徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2022年09月

    1968(昭和43)年9月2日~11日までの10日間、東京→北海道巡行→(千葉県経由) →東京の4200kmを4人グループのクルマ旅。前回は函館から北上して洞爺湖、支笏湖までのお話。(前回は・・http://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/16698682.html)今回はそれより東に向かって進むところからです。

    ↓道内を反時計回りに進んだ走行経路図(クリックで拡大)
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    ※前回、述べ忘れましたが・・この北海道クルマ旅にはカメラの他にカセットテープレコーダーと8ミリフィルムムービーカメラも携行していたので、それらによる記録も少し役立てています。(一方でメモや日記はつけていなかったのですが・・)
    8mm

    ◎むかわ町には恐竜が眠っていたとは知らずに・・
    支笏湖から南下して沿岸部を東に向かって計50キロほど走行したところに在る鵡川という町(現、むかわ町)は観光地でもなく、単に通過地点だったにもかかわらず我らは「むかわ」という名前を記憶しているのですが、その理由は後述するとして・・

    今や、「むかわ」と聞けば恐竜好きの方なら即反応するでしょう。それは、むかわ町で白亜紀後期である7200万年前の地層から恐竜の化石の一部断片が2013年に発見されて「むかわ竜」と呼ばれ注目され始め、その後、体長8m超となる体形の約8割の部位が発掘され、2019(令和元年)に新種恐竜と認定されて「カムイサウルス ジャポニクス」と命名されたから。

    ↓「カムイサウルス ジャポニクス」(むかわ竜)の化石(画像は朝日新聞2019年6月16日発行記事より引用)
    mukawaryuu
    我らが鵡川町を通過した時点ではこの恐竜が近くで眠っていたことなど知る由もなかったのですが、少しばかり化石や岩石・鉱物収集が趣味だった私にとっても「むかわ町」は今や大いに興味ある地なのです。

    さて、我らが「むかわ」の名を記憶することになった理由は・・走行中に道路工事による片側通行規制区間に行き当たったのでいったん停車して、係員からの通行OKの指示を待つのですが、長い時間待たされた。その間の様子の録音が残っていて、係員の中年女性に話かけてみたら、「時にゃ『いつまで待たせんだよ!バカヤロー』って怒鳴られんだよ・・」とのぼやきの声があり、これは当時、通行制限区間の両端に配置された係員同士の合図や連絡には、今のようなトランシーバ使用も無くて時間がかかっていたからでもありましょう。
    そんな状況の中、待っている間の車内の仲間同士の会話録音には「いったい、ここはどこなんだ?」という問いに「むかわダヨ」と答えるやりとりがしっかり残っているからです。

    「鵡川町」(むかわちょう)は、その後2006(平成18)年に穂別町(ほべつちょう)と合併して現在「むかわ町」となったもの。ついでながら、ここは本物の天然の柳葉魚(シシャモ)特産の町でもあることは最近知りました。

    ◎日勝峠(にっしょうとうげ)は、濃い霧で・・
    次には内陸に向かって進み、日高町から日高山脈の北側山麓を通って十勝平野に抜ける途中の日勝峠では見晴らし良いとされていたので雄大な十勝平野を展望できると期待していたが、その日は濃い霧のために願いかなわずに残念でした。天気が良ければ下の参考写真のような景色が望めるはずだった。

    ↓(参考)日勝峠展望台から望む広大な十勝平野 
    (kukiさん撮影写真を引用)
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    ↓濃霧で5メートル先さえ見えず、左端の私は思わず天を仰ぐ。
      停車中も、前からや後ろから来るクルマに注意をうながすためにヘッドライト(同時に自動的に後ろの赤いランプも)を点灯させている。
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    ◎然別湖(しかりべつこ)→オンネトー→阿寒湖
    次に向かった然別湖は海抜810mに在って北海道で最も高い場所にある湖。ここも我ら以外は人が見当たらず寂しかった。

    ↓然別湖畔にて
    sikaribetuko

    次は雌阿寒岳の麓に在る「オンネトー」で、その名はアイヌ語そのままで「年老いた沼」又は「大きな沼」という意味だそうだが”沼ではなく湖”で周囲2.5kmと小さいが美しい。オンネトー以外でも北海道の中の小さな湖には”シカリベツ→然別”のような漢字の当て字をしていない例がみられます。

    ↓オンネトー   (画像は「あしょろ観光協会」のサイトより引用)
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    次は阿寒湖。ここは特別天然記念物のマリモで有名だけに、土産物売店、飲食店、ホテル、遊覧船があり、観光客もちらほらいた。まともなマリモを見るためには、時間もかかるちょっと面倒な行動が必要なのであきらめたが、ある売店の水槽にマリモを見た。しかしそれは阿寒湖のものだったのだろうか? 日本の他地域でも小さいながらマリモはあると言うから、それだったのか?

