世の中には 画期的な発明や発見あるいは偉業を成したにもかかわらず 何らかの不運な事情で正当な評価を得られなかった人が大勢います
このような人たちをとりあげた日本のマンガ「栄光なき天才たち」というタイトルのシリーズ(作:伊藤智義 画:森田信吾)が1986(昭和61)年から マンガ雑誌「週刊ヤングジャンプ」で連載が始まり
1992(平成4)年で終了したものの その後も (別の作者たちによる) 続編が続きました
また 2017年にはアニメとドキュメンタリーを組み合わせたテレビ番組としても放映されました
その間 登場人物は約40人に及びましたが 私が このシリーズに取り上げてほしいと思っている人が登場していないのです
その人が・・内田秀男氏 (以降文中敬称略)
内田秀男(1921=大正10年~1995=平成7年)は 福井県生まれの電気・電子技術者 NHK技術研究所などに勤務した後に「内田ラジオ技術研究所」など経営しながらラジオや無線関連の雑誌への寄稿も多かったゆえに かつて”ラジオ少年”などとよばれていたラジオやテレビやアンプなどを自作していた人たちの間では誰でもが知る存在でした
◎トランジスタを発明していた!?内田秀男
内田秀男は小学生の頃から”鉱石ラジオ”(方鉛鉱や黄鉄鉱という鉱物と細い銅線を巻いたコイルと 今で言うヘッドホン から成るラジオ)を自作するラジオ好き少年でした 長じてNHKの放送技術研究所に勤務するようになり ラジオ技術の研究を始めました
内田秀男
(写真はwww.fureai.or.jp/~oomiya/UFO_jinbutu_gaide1.htmlより引用)
初期の鉱石ラジオ
ところで当時既に存在していた真空管は 言わば”真空の電球”の中の2点(2極)の間で電子を移動させる2極真空管というものがあり 発展形として2極の間にもう1極を加えた3極真空管 同様に4極
5極と出現するのですが 2極真空管の働きは「検波」(放送電波から音声信号を取り出すこと)または「整流」 (交流を直流にすること) そして3極真空管以上の働きは「電流の増幅」です
一方 ”鉱石ラジオ”で使われる鉱物は その鉱物の表面上のある2点に接触している金属を通じて「検波」作用をするので2極真空管と同じ働きをすることになります
↑図の灰色部分が鉱物(方鉛鉱など)で左側の箱型の金属部分を1点として右側の矢印で表されている部分(実際は金属製の針先)をもう一つの点とします ※図は(株)ティーアンドシーテクニカルのHP「古典音響機器ギャラリー」より引用
内田は それならば・・
その鉱物に3点で接触する金属を通じれば電流の「増幅」作用が得られるのではないかという着想が浮かび 実験を開始
多くの種類の鉱物で効果を試すため 方々で鉱物を探し回り ある時は栃木県の日光付近の山奥に入って鉱物採取もしましたが 幸いにも叔父が秋田鉱山専門学校(※1)の教師をしていたため 様々な鉱物を提供してくれたりして実験を進めた結果 結局は質の良い ある方鉛鉱を使って それを3点で接触する金属線を介すると・・
従来の鉱石ラジオでは不可能だった”北京やハブロフスクの放送が聴こえる”ようになり これは“真空管の3極管と同様に 電流を増幅するような効果が発生している”と理解して 内田はこれに「三極鉱石」と名付けました それは戦時中の1943(昭和18)年のことでした
従来の鉱石ラジオでは不可能だった”北京やハブロフスクの放送が聴こえる”ようになり これは“真空管の3極管と同様に 電流を増幅するような効果が発生している”と理解して 内田はこれに「三極鉱石」と名付けました それは戦時中の1943(昭和18)年のことでした
その後 軍隊に応召しましたが 戦後 NHKの放送技術研究所に戻り 直ちに”画期的な効果の「三極鉱石」”の研究を再開しようとしたところ 上司から「そんな効果はありえない」と はなから否定された上に・・「君は朝 味噌汁で顔を洗ってきたのか」とまで言われてしまい
研究テーマに採用されなかったが内田個人で密かに研究を進めた結果 1947(昭和22)年に「三極鉱石」が電流を3倍に増幅することを確認しました
これこそ後にトランジスタと呼ばれるものと同じものでした
内田はこの発明を直ちに上司に報告しましたが まったく認められないので雑誌に発表しようとしましたが (内田本人や事情通の人たちの推測では 研究所またはGHQによる阻止で)掲載されませんでした
また特許出願しようにも研究所組織の中では上司の承認なしでは無理でした そのうちGHQが研究所に来て 内田の研究成果も含まれた資料を持ち去っていきました その半年後の1948(昭和23)年に
