◎欠陥ルールが起こした悲劇
先日、テニスの4大大会「全仏オープン」の女子ダブルス3回戦で加藤未唯(日本)とアルディラ・スーチャディ(インドネシア)組が失格するという事件があった。
原因は、試合中で相棒のスーチャディがリターンミスして転がっている球を加藤が拾って相手コートに向けて返した球がボールキッズ(ガール)の頭部に当たってしまい、ガールは約15分間泣いてしまった。すぐさま加藤は謝ったものの、主審は加藤に”警告”を与えた。
しかし、これに対して対戦相手のマリエ・ブズコバ(チェコ)とサラ・ソリベストルモ(スペイン)組はこれを不服として執拗に抗議したので、裁定が変更されて失格となり、ランキングポイントと賞金没収に加えて罰金(7500USドル=約100万円)まで科す宣告がなされた。
この処分に対して加藤組はグランドスラム評議会に対して”動画を見た上での精査”を要請し、プロテニス選手協会(PTPA)も”処分は不当である”という声明を出したりしたが、後日棄却されてしまったものの、世界中からも多くの疑問や批判が発せられた。
どうもこの事件の原因の一つは大会ルールの曖昧さにあるようで・・
審判が加藤組に失格を告げた際に加えた言葉は・・「ルールによっての失格であり、ボールを故意に当てたか否かは関係ない」
さらに試合後5時間経過した頃に、加藤は大会のスーパーバイザーと審判二人にこう言われた・・「もし球が当たったのが男の子だったらきっと失格にはならなかっただろう」
後日、全仏大会ディレクターのアメリ・モスレモ氏は「失格はルールによっての正しい判断である」と述べ、付け加えるように「ボールガールは泣いていたではないか」と訳の分からぬ発言をした(この一連の発言に対してモスレモ氏への辞任要求が出ている)が、ブズコバとソリベストルモ組もまたこの”泣かせたことも悪い”として審判に再判定するように主張した。(ちなみに球が当たったのはボールガールの頭部だが顔面ではない)
一方で、ブズコバとソリベストルモ組が、”最初に加藤に向けて審判が下した判定に対して抗議した行為こそ”ルール違反ではないかという指摘も出てきた。
関連して、ボールキッズ(ボーイ/ガール)不要論も出ている。
以上のような“ルールの解釈”が出てくるようでは欠陥があると言わざるをえないので、当然のように世界中からは”これを機会にルールの見直しを行うことになるだろう”という声が上がっている。
◎批判集中したブズコバとソリベストルモの品性無き行為
加藤未唯からの球が頭部に当たったボールガールが泣き出したのを見たブズコバとソリベストルモは”加藤への警告”程度では甘いとして審判に抗議した結果、”加藤は失格”との判定が下された瞬間、二人とも笑顔を見せた。そのシーンは一部のテレビでも流されて、私も観ましたが、その”笑い顔”は喜びを表すというよりも”してやったり”あるいは”しめしめ”というそれであった。
加藤の打球は故意に当てたのではないことは誰の目にも明らかなのに、その二人は執拗に抗議して不戦勝にもちこむ狙い通りになり、前述のような笑い顔を見せたことも相まって、世界中から批判が集中したが、これに対してソリベストルモは「ボールガールに当てた球は(皆さんが)ビデオで見るより(実際は)2倍も強く、彼女は20分間も泣いていた。ルールとして審判が下した判断であり、我々は何も悪いことはしていない」と主張したから余計に”炎上”した。
かつてのテニスの女王ナブラチロワもSNS上で猛批判して「これはルールの馬鹿げた解釈で、ブズコバとソリベストルモが相手の失格を主張することは恥ずべき行為だ」と述べている。
このようにブズコバとソリベストルモは、”テニスの技”ではない他の手段を使って何が何でも勝とうとし、それが成功して心情的に”ほくそ笑む”ところをさらに顔に出した笑みで表してしまったものであり、これは品性の無い行為であります。そこで私のアタマに浮かぶのは・・
◎試合中に相手へ思いやり返球した清水善造
清水は1920(大正9)年のロンドン・ウインブルドンのセンターコートで開催のテニス試合で世界中の128人が戦う中で決勝に進んだ。
第1と第2セットは僅差で負けて迎えたが第3セットで相手の選手が足を滑らせて転倒したのを見た清水は”弧を描くようなゆるい球”を返した。
そこで相手は体勢を立て直して打ち返したところ、清水のラケットはその球を追えなかったが、そこで観客全員からのスタンディングオベーションが起こった。
その後は接戦でデュースが続いたものの結局、清水は負けたが、彼がコートから引きあげる際には再び盛大なスタンディングオベーションが起こり、それは長~く続いたのだった。
※この試合の対戦相手の名はW・チルデンであり当時世界ランク1位。清水は翌年の別の試合でもチルデンとほぼ互角に戦うほどの実力があったのでランキングは4位だった。
清水のその行為は、”試合と言えども、あくまで対等な状態で戦おうとする所作”としてスポーツマンシップの鑑とされ世界でも賞賛されたが、特に日本国内では1933(昭和8)年には国語の教科書に「スポーツマンの精神」として載り、その後も修身の教科書にも載るなど戦前に計5冊、戦後は1960(昭和35)年まで計4冊が採用した。』 (『』内は「芦屋市役所」のHPより一部引用)
かくして、この清水の行為と今回のブズコバとソリベストルモの行為はあまりにも品性に差があって対照的なのであります!