    ↓阿寒湖 (「釧路・阿寒湖観光公式サイト」より引用)
    akanko2

    ↓阿寒湖のマリモは直径2~20センチ超
    (「ちーず」さん提示写真を引用)
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    ◎硫黄山(いおうやま)の噴気はすさまじい!
    屈斜路湖(くっしゃろこ)と摩周湖の間に位置する硫黄山は標高512mと低いが活火山であり、中腹にある沢山の噴気孔からは硫黄分を含んだ蒸気が「ゴー」というすさまじい音とともに噴き出している。我らはその音も録音しているので、今聴いてもその凄さが伝わってくる。同時に、メンバーの一人が噴気孔に近づきすぎて「ゴホゴホッ」とむせる声や「この凄さは箱根の大涌谷・小涌谷の比ではまったくありません!」とレポーター口調の声も入っています。
    この山はアイヌ語では「アトサヌプリ」と言って「裸の山」という意味だそうで、硫黄分を含む大量の噴気によって周囲に草木が生えない様子を表すものでしょう。
    当然のように硫黄の産出も多かったので明治10年から昭和38年まで硫黄鉱山も操業していたのだそうです。

    ↓硫黄山の噴気地帯に近づく我ら
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    ↓噴気に包まれる中、手前の彼は肩からカセットレコーダを下げて左手にマイクをもって録音中
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    ◎摩周湖の夜に花火大会を観た
    霧が出ることが多いという摩周湖もなんとか眺められた後で、いったん硫黄山近くの川湯温泉のYH兼業の旅館へ行き、そこで夕食を済ませてから再び夜の摩周湖展望台へ着いたのが午後8時半ころ。昼間よりも人が多く集まってきて、打ち上げ花火も始まり、我らは夜店で買った焼きトウモロコシを食べながら見物したのでした。ところで北海道ではトウモロコシのことを「トウキビ」と言っています。

    ↓摩周湖
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    ◎「花咲ガニ」1キログラムがなんと150円なり!
    摩周湖から南下して根室半島へ。当初の予定では東端の納沙布岬までいくつもりだったが、時間の関係で断念して根室の少し南の花咲という町の漁港に行き、名物という「花咲ガニ」を食べることに。

    「花咲ガニ」は文字通り花咲近辺の漁場で獲れるもので、タラバガニと同じでザリガニの仲間だがタラバよりカニミソが多く旨いとされる。標準的な本体は縦横各約15センチ 。脚はハサミ(爪)の付いている腕も含めると計8本(タラバガニも同じ)で太く短い。(ズワイガニ、ケガニは脚・腕計10本)

    ↓花咲ガニ(生では暗い紫色だが茹でると赤色)
    (「オホーツクの風」社の通販サイトから引用)
    hanasakigani2

    そこでは花咲ガニが直径が60センチくらいの大釜で大量に茹でられ、そこから取り出されたものが販売用の台に並べられていた。
    価格は、やや小ぶりの3杯※で1キロなんと150円。我らはそれを6杯2キロ300円で購入。皆で分けてクルマの中で食べたが、それは新鮮でおいしかった。

    ちなみに現在の花咲ガニ価格はどうなっているのかをネット通販サイトで調べてみたら・・大きさや見映えによって幅があり、大きくて立派な1杯約1キログラムあるものは1万2千円の例もありますが、比較しやすい例を探してみたら有りました! 3杯1キロで3999円。これでも我らが昔食べたモノと単純比較すると約27倍というとんでもない状態。(但し、これらは「送料無料」とうたっているものの、その分を商品価格に潜り込ませているでしょうが・・)

    ※カニの数え方は、生きていれば「匹」だが死んだものは通常「杯」。しかし地方や店によっては「枚」や「尾」がつかわれる。ところが最近のネット通販では「匹」が多く使われています。

    ↓茹で上がったばかりの花咲ガニ(赤ん坊を背負ったままの女性の作業姿も印象的)
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    ↓黙々としてムシャムシャと食べた
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    今回はここまで。次回は知床半島巡りなど「北海道 半世紀前のクルマ旅 道中苦楽と珍事 !(3)」です
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    約半世紀前のちょうど今頃、夏の終わりに大学生仲間4人で北海道をクルマ(←私の父から借用)で巡った際の珍しい体験、今では起きないようなクルマトラブルなどをご紹介してみます。

    この旅の計画の言い出しっぺは4人の内の一人の「トラック大好き人間」でした。彼は早くから大型免許を取得して、春・夏・冬の長い休みには、学友でもう一人の
    「トラック大好き人間」と共に日本列島の北から南までトラック輸送のアルバイトをしていたので、他のメンバー3人は彼の長距離運転のノウハウを頼りに安心して参加したという次第。

    hkd-head

    期間:1968(昭和43)年9月2日~11日までの10日間
       (9月15日まで夏休みだったので実行できた)

