◎「野辺かほる」さんは戦前から活躍!戦後のあの映画にも!
「野辺かほる」 さんは 大正6年(1917年)に東京で生まれ 91才で亡くなったそうですから、没年は平成20(2008)年か21(2009)年でしょう
戦前から昭和30年代まででしょうか 数々の映画に出演していて 戦後だけで少なくとも40本以上です
戦前の昭和12年には・・溝口健二監督の「愛怨峡」でアパートの管理人 の妻として
昭和29年の美空ひばり、石浜朗が主演、野村芳太郎 監督 の「伊豆の踊子」では峠の茶屋のおばあさんとして
昭和32年の高峰秀子、佐田啓二が主演、木下恵介 監督の「喜びも悲しみも幾年月」では観音埼灯台長の夫人として
昭和35年の鰐淵晴子、津川雅彦が主演、川頭義郎(かわずよしろう)監督の「伊豆の踊子」に 今度は 木賃宿「甲州屋」の老女中として出演
私の知るかぎりの「野辺かほる」さん出演の映画の中では美しい女性役というのはありませんでしたが
戦前作品の「愛怨峡」 (現在YouTubeで全編観られます) では すでに演技とセリフまわしに自然なウマサを感じさせる女優さんでした 言うまでもなく一般的に映画は美男美女だけでは成り立たないので重要な脇役だったのです
ちなみに「愛怨峡」の中での 野辺かほるさんの台詞の量は脇役としては多いと思いますが 「喜びも悲しみも幾年月」では短い台詞の一言だけで 仕草のほうで存在感を出しています
この文章作成中の平成30(2018)年8月に津川雅彦さんが亡くなりました 映画「伊豆の踊子」で鰐淵晴子相手の58年前の津川さんは やはり若い
この映画終盤に登場の野辺かほるさん扮する「宿の老女中」の台詞量も多いです (鰐淵・津川版もYouTubeで全編見られます)
◎近所で見た実際の姿、お宅、娘さん
さて 私は「野辺かほる」さんが昭和30年代初めまで住んでおられたお宅から25メートルくらいしか離れていない所に住んでいました・・
それは東京都 豊島区 椎名町 (現、南長崎)・・の地
さすがは映画女優で 映画での役どころのイメージとは大違いで お宅の玄関前からお出かけする様子を拝見した時のお姿は やはり ふつうの御婦人とは明らかにちがって 華やかなお化粧と装いで ある時はふさふさの毛皮の襟がついたコートを身にまとわられ その横に立っていたのは ご主人でしょうか? これがまたイイオトコで 小学校低学年生だった私の目に焼き付いたお顔を今、思い起すと それは 丁度そのころの映画俳優だった水島道太郎さんに ちょっと似ていたように思います
ある日の夕方 居合わせた叔父が 「野辺かほる」さん宅を指さして「ほら あの家の青白い光は 蛍光灯という新しい電球のものだよ」と教えてくれました それは私にとって 新鮮な光景でした
叔父は当時 東京都電気研究所に勤務していましたから 電気には詳しかったのです 日本での家庭用蛍光灯は昭和30年ころから普及を始めたそうなので 映画俳優の野辺さん宅はまさにその先頭にあったのでしょう なにしろ隣近所ではまだ黄色がかった光の白熱電灯ばかりでしたから
野辺さんには二人の娘さんがいました お姉さんの名は「雅( みやび )」 妹さんの名は正確には分からず 私たち近所の子供は 「 かっちゃん 」 と呼んでいました
ある時 私は その「 かっちゃん 」(私より1~2才上だったか ?) と ちょっとした取っ組み合いをしました その場所は野辺さん宅と私の家の間にあった300平米くらいの空き地の草むらで その時の「草いきれ」の感じは覚えています
今から思えば なぜ女の子を相手にそんなことをしたのか分かりませんが 「 かっちゃん 」は心身ともに活発な女子だった記憶はあります とは言え この一件は ほろ苦い思い出です
一方 「雅」 お姉さんの方は 長女然として しかも年齢が離れていたせいか 私らと活発に遊ぶということはありませんでしたが・・
なんと 最近のお姿をネットで拝見することができます 題して 「 鈴木雅さん、母野辺かほるを語る 」( YouTube 2012年公開 2分19秒 )https://www.youtube.com/watch?v=-Z7m9LroCUQ
60年ぶり ! そこには小気味よいおしゃべりと仕草の雅さんが 大変お元気そうに出ています
◎伊豆の「踊子」の名は「薫(かほる)」だからか?・・ さらに・・
川端康成 原作「伊豆の踊子」は映画化実に6回 (テレビドラマ化も多い)
1 ) 主演 田中絹代 昭和8 (1933)年
2 ) 主演 美空ひばり 昭和29 (1954)年
3 ) 主演 鰐淵晴子 昭和35 (1960)年
4 ) 主演 吉永小百合 昭和38 (1963)年
5 ) 主演 内藤洋子 昭和42 (1967)年
6 ) 主演 山口百恵 昭和49 (1974)年
野辺かほるさんが この内の2作品に出演しているのには何かありそう ?
