徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2025年10月

    先日(2025年10月11日)の東京新聞に「Tシャツの日本史」という本(高畑鍬名=たかはたくわな 著)の内容を酒井順子氏(エッセイスト)が紹介していて、それによれば・・

    今はTシャツの裾をボトム(ズボン/スラックス)に「イン」しないと(入れないと)ダサイ・・ということになっている。

    (戦後) 白洲次郎、石原裕次郎、三島由紀夫たちがTシャツをカッコ良く着てみせたが、それは裾が「イン」状態だった。

    それが尾崎豊や吉田栄作らの1980年代まで続いたが・・

    1990年代になり「渋カジ」が流行し始めると裾を出す「アウト」化が進んだ。

    その結果、わずかな「イン」派は「オタク」の人間とされた。

    ところが現況は再び「イン」の時代となった。』・・のだそうで

    そうなると、腹の出た体形では”カッコよくない”ことになるから大変だ!

    これにちなんで言うなれば、”近年のスーツの袖丈は長すぎてカッコわるい”!

    別の言い方をすれば、”スーツの袖口から(大方は白い)ワイシャツ(関西では「カッターシャツ」)が見えていない”

    ◎スーツ袖口からワイシャツが1センチ出るのが理想!
    今から57年前の1968年に「セビロの哲学」という本が毎日新聞社から出版された。
    sebiro-philo

    その著者である星野醍醐郎氏は1924年生まれの服飾デザイナーで、1964、1965年の2年連続で米国の「キャズウェル・マッシー賞」という”メンズファッションデザイン賞”を東洋人として初めて受賞した人。

    氏はその著書の中で「スーツ袖口からワイシャツが約1センチ出るのが良い着こなしである」と述べた。

    それが良い着こなしである理由については、私もこの本を購入して読んだことがあるものの覚えていないのですが、私なりに思うところは・・

    ”スーツ袖の色(A)” と “袖口から出て見える手の色(B)”の境界に、”そのどちらにも属さない色の線または帯”を配することで(A)と(B)はいかなる色であっても互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる。

    また、スーツ袖口を汚れや摩耗から守る効果もある。

    ↓チャールズ国王と白洲次郎:袖口に注目!
    charles-sirasu

    テーラーの上木規至(のりゆき)氏はイタリア・ナポリで修行したが、氏の仕立てるスーツを披露する際にも袖口とワイシャツの見せ方には注意がはらわれている。↓
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    (↑上木氏とスーツ:NHK「美の壺」より)

    この"スーツ袖口とワイシャツの見せ方"は、流行というものではなく絶対的な美的感覚に支配されるもので不変、普遍であると言える。

    ◎「トリム効果」
    前述のような視覚的効果は「トリム効果」と言えるものだろう。

    「トリム(trim)」には、縁取り、装飾、刈込み、整えなどの意味がありますが、「トリム効果」とは”縁取り”として線または細い帯を ”複数の色が互いに接する場合の境界に採用することによって、各色は互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる”効果を生じること。

    ◎「ゼロ戦」機体の日の丸マークの「トリム効果」
    旧日本軍の戦闘機で俗称「ゼロ戦」の胴体と主翼に描かれた日の丸は初期には”赤い丸”であったが、昭和17年の夏頃になると”赤い丸の周囲に白縁”を追加するようになった。

    その理由は明白で、濃い緑色の機体に赤い丸を着けても、ちょっと離れて見ると赤い丸がはっきりとは見えないからで、仲間からの誤射も受けかねない。

    これは濃い緑色と赤色の明度が近いことによるもの。

    そこで赤丸の周囲に白い縁をつけて、赤丸は明確に視認できるようになった。これはやはりトリム効果である。
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    (↑上:phil howard2.blogspot.com/下:「ゼロ戦 遊就館」のHPより)

    しかし、戦争後期になると前線では逆に赤丸周囲の白縁をわざわざ黒く塗って消すようになった。これは性能を向上させた米軍機から見つかりやすく狙われやすくなったためであった。

    ↓赤丸の周囲の白枠を塗りつぶした黒色がすぐ一部はがれてしまったゼロ戦
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    ※ゼロ戦も最初期の機体は明るい灰色(通称:飴色)だったので、日の丸はただの赤丸だけで十分明確に見えた。

    ◎衣装における「トリム効果」
    冒頭の”スーツ袖口とそこからのぞくワイシャツ”の例の他に、衣装においては単なる線状・帯状の紐や布の他、レース、フリンジ、リボン↓なども袖口や襟元に使われ、これがトリム効果になる。
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    (↑左:Hymyily/左:「jimmybottons.com.au」より)

    「トリム(シャツ)」という”ストレートにトリム効果を意図したもの”もある。
    trim-shirt
    (↑「temu.com」webカタログより)