米国のベル研究所の3人(ジョンバーディーンとウォルターブラッテンとウイリアムショックレー)連名の“固体による増幅素子の発明”が発表されてしまいました
これは後に「トランジスタ」と呼ばれるモノの発明とされ この3人は1956年にノーベル物理学賞を受賞した
ところで内田は1948(昭和23)年の5月6日に結婚しましたが それから間もない6月30日にベル研究所からトランジスタ発明の発表があったため
内田秀男夫妻の結婚記念写真
新婚の気分は吹っ飛び 「地団駄踏んで悔しがった」と・・内田から聞いたとしてNHK放送技術研究所の先輩である杉本哲は 氏の著書「初歩のトランジスターの研究」(1958=昭和33年 山海堂)の中で記しています また「内田さんは たしかに三極鉱石の増幅作用があることがわかり(中略)相談にきた これがアメリカでトランジスタの発表になった年のお正月のことです 内田さんの発明はその前年の秋ごろなのです」と記述して証言しています
私も小学生の高学年時の鉱石ラジオの自作から始めて”ラジオ少年”のはしくれみたいになっていましたから 前出の杉本哲著の本「初歩のトランジスターの研究」を読みました
それは薄緑青色の表紙で厚さは1センチに満たない本でしたが その中に”内田秀男の三極鉱石(トランジスタ)の発明”という記述があったので衝撃を受けた記憶は今でも忘れていません
実はベル研究所でトランジスタ的効果の基礎的発見は1947年であり 内田は 同様な効果を1943年に発見していたのですから・・その効果を上司が認め 現代のように先ず”画期的効果発見または発明”
として世界に発信してから 組織的に強力な研究推進をしていたならば こちらの方がノーベル賞を受賞していたのではないでしょうか
内田のこの件について”「たら・れば」話の例が多くある”としてネガティブに言われているようですが これは よくあるように 歴史上の「たら・れば」語りのようなやや興味半分のようなモノ
とは異なり 切実さが存在しているのではないでしょうか
このような事態の後どうなったか・・内田の奥様である内田久子さんが2012(平成24)年に上梓した「秋葉原 、内田ラジオでございます」の中で・・「主人は研究所生活に嫌気がさしてきたようで、
のちの決定的事件で辞めることになります」と記しています・・その事件とは・・
内田久子著「秋葉原 、内田ラジオでございます」
◎“放射能の影響がテレビ画面に出る”発見の発表
内田は失意の中 NHK放送技術研究所内で今度はテレビ受像機の研究に着手していましたが 当時 ソ蓮や米国の核実験による放射能を帯びた塵が日本へも飛来して大気中に浮遊していると テレビ画面に“あたかも塵が浮いているように見える”(ノイズ)状態が現れることを発見して研究所内で発表したものの これも無視されたので 多分 三極鉱石の件の二の舞はイヤだと思ったのでしょう 内田は意を決して この発見内容を1956(昭和31)年に 職場の許可無しに雑誌「科学朝日」に寄稿した結果 国内外の新聞に取り上げられ 朝日新聞では内田の顔写真付き記事でした そこで研究所にも取材者が押し寄せることになるのですが 研究所側は“当所には関係ないこと”として 取材拒否しました
そこで(久子夫人の著書によれば)・・「以前からの思いがオリのように積もって、たえられなくなったんでしょう。『辞表を出してきた』と、主人がタクシーに荷物を積み込んで帰ってきたのが昭和32年
(1957)のことでした。」・・という結果になりました
当時 私も確かにテレビ画面で放射能によるノイズ現象を見ていましたが 多分 この現象を見られたご年配の方も多いのではないでしょうか
・・・・・・・・・・・・
以上は 文中にも記した 杉本哲 著「初歩のトランジスターの研究」と内田久子 著「秋葉原 、内田ラジオでございます」からの引用がありますが 実は私 20数年前に 内田秀男の奥様 久子さんにお会いして直接お話を伺っていますので その際の内容も記しています
次回には 内田久子さんからお聞きした秘話も含めて綴りたいと思っています
・・・・・・・・・・・・
※1・・秋田鉱山専門学校は財界からの寄付もあって 当時 鉱物資源が豊富であった秋田県に 1910(明治10)年に官立校として設立され 1949(昭和24)年に国立秋田大学鉱山学部になり 2014(平成26)年に 同大学の国際資源学部と工学資源学部になった
・・・・・・・・・・・・