徒然G3(ツレヅレジイサン)日話秘話飛話

兼好法師ならぬ健康欲しい私がつれづれなるままに お伝えしたいこと綴ります。 時には秘話もあり!

    ジャンルは不特定で硬軟織り交ぜながら 皆様に何かお役に立てば幸いです

    (文中、敬称略します)
    ◎岡田嘉子(おかだよしこ:元人気女優)の声を日本向けモスクワ放送で聴いていたことになる私

    私は中学、高校生時代に、短波放送が聴けるトランジスタラジオや自作の短波専用受信機(真空管式:高1中2型)でアマチュア無線の傍受や「日本短波放送(現ラジオNIKKEI)」そして外国からの日本向け放送をよく聴いていた。

    外国語は苦手なので、おのずと日本向けの日本語放送、とりわけ近隣国からの明瞭に聴こえる局の電波を拾うことになるから「モスクワ放送(現「ロシアの声」)」と「北京放送」が多かった。

    これらは1日あたり数時間の放送で、放送開始時には必ずソ連や中国の国歌が流れ、その後に女性や男性の日本語によるナレーションが始まり、ニュースや民族音楽などが流されたが、露骨なプロパガンダのようなものは無かった。

    私が最近になって知ったのは1947年以降のモスクワ放送の日本語アナウンサーの女性は二人いて、その内の一人があの岡田嘉子だったということ。

    そうすると私が1960年代に聴いていたモスクワ放送の女性の声の半分は岡田嘉子だったようで、どうりでキレイな日本語だった。

    岡田嘉子(1902=明治35年~1992=平成4年)は戦前、舞台女優から映画へ進出して大女優の名声を得ていて一時は女優人気投票で1位だった。
    ↓岡田嘉子
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    しかし、スキャンダル事件を起こして所属していた日活を解雇され、自分で演劇一座を立ち上げて地方巡業し、その後1930(昭和5)年に「大衆キネマプロダクション」という映画会社を作り、千葉県我孫子市の手賀沼を見下ろす丘の上に撮影所を建設して、1年数カ月の間にトーキー映画を数本製作したが(事情詳細は省略しますが)廃業して、今度は松竹に入社した。しかしその頃には往年の華やかさにやや欠けるようになっていたところ、

    日中戦争が始まり、出演作品にも軍国主義の影響を受け始めたので、日本に嫌気がさしていたことに加えて、演劇レベルが高い評判もあったソ連で学ぼうという思いもあって1938(昭和13)年にプロレタリア演出家であり恋人の杉本良吉と共に樺太から国境線を超えてソ連に向かった。

    しかし二人はソ連当局にスパイ容疑で捕まり、引き離されて杉本は翌年に銃殺処刑され、岡田は1947年まで強制収容所にて労役その他(1939年のノモンハン事件の際の拡声器による日本軍への降伏勧告の音声は岡田の声だったのではないかと言われている)を強いられた。

    そして解放後の1947年からモスクワ放送の日本向けアナウンサーとなって少なくとも1970年代初期まで続けていた。・・この間の1960年代に私は“モスクワ放送の電波に乗った岡田嘉子の声”を聴いていたことになることを、今になって知ったという次第。

    ↓1970年頃、モスクワ放送スタジオで日本語原稿を読む岡田嘉子
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    (↑写真は「東京新聞」より)

    岡田は1972(昭和47)年に一時帰国し、日本の舞台や映画に出演したが、その最初の仕事が山田洋次監督の映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の中で、大きな旅館の女将としての出演だった。

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    この映画には宇野重吉も”ある高名な日本画家”に扮して出演しているが、宇野は共産党員でもあった人だから、ソ連という社会主義国に長年 生活してきた岡田嘉子が帰国した直後から何かと支援していたこと、そして日頃から共産党支持を公表している山田洋次監督、この二人と”岡田嘉子の起用”には深い関係があるように思われる。

    岡田嘉子(左)  と宇野重吉 (映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の1シーン
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    またこの映画には、”宇野重吉が創立者の一人であった「劇団民藝」”の団員あるいは元団員だった大滝秀次、佐野浅夫、(この映画シリーズ定番役の)下条正巳、三崎千恵子らが出演している。

    もう一つ繋がりを感じること、それは、(後述しますが、この映画の舞台となった)龍野市が生んだ有名人の一人である三木清(1897=明治30年~1945=昭和20年)の存在で、三木清は左派の哲学者で、一時は共産党へ資金援助もしたことあり、戦中に治安維持法違反で逮捕投獄されて獄死した。著書多数の中でも「人生論ノート」はロングセラー。

    ある評論家(名前を失念)はこの映画を評して、(私の記憶による表現が正確ではないかもしれないが)「観る者を馬鹿にするような内容」というようなことを新聞のコラム欄に発表されていたことがあり、”どの点がどう気に入らないのか”が私にはよくわからなかったので気になるところ。

    私はと言えば、この映画を最近テレビ放映版でたまたま観た際に岡田嘉子が出演していることを知って”ここで伝説の女優が見られた”ことに、ちょっとした感動をおぼえたのだった。

    しかし岡田は、自分の安住の地はソ連であるとして、日本滞在10数年たった1986年に離日し、その6年後の1992年(ソ連崩壊でロシアとなった翌年)にモスクワで死去した。

    ※映画「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」への私の思い入れ!
    この映画では、葛飾柴又以外の舞台となったのが兵庫県龍野市(現、たつの市)。

    私はその地を訪れたことがあり、今調べたらこの映画が公開されたのが1976(昭和51)年なので、その2年後の1978年のことだった。(私の当時の住まいからクルマで70分くらいの地だった)

    たつの市は姫路市の西隣に位置し、龍野城の城下町だったということで風情あり、「播磨の小京都」と言われている。
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    (↑上画像はたつの市HPより/下画像はyoutube「重伝建を巡る油屋ヒマンニャム」より引用)

    たつの市を訪れると記念碑や案内パンフレットで必ず目にする、この地出身の有名人には、前出の三木清の他に同姓の詩人「三木露風」(1889=明治22年~1964=昭和39年)がいて・・

    童謡「赤とんぼ」を作詞したことで知られる。(作曲は山田耕作)

    歌ってみれば・・「ゆうやーけ こやけえの あかとーんーぼー ~」・・そうです! 龍野市を舞台にした「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」という題名の由来がピンとくる! ちなみにこの地には国民宿舎「赤とんぼ荘」もあるが(コロナ禍以降)現在営業休止中。

    また、たつの市は全国的に有名なそうめん「揖保乃糸」の生産地でもあり薄口しょうゆの代表的メーカー「ヒガシマル醤油(株)」の本社工場はじめとするいくつかの醤油会社があり、私が訪れた時もその一帯は町中に醤油の香りが漂っていたし、「しょうゆ饅頭」を売る店もあった。

    ↓「揖保乃糸」
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     ↓ ヒガシマル醤油「うすくち龍野醤油資料館」(レンガ建物)
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    (↑画像はyoutube「重伝建を巡る油屋ヒマンニャム」より引用)

    ・・というわけで、「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の映画を観ながら、龍野の風物を大いに懐かしんだ次第。

    ◎正岡子規は”野球”の命名者ではなかった
    野球好きでも有名だった俳人:正岡子規が野球をして楽しんだのみならず、英語の野球用語を訳して「打者」「走者」「四球」「死球」などの現在に至るまで使われている言葉を作ったという話はよく知られている。

    ↓正岡子規:右はベースボール姿 (Wikipediaより)
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    そこで、ベースボールという言葉も子規が「野球」と訳した・・と流布されている話を私も信じていたところ・・

    つい最近の新聞やネット上で、この”野球命名説”は完全に間違いであることを知りました。

    日本の「野球」の命名者は中馬庚(ちゅうま かのえ)↓であるのだそうだ。
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    中馬は明治・大正時代の教育者で、学生野球育ての親とされる。旧制一高のベースボール部でプレーし、指導者としても活躍。1894(明治27)年に「ベースボール」を「野球」と訳して、これが日本初の呼称とされる。

    一方、正岡子規は、1890(明治23)年に発表したある文集では、自分の名前を、幼名時の「升(のぼる)」をもじって「野球」と書き、「のぼーる」と読み仮名を付けているので、後にこれが誤解を生んだとされる。

    ともかく野球の発展に貢献した中馬庚と正岡子規は二人とも野球殿堂入りしているとのこと。

    ◎辻本清美(国会議員)は世界一周船旅などのピースボート設立人の一人
    辻本清美(1960=昭和35年生まれ)は現在、立憲民主党の参議院議員だが過去の所属政党は社会民主党をはじめ多数。しかし政治家としての主な主張は一貫していて”天皇や皇族の存在を否定はしないが、これに関する憲法第1条から8条までを廃止するべき”というもの。過去には”秘書給与詐欺事件”で有罪となったこともある。
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    そんな辻本だが、「国際交流NPO法人ピースボート」の設立人の一人でもあることを私はつい最近まで知らなかった。
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    antarctic

    2012年6月17日の朝日新聞に掲載された”辻本へのインタビュー記事”によれば・・

    『早稲田大学生だった1983年に同志と「みんなが主役となって船を出そう」というコンセプトで「ピースボート」を立ち上げた。

    その動機となったのは、中学生の時に読んだ、小田実(おだまこと)著「何でも見てやろう」の精神を具体的な形にしてみようという思いだった。

    私の友人に、ご夫婦でピースボートのクルージングに2回も参加されている方がいますが、その旅の経験談をうかがうと、訪問先は定番の観光地だけではない所も多く、まさに「何でも見てやろう」方針が実践されている。

    ちなみにピースボートの今後の予定の一つは・・

    『横浜発着106日間 2028年12月14日~2029年3月29日』
    横浜 → アピア(サモア)→ パペーテ(タヒチ) → イースター島(チリ)→ バルパライソ(チリ)→ プンタアレナス(チリ)→ 南極遊覧 → ウシュアイア(アルゼンチン)→ プエルトマドリン(アルゼンチン)→ ブエノスアイレス(アルゼンチン)→ モンテビデオ(ウルグアイ)→ リオデジャネイロ(ブラジル)→ ウォルビスベイ(ナミビア)→ ケープタウン(南アフリカ)→ ポートエリザベス(南アフリカ) → ポートルイス(モーリシャス)→ ペナン島(マレーシア)→ シンガポール→ ダナン(ベトナム)→ 基隆(台湾)→ 横浜

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    有名な人の意外な話、また次回に続けます!
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    前回は”青木繁と福田蘭堂と石橋エータローの関係”、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、石井四郎軍医についてのあまり知られていないと思われる話
    ( https://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/28793420.html )でしたが、
    今回も続いて、”ある人たちに関して、私が「へー、そうだったのか」と思ったこと”のいくつかです。

    ケネディは上杉鷹山(うえすぎようざん)を尊敬していた!
    アメリカ合衆国の第35代大統領だったジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(JFK=1917~1963年)。
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    氏は来日した際に、米沢藩(現在の山形県南部)の藩主:上杉鷹山(1751~1822年)を尊敬していると発言したことは私も知っていたのですが・・

    ↓上杉鷹山
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    有名な”大統領就任演説”の中で、これまたよく知られている発言部分が鷹山の施政方針を範としていたことは知りませんでした。

    そのケネディ演説の部分とは・・

    「アメリカ国民の皆さん、国があなたに何をするかを問うのではなく、あなたが国に何ができるかを自問してください。」

    「世界の市民の皆さん、アメリカがあなた方に何をするかではなく、私たちが一緒になって、共に人類の自由のために何ができるかを問うてください。」

    では上杉鷹山が行った数ある優れた施策※の中で、ケネディが範としたのは・・

    財政困窮状態の藩政を任された鷹山が見事に立ち直らせた施策の根本的方針を示したもの。
    それは次の”3助”・・

    ・自ら助ける、「自助」

    ・近隣社会が互いに助け合う、「互助」

    ・藩政府が手を施す、「扶助」

    これの自覚をもって武士も領民も実践した。

    鷹山は「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という古代中国の諺も唱えていた。

    ※上杉鷹山の施策は同じ米沢藩で鷹山より約200年前に家老だった直江兼続(なおえかねつぐ)の施策
    を受け継いだものもいくつかある。

    余禄1:ケネディ大統領暗殺は1963年11月22日(日本時間23日)で、この日は日米間で初の「宇宙中継(後年に「衛星中継」と称するようになった) 」の映像が流されたのだが、その内容は大統領狙撃事件のニュースとなってしまった。
    当時高校生だった私はこの勤労感謝の日の朝に起床するやいなや突然の事件報道に驚いたことをハッキリ覚えている。

    余禄2:アメリカの大統領は過去に4人(リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディ)暗殺されているが、リンカーンとケネディの暗殺時には二人とも副大統領はジョンソンだったので、リンカーンもケネディも後継者としてジョンソン大統領が誕生している。

    ◎マッカーサー元帥は乃木希典(まれすけ)将軍を尊敬していた

    ↓マッカーサー元帥 / 乃木希典将軍
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    終戦後の日本を占領・統治する連合国軍最高司令官となったダグラス・マッカーサー(1880~1964年)元帥は、日本へ到着して間もない時期に、東京の旧乃木希典邸(今も港区赤坂に現存)に出向いて、庭に一本のアメリカハナミズキの木を植樹した。

    ↓アメリカハナミズキの木(後ろは旧乃木邸)とその説明板
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    マッカーサー元帥のとったこの行動の理由は、日露戦争時にアメリカから派遣された”軍事オブザーバー(観察官)”※の一人だった父親であるアーサー・マッカーサー・ジュニアから、日露戦争の際の乃木将軍の武士道精神に基づく立派な行動を聞かされていて感銘をうけていたから。

    乃木のその行動とは・・

    日露戦争でロシア側の旅順要塞を陥落させた乃木将軍は 降伏した敵将ステッセルと1905(明治38)年1月5日に水師営という村(現在の大連市内)で会見したが、

    敗戦の将ステッセルに対する乃木大将の対応はことごとく仁愛と礼節に満ちた武士道精神的であり 例えば・・詰めかけた内外の報道陣、に ステッセルが屈辱感を味わうような映画や写真を撮らせなかったり、各国の軍事オブザーバーの立ち合いを禁止したので その乃木の振る舞いは全世界に配信されて 称賛された。 

    ↓水師営での写真:中列中央の二人が乃木将軍とステッセル将軍
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    ※日露戦争時の軍事オブザーバーは世界9カ国から総勢50人以上、その他各国からのマスコミ特派員も100名近くが参加していた。彼らによる戦況、戦術情報は分析・研究されて、後の第一次大戦に活かされた。

    ◎ヘレン・ケラーは塙保己一(はなわほきいち)を尊敬していた
    目が見えず、耳は聴こえず、言葉が発せられない(声そのものは出たので後に話せるようになった)、という三重苦のアメリカ人のヘレン・ケラー女史(1880~1968年)は、その全生涯を教育と福祉、そして世界平和に尽力したことで世界的に有名。

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    ヘレン・ケラーが障害にめげずに希望をもって生き、努力した行動を支えたのは尊敬する”日本の江戸時代の盲目の学者:塙保己一“の存在だった。

    塙保己一(1746~1821年)は武州児玉郡(現在の埼玉県本庄市)に生まれ、7才で失明したが、手のひらに指で字を書いてもらって文字を覚え、周囲の人が語ったことは完璧に覚えるなど記憶力が優秀だった。
    ↓塙保己一
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    向学心が強く、江戸に出て国学、漢学、神道、医学、和歌などを学習したうえで、34才で「群書類従」(様々な記録や文献、文学作品、手紙などを集めて整理したもので666冊)の作成にとりかかり74才で完成。続いて「続群書類従」(1885冊)の編纂にも着手したが、これは世に出ずに終わった。

    その他、国の歴史に関する資料も編纂して「史料」も作っているが、現在これを引き継いだカタチの東京大学から「大日本史料」として出版されている。

    このような塙保己一をヘレン・ケラー女史がどれほど尊敬していたかを紹介する”さいたま市のホームページ”から一部を引用させてもらいます。(【】内)

    【ヘレン・ケラー女史は、昭和12(1937)年に初来日した際、渋谷の温故学会※を訪れ、母親から『日本の塙保己一先生はあなたの人生の目標となる方ですよ。』と教えられたことに触れ、こう話しています。

    『今日、こうして温故学会を訪問して先生の像に触れることができましたのは、日本への訪問の中で最も意義深いものでした。

    使い古された質素な机と、優しそうに首をかしげた先生の像に触っていると、先生のお人柄が伝わってきて、心から尊敬の気持ちがいっそう強くなりました。

    先生のお名前は、水が流れるように、永遠に後世に伝えられていくに違いありません。』

    また、埼玉会館で開かれた講演会では、『私は特別の思いをもって、埼玉にやって参りました。それはつらく苦しい時でも、この埼玉ゆかりのハナワ・ホキイチ先生を目標に頑張ることができ、”今の私”があるからです』と話しています。

    ※「温故学会」は塙保己一の功績を讃え、広く世に知らしめるために渋沢栄一らによって設けられたもので、「群書類従」の版木(17,244枚)などを保管し、一般にも公開している。

    さて、このヘレン・ケラー女史には彼女に付き添った優秀な女性家庭教師「アン・サリヴァン」(俗称「サリヴァン先生」:1866~1936年)の存在を抜きには語れない。

    ケラーが7才の時、家庭教師になったサリヴァン先生はヘレンに、互いに指を触りながらで文字を伝える指文字で言葉を教え、学習させて遂には彼女を大学卒業まで導き、その後の社会的な活動にも寄り添って約50年間も支援した。

    ↓アン・サリヴァン
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    ◎電話発明者グラハム・ベルが関与したサリヴァン、ヘレンケラー
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    アレクサンダー・グラハム・ベル↑(1847~1922年)は実用的な電話を発明したものの、自分の妻や母が難聴者だったために、自分の発明が身内には役に立たないので、自身ではその成功をあまり喜べず、後に電話技術を応用した補聴器を作ったが大型すぎて実用化できなかった。

    ベルの家系は、祖父、父、兄弟が弁論術や発声に関した仕事についていたので、彼自身も聴覚や発声の研究を進める過程での電話器発明だった。

    ベルの活躍は幅広く他の分野の発明品もいくつかあるが、聴覚障がい者のための学校も設立した。

    ヘレン・ケラーの両親は、視覚・聴覚障がい者である娘の教育をまかせられる人物を探すために、手を尽くした結果、グラハム・ベルに会い、彼の尽力でパーキンス盲学校から、同校を優秀な成績で卒業したアン・サリヴァンが派遣されて、以後ヘレンの家庭教師となった。

    ↓左からヘレン・ケラー、アン・サリヴァン、グラハム・ベル
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    (↑写真はロバート・V・ブルース著「孤独の克服ーグラハム・ベルの生涯」より引用)

    ※グラハム・ベルの"音声に関係する機器の開発"などの功績から”音の強度を示す単位”を氏の名前をとって「デシベル」と決められた。

    3月3日が「耳の日」と決められたのは3・3=ミ・ミの語呂合わせだけでなく、グラハム・ベルの誕生日が1847年3月3日だから。

    ※グラハム・ベルの母親は難聴だったために大きな補聴器を使っていたそうで、ということはベートーベンが完全に聴力消失する前の段階で使用していたラッパのようなモノ↓だったか?
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    画像はr/classical_circlejerk•より引用

    舞台劇や映画になった「奇跡の人」とは・・アン・サリヴァンのことであり、ヘレン・ケラーのことではないのだそうで、私は題名だけ知っていたものの観ていないので誤解していました。
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    人物に関する意外なことはまだありますので次回に・・
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    皆さまそれぞれに、意外に感じる事や話に出会ったことがあると思います。そこで”私が「へー、そうだったのか」と思ったこと”のいくつかをご紹介。勿論、中には”知る人ぞ知る”というものもあって「そんなことは知っているよ」と言われるものもあるとは思いますが、まず今回は”人物”に関して・・

    ◎青木繁の息子は福田蘭堂、孫は石橋エータロー
    青木繁(1882=明治15年~1911=明治44年)は
    画家で代表作「海の幸」↓で有名だが28才で夭折。
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    青木繁の息子が福田蘭童(1905=明治38年~1978=昭和51年)で、
    尺八奏者、作曲家、随筆家、釣りマニア、料理も得意。

    青木繁とその愛人である福田たねの間に生まれたが、戸籍上たねの弟とされたので福田姓。

    上の絵の右から4人目の白い顔は福田たねと言われる。

    福田蘭童が有名になったのは1953(昭和28)年から翌年にかけてNHKのラジオドラマ「新諸国物語」として放送された中の「笛吹童子(ふえふきどうじ)」や「紅孔雀(べにくじゃく)」のテーマ曲を作曲したこと。

    団塊世代以上の年齢層には懐かしい歌声で、私などは両曲とも(1番だけですが)今でも歌うことができる。

    また彼は釣りマニアでもあって関連の著作が「蘭童つり自伝」などいくつかあり、作家であり釣りマニアでもあった開高健の師匠的存在だったのこと。

    福田蘭童の息子が石橋エータロー(1927=昭和2年~1994=平成6年)で
    一世を風靡した音楽付きコミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のピアノ担当だった。

    蘭堂の若いころは、いわゆる”女ぐせが悪く”ために離婚、再婚したが、最初の妻との子が石橋エータローで、これも姓がつながっていない・・

    ↓福岡県久留米市にある青木繁の碑の前で記念撮影する福田蘭童(右)と石橋エータロー
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    というわけでエータローが父である蘭堂に会ったのは20代になってから。しかし会ってみれば音楽、釣り、料理など共通の嗜好があるので意気投合して、この親子は昭和42年、渋谷に酒と料理の店「三漁洞(さんぎょどう)」を開いた。

    店には釣りの同好の士もよく集まり、開高健も来店していた。

    そして蘭堂、エータロー亡き後も「三漁洞」を守っているのが・・

    エータローの妻である
    石橋光子さん↓ (写真は「東京新聞デジタル」より)
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    さすが、店内の壁には青木繫の絵(たぶん複製)も飾っている。

    ( 「三漁洞」ホームページ: http://sangyodo.com/)

    ◎グレタ・ガルボは整形美人だった
    1930年代頃のハリウッドには、何かと対峙する2人の大女優、ドイツ出身のマレーネ・ディートリッヒとスウェーデン出身のグレタ・ガルボがいた。

    グレタ・ガルボのスウェーデン映画出演ころの顔は丸ポチャで前歯が出気味で、眉もまばら、モジャモジャ頭という状態だったが、

    ハリウッドでは歯の矯正、メークアップ、ほっそり綺麗な眉、すっきりとかされた髪に3年かけて仕上げられた。
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    (↑写真は芳賀書店発行「グレタ・ガルボ マレーネ・ディートリッヒ」より)

    ※現代のスウェーデンでは別のグレタさんが気候変動対策や環境保護を唱えて活躍中。

    ◎イングリット・バーグマンの双子の娘の一人は女優で活躍中
    映画「カサブランカ」や「ガス燈」などに出演した女優のイングリット・バーグマン。
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    ↓自分が産んだ双子を連れるイングリット・バーグマン (この前に3人産んでいるから子供は計5人)
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    (↑写真は「マグナム」より)

    ↓イングリット・バーグマンが産んだ双子の一人:イザベラ・ロッセリーニ
    つまり上の写真の双子のどちらかが成人して映画俳優になっている。父親が名監督のロベルト・ロッセリーニ(ただし、彼女が5才時に両親は離婚)
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    ◎石井部隊長は731部隊員に彼の出身地の人を多く登用し重要ポストに就かせた
    小説家の森村誠一の著作「悪魔の飽食」によって広く知られることになった旧日本陸軍の731部隊:通称=関東軍防疫給水部の部隊長であった石井四郎軍医(最終階位:中将)は

    彼の出身地である千葉県千代田村加茂(現、芝山町)の住民を自分の部隊に多く登用し、しかも重要なポストに就かせたので、別名「加茂部隊」とも言われたほどだった。

    その理由は明らかで、この部隊が旧満州ハルビン郊外で行った”捕虜などの中国人やロシア人”を使ったコレラ菌やペスト菌感染の生体実験を行って細菌兵器の研究・開発や強制的な凍傷実験などを秘密にしなければならなかったからで、それには石井軍医の地縁、血縁である人が信用できたから。

    ↓石井軍医(前列右から5人目)と加茂集落の住民の集合写真
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    (↑写真は「東京新聞」より)

    終戦後、石井軍医が戦犯にならなかったのは、訴追免除の交換条件として731部隊の秘密資料を米国側に(ほんの一部はソ連側にも)引き渡したからだとされている。
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    まだ他に"人についてのお話"ありますが、長くなるので続きは次回に・・
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    先日(2025年10月11日)の東京新聞に「Tシャツの日本史」という本(高畑鍬名=たかはたくわな 著)の内容を酒井順子氏(エッセイスト)が紹介していて、それによれば・・

    今はTシャツの裾をボトム(ズボン/スラックス)に「イン」しないと(入れないと)ダサイ・・ということになっている。

    (戦後) 白洲次郎、石原裕次郎、三島由紀夫たちがTシャツをカッコ良く着てみせたが、それは裾が「イン」状態だった。

    それが尾崎豊や吉田栄作らの1980年代まで続いたが・・

    1990年代になり「渋カジ」が流行し始めると裾を出す「アウト」化が進んだ。

    その結果、わずかな「イン」派は「オタク」の人間とされた。

    ところが現況は再び「イン」の時代となった。』・・のだそうで

    そうなると、腹の出た体形では”カッコよくない”ことになるから大変だ!

    これにちなんで言うなれば、”近年のスーツの袖丈は長すぎてカッコわるい”!

    別の言い方をすれば、”スーツの袖口から(大方は白い)ワイシャツ(関西では「カッターシャツ」)が見えていない”

    ◎スーツ袖口からワイシャツが1センチ出るのが理想!
    今から57年前の1968年に「セビロの哲学」という本が毎日新聞社から出版された。
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    その著者である星野醍醐郎氏は1924年生まれの服飾デザイナーで、1964、1965年の2年連続で米国の「キャズウェル・マッシー賞」という”メンズファッションデザイン賞”を東洋人として初めて受賞した人。

    氏はその著書の中で「スーツ袖口からワイシャツが約1センチ出るのが良い着こなしである」と述べた。

    それが良い着こなしである理由については、私もこの本を購入して読んだことがあるものの覚えていないのですが、私なりに思うところは・・

    ”スーツ袖の色(A)” と “袖口から出て見える手の色(B)”の境界に、”そのどちらにも属さない色の線または帯”を配することで(A)と(B)はいかなる色であっても互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる。

    また、スーツ袖口を汚れや摩耗から守る効果もある。

    ↓チャールズ国王と白洲次郎:袖口に注目!
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    テーラーの上木規至(のりゆき)氏はイタリア・ナポリで修行したが、氏の仕立てるスーツを披露する際にも袖口とワイシャツの見せ方には注意がはらわれている。↓
    uekisi-suit
    (↑上木氏とスーツ:NHK「美の壺」より)

    この"スーツ袖口とワイシャツの見せ方"は、流行というものではなく絶対的な美的感覚に支配されるもので不変、普遍であると言える。

    ◎「トリム効果」
    前述のような視覚的効果は「トリム効果」と言えるものだろう。

    「トリム(trim)」には、縁取り、装飾、刈込み、整えなどの意味がありますが、「トリム効果」とは”縁取り”として線または細い帯を ”複数の色が互いに接する場合の境界に採用することによって、各色は互いに干渉することなく、それぞれの色を主張しながらも視覚的に全体が引き締まる”効果を生じること。

    ◎「ゼロ戦」機体の日の丸マークの「トリム効果」
    旧日本軍の戦闘機で俗称「ゼロ戦」の胴体と主翼に描かれた日の丸は初期には”赤い丸”であったが、昭和17年の夏頃になると”赤い丸の周囲に白縁”を追加するようになった。

    その理由は明白で、濃い緑色の機体に赤い丸を着けても、ちょっと離れて見ると赤い丸がはっきりとは見えないからで、仲間からの誤射も受けかねない。

    これは濃い緑色と赤色の明度が近いことによるもの。

    そこで赤丸の周囲に白い縁をつけて、赤丸は明確に視認できるようになった。これはやはりトリム効果である。
    zero-sirowaku
    (↑上:phil howard2.blogspot.com/下:「ゼロ戦 遊就館」のHPより)

    しかし、戦争後期になると前線では逆に赤丸周囲の白縁をわざわざ黒く塗って消すようになった。これは性能を向上させた米軍機から見つかりやすく狙われやすくなったためであった。

    ↓赤丸の周囲の白枠を塗りつぶした黒色がすぐ一部はがれてしまったゼロ戦
    zerosen3

    ※ゼロ戦も最初期の機体は明るい灰色(通称:飴色)だったので、日の丸はただの赤丸だけで十分明確に見えた。

    ◎衣装における「トリム効果」
    冒頭の”スーツ袖口とそこからのぞくワイシャツ”の例の他に、衣装においては単なる線状・帯状の紐や布の他、レース、フリンジ、リボン↓なども袖口や襟元に使われ、これがトリム効果になる。
    trim-robbon
    (↑左:Hymyily/左:「jimmybottons.com.au」より)

    「トリム(シャツ)」という”ストレートにトリム効果を意図したもの”もある。
    trim-shirt
    (↑「temu.com」webカタログより)

    和服の場合には(浴衣は別にして)着物の襟元において着物と首元の境界に線状・帯状の布(現代では「半襟」と呼ぶ部分)が見えるように置かれ、トリム効果が発揮される。

    ↓半襟がトリム効果(白が多いが、右端のように最近の振袖には色柄の半襟も)
      
    (PCではクリックで拡大)
    wafuku-eri
    (↑左:日経ムック「FORTY LOVE」/中二つ:「家庭画報」/右:「一蔵」カタログより)

    ◎室内壁面での「トリム効果」
    室内装では「トリムボーダー」と呼ばれる、やはり線状・帯状のものが壁などに貼付される。

    ↓トリムボーダーの例:壁面がツートーンの場合の境界に使われる他、一色の壁面でも床上1メートルくらいの部分に設けられることも多い。
    trim-border
    (↑左:「kaoringo」さんのブログより/右:「トリムボーダー」カタログより)

    ◎ステンドグラスもトリム効果
    教会などのステンドグラスは色とりどりのガラスが寄せ集まっているが、それぞれは主に鉛でできた細枠で囲まれた状態になっていて、これがトリム効果となり、多彩な色が互いに干渉せずにまとまって見えるようになっている。
    stainedglass3
    (↑「thearchitectsguide.com」より)
    stainedglass2
    (↑「mariyo.jp」より)

    ◎輪郭線使う絵や太線枠絵画もトリム効果
    例えば、ルオーの描く絵はトリム効果が顕著。
    ruoo
    (↑「www.shibayama-co-ltd.co.jp」より)

    「わたせせいぞう」氏のイラスト(https://seizo-watase.com/)も・・

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    冒頭の「セビロの哲学」という本は、私も所持していたものの読後に廃棄してしまったのですが、現在でも需要があるようでネット上のマーケットでは、中古品で8千円、2万8522円、3万円などで売られています。
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    この文章作成した10月13日は偶然にも江戸時代の医者:華岡青洲(はなおかせいしゅう)が世界初の全身麻酔手術に成功した日とのこと。
    hanaokaseisyu
    ↑画像はWikipediaより

    そして現在 小泉八雲とその妻をモデルにNHKテレビ放送中の連続テレビ小説(朝ドラ)の「ばけばけ」。
    bakebake

    華岡青洲、小泉八雲どちらも、妻の貢献によるところ大なるもので・・

    それにちなんで今回は古今東西、夫婦の協力で大きなことを成し遂げた事例を少々とりあげます。

    ただし、そのほとんどが男性である夫の成果として語られるのですが、実際には、夫と共同(共働)した、あるいは夫を助けた妻があればこそ大きな事が成し遂げられたケースが多い。

    有名な”妻”たちとしては、まず冒頭の「花岡青洲の妻」や「山内一豊の妻」があり、”夫を助けると言うより共同”した「キュリー夫人」がいますが、よく知られているだけに、ここでは概略を後記してみます。

    上記3人ほどは有名ではないものの”やはり、夫を大きくした妻”たちには・・

    ◎「小泉せつ(小泉節子)」(1868~1937)
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    小泉八雲の妻であり、
    夫であるラフカディオ・ハーン(1850~1904:ギリシャ生まれのイギリス育ち。日本に帰化して小泉八雲)が来日して鳥取県の松江尋常中学に英語教師として滞在中の家に住み込み女中となってそのまま結婚。

    夫が日本語をあまり理解できないので、彼女なりの英和辞書のようなものも作るなどして、夫婦の間だけに通じる「ヘルンさん言葉」を編み出して、日本の怪談や伝説を口伝のカタチで伝えて夫の「Kuwaidan(怪談)」などのストーリーの素を作って執筆を助けた。

    ◎「松下むめの」(1896~1993)
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    ↑画像はWikipediaより

    松下幸之助の妻であり、結婚時、夫である幸之助は電力会社の電気工だったが、工事の改良案を思いついて提案しても会社に採用されずに落胆し、病弱だったこともあって退職して「おしるこ屋でも始めるか」と切り出したところ、むめのは激しく反対して勝手知ったる電気関係の仕事に打ち込むようにと叱咤激励。

    覚醒した幸之助は電気器具製造を始め、これが後の松下電器(現、パナソニック)の基となるのだが、当初は資金繰りが厳しかったが、むめの夫人は自分の着物や貴金属類を夫に知られないようにして売却し、おカネの工面をした。

    後に「日本民間3大発明」の一つと言われる「二股ソケット」※の生産販売で成功して増やした従業員の面倒をよくみたのもむめのだった。 ※他の二つは「地下足袋」と「亀の子たわし」

    もう一つ間接的に貢献したカタチになったのが、むめのの弟である井植歳男を入社させたことで、歳男は病弱だった幸之助の手となり足となって事業拡大に大きく貢献した。(詳細は省略しますが、井植歳男は戦後、会社を辞して三洋電機を創業した)

    ↓松下電気器具製作所創業時の松下幸之助(後列左)、松下むめの(後列右)、井植歳男(後列中)
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    ↑写真は「三洋電機30年の歩み」誌より

    ◎「ベルタ・ベンツ」
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    カール・ベンツの妻であり、夫が世界初のガソリンエンジン自動車を開発して1886年に特許まで取って販売開始したが2年経過しても低迷していた。 
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    しかし自動車の可能性を確信していた妻のベルタはそれを証明して話題を作るために一計を案じて、

    1889年8月のある日、ベルタは夫がまだ就寝中の早朝に、息子二人を起こして3人連れ立って“そっとその3輪自動車を動かして”なんと約100キロ先の実家を目指して走り出した。

    100キロというのは意味があり、当時馬車は一日に90キロ走ったからで、これに対抗するためでもあった。

    しかし道路地図もなく、田舎道の走行はスムーズにはいかないし、パワーが無いから上り坂では息子たちに押してもらって乗り越えた。

    そしてベルタの知見と機転が発揮されたのが・・途中のガソリン補給するにもガソリンスタンドなど当然無いから、どうしたかと言えば・・薬局で石油系の溶剤を購入して燃料にして走行を続けられたことや・・
    効きがあまいブレーキパッドには、途中で思いついて革を貼ってもらって改善したこと。

    こうして、100キロを12時間で走破して、その日の夕方には見事に実家に到着!

    これは“自動車による世界初の長距離移動”であり、しかも女性が成し遂げたということで翌日の新聞のトップ記事となった。
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    ↑画像は「ディスカバリーチャンネル」より

    ベルタのこの快挙によって、その後の自動車製造販売にハズミがついたのは言うまでもない。
    ただし1900年時点では電気自動車が1/3を占めていた。

    ドイツでは、昔にベルタが走破した経路としてマンハイムとプフォルツハイムの間の道路を2008年に「ベルタ・ベンツ メモリアル ルート」としてドイツ観光街道に設定されている。

    ◎「上山ゆき」
    1890(明治23)年に世界最初の蚊取り線香を発明した上山英一郎※の妻である。
    (※後の金鳥ブランドの大日本除虫菊株式会社の創業者)                                     

    当初の蚊取り線香は、その形が仏壇などで使われるお線香と同様なものだったため火もちが40分しかなかったので、長もちする方法を夫が考え悩んでいたところ

    「ゆき」夫人が、線香を渦巻型にすることを思いつて提案したので、

    英栄一郎はこの案に基づいて渦巻型蚊取り線香を1902(明治35)年に誕生させた。                    

    ただし初期の蚊取り線香の断面は丸型で、現在のような長方形ではなかった。

    一説には「ゆき夫人は庭でとぐろを巻いている蛇を見つけて、渦巻の形を思いついた」という話が流布されているが、その真偽のほどは分からない。

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    以下は有名な“妻”たちの概略です

    「花岡青洲の妻」 
    江戸時代の1804年に夫である花岡青洲が、60才の女性の乳がん手術を全身麻酔によって行い成功させたが、そこに至るまでは妻のみならず母や親類の”麻酔の実験台”になるという文字通り「献身」があり、その過程で妻は失明、母は死亡した。

    「山内一豊(やまのうちかずとよ)の妻」(1557~1617)
    本名「千代」または「まつ」で、後の「見性院=けんしょういん・・夫である山内一豊が欲しがっていた名馬の購入のために自分の懐からお金(持参金ともへそくりとも言われる)を出し、一豊が手に入れたその馬を見た信長は、その馬主にふさわしいようにと一豊への禄高を加増させた。
    その他、後に「笠緒文」と呼ばれる“機転をきかした妻の行い”(詳細割愛)が一豊の評価を上げて家康から土佐藩の初代藩主の身分を与えられた。

    「マリー・キュリー」(別称キュリー夫人:1867~1934)
     Pierre_and_Marie_Curie

    夫であるピエール・キュリーとの夫婦共同作業で放射線関連分野へ貢献して夫婦でノーベル物理学賞受賞したり、ラジウムやポロニウムの発見などをした。夫が交通事故で亡くなった後も夫人は放射性物質関連の研究開発を継続してノーベル化学賞も受賞している。

    夫婦共同作業の成果と言えば・・

    「坂口教子(のりこ)」
    「T細胞」の発見により今年2025年のノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文(しもん)氏の妻であり、長年、夫婦で二人三脚に近いカタチで研究・実験を行ってきた結果、夫の受賞を呼び込んだ。

    以上は目だった例ですが、世の中には目立たなくとも"良い伴侶"どうしで良い成果を得ていることが、当たり前のようにあるものです。

    ・・・・・・・・・・・・

    今から半世紀以上前の1947年に、ある切手がモナコ(公国)から発行され、
    その図柄は、切手収集家としても有名だった米国大統領フランクリン・ルーズベルト氏が切手を見つめる姿。

    しかし、なんとルーズベルト氏の左手の指が6本あるように描かれているので、当時大きな話題になった・・という話が掲載された本を私が小学生だった1957(昭和32)年頃だったか?に読んでいたのですが、
      
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    その切手の現物↑が今、私の手元にあるものの、はてどうやって手に入れたか記憶に無く不思議。

    ちなみに、この切手を発行したモナコを含めてサンマリノ(共和国)、キューバ(共和国)、ニカラグア(共和国)などの小国やタンザニア(連合共和国)、ケニア(共和国)、などのアフリカの国は

    世界中の切手コレクターを意識したと思われる美しい図柄でしかもそれが活かせるように比較的大型の切手を多発していて、それが国の外貨収入源の一部となっている?

