徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2021年01月

    2021年1月20日、冬真っただ中のこの日、コロナ禍と国民分断によって物理的にも心理的にも余計に寒い状態でジョー・バイデン氏が米国史上最高齢で第46代の大統領に就任した。
    Joe_Biden

    私は「ばいでん」という言葉を耳にすると”太陽光発電者が余剰電力を電力会社に売る(=買い取ってもらう)こと”を表す「売電」と聞こえてしまう
    solar-house
    パナソニック社HPより

    家庭の事情によって残念ながら我が家には太陽光発電設備が無いものの、私は太陽光発電そのものには関心が高く、そのきっかけは・・

    ◎1960(昭和35)年に買った太陽電池
    当時の電気雑誌「電波技術」(だったか?)に “太陽電池 出力3ボルト 定価850円” という広告が出ていたので、なにやら未来の可能性のような期待感が湧いて、これを2個購入した。これらは今でも私の手許に在る。
    私が保持している60年前の太陽電池(表面の格子状の凸部は断面がカマボコ型で凸レンズ状なのは太陽光の効率的取り込みを狙ったものと思われる)
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    寸法は81X61X6ミリ。37X17ミリのセル(基本発電板) を6枚直列につないだ状態(つまりセル1枚は0.5ボルト発電)のものを樹脂(プラスチック)に封入して作られている。
    実際に入手した物を直射日光に当てて出力電圧を測ってみたら一つは2.6ボルト、もう一つは2.4ボルトしか出なかった。

    電気技術者だった叔父から、「その太陽電池の材料は”セレン”」と聞かされて、モノをよく見ると表面中央に”SEKONIC”(セコニック)とある。当時セコニック社(現在、本社:東京)は、カメラ撮影時に明るさを測る”照度計”では名の知れたメーカーであり、私も知っていた会社。その照度計にはセレンが使われていたことを後年に知って、同社が太陽電池と称するものを作ることができた背景を知った次第。

    ちなみに1960年代初めからカメラメーカー各社で始まった”露出連動自動シャッターカメラ”にはセレンを使った“セレン光電池”と称するものが使われた。(光電池イコール太陽電池のこと)
    「オリンパスペンEES」(レンズ周りにドーナツ状にセレン光電池が配された:キャノネットなども同様)
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    カメラにセレン光電池が使用されたのには訳があり、セレンがもつ”光に対する感受特性”が銀塩フィルムの”それ”と類似していることが最大の理由であり、加えてコストも安いからであった。

    また、セレンの板は電流を一方向にだけ流す性質を持つので、これを重ね合わせて”セレン整流器”として交流を直流に変換するためにも使われていて、昔はこれも私は使ったことがありますが、現在においては整流はダイオード(半導体)にとって代わられている。

    太陽電池の性能を表す”変換効率”という数字があるが、現在の家庭用太陽光発電パネルは約20%前後だが、セレン太陽電池は約1%とされて非常に小さいもののカメラ用には十分だったのであろう。

    さて、私の太陽電池は、その後いろいろなものに応用したが、最も実用的だったのは”トランジスタ2石(2個)を使った自作ラジオでなんとかスピーカーを鳴らせた。

    ◎太陽光発電して"売電"する時代は終わる方向か?
    10余年前から始まった「FIT(固定価格買取制度)」では一般家庭や企業などの太陽光発電者が発電した電力から余剰分を電力会社が10年間は固定価格(1kwhあたり45~48円)で買取ってきたが、この制度適用期間の10年が経過した売電者に対しては1kwhあたり8円前後(電力会社によって若干の差)に大幅ダウンする。

    こうなると太陽光発電者は売電価格より普通に消費(買う)する電気代のほうが高くなるから旨味はなくなる。そこで今まで売電にまわしていた電力を蓄電池に溜めて使うと同時に深夜電力契約をして深夜に安い電気を蓄電池にため込んだものも使うという対処法などがあり、売電者は減ると言われている。

    ただし蓄電池自体は現在のところ高額(100~220万円)なのでモトをとることには難があるが、近年の災害時の長時間停電の例があり、その際の活用というコストとは別の観点からの蓄電池導入は増えているそうだ。

    ◎雪の利用で太陽光発電量は倍増で”倍電”?!
    勿論、太陽光発電パネル(ソーラーパネル)の上に雪が積もっていては発電しないのですが、降雪後の空が明るい場合に(パネル上に雪が無ければ)周囲からの”雪による反射光”がプラスされて高い発電量が得られることが分かっている。ある理想的な条件での実験では”太陽光そのもの”だけによる発電量と、これに“雪面に当たって反射した太陽光”を加えた発電量を比較すると後者は前者の2.27倍(単結晶シリコン型パネルの場合)という驚異的な結果が出ている。

