徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    2018年12月

    ◎男ばかりのトキワ荘の中で・・(文中敬称略します)
    トキワ荘は1952(昭和27)年から1982(昭和57)年まで存在したアパートで 二階部分の賃貸部屋10室は全て四畳半に押し入れ付きで 共同調理場と共同トイレがありました
     
    共同調理場には広く長い「流し台」(今で言う「シンク」)があって 蛇口は3つ付いていたが 赤塚不二夫はそれを全部開いて水を張り 「流し台」でしょっちゅう行水をしていたそうで ある晩に行水しているところを石ノ森に見つかりましたが とがめるどころか 一緒になって行水をしたこともあったと語っています
     
    そういう行為は トキワ荘の住人が殆ど男性マンガ家(最多時8)ばかりだったこと そして住人ではないものの ここに入り浸りの男性マンガ家たちの いわゆる「通い組」も多く なかでも つのだじろう(作品:カラテ馬鹿一代 5五の龍 など)は隣の新宿区から (本人曰く)"1年に366日"スクーターに
    乗って通ったそうですが・・このような"男だらけの環境"なのでできたのでしょう
     
    そんな中で このトキワ荘に住んだ女性が数名いました (1階に入居の普通の家族の奥さんたちについてはここでは触れられませんが・・2階のマンガ家たちが夜遅く集まって騒いでいると下の部屋の奥さんが箒の柄か何かで天井を突いて文句を言っていたそうです)
     
    ◎水野英子(みずのひでこ):女性マンガ家の先達
    1939(昭和14)年 山口県下関生まれ 
    小学5年生時からマンガを描き始め 15才で雑誌掲載デビュー 日本の少女マンガ家の草分けであり 
    また少女マンガに男女の恋愛題材を初めて取り込んだパイオニアであり 後の竹宮恵子 萩尾望都などの少女マンガ家に多大な影響を与えたので「女の手塚」とも言われる (作品:星のたてごと ファイヤーなど)
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    74才頃    (朝日新聞2013年2月12日記事写真)                                
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    ↑作品「銀の花びら」のキャラクター
     
    1958(昭和33)年3月にトキワ荘に入居して 石ノ森章太郎 赤塚不二夫との三人合作のマンガを3作ほど描いた その三人統合ペンネームは「U・マイア」
    しかし入居7か月後の10月に退居・・これは前述のように トキワ荘が男だらけなことの上に共同トイレなどにも耐えられなかったことは想像に難くないことです
    トキワ荘を出てから住んだのは 手塚治虫もトキワ荘から移住した町である豊島区・雑司ヶ谷でした
     
    ◎「小野寺由恵」:石森章太郎の世話した3才上の姉

    章太郎が宮城県の実家の親からははマンガ家になることを反対される中で 由恵は賛成して 上京した章太郎の面倒をみるために 由恵は持病の喘息の治療にかこつけて自分も上京してトキワ荘で一緒の生活をした

    「ジャガイモ」と呼ばれていた章太郎と比べて姉弟とは思えないほど由恵さんは美人で トキワ荘のマドンナだったと言われていたが 本人は藤子不二雄Aに好意をもっていることを弟の章太郎には告白していたそうです
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    しかし ある日 喘息の発作がひどくなり 緊急入院して直後に亡くなってしまいました 23才の誕生日の前日のことでした 生前 弟には「私の分まで好きなことをやってほしい」と言っていたそうです・・私は知らなかったのですが この姉弟の話はテレビドラマ化されて 今年2018年の日本テレビ系列の24時間テレビで放送されたそうですから ご存知の方も多いのでは・・
    ※小野寺由恵については・・「のんびり主婦ブログ」 https://chipipi.info/wp/onoderayosie/ より一部引用
     
    ◎赤塚リヨ:赤塚不二夫の母
    夫「赤塚藤七」と共に トキワ荘に一時住んでいて 不二夫の食事や身の回りの世話をしました
    当時の不二夫は「トキワ荘一の美男子」と同僚だったマンガ家たちの誰もが認めるほどで その頃の写真を見るとなるほどと言えるもので 中年以降にマスコミに登場した容姿からは考えられないほどです それゆえに東京での女性問題発生を危惧しての親心もあったのでしょう
     
