徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2022年11月

    前回はカナ文字点字関連についてでしたが今回は漢字も肝心ということで・・ (文中敬称略)

    ◎「漢点字」の有難さ
    日本語の点字は基本的にカナ文字を表すものなので、点字から得られる第一次的情報は表音文字の羅列であり、”漢字が使われている文章“を点字化したものからは、表意文字である漢字の良き味わいが伝わらないという一面がある。

    川上泰一(かわかみたいいち:1917=大正6年~1994=平成6年:東京物理大学(現 東京理科大学)卒)が大阪府立盲学校で教師をしていて、視覚障がいの生徒たちが”漢字というものの存在”を知らないことに驚くと同時にこの状況を打破してあげようと決意。

    そこで点字で漢字も表せないかと考え、従来の点字の形式である6点の上に”漢字であることを表す2点”を加えた「漢点字」を考案して1970(昭和45)年に公表した。


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    ↑↓川上泰一 (図と写真は朝日新聞2009.11.30より引用)
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    その後、1987(昭和62)年に「漢点字協会」設立。コンピュータ利用による漢点字関連の自動化や” 漢点字化した漢字”の数を増やし、遂に「大字典」(講談社)の1万4924字の漢点字化を完成。現在は漢点字に関する日本工業規格(J I S)も設定されている。

    現在、点字が読める人たち3万人の内で漢点字が読める人は約1000人しかいないが、漢字が読めるようになって漢字のもつ豊かな表現力を知ったある視覚障がい者は「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と言う

    ◎”漢字否定し、カナ文字やローマ字推奨派もいるが・・
    明治時代末期に漢字廃止論が盛んになり、1920(大正9)年に大阪で「仮名文字協会」が発足。”漢字廃止。カナで左から横書き”を主張して機関誌「カナ ノ ヒカリ」発行。1923(大正12)年に「カナモジカイ」に改称してし、政府の国語審議会や国立国語研究所にも1960年代まで参加協力。現在も活動継続しているが、かつて財団法人だったが現在は任意団体となっている。

    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」
    (「古書の旭文堂書店」通販サイトより引用)
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    ↓機関誌「カナ ノ ヒカリ」ダイ イチ ゴウ(第1号)のカナによる文章一部
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    カタカナを推奨するカナアモジカイとは別に”ひらがな”を推す人もいる。
    ↓さいとう きょうぞう 作成 「ひらがなぶんこ 坊ちゃん 夏目漱石」の部分(我が家の倉庫に保管中に雨漏りで少々かび付着でお見苦しい点 ご容赦ください) (クリックで拡大)
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    カナモジカイと同様な趣旨で、日本語をローマ字で表現しようと主張する「日本ローマ字会」と「日本のローマ字社」も存在する。実はこの動きはカナ文字化主張派出現よりそうとう早く、1969(明治2)年に始まり、1885(明治18)年には前身である「羅馬字会」が創立されている。

    カナモジカイやローマ字会に限らず、”漢字の存在が日本の文化や教育の発展、情報伝達を妨げている”とする見解を述べる学者や”小説の世界でも漢字の使用頻度が少なくなってきているとみて、実際に泉鏡花(←語彙の豊富さにあの三島由紀夫も驚いていた)から現代作家にかけての多数の小説内の漢字数が確実に減っている”ことを調べ上げた学者もいて、”漢字は将来、消滅する”という学者の方々がおられる。

    しかしながら、これらの説、見解は”効率に視点を置いたもので、漢字を配置した文章から受けるイメージや情緒のような面は排除されている”ように感じられ、それはあたかも”文明偏重、文化軽視”につながるように思える。しかも”カナのみ使用の欠点”として”同音異義語問題”は 必ず挙げられる。

    加えて、カナモジカイが当初発表した設立趣意文には、”日本にとって重い荷物となっている漢字”は・・「シナ カラ ノ カリモノ! オタガイ ニ キ ガ ツケバ、カエシテ シマオウ デワ ナイカ」※・・としている部分があるが、これを徹底するには・・

