徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2021年11月

    ◎「光害」を意識し始めたきっかけ
    私が”光による害“というものを強く意識させられたのは、1988(昭和63)年に、ある業界の視察団の一員としてオーストラリアの東岸のゴールドコースト沿いの新興リゾートタウンである「サンクチュアリー・コーヴ」(コーヴ=COVE=入り江)という街を訪ねた際に、この街のはずれに住んでいるという人が・・

    「最近は街の繁盛で、夜間に街の中心部からの明かりが、住宅地の夜の暗さを邪魔するようになって困っている」というようなことを言ったのを聞いて、“夜の暗さにも価値がある”ことを気づかされたゆえに”夜間の人工の光が害を及ぼす側面がある”ことを”強感”したから。

    ↓「サンクチュアリー・コーヴ」昼間の光景(「Tripadvisor」のHPより)
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    ご存知のように、「サンクチュアリー」と言うと”鳥獣保護区”と訳されて、特に”小鳥のために餌や水を与える場”として「バード・サンクチュアリー」として語られることが多いのですが、他にも”神聖な場所” “安全な避難場所” “逃げ隠れできる場所” などの意味があり、ある英和辞書にはこれらを総括したような意味として”安らぎの場所”としているのは”言い得て名訳”。

    まさに「サンクチュアリー・コーヴ」という名のこの街は”人も動物も安らげる”ことを目指したのでしょうが、夜の(文字通り)”不自然”な光がこれを妨げているのだった。

    当時、私は「光害」という言葉が既にあったのかどうかを知らなかったのですが、その10年後の1998年には日本の環境庁(当時)が「光害対策ガイドライン」を策定しています。

    ◎実際の光害風景と宇宙から見た地上の夜間光景
    実は里山に近い環境に在る私の自宅近所にもナイタープレイができるゴルフ場が出現して、そこのコース照明が夜空の一部までも明るく照らす状態で、それはやはり不快です。(ここの夜のスカイはフカイ!)

    千葉県・千葉市緑区の”夜間に紫色に光る空”が「気味が悪い」として昨年2020年11月に、あるツイッターに写真付きで投稿されて話題になりました。↓ その現象の発生源は”プチトマト栽培用ハウスのLED照明光”だった。
    kougai-tomato
    「きみちゃん ステッカー屋さん @Kimichan398」より引用

    ↓宇宙から夜の地球を観ると、光害をもたらすであろう光の集中地域がよくわかる。
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    別の写真には
    日本海の朝鮮半島寄りの海上が非常に明るくなっている場面があり、これはイカ釣り漁船などの集魚灯”の光と思われる。

    ↑余談ですが、北緯38度線を境にして北朝鮮には光が殆ど無い。この写真には無いが、台湾は中国大陸に対した西側沿岸一帯のみが明るい。また世界の紛争地帯(シリアなど)も暗い。 (写真はGoogle Earth 夜の地球より)

    ↓(余禄)飛行機から観た東京湾を囲む夜景。手前が千葉県、向こうが東京や横浜。湾上中央にアクアラインの海上部分が細く伸びている
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    (この写真は、航空会社の国際線のあるパイロットが、普段に操縦桿を握っている際には意識しなかった東京とその近辺の夜景を、非番時に乗客としてあらためて観るとそのすばらしさ(?)は「おそらく世界一」と感動して機内から撮影してNHKに投稿したもの)

    ◎「光害」がもたらす結果
    生態系に悪影響
    ●生殖不全
    私が実際に出会った現象は“明るい夜が蛍を絶やしてしまった”こと。
    私の家の近所の田んぼで昔は夏に多くの蛍の光が見られた。しかしある年に、田んぼに隣接してガソリンスタンドができて、夜間もかなり深夜まで“こうこう”と照明をつけて、広い範囲の田んぼまでが明るくなってしまった。するとその翌年から蛍は全く見られなくなってしまった。
    その理由は、“蛍はオスがお尻を光らせてメスにアピールして交尾をして命をつないでいく”という行為が、“夜間でも明るいという環境ではお尻の光が役にたたず”成り立たなくなってしまった”からでしょう。

    ●虫や小動物を捕食する動物がその地を去ってしまう
    人工の光に虫が集まりすぎて、その虫が本来存在する場所に不在となって、その虫を捕食していた動物の行動に支障が出る。また暗い夜間に行動する小動物も生息地を変えてしまうので、その小動物を捕食する動物も同調してその土地を離れることになる。

