世の中には一度は表記を変更したものの、また元に戻った例があり、そのいくつかをあげてみました。
◎キッチン ⇒ キチン ⇒ キッチン
1990年代だったかにはマスコミにおいて「キッチン」を「キチン」と表記することが増えたが、その理由は"文字数を減らすため"だった。
その背景と言えば、超高齢社会の日本では当然のように老眼者が多く、新聞や本などの印刷物の文字のサイズを昔に比べれば格段に大きくしてきた。
その背景と言えば、超高齢社会の日本では当然のように老眼者が多く、新聞や本などの印刷物の文字のサイズを昔に比べれば格段に大きくしてきた。
ここで新聞の印刷文字がどのくらい大きくなったか(私の手許に保存している新聞を)ご覧ください。
A)1968(昭和43)年12月28日・読売新聞(「アポロ8号、月から生還」のトップ記事)
B)1990(平成2)年2月8日・読売新聞(「ソ連、一党独裁を放棄」のトップ記事)
C)2024(令和6)年12月19日・朝日新聞(「ホンダ・日産 統合協議へ」のトップ記事)
文字を大きくして起きる問題は、紙面・誌面の限られたスペースの中での単語の文字数を減らす必要が発生すること。
例えば「プーチン大統領」を「プーチン氏」とし、(その他の例が浮かばず恐縮ですが)
例えば「プーチン大統領」を「プーチン氏」とし、(その他の例が浮かばず恐縮ですが)
・・ということで「キッチン」を「キチン」と表記することが増えた。
これには単に文字数削減するだけでなく、元々kitchenの発音は「キチン」であるという理由もあっただろう。
ところがこの動きは進展せずに、近年は「キッチン」の表記ばかりで「キチン」は見られなくなり、つまり元に戻ったようです。
さて理由は何でしょうか?・・NHKは一時期、「キチン」表記を採用していたようですが2002年6月27日から「キッチン」に戻したそうで、これも影響しているかもしれません。
◎エベレスト ⇒チョモランマ/サガルマータ ⇒エベレスト
チベットとネパールの国境にまたがっている世界最高峰の山は従来から世界的にはエベレストと呼ばれてきたが、これはインド測量局長官だったジョージ・エベレストに由来しているとのこと。
ところが近年の流れである”国名、地名、山名などは現地での呼称、本来の読み方を尊重する”ということに従って当初はチベット語で”世界の母神”を意味する呼称「チョモランマ」がマスコミに多く登場して主流になったが、
これに対抗するようにネパールは1960年代から同国語で”世界の頂上”を意味する呼称「サガルマータ」を提唱し始めた。
エベレストを指す中国語には「珠峰」などがあるものの中国国内でも“珠穆朗玛峰Zhūmùlǎngmǎ Fēng”(チョモランマ)と呼んでもいるので、最近は「チョモランマは中国名」という説明がネット上に多くなっているが、
現在のチベットは中国の中の自治区という位置づけにされているので”チョモランマは中国語(チベット語)である”という説明も見られる。
このような状況なので、NHKなどは「登山隊が中国側ルートで登る際にはチョモランマ、ネパール側からの場合はサガルマータと使い分けている」とのことだが・・
一般的には、当たり障りのない「エベレスト」の表記が再び多くなってきた。
◎フランスの美術館展示物のチベット表記⇒消去⇒再表記
最近、フランス国立の「ギメ東洋美術館」と「ケ・ブランリ美術館」の展示物表記から「チベット」の名称が消去された。
『ギメ東洋美術館は「ネパール チベット」としていた展示室の名称を今年4月までに「ヒマラヤ世界」に変更。ケ・ブランリ美術館はチベットを指す中国語「西蔵」の発音にあたる「シーザン(XIZANG)」に修正していた。』
これに対して先ず『チベットや中国を研究するフランス人専門家27人が仏紙ルモンドに批判文を公開した』
その後『9月29日、在仏のチベット人やその支援者ら約100人がパリ中心の広場で、「チベットは存在する。歴史を尊重せよ」と唱えて抗議に集まった』
抗議の背景には『(チベットの名称消去は)チベット自治区でチベット族の同化を進めていると指摘される中国政府の意向に沿う動きだとして反発と批判』がある。
その後、『ギメ東洋美術館には中国側の圧力があったと公表され、ケ・ブランリ美術館は10月7日に「シーザン」の表記を削除し、中国と併記して「チベット」の地名を復活』した。 (以上『』内は朝日新聞より)