思うに 踊子の名前が「薫」(かほる) なので 出演者を選定する人に「かほる つながり」で影響を与えたのではないでしょうか
さらに この物語のモデルとなった実際の踊子の兄の実名が「時田かほる」であり 川端康成が伊豆の旅から戻った後も しばらくは二人の間に文通があって 差出人が「芸人 時田かほる」の川端宛の年賀状(大正7年12月31日の消印)も残っているそうなので これも因縁を感じます
残念ながら 私が実際に映画館で観た「伊豆の踊子」は野辺かほるさんが出演していない「主演 内藤洋子、黒沢年男 版」だけでした
伊豆・初景滝 の前の踊子像
伊豆・初景滝 の前の踊子像
(右横に学生像があるのですが・・私がそれを遮って立ち 踊子の手を握っている写真なのでカット)
※ 次回は「野辺かほる」さんのお話から さらに続きながら飛びます
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コメント
私は野辺かほるの孫です。
祖母について検索したら、貴方のホームページがヒットしました。
「雅」は長女、「かっちゃん」は「克子」で次女で私の母、三女に「佳枝」、1番上に「まさお」がいて叔父になります。
私の母は令和元年に亡くなりました。
ホームページを読ませて頂いて、祖母について詳しく書かれていて、大変嬉しく、大変懐かしくなりました。
しばらく観ていないのですが、ひばりさんの『青草に座す』S29年に、茶屋のおばさんとはがらりと変わり、有閑夫人役での出演があったと思います。好きな俳優さんでした」(2018年8月12日)
「野辺かほるさんの、茶屋のおばさん役は、ひばり版がもっとも優れていて、強いインパクトがありますね。静岡弁のなまりが生きています。」(2018年8月21日) ※この二つのコメントは同一人物(熱狂的美空ひばりファン)からです。
初めまして、野辺かほるの娘で、長女の雅(みやび)です。
母の事、書いて下さって有難うございます。偶々週末に私の仕事先の打ち上げで、母の話が出て、その中の方がこの記事を見つけてくれました。
生まれた所の豊島区椎名町の事、蛍光灯の事等よく覚えていてくださいましたね。懐かしく思い出しました。
甥の記事も本日になって見つけました。兄は昌夫、次女の克子(甥の母)は令和元年に三女の佳絵(かえ)は平成6年に残念ながら逝去しました。
母、野辺かほるは平成21年8月に91歳で、旅立ちましたが、時々新しくCDになった『伊豆の踊り子』etc自分の出演していた映画を私と観たり、新しい洋服を買いに一人で隣りの駅ビルの洋服屋さんにサッサとタクシーで行ってしまったり、最後までお洒落で元気な人でした‼️
古い映画ですが〜70年もすぎていますから著作権も、切れて〜全部観られるのでは?と。言ってました。
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