新春を迎えられたお祝いとともに 今年のご健勝をお祈り致します
さて、今年は辰年ということで・・
龍神温泉(りゅうじんおんせん:和歌山県田辺市)は「日本三美人の湯」の一つです。※
弘法大師が難陀竜王のお告げによって温泉場のかたちを整えたという言い伝えがあり、
また中里介山の「大菩薩峠」という超長編にして未完の小説の中で
主人公”机竜之介が眼を癒した”温泉とされて有名になりました。
※あとの二つは、島根県「湯の川温泉」と群馬県「川中温泉」
↓龍神温泉
実は私、龍神温泉に一度だけ1972(昭和47)年に行っております。
当時の職場の先輩にさそわれて、この年に運航開始した「神紀フェリー」に神戸から乗り
白浜で下船してから約30キロ先の山あいの川沿いにこの温泉は在りました。
↓神紀フェリー
「神紀フェリー」は神戸~白浜間を結んでいて、当時はその2地点の間を陸路で往来するには
道路事情の悪さで時間がかかったので、フェリーの採算がとれると見込まれたのでしょう。
(正月の話としては恐縮ですが) その後の神紀フェリーは経営不振となって
1975年に廃止され、船は以後国内の他のフェリー会社、さらに海外へと転売され
最後は事故で沈没したそうです。
ついでに同様の例として私が思い出すのは、かつて存在した「セントラルフェリー」。
これを運営した「セントラルフェリー(株)」は神戸と川崎を結ぶ海路の動脈を目指して、三洋電機創業者でもあった井植歳男氏が設立して開業準備していたが始業前に死去したため弟の井植祐郎氏が三洋電機の2代目社長になるとともに、この「セントラルラルフェリー」会社の社長にも就任している。
この会社は、大型トラックなら130~150台を積載できる6000トン級の船を5隻も神戸~川崎間に就航させて1971(昭和46)年6月に運航開始したが、なんと当初より陸路輸送に押され気味で翌1972(昭和47)年11月には運航停止になり、その後に船はギリシャの船会社に売却された。
↓セントラルラルフェリー (ブログ「N.Eの玉手箱」より引用)
私は1970(昭和45)年頃は大阪と東京間をクルマで年に2~3回往復していましたが、東名神高速道を夜中の2、3時頃に走行していると、自分のクルマの前後に1台も走行車が無いという区間がいくつもあった(今では考えられない)状態だったのですが、
その5年後には前述と同じ道路の同じ夜間時間の同じ区間でさえも“大型トラックに前後左右を挟まれて走行”するような状態に、つまり特に深夜ではトラックが圧倒的に多いという状況にあっという間になってしまったからで、トラックによる陸路輸送時代の到来スピードが読めなかったのでしょう。
蛇足ながら、龍神温泉から南西約28キロにある田辺港は、
私の両親たちが戦後、台湾からの引き揚げ船で帰還して上陸した地でした。
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それでは みなさま今年もお元気に !
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