◎新国立競技場の “配慮不足”
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写真は[GO-TOKYO] https://www.gotokyo.org/jp/spot/118/index.htmlより引用
先ごろ完成したとされる新国立競技場の設計にあたっては 日本全国から調達した杉や松などの木材をふんだんに使い 通風や太陽光の利用など環境に優しいことを考慮したそうですが 実際に観客体験した人たちからは いくつかの不満点があげられています その中には「屋根による圧迫感が強すぎる」とか 「座席の色が緑か白なのは気分が沈む」などという やや個人の主観的な意見もありますが 物理的事実として「客席列と列の間隔が狭すぎて 座ると前席背もたれと膝の間は15センチぐらいしかなく 途中退席やトイレに行くためには 歩行困難ゆえに 座っている人たちに立ってもらって通路を作ってもらわないと通れない」という声が多かったそうです
 
これは大問題で オリンピック・パラリンピックの観客として脚の長い外国人が大勢座ればもっと不満が溢れるでしょうから まさに“おもてなし”でなく(外国人のことを)“思って無し”となるでしょう

ご存知のようにこの競技場設計にはドタバタがあって 再設計を任された建築家は短期間の中でどこまで神経を配らせることができたのでしょうか

◎“デザイン”とは何か
ここで話はちょっと飛びますが・・“デザイン”とは何でしょうか?
結論的に申せば・・“デザインとは配慮である”
そして“設計”は英語では“DESIGN=デザイン”ですから建築設計も配慮が求められます 競技場に関して言えば・・
環境(周囲との調和 環境負荷の少ない建築資材など)や人間(競技場内の競技者・演者や観客) 建設期間とコストなどに配慮しなければならないことになります

ここで一般的通念では“デザイン”というと“物の色や形を良くする”ことですが これも結局“配慮”の一部であり “物の色や形を良くする”ことで誰もがそのデザインされたものを見たり あるいは使って気持ちよく感じられるように配慮することです その点で“物の色や形を特異なものにしたり 衝撃を与えるようにして 人によって好感もあれば嫌悪感もあるような作品となる芸術”とは相違します
人への “配慮”は突き詰めれば“人が気持ち良いと感じさせること”と言えましょう ここでは競技場について考えてみるので “モノ・コト←→人の間の配慮”(以降文中はこれを“配慮”と称します)についてをとりあげます

この“配慮”ということをするために 近年は いくつかの手法やコンセプトが出現しました 以下にそれらの大まかな内容を出現時期順に並べてみます
《人間工学》 (エルゴノミクス / ヒューマンファクター)
モノの使いやすさや見易さなどを科学的に追及するもので 例えば“重いモノを手でぶらさげても指が痛くならない形状の握り部分(把手)”“とっさに見ても見間違えなくはっきり見える文字”“長く座っても疲れない椅”などに結び付くものです
《バリアフリー》
生活行動の障害となるもの(バリア)を排除する(フリー)もので 初期のバリアフリーは主に建築・施設と障がい者※や高齢者の間に存在するバリアの排除が主体だった    
※近年は [障害者]と表記しない流れ
現在は対象は増えて “ケガなどで一時的に身体不具合の人”や“妊婦”も・・
《ユニバーサルデザイン》
普遍的で あらゆる人が使いやすい わかりやすいように配慮する[ユニバーサルデザイン]の動きが登場 別の言い方では“既存のバリアをフリーするバリアフリーとは異なり 最初からバリアが無いように配慮する“というもの 

◎インクルーシヴデザインが究極
1990年代初頭にインクルーシヴデザイン(inclusive design)なる言葉が提言されました これはバリアフリーやユニバーサルデザインが 基本的には人とモノ(建築 機器 印刷物など)の関係に配慮するものであったが さらに対象を広げて人と人との間や社会に存在する課題も対象とする認識が生ました その結果 障がい者や高齢者に限らず「排除・疎外されている人・社会」を対象とするので・・貧困状態にある人、限界集落に住む人、情報弱者 母子家庭の人 性同一性障害の人 老々介護中の人 介護休職者 海外旅行で英会話ができない人 日本語話せぬ来日外国人(インバウンド) 等々・・あらゆる場と人に及ぶもので このような流れは なにも革新的なものでもなく 人や社会のためのデザイン行為には当然出現してしかるべきもの しかもデザインの結果はモノとしてだけではなく サービスやシステムなど物理的ではないカタチもあることが分かります 
色々述べましたが・・“インクルーシヴ”とは“全てを含んだ” “包括的な”という意味であり これをデザインすることは“誰でもが楽しみや気持ちよさを感じることの機会均等”に配慮することと言えましょう・・そうすると・・バリアフリーやユニバーサルデザインという手法はすべてインクルーシヴになるための手段であることがわかります

最近NHKテレビで“体育授業にもインクルーシヴスポーツを導入”している例を放送しました・・それは日本のある高校の体育授業で 健常者と身体障がい者が一緒というより混在してハンドボールや水泳を行うもので この場合のハンドボールでは少しルールを変えて“ゴールを狙う前に必ず1回は(車イスに乗って参加している)障がい者にボールをパスして進める”としています 普通の教室での授業は従来から混在している形態はよくみられますが 体育授業にまで混在するわけで これは前述のように まさに“誰でもが楽しみや気持ちよさを同時に(いっしょに)感じることができるという意味の機会均等”に配慮するインクルーシヴな例と言えましょう
新国立競技場は環境などへの配慮はしているものの 人への配慮はどうでしょうか 前述の観客席の問題はそれ以前の次元であり 車イス用の席は500用意されているそうですが 車イス使用者用トイレやスロープなどバリアフリーな設備は当然のように在るのでしょう ところで・・
インクルーシヴデザインという言葉が出現した早い時期にその理想的事例として提言されたのは・・
スタジアムなどの観客席については あるエリアを車イス使用者たちばかりの専用のスペースとして設定するのではなく 車イス使用者用の席と健常者用席は混在できるようにすれば“両者が一緒になって喜び歓声をあげて楽しさが味わえる つまり よりいっそうの一体感や連帯感を得られる”・・というものでした
このようなインクルーシヴデザインが新国立競技場で実現されれば世界から賞賛されるでしょう  

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