    例えば、キューバからは日本の浮世絵の切手6種組も発行されている。

    最近は私の終活の一環で、過去の切手コレクションの切り売りをしているのですが、時流は”中国切手ブーム”なのでこれはそこそこ買い手がつくものの、なかなか売れないものもある。

    その一つが、「世界の偉人・有名人」の外国切手を集めたもので、
    46名で65枚。これらの大部分は私が小・中・高生時代に集めた外国切手の中からピックアップしたもので、その後にはポツポツとごくわずか追加したものです。

    ゆえに古いものが多く、今では考えられない”ヒトラーの横顔”の切手もあります。

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    この外国切手の偉人・有名人の内訳 (46名)

    リンカーン /  ショパン /  シューベルト /  シューマン
    ワシントン / ドボルザーク / ヤナーチェック
    ガンジー / マルクス / スメタナ / ピエールキュリー
    ヘンデル / ボルテール / マルコポーロ
    ベーデンパウエル / アンリデュナン / フランクリン
    ゴヤ / シェークスピア / コペルニクス / レーニン
    ウイリアムパイパー / ツイオルコフスキー 
    マグサイサイ / フランクリンルーズベルト
    ネルソン提督 / スターリン / 孫文 / パットン将軍  
    クララツェトキン / エリザベス2世女王 / ヒトラー
    ジェファーソン / 蒋介石 / ウイリアムマッキンリー
    スカルノ / レーニエ3世 + グレースケリー
    ジョンアダムス / ジェームスモンロー / 毛沢東
    プーシキン / レンブラント / セオドアルーズベルト
    ピオ12世 + ピオ9世

    分部拡大(PC画面ではクリックでさらに拡大)↓ 有名人なので顔だけでわかる人が多い!
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    参考
    ・ベーデン・パウエル・・ボーイスカウトとガールガイドの創始者
    ・アンリ・デュナン・・赤十字社の創設始者
    ・ウイリアム・パイパー ・・航空機(パイパー機)開発者
    ・ツイオルコフスキー ・・ロシアの“ロケットの父”、SF作家
    ・マグサイサイ・・フィリピン大統領時の功績讃えられ「マグサイサイ賞」俗称”アジアのノーベル賞”が創設された。
    ・パットン将軍・・米国陸軍人で”大胆不敵”な戦術で多くの戦果を誇った。戦車隊率いて有名。
    ・クララツェトキン・・ドイツの”女性解放運動の母”と呼ばれた。
    ・ウイリアム・マッキンリー ・・米国第25代大統領。北米最高峰マッキンリーの名前となる。
    ・ピオ12世 + ピオ9世・・ローマ教皇
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    もう一人の切手が出てきました ↓・・ガガーリン・・人類最初の宇宙飛行士
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    先記の「世界の偉人、有名人切手 使用済等 65枚」はメルカリにて”赤字大出血サービス”の¥390円(税、 送料込み)・・で販売中。(9月26日現在)
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    前回に続いて大きな”顔のみの像”、”頭部のみの像”あるいは”そのようなもの”についてですが、それらは”元は大きな体全体像から(倒壊などで)分離したもの”が多い中で、最初から顔だけまたは頭部だけ作られたものもある例が・・

    ◎メキシコのオルメカ遺跡の巨大頭部像
    メキシコのカリブ海沿いにあるオルメカ遺跡では計17個の巨大頭部像が見つかっていて、最小は高さ1、47メートル、最大は3、40メートル。

    ↓その一例:高さ2メートル、重さ約20トン(「ラ・ベンタ遺跡公園(ラ・ベンタ野外博物館)」に在る)
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    (画像は「ていねい通販」の「スタッフ日記」より引用)

    紀元前800~500年ころにこのような立体的頭部像作りの習慣は廃れて以後は平面的な石彫に移行したとされる。

    ↓双方とも顔が主体の石彫で直径1.4メートル、重さ700キロと大きく、石材は石灰岩。
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    画像は「カラパイア」HPより

    オルメカ文明はアメリカ大陸で最初の古代文明で、紀元前1500年ころにメキシコ湾岸地域に出現して紀元前400年ころまで栄えた。オルメカとは、アステカ語(ナワトル語)で”ゴムの人”を意味するオルメカトルに由来する。

    オルメカ文明は後のマヤ文明やアステカ文明の母体となったもので、これらの文明を総称したのが「メソアメリカ文明」。

    ◎グアテマラのジャングルの巨大顔の石像
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    (↑ ©画像クレジット:パブリックドメイン)

    この巨顔像は、グアテマラのある農協の役人が、亡くなった妻を偲んで火山性の軽石を彫って作ったもので、像の土台部分に彫られた銘には”妻のイニシャルとともに1936年4月16日の日付け”があるそうだ。

    ↓写真は1940年代初めにカーネギー研究所の調査団が撮影したとされるもの。(上の写真もその時に撮影したものか不明)

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    (画像はhttps://imgur.com/a/qqybIL9 より引用)

    この像の顔つきは白人的でネイティブな人とは違うという不思議なものなので、その作者や由来について憶測で多数の説が出ていた。

    さて、”元は全身像だったものから頭部だけ分離”したと思われる例には・・

    ◎トルコのネムルト山の巨顔像
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    (↑画像は文芸春秋の「CREA」のHPより引用)
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    (↑画像は「ikumi nonaka」さんのHPより引用)

    トルコにある標高2134メートルのネムルト山頂付近には、ギリシャ神話やペルシャ神話に登場する神々の石像が倒壊状態で点在していて、巨顔だけの部分がいくつか在る。この地はギリシャ人やペルシャ人など多民族が暮らす都市だったとされ、世界遺産になっている。

    ところで、もともとの全身像の体部分が隠れていて頭だけが見えていたのが・・

    ◎ほぼ大きな頭だけのスフィンクス
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    (写真は「TRiP EDiTOR」のHPから)

    元々のスフィンクスは現在見られるような”頭はエジプトのファラオ、胴体はライオンの姿なのだが、長い間 砂に埋もれていた時代があって、厳密に言えば”肩から上のスフィンクス”が見えていて、その状態では大きな頭と顔が目立っていた。

    それがよく分かるのが ”スフィンクスの前で日本の武士集団が写る(上の)写真”。

    幕末の幕府は”日本各地の開港をせまる外国”に対して開港延期交渉および西洋文明調査のために数回にわたって遣欧使節団を派遣。

    その中の一つが、1863(文久3)年の外国奉行・池田長発(ながおき)を団長とする総勢20数名の通称「池田使節団」で、その役目は開港延期どころか一旦開港した横浜を閉港するための交渉であった。

    一行が途中に寄ったエジプトでピラミッド内部を見学し、スフィンクスも観ていたところを撮影したのは、(エジプト滞在中の)イタリア人写真家アントニオ・ベアト。
    (彼の兄のフェリス・ビアトは世界初の戦争写真家で日本の下関戦争での欧米連合軍側の大砲など撮影、さらに日本の観光地を撮影して世界に紹介した)

    ちなみに、「スフィンクスの鼻が欠けているのはナポレオン軍の仕業」というよくある話は間違いで、それ以前から欠けていたという証拠が残っていて・・

    1755年にフレデリック・ルドヴィグ・ノルデンという海軍軍人にして探検家でもあった人物の著書「エジプトとヌビエの航海」が発刊されたが、その本の中には”鼻の欠けたスフィンクス”の絵がある。
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    図はノルデンの著書中のもの

    しかるに43年後の1798年になってナポレオンがスフィンクスやピラミッドを観たのであるから、”ナポレオンがスフィンクスの鼻を破壊したという伝説は事実ではない“ことがわかる。

    そして、砂に埋もれていた胴体が現れたのは1926年で、その発掘はエジプト考古学博物館館長ガストマン・ガスペロ(フランス人)の発案で資金集めされて実行された。

    その他・・

    ◎大きな顔、頭のように見えるモノ
    前回、マレーシアの洞窟入口のリンカーンに見える岩をとりあげましたが、他にも・・
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    ↑(左画像)Wikipediaより / (右画像)フランス・メルカントゥール国立公園の岩(Agota氏撮影のもの) 
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    ↑(左画像)台湾・野柳風景特定区の「女王頭」(Mark.S.Piteo-Tarpy氏撮影) / (右画像)バイキング1号が火星で撮影した「人面岩」 

    あるモノが何かに見える、あるいは何かのように聞こえる現象を「パレイドリア現象」または「パレイドリア効果」と言うそうで、勿論 人間の顔だけでなく動物の姿に見えるなどいろいろな例がある。

    “聞こえ”の例では、録音した音楽テープを逆送りした場合や早送りまたは遅送りすると”何かメッセージのようなもの”が聞こえることがあるのがこれに当たる。

    蛇足ながら、オッフェンバック作曲の「天国と地獄」の代表的メロディーをサンサーンスが拝借してそれを大変遅いテンポにして自分の曲にパロディーとして取り込んで作ったのが「動物の謝肉祭」の”亀”の部分。他にも同じく「天国と地獄」を遅くしたパロディー部分があるクラシック音楽があったように記憶しているものの思い出せないのでご存知の方はお教えください。

    ◎映画に登場する大きな顔
    ご存知のように、巨大な顔だけが現れる映画はいくつかあるようですが、映画というものをあまり観ない私が思いつくのは・・「オズの魔法使い」

    1900年に発刊されたライマン・フランク・ボーム作の児童文学「オズの魔法使い」をベースにした1939年の米国製作映画で主人公のドロシーを演じたのがジュディーガーランドで主題歌が「虹の彼方に(Over The Rainbow)」。

    主人公ドロシーたちが会ったオズの魔法使いは大きな顔だけで現れたが、その直後にはこの魔法使いというのはただの老人で、大きな顔は“はりぼて”であることがバレてしまう。

    ↓映画「オズの魔法使い」での顔だけの魔法使い
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    その後、原作に出てくる魔女たちに焦点を当てた物語を、原作者とは別のグレゴリー・マグワイアという人が作って発表した「ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語」が登場し、これをミュージカルにした「ウィキッド 」が作られ、さらに映画にしたのが「ウィキッド ふたりの魔女」。

    この映画は、原作「オズの魔法使い」で少女ドロシーがオズの国に迷い込むずっと前に遡り、この国で最も嫌われた“悪い魔女”と最も愛された“善い魔女”の過去をふたりの視点から描いた物語で、いわば原作に出てくる魔女たちの裏話。

    この映画の中でも”大きな顔だけの「オズの魔法使い」”が出てくるが、その顔は昔の映画「オズの魔法使い」で出てきたものとは違うものになっている。

    ↓映画「ウィキッド ふたりの魔女」(日本公開:2025年3月7日)の中の”オズの魔法使いの大きな顔”
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    ちなみに、この映画の続編が来年に公開されるようです。

    その他、体全体が巨大だが、特に顔だけ大映しにする場面が多い印象だったのは映画「大魔神」(1966年公開/3部作)。
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    9月1日が防災の日になったのは大正12年の9月1日に起こった関東大震災に由来していますが、その被害がいろいろあった中で、東京・上野の寛永寺境内にあった大仏さまが”おいたわしい”目にあった結果・・

    ◎「上野大佛」はお顔だけ!
    今年令和7年に創建400年となる上野寛永寺の本堂から徒歩10分ほどの場所に大仏さまのお顔(面長約2メートル)だけがまつられていているミニお堂?が在り「上野大佛」と表示されている。

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    (上下計4枚の画像は「テレビ朝日」番組より)

    訪れる外国人の中には「ローマの”真実の口”に似ている。ただしこちらは口が開いていないが・・」と言う人がいるそうだ。

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    この”お顔だけの大仏”、元々はまともなお姿の座像だったものが、1855年の”安政の大地震”で頭部が崩落して、その後修復されたものの1923(大正12)年9月1日関東大震災で再び頭部が落ちてしまった。

    ↓関東大震災前のお姿 (写真は寛永寺蔵)
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    ↓関東大震災で頭部が落ちたお姿・・右下に転がる頭部の螺髪(らほつ)が見える (写真は毎日新聞より)
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    さてこの大仏の災難はまだ続き、落ちた頭の修復目指すも、まもなく大戦が始まって金属類回収令によって、顔面以外が接収されてしまった。

    しかし何故に顔面が残されたのかの理由が不明であり、寛永寺の執事さんによれば「関東大震災で崩落したのは顔面だけであり、金属類回収令が出た際にはこれを隠していたか、あるいはこれだけを供出免除してもらったのかは分からない」とのことだが・・

    震災時に頭部まるごと崩落している写真が動かぬ証拠として存在するから、この”顔面だけ崩落した”話は事実ではなく、しいて言えば崩落後の頭部の顔面部分がその後さらに自然に分離したか意図的に分離させたかのどちらかであろう。

    こうして上野大佛は”何度も頭が落ちたが、もう落ちることは無い”・・ということで、別名「合格大仏」として受験生の合格祈願の対象となっているので、この大仏の周囲は絵馬が大量に掛けられている。↓
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    (↑画像は「テレビ朝日」番組より)

    さて次の大顔の例は・・

    ◎ラシュモア山の岩肌に彫られた4人の米国大統領の巨大顔!
    アメリカ合衆国サウスダコタ州のラシュモア山の岩肌には、ワシントン、トマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、リンカーンの4人の大統領の巨大な顔面が彫られている。(一部は胸像のようになっている)

    顎から頭頂までの寸法は平均18.3メートル、ジェファーソンの鼻の長さ6メートル、ルズベルトの口ひげの幅6メートルである。
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    (↑↓画像3枚は「ディスカバリーチャンネル」より)

    当初はそれぞれの人物の腰あたりまでの姿を浮き彫りにする予定であった。それにもう一人「スーザン・ブラウネル・アンソニー」という女性を追加する予定もあったがいずれも資金不足と第二次大戦に突入したため、それらは断念された。

    この正式名称は「ラシュモア山 国立記念碑」。製作者は彫刻家のガッツォン・ボーグラムで、作業開始は1927年で400人の作業員が硬い花崗岩を時には爆破しながら、完成したのは1947年。

    ↓手作業の様子
    rasyumoa3

    ↓時にはダイナマイトで爆破も。山肌削った総量は約45万トン
    rasyumoa4

    実は、ラシュモア山の岩肌に人物の姿を彫る企画はある有力者から出たもので、その題材にはその土地(元々はスー族の聖地だった)で有名なネイティブアメリカンなどを彫ることを提案されていたものの、ボーグラムは白人至上主義の過激団体KKK(クー・クラックス・クラン)の会員だったことがある人物なので、それに従わずに(白人)大統領にしたと察せられる。

    ◎「自由の女神」の大きな顔だけが見世物になったことが・・
    米国独立(1776年)100周年を祝ってフランスから贈られたとされている「自由の女神」像。
    Statue_of_Liberty1

    この像を作ったのはフランスの彫刻家フレデリック・バルトルディで、厚み2.5ミリ前後の銅板300枚をつなぎ合わせて形作った像の重さは80トン(73トンとも)になった。

    内部を支える鉄製のフレームの設計はエッフェル塔を設計したエッフェルで、使用した鉄材の重さは120トンになったので像の総重量は約200トン。

    像自体の製作費は当然フランス側負担だが、それを設置する台座製作はアメリカ側が負担することになっていたが、両国とも資金不足に悩まされて・・

    像の製作現場を有料で見学させたり、1876年のアメリカ・フィラデルフィア万博には像の右手の肘から先のトーチを握っている部分だけを米国にまで送って(巨大だから)トーチ部分に人が乗って眼下を見物できるようにして料金をとったりし、

    また1878年のパリ万博では像の頭部(胸の一部含む)のみを展示するなどして資金集めを行った。

    ↓パリ万博での頭部展示
    statue-face

    資金集めの状況はアメリカ側の方が芳しくなく、フランス側で像が完成しても台座が無くては贈呈できず、像はパリの”街で待ちぼうけ”をくうこと8年間となり、1886年にやっとアメリカの現在地に設置完了した。

    ↓パリの街(クールセル大通り付近)で米国への出発を待つ1884年時点の自由の女神像 
    (写真は角川書店発刊の「パリとパリジアン」より引用)
    statue-of-liberty (2)

    実は「自由の女神像」の原点はエジプト向けの像だった!・・当初にバルトルディに依頼が来たのは、エジプトの総督から「スエズ運河の入口に巨大な灯台の役目をもつ像を作って欲しい」というもので(私が思うに、これは紀元前3世紀にエジプトのアレクサンドリアに高さ134メートルの通称「アレクサンドリアの大灯台」が建てられていて一時期には最上部には像も立っていたというからこれを意識したものだったのではないか?)、そこでバルトルディはその完成予想図まで描いたところで、エジプト側の財政上の問題で、中止となってしまっていた。その後に”アメリカ向けの像”の依頼がきたので原案を修正して利用した。

    ↓エジプト向けに描かれた図(左)/アレクサンドロスの大灯台想像図(右)
    alexanndros

    ◎国宝「興福寺仏頭」も文字通り頭部だけ!
    奈良の興福寺国宝館に収められている通称「興福寺仏頭」は正式には「銅造仏頭」と言うらしいが、高さは98.3センチと大きいから元の全身像の大きさはそうとうなものだったことがうかがえる。

    ↓「銅造仏頭」
    (約60年前に私が興福寺で撮影したもの)
    buttow

    元は飛鳥山田寺に在ったもので白鳳時代の685年に造られた薬師如来であったが、1187年(現在の解釈では鎌倉時代に入って3年目)に興福寺が強奪して、その数年前に焼失していた本尊に代わって安置させたが、室町時代の1411年に火災にあい、頭部だけが残ったものを現在の本尊の台座内部に収めていたが、1937(昭和12)年に発見された。

    ◎リンカーンの横顔にそっくりな巨岩 
    lincoln
    (写真は朝日新聞より)

    マレーシアの「グヌン・ムル国立公園」(マレー半島側ではなくカリマンタン=旧称ボルネオの北西部に位置)の中の「ディア・ケーブ」という巨大な洞窟は高さ120メートル、幅175メートル。その入口付近にある巨大な岩の部分がリンカーン(大統領)の横顔にそっくり。

    上の写真で細かい点で写っているのはコウモリの群れで、この洞窟には約300万匹棲みついていて、午後5時半すぎから、獲物を探しに森へと向かって飛び立つが全匹が出ていくまでに1時間あまりかかる。
    というわけでバード?ストライクを避けるために近くの空港での最終便は午後3時半までと決められている。

    蛇足ながら、このリンカーンの横顔のような写真から思い出すのは、今から45年ほど前の1980年代初頭だったかに、私がある団体に参加してのパリ訪問の際にキャバレーのような所?で観た”有名人の横顔を、手の指だけを使っての影絵で表現する名人”が作り出す”人物”が説明が無くとも誰だかがまことによく分かるのには驚いた。そこで表されたのがリンカーン大統領の他、ドゴール大統領、フルシチョフ首相、マハトマ・ガンジーたちだった。なお、この影絵師の技は日本のテレビでも紹介されたことがあった。

    ◎鎌倉大仏の美しいお顔の法則をさぐる作業が昔にあった!
    hasedaibutu
    (↑画像は「バズトリ」のHPから引用)

    「鎌倉大仏」は鎌倉市長谷の地におわすことから「長谷の大仏」とも呼ばれますが、正式名は「国宝銅造阿弥陀如来坐像」と言うのだそう。

    大仏像は国内外に数ある中でもこの鎌倉大仏のお顔はただ大きいだけではなく抜きんでて美男ということで、1951(昭和26)年に、目鼻立ちの比率を測って科学的に美男顔の条件を研究する目的で、この像を足場で囲み、お顔の各部位を細かく実測することが行われた。

    daibutu-hakari
    ↓鼻の計測中
    hasenodaibutu3

    ちなみに鎌倉大仏のお顔の長さは2.35メートル、目の長さ1メートル、耳の長さ1.9メートル。

    ◎「大顔面」という名の石膏モデルがある!
    daiganmen12

    学校の美術部や美術学校などで見かけるのが通称「大顔面」という石膏モデル。元の姿はパリのルーブル美術館収蔵の「ルキウス・ウェルズ」というローマ皇帝の胸像であり、その顔面だけをとったもの。
    上左画像の普通のタイプと右の「面取り」タイプがある。大きさはいくつかあって、大きいものでは縦39センチ、横35センチ、厚み20センチ。
    (画像は「石膏像ドットコム」ショップのHPから引用)
    ・・・・・・・・・・・・
    大きな顔だけの像はまだありますので次回(2)にて・・
    ・・・・・・・・・・・・

    最近は生成AIの利用が色々な分野で多様に展開され始めていて、その中の一つに”あたかも実在の人あるいは故人がそこに居るように(モニター画面などに)登場して動いたり、会話をする”というカタチがある。
    その例をいくつかあげてみますが、その多くは現段階ではモニター画面を通しての事例です。

    例1) 関ジャニの村上信五↓の生身の本人ではなく、
    生成AIによる”彼の分身”のような”生成AI版の村上信五”

    ↓これは生身の村上信五
    murakami-s

    それがモニターに現れて、その彼を観る人と質疑応答などをする。

    あたかも本人が実際に(いわゆる口パクではなく)しゃべって応答しているように見えるが、それも事前に10時間(だったか?)かけて彼本人の顔、姿、声、経歴、信条、志向、好みなどありとあらゆる関連情報をAIに学習させた結果、実の本人になり代わっての応答が成立しているという様子が・・先日のテレビ番組の中で紹介された。

    例2) 三井住友フィナンシャルグループでは中島達社長の身代わり”生成AI社長”並存
    『社長の講演などの発言を生成AIが学習して社長の分身になった”生成AI社長”を活用する試みが昨2024年7月から行われている。

    ↓(左)本物の中島社長と同氏のAI社長 / (右)中島社長が分身のAI社長と質疑応答する様子
    p-nakajima

    中島社長が”生成AI社長”に向かって「もしAI社長が新社長になったとしたら、どんなスローガンを出したいですか?」という質問すると、

    生成AI社長は「スローガンは・・未来をつくる覚悟・・です。ちなみに覚悟を問われる時が一番 心が躍るんですよね」と答えたのに対して

    中島社長は「ありがとうございます。大変参考になりました。どこかで使わせていただきます」と答えていた。

    中島社長いわく「(“生成AI社長”導入の)目的はAIを気軽に使うきっかけにしたい。現在、社員はチャットで”生成AI社長”に質問することができるようにしている。今後は”AI上司”も開発する予定」』
    (『』内の内容と画像はNHKテレビより)

    例3) キリンホールディングスでは”役員になった生成AI”が活躍
    同社では”人の顔あるいは姿を使わない、いわば「答えは出すとも姿は見えず」というカタチの生成AIを「生成AI役員」として採用して社内の経営会議などに参加させる試みを今年2025年7月から始めた。

    ↓(左)パソコン内のAI役員が参加する会議の様子 / (右)南方社長
    p-minakata

    『南方健志社長いわく(AI役員は)「議論の場で、漏れが無いか指摘してくれるなど補助システムとなって、(人間の)社員たちは非常な”気づき”を得るという、一つのツール的存在かなと思う」』
    (『』内の内容と画像はNHKテレビより)

    そして生成AIを”あたかも故人の蘇生、あるいは故人との対話”に利用され始めた例が・・

    例4)『人物が写っているたった1枚の写真から、その人物がいろいろな動きをする動画を作る会社「写真復活スタジオ」(東京・市ヶ谷)

    同社が扱った例では、ある女性が結婚式の直前に父親が他界してしまったので、バージンロードを一緒に歩いてくれることが叶わなかったのだが、

    その父親の写真から、生成AIを使って生前の動く姿を再現して”父親との二人でバージンロードを歩く姿”を動画として見ることができた.。

    その中での父親は時々、彼女の方に目を遣る動作もし、彼女もまた父の方を向いて互いに微笑むという様子の動画が作られている。

    (勿論、この会社の“写真人物の動画化”は故人以外も対象)』

    ↓父親と娘の写真をそれぞれ1枚ずつ生成AIに取り込んだ 
    aisample1

    ↓(左)父親と娘が一緒になった動画 / (右) 父親と娘が見つめ合いほほえむように”作られた”動画
    marriage

    (『』内の内容と画像は「日本テレビ」番組より)

    例5) 実際の人ではなく、ホログラムで立体的に浮かび上がり、動きもする人物やキャラクターとの会話が生成AI利用でできるようにもなっている。(下の画像も含めてHNKテレビより)

    ↓ホログラムによるキャラクターと実際の人が会話する様子
    hologram

    例6) パソコン上に設定したある特定の故人が、まるで生きているようにチャットGPT形式?で会話をしてくれるアプリがある。

    実際に紹介された例では・・恋人に先立たれたある女性が、生き返ったような”AI恋人“と(顔や姿は現さないで文字でのやりとりだが)”今の辛さや悲しさを伝えながら会話する”様子が紹介されていた。

    彼女は懐かしさと、まるでリアルな話の内容から涙を流しながら対話をしていた。

    以上の例などから、生成AIの利用範囲が広い中で特に“故人の再現、再来”を主軸にした応用展開が考えられる。

    私は昔、あるメーカーに勤務していた中で、”故人の生前の声と(動く)姿が現れる仏壇”の商品化を社内提案したことがあって、社内の反応は「おもしろい」という声とともに「気持ちが悪い」という意見もあったが、結局は予測需要量とコストの関係から採用されなかったという経験をしたが・・

    今や生成AIなど利用で新しい機能を備えた需要度が高い仏壇あるいは祭壇とすることが可能となったので”まるで故人と実際の会話ができるような仏壇・祭壇”を登場させることができる。例えば・・

    仏壇の“おりん”を鳴らす、または”ロザリオ”(小さな十字架にチェーンが付いたモノで、西洋版の数珠のようなもの)を祭壇にかざせば、”生成AI故人”が小型モニターに現れて、対面する実際の人との挨拶や会話が始まる。

    そこでは出来事の報告、喜びや悲しみの共有、グチを聞いてくれる、悩み相談などなど、生成AIが学習した”生前の故人特有のあらゆる情報”を基に、その故人ならではの回答や会話が顔の表情や身振りを伴ってなされる。

    また、最近は超コンパクト仏壇や壁掛け型仏壇も登場しているので、生成AI利用仏壇・祭壇の物理的な形態の参考になろう。

    (TBSテレビ「Nスタ」より)
    new-butudan

    そして、既にスマホの中に仏壇を取り込むアプリなどはいくつか登場しているものの、生成AI故人と対話できるものはまだ無いようだが、

    いずれスマホ使用のポータブル版”AI故人が出てきて、会話もできる仏壇・祭壇”が出現するのでは?!
    ・・・・・・・・・・・・

    夏は屋外に出ると蚊に「刺される」(関西・四国では「かまれる」「くわれる」)からイヤ!・・というわけで、

    私は蚊取り線香を携帯用専用容器に入れて腰からぶら下げて外に出ることが多いのですが、

    線香代もバカにならないと思っていたところ、昨年にネット上で「オニヤンマは蚊の天敵だから蚊よけに効果がある」とうたった”オニヤンマそっくり商品”が一個(一匹)200~600円くらいの価格で沢山出回っていることに気が付いたものの、

    経済的理由で買えないので自作することにして材料を揃えようとしたが、どうしても”オニヤンマの眼”になる適材が見つからずに製作中断していたところ、この夏になって良い材料を見つけたので作ってみた!

    ↓これが手作りのオニヤンマ(羽長14センチ、2匹、衣服や帽子に付けるための安全ピン付き)
    tombow2

    ◎「蚊よけオニヤンマ」作り
    まず、最も苦労した「オニヤンマの眼」の材料は・・”柄がブルー(又はグリーン、理想はブルーグリーン)で透明な歯ブラシ”のその柄の一部。

    ↓歯ブラシ(使い終わったモノ)の”ブルー透明”な柄の端を斜めカットしたものをヤスリで半球体に近づけた形にして”眼”を作る
    toothbrush

    その他、使用した材料は・・
    ・透明プラスチックフィルム(ブリスターパック用と同程度の厚み)
    ・割り箸
    ・紙粘土(胴体としっぽの先端のふくらみ用なので、糸など巻いても代用可だろう)
    ・安全ピン + (それを胴体固着するための)極細針金

    material

    胴体など着色には・・
    アクリル絵具(イエローとブラック)の上から透明ラッカー(ニスでは耐湿、耐水性に欠ける)

    ※塗る順番はまず胴体~しっぽ全体をイエローで塗り、後に黄色の縞を残すようにブラックを塗る。

    ※絵具については、上から厚く透明ラッカーを塗るのであれば普通の水彩絵具でもよいと思われる。

    羽根は・・羽根型に切った透明フィルムに極細の油性ペン(黒)で模様を描き、その面が裏になるようにして、胴体にはホッチキスと接着剤で固定する。

    完成した「手作り 蚊よけオニヤンマ」の効果は・・
    5,6回試したところ、蚊には刺されていない。
    ただし今夏は気温が異常高温なので、日中の蚊の出現そのものが少ないということがあるかもしれない。

    ◎「バードコール(もどき)」が偶然できた?!
    「バードコール」は小鳥の鳴き声に似た「ピッ・ピッ」あるいは「キュッ・キッュ」というような音を出す小さな道具で、林や森の中や山歩きなどの際に携行して鳴らすと、鳥が寄ってくる、あるいは鳥と会話のような反応が楽しめると言われている。

    形状は色々あるようだが多いのは下画像のような“木と金属を少しだけ(10~40度くらい)回転させながら擦り合わせて音をだす”タイプ。

    ↓木部は径17ミリ長さ25ミリ、革ひも付き
    bird-call1

    実は上の画像のバードコールは私が約半世紀前に購入して今でも所持しているモノだが・・

    つい先日、前述の”蚊よけオニヤンマ”を作った際にほんのちょっとだけ使用した接着剤のキャップをねじって締めようとしたら、なんとバードコールと同じ音が出るではないか! つまりタダで代用品が出現した。

    ↓赤いキャップを(使いきった)本体の”接着剤抽出口”のネジ部に締めきる寸前あたりで” 「キュッ・キッュ」という“本物のバードコールと変わらない音”を発する。
    bird-call-modoki

    なぜ小鳥の鳴き声のような音が出るようになったのかを観察、考察したら・・
    アルミのネジ部とキャップのネジ部どうしが擦れ合って”鳴いて”いることがわかった。最初はアルミネジ部に付着している乾いた接着剤が影響しているかと思ったが、それを除去してみても関係がないことを確認した。(キャップ内側のネジ部には接着剤付着無し)

    そして”小鳥の鳴き声のような音”を出すための重要な条件は“金属側と相手側(木質または今回の赤いプラスチック製キャップ)の穴の双方にテーパーがついていること(この場合、アルミ製の
    接着剤抽出口は根元から先端にかけて細くなっていること / プラスチック製キャップは開口部から奥にかけて細くなっている)”であることが分かった。 

    このことを確信したのは・・本物のバードコールを分解して、金属部の円柱状突起と木部の円柱状の穴の径をノギスを使って測ったら互いにテーパーがついていることが分かったから。

    ※今回の「バードコール(もどき)」が出現した理由は、上記以外にも微妙な条件がからんでいる可能性もあるので、念のため当該接着剤はコニシ(株)の「ボンドG17」170mlです。

    ◎バードコールの実際の効果は?
    実は私、バードコールを手にして半世紀、本気でその効果を試したことがなかったのですが、今回調べてみたらネット上で”効果を報告”している人がいて、それによれば・・

    バードコールを郊外の林で鳴らしてみて寄ってきたのは・・スズメ、カラス、人間。

    人間とは、たまたま近くにいたバードウォッチングをしていた人が「聞いたことがない鳥の声がするので」と言って寄ってきたとのこと。

    注目はカラスで、この”ネット報告者"は言及していませんが、"カラスが寄ってきた理由"は・・

    小鳥を捕食しようとしたためであると私は考える・・と言うのは(以前にブログでも述べましたが)私はカラスがスズメを襲う瞬間から食べるところまでを実際にまじかで目撃したことがあるから。

    まさにスズメが仲間と思って近づき、そのスズメを狙ってカラスが寄ってくるほどの効果があるということか!


    ・・・・・・・・・・・・

    前回に続いて、音についてのあれこれです!

    ◎都会の騒音が少し静かになった
    国による”騒音規制法”が1968(昭和43)に発効したことや各自治体の”騒音防止条例”が制定されるなどして、昔に比べれば、今や日本全国の都会の騒音が減少していると思われるが、

    東京の渋谷を例にとってみると、昔は、今のスクランブル交差点あたりだったかに”当地点の現在の騒音レベル”を表す電光掲示板が設置されていて、私の記憶では90デシベル(dB)近い数字もあった。

    渋谷の騒音が時代とともに変化したことを表す数字を探してみたら、同じ場所、時期、時間帯での計測結果ではないと思われるものの、次のようなデータが見つかった。 

    1963(昭和38)年の(ある日の)渋谷の駅前(ハチ公口)の騒音表示は74~82(dB)を示していた。(中日映画社の映像商品サンプルの中で読める)

    ↓その渋谷の電光掲示板
    light-billboard

    1962(昭和37)年~1966(昭和41)年の5年間の渋谷の街の騒音平均は80dB。

    (↑↓ 運輸省:昭和43年度 交通白書より)

    1967(昭和42)年は78dB。
    ちなみに同じ期間5年平均は池袋と新宿とも83dB、1967(昭和42)年も池袋と新宿とも79dB。

    2009(平成21)年の渋谷ハチ公前73.2dB (「コンタック総合研究所」資料から引用)

    2024(令和6)年67dB 
    (「note.com」より引用)

    以上から、曖昧ながら渋谷の騒音は約60年間で15dBくらい下がったようだ。

    現在の渋谷ハチ公前あたりの風景
    hatikoumae

    ※“dB”の程度がどれほどのものかの参考に前回の例を再掲してみます。

    近くの落雷/ま近の飛行機エンジン・・120dB
    クラクション(直近)・・・・・・・・・110dB
    電車通過時のガード下・・・・・・・・100dB
    怒鳴り声/犬の鳴き声(直近)・・・・・・・90dB
    走行中の電車内/パチンコ店内・・・・・・80dB
    騒々しい事務所内・・・・・・・・・・・70dB
    普通の会話/デパート店内・・・・・・・・60dB
    図書館内/閑静な住宅地の昼・・・・・・・40dB
    深夜の郊外/小さなささやき声・・・・・・30dB
    木の葉の触れ合い/雪降り・・・・・・・・20dB

    ◎都会(の繁華街)が静かになった要因は・・
    都会に限らずあらゆる場の音は様々な”音の発生源”から出た音が集合、混合したものだが、都会はその発生源の数が多いことと個々の発生音が大きいものが多いので、騒音という”人が不快に感じる音”が生まれやすい。

    近年の騒音減少は”騒音規制法”や”騒音防止条例”によることが明白なものの、特に都会の騒音減少にはその他の要因もあり・・

    〇  自動車のエンジン音が減った
    エンジン音の少音化が進んだ上に、ハイブリッド車やEV(電気自動車)※が増えたのでエンジン音そのものが減った。

    ※ただし、EVであっても走行時にはあるレベルの音を出すことが義務付けられている

    〇  電車の走行音が減った
    その要因は、線路にロングレール採用が進み、しかもレールの継ぎ目を改良 / 線路切り替えポイントの枕木改善 /  車両材料を鉄材からステンレスやアルミに変えて軽量化 / 車両の振動や揺れの吸収装置の改良 /  動力源のモーターの形式変換、など。

    〇  道路の舗装方法の改善でタイヤ音(ロードノイズ)が減少 
    自動車のタイヤ走行音を低減できる”アスファルト道路の舗装方法”が開発され、その一つの”低騒音舗装”は、道路の表層部を小砂利(骨材)とアスファルトで固める際に、小砂利どうしの間に隙間が多くできるようにするもので、通常の道路より路面発生騒音が7dBほど下がる。さらにその上に、もっと細かい砂利をやはり隙間多く固める層を加えた“2層式地騒音舗装”では騒音が通常道路より10dBほども下がるもので、加えてこれらの舗装道路は表面の透水性が良いため、降雨時・降雨直後に水が溜まりにくく、タイヤによる水しぶき音も削減される効果もあり、採用が広がってきた。

    東京都建設局の説明図 (※低騒音舗装は「7デシベル程度抑制」とあるが他の資料では2~3デシベル抑制とする例が多い)
    road-noiseless

    〇  クラクション音が極端に減った
    クラクションを鳴らす行為は民度と関係あるようで、昔の日本もその音をよく聞いたものだが、近年は激減した。しかし現在でも発展途上国では多いので、某国ではクラクション音が多いとペナルティとして信号待ち時間を長くするシステムになっているそうだ。※

    それよりも、クラクション音が減った大きな要因は”クラクションが鳴らしにくくなった”こと。
    クラクションを鳴らすためにはハンドル(ステアリング・ホイール)と一緒のある部分を押すことは昔も今も変わらないが、

    昔の自動車ではちょっと押しただけで鳴り、しかも押せる部分が大きかったから楽に鳴らせた。※
    しかし近年の自動車ではクラクションを鳴らすためには強く押さなければならず、しかも押す部分(の面積)が小さいから、相当の意思と力が必要になっているから結果としてクラクション音が減っている。

    ↓昔のクルマにはハンドルの内側の半円状または円環状の部分(下図矢印)をちょっと押せばクラクションが鳴った
    old-steering

    ※ちょっと押せば鳴ったから、誤って体や腕が触れただけで鳴ることも多かったが、急ブレーキをかけると(まだシートベルトが無い時代だったので)体が前に倒れてクラクション用の部分を押すカタチになってブーと鳴ってしまうこともあった。

    ※クラクションの音とは限らないが、ある調査によれば世界各地の中で騒音公害件数が最も少ないのはスイスのチューリッヒ。最も多いのは中国の広州市。

    ドイツのある調査機関によると、騒音で難聴になる人の比率が最も低いのはオーストリアのウイーン。最も多いのはインドのデリー。

    〇  少子高齢化で街に子供・若者が減った
    子供・若者が減れば当然のように大声で話したり騒いだりする声が減り騒音減少の一因ともなる。特に渋谷は昔、若者の街と言われたが、現在は若者の絶対数減少に加えて、街にビジネスオフィスが増えた影響で大人が増えたので騒音減少が加速していると思われる。

    ◎音があったほうが良いこと・場もある
    言うまでもなく、視覚障がいのある人たちにとっては音が頼り。それなのに音が減って困る例としては、電気自動車やハイブリッド車の登場で従来のエンジン音が減った※ことや横断歩道での青信号時の”ピヨピヨ”や”カッコウ”音などが(場所によっては)夜間に停止してしまうことなどがある。
    blind-person

    ※視覚障がい者に限らず、全ての歩行者の安全のために走行自動車のある程度の音は必要であるから、国連基準や日本のガイドラインに基づいて自動車メーカー各社は「車両接近通報装置」というもので、車両前進時50dB以上、後退時47dB以上の音を出すようにしている。ただし各社の"音質"が異なるので、日本視覚障碍者団体連合からは音質統一の要望が出ている。

    ところで、「あったらイイ音」と私が思うのは・・

    〇  
    “エレベーターの中で流される快適で適度な音量の音楽”
    静かなエレベーター内に自分以外にも人が乗っている場合に「クー」とお腹が鳴ったら恥ずかしいことになるが、音楽が流れていれば”マスキング効果”でかき消される。 私は実際に音楽が流れるエレベーターに乗った際にこのことに気が付いた。

    そして、「あったほうが良い音」は特に視覚障がいの方に向けては勿論、その他にもいろいろあるだろうが、私が個人的に今、思いつく例で恐縮ですが・・

    〇  
    “パチンコ店内で流される音楽”
    とにかく音楽が流れないパチンコ店内では調子が出ない。私が昔、パチンコが盛んな名古屋市で実際に経験したのだが、あるパチンコ店では音楽(定番の「軍艦マーチ」、その他現在流行りの歌謡曲など)がいっさい流れないので調子が出なくて困った。その他、北陸のパチンコ店でも同様のことがあった。やはりパチンコ店には音楽が必要! 
    (現在の私はパチンコをしませんが・・)
    patinko
    ・・・・・・・・・・・・

    前回に”私もいよいよ耳が遠くなってきた”と綴ったつながりで、今回は”音”について最近 気づいたことや思い出したことなど、おおまかに言えば”私たちが耳にする音は、その音量や音質が昔と今では違っていることが多い”ということについて・・

    まず、音の話でよく使われる”音量を表す単位”であるdB(デシベル)の程度を表す例は・・

    近くの落雷/ま近の飛行機エンジン・・120dB
    クラクション(直近)・・・・・・・・110dB
    電車通過時のガード下・・・・・・・100dB
    怒鳴り声/犬の鳴き声(直近)・・・・・90dB
    走行中の電車内/パチンコ店内・・・・80dB
    騒々しい事務所内・・・・・・・・・70dB
    普通の会話/デパート店内・・・・・・60dB
    図書館内/閑静な住宅地の昼・・・・・40dB
    深夜の郊外/小さなささやき声・・・・30dB
    木の葉の触れ合い/雪降り・・・・・・20dB

    ※詳しくは・・埼玉県深谷市のHP参照
    https://www.city.fukaya.saitama.jp/material/files/group/35/souon_ookisa.pdf

    大雑把な表現では・・
    40dB以下が望ましいのは寝室やリビングなどリラックスする場
    50dB以上になると不快と感じる人が出始める
    70dB以上ではストレスとなる人が増える

    もう一つ大事なことは、音はその伝わり方によって2大別されて・・

    A) 空気伝搬音:空中だけを通じて届く音。飛行機のエンジン音、犬の鳴き声など
    B) 構造伝搬音:振動するある物と接する物が同様に振動して発する音。住宅におけるドアの開閉時やある種の家電製品の稼働音などが床や壁などを介して伝わる音。

    ◎静かさに驚いた新しい洗濯機!
    新しいと言っても2年前の話で、それまで20数年も使ってきた洗濯機(縦型1槽式自動)をまた同式の物に買い替えたら、稼働中の音の静かさには驚いた。

    ↓これがその縦型洗濯機(左) 右は後述のドラム式洗濯機の例
    スクリーンショット 2025-07-12 163650

    一般に、稼働音は縦型洗濯機よりドラム式洗濯機のほうが静かと言われていて、以前に、息子宅で使っているドラム式洗濯機の稼働音は聴いていたので、その静かさは認識していた。

    しかし我が家で購入した新しい縦型洗濯機の静かさはドラム式と比べても遜色ないように思えたので、ちょっと調べてみたら・・

    昔の洗濯機(たぶん2槽式や縦型自動式)の稼働音は60~70dB(デシベル)くらいだったそうだが、現在では・・まずは我が家で購入した”縦型”は
    「AQUA」AQW-V9M=洗濯時36dB/脱水時38dB

    他社の縦型製品例では・・
    「日立」BW-G70H=洗濯時34dB/脱水時40dB
    「東芝」AW-8DH4=洗濯時26dB/脱水時37dB

    ドラム式では・・
    「パナソニック」NA-LX129DL=洗濯時32dB/脱水時41dB/乾燥時46dB
    「ハイアール」JW-TD90SA=洗濯時32dB/脱水時33dB/(乾燥機能無し)
    「シャープ」ES-S7H-WL=洗濯時24dB/脱水時39dB/乾燥時36dB

    これらの比較から、縦型もドラム式も差が無いし、機種によっては縦型のほうが静かと言えるほどだ。

    こうなると、昔の洗濯機の稼働音が非常に大きかったことを体感したことがない若い人たちも多いと思われるので、昔(30年前くらい)の状態をご紹介すると・・

    その頃の日本にはまだドラム式が普及していなく、2槽式(洗濯槽と脱水槽の二つがある)が主流で一部で縦型全自動式が普及し始めた時代で・・

    ゴー、ゴー、時にはゴトゴトという音とともに本体が目に見えて振動することもあった。こうなると先述の”空気伝搬音”とともに”構造伝搬音”も大いに発生していた。

    さらに、当時のマンションやアパートなどの集合住宅の床や壁の防音・吸音性能は現在よりも劣っていたので、2階以上の階で洗濯機を稼働させた場合には床を通して下の階にもよく音が伝わるので・・

    集合住宅においては洗濯機を稼働させてもよい時間は8時から20時までというのが一般的だった。

    ちなみに、私が35年ほど前に仕事上で”生活実態調査“をした際に、あるマンションに住む人から「スリッパをはいて歩くと、下の階の人から『うるさい』という苦情が来るので困っている」という声を聴いたことがあり、それほどの住宅事情ならば洗濯機の稼働は厳しい条件にさらされるだろうと同情したことがある。

    また、最近のネット上に寄せられた ある”生活騒音の状況”は・・

    「RC(鉄筋コンクリート)のマンション暮らしだが、上の階の住人の足音や物を落とす音、何かを引きずる音などが昼夜を問わずうるさい。たまに静かな際の音を(スマホアプリで)測ったら35dBなのに対して騒音時は70dBあった。ただし話し声は聞こえない」・・

    ということは現在でも、空気伝搬音は伝わらないものの構造伝搬音は伝わってしまうRCマンションもあるということがわかる。

    蛇足ながら、昔、手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄らの漫画家たちが住んでいたトキワ荘(東京都豊島区)は1952年に建てられた木造2階建てで、彼らは2階に住み、1階には一般家庭の人たちが住んでいていたのだが、2階で漫画家たち数人が集まって騒いでいると、下の階の人が箒の柄で天井を突いて注意というか抗議していたとのことで、当時の生活騒音対策は大変だったことが想像できる。

    往時のトキワ荘 (「digijapan.travel」のHPより)
    tokiwasou

    我が家は戸建てなので、洗濯機の稼働音の問題は無いが、我が家で現在使っている“昔に比べて格段に静かになった洗濯機”は”防音・吸音性能が向上した現在のRCつくりの集合住宅”で、しかも現在の優秀な”防振ゴム”などを洗濯機の脚に履かせれば(よほどの深夜でない限り)夜間に稼働させても下の階に迷惑をかけることがないのではないかと思う。

    ※家電メーカーは長年、洗濯機の稼働音低減に向けて多様な技術を投入してきた結果、今日の静音レベルに達した。それは洗濯機内部の新機構採用や改良、インバーター化などの結果であるが、中には挑戦したが結局消滅したものもあり、

    例えば、1969(昭和44)年に三菱電機が主に防錆対策として外側の躯体(外箱)の材料を鋼板ではなく”オールプラスチック(ABS樹脂)”にして駆動音も低減したがコスト高を克服できず継続生産されなかった。
    その後シャープも躯体の静音化を目的に、単なる鋼板ではなく鋼板と鋼板の間にプラスチックをサンドイッチした”制振鋼板”を採用したが、制振鋼板はリサイクルしにくいということで、採用は間もなく中止されている。

    もう一つ、洗濯機に関する音として私が注目(いや、注耳か?)したのは、縦型洗濯槽の上蓋の開閉音が静かになったことで、
    昔は縦型洗濯機の蓋といえば開閉時にはバタン、バタンと音がしたものだったが、

    我が家の新しい洗濯機の蓋部は厚さ5ミリ?のガラス製で、跳ね上げ時はスムーズに動かせてバタンという音はせず、閉める際も蓋の縁にチョイと手を掛けるだけでスーっと降りてかすかにトンと音がして閉まる。

    他社の縦型洗濯機の開閉音も家電量販店で試してみたら多くの機種が静かになっていた。
    ご存知の方も多いでしょうが、ドラム式洗濯機の場合はもともと開閉音は静か。

    ◎電気冷蔵庫のドアの開閉音は・・
    1950年代の後半ころ、電気冷蔵庫は日本における家電品の”三種の神器”※の一つとしてテレビ、洗濯機とともに普及を加速し始めたが、当時の電気冷蔵庫のドアにはレバーが付いていて、これを引いたり押したり、あるいはひねったりしてドアを開閉して、その際には「ガチャッ」という大きな音がしていた。
    ↓レバー付き冷蔵庫 (左はパナソニックのHP/右は「aucview auction.com」のHPより)
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    1959(昭和34)年に三洋電機から、冷蔵庫のドアの裏側に”磁力をもたせたゴム”を取り付けた「マグネットドア」を採用した製品が登場して、これにより従来の「ガチャッ」という音がしなくなり静かになった。

    当時の三洋電機社長の井植歳男氏はこの「マグネットドア」の技術をオープンにしたため、その後メーカー各社はこれを採用して現在に至っている。

    ところで、シャープ社から”左右どちらからも開閉できるドアを備えた冷蔵庫”が1989(平成1)年に世界で初めて発売されたが、その初期の機種を購入して使用しているマンション住まいの人の声を(前述のように生活実態調査をした際に)私が直接聴いた内容は・・

    「ドアを開ける際にガッチャン、閉める際にもガッチャンと大きな音がするので、周囲への迷惑になるようで、夜間にこの冷蔵庫を使うのはなるべく控えています」・・ということだった。当時 私も実際にこのドアを開閉してみたことがあったが、確かに音は大きかった。

    ところが最近(2か月前くらい)に家電量販店でシャープの最新の“左右開き冷蔵庫”のドアを開閉してみたらカチャッという音はするものの気にならないほどの小さな音になっていて、これなら文句は無いと思った次第。

    ↓シャープの「左右開き冷蔵庫」:最初の機種(左) と2025年3月発売の機種(右)
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    冷蔵庫自体の稼働音についても昔に比べれば格段に静音化しているが、もともと稼働音が静かな方式の”電気”冷蔵庫が昔から存在していて、それを含めて用途別にそれぞれ使い分けられている。

    冷蔵庫の方式は3大別され、
    「圧縮式」はコンプレッサーの音が少々するが家庭用に普及している方式。

    「吸収式」はコンプレッサーという機械を使わないので“音がほとんどしない”からホテルや病院で小型冷蔵庫として使われる一方、大規模施設など向け大型冷蔵装置としても使われる方式。

    「電子式」は「ペルチェ効果(2種の金属板を接触させて直流電気を通すと板の片面が冷え、他の片面は発熱する)」を利用する方式で、効率はあまりよくないが小型にできてしかもこれ自体は無音(冷却用ファン付きのタイプはかすかな音は発生)。用途はホテルや病院向け、車載用小型冷蔵庫、そしてつい最近ソニーサーモテクノロジー(株)から発売の「REON POCKET」は首すじを冷やすウエアラブルクーラー兼ウォーマーだ。

    ↓ペルチェ効果応用「REON POCKET」
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    ※家電品の「三種の神器」の後の1966(昭和41)年には”新版・三種の神器”的な意味合いの「3C」(COLOR TV/CAR/COOLER)という言葉が登場した。

    ◎60年前のトヨタ車と日産車のドア閉め音の差!
    今から60年前の1965(昭和40)年の春に私は自動車運転免許取得を目指して、ある人のクルマを借りた上に、その人が同乗して運転指導までしてくれて、東京のある広大な空き地で実地訓練を2日間受けたのですが、その際に使われたのが1日目がトヨタのクラウン、2日目が日産のセドリックという当時のトヨタと日産を代表するクルマだった。

    両車ともに運転操作にさして違いは感じなかったが、ただ一つ気づいたのがドアを閉めた際の音の違い!