    行程:東京→北海道巡行(詳細別図)→(千葉県経由) →東京:4200km

    全費用:一人当たり2万円弱(ガソリン代、フェリー代、宿泊費、食費などすべて込み)

    使用車種:トヨペット・コロナ(1500cc)

    ↓東京→北海道内→東京の経路概略図
    map2

    ◎一人2万円以内で全費用が済んだワケ
    いくつかの経費節減策を講じたことと、勿論、半世紀前なので物価が安かったこともあります。

    1) ユースホステル(YH)を利用した
    全員が事前にユースホステル会員登録して”にわか会員”となって、北海道内の施設を低料金で利用した。当時は1泊2食付きで1100円前後(くらいだったか?)、素泊まり平均800円くらいだったので、素泊まりもたまに利用した。(非会員でも少し高い「ビジター料金」で利用はできます)

    ↓ 現在の北海道のYHの一例(美瑛)
    yh-in-biei

    ※「ユースホステル(略称YH)」:ドイツ発祥の”青少年少女に安全で安価な宿泊場所を提供する主旨に基づいた宿泊施設”であるが、現在では賛同する約80の国と地域でもYH施設が多数あり、会員は世界共通でこれらを利用できる。日本のYH数はピークだった1970年代前半の約600から今は約200。利用者数は約340万人から約38万人へと激減しているが、施設のリニューアルや細則の廃止などで状況改善がはかられているようです。(我々が利用した当時は基本的に洗面道具とパジャマ(寝間着)持参が条件だったが、今はどうでしょうか?)

    2) 携行食の活用
    保存のきくフランスパン(バゲット)と魚肉ソーセージを大量にクルマにつんで、移動中に飲食店や食料品店が見当たらない場合に備え、実際にこれを食べてしのいだことも多かったので、結果としても食費を低く抑えられた。
    french-bread

    3) ガソリンが安かった
    当時は1リッター38円前後。(ちなみにハイオクは53円前後) つまり単純計算で現在の四分の一。

    4) すべて一般道路を走った
    通行料が発生する道路は利用しなかった。東北自動車道はまだ無かったが、あったとしても利用しなかった。

    ※西側の高速道路:東京~名古屋はこの年1968年4月に開通。名古屋~京都~大阪~兵庫県・西宮は1955=昭和38年に開通済みだった。

    5) 航路が短い「大間~函館」フェリーを利用
    大間(青森県の下北半島の北端)と函館を結ぶフェリーは、青森と函館を結ぶいわゆる「青函フェリー」の航行距離の約三分の一以下なので当然料金は安く(参考:現在2022年時点での車長6m以下の小型車運搬料金のこの2航路での差は約8800円)、青森市より北の大間までの余分走行分のガソリン代を足しても格段に経済的。

    大間から函館へ向かうフェリー船上で
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    フェリー内では前後を大型トラックに挟まれた位置に・・
    car-on-ferry

    ちなみに現在は、大間沖でとれる天然本まぐろは有名になっていますが、当時は“大間のマグロ”という言葉は聞いたことはなかったのは、それもそのはずで、2000(平成12)年のNHKの朝ドラで”大間のまぐろ漁師の娘が主人公”の「私の青空」が放映されてからやっと全国に知られるようになったので、それを契機に地元も知名度向上に注力して2007(平成19)年に「大間まぐろ」として商標登録したとのこと。

    ◎混浴ができるユースホステルも多かった
    当時は温泉ホテル・旅館がユースホステルを兼業していることも多く、旅行途中でそれに気づいた我々は以降ほとんどをこの”温泉付きユースホステル?”を利用した。

    しかも多くの温泉が実質的には”混浴”で、浴場の入り口は”男”、”女”と印した暖簾がかかっていても、中に入れば湯が張られている浴槽部は一つだけだったり、一応別々に浴槽部があっても男女を仕切る壁などが無い形式で、これは楽し?かった。

    (↓本文と関係ありません:層雲峡観光ホテルのHPより「水着着用混浴風呂」)
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    現在、北海道には100軒弱のYHがあるようですが、今でもYHを兼業する温泉ホテルや旅館はあるのでしょうか? 今、チョイと調べてみたらYH専業の施設には「源泉かけ流し温泉付き」のところがあります。

    実は、
    ユースホステルを兼業する温泉ホテル・旅館を利用すると、もう一つ利点があって、(現在もあるかは知りませんが)当時の正式なYHでは管理人の方は「ペアレント」と呼ばれ、宿泊利用者は夕食後にペアレント主催のミーティングに参加して懇親をはかる・・という定番スタイルがあったのですが、それが無いので気楽だったこと。我々も道内1泊目だけは普通のYHだったのでこの定番スタイルに従がったが、それ以降は無しで済んだのです。

