徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2023年01月

    前回にとりあげた”世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解とリベットの関係”に続いて今回は・・

    ◎タイタニック号
    近年、映画にもなったり(※1)して有名なこの英国の大型豪華客船 (※2)が1912年(※3)4月10日、初航海(※4)として英国のサウザンプトンから米国ニューヨークを目指して出航したが、4月14日の夜11時40分に北大西洋上で氷山に船体右側面下部を接触させて、そこから海水が流入し、2時間40分後の4月15日午前2時20分に沈没して1514人が犠牲(生存者は710人)になった。(※5)

    ↓初航海に向かうタイタニック号 (写真はWikipediaより)
    Titanic

    ↓海底に眠る姿 
    (写真はナショナルジオグラフィックチャンネル=以降NGCと表記 より)
    titanic11 (2)

    ※1:かつてナチスもネガティブプロパガンダ用にタイタニック映画を製作した。

    ※2:タイタニック号の全長は269mで後の日本の戦艦大和の263mより6m長い

    ※3:日本はこの1912年の7月29日までは明治45年、30日から大正元年

    ※4:「初航海」は従来の「処女航海」という今の時代にそぐわない呼称の代わりとした

    ※5:犠牲者、生存者の数は諸説あり数人の差がある

    この海難事故の最大原因は”船が氷山に接触したこと”ですが、”その氷山接触を招いた誘因”と”事故を大きくして犠牲者を増やしてしまった原因”が多く指摘されています。

    その後者に当たる原因の一つが”リベット”。それ以外の誘因や原因についての記述は長くなるので別の機会にします。

    ◎船体の鉄板接合用のリベットがもろかった!
    船体に使われた鋼板は約2千枚。その厚さ2.5cmの鋼鉄板どうしを太さ2.5cmのリベット約300万個で接合して造られた。

    ↓建造中のタイタニック:鋼板の貼り合わせが分かる (写真はヒストリーチャンネルより)
    titanic13 (2)

    ↓海底のタイタニック:鋼板とリベットが見える
    (写真はNGCより)
    titanic12 (2)

    使用されたリベットの多くは機械で打ち込まれた。
    ↓リベットを機械で打ち込む様子(写真はNGCより)
    titanic14 (2)

    しかし、船体前方の機械が使えない部位は人間による手作業でリベットが打たれた。後に氷山に接触した箇所はこの手作業部位が含まれるとされる。

    この手作業用のリベットは現場で赤熱されて穴に差し込まれ、それをハンマーで打ってかしめるものだが、そのためにこのリベットの素材には「錬鉄(れんてつ)」が使われて、これは鋼鉄などより炭素含有量が少なく比較的には軟らかいので強度を増すために「スラグ」を混入させていた。

    ↓タイタニック号のリベット打ちの手作業現場 (NGCの写真に拙者が説明追加)
    titanic-8

    ※鉄を炭素含有量の多い順に並べると・・鋳鉄>鋼鉄>軟鉄>錬鉄・・炭素量が多いほど硬くなるがもろくなる。

    「スラグ」は鉄など金属を製錬する際に出るカスであり、製鉄の場合では副原料として加える石灰石が” 主原料の鉄鉱石に含まれるシリカ(二酸化ケイ素=SiO2)やアルミナ(Al2O3)などの不純物”をとり込んだ状態の物質がカスでありスラグである。つまりスラグにはこれら不純物と石灰石の成分である酸化カルシウムが合体したもの。

    現代の製鉄でも発生するスラグは、セメント材料に混合、コンクリートの骨材(砂利や砕石)の一部として混合、道路のアスファルトに混入、地盤改良材などに使われている。

    錬鉄に混入するスラグは適量で効果を発揮するものの、多すぎると逆に錬鉄はもろくなるが、タイタニック号のリベットの錬鉄にはスラグが多すぎてもろかったことが近年になって科学的に確認された。

    実験として、厚み2.5cmの鋼鉄板2枚を太さ2.5cmの”スラグを混入した錬鉄製リベット”で接合したものに、”氷山に接触した際の衝撃の大きさである“少なくとも1平方インチあたり1万4千ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり約6.36トン)”を想定して力(ちから)”を加えた実験では、1平方インチあたり1万ポンド(2.54X2.54cmの面積あたり4.54トン)以下の力でリベットの頭が裂断してしまった。

