映画「伊豆の踊子」6作品の中では 美空ひばりさんが年格好などの点で最も合っていますが 演技力は完成していなかったので 野村芳太郎監督は一計を案じて・・演技撮影以外の時間に普通でいるひばりさんのシーンも撮影して それを映画の本編に挿入して効果的に使ったそうですが・・
◎「社会の負の部分」も描かれました
「伊豆の踊子」の映画ではストーリーの主体となる部分は別にして 冷たく流れるのが・・当時の芸人に対する差別・蔑視の状況表現です
まず6作品すべてに「物乞い 旅芸人 村に入るべからず」という立て札が在るシーンが出てきます
(作品によって各々の立て札の文言や設置場所に若干違いはあります)
そして茶店のおばさん(又はお婆さん)は 旅芸人たちに対する侮蔑的言葉を使います・・「あんな連中・・」「あんな者・・」「あんなの・・」などと (ただし 鰐淵晴子・津川雅彦版では 茶店のお婆さんは旅芸人たちに好意的 しかし村の子供達から薫は石を投げられ追われるシーンはあります)
その一方で差別の裏返しとして・・当時の「一高」の制帽をかぶった学生を「旦那さん」とまで呼び上げます その上 少なくとも2作品(全作品を完全には視ていないので)では 学生が茶店を出ても 店のおば(お婆)さんは 学生の鞄をかかえて途中まで送ってついてきます
この2作品の内の1作品が 美空ひばり版であり この作品では更に・・学生が店に落としていったお札(紙幣)に後で気が付き それを届けるべく 息子に託して後を追わせる・・ということまでしています
つまり6作品の内で 美空ひばり版における 茶店のおばさんが 最も詳細に描かれていることになり・・そのおばさん役を演じたのが野辺かほるさん でした !
私のブログにコメントを戴いた方は・・
「茶店のおばさん役の野辺かほるさんの演技が印象的」と述べられています これは演技のうまさとともに その内容が 旅芸人たちへの対応と学生へのそれの 違いを執拗なまでに表現している・・
・・と言えるからではないでしょうか
また 監督の野村芳太郎さんが「砂の器」などの社会派的映画も手掛けた方だったから このような表現になったとも言われます
◎野村芳太郎監督が住まわれた町には 時として警官が・・
野村芳太郎さんは・・大正8(1919)年4月23日 京都市生まれで 平成17年(2005)年4月8日に死去 生後まもなく東京市浅草区に移ったそうですが・・私が拝見したお宅は東京都 新宿区のある町にありました
今から25年ほど前から数回 私は仕事の関係でこの町を訪れましたが そこに 御影石を荒く削った感じの背の高い2本の立派な石材に「野村芳太郎」と書かれた表札が埋め込まれた門柱を構えたお宅でした しかし野村さん亡き後にはどうなっているのでしょうか 因みに この近辺には有名な俳優や彫刻家などのお宅もありました
さて JRや地下鉄の四谷駅をおりると約500メートル先に赤坂迎賓館が正面に見える広い道路があります(つまり この道路の突き当りが迎賓館) 迎賓館に向かうその道路の右側の少し入った所にこの町がありますが迎賓館が近いので・・国賓などVIPが来る当日だけなのか数日前からなのかわかりませんが 広い道路から奥に入り込んだ細い路地にまで その辻ごとに警官が見張りに立ちます 私もこういう日に当たってしまったことがあり 持っていた鞄の中をあらためられました
◎「辻に立つ」と言えば・・
私は兵庫県のほぼ中央に位置する某市にある事業所に勤務していた時期がありますが ある日の夜に 街で異様な光景を目にしました・・それは・・メイン道路からはずれた細い路地の辻という辻に かがり火を焚いて数人の男たちが立っているのです
何かを見張っていることはすぐに分かりましたが 目的がわかりませんでしたので 翌日に地元出身の職員に聞いたところ・・「(近く行われる)市議会議員の選挙に向けて 選挙人の買収や抜け駆けを
防ぐため」ということで驚きました (今から40年前のことですが・・)
そう言えば 今年 2018年6月28日の朝日新聞の「天声人語」に・・『明治初め まだ交番が無い時代に巡査たちはまちの角々に交代でたたずんで「立番(たちばん)」をしていた 雨や雪 夏の夕立や雷に悩まされたと 篠田鉱造著「明治百話」にある やがて交代で番をする建物が各地に造られるようになった さて現代 交番は駐在所とあわせ1万2千カ所を上回る』・・とありますので 新宿区のこの町の路地の辻は 時々 明治時代初期のような様相を呈するとも言えるのでしょう
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