徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2020年10月

    「香害」が、“大多数の人がよい香りと感じるものの、一部の人が不快と感じたり、体調不良を起こす”という性格なのですが、他方、ほとんど全ての人が不快と感じる臭いで起こるのは「臭害」と言えましょう。最近、神奈川県で起きている異臭騒ぎも「臭害」の例。そして今やタバコの煙に伴う臭いも「臭害」となる。しかしながら、「香」とは言えない「匂い」については、”個人差”、”その匂いに接する時間・期間”、”匂いに対する馴れ”などによって、その快・不快感は様々なので、「臭害」となるものもあれば「臭害のようなもの」もある。

    ◎「臭害」の明らかな例:富士市の製紙工場関連の臭気
    悪臭で有名な静岡県富士市。昔、まだ新幹線が無かった頃に、東海道線の(窓が開く)列車が静岡県の富士市あたりを通過する際には、独特の強い臭いが客車内にまで侵入してきたことを私ははっきり覚えています。悪臭源はパルプ、製紙の工場群の排水・排煙(ガス)ですが、この悪臭は市内外で認識されている、つまり自他ともに認めるもので、市や商工会議所は昭和40年代から本腰を入れて、指導、条例作成、改善費用の融資などを行ってきた結果、大幅改善しているものの、さらに持続可能な循環型社会への貢献も視野に入れた努力がなされている。
    富士市の悪臭防止法による臭気指数規制の説明
      (富士市環境部環境保全課 発信PDFより)
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    現在の富士市の工場群夜景
    (富士市商工会議所編纂の「公害克服史」より)
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    ◎「臭害」を改善して「消害(小害)化」の例:火葬場、ごみ処理場、(畜産業舎)
    昔、私が通った中学校(東京都豊島区)では、授業中の教室に時折ですが近くの火葬場から独特の臭いが流れて来たもので、ゴミ焼却場なども同様でしょうが、これらの施設が在る場所は“もっと昔は人家の少ない郊外だったり、人里はなれた土地だった”はずが、その後、周囲が街になってしまったのでしょう。現在は、脱臭装置や非常に高い煙突などで対処しているようです。

    ちなみに、東京都内各区のごみ処理場の煙突の最高は豊島区で210m、中央区180m、その他は150mが多く、最低の大田区47mは羽田空港の飛行機離発着のための規制によるもの。
    東京・豊島区・池袋のごみ処理場煙突210m
     (東京二十三区清掃一部事務組合のHPより)
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    しかし、異臭・悪臭への対処があまりうまくいっていない例が、鶏、牛、豚などの大型飼育施設のようで、これも風の向きによっては不快な臭いがする地域を私が知る限りでも神奈川県、千葉県などに複数個所あります。
    かつて私が住んでいた東京・豊島区の家は既に周囲を民家が取り囲んでいる状態だったのに、昭和30年代前半まで祖父が鶏を約200羽飼っていて、おまけにヤギの“つがい”も飼っていたので、異臭が発生していただろうものを、どのように対処していたのか、今考えると不思議です。(余談ですが、それで私は卵と“牛乳がわり”のヤギの乳で育ちました)

    ◎馴れによって「臭害」とは思われない例
    ある地域あるいは、その家に独特の臭いというものがあって、長年そこに住む人たちはそれを不快とも何とも思わないでいるようですが、他の地域からその地に来た人、あるいは他人の家に訪問した人には、それが異臭、悪臭と感じてしまう場合があります。

    例えば、大阪市の水道水は現在は気にならないほどに改善されましたが、50年前は非常に“どぶ臭かった”もので、その頃に私が大阪に赴任した際、それまで東京に住んでいて決して良い水ではなかったものを飲んでいた私でさえ驚嘆したものですが、不快ながらも我慢して飲用しました。府民の人たちは不感状態だったのでしょう。

    大阪府民と兵庫県民の一部の水道水は淀川から取水していますが、その川水のおおもとは琵琶湖最北岸に流れ込む数本の川の水で、そこでの湖水は“水清ければ魚棲まず”の言葉通りに魚がいないほどの清い水。それが琵琶湖最南部から流れ出た水は京都府民が使い、その使い終わった水が(勿論、浄化はしているでしょうが)淀川に流れ込んで大阪に下るわけで、余談ですが当時ある大学で大阪の淀川の水質検査した結果は、単なる濁りや臭いだけでなく非常に毒性の強い成分が検出されたと発表したもので、当時の大阪府民の平均寿命が男女とも全国で最下位だったことと関係があると私は考えています。

