◎大山(おおやま)は神奈川県に在り
まず ご注意あれ 「大山」と書くと 関西以西の方は鳥取県にある大山(だいせん)のことと思われる方が多いでしょうが 「大山詣」の対象となる大山は・・
神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市にまたがる標高1252mの山で 現在は「丹沢大山国定公園」の一部ともなっています
江戸(東京)から18里(約70km)の地にあり そこには不動明王を祀る相州阿夫利山大山寺 俗に言う大山大権現があります
◎なぜ大山が崇められるのか
元来 日本では万物に神宿るとされ 特に山は この対象になりやすく この大山は スッキリと尖がった良形である上に『山頂には巨石があり それがご神体とされて「石尊大権現(せきそんだいごんげん)」となって山岳信仰の山となりました 山頂には 縄文時代の祭祀跡や土器などが発見されているので 少なくともこの頃から人々の崇敬の対象であったことがうかがえます
さらに 大衆の信仰を集める要素があり それは・・
大山では 相模湾から水蒸気を大量に含んだ気流が山頂に向かって立ち昇るので山上には雨雲が発生しやすく 『別名「雨降山(あめふりやま)」それが転じて「阿夫利山(あふりやま)」などと呼ばれ 農民たちは作物のために雨乞いの祈りを捧げるようになります また漁師たちからは相模湾からの目印にもなった大山は海洋の守り神 さらには大漁の神として信仰を集めました』(『』内は小田急電鉄のPRページより)
大山では 相模湾から水蒸気を大量に含んだ気流が山頂に向かって立ち昇るので山上には雨雲が発生しやすく 『別名「雨降山(あめふりやま)」それが転じて「阿夫利山(あふりやま)」などと呼ばれ 農民たちは作物のために雨乞いの祈りを捧げるようになります また漁師たちからは相模湾からの目印にもなった大山は海洋の守り神 さらには大漁の神として信仰を集めました』(『』内は小田急電鉄のPRページより)
昨年のテレビ番組で 埼玉県のある農業関係者が大山詣をしている様子を放映していましたが 現在でも信仰が続いていることを確かに伝えていました
ところで 大山にも出羽三山と同様に寺と神社の両方が存在します
「大山阿夫利神社」(2200余年前に創建)と「大山寺」(1260余年前の奈良時代に創建 通称「大山のお不動さん」)
「大山阿夫利神社」
「大山寺」
◎こんな人達が登拝した
大山大権現にお参りするのは 商売繁盛や病気治癒などを願う普通の庶民の他に 前述のように 農民 漁師 船乗り は勿論・・
火消し・・これは(雨)水に関連してか その他 鳶職 大工も多く この三職はいずれも高い所に上る仕事で いつも江戸から見える大山に 憧れをいだいていたからとも言われます
刀鍛冶 鍛冶屋・・頼朝の太刀奉納に始まる 木製太刀奉納に関連か? 一部の鍛冶屋では息子が7才または12才になると父子で大山登拝して鍛冶若衆の仲間入りへの通過儀式としました
十五参り・・江戸時代当時 15才で成人になるとして大山登拝を済ませば一人前とされました これは“出羽三山参りを済まして一人前”と同様ですが 特に 火消し 鳶職や大工たちは粋で威勢のよさを見せるには先ず一人前になるための大山登拝を済ませることは必須だったのでしょう
芸能人・・浮世絵師は大山詣で多かった火消したちに目をつけて 当時の歌舞伎の人気役者を火消しに仕立てた姿を盛んに描いて好評だったので 役者たちも大山大権現にお礼参りをしました
博打打ち・・賭け事の勝ちを願っての登拝者も多かった
借金取り立て逃れ目的の者・・取り立て人が来る頃を見計らって大山詣に出かけるということが横行したそうです
歌川豊國 作の浮世絵
◎江戸時代の大山詣 講も梵天もあり 御師もいた
大山詣は 江戸時代の宝暦(1751年~)の頃に始まったとされます
現在の千葉県市原市にある出羽三山登拝記念の石碑群の中には 宝暦13年と刻まれているものがあり 大山詣が始まった頃には出羽三山参りも行われていたことが分かるのですが やはり大山詣は出羽三山参りやお伊勢参りにくらべて日数と費用の点で格段に実行しやすかったことに加えて 箱根の関所越えも必要なかったことも影響しています 当時 江戸からの大山詣は5泊6日が標準的だったようです
『これにも やはり「大山講」があり その中の人たちが旧暦6月28日から7月17日までの登山が許されている期間に参詣に出かける
まず お参りの先導者「先達」(せんだち)を選ぶと お参りの人たちは 両国橋東詰の垢離場(こりば)へ行き 素っ裸で大川に入り それぞれ手にした「さし」と称する“穴あき銭を通すわらしべ”を一本一本流しながら・・「南無帰命頂来 懺悔懺悔(さんげさんげ) 六根罪障 お注蓮(しめ)に 八大金剛童子 大山大聖不動明王 石尊大権現 大天狗小天狗」・・と祈念し 身を清めて 揃いの装束金剛杖で 納太刀を持って参詣に出かける 納太刀というのは奉納する木太刀で 帰りには自分の納めた太刀の
代わりに 神前に納められた他人の太刀を持って帰り お守りにするのである※
この大山詣は 長屋の男どもにとっては 別の楽しみがあり
大山詣の帰途 箱根 江の島 鎌倉に寄り道して遊んだり あるいは 品川まで来たら そのまま江戸へ入らずに 精進おとしといって 品川の遊郭で楽しんだりする者もいた』(『』内は岸井良衛 監修 「江戸町人の生活」より引用)
