しかしながら、正直に申して、私は最近の相撲をあまり観ていない。その一つの理由が・・
◎最近の大相撲は”投げ”で勝負が決まるということが少ない!
私が久しぶりにテレビで観戦して気になったのは、決まり手で多いのが、しっかり四つに組むこと無しの”押し出し””寄り切り””突き出し”で、
これに対して”四つに組んでから”上手投げ”や” 下手投げ”などの、取り組みが極端に少なすぎると感じたこと。
つまり1割強しか”投げ”がうたれていない。
※ここでは、初場所の中で使われた「上手投げ」 「下手投げ」 「すくい投げ」 「小手投げ」 「上手出し投げ」 「首投げ」 「上手ひねり」を”投げ”として勘定した。
総じて”押し出し””寄り切り””突き出し”などは勝負が決まるまでの時間は短い(四つに組んだ後にこれらの決まり手で決着という場合は少し時間がかかるが)ということは、
大相撲の全取り組みの合計時間が昔よりは短縮されていることは間違いなさそうだ。
その結果、NHKがテレビ中継する大相撲番組は(私は完全には把握していませんが)午後6時までに終了するようになっているようで、
そうなると昔、テレビのプロレスリング試合中継では必ず番組終了直前になって勝負をつける決まり?になっていたことが連想されて、まさか大相撲も同じなのか・・と思ってしまうが・・
昔は、力士どうしが”四つに組み”互いに相手の”まわし”を掴み、しばしどちらも土俵の中央で動きを止めているように見える状態を続けながら、勝負に出るタイミングを探って動き出す・・というように時間がかかる取り組みも多かった。
極端に長時間同じ態勢をとったままで動かずに膠着状態(約4分以上)になった場合には「水入り」という処置を行うが、これは両力士を一旦離れさせて、力士には文字通り”口に水を入れてすすがせて”からまた元の同じ態勢に戻して、”気合を入れなおさせて”勝負の決着を急がせるということも昔は時々あったが、今はどうだろうか?
記録が残る中で最長取り組み時間(取り直しでしかも水入りも含んでの総合計)は1951(昭和26)年9月場所で生まれた32分とのこと。その他現在までに20分を超えたものも数回ある。
とにかく”組んで、投げる”という相撲が少ないのは観客からすれば”手に汗にぎる”ような面白みに欠けると言える。
以前にも書きましたが、小学生のころの体育の時間に相撲をとった際に私は相手を”投げて勝つ”ことに喜びを感じ、あるいは投げられて負けたとしても充分に相撲をとったという充実感を得ていた経験があるからことさらだ!
・・と、ここまで述べたものの、超短時間決着したのに“ある意味でこれも面白い”試合だったので私の記憶に強く残っているのが・・
1960(昭和35)年ごろ?のことだったかに、当時大関の松登(まつのぼり)と横綱の栃錦(とちにしき)の対戦で、立ち合いと同時に松登が栃錦に対して体全体をドーンとぶつけるだけの”ぶちかまし”をして、
アッという間に栃錦は土俵外に飛ばされて勝負が決まったことがあった。その間は2秒ほど! 当時の松登は”ぶちかまし”が得意だったとは言え、これほどキレイに決まったのは他に知らない。
しかし、相撲の決まり手の中には他にも超短時間決着する”叩きこみ”があり、これで相手の両手をバタンと地面につけさせてしまう手もあるが、その中でも” 立ち合いとほぼ同時の叩きこみは、まともなぶつかり合いではないだけにあまり面白くはない。
◎混同認識の恐れ!「日本相撲協会」と「日本相撲連盟」
私は今まで知らなかったことなのですが、相撲界には「日本相撲協会」と「日本相撲連盟」という2つの大きな組織があり、おおまかに言えば・・
「日本相撲協会」はプロの力士による相撲興行とその関連業務を行う。
「日本相撲連盟」はアマチュアの相撲を奨励し、試合開催を支援する。
※今回のブログ文章中の「大相撲」という表記は「日本相撲協会」主催の興行相撲のことです。
◎”大相撲”は神事の形式をとり、男だけで行うことを”伝統”とすることを選んだ!