    ●渡り鳥が迷子になる
    星や月の明かりを頼りにする方向感覚が、都会のビルやサーチライトの光で狂わされて渡り鳥が迷子になる。(光害問題啓発の団体「国際ダークスカイ協会=IDA」の東京支部代表の越智信彰氏による)

    天体観測に支障
    星や天の川が見えにくくなる・・私の住む町でも40年近く前には天の川がかすかだが見えましたが、その後に街灯が増え、おまけに近所に先述の“夜にもプレイできるゴルフコース”ができて、その夜間照明の明かりが夜空をそめるに至っては全く見えずで「光害」の悪い手本。

    ●日本一の星空は長野県阿智村(あちむら)
    阿智村は「星が最も輝いて見える場所:第1位」として環境省が平成18年に選定。標高1400mの高原にロープウェイで上がり、しかも観天時には設備などの照明を消して万全の状態で星が見られる。同村はこの星空を村おこしに利用して国内客のみならずインバウンドも狙っている。その効果は人口6000人の村に年間50万人(2018年)が来訪する。こうなると、ここの星空の素晴らしさは人の口から口へと”光害ならぬ口外”でさらに広く伝わることでしょう!
    阿智村の星空(写真は「photoAC」から引用)
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    ●その他の日本各地の”星空推薦地”
    北海道・美瑛町/ 新潟県・妙高高原/ 長野県・南牧村/ 東京都・伊豆大島三原山/ 神奈川県・丹沢湖/ 静岡県・南伊豆町/ 山梨県・富士河口湖町/ 富山県・立山町/ 岐阜県白川郷/ 三重県と奈良県にまたがる大台ケ原/ 奈良県・吉野郡/ 兵庫県・砥峰(とのみね)高原/ 岡山県・美星(びせい)町/ 愛媛県・石鎚山(いしづちさん)/ 大分県・久住高原/ 沖縄県・波照間島(はてるまじま)

    ●日本より星が観られるオーストラリア
    海に囲まれた狭い日本では湿度もあって空気透明度に限界があるが、海外には広大な国土の人の手が入らない地で湿度も低くければ星の見え方はすごいようだ。例えばオーストラリアは広い国土に少ない人口なので、ちょっと郊外に行けば満天の星がみられるが、中でも「ウルル(エアーズロック)」の夜空で、ここは同国の中央部で人け無し、空気は乾燥の絶好条件。この地でなくともオーストラリアに行って星空観察する日本人は多いとのこと。
    「ウルル」(エアーズロック)高さは348mの砂岩の一枚岩山(写真は旅行案内の「トラベルドンキー」のサイトより引用)
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    ◎光害対策は日本でも世界でも
    光害対策が必要として「光害防止条例」が日本でもいくつかの自治体でつくられ、環境省も国レベルの条例制定を勘案中。世界各国でもすでに制定例は多い。

    また民間でもNPO法人「国際ダークスカイ協会(IDA)」(本部=米国アリゾナ州ツーソン)が1988年に設立され、多様な分野の専門家によって、観測研究、技術研究、啓発活動、などを行い、独自基準の国際的認定制度「ダークスカイプレイス・プログラム」(星空保護区認定制度)を設けている。

    ◎SDGs時代の光害対策行動の一例:美星町とパナソニック社
    岡山県井原市美星町(同町は1989年に日本最初の「光害防止条例」を制定)の協力があってパナソニック社が開発した「光害対策型防犯灯」と「同 道路灯」が2020年にIDCから日本メーカー初の「星空に優しい照明」の認定を受けた。

    この照明灯は、星空を見えにくくすることになる上方への光漏れが無いこと、青色光の少ない白熱灯色(色温度3000ケルビン以下)であることなどの基準をクリアしたものという。

    ◎光害防止の要は"上方(空)への光漏れが無いこと"
    IDCの指標にもあるようだが、空に向かって漏れる光は光害になるのは勿論、無駄でもあるわけで、地上、海上での各種照明が宇宙まで届くというのはとんでもない話。先述の千葉のトマト栽培の照明が空を照らすほどであれば、その漏れた光エネルギーをトマトに集中させれば"すべて良し"となるはず。