    トヨタ・クラウンは「ドスッ」という音で今の多くのクルマのものに近い音、日産・セドリックは「バシャーン」という音で鉄の板金が振動する音。

    まだ「感性工学」という意識が無い時代だったのか、とにかく当時のセドリックは”感性”的には未”完成”と感じたものだった。

    ↓1965年当時のトヨタ(トヨペット)クラウン 
    (Wikipediaより)
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    ↓1965年当時の日産・セドリック 
    (Wikipediaより)
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    現在はメーカー各社ともドア音は(低価格の商用車など一部を除けば)良くなっている。勿論、高級車と大衆車では程度のちがいはあるが・・

    前述の”縦型洗濯機の蓋の開閉音が静かになったこと”は、騒音減少化もあるが、”心地よさ”という感性にうったえる面も大きいと言える。
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    次回は、音の今昔(2)へ続く
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    私も後期高齢者(75才以上)になり、ご近所にも同じような年齢の住人が多い。・・というわけで日々の暮らしの中でも超高齢社会的現象が身近にあれこれと起こっているので、ちょっとご紹介!
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    まずは、今回のテーマを取り上げるきっかけとなった現象から・・

    ◎我が家では1ヵ月に1日だけ妻の声が大きくなる?
    現在、妻(70才代前半)は月の内の10日間は実家に行って泊まり込んで、一人暮らしのお母さん(90才代半ば)の介護をしている。(残りの20日間は施設でのショートステイをしてもらっている)

    この”老老介護”状態がもう数年続いているのですが、実家での介護を終えて我が家に帰ってきた際の妻の声が最近やけに大きくなっていることに気づいた。

    その理由はすぐにピンときた! それは実家で、耳の遠くなってきたお母さんの世話をしていると、大声で対応しなければならない状態※が続いていて、それが自宅に戻った時点でもまだ続いているからで、さすがにほぼ一日たてば元の声量に戻る。
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    ※このお母さんにも補聴器(正確には集音器)を試したことがあったが、ハウリングやらなにやらで結局使わなくなっている。これは私の母の場合も同様で集音器は埃をかぶっていた。

    ◎高齢者通例の”高い音が聞こえづらくなる”事態がいよいよ我が身にも!
    “高齢者は2000ヘルツ(これにほぼ該当するのは、鳥の鳴き声、赤ちゃんの泣き声、女性の声、電気製品のピー音など)以上の高さの周波数の音が聞こえづらくなる”ということは認識していたものの我が身には今まで実感がなかったのですが、ついに最近・・

    テレビの音が聞き取りにくくなったのでテレビの音量レベルを1~2ポイント上げるようになってしまった。
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    「いよいよ我が身にも来たか!」と少々落ち込んでいるが、冷静になってテレビの音声、特に人の声の聞こえ方を意識してみたら、全てがこもって聞こえるようになっていて、やはりこれは高音域に対する聴力が落ちた結果と納得せざるを得ないことになってしまった。

    それに加えて、これもつい最近から電子レンジの動作指定(ワット数、時間など)する際の「ピッ、ピッ」という(まさに2000ヘルツあたりの)音が以前に比べて明らかに小さく聞こえるようになってしまって、これもまた高音域聴力減退の証にちがいない。 
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    ◎”オレ流”の”高音域聴力減衰度の確認法”
    そこで、日頃から我流の”高音域聴力確認方法”である”人差し指と中指の二本と親指で互いの指先の腹を擦り合わせるようにして「サラサラサラ」という音を発生させて、その音が耳からどのくらい離れた距離からはっきり聞こえるか測る”ということを試してみたら、従来は耳から30センチ離れても聞こえていたのに今は10センチぐらいまでに近づけないといけない状態になってしまっていることが判明した。
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    (画像は「anan web」より引用)

    ※この方法を試すには、指先が乾燥していることが必要。また当然のことながら指先の指紋が消えている場合には不向き。

    蛇足ながら、数か月前に妻がお母さん用に”最近テレビでもPRしているシニア向けにテレビの音がよく聞こえるようになる「○○○スピーカー」”というものを購入して使ってみたが、お母さんには効果が感じられないようだと妻は言う。

    これには個人差があるものと思われるが、この実例からすると”購入前に何らかの方法で試聴できるシステム”が必要と思う。

    ◎黒地に青のサインが見えない!
    東京のJR某駅の構内通路沿いのトイレを探した時のこと、女性用トイレを表すマークのサイン板はあるものの、男性用トイレのマークが見当たらないので、他の離れた場所も探したがやはり無い。

    ところが女性用トイレのほうに近づいて、ふとサイン板をよく見たら、同じ1枚のサイン板の女性マークとともに男性マークもあるではないか! 同じ場所に男女トイレがあったのだ。

    これはサインデザイン(に限らないが)における明視度の配慮を欠いた基本的欠陥であり、このサイン板の場合は黒地にピンクの女性マークなので明度差が大きくて明確に見える。これに対して黒地に濃いめの青の男性マークは明度差が少なくてマークが認識しづらくて、これだけでも失格。

    ↓ちょっと目を細めて見たり、遠くから離れて見ると少し実感できます!

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    ところがそれだけではなく高齢者に対してはさらに問題となる!

    それは多くの高齢者(といっても早い人は40才代から)は眼の水晶体が黄味を帯びるようになって、見るものすべてに黄色のフィルターがかかったようになって”青色は暗く見える”ようになるから、若い人が見た場合よりもさらに”青と黒の明度差が無くなって見える”ことになる。

    つまり高齢者の多い社会となっては、黒地に青のマークや文字、その逆もしかりだが、これはご法度だ!

    そして、水晶体の黄ばみによって起きるのが・・白が黄ばんで見えるので、黄色地に白マークや文字、またはその逆の場合、お互いが馴染み気味になり判読できにくくなる。しかし、さすがにこれは”やってみると、その不具合がすぐわかるので、そうすることはまず無い”とは思われるが、念のため。

    ◎我が町に高齢者が多くなった結果・・
    ここからは我が町の高齢者の多さとそれに伴う現象をご紹介しますが、前提として我が町の性格をあげてみます。

    この町は千葉県の中央部に位置し、都会ではなく、郊外とも言えず、里山に隣接する丘陵地に45年前に開かれた町。現在の世帯数約3350、人口約7070人、内65才以上の高齢者44.0%。

    昨2024年9月15日時点の日本の高齢者(65才以上)比率29.3%と比較しても我が町は高齢者が大変に多いと言える。

    しかもこの町が出来て一斉に居住し始めたのは、当時30~40才代の夫婦とその子供から成る世帯 (ファミリー) が多くを占めていたので、40数年経過した現在は(その間、子供が独立して)残った70~80才代の高齢者が多くを占める、言い換えれば”皆が揃って70~80才になった”町になって、その結果・・

    〇 高齢女性の”一人住まい”が増えた
    数十年の間には夫婦の内、どちらかといっても通例のように夫が他界する世帯も増えて、現に我が家の周囲半径30mくらいの範囲には、高齢の女性だけの、俗に言う”お一人さま”が6人(内、”お向かいさん”が3人)もいる。
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    ついでながら、これはたまたまなことに、同じ周囲にある世帯の中には、私と同じ年の生まれという奥様が3人もいる。しかしその内の一人は”お一人さま”でもう一人は重度の認知症で昨年から施設に入ってしまったが、これも超高齢社会の一端。

    〇高齢女性が一人暮らしになった途端に植栽を始末する傾向
    周囲の様子を見ていると、ご主人が亡くなった直後に、大きめの庭木を小さく切り詰めるか、または根こそぎ除去するか、切り倒す例が多く見られる。
    それは、それまで主に夫が行っていた植栽の手入れが、自分ではやりにくいためと、外からの目隠し目的でもあった植栽が、女性の一人暮らしには防犯上 逆に無いほうが安心なため。
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    〇 犬を飼う世帯が顕著に増えた
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    猫を飼う世帯は外から見えにくいので分からないが、飼い犬が増えたのは実感としてよくわかる。我が家の周囲の道には犬を散歩させる人が一日に何人も通るが、それがなぜ分かるかと言えば、

    散歩に際して愛犬家どうしで合流するようで、犬の鳴き声も時々するが、それよりも犬を連れる人の話し声のほうが圧倒的に多いからで、2~3人、時には6人で揃って立ち話または歩きながら話す、

    またはお互いに他家の犬に対して「あら○○ちゃん こんにちは」などと話しかける声が聞こえるから。もちろん一人で無言のまま犬の散歩をさせている人もよく見かける。

    そして犬を散歩させているのは圧倒的に女性が多い。

    犬や猫を飼う世帯(人)が増える理由は明白で、子供が独立して同居しなくなって、親だけが残って「空巣=からす=あきすではない=英語でempty nest」になって寂しくなるから。

    また、子供が家にいなくなって時間と家計に余裕ができるという人生のステージに入ったからでもある。

    〇 町会脱退世帯や入会拒否の新規居住世帯が増えた
    我が町に限らず今や日本全国で起きているのが”町会脱退・加入拒否問題”。これは日本が超高齢社会になっていることで増えているのは明らかで、町会脱退理由の多くは”高齢のため役員仕事が体力的にキツイ”というもの。

    また、新規にこの町に住み始めた世帯が町会加入拒否のケースもでてきている。

    町会脱退世帯と町会新規加入拒否世帯が増えると会費による町会運営のための収入が減って困る。

    町会収入に限ってみれば少し救いなのは、役員担当は拒否するが脱会はしないで会費は払うという世帯があることだが・・

    ※役員のなりて不足の問題はマンションなどの集合住宅でも起きているが、”町会費にあたるような管理費・修繕積立金”はおさめることが前提の居住なので、少なくとも”町会にあたる管理組合や自治会”の運営費減少問題は基本的には起きない。(実際は”管理費等の滞納者”が存在しているケースもあるが)

    特に高齢者が多く青年や壮年が少なくなった我が町でも、これらの問題は10年以上前から対策案を考えているが、有効な解決方法が見つかっていない。

    ただ、最近になって”役員には金銭報酬を出す”ことにしたら若干状況改善した。(この例は全国の一部の町会やマンション管理組合・自治会において既にみられる)

    全国の状況などをここで綴ると長くなるので省略しますが、一つの実例を紹介しますと・・

    2005(平成17)年に埼玉県の某町会が脱会希望者の申請を拒否したことに対して、その可否が裁判になり、最高裁にまでいった結果、「脱会は認めなければならない」となったもので、ただしこの町会では町会費とは別に(正確な呼称は忘れたが)管理費も徴収していて、これについては、「町会を脱会しても管理費は支払うこと」という判決が出ている。
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    日本の国鳥である雉の雄(左)と雌(右) (Wikipediaより)
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    先日、千葉県在住の友人からのメールとともに”ご自宅の庭に現れたという雉”の素晴らしい画像が送られてきました。それを拝見していたら、雉についてあれこれ頭に浮かんだことがあるので、それを今回綴ってみますが、まずはその雉の画像について・・

    ◎雉が家族で行進
    送付された画像には雉のつがい(夫婦)※とその子供たちがいっしょに地面を行進している姿で、実になんともほほえましい光景です。(画像がお見せできないので悪しからず)

    ※冒頭の画像のように雉の雄は尾が長く羽根の色が美しい。雌の尾は短く羽根は地味なので、それが1羽ずつ寄り添っていればつがいと明確に分かる。

    よく紹介される”カルガモ親子の行進”はすべて”母親と子供たち”であり、雉も同じく母親が子育てをするのが基本とされているので、父親も一緒になって行進するシーンは珍しいのではないか。

    ↓雉の母と子の画像は普通に見られるが・・ (日本の野鳥識別図鑑より引用)
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    ◎「雉を撃ちに行く」と「花を摘みに行く」
    「雉を撃ちに行く」という言葉は主に登山者の男性たちが野山で大小便する行為の隠語として使われるものだったそうですが、私は半世紀前に”野山ではなく街なかで”ある友人が使ったこの言葉を初めて聞いて、”良い表現だな”と思ったものでした。

    同様に女性の場合は「花を摘みに行く」という表現になるのだそうです。

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    ◎雉の肉を食べたことがあるものの・・
    私は昔、ある肉料理店で牛や豚のほかに変わった肉も含むコースを選んだところ、イノシシ、ウサギ、シカ、そして雉がだされた。
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    今ならば、それは「ジビエ」と言ったのでしょうが、そのような言葉がなかった時代だった。
    食べてみたら、牛と豚は別にして雉やその他の肉はやや堅めで、正直言って珍しさ感が先にたって味の記憶があまり無い・・ということは”不味くはなかった”ということでもあるが、今にして思えば”もっとじっくり味わえばよかった”。

    その店の名は「囲炉裏茶屋」。兵庫県加東市にある東条湖の湖畔に在ったが現在は閉店している。古民家を利用した建物で、文字通り囲炉裏の炭火で肉を焼いて食べるスタイルだった。

    ↓「囲炉裏茶屋」のマッチ(最近、机の引き出しの奥から48?年ぶりに出てきた)
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    蛇足ながら、私は「雀の丸焼き」というものを食べたこともある。それは京都の伏見稲荷の門前?の店の名物として有名なので、一度は経験と思って挑戦したが、なにしろスズメの頭蓋骨丸出しの姿で、全体も骨っぽくて肉はあまり無いというものだった。これ以上言うと店の営業妨害になるので・・
    グロテスクなのでここでは画像紹介できないが、ご興味ある方はネット検索で見られます。

    ◎賤ケ岳(しずがたけ)で出会った雉
    「賤ケ岳」は滋賀県に在る標高わずか421mの低山で、「琵琶湖」とその北側に在る「余呉湖」(周囲6.4キロの小さな湖)の間に挟まれた位置に在る。

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    これも50数年前の初夏のある日、この賤ケ岳を私は一人で登っていた(と言っても登山というほどでもなく、観光案内書にはハイキングコースとなっている)が、その途中、道の両側が藪になっている所にさしかかったところで突然、目の前の藪の中から1羽の大きな鳥が飛び出してバサバサと音をたてながら道の地面すれすれに低く飛んで(脚も少し地面をけっていたかも) 右の藪から左の藪の中に消えた。

    それは一瞬のことだったが、目にした鳥は雉に間違いなかった。大型で尾は長く、うまくはない飛び方から判断できた。残念ながら羽色の記憶がないので雌雄の判断はできない。

    ↓低く飛ぶ雉 (「日本の野鳥識別図鑑」より)
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    この時の私にとってはこの”雉との遭遇”は普通の驚きではなかった。と言うのも、その道は一応ハイキングコースとして整備されているようだが道幅は狭く、両脇は木立に囲まれ、一部は藪のような所をかきわけながら歩くというほど非常に細い、心細い道だった上に、途中で他の人の姿は一人として見かけず、静寂で、こうなると寂しく、不気味さも感じながら進んでいた中で起きたことであったからであった。

    後から自分でも面白いと思ったのは、驚いた割には声が全く出なかったが、それは周囲に誰も居なかったからで、もし他に人が居たら「わっ!」というような声で”一種の通知”の意味を含んだ声を発していたに違いないということ。

    そしてこの日は、湖畔に国民宿舎もある余呉湖の周囲6.4キロをレンタサイクルで一周した約50分間と賤ケ岳のハイキングコースを登って降りてくる約2時間の合わせて約3時間に人の姿を一人も見かけなかったということが、一応は観光地という場にしては特殊な経験だったのである。

    ↓賤ケ岳山頂からは琵琶湖も余呉湖 も見えるがこの画像は余呉湖。私が登った日は山頂にも誰一人としていなかった) 
    (画像は「賤ケ岳リフト」のHPより)
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    蛇足ながら、賤ケ岳と言えば日本史を学習した人は「賤ケ岳の戦い」あるいは「賤ケ岳の七本槍」※という話を思い浮かべるのでしょうが当時の私はそれを知らなかったので、もし知っていて登ったのであれば感慨深かったに違いない。

    ※「賤ケ岳の戦いと七本槍」の説明:
    https://www.rekishijin.com/13011

    実は賤ケ岳に登ってみたのは”ついで”の行動であって、その日の目的は余呉湖探訪だった。その動機は、水上勉が1965(昭和40)年から1年間、読売新聞に連載(後に単行本化)した悲恋小説「湖の琴(うみのこと)」の中に余呉湖の名が出てきていたからなのであった。

    ↓映画化された「湖の琴」(主演:佐久間良子)
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    ◎桃太郎の鬼退治になぜ雉が?
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    雉が国鳥とは知らなかった私だが、ではなぜ桃太郎の鬼退治に雉が参加したのかが気になりだしてチョイとググッてみたら、諸説ある中で代表的な2説が紹介されていて・・

    一つは「陰陽五行説」で十二支を子(ねずみ)を頭(北)にして円環状に並べてみると丑寅の位置は東北つまり鬼門、それは丑(牛)のように角があり寅(虎)の皮のパンツをはいた鬼が棲む所、それに対して円環の上で反対側の南西にあたる所が裏鬼門とされ、そこには羊、申(猿)、酉(鳥)がいるが、羊は戦には向かないので除外し、かわりに戌(犬)を引き入れたカタチで編成したとされるが、それにしても鳥には強そうな鷲や鷹が採用されずになぜ雉なのだろうか?

    もう一つは「儒教説」で孔子は”徳を成すには「智」「仁」「勇」が必要”と教えているところから、鬼退治には「智」の猿、恩を忘れぬ「仁」の犬、火事の際に自分の羽で覆って卵を守るとされる「勇」の雉が選ばれたというもの。

    ↓図は「日本桃太郎会連合会」のHPより引用
    onmyougogyousetu

    まあ、いずれの説もこじつけ感があるが・・
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    数か月前のこと、オーディオマニアかつクラシック音楽からジャズまで非常に詳しく"耳の肥えた"友人から「HIMARIという名前の日本人天才少女バイオリニストが現れたので注目!」という情報をもらったので、

    YouTubeでその演奏を聴いてみたら、その凄さは音楽がよくわからない私でも感じ取れるほど。

    HIMARIとは(Wikipediaによれば)・・2011年6月24日、東京都生まれの現在13才で本名:吉村妃鞠。10才までに国内外のコンクールで全て1位。米国カーティス音楽院に最年少10才で合格。

    現在日米を行き来しながら活躍中。今年(2025年)3月にはベルリンフィルのコンサートでアジア人最年少ソリストとしてデビュー。
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    ◎「チゴイネルワイゼン」をHIMARIと作曲者自身の演奏で聴き比べ!
    HIMARIが8才の時、モスクワで開催されたシェルクンチク国際音楽コンクールの弦楽器部門・14才以下の部で、一次審査ではサラサーテ作曲「チゴイネルワイゼン」、二次審査ではパガニーニ作曲「カンタービレ」を演奏して1位獲得。

    その際の3人の審査員は彼女の演奏を絶賛して、「彼女の出現を神に感謝する」と言うほどだった。

    ↓その時のHIMARIによる「チゴイネルワイゼン」、「カンタービレ」演奏と評価

    「チゴイネルワイゼン」はバイオリンの名手であるサラサーテが彼の演奏技巧を詰め込んで作曲したもので、その彼自身が1904年60才の時に演奏した録音レコードが存在していて、昔にそれを聴いたことがある人によれば聴きづらい音だったそうだが、

    近年それを雑音除去などによってクリアな状態で聴けるようになっているとのことで、それを私もYouTubeで聴いてみたら、HIMARIが8才時に弾いた「チゴイネルワイゼン」と比べるとやはりサラサーテのほうが情感の込め方において優っていると感じたが・・

    ↓サラサーテ自身演奏の「チゴイネルワイゼン」

    ただし、HIMARIもこれから人生の喜怒哀楽などの経験を糧にして演奏に深みを増すのだろうから今後の表現力はさらに磨きがかかるにちがいない。

    しかしこれからの経験といっても音楽表現に関連しないことは”雑音的”なものとして邪魔なのだろう。

    後述部分に出てくる、バイオリンの名手の一人だった辻久子は音楽以外の一般的行為が"雑音的なこと"だったようで、それを排除していた結果、例えば電車の切符の買い方さえ知らなかったという話を聞いたことがある。

    ※ちなみに
    サラサーテ以外で、この私でも知っている"バイオリニスト自身の自作自演の古い例"はクライスラー(「愛の喜び」、「愛の悲しみ」など作曲)で、100年以上前の録音が残っている。

    ◎バイオリン演奏に秀でたHIMARI、諏訪根自子、辻久子、巌本真理

    諏訪根自子(すわ・ねじこ):1920(大正9)年~2012(平成24)年
    suwanejiko

    辻久子(つじ・ひさこ)   :1926(昭和1)年~2021(令和3)年
    tujihisako

    巌本真理(いわもと・まり):1926(昭和1)年~:1979(昭和54)年
    onoanna

    《4人全員の共通点 : 「天才少女」と呼ばれた!》
    前述のようにHIMARIは8才で、

    諏訪根自子は11才で、

    辻久子は12才(第7回日本音楽コンクール弦楽部門1位)で、

    巌本真理は13才(第6回日本音楽コンクール弦楽部門1位)で、
    それぞれ「天才少女」と称されるようになった。

    しかしこの中でもやはり
    HIMARIの早熟天才度が光っている。

    《HIMARI、諏訪根自子、辻久子の3人は名器ストラディヴァリウスを使っている》
    HIMARIは前澤友作氏(ZOZOTOWN創業者、実業家)から貸与されている。

    諏訪根自子は1943年にナチスドイツの宣伝相ゲッペルスから贈呈されている。

    諏訪根自子、ストラディヴァリウス、ゲッペルス
    gepperus-storadi

    辻久子は1973年に自宅を3500万円で売却して3000万円でこの名器を購入した。このことは当時マスコミでも話題となったから私も確かに記憶している。

    ※サラサーテも10才時にスペイン女王から贈与されている。

    《HIMARIと諏訪根自子はベルリンフィルと共演している》
    HIMARIは前述したが、諏訪根自子は1943年に共演してブラームスのバイオリン協奏曲を弾いた。

    《諏訪根自子と巌本真理は子供の頃にロシア人バイオリニストの小野アンナ※の指導を受けている》
    ※小野アンナはロシア文学者の小野俊一と結婚していた時期があり、その際の名前。なおオノ・ヨーコは俊一の姪)

    ※今回は割愛したバイオリニスト前橋汀子も小野アンナの指導受けたことがあり、ベルリンフィルとの共演も行ったことがある。

    (今回文中すべて敬称略)
    ・・・・・・・・・・・・

    余録(1) ストラディヴァリウスについて
    ↓イタリアのクレモナの「ストラディヴァリ」という名前の職人(1644?~1737)が製作した楽器を「ストラディヴァリウス」と称している。(実際には二人の息子と他の職人も製作に加わっている) 
    (下の画像6枚は全てNHK BSテレビより)
    duo1

    表面の素材はスプルースというマツ科トウヒ属の針葉樹で木目が美しいのだが、ストラディヴァリが製作した頃は「小氷期」という”太陽活動が弱まっている時期(約7年間)”だったので樹木の生長が遅かった結果、特に木目が密になっていて綺麗かつ強度も上がっていた。

    現代はそのような材質のスプルースが存在しないので、ストラディヴァリウスの再現は無理。

    ↓このストラディヴァリウスの写真(クリックで拡大)で、その木目が見える。
    gakki-bank6

    ↓一般に裏面、側面、ネックの素材はメイプル。これはストラディヴァリウスのそれ。
    gakki-bank8

    ↓ストラディヴァリウスのネック部分。ストラディヴァリウスはビオラ、チェロ、ギター、マンドリンもあり、合計1100ないし1300作られたとされ、現存は約600と言われる。右はストラディヴァリウスのチェロ
    duo2

    科学的分析ではストラディヴァリウスは誕生して約300年の間に徐々に木質の強度が増して現在がピークで以降は低下に向かうことになる予測があり、現在が最高の音質状態であると言われる。

    ・・・・・・・・・・・・
    余録(2) : 諏訪根自子、明日待子、山口淑子(李香蘭)、原節子の共通点!!
    この4人は全員が1920(大正9)年生まれであり、それぞれの分野で多大な人気を誇った!

    諏訪根自子は美貌のバイオリニストでもあった。(~2012年没)

    明日待子(あしたまつこ)は昭和の戦前戦中戦後に活躍した”元祖アイドル”。 (~2019年没)

    山口淑子は戦前戦中は「李香蘭」の名で映画俳優、歌手。1974年からは参議院議員。(~2014年没)

    原節子も戦前戦中戦後に映画俳優として活躍。(~2015年没)

    ↓左から明日待子、李香蘭、原節子
    asita-ri-hara

    そして4人ともが長命で、特に明日待子は99才で天寿を全うした。
    ・・・・・・・・・・・・

    かつての私の学童・学生時代に教えを受けた先生方の数が50人くらいにはなるだろう中でも特にユニークさで印象的な3人の先生がおられたのが中学校(東京都豊島区立)だった。
    group_kyoushi
    ◎奥様が「ミス渋谷」のN先生
    社会科のN先生は大柄で丸メガネをかけられていて、いわゆる美男子という部類の人ではないが、生徒に対して威圧的なところが全く無くて、親しみやすい感じだった。

    入学後に先生の授業を受け始めて間もなく、ある生徒が「N先生の奥さんってミス渋谷なんだってさ」と言いだして、その噂は瞬く間に生徒間に拡がったのだが・・

    その真偽を確かめるために先生に直接聞いてみるというようなことは当時の我々生徒にはできなかった。

    しかし日頃感じる人柄に加えて、授業の合間にちょっとした”渋谷がらみの話”が少なからずあったので、やはり“奥様がミス渋谷”というのもなんとなく「さもありなん」と思えたものだったが、その”先生の話”とは・・

    「私は、渋谷でプロレスラーのユセフ・トルコ(※1)が荷車を引いて歩いているのを見たことがあるぞ」

    「渋谷じゃソーライス(※2)っていう、白いご飯にソースをかけただけのものが5円(私の記憶があいまいで10円だったかも?)で食べられる店があるんだ」

    「私は株もちょっとやっていて、株主優待券っていうものを使って渋谷の映画館にはよく観に行くよ」

    ※1:ユセフ・トルコ(1931~2013)は、亡命トルコ人の両親のもと樺太生まれ。トルコ語と日本語が話せるちょっとひょうきんな面もあるプロレスラーでもありレフェリーでもあった。私はテレビのプロレス中継でレフェリーとしての氏を何度か観ていた。
    yusefutoruko

    ※2:ソーライスが最初に生まれたのは1930(昭和5)年の昭和恐慌のさ中、大阪の阪急百貨店梅田本店の食堂で、5銭のライスだけを注文してそれにテーブル備え付けのウスターソースをかけて食べる人が現れた。その後これが広まった。

    ◎「アーニーパイル」自慢のK先生
    理科のK先生はちょっと強面だが、いつも授業の最初の10分くらいは理科とはあまり関係ない話だった。

    したがって相当な数の”そのての話”を聞いているのだが、特に一つだけ強く記憶に残っているのが・・

    「日比谷にある東京宝塚劇場のビルは終戦直後から昭和27年までアーニーパイル劇場(※3)という名前になっていたんだが、あのビルについていたアーニーパイルというネオンは私が作ったんだ」

    ↓「アーニーパイル劇場」(毎日新聞社刊 毎日ムック 「戦後50年」より)
    ernie-pyle-theater

    それを聞いてまず思ったのは、このK先生は先生になる前に意外な仕事をしていた人なんだ!

    そして(勉強には関係ない)「アーニーパイル」という言葉がなぜ記憶に残ったかと言えば、その2年ほど前(1957=昭和32年)にテレビでアメリカ製の西部劇の連続ドラマの「アニーよ銃をとれ」が放送されていて、似た名前だったから。

    「アニーよ銃をとれ」のアニー(東京ニュース通信社刊「テレビドラマ全史1953~1994」より)
    anii2

    私は後年になって、「アニーよ銃をとれ」は実在した射撃の達人である女性アニー・オークレイ(1860~1926)をモデルにしたものだったことを知った。

    ※3:アーニーパイル(1900~1945)は太平洋戦争中の優秀な従軍記者で1944年にピューリッツア賞を受賞していたが1945年4月に沖縄で戦死した。氏の死後の沖縄・那覇には「アーニーパイル国際劇場」が建設され、東京・日比谷の東京宝塚劇場はGHQが接収して「アーニーパイル劇場」という名称がつけられていた。

    ◎「赤穂浪士討ち入り」の日の I 先生
    美術の I 先生はちょっと神経質そうな細面の人だった。ある日のこと、授業の時間になんと両手首を紐でしばったまま教室に現れて、「今日(12月14日)は赤穂浪士が討ち入りした日だから、この格好で授業をします」と理解に苦しむ理由をのべて、その状態でチョークを握り、黒板に文字を書き始められた。

    ↓歌川国貞「仮名手本忠臣蔵十一段目」(jb pressのHPより)
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    我々生徒はあっけにとられるばかりで、私はその日の授業内容を覚えていない。先生のそんな言動があって数か月後?だったかに・・

    突然 I先生が亡くなられた。しかし生徒たちには死因は知らされないままだったことに加えて、先生の以前のあの言動もあったことから生徒たちの間では「I 先生は自殺されたに違いない」という認識で一致したのだった。
    ・・・・・・・・・・・・
    このようなユニークな先生方がおられた中学校だったが、近年の統廃合によって廃校となり今や校舎の跡形もない。ただ想い出のみが残っている。
    ・・・・・・・・・・・・

    5月に入って木々のやわらかい葉が出揃ってきたので、木の芽が出始める時期を指す「木の芽時」を過ぎてからひと月くらい経っているはいるが、私はこの「木の芽時」という言葉には、ある意味がつい連想されてしまう。

    ところで・・

    ◎「木の芽時」の正しい読み方は?
    「木の芽時」という言葉、恥ずかしながら後期高齢者の私は今までこれを「きのめどき」と読んでいたのだが、正しくは「このめどき」と知った。

    試しに広辞苑をひいてみたら・・「きのめ」も「このめ」もどちらも個別の項目が在る。しかし双方共に「木の芽」の文字が当てられているものの、関連語としては「きのめ」の項には「きのめどき」は無く、「このめ」のほうに「このめどき」がある。

    ◎「木の芽時」に現れる異常?
    もともと季節の変わり目には自律神経不調が元となって体調不良が出やすく、それが顕著なのは春先なのだが、この時期にはメンタル面でも異常が起きて・・

    昔から、”「木の芽時」には、精神に異常をきたす人が出ることが多い”と言われており、事実この現象は医学界でも認知されているとのこと。

    先ごろ、ある女優が自ら運転するクルマで事故を起こした際に奇異な行動をし、その後の病院では看護師に危害を加え、警察ではまともな応答ができないなどの症状が現れていたが・・

    後日の診断結果では”躁うつ病”と”甲状腺分泌過多”が原因の行動だったとされたが、これも「木の芽時」現象の範疇に入るのだろうか?

    ◎藤村操(ふじむらみさお)も「五月病」だったのか?
    さて五月に入って現れると言われる「五月病」。 医学上ではそのような病名はないのだそうだが、実際には日本の社会で4月に行われる入学、進級、入社、転勤などによって、新しい勉学や仕事の環境に馴染めない人やついていけない人、あるいは疑問を抱く人たちが、ストレスや苦悶をつのらせて一か月経った5月になると、精神不安定、うつ状態、無気力、疲労感、不眠などの症状が出ることが多い。

    1903(明治36)年、旧制一高の学生の藤村操(16才)が栃木県は日光の華厳の滝(高さ97m)から投身自殺した。

    ↓藤村操と華厳の滝
    fujimura-kegon

    彼は自殺直前に「巖頭之感」と題して、自分が死を決する理由を述べた文を、傍らのミズナラの木の幹に刻んで残した。

    「巖頭之感」の全文・・
    悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
    此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
    オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
    眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
    我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
    既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
    不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
    大なる樂觀に一致するを。

    華厳の滝に投身自殺した日は、まさに5月の22日。やはり彼も「五月病」だったのだろうか?

    余談だが、彼の投身自殺によって華厳の滝は自殺名所になって、彼の死後4年間で自殺をはかった者185名、内40人が死亡。

    のちの自殺名所となった伊豆大島の三原山火口では、『投身自殺第1号は1928(昭和3)年の男性26才。さらに1933(昭和8)年の1月から2月にかけて実践女学校(東京)の学生が二人自殺したことが発端となって・・

    この年昭和8年の自殺者の男性130人、女性13人、未遂は687人。翌昭和9年は死者187人、未遂671人。昭和10年は死者164人、未遂は574人となり、翌昭和11年※から下降線をたどりはじめた』 (『』内は「毎日グラフ別冊 サン写真新聞昭和27年版」より)

    ※昭和11年は「2.26事件」があった年

    ◎やはり自殺者も多い3,4,5月
    警察庁発表の年間月別自殺者数をみると、冬季は少ないものの、木の芽時から急増して五月病の時期にかけての3か月が年間でもピークとなっている。

    令和6年自殺者数 合計18647人 

    12月1371人 / 1月1688人 / 2月1559人
              
    3月1894人 / 4月1903人 / 5月1853人
              
    6月~11月は1700~1500人台

    ◎藤村操の妹と結婚した安倍能成(あべよししげ)
    藤村操の妹の藤村恭子は、旧制一高の藤村操の同窓生でもあった安倍能成(1883=明治16年~1966=昭和61年)と結婚した。安倍氏は知る人ぞ知る哲学者、教育家、政治家で東京帝国大学卒業後、旧制一高校長、学習院院長、文部大臣などを務めた。

    ↓安倍能成
    abeyosisige

    この”安倍能成氏の妻は(有名な) 藤村操の妹であった”ということを私はつい最近までは知らなかったが、世間でもあまり知られていないのももっともで、私の知人で中学、高校、大学まで学習院で学んだという人物に聞いてみても、「確かに丁度安倍先生が院長の時期だったので訓示などを直接聞いたことはあるが、先生の奥様の件は知らなかった」と言っている。

    余録
    ご存知のように、料理の世界においては「木の芽(きのめ)」と言えば「山椒の葉」のこと。
    我が家のプランターにも山椒が自然に生えて20年くらいになるが、丁度今頃は若葉がやわらかいのでチョイチョイ摘んでは利用している。
    ただし、山椒は雌雄があり、ウチのは雄なので実はならないのが残念!

    ↓我が家の山椒 (枝の棘には要注意)
    leaf-of-sansyo1
    ・・・・・・・・・・・・

    私は会社員時代に業務上で色々な形式の調査を行っていましたが、その中で”アンケートによる調査”は60回以上になり、多人数対象の調査には調査専門会社を利用することが多かった。

    調査会社は、(調査内容にもよるが)アンケート用紙の郵送調査することが多く、回収した回答を統計手法駆使して、結果報告書を当方に渡す。

    当時の調査会社からのデータ報告書 (厚み5~8センチ)
    tyousa-report

    この調査手順では調査依頼から結果入手までに一か月以上、中には2か月かかることが多かった。

    ところがちょうど西暦2000年ころに、”質問項目が少ないある調査”を当時既に登場していた”ネット調査会社”を通じて”自前の質問文”を発信したところ、なんと5分後には個別の回答者から回答が提示され出したではないか!

    これからは目的によってはネット調査の利用の時代と悟ったことで、以後数回はこれを利用した。ただし統計、分析は自前でする必要はありますが・・

    間もなく退職してからの私は、社会参加、認知症予防を目的※にネットによるアンケート調査の回答者になって20年近くなる。

    回答者登録しているネット調査会社は6社なので、毎日10件以上のアンケート依頼が届くが、すべてには対応できないから1日に数件を回答。

    ※回答に対して報酬もあるが微々たるもので、例えば回答所要時間が20分くらいかかるもので10円、同じく2分で1円というものもあり、これはどちらも時給換算すれば30円ですが、その他40分くらいかかるもので50~70円などがある。

    enquete

    前置きが長くなりましたが・・

    ネットによるアンケート調査に20年近く参加していて変化したことは、調査には必須の”調査対象者の属性”把握のための質問項目、即ち、性別、年齢、職業、居住地、住居形態などにおける”回答選択肢”の表現で、こんなところにも時代の反映が現れて・・

    ◎「性別」回答選択肢は「男性」、「女性」に加えて「その他」なども!

    以下、現在のアンケートにおける性別回答選択肢の例をあげてみます。依然として「男性」、「女性」の二者択一型もありますが、非常に少なくなっています。

    A) 「男性」 / 「女性」
    B) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」
    C) 「男性」 / 「女性」 / 「回答しない」
    D) 「男性」 / 「女性」 / 「答えたくない」
    E) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」 / 「答えたくない」
    F) 「男性」 / 「女性」 / 「その他」・「答えたくない」
    G) 「男性」 / 「女性」 / 「自由記載 (  )」 / 「回答しない」
    H) 「男性」 /「女性」 / 「決められない・誰も好きにならない」 / 「その他」 / 「答えたくない」
    I ) 「ご自身の性別(自分で認識している性別):(  )」 / 「恋愛対象となる性別:(  )」
    J) 「男性」 / 「女性」 / 「ノンバイナリー※」 / 「回答しない」

    ※『ノンバイナリーとは、男性と女性という2つの性別の枠組みに収まらない、または当てはまらない性自認を指す言葉。自分の性別を男女どちらでもないと認識する、あるいは男性と女性の中間や、両方を包含するようなジェンダーアイデンティティを持つことを意味する』(『』内は最近流行の”AIによる文章”).
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    このように多様な選択肢は、LGBTQなども発現という現代の多様”性”社会を反映しているが、さてこれに否定的な大統領がいる某国ではどうなっているのでしょうか?

    ◎「職業」の回答選択肢に「年金生活者」や「専業主婦・主夫」が登場!

    昔は職業回答選択肢として、「会社員」、「公務員」、「自営業」・・・など並ぶ最後の方に「無職」が設定されていたが・・

    現在は、同じ無職でも分離して「無職」の他に「年金生活者」または「定年退職」という選択肢が増えている。

    その結果、”ではここで言う無職とは何か”ということで、「無職・休職中・求職中」や「無職・リタイア(休職・産休・育休・介護休職を含む)」などが登場。

    これらの”職業の回答選択肢”の新登場の背景には、団塊の世代が定年退職・リタイアしていても、その多大な人口による生活指向や行動の影響が大きいことにあることは論を待たない。

    また、従来は「専業主婦」という例もあったが最近は「専業主婦・主夫」も出現しだした。

    これも近年の”家事における男女共同参加“傾向の増加を反映。
    ・・・・・・・・・・・・
    以上のように、アンケートの世界においても、社会の流れが観えると同時に、これらアンケート発信をネット調査会社に依頼している企業も”その流れ”の中でヒントを掴もうとしている姿勢がうかがえる。
    ・・・・・・・・・・・・

    今年2025年2月に米国のトランプ大統領が次のようなコメントを出した。

    「私は、2025年2月19日を硫黄島の戦い80周年とすることを宣言する。

    アメリカの自由は80年前、硫黄島の黒い砂浜に上陸し、旧日本軍を打ち破ったアメリカの若者たちによって守られた。すべての米国民が、偉大なる世代の無私の愛国者たちを偲ぶことを奨励します」

    さらに米国国防省は大統領の”DE I=多様性・公平性・包括性“を否定する意向に従って、

    同省のウェブサイトから、太平洋戦争における硫黄島での旧日本軍との戦いでの米国先住民の兵の功績の記述および、有名な「硫黄島の星条旗」の写真も含むページを一時削除したこと(※1)が物議をかもした。

    そして4月7日、天皇皇后両陛下は硫黄島をご訪問。

    この島での旧日本軍戦没者の慰霊碑、軍属として戦死した島民の慰霊碑、日米両軍の戦没者の慰霊碑をそれぞれ拝礼された。

    (左)雨中で献花・拝礼 / (右)軍属として戦死した島民82名の慰霊碑 (TBSテレビより)
    tennou-kougou

    そこで今回は硫黄島にちなみ、特に先記の「硫黄島の星条旗」の写真についての”ある誤解”が長年にわたって米国内でも日本でも流布されているものの

    ”事実はこうであった”という情報が少々集まったのでご紹介。

    本題に入る前に・・

    ◎「硫黄島」の現在の読み方は「いおうとう」!
    従来は「いおうとう」と「いおうじま」の二通りの読み方が通用していたが、

    2006年に国土地理院の地形図において「いおうとう」が採用されたことで、現在これが日本の東京都に属する硫黄島の正式な読み方とされる。(※2)

    しかるに米国は太平洋戦争中も現在も「Iwo Jima (イオウジマ)」と読(呼)んでいる!

