徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2021年12月

    (文中 敬称略)
    今や「ジェンダー」は"人口に膾炙"されていますが、少なくとも34年も前に「ジェンダー」という言葉を発信していた人物、それが黒柳俊恭(くろやなぎ としやす)

    実は私は彼とは小学校で同じクラスだったので、断言できることは・・彼はすでに小学生時代には”将来、ジェンダー学者になる"素地をしっかりと体現していました。

    そして彼の言動は私の意識に影響を与えてくれていたのです。以下に紹介するエピソードなどは昔ならば公表がはばかれるところですが、今なら堂々と語られてよいものと思います。

    ◎黒柳は”通念的には女子が使う言葉”を使っていた!
    生徒同士の会話の中では・・「わたし、そう思うわ」 「わたし、そんなのいやだわ」・・など。

    ◎黒柳は女の子と「ゴム段飛び(ゴムとび)」をしていた!
    「ゴム段飛び」は普通、女の子の遊びで、私ら男の子はしなかったのだが、黒柳君だけは女の子に混じってやっていた。(ゴム段飛びとは→ https://45mix.net/gomutobi_itidan/ )

    ◎そんな彼に対して”いじめ”や“からかい”を誰もできなかった!
    彼は学業成績優秀。背が高く、クラスで1位か2位くらい。容貌は、鼻筋通ってまことに整った顔。
    それは今にして思えば、デビューした頃の丸山明宏(現在の美輪明宏)にちょっと似ていた。そして卑屈なところなど全く無い、というわけで、クラスメートからの”いじめ”どころか“からかい”も寄せ付けない気品と気概があった

    若い頃の丸山明宏(1971年に改名して現在は美輪明宏)
    Akihiro_Miwa

    ただし、丸山明宏が”宝塚歌劇の男役のような容姿”で1957(昭和32)年に「メケメケ」を歌って世の脚光を浴びて、「シスターボーイ」(今は死語か?)と呼ばれるようになったので、我々の仲間内では黒柳君のことも、そう呼んでいたことがあった。

    ◎その後、道を究める努力と結果
    私は彼の小学校卒業後の足跡を知らなかったのですが、6年前にひょんなことから彼の近年の業績を知るようになったのです。そして数年前に、ある用事で彼の自宅に電話した際に、本人不在だったが代わりにお母上が語られたことには、「息子はジェンダー関連の研究で、アメリカやイギリスにも行っておりましたよ」ということでした。その際のお母上の”口ぶり”は”息子さんをここまでにした誇りをもっておられる”ことが感じられました。確かに60年以上も前の時代に、息子さんの意志を尊重して見守ったお母上も素晴らしい。

    彼は、その結果、日本において各種関連学会に属しながら論文発表や書籍執筆、翻訳、ジェンダー関連のクリニック、アドバイザーなども行い、帝京平成大学 健康メディカル学部臨床心理学科の助教授でもある。

    ◎黒柳俊恭の著作と論文
    ●「彷徨えるジェンダー(さまよえるじぇんだー)- 性別不快症候群のエスノグラフィー -」※(単行本)・・1987年2月発行/現代書館
    samayoeru-j

    ●「イヴ・内なる女性を求めて」
    (アン・ボリン著/黒柳訳 単行本)・・1990年6月発行/現代書館

    ●「同性愛のカルチャー研究」(ギルバート・ハート著/黒柳・塩野美奈 共同訳)・・2002年2月発行/現代書館
    kuroya-yaku

    ●「思春期前後の性同一性障害の治療を中心に」(「日本思春期学会誌」掲載論文)・・2002年6月

    ●「『性転換手術を受けない性同一性障害者』の心のケアに関する一考察」(「日本性科学会誌」掲載論文)・・2002年10月
      
    ※「彷徨えるジェンダー」の内容は「少々難解だが、時代に先がけている」としながら紹介している人のブログ参照下さい。→「梢おばさまのトランス日記」=
    http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52308724.html

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    かくして、私は幸いにも小学生の時から、今で言うジェンダー意識の種を得ていたこと、加えて私の高校時代にはクラスの女性で”私が解けない数学の問題をスラスラ解いて、大学の医学部を出て立派な医者になった人”もいたなどの経験から、私の中では”世の中、(ある面では)男も女も無いものだ”というスタンスになっているのです。
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    先ごろ、新聞やテレビなどに「政府が備蓄石油を市場に放出・・」という文言が現れた途端に私は「放出」という文字に反応してしまったのだが、その理由は・・
    ついでに、「日暮里」、「ばっけ」?などについても・・