    和服の場合には(浴衣は別にして)着物の襟元において着物と首元の境界に線状・帯状の布(現代では「半襟」と呼ぶ部分)が見えるように置かれ、トリム効果が発揮される。

    ↓半襟がトリム効果(白が多いが、右端のように最近の振袖には色柄の半襟も)
      
    (PCではクリックで拡大)
    wafuku-eri
    (↑左:日経ムック「FORTY LOVE」/中二つ:「家庭画報」/右:「一蔵」カタログより)

    ◎室内壁面での「トリム効果」
    室内装では「トリムボーダー」と呼ばれる、やはり線状・帯状のものが壁などに貼付される。

    ↓トリムボーダーの例:壁面がツートーンの場合の境界に使われる他、一色の壁面でも床上1メートルくらいの部分に設けられることも多い。
    trim-border
    (↑左:「kaoringo」さんのブログより/右:「トリムボーダー」カタログより)

    ◎ステンドグラスもトリム効果
    教会などのステンドグラスは色とりどりのガラスが寄せ集まっているが、それぞれは主に鉛でできた細枠で囲まれた状態になっていて、これがトリム効果となり、多彩な色が互いに干渉せずにまとまって見えるようになっている。
    stainedglass3
    (↑「thearchitectsguide.com」より)
    stainedglass2
    (↑「mariyo.jp」より)

    ◎輪郭線使う絵や太線枠絵画もトリム効果
    例えば、ルオーの描く絵はトリム効果が顕著。
    ruoo
    (↑「www.shibayama-co-ltd.co.jp」より)

    「わたせせいぞう」氏のイラスト(https://seizo-watase.com/)も・・

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    冒頭の「セビロの哲学」という本は、私も所持していたものの読後に廃棄してしまったのですが、現在でも需要があるようでネット上のマーケットでは、中古品で8千円、2万8522円、3万円などで売られています。
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    この文章作成した10月13日は偶然にも江戸時代の医者:華岡青洲(はなおかせいしゅう)が世界初の全身麻酔手術に成功した日とのこと。
    hanaokaseisyu
    ↑画像はWikipediaより

    そして現在 小泉八雲とその妻をモデルにNHKテレビ放送中の連続テレビ小説(朝ドラ)の「ばけばけ」。
    bakebake

    華岡青洲、小泉八雲どちらも、妻の貢献によるところ大なるもので・・

    それにちなんで今回は古今東西、夫婦の協力で大きなことを成し遂げた事例を少々とりあげます。

    ただし、そのほとんどが男性である夫の成果として語られるのですが、実際には、夫と共同(共働)した、あるいは夫を助けた妻があればこそ大きな事が成し遂げられたケースが多い。

    有名な”妻”たちとしては、まず冒頭の「花岡青洲の妻」や「山内一豊の妻」があり、”夫を助けると言うより共同”した「キュリー夫人」がいますが、よく知られているだけに、ここでは概略を後記してみます。

    上記3人ほどは有名ではないものの”やはり、夫を大きくした妻”たちには・・

    ◎「小泉せつ(小泉節子)」(1868~1937)
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    小泉八雲の妻であり、
    夫であるラフカディオ・ハーン(1850~1904:ギリシャ生まれのイギリス育ち。日本に帰化して小泉八雲)が来日して鳥取県の松江尋常中学に英語教師として滞在中の家に住み込み女中となってそのまま結婚。

    夫が日本語をあまり理解できないので、彼女なりの英和辞書のようなものも作るなどして、夫婦の間だけに通じる「ヘルンさん言葉」を編み出して、日本の怪談や伝説を口伝のカタチで伝えて夫の「Kuwaidan(怪談)」などのストーリーの素を作って執筆を助けた。

    ◎「松下むめの」(1896~1993)
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    ↑画像はWikipediaより

    松下幸之助の妻であり、結婚時、夫である幸之助は電力会社の電気工だったが、工事の改良案を思いついて提案しても会社に採用されずに落胆し、病弱だったこともあって退職して「おしるこ屋でも始めるか」と切り出したところ、むめのは激しく反対して勝手知ったる電気関係の仕事に打ち込むようにと叱咤激励。

    覚醒した幸之助は電気器具製造を始め、これが後の松下電器(現、パナソニック)の基となるのだが、当初は資金繰りが厳しかったが、むめの夫人は自分の着物や貴金属類を夫に知られないようにして売却し、おカネの工面をした。

    後に「日本民間3大発明」の一つと言われる「二股ソケット」※の生産販売で成功して増やした従業員の面倒をよくみたのもむめのだった。 ※他の二つは「地下足袋」と「亀の子たわし」

    もう一つ間接的に貢献したカタチになったのが、むめのの弟である井植歳男を入社させたことで、歳男は病弱だった幸之助の手となり足となって事業拡大に大きく貢献した。(詳細は省略しますが、井植歳男は戦後、会社を辞して三洋電機を創業した)