    漢字で出来ている熟語はほとんどが(中国由来の)”音(おん)読み”であり、それをそのままカナにするのは矛盾があることになるから、その熟語を”やまとことば”になおしてからカナ文字化しなければならず、そうなると必ずや字数が増えて、作文するにも読文するにも非効率となる。

    「シナ」と言う言葉は本来、古代中国の秦が語源であり英語のチャイナの源でもあるものの、かつて日本は中国の蔑称としてシナ(支那)を使っていたので現在は使わないことが主流で、放送業界でも使用自粛語とされている。現代の中国(人)もこの言葉を拒否する。カナモジカイが当初に発した文言にも当時のシナ観のニュアンスが感じられる。(私が子供の頃には使われていた「支那そば」(現、ラーメン)や「シナチク」(現、メンマ)はほぼ使われなくなったが「南(東)シナ海」の呼称はどうなるのか?)

    どうもカナ文字推進論者の方たちは”漢字の持つ意味、字態(体)が脳裏にしみ込んでいる状態”がベースになっていて、カナ文字化したものに接しても無意識のうちに該当する漢字が浮かびあがるから不都合を感じないのではないかと思える。

    あらためて、前述のように”漢字の存在を知らなかった視覚障がい者が漢字を認知したら「すべてが白黒から極彩色に変わった感じだ」と表現する”ということには、漢字の存在意義を再認識しなければならないだろう。

    以上のように、文章を書くという場合において漢字は効率的にはカナなどに劣るが良い面もあり、カナは効率的には良いが問題もあるので、昔は困っていたが・・

    今やパソコンなどを使用して文章作成することによって問題はほぼ解消するので、漢字・かな・カナ混じり文は安泰であろう。 

    私が自然に実践しているので一つ言えることは、急いで手書きで文章作成したりメモしたりする際にはカナ書きすることが多いので、カナ主体文も時と場合によっては”アリ!”と言える。
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    点字に関してのお話、糖尿病との関連も含めて、次回の(3)に続けます。
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    ◎「点字制定記念日」の11月1日
    11月1日は「点字制定記念日」。その由来は、日本の点字の父と言われる石川倉次(いしかわくらじ:1859=安政6年~1944=昭和19年)が、既にフランス人のルイ・ブライユによって完成していた”6個の点の組み合わせによる”アルファベット用点字を応用して作った日本語のカナ用(6点)点字の方式が正式採用された日が1890(明治23)年11月1日だったことから。

    ↓点字(カナ)例
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    引用した上図を含む点字自体の詳細説明は・・こちら

    ↓石川倉次 (写真は筑波大学附属視覚特別支援学校のHPより引用)
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    石川はその後も東京盲唖学校などで教師をしながら点字に関する研究を続けて、視覚障がい者がいつでもどこでも表現できる「懐中点字器」や「石川式点字タイプライター」を開発するなど日本の点字発展に尽力した。
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    写真は(千葉)「県民だより」2017年12月5日号より引用

    ◎視覚障がい関連の基礎情報と用語

    〇日本の視覚障がい者数:約164万人(ロービジョン者:145万人/失明者:19万人)
      ・ロービジョン者・・よく見える方の目の矯正視力が0.1~0.5
      ・失明者・・・・・よく見える方の目の矯正視力が0.1未満

    ※上記の分類と推計は日本眼科医会によるものであり、厚労省による” 日本の視覚障がい者数:約31万人”と大きく相違しているが、両者の調査基準の違いとともに視覚障がい者の実数が掴みづらい結果と言われる。(障がいがあっても申告しない人や障害者手帳をもらわない人がいるなどのため)

    〇毎年の失明者発生数:約3000人

    〇中途失明(者):生まれつきではなく、ある時期までは目が見えていた(人)

    〇点字が読める人:約3万人 (日本国内)

    〇この分野でよく使われる、対峙語
    ・視覚障がい者(障害者/障碍者) ⇔ 晴眼者(目が見える人)
    ・点字 ⇔ 墨字(すみじ:印刷または手書きされた文字)