◎聖徳太子 ⇒厩戸王 ⇒聖徳太子(厩戸王)
近年の教科書での表記で変更と混乱が生じているのが聖徳太子/厩戸王についてのこと。
いつのころからか”聖徳太子は厩戸王(うまやどのおう)と言うのが正しい”というような説が広まり、
2017年2月に文部科学省は”中学校の次期学習指導要領では、従来の「聖徳太子」を「厩戸王」に変更する”と発表したものの・・
学校現場において混乱を招く恐れがあるとして、従来の表記に戻すことを3月に発表した。(なお、「鎖国」表記についても同様に復活させる)
その結果、現在は・・小学校教科書では「聖徳太子」だけの表記。
中学校教科書では「聖徳太子」(厩戸王) または「聖徳太子」(厩戸皇子)の表記が採用されている。
※ただし「厩戸王」よりも「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の表記の方が圧倒的に多い。
「聖徳太子」(厩戸王) の表記採用の教科書を出版する帝国書院のHPによれば・・(以下《》)
《「聖徳」とは厩戸王の没後におくられた名であること、また「太子」は「皇太子」の意味ですが、厩戸王存命時に、「天皇」や「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いことも、現在の研究では分かっています。
このような状況から、「聖徳太子」の存在自体を否定する説もでています。
しかし、その記述内容を分析し、ほかの史料と合わせてみると、「聖徳太子」のモデルとなった「厩戸王」といわれる実在の人物がいたこと、
その人物が、奈良県斑鳩の地に斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったこと、
中国の『隋書』などからも倭国に中国の太子に対応するような有力な王子がいるとみていたことなどは確実と言えます。
そのため、現在では、推古朝において、蘇我馬子とともに厩戸王が政治を行ったというのが有力となっており、弊社でもその考えのもと、「聖徳太子(厩戸王)」と表記しています。
同様に、宮内庁侍従職が保有する「唐本御影」は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画で、これまで高額紙幣の肖像画や教科書でも「聖徳太子」として使用されていましたので、この画像が「聖徳太子」というイメージを人々に強く残しました。
しかし、この絵と「聖徳太子」とを関連づける当時の史料がないこと、絵の画像の研究から、製作年代は早くとも8世紀(奈良時代)と考えられることなどから「伝聖徳太子像」として表記するようになりました。
「聖徳太子」の研究は、聖徳太子自体が、信仰の対象であり、史料の記述も信仰と実際の事績が混在しているため、歴史的な「謎」につつまれた部分が多いのも事実です。
しかし上記のような研究成果を反映し、高等学校の教科書だけでなく、一般の学術書にも「厩戸王」と記載する傾向となっています。
参考文献:大山誠一 『〈聖徳太子〉の誕生』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館 1999年
熊谷公男 『大王から天皇へ』(日本の歴史 第03巻)講談社 2001年》
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新聞の本文の文字大きさ(高さ)の変遷 (朝日新聞の例)
意外に初期は文字大きく、終戦直後が最も小さかった。
(紙不足で1949=昭和24年の朝刊は2ページしかなくて、小さい文字を詰め込んだ)
(紙不足で1949=昭和24年の朝刊は2ページしかなくて、小さい文字を詰め込んだ)
1888(明治21)年創刊時 : 文字高さ3.7ミリ
1940(昭和15)年 : 同 2.2ミリ
1949(昭和24)年 : 同 2.0ミリ
2011(平成23)年~現在 : 同 3.6ミリ (巾3.9ミリ=扁平)
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不思議?! 何故か半世紀前に「キチン」表記の宣伝(三洋電機)




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