    米国がイオウジマとする根拠は、旧日本軍自体が「いおうじま」と呼んでいたからとされる。

    ↓太平洋戦争中の硫黄島の戦い終了の数か月後に公開された短編ドキュメンタリー映画(※3)のタイトルで「IWO JIMA」の表記が!
    iwojima-title

    また2006年公開の映画「硫黄島からの手紙」(米国製作、監督:クリント・イーストウッド、出演:渡辺謙ら)のタイトルも「LETTERS FROM IWO JIMA」となっている。

    ↓先述のトランプ大統領のコメントのタイトルを表したホワイトハウスのウェブページにも「IWO JIMA」
    presidential-action

    そして、もう一つ・・

    ◎「硫黄島の戦い」の概略
    現在は東京都小笠原村に属する硫黄島は火山島で、東京から1250kmに在り、

    面積約30平方キロ(大戦時は約20平方キロだったがその後の火山活動で隆起し拡大)。

    島の南西端にあるのが標高127mの擂鉢山(すりばちやま)。この山以外は全域がほぼ平たん地。

    現在の硫黄島の擂鉢山 (TBSテレビより)
    iwotou

    太平洋戦争末期にこの島で日米軍が激戦をくりひろげた。

    (日本軍:約2万人に対して 

    米国軍は上陸部隊員約11万人。援護の艦船部隊員を含むと総勢25万人)

    戦闘開始(米海兵隊上陸) 1945年2月19日~戦闘終了3月27日

    (但し、米軍は上陸前の2月16日から島に向けて艦砲射撃を開始。 

    そして米軍は3月15日には硫黄島の完全占領を発表。

    日本の大本営も3月21日に硫黄島守備隊の玉砕を発表している。)

    ↓米軍の艦砲射撃弾が擂鉢山山頂に着弾した瞬間の火炎 (ディスカバリーチャンネルより)
    ioutou-attak1

    戦死者:日本 約19900人(諸説あり) (日本軍は玉砕とされたが、捕虜として1033人は生存)
         米国 6821人

    この戦いでの日本側の総指揮官が中将の栗林忠道(戦闘中に大将に昇格)。

    指揮下に戦車隊長の西竹一大佐(1932年ロサンゼルスオリンピック馬術の金メダリスト※4)がいたが・・

    両人とも巧みな戦術を指揮して奮闘するも戦死。(自決か否かは諸説あり)

    ◎いわゆる「硫黄島の星条旗」の写真は演出ではなかった!

    ↓これが有名な写真「硫黄島の星条旗」
    flag-pic2

    従来は米国内でも日本でも、”この写真は撮影のために演出したもの”という話が流布されていて、私もつい最近までそう信じていた。

    しかし、事実は”演出ではない”ということが、実は早い時期に判明していたにもかかわらず、広く誤信が続いていたということで、その経緯は・・

    米国海兵隊は上陸して早くも4日目には、日本軍が砲台を置いていた擂鉢山山頂を奪取した。

    そこで山頂に星条旗を立てることになり、先ず3人の海兵隊員と衛生兵1人の4人が旗を立てたものの、

    その旗が小さいので目立たないということで、

    さらに別の隊員たちが大きい星条旗を運びあげて6人がかりで立てようとしたところに、

    ちょうどAP通信のカメラマンのジョー・ローゼンタール氏が擂鉢山を登ってきて、この写真を撮った。

    ↓ジョー・ローゼンタール氏
    photographer

    続いてローゼンタール氏は山頂に集まった海兵隊員16人と海軍衛生兵2人の一団に(海兵隊発祥の呼び名で、日本で言う”万歳 !”のような仕草の)「ガンホー」のポーズをしてもらったところも撮影した。

    ↓ガンホーポーズの写真 (ディスカバリーチャンネルより)
    flag-with-men2

    そしてローゼンタール氏は「硫黄島の擂鉢山の頂に星条旗を立てる6人の兵士たちの写真」(後年に「硫黄島の星条旗」と呼ばれる写真)をすぐにAP社に送り、

    それが2月25日には米国の新聞に掲載され、続いて数々の雑誌の表紙などにも採用されて広まった。

    また「ガンホーポーズ」の写真も知られるようになってからの ある日、

    「TIME」誌のインタビューで、「あの写真はポーズをしてもらって撮影したのか?」という質問に対してローゼンタール氏は、「ガンホーポーズ」の写真のことについての問いと思ったので、「そうだ」と答えたのだが、

    TIME誌側は”「硫黄島の星条旗」の写真はポーズをとってもらって撮影したもの”として掲載したので、

    誤報であるその内容がまたたくまに米国内のみならず世界中に広がった。

    ところが実はローゼンタール氏が「硫黄島の星条旗」の写真撮影をした際には、

    すぐ近くでほぼ同じ角度から、別の従軍カメラマンのビル・ジェノウスト氏がカラー映画フィルムで一連の動きを撮影をしていたので、

    それを観れば”ポーズをしての行動ではない”ことは明らか
    なため、TIME誌は後日に訂正したが、

    既に誤報は広がってしまっていたことが現在にも続いている状態。

    (映画撮影したビル・ジェノウスト氏はその後この硫黄島で戦死)

    ↓ビル・ジェノウスト氏撮影の映画フィルムに映るシーンの一コマ。
    color-flag

    その後、この写真によってローゼンタール氏は1945年度のピューリッツアー賞(写真部門)を受賞した。

    ↓そして1954年には、氏の写真を基にした「海兵隊戦争記念碑」がワシントンDCに設けられた。
    statue
    (↑画像はディスカバリーチャンネルより)

    ・・・・・・・・・・・・
    ※1:米国の国防省事案?について・・
    硫黄島の戦いにおける海兵隊員で”米国先住民ピマ”のアイラ・ヘイズ氏を紹介していた国防省のウェブサイトページを一時削除した。

    ヘイズ氏が摺鉢山で星条旗を立てた海兵隊員6人の内の一人である上に、

    削除されたページにはこの写真とともに「軍だけでなく、あらゆる分野での先住民の貢献と犠牲を振り返る時だ」との記述があった。

    このほか、先住民ナバホの言葉を生かし、硫黄島などの戦地で重要な役割を果たした暗号通信士「ナバホ・コードトーカー」に関する記述も削除された。

    ※2:硫黄島の読み方が「いおうとう」とされた背景は・・
    もともとこの島の住民だった人々が「いおうとう」とよんでいたから・・と言われる。

    これは近年の世界的傾向である"地名(に限らずあらゆるもの)は現地での呼び名を採用"するという流れに沿ったのであろう。

    ※3:米国映画「TO THE SHORES OF IWO JIMA」
    製作:米国海軍および海兵隊 / 公開:1945年6月7日(硫黄島戦終了の70日後) / 上映時間47分

    ※4:西 竹一氏は・・
    陸軍軍人であるが男爵でもあったので愛称は「バロン西」。

    硫黄島の戦いにおいては「米国軍側は有名なバロン西が参戦していることを知っていたので、

    彼が死を選ばずに投降するように呼び掛けた」という話が流布されているが、これは事実ではないとされる。
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    栗林忠道氏についてはエピソードが多く、文章量が多くなるので、今回は割愛しました。
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    またまたベンチについてです! (第4弾)

    ◎「グラングリーン大阪」のベンチ
    今、大阪は万博に向けて頑張っていますが、「グラングリーン大阪」と名付けられた”大阪駅北側地区の大規模再開発”も進められていて、一部が完成し、その中で出現した「うめきた公園」には新しい試みのベンチ類が設けられている。 それが・・

    〇 アート作品兼ベンチ
    彫刻家ケイト・トムソン氏の作で素材は大理石。(下左写真)
    g.g.osaka

    〇 円弧状に長く延びる歩道兼ベンチ (上右写真)
    “池を一部含む広場”の周囲を円弧状に沿わせた芝生ゾーンに緩い傾斜を付けて、そこに高位置、中位置、低位置に、歩道にもなるが”超長いベンチ”にもなるように配置した。(左側の高位置から右へ低くなり中位置、低位置となっている。 歩道の巾の半分は一段低くなっているのでベンチになる)
    (写真は建築家の「j . inokuma氏インスタグラムから引用)

    〇 結果的に”痛い目にあっている”ベンチ
    この「うめきた公園」“に限らず「グラングリーン大阪」全体の中で設置のベンチは(冒頭の” アート作品兼ベンチは別にして)以前にご紹介した”いわゆる「排除ベンチ」”は採用していない。

    しかし、伏兵現る ! それはスケートボーダーたちで、障害物が無いベンチをいいことに、ベンチの縁を滑って座面の角は削るし、引っ掻くは、汚すはで、公園管理者は今後重犯者には罰金を科すことも辞さない構え。
    ↓傷んだベンチ(産経新聞web版より)
    wounded-bench
    こうなると、悪質スケートボーダー対策を目的とした”排除ベンチ”も必要か?

    ちなみに、昨2024年5月末時点での日本のスケートボーダー人口は約3000人。対してボーダー専用の「スケートボードパーク」は全国に475ヵ所であり、まだ少ないことも影響していると言われる。
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    さてベンチにも色々あり・・

    ↓右:石材のベンチ(長崎 水辺の森公園のHPより)
    stone-bench

    ↓右:コンクリート製のベンチ(座面は木板)(日本興業(株)のHPより)
    conkri-bench2

    ↓(左):竹製縁台:軽く、脚部が折り畳め、可搬(永井製竹(株)のHPより)
    ↓(右):低山ハイキングコース途中の木製ベンチ(神奈川県・高根山)
    bmb-ntrl-bench

    その他、目的と形状、素材のちがいによって多様なベンチがありますが・・

    ◎ベンチそのものへの要望!
    ベンチのメーカーへお願い! それは・・雨後や誰かが何かで濡らした後に「今このベンチ(の、この分部)は濡れています」ということがはっきり分かるようにしてほしい !

    戸外で使われるベンチは雨などの水気を吸わず、溜めない、そしてすぐに乾くための材質や構造であるのが基本でしょうが、実際は完璧に行うのは無理なようなので・・

    ↓雨後のベンチの座面からなかなか消えない水気
    raindrop-bench

    私は、座る前に一応ベンチの座面の様子を見るのだが、”実は濡れている、湿っている、または水滴が残っている”と分からずに座ってしまい、服に水気が浸みた経験が何度もあるので・・

    例えば、座面の濡れている、湿っている部分は本来の色とは異なった色になっていて、乾いたら元の色に戻ったら良い!

    ◎ベンチ設置、増設の要望
    世界トップクラスの超高齢社会の日本では、ショッピングしたり散歩したりで歩き回る際にチョイと休みたい人が”昔より増えている”ことは間違いないのでベンチはもっと増えるべき!

    現在、既に一部の大型ショッピングモール屋内の通路や屋外、電器量販店の店内通路などでは随所にベンチを置いている例がありますが、まだまだベンチが欲しいと感じる場所(屋内/屋外)は多いもの。

    ↓家電量販店内フロアのベンチ(家電品の品選びは歩き回るので疲れる)(「ケーズデンキ」にて)
    ks-bench-double

    ◎立ち仕事にも補助椅子の時代だから・・!
    ベンチではないが、働く場においてもちょいと座るための椅子が出現している。

    これは、少子高齢社会で若年労働人口が減り、中高年ワーカーの存在が重みを増している表れで・・

    そのために、勤務中の足腰の負担を軽減する必要から生まれたもので・・例えば・・

    『スーパーアークス戸倉店(函館市)は昨2024年10月から店内のレジ打ちの人のための小型の椅子を配備したので、混みあう時間帯の合間には軽く腰をおろすことができるようになった。

    元々レジ打ち作業は体力的負担が大きいために敬遠されがちであるので、レジ担当の中高年の人から大いに歓迎されている。

    また、警備会社のRMフォース社(東京)も昨年から、椅子に座って行う「座哨警備」という方式を採用した。

    これは顧客(警備依頼者)の承諾を得て駐車場警備などに折り畳み椅子を持参して、クルマの出入りがない時は座って警備を行うもので、椅子の背には「座哨警備実施中」と表示して理解を得るようにしている。

    これの導入で体力消耗が減るので、実際のところ”週4日勤務だった人が5日 働けるようになった例もある”とのこと。』 (『』内および下の写真は「東京新聞」より)

    ↓(左)スーパーのレジ打ちの人用の椅子/(右)「座哨警備」中の様子
    sit-work

    このような世の中の動きからみても、ベンチの必要性も増していると言える !

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    余談
    ・「ベンチプレス」でバーベルを持ち上げるのに、体を仰向けに横たえるための台もベンチと言う。

    ・「ベンチがアホやから野球がでけへん」と発言してプロ野球選手をやめた江本孟紀氏(現、野球評論家)の件は有名ですが、この場合の「ベンチ」は監督やコーチを意味するもの。

    ・「ベンチマーク/ベンチマーキング」という言葉が近年 使われるようになっていますが、「ベンチマーク」は本来、測量における水準点を示すものだが、今や色々な分野での指標や規範などを意味するものとなっている。

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    AED(自動体外式除細動器)とは、心臓がけいれんして血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器。

    ↓AED機器一式の一例 本体寸法:約20X25X10センチ(日本光電工業(株)製品)
    aed-total
    2004年に、一般の人でもAEDが使えることになり、普及する中で、これを使って”救命される機会”の男女比は女性が少なくなりがちで、言い換えれば”男女被救命機会均等”ではない状態になっている!

    その誘因を表す一件が・・

    ◎AED使用が”わいせつ”で訴えられるというデマが発生!
    AEDを使って”心肺停止した女性”を救命した男性が、その女性の親から「強制わいせつ」(不同意わいせつ)で警察に被害届けが出されたという事例が発生したとして今年2025年1月にネット上で拡散して話題になったものの・・

    その後そのような事実は無いという警察からの発表があって、この件はデマであったことが判明。

    ただし、これがデマでなく事実だとしても、この男性の行為に違法性は無く無罪であると弁護士は断言している。

    しかし、”AEDの女性への使い方の現状が「強制わいせつ」感を生じさせる”可能性は、容易に察せられる。

    そうならば特に男性は女性へのAED使用を差し控える事態になってしまうから、結果として”男女心肺蘇生機会均等”ではないことになる。

    これに関連した実例としては・・あるマラソン大会で走っていた女性が突然倒れたが、駆け付けた男性係員は、措置対象が女性であることで救命行動を躊躇してしまい、

    かわりになる女性係員を呼んでいる間の時間を要したので、

    AEDによって一命をとりとめたものの脳機能が損傷したため身体マヒが残ってしまった。

    これは措置対象が男性だったら普通の状態に戻っていたはずだった。

    ◎AED使用が”わいせつ”感を生じさせる理由
    このように特に女性が「わいせつ感」を抱く状況は、AED使用を含む心肺蘇生措置”が実行される中のある部分で発生するが、そのおおまかな実行過程とは・・

    倒れた人を見たら ⇒ 119通報とAEDを持ってくるように周囲の人に依頼 ⇒ 胸骨圧迫(心臓マッサージ)と人工呼吸を交互に行う(人工呼吸は省略可)  ⇒ AEDを設定 ⇒ 電気ショック実施 ⇒ 再び胸骨圧迫と人工呼吸行う(救急車が到着するまで)

    この一連の「心肺蘇生法」のことを「CPR」とも言う。

    ※手順の詳細と注意点については・・
    https://www.aed.omron.co.jp/aed/procedure.html

    その心肺蘇生措置の過程の中で ”AEDを設定” が問題の部分で、

    AED本体からのコードにつながった”パッド”を倒れている人の右鎖骨下と左わき腹に張り付けて(下図参照)から電気ショックが行われるのだが・・

    AED-PAD
    (図は「日本光電工業(株)」のHPから)

    この図で分かるようにパッドを急いでしかも的確な位置に貼るには上半身の肌の大部分を露出させる。

    そこで”蘇生措置を受ける人が女性”の場合が問題になり、

    特に上図での男女が逆ではなおさらのこととなり、これが女性としては「わいせつ感」を生じることとなる。

    しかし、蘇生措置を受ける人も行う人も、躊躇している場合ではない理由は・・

    ◎心肺停止後10分で死亡するが、救急車はそれに間に合わない!
    人は心肺停止後・・
    10秒後:意識無くなる
    1分以内:蘇生措置すれば救命率95% 
    3分以内:蘇生措置すれば救命率75% / 脳障害発生ほぼ無し
    5分以内:蘇生措置しても救命率25% 
    8分経過:救命可能性は極めて少ない 
    (別の表現では・・心肺停止後1分ごとに救命率が7~10%ずつ下がる)

    しかるに、119番通報してから救急車到着までの平均時間は10分
    (別データでは8.6分や10.3分)

    しかも実際は救急隊員が患者への対応を始めるまでの時間を含めると平均13.6分かかる。

    このことから救急車到着を待つことなく躊躇せずに蘇生措置を実行しなければ死亡することになる。

    ◎女性へのAED使用時の配慮
    躊躇せずに実行と言ってもやはり女性への配慮ができれば、蘇生措置をされる人(以下便宜上「患者」と表記)も、する人(以下便宜上「措置者」と表記)もやりやすいということで、推奨されているのは・・

    〇 患者が女性の場合、措置者は女性に。

    〇 患者が女性の場合、その周囲を複数の人に立ってもらい、目隠しとする。

    〇 患者が女性の場合、衣服は必ずしも脱がさなくてもよく、
    二つのパッドを貼る位置にあたる衣服の部分だけをめくって、またブラジャーはずらすなどして行う。(ただしブラジャーにワイヤーがある場合はパッドから遠ざける)

    〇 患者が女性に限らないが、ネックレス(真珠など非金属モノでも留め金などは金属)など装飾は取り去るか、パッドから遠ざけて行う。

    これに加えて、私が提案するのは・・

    〇 患者が女性の場合、AED使用時のみに患者に不透明シートをかけて実行する。とっさの場にシートは無いだろうから、このシートはAED装置一式の中の一つとして含め、ケースに内蔵させておく。

    このシートの目的は、女性患者を外部の視線から守るのは勿論、シート表面には「救命用AED使用中」と目立つように大きな文字を配置して、措置者の行動が怪しまれないようにするため。

    〇 タオルも同様にケースに内蔵。これは運動中または夏季などで患者が汗をかいている場合にはタオルで体を拭かないとAEDの電気ショックが失敗するから。

    ところで、女性への蘇生措置でもう一つ課題があり、それは・・

    ◎女性への胸骨圧迫のリスク?
    蘇生措置の中の胸骨圧迫では、患者が成人の場合は胸が5センチほど沈むように、二本かさねた手のひらの根元で、体重をかけながら1分間に100回のペースで30回押す。

    このような方法なので、特に骨粗しょう症が多い女性はこの胸骨圧迫で骨折の可能性が大きい。

    ※患者が1~8才では体厚の1/3が沈む程度に押す / 1才未満には指2本で押す
    senior-sosei

    骨粗しょう症は女性のほうが男性よりも2~3割ほど多く、

    女性の60才代では5人に1人、70才代では3人に1人が該当するとされる。

    先日テレビのドキュメンタリー番組では、90才代の心肺停止女性が胸骨圧迫で蘇生に成功したものの・・

    担当医師がその女性の家族に対して「肋骨が多く折れたので、今後の処置を相談したい」と言ったところで映像が終わっていたが、厳しい実情を知った次第。

    このように、特に女性への胸骨圧迫処置には骨折のリスクを伴いがちなので、この措置が躊躇されるならば、ここでも”女性の被救命機会”を得るのにも不利となる。
    ・・・・・・・・・・・・
    そしてAEDの実際使用上の課題は・・

    ◎AEDの設置場所に関連した改善が進んでいるが・・
    現在、日本全国にAEDは約69万台設置されて普及が進んでいるが、

    実際の使用上の問題はいくつかあって、それに対する改善策もでてきていて・・

    〇AEDの多くは建物内に在るので、夜間や休館などでは建物入り口が施錠されていて入れずに、AEDが取り出せない

    ⇒最近、ある自治体では小中学校の体育館入り口付近や運動場などの”屋外にAEDを設置”開始して、

    学校関係者のみならず一般人も24時間、取り出して使用可能としたという例も出てきた。

    我が町の公民館内のAEDは建物が夜間は施錠されるので夜は使えない!
    aed

    〇 AEDが必要な事態になって、いざその場から最も近い設置場所を探そうにも、見つけるのが困難。

    ⇒最近は、緊急事態発生場所に近いAED設置場所がスマホに表示されるサイトができている。

    しかも日々増える設置場所の追加表示も、このサイト利用者からの情報提供(投稿)で随時アップされる仕組みにしてある。現在35万3千カ所が提示される。

    それが 
    ⇒ 「日本全国AEDマップ」 https://aedm.jp/

    その他、AED設置場所提示が投稿によらないで作成されているサイトもある。

    しかしこの方法も最適な設置場所を探し当てるには、ある程度の時間がかかるもので、

    一秒でも早い結果を得るためには今後 ⇒スマホの位置情報から自動的に”も寄りの設置場所”を提示するようになれば良いのだろう。

    ・・・・・・・・・・・・
    余録1)
    胸骨圧迫は1分間に100回のペースが目安ということだが、私がAED操作講習を受けた際には、

    童謡「うさぎとかめ」の「もし もし かめ よ かめ さん よ・・」の歌にのせた調子がよいと教えられた。

    余録2)
    心肺蘇生方法は時代とともに進歩
    して改変されるので注意が必要。

    その内容は「日本蘇生協議会(JRC)」によって5年毎に発表される新ガイドライン(現在は2020年発表版)によるもので、例えば・・

    〇 人工呼吸は必須ではなくなった。

    (2004年に一般人でもAED使う蘇生方法が解禁された2年後の2006年に私が受けた講習では、人工呼吸の実技指導もみっちり行われたが、

    近年では必ずしも必要ではないとされ、特にコロナ禍期以降は” 人工呼吸を行わない”とされている。

    〇 胸骨圧迫回数は以前の”15回連続で胸を押す”から”30回連続で胸を押す”に変更されている。

    〇 胸骨圧迫の強さは以前の”胸が3~5センチ沈む”から”胸が5センチ沈む” に変更。

    余録3) 
    AED普及台数:2022年=約67万6千台 ⇒ 2024年=約69万台 
    AED使用率=約4%

    余録4) 
    AEDによって救命された人数または有名人(日本国内)

    2005年:12人・・内2人は「愛・地球博」(会期185日/2200万人)の会場内で

    2009年の「東京マラソン」で・・
    松村邦洋(救命体制が良かった:AEDは1km毎に配置、専門スタッフ多数)
    matumura2
    2019年:703人

    2022年:618人(コロナ禍で減少)

    2004年~2022年:累計7656人
    ・・・・・・・・・・・・

    3月8日の「国際女性デー」は”女性の地位向上とジェンダー平等を推進するために”国連で1975年に制定されてから今年が50周年とのこと。(関係ないですがこのブログ発信が200回目にあたります)
    womens-day

    ところが日本では、教育を受ける機会、働く機会などにおいてまだまだ男性優位なことが多く、その点においては後進国状態。

    これについては、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法の施行、そして今国会には「女性管理職比率の公表義務化」(従業員101人以上の企業対象)の法改正案を提出予定など、状況改善に向けて進められている。

    しかし、このような方策の結果で”男女間の均等な機会”が生まれたとしても、人間の男女の生理的・肉体的相違だけは厳然として存在するので、これを解消してこそ本当の”機会均等”言い換えれば”男女が同じ土俵に上がれる”状態となる。

    実際の例としては適当とは言えないでしょうが・・つい最近のテレビのルポでは”ロシアでも女性が男性と同様に兵士になる者がいるが、彼女らは「経血が多くて軍服のズボンに浸み出すことがあり、それが乾いて布が硬くなって股が擦れて痛いのだが戦場ではそれに対処できるものではないので、どうしても動きにくくなる」という苦境を訴える姿”を伝えている。

    このような女性の状況を打開するために女性の心身の課題をテクノロジーで解決する商品やサービスの提供は大きなマーケットになると気付いたドイツの起業家のイダ・ティン氏(何だか「韋駄天」を連想するが、デンマーク出身の女性)が2016年に提唱したのが・・

    ◎「フェムテック」
    「フェムテック」はFemale(女性)とTechnology(テクノロジー)の合成語

    具体的には月経関連、妊娠関連、更年期障害関連、美容関連、働きやすさ・活動しやすさの支援サービスやグッズなど。

    日本におけるフェムテックという言葉の普及には、「健康博覧会」というイベントの場で使われ始めたことが大きく影響しているように思われる。
    signboard

    それはこの「健康博覧会」が老若男女を問わず広く健康や美容に関連する企業を集めて展示・訴求の場として毎年開催されて今年43回目となった伝統ある存在で、主催:インフォーマ・マーケッツジャパン/後援:日本貿易振興機構=JETRO。参加企業:国内外500社、来場者(3日間)4万人という規模。

    その「健康博覧会」において「フェムテック」の呼称が使われ始めてから7~8年にも及ぶからだ。
    こうして、最近では多くのマスコミにも出現するようになった。
    health-welnes-show
    ↑↓「健康博覧会」開催の様子
    health-wellness2

    また「フェム○○」という言葉も増えて・・

    昨2024年10月には「フェム プラス 2024」という、女性のケアのための製品・サービスの展示会が開催されて、国内外141社、298商品が出品された。
    fem-plus1

    fem-plus2

    出展商品の一例は、”出産直前時に必要とされる いきみ逃し(いきまないようにサポートする)”グッズ「まさポ」 (タニティ・さポートからネーミング)(株式会社Spica)
    masapo

    従来はテニスボールやゴルフボールを妊婦のお尻に当てて押していたが不衛生な上に形状も最適とは言えなかったので、藤田医科大学の看護チームと共同開発したもの。
    ↓使用状態:自身で/パートナーまたは看護師の手を借りて (Spica社のHPより)
    masapo-htu
    ↑使用法詳細は・・ https://masapo.jp/

    その他、”生理前の「精神的疲労感」、「眠気」、「晴れない気持ち」を緩和する効果”がある”CP2305ガゼリ菌配合“の機能性表示食品「わたしプロローグ」(アサヒグループ食品株式会社・カルピス通販) この機能のサプリとしては日本初とのこと。
    watasi-prologue

    ◎話題の書「産む気もないのに生理かよ」にはフェムテックを!
    昨2024年12月に初版発売した本「産む気もないのに生理かよ」(飛鳥新社 1760円)の著者である月岡ツキ氏は既婚の31才で子供無し。
    umukimonai

    氏は著書の中で“自分の意志によって子供を産まない理由”を40条もあげ、その中には「そもそも他人の人生をかってにはじめていいのか?」・・というものもあるそうで、こういう考えの人も認める多様性社会とすれば、子供を産まないと決意した人向けの”フェムテックも考えられるのでは?

    さて、このように男女の生理的・肉体的相違の解消に向けて特に女性のためのフェムテックが盛んに現れてきたら、男性にも同様な方策が与えられる”機会均等”も必要ということで、最近出現が増えた言葉が・・

    ◎「オムテック」あるいは「メンテック」
    「フェムテック」に対しての「オムテック」という呼称は、フランス語で女性は「femme(ファム)」、男性は「homme(オム)」というところから出てきたものでしょう。(英語では女性=Female、男性= maleだから)

    そこで「オムテック」が使われ始めて一般化するかと思われたが、どうもそうはならないようで・・

    実は従来から(株)「オムテック」という名称の会社が多数(多様な業種において)存在することやアンファー株式会社から”妊活を女性だけのものにしないウエルネスブランド”の「オムテック」という商品が発売されているなど、「オムテック」が一般名称ではないことになっている一方で、

    一般社団法人「日本オムテック協会」が”男性の「かっこいい」を追求する”をスローガンにしている。

    このような呼称の混乱状況を避けるためか、使われ出したのが「メンテック」で、伝統ある「健康博覧会」でも「フェムテック&メンテック」という表現をしている。

    f-m-tech

    なんとも”「フェム⇔オム」というバランスがとれた呼称”が崩れる状態はすっきりしないが・・

    とにかく男性にも更年期障害、妊活、育児休業、父子手帳、などへの対処が必要となるが、この分野はまだ発展途上にある。

    以上、男女の生理的、肉体的相違解消のための方策である「フェムテック」と「メンテック」をとりあげて、家庭や社会の中での男女の行動の機会均等の実現に向かっている様子を述べましたが・・

    最近、男女の行動の機会均等に関して問題になっているある件については、次回に・・
    ・・・・・・・・・・・・

    前回、大河ドラマ「べらぼう」テーマ曲で使われている楽器ツィンバロンをとりあげました。
    tuinbaron1

    (前回内容= https://lddesigneruk.livedoor.blog/archives/26986805.html )
    さらに世界にはこれとよく似た楽器があるもので・・

    ◎ツィンバロンの仲間か?ポータブル・ツィンバロン?
    米国映画「昼下がりの情事」(Love in the Afternoon)は主演:ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘプバーン、監督:ビリー・ワイルダーで1957年に製作・公開。

    love-aftnn

    実は私、この映画を数年前にテレビで初めて観た、と言っても全編じっくり観ていないのだが、とにかく気になったのが、この映画の中で頻繁に流れる主題曲「魅惑のワルツ」(Fascination)。

    この曲自体は、もう60年ほど前にはラジオやレコードで聴いて知っていたのですが、実際の映画の中で流れる曲(サウンドトラック曲)には、なんとツィンバロンの音が入っているではないか!

    ↓映画部分と「魅惑のワルツ」の音楽(3分弱)(後半にツィンバロン演奏シーンあり)

    https://www.google.com/search?sa=N&sca_esv=71db54fb86614d0a&rlz=1C1CHBH_jaJP748JP748&udm=7&q=%E6%98%BC%E4%B8%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%83%85%E4%BA%8B&ved=2ahUKEwj8pqOXh8iLAxVylK8BHUgDN38Q8ccDegQINxAD&biw=1366&bih=555&dpr=1#fpstate=ive&ip=1&vld=cid:1f2b5ed1,vid:LmSWw6wor3I,st:0


    よく見ると4人組の楽士(後に調べたらこの人たちはロマ=ほぼ昔で言うジプシー)が色々なシーンに頻繫に登場して演奏していて・・

    バイオリン、ビオラ(またはバイオリン?)、アコーデオンに加わっているのが”小型のツィンバロンと思われる楽器”(以下この項の文中:ツィンバロン)で、これには独自の名前があるのか分かりませんが、その奏者はそれを紐で首から吊って本体を保持しながらバチを叩いている。
    roma-dance

    大編成のオーケストラで使われるモノと比べると音域は少し狭いのでしょうが、音色は変わらないように聞こえる。

    ↓映画の中の4人の演奏シーン
    roma-near

    ↓いたる所で演奏され、それゆえにこの映画全体でツィンバロンの特異な音が印象に残る。
    roma-boat

    ↓そして4人の演奏シーンで終わるということは、この映画における音楽(テーマ曲)がいかに重要視されているかを示すもの。
    roma-ending

    ◎ツィンバロンの仲間?中国の楽器:揚琴(ヤンチン)
    今から35年ほど前、私が単身赴任で再び大阪勤務だったある日のこと、毎日の通勤途中に一部歩いて通る京橋駅前の広場で、ツィンバロンのような音のメロディが聞こえてきた.ので、

    近寄ってみたら一人の40才代くらいの中国人(中国語が書かれた説明板のようなものが置いてあるのでそれと分かった)男性が座って両手でバチを持って弦を叩いて演奏しているではないか! (曲目は日本の流行歌だったと記憶している)

    当時の私はツィンバロンの現物は勿論、写真さえも見たことがなかったが直感的にこれは小型のツィンバロンではないかと思い、懐かしさを感じながらしばし聴き入ってしまった。

    しかし今になって調べてみたら、それは中国伝統楽器「揚琴(ヤンチン)」だったようだが、私が見たのは下の参考動画で登場する揚琴(ヤンチン)よりさらに小ぶりだったように思うので、ひょっとすると異なる類似楽器だったかもしれない。

    ↓揚琴(ヤンチン):(東京藝術大学小泉文夫記念資料室HPより)
    yantin
    ◎ツィンバロンやヤンチンの元祖はサントゥール
    ツィンバロンなどの打弦(バチで弦を叩いて音を出す)楽器の元祖はペルシャ、今のイランあたりの「サントゥール」。

    サントゥールが、西方へ伝わり、
    ハンガリーでは「ツィンバロン」に、
    ドイツでは「ハックブレット」になり、
    ヨーロッパ経由で北米では「ハンマーダルシマー」に。

    東方に伝わって17世紀ころの中国で「ヤンチン」に、
    東南アジアでは名前そのまま「サントゥール」に、(タイでは「キム」に)
    18世紀には朝鮮で「ヤングム」になり、それぞれの地で独自の形に発展してきた。
    なお、17世紀の沖縄で「ヤウキン(夜雨琴)」となったが、普及しなかったそうだ。

    サントゥールとその演奏(東京藝術大学小泉文夫記念資料室HPより)

    サントゥールから東西へ伝播した図
    ・・・・・・・・・・・・
    余録(1)
    魅惑のワルツは1904年にパリのカフェのオーケストラ用に作曲されたものが後にシャンソンとして人気を得ていたが、1957年の映画「昼下がりの情事」の中で使われてリバイバルヒットしたとのこと。

    魅惑のワルツは魅惑的メロディゆえに、映画から独立した曲として多くのミュージシャンが演奏したり歌っていて、ただしそれらにはツィンバロンは遣われていないが、パーシーフェース楽団、ナットキングコール、美空ひばり、小野リサなどのものがあるが・・

    私が最も気に入っているのはフランク・チャックスフィールド楽団の演奏
    ・・・・・・・・・・・・
    余録(2)
    ツィンバロンの弦は音階通り順番には並んでいないので、一応の演奏ができるには1年はかかるそう
    で、それゆえにツィンバロン奏者が少ないから、前回紹介しましたように”曲中でのツィンバロン担当パートをマリンバ(木琴)で代替する例”が生まれるのでしょう。

    “音階通り順番には並んでいない”といえば・・
    タンゴ演奏に使われる(アコーデオンに似た)「バンドネオン」は(ピアノなら鍵盤にあたる)押しボタン。

    bandneon
    (↑画像は「EYS MUSIC SCHOOL」のHPより)

    中南米音楽に使われる「スチールドラム」の叩く場所。
    steel-drums
    (↑画像は「楽天市場」より)

    ・・・・・・・・・・・・

    先日テレビで紹介されたある楽器。それは音楽関係の方なら珍しくもないのでしょうが私としては実に数十年ぶりに聞く名前だった。・・それが・・

    ◎「ツィンバロン」!
    現在NHKテレビで放送中の「大河ドラマ『べらぼう』のタイトル画面が現れると同時に流れるオープニングテーマ曲の初めの10秒間くらいによく聞こえるのが「ツィンバロン」という楽器の音です。」・・と、同じNHKの別番組「ひるまえ ほっと」の中で紹介された。

    →タイトルと同時にツィンバロンの音から始まる曲:
    https://www.youtube.com/watch?v=CQkMDSWltOI

    tuinbaron3

    「ツィンバロンはハンガリーの民族楽器で135本の弦を2本のバチで叩いて音楽を奏でる”打弦楽器”。ということは音を出す基本のカタチはピアノと同じで、ただピアノは鍵盤を介して弦を叩くところが違う。

    ツィンバロンの形状とバチ(先端は綿がきつく巻いてある)と演奏の様子がわかるのが下の画像↓(NHKテレビ「ひるまえ ほっと」より)
    tuinbaron1

    ◎「ハーリ・ヤーノシュ」という曲で知ったツィンバロン
    今から60年ほど前、1965年頃だったかに私が購入した(オープンリール・テープレコダー用)ミュージックテープが「ハーリ・ヤーノシュ」(イストバン・ケルテス指揮、ロンドンシンフォニックオーケストラ)だった。

    そのテープは残っているが私にはテープレコーダーがもう無いので聴くことができない!
    kodaly

    この曲はハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターン(1882~1967)作の組曲で、曲中に祖国の民族楽器であるツィンバロンを登場させていて、しかもその打音を大きく響かせるパートがあるので、その特有な(ちょっとだけ日本の琴に似た)音は私の耳に焼き付いた?のだった。

    先にご紹介した「べらぼう」冒頭に流れるツィンバロンの音は控えめなので聴き取りにくかった方には、この「ハーリ・ヤーノシュ」(Juraj Valčuha指揮、フランクフルト放送交響楽団)をどうぞ・・曲中、ツィンバロン演奏の音がよく聞こえる部分が何カ所かありますが、中でも開始20分25秒から30秒間くらいがよく分かります。→ https://www.youtube.com/watch?v=ym2QvHQNyPU

    ↓フランクフルト放送交響楽団演奏中のツィンバロン奏者
    twinbaron-orche

    ↓その奏者がバチで叩いているツィンバロン
    twinbaron-orche2

    ※You Tubeで他のオーケストラの演奏もいくつかみられ、中にはツィンバロンの代わりにマリンバ(木琴)を使っている例があり、私も聴いてみたがやはりその音ではこのハーリ・ヤーノシュには馴染まないと感じざるを得なかった。

    《余録1》「べらぼう」でのツィンバロン奏者:斎藤浩 氏
    このドラマのテーマ曲でのツィンバロン奏者の斎藤浩 氏は、大阪音楽大学作曲学科卒業後、ハンガリーのリスト音楽院で学び主席で卒業し、その後にアジア人で初の「ツィンバロン・ソリストディプロマ」の資格を授与されている。

    saito-hirosi
    (↑NHKテレビ「ひるまえ ほっと」より)

    テーマ曲の作曲者であるジョン・グラム氏は「このドラマはグローバルな視点からも見られるべきだと考えて、東洋的でも西洋的でもない曲作りにハンガリーのツィンバロンを採用した」と述べている。

    蛇足ながら、35年ほど前のこと、私の職場に大阪音楽大学卒の女性社員(つまり斎藤浩氏の先輩)がいて、何かの会話の中で彼女の口から” ツィンバロン”という言葉が出てきたので、

    私の中では久しく忘れていた楽器の名が懐かしいと思うと同時に、さすが音大卒!しかしそれは音楽関係者の中では常識なんだろうなとも思ったことであった。

    《余録2》「コダーイ・ゾルターン」か「ゾルタ(ー)ン・コダーイ」なのか?
    組曲「ハーリ・ヤーノシュ」の作曲者の名前は、昔は「ゾルタン・コダーイ」と表記されていて、私もそう覚えていたところが、現在では「コダーイ・ゾルターン」となっているので、なぜかと思って調べたら・・

    「コダーイ」は姓であり、「ゾルターン」は名であり、ハンガリー語圏では日本語と同じ”姓・名”の順の表記となり、インド・ヨーロッパ語圏の表記では”名・姓”となる。

    つまり昔は英語圏式の読みだったが、近年では”表記は現地での読み方・呼び方を採用する”という流れになり、これに沿って変わったものだろう。

    ちなみに、我々日本人を含むアジア系やアフリカ系人種のお尻などに出現する青い色の「蒙古斑」がハンガリー人にも少なからず出現することもよく知られている。

    《余録3》「ハーリ・ヤーノシュ」は聴いて楽しい
    「ハーリ・ヤーノシュ」という組曲は気軽に楽しめるもので、主人公である夢想家でホラ吹きの老兵ハーリ・ヤーノシュが居酒屋で語る話の内容を器楽で表現したもので・・

    まず一発クシャミをしてから始まる話は、ウイーンの音楽時計からは小さな兵隊が出てきたり、恋人のこと、はては敗北したナポレオンがハーリに助けを求めた・・などというもの。

    《余録4》音楽とナポレオンと言えば・・
    ハーリ・ヤーノシュの曲中にナポレオンをあつかった部分があったとは知らなかったのですが、音楽とナポレオンの関係と言えば、有名なのが、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」とチャイコフスキーの序曲「1812年」。

    ベートーベンは当初ナポレオン・ボナパルトを賞賛していて、彼を讃えた交響曲の作曲にとりかかって、その曲名にボナパルトの名を冠していたが、やがて皇帝を名乗り独裁者となったことに激怒して、曲名を単なる「英雄」にしたという。

    チャイコフスキーは楽譜出版社と友人から小曲を依頼されたが、気乗りしないまま1880年に作曲したのが序曲「1812年」(演奏時間17分弱)。この1812年はナポレオンがロシアに遠征して冬将軍にもあって敗退した年。曲の最後には大砲の音を入れることが楽譜上で指定されているが、ライブ演奏では無理なもののレコードやCDなどでは実際の大砲の音をミキシングして入れているものがある。
    ・・・・・・・・・・・・

    前回に続き、ベンチについてですが、まずはちょっとした私の体験から・・

    ◎選挙違反でベンチにて過ごす人?
    今からもう半世紀前、私が大阪勤務時代のある休日の午前中のこと、

    友人との待ち合わせのため公園でぶらぶらしていたら、

    ベンチに一人じっと座っていた人が突然私に向かって

    「あんたも逃げとんでっか? 私も選挙違反に関わっとんで家におるとマズイっちゅうわけでここにおるんですワ」

    ・・と私を同類にしたいような言葉をかけてきたので、”世の中、こんな人もいるのだ!”と知ったのでしたが、

    そんなことで逃げきれたのか、その後どうなったのだろうか? それは丁度 市議選直後の出来事だった。


    さて、ベンチも色々ある中で、ちょっと気になるベンチは・・

    ◎エコマテリアルベンチ

    ○廃木材の粉と回収汚泥を有効利用したベンチ
    木材の廃材を粉末化したものとプラスチックを混合して作られた(いわゆる)「ウッドプラスチック」の板を座面に使い、下水汚泥などを処理して小石のようにしたもの(スラグ)を混ぜたコンクリートで作った支柱台のエコマテリアルベンチ。(下図はその一例:「モリマーキンキ(株)」製)
    pla-wood-bench1

    ○交通系カードを回収してベンチに利用!
    かつてプラスチック製の交通カード類が大量に使われた時期に、それを回収したものを溶融して細巾の板状にして座面や背もたれに使ったベンチがある。(下画像)

    ↓京王電鉄駅ホーム設置のリサイクルベンチ(東京)
    DSCN0538

    ↓「使用済みカードをリサイクルした」という説明プレートが。
    DSCN0540

    現在では交通カードやキップは極端に減少しているでしょうが、プラスチック製のカードはまだまだ多様な分野で使われているので、それらをまとめて集めればエコ素材として成立するのでは?