    それを反映するように、水質改善進んだ現在の大阪は平均寿命が上がっていますが、やはり“琵琶湖・淀川水系”の上流の府県民は寿命が長い結果が出ています。
    都道府県別平均寿命ランキング:男性1位=滋賀、3位=京都、11位=東京、38位=大阪、47位=青森/女性1位=長野、4位=滋賀、9位=京都、15位=東京、38位=大阪、47位=青森(2015年の国勢調査結果より)

    ◎「嫌いとまでは言えぬ臭い」と「嫌い(臭害)」とに評価二分の例
    (1)醤油の町:千葉県野田市(キッコーマン、キノエネなど)、兵庫県たつの市(ヒガシマル。余談ですが、ここは素麺の「揖保乃糸」の生産地でもある)や石川県金沢市大野町など醤油製造工場が多いところは町の一部が醤油の匂いに満ちています。これらの町の外部から来た人たちのこの匂いに対する感じは「嫌いでない」と「嫌い」に分かれる。しかし地元の方は“それが空気のよう”なものなのでしょう。
    東武野田線・野田駅前風景(キッコーマン工場に囲まれている)
     (PIASさんのブログより)
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    (2)焼き肉の町:大阪市のJR環状線の鶴橋駅と近鉄大阪線の近鉄鶴橋駅の周囲には焼き肉店が密集していて、この駅のホームに立つと焼き肉の匂いがしっかりと漂っていることは有名で、私も経験しています。日本中でもこのように匂う駅というのは、そう無いでしょう。この近辺には朝鮮半島から渡日してきて住みついた人が多く、1930年代には焼き肉店がすでに多数存在していたという歴史がある。ここでの焼き肉の匂いに対する感じも二分するでしょう。
    大阪・鶴橋近辺の焼き肉店の密集(朝日新聞より)
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    (3)漢方薬の町:東京・秋葉原は今でこそコスプレ、メイドカフェ、フィギアの街になっているが、以前は電器の街であったことはよく知られている。しかし実は“漢方薬店”と“自転車の店と自転車関係工場”が多く在った街でもある。昔の秋葉原を懐かしむ人たちの中には「石丸電気のレコード売り場には、漢方薬の匂いが近所から流れて込んでいた」と語る人もあるように、街の一角はかなり強烈な漢方薬の匂いが漂っていた。この匂いは、嫌いでない人と嫌いな人に分かれる。ある主婦は漢方薬を自宅で煎じて飲んでいたところ、夫がこの匂いに耐えられないと訴えるので服用を中止せざるをえなかったという実例もある。

    ◎「良香」か「香害」か「臭害」か意見が分かれる例
    私の経験では、夜遅く東京駅から終電近くの東京メトロ(地下鉄)に乗って池袋方面に向かう車内は、いわゆる“脂粉の香り(匂い)”実際はほとんど香水の香りが満ち満ちて、言わば”香水の洪水”状態。この状況は他のいくつかの路線でも同様に起きていることなのでしょう。これは言うまでもなく銀座、新橋あたりの“接待を伴う飲食業”に勤める女性たちが一斉に帰路につくため起きる現象。
    私個人はこのような“香”は好きなものの、しかし他の乗客の皆さんはこれを“香”か“匂い”か“臭い”か、どう思っているのか、皆、無言なので判断ができませんが、電車内なのでほぼ密閉空間内という条件で、しかも乗車が短時間なのか長時間なのかにも左右されるので、乗客それぞれで感じ方も多様でしょう。
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    ※「香り」飛話・・今から50年ほど前、私の関西勤務が始まった頃に知ったことですが、京都市中京区に在る喫茶店「イノダコーヒー」は店内では“喫煙禁止”で有名でした。こだわりのネルドリップによるコーヒーの香を味わうにはタバコの煙の香り(ではなく匂いか)は邪魔者として排除したわけで、当時は喫茶店やバーなどでは喫煙はむしろ付き物だった時代なので、異例の店でした。しかしその後なぜか禁煙廃止した期間を経て2016年に再び禁煙に戻ったそうです。(現在、京都中心の店舗展開だが関東では大丸東京店内、横浜高島屋内にも支店あり)
    「イノダコーヒー」本店店内
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    「こうがい」にも色々あり、代表は公害ですが、他にも「こう害」と言えるものがいくつかあります。しかしこれらは結局「公害」とも言えるものが多い。例えば・・