    ↓実験でリベット頭が裂断した瞬間 (写真はNGCより)
    titanic6 (2)

    しかも、電子顕微鏡で見るとタイタニックの実際のリベットの材質のほうが”実験で裂断したリベット”よりもスラグ含有量が多かったことも分かった。

    ↓リベットの素材を電子顕微鏡で見ると多数の黒いスラグが 
    (写真はNGCより)
    titanic8 (3)

    これによって、タイタニック号のリベットは氷山と接触した際に耐えられないもろさであったことが判明した。

    ◎当時の鉄材は低温劣化した!
    当時に使われていた鉄材は摂氏0度くらいの低温になるともろくなるものだった。これは難しい表現では・・”脆性(ぜいせい)破壊”しやすくなる・・となる。事故現場の氷山が浮かぶような海水温では船体の鋼板もリベットももろい状態だったことになる。先述のリベットの耐性実験は低温下で行ったらもっと悪い結果がでたのであろう。

    この”鉄材の低温での脆性破壊”現象が認識されるようになったのは、その後30年ほど経って起きた一連の「リバティ船事故」原因解析結果からだった。「リバティ船」とは第二次大戦時に米国が欧州を支援するための物資を運ぶ輸送船として大量生産された船の総称で約2710隻造られた。それらの造船における鋼板接合には従来のリベットによらずに溶接方法がとられたが、その溶接個所が原因とされる船体破壊事故が大小あわせて数百件も発生した。分析の結果、溶接技術不良もあったが、溶接棒の組成自体の低温での脆弱破壊性が発見され、鋼板どうしのつなぎ部分が弱かったことが判明したからであった。

    ただし、現在では
    ”低温での脆性破壊”が起きない鉄材が開発され、ついには"摂氏60度~マイナス60度の間で、むしろ低温になるほど、衝撃吸収エネルギーが上昇して強度が6倍に増加して破壊しにくくなる鉄材"を日本の独立行政法人 物質・材料研究機構が開発している。

    ◎船体損壊箇所と海水流入状況
    タイタニック号は深さ3千メートル※の海底に沈んだため、当時は実際の損傷個所を調べることなどできないため、「船底に90メートルの長さの穴があいた」などという見解も出たりした。
    ※水深の正確な数字は3650メートルともいわれるが、これは365(日)のちょうど10倍。

    ↓船体に開いた長い穴の想像図も登場 (NGCより)
    titanic15 (2)

    しかし、1985年に海底のタイタニック号が見つかって以降、幾多の有人、無人の調査装置での観察やソナー検査によれば、船体に大きな穴は存在せず、ただ船体前部の右舷側面に1.1~1.2平方メートルほどの小さな穴があり、それも鋼板が破れたのではなく、リベットの頭が裂断して接合していた鋼板どうしが離れて折れ曲がったためにできた穴とみられている。

    ↓海水流入開始時の様子 (図はWikipediaより)
    iceberg-titanic

    かくして2時間40分かけて流入した大量の海水によってタイタニック号は沈没した。

    ◎船とともに沈んだ楽隊が最後まで奏でた讃美歌
    私がタイタニック号を知ったのは今から約70年前、弟が学校の先生から聞いた話として「昔、タイタニックという大きな船が氷山にぶつかって(当時は接触という言葉は使われなかった)沈没する時に、船の楽隊の人たちは最後まで讃美歌を演奏しながら、船と一緒に沈んでいったんだって!」・・と教えてくれたからでした。今回その讃美歌の曲名がわかりました・・それは「主よ みもとに近づかん」
    なるほど、この曲ならば心を落ち着かせて覚悟はできたのでしょう。

    合掌
    ・・・・・・・・・・・・
    冒頭にも記しましたが、タイタニック号沈没に関しての今回の”リベット関連”以外の誘因や原因についてはまた別の機会に綴ります。
    ・・・・・・・・・・・・

