(文中 敬称略)
今や「ジェンダー」は"人口に膾炙"されていますが、少なくとも34年も前に「ジェンダー」という言葉を発信していた人物、それが黒柳俊恭(くろやなぎ としやす)。
実は私は彼とは小学校で同じクラスだったので、断言できることは・・彼はすでに小学生時代には”将来、ジェンダー学者になる"素地をしっかりと体現していました。
そして彼の言動は私の意識に影響を与えてくれていたのです。以下に紹介するエピソードなどは昔ならば公表がはばかれるところですが、今なら堂々と語られてよいものと思います。
実は私は彼とは小学校で同じクラスだったので、断言できることは・・彼はすでに小学生時代には”将来、ジェンダー学者になる"素地をしっかりと体現していました。
そして彼の言動は私の意識に影響を与えてくれていたのです。以下に紹介するエピソードなどは昔ならば公表がはばかれるところですが、今なら堂々と語られてよいものと思います。
◎黒柳は”通念的には女子が使う言葉”を使っていた!
生徒同士の会話の中では・・「わたし、そう思うわ」 「わたし、そんなのいやだわ」・・など。
◎黒柳は女の子と「ゴム段飛び(ゴムとび)」をしていた!
「ゴム段飛び」は普通、女の子の遊びで、私ら男の子はしなかったのだが、黒柳君だけは女の子に混じってやっていた。(ゴム段飛びとは→ https://45mix.net/gomutobi_itidan/ )
◎そんな彼に対して”いじめ”や“からかい”を誰もできなかった!
彼は学業成績優秀。背が高く、クラスで1位か2位くらい。容貌は、鼻筋通ってまことに整った顔。
それは今にして思えば、デビューした頃の丸山明宏(現在の美輪明宏)にちょっと似ていた。そして卑屈なところなど全く無い、というわけで、クラスメートからの”いじめ”どころか“からかい”も寄せ付けない気品と気概があった。
↓若い頃の丸山明宏(1971年に改名して現在は美輪明宏)
ただし、丸山明宏が”宝塚歌劇の男役のような容姿”で1957(昭和32)年に「メケメケ」を歌って世の脚光を浴びて、「シスターボーイ」(今は死語か?)と呼ばれるようになったので、我々の仲間内では黒柳君のことも、そう呼んでいたことがあった。
◎その後、道を究める努力と結果
私は彼の小学校卒業後の足跡を知らなかったのですが、6年前にひょんなことから彼の近年の業績を知るようになったのです。そして数年前に、ある用事で彼の自宅に電話した際に、本人不在だったが代わりにお母上が語られたことには、「息子はジェンダー関連の研究で、アメリカやイギリスにも行っておりましたよ」ということでした。その際のお母上の”口ぶり”は”息子さんをここまでにした誇りをもっておられる”ことが感じられました。確かに60年以上も前の時代に、息子さんの意志を尊重して見守ったお母上も素晴らしい。
彼は、その結果、日本において各種関連学会に属しながら論文発表や書籍執筆、翻訳、ジェンダー関連のクリニック、アドバイザーなども行い、帝京平成大学 健康メディカル学部臨床心理学科の助教授でもある。
◎黒柳俊恭の著作と論文
●「彷徨えるジェンダー(さまよえるじぇんだー)- 性別不快症候群のエスノグラフィー -」※(単行本)・・1987年2月発行/現代書館
●「イヴ・内なる女性を求めて」(アン・ボリン著/黒柳訳 単行本)・・1990年6月発行/現代書館
●「同性愛のカルチャー研究」(ギルバート・ハート著/黒柳・塩野美奈 共同訳)・・2002年2月発行/現代書館
●「思春期前後の性同一性障害の治療を中心に」(「日本思春期学会誌」掲載論文)・・2002年6月
●「『性転換手術を受けない性同一性障害者』の心のケアに関する一考察」(「日本性科学会誌」掲載論文)・・2002年10月
※「彷徨えるジェンダー」の内容は「少々難解だが、時代に先がけている」としながら紹介している人のブログ参照下さい。→「梢おばさまのトランス日記」=
http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52308724.html
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かくして、私は幸いにも小学生の時から、今で言うジェンダー意識の種を得ていたこと、加えて私の高校時代にはクラスの女性で”私が解けない数学の問題をスラスラ解いて、大学の医学部を出て立派な医者になった人”もいたなどの経験から、私の中では”世の中、(ある面では)男も女も無いものだ”というスタンスになっているのです。
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