◎寛容の精神があれば騒音苦情は減る!
以前に、騒音とそれに関する苦情の色々をご紹介した中で、除夜の鐘の音、盆踊り(祭)の音・声、”火の用心”巡回の声、子供たちの遊ぶ声などに対して一部の人から「うるさい」という苦情が出ている事例がありましたが・・
これらの音や声は人によっては、その人の体質、好み、体調などによって、不快に感じることがあることはわかる。
しかし一部の人が不快に思うものの、ここにとりあげた事例というものは大多数の人たちが楽しみにし、願いや思いを込め、あるいは皆のためを思って行動することで生まれる音や声であり、年に一度の数時間あるいは数分のことであると言うことに思いをいたせば、ちょっと我慢すれば済むこととして、ここは一つ寛容の精神を発揮すれば苦情となることは抑えられるはず。
確かに、昔には無かった種類の騒音苦情が出だしたことに対して識者たちからは「騒音に対して不寛容な人が増えている」という声は多い。
「不寛容」とは・・(何故か私の古い広辞苑第二版には不記載なので)・・「寛容」をみると、「寛大で、よく人をゆるしいれること。咎めだてせぬこと」・・だから「不寛容」はその反対の意味・・別の辞書には「狭量」とあって分かりやすい。つまり「心が狭いこと」。
「不寛容」は英語で「INTOLERANCE=イントレランス」。「寛容」は「TOLERANCE(トレランス)」。私が「イントレランス」という言葉を知ったのは、ある映画の題名からだった・・
◎映画「イントレランス」は映画史に残る傑作
ちょっと話が飛んでしまいますが、「イントレランス(INTOLERANCE)」という映画があった。この作品は無声映画ながら世界の映画史上に重要な位置を占めると言われ、ストーリー・脚本のうまさ、壮大なスケール、撮影手法などが賞賛されている。米国で1916年(第一次世界大戦中で中立保っていた米国も翌1917年に参戦)に脚本と監督をD.W.グリフィスによって作られた。(日本公開は1919年=大正8年=終戦翌年のベルサイユ条約の年)
この映画は、不寛容によって起きた悲惨・悲運な物語4編で構成され、それが上映時間3時間の中で各編が並行して進むカタチになっている。その4編とは・・
・「バビロン編」・・古代バビロンの滅亡
・「ユダヤ編」・・・キリストの処刑(磔刑)
・「中世編」・・・・・聖バーソロミューの虐殺(中世フランスの宗教戦争)
・「現代編」・・・・・ストライキで失業した青年と乙女の純愛
https://www.youtube.com/watch?v=IWlFLgZe6Gg
◎原節子がエッセイで不寛容な事例や終戦直後の日本人を嘆いていた!
映画女優だった原節子(1920=大正9年~2015=平成27年)は小津安二郎監督作品に出演した際の役どころから”静かで控えめな”感じの人の印象が強いが、本人は”強い意志を持ち行動的な”役柄(黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」での大学教授の娘役などか?)を望んでいたと述懐し、(晩年は不明だが)たばこもよく吸っていたことは知られている。
もともと学校教員になることを志望して高等女学校に進んだものの家庭の事情で中退して女優になっても、付き人は不要とし、自動車に乗らずに電車と徒歩で撮影所通いをして、電車内では庶民を観察しつつ読書することが多かったそうで、その資質と体験が書かせたであろう硬派的な内容のエッセイが氏の生前に発表されていたものの埋もれていたが死後に再発見された。それは・・
「想苑」という季刊雑誌(発行=金文堂出版部=福岡県久留米市)の1946(昭和21)年の11月号に「手帳抄」という題名のエッセイで、文芸誌「新潮」の2017年1月号に再掲載された。
その内容を、「宙 平」という方がネット上で紹介している部分を引用させていただくと・・
「省線電車。ものすごい混雑。赤ん坊の泣き声と怒声罵声。ぼうとなるほどの人いきれ」そんな中で、突然生暖かい液体が膝から足首にかけて流れるのを感じた。押されて来た婦人の背の赤ん坊のーである。(当ブログ筆者注:省線とは戦前の鉄道省が管轄する国有鉄道線のことで、後の国鉄、現JR。私の祖父は戦後10年近くは「省線」という表現を使っていた)
赤ん坊は激しく泣き出す。『やかましいぞッ!』 『泣かぬ子と替えてこいッ!』 『うるさいッ、降りろッ!』と、突然『黙れ!うるさければ貴様が降りろ。母親の身にもなってみよ。心で泣いてるぞ!』軍国調に云えば、その声は三軍を叱咤する烈々たる気迫に満ちてゐた。一瞬、車内はシーンと静まってしまった」。
「二等車の中で。その列車が大阪に近づいてくると、一人の青年が座席のビロードの布をナイフで切り取って、自分の靴を磨き始めた。並んでかけてゐる若い女の人は、ただほほえんでゐるばかり」。