    不二夫の母は丁度その頃に向かいの部屋に住んでいた水野英子を気に入り 不二夫に彼女との結婚をしきりに勧めたそうです 
    因みに水野英子はその後1970年代初頭に「未婚の母」の道を選んで男児出産しています
     
    ◎遠藤景子:元NHK松山放送局初の女性局長

    トキワ荘で生まれ 幼少期をここで過ごした NHKに入局して制作部門に勤務する中で 自分の生まれ育ったトキワ荘が老朽化で解体されるという情報を掴むや NHK特集『わが青春のトキワ荘』という番組制作スタッフとなった その放送は1981(昭和56)年にあったが2001(平成13)年の1月5日にも再放送されています 放送内容の中には トキワ荘解体前に元住人による同荘会行った様子が含まれていて 手塚 石ノ森 藤子 赤塚などの中に紅一点の水野英子も参加していました 

     
    遠藤景子はその後2009年にNHK松山放送局長となりました これはNHKの地方キーステーションとしては初の女性局長でありました 
     
    ◎レコード店「目白堂」の奥様
    トキワ荘住人マンガ家でレコードをよく聴いていた赤塚不二夫 石ノ森章太郎 水野英子らはレコードを買うのは専ら トキワ荘から徒歩約15分にあるこの店だったのです
     
    後に赤塚不二夫は「あの当時僕らの1か月の食費が3000円だったのに LPレコードが2500円もしたけれど 買って 腹をすかしながら聴いたことは 今考えると あれがイイ栄養になっていたんだと思う」・・と語っています (昭和30年のトキワ荘の家賃も3000円)
     
    実は私もこの店をよく利用しました バスに乗ってこの店の前を通過するには松尾和子似の美人の奥さんが店のレコードをキレイに揃えるような仕事をしている姿がよく見られました
    (バスの中で立っていると目白堂の売り場が丁度良い角度で見下ろせた)

    赤塚らのマンガ家たちも この奥さんの容貌と優しい対応に好印象をもっていたそうで 後年 奥さんが病気で聖母病院(この地域では有名大病院)に入院した時には・・水野英子小出幹雄(現在 としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会の広報担当)”二人でお見舞いに行ったほどでした 
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    松尾和子に似ていました
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    目白堂のEP盤レコード用ポリ袋 
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    目白堂の30センチLP盤レコード用紙袋の裏面
     
    残念ながら レコード衰退の流れの中で2007年の10月末に目白堂は閉店しました ネット上でも閉店を惜しむ一般の人たちからの声が多数あがりました
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                これが閉店間近の目白堂
    写真は「SARADA BLOG」さんから引用sarada-sarada.sblo.jp/article/5743978.html
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     次回もまだトキワ荘関連内容が続きます 

    マンガの聖地について 前回の続きです(文中敬称略します)
     
    ◎「紫雲荘」や「兎荘」も使われました
    人気が出て制作量が増えると それまでのトキワ荘の部屋では手狭になって 近くに転居するマンガ家がでてきました 
    既に人気作家の手塚治虫は入居後
    1年ちょっとで同じ豊島区雑司ヶ谷の「並木アパート」(現存します)へ  寺田ヒロオは豊島区目白へ
     
    または追加の仕事部屋を求めてトキワ荘に隣接する小規模アパートも利用されました
    「紫雲荘」には赤塚不二夫が転居して仕事場兼住居にしました 「兎荘」には藤子不二雄の二人が仕事部屋を借りました

    これらのアパート住まいだけではなく 上京してきてこの近所に住んだマンガ家も複数いました つまり「マンガの聖地」はトキワ荘だけではなかったのです
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    当時の紫雲荘↑
    (右隣の日暮商店の裏にトキワ荘があった) 
                                                     
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    現在の紫雲荘↑
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    紫雲荘の赤塚不二夫の部屋(再現)