大山詣の帰途 箱根 江の島 鎌倉に寄り道して遊んだり あるいは 品川まで来たら そのまま江戸へ入らずに 精進おとしといって 品川の遊郭で楽しんだりする者もいた』(『』内は岸井良衛 監修 「江戸町人の生活」より引用)
特に江の島へ寄ることは流行ともなったのですが その理由は・・
大山は男神が祀られ 江の島には女神の弁天様が祀られているので 男女神の両方を遥拝しなければならない・・という俗信が流布したからです
※「納太刀(おさめだち)の起源は・・
源頼朝が“天下泰平 武運長久”を願って太刀を奉納したことに 始まるとされ 江戸時代には庶民にも広まり 参詣時に “奉納大山石尊大権現”などと書いた木製の太刀を納めたもので 次第に形や大きさがエスカレートして 一般には長さ6尺(1.8m)だったものが7mにも及ぶものもあったとか」・・(「」内と下の絵と木製太刀写真は 小田急電鉄PRページから)
源頼朝が“天下泰平 武運長久”を願って太刀を奉納したことに 始まるとされ 江戸時代には庶民にも広まり 参詣時に “奉納大山石尊大権現”などと書いた木製の太刀を納めたもので 次第に形や大きさがエスカレートして 一般には長さ6尺(1.8m)だったものが7mにも及ぶものもあったとか」・・(「」内と下の絵と木製太刀写真は 小田急電鉄PRページから)
長さ8尺くらいの奉納太刀を持つ絵↑と木製太刀↓
また出羽三山参りと同様に梵天(ぼんでん)が使われましたが その名残が 家を建てる際の上棟式で竹や木材に白い和紙のお飾りをつけたものをたてる習わしだそうです
このように関東一円で大人気の大山詣は江戸時代の最盛期には年間20万人の登拝者があったそうで 当時の江戸の町の人口は世界最多の100万人であり 大山詣する人が殆ど江戸住人だと仮定してみると 実に江戸の5人に1人が登拝したことになります
また 富士山や出羽三山と同じく御師(おし)もいて江戸時代の最盛期には160人もいたそうです
ところで 「師走」の語源は“秋から冬にかけての大山詣ができない期間に 御師たちは江戸の町をはじめ関東各地に出向いて 布教と登拝勧奨をするために走り回った つまり師が走る・・というところからきている”という説があり もっともな感じがします
◎青山通り(国道246号線)は大山へ続く道
大山へは関東地方の各地から多くの人が参るため 大山に通じる道となる「大山道」が8通りあります・・
羽根尾通り大山道/六本松通り大山道/蓑毛通り大山道/田村通り大山道/柏尾通り大山道/八王子通り大山道/府中通り大山道/青山通り大山道
羽根尾通り大山道/六本松通り大山道/蓑毛通り大山道/田村通り大山道/柏尾通り大山道/八王子通り大山道/府中通り大山道/青山通り大山道
その中でも「田村通り大山道」は 東海道の四ッ谷の宿(現在の藤沢市辻堂付近)からつながっているため 参詣の帰途に江の島に寄るのに都合がよく 人気の道でした
西洋の諺の「All roads lead to Rome」は「全ての道はローマに通ずる」と日本語訳され その意味は「同じ目的を達するにも方法は色々ある」とされていますが その意味はともかく 「全ての道は大山に通ずる」・・と つい言いたくなります
「青山通り大山道」は現在の国道246号線であり その赤坂から渋谷までの部分は「青山通り」と呼ばれ 沿道にはお洒落な店舗やビルが並んでいます・・例えば「ブルックス・ブラザーズ」「サマンサ・タバサ」「マックス・マーラ」「スパイラルビル」・・ゆえに この通りは しばしば格好つけて「ルート ニイヨンロク」とも言われます
「ルート ニイヨンロク」と言えば 私はすぐに思い出す曲があります それは・・三田明が歌った「タートルルックのいかす奴」(レコードは1969=昭和44年発売)
1番から3番までの歌詞の中に一カ所ずつ「ルート ニイヨンロク」が入っています
作詞:東次郎 作曲・編曲:吉田正 1番歌詞 紫色の 夜がくる 白い扉の スナックに 待たせた あの娘はもういない 霧が流れる ルート246 口笛吹いて 消えてった タートルルックの いかす奴
これを機会に調べたら 三田明は別に「青山通り」という歌も唄っていました 彼の歌以外にも 歌詞に「青山通り」が入った歌は多く存在していることも知りました
◎三軒茶屋は大山詣の途中のお休み処だった
江戸っ子の大山詣のコースは・・先ず神田明神にお参りして→赤坂→三軒茶屋→二子の渡し(二子玉川)→長津田→伊勢原→大山の約18里 大山詣の道中で一休みする人たち目当ての茶屋が三軒あったから
三軒茶屋の名がつきました
◎古典落語「大山詣り(おおやままいり)」と「百人坊主」
「大山詣り」は江戸落語 「百人坊主」は上方落語ですが 双方ともに共通点があり “お参りと坊主頭“がでてきます これはどちらも原典が狂言の「六人僧」であるからとされています お参り先の設定が 江戸では大山参り 上方ではお伊勢参り となっていて その他 話の筋と内容がちがっています
◎現在の大山詣は速く楽にできます
新宿→小田急電鉄で約60分→伊勢原→神奈川中央交通バスで30分→大山ケーブルバス停→徒歩15分→大山ケーブル駅→大山観光電鉄の大山ケーブルカーで6分→阿夫利神社駅(ここは阿夫利神社下社であり ここまでのお参りが定番ですが さらに上の阿夫利神社本社へは徒歩登山90分が必要)
←大山ケーブルカー
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