    なぜ私が1月10日にこの文を綴り始めたかと申せば、世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解事故が69年前のこの日に発生したからです。一方、「タイタニック号」沈没という史上最大級(犠牲者数は最大ではないが)の海難事故もありますが、この二つの事故には「リベット」が大きく関係していたのです。

    ◎リベットとは・・
    金属板どうし(その他、例は少ないが皮革、布、紙など)を接合する場合に、それらを重ねた部分に貫通する穴をあけ、その穴に”金属製の短い円柱または円筒状の塊”を差し込み、それが抜けないように塊の頭と尻の部分をつぶしてひろげる(かしめる)・・という方法があるが、ここで言う”金属製の塊”が「リベット」で、これは日本語で言うところの(一種の)「鋲(びょう)」。

    ↓リベットで接合した鋼板の例((株)ワールドインテック社のHPより)
    rivet2

    ◎コメット機とは
    コメット機は英国のデハビランド社が開発・製造した世界初のジェット旅客機で、時速800キロで高度1万2千メートルを飛行(そのため高空では機内の空気圧は外気より高い状態)。定員42人。機体表面はアルミ合金板使用。

    ↓「コメット」機:4基のエンジン外装形状は主翼と一体化して非常にスマートだったが製造時やメンテナンス時は問題無かったのだろうか?
    comet1 (2)

    就航開始から1年半経過した1954年初頭時点で17機存在。その内9機をBOAC(英国海外航空)社が保有。

    ◎コメット機事故とその原因のあらまし
    ※詳細説明は長くなるので、今回のブログ文章の後部に付録させます。

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機がローマの空港から離陸して26分後に地中海上で空中分解して35名が犠牲となった。さらに3か月後の4月8日にまたローマ発エジプト行きのBOACのコメット機が空中分解して21名が犠牲となった。(4月8日はお釈迦さまの誕生日。不謹慎だが、この日にコメット機は”おしゃか”になってしまった)
    comet3 (2)

    事故の遠因は・・高度1万メートル以上を飛行したこと。そのため高空では機内の空気圧と外気圧の差を大きく生じ、地上では差は消えるという状態がフライトの度に繰り返されるので、機体を覆うアルミ合金板は「金属疲労(金属の板や棒などを曲げたり元に戻したりすることを多数回くりかえすと折れたり切れたりする)」を起こしてひび割れし、切断してしまった。

    特に金属疲労が起きやすかった箇所があった。・・それは”四角っぽい”窓や扉のコーナー部分。海中から回収された機体破片を継ぎ合わせてみると、その分部から き裂が走っているのが多く見られた。これは「応力集中」による現象というのだそうです。
    ↓窓のコーナー(右上部分)からき裂が・・
    comet8 (2)
    ↓コメット機の窓は遠目には四角だった!
    comet2 (2)

    この"四角っぽいコーナーから き裂が発生する現象"を逆に応用しているのが、プラスチック製の(菓子などの入った)袋の両端の"ギザギザ"で、その"山と谷"の谷の部分から裂けやすいように意図されている。この場合、"谷"部分が、コメット機の窓のコーナー部と同じ状態と言える。↓
    gizagiza (2)


    ◎リベット打ち込み時の穴が悲劇の引き金!
    多くの金属片をつなぎ合わせてその切断跡を辿ってみると、すべてのき裂は、機体天面の”無線送受信用の二つの窓”の周囲にリベットを打ち込んだ際の穴の縁にできた小さな”ひび”から始まっていることが判明したのでした。

    ↓胴体天面の二つの窓
    comet10 (2)
    ↓その窓周囲に打ち込まれたリベット(再現図)
    comet9 (2)
    ↓右の窓のコーナー部のリベット穴が き裂出発点
    comet11 (2)

    「全ての道はローマに通じる」(All roads lead to Rome)という言葉があり(ちょっと意味がちがい)ますが、ここでは「全ての亀裂はリベット穴に通じる」ことになってしまいました!

