徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2021年07月

    東京オリンピック・パラリンピック2020の国立競技場では設計段階から聖火台設置は考慮されず、開会式には、野村萬斎氏提示のコンセプトである”太陽”に基づいて、海外でも有名な佐藤オオキ氏がデザインした聖火を富士山をイメージした台の頂上に置いて、あたかも”ダイヤモンド富士”のようなものになった。そして大坂なおみが点火したその聖火も式典終了と共に消え、受け継がれた種火は、東京都江東区の「夢の大橋」(有明エリアとお台場エリアをつなぐ歩行者専用橋)のたもとに設けられた小型聖火台に移されて点火された。

    国立競技場での聖火(写真はロイター/アフロより引用)
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    「夢の大橋」たもとの第2聖火
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    ◎違和感のある炎
    この二カ所での聖火の”炎”のカタチ(出方)は、過去に世界の各都市(前回の東京を含む)で行われた大会での聖火とは違うことに気づかれた方も多いのではないだろうか。

    今回は”炎がボーっと勢いよく天に向かって細めに伸びて燃える”「硬い炎」状態であり、従来の聖火の”メラメラと燃え、時には横にもなびくような「柔らかい炎」”ではない。"メラメラ(あるいはユラユラ)の炎”は人類が何万年も見つめてきたものであり、しかも炎には”1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ”があるので癒し効果があるとされる。

    “1/fゆらぎ”とは、音や光、振動などに含まれる特定のリズムで、”川のせせらぎ””ロウソクの炎”などにも在るとされ、それは人間が本来持っているリズムと共鳴するので、我々は本能的に快感、快適を感じられるものだそうだ。それに対して今大会の聖火の炎には”見ていて、気持ち良さが無い”。それで思い出したが、中南米発祥の音楽レゲエは人間が普通に歩くテンポに同調しているから気持ち良いという話を聞いたことがある。

    暖炉の薪が燃える映像が2時間流れる動画配信サービスより(youtubeから引用)
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    キャンプファイヤーの火
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    速水御舟 作「炎舞」
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    ◎東京2020の聖火は水素ガスの火
    世は「SDGs」大切の流れ。それで聖火も”燃焼してCO2を出さない水素”が使われている。ただし、水素の炎は無色透明なので、炭酸ナトリウムを添加してその炎色反応でオレンジ色にしているそうだ。これには石油会社のエネオス(株)が液体水素提供していると宣伝している。なるほどしかし水素を使えばその燃焼は急激と言うか爆発的であるから、炎はゆっくりメラメラとはいかないのは容易に想像できるというもの。それで、水素の燃焼を緩やかにする努力はされたのではないかとは思えるが、結果は、気持ちよく感じない炎。

    ◎”以前の良さを捨てない”のが"求められる進歩"
    今回のように、”持続可能な環境のために水素燃焼しているものの,気持ちよくない炎”というのは、”CDの音とアナログレコードの音””半導体(トランジスタやIC)アンプの音と真空管アンプの音””窓の開かない新幹線などと窓開く昔の車両””オートマ車と比べるとアクセルとブレーキ踏み間違えによる事故が起こりにくいマニュアル車”などに現れているような”新しく便利になったが以前の良い部分が消えている”ケースに似ている。特に今大会の聖火の例の解決には「感性工学」すなわち”人間の感性という主観的で論理的に説明しにくい反応を科学的手法で分析して活用する技術”を応用する必要があるのかも知れません。
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    私が炎についてウルサイのは、子供の頃は"薪を燃やしてお湯をわかす風呂"だったため、薪をくべて燃やす当番も多く、燃える炎をさんざん見つめていたことが影響しているのでしょう。ちなみに薪割りも同様に多くやり、しかも風呂は井戸水使用だったので手押しポンプ操作運動も頻繁に行いました。
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    余禄:以下の2点は私の手許に在るモノで、上は1964(昭和39)年の東京開催の「第18回オリンピック競技大会入場記念」券?(国立競技場・陸上競技)。これは当時小学生だった妹が学校団体で行った時のモノ。下は記念切手小型シート(切手額総計135円だが2021年現在の市場価格900円:「さくら・日本切手カタログ」掲示額)。
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    今回も”挿絵、口絵など、純粋絵画ではないが大切な絵”シリーズ続きの第3弾で、子供も大人も”ワクワクさせるような絵”とそれを描く”絵師”たちをとりあげます。(文中、敬称略)

    絵師たちの絵というものは、それを見る立場の人に向けて、”あるモノやシーン”、 例えば、まだ存在しないモノの姿、未来世界のシーン、物語や小説での場面、などを可視化(ビジュアライズ)、今どきの言葉で言えば”見える化”するためという役目を負って描かれる。

    今回に登場の絵は、すべてひと昔前のものなので、CGではなく絵師という人間の手描きですが、優れた知見による想像力や再現能力が発揮されていて、それは単に現在の効率的描画のツールであるCGを使っただけでは成しえないものであり、結局は絵師の一種の人間力が魅力を感じさせるのでしょう。