    ◎月光の存在と効果は?
    月の明かりについての話は長くなるので別の機会にまわしますが・・あえてちょっとだけここで触れる理由は・・前述の”街路灯のIDC認定基準の中にある"青色光の少ない白熱灯色であること”という部分に私は疑問があるからで、なぜなら、本来夜間の光と言えば月の青白い色であり、それが自然。さらに白熱灯色の光よりも青色光のほうが波長が短いので”遠くまで届かない”、つまり光害になりにくいはずだから。

    ◎良寛さんは月明かりをありがたく利用した?!
    ※月の話と、まだ栗が出回っている時期にちなんで・・
    江戸時代末期の越後の国の曹洞宗の僧で、生涯清貧を通し、粗末な庵に住みながら近所の子どもたちともよく遊んだとされるが、和歌や書に秀でていたので、同人も訪ね来ることがあっただろう。
    そこで詠まれた有名な歌が・・

    「月よみの光を待ちて帰りませ 山路(やまじ)は栗の毬(いが)の多きに」 (月よみ=月)

    一人寂しい庵への来訪者と話は尽きず、夜になってもまだ居て欲しいので、月の光と栗の毬にかけて・・「山道は栗の毬が多い時期ですから、月が出て明るくなるまで待ってお帰りなさい」

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    (↑写真は「JAグループ」のHPより引用)
    ・・・・・・・・・・・・

    この文章作成中に、自民党の甘利幹事長が衆院選の小選挙区で落選、比例で復活となったものの、役職辞任したニュースが出てしまいました。これには以前からくすぶっている問題に加えて、以下の内容もちょっとだけ影響しているかも知れません。

    ◎「セコ」なのか「エコ」なのか?
    先日、情報誌「フライデー」(2021.11.5号)の発刊広告見出しの中に次のような一文があった。

    『就任祝いに贈られた花を別の大臣や政務官へ・・ 甘利明幹事長「祝いの胡蝶蘭」使い回し疑惑』

    胡蝶蘭(生産者ネット直販「ふじみのラン園」のHPより)

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    私はそのフライデー誌の記事を読んでいないので詳細な内容、事の真偽はわかりませんが、事実だったとしても、使い回し品を受けた方には実害はないでしょう。

    しかも、(甘利氏側が)戴いた胡蝶蘭(例外なく鉢植え?)への水やりなど手入れが十分にできないですぐに枯らしてしまうくらいなら、他の人、事務所など生かしてくれそうなところへ送る(贈る)ほうが良いし、そうすることで一種のエコとなるとも言えるので・・「これはセコなのかエコなのか?」などという文言もネット上に飛び出した。

    ・・ということでこの話、 “あまり(甘利)酷い話”とまでは言えないのでしょう。

    しかし今回のフライデー情報に関連して思い出すのは・・昔、私が聞いてその酷さに驚いた実話ともう一つの同様な事件であり、これらは実害が出た可能性があるもので、まず・・

    ◎大企業の副社長宅での”飲み物使い回し行為”
    今から約60年前、私の友人のお姉さんが、東京でも”お嬢様学校”と言われる「跡見学園」の高等学校(私の記憶があいまいで中学校だったかも)の生徒だった時の話。

    当時の学校の教育カリキュラムの一つとしての”家事見習い実習”があったようで、彼女が送り込まれたのは”重電も家電も製造する(誰もが知る)大企業の副社長宅”だった。

    そこで家事の手伝いをする中で驚いたのは・・頻繁に来訪してくるお客さんに対して出す飲み物が、夏には「カルピス」が多かったのだが、そこで彼女が指示されたのは・・

    「お客さんが飲み残したカルピスは、次のお客さん用にそのまま少し注ぎ足して出すように」・・という信じがたいものだったそうです。

    左は昭和30年頃のカルピス

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    そして・・
    ◎「船場吉兆・料理使い回し事件」
    2007年、大阪市中央区北久宝寺町に在った料亭「船場吉兆」で、まず”賞味期限切れ食材の販売” “食材の産地偽装”が発覚して、客足が遠のいて営業不振の結果、2008年1月に民事再生法適用によって再出発していたところ、5月に”客の食べ残し料理の使い回し”も発覚して同月末、遂に廃業に追い込まれた。この店は有名な高級料亭「吉兆」から”のれん分け”された存在だったため、特に注目されたものだった。

