先日 雑誌「正論」10月号に掲載された「あの人、この店」で”白洲次郎と「ぽん多本家」”についての記事がネット上でも公開された。
白洲次郎については私のブログでも紹介したことがありますが、英国で学び、何につけても一流好みであり、常に「プリンシプル(原理・原則)」を信条とした男。
◎「ぽん多 本家」のカツレツ
「ぽん多 本家」は東京都台東区上野にあり、創業は1905(明治38)年。この店の名物”カツレツ”とは一般で言う”とんかつ”のことで、創業当時からの呼び方。
↓「ぽん多 本家」のカツレツ
また妻の正子もこの店の常連だったが、「夫婦円満の秘訣はいつも一緒にいないこと」という白洲の持論によって夫婦同席することはなかったそうだ。(以上、雑誌「正論」記事より)
◎小泉純一郎も「ぽん多 本家」へ
2005年(だったか?)のある晩8時ころに、仕事を終えた私はJR御徒町(おかちまち)駅に向かって歩いていたところ、ある場所に近ずくと、カメラを構えた10人くらいの報道陣が、誰かを待ち構えているようだったので、その一人に「何事なんですか?」と聞いてみたら、
「この店の中で小泉首相が食事中なんで・・」ということなので、その店を見たら“ぽん多”の看板。・・なるほど首相も食べにくる店なんだ!とあらためて認識したものであった。
それにしてもなぜ報道陣が集まっていたのか?外国要人も一緒だったのか?

◎一度だけ「ぽん多 本家」で食べた私!
今から30数年前のこと、私が勤務していたオフィスは「ぽん多 本家」から徒歩5分くらいの場所に在ったので、日頃から同店の評判は聞いていたし、店前を通ることも多かった。
しかし店構えが”入りにくそう(これは現在も様子が変わらない)”だし”値段が高そう”という感じなので敬遠していたところ、ある日に大阪からの出張者が来たので、この機会に昼飯として一緒に同店に食べに行くことになった。
木製の重いドアを開けて入り、椅子席に座って注文して食べたのが(ランチ仕様だったのか記憶が無いが)、”カツレツ”で確かに軟らかくてうまかったが価格は2200円だった。
それは今なら3500円くらいになるのだろうか? さすがに「昼飯にしてみれば我々サラリーマンには高い!」と思ったもので、この店での食事経験はこれっきりとなった。
◎もともと東京上野は”とんかつ”の発祥地
上野でも”とんかつ老舗御三家”といわれたのが、「ぽん多太本家」、「蓬莱屋」、「双葉」。
ぽん多本家は前述。「蓬莱屋」は創業が大正初期で“ヒレカツ”発祥店。「双葉」も老舗で評判よかったが現在は閉店してしまった。
私の記憶によれば、この御三家のどこが”とんかつ発祥店”なのかは昔から論争になっているようで、決定できないようだ。
※「ぽん多太本家」のHP→ https://g608200.gorp.jp/
◎白洲正子は「ぽん多太本家」から、吉田首相は「フロインドリーブ」から取り寄せた!
『ぽん多太本家の“揚げ物系料理”を気に入っていた白洲正子は、亡くなる二週間ほど前に、同店へコロッケと魚のフライの注文をして、お付きの者が病室に運んだ』とのこと。(『』内は前述の「正論」誌記事より )
この”取り寄せ”という行為で有名なのが・・
吉田茂(1878=明治11~1967=昭和42) 元首相は神奈川県大磯の自宅に、神戸にあるベーカリー「フロインドリーブ(FREUNDLIEB)」から毎日(一説では”毎週”) 空輸(一説では”鉄道便”)して取り寄せていたこと。
↓”ドイツコッペ”長さ約26センチ、現在価格648円
この店は1977~78年にかけてのNHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」のモデルにもなったが、放送当時の私は既にフロインドリーブを知っていたので気にはなっていたものの、なにしろその番組放送時刻というのは会社への出勤途中であったために観ることができなかった。
同店は一時、店舗数を増やして10店舗以上にもなっていたが、現在は支店としての神戸市内のデパートの2店だけにしている。
それには訳があって、機械化せずに手作りにこだわる結果、品質を保ちながらの量が限られるから。
なお、現在の東京渋谷区・広尾(六本木の隣町)に「東京フロインドリーブ」という店があり、昔に私も一度パンを買ったことがあるが、どうやら同店は神戸のフロインドリーブの支店ではなく、のれん分けした店らしい。
フロインドリーブについて→ https://local-prime.com/news/freundlieb/
◎吉田首相と白洲次郎このブログで思わずも白洲次郎と吉田首相に登場してもらいましたが、ご存知のように白洲は吉田首相の重要な補佐役だった。
1951年9月8日、日本が連合国側と結んだ「サンフランシスコ平和条約」により独立国としての主権を回復したが、その際の吉田首相が読み上げた平和条約受諾演説文は大きな巻物だったので、海外のマスコミからは”トイレットペーパー”と言われたが、その演説文章を巻物にする提案をして、しかも書いたのは白洲次郎だった。
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