    《未来を「見える化」した絵師たち》

    ◎シド・ミード (1933~2019)
    米国の工業デザイナー、イラストレーター、コンセプトアーチスト。フォード社のデザイナーを経て独立し、ソニー、フィリップス、ホンダの製品デザインも手掛けたが、映画関係の仕事も多く、例えば「ブレードランナー」の背景から乗り物、小物まで、「トロン」のバイク、「∀(ターンエー)ガンダム」のメカニック外観などのデザインを担当した。

    以下画像11枚は(※印の8枚目を除き)画集書籍「SYD MEAD TECHNO-FANTASY BOOK」(講談社 発行)より
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    「∀(ターンエー)ガンダム」向け
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    「∀(ターンエー)ガンダム」向けの初期提案図(※シドミード展より)
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    映画「ブレードランナー」向け
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    私が初めてシド・ミードの絵を見たのは半世紀以上前になる1966年。友人が米国のUSスチール社から取り寄せた同社の企業広告パンフレットに、シド・ミードが描く"鋼板の利用で開く未来"を想像した絵が数枚使われていた。それは夢が現実のように感じられるリアルさで衝撃的だった。

    ◎小松崎茂(こまつざきしげる:1915=大正4年~2001=平成13年)
    戦前から活躍したが、戦後間もなくは西部劇調やSF冒険活劇などの絵物語を描いて、後にはいわゆる「空想科学」的な絵を得意として、雑誌の口絵や折り込みページ絵なども多く描いた。その他、プラモデルの箱の天面にリアルな絵を描く「箱絵(ボックスアート)」の分野でも活躍した絵師。

    (画像は「yuzuru themolice」さんのブログから引用)
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    「サンダーバード」関連のマシンや飛行体のプラモデル箱絵も多く描いた
       (Daily News AgencyのHPより引用)
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    旧日本海軍の戦闘機「震電」(試験飛行12日後に終戦)のプラモデル箱絵
      (画像は「Antique Toy Shop SHOOTING STAR」のHPより)
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    ジグソーパズル用の絵「戦艦大和」(「Aucfree」のサイトより引用)
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    サインが目立った
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    ◎ラルフ・マクォーリー※(1929~2012)
    ボーイング社でテクニカルイラストレーション(工業製品などの構造と部品配置などをわかりやすくした絵)の仕事をした後に独立して、「コンセプトアート」という”ある概念を可視化した絵”の分野で活躍。
    テクニカルイラストレーション例:ゼネラルダイナミクス社のF16戦闘機(米国、クラウンパブリッシャー社発行「Combat Aircraft」より)
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    映画「スターウォーズ」ではその制作企画段階から参加して、ジョ-ジルーカス監督が考えた構想概念と登場者イメージなどをマクォーリーが可視化(見える化)してイラストを描くという重要な仕事をした。

    以下画像5枚は、書籍「スターウォーズオリジナルイラスト集」((株)バンダイ出版事業部 発行)より
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    オリジナル画のR2-D2とC-3POは映画では少し変えられた
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    ※ブログ「アディクト・レポート」さん曰く「従来、日本では「マッカリー」と表記されることが通例だが、ご本人に直接会って確認したところ、本当の読み方は(日本語のカタカナで表記するのも難しいのだが、最も近いのは)「マクワウリ」だそうで、このままでは野菜の「まくわ瓜」とダブって違和感あるので「マクォーリー」とするのが妥当であろう」・・とのこと。

    《過去や現在のシーンを緻密に「見える化」した絵師たち》
    (以下、樺島、鈴木、伊藤の作品画像は「大正・昭和少年少女雑誌の名場面画集」(学習研究社刊)より)
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    ◎樺島勝一(かばしまかついち:1988=明治21~1965=昭和40年)
     独学ながら抜群の緻密さのペン画で、「船の樺島」と言われるほど軍艦や帆船を描くことが多かったが、時代的には軍事冒険小説の挿絵も手掛けた。
    小さな画像ではわかり難いが、ペン画(上)
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    ◎鈴木御水(すずきぎょすい:1898=明治31年~1982=昭和57年)
     雑誌「キング」や「少年倶楽部」の口絵や挿絵を多く手掛けた。特に飛行機の絵を得意とした。
    「上海の空中戦」(絵葉書資料館のHPより)
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    「飛行艇」(郷愁倶楽部のHPより)
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    ◎山口将吉郎(やまぐちしょうきちろう:1896=明治29年~1972=昭和47年)
      東京美術学校(現、東京藝術大学)卒業後、雑誌「幼年の友」の挿絵画家として登場。正確なデッサン力で”時代モノ”特に若武者の絵を得意とした。時代考証に忠実たらんとするために等身大の鎧を作り、弓道を習得するなどした。
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    ◎伊藤彦造(いとうひこぞう:1904=明治37年~2004=平成16年:享年満100才)
    朝日新聞の一社員時に同社専属挿絵画家の指導受け、その後に日本画家の橋本関雪に学んだ。剣術家の息子であり師範免許を持っていたため、描く剣戟世界は真に迫っていた。通常の彩色画も描いたが、緻密なペン画も得意とした。
    「扇の的」
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    ペン画「阿修羅天狗」
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    ”挿絵、口絵など、純粋絵画ではないが大切な絵”シリーズ続きの第4弾は少し間をおいて綴ります
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