    ◎一日2回のパンクには困った!・・とにかく道路に釘が多かった
    当時の北海道では未舗装道路も多く、砂利または泥の道を走るのですが、そこには落ちている釘が多いとみえて、北海道内だけで約2千数百キロ走った中で計3回も釘でパンクした。

    その内の2回は同じ日に起こったので、1回目でスペアタイヤを使って、それで走行中にまた別のタイヤが辺鄙な所でパンクしたから、さあ大変! もうスペアは無いので仕方なくパンクしたまま整備工場が在りそうな近くの町まで何とか走り、2本分のパンク修理をしてもらった。

    現在のように舗装道路ばかりを10万キロ走行してもパンクゼロも珍しくもないことからすると隔世の感ありです。しかし、現在でも道路への落とし物が無いわけではなく、都会や郊外などの舗装道路を歩いていて気付くのは釘よりもネジの類(木ネジ、タッピングネジ、ボルトなど)が圧倒的に多い。私はこれらを見つけたら即座に拾って適宜処分をします。これも世の為、人の為 !(笑)

    実は往路で下北半島の大間の近くでもタイヤが釘をひろったらしく、フェリーで函館に上陸した途端、パンクに気が付いてスペアタイヤに交換したので、全行程でパンクは4回でした。

    函館港に着くなりパンクタイヤ交換
    h-taiyakoukan
    ↑写真でお分かりのようにパンクしたのは後輪で、これは「釘によるパンクで多いのは、"道に寝ている釘を前輪が起こして"釘の尖った先っぽが上を向いたタイミングで後輪が踏んでしまって起きるケース」ということの実例でしょう。

    ◎一回だけ粗悪ガソリンを入れられた
    函館から約80キロ北上した地に八雲町があるが、そこのガソリンスタンドで入れてもらったガソリンに何か混ぜ物が入っているか、あるいは水が混じっていたか、それが故意なのか、そうでなかったのかは分からなかったが、走り出してすぐにエンジンがノッキング(通常のギヤ位置ではエンジンがチカラ不足でコトコトというような苦しそうな音をだす)を起こしやすくなったので「あのスタンドのガソリンが悪い」と気づいたが、先を急ぐので我慢して走行した。そうして次にガソリン注油した後は案の定、ノッキングは解消したのでした。
    このクルマ旅では9回だったかのガソリン注油をした中で、ガソリン不具合はこの1回とはいえ、本来ならあってはならないこと。ところが今年2022年にもなってのつい最近に、某大手石油会社のガソリンに水が混入していて問題になっていましたが・・

    さて、ここからは北海道内の訪れた地順にレポートします。
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    先述のように、函館上陸と同時に第1回目のパンク修理、北上途中の八雲町で粗悪ガソリン給油、次に向かったのが・・

    ◎洞爺湖と支笏湖・・不気味な中で泳ぐ
    二つともカルデラ湖で、洞爺湖は高い場所から見下ろしただけでしたが、ここは2008年7月に「洞爺湖サミット」が開かれて当時の福田首相、ブッシュ大統領、メルケル首相らが、やはり見下ろしていました。

    支笏湖では水辺にまで行っただけでなく、皆で泳いだのですが、なにしろ周りに人影は全く無く、建物の類も湖面周囲全体を見渡しても見えない、当然静寂そのもの、おまけに天候は曇り。そうなるとなんだか薄気味悪かった。

    支笏湖で泳いだが・・
    sikotuko

    その後に道内の湖、大きな沼などを巡ってみても、支笏湖の場合と同様な感じを受けた。それは我々が本州の大きな湖などで湖畔に人家、別荘やホテルが点在、あるいは密集しているような光景、場所によっては遊覧船まで見ることに慣れてしまっている故の心情。自然保護の観点からも気になりますが、その後の北海道ではどうなっているのでしょうか?

    もう一つ、後で知ったのは支笏湖は日本最北の不凍湖で水の透明度はトップクラス(昔は日本一の時期あり、現在4位というデータがある)だが、最深部が263mもあって日本で二番目に深く(一番は田沢湖)。そのためか、溺れる人、自殺者も多く、沈んだ者が浮かび上がらないこともあるそうで、俗に「死骨湖」という表現も多く、これも気味悪い

    とは言うものの、天気が良いと湖水がいわゆる「支笏湖ブルー」となってキレイで明るい感じになるようで、そうなれば好印象の「神秘の湖」と言えるのでしょう。
    現在の「支笏湖ブルー」の風景(支笏湖運営協議会のHPより)
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    長くなるので、今回はここまでにします。次回「北海道へ半世紀前のクルマ旅 道中苦楽と珍事 !(2)」につづく!
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