近年は男女機会均等が叫ばれる流れの中で、”大相撲”が”土俵に女性は上がってはならない”とする「女人禁制」が問題視されているが、それは見当違い、検討違いと言える。
何故なら、現在の日本相撲協会が主催する大相撲は、その”発生起源を神事に結び付けるカタチを採用しているので、神事における女人禁制の伝統も自然に付帯することとなる。ちなみに仏教では「女人禁制」は無いのだそうだが。
そして、人間の男女間には肉体的、生理的相違が厳然として存在する以上、いくら鍛錬を重ねても差異を生じるから、男女は文字通り”同じ土俵には立てない”ことになる。
しかし、(後述するように)女性による相撲も古代から例があり、それが江戸時代からは興行として成り立ち、昭和の戦後まで続いたが結局は”興行としての女相撲”は消滅してその伝統は途絶えた。
ということは、相撲興行とは言え伝統を重んじる日本相撲協会の方針に女相撲はそぐわない。
ここで女相撲の歴史を少々・・
◎女相撲の発生から興行形態の隆盛と消滅、その後
古くは日本書紀に、雄略天皇が(469年頃)女官たちに褌だけの裸のままで「女相撲」をとらせたという記述あり。
その後室町時代には”尼僧の力士”による相撲も登場している。
このように女相撲は神事としてではなく、男性側特有の欲望に基づいて女性の取り組み姿を鑑賞するための相撲が求められ、この傾向が後の時代にも続いて・・
江戸時代中期には大衆による人気が高まり、興行としても成り立つようになり、裸でまわしを着けただけの女力士どうしの取り組みだけでなく、女力士と盲人の男の取り組みも出現。
こうして女相撲興行の人気は昭和時代の戦争前まで続いたが終戦直後になると急激に衰退して、
遂に“興行としての女相撲”は消滅。
↓1948(昭和23)年に消滅した最後の女相撲興行
「サン写真新聞」の昭和23年2月8日号の記事によれば、『戦前には女相撲興行主は東北に5つ、関西に1つ存在して、女力士の総数は約300名になり、各地に巡業して絶大な人気を博していたが、
戦後は急速に衰微して昭和23年初頭には遂に1つの興行体を残すのみとなった』とあるが、その後いつ消滅したかは不明。
戦後は急速に衰微して昭和23年初頭には遂に1つの興行体を残すのみとなった』とあるが、その後いつ消滅したかは不明。
下の画像は、その最後に残った女相撲興行が「女角力劇団」と名乗って、宮城県名取市の「ゆりあげ港」で行われた際のもので、相撲だけでなく浪曲劇(名月赤城山など)の上演も併せ持って行われていた。
しかし、プロの女性力士が消滅したとはいえ、やはり”女性の、女性による、女性のための相撲”が望まれて、アマチュアとして相撲をとる女性も増え、
1946(昭和21)年に発足した日本相撲連盟は、広く相撲の普及発展を促す目的に沿って、アマチュア女性の相撲も支援開始。
なお、初期の女性相撲では、肌着に”まわし”姿だったが、その後はレオタードまたは無地水着の着用に“まわし”締めの格好となった。
そして1996(平成8)年に日本女子相撲連盟が発足。当時は女性の相撲を“新相撲”とも称した。
現在では、小学生女子、中学生女子、高校生女子の大会なども盛んに行われているが、今でも”女子”相撲と称しているのは、この低年齢層の女子の参加も意識したものだろうか。
今や女子相撲はむしろ日本以外の方が盛んであるとも言われ、2001年には国際相撲連盟主催の第1回世界女子相撲選手権大会が開催され、以後毎年行われているほど。
なお、日本各地に伝統的に存続する神事(五穀豊穣祈願、農作物作況占いなど)としての相撲がある中で、”雨乞い”神事として一部地方で女相撲が行われている例もある。
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また、大相撲では相撲そのものの他にも、土俵作りに特別に栽培された藁を使っての特殊な作製や力士の化粧まわしの手織り製作ができる会社は、現在ではそれぞれ1社のみとなっていて、技術の後継者不足から今後 伝統が受け継がれるのか心配されているとのこと。
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余談ですが、”投げ”を得意とした力士は少なからずいる中でも私の印象に残っているのは横綱の千代の富士で、対戦相手の重い力士を”投げ”るためにはまわしを掴む力、すなわち握力が必要ゆえに、彼の握力は(私が過去にテレビで知った値としては)120数キログラムもあったとされたものの、最近のネット上では92キロという数字も見えるがどちらが本当か?