    ※元トキワ荘住人だったマンガ家たちは さらに後年それぞれ遠隔地に移りました 手塚は渋谷区→練馬区→杉並区→東村山市へ 寺田は神奈川県茅ケ崎市へ 藤子F不二雄は神奈川県川崎市へ・・など
     
    トキワ荘住人にはならなかったものの横山光輝(作品:鉄人28号 三国志など)は  同じ豊島区でトキワ荘から約1.5キロと近い千早の自宅に 1960(昭和35)年から2004(平成16)年に亡くなるまで45年間も 定住しました
     
    ※手塚治虫の転居理由は手狭だけではなく 出版社などの人が手塚の仕事部屋を伺うと 人気作家とは思えないほど貧素な室内に皆が驚くので 「それからはなるべく高級品を揃えるようにした」と 後に手塚自身が語ったそうで トキワ荘より少しハイレベルな部屋空間を望んだことにもありましょう

    ◎「紫雲荘活用プロジェクト」はチョッと苦肉の呼称?
    紫雲荘は1959(昭和34)に建てられ、今もなお現存する木造モルタル2階建て アパートです
    そこにマンガ家の卵を公募・選出して かつて赤塚不二夫が仕事場にした同じ場所住みながら制作できるように家賃も補助されるというのが 「紫雲荘活用プロジェクト」で 2011(平成23)から進行しています これは地域団体「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」と豊島区の協働運営となっています


    ここでは 
    最長3年間、月額家賃4万円のうち二分の一の2万円を「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」から補助(光熱費は自己負担)されるほか 慣れない町での生活への助言やアルバイト先の紹介など活動をサポートします

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    「紫雲荘活用プロジェクト」第1回目の募集ポスター
    現在 第3期生が入居していますが これまでにマンガ家デビューした人が数名出ています
    2013(平成25)年には桐木憲一原作の『東京シャッターガール』がヒットして実写映画化
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    映画のワンシーン
    現代的な登場例は 2017(平成29)年4月より3期生となった立藤ともひろの作品がWEB漫画サイト「少年ジャンプ+(プラス)」に掲載されてデビューしたことです 立藤の作品『くらげちゃんの初恋』は下記で閲覧できます) https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480028966684

    (立藤ともひろ24才の漫画家デビューの紹介は下記で見られます) https://www.youtube.com/watch?v=p2GtsV1ZgMg

    まだ知名度の低い「紫雲荘」の名を冠したこのプロジェクトは後述しますように 気づいた時には「トキワ荘プロジェクト」という名前の立派なプロジェクトモデルが別の場所で既に進行していたので 「トキワ荘」の名は付けられなかったのです

    ◎他の地で先行発生した「トキワ荘プロジェクト」 ! ?
    実は「トキワ荘プロジェクト」の運営は東京・品川区五反田に事務所を持つ特定非営利活動法人の「NEWBERRY(ニューベリー)」という団体(理事長:小崎文恵氏 職員20名)が行っているものです
     そう 東京豊島区に存在する「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」の運営ではないのです
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    「トキワ荘プロジェクト」とは・・
    マンガ家のプロを目指す人たち5~6名がシェアハウスに住みながら 互いに切磋琢磨して成長を加速させることが目的で2006(平成18)年に活動開始
    家電や家具備え付け済で入居時の初期費用や低めの家賃で経済的負担を軽くしている
     
    そのような場所を東京都 千葉県 埼玉県 京都府 に合計20件 定員総数120名規模を保持していて それぞれを「トキワ荘」と呼んでいる(男性専用と女性専用がある) ※京都トキワ荘は京都府からの委託運営
     
    一部にはプロのマンガ家がメンター(仕事上の指導や助言を与える人)として付いてくれる「トキワ荘」もあります
     
    これまでの実績・・デビューしたマンガ家:約80名 トキワ荘入居者:のべ約400名 マンガ関連の指南書的書物も出版して現在4タイトル 協力・提携関係の出版社や大学などは40社以上

    ◎トキワ荘にまつわるエピソード
    トキワ荘が全国的に知られて有名になり始めたきっかけは・・1970(昭和45)年 藤子不二雄Ⓐが自伝的作品の「まんが道(まんがみち)雑誌に連載を開始してからと言われます
     
