先日、千葉県在住の友人からのメールとともに”ご自宅の庭に現れたという雉”の素晴らしい画像が送られてきました。それを拝見していたら、雉についてあれこれ頭に浮かんだことがあるので、それを今回綴ってみますが、まずはその雉の画像について・・
◎雉が家族で行進
送付された画像には雉のつがい(夫婦)※とその子供たちがいっしょに地面を行進している姿で、実になんともほほえましい光景です。(画像がお見せできないので悪しからず)
※冒頭の画像のように雉の雄は尾が長く羽根の色が美しい。雌の尾は短く羽根は地味なので、それが1羽ずつ寄り添っていればつがいと明確に分かる。
よく紹介される”カルガモ親子の行進”はすべて”母親と子供たち”であり、雉も同じく母親が子育てをするのが基本とされているので、父親も一緒になって行進するシーンは珍しいのではないか。
よく紹介される”カルガモ親子の行進”はすべて”母親と子供たち”であり、雉も同じく母親が子育てをするのが基本とされているので、父親も一緒になって行進するシーンは珍しいのではないか。
◎「雉を撃ちに行く」と「花を摘みに行く」
「雉を撃ちに行く」という言葉は主に登山者の男性たちが野山で大小便する行為の隠語として使われるものだったそうですが、私は半世紀前に”野山ではなく街なかで”ある友人が使ったこの言葉を初めて聞いて、”良い表現だな”と思ったものでした。
◎雉の肉を食べたことがあるものの・・
私は昔、ある肉料理店で牛や豚のほかに変わった肉も含むコースを選んだところ、イノシシ、ウサギ、シカ、そして雉がだされた。


今ならば、それは「ジビエ」と言ったのでしょうが、そのような言葉がなかった時代だった。
食べてみたら、牛と豚は別にして雉やその他の肉はやや堅めで、正直言って珍しさ感が先にたって味の記憶があまり無い・・ということは”不味くはなかった”ということでもあるが、今にして思えば”もっとじっくり味わえばよかった”。
その店の名は「囲炉裏茶屋」。兵庫県加東市にある東条湖の湖畔に在ったが現在は閉店している。古民家を利用した建物で、文字通り囲炉裏の炭火で肉を焼いて食べるスタイルだった。
↓「囲炉裏茶屋」のマッチ(最近、机の引き出しの奥から48?年ぶりに出てきた)

蛇足ながら、私は「雀の丸焼き」というものを食べたこともある。それは京都の伏見稲荷の門前?の店の名物として有名なので、一度は経験と思って挑戦したが、なにしろスズメの頭蓋骨丸出しの姿で、全体も骨っぽくて肉はあまり無いというものだった。これ以上言うと店の営業妨害になるので・・
グロテスクなのでここでは画像紹介できないが、ご興味ある方はネット検索で見られます。

蛇足ながら、私は「雀の丸焼き」というものを食べたこともある。それは京都の伏見稲荷の門前?の店の名物として有名なので、一度は経験と思って挑戦したが、なにしろスズメの頭蓋骨丸出しの姿で、全体も骨っぽくて肉はあまり無いというものだった。これ以上言うと店の営業妨害になるので・・
グロテスクなのでここでは画像紹介できないが、ご興味ある方はネット検索で見られます。
◎賤ケ岳(しずがたけ)で出会った雉
これも50数年前の初夏のある日、この賤ケ岳を私は一人で登っていた(と言っても登山というほどでもなく、観光案内書にはハイキングコースとなっている)が、その途中、道の両側が藪になっている所にさしかかったところで突然、目の前の藪の中から1羽の大きな鳥が飛び出してバサバサと音をたてながら道の地面すれすれに低く飛んで(脚も少し地面をけっていたかも) 右の藪から左の藪の中に消えた。
それは一瞬のことだったが、目にした鳥は雉に間違いなかった。大型で尾は長く、うまくはない飛び方から判断できた。残念ながら羽色の記憶がないので雌雄の判断はできない。
この時の私にとってはこの”雉との遭遇”は普通の驚きではなかった。と言うのも、その道は一応ハイキングコースとして整備されているようだが道幅は狭く、両脇は木立に囲まれ、一部は藪のような所をかきわけながら歩くというほど非常に細い、心細い道だった上に、途中で他の人の姿は一人として見かけず、静寂で、こうなると寂しく、不気味さも感じながら進んでいた中で起きたことであったからであった。
後から自分でも面白いと思ったのは、驚いた割には声が全く出なかったが、それは周囲に誰も居なかったからで、もし他に人が居たら「わっ!」というような声で”一種の通知”の意味を含んだ声を発していたに違いないということ。
そしてこの日は、湖畔に国民宿舎もある余呉湖の周囲6.4キロをレンタサイクルで一周した約50分間と賤ケ岳のハイキングコースを登って降りてくる約2時間の合わせて約3時間に人の姿を一人も見かけなかったということが、一応は観光地という場にしては特殊な経験だったのである。
蛇足ながら、賤ケ岳と言えば日本史を学習した人は「賤ケ岳の戦い」あるいは「賤ケ岳の七本槍」※という話を思い浮かべるのでしょうが当時の私はそれを知らなかったので、もし知っていて登ったのであれば感慨深かったに違いない。
※「賤ケ岳の戦いと七本槍」の説明:
https://www.rekishijin.com/13011
実は賤ケ岳に登ってみたのは”ついで”の行動であって、その日の目的は余呉湖探訪だった。その動機は、水上勉が1965(昭和40)年から1年間、読売新聞に連載(後に単行本化)した悲恋小説「湖の琴(うみのこと)」の中に余呉湖の名が出てきていたからなのであった。
↓映画化された「湖の琴」(主演:佐久間良子)


◎桃太郎の鬼退治になぜ雉が?
一つは「陰陽五行説」で十二支を子(ねずみ)を頭(北)にして円環状に並べてみると丑寅の位置は東北つまり鬼門、それは丑(牛)のように角があり寅(虎)の皮のパンツをはいた鬼が棲む所、それに対して円環の上で反対側の南西にあたる所が裏鬼門とされ、そこには羊、申(猿)、酉(鳥)がいるが、羊は戦には向かないので除外し、かわりに戌(犬)を引き入れたカタチで編成したとされるが、それにしても鳥には強そうな鷲や鷹が採用されずになぜ雉なのだろうか?
もう一つは「儒教説」で孔子は”徳を成すには「智」「仁」「勇」が必要”と教えているところから、鬼退治には「智」の猿、恩を忘れぬ「仁」の犬、火事の際に自分の羽で覆って卵を守るとされる「勇」の雉が選ばれたというもの。
↓図は「日本桃太郎会連合会」のHPより引用

↓図は「日本桃太郎会連合会」のHPより引用

まあ、いずれの説もこじつけ感があるが・・
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