    ちなみにテレフォンカードもまだ需要があるから、我が家に近い”買取店”では50度数カードを390円で買い取っている。

    ↓これも役に立つか?私の手許に在る使用済みテレフォンカードと交通系カード。計約210枚・370グラム (ほとんどが拾い集めたもの)
    cards

    ◎自ら光るベンチ
    夜の歩道や庭、遊園地、ビアガーデン、あるいは暗い室内で自ら光るベンチ(またはチェア)が出現し販売もされている。

    本体素材※は半透明で内部のLEDによって全体がぼんやりと光る。
    ※使用素材はポリカーボネート、ポリエチレン、コーリアン(ナイロン開発で有名なデュポン社のアクリル系の人工大理石で世界中で長年多用されている)など。

    多くが防水仕様で可搬型で移動でき、連結できるタイプもある。

    光る色は白が多いが、多様な色に光るものもあり、中にはスマホで色の切り替え操作ができるタイプもある。

    ↓基本形が菱形の組み合わせ/光は16色選択可能/材質:ポリエチレン(「VEROMAN HOME」社)
    veroman1
    veroman2

    ↓本体にはアクリル系樹脂「コーリアン」使用/高さ44センチ(エービーシー商会の商品「ルコリエ」)
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    ↓昼間の見え方と座った状態
    lucorie2

    ↓レギュラー型および組み合わせ可能型の「ライトベンチ」 (泉陽興業(株))
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    ↓組み合わせて”逆S字型”に設置した例
    senyokogyo2

    ・・・・・・・・・・・・・

    これらの素材や製品から、さらなる使い途が見つかるでしょう
    ・・・・・・・・・・・・・

    前回、雪で作られたお釈迦様がベンチに横たわる例を紹介しましたつながりで、今回はベンチについて・・

    昔は下図のようなベンチ※が一般的だった。
    kouen-tejinasi
    ※↑ 
    座っているのは歌手フランク永井(故人)。氏自身が最も好きだった曲「公園の手品師」(作詞:宮川哲夫/作曲:吉田正)のレコードのジャケットに使われている写真で、発売された1958(昭和33)年頃のベンチだろう。

    ところで「ユニバーサルデザイン」、「インクルーシブデザイン」、「フォーオール(For All)」などと表現され”モノやコトは子供から高齢者まで、健常者も障がい者も、いかなる立場の人も、誰もが参加しやすく、使いやすいものであるべき”という考え方が提唱されて久しいが、

    ベンチは元来、ユニバーサル的だった。しかし近年“反ユニバーサルデザイン現象”が出現していて・・

    ◎横臥防止意図的ベンチ
    近頃、公園などのベンチに”座面の中間に仕切りを設けた形態”にしたものが多くなった。

    ↓仕切りのあるベンチ:横浜市・開港広場公園
    (「HAMAブロ」より)
    bench-yhm1

    最たる目的は、ホームレスの人が横になって寝るのを防止するため。

    この目的で、かまぼこ型で平らな座面が無いベンチも出現。

    ↓平面の無いベンチ:東京都新宿区
    (「FNNプライムオンライン」より)
    refuse-bench1

    そこでこれらのベンチは「排除ベンチ」や「意地悪ベンチ」と呼ばれるようになった。

    ◎批判続出 !
    昨2024年3月にある人がSNS上で(前記の)「平面の無いベンチ」の写真とともにその存在に疑問を呈したところ、大きな反響があり、ベンチを設置した行政の姿勢を批判する声が多く寄せられた。例えば・・

    《横になって寝させねえという意思ばかりが突出している「排除デザイン」ですね。行政の仕事ってこうやって排除することじゃなくて、そんなところで横になって寝なきゃなんない人をなくすこことなんじゃないでしょうか》

    《役人の考えるホームレス対策 ホームレスを見えない所へ追い払う 見えなくする事が対策なのか、違うだろ》

    《これじゃベンチそのものが必要ないだろう。一般のお年寄りや小さな子供も座れないだろうから》

    《結局誰にも快適じゃないものになってますなー。ソフトなディストピア(ユートピアの反対)》

    ( 上記《 》内は「Smart FLASH」の記事から引用 )

    ◎「排除ベンチ」による悲劇発生!
    2020年、東京・渋谷区のバス停のベンチに居たホームレスの高齢女性が頭を殴られて殺害された事件があったが、そのベンチが仕切りの在る排除ベンチだったためにその女性は横になれずに座ったままで寝ていたそうだ。

    ◎ついに「排除ベンチ」を排除した平塚市
    神奈川県平塚市では昨2024年に、それまで約20年間存在した”排除ベンチ”をやめて普通のベンチに戻した。

    この市を動かしたのは市会議員の江口友子氏で、もともと市議になる以前からホームレスの人への支援に取り組んでいて、排除ベンチの存在は”意地悪である”と感じていたので、”ベンチはあらゆる人が利用できてコミュニケーションが生まれる場であるはず”として排除ベンチの廃止を市に訴え続けた結果、実現した。

    ↓”排除ベンチ”ではなくなったベンチと江口氏 
    (撮影:岡田玄 氏)
    bench-hiratk

    横臥防止目的だけではなく、他人に迷惑かける行為の防止を意図したベンチもある。

    ◎長居防止ベンチ
    真ん中の仕切りに加えて、杭を立てて座りにくくするまでもしたベンチ。その目的は、夜間にベンチに座って (飲酒人間は特に)仲間どうしで話す大声が近隣住民から安眠妨害であるとの苦情が絶えないということで、寝るどころか長居ができないような座面にしたもの。
    ただしこのベンチの有様があまりにもみっともないので、別の方法を考慮中とのこと。

    ↓座りにくく長居できぬベンチ:東京都新宿区
    (「FNNプライムオンライン」より)
    refuse-bench2

    ◎必要な"排除ベンチ"もある
    仕切りを設けたベンチなので、ベンチで寝る人排除になると同時に、座れる人数を指定するベンチであり、” 2人掛けあるいは3人以上掛け向けのベンチに一人で座るものの他人が座るスペースが無い状態にするような迷惑な人”を作らないし、排除する目的もあるベンチ。

    ↓千葉県・市原市の某ショッピングセンターの屋外ベンチ
    haijyo-bench4


    電車内のベンチシートにおいても”けしからぬ行為防止”のために座る位置を限定(指定)するカタチが増えて、仕切りの金属パイプ支柱を一部に設置する他に仕切りをせずに、座面の窪みを指定人数分施すタイプがある。画像は「東洋経済オンライン」より)
    bench-seat

    同様目的で駅ホームなどのベンチにも、仕切り無しで窪みの在る座面を指定人数分施すタイプが多い。
    (画像は「カグロー」社HPより)
    station-h-bench

    ◎”座ることを拒否する椅子”という岡本太郎の作品があったが・・
    岡本太郎(絵画・造形作家:1911~1996)の作(信楽焼:1963年)
    refuse-chair

    (「銀座 おいだ美術」のHPより)

    氏はこの作品の意図を次のように述べた。

    「いわゆるモダン・ファ二チュアの、いかにも坐ってちょうだい、とシナをつくっている不潔さに腹が立つ。
    お尻のひな型であるような、身体がすーっとおさまって沈んでしまい、
    そのまま前途を放棄したくなるようなのは、お年寄りか病人用に限ったほうがいい。
    なにも一日じゅう座りこむわけではない。
    活動的な歩みのなかで、一時腰をおろすだけのもの。
    つまり人生の戦いの武器である。
    生活のなかに生命感のあふれる遊びがない。それが現代の空虚さだ。
    私は素朴な合理主義や機能主義をのり超えて、いちだんと激しい生活感、
    イマジネーションをうち出したかったのだ。
    そこで、椅子でありながら、精神的にも、肉体的にも、 人間と「対等づら」する、こいつらを作った。
    生活の中の創造的な笑いである。」
    (岡本太郎著『原色の呪文』より)

    この椅子はアート作品だから、これを見たり、座ってみたりした人の全てではなくとも一部の人が刺激を受けて共感あるいは反感などの感情が生まれれば、それで存在価値があるが・・

    公共の場のベンチはそうはいかず、機能的にも視覚的にも万人を受け入れるユニバーサルデザインでなければならない。
    ・・・・・・・・・・・・・

    この冬は各地で大雪の便りある中で・・

    ◎ベンチで横たわる仏様の雪像
    雪で作ったお釈迦様の涅槃像がベンチの上に現れたシーンがこの正月(2025年1月)早々にネット上で紹介※された。
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    場所はある大学のキャンパスということだが、どうやら「京都伝統工芸大学校」のようで、作者は木彫り作家の濱里さんとのこと。

    これを見た感想として・・「ブッタまげた」・・という”仏陀”にかけたような声も紹介されている。

    「grape  TREND」2025.1.12発信記事より

    ちなみに”お釈迦様の入滅(死)を表す涅槃”の像や絵が多く存在する中の一部が・・

    「ワットポー寺院の涅槃像」(タイ・バンコク)
    ↓金色の像の全長が46メートルで 建物内に在るため、全身撮影が困難 (タイ政府観光庁のHPより)
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    nehanbutu-thai

    「南蔵院の涅槃像」(福岡県)
    ↓全長41メートルでブロンズ像としては世界最長 (篠栗町観光協会のHPより)
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    「映画『ビルマの竪琴』の中の涅槃像」
     (竹山道雄原作、市川崑監督、1956年公開)
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    松尾芭蕉の死を涅槃になぞらえた絵
    芭蕉は死後、生前以上に敬われて江戸時代後期には"神"と崇められたので、その臨終の様子は(神を仏に変換して?)涅槃のように描かれた。
    basyou-death


    ◎学校のグランドで横たわる裸婦の雪像
    横たわる雪像と言えば、思い出すのが私の高校生時代に東京でも雪が降って15センチほど積もった日、学校のグランドで級友と一緒になって(3人だったかで)作った裸婦像。

    その長さは3メートルくらいの大きさにしたものの教室からは見えない位置だったので残念ながらアピールの効果は無かった。

    実は、目立とうとするなら”校舎2棟にはさまれた(大きくはない)校庭”に作るほうが良かったのだが、ここは職員室からもよく見えるので、ちょっとマズイということで、この場所は避けたのだった。

    余談ですが、ある日の昼休みのこと、その校庭でテニスのラリー(軟式?/ネット無し?)をやっている二人の生徒がいて、その一人が後に(短期間ではあったが)首相になった鳩山由紀夫だった。

    当時彼が”元首相の鳩山一郎の孫”ということは皆が知っていたので余計に目立った行為だったが、そんな余裕の姿を見せながら当然※のようにスっと東京大学に進んだものだった。(※彼の息子を含めると4代連続東大卒)

    さて、我々の作った雪像については、解けて無くなってしまうものだけに写真に撮って記録を残せなかったのは残念。現代ならば身近なスマホなどで必ずと言っていいほどシャッターを押すだろうに・・
    ・・・・・・・・・・・・
    “雪が解ける”という言葉を聞くとなぜか私のアタマの中で「ノーエ節」の歌詞とメロディが(出だしだけだが)浮かんでくる。それは・・

    『富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエエ 富士のサイサイ 白雪朝日でとける とけて流れてノーエ とけて流れてノーエエ とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ ・・・・・・ 』
    ・・・・・・・・・・・・

    今年は正月早々 テレビでゲームアプリ「メメントモリ」のCMが頻繁に流れた。
    memenntomori

    “メメントモリ”という言葉はラテン語であり、日本語にすれば「死を忘れるな」となり、意訳すれば「自分はいつか必ず死ぬということを忘れるな」ということだそうですが・・

    そう言えば、「人は生まれた瞬間から死に向かっている(近づいている)」という言葉もある。

    そこで「こいつぁ 春から縁起でもないCMだわい!」と感じたものの、「いや、“メメントモリ”を意識すれば”今”を大切に精一杯に生き、”今日できることは明日に延ばさず“・・などの気構えが生まれて今年を充実した年にできる!」から、まんざらでもない!とも言える。

    人それぞれ寿命あり、長命、短命ある中で、私が日頃 気にしているのが”49才で亡くなった人たち”。

    そのきっかけは、今から40年ほど前に私の叔母が がんによって49才で亡くなったので、現代の平均寿命からすれば何と短い命であったことかと思うと同時に・・

    まことに非科学的ですが”49”は”4=死”と”9=苦”が重なって縁起の悪い数字だと思えるようになったから。そして次のような”しく”の付く言葉もある・・

    「四苦(しく)」・・これは仏教由来で”人生の四種の苦痛、即ち生、老、病、死”のこと(広辞苑より)。

    「四苦八苦(しくはっく)」・・同じく仏教由来で前出の”四苦に加えて愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四つの苦を加えたもので、転じてあらゆる苦しみ、非常な苦しみ“を表す(広辞苑より)。

    その他、「しくじる」(失敗する)、「しくしく」(しおれて泣く、絶えず鈍く痛むさま)もある。

    これら”しく”が付く言葉は好ましくない状態を表すもの。

    また、日本の終戦後の連合国軍占領下の1952(昭和27)年、日本航空の「もく星号」が羽田空港から福岡空港に向かっていたが伊豆大島の三原山火口付近に激突して乗客33名、乗員4名の計37名全員が死亡したのが、なんと4月9日。(まだ米軍による管制でパイロットも日本人ではなかった)

    「もく星号」激突現場:この写真の下部には3人の死体が明瞭に写っているがカットしました。
     (「サン写真新聞」4月12日号より)
    mokuseigou2

    ・・というわけで、古今東西の有名人で49才(数え年も含む)で亡くなった人たちを挙げてみます!
    けっこうオオモノが多いのに驚きます。

    始皇帝:紀元前259年2月18日~紀元前210年9月10日
    (古代中国で初めて皇帝という呼称を使った秦の6代目の王。生前に不老不死の薬草入手を徐福という人物に命じたので徐福は日本へ渡って探したという伝説は有名。そして当時は不老不死の薬とされた水銀を多飲して、逆に死期を早めてしまった。)

    聖徳太子(厩戸王/厩戸皇子):574年2月7日~622年4月8日

    上杉謙信:1530年2月18日~1578年4月19日

    織田信長:1534年6月23日~1582年6月21日

    真田幸村(真田信繁):(生年、没年とも異説あり)1567年または1570年2月2日または3月8日~1615年5月7日または6月3日

    チャールズ1世:1600年1月23日~1649年1月30日
    (スチュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランドの王だったが清教徒革命により処刑された年も1649と”49”が付く)

    島津斉彬:1809年4月28日~1858年8月24日
    (江戸時代末期の薩摩藩主で洋学進取の名君)

    西郷隆盛:1828年6月23日~1877年9月24日
    (上記の島津斉彬に重用されてもいた)

    大久保利通:1830年9月26日~1878年5月14日

    夏目漱石:1867年2月9日~1916年12月9日

    横光利一:1898年12月28日~1947年12月30日
    (「小説の神様」とも言われた一人)

    堀辰雄:1904年12月28日~1953年5月28日
    (小説家。代表作「風立ちぬ」)

    山下清:1922年3月10日~1971年7月12日
    (ちぎり紙による貼り絵で有名な画家)

    比嘉和子:1924年8月5日~1974年3月?日
    (南洋のアナタハン島事件の中心人物)

    ジャンボ鶴田:1951年12月28日~2000年5月13日
    (プロレスラー)

    河島英伍:1952年4月23日~2001年4月16日
    (シンガーソングライター)

    飯田馬之助:1961年4月30日~2010年11月26日
    (アニメ監督、漫画家)

    松本竜助:1956年4月6日~2006年4月1日
    (漫才の元「紳助・竜介」の一人)

    清水由貴子:1959年9月7日~2009年4月20日
    (歌手・俳優・タレント。父親の墓前で自死)

    ※厳密に満49才で亡くなった人のリストは・・
    https://straw-wara.net/today02/age/age_049.html#google_vignette

    ※厳密に満48才(数えで49才)で亡くなった人のリストは・・
    ・・・・・・・・・・・・

    あっ! と気が付きました "しく"の良い意味の使い方・・

    あらためまして 今年もよろ
    止苦お願いします

    しかしこれは意味的には良いが"字感"はやはり良くないか!
    ・・・・・・・・・・・・


    新春のお慶びを申し上げます!!

    お若い方には今年も元気にご活躍されますことを、
    お歳をめした方にはご健康長寿を、お祈りいたします。

    今年は巳年ということで・・

    senkou-snake5

    世界最初の蚊取り線香「キンチョウコウ」が
    1890(明治23)年に
    上山英一郎(金鳥ブランドの大日本除虫菊株式会社の創業者)よって発明されましたが

    当初は、その形が仏壇などで使われるお線香と同様なものだったため
    火もちが40分しかなかったので、長もちする方法を考えていたところ

    上山氏の夫人「ゆき」さんが、
    線香を渦巻型にすることを思いついたので

    この案に基づいて渦巻型蚊取り線香が
    1902(明治35)年に誕生しました。

    ただし初期は、現在の蚊取り線香の断面が長方形なのと違って丸型でした。

    巷では、「ゆき夫人は庭でとぐろを巻いている蛇を見つけて、
    渦巻の形を思いついた」
    という話が流布されていますが、
    その真偽のほどは分かりません。
    ・・・・・・・・・・・・
    ところで、毎年のお年玉付き年賀はがきの景品切手。
    私の手許にある最も古いのは
    1971(昭和46)年向け。
    (下の画像の右上の7円切手)。
    最新は2024(令和6)年向け。

    kitte-snake66

    毎年当選とはいかなかったので、全部で28年分がありますが・・

    その中で巳年用の切手は一つしかなくて、
    それは1989年(昭和64=昭和最後の年=平成元年)向けで
    上の画像の中の左上、折り鶴の右横の蛇型の土鈴の図柄。

    ↓拡大したもの

    kitte-snake3

    今年もよろしくお願いいたします!!
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    世の中には一度は表記を変更したものの、また元に戻った例があり、そのいくつかをあげてみました。

    ◎キッチン ⇒ キチン ⇒ キッチン
    1990年代だったかにはマスコミにおいて「キッチン」を「キチン」と表記することが増えたが、その理由は"文字数を減らすため"だった。

    その背景と言えば、超高齢社会の日本では当然のように老眼者が多く、新聞や本などの印刷物の文字のサイズを昔に比べれば格段に大きくしてきた。

    ここで新聞の印刷文字がどのくらい大きくなったか(私の手許に保存している新聞を)ご覧ください。

    A)1968(昭和43)年12月28日・読売新聞(「アポロ8号、月から生還」のトップ記事)

    B)1990(平成2)年2月8日・読売新聞(「ソ連、一党独裁を放棄」のトップ記事)

    C)2024(令和6)年12月19日・朝日新聞(「ホンダ・日産 統合協議へ」のトップ記事)

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    ↓左から(A) (B) (C)   
    (クリックで画像拡大↑↓)
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    新聞の文字サイズの変化の詳細は後述

    文字を大きくして起きる問題は、紙面・誌面の限られたスペースの中での単語の文字数を減らす必要が発生すること。

    例えば「プーチン大統領」を「プーチン氏」とし、(その他の例が浮かばず恐縮ですが)

    ・・ということで「キッチン」を「キチン」と表記することが増えた。

    これには単に文字数削減するだけでなく、元々kitchenの発音は「キチン」であるという理由もあっただろう。

    ところがこの動きは進展せずに、近年は「キッチン」の表記ばかりで「キチン」は見られなくなり、つまり元に戻ったようです。

    さて理由は何でしょうか?・・NHKは一時期、「キチン」表記を採用していたようですが2002年6月27日から「キッチン」に戻したそうで、これも影響しているかもしれません。

    ◎エベレスト ⇒チョモランマ/サガルマータ ⇒エベレスト
    チベットとネパールの国境にまたがっている世界最高峰の山は従来から世界的にはエベレストと呼ばれてきたが、これはインド測量局長官だったジョージ・エベレストに由来しているとのこと。

    ところが近年の流れである”国名、地名、山名などは現地での呼称、本来の読み方を尊重する”ということに従って当初はチベット語で”世界の母神”を意味する呼称「チョモランマ」がマスコミに多く登場して主流になったが、

    これに対抗するようにネパールは1960年代から同国語で”世界の頂上”を意味する呼称「サガルマータ」を提唱し始めた。

    エベレストを指す中国語には「珠峰」などがあるものの中国国内でも“珠穆朗玛峰Zhūmùlǎngmǎ Fēng”(チョモランマ)と呼んでもいるので、最近は「チョモランマは中国名」という説明がネット上に多くなっているが、

    現在のチベットは中国の中の自治区という位置づけにされているので”チョモランマは中国語(チベット語)である”という説明も見られる。

    このような状況なので、NHKなどは「登山隊が中国側ルートで登る際にはチョモランマ、ネパール側からの場合はサガルマータと使い分けている」とのことだが・・

    一般的には、当たり障りのない「エベレスト」の表記が再び多くなってきた。

    ◎フランスの美術館展示物のチベット表記⇒消去⇒再表記
    最近、フランス国立の「ギメ東洋美術館」と「ケ・ブランリ美術館」の展示物表記から「チベット」の名称が消去された。

    『ギメ東洋美術館は「ネパール チベット」としていた展示室の名称を今年4月までに「ヒマラヤ世界」に変更。ケ・ブランリ美術館はチベットを指す中国語「西蔵」の発音にあたる「シーザン(XIZANG)」に修正していた。』

    これに対して先ず『チベットや中国を研究するフランス人専門家27人が仏紙ルモンドに批判文を公開した』

    その後『9月29日、在仏のチベット人やその支援者ら約100人がパリ中心の広場で、「チベットは存在する。歴史を尊重せよ」と唱えて抗議に集まった』

    抗議の背景には『(チベットの名称消去は)チベット自治区でチベット族の同化を進めていると指摘される中国政府の意向に沿う動きだとして反発と批判』がある。

    その後、『ギメ東洋美術館には中国側の圧力があったと公表され、ケ・ブランリ美術館は10月7日に「シーザン」の表記を削除し、中国と併記して「チベット」の地名を復活』した。 (以上『』内は朝日新聞より)

    ◎聖徳太子 ⇒厩戸王 ⇒聖徳太子(厩戸王)
    近年の教科書での表記で変更と混乱が生じているのが聖徳太子/厩戸王についてのこと。

    いつのころからか”聖徳太子は厩戸王(うまやどのおう)と言うのが正しい”というような説が広まり、

    2017年2月に文部科学省は”中学校の次期学習指導要領では、従来の「聖徳太子」を「厩戸王」に変更する”と発表したものの・・

    学校現場において混乱を招く恐れがあるとして、従来の表記に戻すことを3月に発表した。(なお、「鎖国」表記についても同様に復活させる)

    その結果、現在は・・小学校教科書では
    「聖徳太子」だけの表記。

    中学校教科書では
    「聖徳太子」(厩戸王) または「聖徳太子」(厩戸皇子)の表記が採用されている。

    ※ただし「厩戸王」よりも「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の表記の方が圧倒的に多い。 

    「聖徳太子」(厩戸王) の表記採用の教科書を出版する帝国書院のHPによれば・・(以下《》)

    《「聖徳」とは厩戸王の没後におくられた名であること、また「太子」は「皇太子」の意味ですが、厩戸王存命時に、「天皇」や「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いことも、現在の研究では分かっています。

    このような状況から、「聖徳太子」の存在自体を否定する説もでています。

    しかし、その記述内容を分析し、ほかの史料と合わせてみると、「聖徳太子」のモデルとなった「厩戸王」といわれる実在の人物がいたこと、

    その人物が、奈良県斑鳩の地に斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったこと、

    中国の『隋書』などからも倭国に中国の太子に対応するような有力な王子がいるとみていたことなどは確実と言えます。

    そのため、現在では、推古朝において、蘇我馬子とともに厩戸王が政治を行ったというのが有力となっており、弊社でもその考えのもと、「聖徳太子(厩戸王)」と表記しています。

    同様に、宮内庁侍従職が保有する「唐本御影」は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画で、これまで高額紙幣の肖像画や教科書でも「聖徳太子」として使用されていましたので、この画像が「聖徳太子」というイメージを人々に強く残しました。

    しかし、この絵と「聖徳太子」とを関連づける当時の史料がないこと、絵の画像の研究から、製作年代は早くとも8世紀(奈良時代)と考えられることなどから「伝聖徳太子像」として表記するようになりました。

    「聖徳太子」の研究は、聖徳太子自体が、信仰の対象であり、史料の記述も信仰と実際の事績が混在しているため、歴史的な「謎」につつまれた部分が多いのも事実です。

    しかし上記のような研究成果を反映し、高等学校の教科書だけでなく、一般の学術書にも「厩戸王」と記載する傾向となっています。

    参考文献:大山誠一 『〈聖徳太子〉の誕生』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館 1999年
         熊谷公男 『大王から天皇へ』(日本の歴史 第03巻)講談社 2001年
    ・・・・・・・・・・・・
    新聞の本文の文字大きさ(高さ)の変遷 (朝日新聞の例)
    意外に初期は文字大きく、終戦直後が最も小さかった。

    (紙不足で1949=昭和24年の朝刊は2ページしかなくて、小さい文字を詰め込んだ)

    1888(明治21)年創刊時   : 文字高さ3.7ミリ
    1940(昭和15)年    : 同  2.2ミリ
    1949(昭和24)年    : 同  2.0ミリ
    2011(平成23)年~現在 : 同  3.6ミリ (巾3.9ミリ=扁平)
    ・・・・・・・・・・・・
    不思議?! 何故か半世紀前に「キチン」表記の宣伝(三洋電機)
    sanyo-kitchen
    ・・・・・・・・・・・・

    ちょっと日にちが過ぎたが、11月28日は「太平洋の日」だそうで、

    1520年のこの日にマゼラン率いる船団は南米大陸南端の(後年命名された)マゼラン海峡を通過して太平洋に出たのが由来。

    最近よく教科書やマスコミなどでの“表記”が変わった例があげられていて、例えば「隠れキリシタン」が「潜伏キリシタン」に、「建武の中興」は「建武の新政」に、鎌倉時代開始は「1192年」から「1185年」になったりしていますが、その中でも”人名ではその人本来の呼び名、地名では現地での呼称を採用”した結果の変更も多く、「マゼラン」の表記変更もその一つ・・というわけで・・

    ◎人名呼び方変更

    「マゼラン」 ⇒ 「マガリャンイス」
    mazeran

    「マゼラン」は英語表記した場合の読みで、ポルトガル人の彼は「マガリャンイス」が本来呼称。

    マガリャンイスは世界一周を目標に航海始めたのが1519年。途中では船員の食料不足やビタミンC不足による壊血病発生(コロンブスの航海中でも発生していた)などで船団を離脱する船もでるなどの危機もあったが乗り越えた・・

    そこで新しく彼の名前を覚え直すには・・”曲がらん意志”の”マガリャンイス”と覚えたらいかがか?

    残念ながら彼は1521年に現在のフィリピンのセブ島まで到達した時点で原住民に殺されてしまったが、部下が航海を続けて1522年に成し遂げた。

    現在、ブラジル(ポルトガル語の国)のサッカー界には「マガリャンイス」という有力選手がいる!

    「フランシスコ・ザビエル」 ⇒ 「フランシスコ・シャビエル」
    syabieru

    「ザビエル」も英語読みで、スペイン人の彼の綴りはXavierまたはJavierなのでスペイン語ではハビエルなのだが、ややこしいことに彼の出身地は同じスペインの中でもバスク・ポルトガル語圏にあったので読みはシャビエル(シャヴィエル)。

    現在、ブラジル(ポルトガル語の国)出身のJ1サッカー選手に「シャビエル」がいる!

    「アレキサンダー(大王)」 ⇒ 「アレクサンドル(大王)」
    紀元前4世紀にヨーロッパからアジアにまたがる領土を広げたマケドニアの王の名を、昔の日本の教科書などは「アレキサンダー」とドイツ語由来の表記をしていたが、現在は彼の出身地であるギリシャでの呼称「アレクサンドル」となっている。


    「ネール」 ⇒ 「ネルー」
    neheru

    インドの初代首相。戦後、日本へ贈呈してくれた象の名前は氏の娘さんと同じ「インディラ」だった。

    ただし、インド国内では現政府がネルーの名前自体を教科書から消させている。(理由はここでは省略)

    「カルビン」 ⇒ 「カルヴァン」
    宗教改革の創始者であるルターは別格として、その他の改革指導者としてはツヴィングリとカルビンらがあげられる。カルビンはスイスで活躍したがフランス人であり綴りはCalvinで読みはカルヴァンとなる。

    ◎国・土地・山の呼称変更
    象牙海岸」⇒「コートジボワール」
    昔はアフリカの西部に在る港から奴隷連れ出しと象牙持ち出しが
    ヨーロッパ列強国によって行われていて、その後フランス領西アフリカになっていたが、1960年に独立後はフランス語の「コートジボワール」(意味は象牙の海岸)を名乗ってはいたものの世界各国では何故かその国名を意訳していて、日本では(カタカナではなく)「象牙海岸」と称していたが同国が各国に対して意訳国名をやめるように要請したため、2003年に日本では正式に「コートジボワール」採用を決定したもの。

    「イギリス領ギアナ」
    「ガイアナ協同共和国」
    「オランダ領ギアナ」「スリナム」
    「フランス領ギアナ」フランス領ギアナ」(変更なし)
    南米大陸北端部でカリブ海に面してベネズエラの東隣に寄り合うように存在する三つの国は、元々現地語で「豊かな水の地」を意味する「ギアナ」地方にあり、ヨーロッパの三国の植民地だったが英領は1996年に「ガイアナ協同共和国」になり、蘭領は1975年に「スリナム」となった。

    通例では国名や地名が改称する場合に、英語読み名から現地語読みに変わるものだが「ガイアナ」の場合は逆に現地語から英語読みになった珍しい例ではないか。

    ベネズエラからこの三国にかけて存在する「ギアナ高地」に「ギアナ」の呼称は残っている。

    「ビルマ」 ⇒ 「ミャンマー」
    「ビルマ」はオランダ語由来。元々ビルマ語では「ミャンマー」表記があったものを1989年に正式採用。

    若い人は「ビルマの竪琴」という小説と映画の題名にピンとこない?

    「キエフ」 ⇒ 「キーウ」
    「チェルノブイリ」 ⇒ 「チョルノービリ」
    「オデッサ」 ⇒ 「オデーサ」
    「ドニエプル」 ⇒ 「ドニプロ」
    この4例はいずれもウクライナの地名をロシア語からウクライナ語に変換したもので、このカタカナでの表記を採用すると日本の外務省が2022年に決定し発表した。

    ムソルグスキー作曲の10曲からなる組曲「展覧会の絵」の最後に登場する曲が「キエフの大門」と従来言われて慣れ親しんだ部分をキーウでは違和感ありとする人が多い。

    1986年にチェルノブイリ原子力発電所で大量の放射能漏れ事故が起きたがこの場所は現在のウクライナの北部にあるゆえにウクライナ語の呼称に変更。

    「セイロン」 ⇒ 「スリランカ」
    セイロンの名は紀元前のこの島に存在した王族が呼んだ島名が訛って最終的に英国人が称したものだが、1972年に現地語で「光り輝く島」を意味するスリランカに正式変更。

    「セレベス」 ⇒ 「スラウェシ」
    インドネシア共和国を構成する島の一つで”ヒトデ”の形をしているので地図見てもすぐわかる。

    セレベスはオランダ領だったこともありオランダ語による呼称であったが戦後の独立にともなってスラウェシと呼ぶようになったが実情は世界的にみても呼称変更が認識されていなかったようで・・

    私の小学生時代の昭和30年代中頃でも日本製の世界地図や書籍にはセレベスの表記だった。

    そしてこの島の原産である「セレベス」芋には名前が残っている。

    indonesia

    「ボルネオ」 ⇒ 「カリマンタン」
    スラウェシの西隣りにある”腹の出たタヌキがしゃがんで右を向いているような形”の島。

    「エアーズロック」 ⇒ 「ウルル」
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    オーストラリアにある巨大な一枚岩の山で高さは348m。 「エアーズロック」は英国の探検家が名付けたものとされ、「ウルル」は先住民のアボリジニの呼び名であることから、最近は後者の表記が主流。

    「マッキンリー」 ⇒ 「デナリ」
    北米大陸最高の6190mの山で「マッキンリー」は米国大統領の名前が由来。「デナリ」は元々先住民による異なった呼び名がいくつかあるので、それをアレンジした表記として採用し、2015年に正式決定された。

    世界的に有名な日本人探検家の植村直巳氏が遭難した山でもある。

    「グルジア」 ⇒ 「ジョージア」
    元々のグルジア民主共和国がソ連邦に併合されていたがソ連崩壊後に再度独立して、さらにロシアと国交断絶してロシア語由来の読み方の「グルジア」をやめて、従来から欧米と日本の一部で呼ばれていた「ジョージア」を採用するよう各国に要請が出されて日本では2015年に変更した。

    ◎人名の訂正

    「リーガン」 ⇒ 「レーガン」
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    このアメリカ合衆国の元大統領は、それ以前の映画俳優時代から大統領予備選挙時点までは「リーガン」と名乗っていたが、大統領候補指名を受けると「自分のルーツのアイルランド流の読み方に変える」と宣言して以後「レーガン」とした。

    「みなかみつとむ」 ⇒ 「みずかみつとむ」
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    水上勉氏は戦後に小説家として名前を成してからしばらく1987年頃までは出版業界や一般人からは「みなかみつとむ」と呼ばれていたが、戸籍上の読みは 「みずかみつとむ」であることを公表したので、以降はこの読み方が定着した。

    「リザ・ミネリ」 ⇒ 「ライザ・ミネリ」
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    アメリカの女優・歌手である彼女がまだ日本ではあまり知られていない時期には、日本の一部マスコミでは「リザ・ミネリ」と読んで紹介していた。

    彼女の母親は映画「オズの魔法使い」でドロシー役で主演したジュディー・ガーランド、父親は映画監督のヴィンセント・ミネリ。

    お話ちょっとそれますが・・
    「オズの魔法使い」でドロシーが履いていた(通称)「ルビーの靴」は数足が作られていて、その内の一足が、つい先日12月6日に、あるオークションで2800万ドル(日本円で約42億円)で落札されたとのこと。

    ◎民族名の呼称変更

    「インディアン」 ⇒ 「ネイティブアメリカン」

    「エスキモー」 ⇒ 「イヌイット」
    ・・・・・・・・・・・・
    次回は、エベレストなど”一度は呼び名・名前が変わったものの再び戻った(ような)例”をあげてみます。
    ・・・・・・・・・・・・

    今年(2024)の秋は何故かあちこちで埴輪(一部で土偶)を展示する催しが行われています。
    私の手許に集まった"埴輪、土偶、土器の展示会チラシなど”
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    「特別展 はにわ」 が東京国立博物館で10/16~12/8

    「ハニワと土偶の近代」展が東京国立近代美術館で10/1~12/22

    「旅する はにわ展」が市原歴史博物館で10/12~12/15

    テレビや新聞でも”埴輪”特集が・・
    埴輪特集テレビ番組(NHK eテレ)
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    ↓テレビ番組「はにわ王決定戦」とキャラクター「はに丸」くん(NHK eテレ)
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    その他、展示の一部に埴輪が含まれるのは・・
    「地中からのメッセージ」展が千葉県立房総のむら で9/21~11/17 / 千葉県立中央博物館で12/21~2/9

    「布をまとう 古代人の衣」展が行田市郷土博物館で10/12~11/24

    そして千葉県芝山町では町立芝山古墳・はにわ博物館では埴輪を常設展示している他に、毎年11月の第2日曜日(今年は11月10日)に「芝山はにわ祭り」が開かれ、埴輪の武人など古代人に扮した人々による儀式の披露もされる。↓
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    土偶関連では「ドグウ集まれ!」展があつぎ郷土博物館(神奈川県)で10/12~12/8

    ・・このような中で、私は「旅する はにわ展」(市原歴史博物館)に行ってみたのですが、その動機と言えば私の手許に(冒頭で紹介した)各地で開催の埴輪関連展のチラシが集まった※ことと、岩手県在住の友人が東京国立博物館の「特別展 はにわ」 を見て来たと知らされたので、これは埴輪を見に行かねばならない!と思ったから。

    各地の郷土資料館や博物館、美術館、図書館、などでは互いに連携して期間限定の特別展示の開催案内チラシ類を配備し合うので、例えばある郷土資料館に行けば、そこで各地の多くの展示情報が得られます。

    まずは、私が埴輪と土偶の違いをはっきりとは知らないことに気付いたので・・

    ◎埴輪と土偶の違い
    どちらも日本の古代に造られた土の焼き物だが、土偶の方が年代は古い。
    土偶 : 縄文時代(1万年前~BC4世紀)に祈りや呪術のために作られたもので、人の形が多く、集落跡で見つかる。

    埴輪 : 古墳時代(AD3世紀~7世紀)に埋葬者の墳墓の周囲や上に置かれたもので人物の他、円筒形、動物、建物などの形がある。

    ◎なぜこの時期に埴輪と土偶の特別展が多いのか?
    最も大きな要因は、埴輪として初の国宝となった「挂甲の武人(けいこうのぶじん※”けい“は、てへんに圭)」が国宝指定50周年を迎えたのを記念して、国内外50ヵ所から集められた埴輪を展示する特別展が東京国立博物館で開催されていることでしょう。

    また、千葉県市原市では市内の大規模な「山倉1号墳」(前方後円墳)の発掘調査報告書刊行20周年の節目で、市内はもとより千葉県内各地の埴輪を集めての特別展開催。

    同じく千葉県芝山町では町内の「殿塚・姫塚古墳」出土の埴輪48点が今年8月に国の重要文化財に一括指定されたことで埴輪関連行事が盛り上がっている。

    また同じく千葉県教育振興財団文化財センターは今年11月に設立50周年を記念して旧石器、縄文、弥生期の出土品を特別展示。

    埼玉県行田市では市政施行75周年記念で”布をまとう古代人の衣”姿の一つとして埴輪も展示する企画展を開催。

    これらがたまたま同時期に開催されるカタチになって”埴輪ムーブ”が生まれたのでしょう。

    ◎「旅する はにわ展」(千葉県・市原歴史博物館)見学記
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    ○テーマの”旅する”の意味は・・
    実は千葉県市原市で発掘される埴輪の中には、現在の埼玉県鴻巣市にかつて存在した東日本最大級の埴輪工房である「生出塚(おいねづか)埴輪窯」で焼かれて作られ、直線距離にして約100キロを”旅するように”現在の市原市の「山倉1号墳」(前方後円墳)へ運ばれたものもあることが判明しているから。

    ↓生出塚埴輪窯製の埴輪:左端と右から2番目が山倉1号墳から出土
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    ↓生出塚埴輪窯跡に残されていた埴輪 / 山倉1号墳
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    なぜ遠く離れた二か所の埴輪が同じ場所で作られたことが分かるのかと言えば・・
    (1) 埴輪の見た目のデザインが同一
    (2) 埴輪の胎土(使用の土)が同一(蛍光X線分析で成分同じで鉄分多く、赤味が強い)
    (3) 埴輪の表面に残る「ハケメ(のようなもの)」が同一
    埴輪製作過程で埴輪の着衣などの部分の表面を整えるために板の木口(切り口)を使って撫でるのだが、その際に板の木目による沢山の筋「ハケメ(のようなもの)」が付く。その筋どうしの間隔は、その板の木目のそれそのままであり、その板を使って幾つも作った埴輪は皆同じ筋間隔のハケメがついた仕上がりになることから、千葉県で発掘された埴輪は埼玉県の生出塚埴輪窯でつくられたものと全く同じなので分かる。
    ハケメ
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    ○埴輪は二大別される・・
    (A)「円筒埴輪」で文字通り円い筒形。
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    (B)「形象埴輪」で人、動物、建物などをかたどったもの。
    ↓イノシシ / シカ
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    ↓ムササビ
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    ↓水鳥 / 魚
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    ○埴輪につけられている穴の目的は・・
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    埴輪の原型は弥生時代の”墓に供える物を入れる壺を支える台”であるとされ、その台には魔物を寄せ付けないようにするために模様や線がつけられたが、それをさらに強調するために穴を開けた慣例が、その後の古墳時代になって”円筒埴輪の胴部分”や”人物埴輪の台部分”に受け継がれたもので、多くは線や模様無しの穴だけとなっている。
    その穴は考古学では「透孔(すかしこう)」と呼び、形は○、△、□、半円、卍などがある。

    ○3Dプリンターによるレプリカは今後有望!
    今回展示の埴輪1体を非接触でスキャンして3Dプリンターで作られたモノが展示されていたが、触りながら見たい部分も自由にみられることは埴輪を深く知るには大変効果的なので、これから(埴輪に限らず)同様のカタチが広がるでしょう。

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    ・・・・・・・・・・・・・
    ◎これも“旅する埴輪”とも言えるのが・・
    前述の東京国立博物館で開催の「特別展 はにわ」の“目玉的展示物”の「挂甲の武人」(挂甲とは鉄板を綴り合わせて作られた甲=よろい)。
    よく似た格好の武人の埴輪5体が全て群馬県から出土したものの、1体は東京国立博物館所蔵でこれが国宝になっているが、その他は群馬、千葉、奈良、そして米国のシアトルの博物館または美術館に所蔵されているものを今回すべて揃えられて東京国立博物館で展示されているので・・
    4体は遠くから”旅をしてきた”ようなもので、特にシアトルからは長旅だった!

    ↓揃った5体。左端が国宝。真ん中がシアトルから一時帰国
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    ○国宝の埴輪
    「挂甲の武人」は日本郵便の切手になっている!
    最初の発行は1972(昭和47)年に全体が茶色の図案で、
    次に1976(昭和51)年に全体が朱色で、
    3度目は1989(平成元年)に埴輪本体は茶色で紫色の背景。

    3度目発行(左)  /  2度目発行 ※茶色に見えるが本当は朱色
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    ・・・・・・・・・・・・

    人間を含めて動物が生きていく上で必ず発生し、しかも大切な”糞”。今回は軽い?お話ですが、お食事前の方は時間をずらしてお読みください !

    こんなお話をするきっかけとなったのが・・

    先日、知人から貰ったものの使わずに15年以上箪笥にしまっておいた”手提げバッグにもなるリュック”(以降文中ではリュック)を取り出して、使ってみようとしたら、なんとまるでウンコのような臭いを発するようになっているではないか!!

    (念のため・・私はクレーマーではなく、かつてメーカー勤務だった経験から、メーカーとユーザーへの参考になればと思う次第です)

    ↓これがそのリュック。デザイン自体はは良いが・・
    (左端は500円硬貨)
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    サムソナイト社製の限定生産品だったようで、同社の商品分類では”バックパック”類に属するが日本では「スタルク バッグ」とも呼ばれた。

    本体寸法は(大まかだが)縦35cm、横27cm、マチ(側面と底の部分)は縮めて6cm広げて16cm
    素材は化学繊維?の布で前面と背面には(たぶん)プラスチック板の心材が入っているようだ。

    ↓ファスナー開閉用の丸い板状のツマミを引いてマチを広げるとこのリュックの容量が変えられる。
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    ↓背面の肩掛け帯は本体に引き込み式で、手提げとして使用時に邪魔にならない。
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    よく見たらこのリュックは有名なデザイナーであるフィリップ・スタルクが手掛けたものと記されていたので、私が即座にそして妙に納得したことは・・氏がデザインした”アサヒビールの建物屋上のオブジェ「フラムドール(金の炎)」が俗に「金色のウンコ」とも呼ばれていることと何かつながっている!

    ↓取っ手の基部には「Samsonite by STARCK」の凹文字が。また本体内部に貼付のタグには 「YAP by STARCH」とも記されている。
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    それにしても何故このような臭いが発生したのだろうか? 経年化学変化かな?

