今年(2024)の秋は何故かあちこちで埴輪(一部で土偶)を展示する催しが行われています。
私の手許に集まった"埴輪、土偶、土器の展示会チラシなど”
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「特別展 はにわ」 が東京国立博物館で10/16~12/8

「ハニワと土偶の近代」展が東京国立近代美術館で10/1~12/22

「旅する はにわ展」が市原歴史博物館で10/12~12/15

テレビや新聞でも”埴輪”特集が・・
埴輪特集テレビ番組(NHK eテレ)
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↓テレビ番組「はにわ王決定戦」とキャラクター「はに丸」くん(NHK eテレ)
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その他、展示の一部に埴輪が含まれるのは・・
「地中からのメッセージ」展が千葉県立房総のむら で9/21~11/17 / 千葉県立中央博物館で12/21~2/9

「布をまとう 古代人の衣」展が行田市郷土博物館で10/12~11/24

そして千葉県芝山町では町立芝山古墳・はにわ博物館では埴輪を常設展示している他に、毎年11月の第2日曜日(今年は11月10日)に「芝山はにわ祭り」が開かれ、埴輪の武人など古代人に扮した人々による儀式の披露もされる。↓
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土偶関連では「ドグウ集まれ!」展があつぎ郷土博物館(神奈川県)で10/12~12/8

・・このような中で、私は「旅する はにわ展」(市原歴史博物館)に行ってみたのですが、その動機と言えば私の手許に(冒頭で紹介した)各地で開催の埴輪関連展のチラシが集まった※ことと、岩手県在住の友人が東京国立博物館の「特別展 はにわ」 を見て来たと知らされたので、これは埴輪を見に行かねばならない!と思ったから。

各地の郷土資料館や博物館、美術館、図書館、などでは互いに連携して期間限定の特別展示の開催案内チラシ類を配備し合うので、例えばある郷土資料館に行けば、そこで各地の多くの展示情報が得られます。

まずは、私が埴輪と土偶の違いをはっきりとは知らないことに気付いたので・・

◎埴輪と土偶の違い
どちらも日本の古代に造られた土の焼き物だが、土偶の方が年代は古い。
土偶 : 縄文時代(1万年前~BC4世紀)に祈りや呪術のために作られたもので、人の形が多く、集落跡で見つかる。

埴輪 : 古墳時代(AD3世紀~7世紀)に埋葬者の墳墓の周囲や上に置かれたもので人物の他、円筒形、動物、建物などの形がある。

◎なぜこの時期に埴輪と土偶の特別展が多いのか?
最も大きな要因は、埴輪として初の国宝となった「挂甲の武人(けいこうのぶじん※”けい“は、てへんに圭)」が国宝指定50周年を迎えたのを記念して、国内外50ヵ所から集められた埴輪を展示する特別展が東京国立博物館で開催されていることでしょう。

また、千葉県市原市では市内の大規模な「山倉1号墳」(前方後円墳)の発掘調査報告書刊行20周年の節目で、市内はもとより千葉県内各地の埴輪を集めての特別展開催。

同じく千葉県芝山町では町内の「殿塚・姫塚古墳」出土の埴輪48点が今年8月に国の重要文化財に一括指定されたことで埴輪関連行事が盛り上がっている。

また同じく千葉県教育振興財団文化財センターは今年11月に設立50周年を記念して旧石器、縄文、弥生期の出土品を特別展示。

埼玉県行田市では市政施行75周年記念で”布をまとう古代人の衣”姿の一つとして埴輪も展示する企画展を開催。

これらがたまたま同時期に開催されるカタチになって”埴輪ムーブ”が生まれたのでしょう。

◎「旅する はにわ展」(千葉県・市原歴史博物館)見学記
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○テーマの”旅する”の意味は・・
実は千葉県市原市で発掘される埴輪の中には、現在の埼玉県鴻巣市にかつて存在した東日本最大級の埴輪工房である「生出塚(おいねづか)埴輪窯」で焼かれて作られ、直線距離にして約100キロを”旅するように”現在の市原市の「山倉1号墳」(前方後円墳)へ運ばれたものもあることが判明しているから。

↓生出塚埴輪窯製の埴輪:左端と右から2番目が山倉1号墳から出土
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↓生出塚埴輪窯跡に残されていた埴輪 / 山倉1号墳
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なぜ遠く離れた二か所の埴輪が同じ場所で作られたことが分かるのかと言えば・・
(1) 埴輪の見た目のデザインが同一
(2) 埴輪の胎土(使用の土)が同一(蛍光X線分析で成分同じで鉄分多く、赤味が強い)
(3) 埴輪の表面に残る「ハケメ(のようなもの)」が同一
埴輪製作過程で埴輪の着衣などの部分の表面を整えるために板の木口(切り口)を使って撫でるのだが、その際に板の木目による沢山の筋「ハケメ(のようなもの)」が付く。その筋どうしの間隔は、その板の木目のそれそのままであり、その板を使って幾つも作った埴輪は皆同じ筋間隔のハケメがついた仕上がりになることから、千葉県で発掘された埴輪は埼玉県の生出塚埴輪窯でつくられたものと全く同じなので分かる。
ハケメ
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○埴輪は二大別される・・
(A)「円筒埴輪」で文字通り円い筒形。
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(B)「形象埴輪」で人、動物、建物などをかたどったもの。
↓イノシシ / シカ
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↓ムササビ
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↓水鳥 / 魚
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○埴輪につけられている穴の目的は・・
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埴輪の原型は弥生時代の”墓に供える物を入れる壺を支える台”であるとされ、その台には魔物を寄せ付けないようにするために模様や線がつけられたが、それをさらに強調するために穴を開けた慣例が、その後の古墳時代になって”円筒埴輪の胴部分”や”人物埴輪の台部分”に受け継がれたもので、多くは線や模様無しの穴だけとなっている。
その穴は考古学では「透孔(すかしこう)」と呼び、形は○、△、□、半円、卍などがある。

○3Dプリンターによるレプリカは今後有望!
今回展示の埴輪1体を非接触でスキャンして3Dプリンターで作られたモノが展示されていたが、触りながら見たい部分も自由にみられることは埴輪を深く知るには大変効果的なので、これから(埴輪に限らず)同様のカタチが広がるでしょう。

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◎これも“旅する埴輪”とも言えるのが・・
前述の東京国立博物館で開催の「特別展 はにわ」の“目玉的展示物”の「挂甲の武人」(挂甲とは鉄板を綴り合わせて作られた甲=よろい)。
よく似た格好の武人の埴輪5体が全て群馬県から出土したものの、1体は東京国立博物館所蔵でこれが国宝になっているが、その他は群馬、千葉、奈良、そして米国のシアトルの博物館または美術館に所蔵されているものを今回すべて揃えられて東京国立博物館で展示されているので・・
4体は遠くから”旅をしてきた”ようなもので、特にシアトルからは長旅だった!

↓揃った5体。左端が国宝。真ん中がシアトルから一時帰国
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○国宝の埴輪
「挂甲の武人」は日本郵便の切手になっている!
最初の発行は1972(昭和47)年に全体が茶色の図案で、
次に1976(昭和51)年に全体が朱色で、
3度目は1989(平成元年)に埴輪本体は茶色で紫色の背景。

3度目発行(左)  /  2度目発行 ※茶色に見えるが本当は朱色
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