    ◎「放出」は大阪では「はなてん」とも読む
    難読地名・駅名の例の常連?である「放出」だが、大阪の人なら誰でも「はなてん」と読める。
    なぜなら「放出」は大阪市城東区と鶴見区にまたがる地名※であり、JR西日本の片町線(愛称「学研都市線」)の駅の名でもあるから。(※放出西1~3丁目が城東区、放出東1~3丁目が鶴見区)

    そして私が「放出」に反応してしまったワケは・・自分には過去に大阪勤務にともなう在阪期間が合計約10年あり、しかも内9年間はJR片町線を使って通勤していて、放出は途中の通過駅だったから。
    JR片町線・放出駅(写真はWikipediaより)
    Hanaten-South
    「はなてん」の名前の由来には神話説、地勢的解釈説があるが、定かではないようだ。

    ◎地名「日暮里」(にっぽり)アイヌ語由来説
    「日暮里」(東京都荒川区)も難読の部類に入れられることが多いが、この「ニッポリ」はアイヌ語に由来するということは定説になっているものの、基になるアイヌ語が何かという点で諸説ある。

    最多例は「ヌプリ」由来説。これは多くの一般人の他に永六輔氏もとなえていたとか? たしかにヌプリはニッポリに繋がるようにも聞こえる。しかしアイヌ語に詳しい知里真志保博士によれば、「ヌプリ」は”そびえ立つ山”を表すのに、この地に高い山など無いのでこれは間違い。

    その他、”木の丘”を表す「ニンポリ」説もあるが、私がもっとも魅かれる説は、今から30年以上前だったかに朝日新聞の「天声人語」欄に載った記事にあったもので、ただし基になったアイヌ語が表記されていたのか否かの記憶が無いのだが、とにかく意味の説明があって・・

    ”本州側に残るアイヌ語由来の地名として、日暮里の「ニッポリ」は「崩れやすい崖」そしてここに近い不忍池(しのばずのいけ)の「シノバズ」は「入り江の奥の沼地(湿地だったか?)」という意味である”・・という内容だったが、私はこれに納得できる状況があると思える。・・それは(下の図をご覧いただきながらだとわかりやすいが)・・
    「上野台地」「本郷台地」などと低地の様子(右上に現在の日暮里駅の位置表示あり)
    uenodaiti (2)
    (図はブログ「日々の理科・田中」の「山手線の地形考」より引用)

    太古の昔から今でも、東京の西の方から東に向かって武蔵野台地が広がり、その東端で枝分かれして何本かの半島のようになった細い台地があり、それらにも呼称があって、その北寄りの一つが「上野台地」である。

    台地があれば低地(上の図の黄緑色部分)にかけては当然のように崖ができるが、台地沿いに崖が長く続く場所を「崖線」と言う。日暮里はこの上野台地の北側の崖線沿いに位置するので、この崖線には「日暮里崖線」という呼称が与えられている。

    まさに日暮里イコール崖であるのだ。それはJR山手線の巣鴨駅あたりから
    田端(たばた)駅、日暮里駅を通って上野駅までの進行方向右側の車窓からはほぼ崖を見上げる状態であることで実感できる。
    左側の「日暮里崖線」に沿って走るJR山手線
    nipporigaisen
    (写真は「ganbaru.mcury」.jp」より引用)

    また上野台地と本郷台地(←神田明神などが在る)双方の東端近くに挟まれた場所に在るのが不忍池。縄文時代など今より海水面が高かった時代には、現在は低地と言っている所も海だったので不忍池は昔の入り江にあたる所に在る。

    というわけで日暮里も不忍池も「天声人語」欄の説明が腑に落ちる。ただし、たまにこの欄も後日訂正があるので注意が必要だが・・

    次は「崖」つながりで・・

    ◎崖の呼び方様々
    現在の標準語としては「崖(がけ)」だが、各地には「崖」の古い呼称が残っていて・・「はけ」、「ばけ」、「ばっけ」、「ほき」、「ほけ」、「ぼけ」・・などあるが、これらの基はやはりアイヌ語で「崖」を表す「バッキ」であるという説がある。