    ◎「フラムドール」(
    俗称「金色のウンコ」)とは?
    東京都墨田区にあるアサヒビール本社ビル横に併存する建物「アサヒグループホール棟」(1階はレストラン)の屋上に設置されたオブジェが「フラムドール」(フランス語で金の炎)(長さ44m)なのですが、建物とあわせて全体では聖火台で燃える炎の姿になっている。
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    アサヒビールのHPによれば、この炎は「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表わしていて、アサヒビール100周年の記念事業の一環として、1989年10月に竣工いたしました。
    設計者は有名なデザイナーである、フランス人のフィリップ・スタルク氏です」とのことだが・・

    浅草の雷門前に立って右を見れば、ちょっと向こうにその金色の炎が目にはいるので今や”浅草名物”としている案内もあり、そのオブジェを見た途端「あっ 金色のウンコだ!」と言ってしまう子供が多い。(大人は、そう思っても口には出しませんが・・)

    ↓雷門の前から私が撮影したもの(右下は人力車)
    stalk-unti

    ちなみに、その左側の建物は「アサヒグループ本社ビル」で、全体は「なみなみとビールが注がれたジョッキ」をイメージしていて、金色の鏡面ガラスをめぐらした下層部がビールで頭頂部の白いボコボコは「あふれる泡」を表しているとのこと。(下層階は同社のオフィス、ただし最上部の22階はビールや軽食の展望ラウンジ、”泡の部分”にはショップあり)

    ↓中央が本社ビル。左端は墨田区役所。東京スカイツリーも見える。
    (「ウィキ太郎」氏撮影)
    asahibuild

    ◎フィリップ・スタルク氏とは?
    フィリップ・スタルク(PHILIPPE・STARCK)はフランス人の建築家・デザイナー。欧米では建築家で工業デザインをする人も多い。
    ps-honnin
    ↑写真は「ハンスグローエジャパン(株)」のHPから引用

    氏のデザインした例は・・・ホテルなどの各種建築は勿論、
    上の写真で氏とともに写っている水栓(蛇口)、椅子、ソファ、照明器具、キッチン設備、調理器具、スピーカー、オートバイ、大型ヨットなど多岐にわたる。

    ↓レモン絞り器(Google Arts & Cultureより) / チェア(CassinaのHPより)
    ps-lemon

    ↓ローテーブル (CassinaのHPより) / バイク(下写真)のメーター部分
    ps-low-table

    ↓アプリリアのMoto6.5 (RIDE HIのHPより)
    ps-bike
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    最近の自販機の「おつり・返金用レバー」が気になる? !
    写真ご覧になると、すぐお分かりになると思いますが・・そうです! あの金色の○○○に似ています! 色といい、形といい・・私の知る限り東京都と千葉県ではあちこちで見かけます!
    jihanki

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    「チャー」という音が今日も我が家の前から聞こえる。だいたい1日に3~4回。
    それはアイドリングストップのクルマからの音。

    そこで思い出すのは私の昔の苦い経験・・それをご披露する前に・・

    ◎アイドリングストップとチャー音
    (クルマを運転しない人のために説明しますと)アイドリングとは、クルマが走行停止時でもエンジンは止めないで動かしている状態のことで、

    これに対して、クルマが走行停止するたびにエンジを(自動的に)停止するのがアイドリングストップ。

    実際には、アイドリングストップ機能を備えたクルマ※が交通信号や交差点で、また歩行者がいる横断歩道の手前で、あるいは渋滞で一旦停車する場合にこの機能が働き、一旦停止したエンジンはアクセルペダルを踏めば再び始動してクルマは走り出します。
    oudanhodou-mae
    ※ただし、アイドリングストップ機能はスイッチ切り替えによって、それを働かせないで一時走行停止時でもエンジンがストップしない選択もできるようになっています。

    アイドリングストップ機能の解除スイッチボタンの一例 (「乗りものニュース」より)
    i-stop-switch

    冒頭の「チャー」※という音は、アイドリングストップのクルマが一旦停止した次に再び走り出す際に出る音で、実はそれ、エンジンの音ではなくてスターター(エンジンを動かし始めるための装置)の音。

    ※「チャー」音は単純ではなく、言葉で表現するのが難しく、各社・各車違うようでもあるので”チャーのような音”としました。

    我が家は住宅地の中の4メートル道路どうしが交差している角地にあり、信号は無いのですが一時停止標識とともに道路上に停止線があるので、アイドリングストップのクルマが一旦停止した後に発進する際に「チャー」音を聞くことになるもので、
    stop-board
    近年のクルマのエンジン音は静かなので(我が家の中に居ては)この音は聞こえずにスターター音だけが聞こえるわけです。

    ◎最近はアイドリングストップ機能廃止の流れ
    アイドリングストップは燃費向上やエンジン音の騒音防止に効果があるとされて、今から20年前頃からこの機能付きのクルマが多く生産されてきましたが、

    最近になってホンダ、トヨタ、ダイハツなどの自動車メーカーは、 ガソリン車のアイドリングストップ機能を廃止し始めて、例えばホンダではミニバンの「フリード」、小型ハッチバック車「フィット」、小型SUV車「ヴェゼル」などは従来は付いていたこの機能を廃止して、小型SUV「WR-V」は最初からこの機能を不採用。

    honda-cars
    フリード(左) / フィット(中) / ヴェゼル(右)

    トヨタでは小型ミニバン「シエンタ」、小型ハッチバック車「ヤリス」など。

    toyota-cars
     ↑シエンタ(左) / ヤリス(右)

    ◎アイドリングストップ機能廃止の理由
    ・アイドリングストップのクルマは一時停止状態から動き出すまでにちょっと”もたつく”。それはアイドリングストップ機能無しのクルマと比べると、”スターター装置が動く時間の分”が余分にかかるから。
    この“もたつき”を嫌う人も少なくないし、安全上 瞬時に発進したい時などには困る。

    ・一旦停止から発進する際の音”チャー”と同時に起こる車体の振動が嫌われる。

    ・アイドリングストップ機能の有無による燃費向上の差が少なくなった。この機能導入開始の頃に比べるとクルマ自体の燃費が向上してきたため、今やこの機能の有無による燃費の差は1リッター当たり1km以下とも言われる。

    ・アイドリングストップのクルマのバッテリーは負荷が大きくかかるために、より高性能な専用品が使われ、しかも寿命が短め。

    したがってこのクルマの持ち主は高価なバッテリーを短期間で買い換える必要が出てくる。そうなるとアイドリングストップで燃費節約、石油資源節約となるものの、専用バッテリー製造にかかる資源やエネルギーコストが余分にかかって環境マイナス要因となってしまう。

    ◎58年前に私がアイドリングストップを実行した結果は?
    1966(昭和41)年のこと、私は東京都の練馬区(あたりだったか?)の道路をクルマで走行中に、ふと”ガソリン代※を節約するためには信号待ちをする間はエンジンを切ってみよう”と思いついて、信号待ち毎に (当時のことだから)手動でエンジンキーを回して切っては、青信号で発進することを繰り返したところ、

    5回目(だったか?)で、発進しようとキーをまわしたら「クウッ・クウッ・クウッ」という音がし始めてエンジンがかからないので、「これはまずい!」とあわててキーを何回かまわしてみたら何とかエンジンが動いた。

    同時にこれはバッテリーに負担がかかった結果と悟って、すぐにこの”アイドリングストップ”行為を中止したのでした。これは私の”苦い経験となりました。

    東京都内のことなので200メートルくらい走行してはエンジンを停止してはまた始動したりを繰り返したのがいけなかったわけで、

    クルマというものは発進時にスターターが働いてバッテリーの電気を喰うものの、その後の走行中のエンジンの回転を利用したダイナモ(発電機)で発電した電気をバッテリーに充電するシステムになっているので通常は問題ないのですが、

    200メートル走行ごとにバッテリーの負担を繰り返せば、その間の充電が追い付かなかったのです。まあ昔のことでバッテリーの性能も現在よりも若干劣っていたかもしれませんが・・

    この経験がある私は、近年にアイドリングストップのクルマが登場したのを知った際に「これはバッテリーに負担がかかるはずだから大丈夫なのかな?」という心配をしていたところでした。
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    当時はレギュラーガソリン1リッター38円前後でした。但しサラリーマンの初任給が現在の約1/10だった時代のこと
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    ある日のこと、私の知人の身に、見たことも聞いたこともない症状が現れて慌てる事態が起こった。その状況は後述しますが、思い起こせば私自身も昔に似たような経験をしていたもの。それは・・

    ◎「一過性全健忘症」 !
    何の前触れもなく突然、脳の中で記憶する機能が停止して、その状態が30分~24時間続き、また突然に正常に戻るのだが、その間の記憶は完全に無いという症状が「一過性全健忘症」。
    この症状の原因は現代医学でも解明されておらず、40才代~70才代に多く現れ、どちらかと言うと男性のほうが多いそうで、さらに不思議なことにこの症状は一生の内に二度と現れないのだそうだ。

    ◎突然発症、突然消滅の実際 !
    その日、私と知人Aさん(70才代・女性)とBさん(40才代・男性)の3人はクルマで千葉市に在るスーパー銭湯に行き・・

    浴後に揃ってそこの食事処で早めの昼食を始めようとした際に、Aさんが突然に「(脱衣)ロッカーに忘れ物をしたみたい」と言って確認しに行ったが、暫くして無表情で戻ってきたと思ったらまた「忘れ物がある」と、同じような事を言って同じ行動をして同じような顔つきで戻ってきた。それは午前10時半ころのことだった。
    doubt-ninti
    私とBさんはAさんが2回目の同じ行動をして席をはずしている間に「これはおかしい。急に認知症が出たか?」と言って動揺したが・・

    Aさんが再び戻ってきた時には料理が運ばれてきていたので、Aさんにも「とりあえず食べよう」とうながして、途中(内容は忘れたが)二言三言の会話しながら食事を終えたところで、Aさんの行動の安全を考えてそこでの入浴を切り上げて・・

    次に皆でやはり近くのスーパーマーケットで買い物をしたのだが、今度はその店内を巡りながらAさんは「何か無くなったような気がする」と言って持っているバッグの中に手を入れてしきりに何かを探る動作。これを20分くらいの間に3回繰り返した。

    最後に喫茶店でコーヒーを飲んでいる最中には、Bさんに向けて「○○さんは元気なの?」、「○○さんの次の勤め先は決まったの?」(※○○さんはBさんの奥様のことで、転職先を探していた)・・という問いを発するのでBさんはそれに答える・・という同じやりとりを、これも20分くらいの間に3~4回繰り返した。
    words-repeat
    Bさんはこのような場合の対応を心得ていて、Aさんが同じ問いを繰り返しても、決して「それはさっき言ったでしょ」とは言わずに普通に返答を繰り返した。

    さて、ここでそれぞれ帰宅することになったがAさんの現状では放っておけないので私がAさんの自宅までクルマで送ることになった。

    車中でもAさんはまた「○○さんはどうなったのかな?」という言葉がまた出たほかはあまりしゃべらなかったが、クルマがAさん宅に到着する10分前くらいになって、急に元気な話し方になってよくしゃべるようになった。実はAさんはこの異常状態になってからは話し方に覇気が無く、従来の大声気味も消えていたのだが、どうやら元に戻ったと感じた。その瞬間が訪れたのは午後3時半ころで、発症から約5時間経っていた。

    こうして私はAさんを送り届けたが、Aさんの言動はまったく普通に戻っているようで不思議に思いながらも安心した。

    後日、会ってみたら会話も体の動きも以前と全く変わらないので、あの異変があったことが信じられない思いだった。

    revival

    しかし、あの日の5時間分の記憶はまったくないそうで・・
    ・浴場にあった何種類かの浴槽とサウナのどれに浸かったが記憶に無い。
    ・二度もロッカーに行って捜し物をしたことの記憶は無い。
    ・食事で何を食べたか記憶に無い。(本人曰く「だからせっかく美味しいものを食べた意味がなかった!」)
    ・歩きながらバッグの中の捜し物をした記憶無し。
    ・喫茶店に入ったこと自体が記憶に無い。
    no-memo

    ・・ということだが、その間に私が見たAさんの動作は・・しゃべり方は(多少覇気がなかったが)まあ普通で、ろれつが回らないことも無く、食事動作も普通で、歩いてもふらつきなど無い状態だった。

    しかも前述のように、記憶機能に関しては今回の発症前の記憶は消えていなかったから、それまでの心配事だった”○○さんの近況”を問う言葉が出たりしていた。     

    しかし当然のようにAさんは翌日に病院でMRI検査もしての診断をしてもらった結果は・・「一過性全健忘症」と言われたとのこと。

    お医者さん曰く「この症状の原因は解明されておらず、海外で若干の研究結果が発表されているものの信用はされていない状況です。ただこの症状は一度はあっても二度とは現れないとされていて、現に私がこの症状を診た数人の中にも、二度受診に来た人はいませんよ」・・だったそうです。
    in-hospital

    後から私は思うに、最初は”ああ、認知症になったか?”と思えたこの症状ですが、明らかに認知症とは違うのであって・・
    (1)認知症はゆっくりと現れるのに対して「一過性全健忘症」は突然発症。
    (2)認知症は記憶力が決して元に戻らないのに対して「一過性全健忘症」は完全に元に戻る。

    ◎ひょっとして、これが誘因か?
    ちょっと"伏線回収"的になりますが、ネットで調べると"一過性全健忘症の根本原因は不明だが、この症状が起きやすい状態、言い換えれば誘因”と考えられる例がいくつかあげられていて・・精神的ストレス時、過度な飲酒時、特定の薬や違法薬物摂取時、性交時、排泄のための"いきみ"時、そして突然の高温湯や冷水に浸かった時などがあるとされる。

    この最後の項目の"高温湯と冷水"というのは、前述のようにスーパー銭湯に入ったAさんに当てはまるかも知れない。もしかして高温サウナの直後に冷水浴槽に入ったかもしれないが、なにしろご本人の記憶が全く無いのでこれ以上確認できないが、有り得ることと考えられます。

    とにかく「一過性全健忘症」という名称が存在するということは、この症状が珍しくはないということで、これが一人暮らし、そうでなくとも一人で部屋に居る時、クルマの運転中などに発症すれば危険を招く恐れがあるものなので、この「一過性全健忘症」というものがあることは皆さん認識しておく必要があるでしょう。

    ◎私が昔に経験した”一時的記憶消失”?
    今から約半世紀前のことで、もう時効だからお話しますが・・私は深夜の酒気帯び運転の最中に全く記憶が無い状態があって、あやうく昇天(悪いことしているから天国は無いか?)するところで覚醒したことがあり、これは前出の「一過性全健忘症」と似るものの、原因が明らかであるから違う話ですが、絶対にやってはいけないと自戒をこめて・・

    1976(昭和51)年のこと、ある夜に私は当時住んでいた兵庫県加西市から大阪府寝屋川市に在る(知人が経営する)スナックに向けて、(免罪符にはならないが)”若気の至り”で無謀にもクルマで行き、サントリーオールド(ウイスキー)の水割りを2杯(だったか?)飲んで、帰ろうとしたのが深夜2時ころ(だったか?)。
    in-snack

    普段ならこれぐらいのアルコール量なら酔わないのだが、深夜の睡魔を想定していなかった状態で、再びクルマに乗って走り出したところまでは覚えているが・・

    ふと気が付いて(後から考えると、居眠り状態から目が覚めて?)バックミラーを見ると、直ぐ後ろを走っている大型トラックがさかんにライトを上向きと下向き交互に切り替えて私のクルマに注意を与えているではないか!

    事の重大さに気が動転しながらもクルマを路肩に一旦寄せてまず反省の念が頭の中を支配したが10分ほど気持ちを落ち着かせながら休み、再びクルマを走らせたが今度は頬をつねったり、叩いたりしながらなんとか帰り着いた。

    後から思い返すと、スナックからの帰りには最初は一般道を走り、次に中国自動車道へ入るのだが、いくつか在る入り口のどこから入ったのかからして記憶に無い。

    実は帰路の全走行距離は約70キロで、その内のおよそ60キロが中国自動車道の走行であり、”走行中にふと我に戻った”のは大阪の吹田インタチェンジから入ったとして約50キロも走っていた地点であり、時間にして約1時間だろうか、その間の記憶が全く無いという恐ろしいそして馬鹿な行動”酒気帯び居眠り運転”でありました。
    drunken-drive

    助かったのは信号のない自動車専用道路でしかも元々交通量が多くない中国自動車道の深夜なので他のクルマが極端に少なかったからでしょう。そして幸か不幸かパトカーがいなかった。
    pat-car
    もしもの結果になっていれば私はここでこの報告もできないことになっていたものの幸い生きているので、あえて”愚行の見本”の一つとして述懐する次第です。
    crash
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    P.S. タクシーの運転手さんから教えてもらった話では「酔っ払い運転のクルマは、走行のフラつきよりも、走行スピードが一定しないほうが多い」ということなので、昔の私の愚行運転も走行スピード不安定で注意喚起されたのでしょう。
    ・・・・・・・・・・・・

    ブラジル生まれのピアニスト、作曲家、編曲家、バンドマスターであったセルジオ・メンデス氏が先日(2024年9月5日)、83才で米国ロスアンジェルスで亡くなった。
    serumen-la
    写真は「Yahooニュース」より引用

    ◎セルジオ・メンデスのマシュケナダ
    私が最初に氏の音楽を聴いたのは1966(昭和41)年のことだったか、丁度その頃に氏が率いるグループ「セルジオ・メンデスとブラジル66」が「マシュ・ケ・ナダ」(ジョルジュ・ベン作曲のボサノヴァ曲)をカバーして世界的にヒットしていたから。

    マシュ・ケ・ナダ =  https://www.youtube.com/watch?v=wiqDOPCX_pA

    もともと私は10代後半からラテン系音楽が好きで、ペレス・プラード、ザビア・クガート、パーシー・フェースなどのマンボ、ルンバ、サンバ。メキシコ系のマリアッチなど賑やかな演奏をよく聴いていた。(賑やかではなかったトリオ・ロス・パンチョスも聴いたが)

    ◎私の人生最初購入のミュージックテープ
    1960年代後半になると、静かに語り掛けるような調子のボサノヴァ曲の「デサフィナード」や「イパネマの娘※」などが日本でも聴けるようになって、これはこれで良い感じだったが・・

    イパネマの娘 =  https://www.youtube.com/watch?v=a8wcZUUXJFs

    そこに登場した「セルジオ・メンデスとブラジル66」の「マシュ・ケ・ナダ」はボサノヴァ曲をアップテンポで賑やかにアレンジして、これぞ私の好み!ということで、これを収めた”レコードではなくカセットテープ”を購入。

    それは私が人生で最初に購入した”ミュージックテープ”となった。

    ↓今でも保有している
    serumen3

    そのテープに収められていたのは、「マシュ・ケ・ナダ」の他には「ビリンバウ」「おいしい水」「デイ・トリッパー」など全10曲で、当時私が所有していたビクター社(現、(株)JVCケンウッド)の ポータブル・カセットプレーヤー「カセッター※」でそれはそれは何回も聴き入った!

    ※「カセッター」は当時のビクター社によるカセットテープの録音・再生機の独自の呼称。その後”同社が開発して世界を席巻したVHSテープ”の録音・再生機も「ビデオ カセッター」と称していた。

    ※(蛇足ながら)ソニー社もテープレコーダーのことを独自に「テープコーダー」と称していた。

    ◎「ビリンバウ」という民族楽器
    先述のカセットテープに収められている1曲「ビリンバウ」はブラジルの民族楽器のことであり、下の写真のように、弓の形で弦は鉄線で、その弦には”木の実をくり抜いた共鳴椀”が付いていて、弦を細い棒で叩いて音を出すもので、その際の手には叩く棒と同時に”マラカスの中身と同じ種のような物”が入った筒状の小籠も持ちながら行うので、ビリンバウの演奏では弦の音に加えてマラカスのような音が加わったものになる。

    ↓ビリンバウ(一式:全長95センチ:中下の小籠がマラカスのような音出す:中央は500円硬貨)
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    ↓(ついでに)我が家に在る中南米、アフリカ、ユーゴスラビアの民族楽器
    latin-inst1

    ↓小野リサ氏の監修で「LISA」の金色文字がうたれた木製サンバホイッスル(サンバカーニバルなどでピーピー鳴らす笛:右は裏側) (この品は某FM局の懸賞の当選品でレアモノ?)
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    ・・・・・・・・・・・・・
    ※「イパネマの娘」という曲は女性シンガーが歌う場合には曲名を「イパネマの少年」と変え、歌詞の中の「少女」も「少年」に変えることも多い。
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    日本発祥の「ペロブスカイト太陽電池」は、その優秀さから今や全世界で開発、改良が進められ、一部の国では商品化され始めた。

    この太陽電池の要であるのがペロブスカイトで、それを構成する成分の中でも重要な「ヨウ素」は世界的規模で千葉県において大量に産出するので今後は産業としても大いに期待される。

    現在の日本では「地産地消」という名のキャンペーンが各地にありますが、千葉県ではそれをモジって「千産千消」としているものを「千産千勝」とでも言えるような展開になりそう。

    ◎ペロブスカイトとは
    (A)メチルアミン(など) (B)鉛(など) (C)ヨウ素の3成分からなる結晶体で、これを太陽光発電用に使ったものがペロブスカイト太陽電池で日本の宮坂 力(みやさか つとむ)桐蔭横浜大学特任教授が発明した。
    このペロブスカイト太陽電池は多大な特長を有しているために、氏はノーベル賞候補と言われている。

    ◎ペロブスカイト太陽電池の特長
    1)フイルムなどに塗布または印刷して簡単に安価に製造できる

    2)薄くでき、軽くでき、曲げることができるため、形体や設置場所の自由度が高くなる
    perobusu-to2
    (↑真は東芝のHPより)

    ↓日よけ・目隠しにもなる発電シート試作品(写真は積水化学工業のHPより)
    perobusu-se2

    3)重要素材であるヨウ素が日本では豊富に産出される→詳細次項へ

    ◎ヨウ素とは
    英語表記:iodine 元素周期表における元素記号:I(アイ) 原子番号:53 個体で非金属

    ヨウ素は人体の必要素の一つであり、一般的には海水に含まれ、海中で育つ昆布やワカメなどの海藻類には濃縮されて多く含まれる。その他には硝石(鉱物)や(後述の)かん水に含まれる。

    ヨウ素含有製品:うがい薬(イソジン)、消毒薬(ヨードチンキ:但し昨2023年に製造中止。理由は乳幼児あるいは大人でも弱い皮膚から大量吸収された場合に甲状腺疾患を発症すること、近年は消毒薬として代替的製品のマキロンなどが登場しているから。なおイソジンも頻回使用すると甲状腺疾患の恐れありとされる)

    ◎ヨウ素の世界的な産地である千葉県
    世界のヨウ素の年間生産量約3万4000トンのほとんどをチリと日本が占めていて、チリが1位で2位の日本はその約3割に当たる1万トン生産。そして日本の生産量の約8割を千葉県が占めるので・・世界のヨウ素生産の約4分の1を千葉県が占めていることになる。

    しかも可採埋蔵量は約400万トンなので従来の生産ペースであれば500年続けられる。

    ◎実は千葉県のヨウ素は天然ガスと一緒に産出
    千葉県のおよそ7割?の面積の地下の地層の隙間には、水溶性の天然メタンガスとヨウ素が含まれた太古の海水が存在していて、その海水のことを「かん水」と言う。(ガス埋蔵地域は大部分を占める千葉県の他に神奈川、埼玉、茨城の各県と東京都の極一部が含まれ「南関東ガス田」と称される)
    ↓南関東ガス田(ベージュ部)(茶色部は主な採取地帯) (天然ガス鉱業会のHPより)
    gas-map

    千葉のかん水に含まれるヨウ素は普通の海水の2000倍の高濃度。

    同じくかん水に含まれる天然ガス年間生産量は約4.4億㎥で、現在生産ペースで約800年もつとされ、県内の家庭や企業にはこの地産の天然ガスが地元の「大多喜ガス(株)」などから供給されている。

    地産地消の天然ガス料金は東京ガスよりも3~4割安で、しかも過去10年間値上げされていない。
    おもしろいことに、国内のヨウ素生産量は1位が千葉県、2位は新潟県。対して天然ガス生産量は1位が新潟県(77%を占める)、2位は千葉県

    ◎自然に湧き出る天然ガスのありがたさと怖さ?
    商業的には地下1000m~500mからかん水を汲み上げて生産される天然ガスだが、千葉県の太平洋側の九十九里地区から内陸にかけての範囲にある大多喜町、茂原市、大網白里市、山武市(さんむし)、横芝光町(よこしばひかりまち)などにまたがるゾーンでは地面や川底から湧き出ている場所が多くある。
    ↓川底からの天然ガスの泡が水面に出ている様子(千葉県睦沢町=むつざわ)
    gas-bubble
    (写真は「読売新聞オンライン」より)

    千葉市にある土気町(とけまち)という地名は、その土地では何やら燃える気体(天然ガス)が出ていたことが由来と言われる。

    現在、前出のゾーンではガス会社とは契約せずに自宅敷地に掘ったガス井戸から天然ガスをとりだして使っている家庭が少なからずある。

    ↓自家用のガス井戸 (空気より軽いメタンガスを溜める筒が中央にある)
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    (画像はNHKテレビ「小さな旅」より)

    田んぼに鉄パイプを突き刺すだけで天然ガスが出るところもある。(下写真)
    ↓農作業の途中でお湯を沸かして一服(茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
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    ↓地中から直接の天然ガスは9000キロカロリーと高い(ガス会社は3600キロカロリーに抑えて供給) 
    (茂原市:岩波写真文庫「千葉県・新風土記」より)
    natural-gas22

    気付かぬうちに天然ガスが室内に充満して引火で爆発!・・
    千葉県山武郡九十九里町に在った「九十九里いわし博物館」は2004(平成16)年に爆発事故が発生して損壊大きく1名死亡、1名火傷で重症を負った。
    原因は敷地内から自然湧出していた天然ガスが当時使用していなかったエアコンの配管を通って館内に充満していたことに気付かずに(本来の天然ガスは無色無臭。ガス会社供給時には加臭)燻煙殺虫剤に着火しようとして引火爆発したもの。
    ・・・・・・・・・・・・
    ※ペロブスカイト太陽電池の詳細は・・資源エネルギー庁のHP
    ・・・・・・・・・・・・・

    「bias=バイアス」は辞書によれば、「先入観、偏見」 「斜め、斜線」。

    私が知る”「バイアス」という言葉が登場する分野"は3種類あり・・

    (1)先入観や偏見ある行動分野
    (2)斜めに裁断または編む裁縫分野
    (3)電子機器などの電流・電圧の回路設計分野

    “文”量が多くなるので(2)と(3)については概略を後記することにして、今回は(1) の”先入観、偏見”について・・

    “先入観、偏見というバイアス”に着目した理由は・・先回に”神棚をもうけている家庭の存在はすべからく減少に向かうであろうと大多数の人が思う”先入観”がある中で、漁業従事者の多い地など一部の地域では神棚が必ずそなえられ、しかも廃れない(減少しない)”という事実があることをご紹介したことに関連するからです。
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    神棚の例 (総檜作り 165万円:「大越仏壇」社オンラインショップより)
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    仏壇の例 (名古屋型台付き 365万1340円:「こころあ堂」社オンラインショップより)

    以前にも記しましたが”漁業従事者が多いある地区での調査結果のデータがここにご紹介できない”のですが、”一般的な広い範囲を対象とした調査結果”はいくつか発表されていて・・

    ◎神棚と仏壇の保有率と推移
    公益財団法人 庭野平和財団が行った調査(※詳細後記)では1999年に1345人、20年後の2019年に1203人から回答を得た結果・・

    〇「神棚」保有率49%→35.6%へ減少。(20年間で13.4ポイント減少)
    〇「仏壇」保有率53.6%→44.9%へ減少。(20 年間で8.7ポイント減少)

    上記から「仏壇」の方が「神棚」よりも保有率が高く、また減少率も緩やか。

    〇「神棚」の保有率は都市規模によって著しく異なり、
    「郡・町村」がもっとも高く(48.3%)、
    「東京特別区(東京23区)」が20.8%と最低。
    「郡・町村」での「神棚」の保有率は高いものの、74.3%→48.3%へと26ポイント減少。

    〇「神棚」の年齢別の保有率を20年前と比較すると、全世代で低下している。

    ※当調査方法詳細
    《 調査の概要 》 < 2019 年調査> ・調査日 2019 年6月7日~ 16 日 ・対象者 住宅地図による満 20 歳以上の男女 4000 人(層化副次(三段)無作為抽出法) ・実施方法 個別面接聴取法(官製葉書による事前協力状送付) ・有効回答数 1203 人(30.1%) ・回答者内訳 男 46 %、女 54 %▽ 20 歳代 11 %、30 歳代 13 %、40 歳代 18 %、50 歳代 16 %、60 歳代 17 %、70 歳代 26 %▽ 21 大都市 28 %、その他の市 62 %、郡・町村 10 % ※本調査は庭野平和財団「日本人の宗教団体への関与・認知・評価に関する調査」による調査で、世論調査の実 施は社団法人中央調査社に依頼して行われた。 参考 < 1999 年調査> ・調査日 1999 年 11 月 11 日~ 14 日 ・対象者 住民基本台帳による満 20 歳以上の男女 2000 人(167 地点、層化二段無作為抽出法) ・実施方法 個別面接聴取法(官製葉書による事前協力状送付) ・有効回答数 1345 人(67.3%) ・回答者内訳 男 45 %、女 55 %▽ 20 歳代 11 %、30 歳代 17 %、40 歳代 19 %、50 歳代 21 %、60 歳代 33 %▽ 13 大都市 23 %、その他の市 54 %、郡・町村 23 % ※本調査は文部省科学研究費「日本人の宗教意識と行動」(代表者・阿部美哉國學院大学教授)によ る調査で世論調査の実施は社団法人・中央調査社に依頼して行われた。

    ◎自宅の仏壇と神棚保有率
    Sirabee(調査会社)が2023年に全国10〜60代男女1000名を対象に調査した結果・・

    〇仏壇と神棚両方ある・・16.4%
    〇仏壇だけある・・・・・・・・18.0%(仏壇保有率34.4%)
    〇神棚だけある・・・・・・・・ 8.7%(神棚保有率25.1%)
    上記から
    〇仏壇と神棚どちらかが有る・・43.1%
    仏壇と神棚どちらも無い・・・・56.9%

    〇独居(一人暮らし)世帯のほうが仏壇・神棚の保有率が高い
    仏壇・神棚のどちらも無いのは・・
    家族で住む世帯・・67.2%。 
    独居世帯・・・・・47.6%

    この結果を受けてSirabee社のコメントは・・「核家族や夫婦2人家庭などでは、神棚はもちろん仏壇を置くスペースも確保しづらいだろう。一方、高齢者の独居が増えており、以前から仏壇や神棚が備えられた家に住み続ける、といった現状になっているのかもしれない」としている。
    ※Sirabee社の当調査結果グラフなどは・・

    以上にご紹介した”神棚・仏壇保有率に関する調査結果”は”大勢として保有率は減少傾向だろうし、都会より居住面積が大きめの田舎での保有率のほうが若干は多いだろう”という先入観に沿ったものになっていますが、これが(冒頭記述のように)日本の全ての状況を表してはいない。

    このような調査は「バイアスがかかった調査」という言いかたをされます。

    ◎最近の調査対象者の性別バイアス?
    私は現在、ネットによるアンケートサイトを持つ6社に登録して多数の回答をする毎日ですが、各アンケートでは最初に必ず回答者の属性(性別、年齢、居住都道府県、就業形態、既婚・未婚・離死別、戸建てなど住居形態、場合により個人年収、世帯年収など)を問われますが・・

    ここ1年くらいの内に変化した項目がいくつかあり、従来は就業形態の選択肢の中の「無職」は、同じ無職でも「年金生活者」が別に登場し始めているなどある中で、性別回答選択肢は多様化してきて・・

    「男性/女性」///「男性/女性/その他・回答しない」///「男性/女性/その他/回答しない」/// 「男性/女性/無回答」///「男性/女性/分からない/答えられない・答えない」///「男性/女性/ノンバイナリー・第三の性別/回答したくない」///「(あなたの戸籍上の性別をお答えください)男性/女性」

    こうなると、選択肢として男性/女性の二項一択では、それにあてはまらない人からの回答が期待できずにバイアスがかかった調査になる。

    ◎その他のバイアス注意例(1)「シニアのパン食」
    seniors
    シニア層は和食志向が強いと思われがちだが、特に朝食はパン食が少なくない。
    bread

    (A)
    65才以上の男女148人:1997年 三洋電機による調査によれば・・

    シニアの朝食の主食は・・

    「常にパン:29%」、「パンが多い:6%」と”パン派と言える人が3割強”

    その他「パンとそれ以外が半々:12%」 「パン以外が多い:15%」なので・・
    「朝食にパンを食べることがあるシニアは62%存在する」ことになる。

    ※朝食に「パンは食べない:34%」と「パンとそれ以外半々」、「パン以外多い」、「パン多い」からすると・・
    朝食に”パン以外“を食べることがあるシニアは67%存在とやや多いことにはなる。

    なお、シニアの昼食にパン食は少なく、麺・パスタ類も多くこの傾向は中年層と変わらない。夕食は年齢にかかわらず”白いご飯”が多い。

    (B)
    50~70才男女229人:1997年5月~6月 三洋電機による(先記(A)とは別調査)では・・

    パン派のほうが多い結果が出ていて・・
    朝食にパンを食べることがある・・・・・・68.1%
    朝食に米飯・その他を食べることがある・・54.6%

    この傾向は女性でしかも高齢になるほど顕著で、
    朝食に食パン又はバターロールなどパンを食べるのは・・
    70才代の男性・・46.9% 
    70才代の女性・・75.8%

    ※別の”ある聴き取り調査”で”シニアが朝食でパンを食べる理由は「心情的にはお米のご飯食べたいが、それは胃にもたれるから”という声があった。ただしこの状態は”あまり体を動かさない生活をする人たちに起こるものであって、畑仕事などで体を使う人たちにはあてはまらない”

    ◎その他のバイアス注意例(2)「シニアの早寝・早起き」
    futon-bed
    昔から「年寄りは早寝、早起き」と言われてきたが、実際は若い世代とかわらない。
    senior-kirakira

    (ア)
    50~70才男女229人:1997年(前記(B)と同時調査)では・・

    以下のそれぞれ3時間に集中。ピークは就寝が23時台、起床は6時台

    〇就寝時刻・・22時台14.9% /
    23時台41.9% / 0時台23.6%
    〇目覚め時刻・・5時台27.5% / 6時台46.7% / 7時台14.9%
    〇寝床(ベット出る)時刻・・5時台15.3% / 6時台43.7% / 7時台26.2%

    (イ) 40,50,60,70才台 首都圏在住の男女1200人:1997年4月~5月 自記式留置法による調査((株)SRIコンサルティング社が担当、調査依頼社:三洋電機)によれば・・

    各年代すべて(やはり先記(ア)と同様)以下のそれぞれ3時間に集中。ピークは就寝が23時台、起床は6時台)(下記は小数点以下四捨五入)

    〇就寝時刻・・40才台:22時台11% /
    23時台37% / 0時台33%
           50才台:22時台14% / 23時台44% / 0時台22%
           6
    0才台:22時台25% / 23時台43% / 0時台10%
           7
    0才台:22時台28% / 23時台30% / 0時台12%

    〇起床時刻・・
    40才台:5時台 9% / 6時台44% / 7時台33%
           50才台:5時台13% / 6時台43% / 7時台28%
           6
    0才台:5時台16% / 6時台38% / 7時台29%
           7
    0才台:5時台11% / 6時台38% / 7時台36%

    ※参考:日本人の平均 就寝時刻:23時12分 /  
    起床時刻:6時32分  
    ・・・・・・・・・・・・・
    (2)斜めに裁断または編む裁縫での「バイアス」
    裁縫において布の織り目に対して斜め45度に裁断することを「バイアス裁断」や「バイアス裁ち」と言い、そうしてできたものを「バイアス布」や「バイアス生地」と言い、

    織り目に沿って縦または横に裁断した布に比べて”引っ張れば格段に延びる”特長を発揮するようになるもので、

    「バイアス布」を使って細い帯状に加工したものを「バイアステープ」とするものもある。

    編み物において斜めに編んでいく方法を「バイアス編み」と称し


    その特長は”斜めに編んでいくことで、(通常は服作りなどで胴体部と袖部を別に作って後に両者をつなぐ作業が必要だが)胴体部も袖部も一気に作り上げてしまう手法”で”一般の服のようにつなぎ目が分厚くなってゴロゴロする“ようなことがない。

    バイアス編みのセーター(RandYカンパニー社の通販ページより)
    bias-knit1

    胴体部分(みごろ)と袖のつなぎ目が無い(「空色テーブル編み物レッスン」ブロブより)
    bias-knit2

    (3)電子機器などの電流・電圧の回路設計分野での「バイアス」
    電子機器などの回路設計においてよく使われる言葉ですが、私にはチンプンカンプンなので、「ヤフー知恵袋というサイトでのある質問者への回答が「fried tumip」さんからなされている内容を転記させていただきます。(私はこれでも理解できませんが)

    『バイアス(bias:偏り)という言葉は電圧や電流など色々な場面で使われます。 電圧の場合には一般に中央が0Vの偏りの無い信号を、偏った信号にするために加える電圧のことを言います。

    例えば、+4V~-4Vの交流信号に、5Vのバイアス電圧を加えると、+9V~+1Vまでの直流信号になります。波形は維持したままで電圧の中央が5Vだけ偏った信号になります。

    直流で動作する電子回路で交流信号を処理する時には、バイアス電圧を加えて直流信号にしてから処理します。その後必要なら交流成分だけを取り出します。』
    ・・・・・・・・・・・・・
    ◎「ステレオタイプ」と「バイアス」のちがい?..........
    これについてはよく分からないのでネット上で調べたら、その解釈は多様でちょっと混乱気味。そこで私なりに大体のところをまとめると・・

    「ステレオタイプ」と「バイアス」のどちらも「先入観」や「偏見」を内包するものだが・・

    ステレオタイプとは、多くの人に浸透している固定観念や先入観、偏見などの意識のことを指す。言わばそれがアタマの中、心の中に在るもの。

    「バイアス」とは、固定観念や先入観、偏見に基づく意識が言動に反映された際に、それを「ステレオタイプに基づいた(言動)」と言わずに「バイアスがかかった(言動)」と表現される。

    ただし、意識せずとも結果的に「偏り」がある言動も「バイアスがかかった(言動)」と言われる。例えば、何かの調査の際にネットだけを利用してアンケートをとった場合などは、回答者の属性は”ネットにアクセスできる人たち”に限られるという偏りが発生。

    そしてよくあるケースが・・
    ”都会の中で都会生活者だけを対象に調査”することで、例えば農漁村を除外することになって、地方性に気付かないことで偏りが出ていることがその調査の性格と目的によっては問題になる。(先記の就寝時刻・起床時刻調査対象を首都圏在住者としたのもバイアス性ありと言えますが・・)

    時々あるケースが・・
    質問に対する回答欄で、質問者側が提示している回答選択肢の中に回答者が答えようとする項目が無いということがあること。具体的に言えば・・「回答をA、B、Cの中から選べとした場合に実は別にDにあたる選択肢もあるという欠陥質問が時々ある。

    これを回避するために、回答選択肢の最後に「その他」という項目を設けて、"その「その他」とは何なのかを記入する欄"をもうける場合が多いのだが・・

    ※「ジェンダーバイアス」は特別?
    最近頻出する「ジェンダーバイアス」という言葉は、どうやら"ジェンダーという男女に関する従来通念を心(アタマの中)に持つだけで、それを言動に出さずともバイアスと称する"ようで、そういう解釈、見解、説明がネット上を占めています。まーそもそも「ステレオタイプ」と「バイアス」は不可分的なものですから違和感はないようなものですが・・
    ・・・・・・・・・・・・

    日本の神道(しんとう※1)における神様と仏教における仏様。それを身近に拝めるのが、神道では祠(ほこら※2)や神棚、仏教では仏壇ですが今回は神棚にちょっと注目。

    ※1
    :神道を「しんとう」と読むと意味は”日本古来の土着信仰”。「しんどう」と読めば”神(そのもの)”又は”墓所の道”の意となる。
    2:一部には仏教に属するお地蔵さま(地蔵菩薩)を祀る祠もある。

    ↓神棚の例(左) / 仏壇の例(右)
    kamdna-butdan
    画像は左:楽天市場より/右:「メモリアルアートの大野屋」のHPより引用

    ◎漁業従事者の家には必ずと言っていいほど神棚がある
    原始より日本人は山、海、火、雷、滝、巨木、疫病など万物に(近年はトイレにも?)神が宿るので”やおよろず(八百万)の神”がおわすという観念があるが、中でも海、川、湖などで漁をする人達は神様に豊漁を願うと同時に、「板子(いたご)一枚 下は地獄」と言われるほど危険な船での無事を祈願することは必須となるので自宅には神棚が必ず設けられる。

    そして船(漁船に限らず船全般)の中にも神棚設置の例が多い。

    ”ある漁村を対象に調査したら神棚の保有率が100%”だったという資料を読んだことがあるが、

    そこでもう一つの特徴として挙げられていたのは”神棚の保有は老若に関係なく、しかも時代が変わっても行われる”ので年寄り世帯のみならず20才代の世帯でも神棚は在るという状況は変わることがないということ。 

    この事実は、日本全体の近年の神棚の保有率が減少傾向にある中で見落とされがち。
    (他の地域と同様にこの漁村でも神棚とともに仏壇も有る家もあると思われるが割合は不明)

    ◎漁村の神道ゆえの「奥津城」(おくつき=墓)
    前述のように漁村では”生きるための糧と命の守りのためという切実な願いは神様にすがる”ことになるから、自ずとこれは神道のカタチとなる。

    一般的には墓と呼ばれるものを神道では「奥津城」または「奥都城」(双方とも読みは「おくつき」)と称する。形式も一般的な(仏式の)墓とはやや異なり墓石にあたる石柱の頭頂部はやや四角錐のようにすることが多く、香炉が無く、線香無し、かわりにロウソク立てが有る。

    ・・・というわけで、漁村では奥津城という墓がたてられるようになる。

    「奥津城」と「奥都城」の使い分けには諸説あり・・
    A) 海、川、湖など水場に近い地域では「奥津城」。それ以外の地域では「奥都城」
    B) 神官や氏子だった人は「奥都城」。それ以外の一般人は「奥津城」
    C) 「奥津城」か「奥都城」かはこだわりなし

    なお、
    現在の奈良県明日香村では、仏教伝来以前の例えば古墳時代に造られた(今で言う)墓や陵墓のことを称して「奥津城」と称している。

    ◎五島列島に在る「奥津城」の例  
    私の亡父の出身地である長崎県の五島列島の中通島(なかどおりしま)の小串(こぐし)という地域は漁港があり、住民の多くは漁業従事者。海に向かって小高いが緩やかな傾斜地に大きな共同墓地があり、先祖はその墓地にある「奥津城」に眠っている。

    goto-map

    ↓小串港
    kogusi-haka_0001

    ↓小串の共同墓地
    kogusi-haka_0002

    ただしその石柱部には「祖先之奥津城」と刻んである。普通よく見る例の「○○家之墓」とは異なる。しかし基台部の石材には”蔦(つた)の紋”が彫ってあり、かろうじて我が家系の奥津城とわかる。

    日本全体では「○○家之奥津城」と刻んだもののほうが多い。

    ↓私の祖先の奥津城(左) / ○○家之奥津城の例(右)
    (「石の東栄」社のHPより)
    twin-okutuki

     漁村という特に神頼み必須の神道信仰の地であり、かつ言うまでもなく”水”関連の地だから「奥津城」という表記になるのはわかるが、なぜ”「○○家」ではなく「祖先」”なのかという疑問がわくが・・

    伝承によれば”事情により他の家系の死者も受け入れて合葬していたから”ともいわれるが、別の推論として”この奥津城を立てた時代にはこの辺境の漁村には苗字をもつ者が私の祖先も含めて殆どいなかったので○○家とはならなかったのではないか”とも考えられる。

    一般的な(仏式の)墓にも「先祖代々之墓」と刻まれたものを見かけることがあるが、これも同様な理由だろう。

    それでは「奥津城」という言葉と意味を誰が教えて使わせたのか? 当時の漁民自身とは考えられない。そこで登場するのが近くに居た知識人である僧侶や宮司・神官で、彼らは庶民に色々な苗字を(中には遊び心や奇異をてらった苗字もあったが)考えてあげることが日本全国で広く行われたことはよく知られている。

    その延長で建墓についても庶民から相談を受けた結果が現在の「○○家之墓」(仏式)対「○○家之奥津城」(神道式)の存在率の差。それは僧侶と宮司・神官の数の差の表れだろう。

    ちなみに、私の父は生前に「(故郷の五島の)小串に帰った際に会った坊さんから「奥津城」について否定的な説教をされてイヤな思いをした」と言っていた

    ・・ということを私は間接的に聞いたもので詳細不明なので想像するに、お坊さんは「死後の世界は仏教のほうが神道よりも良いから、故人のためにも宗旨替え?して墓も換えた方がよい」というようなことを言ったのではないか? それはお寺にとっても都合がよいのだろうから・・

    そう考えると、この小串という漁業の地であっても奥津城と称する墓が(よく確認できないが、周囲の墓を見渡したところ)稀な存在であろうことの理由は・・多くの家が本来の神道から宗旨替えさせられて仏式の墓にしてしまった・・のではないかと思える。
    ・・・・・・・・・・・・
    さて、先祖が奥津城に祀られている父だが、信仰心希薄で、自宅には神棚は無く、小さな仏壇らしきものはあったが父親(私からすれば祖父)の小さな写真が置いてあるだけで、線香をあげているのを私は見た記憶がない。

    しかし父がそうなったのには、中国大陸中心に7年間の過酷な戦場で”神も仏もあったものじゃない”という経験が作用していたように思える。

    私が小学校入学から就職までの期間に、学校に提出する家庭状況調査書類や就職用の履歴書には(現在では廃止されている)"信仰宗教記入欄"があったので、父に聞くと(信仰実体が無いものの)「浄土真宗にしておけ」と言われたものだった。

    それでも父は歳をとってからの一時期に、ある”願掛け”のために自宅から徒歩12,3分の長崎神社(昔、帝銀事件があった場所の隣に在る)へ1年ほど毎日お参りしていた。

    一方私の母方の祖父の自宅(東京)には神棚だけあって仏壇は無かった。それもそのはずで、祖父の出身は福岡県宗像市神湊(むなかたし・こうのみなと)であって、ここはユネスコの世界文化遺産にもなっている宗像大社(玄界灘に浮かぶ島に在る)に渡るための港ともされて「神湊」という地名が表しているように"神が近い"地であるから。
    ・・・・・・・・・・・・
    日本の大企業から個人商店などまで、職場内、ビル屋上あるいは工場敷地内など、そして剣道・柔道の道場、日本刀製作(刀鍛冶)現場、陶器焼成現場などでは神棚あるいは祠(ほこら=神をまつる小さなやしろ)が設けられることも多いが、仏壇は見られない。

    私が勤務していた会社の工場部門では敷地の一角に祠が建てられていて月に一度、幹部による参拝式が行われていましたが、会社全体では従業員が2万人以上いたので、勤務期間中に亡くなる人が年間で10人前後~数人になることで、会社の菩提寺と言えるようなあるお寺で年に一度「物故社員追悼法要」が行われていた。
    つまり、私が勤めた会社は、神にも仏にも頼っていた?