    この効果を積極的に得るために開発されたのが”両面発電型ソーラーパネル”で、通常のパネルの裏面にも発電機能を持たせたもので、これを適切な位置に設置すれば大きな発電量となる。すでに北海道や青森県などで採用・設置が進んで稼働している。

    両面発電型ソーラーパネル設置例(冬季の太陽の低さとそれによる雪面からの反射に対応するために、一般的なパネルの設置角度より大きく起き上がらせている。これはパネル上に雪が積もりにくいことにもなっている) (画像はTrina Solarより引用)
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    両面発電型ソーラーパネル設置裏面
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    (画像は日刊工業新聞より引用)

    最近、住宅メーカーの中には、"少ない設置面積でも発電量が確保できる"として、一般住宅も"白い外観"(ホワイトセメントのモルタル仕上げや白色塗装など)仕様にして両面発電型ソーラーパネル設置向けに太陽光反射を意識した設計の建物を提供するところも出てきた。

    ◎ソーラーパネル余録
    ・太陽電池(ソーラーバッテリー)の種類は多数あり、目的・用途に合わせて選択・採用される。文章量の関係で、ここではその紹介ができませんが、参考サイトURLを記します
    https://blog.eco-megane.jp/

    ・現在、家屋の屋根などに載せて使われ普及しているソーラーパネルの発電用基本素材は「シリコン」ですが、同じシリコンでも種類があって、”多結晶シリコン型”が最も使われてパネル普及の9割を占め、その他は”単結晶シリコン型”がほぼ占めるが、一部に”単結晶シリコン型”と”非結晶シリコン型(アモルファス型)”を組み合わせたタイプがあり、これは略称“HIT型”と言う。

    ・注意を要するのは、メーカー自身は発表しない数値で、例えば各社の各製品の変換効率も、実際稼働1年後にはおしなべて下がるもので、その傾向の数値も、できれば事前に把握できたら良いと言える。

    また、素材の種類によっては夏季の炎天下などでパネル自体が高温になると発電効率が下がるタイプと殆ど下がらないタイプがあることも注意。その点では“HIT型”は高温に強いことが”日本各地別の年間太陽光発電量”データで実証されていて、北海道など北部地域では他のタイプ製品に若干負けていても、南部の例えば沖縄では明らかに優位だ。(沖縄は海に囲まれているので最高気温比較などでは他の南部地域よりおだやかなのにもかかわらずこの結果である)

    ・先記の”アモルファス型”太陽電池は変換効率は約9%と高くはないが、製造コストは格安で、シリコン結晶型より太陽光の吸収率が高いので厚みが1ミクロン以下でも発電する。ガラスに付着もできるなどの特長があるので、ソーラー電卓など応用商品は多い。

    ・東京・湯島にある日本サッカー協会(JFA)本部ビルの最上部の大きな円形筒のような部分全体のガラスには”アモルファス型”太陽電池を網目状に付着させたものが使われ、内部からは外の景色がシースルー出来るようになっている。実はこのビル、元は三洋電機のビルで、同社は日本における”アモルファス型”太陽電池の開発のパイオニアであったので自社ビルにも応用したのであった。
    日本サッカー協会ビル(中央奥、JR御茶ノ水駅側より撮影)
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    ・太陽電池の種類には他にも、普及始めたばかりのものや実用化途中レベルのものなど多数あるが、その中で注目されている一つが"ペロブスカイト太陽電池"であり、樹脂板などに塗料のように薄く塗るだけで太陽電池になり曲面タイプも自由にできるというもの。もう一つが"CISまたはCIGS太陽電池”またの名を”化合物系太陽電池”と呼ばれるもので、数々の特長(ここでは割愛)があり、CI(G)Sはその構成物の頭文字を表す中で”S”はセレンであり、再びセレンの復活登場に、私は個人的に懐かしく感じている。
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    昨年末(2020年12月29日)に世界的な服飾デザイナーのピエール・カルダン(文中敬称略)が98才で亡くなった。(以下の画像7枚はNHK-BS1テレビより引用)
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    ピエール・カルダン(↑晩年)(↓38才頃)
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    ↓カルダン作品
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    カルダンは高い創造力をベースにして、まず服飾デザインでは、斬新さに加えて従来に無い”素材”例えばビニールなどを採用したり、オートクチュール(高級注文服)に加えてプレタポルテ(高級既製服)にも進出したりした。

