現在NHKの朝ドラの「エール」に故志村けんが“小山田耕三”として登場していますが そのモデルが“山田耕筰(改名前は耕作)”(1886=明治19年~1965=昭和40年)
耕筰は作曲家・指揮者の大御所であって交響曲から童謡(赤とんぼ ペチカ 待ちぼうけ など) 校歌 軍歌まで非常に多くの作曲をしました

↑山田耕筰(wikipediaより引用)
◎映画「ここに泉あり」に本人役で出演しています
映画ですから山田耕筰の生前の動く姿が“楽団を指揮するシーン”などで見られます
出演当時は68才ですが62才の時の脳溢血の影響で身体の動きがやや不自由な状態でした
◎「ここに泉あり」とは
高崎の市民楽団が“群馬交響楽団”に成長した実話に基づいたストーリーを名脚本家である水木洋子が手掛け 監督:今井正 主演:岸恵子 その他:岡田英次 小林圭樹 加東大介 草笛光子など豪華メンバー(子役から出て後に日活で活躍する浜田光男も少年で)出演し 音楽は山田耕筰の弟子であった団伊久麿が担当した 1955(昭和30)年公開のモノクロ映画
私はこれをテレビ放映されたもので観ましたが 全編にわたり“楽団経営の難しさ”が描かれていて 今またコロナウイルス禍による楽団経営のさらなる苦境は如何ばかりかと思わずにはいられません
また印象的なのは 楽団が草津にあるハンセン病療養所で演奏した際に 入所者たちが不自由な手で“音が出ない拍手”をするシーンです
この映画のダイジェスト版(1分57秒)はyoutubeで観られ山田耕筰氏が指揮するシーンなどが観られます


↑映画の中で楽団を指揮する山田耕筰本人(上記写真2枚とも新井まり子氏制作のyoutubeより引用)
◎私が通った学校の校歌も山田耕筰作曲 北原白秋作詞
我が校歌の作曲者が山田耕筰だったなんて 今回調べて気が付いたわけですが それもそのはずで在校中にその校歌を歌った記憶は全くないのです
ちなみに私の心中で日頃から気になっていたことがあり それは・・小・中・高・大と通った学校の校歌を覚えているのが小学校と高校のものだけで中間期と最後期の校歌の記憶が“完全に無い”ことなのです こんなことがあるものでしょうか?
・・・・・・・・・・・
耕筰は作曲家・指揮者の大御所であって交響曲から童謡(赤とんぼ ペチカ 待ちぼうけ など) 校歌 軍歌まで非常に多くの作曲をしました

↑山田耕筰(wikipediaより引用)
◎映画「ここに泉あり」に本人役で出演しています
映画ですから山田耕筰の生前の動く姿が“楽団を指揮するシーン”などで見られます
出演当時は68才ですが62才の時の脳溢血の影響で身体の動きがやや不自由な状態でした
◎「ここに泉あり」とは
高崎の市民楽団が“群馬交響楽団”に成長した実話に基づいたストーリーを名脚本家である水木洋子が手掛け 監督:今井正 主演:岸恵子 その他:岡田英次 小林圭樹 加東大介 草笛光子など豪華メンバー(子役から出て後に日活で活躍する浜田光男も少年で)出演し 音楽は山田耕筰の弟子であった団伊久麿が担当した 1955(昭和30)年公開のモノクロ映画
私はこれをテレビ放映されたもので観ましたが 全編にわたり“楽団経営の難しさ”が描かれていて 今またコロナウイルス禍による楽団経営のさらなる苦境は如何ばかりかと思わずにはいられません
また印象的なのは 楽団が草津にあるハンセン病療養所で演奏した際に 入所者たちが不自由な手で“音が出ない拍手”をするシーンです
この映画のダイジェスト版(1分57秒)はyoutubeで観られ山田耕筰氏が指揮するシーンなどが観られます


↑映画の中で楽団を指揮する山田耕筰本人(上記写真2枚とも新井まり子氏制作のyoutubeより引用)
◎私が通った学校の校歌も山田耕筰作曲 北原白秋作詞
我が校歌の作曲者が山田耕筰だったなんて 今回調べて気が付いたわけですが それもそのはずで在校中にその校歌を歌った記憶は全くないのです
ちなみに私の心中で日頃から気になっていたことがあり それは・・小・中・高・大と通った学校の校歌を覚えているのが小学校と高校のものだけで中間期と最後期の校歌の記憶が“完全に無い”ことなのです こんなことがあるものでしょうか?
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