    まあ、多くの日本人が”赤ちゃんが生まれて1か月たてば神社に「お宮参り/初宮参り」して、亡くなればお寺のお世話になる”というような神仏へだたり無しの状態と同じか・・
    ・・・・・・・・・・・・

    ◎頭に糞を落とされたのはアラ80での初体験
    今年(2024)5月21日の午後、庭に出ていたら突然、私の頭に何かが落ちてきて「ピチャ」っと(音は感じなかったが)着いた。

    驚いて指で触ってみたら、白くてドロドロしたものですぐに鳥の糞だと分かったと同時に上の空を見上げたが、鳥の姿は見えず声もせず、あるのはただ青い空。ハテ何の鳥だったのか?

    何か白いものが頭に、しかし上空には青い空のみ
    fun-atama

    私は額から後頭部にかけて殆ど毛髪が無い(俗に言う)ハゲアタマなので、その糞はすぐ指で拭えてその後は水で簡単に洗って済んだが、これが普通に毛が有る人だったらこんなに簡単には処置できないだろうなと、不幸中の小さな幸い?を感じたのだった。

    後日に知ったが、この日は大安だったのでこれで少しウンが良くなるかとかすかな期待をしている。

    それにしても80才に近い私がこれまで生きてきて、わが身が糞害にあったのは初体験。しかも頭上に何も無い場所での糞との遭遇は確率としては非常に小さいはずで、逆にその確率が高いのは・・

    ◎駅のホーム、電線下、家屋の軒先など、糞害注意! 
    東京のJR秋葉原駅は総武線と山手線などがそれぞれ高架状態で交差するのでホームは構造的にも視覚的にも複雑駅の一つです(地下鉄どうしが地下で交差しても視覚上は複雑感は無い)が、それにともなってホーム上の鉄骨またはコンクリートの梁が多く存在することになり、そこに鳩が多数来て留まる結果、
    糞が大量にプラットホーム上に落とされる。
    doves

    私は現役の会社員だったある時期にはこの秋葉原駅で乗降していたが、ホームの所どころに「頭上ご注意 ハトのおとしもの」という看板がかかげてあったから、梁の下を避けて歩いたもの。

    ハト飛来防止用に金網を張ったり、大きな針山のような専用品(下図参照)を梁の上に設置してハトがとまれないようにする方法があるが、秋葉原の駅のような場合にはそれが適用しにくいのだろうと思う。
    harinoyama2

    電線の下にも鳥の糞が落とされることも多く
    、先日には我が家の前の電線の真下で鳥の糞が巾5センチ長さ60センチくらいの一直線の白い帯状になって道路上に落ちていたが、これは明らかに鳥が電線上に多数並んでとまって”連れしょん”ならぬ”連れ糞”した結果だとわかる。
    densen-birds

    夏の今の時期ならたぶんツバメのしわざだと思われるが、私が過去に見た”電線上に並んだツバメ”の数で最大は14羽。ちょっと横道に逸れますが、ムクドリは20羽以上が並んでとまっているのを見たことがあり、同様にカラスの30羽ちかくを電線上に見たときはその全体が黒い大きなかたまりのようでちょっと不気味だったことがある。

    ツバメが巣をつくった家には幸福が訪れると昔から言われるため、その巣を大切に見守る家その他の施設などの建物は多いが・・
    swallow-nest

    それに伴って発生するのが”巣の下の場所が糞によって汚れること”で、そのために糞の落下地点に受け皿状のものを置いたり紙類を敷くなどの対処がされるので、ツバメの巣の存在を知らない人でもすぐに気が付くことになると同時に、この家や施設の人のあたたかい気持ちがうかがえるもの。

    ◎露天風呂に鳥の糞が落ちてきた!
    私が海に面した露天風呂の湯に浸かっていた時のこと、いい気分になっているところに突然ポチャンと音がしたので何かと思って見たら自分の身からわずか20センチ先に白いものが”まるで溶き卵をお湯に入れた瞬間のような状態”で15センチくらいの長さでモヤっとして一部浮いて一部沈んでいるではないか!
    白いものがポチャンと・・ 
    roten-potya

    一瞬何かと思ったがこれは鳥の糞だと気づいたのですぐに空を見上げたがこの時も鳥の姿はなかった。

    同時に「わっ 鳥の糞が落ちてきた!」と周囲の人にも聞こえるように声をあげたら、ちょうど手桶が近くにあった人がそれを使って糞をすくい取って排水口に捨て、丁度近くに居た従業員が飛んで来て糞が落ちた周囲のお湯を処理した。後で思うにカモメの仕業だったのであろう。海上に2羽ばかり飛んでいたのが見えていたから。

    日本の露天風呂には屋根がついていることが多いが、その目的は”雨や雪が降る中でも気分よく湯に浸かっていられる”ことの他に”苔や藻を発生しやすくする太陽光を遮るため”なのだが、”裸という無防備状態にある時に頭上からの(糞に限らず)落下物から身を守る”ことにもある・・ということになる。

    露天風呂の屋根有りと無しの双方に利点はあるが・・
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    (↑左:和歌の浦温泉・萬葉の湯/右:万座プリンスホテル)
    ・・・・・・・・・・・・

    7月初めの今日もツバメが数羽 電線にとまって「ピチピチピチ」、時には「ピチピチピチ ビー」と鳴いている様子が我が家からも観察できる。
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    そしてたまにはピューっと飛ぶ姿も見えるがさすがに”昔、国鉄(現JR)の特急の愛称になっただけあって?”速い! 確かにカラスやヒヨドリなどよりも・・

    ツバメは日本へ春に飛来して卵5~6個産み、子供を育ててから秋に南方のフィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム南部などに帰るそうで、その飛行距離は実に3000キロ以上。

    体重20グラムで500円硬貨3枚分の軽く小さい体でよくもまあ長旅するもの。 

    餌は蚊、ハエ、シロアリ、蝶、トンボなど空中を飛んでいる虫が主で、南方地域にはこれらの虫が多いものの餌を取り合う競合鳥類が多いため、特に子育てのために餌が多量に必要な時期には困るのだが、丁度その頃の日本には餌になる虫が多いので、長旅をしてでも来日するのだそうだ。

    民家の軒下などに作った巣からヒナの餌になる虫を求めて飛び立ち、虫をくわえて戻る行為は1時間当たり平均40回も繰り返されるといわれる。

    秋に離日して再び来日すると、通説では「ツバメは同じ巣に戻って来る」と言われるものの実際はその確率は15%という説があるが、同じ巣ではないものの元の巣の近隣に作巣する例は多いようだ。

    しかし一方で、離日する子ツバメに足環を着けての調査では山口県から離日したツバメが静岡県に戻ってきた例もあるとのこと。               

    さて今年(2024年)、千葉県中部にある我が家の周りでツバメの鳴き声が聞こえ始めたのが3月27日・・と、カレンダーにメモしたのだが、”渡り鳥の鳴き始めを感知してそれを記録しておく”ような行為は会社勤め現役時代には考えられないことだったかなと思う。

    というわけで、今年は私がツバメへの意識が強いところに、ツバメに関する新聞記事、テレビドラマ、映画(のようなもの)が現れた!

    ◎「天声人語」欄のツバメ
    5月16日の朝日新聞の天声人語欄に『古い言葉で「メ」は鳥の総称だったと国語学者の金田一春彦さんが書いていて、ツバメ、スズメ、カモメしかり。「燕」という漢字はツバメが翼を広げて飛ぶ様を写した象形文字』・・というようなことが紹介された。

    ◎「燕は戻ってこない」という名のドラマ話題
    桐野夏生(きりのなつお=直木賞はじめ多数の文学賞受賞の作家、日本ペンクラブ会長、紫綬褒章受章者)原作の連続テレビドラマ「燕は戻ってこない」(NHKで2024.7.2まで)は代理出産を扱った重い内容で、出演の稲垣吾郎の好演でも注目されているようですが、

    swallow1
    swallow3
    swallow2

    桐野氏はあるインタビューでこの小説名の由来を尋ねられた際にも明解な回答をせずに読者の解釈に任せているので、私なりに思えば・・

    通常は子供を産めば授乳その他で子育てするところ、代理出産をした女性はそれができないので、燕が子育てのために餌をとっては巣に戻り、子に与える行為を繰り返す姿になぞらえれば、ツバメに例えた代理出産女性は育児現場(である巣)に戻らない・・ことになる。

    と、解釈していたところ、 (原作を私は知らないが) このドラマでは、代理出産を請け負った女性が帝王切開で双子(男女)を産んだのだが依頼人側に引き渡す前になんと、男の子だけを残して勝手に女の子のほうを抱えたまま姿を消したのだった。

    ◎オペラ「つばめ」の上演映像が各地で公開される
    プッチーニ作曲のオペラの中でも「つばめ」は最も優雅で洗練されていると言われるそうで、ストーリーは"銀行家ランバルドに囲われている高級娼婦マグダが一度は別れて別の男のもとにはしり結婚に至りそうになったが、自分が娼婦だったことを告白して結婚辞退して再びランバルドのもとへ戻る"というもの。マグダはツバメのように同じ所に戻ったのだ。

    このオペラがニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)で今年4月20日に撮影(使用カメラ10台)されたものが録画されて5月31日から日本各地で映像上映(松竹配給)されたもので、この「つばめ」はMETで上演される多数のオペラの映像を上映するシリーズ「METライブ ビューイング」の中の第8弾とのこと。

    ↓オペラ「つばめ」のワンシーン(「映画.COM」のHPより)
    met-live-tubame

    実はこの「つばめ」上映の情報は、日頃から文化・芸術に詳しい友人が実際に観て「映像ながら観劇で感激!」という内容のメールを送ってくれたので知った次第。
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    以下はツバメに関連する余談です

    ◎「若いツバメ」考
    「若いツバメ」とは、女性からみて年下の男の恋人のこと。

    その由来は、大正から昭和にかけて女性解放運動して有名な平塚らいてう(ひらつか らいちょう)が自分より若い画家である奥村博史と親しくなっていることが周囲に知られたために、奥村はある手紙を書き残して、彼女らいちょうのもとを去って田舎に帰ってしまった。

    その手紙は「池の中で水鳥たちが仲良く遊んでいた所に、一羽の若い燕が飛んできて大騒ぎになりました。この思いがけない結果に驚いた若い燕は飛び去ります」というような内容だったことから生まれた言葉。

    ところが、彼女は「燕なら春になると帰ってくるでしょう」という返事を出して、彼を呼び戻した後は二人で共同生活を始めたそうで、愛の巣を飛び出た彼は再び元の巣へ戻ったのでツバメ同様となった。

    ↓平塚らいてう(若年期 / 高年期)
    raiteu

    らいてうは1886(明治19)年の生まれなので”若い燕”との生活に入ったのは1914(大正3=第1次世界大戦開始)年のことだから28才の時のことになる。私の想像では少なくとも30才代後半以降のことかと思っていたのでちょっと意外。ちなみに1971(昭和46=大阪万博開催翌年)年に85才で死去している。

    ◎「ツバメ低く飛べば雨近い」理由と飛行機の塗装?
    昔から「ツバメが低く飛んだら、もうすぐ雨が降る」と言われて、私も子供の頃に聞かされていたが、さてその理由を教えてもらっていなかった。恥ずかしながら高齢者とされる年齢になってから初めて知ったことは・・

    雨降り前には湿度が高くなる=空気中の水分が多くなる→空中を飛ぶ虫たちの羽や体に水分が着く→体が重くなって低くしか飛べない→その状態の虫たちを捕まえるためにツバメも低く飛ぶ・・という理由。

    それで思い出すのは、”飛行機の機体全体を覆う塗装の重さが飛行に影響を与えている”こと。

    ちょっとあいまいな数字で恐縮ですが、大型機1機の塗装に使われる塗料の重さは0.5トンにもなり、その影響で東京→ロンドン間の飛行で5万5000円分の余計な燃料を消費するという試算がある。

    高高度を高速で飛ぶような飛行機は、地上と高空との間の気圧変化による機体の膨張と収縮の繰り返しが起こす可能性のある機体胴体の金属疲労(これが進むと金属板が破断して最悪は機体が空中分解)の抑制や空中の塵や浮遊物の衝突によるキズ防止などの理由で機体の塗装は必須になっているから仕方ないようです。

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    今年5月、「とにかく可視化」という書名の本(新潮新書)が出版された。
    その新聞広告には、こうある・・「可視化するだけですべてうまく行く! 延々と続くムダなやり取り、長いだけの空疎な議論、決めても簡単に撤回、動き出しても停滞。多くの企業が抱えるモヤモヤを解決するシンプルかつ超実践的ノウハウ。」

    そこで”賢い人の可視こい?例”として思い出すのが・・

    ◎白洲次郎が描いた「ジープウェイ」図
    白洲次郎はご存知のようにGHQをして「従順ならざる只一人の日本人」と言わしめた人物。英国留学で鍛えた流暢なキングズイングリッシュで堂々と意見を述べた。

    sirasu-jirou

    1946(昭和21)年のこと、新しい日本国憲法の草案内容はGHQによる一方的かつ性急な面が強いために日本政府が松本国務大臣名で作成していた「松本案」の再考を願う内容の書簡を出すことになり、その時点で終戦連絡事務局参与であった白洲が作成してGHQのホイットニー民生局長へ送った。

    その際に”日本側の松本案とGHQ案は目的(OBJECT)は同じであり、ただしそこに到達する手順が違って、松本案は日本の国情によって、あたかも山道をジープに乗って行く(JEEP WAY)がごとくであり、GHQ案は(途中の事情などかまわずに)一挙に到達しようとするものである”としてその主張を”まさに可視化“した手書きの図を添えた。「百”文”は一見にしかず」か! これが後に「THE JEEP WAY LETTER」と呼ばれるようになった。

    ↓白洲が書簡(1946年2月15日付)に添えて描いた図(外務省外交史料館蔵より)jeep-way

    書簡を受けたホイットニー民生局長は、白洲による説明図によって明確にされた日本政府の態度を激しく非難してGHQ案推進方針をより固めることになってしまったが・・

    結果は残念だったが、後年に「THE JEEP WAY LETTER」が知られるようになって、現在ではその図をプリントしたTシャツが(白洲夫妻の旧邸で今は資料館になっている)「武相荘」(東京都町田市)※で販売されている。綿100%、価格6600円、サイズ4種類でネット販売あり。

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの背面
    tsyatu1

    ↓TシャツTHE JEEP WAY LETTERの前面
    tsyatu2

    ◎南方熊楠の描いた「南方マンダラ」
    南方熊楠 (みなかた くまぐす:1867~1941年=明治元年の前年に生まれて太平洋戦争開始年に亡くなった)は、とくに植物学、微生物学、民俗学の分野で活躍(その他、粘菌の研究は有名)したが、世界の科学、宗教、哲学などにも造詣が深かった。それらの行為を支えていたのは抜群の記憶力や9か国語に精通した語学力だった。
    ↓南方熊楠
    kumagusu-face

    もう一つ” 熊楠の思索と行動にとって重要な役割をした”のが・・
    土宣法竜(とき ほうりゅう=1854~1922年)という真言宗の高僧であり、慶応義塾で西洋学問を修学してから宗教界に入り、非常に開けた視野と柔軟な思索の人。シカゴでの万国宗教大会に真言宗代表として出席したりロンドンやパリでも仏教関連の仕事をし、最終的に真言宗高野派管長となった。

    そのロンドン滞在時(1893=明治26年)に丁度現地で勉学中だった熊楠と出会った。13才年下で当時まだ20代の熊楠ではあったが既に「ネイチャー」誌に論文を発表して高評価を得ていたほどの知性にあふれていたので、二人は共鳴し合い、以後は1916(大正5)年頃までハイブラウな内容の書簡が大量にやりとりされた。

    ↓土宣法竜 師
    kumagusu

    西洋の科学や哲学においては物事の存在理由や現象の原因を追究するには、全体から細分へと分析対象を絞り込みながらその要素を抽出するという方法(従来一般に「還元主義」と呼ばれていたが最近は使われない傾向)がとられていたが、それでは真理をつかむには限界があると熊楠は気づいていたために、それに代わり得る方法を探り始めていた。

    そこで熊楠が着目したのが東洋の哲学、宗教であり、中でも曼荼羅(まんだら)に注目。それを知らされた土宣師は”曼荼羅を重用する真言宗の僧侶”でもあるので大いに熊楠を後押しした。

    ↓金剛界曼荼羅(左)  胎蔵界曼荼羅(右)
    2mandara

    曼荼羅は仏教の世界観を一般民衆でも理解できるようにと可視化したものだが、前述のように” 物事の存在理由や現象の原因”を可視化するのは難しいので、さすがの熊楠も10年を経てやっと一応のカタチを得たのが「南方マンダラ」と称されるもので、”一応”という訳は熊楠はこのマンダラ図を本当は立体を表すものにしたかったから”であり、しかも説明無しではこの図は理解できないから。

    ↓(いわゆる)「南方マンダラ」図 (河出文庫「南方マンダラ」より)
    minakata-mdra

    "知の巨人"である熊楠が長年考え抜いて導いた結果を可視化したこの「南方マンダラ」そのものと、その生成過程は難解で、浅学菲才の私のおぼろげなる解釈では"この世界の物や事は他との関係において生まれ、存在するものであって、その際の互いの関係の有様は多様(熊楠によれば図中のイ、ロ、ハなどそれぞれは異なる)であることを表している"のだろうと思いますが、詳しい説明内容に興味ある方は書籍「南方マンダラ」(中沢新一 責任編集・解題:河出文庫)に熊楠本人の説明(
    土宣法竜師宛の多数の書簡文中)と中沢氏の解説が掲載されているので参照下さい。 
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    「可視化」についての続編はまた後日に・・
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    以前に「食」に関する東西のちがいについて2編紹介したことがありますが、今回はその他色々なちがいをランダムに挙げてみました。 まずはよく知られている例から・・
    (以下文中『T』印は、文章や写真を「Trip Editor」サイトを参考または引用)

    ◎ハンバーガーのマクドナルドの略称(愛称)
    東=「マック」 /  西=「マクド」
    mac

    関西では、店で買い物してくれたお客に向けて「まいど(おおきに)」とよく言うことや仕事上で日頃つきあいがある人に会うと挨拶として「まいど」と言うことが多いことや、お尻のことを「おいど」と言うこと、"かまど"のことを「おくど(さん)」と言うことが多いなどで、マクドナルドが「マクド」となるのは自然の流れだろう。

    余談ですが、私が大阪勤務時代のこと、東京に住む父親が合いに来てくれた際、顔を合わせた瞬間に私は「まいど!」という言葉が出てしまって気まずい思いをしたことがありました。

    ◎関東などで「ワイシャツ」と言うが・・
    東=「ワイシャツ」 / 西=「カッターシャツ」

    ◎大学生の学年の呼び方
    東=「〇年生(ねんせい)」 / 西=「〇回生(かいせい)」

    ◎エスカレーターの立ち位置
    東=左側  /  西=右側

    ↓東のエスカレーター状況 『T』
    elevator-e

    ↓西のエスカレーター状況 『T』
    elevator-w

    ◎畳の大きさ 
    関東より関西のほうが大きい。当然部屋の大きさも同じ6畳間でも関西が見るからに広い。
    東=「江戸間」サイズ畳=1760 (5尺8寸) X 880ミリ
    西=「京間」サイズ畳=1910 (6尺3寸) X 955ミリ

    ◎「ばか」や「あほ」と呼ぶ地域の中間では?
    これは知る人も多いはずで36年続いているテレビ番組「探偵ナイトスクープ」(朝日放送テレビ制作)で紹介されたもので・・

    東 =「ばか」/ 
    西 =「あほ」/ 中部(愛知県など) =「たわけ」

    その他の例・・

    ◎子供の遊び” 警官と泥棒の捕まえっこ”の呼び名 『T』
    「警察」と「泥棒」のグループに分かれて、警察が泥棒を捕まえて牢屋に入れ、泥棒仲間が助け出すという設定の一種「鬼ごっこ」のような遊びの名前が・・
    東=「ドロケイ」 / 西=「ケイドロ」 / 東北の一部=「助け鬼」 / その他の地では(泥棒と巡査から)「どろじゅん」、「じゅんどろ」や(盗人と探偵から)「ぬすたん」、「ぬけたん」などある。

    ◎子供が何かを選ぶ時の「どれにしようかな 神様の言う通り」の後ろに続く言葉 『T』
    東西に限らず全国各地で多様にあり、東京の中でも「あのなのな」、「なのなのな」、「鉄砲撃ってバンバンバン 玉手箱 薬箱」などがある。

    ◎蚊に血を吸われることを・・ 『T』
    東=「刺される」 / 西=「噛まれる」 / その他地域で「食われる」とも言う。

    ◎銭湯での浴槽と洗い場の位置(下記の傾向が強い)  『T』
    東=浴室最奥の壁(よく富士山の絵が描かれている)に沿って浴槽。
    浴室入ってすぐに洗い場が在る

    西=浴槽が浴室の真ん中に在り、その両側に洗い場が在る。

    ↓関東の銭湯の例 
    1010-e

    ↓関西の銭湯の例
    1010-w

    ◎銭湯建物入り口の”のれん”  『T』
    東=のれん上端に、巾が数センチの布で作った輪っかを等間隔で並べて付けたものに、棒を通す形式で、結果として、のれん上端部には棒が所々に見える。
    西=のれんの上端全体を輪っか状に作り、その中に棒を通すのでのれん上端部の棒は見えない。

    ◎線香花火 『T』
    現在は国内の花火製造会社が減って中国製が多くなったために、日本の東西の違いが薄れてしまっているがまだ残っている特長は・・

    東=多彩な色の着いた紙を棒状に撚ったものの先端に着火して下に向けるも、火の球が落ちないようにして火花を楽しむもの。

    西=麦わらの硬い部分を持ち棒として先端に付いている火薬に着火したら斜め上に向けて火花を楽しむ。
    ↓関東型の線香花火
    senkohnb-e

    ↓関西型の線香花火
    sekohnb-w

    ◎同じ呼称で抑揚にちがい
    多くの単語の発音は概して東では抑揚が無いのにたいして西では抑揚がある。例えば・・

    東=「京橋」:(きょう)・(ば)・(し)の3音が同音程 
    西=「京橋」:(きょう)の音が最も音程が高く、(ば)→(し)と順に低くなる

    しかし東西で逆の場合もある。例えば・・

    東=「(人名の)「山脇」:(や)の次の(ま)の音程が最も高く、(わ)は(や)と同じ高さに下げ→さらに(き)は低くなる
    西=「(人名の)「山脇」:(や)・(ま)・(わ)・(き)の4音が同音程 

    ◎スコップとシャベルの呼び名の違いが東西で逆転?
    まず最初に、私が”土を掘る各種器具”の正しい呼び名を知らなかったのでご紹介しておきます。

    ショベル(シャベル) = 足を乗せる部分があって、足の力を利用して土などを掘る道具。

    スコップ = 足を乗せる部分が無く、手の力だけで土などを主にすくう道具

    移植ゴテ = 手だけで土などを掘ったりすくったりする小型の道具

    ↓スコップとショベル(シャベル) (NHKの「探検ファクトリー」より)
    suko-syobe

    ↓移植ゴテ 
    (NHKの「探検ファクトリー」より)
    isyokugote

    上記のような正しい呼び名があるにもかかわらず、現状は誤認識がある上に、関西と東北では呼び名が逆転しているという混乱状態にある。現状は・・

    北日本=スコップとショベル(シャベル)どちらもスコップと言い、移植ゴテをショベル(シャベル)と言う。

    関西 =移植ゴテをスコップと言い、スコップとショベル(シャベル)どちらもショベル(シャベル)と言う。

    touzai-suko-syo
    (NHKの「探検ファクトリー」より)

    東京など関東では” 関西と東北での呼び方の双方が混在してしまっていてメチャクチャな状態”。

    ◎落語の(元々の)スタイル 『T』
    東(江戸)= 舞台の上の座布団に座るだけの姿で落語を語る。

    西(上方)= 舞台の上の座布団に座る体の前に「見台」(膝隠し)と呼ばれる台を置き、その上に置かれた拍子木や扇子を適時台面を打ち鳴らしながら落語を語る。

    ↓関西落語のスタイル例
    rakugo-w

    『この東西の違いの原因は、江戸では、特に落語を聞きたい人間からお座敷などに呼ばれて、ただ落語を語れば良いだけであったのに対して、上方では神社などの屋外で演じていたために、通りすがりの人などの注意を引くために語りの間に小道具で音をたてて演出する必要があった』 (『』内は「横浜市文化振興財団」の談)

    ◎消防紋章 『T』
    東西で類似していて、いずれも全体を雪の結晶の印象にして、水管や水柱をアレンジしている点は共通しているが少々の違いを出している。

    東=真ん中の部分は太陽を表す。(消防署は地域の太陽のような存在でありたいとして)
    西=真ん中の丸い部分は大きい。

    syoubou-emb

    ◎学校などで履き替える靴類の呼び名
    漫画家の中村ゆきひろ氏が2014年8月27日から28日にかけてツイッター(現X)で各地での” 学校などで履き替える靴類の呼び名”を全国から回答(10数時間で集まる)してもらってマップにまとめたものを発表された。(下図)

    これによって、大まかに関東と関西で比較すれば・・
    関東=うわばき
    関西=うわぐつ

    ・・なのだが日本全国詳細に見れば、単純に東西や都道府県別には分けられないことがわかり、まず関西代表の大阪でさえ、北部はうわばき、南部はうわぐつと称している。

    東北と北海道函館近辺や福井県ではズックと言う。

    和歌山県と名古屋の一部地域ではバレーシューズと言う。

    ubki-map

    その他詳細は下記文章を参照ください。
    uwabaki-i

    ところが現在、後期高齢者である私がかつて東京で過ごした子供時代では”うわばき”とともに”ズック”という表現は普通に使われていた。ただし当時の“ズック”は”うわばき”でもあったが、屋外で使う運動靴も”ズック”と言っていた。これは団塊世代の人に聞いても同じ認識であることを私は確認しているが、それがいつの時代まで続いたのだろうか? 一説には今や”ズック”という言葉は若い世代は使わなくなっているようだが。

    かつて「ズックリン」という洗剤がその商品ラベルに「うわばき、運動靴が まっ白」になるとうたって「ジョンソン株式会社」から発売されて人気があったものの2020年に製造中止となったが、”うわばき”の表現はこの会社の本社が横浜であることから納得できる一方で商品名に”ズック”という言葉を使ったのは、”ズックという表現が東京や横浜など関東?で使われた名残”だったのだろうか。
    zukkurin
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    日本の東西比較については後日また追加します。
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    先日5月7日、シンガー・ソングライターの長渕剛が「肺気胸」を発症して4週間の療養が必要と医師から診断を受けたと発表された。同じ症状は、5月2日にも男子ゴルフプレーヤーの星野陸也が発症してやはり4週間の療養を発表。その他、陸上短距離ランナーの山縣亮太も数年前に発症しているが、「肺気胸」とは・・

    ↓長渕剛(写真は「TBS NEWS DIG」より)
    nagabutipng

    ◎「肺気胸」とは
    吸った空気によって肺の中の「肺のう胞」(はいのうほう)が風船のように膨らんでいる状態の際に何らかの力が加わって破裂して、漏れだした空気が、肺全体を覆っている胸膜との間に溜まり、その分、肺はしぼむ状態になることで、言い方を換えれば”胸の中に隙間ができる”状態。

    kikyou-zu
    (図は「FNNプライム オンライン」より引用に一部加工)

    自覚症状としては、急な胸痛、息切れ、呼吸しづらくなるなど。

    ◎「肺気胸」は2種類
    「自然気胸」 : 特に何もしないのに発症。一部には遺伝体質も影響。
    「突発性気胸」 : 過激な運動、急な動作、衝撃などで発症。

    ◎「肺気胸」になりやすい人は
    昔から言われているのは・・”10代後半から20代にかけての瘦せ型の人”、”女性より男性”
    その他(神奈川県立循環器呼吸器病センター・小倉高志所長によると)
    “60代以上の高齢者や喫煙者にも多い。怖い病気ではないが、再発する人も多い”

    なるほど、長渕は67才、星野は27才、山縣は26才のとき、そして後述しますが私も21才で、従弟も20才で発症していて、しかも皆 男です。

    ◎「肺気胸」治療法
    一般的には”肺のう胞が破れて出来た穴が自然に塞がるのを待つ”が、漏れた空気量が多くて胸膜と肺の間の隙間が大きい場合は「胸腔ドレナージ」と称する”胸表面からドレーン管(チューブ)を刺し入れて空気を抜く”方法がとられる。

    ◎私の「肺気胸」実体験記
    前述のように、私が21才の冬のある日、友人とキャッチボールをしようということになって、まず第1球目から思いっきり投げ始めて、その調子で10分ほどで終えたのですが、その時は体に何の異常もなかった。
    cyatchball

    しかしその帰りに、ある交差点の横断歩道を渡っている際に信号が赤に変わりそうになったので走ったその時、左側の胸の中で”ボック、ボック、ボック”という音がするので、これは何かおかしいと感じたものの、(その時の私の場合は)胸に痛みや息苦しさは全然なかった。

    帰宅後、家族からは「医者に診てもらったほうが良い」と言われ、翌日にかかりつけの医院に行き、診断の結果は「突発性気胸」。当医院では的確な判断と処置ができないので紹介状を書くから大きな病院に行くように言われて受診したのが・・

    中野病院(東京都中野区江古田。平成5年に他の病院と合体されて当地建物は撤去)で、ここは元々 結核治療がメインなのだが、とにかく私も診てもらった結果はやはり「気胸」(当時は「肺気胸」とは言っていなかった)だが、程度が軽いのでこのまま自然に肺のう胞の穴が塞がるのを待つことにされた。

    こうして、勿論過激な運動などせずに静かに過ごしているうちにいつのまにか(2~3か月後?)、飛び跳ねても胸の中で”ボック、ボック、”という音がしなくなったので、治ったのであろうと自己判断した。

    後から思えば、私の肺気胸発症は、冬で日頃 運動不足のところにウォーミングアップも無しに最初から思いっきり投球したのがいけなかったのではないだろうか。

    ◎調合された風邪薬を正しく飲まなかったので酷いめにあった!
    肺気胸発症時に私は風邪をひきかけていたので、咳が出て肺のう胞の穴が大きくなったりしてはまずいということで病院が調合した風邪薬(紙に包まれた粉薬)を処方された。

    私は後期高齢者になった今でこそ毎日10種類の薬を(命にかかわりそうなので)仕方なく飲んでいますが、本来は薬嫌いで当時は日頃 薬を飲むことがなかったために、病院特製の風邪薬をつい飲み忘れてしまった。

    しかし咳が出て肺気胸が悪化してはさすがにマズイと思い、飲み忘れに気づいたのが夜だったがその時点で風邪薬を飲んだ。それも二日続けて同じことをやってしまったが、これがイケナカッタ!

    二日目に薬を飲んだ10~20分後だったかに突然激しい胃痛が起こって、これがとんでもない痛さで、頭の中はただ”痛さだけがある世界“になって他のことは一切考えられない状態になってしまい、思わず掘りごたつ(当時6人家族だったこともありこたつはたたみ一畳分の大きさ)の床(通常、足を置く面)で暫く”のたうちまわっていた”。

    激痛が続く中で、一つだけ思ったのは「これは、腕をナイフで切るより痛い!」・・というほどだった。

    とりあえず常備の胃腸薬を飲み、ほとんど眠れぬままに翌日になり、かかりつけ医院で受診した結果は「急性胃カタル」。原因は” 食後服用”という”薬の服用指示”を守らなかったために”胃にダメージを与えた”結果とされた。

    ※私に与えられた風邪薬は特に強力な成分を調剤した粉薬だったが、普通の市販風邪薬でも胃を傷めるので食後服用は必須。(つまり、空腹時に服用は禁止!)

    医者の指示と処方された薬によって、胃痛はその後徐々に収まり、通常に近い状態にもどったが、完治したと言えるまでにはさらに5年を要した。・・と言うのは、好物のカレーライスを食べると胃痛と腹下しが起きるようになり、それが何とか起きなくなったのが5年ほど後だったから。

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    ウォーミングアップ大切 ! 風邪薬は絶対に食後すぐ服用すべし !
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    余談 : 肺気胸体験から10年ほど後に、スピードガンで投球速度を測れる機会があり、私は86キロだった。大谷翔平の投球速度165キロとはあまりにもかけはなれている! ところで私はうっかりしてウォーミングアップ無しで投げてしまい、「しまった」と思うとともにウォーミングアップしていたらもう少しスピードが出ていたはず・・とも思った次第。
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    ◎寛容の精神があれば騒音苦情は減る!
    以前に、騒音とそれに関する苦情の色々をご紹介した中で、除夜の鐘の音、盆踊り(祭)の音・声、”火の用心”巡回の声、子供たちの遊ぶ声などに対して一部の人から「うるさい」という苦情が出ている事例がありましたが・・
    kousyu-souon
    これらの音や声は人によっては、その人の体質、好み、体調などによって、不快に感じることがあることはわかる。

    しかし一部の人が不快に思うものの、ここにとりあげた事例というものは大多数の人たちが楽しみにし、願いや思いを込め、あるいは皆のためを思って行動することで生まれる音や声であり、年に一度の数時間あるいは数分のことであると言うことに思いをいたせば、ちょっと我慢すれば済むこととして、ここは一つ寛容の精神を発揮すれば苦情となることは抑えられるはず。

    確かに、昔には無かった種類の騒音苦情が出だしたことに対して識者たちからは「騒音に対して不寛容な人が増えている」という声は多い。

    「不寛容」とは・・(何故か私の古い広辞苑第二版には不記載なので)・・「寛容」をみると、「寛大で、よく人をゆるしいれること。咎めだてせぬこと」・・だから「不寛容」はその反対の意味・・別の辞書には「狭量」とあって分かりやすい。つまり「心が狭いこと」。

    「不寛容」は英語で「INTOLERANCE=イントレランス」。「寛容」は「TOLERANCE(トレランス)」。私が「イントレランス」という言葉を知ったのは、ある映画の題名からだった・・

    ◎映画「イントレランス」は映画史に残る傑作
    ちょっと話が飛んでしまいますが、「イントレランス(INTOLERANCE)」という映画があった。この作品は無声映画ながら世界の映画史上に重要な位置を占めると言われ、ストーリー・脚本のうまさ、壮大なスケール、撮影手法などが賞賛されている。米国で1916年(第一次世界大戦中で中立保っていた米国も翌1917年に参戦)に脚本と監督をD.W.グリフィスによって作られた。(日本公開は1919年=大正8年=終戦翌年のベルサイユ条約の年)

    この映画は、不寛容によって起きた悲惨・悲運な物語4編で構成され、それが上映時間3時間の中で各編が並行して進むカタチになっている。その4編とは・・

    ・「バビロン編」・・古代バビロンの滅亡
    ・「ユダヤ編」・・・キリストの処刑(磔刑)
    ・「中世編」・・・・・聖バーソロミューの虐殺(中世フランスの宗教戦争)
    ・「現代編」・・・・・ストライキで失業した青年と乙女の純愛

    ↓映画「イントレランス」の一場面
    (「YouTube 2001 macutio」より)
    christ-jyunan

    movie-intolerance

    ※映画「イントレランス」に日本語字幕・BGMを付加した3時間弱のYouTube↓
    https://www.youtube.com/watch?v=IWlFLgZe6Gg

    ◎原節子がエッセイで不寛容な事例や終戦直後の日本人を嘆いていた!
    映画女優だった原節子(1920=大正9年~2015=平成27年)は小津安二郎監督作品に出演した際の役どころから”静かで控えめな”感じの人の印象が強いが、本人は”強い意志を持ち行動的な”役柄(黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」での大学教授の娘役などか?)を望んでいたと述懐し、(晩年は不明だが)たばこもよく吸っていたことは知られている。
    harasetuko
    石井妙子著「原節子の真実」(新潮文庫)表紙

    もともと学校教員になることを志望して高等女学校に進んだものの家庭の事情で中退して女優になっても、付き人は不要とし、自動車に乗らずに電車と徒歩で撮影所通いをして、電車内では庶民を観察しつつ読書することが多かったそうで、その資質と体験が書かせたであろう硬派的な内容のエッセイが氏の生前に発表されていたものの埋もれていたが死後に再発見された。それは・・

    「想苑」という季刊雑誌(発行=金文堂出版部=福岡県久留米市)の1946(昭和21)年の11月号に「手帳抄」という題名のエッセイで、文芸誌「新潮」の2017年1月号に再掲載された。
    その内容を、「宙 平」という方がネット上で紹介している部分を引用させていただくと・・

    「省線電車。ものすごい混雑。赤ん坊の泣き声と怒声罵声。ぼうとなるほどの人いきれ」そんな中で、突然生暖かい液体が膝から足首にかけて流れるのを感じた。押されて来た婦人の背の赤ん坊のーである。(当ブログ筆者注:省線とは戦前の鉄道省が管轄する国有鉄道線のことで、後の国鉄、現JR。私の祖父は戦後10年近くは「省線」という表現を使っていた)

    赤ん坊は激しく泣き出す。『やかましいぞッ!』 『泣かぬ子と替えてこいッ!』 『うるさいッ、降りろッ!』と、突然『黙れ!うるさければ貴様が降りろ。母親の身にもなってみよ。心で泣いてるぞ!』軍国調に云えば、その声は三軍を叱咤する烈々たる気迫に満ちてゐた。一瞬、車内はシーンと静まってしまった」。
     
    「二等車の中で。その列車が大阪に近づいてくると、一人の青年が座席のビロードの布をナイフで切り取って、自分の靴を磨き始めた。並んでかけてゐる若い女の人は、ただほほえんでゐるばかり」。

    「省線電車の中で。若い娘さんが座席にかけてゐた」その前に乳児を抱いて立っていた若い母親に「どうぞ、抱っこさせてください」と手を差し伸べた。すると隣りにかけていた紳士が『抱いてあげる親切があったら、席を譲り給え、君は若いンじゃないか』と怒鳴った。

    「娘さんは真っ赤になった。『では、お言葉に甘えまして。すみませんわねえ』若い母親はさも嬉しそうに乳児を娘さんに与えた。娘さんはホッとしたように若い母親を見上げてほほえんだ。紳士は『善』を知っていると云えよう。けれども『善』を行へないたぐいであろう」。
     
    「先ごろある会社で「ミス・ニッポン」を募集した。容貌容姿の美が条件の全部。勿論商業政策でしかない。本当は人間として申し分のない人を選ぶことは、金儲けにならないので一度も企画されたことがない。容貌容姿の美しさを主条件とするNO・1を選ぶといふことは、文化の水準を高めるいとなみとは云へない」。
     
    「敗戦前の日本人は、日本人自身をおめでたいほど高く評価していた。日本人は世界で最も優秀な民族であると考へ、自惚れていた。ところが敗戦は、その日本人をひどく自卑的にし、今ではあべこべに日本人は全くなってゐないという声が、はんらんしてゐる」「欠陥の多い日本そして日本人ではあるが、自卑してはいけないと思ふ、日本人はあくまで日本人である。めいめいがなんとかして一日も早くお互いに愉しく生きてゆけるように仕向けようではないかといふ心になって、手近な自分の周囲からその実現につとめなくてはいけないと思ふ。それが大きく結集してはじめて日本全体が住みよく明るい国として育って行くのだと思ふ。敗戦後わたしはいつもそんなことを考えずにゐられない険しい世相の中に生きながら、日本人の誰もが自分とこの祖国を正当に再認識してほしいと念ふのである。日本再建はそこからだとわたしは云ひたい」

    ◎現在もある”電車内赤ちゃん鳴き声”への不寛容実例!
    先日、新聞紙上だったかネット上だったかで、こんな記事が載っていた。
    「新幹線(?)の中のある座席の女性が抱いていた赤ちゃんが泣いては一時泣き止むという状態をくりかえしていたが、その後ろの座席の若い女性が、赤ちゃんが泣き始めるたびに前の座席の背を足で蹴っている姿が周囲の乗客によって目撃されていた」 