    デハビランド社はコメット機の欠陥を解消して4年後に復活させたが、一度信頼性を失った同機は受け入れられず、その間に米国ボーイング社が新たなジェット旅客機を登場させたりしたので、デハビランド社は他の航空会社に吸収されてしまったのでした。
    ・・・・・・・・・・・・
    下の絵は私が小学校1年生のとき、ある本に「世界の飛行機」だったか?の絵が載っていたものを真似して描いたもので、中でもコメット機のカッコ良さが気に入っていましたが、左下に「いぎりす (時速)800きろ」と書いているのでコメットのつもりと判断できるもののエンジンを5基にして、いいかげんだった。
    titanic7 (2)

    ・・・・・・・・・・・・・
    《コメット機空中分解事故と原因究明詳細》 (上記以外)

    1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機781便は、シンガポール発ロンドン行で、中継地ローマの空港を午前10時31分に離陸したが、その26分後の10時57分に突如消息を絶った。

    当初は原因不明で爆薬による破壊説などもあったが、地中海のエルバ島付近で操業中の漁民が事故を目撃していたことと、遺体の損傷具合が爆発物によるものでではなかったことで、単なる空中分解と判明。乗客29名、乗員6名、計35名が犠牲となった。


    そして漁民らは機体破片落下海域で遺体を引き揚げたりしていたので、捜索範囲が絞られた上に付近は水深120メートルほどなので残骸回収は楽かと思われたが、ブラックボックスもまだ無い当時の技術では難航したものの最終的に大部分が集まった。(時の首相チャーチルが海軍も動員させて機体徹底回収を指示した)

    ◎再び同じ事故が起きた!
    目立った設計ミスや製造ミスは確認されないが、事故の根源的原因がまだ特定されてない状況にもかかわらず、事故から10週間後に英国政府はコメット機の運航再開許可を出した。

    そこでBOACが運行再開して間もない4月8日、ローマからエジプトに向かうコメット機がまた地中海上で空中分解して乗客14名と乗員7名あわせて21名が犠牲になり、機体の破片は水深1千メートルの海底に沈んでしまった。つまり3か月の間に2機が同様の事故を起こしたので当然コメット機は運航即時停止。

    チャーチル首相は原因徹底追及を英国王立航空研究所に依頼。そこでさらに科学的分析とその検証が行われた。その例は・・

    (1) 客室胴体部分の縮尺1/10の模型を透明プラスチックで作り、内部に座席やダミー人形を配置して、胴体内部空気を加圧した状態で小さな穴を開けて急減圧したところ、座席は内部で吹っ飛び、ダミー人形は頭や体を天井や内壁に激しくぶつけた。これで一連の事故犠牲者の頭部陥没と肺臓の破裂や内部損傷の原因が実証された。

    ↓1/10の模型
    comet4 (2)
    ↓急減圧すると座席とダミー人形は天井や内壁に激突した 
    comet5 (2)

    (2) 実機のコックピット部と尾翼の付いた後部を除去した残りの”客室部胴体部分”を納める巨大水槽(巾7m/長さ34m/深さ5m)を作り、胴体と周囲の水の注排水を繰り返して、地上と1万メートルを超す間の気圧の差による”機体内の加圧と減圧による機体の膨張と収縮”を再現して、これを繰り返してみたところ、3千回行なったところで外装のアルミ合金板の一部にき裂を生じ始めた。

    ↓巨大水槽で実験
    comet6 (2)

    ↓水槽実験で外装のアルミ合金板3千回の屈伸による金属疲労で き裂発生した部分
    comet7 (2)

    (3)実機を使って客室内を加圧⇔減圧状態の実験をしたところ、窓や扉周辺のコーナー部には強烈な歪(応力集中)が発生していることが計測されたので、この部分からき裂が発生しやすいことの裏付けとなった。

    ※無線送受信用窓周囲の打ち込みリベットの穴が事故の引き金になった・・という説明は前記の通りです。

    (
    コメット機に関係の写真はナショナルジオグラフィックチャンネルより引用)
    ・・・・・・・・・・・・
    次回はタイタニック号沈没とリベットについて・・です。
    ・・・・・・・・・・・・

    明けましておめでとうございます
    今年も皆様のご健勝を心よりお祈りいたします
          
    ◎月のうさぎもびっくりの今年
    うさぎの姿が見える月に向け、日本の航空宇宙企業のispace社が主導する「HAKUTO」(白兎)という名の民間チームが送り込む機材で初の月面探査を この春に行うそうです。
             ↓ HAKUTOのマーク
    hakuto3