    またヨーロッパの服飾デザイナーが東洋人のモデルを採用する初動の一端を担い、1959年にルイ・フェローが日本人のモデル松田和子を起用したのに次いで、カルダンも翌1960年に松本弘子を起用した。(イブ・サンローランも同年に松田和子を起用) カルダンはその後も初のアフリカ系モデルも採用。こうして氏は「ファッションの革命児」と称された。

    さらに氏のセンスを服飾の世界以外の広い分野に活かしてデザインした。例えば食器、調理器具、家具、タオル、タオルケット、足拭きマット、壁紙、車椅子のシート、自動車の外装、などに及んだ。

    それらは800件に及ぶライセンスで生産販売された。

    さて、その”ピエールカルダン・デザイン”の製品の中で、私が忘れられない電気製品がある。それが・・

    ◎ポケッタブルラジオ(三菱電機製:7X-800)
    1963(昭和38)年に発売されたトランジスタ7石のAM(中波)ラジオで、寸法は86X86X35ミリ、重さ約200グラム。単3電池2本使用。
    本体色は、レッド、オレンジ、ブルー、ライトグリーン、ライトブラウン。

    最大の特長は全体が丸みを帯び、角もアールがついて、手に持ってはよく馴染み、服のポケットに入れても布地を傷めない形状デザインであり、この時代の同様の大きさのラジオが全て”四角い角張った箱”という形状であった中で、ズバ抜けて斬新で素晴らしいモノであった。

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    上記5枚の画像はヤフオク出品物写真より引用

    ↓形状がより理解できる動画

    デザインの専門家によれば、このラジオの形状には”アールどうしのつなぎ方”に難ありの部分があることと、”ボリュームやチューニングのツマミ周り”の処理に改善の余地があるそうだが、とにかく大きな視点で見れば、やはり優れモノ。

    このラジオの出現に関連して思い出されるのが、1957(昭和32)年から以後数年間にわたって当時の日本専売公社(現、JT)が展開したCMで「たばこは動くアクセサリー」というコピーを使い、当時の有名女優の司葉子、池内淳子、久我美子、香川京子、団令子、白川由美らをそれぞれ登場させた多数のポスターとテレビコマーシャル。
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    画像は「十和堂」のHPより引用

    カルダンデザインは、言わば"ラジオを「音の出るアクセサリー」にした"とも言えよう。

    カルダンの他にも"服飾デザイナーで家電デザインに関わった"2例を以下に綴ります。

    ◎アンドレ・クレージュがデザインした家電品
    カルダンと同じくフランスで活躍した服飾デザイナーのアンドレ・クレージュ(1923~2016)も服飾以外の分野にもデザインを提供した。クルマのホイールのパターンやバイクの外装などもあるが、日立家電販売(現 日立グローバルライフソリューションズ(株))が同社の複数の家電製品にクレージュデザインを採用したことがある。

    ↓日立ヘアドライヤー(HD-1234AC)
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    ↓日立ポータブルカセットプレーヤー(CP-S3C)
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    ↓アンドレ・クレージュのロゴ(最下部が最新変更版)
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    ◎森英恵デザイン採用の家電品
    ファションデザイナーの森英恵も服飾以外にも食器、タオル製品、寝具などに関与していて、家電製品には・・
    松下電器(現、パナソニック)が1977(昭和52)年に森英恵の代表的モチーフである”蝶”をあしらった洗濯機を製造販売したことがある。本体色は白、赤、青。

    当時、日本の多くの家電メーカーは、カラフルな本体色や”蝶よ花よ?”と模様を入れた製品が流行していたもの。
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    写真は「リサイクルショップ『やしの実』」のHPより引用

    荒川金属工業(株)は、電気式スロークッカーの「マルビシ スローポットミニ ハナエモリ」(EP-550)を製造販売。これも本体表面に森英恵の”蝶”とロゴを配したデザイン。
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    余録 : カルダン、クレージュが家電製品以外に関与した例

    カルダン・・車椅子「iR-PC」のシート類(日進医療器(株))↓
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    カルダンがいかに大量のライセンスを与えたかを表すように、我家にも存在するカルダンもの2点(すべて自家購入ではなく貰い物)