    また2017年のネット上に載った話は・・やはり新幹線、ただしグリーン車での出来事を見た人からの情報。
    「新幹線に乗っていると 赤ちゃんを連れた女性が乗ってきました。 赤ちゃんが泣き始めると 女性は急いでデッキへ行き 赤ちゃんを泣き止ませました。 その女性が車両に戻って来ると 近くの男性が せっかく高い金を出してグリーン車に乗っているのに うるさい と 怒った様に言いました。 そこから女性は ずっと立ちっぱなしで デッキにいました。 私が泣き声は気にしませんので 席へ戻るよう言っても 男性が怖いと言ってデッキにいました。 私も妊娠しており あんな事言われたらどうしよう… と 思いました。 男性が怒るのは当然ですか? また注意されたら ずっとデッキにいるべきですか?」

    ◎ドイツには”子供の活動に寛容な条例”がある
    『日本に限らず、かつて、子どもの声や音をめぐる訴訟が相次いだドイツは、法改正で「子どもの声は騒音ではない」と定めた。
    ドイツの法律に詳しい近畿大法学部の石上敬子准教授によると、ドイツでは2011年に連邦法が改正され、子どもの声が騒音規制の対象外になった。14歳未満の児童保育施設や遊戯施設で子どもや世話にあたる大人が発する音声を、「原則として有害な環境作用ではない」と定義。「子どもにやさしい社会」をめざす立法メッセージを示すことが、立法趣旨に掲げられた。

    日本では、東京都が2015年に騒音の規制対象から未就学児の声を外す条例改正をしているが、国レベルとして国会ては、”騒音とは何か“という定義が必要になるなど、法制化の課題は多いのでまだ法制化は検討していない・・という状態。』(『』内は一部「朝日新聞デジタル」より)

    ◎映画「もぐら横丁」の中の“ラジオ騒音”顛末!
    「もぐら横丁」は小説家の尾崎一雄夫婦とその周囲の人々の実生活を基にした映画で監督は清水宏、主演は佐野周二と島崎雪子で1953(昭和28)年公開。

    その中で、日頃近所から聞こえてくるラジオの音が大きすぎて仕事にならないと夫が嘆くので、妻は勇んでその家に出向いて大声で文句を言ったのだが、後日、中風で動けなくなった年寄りの唯一の楽しみがラジオだった(年寄りだから耳が遠いので音量を上げざるをえない)ことを知って、怒鳴って悪いことをしたと思い謝りに行こうとする夫婦であった・・これも寛容精神の現れを描いている。
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    今回の内容に関連して、人生訓?の一つを思い出します・・

    「子供𠮟るな 来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ」
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    先日、JR東日本が京葉線(蘇我~東京)の混雑緩和のためと称して、これまで走らせていた「快速」29本と朝の通勤ラッシュ時の「通勤快速」4本を廃止したダイヤに変更した結果、快速2本を残して、ほとんどが各駅停車になってしまうことになり、利用者や沿線自治体の猛反発と抗議の声がまだ続いている。
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    京葉線車両(「週刊東洋経済web版」より)

    確かに京葉線の朝の”上り”は電車が東京駅に近くなるほど相当に混むことが難点だった。しかし私の知る京葉線の乗客過密度は”昔に私が経験したレベル”に比べれば緩やかなもの。

    かつて東京都豊島区に住んでいた私は文京区にある高校に通うために西武池袋線の東長崎~池袋の間と山手線の池袋~巣鴨の間を利用していた時期、それは今から60年くらい前のことになるが、両線とも電車内過密状態は酷かったので、その状況をご紹介すると・・

    ◎肋骨(アバラ骨)折れそうになるほどの”人圧”の凄さ!
    高校通学のある日の朝、西武池袋線の東長崎駅から二駅先の終点・池袋行きの電車に乗ろうとしたが、いつもの超満員がこの日は特に超々満員状態なので乗車口の”人のかたまり”に向けて、私は1メートルくらい離れた所から勢いをつけて体当たりすると同時に背を反転して、乗車口の上枠にかけた手と床に踏み入れた脚で体を突っ張りながら尻で押し入ってなんとか乗り込めたが・・

    閉まったドアの内側に胸がピタリと付いた体勢(まるで胸部レントゲン撮影時のよう)で、背中側からは強力な”人圧“に押されて全く動けないまま(次駅では反対側ドアが開くので)終点の池袋までの約6分間をその状態で我慢するハメになってしまった。

    ところが電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が驚異的と言うよりも脅威的に増大して、私の胸は硬いドアにさらに押し付けられて(胸囲的圧迫?)肋骨が折れてしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、とにかく池袋駅に到着して電車を降りて危機的状況から開放されたのだが・・


    “胸部の痛み”はその後数時間、その日の午前中いっぱいまでは続いた。
    電車内での胸部圧迫はたった2~3分間だったにもかかわらず、その後の痛みが数時間ということは、車内人圧がいかに凄かったかがお分かりでしょう。
     
    ◎肋骨折れそうになるほどの”人圧”発生原因解明!
    前述のように 電車が池袋に到着する2、3分前に”人圧”が脅威的に増大した事態の原因が、なんとこの文章を綴る直前に判明した(ので私事ながらスッキリした気分になった)次第。・・それは・・

    私が池袋行き西武池袋線の「東長崎」駅で(進行方向の)右側ドアから乗り込んだものの人圧で胸部がドアに圧接⇒次駅の「椎名町」駅では左側ドアが開閉して私は胸部圧接のまま⇒次駅の終点「池袋」までの距離の2/3ほど進行した地点で左に90度以上に曲がるカーブが在り、そこで車内の”人のかたまり”は大きな遠心力によって右側に偏るために、右側端に居る私は”さらなる圧迫”を受けたのだった!下図参照ください!
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    私が勝手に「魔の90度カーブ」と呼ぶその場所は、中学生時代に社会科の先生から「あのカーブでは昔、人が振り落とされることがあった」と教えられてもいた。終戦直後の日本中の列車にはデッキや窓枠に車外からしがみついている人が多い写真をよく見るが、そんな時代の話なのだろうか?そんなわけで電車がここにさしかかると当然のように減速はしているのだが、それでも私は本当に痛い目にあったもの。

    その他にも我が人生で最も過密な電車に乗った時期(60年前頃)に経験したいくつかの事例を紹介します。

    ◎超過密はある面で楽?
    電車内では特に乗降口付近がぎゅうぎゅうな状態になり、乗客どうしの身体が密着するので、つり革など持たず、脚を踏ん張らなくても体が揺れたり倒れたりすることがないし、軽い鞄などは手で持たなくても”人と人の間で”宙に浮かせることができた。現在のような中途半端な混雑状態ではこうはならない。

    ◎電車の窓ガラスが人圧で割れることたびたび!!
    私が通学に利用した山手線の池袋~巣鴨の間でも電車内過密状態は酷く、”超満員の人の圧力で(ドア付近の)ガラスがパリンという音とともに割れる音が頻繁に聞こえた”・・ガラスが割れたのを見ることなど人のかたまりにさえぎられて到底できず音で知るしかなかったというわけです。(電車用のガラスの強度は今昔で若干の差があったかも知れないとしてもやはり人圧はすごかった)

    ◎私は口紅を付けられた!
    ある日のこと、ぎゅうぎゅう詰めで身動きはできない状態で、何か人の顔が私の学生服の後ろ肩に触れたようなので気になって後で見てみたら”みごとに口紅の跡が付いていた”ということがあった。黒地にピンクは目立つのに駅から学校までの徒歩15分の間に級友に気が付かれなかったようで助かった。

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    大昔と違ってその当時はすでに「おちない口紅」(実際は”おちにくい”)が普及していたのだが・・

    ◎目的駅で降りられぬ人も多かった
    電車の乗降口付近はどうしても人が過密になるので、車掌によるアナウンスの「入り口付近より中にお進みください」に従っていたら、自分が降りようとする駅に着いても人のかたまりに邪魔されて降車失敗する。当時「降りまーす、降りまーす」という声はしょっちゅう聞かれたが、望み通りに降りることができない人も多かった。このような状態を知った人たちが目的駅での降車失敗をさけるために、電車乗降口付近に留まるためますます過密になる悪循環は続いた。

    ◎「尻押し部隊」活躍
    満員電車に乗り込むのに苦労している人の体を車内に押し込む作業をする「尻押し部隊」(俗称で他にも呼び名あり)は1955(昭和30)年に旧国鉄(現JR)新宿駅で初登場。その後乗降客の多い駅に普及して、私も押された経験は何度かありますが、実際は”尻を押すわけにはいかない”ので背中を押すもので、その他に、閉まりかけたドアからはみ出たバッグや服も押し込む役目もある。これを行うのは駅員の他に学生アルバイトも多いらしい。

    ◎痴漢の冤罪さけるために両手を上げる人いるが・・
    痴漢の疑いをかけられることを避けるために、自分の両手の指先があごのあたりにくるように、よく医療モノの映画やドラマで執刀医が手術直前にする”手上げ?”と同じような格好をする人がたまにいるが、
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    この行為は超過密状態ではむしろできない。なぜなら自分の手さえ動かせないし、無理に動かそうとするとその動きが疑われることになる。むしろその行為による”曲げた肘”が他人に当たって痛みを与えてしまうから迷惑行為になってしまう・・というわけで、この”手上げ”行為が可能な状態というのは”手が自由に動かせる程度の混雑時”となる。

    ◎昔のような乗客超過密な電車が無くなった理由は?
    ・鉄道路線が増えた
    特に東京圏では地下鉄網が増大して、1960年代末時点では銀座線、丸ノ内線、荻窪線(後の丸ノ内線の一部)、日比谷線、都営地下鉄浅草線が存在していたが、その後に増えたのが東西線、千代田線、有楽町線、南北線、半蔵門線、副都心線、都営三田線、都営新宿線、都営大江戸線。
    地下鉄以外ではJR埼京線、JR京葉線、都営舎人ライナー などが増えた。

    一方で路面電車の都電は1972年に荒川線を除いて全て廃止されたが、乗員輸送力への影響は少なかった?。

    ・その他、通勤・通学客自体が減少した要因としては・・オフィスや工場の郊外や地方への移転、フレックスタイム制導入増加、リモートワーク増加、少子化による学生の通学者減少などがあげられている。
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    悲話 : これもおよそ60年前のこと、通学のために前出の西武池袋線「東長崎」駅で、ホームに到着した池袋行き電車の先頭車両に乗り込もうとしたら、とんでもなく乗客過密で、いつものように力任せにわが身を突進させても”人のかたまり(これも「団塊」と言えようか?)”に跳ね返されてどうしても乗車は無理とあきらめた瞬間、ふと見ると車内になんと高校のクラスメートしかも日頃ちょっと気になる女子がいて顔が合ってしまった、と言うより私が乗車失敗する様子を見ていたようで、恥ずかしいやら悲しいやらの思いを抱きながら一本後の電車になんとか乗れたのでありました。ちなみに彼女は7つ前の駅から乗車していたので比較的楽に乗車できていたのだった。

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    ※参考
    ↓写真は京葉線の始発駅「蘇我」で発車直前の各駅停車用の車内で、ダイヤ改正後間もない4月3日(平日)午前6時45分頃に私が撮影したもの。その後終着駅「東京」近くになっても(十分に通勤ラッシュ時間帯になっているが)混雑度は、かつての私の経験に比べれば「大したことはないレベル」。ただしそれがダイヤ改変の影響なのかは分かりませんが・・
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    ◎冬の我が家にゴキブリ出現
    ゴキブリは冬には見かけないものだが、今年2月の初め、一年の内で最も寒い時期なのに我が家の廊下を這っているゴキブリ発見!
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    (大日本除虫菊(株)のHPより)

    さすがにヨタヨタと歩いている感じだったので、難なく捕まえて処分しましたが、私が千葉県のこの地に住み始めてから43年の間、冬にゴキブリ出たのは初めてで、やはり特に今季は暖冬だからと妙に納得した次第。

    そう言えばこの冬(3月初旬までのところ)には庭の小さな池には薄い氷がたった2回しか張っていない。例年なら一冬に10回は凍っている。寒冷地で天然氷を作っている所や天然アイススケート場では今年うまく氷が出来ずに困っているニュースが流れた。

    思えば、今から70年くらい前のこと、私がかつて住んでいた東京の豊島区のある池でさえ”大人が乗っても割れなかったほどの厚い氷”が張っていたし、20センチくらいの氷柱(つらら)も度々出来ていたことからすれば気候温暖化が進んだと感じます。

    ◎”生きた化石”と言われるゴキブリ
    シーラカンスやイチョウばかりでなくゴキブリも”生きた化石”と言われるゆえんは、地球上に現れたのが3億年前と言われ、6600万年前に(現在のメキシコのユカタン半島あたりに)小惑星(あるいは巨大隕石とも言われる)が衝突した結果、舞い上がった塵や発生したガスなどが地球を覆ったために太陽光がさえぎられて寒冷化し恐竜たちが絶滅しても、ほんの一部の小動物とともにゴキブリは生き延びてきたから。
    現在、ゴキブリは世界中に4000種あり、日本には40種。その内でも私がよく見かけるのは、クロゴキブリとチャバネゴキブリで、冒頭に登場した冬の我が家に出たのは前者。
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    (大日本除虫菊(株)のHPより)

    ◎頑強かと言えばそうでもないゴキブリ
    我々の認識では、ゴキブリは暖かな季節に活動が活発になるし、事実20~32度Cが適温であるそうだが、それより高温になると致命的になり、35度でダウンして42度になると体内の蛋白質が固まって死んでしまう。そう言えば高温では蚊も活動しなくなるところは似ているか?
    またゴキブリは乾燥も苦手。ゆえに水分を求めるから水気の多いキッチンに出没することも多い。

    ◎ゴキブリは飛ぶ !
    普通は這いまわる姿しか見ないゴキブリですが、私が中学生の夏のこと、2階の部屋で窓を開けて勉強していたところ、突然黒っぽい何かが窓の外から飛び込んで来てノートだったかに止まったので、驚いて見てみたら大きいゴキブリだった。それをどう処理したかは記憶にないが、とにかくゴキブリというものは飛ぶものでもあると知った次第。

    ・・ということは・・(我が家とはちがう)立派な高気密の邸宅であっても、窓を開けていればゴキブリが飛んで侵入することもあるということで、私の経験では、ある大きなホテルの”窓が開閉できる客室”の床を這っていたのは”飛んできた”ゴキブリだったのではないかと思われることがありました。

    ◎ゴキブリを私の弟は昆虫標本にしていた !
    ゴキブリは脚が6本あり確かに昆虫なので、昆虫採集に夢中になっていた”私の弟“が小学5,6年だったかの夏休みにたまたま捕まえたゴキブリを他の蝶々やカナブンと一緒に昆虫標本にしていた。

    ◎ゴキブリは病原菌の運び屋と知られて触られなくなった!
    1960年代後半(だったか)になると、まず「ゴキブリは小児マヒ(現在で言うポリオ)の原因となるウイルスを持っている」という警告的な情報がマスコミから流れるようになって、それからはゴキブリはさわってはいけない存在になったので、前述のような” ゴキブリを手で触りながら昆虫標本にする”ことはできなくなった。

    元々、暗くじめじめしてしかも栄養豊富な下水道などを好んで多く棲むゴキブリは、ポリオだけでなく多くの病原菌・ウイルス(サルモネラ菌、赤痢菌、黄色ブドウ球菌、O157など)を身に着けて這いまわることが、その後に発表されるようになってますます触れなくなった。おまけにゴキブリの糞にも含まれるそうなので、これも注意が必要。

    ◎ゴキブリは耳の穴にも入り込む!
    暗く狭く暖かい耳の穴はゴキブリには絶好の棲みかとなるようで、ゴキブリが入り込む症例?が日本だけではなく世界中でゴキブリの生息地であれば発生しているそうです。

    その場合のゴキブリはまだ小さい子供が多いのでしょうが、小型種の大人もいることは間違いなく、何故ならば”耳穴”に卵を産み付けられた例もあるからです。

    実は耳穴に入り込む虫はゴキブリだけでなく、他にクモ、蚊、ハエ、ダニ、ムカデなどがあり、これらをまとめて医学用語では「外耳道有生異物」と言うそうです。当然のようにこれらは耳穴のみならず鼻穴、口中などにも入ることがある。

    ◎キッチンのゴキブリは液体洗剤で・・
    食器や食材があるキッチンでゴキブリを見つけた場合、薬剤をスプレーするわけにはいかないので、私はキッチン用液体洗剤をゴキブリめがけてピュっとかけると、一瞬で絶命?するのか動かなくなるので安全に処理できます。

    調べたらゴキブリは腹にある気門で呼吸していて、これが液体洗剤などで塞がれるとダウンすることがわかりました。

    ただし最近のキッチン用液体洗剤は濃縮タイプなのでゴキブリ退治用に使うのはもったいないので薄めた液を用意したいところ。

    ◎家電メーカーはゴキブリ対策に苦慮 !
    暖かくて水分がある状態になる電気製品は特にゴキブリ対策に悩まされる。
    食器乾燥機は温熱部位があり、しかも水滴受け容器があり、また食器が完全に乾くまでは水分も存在するという”ゴキブリにとっては快適な機器”となるので、ゴキブリの侵入や棲みつくのを防ぐ設計に苦労する。
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    そのため、某電機メーカーの製品設計者は”ゴキブリ100万匹を飼育して生態などを研究している”ことで有名な「アース製薬の赤穂研究所」に出向いて教えを乞うて”電気製品へのゴキブリ侵入防止対策”を練ったと言う。具体的には機器の放熱孔、通気孔などの形状や位置の適切な設計などに応用されている。

    その他、エアコンの本体の中にゴキブリ侵入の例も多く、その侵入経路には屋外にのびるドレンホースの先端からのことが多く、特にその先端が地面に着いている場合が多いとのこと。

    ◎ラテン音楽の「ラ・クカラーチャ」はゴキブリの歌 !
    「クカラーチャ」とはスペイン語で「ゴキブリ」のこと。(「ラ=la」はスペイン語で女性名詞単数の前に付く定冠詞で、英語では「the」に当たるもの)

    「ラ・クカラーチャ」は元歌がメキシコ民謡で作曲者は不明。同じ題名、メロディでも歌詞が異なるいくつもの歌が存在していて、その中の一つとして”ラテンアメリカ最初の民主革命と言われるメキシコ革命が1910年から約20年間続いた中で活躍した一人であるビリャが率いる軍隊の中で歌われたもの”があり、その歌の中の歌詞では自分たちをゴキブリに例えている。
    →「ラ・クカラーチャ」=https://www.youtube.com/watch?v=fCR-xDOwlZY

    この歌、日本では「車にゆられて」という曲名がつけられて歌詞は牧場の仕事の様子を表したような内容となり、「ラクカラーチャ」という言葉は単なる合いの手・掛声的に挿入されたカタチで1963年にNHK「みんなの歌」として流されてから以降、一部の学校でも歌われるようになっているそうです。

    ところで「クカラーチャ」は英語では「コックローチ」なので、その語感からして互いに関係した言葉ということがわかりますが、こういうケースでは双方ともが、ある一つのラテン語から出ている場合も多いものの、もしもラテン語由来ではないとすれば、私は英語の「コックローチ」が中南米に到ってからなまって「クカラーチャ」になったと考えていたところ、実態はその逆で、「クカラーチャ」が英語圏に到って「コックローチ」になったとのこと。

    ちなみに私事ながら、私が英語の「コックローチ」という単語を覚えたのは、1977(昭和52)年に大日本除虫菊株式会社から「金鳥コックローチS」というゴキブリ用殺虫剤スプレーが発売されたからでした。(現在は「金鳥コックローチ ゴキブリがいなくなるスプレー」という名の商品になっている)
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    前々回、前回と騒音について綴りましたが、実は私自身が”気づかぬうちに騒音源となっていた”ことがありました。それは・・
    ◎スピーカーからの音楽で隣から怒鳴り込まれた! 
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    私が勤務地の大阪でアパート※暮らしを始めた1970年代初め、その自宅で聴くレコードなどの音楽の音量には気をつけていたつもりだったのですが、ある日の夜7時頃のこと お隣のご主人が「うるさい」と言って怒鳴り込んできました。

    つまり、私は隣宅の人にとっては騒音となる音を出していたわけですが、なぜこんな事態になったのかを考えてみたら、複合要因があったのです。 それは・・

    (1) 隣宅との境が防音・遮音性が十分でない塗り壁1枚では”お隣は隣室と同じようなもの”という認識が私には無かった。

    (2)(上記と密接に関連しますが)私はそれ以前には戸建て住宅にしか住んだことがなかったので、集合住宅の”音の問題”を知らずに、戸建てで聴いていた音量基準では大きすぎた。

    (3)夏だったので(2階角部屋の)窓という窓を全て開放した上で扇風機を最大風量にしていたために、聴いている音楽が風音でかき消され気味だったので、従来よりも音量を少し大きくしてしまっていた。

    (4)隣宅のご主人の職業がタクシーの運転手なので、勤務時間の関係で睡眠時間帯が一般とはちがっていることがあって”私が出していた音が聞こえて眠れないことが多々ある”ということを後で奥さんから聞いた。
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    ※当時私が住んだアパートは関西独特の呼び名である「文化住宅」という種類の集合住宅で、1950年代から出現した木造モルタル(多くは2階建て)造りで各戸ごとに台所とトイレがついている形態だった。

    ◎いびきがうるさいから(無言で)座席背もたれを後ろから蹴られた!
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    右写真はYahoo newsより引用)

    私が50才代なかばのある日に、出張で新幹線に乗って東京から大阪に向かう途中、いつものように眠っていたら突然座席背もたれの後ろからガーンと強く(たぶん)蹴られて目が覚めた。

    とっさに私は自分のイビキがうるさかったからと理解した。そう判断する材料となる事態が過去にも新幹線内であったからで、その際は新大阪から乗り、東京に列車が到着すると横に座っていた高齢男性に「イビキがうるさくてたまらなかったよ」と文句を言われたのだった。いずれも私のイビキは騒音レベルだったようです。

    その他にも通勤電車の中で眠っていて隣の人から私の脇を小突かれたり、腕にギューっと圧力を加えられることがあったのは、その当時は”何でそんなことをされるのか”に鈍感だったものですが、それは私のイビキがうるさかったからだったということに後年にやっと気が付いたのでした。

    ※その後、私は自分のイビキ解消または抑制する方法を体得して、騒音問題ほぼ解決したのですが、長くなるので詳細は後述します。

    ◎いかなる音も騒音になる可能性がある!
    条件の違いによってあるいは人によって、ある音が騒音になったりならなかったりするもので、それは大音量はもちろん、小さな音量でも起こります。

    (1)ある音や音楽を騒音と感じる人と感じない人がいる

    A)生理的に好・嫌が分かれる例
    ・前回にもとりあげた”風鈴の音”が好例。
    ・昔、私の弟がレコードで”グレゴリオ聖歌”を好んでよく聴いていたが、祖母は「ご詠歌みたいだからやめてちょうだい」と苦情を言っていた。
    グレゴリオ聖歌の例:https://www.youtube.com/watch?v=fKLxgRH95Ns

    B)“コーホート”(ある年代の社会を経験しているある世代集団)によって好・嫌が分かれる例
    ・近所の公園や通路で遊ぶ子供の声・・近年に生まれた世代と比べると3.5倍も仲間の人数が多かった団塊の世代(出生数比較:1949年=269万人/2023年=76万人) が育った時代は公園、広場や路地で遊ぶ子の数は今の時代より当然多かったし、比例して騒ぐ声も多かった。
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    (団塊世代直前の世代である私が通った小学校(東京・豊島区)さえも1学級に児童平均60人、それが6学級あり1学年で計360人だったが、他の地域ではもっと多い児童数の学校があった)

    そのように、子供仲間が騒ぐ声が聞こえるということが日常であった団塊の世代やそれに近い世代は、その後近年に至るまで”子供が近所で騒ぐ声”をうるさいと感じる人が少ないどころか私のように”むしろ、子供のさわぐ声が聞こえなくなったら寂しいくらいで、さらにこれは少子化問題深刻、日本消滅へ向かう”ことの表われであると感じるから、その意味でも”子供の声歓迎”と思う人も少なからずいるのでは?

    C)喧噪の環境で育ったか否か(田舎?)
    都会のような喧騒に包まれ、あるいは慣れ親しんで育った人たちにとってそれは騒音とは感じなくても、静かな環境で育った人には騒音と感じることが多いもの。

    逆に、都会育ちの人は、里山で田んぼの蛙の合唱がうるさいとか池のウシガエルのボオ・ボオ・ボオという合唱がうるさい。その他セミの声も・・ということでこれが騒音に感じる例がある。

    蛇足ながら、一般常識では騒音なのに私はそれをむしろ快音と感じていたのが・・東京の昔の新宿の街の喧騒の中でも、道ゆく人の頭上から有線放送の声がふりそそいでいっそう賑やかさを増していた”音の風景”でした。‥その有線放送から流れていた(映画館の上映案内の)ナレーションの出だし部分の
    「ブリット、ブリット、スティーブマックイーン主演の・・」がなぜか記憶に残っている。(「ブリット」:1968年公開の米国映画)
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    この新宿の街の有線放送が今でもあることが先日のテレビで知ることができました。・・それは最近「鳥貴族」という名の有名な焼鳥居酒屋チェーン店の新宿店の類似店が”客引き人”を使って客をだまして誘導する悪行が発覚したことをうけて、有線放送で注意を呼び掛ける音声が流れていたから。

    (2)同じ人の中で、その時の精神的や肉体的状態によって騒音にも非騒音にもなる
    A)好きな音楽が場合によって逆に騒音(的)に聴こえる例
    小説家などが執筆作業する際に、静寂な環境の中でよりもそこそこざわついている喫茶店でのほうが効率が上がるという人も少なからずいますが、それと同様な目的で何か音楽を聴きながら作業する人の中には、自分好みのジャンルの音楽が聞こえてくると、そちらにも意識が行ってしまい邪魔になるから、それは一種の騒音になってしまうものなので逆に嫌いなジャンルの音楽が聞こえていたほうが意識に入らないから好ましいことになるそうだ。

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    B)病気の時、イライラしている時、受験勉強などで難問を解いている時などは、通常は普通に聞く音楽や話し声が騒音化するもの
    iraira
    ・・昔、隣家の高校生の息子さんが、普段は温和なのだが、ある時に2階の(たぶん勉強部屋の)窓から、道を歩きながら会話している小学生数人のグループに向かって「うるさい!」と珍しく怒鳴っていたことがありました。

    (3)時間帯によって(地域によって)騒音化する例
    ・横断用信号音の音
    onkyousingouki
    横断中に鳴るピヨピヨなどの音を出すタイプの信号は正式には音響信号機と言い、主に視覚障がい者に便利なように、メロディ(「通りゃんせ」や「夕焼け小焼け」など)または擬音(「ピヨ」や「カッコー」)の音で横断歩道が青信号状態を知らせるものだが・・

    その音が都会の喧騒の中で鳴るのは問題ないが、住宅地では昼間はほぼ問題ないものの夜間では音が周囲の音環境の中では相対的には大きく感じてしまうことになる。

    しかもこの音響信号機が採用され始めた当初は「メロディ式」でしかも誰でもが知っている曲なので、住宅地などで少しでも聞こえるとどうしてもメロディと歌詞をアタマの中で追ってしまうので、その近辺の住民にとっては”夜間の騒音化”してしまう事態が起きていたので苦情も少なからず出ていた。

    ・・ということで現在は新規設置するものはすべて「擬音式」になっていて「メロディ式」は全国で2%しか残っていない。

    騒音苦情が出たある地域では夜間には音響信号機を停止したところ、ある夜に視覚障がい者がクルマにはねられてしまったという弊害も起こっている。そこは夜間でも昼間より音量を下げた擬音タイプの音を出すべきでしょう。

    (4)タブー音も騒音のうち
    騒音イコール望まれない音であるという解釈からすれば、音の大小に関係なく”嫌われる音”は騒音。

    A)”夜の口笛”・・昔から夜に口笛を吹くと「蛇が出る」、「人さらいが来る」、「泥棒が入る」などと言われて、その行為はしてはいけないという言い伝えがあり、(その理由はここでは省略しますが)とにかくこれを信じる人たちにとっては”夜の口笛が騒音”になる。

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    松竹DVDより

    B)”音のマナー違反”・・食事の際の”皿とカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーンなど)が当たる音”、”咀嚼音”、”ゲップ音”そして外国人にとっては”麺類をすする音(これを最近では「ヌーハラ」と言うそうです)” などは一種の騒音となる。
    nuuhara
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    私の場合の”イビキ解消法”・・まずこれは多くの人に共通することですが、普通に寝る場合は横向きに寝るのが原則。仰向けではイビキを書きやすくなると同時に睡眠中に唾液が気管に流れ込んで誤嚥性肺炎になる危険もある。

    そしてイビキ解消法は・・”眠る際は下あごを上あごより前に出す”こと言い換えれば下側の歯列が上側の歯列よりも前にせり出た状態にすること。
    これによって眠っている際の気道が塞がれないようになってイビキが発生しない(しにくい)ことになる。
    このあごの前後関係を維持するのは最初は努力が必要だが、日中でも意識的に”下あごを前に”をこころがければ、そのうちにほぼ無意識にもできるようになり、この状態は入眠後も保てるよう(ここは確信できませんが)です。

    この方法が顕著な効果を示すのが、乗り物(電車、新幹線、バスなど)に乗って眠る際やソファに座って居眠りする際で、もうイビキをかかなくなります。(この効果を出すためにもう一つ必要な事は太っていないことです)

    “下あご前出し”状態維持がどうしてもできない方は病院で”(睡眠時無呼吸防止用)マウスピース”を作ってもらうのがよいでしょう。(マウスピースそのものの製作代は3割負担で1万5千円程度)
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    騒音関連のお話 次回にも続けます
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    前回、最近の日本での騒音苦情の事例をあげてみましたが、冬ならではの例、その他の例を追加紹介します。
    ◎「雪かきの音がうるさい」・・という苦情
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    その音とは「ゴーリ、ゴーリ」というような音であり、雪かきをする際に金属またはプラスチックのスコップ(シャベル)やスノウダンプ(上イラスト右側)が地面(最近はたいていアスファルト舗装面)に擦れて必ず発生する音。

    勿論、降雪が多い地域では必要な作業なのですが、”深夜または早朝の雪かき音による安眠妨害”への苦情が非常に多い。

    具体的には、”深夜2時、3時”や”早朝5時”の雪かき作業を平均30分くらい続けるのでその音で眠っていられないという声が多発。

    中には、深夜にエンジン式の家庭用除雪機※を使う人もいて大迷惑だが、豪雪地域では自治体が大型除雪車を深夜でも稼働させることがあり、これは各家庭前の道路をサーっと通り過ぎるので苦情は出ないそうだ。 ※電動の静音タイプ除雪機は販売されているのだが・・

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    北海道の河西郡芽室町では公害防止条例で「夜間(22時~6時)にあっては付近の静穏を害する行為をしてはならない」と定めているため、これをもって違反者を出さないようにしている。

    ◎「『火の用心』の見回りの掛け声がうるさい」という苦情
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    昔から全国的に行われてきたカタチは、夜間に数人が一団となって「火の用心(ひのよーじん)」と大声を出し、拍子木をカッチ、カッチと打ち鳴らすことを繰り返しながら地域を歩き回る・・というもので主に空気が乾燥しかつ暖房などで火を使うことが多い冬の期間中に行われるもの。

    私がかつて暮らした東京都豊島区の町では、昭和20~40年代(その後は知りませんが)には「火の用心! マッチ一本火事のもと!」と言っていた。またその一団は大人一人が付いた子供数人で構成していた。
    しかし現在はこの”火の用心巡回”を行う地域が減っているそうで、その理由は・・子供が減った社会では寒い中での高齢者が行う訳にもいかないこと。巡回担当が持ち回り義務になっている地域ではその負担への不満充満。
    そして”火の用心巡回”の掛声がうるさいという苦情も多いこと。

    ・・というわけで長年の慣習を廃止する地域が多いものの、超高齢社会の最近では住宅火災で焼死するお年寄りのなんと多いことか。むしろ東京都の東部の住宅密集かつ道幅が狭く消防車到達困難地域では”火の用心巡回”を消滅させてはならないという意識が若年・壮年にも強い。

    この巡回にはもう一つ同時に、不審火・不審者防止という効果があることも見逃せない。

    次善の策として”声は出さずに拍子木だけ叩いてまわる” “消防団員のボランティアが実行” “(私の住む地域では冬季のみに)消防車が鐘(電子音)を「カン、カーン」と5秒ごとに鳴らしながら巡回”などで対応している。
    syoubousya

    その他、生活音の範疇に入るもので騒音苦情として多いのは・・

    ◎飼い犬の吠え声
    inuhoe
    犬の吠える単発の声(ワンと一声くらい)には我慢できても、連続して吠える、年がら年中吠える声は万人がうるさいと思うもので、それも屋外の犬小屋で飼っている犬の場合は酷くなり、これを飼い主が放置しておけば隣近所から苦情が出ること必至。

    私の近所では、犬の吠え声への苦情が原因で2軒の間が絶交していました。(その後、犬の家は転居) また、昔に私の祖父の家の犬小屋で飼っていたほとんど吠えない犬に「うるさい」と苦情を言ってきた隣家がありましたが、これは余程の犬嫌いだったのでしょう。

    以前のブログに書いたことがありますが、昔 私が警察無線を傍受出来ていた時期には「住所〇〇の〇〇という家の横を通るたびにこの家の犬が吠えてうるさい」という苦情の訴えがあるので現場に向かえという指令を警視庁からパトカーへ伝えていたことがありました。

    これまた昔の話ですが、日本ではかつて「スピッツ」(正式犬種名:日本スピッツ/下写真)という”フワフワ白毛で耳ピンと立ちちょっとかわいい顔”をした中型犬がもてはやされた時代があって、先述の祖父の家でも飼っていたことがありますが、この犬、キャンキャンとよく吠える性格と抜け毛が多めであるのが欠点で、それ故に全国で次第に飼われることが少なくなってしまいました。(ただし、最近は比較的おとなしくなるように品種改良しているとのこと)
    spittu
    (↑
    写真はウエブマガジン「いぬのきもち」より引用) 

    ◎風鈴の音
    fuurin

    風鈴はガラス製、陶磁器製、鋳鉄製などがありますが、いずれも風によってチリン・チリンという音がするものですが、決して大きな音ではないものの・・

    まず問題はこの”風鈴の音そのものが人によって好き嫌いが分かれることで、嫌いな人にとっては騒音となっていること。

    もう一つは、”風鈴が強風のもとでは強い音でしかも途切れることなく鳴り続ければうるさい”と誰でもが(通常の風鈴音が好きな人でさえも)騒音と感じること。・・実際の例では夏を過ぎても風鈴を”ひっこめる”ことをしないで台風や、木枯らしが吹いてもほったらかしの家が少なからずある。

    ◎騒音になり得る音環境の概念図
    ここで、前回と今回でとりあげてきた”騒音になり得る音環境”を整理して下図のようにしてみました。
    <直接音>対面して話される声、怒鳴る声 / 同じ部屋や電車やバスの中で騒ぐ声など
    <隣接音>隣室・隣家の人の声や足音、家電機器音、ペット声、風鈴音など。いわゆる生活音。
    <周囲音>隣接または極近隣の公園、駐車場、道路駐車、保育園・幼稚園・小学校などからの声や音。
    <公害音>万人が確定的に騒音と感じる音なので各種法や条例で規制あり。工場や工事現場の稼働音、自動車類総体の走行音、航空機音など。
    <公共音>多くの人への素早い情報伝達のために必要な”地域有線放送”、地域住民が楽しみにしている伝統の行事や祭りの音、年に一度の除夜の鐘、”火の用心”の巡回音など。
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    その他、騒音に関して私が体験したエピソードなどは次回に・・
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    (1)多くの寺が除夜の鐘に苦慮
    昨2023年の大晦日、『東京都のある寺では除夜の鐘をつくことをやめた。
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    この寺では昔から、毎月1日と15日の午前5時に鐘をついてきていたが、5月に「鐘の音がうるさい」という苦情がよせられたと警察から連絡があったので、以後は鐘を打つ回数を減らしていたが、11月になって鐘をついた数時間後に、墓地に備え付けの手桶30個がすべて燃やされてしまった。

    ・・というわけで、寺の鐘の音に不満をもつ人と対話して良案を求めたいが、それもできないままでは今後のエスカレートも心配なのでやむなく日常の鐘つきと除夜の鐘つきを中止にしたのだった。

    また別の寺では、苦情が出ることが予想されるご時世になったので、予防措置として自主的に”除夜の鐘はコンと打つ”だけにとどめるようにした。』 (『』内は毎日新聞ウエブ版2023.12.31より抜粋)

    私の住む千葉県の圓明院というお寺でも、除夜の鐘は騒音苦情対策かつ高齢者と子供が参加しやすい時間として午後4時からつき始めている。

    (2)盆踊りの太鼓の音や音頭の歌声に苦情も !
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    盆踊り(夏祭り、秋祭りなど)開催にあたって主催者側は開催前に管轄警察や近隣への断りを入れていても、最近は音がうるさいという苦情が出ているケースも増えているようで・・

    『太鼓の”打つ面“の反対側の面に分厚い布を張って音を弱めたり、音量を抑えた電子太鼓を使うところも出ている。』 (『』内 同前)

    私の住む地域では盆踊りそのものの開催を従来は2日間、午後3時から午後10時までだったものを、段階的に日時を短縮するようになって最終的に、開催は1日限り、しかも午後9時までになってしまった。

    (3)子供騒音苦情で公園廃止事例が発生
    昨2023年3月末に、長野市のある公園が廃止されたが、その理由を市は「隣接する住宅の一軒から『子供たちの声がうるさい』という苦情が出ているため」と説明した。

    child-in-park
    この報道がマスコミから流されたとたんに、この苦情主への批判が多数(賛同も若干)SNS上などに寄せられた。同時に氏名と身分を特定して公開され、いやがらせの電話あり、頼みもしない住宅メーカーのパンフレットが送付された。

    週刊誌の取材において苦情主が語ったことには・・「子供たちが公園で遊ぶこと自体に反対しているわけでもなく、ただあまりにもうるさく、雨戸を閉めても効果ないほどで、しかも禁止されている球技をしてボールの打球音やサッカーボールを蹴る音がこれもうるさい。

    さらに近所に在る児童センターがウイークデーの午後3時から5時くらいまで約50人の児童をひきつれて遊ばせる時間帯が特にうるさい。おまけにこれら児童の親が送迎するために付近にとめたクルマのエンジンをストップしないのでこれもうるさい。

    このような状況なのでこの苦情主は自ら、ボール遊びの子供たちには都度”公園の規則を守るよう”に言い聞かせており、児童センターにも対処改善を申し入れしたりしていたが一向にらちが明かなかった。」

    そもそもこの公園に隣接する住宅でこの苦情者宅以外は日中不在なので苦情が発生しなかったようで、結局は苦情者宅の奥さんが「18年間我慢してきていたが、主人が前年に定年退職して在宅でリモートワークを始めたところ、この日中のうるささをあらためて主人が強く実感するようになったため、市に訴えた」・・のだそうです。

    (4)電車内で騒ぐ自分の子供放任を主張の”「おやおや」な親”登場!
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    数年前にマスコミによって紹介された事例ですが・・電車内で騒ぐ子供に向かって、ある高齢男性が”うるさいことを注意“したら、その子の親がこう言い放った・・

    「子供は泣いたり騒いだりするのが仕事。うちでは周りに迷惑をかけるなという躾はしていない。
    あなたの価値観を子供に押し付けないでください」

    もうこの親の言動にあきれるやら、悲しいやら。 その親自ら「・・という躾はしていない」と言って、その言葉どおり躾ができていないし、これは価値観以前の問題であるということが分かっていないので思考回路が疑われる。

    ここでちょっと話は飛びますが・・やはり数年前に、児童が学校給食で食事前に「いただきます」と唱和することにたいして、ある親が「給食費を払っているのに『いただきます』という必要がないではないか」と学校にクレームをつけた事例があったが、その親も「いただきます」の本当の意味を考えることができないことを世間にさらけ出していた・・ことが思い出されます。

    ◎「騒音」とは何なのだろうか?
    「騒音」とは「望ましくない音」である。
    ・・という説明がみられるが、確かに”大音量で長時間継続する音”、例えば工場・事業場騒音、交通騒音、建設作業騒音などは万人が望まないものなので各種法令や条例で規制されているが・・

    では”大音量だが短時間継続、しかも年に1回かつ決まった日にしか出ない除夜の鐘や盆踊りの音は、大多数の人が望む行動にともなって発生する望ましい音であり、望まない人は少ないのに、これを騒音と呼ぶものだろうか?

    一方で大音量ではないものの、音によっては”望ましくないか否か”は”時と場所と人”によって異なるものがあり、それが生活騒音とされる部類に多く例えば、東京都環境局の5分類によると・・

    ・家庭用機器からの騒音:冷蔵庫、掃除機音など
    ・家庭用設備、住宅構造面からの騒音:ドア開閉音など
    ・音響機器からの音:ピアノ、カラオケ、ステレオ、テレビなど
    ・生活行動に伴う音:話し声、足音、食器の音など
    ・その他:ペットの鳴き声、風鈴、建物外から入る自動車の音(クラクション、エンジン音、タイヤ音)など

    ※これら5分類生活騒音についての実例やエピソードが(私が経験した事例だけでも)多くあるのですが、次回にご紹介します。

    さてこれらの生活騒音は程度の差はあるものの、音の発生源からは壁、床、天井、窓ガラスなどで一応遮断されているが若干漏れている、あるいは伝わってくるという、いわば(音源近いが)”間接騒音”。一方・・

    前述の例のように、電車内という狭い一種の閉鎖空間の中で、音を遮断するものもない状態で、寝ている人、本を読む人、体調がすぐれない人などがいるかもしれない前で子供が騒ぐ音は(間近からの)”直接騒音”であり、即禁止・制止すべきは明白。

    そしてもう一つの前述例の”公園での子供騒音”苦情の件は、苦情主、児童施設や学校、公園管理する自治体のそれぞれがもっと真剣に対処法を考えていたら、なにも公園を廃止しないで済んだのではないだろうか。(苦情主は「何で苦情を言うのか、ここに住んでいる者にしかわからない」というようなことを述べておられるそうだが) 対策案として・・

    ・まず児童施設や学校での騒音教育・指導の徹底。 

    ・児童施設が児童50人を連れて当該公園を利用する際には、この公園は広いので”苦情主宅から半径20?メートル以内には児童たちを行かせないように都度ロープを張る。 

    ・「不快音」は音量や音の波形に関係なく4000~7000ヘルツとされるが、子供の声は通常は1000~2000ヘルツのところ、遊びの最中によく発する「キャー」という声は4000ヘルツを超えていることはまちがいない。(子供のデータが見つからないが、大人の「キャー」という声でさえ2000~4000ヘルツとされるから)

    この子供たちの高音の声は反射しやすくかつ吸収されやすい性質があるので、これを利用して、苦情主宅近くに”音の反射板”設置や常緑樹の植栽を増やす。(見通しや風通しに配慮しながら)

    ・苦情主宅の窓を2重又は3重の防音ガラスにする

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    以上、騒音についてまだ語ることがあるのですが、文章量が多くなりすぎたので、次回に続けます。
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