    ◎「見ぬこと清し」では済まされない!
    昔から「見ぬこと清し」(または「見ぬもの清し」)という言葉があり、その意味は・・

    “料理やお菓子などは、そのもとの材料が”見にくい(醜い)"ものだったり、調理場・製造現場が汚かったりした場合、それを実際に見てしまうと気になって食欲が無くなるものだが、それを見ることがなかったら、出されたものを何の疑いもなく清く美しくおいしい食べ物として口にしてしまうものである。”というもので、

    この言葉が存在するということは、これに当てはまるケースが世の中にいかに多いかを表すものでしょう。

    「胡蝶蘭の使い回し」と違って「大企業副社長宅」と「船場吉兆」双方とも、食べ物・飲み物の使い回しであり、その行為による飲食物には、”先客の会話中に飛んだつば”や目に見えぬほどの埃が入り、その上に材料の酸化・乾燥も進んでいるなどの可能性が十分にあり、万が一、先客が持っていたかも知れない何らかの病原菌が入ったりすることもあり得る。ゆえに摂食者が体調不良や何らかの病気を発症するなどの実害が発生する恐れも無いとは言えず、

    この”飲食物使い回し行為”は絶対に許されるものではないことは言うまでもない。
     
    しかも、このお宅・この店を訪れたお客さんは"普通よりは上質の飲食物が出てくるもの”という認識をもっているものなのに、それを裏切る酷さで、二重の罪をおかしている。

    ここでとり上げた二件の罪ある行為は、まさにこの「見ぬこと清し」を意識して実行したことになる。

    ところで・・
    ◎なぜ副社長宅でカルピスなのか?
    カルピスは1919=大正8年、日本最初の乳酸飲料として、三島海雲(1878=明治11年~1974=昭和49年)氏が製造・販売開始。
    三島海雲(Wikipediaより)
    KaiunMishima
    カルピス開発の元となったのはモンゴルの"酸乳"という飲み物であり、これが三島氏の体調回復に効果があった実体験から、これを研究改良して完成したもので、健康のために安心して飲める飲料とうたって大ヒットしたので「国民的飲料」とまで言われるようになった。

    三島氏は大阪のあるお寺の住職のもとに生まれ、13才で得度し、仏教系学校(後の龍谷大学)に学んだことによる仏教哲学が根底にあるから、私利私欲を求めず、言行は”国のため、民のため”に向けられ、例えば、関東大震災被災で飲み水が得られない地域民には、カルピス希釈液を無料で供給した。その際にはカルピスに加え入れるための氷も買い集め、動いてくれるトラック数台をやっとの思いで手配するなどもあって多額の費用がかかって工場の金庫の中のお金すべてを使ってしまっていた。

    しかも三島氏は何事にも正直であったので、自然に一流の政財界人、文化人と交流があり、またそれらの人からの支持も得られた。その表れの一つとして・・与謝野晶子は「カルピス」という商品名を読み込んだ歌を数首詠んでいる。

    三島氏はカルピスを一流の飲料にするために、何事も日本一を目指して斬新で積極的なマーケティングを行った。

    先ずカルピスという商品名決定に際しては、三つのネーミング案の中から語感の最も良いものを、当時、日本の音楽界の重鎮である山田耕筰氏に選んでもらった。 (2020年のNHKの連続テレビ小説「エール」の中で故志村けんが山田氏を演じていた)

    宣伝ポスターは洋画家の東郷青児、漫画家の岡本一平(岡本太郎の父)ら一流人に依頼。

    第一次大戦後の特にドイツを中心とした欧州の芸術家たちの経済的救済目的で、ポスター図案を懸賞金付きで国際公募した。その時の第3位を獲得したのがオットー・デュンケルス・ビューラー作の”カルピスを飲む黒人”の図案であり、これがマークとして以後70年近く使われた。※
    そして日本最初のアンテナショップの性格をもった喫茶店「カピー」を1933(昭和8)年に新宿、翌年に井の頭公園内に開店して、新規開発した飲料をここでテスト販売もして民の趣向も探っていた。

    このようにカルピスは国民的人気の飲料でありながら、一流感も伴うという性格をもっていたことに加えて、常温でも保存がきくという利点もあったために贈答用に多く使われた。・・そこで前出の大企業の副社長宅には大量の贈答品のカルピスもあったであろうことは想像に難くない。

