今年2025年2月に米国のトランプ大統領が次のようなコメントを出した。
「私は、2025年2月19日を硫黄島の戦い80周年とすることを宣言する。
アメリカの自由は80年前、硫黄島の黒い砂浜に上陸し、旧日本軍を打ち破ったアメリカの若者たちによって守られた。すべての米国民が、偉大なる世代の無私の愛国者たちを偲ぶことを奨励します」
さらに米国国防省は大統領の”DE I=多様性・公平性・包括性“を否定する意向に従って、
同省のウェブサイトから、太平洋戦争における硫黄島での旧日本軍との戦いでの米国先住民の兵の功績の記述および、有名な「硫黄島の星条旗」の写真も含むページを一時削除したこと(※1)が物議をかもした。
同省のウェブサイトから、太平洋戦争における硫黄島での旧日本軍との戦いでの米国先住民の兵の功績の記述および、有名な「硫黄島の星条旗」の写真も含むページを一時削除したこと(※1)が物議をかもした。
そして4月7日、天皇皇后両陛下は硫黄島をご訪問。
この島での旧日本軍戦没者の慰霊碑、軍属として戦死した島民の慰霊碑、日米両軍の戦没者の慰霊碑をそれぞれ拝礼された。
この島での旧日本軍戦没者の慰霊碑、軍属として戦死した島民の慰霊碑、日米両軍の戦没者の慰霊碑をそれぞれ拝礼された。
↓(左)雨中で献花・拝礼 / (右)軍属として戦死した島民82名の慰霊碑 (TBSテレビより)

そこで今回は硫黄島にちなみ、特に先記の「硫黄島の星条旗」の写真についての”ある誤解”が長年にわたって米国内でも日本でも流布されているものの
”事実はこうであった”という情報が少々集まったのでご紹介。
本題に入る前に・・
◎「硫黄島」の現在の読み方は「いおうとう」!
従来は「いおうとう」と「いおうじま」の二通りの読み方が通用していたが、
2006年に国土地理院の地形図において「いおうとう」が採用されたことで、現在これが日本の東京都に属する硫黄島の正式な読み方とされる。(※2)
2006年に国土地理院の地形図において「いおうとう」が採用されたことで、現在これが日本の東京都に属する硫黄島の正式な読み方とされる。(※2)
しかるに米国は太平洋戦争中も現在も「Iwo Jima (イオウジマ)」と読(呼)んでいる!
米国がイオウジマとする根拠は、旧日本軍自体が「いおうじま」と呼んでいたからとされる。
↓太平洋戦争中の硫黄島の戦い終了の数か月後に公開された短編ドキュメンタリー映画(※3)のタイトルで「IWO JIMA」の表記が!
↓先述のトランプ大統領のコメントのタイトルを表したホワイトハウスのウェブページにも「IWO JIMA」
◎「硫黄島の戦い」の概略
現在は東京都小笠原村に属する硫黄島は火山島で、東京から1250kmに在り、
面積約30平方キロ(大戦時は約20平方キロだったがその後の火山活動で隆起し拡大)。
面積約30平方キロ(大戦時は約20平方キロだったがその後の火山活動で隆起し拡大)。
島の南西端にあるのが標高127mの擂鉢山(すりばちやま)。この山以外は全域がほぼ平たん地。
↓現在の硫黄島の擂鉢山 (TBSテレビより)
(日本軍:約2万人に対して
米国軍は上陸部隊員約11万人。援護の艦船部隊員を含むと総勢25万人)
戦闘開始(米海兵隊上陸) 1945年2月19日~戦闘終了3月27日
(但し、米軍は上陸前の2月16日から島に向けて艦砲射撃を開始。
そして米軍は3月15日には硫黄島の完全占領を発表。
日本の大本営も3月21日に硫黄島守備隊の玉砕を発表している。)
そして米軍は3月15日には硫黄島の完全占領を発表。
日本の大本営も3月21日に硫黄島守備隊の玉砕を発表している。)
↓米軍の艦砲射撃弾が擂鉢山山頂に着弾した瞬間の火炎 (ディスカバリーチャンネルより)
米国 6821人
この戦いでの日本側の総指揮官が中将の栗林忠道(戦闘中に大将に昇格)。
指揮下に戦車隊長の西竹一大佐(1932年ロサンゼルスオリンピック馬術の金メダリスト※4)がいたが・・
両人とも巧みな戦術を指揮して奮闘するも戦死。(自決か否かは諸説あり)
指揮下に戦車隊長の西竹一大佐(1932年ロサンゼルスオリンピック馬術の金メダリスト※4)がいたが・・
両人とも巧みな戦術を指揮して奮闘するも戦死。(自決か否かは諸説あり)
◎いわゆる「硫黄島の星条旗」の写真は演出ではなかった!
↓これが有名な写真「硫黄島の星条旗」
しかし、事実は”演出ではない”ということが、実は早い時期に判明していたにもかかわらず、広く誤信が続いていたということで、その経緯は・・
米国海兵隊は上陸して早くも4日目には、日本軍が砲台を置いていた擂鉢山山頂を奪取した。
そこで山頂に星条旗を立てることになり、先ず3人の海兵隊員と衛生兵1人の4人が旗を立てたものの、
その旗が小さいので目立たないということで、
さらに別の隊員たちが大きい星条旗を運びあげて6人がかりで立てようとしたところに、
ちょうどAP通信のカメラマンのジョー・ローゼンタール氏が擂鉢山を登ってきて、この写真を撮った。
その旗が小さいので目立たないということで、
さらに別の隊員たちが大きい星条旗を運びあげて6人がかりで立てようとしたところに、
ちょうどAP通信のカメラマンのジョー・ローゼンタール氏が擂鉢山を登ってきて、この写真を撮った。
↓ジョー・ローゼンタール氏
↓ガンホーポーズの写真 (ディスカバリーチャンネルより)