    一方、昨年に民間人で初めて国際宇宙ステーションに滞在した前澤友作氏(衣料品通販サイトZOZO創業などの実業家)は今年8人の仲間と世界初の民間人による月周回旅行をする予定とのこと。

    このように2023年は”多くの民間人や機材が来訪する”というので月のうさぎもさぞや目を見張る年になるでしょう。

    ◎ツタンカーメンが見た月は・・
    原始地球が誕生してまもないという45億1千万年前(他説あり)に、火星と同じくらいの大きさの天体「テイア」が衝突して(思わず「いテイア」と言ったかどうか?)飛び散った破片が集結して月が出来たという説が(諸説ある中で)有力だそうで、誕生直後の月と地球の距離は現在の38万4400キロの約1/16(諸説あり)しかなかったそうで、それから年々離れて行って現在に至っていますが、現在でも月は年間3.8センチ地球から遠のいていることが判っています。

    これらの数値は、半世紀前に”米国のアポロ15号の宇宙飛行士が月面に設置した反射鏡”を利用して地球から発射したレーザー光線の往復時間から割り出すものだそうで、現在までその計測は継続されているので・・「アポロ計画はまだ続いている!」とも言われています。

    ところで、月が45億年余りの間に1年間に遠のく距離がずうっと3.8センチであったのではなく、それよりも小さかったたり大きかったりした期間があったことが分かっているのだそうで、恐竜時代は分かりませんが、エジプトのツタンカーメン王の紀元前1330年(今から3350年前)で計算すると・・現在よりもわずか127メートルだけ近かったことになります。

    地球の周囲を巡る月の軌道は楕円なので先述の38万4400キロというのは中間値であり、地球への近地点と遠地点の差は4万2千キロもあるのに、その見かけの大きさの変化は (スーパームーンと言われればやや大きいと感じますが)普段は感じられないので、127メートルでは影響無しに等しくて、ツタンカーメンが見た月は現在の我々が見る大きさと変わらなかったと言えるでしょう。

    ◎インドの神話では月に見られるのは”うさぎの煙”?
    『昔々のインドにうさぎと猿と狐が一緒に暮らしていました。3匹は菩薩の道に向かって修行していました。その様子に帝釈天が感心し、本当に仏を心に持っているのかを試そうと思い、老人に姿を変えて3匹のもとを訪れて「貧しくて身寄りもない自分を養ってほしい」とお願いしてみたら、猿は木の実や果物を、狐は魚をとってきましたが、うさぎは山の中を懸命に探しても食べ物を見つけられませんでした。

    ある日、うさぎは猿と狐に「食べ物を探してくるので火を起こしておいてほしい」 と頼み、火が燃え盛った頃にうさぎは”自分自身を食べてもらおうとして”火の中に飛び込んで死んでしまいました。すると老人は帝釈天の姿に戻り、うさぎの慈悲深い行いを全ての生き物に見せるために、その姿を月の中に映し出しました。月面で雲のように見えるのは、うさぎが焼け死んだ際の煙なのです。

    これはブッダの物語を集めた「ジャータカ神話」に収められている話で、これが日本にも伝わって「今昔物語」や民話になったそうです。』 (『』内は「広報とだコミだより」より)

    ・・・・・・・・・・・・
    ここで話題は飛びますが・・前述の「ジャータカ」、インドの2大叙事詩と言われる「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」、「マハラジャ」などここにカタカナで表記した単語は全て”ア”という母音を含んでいるのはなぜでしょうか? インドあたりの言語の特長なのでしょうか? まあ、「ゴータマシッダールタ」、「カーマスートラ」、「アーユルベーダ」、「マハトマ」、「ガンジー」、「タゴール」、「カースト」、「シタール」、「ラビシャンカール」などという単語もありますから全てのインド系言語にはあてはまらないことは分かりますが・・どなたかご教示ください。
    ・・・・・・・・・・・・
    今年もよろしくお願い申し上げます

    このページのトップヘ