ここでお話ちょっと逸れ・・私は清水のこの行為を扱った教科書には出会わなかったのですが、習った国語の教科書だったかにスポーツ関係の美談として「西田、大江選手の友情のメダル」が載っていた。
教科書によれば「1936(昭和11)年のオリンピック・ベルリン大会の棒高跳競技の決勝で西田修平と大江季雄の日本人同士が同記録で2位となったがルール上、西田が2位、大江が3位となったものの西田が銀メダルを大江に譲り、自分は銅メダルを受け取り、帰国後に”健闘を称え合って”互いのメダルを半分に切ってつなげて、銀と銅が半分ずつのメダルを各々で持つことにしたのだった」・・という内容だった。
しかし、この話には複雑な経緯と誤解があることを後に西田氏が語っているので、興味ある方はこのホームページ参照ください→ https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/24.html
◎勝ち負けの無い球技?:蹴鞠、羽根つき
今回の全仏オープンでの事件とは対照的に”勝ち負けがない球技”があり、その一つは「蹴鞠(けまり)」で、約1450年前に中国から仏教と共に遊びとして伝来したもので、8人または6人が輪を作るように並んで、一つの鞠(鹿革製で中は空洞)を皆で蹴り上げて、鞠が地面に落ちないように長く蹴り続けることを楽しむものであり・・
そのためには自分が蹴った鞠を他の人が受け易く蹴り返し易いような”思いやりのある蹴り”をするもので、これには前述の清水善造のテニス試合における”ゆるい返球”を連想させられます。
↓蹴鞠用の装束と鞠(人物は後述の池田氏)
蹴鞠は鎌倉時代になると武家のあいだにも流行し、室町時代にも続き、江戸時代には一部庶民にも取り入れられるようになったが、幕末頃に消滅しかかったものの明治天皇が蹴鞠存続奨励のために援助したこともあって、現在では宮中や一部神社などで継承されている。
その他、京丹波には、蹴鞠を研究し、普及に貢献されている池田游達(ゆうたつ)、蒼圭(そうけい)のご夫婦がおられ、ご主人は蹴鞠経験40年であり、鞠も伝統製法を研究して自作もされている。
その他、”勝ち負けのない球技?”と言えるのが”羽根つき”であり、日本の正月に行われてきた伝統的な遊びで、ムクロジの種に鳥の羽根をつけたものを羽子板で二人相互に打つことを繰り返して続けるもので、これも蹴鞠の精神と同様に”(ラリーを)続けることを楽しむ”もの。
羽根つきの打ち合いの途中で羽根を打ち損じた人の顔に墨をチョイと塗る習慣がありますが、その理由は、羽根つきは本来、健康祈願、厄落としの意味があるので、打ち損じた人には”厄がついてしまう”ということで、それを払うためだそうで、私が子供の頃はこの墨塗り行為は”打ち損じたことに対する単なる罰”の意味だと思っていましたが、そうではなかったわけでした。
蹴鞠、羽根つきはいずれにしても球技?ではあるものの勝ち負けはないわけです。
◎勝ったのに負けたと公言した正田美智子(現 上皇后)さん
現在の上皇と上皇后がまだ皇太子と正田美智子さんだった1957(昭和32)年8月にお二人は長野県軽井沢の会員制テニスコートで出会い、そこで行われたトーナメント戦で皇太子と早大生男子のペア対美智子さんとカナダ人13才ボビー・ドイルさんペアの試合があり、結果は2対1で美智子さんペアが勝利した。しかし美智子さんは後日、周囲の人やマスコミには、皇太子組が勝ったと伝えていたそうです。
これは”勝ちにこだわることとは反対の事例?”でしょう。
↓出会いの翌1958年のトーナメント会場にて(写真は週刊朝日より引用)
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今回、テニスの勝敗に関わるテーマを選んだことにチョッと影響したのが、"我が伴侶の過去のテニス熱中時代の姿"が連想されたからで、初めてラケットを握った30才代中頃から10年足らずの期間、コーチの個人指導も受けるなどして、地域や県内の中・小規模の多くのテニス試合にも出場して、主に女子ダブルスで優勝または準優勝して家の中の飾り棚には約30個ほどの小型の優勝カップに数個の盾が溢れていた。(後年、何を思ったか、全て廃棄してしまいましたが)
実はテニスの腕前は決してウマイとは言えないのに執念で?優勝したりするので、所属のテニスクラブのメンバーからは「勝つためのテニスをする〇〇さん」と呼ばれていました。
しかしながら、勝つために品性を問われるようなことはしていなかったと言えるのでホッとしています。
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