    ◎「香害」①:洗濯洗剤・柔軟剤の強香
    近年は洗濯洗剤や柔軟剤には香りが強いものが多種出現して使われるようになり、その“強香”ぶりは、集合住宅と戸建て住宅のどちらを問わず、お隣で洗濯物を干せばその香りですぐわかるほど。
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    それは言わば解放空間でさえこの状況なので、これが比較的密閉空間である学校教室やオフィスなどでは更に香りはこもるゆえに、洗濯して強香の衣類を着て行くと、本人自身や周囲の人には、めまい、頭痛や吐き気がして気分が悪くなり、中には関節痛の症状がでることもあり、そのような経験をしたことがある人の割合は59%におよぶというデータもある(シャボン玉石けん社調査)。
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    こうして勉強や仕事に支障が出て休学、転校、職場配転をする人が少なからず出ている。中には退職した教師もいるそう。

    小中学校の実例で多いのは、“給食当番用の白衣は各家庭で洗濯したものを使うことにしている学校”では、その白衣の強香によって食事にも悪影響するので、より「香害」が増すことになっていること。
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    同様に「香害」の影響が大きいのが、食品を扱う業種。食品製造現場でもしかりだが、特に飲食業では調理場、店内フロアの従業員は“強香な洗剤・柔軟剤使用の洗濯物着用禁止”されている。しかし来店客の着衣までは制限できないのが悩ましい。私の知人である飲食関係者は“強香突破?”に苦労している。
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    ※食べ物に別の香が重大な悪影響を及ぼす訳は・・ヒトが食べ物を口にして感じる“味”とは、実はその8割が嗅覚によるもので、味覚(甘味、塩味、酸味、苦味、辛味など)の影響は2割にしかならないと言われます。その証拠に、風邪で鼻づまり状態では“味がしない”のですが、簡単には“鼻をつまんで食べる”だけで実証できます。・・と、ここまではご存知の方も多いと思いますが、もっと詳しくは・・
    『人類は嗅覚の経路を二つ持ち、一つは“鼻から香りを嗅ぐ経路「オルソネーザル」”で、これは他の動物も持っているもの。もう一つが“喉からこみあげる香りを嗅ぐ経路「レトロネーザル」”で、これは人類だけが持つもの。そしてこの「レトロネーザル」こそが“味の判断の8割を占める”経路。』そうすると前述の“鼻つまみ行為”はこの二つの嗅覚経路の両方を塞ぐ状態を作っていることになりますね。
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    とにかくこんな事実があります・・『数種類あるかき氷の「味」はすべて同じであり、色と香りが違うだけ』『「からし」と「わさび」の辛味成分は同じであり、色と香りがちがうだけ』
    (上記『』内と下の嗅覚経路図は株式会社リオのHPより)
    ・・というわけで、食事中に他の香り(匂い)が加わると文字通り”まずいこと”になるわけです。

    ヒトを含む動物が共通して持つオルソネーザル経路は“生存のために必要な食べ物の存在を感知”するためにあり、もう一つのレトロネーザル経路で“食べ物のおいしさを楽しみながら味わう”ことができるのはヒトのみゆえに・・おいしいと感じて「幸せ!」という言葉を発するのはヒトだけということになる。

    ◎「香害」の派生害:スズメバチ飛来
    「香害」がさらなる害を呼ぶ例が・・“強い香りにスズメバチが寄ってくるので刺される危険が生じる”ことで、実際に我が家のキンモクセイの花にスズメバチが飛んできて、近くに居た私は危険を感じて逃げたことがあります。また洗濯した強香衣類を着た人や香水をつけた人にスズメバチが来る例もあり、要注意だそうです。
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    ※一時的に「香害」と感じる例
    炊飯時に漂う香は良いと感じる人が多いが、女性によっては妊娠中の”つわり”状態では”気持ちが悪くなる嫌な臭い”と感じる人もいます。