     しかしトキワ荘の近所の商店街の人や住人はマンガ家たちの存在を当然早くから知っていました それどころか 当時の近所の子供たちは 折りにふれては マンガ家たちに絵やサインをせがんで色紙や紙に書いてもらっていましたので 現在この南長崎の町の中にはお宝のような色紙が多数存在しています
     
    私はマンガをあまり読まなかったので トキワ荘の存在を知ったのは1960(昭和35年)頃に マンガ好きの友人から 「あれがマンガ家たちがいっぱい居るトキワ荘だよ」と教えられたからで その時に私が目にしたのは 周囲の建物の間から見えるトキワ荘の2階の右側面の一部でした
     
    その時のマンガ好きの友人(私とは小学校と中学校が一緒)”は その後 立派なマンガ家 アニメーション演出家になりました それには才能があったとともに トキワ荘の在る街で育ったことも影響していたことでしょう

    その人の名は・・「樋口雅一(ひぐちまさかず)」(ペンネームと本名は同じ)
    樋口雅一とは・・Wikipediaに載るほどの人物で・・アニメーターとして最初は「竜の子プロダクション(現タツノコプロ)」 次に「虫プロダクション」に在籍 1969年にフリーランスとなり この頃からアニメ演出家としての活動も開始(『ムーミン(新)』『昆虫物語 新みなしごハッチ』など) /1977年『まんが偉人物語』のチーフディレクター / 1975年『まんが日本昔ばなし』の演出と原画 / 2012年『ふるさと再生 日本昔ばなし』(一部のキャラクターデザイン、絵コンテ、演出) / 2017年『ふるさとめぐり 日本の昔ばなし』絵コンテ、演出、作画)・・など

    マンガ家としては・・正統派のスタイルで・・
    『まんが聖書物語(監修:山口昇)』/『まんがキリスト教の歴史(監修:中村敏 発行:いのちのことば社)』/『まんがグリム童話(発行:講談社)』/『マンガ メディチ家物語(監修:森田義之 発行:講談社)』・・など
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     ↑私が戴いた本
    現在でもアニメ「日本の昔ばなし」系などの仕事に忙しく 加えて趣味も複数ありで 忙しい様子は氏のブログ『萬雅堂便り』からも読めます
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    マンガの聖地については次回にも続けます

    ブログを始めて以来 かつて私が暮らし育った地「東京都豊島区南長崎(旧 椎名町)」に住んだ人たち・・「女優の野辺かほるさん」/「マッカーサーに抗した居合道師範の河野兼光さん」/「巨人軍お抱えの接骨医の吉田寅蔵さん」/「歌手の曽根史郎さん」/そして今も在住される「幸福書房の岩楯幸雄さん」・・を紹介しましたが・・
     
    ◎マンガの聖地・としま南長崎「トキワ荘」
    マンガ好きの方なら当然 南長崎(旧 椎名町)といえば・・「マンガの聖地」であり マンガ家が寄り集まっていたアパート「トキワ荘」が在った町としての紹介が不可欠とお思いのことでしょうから 私も早い段階でとりあげたかったのですが トキワ荘とそこに住んだマンガ家についての情報は 今や大量に出回っていて ちょっとやそっとの情報では陳腐なものになってしまう恐れがあって 躊躇していましたが 触れないわけにもいきませんので あまり知られていないと思われる話を含めてご紹介します
     
    マンガに詳しくない方のために 簡単に紹介しますと(以下敬称略)・・
     
    東京都豊島区南長崎(旧 椎名町)には 1952(昭和27)年に建てられた「トキワ荘」という木造2階建てのアパートがありました (1982=昭和57年に老朽化のため取り壊されました)
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     ↑ トキワ荘全景模型           
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     当時のトキワ荘外観
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       当時のトキワ荘外観        当時のトキワ荘の部屋
     
