◎「大谷マンダラチャート」とは
(株式会社コーセーのHPより)
今の大谷翔平を形成した原点となったと話題の「大谷マンダラチャート」は彼が花巻東高校の1年生の時の2010年12月4日に、当時の究極目標である”プロ野球8球団からドラフト1位指名されること”と、それを”実現するための必要な8つの大項目”さらに”その大項目ごとに必要な8つの小項目(つまり小項目総数は8X8の64)”を網羅してチャート(図表)化して作製したもので、これにより目標とそのための手段や方法が(今で言う)「見える化」されている。↓.下図参照下さい。
野球人としての必須項目は勿論として、注目されるのは”今の大谷の人物評”として高評価要素となる、”ゴミ拾い”、”道具を大切に使う”、”思いやり”、”礼儀”などを当時からあげてそれを28才の現在までも守って.いること。
(図中左上の”体づくり”の「FSQ90kg」「RSQ(BSQ)130kg」はいずれもバーベルをスクワット状態で持ち上げるもので、FSQは顎の下位置まで90kg、RSQは肩に背負って130kgを持ち上げるという目標)
※「マンダラチャート」という方式そのものと関連事項については後日 紹介します。
◎大谷翔平の読書大切志向
前述のように大谷が高校1年時に作製した「マンダラチャート」中の小項目の一つに”本を読む”があげられ、実行されていて、大谷いわく『一回読んだだけで得られるものは30~40%。何回も読むことでもっと違う捉え方ができる』
前回のブログの最後尾に次回予告として”大谷翔平の愛読書”のとりあげを記して発信した翌朝に、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で大谷翔平の愛読書が紹介されてしまったようなので、今回はその一部内容も引用させてもらいます。(以下文中『』内が引用部分)
前回のブログの最後尾に次回予告として”大谷翔平の愛読書”のとりあげを記して発信した翌朝に、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で大谷翔平の愛読書が紹介されてしまったようなので、今回はその一部内容も引用させてもらいます。(以下文中『』内が引用部分)
◎愛読書(1)中村天風著「運命を拓く」
著者の中村天風(1876=明治9年~1968=昭和43年)は波乱万丈な人生経験があり、日清・日露の戦時には日本軍の諜報員をしたその後、当時は”死の病” だった結核にかかったものの当時の日本の医療では治らず、救いを求めて海外を巡り著名な医者や宗教家などに頼ったが結果は芳しくなく、最後にエジプトで出会ったヨガの達人に指示をされてヒマラヤの麓で修行して結核は治癒。その後、孫文とも友人となり、中華民国最高顧問の称号も得ている。後年、自分の経験と思索で得た”天風哲学”を世間に広く説法する.ことに専念し、各地で講演や本の執筆もした。
その本の一つが「運命を拓く」(講談社文庫)である。↓
この本の内容を極言すれば「何事も消極的にならずに積極的に生きるべし」というものだが、もう少し理解するためにテレビ朝日の(京都大学出身ながら問題発言多発で有名な?)玉川徹氏が『中村天風財団の村里泰由理事を取材。著者が唱えた消極的でなく「積極的に生きる」とは、と問うたところ村里氏は・・
「一升瓶にお酒が半分入っている。Aは“半分しかない”と思い、Bは“まだ半分残っている”と思う。Aは積極にはなり得ない。心の持ち方ひとつで、不平不満コースに行く人、幸せコースに行く人がいる。入ってくるマイナスをプラスに変えていこうという感情が、すべてのものをコントロールする。積極につながる一番の近道だという答えを出している」と語った。』
実はこの本を私は未読なので今年3月中旬に大型書店に行って探しても見つからず、店員に問うと「現在、在庫切れです」という答えだった。
この状況を招いているのは”大谷翔平が渡米前に熟読していた本.”と紹介されると同時に、著者の中村天風に教えを乞うた人が多く、その中には著名な企業経営者の松下幸之助、稲森和夫らの他、東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、王貞治、広岡達朗たちの名があげられていることも影響しているだろう。
◎愛読書(2)アンドリュー・カーネギー著「富の福音」
この本も大谷が日本ハム選手時代によく読んだそうで、米国の鉄鋼王と呼ばれる大富豪になったカーネギーの”富の社会への還元の仕方”などが(恐縮ながらこの本も未読なので)語られているようだが、大谷に参考になったのは”常にデータを基本に未来を想像して行動する”という内容の部分ではないかと言われる。
この本におさめられているか否かは分からないですが、カーネギー氏の人生訓のような言葉は大量に在り、例えば・・
「賢い人は徹底的に楽天家である」
「成功の秘訣は、いかなる職業にあってもその第一人者たることを期することである」
「笑い声の無いところに成功は無い」
「財産よりももっと尊いものは明るい性格だ」
・・・これらは今の大谷が実践しているように思える。
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余禄(1)「靴のセールスマンがアフリカに行った例え話」
前述の「一升瓶にお酒が半分・・」の例え話にはピンときた方も多いのでは?・・
前述の「一升瓶にお酒が半分・・」の例え話にはピンときた方も多いのでは?・・
これに似た”よく知られた例え話”があり、それは・・
「靴メーカーA社とB社のセールスマンがアフリカに行ってみたら現地の人たちは裸足で誰も靴を履いていないことが分かったので二人ともすぐさま本社に次のように報告。 A社セールスマンは『ここでは靴を吐く習慣が無いから靴は売れません』 B社セールスマンは『ここでは誰も靴を履いていないので、至急ありったけの靴を送ってください。この人たち皆が靴を買ってくれたら大きな市場になります』。このように消極的思考・行動と積極的思考・行動では大きな差ができる」
余禄(2)「稲盛和夫氏の別の顔」
中村天風の教えを受けた稲盛和夫(1932~2022年)氏は京セラや第二電電を創業しJALを再建するなど産業界に大きく貢献して、その経営哲学や手法について教えを請われることが多かったので「稲盛塾」を作ったほどだった。
実務においては”天風哲学”継承の結果であろう積極的姿勢が強力に発揮されていたようで、それを物語る.エピソードを、私の高校時代のクラスメートでかつて「日本ガイシ」(根幹技術が陶磁器という点で「京セラ」と競合関係の企業.)に勤務したS.T氏がこう語る・・
「日本ガイシでは今から30年ほど前から電力、自動車産業以外への展開を狙い半導体製造装置分野で使われるセラミックスの研究をしていました。
あのころ開発した半導体製造装置用セラミックス製品が今や世界一のシェアを獲得する事業にまで成長し、ガイシや自動車用セラミックス製品が消えた後の会社の利益を支える製品として期待されているようで感慨深いものがあります。
この半導体製造用セラミックスの分野でも京セラとは熾烈な競争を繰り広げました。京セラを創業し最近亡くなった稲盛さんは倒産したJALを立て直すなど、仏のような経営者と言われていますが敵に廻すと本当に手ごわい相手でした。そこまでやるかというブラックな営業、特許戦略手法も繰り出し、日本ガイシ社員はほとほと嫌になりました。
しかし、嫌いであった稲盛さんも今思えば何も無いところから結果を出す実行力のある尊敬すべき偉大な経営者ですね。
イーロンマスクのようなイノベーション力で日本を3等国から再浮上させるために、稲盛さんのような実行力のある人が何十人も輩出することを期待したいです。」
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