    ◎「香害」②:花の香
    10月の初旬に、方々でキンモクセイ(金木犀)の花が咲いて香りが盛んに漂っていました。このように香る花には他に、クチナシ、ジンチョウゲ(沈丁花)、ジャスミンなどがあり、そのすべての香りを私は好きですが、私の知人の中にはジャスミンの花の香りが嫌いという人が少なからずいます。このように“花があちこちで一斉に香る”のを嫌いな人たちにとっては“花の「香害」”が発生します。

    ※ただしキンモクセイ、ジンチョウゲの地植えの北限は南東北地方の福島、山形、宮城県あたり。クチナシは関東地方まで。ジャスミンは温暖地が基本だが種類によって大きく異なり南東北地方まで可能の種もある。

    またここで言う“香害”となりうる花とは、木に咲く花=blossomであり、それ以外の花=flower/bloomは対象にならないようです。(しかし香りが強烈な切り花、例えばユリなどは病院の特に相部屋の病室にお見舞いに持ってこられた場合に、夜間には看護師さんがその花の入った花瓶を部屋の外に移動させたりするなど、例外的に(小規模ながら)“香害”となることもある
    キンモクセイ
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    クチナシ
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    ジンチョウゲ(wikipediaより)
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    ジャスミンの一種
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    <飛話:キンモクセイと昭和天皇?>
    香りつながりで話は飛びますが、久世光彦(くぜてるひこ=1935-2006年)氏は、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」などの名プロデューサー、その他、小説家、演出家などで活躍。その久世氏の随筆集「花迷宮」で、キンモクセイの香りにまつわる思い出を次のように”香害ならぬ公開”している・・「子どもの頃のある日、窓の外からの金木犀の香りがただよう部屋で、父親や兄、姉の本をこっそり読んでいたが、気がつけば部屋にかかっていた御真影の昭和天皇から私が見つめられているような視線を感じてしまった。(要約)」・・というわけで氏にとっては、キンモクセイの香りは昭和天皇に結び付くものであった。氏の父親は陸軍少将であり、特に御真影は大切にされていたであろう環境があった。また氏の早熟さは、後に東京大学文学部(美術史学科)に進んだことにもつながる。
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    今年2020年8月30日をもって94年間の歴史を閉じた東京の遊園地「としまえん(旧表示=豊島園)」。かつて、その豊島園と省線(現JR)目白駅を結んだ乗合自動車(路線バス)があった。そのバス会社の親会社が、後の「日産自動車」の源となった「(株)快進社」だったのだ。(今回、私がこれをテーマにしたわけは、豊島園は馴染み深く、快進社関連の施設が在った所が かつての我が家から徒歩10分以下の圏内だったことにもある)

    ◎日産自動車のルーツ「快進社」とは?
    橋本増次郎(1875~1944、向学心に燃えて米国でも修行した技術者)が・・
    1911(明治44)年:「快進社自動車工場」を日本最初の自動車メーカーとして現在の東京・広尾の地に創業。
    1913(大正2)年 :「脱兎号(DAT CAR)」を日本最初の“純国産自動車”として完成。
    ※DATは橋本の起業を支援した3人「田健治郎(男爵、後の台湾総督、田英夫の祖父)」/「青山祿郎(後に安中電機製作所=現アンリツの社長)」/「竹内明太郎(コマツ創業者)」の名前の英字頭文字。
    1918(大正7)年 :「株式会社 快進社」に改組・改名。現在の東京都豊島区長崎5丁目(西武池袋線・東長崎駅の北西側に隣接する6000坪の敷地)に工場建設。DAT41型(15馬力5人乗り・セルフスターター付き)を生産。
    快進社の工場
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    その後は、関東大震災の影響もあり、規模を縮小したり、解散・改組、改名、合併されたりして複雑な経過をたどり、その途中で・・
    1933(昭和8)年:一部の製造部門は「現・いすゞ自動車」や「日野自動車」につながり、小型車製造と商標ダットサンは「自動車製造株式会社」に継承されて・・
    1934(昭和9)年:「自動車製造株式会社」が改称して、ここに「日産自動車株式会社」が誕生。

