なぜ私が1月10日にこの文を綴り始めたかと申せば、世界初のジェット旅客機「コメット」の空中分解事故が69年前のこの日に発生したからです。一方、「タイタニック号」沈没という史上最大級(犠牲者数は最大ではないが)の海難事故もありますが、この二つの事故には「リベット」が大きく関係していたのです。

◎リベットとは・・
金属板どうし(その他、例は少ないが皮革、布、紙など)を接合する場合に、それらを重ねた部分に貫通する穴をあけ、その穴に”金属製の短い円柱または円筒状の塊”を差し込み、それが抜けないように塊の頭と尻の部分をつぶしてひろげる(かしめる)・・という方法があるが、ここで言う”金属製の塊”が「リベット」で、これは日本語で言うところの(一種の)「鋲(びょう)」。

↓リベットで接合した鋼板の例((株)ワールドインテック社のHPより)
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◎コメット機とは
コメット機は英国のデハビランド社が開発・製造した世界初のジェット旅客機で、時速800キロで高度1万2千メートルを飛行(そのため高空では機内の空気圧は外気より高い状態)。定員42人。機体表面はアルミ合金板使用。

↓「コメット」機:4基のエンジン外装形状は主翼と一体化して非常にスマートだったが製造時やメンテナンス時は問題無かったのだろうか?
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就航開始から1年半経過した1954年初頭時点で17機存在。その内9機をBOAC(英国海外航空)社が保有。

◎コメット機事故とその原因のあらまし
※詳細説明は長くなるので、今回のブログ文章の後部に付録させます。

1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機がローマの空港から離陸して26分後に地中海上で空中分解して35名が犠牲となった。さらに3か月後の4月8日にまたローマ発エジプト行きのBOACのコメット機が空中分解して21名が犠牲となった。(4月8日はお釈迦さまの誕生日。不謹慎だが、この日にコメット機は”おしゃか”になってしまった)
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事故の遠因は・・高度1万メートル以上を飛行したこと。そのため高空では機内の空気圧と外気圧の差を大きく生じ、地上では差は消えるという状態がフライトの度に繰り返されるので、機体を覆うアルミ合金板は「金属疲労(金属の板や棒などを曲げたり元に戻したりすることを多数回くりかえすと折れたり切れたりする)」を起こしてひび割れし、切断してしまった。

特に金属疲労が起きやすかった箇所があった。・・それは”四角っぽい”窓や扉のコーナー部分。海中から回収された機体破片を継ぎ合わせてみると、その分部から き裂が走っているのが多く見られた。これは「応力集中」による現象というのだそうです。
↓窓のコーナー(右上部分)からき裂が・・
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↓コメット機の窓は遠目には四角だった!
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この"四角っぽいコーナーから き裂が発生する現象"を逆に応用しているのが、プラスチック製の(菓子などの入った)袋の両端の"ギザギザ"で、その"山と谷"の谷の部分から裂けやすいように意図されている。この場合、"谷"部分が、コメット機の窓のコーナー部と同じ状態と言える。↓
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◎リベット打ち込み時の穴が悲劇の引き金!
多くの金属片をつなぎ合わせてその切断跡を辿ってみると、すべてのき裂は、機体天面の”無線送受信用の二つの窓”の周囲にリベットを打ち込んだ際の穴の縁にできた小さな”ひび”から始まっていることが判明したのでした。

↓胴体天面の二つの窓
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↓その窓周囲に打ち込まれたリベット(再現図)
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↓右の窓のコーナー部のリベット穴が き裂出発点
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「全ての道はローマに通じる」(All roads lead to Rome)という言葉があり(ちょっと意味がちがい)ますが、ここでは「全ての亀裂はリベット穴に通じる」ことになってしまいました!

デハビランド社はコメット機の欠陥を解消して4年後に復活させたが、一度信頼性を失った同機は受け入れられず、その間に米国ボーイング社が新たなジェット旅客機を登場させたりしたので、デハビランド社は他の航空会社に吸収されてしまったのでした。
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下の絵は私が小学校1年生のとき、ある本に「世界の飛行機」だったか?の絵が載っていたものを真似して描いたもので、中でもコメット機のカッコ良さが気に入っていましたが、左下に「いぎりす (時速)800きろ」と書いているのでコメットのつもりと判断できるもののエンジンを5基にして、いいかげんだった。
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《コメット機空中分解事故と原因究明詳細》 (上記以外)

1954(日本の昭和29)年1月10日、BOACのコメット機781便は、シンガポール発ロンドン行で、中継地ローマの空港を午前10時31分に離陸したが、その26分後の10時57分に突如消息を絶った。

当初は原因不明で爆薬による破壊説などもあったが、地中海のエルバ島付近で操業中の漁民が事故を目撃していたことと、遺体の損傷具合が爆発物によるものでではなかったことで、単なる空中分解と判明。乗客29名、乗員6名、計35名が犠牲となった。


そして漁民らは機体破片落下海域で遺体を引き揚げたりしていたので、捜索範囲が絞られた上に付近は水深120メートルほどなので残骸回収は楽かと思われたが、ブラックボックスもまだ無い当時の技術では難航したものの最終的に大部分が集まった。(時の首相チャーチルが海軍も動員させて機体徹底回収を指示した)

◎再び同じ事故が起きた!
目立った設計ミスや製造ミスは確認されないが、事故の根源的原因がまだ特定されてない状況にもかかわらず、事故から10週間後に英国政府はコメット機の運航再開許可を出した。

そこでBOACが運行再開して間もない4月8日、ローマからエジプトに向かうコメット機がまた地中海上で空中分解して乗客14名と乗員7名あわせて21名が犠牲になり、機体の破片は水深1千メートルの海底に沈んでしまった。つまり3か月の間に2機が同様の事故を起こしたので当然コメット機は運航即時停止。

チャーチル首相は原因徹底追及を英国王立航空研究所に依頼。そこでさらに科学的分析とその検証が行われた。その例は・・

(1) 客室胴体部分の縮尺1/10の模型を透明プラスチックで作り、内部に座席やダミー人形を配置して、胴体内部空気を加圧した状態で小さな穴を開けて急減圧したところ、座席は内部で吹っ飛び、ダミー人形は頭や体を天井や内壁に激しくぶつけた。これで一連の事故犠牲者の頭部陥没と肺臓の破裂や内部損傷の原因が実証された。

↓1/10の模型
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↓急減圧すると座席とダミー人形は天井や内壁に激突した 
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(2) 実機のコックピット部と尾翼の付いた後部を除去した残りの”客室部胴体部分”を納める巨大水槽(巾7m/長さ34m/深さ5m)を作り、胴体と周囲の水の注排水を繰り返して、地上と1万メートルを超す間の気圧の差による”機体内の加圧と減圧による機体の膨張と収縮”を再現して、これを繰り返してみたところ、3千回行なったところで外装のアルミ合金板の一部にき裂を生じ始めた。

↓巨大水槽で実験
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↓水槽実験で外装のアルミ合金板3千回の屈伸による金属疲労で き裂発生した部分
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(3)実機を使って客室内を加圧⇔減圧状態の実験をしたところ、窓や扉周辺のコーナー部には強烈な歪(応力集中)が発生していることが計測されたので、この部分からき裂が発生しやすいことの裏付けとなった。

※無線送受信用窓周囲の打ち込みリベットの穴が事故の引き金になった・・という説明は前記の通りです。

(
コメット機に関係の写真はナショナルジオグラフィックチャンネルより引用)
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次回はタイタニック号沈没とリベットについて・・です。
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