    ※”カルピスを飲む黒人(黒い人物)”マークは黒人差別を表すものか?
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    長年親しまれてきた”帽子をかぶった黒人がカルピスを飲んでいるマーク”は、日本の某団体が「黒人差別」の図柄であると主張したので、1990(平成2)年1月をもって使用が中止されてしまった。
    しかし、このマークの図は”差別を表しているとは言えない”であろう。
    むしろ”楽しそうに、おいしそうにカルピスを飲んでいるなら、それは誰が飲んでもよいものであり、それを黒人はダメと言うなら、それこそ差別である”・・この図案の原作者は差別意識など無く、単に白いカルピスを際立たせるため、および画面上での白黒の強弱のバランスをとるために単に黒色を人物と服に配色したにすぎないものと考えられる。(実際に使用のマークは濃紺色が多かった)

    ◎カルピスの姉妹品「567」(ゴロナ)
    「567」(ゴロナ)と称する飲み物の主原料ガラナは”つる性“植物で褐色の実は直径1センチほどの球状であり、その種を利用する。これはアマゾン川の一部の流域にだけで採取される貴重なもの。
    この種には”人間の体と健康のためになる効能としては挙げればきりがないほど※”多様な成分が大量に含まれるので、むしろ多量に摂取すると副作用を起こすほどで、例えばカフェインはコーヒーの数倍含有。
    そこで、三島氏がその効用に着目して、ガラナエキスに柑橘果汁を加えた日本初のガラナ飲料を1932(昭和7)年に開発して、翌年から前述の新宿と井の頭公園内のアンテナショップで”滋養強壮”の効能をうたって、品名を「567」(ゴロナ)として供した。このネーミング「ガラナ」と語呂合わせしたことは勿論、56(語呂)あわせともなっている!

    ところが(ガラナ入りの飲み物を飲まれた経験がある方はご理解できると思いますが、ちょっとクセがあるので)人気が出なかったからであろう、本格的製造販売はされなかった。

    しかし1962(昭和37)年に復活させて再販売。その背景として、この頃にはコーラが普及していたので、たぶん、似たような風味のガラナも支持されるのではないかという読みがあったのではないだろうか?

    「567」(ヤフオクのtynnJ551さんの出品写真から引用)
    calpis567


    私は丁度この頃に、実家がお中元で戴いたカルピスとオレンジカルピスなど詰め合わせセットの中に「567」が1本入っていたので、「何、コレ?」と思いながらそれを飲んでみて、奇妙な味ながら嫌いではないなと感じた経験がありますが、それはこの一回きりでした。それもその筈で、やはり「567」は充分な支持を得られなかったのでしょう。すぐに市場から消えてしまいました。

    しかし、ガラナ自体は効能の優秀さで需要は廃れることは無く、現在は各種エナジードリンクなどに多用されている。

    ※ガラナの効能に興味ある方は→https://alloeh.jp/articles/459 

    ◎”飛話”:「船場吉兆」釈明会見にちなみ、話は飛んで・・
    「船場吉兆」の不祥事が最初に発覚した2か月も後になってやっと、女将とその長男が出席して釈明会見が行われたが、その際に”言葉がつまってばかりいる長男”に対して女将が横から”言葉の指示”を小声で出していたのだが、それをすっかりマイクが拾っていたから大変 !これがテレビで全国に流れてしまった。

    それ以後、この女将は「ささやき女将」と呼ばれるようになった。会見後に息子は女将に向かって「あんなこと(横から)言わんでもよかったのに」・・と言ったそうで・・

    それはまさに「ささやかないで」・・「Whisper not」(ウィスパーノット)であり、これから連想されるのはモダンジャズの名曲「Whisper Not」(ベニー・ゴルソン作曲、後に別人が歌詞を加えた)
    https://www.youtube.com/watch?v=fEG09imI4-I
      (作曲者本人のサックス他ミルト・ジャクソン、アート・ファーマーらとの共演版)
    そのヴォーカル版をエラ・フィッツジェラルドが歌うと・・
    https://www.youtube.com/watch?v=Mn2QWcP1pWU

    ついでに同様な”~not”のカタチの「forget me not」(フォゲットミーノット=忘れな草)も忘れられない? !
    日本の歌にも「勿忘草(わすれなぐさ)」や「忘れな草をあなたに」などがありますが・・
    ドイツ、イタリア、スイスが共同で1959年に製作の映画「忘れな草」の主題歌「Non Ti Scorder Di Me」名曲 !
    https://www.youtube.com/watch?v=-lJ0oG03eOQ  (パヴァロッティ版)
    ・・・・・・・・・・・・

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