とにかく力士の握力は凄い! 私も昔は握力60キロと 男性平均よりは上で、自慢気味だったが・・
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以下、”大相撲と女性問題”の参考として・・
議論を呼ぶ発端は、平成2年 海部内閣での内閣官房長森山真弓氏(女性)が内閣総理大臣杯の授与を希望したが、当時の理事長の二子山親方は伝統を理由に断り、
その後も太田房江大阪府知事も土俵上にての某賞の授与が断られ、
ある地方巡業では宝塚市長の中川智子氏が挨拶を土俵上からと希望したが土俵脇に設置されたお立ち台で行われたことがあった。
さらに大きな問題となったのが、2018年の舞鶴市での地方巡業時に多々見市長が挨拶途中で体調不良で倒れた際に、女性が土俵に上がって市長への心臓マッサージを始めると、「女性は土俵から退去してください」という場内アナウンスが流れて、「人命より伝統が大事なのか」と大きな問題になり、後刻 相撲協会は謝罪をしたが・・
そして昨2025年の大相撲九州場所千秋楽の内閣総理大臣杯の授与には高市首相ではなく、代理の首相補佐官が行ったが、これは高市首相が「相撲文化というものに対しては、伝統文化を大切にしたいという意向を持っている」からだそうだが、今後の政府と日本相撲協会の正式な対応は明確になっていない。
日本相撲協会の八角理事長は2018年に、女性を土俵に上げない理由として下記内容の談話を発表している。(以下の【】内は「nippon.com」の滝口隆司氏の記事より)
【 「歴代の理事長や理事は、次の3つの理由を挙げてきました。
第一に相撲はもともと神事を起源としていること、
第二に大相撲の伝統文化を守りたいこと、
第三に大相撲の土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であること、
この3つです。
第一の『神事』という言葉は神道を思い起こさせます。そのため、『協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている』といった解釈が語られることがありますが、これは誤解であります。
第一の『神事』という言葉は神道を思い起こさせます。そのため、『協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている』といった解釈が語られることがありますが、これは誤解であります。
昭和53年当時の伊勢ノ海理事(元 柏戸)は、『けっして女性差別ではありません。そう受け取られているとしたら大変な誤解です。土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたいのです』」と説明いたしました」 】
先日亡くなった内館牧子氏は子供の頃より相撲ファンだったそうで、東北大学大学院で相撲について研究し、氏の修士論文を基にした著書『女はなぜ土俵にあがれないのか』を出すなどして横綱審議委員会委員も務めた人。
その氏の結論的見解が、”土俵には女性が上がれないことを是として、神事としての大相撲の歴史と伝統の領域に、一般論としての男女共同参画の観点を持ち込む風潮に異議を唱えた。
↓故 内館牧子氏

また、角界への取材歴約40年の相撲ジャーナリスト・横野レイコ氏はこう語る。
【歌舞伎で女性が舞台に立てないのと同じように、相撲において土俵は『神が宿る聖域』として男たちの手で守られてきました。それは男尊女卑とは別の話です。賞を渡す、あいさつをするといった外部の事情によって、一方的に歴史と伝統を崩すよう求めるのは、暴力的な感じがします。もし高市首相に内閣総理大臣杯を手渡したい意向があるなら、土俵脇に表彰台を作り、優勝力士が歩み寄って受け取ればいいのではないかと思います】
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