    〇「ライトハウス」:視覚障がい者の為の情報発信、悩み相談対処、職業訓練(はり、灸、マッサージ)、受け入れ施設斡旋、盲導犬斡旋など行う機関・施設。大阪に「日本ライトハウス」がある他、「京都ライトハウス」、「東京ライトハウス」など各県(全てかは当筆者未確認)にライトハウスが存在。本来「lighthouse」は灯台のことだが、灯台の光の様に視覚障がい者の人生航路を明るく導く意味が込められている。

    ◎石川倉次は浜松に生まれ、東京の染井霊園に眠る
    石川倉次は幕末に遠江国(とおとうみのくに)浜松藩(現、静岡県浜松市)の武士の子として生まれた。明治維新直後に父が仕える君主が国替えとなったので、それに伴って上総国の鶴舞藩(現、千葉県市原市)に転居。時に倉次10才で、以後学業優秀で教員になって千葉県内のいくつかの小学校に勤務していたが茂原小学校校長時に、東京の盲学校教員になって欲しいという強力な要請が当時の盲唖教育の実力者からあり、28才で上京して以降、視覚障がい者と聴覚障がい(発音障がい)者教育に専念しながら点字とその関連機器などを開発した。

    私が現在住んでいる千葉県では”点字の父 石川倉次”が10才から28才までを過ごしたことによって、何かと氏の名前が出てくるので、今回このブログのテーマに”点字”を選んでみたわけです。

    石川倉次は今、東京都豊島区にある「東京都立 染井霊園」に眠っています。東京のゆえか、いくつかある大きな霊園には多くの有名人の墓があり、この染井霊園には芥川龍之介、谷崎潤一郎、田沼意次、高村光雲、高村光太郎、高村智恵子、水原秋櫻子、岡倉天心、二葉亭四迷、遠山金四郎景元たちも眠っています。  (↓クリックで拡大)
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    ↑↓「染井霊園MAP」(東京都豊島区文化観光課 発行)(見易くするため筆者が二分)
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    お話が飛びますが・・現在日本の代表的な桜である「染井吉野※」はこの霊園の在るあたりで生まれたそうで、ここは昔、染井村と称して植木職人の町であり、そこで江戸時代後期にたまたま”花だけが先に咲いて葉が後から出る美しい桜”が一本だけ生まれたもので、(現代の科学的分析によって「染井吉野」の母親は「エドヒガン」、父親は「オオシマザクラの雑種」ということが判っている)それを染井の植木職人が、有名な奈良県の吉野の桜の名を借りて染井吉野と命名し、その一本を接ぎ木でどんどん増やし、この方法が後世にも受け継がれて日本中に増殖したので全国クローンだらけの桜模様となっている。 ※植物学者たちは、最初の一本を純粋に受け継ぐ「染井吉野」と純粋とは言えない「ソメイヨシノ」があるとして区別している。

    石川倉次が少年・青年期を過ごした、現在の千葉県市原市鶴舞には、現在「千葉県立市原特別支援学校つるまい風の丘分校」という視覚障がいなどの児童のための学校がおかれている。また鶴舞地区は桜の名所であり、氏は今、染井吉野という桜の発祥地に眠っている・・というわけで"桜"に縁があるようです。
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    点字に関してのお話、長くなるので次回に続けます。P.S. 下記ご参考までに・・
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    11月1日を「〇〇記念日」や「〇〇の日」としている例は、点字制定記念日の他にも沢山あって・・(ワンワンワンの) 犬の日 灯台記念日紅茶の日すしの日本格焼酎の日泡盛の日川の恵みの日野沢菜の日石勝線(せきしょうせん:北海道)開業の日東武鉄道創立記念日明治神宮創建の日山手線環状運転開始の日計量記念日古典の日教育の日生命保険の日カーペットの日サービス介助士の日ラジオ体操の日自衛隊記念日警備の日本の日ダーツの日名木伝承の日紅茶の日玄米茶の日ソーセージの日いい医療の日スーパーカーの日世界ヴィーガン デーなどで、各々その由来などを掲げると大変な量になるので割愛しますが・・詳細は・・
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