    ◎乗合バスは快進社の従業員用の送迎バスから始まった
    1918(大正7)年 :「株式会社 快進社」の工場が西武線・東長崎駅に隣接してできたため、会社は従業員の送迎目的で東長崎駅前~省線(現JR)目白駅前間にバスを走らせた。
    しかし、その後に沿線住民からも利用希望が多出したことと、堤康次郎(セゾングループ始祖)が「目白文化村」(参考:http://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/4443911.html)の開発を丁度1922年から開始したこともあって、営業許可申請して公共乗合バスに進展させ、社名も「ダット乗合自動車株式会社」とした。
    その後、路線に「目白~豊島園」区間運行(7km弱)が追加されて登場させた。

    つまり、豊島園への集客を日産自動車(のルーツとなる快進社グループ)が支援していたことになる。

    1925(大正14)年:改組・改称して「ダット自動車合資会社」となり、現・南長崎(かつて私が住んだ町)に営業所やバスの車庫が作られた。
    ダットの営業所とバスと車掌さん(落合道人さんのブログより)
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    その後合併されたりしてこれもやや複雑な経緯ののち・・
    1942(昭和17)年:戦時という時世もあってか、事業は「東京市電局」に譲渡された。これが後の「都営バス」となった。私が子供の頃は、ダットのバス運行時代よりは路線区間は延びていたものの、目白を通って豊島園が終点の都営バスがあった。

    都バス利用で豊島園に行くところ。(昭和30年頃)バス停表記の「西落合一丁目」は現在の「落合南長崎」(後ろの道路は「目白通り」(左奥方向が練馬方面)なのだが、周辺住民の通称は「十三間道路=じゅうさんげんどうろ」。自衛隊練馬駐屯地が近いこともあって当時はこの道路を戦車が通ったこともあった。)
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    ◎豊島園(としまえん)は・・
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    写真はmaonline.jpより

    東京都練馬区に在った「としまえん(旧表示=豊島園)」は開園の1927(昭和2)年から94年、今年2020年8月30日をもって閉園となり、その跡地は東京都が買い上げて広域防災拠点として都市計画練馬城址公園にして、その一部を「ハリーポッター・スタジオツアー」という施設にあてることが決まっている。

    私は2才から22才までは東京都豊島区南長崎に住んでいたが、子供の頃に遊園地に行くといえば隣の練馬区にあった豊島園(後年に「としまえん」に変更)だった。ややこしいが同園の名前の由来は“室町時代に豊島氏が練馬城を建てた跡地”につくられたから。

    ちなみに当時の東京における他の大きな遊園地は、東部では台東区に「浅草花やしき」(日本最初の遊園地で1853=嘉永6年開園、現存)、南部では世田谷区に「二子玉川園」(1922=大正11年開園~1985=昭和60年閉園)」、大田区に「多摩川園」(1925=大正14年開園~1979=昭和54年閉園)があった。また多くのデパートの屋上には小規模ながら遊園地的な遊具を備えていた。(「よみうりランド」や「東京サマーランド」の開園は1960年代になってから)

    私が子供の頃に豊島園に在ったがその後に廃止された乗り物「ウォーターシュート」は1927(昭和2)年の開園当初から登場で営業用としては日本初であり、高さ20mから10人くらい?を乗せたボートを30度くらいの傾斜したレールの上を滑らせて池に着水させるのだが、ボートの先頭には終始立ったままの人がいて、その人は着水と同時に飛び上がるというパフォーマンスを披露したもの。
    ジェットコースターも嫌いな私は、このウォーターシュートに1回だけ乗った。
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    写真はameblo.jpより

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    写真はpt-br.facebook.comより

    また「懸垂型モノレール」もあったが、その本体の先端にはプロペラが付いていたのは、当初この本体はプロペラ推進を予定していたものが途中変更になった名残だそうだ。
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    写真はtwitter.comより

    その後に登場して有名になったのは、世界初の「流れるプール」や豪華回転木馬「カルーセルエルドラド」。この回転木馬は1907年のドイツ製で現存するモノとして世界最古級。米国の遊園施設に渡り、アルカポネやマリリンモンローも乗ったという。1969年に豊島園が1億円で買い取り、2億円かけて修理。1971年から閉園まで稼働。1983年には米国が買い戻しの申し入れをしたこともあった。2010年に日本機械学会が「機械遺産」に認定。
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    写真はtbsradio.jpより

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    写真はlineblog.meより

    回転木馬が無かった頃の豊島園の電動木馬
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