    ↓松下電気器具製作所創業時の松下幸之助(後列左)、松下むめの(後列右)、井植歳男(後列中)
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    ↑写真は「三洋電機30年の歩み」誌より

    ◎「ベルタ・ベンツ」
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    カール・ベンツの妻であり、夫が世界初のガソリンエンジン自動車を開発して1886年に特許まで取って販売開始したが2年経過しても低迷していた。 
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    しかし自動車の可能性を確信していた妻のベルタはそれを証明して話題を作るために一計を案じて、

    1889年8月のある日、ベルタは夫がまだ就寝中の早朝に、息子二人を起こして3人連れ立って“そっとその3輪自動車を動かして”なんと約100キロ先の実家を目指して走り出した。

    100キロというのは意味があり、当時馬車は一日に90キロ走ったからで、これに対抗するためでもあった。

    しかし道路地図もなく、田舎道の走行はスムーズにはいかないし、パワーが無いから上り坂では息子たちに押してもらって乗り越えた。

    そしてベルタの知見と機転が発揮されたのが・・途中のガソリン補給するにもガソリンスタンドなど当然無いから、どうしたかと言えば・・薬局で石油系の溶剤を購入して燃料にして走行を続けられたことや・・
    効きがあまいブレーキパッドには、途中で思いついて革を貼ってもらって改善したこと。

    こうして、100キロを12時間で走破して、その日の夕方には見事に実家に到着!

    これは“自動車による世界初の長距離移動”であり、しかも女性が成し遂げたということで翌日の新聞のトップ記事となった。
    benz3
    ↑画像は「ディスカバリーチャンネル」より

    ベルタのこの快挙によって、その後の自動車製造販売にハズミがついたのは言うまでもない。
    ただし1900年時点では電気自動車が1/3を占めていた。

    ドイツでは、昔にベルタが走破した経路としてマンハイムとプフォルツハイムの間の道路を2008年に「ベルタ・ベンツ メモリアル ルート」としてドイツ観光街道に設定されている。

    ◎「上山ゆき」
    1890(明治23)年に世界最初の蚊取り線香を発明した上山英一郎※の妻である。
    (※後の金鳥ブランドの大日本除虫菊株式会社の創業者)                                     

    当初の蚊取り線香は、その形が仏壇などで使われるお線香と同様なものだったため火もちが40分しかなかったので、長もちする方法を夫が考え悩んでいたところ

    「ゆき」夫人が、線香を渦巻型にすることを思いつて提案したので、

    英栄一郎はこの案に基づいて渦巻型蚊取り線香を1902(明治35)年に誕生させた。                    

    ただし初期の蚊取り線香の断面は丸型で、現在のような長方形ではなかった。

    一説には「ゆき夫人は庭でとぐろを巻いている蛇を見つけて、渦巻の形を思いついた」という話が流布されているが、その真偽のほどは分からない。

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    以下は有名な“妻”たちの概略です

    「花岡青洲の妻」 
    江戸時代の1804年に夫である花岡青洲が、60才の女性の乳がん手術を全身麻酔によって行い成功させたが、そこに至るまでは妻のみならず母や親類の”麻酔の実験台”になるという文字通り「献身」があり、その過程で妻は失明、母は死亡した。

    「山内一豊(やまのうちかずとよ)の妻」(1557~1617)
    本名「千代」または「まつ」で、後の「見性院=けんしょういん・・夫である山内一豊が欲しがっていた名馬の購入のために自分の懐からお金(持参金ともへそくりとも言われる)を出し、一豊が手に入れたその馬を見た信長は、その馬主にふさわしいようにと一豊への禄高を加増させた。
    その他、後に「笠緒文」と呼ばれる“機転をきかした妻の行い”(詳細割愛)が一豊の評価を上げて家康から土佐藩の初代藩主の身分を与えられた。

    「マリー・キュリー」(別称キュリー夫人:1867~1934)
     Pierre_and_Marie_Curie

    夫であるピエール・キュリーとの夫婦共同作業で放射線関連分野へ貢献して夫婦でノーベル物理学賞受賞したり、ラジウムやポロニウムの発見などをした。夫が交通事故で亡くなった後も夫人は放射性物質関連の研究開発を継続してノーベル化学賞も受賞している。

    夫婦共同作業の成果と言えば・・

    「坂口教子(のりこ)」
    「T細胞」の発見により今年2025年のノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文(しもん)氏の妻であり、長年、夫婦で二人三脚に近いカタチで研究・実験を行ってきた結果、夫の受賞を呼び込んだ。

    以上は目だった例ですが、世の中には目立たなくとも"良い伴侶"どうしで良い成果を得ていることが、当たり前のようにあるものです。

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