◎李香蘭(リコウラン)登場!
先日のNHKの連続テレビ小説(通称:朝ドラ)「ブギウギ」の中で、李香蘭が「夜来香(イエライシャン)」という曲を歌うシーンがあった。
李香蘭(1920~2014)は旧姓名かつ芸名:山口淑子(よしこ)/米国ではシャーリーヤマグチ/本名:大鷹淑子。
日本人だが中国で生まれ中国語も堪能だったために、満州映画協会(通称:満映)※専属の”中国人俳優”として、また歌手として戦前戦中の中華民国、満州国、日本で活躍し、戦後は香港や米国で活躍(米国での名はシャーリーヤマグチ)。その後日本のテレビ司会者や参議院議員(3期)をつとめた。
※「満州映画協会」は国策会社と言われ、理事長は甘粕大尉。彼はその以前は国内で憲兵大尉時にアナキストの大杉栄や伊藤野枝らを虐殺して服役したこともある人物で満州国建国にもかかわったが終戦と同時に服毒自殺した。 映画「ラストエンペラー」では故・坂本龍一が甘粕に扮して出演した。
さて「ブギウギ」の中で李香蘭に扮して登場したのはミュージカル俳優の昆夏美さん(失礼ながら私はこの方を知りませんでした)で、きれいな歌声で見事に (私ども高齢者はその元歌を知る者が多いのでそう判断できる) 歌い上げていました。
このドラマの制作統括者によれば、もともと昆さんにはこのドラマのオーディションを受けてもらっていて、その際の魅力的な印象が強かったので、たった一話の一シーンだけでも登場願ったとのこと。
戦前戦中の中国を舞台にした日本製の叙情歌では「支那の夜」と「蘇州夜曲」が双璧だと私は思っていますが、もう一つ同時期に日本でも流行った歌が「夜来香」で、これも私は今まで日本製と思っていたのですが、実は中国の民謡を基に中国の作曲家の黎錦光が作曲したものだそうです。
朝ドラ「ブギウギ」では実在した笠置シズ子や服部良一は別名にしてありますが、なぜか李香蘭とこの黎錦光は実名で登場しました。
◎服部良一、西條八十、李香蘭、渡辺はま子らが交錯してからんだ!
先述の「支那の夜」、「蘇州夜曲」、「夜来香」に加えて「夜来香幻想曲」という曲があって、これらの作詞家、作曲家、歌手が絡み合ってのちょっと複雑な関係とは・・(カバー版歌う近年の歌手は割愛)
・「支那の夜」=作曲:竹岡信幸 / 作詞:西條八十 / 歌手:渡辺はま子
・「蘇州夜曲」=作曲:服部良一 / 作詞:西條八十 / 歌手:李香蘭、後に渡辺はま子も
・「夜来香」 =作曲: 黎錦光 / 作詞:黎錦光 / 歌手:李香蘭、後に渡辺はま子も
・「夜来香幻想曲」=作曲: (黎錦光の原曲を基に) 服部良一
さらに混乱させる要素として、これらの歌がからんだ映画の存在がある。
・映画「支那の夜」=主演:長谷川一夫 / 共演:李香蘭 / 1940(昭和15)年製作
・映画「蘇州夜曲”支那の夜”より」=主演:長谷川一夫 / 共演:李香蘭 / 1952(昭和27)年製作
(1940年製作の「支那の夜」から30分カットして改題のうえ再上映したもの)
そして「蘇州夜曲」という名の曲は映画「支那の夜」の中で劇中歌として李香蘭が歌うように作られたものなのでこの二つの映画双方ともで「蘇州夜曲」を李香蘭が歌うシーンがある。
上記画像4枚は「なつかしの映画をカラーで」サイトより
◎李香蘭はイサム・ノグチと結婚していた時期あり!
イサム・ノグチ(1904~1988)は日系人で彫刻家、造園家、インテリアデザイナーその他の多才人。
手掛けた彫刻や庭園などは日本と世界の各地に存在するが、インテリア用品でよく目にするのは、”提灯から発想して和紙と竹ひごで構成する「あかり/AKARIシリーズ」”と”シンプルな木製脚とガラス板で構成する(通称)「ノグチテーブル」”
李香蘭とは1951年に結婚したが1956年に離婚。
実は上の写真は、二人が結婚(式)を電撃的に行ったために報道各社がその様子撮影できなかったのでその後に撮影されたもので、実際は1951(昭和26)年12月15日午前9時に明治神宮拝殿前にて二人で拍手しただけで済ませてしまったのだった。”結婚(式)”と表記したのはこのためで、これは「形式はともかく魂で結ばれるのが本当の結婚」という二人の考え方があったから。
そもそも明治神宮で挙式(虚式?)することになった経緯は・・結婚はマスコミなどがウルサイので、二人でアメリカからイタリアのシシリー島に行って挙式する予定だったが資格取得に3か月もかかるということであきらめ、かわりにインドで挙式と考えたが宗教上の問題で駄目となって結局日本でということになったのだそうです。
こうして日本に到着したのが挙式1か月前の11月で、ただしイサム・ノグチ一人。理由は途中で李香蘭が急遽 香港の友人に会うことになり遅れて来るためだった。
空港で二人を待ち構えていた人たちと報道陣は肩透かしをくらって、用意していた花束を半分はイサム・ノグチに、残り半分は”姉を迎えるべく来ていた李香蘭の妹:山口勢子さん”に渡された。その時の写真↓で中央はノグチで左が勢子さん。


(↑上写真2枚と結婚関連内容は「毎日グラフ別冊 サン写真新聞 昭和26年版より抜粋」)
それにしても、さすが国際的に活躍の二人は考え方も行動もスケールが大きいですね。
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李香蘭はノグチと離婚の2年後1958(昭和33)年に外交官の大鷹弘 氏と再婚し2001(平成13)年に死別しているので彼女の本名は大鷹淑子のまま亡くなった。
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現在の日本では「支那(シナ)」の呼称は使わないのがよいとされている。古来から世界各国が中国を指して「シナ」に近いような呼称を使っていて、それが英語では「CHINA」になっているほどだが、ある時期から日本人の一部が"支那(シナ)"を蔑称的に使うようになった過去があるためである。
私が子供の頃(昭和20年代)に「支那そば」と呼んでいたものが、その後「中華そば」になり現在では「ラーメン」が大勢を占めている。同様に「メンマ」を昔は「シナチク」と言っていた。
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現在の日本では「支那(シナ)」の呼称は使わないのがよいとされている。古来から世界各国が中国を指して「シナ」に近いような呼称を使っていて、それが英語では「CHINA」になっているほどだが、ある時期から日本人の一部が"支那(シナ)"を蔑称的に使うようになった過去があるためである。
私が子供の頃(昭和20年代)に「支那そば」と呼んでいたものが、その後「中華そば」になり現在では「ラーメン」が大勢を占めている。同様に「メンマ」を昔は「シナチク」と言っていた。










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