    ここに1953(昭和28)年に入居したマンガ家の最初が・・手塚治虫(作品:鉄腕アトム 火の鳥など) 
     次に寺田ヒロオ(作品:スポーツマン金太郎など)が入り その後に藤子不二雄の二人組も入居して当初は共同制作していました  (二人はその後別れて・・藤子・F・不二雄(作品:ドラえもん パーマンなど) と藤子不二雄 (作品:忍者ハットリくん 笑ゥせぇるすまんなど)とに それぞれ名前を変えた)
     
    手塚治虫が1954(昭和29)年に転居した後の部屋に最初は藤子不二雄の二人で入居しましたが その後にその隣部屋に藤子・F・不二雄が移り住みました
     
    その他 石ノ森章太郎(作品:仮面ライダーなど)/赤塚不二夫(作品:おそ松くん 天才バガボンなど)/
    鈴木伸一/森安なおや/水野英子/よこたとくお/その他のマンガ家が住んでいました
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      トキワ荘住人のマンガ家を仮想集合させた絵葉書(カメラ持つ鈴木伸一がこの絵の作者)
     
    ◎トキワ荘が在った町の現在の状況
    現在 豊島区と地域団体「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」は「マンガの聖地」を全国にアピールしようと多様な策をこうじてきました・・例えば・・ 
    ・トキワ荘跡地には そのアパートの姿再現した小型モニュメント設置
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    ・近くの公園に同様小型モニュメントと居住したマンガ家達の紹介パネル設置イメージ 12
      
    「豊島区トキワ荘通りお休み処」を開設してトキワ荘関連の資料と そこに居住したマンガ家たちの著作マンガ本も少々備えた“町の観光案内所”とした (飲食物販売提供はありません)
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    ・アクセスする西武池袋線・椎名町駅構内には小ギャラリー設置/同線  ・東長崎駅構内には手塚治虫のマンガキャラクターの「レオとライヤ」像を設置/都営地下鉄12号線・落合南長崎駅構内にはモニュメント設置
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    西武池袋線「東長崎」駅構内
                                     
    ・各種パンフレットやポスター作製配布 /また「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」のホームページやブログでも情報発信中
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    ・マンガ文化に関する各種セミナー開催
    「紫雲荘活用プロジェクト」と称する“マンガ家の卵”を支援する事業(次回ブログで紹介)
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     現在の「トキワ荘通り」(右端はマンガで有名なラーメン店「松葉」)

    ◎各地で”マンガで街興し”マンガミュージアム出現
    今 日本各地には“マンガ関連で街興し”する所やマンガとその関連資料を大量に備えたミュージアムも多数出現しています 例えば・・
    鳥取県境港市には「水木しげるロード」があり 妖怪のブロンズ像は150体を 超えて設置され  毎年250万人以上の観光客が来訪
    宮城県石巻市には「石ノ森萬画館」 
    宮城県登米市は「石ノ森章太郎ふるさと記念館」
    富山県氷見市には「氷見市 藤子不二雄Ⓐまんがワールド」
    神奈川県には「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」
    兵庫県宝塚市には手塚治虫記念館
    兵庫県神戸市には横山光輝関連の「神戸三国志ミュージアム」と「鉄人28号の 巨大像」や「三国志登場武将の巨大像」設置
    その他 有名マンガ家の出身地の多くがアピールしています
     
    京都市の「京都国際マンガミュージアム」は、京都市と京都精華大学の共同運営による漫画の博物館および図書施設 国内外のマンガその他の雑誌や資料を約30万点収蔵 建物は元小学校(昭和4年建造)の校舎を利用し 芝生の庭でマンガも読めます イメージ 14
    京都国際マンガミュージアム内一部(同所ホームページより)
     