    1)カルダンクッキングパン (カルダンらしい丸型取っ手)↓
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    2)カルダン マット↓
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    クレージュ・・「クレージュ タクト」 HONDAから1985年に発売されたバイク
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    飛話・・カルダンデザインのポケッタブルラジオが発売された
    1963(昭和38)年と言えば、発売元である三菱電機のデザイン部署には、あの女優「鶴田真由」の父上である「鶴田剛司(たけし)」氏(東京藝術大学卒)が勤務していて、その前年の(毎日新聞社主催)「1962年度毎日工業デザイン賞」には氏を中心とする6名から成るチームが応募した「三菱超小型テレビジョン受像機」のデザインが特選1席を獲得している。

    その後1964(昭和39)年には米国イリノイ工科大学に留学し、帰国後に結婚して1970(昭和45)年に"真由"が誕生。氏はその後三菱電機のデザイン部門のトップの地位に昇りつめられた。

    私は氏がトップにおられた時期の1992(平成4)年3月に東京の湯島で一度お会いして会話をしたことがありますが、氏は"全く偉ぶるようなことをされない方で実に紳士的に"対応してくださったことが強く印象に残っています。端正なお顔でダンディ、まさに「この親にして、この子"真由"あり!」・・確かに納得します。
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    「鶴田真由」写真はhttps://anoima.infoより引用
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    年の初めに、少し明るい話を!ということで・・
    最近、コロナ禍で増えた在宅時間を使って断捨離を進める人が増えたこともあってか、不用品や処分品の買い取り店のチラシ広告が頻繁に出ていますが、その中でも特に「金価格高騰の今、金製品を高く買い取ります」という案内が極端に多いという状態になっています。
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    ◎豪華な金製品は無くとも金ペン先があるのでは!?
    金(ゴールド)の価格が昔に比べて大きく値上がりしているそうなので、不要な金製品があれば、売ってしまおうとも思うものの、そもそも文字通りの”金欠病”の我が家に金製品などあるはずがないと諦めていたのですが・・

    よくよく探したらありました。それが今では使わなくなった万年筆のペン先です。自分で購入したものに加えて父親から譲られたものなど決して高級品ではないものばかり合わせて6本の内、4本のペン先が金で、シェーファー社製がK18(18きん)、他のパーカー社製、パイロット萬年筆社(現、パイロットコーポレーション社)製(下画像参照下さい)などにはK14(14きん)が使われています。

    我が家に在ったパイロット キャップレス ノック式 1964年製:ペン先K14
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    全てペン先だけを取り外して重さを測ってみて※、予想買い取り価格を(ネット上の資料を参考に)一応算出した上で、最寄りの“買い取り専門店「おたからや」”にこの4個の金ペン先を持ち込んでみたら、予想より低いものの6800円で買い取ってくれました。(実は2020年5月のことであり、もう3か月遅い時点なら1000円くらい上乗せされていたはず!)

    「おたからや」(本店=神奈川県横浜市)は、今や日本全国、北海道から沖縄県まで900店舗以上展開しています。また、全国に230店舗を構える「大黒屋」は買い取りも行うなど、その他にも“買い取り業者や店”は多数ありますから、皆さまお住いの近所にも在るのでは?

    我が家のキッチンスケールでは5グラム単位以下は測れないので、自作の簡易天秤で1グラム単位のおおまかな測り方で判断しました。この天秤の重りとして、丁度1円玉が1グラムなのでこれを使いました。(高価なキッチンスケールには0.1グラム単位で計測可能なものがあります)

    ◎驚き!金の価格は20年前の8.5倍!
    1998年には金1グラム865円の時があり、22年後の2020年8月には同7700円弱。つまり、この20年あまりで8.5倍に跳ね上がっています。それゆえに昔は金よりプラチナが高かったのが、今は逆転と言うか、金はプラチナのほぼ2倍の価格!。

    ◎金価格の見かたの注意点
    ①:経済市場で “金”と言えば普通は純金=K24のこと。
    ②:金価格、金相場と言う場合、“K24の金1グラムの価格”のことになる(貴金属は税込表示が普通)
    ③:金の価格にも“売り値”と“買い値”がある。通常は“金の価格”“金相場”と言えば、“売り値”のこと。当然、“買い値”の方が低い

    K24とそれより金の含有量が低いK18やK14の価格は当然それぞれの金の含有比率にほぼ比例する。
    ・金含有比率・・K24=99.99%以上
            K18=75%
            K14=58.5%

    ・金の買い取り価格の実例(2021年1月4日時点の価格:「買取本舗 七福神」の発表値)
            K24=6299円
            K18=4776円
            K14=3538円
        ちなみに純プラチナ=3181円
            純銀=たったの65円