    ここで挙げた"崖の古称"が残る実際の例としては・・

    ●「大歩危・小歩危」(おおぼけ・こぼけ)・・徳島県で吉野川が削った両岸が険しい崖になった場所で、”「ほき」に「歩危」の字をあてて読んだもの”という説の他に”大股でも小股でも歩くには危険だから”という説もあるそうだが、後者は後付け理由の感じがする。
    「大歩危・小歩危」
    ooboke (2)
    写真は「阿波ナビ」のHPより

    ●「ようばけ」・・埼玉県の秩父にある高さ100mの崖で、平地では夕陽が落ちても高い崖はまだ陽が残って当たり輝くので”陽(よう)があたる崖(はけ)”として呼んだとされる。

    この崖は古代には海であったことを表す貝、カニ、クジラなどの化石が出るなど貴重な場所で、現在は国の天然記念物および日本の地質100選の一つになっているほどなので、あの宮沢賢治も1916(大正5)年に盛岡高等農林学校の地質見学旅行でこの崖を訪れている。
    「ようばけ」
    youbake
    写真は「ジオパーク秩父」のHPより

    ●東京の「はけ」「ばっけ」・・東京の国分寺近辺を通る「国分寺崖線」は「はけ」と呼ばれ、新宿区の落合地区では流れる神田川と妙正寺川沿いの「目白崖線」を「ばっけ」と呼んでいる。

    さて「ばっけ」と言えば「崖」だけではなく・・
    ◎「ばっけ」は「蕗(ふき)のとう」のことでもある!
    実は、今年の春に岩手県に住む友人から「『ばっけ』(ふきのとう)を見つけた」という便りがあって初めて”「ふきのとう」は「ばっけ」とも言う”ことを知った次第 !

    それで一瞬、” 「ふきのとう」は崖のようなところに多く出現するから「ばっけ」というのかしらん”とも思ったが、野原で見かけたこともあるし、昔は隣のお宅の庭にも生えていたので「崖」は関係ないな・・というわけで調べてみたら・・

    「ふきのとう」上は花開いた状態、下は若芽状態で普通はこちらを食用にする
    bakke (2)
    bakka-wakame2 (2)
    上写真2枚は「あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト」より引用

    「ばっけ」の語源はどうやらこれもまたアイヌ語であるというのが定説らしいのだが、ではアイヌ語の何という言葉が基であるかというのにはこれも諸説あり、

    その一つは・・アイヌ語の「パッカイ」が「子供を背負う」という意味であり、これは”ふきのとうが出始めた状態をよく見るとメインの大きな芽茎の根本に寄り添うように小さな子供のような芽が一緒に出ていて、それが親芽が子供芽を背負っているように見える”からというもの。

    その他の説には、アイヌ語の「パケ」が「頭」を意味するからというもので、これは”残雪や土の中から、ふきのとうが丸い頭をのぞかせるように出てくる”からということか?

    「ばっけ」という呼称は主に東北地方の青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の各県で共通して使われることが多い。(特に「ばっけ味噌」という食材の呼称は共通)

    しかし、各県、各地方で「ばっけ」以外の呼び方もあり、秋田県では「ばんけ」、「ばっきゃ」、「ばっけあ」、「ばんけあ」。山形県では「ばんけ」がある。その他にも(県名が特定できないが、先述のアイヌ語の「パッカイ」に近い)「ばっかい」、「ばっけい」もある。また東北ではないが長野県には「ふきぼこ」、「ふきったま」とも言う地域があるそうだ。

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    今回は、はからずも"現在の日本語の中にはアイヌ語の影響が少なからず存在する"という例が並びました。
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    P.S.1:清流で有名な四万十川の「シマント」も
    アイヌ語由来と従来は言われてきたが、最近は否定されている。
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    P.S.2:今回の文章中には特に「ば」と「ぱ」という文字が多いが、それぞれの"「は」の肩部に在る「〻」と「〇」=濁点と半濁点”が小さくて、相当に大きい文字にしないと判別しにくいことをあらためて痛感したので、フォントを是非改善して欲しいと思う!
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