    東京都千代田区の明治大学敷地内の「米沢嘉博記念図書館」漫画評論家の故・米沢嘉博氏の蔵書寄贈によって作られた 漫画とサブカルチャーの図書館
    東京都新宿区の「明治大学現代マンガ図書館<内記コレクション>」は 国内で最大級のマンガ蔵書18万点を誇る専門図書館 元々は1978年に 日本で初めてマンガ図書館を設立した故・内記稔夫(ないきとしお)氏が50年以上にわたり収集したマンガの単行本や雑誌 マンガの入門書・評論集・マンガ研究本など収蔵した私設図書館だったものが明大に寄贈されたもの
    東京・立川市の「立川まんがぱーく」は 家族みんなでまんがを楽しめるようにと子供向け漫画から大人が子供時代に楽しんだ漫画も揃っている
    東京・あきるの市の「少女まんが館」は寄贈された約5万5千冊の少女漫画が並ぶ私設漫画館で古い昭和少女漫画から現代少女漫画まである 但し当図書館は完全予約制で期間限定
    岐阜県の「まんがサミットハウス」は娯楽施設「飛弾まんが王国」内にある漫画図書館で約3万5千冊の漫画収蔵 ここでは温泉と食事が楽しめる宿泊施設もある
    広島市には「広島市まんが図書館」が市が運営する漫画専門図書館で 13万2千冊漫画収蔵 その他 漫画の資料や情報を収集・保存し各種行事なども開催
    福岡県北九州市の「北九州市漫画ミュージアム」は 特に九州ゆかりのマンガ家作品収蔵が多く計約5万冊 現代の漫画に関する展示やイベントも開催 また漫画制作体験教室もある
     
    さらには海外にもマンガミュージアムはあり特にマンガ家の人口密度世界一と言われるベルギーは同国の人気マンガキャラクターの「スマーフ」や「タンタン」で日本でも知られていますが 首都ブリュッセルには「ベルギー漫画センター」があり内部に「漫画博物館」や「マンガ図書館」あります このセンターの建物はアールヌーボー様式の大きく立派なものです
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    ベルギー漫画センター内部      
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    マンガ図書館内部(右にスマーフの人形がある)
    ベルギー漫画センター関連内容は「ぱんたれい」さんのブログより一部引用https://reipanta.com/outing/cbbd/
            
    がっかり観光名所の一つにならないための計画?
    前述のように 日本各地のマンガ関連による街興しや施設に比べるとトキワ荘が在った町のアピール度は貧素と言わざるをえない状態です それでも名前に魅かれて全国からマンガファンは来られていますが 来ての正直な感想はなにかもの足りない” ”不満がっかり(マンガッカリ)”という人が多いことでしょう

    ところで 「日本三大がっかり観光名所」と言われるのが・・(1)札幌の 時計台/(2)高知の はりまや橋/(3)(諸説あって) 長崎のオランダ坂 沖縄の守礼門 京都タワー 名古屋のテレビ塔 など
     
    このままでは東京豊島区南長崎の「トキワ荘のあった町」も第四のがっかり観光名所なりかねないので・・数年前からやはり俗に言うハコモノも必要ということで 豊島区と「としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」と地元住民との間でトキワ荘再現型施設建設構想計画を練った結果・・
    (仮称)マンガの聖地としまミュージアム」をトキワ荘跡地から200mほど西の現在「南長崎花咲公園」となっている土地に建設が決定して2020年3月完成をめざしています
     
    ふるさと納税制度利用の資金調達
    そこで建設資金調達案として登場したのが・・「ふるさと納税」を利用してもらう方法です
    建設整備費予算9億円の内 1億円を「ふるさと納税」でまかなう算段で 今年2018(平成30)年2月から呼びかけ始めた結果 予想以上の反応で・・10月中旬には7500万円が集まったので 目標を上方修正して2億8千万円にしました

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    「ふるさと納税」案内パンフレット

    豊島区という所は どうも資金作りがウマイようで・・2015年完成の「豊島区役所新庁舎」(地上49階・地下3階建 設計:隈研吾)は 総事業費435(予算GO)億円なのに 公共施設ながら税金を一切使わずに建てられたのです
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    新庁舎(wikipediaより引用)
    新庁舎は「としまエコミューゼタウン」と称して 日本初の官公庁舎と民間住宅施設が一つの建物に同居する画期的な複合施設であり 総事業費の半分以上は 11階から49階までをマンション322戸分にあてて その分譲販売収入で賄い その他 国からの補助や旧庁舎跡地に建設される文化芸術施設「ハレザ池袋」からの敷地賃料等で賄ったのです

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    「マンガの聖地」については次回にも続きます

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