計算などは別の専門担当者が行っている。ちなみに強度計算でも、事件当該旅客機よりほんの少し小さい飛行機が衝突しても耐えられる設計になっていて、実際に事件後の日本の鹿島建設の膨大な実績データを駆使した綿密な解析では、あの飛行機の衝突でも建物は十分耐えていたことが立証されていて、ただし航空機燃料による火災で想定外の高熱発生で鉄材が耐えられなかった。

一方でミノル・ヤマサキ氏自身の考え方に“建物は時代の要請に合わせて変わるべきで、10年先が読めないのに、何十年も先は読めず、したがって建物の寿命は20年と考えて、その際に解体しやすいことも重要”というものがあり、そこでWTCビルは“エレベータと非常階段を中心にして鉄柱47本で支えるコア部分”と“外壁を鉄柱240本の鉄材で囲んでチューブのようにした部分”と“コアから伸びる梁で支えられた床”で1棟が構成され、建物総重量37万トンをコア部分で60%、外壁部分で40%支える設計になっていた。そして結果は建築完成後28年でテロによってだが簡単に解体されたカタチとなった。
フロア構成図(wikipediaより)
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◎ミノル・ヤマサキとは
ミノル・ヤマサキ(1921~1966)は日本からの移民の子として生まれ、大学卒業後建築事務所勤務後に独立、米国建築家協会の「ファースト・オナー・アウォーズ」を4回受賞。日本でも「シェラトン都ホテル東京」などいくつか設計。日系人では初めて「TIME」誌の表紙を飾った。生涯で4回結婚(4回目は初婚相手と復婚)。
ミノル・ヤマサキとWTCビル模型。氏は徹底的に模型作りを重視したそうだ。(写真はwww.skyscraper.comより引用)

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◎WTCビルのデザイン
ミノル・ヤマサキのWTCビルのデザインテイストは「ゴシックモダン」であり、ル・コルビュジェの建築の影響も受け、イスラム建築のニュアンスも取り込んでいる。建物エントランスの幅広開口部分を除けば巾46センチの窓を挟むように “鉄材にアルミ合金板をかぶせた縦枠”が密集しながら天まで届くように見えるデザインだが、ここに至るまでには、その以前に手掛けた別の建築で“WTCビル同様の見え方を狙ったものの失敗”という経験を経ている。氏に限らず、有名建築家でも失敗はあるもので、雨漏りが多数発生する建築、雨風が吹き込みやすい建築などある。

↓写真はwww.skoutr.comより引用

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◎9・11事件画像
南棟に突入寸前の旅客機(ナショジオチャンネルTVより)
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南棟に突入直後(AFP=時事 写真より引用)
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崩壊開始(AFP=時事 写真より引用)
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残骸(Shutterstock/アフロより引用)
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WTC跡地には新しく「One Wold Trade Center」が・・(写真はwikipediaより引用)
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WTCビル群が在る場所は、元々は「ラジオ・ロウ」と呼ばれた“電気部品街が数ブロックを占めていた所”だそうで、WTCビル建設決定によりこのビルの施主であるニューヨーク港湾公社はラジオ・ロウの電気部品店に補償金を払って移転してもらった。ラジオ・ロウは言わば日本の秋葉原のようなものだったようだが、秋葉原の電気店街も元々は戦後に神田小川町や神田須田町あたりで電気部品などの露天商だった店が1949年のGHQによる露天撤廃令で総武本線ガード下やその付近に集中移転したのが始まり。
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