    ・売値=販売価格は買値の約3~5%増しが多い(金貨などは20%増しくらい)

    ④:金価格も変動幅があるので実際に金製品を手放すタイミングには注意。
    実のところ、この1年の間でみても価格は波打ちながら高値と低値の差は1000円くらいあるので大きな流れとともに、1日毎に数円~数十円くらいの上下は頻繁なので、ネットで“買い取り価格”の動きを調べてみて判断下さい。業者・店によって若干の差があるので、複数カ所調べた方がよいでしょう。

    ↓2020.11.13~2021.01.04の金価格(税込)推移
      ((株)徳力本店のHPより)
    gold-price-moving
    ↓「田中貴金属工業(株)」の本日の“金”販売価格と買い取り価格

    ◎金メッキ、金張りは売れない
    金メッキ、金張りなど、金の薄い膜がかぶった製品は、まず買い取り対象にはならない。よほど大量の場合は別。金無垢との確実な違いを見るには、製品に打たれている刻印が頼り。
    GP=金メッキ/RGP=金張り(普通のメッキより膜が厚い)・・例えば“K10 RGP”は10きんの金の少し厚いメッキ膜を施したもの

    ◎金製品の手放し方の注意点!
    断捨離などで手放すモノをメルカリなどのフリマアプリで売る、ヤフオクで売るという方法がありますが、こと金製品に関しては、これらは不適切。なぜならそれらの売買手続きの最中に、前述のように1日違いで金価格が変動して、例えば100グラムの金製品なら1グラム20円の変動(この程度はザラにある)で2000円の差が生じることもあるからで、取引の中でトラブルが発生しやすいでしょう。

    お勧めは、買い取り店への持ち込み、あるいはまとまった量があるなら業者が自宅にきて買い取る“出張買取”ならその時点の金価格に基づいた買い取りをしてもらえて、しかも現金支払いされる。

     “宅配買取”という方法があり、これは品物を買い取り店・業者に送付(梱包材や送料は業者負担)して、査定してもらい、査定結果の価格に納得すれば、そのまま買い取ってもらい、納得できなければ無料で自宅に返却されるシステムであり、多くの業者らが行っているが、査定額自体を意図的に低く設定されることが多いうえに、金価格相場の低い時点の査定ということにもされかねないので、お勧めできない。私は実家の不用品(金製品ではないが)を売却するのに宅配買取システムを利用したことがあるが、極悪な低価格査定された経験が実際にあります。

    ◎上皇后美智子さまと東京・御徒町(おかちまち)のエピソード
    江戸時代には”江戸城への参集”や”将軍・主君の外出時の警護にあたる場合”に馬に乗れず徒歩(昔は「かち」と言った)で行動した下級武士たち(かちざむらい)の町だったことに由来する御徒町は明治中期から指輪関連業者が増えだし、その後は時計と宝飾関係業者が集中して、現在ではJR山手線の御徒町駅の北側に多数と南側に少しの合計約2000店の主に宝飾店がひしめき、“日本で唯一の宝飾問屋街”と称されるようになった。
    御徒町の宝飾問屋街(以下3枚)
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    ↑↓「4travel.jp」のHPより
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    「Jewelry IMON」(HPより)
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    現在の上皇后美智子さまがまだご成婚前、つまり正田美智子さんだった時期に、よく友人たちとこの御徒町に、宝飾品購入のために来られていたそうで、婚約発表直後、友人に向かって「もう、“おかち”には行けないわね」と語られたという。
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    「日テレ アーカイブス」より

    また、タレント・俳優の高田純次は、かつて御徒町の宝石会社に昭和48年から4年間勤めていたことがあり、あるテレビ番組の中でフェラーリ作曲のオペラ「マドンナの宝石」(間奏曲が有名)の曲名を、さりげなく会話の中に取り込んでいたことがあるが、さすがダイヤモンド鑑定士資格も持っている氏らしいこと。
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    (写真はsponichi annexより)

    私のかつての職場の最寄り駅はJR御徒町駅だった。この駅のホームから丁度見える高さに、ある宝飾店の電光掲示板がかかげてあり、それには“本日の金価格〇〇〇〇円”と表示されていた。2000(令和12)年頃の表示額は1200円台で、現在(2021年1月)の価格と比べて1/5以下だった。

    「御徒町」という町名は昔にはあったが、現在は消滅して、交通機関の駅名などに残されている。
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