「省線電車の中で。若い娘さんが座席にかけてゐた」その前に乳児を抱いて立っていた若い母親に「どうぞ、抱っこさせてください」と手を差し伸べた。すると隣りにかけていた紳士が『抱いてあげる親切があったら、席を譲り給え、君は若いンじゃないか』と怒鳴った。
「娘さんは真っ赤になった。『では、お言葉に甘えまして。すみませんわねえ』若い母親はさも嬉しそうに乳児を娘さんに与えた。娘さんはホッとしたように若い母親を見上げてほほえんだ。紳士は『善』を知っていると云えよう。けれども『善』を行へないたぐいであろう」。
「先ごろある会社で「ミス・ニッポン」を募集した。容貌容姿の美が条件の全部。勿論商業政策でしかない。本当は人間として申し分のない人を選ぶことは、金儲けにならないので一度も企画されたことがない。容貌容姿の美しさを主条件とするNO・1を選ぶといふことは、文化の水準を高めるいとなみとは云へない」。
「敗戦前の日本人は、日本人自身をおめでたいほど高く評価していた。日本人は世界で最も優秀な民族であると考へ、自惚れていた。ところが敗戦は、その日本人をひどく自卑的にし、今ではあべこべに日本人は全くなってゐないという声が、はんらんしてゐる」「欠陥の多い日本そして日本人ではあるが、自卑してはいけないと思ふ、日本人はあくまで日本人である。めいめいがなんとかして一日も早くお互いに愉しく生きてゆけるように仕向けようではないかといふ心になって、手近な自分の周囲からその実現につとめなくてはいけないと思ふ。それが大きく結集してはじめて日本全体が住みよく明るい国として育って行くのだと思ふ。敗戦後わたしはいつもそんなことを考えずにゐられない険しい世相の中に生きながら、日本人の誰もが自分とこの祖国を正当に再認識してほしいと念ふのである。日本再建はそこからだとわたしは云ひたい」
◎現在もある”電車内赤ちゃん鳴き声”への不寛容実例!
先日、新聞紙上だったかネット上だったかで、こんな記事が載っていた。
「新幹線(?)の中のある座席の女性が抱いていた赤ちゃんが泣いては一時泣き止むという状態をくりかえしていたが、その後ろの座席の若い女性が、赤ちゃんが泣き始めるたびに前の座席の背を足で蹴っている姿が周囲の乗客によって目撃されていた」
また2017年のネット上に載った話は・・やはり新幹線、ただしグリーン車での出来事を見た人からの情報。
「新幹線に乗っていると 赤ちゃんを連れた女性が乗ってきました。 赤ちゃんが泣き始めると 女性は急いでデッキへ行き 赤ちゃんを泣き止ませました。 その女性が車両に戻って来ると 近くの男性が せっかく高い金を出してグリーン車に乗っているのに うるさい と 怒った様に言いました。 そこから女性は ずっと立ちっぱなしで デッキにいました。 私が泣き声は気にしませんので 席へ戻るよう言っても 男性が怖いと言ってデッキにいました。 私も妊娠しており あんな事言われたらどうしよう… と 思いました。 男性が怒るのは当然ですか? また注意されたら ずっとデッキにいるべきですか?」
◎ドイツには”子供の活動に寛容な条例”がある
『日本に限らず、かつて、子どもの声や音をめぐる訴訟が相次いだドイツは、法改正で「子どもの声は騒音ではない」と定めた。
ドイツの法律に詳しい近畿大法学部の石上敬子准教授によると、ドイツでは2011年に連邦法が改正され、子どもの声が騒音規制の対象外になった。14歳未満の児童保育施設や遊戯施設で子どもや世話にあたる大人が発する音声を、「原則として有害な環境作用ではない」と定義。「子どもにやさしい社会」をめざす立法メッセージを示すことが、立法趣旨に掲げられた。
日本では、東京都が2015年に騒音の規制対象から未就学児の声を外す条例改正をしているが、国レベルとして国会ては、”騒音とは何か“という定義が必要になるなど、法制化の課題は多いのでまだ法制化は検討していない・・という状態。』(『』内は一部「朝日新聞デジタル」より)
◎映画「もぐら横丁」の中の“ラジオ騒音”顛末!
「もぐら横丁」は小説家の尾崎一雄夫婦とその周囲の人々の実生活を基にした映画で監督は清水宏、主演は佐野周二と島崎雪子で1953(昭和28)年公開。
その中で、日頃近所から聞こえてくるラジオの音が大きすぎて仕事にならないと夫が嘆くので、妻は勇んでその家に出向いて大声で文句を言ったのだが、後日、中風で動けなくなった年寄りの唯一の楽しみがラジオだった(年寄りだから耳が遠いので音量を上げざるをえない)ことを知って、怒鳴って悪いことをしたと思い謝りに行こうとする夫婦であった・・これも寛容精神の現れを描いている。
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今回の内容に関連して、人生訓?の一つを思い出します・・
「子供𠮟るな 来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ」
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