そしてローゼンタール氏は「硫黄島の擂鉢山の頂に星条旗を立てる6人の兵士たちの写真」(後年に「硫黄島の星条旗」と呼ばれる写真)をすぐにAP社に送り、
それが2月25日には米国の新聞に掲載され、続いて数々の雑誌の表紙などにも採用されて広まった。
また「ガンホーポーズ」の写真も知られるようになってからの ある日、
「TIME」誌のインタビューで、「あの写真はポーズをしてもらって撮影したのか?」という質問に対してローゼンタール氏は、「ガンホーポーズ」の写真のことについての問いと思ったので、「そうだ」と答えたのだが、
TIME誌側は”「硫黄島の星条旗」の写真はポーズをとってもらって撮影したもの”として掲載したので、
誤報であるその内容がまたたくまに米国内のみならず世界中に広がった。
「TIME」誌のインタビューで、「あの写真はポーズをしてもらって撮影したのか?」という質問に対してローゼンタール氏は、「ガンホーポーズ」の写真のことについての問いと思ったので、「そうだ」と答えたのだが、
TIME誌側は”「硫黄島の星条旗」の写真はポーズをとってもらって撮影したもの”として掲載したので、
誤報であるその内容がまたたくまに米国内のみならず世界中に広がった。
ところが実はローゼンタール氏が「硫黄島の星条旗」の写真撮影をした際には、
すぐ近くでほぼ同じ角度から、別の従軍カメラマンのビル・ジェノウスト氏がカラー映画フィルムで一連の動きを撮影をしていたので、
それを観れば”ポーズをしての行動ではない”ことは明らかなため、TIME誌は後日に訂正したが、
既に誤報は広がってしまっていたことが現在にも続いている状態。
(映画撮影したビル・ジェノウスト氏はその後この硫黄島で戦死)
すぐ近くでほぼ同じ角度から、別の従軍カメラマンのビル・ジェノウスト氏がカラー映画フィルムで一連の動きを撮影をしていたので、
それを観れば”ポーズをしての行動ではない”ことは明らかなため、TIME誌は後日に訂正したが、
既に誤報は広がってしまっていたことが現在にも続いている状態。
(映画撮影したビル・ジェノウスト氏はその後この硫黄島で戦死)
↓ビル・ジェノウスト氏撮影の映画フィルムに映るシーンの一コマ。

その後、この写真によってローゼンタール氏は1945年度のピューリッツアー賞(写真部門)を受賞した。
↓そして1954年には、氏の写真を基にした「海兵隊戦争記念碑」がワシントンDCに設けられた。


その後、この写真によってローゼンタール氏は1945年度のピューリッツアー賞(写真部門)を受賞した。
↓そして1954年には、氏の写真を基にした「海兵隊戦争記念碑」がワシントンDCに設けられた。

(↑画像はディスカバリーチャンネルより)
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※1:米国の国防省事案?について・・
硫黄島の戦いにおける海兵隊員で”米国先住民ピマ”のアイラ・ヘイズ氏を紹介していた国防省のウェブサイトページを一時削除した。
ヘイズ氏が摺鉢山で星条旗を立てた海兵隊員6人の内の一人である上に、
削除されたページにはこの写真とともに「軍だけでなく、あらゆる分野での先住民の貢献と犠牲を振り返る時だ」との記述があった。
ヘイズ氏が摺鉢山で星条旗を立てた海兵隊員6人の内の一人である上に、
削除されたページにはこの写真とともに「軍だけでなく、あらゆる分野での先住民の貢献と犠牲を振り返る時だ」との記述があった。
このほか、先住民ナバホの言葉を生かし、硫黄島などの戦地で重要な役割を果たした暗号通信士「ナバホ・コードトーカー」に関する記述も削除された。
※2:硫黄島の読み方が「いおうとう」とされた背景は・・
もともとこの島の住民だった人々が「いおうとう」とよんでいたから・・と言われる。
これは近年の世界的傾向である"地名(に限らずあらゆるもの)は現地での呼び名を採用"するという流れに沿ったのであろう。
もともとこの島の住民だった人々が「いおうとう」とよんでいたから・・と言われる。
これは近年の世界的傾向である"地名(に限らずあらゆるもの)は現地での呼び名を採用"するという流れに沿ったのであろう。
※3:米国映画「TO THE SHORES OF IWO JIMA」
製作:米国海軍および海兵隊 / 公開:1945年6月7日(硫黄島戦終了の70日後) / 上映時間47分
※4:西 竹一氏は・・
陸軍軍人であるが男爵でもあったので愛称は「バロン西」。
陸軍軍人であるが男爵でもあったので愛称は「バロン西」。
硫黄島の戦いにおいては「米国軍側は有名なバロン西が参戦していることを知っていたので、
彼が死を選ばずに投降するように呼び掛けた」という話が流布されているが、これは事実ではないとされる。
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※栗林忠道氏についてはエピソードが多く、文章量が多くなるので、今回は割愛しました。・・・・・・・・・・・・・







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